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ハート・スートラと般若心経と空(くう)

サンフランシスコ郊外に、タサハラ(Tassajara)って場所があるのだけど・・そこは超ド田舎。
ところが、そこには有名な禅寺があります。

Zendo-hallway-600.jpg


どうゆうところかというと、詳しくはこちらの写真を参照ください。
    ↓
タサハラ・静寂・禅・温泉



私は、ここの禅寺の存在は、ずいぶん前に、ハンク・ウエルスマンの「スピリチュアル・ウォーカー」という本を読んだときに知ったのが最初でした。

へえ~、ハンクさんも禅寺に通ってたんだ~と。
*ハンク・ウエルスマンは人類学の教授

また、以前にも
スティーブ・ジョブスを思い出すというブログをアップしましたが・・スティーブ・ジョブスもまた、禅寺に通ってたというのは、有名な話です。


なぜか、アメリカ人には、根強いZENファンがいるらしい。
とはいっても・・そのほとんどが「知識階級」つーか、「意識レベルが高い人」つーか・・・そうゆう人たちに限られてはいるようですが・・。
クォンタム・リープ(Quantum Leap)を目指し、仏教(禅)について考えたり、思索を深めたりするような人たちのこと。



最近、ある知人から、そこの禅寺に宿泊してきたよ~と聞いたばかり。(夏場は宿泊できるホテルにもなってる)


その人は、とくに禅やスピリチュアルに興味があったわけではなく、

「ただ、文明からシャットアウトされた自然の中で、お坊さんたちが作るオーガニック料理を食べて、のーんびりしたかったから」

というのが理由だったそうです。(←うん、うん、私も同感)

roadsideDiariesGrahmRoss.jpg


しかし、そこで、「初心者のためのZEN」というセッションに参加して、ハート・マントラの小冊子をゲットしてきたそうです。


さっそく、それを見せて頂いたんですが、

ハート・マントラ(Heart Mantra)

なんだ! これって、般若心経の英語訳じゃないか!

と、気がついたわけです。

そういえば、般若心経は、密教や禅宗で用いられてる有名なお経ですよね~。

また、つい最近のブログ記事、
沙門空海唐の国にて鬼と宴す_読書感想文の最後の部分に、般若心経のことをアップしたばかり。

あらら~、なんかシンクロを感じるなあ、と思い、さっそく英語版の、ハート・マントラを読んでみました。

あらら、すっごく簡単でわかりやすい~♪



それに比べて・・なんで、日本語版って漢字ばっかで難しいんだろ?っと、あらためて思ったわけです。

@だって、これだもん@
  ↓

仏説・摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩・行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識・亦復如是。舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明・亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智、亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離・一切・顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。
即説呪曰、羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。般若心経




こんなん、いったいどれだけ勉強して、どれだけ知識を詰め込めば理解できんだよ!と、うんざりしてしまって、すっかり「般若心経」のことは、投げちゃってました。

そもそも、
ウチの檀家は、密でも禅でもなく、浄土宗だったか浄土真宗だったかで(←それすらもわからん、いい加減なのだ。)
般若心経を唱える人も身近にはいませんでしたから。(←言い訳はもう、いい!)



仏教といえば難しい漢字

その漢字だらけのお経を、お坊さんが読経してくれて・・一般人には、意味さっぱりわかんないけど、「ありがたいもの」

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として、神妙に我慢して聞かなきゃならないもの・・そうゆうもの、って思い込んでたような気がします。


日本人は「仏教=お経=漢字」、という固定観念というか、「思い込み」を持ってるんじゃないかな?

つくづく、そんなことを感じました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『般若心経』は、ご存じのとおり、600年代に三蔵法師玄奘(さんぞうほうし・げんしょう)さんが、インドにまで行って、持ってかえってきた経典のひとつ。

saiyuki_characters.png

こうゆうものだったそうです。(模様にしか見えんのだが・・)
    ↓
bojihanya.png
(世界最古のサンスクリット語写本は法隆寺にあるそうです wikiより)


古代インド語(サンスクリット文字)で書かれたものを、玄奘さんが唐語に訳して、それが日本に入ってきて、
それが、ずーーと日本で用いられてきたってことのようです。

*また別ルートで、サンスクリット語(古代インド語=梵語)がパーリ語(古代インドの口語)に訳されて伝わったものもあるとか。
ややこしいなあ・・。 ややこしいから、こっちの話は無視。




そりゃ、難しいわけだ~!



