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エリーザベト・ニーチェとその兄貴&ヒトラー(その2)

さて、前回からの続き、


ここからは、エリーザベトを追ってみよう。

エリーザベトの人生において、もっとも大きな3つの出来事とは・・


●パラグアイにドイツ人植民地「新ゲルマニア」を建設したこと

●哲学の大家のごとく「ニーチェ」を有名にしたこと

●ニーチェをナチスのプロパガンダに利用したこと



この3つだろう。

彼女のおかげで、ニーチェが「世界のニーチェ」になれたことは疑う余地もない。

彼女がいなければ・・十中八九、ニーチェは世に出ていないということだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まずは、エリーザベトの伴侶を紹介しよう。

エリーザベトの夫は、ハンサムで背が高く、名をフェルスターといった。

ベルンハルト・フェルスター(Bernhard Förster 1843 –1889)
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二人を結び付けたのは、兄のニーチェとリヒャルト・ヴァーグナーだ。


リヒャルト・ヴァーグナー(Richard Wagner, 1813-1883)といえば、もちろん、、19世紀ドイツを代表する大音楽家で、「トリスタンとイゾルデ」「ニーベルングの指輪」などで知られる人だ。

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最初の頃、ニーチェはヴァーグナーに魅せられた部分があったようで、頻繁に彼の取り巻きとしてヴァーグナーの豪邸に出入りをしていた。

しかし、才能あふれる大音楽家の裏側には、アーリア人至上主義、国粋主義者という顔があったことは、あまり知られていないのかもしれない。


ベルンハルト・フェルスター(Bernhard Förster)もまた、ヴァーグナー邸に出入りしていた取り巻きの一人だったのだ。

これが、のちにエリーザベトの夫になった人。





フェルスターは狂信的な反ユダヤ主義者で、「人種差別主義者」だった。

「ユダヤ人はあこぎな商売をしてドイツ文化を破壊しようとしている」として、ユダヤ人をおとしめるためには決して労を惜しまなかったというくらいの人。


一方ニーチェは、「反ユダヤ主義」の思想や「著名な音楽家」の肩書でヴァーグナーに心酔していたわけではなかった。

そのせいか、次第にヴァーグナーにも、ヴァーグナーの豪華な屋敷にもうんざりするようになっていく。

豪華絢爛たる屋敷で、40人もの楽隊をおき、お追従ばかり言う信奉者に囲まれて、ふんぞり返ってるヴァーグナー。


「まさに身の毛もよだつ人間たちの集まりだ。出来そこないは一人とて欠けてはいない。
反ユダヤ主義者さえもだ。 哀れなヴァーグナー、なんという境遇に陥ってしまったことか!
豚に囲まれている方がまだましだ!」
・・と、ニーチェは言っている。

そして、ヴァーグナーと決別していくことになる。

ニーチェは、むしろ民主主義、社会主義、全体主義、国粋主義、民族主義 といった、イデオロギーと名のつくものは、すべて嫌いだった。

彼は、あくまでも個を重んじ、全体主義(イデオロギー)を嫌った人だ。
だから、キリスト教の教義を猛烈批判しても、キリスト教徒たち、個人批判はしていない。



たしかに・・全体主義・・イデオロギーというものは、神=道徳とも同じような類だろう。


しかし、エリーザベトは、ニーチェが「豚小屋以下」と評したヴァーグナーの豪華屋敷が、相変わらず大好きだった。

二人は、そこで出会って結婚することになった。



当時、フェルスターは常々、「ユダヤ人に汚染されたドイツを捨てて、地球の裏側でドイツ人植民地を建設する」と触れ回っていた。

勇ましい演説をぶち、過激な人種差別で警察沙汰になったこともあるような男だ。


彼は「反ユダヤ」の妄想に取り憑かれていて 「ユダヤ人がドイツの芸術や道徳を堕落させ、その悪意にみちた陰謀の一環として、出版界まで支配しつつある。 私が書いた本が売れないのも、そのせいだ」と。

そんな事まで言っている。

本が売れないのは、どうみたって才能が無いから? または、内容に共感が持てないから?・・だと思うのだが。


うーーむ、この思い込みの激しさは、エリーザベトとも、ちと共通したものがあるかもしれない。


類は類は呼ぶか~?

