久しぶりに、ある画家の方からメールを頂いて「ああ、この方も元気でやってたんだ~!」 と、じんわりとした気分になった。
そして、この方が以前こんなことを言ってたのを思い出していた。
「私は人から、あなたはアーティストね、なんて言われると、いつも、ホントにそうなのかな? って思ってしまうんですよ。
画家=アーティストというのは違うと思うし、そこにまた自分が入ってくると、私=画家=アーティストなのかな?って、いつも自問自答しちゃうんですよ。」
こんなこと私には答えられない。 答えようもないがな~。
「どうであれ、絵を描くことが好きでそれを職業にできているなら、それが一番じゃないですか。」と言った覚えがある。
ただ、ちょっとだけ、私なりに思ってることはある。
アーティストの定義 : 上から降りてくるものがある人
まるで、岡本天明さんか、出口なおさんかい?みたいな話だけど・・(笑)

まあ、それに近いようなものかもしれない。
アーティストといえば、画家、音楽家、彫刻家などが浮かぶけど、むろん、それだけに限らない。
書道家・建築家・写真家・作家、陶芸家、役者、さらには物理学者、数学者、スポーツ選手にだって、どんな分野にだって神は降りてくるんだから、職種は関係ない。
逆から言えば、どんなクリエイティブな仕事で、どんだけプロフェッショナルであったとしても、降りてこない人には降りてこない。
たとえば・・最近はブロガーやYoutuberとして、月に100万は軽く稼ぐという人だっているし、クリエイター、アーティストとも呼ばれたりすることも多い。
彼らは、WebマーケットスキルやSNS運用スキルを身に着け、Twitter、インスタグラムを上手に利用し、SEOについての知識だって豊富だ。
Googleにおいて「何をすれば検索順位が上がるか」を理解していて、決してそれに反することはしない。 無駄なことはしない。
その上、磨き上げられたセンスや技術を身に着けてる。
さすがプロフェッショナル!と感心してしまう・・・だけど、降りてはこない場合も多いかも・・。
さらに、シロウトさんにありがちな・・自分の日記的なものは、もっと問題外。
自分の日常の記録だったり、自分の頭の中を整理するだけに書くという人もいるけど、それでは作品とも呼べない。
アートは人々の為にあるものだから。
また批評家の中には、アーティストの作品は「あれは自分の痛みを表現しているの」とか、「人生の苦しみを表現している」「自分自身を表現している」という人もいるけど・・
たぶん、そんな次元ではないと思う。
もっと、ダイナミックな衝動から作られるように思うのだ。
それこそ神の啓示を受けて。
黙示録も神の啓示だそうだけど・・。

さて、どうゆう人が神の啓示(降りてきた~!という状態)を得られるかといえば・・とてもシンプルなことに思える。
★好きなことを続けてること(自分で切磋琢磨して技術を磨くことにもなる)
★ロジカルで客観的な視線(自分の世界だけでなく常に人々に向けてという視線)
すると神が降りてきて
多くの人を感動させることができる。
「感動する」といっても・・最近はそれすらわからなくなってる人も多いらしくって(笑)、癒されることと同義語と思っちゃう人もいるとか。
音楽を聴き絵画を見て癒される~というのとは別物だよ~。
セラピーとしての音楽や絵画も治療にも使われてるのも事実だけど、それは感動とは別もの。
降りてくる状態は、特にプロフェッショナルな職業の人でなくても、シロウトさんたちの中でも十分起こりえる。
こんな動画をみた。(審査員のサイモン・コーウェルで知られたオーディション番組)
この二つをみて思ったのだけど・・ジョン・レノンやクイーンの歌をうたってるのに、完全に自分の歌になっているということ。
決して降りてきた存在に動かされてるだけではなさそう。 元の作曲者の思い、歌い手の人生、プラス 神様の存在・・かな?

