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雨乞いの続き:レインメーカー? レインマン?

きのうのの話から、ちょっとだけ「雨乞い」に関する続編を書こうと思う。

これはアメリカで実際にあった「雨乞い」のお話。


雨乞いは英語では、Rain Maker(レインメーカー)と呼ばれてる。

ん? 雨を乞うのと雨を作り出すって違くね?

と疑問をお持ちの方もいるかも。

はい! おっしゃるとおり、違いますね。


そこは・・雨を司る精霊の存在を信じてた人と、目に見えないものを信じて無かった人の違いかと(笑)

つまりアメリカに移住してきた欧米人(主に白人連中)は、精霊なんぞ信じてなかったからこそ、レインメーカーって言葉ができたんでしょうね~。(目に見えないものに、何を乞うんじゃい!と言われちゃいそうですもん。)


しかし、白人が移住してくるよりも、ずーーと昔から、

ネイティブアメリカンには、「雨乞い師」がいたそうです。

ネイティブアメリカンの部族語で、そういう人たちをなんと呼んでたかはわかりませが、おそらく、日本語の「雨乞い師」に近いニュアンスの言葉だったのでは?って思います。



そういえば、ネイティブアメリカンって古代日本人と似てますよね。

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●自然霊を信じて八百万神(やおよろずのかみ)を敬った日本人 カチーナと呼ぶ多くの自然に宿る精霊たちを敬ったネイティブアメリカンたち

●目に見えぬ存在と交流し、大地といのち、宇宙との均衡、調和を祈り続けようとした・・というのは、どちらも一緒。


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●また、政略者だった白人社会と違って、男尊女卑なんてあり得なかった日本人&ネイティブアメリカン
(注:日本が男尊女卑社会っぽくなったのは、主に江戸幕府が確立し安泰な世になってから。
それも武家社会のみ。)
(注:ネイティブアメリカン部族は、母系制で、土地、家、財産は女性に属するのがほとんど。)



しかし今回の話は、ネイティブアメリカンの雨乞い師ではなく、れっきとした白人のレインメーカーの話です。


チャールズ・ハットフィールド : Charles Mallory Hatfield (July 15, 1875 – January 12, 1958)

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生まれは、カンザス州のフォートスコット(Fort Scott)

実家はミシン業を営んでいたのだけれど、後に農業へ転向した。

ところが、チャールズが11歳のとき、干ばつに襲われる。
せっかく耕した田畑は、あっと言う間に干上がり廃業を余儀なくされてしまう。

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アメリカは日本以上に厳しい土地だ。
不毛の砂漠地帯は多いし、大地が広大なだけに水路を確保できないことの方が多い。

頼みの綱は雨のみ!ということが多かったのだ。


最も天侯に左右されがちなのは農業。

ハットフィールド家も例外ではなかった。

彼らは土地を捨てて南カリフォルニアに引っ越した。


チャールズはニューホーム・ソーイングマシーンという会社のセールスマンになり、

1904年カリフォルニア州グレンデール(Glendale)に引っ越した。
 
(*グレンデールは、ウチから車で北へ1時間くらいの距離だ。
たしか白人が多く住む、小ぎれいな地域で、アルメニア系アメリカ人のコミュニティーがあるはず。
チャールズの時代のことは知らないが・・)



ミシンのセールスマンとして働いていたチャールズだったけど、(お父さんもミシン・セールスマンだったんだよね)


彼の頭の中には、いつもこのことばかり。
    ↓
「何としても農家を干ばつから救いたい!
 天侯に左右されない、人工的に雨を降らせる技術と装置が絶対にあるはずだ。」



暇さえみつけては、レインメーキングに関する多数の本や定期刊行物資料を読みふけった。
特にハーバード大学教授、ウィリアム・モリス・デイビス( William Morris Davis)によって書かれた「初等気象学」(Elementary Meteorology)の影響を最も受けたという。