ようするに~翻訳はすべて唐時代の漢字にしちゃうわけだし・・

たとえば、正式名称の『般若波羅蜜多心経』というのは、
サンスクリット語で『プラジュニャー・パーラミター・フリダヤ』(Prajñā-pāramitā-hṛdaya)

って発音がもと。

サンスクリット語の prajnã(プラジュニャー) の俗語形(パーリー語)が(pannã:パンニャ)で、

その音をそのまま漢字に写したのが、「般若」(ハンニャ)になってるそうです。



漢字でみるものじゃなくって・・本来は「音」から感じ取るものかもしれませんね。


私なぞは、ずーーとこっちのハンニャかと思ってたもんです。

omen_hannya.png




さて、ハンニャの意味ですが、

これは、「人間が真実に目覚めたときにあらわれる根源的な叡智のこと」
だそうです。

<<叡智>>


こうなると、宗教というよりフィロソフィーだよね~。
ああ、よかった~!


実は・・私はもともと、宗教には拒否反応を持ってましたもんで(笑)

なぜかって?

つまりですね~、こういったドグマが苦手だから!

XXしちゃいけない!
XXしなさい!

みたいな~。

禁止事項のオンパレード。

そこで、なんでやねん?と聞いたところで、
「それが、神様仏様の教えだからです!」

としか言われなかったし・・

それじゃ、返事になっとらんじゃないかい!
そんなん、学校の校則だけでも、うんざりなのに~

ああ!余計なお世話だ!


で、拒絶反応を持ってしまったってわけです。




この英語版の、ハート・スートラ(Heart Sutra)は、ちゃんとオンライン上にも載ってるんですね。
    ↓
The Heart Sutra and Key Concepts of Buddhism


この下に、元々の漢文と、現代語訳をつけたものがこちらになります。
    ↓

Avalokiteshvara Bodhisattva, when practicing deeply the prajna paramita,
perceived that all five skandhas in their own being are empty, and was saved from all suffering.

  ↓
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄

求道者にして聖なる観音様は、深遠な智慧の完成を実践していたとき
存在するものには5つの構成要素があることに気づかれた。
しかも、その本性からいうと、5つの構成要素とは、実体のないものであると気づかれた。


"O Shariputra, form does not differ from emptiness, emptiness does not differ from form;
that which is form is emptiness, that which is emptiness form.
The same is true of feelings, perceptions, formations, consciousness.

舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是


おお!シャーリプトラよ、 この世において、物質的現象は実体がないということであり、実体がないからこそ、物質的現象でもある。
実体がないということは、感覚も、知覚も、表象も、意識も、すべて実体がないのである。



O Shariputra, all dharmas are marked with emptiness: they do not appear nor disappear, are not tainted nor pure, do not increase nor decrease.

舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減


シャーリプトラよ、この世においては、すべての存在するものには実体がないという特性がある。
生じたということもなく滅したということもなく、汚れたものでもなく、ピュアなものでもなく、減るということもなく増すということもない。



Therefore in emptiness, no form, no feelings, no perceptions, no formations, no consciousness; no eyes, no ears, no nose, no tongue, no body, no mind, no color, no realm of eyes, until no realm of mind-consciousness; no ignorance, and also no extinction of it, until no old-age and death, and also no extinction of it; no suffering, no origination, no stopping, no path, no cognition, also no attainment.

是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意無色声香味触法無限界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得


それゆえに、実体がないということは、物質的現象もなく、感覚もなく、知覚も表象もなく、意志もない。
眼もなく、耳もなく、鼻もなく、舌もなく、身体もなく、心もなく、かたちもなく、声もなく、香りもなく、味もなく、触れられる対象もなく、心の対象もない。眼の領域から、意識の領域にいたるまでことごとくない。
(さとりもなければ、)迷いもなく、(さとりがなくなることもなければ、)迷いがなかうなることもない。 そして、老いも死もなく、老いも死もなくなることはないということに至る。
苦しみも、苦しみの原因も、苦しみを制することも、苦しみを制する道もない。知ることもなく、得ることもない。


With nothing to attain, a Bodhisattva depends on prajna paramita and the mind is no hindrance. Without any hindrance,
no fears exist. Far apart from every perverted view one dwells in nirvana. In the three worlds all Buddhas depend on prajna paramita and attain unsurpassed complete perfect enlightenment.