しかし、逞しさ&強さの度合いは雲泥の差だったけど・・・もちろん、エリーザベトが雲。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1880年、フェルスター夫妻にとって、この移住計画を後押しするような決定的な出来事が起こる。



ヴァーグナーが「宗教と芸術」のなかで、このように記したのだ。
     ↓
「高貴な人種と高貴ならざる人種との混合が、人類最高の特質を損ないつつある。
アーリア人種の純粋さを保つことによってのみ、人種の復活は成し遂げられる ・・・ 食糧を供給するのに十分肥沃な『南アメリカ大陸』に人々を移住させることを阻むものは一つもない」



この当時、南米移住は珍しいことではない。

すでに、ドイツ移民となって南米に渡っていた人は大勢いた。


1871年、ドイツ帝国(帝政ドイツ)が成立して統一された後も、ひどい不況続きだった。


何千、何万というドイツ人が貧困にあえぎ、多くのドイツ人が南アメリカに渡った。


人が移民となる理由は、たぶん・・・第一に「食いっぱぐれで、もう、後がないから」


行き先は、たいてい、ブラジルかアルゼンチンだった。
すでに多くのドイツ人が住んでいたから移住しやすいのだ。


しかし、フェルスター夫妻が選んだのは、パラグアイだ。


なにゆえ、パラグアイ?

反ユダヤで純血ドイツ人の国をつくること。 

移住すれば・・ヴァーグナー信奉者の一人として彼にいい顔できる。
 
そして、パラグアイなら・・三国同盟戦争の結果人口が激減してるし、パラグアイも有利な条件で土地を譲渡してくれそう。
いまなら自分が移民リーダーで、お山の大将になって、そのうち国を乗っ取って好き放題できるかも。



とゆう読みがあったのだろう。


しかし・・・

土地は痩せ、穀物も育たない。インフラは皆無。 道らしい道もない。
水道もなく、井戸を掘ってもすぐに枯れ、飲み水にも事欠く。
そして殺人的な暑さ。



こんな不毛の土地で、文明化されてるドイツ人が生きていけるはずがないだろう。

実際この後、貧困・重労働の中で疫病で死んでいった人も多いのだ。
エリーザベトだけは、ぜーんぜん平気だったけどね~。 どこまでも強い・・。



エリーザベトとフェルスターは国中をまわり、パラグアイの理想郷を、「新ゲルマニア」と名付けて熱く語り歩き、移住希望者を募った。  ゲルマニアとは奇しくも、アドルフ・ヒットラーの世界首都ゲルマニアと同じ・・これも幻に終わっちゃったけど・・


その結果、移住希望者が100名ほど集まった。


1886年2月15日、開拓団を乗せた蒸気船がドイツのハンブルク港を出航した。



彼らは、他の植民団のように「食うため」ではなく、「アーリア人による人種の純化の国=新ゲルマニア建設」というイデオロギーを掲げていた。(←いちおう・・)


当然ながら、フェルスター夫妻が共同指導者に就いた。



しかし、パラグアイは三国同盟戦争で焦土と化してしまった土地。
なーんもない国。 
しかも地球の裏側にある未知の国。


そんなとこで、大丈夫か?・・・・と思うのはフツーの人

しかし、この夫妻はフツーの人ではない。

植民地=新ゲルマニアから、ゆくゆくは、南アメリカ全土を包含する「アーリア人共和国」の建国の絵図まで描いていたのだろう。 そこで、もちろん自分がトップの座につくという壮大な計画を。

そして、壮大な計画の方が着実な計画より上回っていた。



1886年3月15日、開拓団はアスンシオン(現在のパラグアイの首都)に着いた。



「新ゲルマニア」計画の土地は、さらに、アスンシオンの北150マイルにあるカンポ・カサッシアという地域だった。
面積は600平方キロメートル


ところが、着いてみれば・・土地の譲渡契約がまだ締結されていない!

信じがたいような話!(←ほーんとに熱い夢だけで・・つーか誇大妄想だけで突っ走れるらしい。)


そこで、フェルスターは、パラグアイ政府を巻き込み、手付け金2000マルクで、4万エーカーの土地を譲渡してもらう約束をとりつける。
ただし・・2年以内に最低140家族を入植させるという条件付き、 それが出来なきゃ土地は没収


この契約書にフェルスターは、嬉々としてサインしたそうだ。
なんと、好条件の契約だ~!と思ったらしい。

目先のことさえクリアーできれば、後のことはなんとかなるとでも思っていたのか・・あんまり、モノを考えない人だったのか?