時代は19世紀末、アメリカの深刻な干ばつは、農民から銀行家までの、すべての人に大きな影響を及ぼした。

自分の少年時代、干ばつで家族ともども土地を捨てて逃げてきたの経験もフラッシュバックされてたかもしれない。


何がなんでも雨を降らせなければ!という思いは、強迫観念に近いものであったのかもしれない。



豊富な知識を吸収し、チャールズは雨を作り出すための独自の方法を考案し開発し始めた。

チャールズの弟、ポールや末の弟ジョエルも手伝っていたという記述がある。


牧場の風車の塔の上から雨製造実験をしたり、何度も失敗挫折を繰り返したのち、


1902年、彼は大きな亜鉛メッキの蒸発タンクの中に23の化学物質の混合物を作り入れる、大がかりな装置を作り出す。
これこそが雨を引き寄せる装置になったようだ。


約6メートル程のやぐらを組みたてて、その上から薬品を調合してできる煙を空中散布することによって、雨雲を発生させ雨を降らせるというもの。

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ロサンゼルス・パブリック図書館からの写真


1904年フレッド・バイナリー(Fred Binney)が、チャールズのプロモーターとしてキャンペーンをするようになった。フレッドもまた果樹園の3分の2を干ばつによって全滅させられた経験をしていたのだ。

そのうち、ロサンゼルスの牧場主は新聞で彼の広告を目にすると、

干ばつに頭を痛めていた牧場主たちから次々依頼が入るようになる。
最初は50ドルだったり、100ドルだったり・・
(当時の100ドルは現在の$2800くらい。日本円だと・・310万円くらいかな)


契約はすべて成功報酬だったという。

しかし見事に成功し続けて彼の名前は、どんどん知られていくようになる。

●ロサンゼルスに18インチ(46 cm)の雨を降らせる依頼、
この仕事では、チャールズはルビオ渓谷近くのアルタデナにあるエスペランサ衛生院の敷地内に塔を建設。
見事に成功し約束金、$ 1000の料金を徴収した。




26年間の長きに渡ってこの商売を続け、その生涯で500件を超える雨乞いの依頼を受けた。
その中で失敗に終わったのは2件だったという記録が残っている。



1915年、チャールズが40歳のとき、
サンディエゴ市議会から、モトレナダム貯水池を満たすために雨を降らせて欲しい!と依頼を受ける。


当時のカリフォルニア州は、1200年ぶりの最悪の干ばつに見舞われていたという。(1200年ぶりってすごい!)

農家などでは、地下水源を守るために怪しげな雨乞い祈祷師を呼んでみたり、

ある専門会社では、大気をイオン化することによって降雨を引き起こすことができるんだから、そのための電気塔を建設さえすれば、干ばつは終わるのだ!とか・・・(ん? だからその費用負担をウチにくれってことか?)


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議会は日々、喧喧諤諤、紛糾しまくったことだろう。


結局、サンディエゴ評議会は、レインメーカー: チャールズ・ハットフィールドを雇うことにしたのだった。
10,000ドルの成功報酬で。




1916年1月1日、チャールズと彼の兄弟、ジョエルは,
街の東60マイルの森の奥深くに入り、モレナ貯水池のそばに20フィートの塔を設置し作業を開始。

チャールズは独自の公式を使って、彼は様々な化学物質を混ぜて大気中に放出した。


4日後、モレナで雨が降ったと報告されている。


雨はどんどん降り続く。


1月14日 サンディエゴ川が溢れ、オールドタウンとミッションバレーが洪水に見舞われる。
道路、鉄道、橋が一掃される。(ある時点では、4フィート(120センチ以上)もの水がブロードウェイを駆け下りていったという記録がある。

1月27日、サウスベイ地域では、スウィートウォーター貯水池の水位はダムを溢れるまで上昇し、50フィート(15メートル以上)の壁を崩壊させ、ボニータ渓谷は、農場、住宅、道路、鉄道、すべてが渦巻き状の泥水に飲まれてた。

*スウィートウォーターダムは観光名所で、1888年に建てられ、それは1915年まで、アメリカで最も高いダムだったそうだ。

こちらがスウィートウォーターダムの1907年頃のポストカード
      ↓
PostcardSanDiegoCASweetwaterDam1907.jpg


もう少し南の方の、ローワーオタイダムにも危険が迫っていた。
水位は徐々にダムの頂上に近づいていき、設計建設者が、激しい嵐に耐えられないかもしれないと警告を出している。


同じく1月27日の午後4時45分、水はダムの頂部に到達し、午後5時5分に決壊



放出された水は峡谷を駆け抜けてダムの頂部から約20フィート下の地点までいっぱいになった。
貯水池が空になるのに24時間もかかったという。

6〜20フィート(6メートルにもなる!)の高さと巨大な壁のようになった水は、パームシティまでの距離を48分で駆け抜けたという。

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これによって、サンディエゴ全域が隔離されてしまった。

高速道路と鉄道が流され、電話回線も破壊されてしまったからだ。

唯一の方法は、ヨットクラブドックからボートで行くしかなかったという。

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1916年の洪水で、いったい何人の命が失われたのかは誰にもわかってない。

20人だったという人もいれば、60人だったという人もいて、もっと数えきれない数だという人までいる。


しかし犠牲者の多くは谷に住んでいた日本人農民たちだったといわれている。

被災後、何人かの日本人が小さなボートに乗り、必死で家族の名を呼びながら探し回っていたのが目撃されている。

現在、マウント・ホープ墓地には日本人の洪水被害者の記念碑があるそうだ。
     ↓
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当然のように・・・これだけの大被害を出してしまえば責任問題が問われることになる。

責任は誰に?


