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「日本の不可思議な風潮」に宿るあまりにニーチェ的な・・・

アメリカ人の相撲ファンという人が、

「日本の相撲の世界はヘンだよ! 強い力士をバッシングをして引退に追い込むって傾向があるね~。 
とくに外国人力士に対しては、僕には偏見があるとしか思えないんだ!」


と言っていた。

私は相撲については、まったくといいほど知らない。

でも、まあ それでも・・ちょっとしたニュースくらいは耳に入っている。

横綱・朝青龍は、夏巡業休場中に母国モンゴルでサッカーをしていたことがバレて出場停止、
土俵上でのガッツポーズしたとか、酔っぱらって暴力をふるったとかで・・強制引退させられた。

横綱・日馬富士も、強制引退
去年だったか、力士同士の飲み会席で喧嘩になり、相手を殴って流血騒ぎを起こしたのが原因。

横綱・白鳳は、「張り手やかち上げを使った横綱らしくない勝ち方をする」、品格が備わってない・・と言われてる。



相撲に詳しい彼は、こういった事件のことを嘆いているらしい。

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こういったニュース記事だけを見れば、いかにも罪状明白ってカンジがするんだけど・・

相撲を知らない私にも・・・ちょっと考えてみると、いろいろな疑問も湧いてくる。


暴力事件における詳細もわからないし・・
ルールブックに載ってる勝ち方をして何が悪いんだろう?
品格って何?




そんなことを考えているうちに・・

最近の日本の「不可思議な風潮」を思い起こしてしまった。



芸能人、アナウンサー、俳優や歌手・・名の知られた人たちは、何かあれば、すぐにバッシングの対象にされるという風潮


ここ数年の芸能人の「不倫問題」「暴力問題」、つい最近では「わいせつ行為」?だったかな・・そんなのもあったなあ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

相撲といえば・・・横綱・日馬富士は、たしか今年の1月に引退させられたんだっけ。

力士たちとの飲み会で、酔っぱらって喧嘩になり、相手に怪我をさせたのが原因とされている。



たまたま、それをTV座談会でやっていたのを見たことがある。

そこで、

「ビール瓶」で殴ったかどうかが問題になった。

すると、一人のコメンテーターが、こんなことを言ったのだ。

「ビール瓶で殴ったかどうかは問題ではないでしょう。
暴力そのものがいけないんだから、当然、厳重処分にすべきだ。」


すると・・一同、うんうん、と頷く。


これを見て、私は唖然としてしまった。。。

これじゃあ、まるでキリスト教原理主義者、イスラム原理主義者と変わらんじゃないか!

原理原則を持ち出して刀両断にしちゃうんかい?


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そこに、どうゆう経緯があって、どんな事情があり、どうゆう結果になったかなんて、どーでもいいってことか。

問題は「暴力をふるった」ってことだけ?

じゃあ、そもそも、座談会なんかやる意味さえもないだろ!


このコメンテーターに限らず、ここに・・昨今の日本人の風潮を見たような気がしたのだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


ずいぶん昔のことだったけど・・私の小学生時代を思い出した。
   ↓

ひどく内気で勉強も出来ない女の子がいた。
おまけに家もビンボーらしく、いつも同じ服を着てるような子。

その子を、ある男の子がイジメていた。
その男の子の家は金持ちで、まあ、ドラえもん世界で言うところの・・スネ夫かな。

そりゃもう、ひどい言葉で・・汚い、バカ、臭いとか・・。
オマエが頭が悪いのは、オマエのパパもママもバカだからだ、だから貧乏なんだとか・・。

女の子は泣きそうになりながらも、必死に耐えている。


そこに助け舟が登場。

クラスで一番の腕力の持ち主・・・かりに、ジャイアンとしておこう。(←ますます、ドラえもんワールドになってきた)

「やめろよ! 女の子をイジメやがって!」

まさに、正義の味方!

ところが、スネ夫はひるまない。
ジャイアンのこともバカにしてるから。

「僕は本当のことを言ってるだけだもんね。」

ますます、その女の子に顔を近づけて、汚い! 臭い!と顔をしかめてみせた。

ついに、怒ったジャイアンが割って入って、スネ夫を押しのけたのだ。

別にグーで殴ったわけじゃない。

えい!って押しのけたら、スネ夫が吹っ飛んで転んでしまったのだ。
なんせ、ジャイアンは力持ちだから。

スネ夫は泣きながら、先生に訴えたのだ。

「ジャイアンが僕に暴力を振るいました。
僕は突き飛ばされて、怪我をしました。」と。

怪我ったって、椅子にぶつけたかすり傷と軽い打撲だったけど・・

そこで、先生がどう言ったか。

暴力をふるったんだから、ジャイアンが悪い。
どうゆういきさつがあったにしろ、暴力をふるった方が悪い。
スネオに謝りなさい!


