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親日国と君が代

親日国といわれる国がある。
日本大好きという国


よく知られているのは台湾、ブラジルだけど、トルコ、フィンランド、ポーランド、パラオなども親日国として知られている。

なぜ、日本が好きか、親日になるのか?・・・多くの人たちは、ただのイメージだけで好きになったりはしないもの。

過去になんらかの形で、日本による功績が大きかったからだ。


それが個人の日本人実業家によるものもあれば、また、日本という国家によるものだったり・・・と、そこは様々だけど、とにかく日本となんらかの関わりを持ち、それが彼らにとって非常に良き思い出となっている国ってことがいえると思う。


ところが、相手国にはその良き思い出が代々語り伝えられてきたというのに、日本人の方が意外にも全然知らないということもある。


私は、ポーランドとパラオについてはまったく知らなかった。


★ポーランド

ポーランドについては、当時ポーランドに旅をしてきたという友人から教えてもらったことだ。
80年代、私の周りには様々な国へ海外旅行する友人が多く、そんな人たちから様々な事を教えてもらったものだ。


ポーランドとの関係は、1920年、第一次世界大戦が終わった頃に遡る。

ポーランドは、そのずーーと以前から近隣諸国から国を奪われ続け国は分断され、または戦場となって蹂躙され続けてきた国だ。


そういえば、ピアノ曲で有名なショパンもポーランド人だった・・。
彼は20歳で家族と別れて亡命したまま、一度も祖国に戻ることは叶わなかったという。

ご存じの通り、ショパンは「ピアノの詩人」とも呼ばれ、ロマンチックで繊細なイメージになってるけど・・彼の心の中は、レジスタンスや革命家の熱い血が流れてていたような気もする。  曲名でいえば、「革命」や「エチュードOp.10」などの作品の方が、ショパンらしいように思えてしまう。  


ショパンの時代からさらに時は流れても、ポーランドの状況は最悪だった。

1920当時、多くのポーランド人はロシアによってシベリアに連れてこられていた。
(現在、中国共産党がウイグル人を 収容所送りにするのと似たようなものだったかもしれない)

さらにロシア革命の影響をまともに受けてしまうと、戦火を逃れるためにシベリアに逃げていった人々も加わり、当時は15万~20万人のポーランド人がいたという。


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息まで凍ってしまうため口を覆って肺を守るという


シベリアのような地で生きていかれるはずがなく、多くの人が病気や餓死で死んでいったことは言うまでもないことだろう。

ロシア革命の影響が収まってきた頃、 せめて残された孤児だけでも助けたい!という運動が起こり、先進国に片っ端から協力を求めたものの、どこの国にも助けてもらえなかったという。(ロシアを恐れての、政治上の理由から。)

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1904 シベリア鉄道

残るは最終手段!
シベリア流刑地にいた日本人を通じて、日本国にお願いしてみよう!ということになったらしい。

ポーランドにとっては、最後の頼みの綱。

しかし当時の日本とポーランドは、まったく国交が無い。 お互いにまったくの未知の国なのだ。
頼みの綱はあまりにもか細い。


ところが、なぜか日本側は異例の早さでポーランド孤児救出に動き出した。


孤児救出といっても、800人近い孤児たちがいる。
莫大な費用もかかる上、国家をあげての一大プロジェクトだ。

なぜ、第一次大戦後の日本が、これを引き受けたのか?
それは人道的な精神だったのか、また幾分の政治的な思惑もあったのか・・そこはわからない。

それでも多くの先進国に見放されたポーランドを、日本だけが救出に乗り出したことは事実だ。

さらに、孤児たちを手厚く保護し祖国へ送り届けてあげたことは紛れもない事実だ。


今やこの内容についての本も出版されてるし、最近ではオンライン上でも、いくつも上がっている。
   ↓
100年前のシベリアからの救出劇! 765人のポーランド孤児と日本人の奇跡の物語