これまた当然のように・・市議会はチャールズに責任を押し付けることになる。

まず、350万ドル相当の請求を突き付けたそうだ。

おいおい! ちょっと待ってよ!


雨を降らせって依頼したけど、今度は雨が降り過ぎちゃって大被害が出たから、全部オマエのせいだ!ってこと?


そもそもチャールズは、雨を降らせるための研究をしてきたけれど、
雨を止ませる方法は研究していない。

もっと正確にチャールズの言葉を借りるならば
”I do not make rain. That would be an absurd claim. I simply attract clouds, and they do the rest.”
Charles Hatfield



私が雨を降らせるんじゃなく、雨雲を呼ぶだけだ。 雨を降らせるのは雨雲なのだ。


2月4日、チャールズは記者団に「被害が出たのは市が十分な予防策を講じてなかった責任があるはずだ。」と述べている。


ところが、市議会はチャールズが全損害賠償責任を引き受けない限り、契約金を支払うことを拒否。

ん? 350万ドルを払えば、最初の雨を降らすって契約の1万ドルは支払ってやるぞ!ってことらしい。



新聞雑誌で「素晴らしきレインメーカー」ともてはやされた男は、「サンディエゴを大洪水にした張本人」と言われるようになる。


彼を貶めようとする者、また擁護しようとする者との会話。

「この男はコンアーティスト(ペテン師野郎)だ。」

「いいえ、違います。彼は実際に過去に何度も成功していますよ。」

「私も彼は人柄も大変良い人だと思います。 巷によくいるような口先だけのセールスマンのようにはまったく見えません。
また、そんなふうな噂だって聞いたこともありませんよ。」


実際、彼はミシンのセールスマンではあったが、典型的なセールスマンタイプ(つまり、口先が滑らかで上手に買わせるように仕向けてしまうような)ではなかったという。
敬虔なクエーカー家に生まれ、いつも礼儀正しく、自尊心を持つ態度だったという。
淡く澄んだブルーアイを持ち、白い肌を持つ細身の男だった。

    ↓
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「そうゆう洗練された男こそ、本当に気をつけなきゃいけないんですよ。」

「いいえ、彼のバックには、れっきとしたサイエンスがあるのかもしれませんよ。」




市職員側は、雨だけでなく、その結果生じた損害の補償までも求めるような訴訟をどんどん起こしていく。
それがあまりにも殺到していったため、

本来の約束だった、成功報酬の1万ドルでさえ、支払わない方向に持っていったという。


チャールズ・ハットフィールドが雨を降らしたのは自分がやったことであり、決して神の行為ではないという証明をせよ!
その証明が提出できなければ、支払いを拒否する。



なんだそりゃ!


裁判は1938年まで続き、

当時の陪審員によって、「彼は科学的に雨を降らせたのではなく偶発的におきた自然災害」として判断し無罪の判決を下した。


つまり、科学的考証によりもたらされた産物ではない、
ただのペテン師野郎だった!
という判決が下されたことになる。


公の見解では、
チャールズ・ハットフィールドは気象学の知識を使って、前線がどこにあるかを予測し、あらかじめその場所に行って自分が雨を降らせたかのようにしただけに過ぎない


ということにされた。



ん? でも・・果たしてそんなことが出来るものだろうか?

いくら気象学に通じていたとしても100年前の気象学のわけだし~。(昔の天気予報なんてハズレも多かったと思うのだが)

それに、クライアントの依頼を受けて始めてその場所に行くわけだし・・
生涯で500百件を超える雨乞いの依頼を受けたうち2件を除いては成功したという事実から考えても・・

もし、本当にそんなことができたとしたら、

高い雨の確率にピンポイントで選択できる、恐るべきスキルとタイミングの感覚を持っていたってことになるんだろうか?
それとも、サイキックかい?(笑)



謎の部分はいくつもある。


裁判のとき、彼の研究結果を表す、化学式の提示は求められなかったんだろうか?
それとも、彼が拒否したのだろうか?