だった。

この判定にブチ切れたジャイアンは、午後の授業を放棄して家に帰ってしまった。

*後日談として、この事件は学校問題にもなり、この担任の先生がジャイアンに謝ることになった。





暴力を振るった方が悪い?

じゃあ先に「言葉の暴力」を振るったスネ夫はどうなんだ?


以前のブログ記事、
   ↓
脳が幸せを感じるしくみ

この中で、アミット・ソッド博士(Amit Sood)の述べた内容をアップしたことがある。
   

脳は、心の痛みと身体の痛みの区別がつかない

たとえば、嫌がらせや中傷されたりして心を傷つけられたとき、その痛みは、肉体的にトゲが刺さった時の痛みと同じ。

たとえば、心が壊れた時の痛みは、骨が折れた時と同様の痛みと同じ。

脳にとっては心の痛みも身体の痛みも区別が無しの同じもの。




スネ夫が受けた打撲と軽い傷は問題にされたけど・・女の子が受けた精神的暴力は無視されたことになる。

それは、骨折に値するような心の傷だったかもしれないのに。

・・・・・・・・・・・・・

なにがなんでも、「暴力」というものだけをカテゴリー化して、一刀両断にするというならば、どうすればいいのだろ?

もしも、これが小学校じゃなくって、大人の世界だったら?



バーで女性が、失礼な男に絡まれていたとしたら・・どうすりゃいい?

言葉で注意しても、ますます図に乗るだけで、ちーーとも相手が聞き入れないでエスカレートしてきたとき。
(だいたいが、こうなるパターン)


警察に訴える?・・そんなことで警察は動くわけがない。

じゃあ、

見て見ぬフリをして関わらない。

相手の暴力(言葉の暴力でも肉体的な暴力でも)をひたすら我慢する。

その女性を連れてその場を逃げる。




それなら、たしかに「問題を起こさない」だろう。


だけど、見て見ぬフリができない人には、到底それはできない相談だ。

なんで我慢して、なんで、こっちが逃げなきゃならないんだ?

正義感があるヤツならば、そんなことはできない。

で、ジャイアンのような男は、すぐに傷害罪やら器物破損罪で訴えられて世間から抹殺されてしまう。


「品行方正」とは、何の問題も起こさないこと=見て見ぬフリができる人のこと?

そんな疑問さえ浮かんでくる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こうゆうのは、昨今の風潮だと思うのだ。

昭和の時代、それも・・私の父の若かった頃は、おかしな武勇伝?もいっぱい聞かされた。

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父は平凡なサラリーマンだったのだが、路上で喧嘩して相手の鼻の骨をへし折ってしまったことがあったとか。

父の友人はもっとすごい。・・・この人は超一流会社にお勤めのエリート社員。

普段はもの静かでマジメなサラリーマンだったようだけど、ヤクザと喧嘩して相手に何針も縫うような怪我をさせてしまったとか。

もちろん、素手で。
相手はナイフを持ってたらしいけど・・。

いったい・・どんな格闘技をやってたんだか・・。


当然、警官が飛んできて、その場で事情を確かめると、

「もう、しょうがないなあ~。 今回は厳重注意ってことにしときますけど、いくら酔った勢いとはいえ、喧嘩は謹んでください。」

で、終わってしまったそうだ。



当然、この話は会社にも知れ渡ることになって・・武勇伝としてもてはやされたという。

役員たちも・・

「しょうがないヤツだよなあ・・でも、若いときはそのくらいの元気がなきゃ。」

「それにしても、ヤクザ相手に素手でボコボコにするとは、アイツもやるなあ。 見上げたもんだ!」

見上げたもんかどうかは知らないけど・・(笑)


今だったら、

マスコミが嗅ぎつけてきて、大スクープとなる。
会社役員がTVカメラの前で陳謝
人々のバッシング、ネット上は大炎上
会社員を擁護した人までバッシングを受ける
会社はイメージダウン
本人はもちろん、首で、再起不能まで叩きのめされる