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地図上でみても、分かる通り、どまんなか・・に位置する新ゲルマニアの地は、ジャングルそのものだった。



そのジャングルで、新ゲルマニア建設が始まることになる。

まずは、家とライフライン、最も優先されたのが、フェルスター夫妻の邸宅だった。


おいおい! みんなの家とライフラインからじゃないの~?


いやいや、そうではない!
王と女王のお住まいから・・に決まってる(笑)

エリーザベトは、植民地「新ゲルマニア」の母であり、ドイツ第二の祖国「アーリア人共和国」の女王になるだろう人であり、
フェルスターは、「アーリア人共和国」の近い未来のキングなのだから。

少なくとも、二人はそう信じていた。


1888年3月、大邸宅は完成し盛大な落成式をおこなった。



エリーザベトはこのとき42才、暑さもものともせず、常に黒いドレスを着こみ、くるくると精力的に動き回っていた。(←鉄人らしい)

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このとき、得意絶頂のエリーザベトは、兄に手紙を書いている。

「新ゲルマニアには輝ける未来があるので、兄さんも早くパラグアイに来てください」



ニーチェからの返事
   ↓

「反ユダヤ主義者は、みんなまとめてパラグアイへ送りだしたらどうだろう?」(←まだ、発狂する前で、いたって正気)




さて、フェルスター夫妻の邸宅は完成したものの植民地建設はこれから。

そもそも2年以内に140家族が入植しないと土地は没収されてしまうことになる。



そこで、フェルスター夫妻が考え出したことは、

入植者を集めるため、誇大広告の宣伝を始めることだ。


新ゲルマニアを「希望の楽園」として・・。

現在、学校は建設中。
牧師を呼ぶための基金の計画も順調に進んでいる。すぐに新ゲルマニアと外部世界を結ぶ鉄道も開設されるでしょう。
純朴なパラグアイ人は召使いになるために集まってきます。
気候は快適で、食べ物は木に成っているのでまったく不自由しません。
ここは、まさに、エデンの園。



当然、「早い者勝ち」を煽ることも忘れない! さすが、商売人。(←かなりなアコギな商売人だけど・・)


誇大広告つーか、まったくの大嘘。。。


現実は、地獄そのもの!だったんだから。

殺人的暑さ、かと思えば突然の猛雨ですべて流されて水浸し、土壌は粘土質で耕すのも重労働、作物は育たない。
井戸は30メートル以上掘らないと水源に達しない上、もともと水量が少ないのですぐに干上がる。

そ、ぜーーーんぶ、見事なくらいのウソ八百。


ジャングルに住むパラグアイ人といえば・・

当時のパラグアイ人と接触したヨーロッパ人の証言
     ↓
「パラグアイ人は男も女も素っ裸で暮らしている。父が娘を売り、夫は妻を売る。ときには兄が妹を売ったり、食料や物と交換したりする。捕虜を捕らえると、まず、太らせてから食べる。われわれが豚を太らせるのと同じだ。
そして、おおむね、彼らは怠惰で仕事が嫌いである」


どこが、純朴なパラグアイ人だよ!



しかし、またもや、誇大広告に騙されて、一旗揚げようと入植者たちがやってくる。

1888年、ユリウス・クリングバイルという男が妻を連れて、新ゲルマニアにやって来た。



彼らは、まずは挨拶に、フェルスター邸を訪れた。


そこで彼らが見たものは・・

美しく飾り立てられ、豪華な家具、ピアノ、夕食には上等のワイン。
しかし、他の入植者たちは地獄の中で貧困生活をしている・・・その事実。


さらに、フェルスター夫妻にも失望した。

夫のフォレスターは落ち着きのない男で、マトモに相手の顔を正視することもできない。
妻のエリーザベトは、機関銃のようにしゃべりまくり、分譲地がどんどん売れ植民地が成功しているし・・といった自慢話を延々と聞かされる。




とうとう、クリングバイル夫妻はフェルスター夫妻と喧嘩別れをして、さっさとドイツに帰ってしまった。

帰りの旅費もあって・・ドイツに帰れた人はラッキーだろう。
帰れない人は、地獄の奴隷生活を強いられてたことだろうから。


それでも腹の虫が収まらなかった、クリングバイル夫妻は、

1889年、「ベルンハルト・フェルスターの植民地・新ゲルマニアの真相を暴く」という本を出版した。


   ↓

フェルスターは大ペテン師。 夫婦そろって愛国者をきどっているが、貧しい者を食い物にしている大悪党だ。
我々は新ゲルマニアの宣伝に騙されて、とんでもない目にあった。
政府は、ただちに介入すべき、こんな悪事を放置してはならない。