この後もポーランドには、悲惨なことばかりが続く。

ナチス・ドイツの統治下に置かれ、アウシュビッツ収容所が作られたり、激戦地になったりと。

それでも、100年後の今でさえ、ポーランドにとっては、日本による「800人の孤児救出」は忘れられない思い出として語り継がれてきているという。


★パラオ

これもは、当時「南の島」にハマってた友人から教えてもらった話だ。

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https://palaudiveadventures.com/palau-points-of-interest/

こんな美しい自然のあるパラオだけど、ここも長年悲惨な目にあってきた国だ。

文明の遅れた国は、欧米諸国によってほとんどが植民地にされてきた。

植民地というと、まだ聞こえがいいけれど、手っとり早く言うと「奴隷化」だ。

コロンブスが南米上陸で行ったように、現地人の殺戮、搾取の数々。

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http://209.157.64.200/focus/f-chat/3750232/posts


以前にも、アメリカ合衆国は「インディアンに対して虫けら同然、黒人以下の扱いをしていた」という話をアップしたことがあったけど、まさにそれと同様なことが世界中で、公然と行われていた時代だった。


パラオもまた、そんな犠牲になってしまった国のひとつだ。

大航海時代に、パラオはまずスペインの植民地にされた。 ところが、カネに困ったスペインがそのうちドイツに売り、今度はドイツの植民地にされた。


第一次大戦でドイツが負けると、パラオは日本に譲渡されることになる。

そこで、日本がどのように統治したのかというと・・

まず、インフラを整備し、学校、病院を作り、町を作った。

パラオの子供たちにも日本人の子供同様に学校に通わせ、同様に規則正しい生活を送るように指導したという。

さらに、野菜やサトウキビなどの農業の開発、マグロの缶詰や鰹節などの工場を作ってパラオ人の雇用を作り出した。


こんなことは、今までパラオを統治してきた、スペインもドイツもしなかったことだ。


パラオは日本のおかげで収穫は上がり、大人には働き口が与えられ、子供たちの学力も上がり、快適な文明的生活を送れるようになっていったという。


その後、第二次世界大戦で日本が敗戦国となると、パラオはアメリカの統治下になった。

アメリカ軍が上陸して最初にしたことは、日本が作ったものをすべて破壊することだったそうだ。

さらに、パラオには、日本の占領軍による虐殺行為があったことを発表しろと迫ったという話も残っている。
まあ、これは・・戦勝国がよくやる手口だね~。

これに対して、パラオ側は「事実無根」として、きっぱりと撥ねつけたという。

当時のパラオの人々にとって、日本に対して「感謝」しかなかったのだ。


一時、日本の占領下にあった国といえば・・パラオの他、中国、韓国、台湾など。


以前、こちらの記事の中でも、韓国人から聞いた朝鮮の歴史というのを書いたのだけど・・旧日本軍のおかげで、韓国が近代化されたということを聞いている。

おそらく日本は、パラオに限らず、どこの国に対しても、占領下に置いた地で、インフラ整備、学校、病院の建設、産業の発展を行ってきたんじゃないかと思うのだが・・。


それでも、親日と嫌日にはっきり分かれてしまうところは、実に興味深い。



パラオには大きな橋がかけられている。

パラオ最大の都市であるコロール島と、空港があるバベルダオブ島を結ぶ、重要な橋だ。

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これが建てられたのは1977年、韓国の建設会社によって作られたコンクリート製の橋だった。

設計上は風速67mの暴風や激震に耐えられるとされていて、しかも、入札時には、日本の建設会社の半額を提示して落札したという。

ところが、10年経った時点で、橋は1m以上もたわみはじめギシギシしだし・・それでも、どこぞの調査では「安全」と宣言されたそうだけど・・・パラオの人々はま~ったく信じてなかったという(笑)

「どうしてもあの橋を渡らなきゃならないときはね、絶対に車の窓を全開にして、橋が落ちてもすぐに泳いで逃げられるようにしとけ!」 とまで言われてたそうだ(笑)

1996年9月、轟音と共に突如中央部から真っ二つに折れて崩落。

その後、結局日本の業者が橋を建設し直したという。

しかも、旧橋のコンクリートが低品質過ぎて再利用がまったくできず、一から建設しなおしたそうだ。

この橋が、日本・パラオ友好の橋(Japan-Palau Friendship Bridge)と呼ばれるようになり・・・

この橋のおかげで、さらに日本を身近に感じて親日になった人も多かったという。

friendship bridge


第二次世界大戦後、パラオはアメリカ領となったが・・それから、どうだったのか?