以無所得故菩提薩依般若波羅蜜多故心無礙無礙故無有恐怖遠離一切顛倒夢想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提


それゆえに、得るということがないから、諸々の求道者の智慧の完成に安んじて、人は、心を覆われることなく住している。
心を覆うものがないから、恐れがなく、顛倒した心を遠く離れて、永遠の平安に入っていけるのである。過去・現在・未来の三世にいます目覚めたひとびとは、すべて、智慧の完成に安んじて、この上ない正しい目覚めを覚り得られた。

Therefore, know the prajna paramita is the great transcendent mantra, is the great bright mantra, is the utmost mantra, is the supreme mantra, which is able to relieve all suffering and is true not false.

故知般若波羅蜜多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪能除一切苦真実不虚


それゆえに、人は知るべきである。 智慧の完成の大いなる真言、大いなるさとりの真言、無上の真言、無比の真言は、すべての苦しみを鎮めるものであり、偽りがないから真実であると。



So, proclaim the prajna paramita mantra, proclaim the mantra that says,
Gate, gate, paragate, parasamgate! Bodhi! Svaha!"

故説般若波羅蜜多呪即説呪曰呪即説呪曰
羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶


その真言は、智慧の完成において次のように説かれた。
ガテー ガテー パーラガーテー パーラサンガテー 
ボーディ スヴァーハー (意訳: 往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸あれ)
佐々木閑の現代語訳より




ここのサイトには、ちゃんと初心者でもわかるような説明が載ってました。


ポイントは・・

These are the five skandhas (aggregates):
宇宙すべては「五蘊(ごうん)」から出来ている。

しっかし・・五蘊って漢字、難しいよなあ。
こんなん、早い話、ファイブ・エレメンツってことやん。



この英文サイトから、ひっぱって、五蘊(ごうん)の説明をすると・・

★みることの出来る現象・物質的な存在


●Form⇒「色」(しき) 
たとえば、火のついたレンジがあるとする。

KAZDSCF2671_TP_V.jpg



★他の4つは、みることのできない人間側の世界=すべて心や精神

●Feeling(感覚)⇒「受蘊」
ガスコンロを熱いと感じるのも、目で火をみるのも・・すべて感覚

●Perception(知覚)想い浮かべる作用(概念)⇒「想蘊」
コンロの火を触ったら、熱いぞ~と。

●Impuls(衝動)、自己の心の働く方向、意志ともいえるかな⇒「行蘊」
コンロの火に触れた途端に、手をひっこめる

●Consciousness(意識)自己の心でとらえている状態(意識⇒「識蘊」
コンロの火に触れて、やばっ!あちちっ!ってなる。


で、こうゆうのって、ぜーーんぶ、「空」(Emptiness)なんだよ!ってのが、最重要ポイント。

「空」なんですね~。

そもそも、「空」という語自体は仏教が編み出したものではなくって、インドではごくありふれた語のひとつだったようです。
この「空」の概念から、数学史上最大の発見といわれる数字の「ゼロ」を導き出したのもインド人の功績。

インド人、恐るべし!
indianmeditation.jpg

インド仏教徒は、瞑想の極致のヴィジョンとして、「空」を発見したといわれています。



ところが、般若心経の中で
「空」って言われてしまうと、それって「無」ってこと?
と、そっちに行ってしまって・・

なんだか、すべてが虚しい気分になってしまいがち。(←以前の私、まさにこれでした。 仏教の教えみたく、すべてが無なんていってしまったら、努力したって虚しいじゃんか!と思ったもんです。)

それにしても、後半は「無」って言葉のオンパレードですもんね~。


ところが、ちゃーんと、ここには「空」の説明も載ってました。

Emptiness is not nothingness.
It is the other side of interdependence (pratityasamutpada).