まさに暴露版・・でも、真実。


これは大騒動になった。

さすがに、植民地協会もフェルスターに疑いを持ち、真相を見極めるまで植民地基金を新ゲルマニアに送金しない決定を下しそうた。

これはフェルスター夫妻にとっては大変な痛手だ。

「植民地基金の送金」と「入植者への分譲地」が儲けなんだから・・・送金をストップされた上、入植者がやってこなくなったらたまったもんじゃない!


そこで、エリーザベトは、入植者たち(半ば奴隷化してる?)に、夫と自分を賛美する手紙を書かせたという。

ベルンハルト・フェルスターは実に誠実で頼もしい人です。
エリーザベトはクリスマスに子供たちのためにケーキを焼いてくれます。・・・とかなんとか。(←呆れてモノが言えない。)



しかし、こうなっては、もう下降線をたどるだけ。
(当然ちゃー当然の成り行き、ウソで固めたモノが永遠にバレないわけがない)


財産をつぎ込んでしまってるのに、カネが入らず・・しかも、2年以内に没収されるかも。 

その恐怖で、フェルスターは、アスンシオン(パラグアイの首都)に近いドイツ人居住区サン・ベルナルディノのホテルに逃げ出してしまう。

うつ状態の飲んだくれ男になる。

狂信的な反ユダヤ主義で、大ぼら吹きのくせに、実は小心者だったらしい。


一方、エリザベートは逃げない。
 
どんどん、新しい大嘘を並べて宣伝のための本まで出版する。
ブレない。 実に強い信念の人なのだ。

まさに、彼女こそ、生まれながらの超人(オーヴァーマン)だったんだろう。

ただし・・常に目的は邪悪そのものだったと言われそうだけど・・。


1889年、ついにフェルスターはホテルで自殺を遂げてしまった。




もちろん、エリザベートは、夫の死を悲しむあまり悲嘆にくれた日々を送る・・・なーんてことはない!

ここで、すでにNextステップを考えた。

こりゃ、そろそろ見切りをつける時期かもな~。
ここらが引き際だ。


ちょうど、その頃、うまい具合に兄ニーチェの容体が悪化した。

彼女の行動は早い。

家と土地を売っ払い、有り金全部を持って、

1893年8月、エリーザベトはアスンシオンを出航

してしまった。


後に残された入植者なんか、知ったこっちゃない。


帰国後の1895年1月、エリーザベトはこんな記事を寄稿した。



「私には、別の仕事が私の時間とエネルギーを要求しています。
たった一人の愛する兄、哲学者ニーチェの世話をすることです。
兄の著作を守り、その人生と思想を記述しなければなりません」


素晴らしい!
なんという変わり身の早さ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

彼女の次のステップは・・兄ニーチェの著書を独占販売して金儲け!


それも、ただかき集めて出版したわけではない。
そんなことをしたって、売れるわけがない。

売るには、ステキなキャッチコピーと大々的な宣伝が必須。
それをブランド化してしまうことだ。(←なぜか、こうゆうことにかけては天才)


そこで、狂人&廃人となり果てたニーチェを、狂気の天才哲学者+超人というイメージを打ち出すことにした。 なぜか、超人という言葉は、彼女も気に入っていたらしい・・これはいけるぞ!と思ったはず。


しかし、こういったことすべてを、エリーザベトは論理的に考えたわけではない。

そこがまた、彼女のすごいところ。


そもそも筋道立てて考えるということはしない人(出来ない人?)
なのに、まさに・・直観的に行動することが大当たりになるし、大衆を掴むことにかけては天才なのだ。



そこで、彼女は自分の側近であり、詩人であり詐欺師のシュタイナーを使って広告文を書かせた。

彼はニーチェをこう讃えた。
   ↓
「ニーチェが、ひだのある白い部屋着に身を包んで横たわり、濃い眉の下の深くくぼんだ目を見開いて、バラモンのように凝視し、問いかけるような謎に満ちた顔をして、思索家らしい頭を獅子のように威厳に満ちて傾けるのを見れば、だれしも、この男が死ぬなどということはなありえない、この男の目は永遠に人類の上に注がれることだろう、という感じがするのだった」