これについては、元駐在大使がこのように語っている。

日本がパラオに残したレガシーは?:ウエキ元駐日大使に聞く

「アメリカと日本は統治のやり方が大きく違いましたね。
日本人は自分たちで経済の仕組みを作り上げて、そこにパラオ人を入れていきました。

パラオ人に自分の力で真面目に働くことの大切さを教えてくれました。
お金は人からタダでもらうのではなく、自分で一生懸命仕事して、家族を養っていくという人生観です。

一方、アメリカ人は最初の時期は「お金はあげるので、後はあなたたちで勝手にやりなさい」という感じでした。
米国は毎年一定額の補助金をくれるだけでパラオに深く関わろうとせず、パラオ人任せ、悪く言えば、放置していました。
これは「動物園政策(zoo theory)」と呼ばれるものでした。」



その後さらに時は流れて、パラオ政府も他国同様、どんどん中国と親密になっていったのだけど・・それに対しては、この方はこのように語っている。

質問 : 中国のパラオへの影響が深まっていますが、諸外国とどのように付き合っていくべきだとお考えですか。

「パラオは小さな国です。経済発展もほどほどでいい。 日本は無償援助で橋を作り、電気も通し、水道も整備してくれました。

一方、中国の投資は中国の観光客のためにホテルを建て、海が汚染されてしまい、政府が国際機関から借金をして下水道の整備をしている。

おかしなことです。 潤っているのは一部の階級の人たちだけで庶民の暮らしは良くなりません。

パラオには(外国人が土地を購入できないので)中国企業に99年という期限で土地を貸している人がいますが、土地を取られたのとほぼ同じです。」


パラオが独立宣言したのは、1981年のことだけど、パラオの国旗はこれだ。

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これは太平洋の海の青い色と夜空に上る満月を描いたもので、愛と平和と静寂の意味を込めたものだそうだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は以前にも、どこかのブログ記事の中で、私は子供の頃から日本があまり好きでなく、欧米にばかり憧れてる子だったという事を書いた覚えがある。

ところが、こういった事を見聞きするうちに、私も少しずつ変わっていったのだ。


私が何よりも嫌だったのが、旧日本軍
国の為に戦って死ね!と国民に強要するわ、占領国では残虐・非道ぶり。(←そのように聞いていたから)

ところが、ずいぶん大人になってからだけど・・旧日本軍による南京虐殺の話なども「戦後の東京裁判で連合国が日本軍の残虐・非道ぶりを示すためにでっち上げたものである」・・・なーんて記事も出回るようになり・・

果たして、本当に日本軍がやったことだったのかな?と、ちょっとづつ疑問に思うようにもなってきたものだ。


たしかに戦時下の日本は狂っていたとい思う。 お国のために戦って死んで来い!の風潮だったようだし・・。

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https://news.line.me/issue/oa-yomutxcom/f9a14812846e

戦況が悪化すればするほど・・かなりクレイジーな状態になっていったのは事実だろう。


しかし、日本を遠く離れたところにいた日本人たちは、逆に日本を離れていただけに、本来の日本人の心を持ち続けていられたのではないだろうか?