「空」は「無」ってことではないよ~。

それは、ある意味、interdependence(お互いが関係しあって持ちつ持たれつの関係)ってことでもあるんだよ。
って言ってます。

カッコの中に入ってる言葉は、なんだか難しくって聞いたことが無い単語・・・pratityasamutpada
これは、因縁生起(いんねんしょうき)といったような意味で、 因とは果を生起させる直接の原因、縁のことなんだとか。


すごくわかりやすい!!

とにかく、こーんな難しい漢字をみてるよりは、断然わかりやすいもんね~。
  ↓
観自在菩薩・行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄



もちろん、こういった難しい漢字に対する日本語の解説書もいっぱいあるんだけど・・いずれも解説書を読めば読むほどわからなくなってしまう。(←それは、私の理解力&知識の問題なんだろうけど)


とくに専門的なことに関しては、英語の方が、日本語よりもわかりやすい表現が使われてることが多い気がしますね。
余談だけど・・昔の日本の「編み物の本」なんて・・専門用語だらけでさっぱりわからんかったもんね~!


おかげさまで、先日にアップした、沙門空海唐の国にて鬼と宴すの、夢枕獏さんの「般若心経」解説と、今回のハート・スートラ(Heart Sutra)のおかげで、今、ようやく自分なりに見えてきた!って気がしてます。


そもそも般若心経は、観自在菩薩さんが、シャカの一番弟子だったシャーリプトラさんに話し聞かせてる形をとってたんですよね~。

おお! シャーリプトラよ!なんて、呼びかけがあるし、実にわかりやすいし、親しみも感じる。
漢文だと、ただ「舎利子」としか書かれてないんだもんなあ。 (←わかるわけないやん!ブツブツ)

シャーリプトラさん
   ↓
monksya.jpg
http://jayarava.blogspot.com/2011/09/sariputta.html


もちろん、前述したように解説書はいっぱいあります。

また最近では、現代語訳の解説書も多くあるようだし・・中にはロック調なんてのもあったり、Youtubeで聴けるのもあったりと、実にバラエティーに富んでますね~(笑)

ただ、それぞれの人によって、若干の解釈の違いは個々にあるようです。

とくに、「空」を、どのようにとらえるか?は、さまざまでしょうね。


私としては、やっぱ・・これですかね。

o0614052413471839354.jpg
   ↓


そのときの『現実』は君の脳が解釈した、単なる電気信号に過ぎないんだ。
マトリックスという映画から「厄介な脳」を知った日



なので、

宇宙 全て の 物質的 な 存在 「色」を除けば、全部自分の脳が作り上げた実体が無いもの。
「空」ってわけです。

だからなにもかもが本来は「無」=NOともいえるもの。
*ただし、この場合のNOは否定の意味じゃないです。

No「無」で始まるオンパレードがここまでくると、もう、壮観としか言いようがないですね~!
   ↓

no form, no feelings, no perceptions, no formations, no consciousness; no eyes, no ears, no nose, no tongue,
no body, no mind, no color, no realm of eyes, until no realm of mind-consciousness; no ignorance,
and also no extinction of it, until no old-age and death, and also no extinction of it; no suffering, no origination,
no stopping, no path, no cognition, also no attainment.

是故空中受想行識眼耳鼻舌身意色声香味触法限界乃至意識界明亦明尽乃至老死亦老死尽苦集滅道智亦




釈迦のもっとも基本的な教えの「八正道」の教えさえだって、「無」だし、
  ↓

1.正見(しょうけん):正しく見る、 2.正思惟(しょうしゆい):正しい思い、 3.正語(しょうご):正しい言葉
4.正業(しょうごう):正しい行い 5.正命(しょうみょう):正しい仕事、 6.正精進(しょうしょうじん):正しく精進
7.正念(しょうねん):正しい気づき、 8.正定(しょうじょう):正しく意識


六波羅蜜だって「無」だあ!
   ↓

1布施(ふせ)親切心、2持戒(じかい)言行一致、3忍辱(にんにく)……忍耐
4精進(しょうじん)……努力、5禅定(ぜんじょう)……反省、6智慧(ちえ)……修養


これでもかあ!!
いえぃ! じゃじゃ~ん!
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ところが、ここらへんの部分に反感を感じる方々もいらっしゃるようで・・・