バラモンのように・・獅子のように威厳だとか・・永遠に人類の上に注がれることだろうとか・・

よくもまあ・・
内容なんて空っぽなくせに・・一般大衆はこうゆう文句に弱い、ってことをよーく知ってる。

さすが詐欺師、さすがエリーザベト。



さらに、どんどん、味方を手なずけて宣伝させていく。

ニーチェの信奉者だったハリー・ケスラー伯爵

さらに、

1896年、音楽家リヒャルト・シュトラウスまでも、
ニーチェの著書「ツァラトゥストラはかく語りき」をモチーフに交響曲を書いた

のだから。

この楽曲は、スタンリー・キューブリックのSF映画の「2001年宇宙の旅」に使われ一躍有名になったので、いまだに多くの人はご存じだろう。

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こうしてニーチェは正気を失った後、どんどん名声を得ていくこととなる。

すべては、エリーザベトのプロデュース、キャッチーな宣伝のおかげなのだ。


さらに、エリーザベトは、ニーチェ本の編集までに口を出した。

といっても・・エリーザベトは哲学の知識は皆無、だから、実際に書くのは、側近のシュタイナーにやらせるんだけど、

しっかりと口をはさむのだ。


シュタイナーは、こんな言葉を残している
    ↓
「(エリーザベトは)兄上の学説に関してはまったく門外漢だ。
細かな差異を、いや、大ざっぱであれ、論理的であれ、差異というものを把握する感覚が一切欠けているのだ。

あの人の考え方には論理的一貫性がこれっぽちもない。そして、客観性というものについての感覚も持ち合わせていない ・・・ どんなことでも、自分の言ったことが完全に正しいと思っている」



まさに、エリーザベトの性格そのもの。


しかし、実際にエリーザベトが編集に関わった本はメチャメチャ売れた。

哲学の素養も論理的思考もゼロなくせに、なぜか、セリフのセンスは抜群なのだ。
大衆は、そうゆうものに飛びつく。



エリーザベトは、ますます意欲的に動く。
「ニーチェ資料館」を設立して、書籍以外の商売をもくろむ。・・・(←この時代に、こういったアイデアはすごいとしか言いようがない。)


1894年2月2日、ナウムブルクの実家で「ニーチェ資料館」が開館。


ニーチェの著書、手紙、そのほか、ニーチェにまつわるあらゆるものが詰め込まれた。


資金集めにも抜かりはない。

ニーチェを崇拝する友人で金持ち連中から、資金を提供させ、今度はヴァイマルに、資料館を移してバージョンアップ。

ヴァイマルは、ドイツ古典研究の中心であり、ゲーテー、シラー、リストなど著名な文化人を輩出しているから・・目の付け所も申し分なし。


ニーチェ資料館には、そのうちヨーロッパ中の知識人が押しかけるようになる。

悲劇の天才哲学者ニーチェワールドをひとめ見ようと。

著作は売れ続け、ニーチェの健康が悪化すると、さらに名声は高まり、本の販売数もうなぎのぼり。


1898年10月に、アルノルト・クラーマーが「椅子にすわる病めるニーチェ」と題する彫像を製作。



これも、カネになるチャンス!・・・・エリザベートはレプリカの販売を思いついて即販売。


1900年8月25日、ニーチェは風邪をこじらせて55歳で死んだ。


もちろん狂ったまま、正気に戻ることもなく・・あっけなく死んだ・・・。

エリーザベトはこの機会を逃さす、精力的に宣伝して売りまくる。


この後、さらにエリーザベトが目を付けたのは、ニーチェの未完の書の出版だ。

未完の書? 
そんなものがあるわけない・・・

ニーチェは、とうの昔に発狂してたんだから・・残ってるのは、書いたり、棄てたりしていたのメモ書きばかり。

しかし、それで十分!


エリーザベトは、ニーチェの信奉者のペーター・ガストを再雇用して、ニーチェのメモを繋ぎ合わせて、
一冊の本を創りあげてしまった。

それも・・エリーザベトの指示に従って。


1901年、この本は、「権力への意志」と命名され、ドイツで出版され、ニーチェの代表作の一つになった。


エリーザベトとその仲間によって書かれた本なのに。


エリーザベトは、ますます本の売り上げで大儲け、
しかも、金持ち連中からの寄付も後を絶たない。


その中の一人、スウェーデンの銀行家エルネスト・ティールは、ニーチェの熱烈な崇拝者であり、エリーザベトに多額の寄付の申し出をしてきた。

ところが、この銀行家はユダヤ人。

あれだけ・・反ユダヤ主義のイデオロギーを打ち立ててパラグアイアまで言ったんだから、そりゃお断りする・・・はず?