だからこそ、現代人の多くは「見て見ぬフリ」をすることにもなる。


そんなものは時代が違うし、価値観も違うんだから、と言ってしまえば、それまでの話。


だけど・・少なくとも、今のような「暴力は悪」という、

単純な「善悪」だけを持ち出して一刀両断にジャッジするようなことはなかった時代だったと思う。
もちろん、暴力を擁護する気はさらさらないけどね~。


当事者同士の問題ならば、・・たとえば力士同士の酔った勢いの喧嘩だったら・・

たとえば・・横綱・日馬富士のケースなんかの場合など。
*これが当事者同士の問題にしなかった理由は、バックに相撲協会における派閥だとかドロドロしたものが絡みついていたのだろうけど・・


おそらく・・
「示談」で済ませるということの方が多かったように思う。

相手に医者に行く怪我を負わされたとしても・・(格闘家にとっての流血事件は我々一般人と一緒にはならない。)

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「ごめん! あんときは、つい、頭に血が上ってやり過ぎちゃった。」

「いいってことよ! 俺の方も、酔っぱらってたし、悪かったんだからさ。」



問題となるのは・・

そこに悪意、殺意が込められていたか?

それとも、寄った勢いで暴れてバカやっちゃったのか?


この二つは、根本的に別だと思うのだ。



しかし・・現代は、こんなことでは済まない。

「暴力」という言葉だけに、フォーカスされてしまう。

情状酌量(ジョウジョウシャクリョウ)という言葉もあったけど・・

現代人には通用しないようだ。


やり玉に挙げられた人間は、何もかも失うまで叩きのめされる。
たった一度の過ちでも許されず、人生そのものを抹殺されかねない。

そこまでの罪に価することをしてるんだろうか?


そもそも、一度も間違いを犯さない人間なんていないと思う。
もしも、いたとしたら・・よっぽどの「事なかれ主義」を通してきた人としか思えない。





ここまでしてしまう理由を聞けば・・

「事をうやむやにするのはいけないから」

「世間に公表して徹底的に懲らしめる必要がある」


ということらしい。


これは、

「正義の名のもとに行われる、ただの嫌がらせ」って場合もあるかもしれない。

たとえば、世間の人気者に対する「うらみ・ひがみ」から出たもの。



または、

アイツは「悪い」んだから、「罰を与えて抹殺して当然」と思ってる人。

むしろ、こっちの心理の方がもっと不気味、薄気味悪い。

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善か悪か、白か黒か・・右か左か・・・

完全なる二元論。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

つい、最近ブログにアップした、ニーチェのことを思い出した。

エリーザベト・ニーチェとその兄貴&ヒトラー(その1)

まさにニーチェも、善か悪か、右か左かの人だった。


宗教的道徳を、奴隷道徳として称して憎み、本来持つ「欲望」を直視して突き進め! 
「道徳や秩序より己の意志に従うべし」 それが超人だ!
超人となれ!


それらを、熱く、強烈な言葉で語った人だ。


たしかに・・一理はある・・・とは思う。

だけど、私には納得できないものも多々ある。


かつてのキリスト教が奴隷精神を作り上げて、統治国家を作り上げた側面もあることもわかる。

「秩序」を通して「平和」を作り上げれば、支配者はますます国民や信者を支配しやすいし、それこそが支配者の狙い・・それもわかる。


●しかし、もしもあらゆる人々が、ニーチェの言うような・・

欲望を受け入れろ!意思で生きろ!・・で突っ走ってしまったら・・・

危なくって外にも出られなくなるだろう(笑)



●キリスト教の教義に対して、受け入れられない部分を批判するの結構。

だけど・・彼は ドクトリン doctrineではなく、はっきり、「道徳」 Moralという言葉を使って批判してしまっている。


そもそも、宗教や道徳が、ひがみ・ねたみ、卑屈さから生まれたとは思えないのだ。


後の世で、いくらキリスト教が歪められてきた歴史があるにせよ、


少なくとも、イエス・キリストの説いたものには、ひがみも、ねたもみも、卑屈さも感じられない。

人類の罪を一身に背負い、あの、残酷なまでの・・十字架刑にまでなった人だったんじゃないだろうか。

そこには、むしろ、「強い生き様」や気迫さえ感じられる。

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ニーチェは、「超人思想」を説きながら、いったい、どんな自分になりたかったんだろう?

ふと、そんな疑問が湧いてくる。


世界に名をなす英雄か? 大実業家か? 世界の王を目指すのか?



ニーチェは発狂する前に、すでに・・おかしな手紙を送っている。

「わたしはこの世で最高の名士になるでしょう。 わたしには、政治的な力があります。
わたしは王子たちにローマで会議を開くように命じました。若い皇帝がだれかに撃ち殺されるのが、わたしの望みなのです」

1888年12月、スウェーデンの作家ストリンドベリに送った手紙より
ストリンドベリは異常なまでの人種差別主義者



ん?  なんだこりゃ!