「八正道」や「六波羅蜜」までもが、「無」ってのは、ありえないだろ!
お釈迦様が、煩悩を無くし人々を救済するための教えまでもが「無」というのは暴言だ!
と思われてしまうようです。



しかし・・ここで言う「無」というのは、否定してることじゃないし、「八正道」や「六波羅蜜」を実践したって意味ないぞ~ってことじゃないと思います。


宇宙の法則(真理)を述べてるだけで、それに「気づいてくださいよ」というのが、般若心経のメッセージじゃないかと思うんですけどね~。(私の理解ですが・・。)


じゃあ、般若心経というのは、どうするべき?って説いてるんですか?
って聞かれたことがあるんですが・・

そんな答えは、どこにもないと思います!
どこにも答えは書いてないと思います。


すべては人の想念が作り出したもので「空」であり、物質世界もまた「空」
その相互関係の中で、常に変化し続ける世界の中で生きてるってことに、まずは「気づいてください」


それだけのメッセージじゃないでしょうか。

そして、それだけが「ものすごく大切」なことじゃないでしょうか?

「気づく」ということが。



気づいた上で、あとは各自が自分で道を選択してくださいね~、ってことだと思います。

だから、何も書かれていない。


気づいた人が、自ら選択して「八正道」や「六波羅蜜」を実践していく道を選んだのなら、それは立派な道ではないでしょうか?

ただし、

「気づき」無くして、お釈迦様が説いたからというだけで「八正道」や「六波羅蜜」をがむしゃらに実践したところで、煩悩がなくなるどころか、なんだか・・ますます深~くなっちゃいそうな気がします(笑)


さて、あなたは、どんな道を進みますか~?


うーーん・・・私は?

「八正道」や「六波羅蜜」の実践?・・・いや、違うな。

脳の電気信号に惑わされず、ネガティブなものだけは追っ払って、常に楽しいことワクワクすることにフォーカスして生きたいなあ。
もちろん「楽しいこと」も「ワクワクすること」も、「空」であるのは承知の上。

でも、だからこそ、逆に生きてる喜びみたいなものがあるような気がするんですよね~。

やっぱり、こんなカンジかな。
column03_awa-odori01.jpg


そういえば、空海さんは、
『般若心経』は小乗、大乗の諸宗と真言を含めたあらゆる仏教の思想と行果が凝縮された、重要な経典と捉えていたようです。

彼自らも、般若心経秘鍵という注釈書を書いてます。



後半部分、あの「無」=NOという言葉が連続した最後に、ガテー ガテー パラーガテーという真言で高らかに歌い上げて締めくくっちゃうとこなんて、

まさに、夢枕獏さんの言葉を引用すれば・・
「そのよう な美、 あるいは知恵の完結を、 どう でも いいとでも言う よう に、『般若心経』 は、その最後で高らかに叫ぶのである。」

やっぱ、阿波踊りですかね~(笑)

サンスクリット語(梵語)で、

Gate Gate Paragate
ガテー ガテー パラーガテー
Parasamgate Bodhi Svaha
パラーサンガテー ボディー スヴァッハ


(この真言は、ある霊能者によると、かなり強力な魔除けにもなるとか)

ここは真言として唱える部分なので、あえて訳されなかったようだけど、こんな意味らしい。

行けるものよ、行けるものよ、
彼岸に行けるものよ、
彼岸に完全に行けるものに、幸いあれ!




♪~踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら、踊らにゃそんそん~♪

なんか似てません?(←違うって!)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私はハート・スートラ(Heart Sutra)を読んでるときに、ずっと、ジョン・レノンのイマジンのメロディーが浮かんでました。


この歌もまた、
天国なんてない。 地獄だってない。
国だってないんだ。・・・って、NOの連続ですもんね~。


そういえば、ジョン・レノンも、仏教(Zen)に傾倒していたことでも有名な人でしたね。
オノ・ヨーコさんの影響だったともいわれてますが・・。

ジョン・レノンが「気づき」の先に、行きつく道は、この、イマジンの世界だったのかもしれませんね。

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