いや、エリザベートは、ぜーんぜん気にせずしっかりと受け取る。


それどころか、その後も家族ぐるみで仲良く付き合うようになり、彼からの30年間に及ぶ寄付の総額は数十万マルクにも上ったという。

もちろん、エリーザベトは、気がとがめることもなく、すべてを使い切ったことは言うまでもない。


エリーザベトトにとっては、根本的にイデオロギーなんてどーでもいいことだったのだ。
人種差別者でもなかった。
彼女は、ただの日和見主義なのだ。

目的は、儲けることにあり。(←ビジネスマンの鑑)


それこそが、彼女の信念であり、そこには神のご加護もあるのだ。
それはもう、正義なのだ

・・・ここに達することができる人ほど、強いものはないだろう。


どんな実業家であろうとも、時には、良心の呵責やら、重責に押しつぶされそうになったり、ストレスに打ちのめされたりするものだ。 

しかし・・彼女にはそれが微塵もない。

愛する夫が自殺したときも、新ゲルマニア計画が挫折してペテン師呼ばわりされたときも・・・。

そんなことで悩んでるより、常に前に進め! GO! GO!

だからこそ、ブレない人なのだ。



1914年7月28日、第一次世界大戦が始まる。



エリーザベトは、さっそくアーリア人至上主義、国粋主義に凝り固まった論文を新聞に投稿する。

「ツァラトゥストラは立ち上がれ! 戦え!すべてのドイツ人の中に戦士が息づいている」というような内容のものを。

エリーザベトの文章もスピーチも・・じっくり読めば読むほど、何が言いたいんだかよくわからんのだ。
しかし、言葉の使い方だけは絶妙(たぶん、言霊使い?)で、それで、大衆の心を掴んでしまうところがある。



そうやって、世間は、

ツァラトゥストラは超人であり、アーリア人魂だ~!と。
・・・すっかり、ツァラトゥストラは、エリーザベトの作り上げたツァラトゥストラに書き換えられてしまった。

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これは・・ドイツ政府にとっても好都合だったのだ。


ドイツ政府はニーチェの著書「ツァラトゥストラはかく語りき」を前線の兵士に配布することにした。


「ツァラトゥストラはかく語りき」は大ベストセラーになり、版元のエリーザベトは、またもや大儲け。

やれやれ、戦争まで味方につけてしまうとは・・・。


ニーチェも、まさか自分の高邁な哲理が、自分が一番嫌っていた戦争のプロパガンダと金儲けに利用される結果になるとは、思ってもみなかっただろう。。。


1918年11月11日、第一次世界大戦の休戦条約が締結。


これは実質上の、ドイツの「敗戦条約」だった。


さて、この後・・ドイツ情勢がどうなっていくか?
多くの人がご存じのとおり。

多大な借金を抱えてドイツ国民はますます貧しくなっていく。

1923年、さらに大事件、ドイツはハイパーインフレが進行し、マルクは紙くず同然になっていく。


それが、どんなすさまじいものだったか・・・。

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パン1個買うにしても・・一夜の内にものすごいことになっていく。
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エリーザベトへの親交ある大金持ち、資金提供者たちも、どんどん崩れていく。

やっぱ、個人の資産家なんてのはダメかも。
よし、こうなったら、政府だ。
政府からカネを出させるのが一番安定してる。



そこで彼女が次に目をつけたのが・・なんと、ナチスだったのだ。

しかし、この時はまだ、ナチスはただのゴロツキ集団のようなもので、政党としてなんか機能してない。
アドルフ・ヒットラーは、ムショに入れられてたわけだし・・。

そんな状態のうちに、いち早くナチスに目をつけるとは・・・さすが、エリーザベトとしか言いようがない。

政権内部にコネをつくりつつ、エリーザベトは虎視眈々とヒトラー内閣が成立を待っていた。

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そして、誰もがご存じとおり、
ついにヒトラーが政権をとるときがくる。

ゴロツキ平民にも似た集団・・あんなナチスが政権をとるとは・・実に異例な事。

しかし・・この当時のドイツの時代背景を考えれば、当然ちゃー当然なのだ。


1929年 世界大恐慌が起こる



第一次大戦で負けて莫大な賠償金を課せられ、ハイパーインフレと大量失業で国は破綻寸前、その上、大恐慌が襲ったんだから、ドイツ国民は食うや食わずの状況。 餓死者も大勢出る。


平和外交なんぞで、メシが食えるか?
俺たちは生きるか死ぬかなんだぞ~!