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チャールズとジョエルは、自分たちが行ったレインメーキングのあと、サンディエゴまでの60マイル(97キロくらいあるんだけど・・)を歩いたという。

濁流となった川、渓谷は完全に浸水し、橋は消え、鉄道は破壊され、家は流されていた。
死んだ動物達は泥水の中で放り投げられていたという。

それを目の当たりにした胸中を想像すると、真っ暗な思いがする。。。


その後も、チャールズの名声は消えたわけではなく、多くのレインメーキングの依頼も受けたそうだが、

すぐにやってきた大恐慌で、彼はミシンのセールスマンに戻っていったという。

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彼は静かに余生を送り、
1958年1月12日、83歳で生涯を終えた。

カリフォルニア州グレンデールのフォレストローン記念公園墓地に埋葬され、彼の化学式も一緒に埋められたという。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

彼の死後いまだに、

●チャールズ・ハットフィールドは本物レインメーカーだったか、ペテン師だったのか?

●彼の調合したものはなんだったのだろう? 化学式はなんだったのだろう?



と謎が謎を呼び、ずっと囁かれ続けている。


有力な説のひとつとして言われているのは、

「雨粒の形に近いヨウ化銀を気化させた煙を大気中に散布したのではないか」という説。
これは20世紀後半から人工降雨の技術の一つとして実際に稼動させているものであり、実用化されているレベルとなっているらしい。

しかし、いずれも航空機などを使用して高所で行なわなければならないものなので、チャールズがやったように地上からできるものとは思えない・・というのが一般的見解。



結局、なにもかも不明・謎のまま。


もっとも、現在の軍上層部だったら、地震・気象兵器「HAARP」だって持ってるくらいだし~解明されちゃってるのかもしれないけど(笑)


ただ・・・現実に存在した事実は、

干ばつを回避するために、人生のほとんどを人工雨を降らすことに命をかけてきた男と、

それを信じて庇護する人とペテン師扱いした人がいて、

大災害が起きれば、誰かに責任を取らせよう必死な人たちがいたこと



それだけは確かなことだろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

レインメーカーの話は、のちに映画にもなった(笑)

私の父親あたりが見てそうな映画だけど・・
     ↓
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これは、私の時代の映画だ。
    ↓
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これは「雨乞い」じゃなくって、「弁護士」の映画だったけどね~。

このレインメーカーとは、「雨のごとく金を降らせてくれる一流の弁護士」って意味の現代におけるスラング。

一流といっても、必ずしもいい意味だけで使われるわけじゃないけどね~(笑)


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まったくの余談なんだけど・・

チャールズ・ハットフィールドは、「大砲を撃ったあと雨が降る」言葉から、多くのヒントを得たという話が伝わっている。

「大砲を撃ったあと雨が降る」というのは、どうやら南北戦争の頃から、言い伝えられるようになったらしいのだ。


実体験してきた軍人さんたちから言い伝えられてきたらしい。

こちらの、南北戦争体験者からのサイトに載っていたのだ。
     ↓
Cannon fire and rain? | American Civil War Forums - Civil War Talk


チャールズよりも以前にも、それを証明しようとした気象学者たちもいたようで・・

1841年ジェームズ・ポラード・エスピイ(James Pollard Espy)という当時の一流の気象学者の著書『The Philosophy of Storms』の中で、
「湿った気流をより冷たい大気の層の中に移動させることによって、結露が起こり、人工的に雨が降る可能性がある」と主張している。

それが大砲やら機関銃やらの一斉攻撃が引き金になるってことらしいのだ。


その後、1890年にも大規模な実験まで行われたという。



だとしたら~その後も何度も大きな戦争が起こってるわけで、

ヒロシマ・ナガサキの原爆だって(あ? そういえば、原爆が落とされた後も黒い雨が降ったんだったっけ?)

近年では、中東に向けてのピンポイントミサイル攻撃だって数えきれないだろう。

石油コンビナートだとか、タンカーの大爆発だって起こってるわけだし・・


気象状況を変えてしまったのは、人間かもしれない!



参考
It's Raining Man! - San Diego History Center | San Diego, CA |

When Rain Comes: Charles Hatfield’s Secret Formulas

Cannon fire and rain? | American Civil War Forums - Civil War Talk

Charles Hatfield: Rainmaker or Con Man?

The Great Flood of 1916

Firing a cannon to make it rain: madness or meterology?

The Rainmaker, Charles Hatfield, and the Flood of 1916

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