その手紙のサインが「ニーチェ カエサル」だったそうだ。

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ん? いつから、キミはカサエルになっったんだ?


すでに、狂人の兆候があったのかもしれないけど。


彼が夢見ていたもの、目指したものは・・

カサエルのような、「君臨する権力者」だったような気がしなくもないのだ。

彼の心にあったものは・・以外にも・・単純な権力への憧れ?
(こんなことを言うと、ニーチェファンに袋叩きにされそうだけど・・・)


ガラス細工のように心の弱い男が、望んでいたものは、それだったのかもしれない。

しかし、頭が優秀な彼には、「なりふり構わず、カネと権力と武力で押し切れ!」な~んて言葉の羅列はできない。

きっと、彼のプライドが許さないだろうし、良心の呵責やら、なにやらいっぱいウジウジとしたものが渦巻いていて・・

結局、「道徳や秩序より己の意志に従うべし、それが超人だ!」という言葉にいきついたという気がする。



無理やり、自分自身を鼓舞して・・

でも現実は、やっぱり・・
誰にも見向きもされずに本もまったく売れない。


そこにあったのは・・

挫折感と絶望・・
でも自分のプライドも力への憧れも捨てられない。


文通相手のストリンドベリも、また似たようなタイプだったのかもしれない。

返信文↓
「わたしは狂いたい、狂いたい。 ともあれ、狂うのは喜ばしいことだ」



実際、この二人は、相前後して気が触れてしまった。



「頭でっかちなだけの弱い男」にはありがちなパターンかもしれない。
      ↓

善か悪か、右か左かの振り子に自分自身すらも押し込め、執拗に振り切ろうとまでする。





さらに私は、ニーチェの本の中に、ひどく人工的な匂いを感じてしまう。

「魂から発した言葉」と、「自分の心を鼓舞するために発した言葉」とでは、伝わり方が違うのだ。



●彼の嫌う「奴隷」「凡人」・・・

その言葉のウラには、人種差別的な匂いさえも感じてしまうのだ。

もちろん、ニーチェは、リヒャルト・ヴァーグナーとコージマ夫妻のような人種差別者ではなかった。

しかし、身分や人種の差別ではない別の差別意識さえも感じてしまう。


「奴隷」「凡人」・・・
そのすべてが、卑怯者のルサンチマンだとは言えないだろう。


のーんびりした性格で強い意思さえなくって・・田舎で親の進めるままに結婚して子を作り、平凡に死んでいく人生・・

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それの、どこがいかんのだ?
・・と、つい反論したくなる(笑)



「道徳の系譜」という本だったか・・真実の山では登って無駄に終わることは決してないと述べていた気がするけど・・


では、「真実」の基準はなんだろう?

なにが真実なんだ? 

結局のところ、自分の魂で真実だと「感じた」ものでしかない。

真実なんて言葉を使うと、まさに、究極の客観のように思えるけど、これこそ、個人個人の主観でしかないと思う。

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欲望も意思も貫かず、分相応に地味~に生きるも人生

挑戦し続けて失敗して野垂れ死にも人生

大成功で権力を握るも人生


人の人生に、善悪、白黒の二元論を持ち出すべきものでもないように思うのだ。

自分の好きなキャラで、自分の真実に従って生きればいいだけだろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

最近の世相をみるにつれて・・

なんだかなあ・・・

ニーチェっぽい人が増えてるんかいな~という気がしてならない。


私には、やっぱり、ニーチェの「超人思想」は受け入れがたいものがある。

むしろ、妹エリーザベトの方が、天性の「超人」だったと思う。
ビジネスセンスにおいては、ピカイチだし・・。


ただし、どっちにしても・・お近づきにはなりたくない人たちではある(笑)


なぜなら・・

こういった二元論だけで生きていく人には感性がないから。

感性が育つはずもないのだろうけど。

感性がなければ、人類への愛もない・・・・そんな気がしてしまうのだ。


参考
「エリーザベト・ニーチェ―ニーチェをナチに売り渡した女」
Ben Macintyre (原著), 藤川 芳朗 (翻訳)

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日々の生活や体験の中から、社会のこと、スピリチュアルなことなど・・思いつくままに書きつらねてます。

皆様にも「スピリチャアルの意味」「生きる意味」を感じて頂けたら、幸いです!☆

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