人生経験の少ない子供の場合は、またちょっと違う形で「降りてくるもの」がある。
↓
それが集団の場合は、もっと大きな相乗効果を生むかも。
↓
みーんなタダの一般人なのに・・こういった人たちがどれだけ多くいることか!
そして観客が総立ちになっちゃうくらいの「感動」を与えられるということだ。
こうゆう人たち、みんなアーティストだと思うのだ。
どんだけ一般の中にも埋もれてることやら(笑)
そして、この方が以前こんなことを言ってたのを思い出していた。
「私は人から、あなたはアーティストね、なんて言われると、いつも、ホントにそうなのかな? って思ってしまうんですよ。
画家=アーティストというのは違うと思うし、そこにまた自分が入ってくると、私=画家=アーティストなのかな?って、いつも自問自答しちゃうんですよ。」
こんなこと私には答えられない。 答えようもないがな~。
「どうであれ、絵を描くことが好きでそれを職業にできているなら、それが一番じゃないですか。」と言った覚えがある。
ただ、ちょっとだけ、私なりに思ってることはある。
アーティストの定義 : 上から降りてくるものがある人
まるで、岡本天明さんか、出口なおさんかい?みたいな話だけど・・(笑)

まあ、それに近いようなものかもしれない。
アーティストといえば、画家、音楽家、彫刻家などが浮かぶけど、むろん、それだけに限らない。
書道家・建築家・写真家・作家、陶芸家、役者、さらには物理学者、数学者、スポーツ選手にだって、どんな分野にだって神は降りてくるんだから、職種は関係ない。
逆から言えば、どんなクリエイティブな仕事で、どんだけプロフェッショナルであったとしても、降りてこない人には降りてこない。
たとえば・・最近はブロガーやYoutuberとして、月に100万は軽く稼ぐという人だっているし、クリエイター、アーティストとも呼ばれたりすることも多い。
彼らは、WebマーケットスキルやSNS運用スキルを身に着け、Twitter、インスタグラムを上手に利用し、SEOについての知識だって豊富だ。
Googleにおいて「何をすれば検索順位が上がるか」を理解していて、決してそれに反することはしない。 無駄なことはしない。
その上、磨き上げられたセンスや技術を身に着けてる。
さすがプロフェッショナル!と感心してしまう・・・だけど、降りてはこない場合も多いかも・・。
さらに、シロウトさんにありがちな・・自分の日記的なものは、もっと問題外。
自分の日常の記録だったり、自分の頭の中を整理するだけに書くという人もいるけど、それでは作品とも呼べない。
アートは人々の為にあるものだから。
また批評家の中には、アーティストの作品は「あれは自分の痛みを表現しているの」とか、「人生の苦しみを表現している」「自分自身を表現している」という人もいるけど・・
たぶん、そんな次元ではないと思う。
もっと、ダイナミックな衝動から作られるように思うのだ。
それこそ神の啓示を受けて。
黙示録も神の啓示だそうだけど・・。

さて、どうゆう人が神の啓示(降りてきた~!という状態)を得られるかといえば・・とてもシンプルなことに思える。
★好きなことを続けてること(自分で切磋琢磨して技術を磨くことにもなる)
★ロジカルで客観的な視線(自分の世界だけでなく常に人々に向けてという視線)
すると神が降りてきて
多くの人を感動させることができる。
「感動する」といっても・・最近はそれすらわからなくなってる人も多いらしくって(笑)、癒されることと同義語と思っちゃう人もいるとか。
音楽を聴き絵画を見て癒される~というのとは別物だよ~。
セラピーとしての音楽や絵画も治療にも使われてるのも事実だけど、それは感動とは別もの。
降りてくる状態は、特にプロフェッショナルな職業の人でなくても、シロウトさんたちの中でも十分起こりえる。
こんな動画をみた。(審査員のサイモン・コーウェルで知られたオーディション番組)
この二つをみて思ったのだけど・・ジョン・レノンやクイーンの歌をうたってるのに、完全に自分の歌になっているということ。
決して降りてきた存在に動かされてるだけではなさそう。 元の作曲者の思い、歌い手の人生、プラス 神様の存在・・かな?

人生経験の少ない子供の場合は、またちょっと違う形で「降りてくるもの」がある。
↓
それが集団の場合は、もっと大きな相乗効果を生むかも。
↓
みーんなタダの一般人なのに・・こういった人たちがどれだけ多くいることか!
そして観客が総立ちになっちゃうくらいの「感動」を与えられるということだ。
こうゆう人たち、みんなアーティストだと思うのだ。
どんだけ一般の中にも埋もれてることやら(笑)