そうでなければ、パラオにあれだけの貢献をし、パラオの人々に愛されるわけがないのだ。

「街を整備しインフラを整え、学校や病院を作り、産業を発展させ、共に汗水流して働く」・・これこそ、まさに日本人らしい気がするのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ポーランド孤児たちが別れのとき、また、パラオの人々が別れのとき(パラオは次第に激戦区となっていき、日本軍はパラオ人を助けるために逃がしたそうだ)

別れの時、彼らは思いを込めて、日本の国歌、君が代を唄ったという。


国家斉唱、君が代・・・これまた、子供の頃の私は、この歌、あんまり好きじゃなかったのだ。

地味~な歌と思ってたから。


それに比べて、ラ・マルセイエイズとか、アメリカの星条旗 (国歌) - The Star-Spangled Bannerの、なんと華やかで勇ましかったことか(笑)


さらに、中学校のとき、日教組の先生たちは、卒業式などで国家斉唱をするとき、彼らは貝のように口を閉ざしてしまい、絶対に唄わなかったことを思い出した。

理由は、君が代は、「天皇の治世が未来永劫に続くように」という軍国主義的、絶対主義的な意味を持つからと聞いていた。
そんな国家なぞ、唄ってたまるか!・・だったんだと思う(笑)


ところで、君が代の歌詞はどこから来たのか、ご存じでしたか?

『古今和歌集』の「読人知らず」の和歌であり、古代ではこれを祝賀の歌とされていたという。

また、安土桃山時代の頃から、未来永劫の愛を誓った歌としても使われていたという・・l恋の小唄ってヤツだね(笑)


明治政府が国歌を作る際に、どんな意図でこの和歌を使ったのかは知らない。

問題は「君」というのが何を意味しているかにある。
 
明治政府は、それを天皇の御代としていたのか、天皇陛下万歳~! 天皇中心の軍国主義万斉~!という意味合いを込めたのか・・・そこは知らない。


しかし、古代からの「君」の意味は、一人の人間を指す・・ということではないようだ。

 と は、イザナギのイザナミの神々を表すという説もある。

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イザナギ_Wiki

つまり・・

はじめに男の神様と女の神様がいて・・(国生みの神様)
その二人が愛し合い、子孫を作り、それが脈々と受け継がれていく限り、小さな石くれは集まって、いずれは大きな巌(いわお)になることもできるし、苔生すまで、永遠に幸せになるよ~。



という解釈があるそうだ。

言い方を変えれば、「愛」こそが永遠・・という意味にもなる。


私は、これを聞いたとき、ふと、日月神示を思い出した。

日月神示の中には、というのが出てくる箇所がいくつもある。

神前に向って大きくキを吸ひ肚に入れて下座に向って吐き出せよ、八度繰り返せよ、神のキ頂くのざぞ、キとミとのあいの霊気頂くのざぞ。(アメの巻 第十五帖)

・・・とかね(笑)


これを思い出したとき、目からウロコ!
君が代って、素晴らしい!と思ったのだ!!(←単純)


華やかで勇ましく、「自由の為の戦士」をイメージする国歌は世界に多くある。

でも、

ただ男と女が愛し合って家族を増やしていけば・・なーんて国歌はどこにもないように思う(笑)

しかも、君が代の曲は、日本古来の音階、四七抜き《よなぬき》の五音音階ドレミソラで作られている。


そこまで日本人が意図して、君が代を国歌にしたかどうかはわからないのだけれど・・・それでも、なぜか、自然にそれが国家(国歌)になった、というところが凄いところかもしれない。


日本人の精神性は、意図しない自然体の中から現れてくるのかもしれない。

それが意図しないところで、神の御心に通じていたり自然の法則に即していたりして、すべての根源を表すものになっているのかもしれない。


心から「さざれ石の巌となりて苔のむすまで」と祈りたい気持ちになってくる。

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Author:gingetsu2010
アリゾナ州セドナにて、アクセサリー工房Alizona*銀の月*をオープンしてる銀月です!

日々の生活や体験の中から、社会のこと、スピリチュアルなことなど・・思いつくままに書きつらねてます。

皆様にも「スピリチャアルの意味」「生きる意味」を感じて頂けたら、幸いです!☆

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