こういった国民感情は、当然のようにナチスに向いていったのだ。

無理はない。。。



1933年1月30日午前11時15分、アドルフ・ヒトラーが首相に任命された。



ついに、エリザベートの進撃開始が始まる。

これを逃してなるものか!
私の優雅な暮らしを再び手に入れるために!



彼女は、ドイツの内相フリックに目をつけ、そこから、ヒットラー総統に近ずくことに成功。

エリーザベトはヒトラーに歯の浮くような賛美の手紙を書き、ニーチェ記念館を訪れるよう催促した。

ヒトラーが来訪すればエリーザベトに箔がつくし、ニーチェブランドの価値はまたもや急上昇間違いなし


そして、ヒットラーはやってきた。
それも何度も訪れた。

エリーザベトの勝利!!

エリーザベトとナチス
     ↓
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ところで、
ヒットラーは、ニーチェの信奉者だったんだろうか?

答えは NO!!


たぶん、ヒットラーは一冊も読んでいない。 哲学書なんぞには興味もなかっただろう。

だけど、エリーザベトには敬意を表しニーチェに感銘を受けてるフリはした。

なぜなら、利用価値を見出していたから。
読みもしないくせに、利用価値をだけは・・ちゃーんと見出していた。


すべてが「力の賛美」となる熱い言葉の数々・・「超人」「力への意思」「ツァラトゥストラ」

それによって大衆を、熱い心で燃え上がらせ、モチベーションを高めるにはうってつけ。
ヒットラー自身もまた、熱い芝居がかったスピーチで大衆の心を鷲づかみにしてしまう天才と呼ばれた人物でもある。


こりゃ、使えるぞ!

ニーチェのロジックなんて、どーでもいいのだ。・・・そんなこと、たぶん、考えてもみない。
利用価値があるかないか・・なのだ。

かくして、ニーチェの文言が、何の脈絡もなく断片的に引用されて、ナチスの教義に利用されるようになっていったのだ。

それは、エリーザベトも同様。

ある意味で、実に似た者同士だったのだろう。
エリーザベトとヒトラー

目的こそ違って・・かたや政治利用(ナチスの教義)、かたや金儲け利用だったけど。



しかし、また・・思い出して欲しい。

ニーチェは、民族主義も、国粋主義も、ありとあらゆるイデオロギーを嫌っていた人だ。
しかも、盲目的に「超人」になれと、力を賛美したわけではない。
既存の道徳やイデオロギーにも左右されず、自らの内なる声を直視し、自己実現を説いたのだ。


ニーチェの賛美したものは、あくまでも「個人主義」であって、
決してナチスの「全体主義」ではない。

むしろ、それを忌み嫌ったことだろう。





しかし・・実際に、こんなふうに語られてしまうと・・
    ↓
「ニーチェはつねにはっきりと見ていた、ユダヤ人の振る舞いがドイツにおいてはいかに相容れないものかを」


まるで、これが本当の事のように思われてしまうのだ。

言葉を断片的に取り上げて抽象化して、上手に引用されてしまえば、なんとでもなってしまうものだ。



自分で出版した本はまったく売れずに、「超人」を目指して・・ついに発狂してしまった男。
しかも、生まれながらの「超人」だった妹と、ナチスの全体主義を煽るための「教義」に利用されてしまった男。


まさか・・ニーチェも、こんな顛末になるとは思ってもみなかった。
草葉の陰で泣いているのだろうか?


しかし、彼の著書には、このような一文が残っている。
   ↓
「最悪の読者は、略奪団のような真似をする。彼らは利用できるあれこれのものを持ち去るのである」

狂気に落ちていく中で垣間見た予言?
「超人」にはなれなかったけど・・サイキックだったのか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1934年、エリーザベトはヒトラーの秘書から手紙を受け取る。


「兄上の仕事の普及につとめておられるあなたの奉仕に対し、月額300ライヒスマルクの名誉終身恩給を給付いたします」



エリーザベトは、見事にやってのけたのだ!


しかし・・

年には勝てない。(でも、ここまで生きれば十分かも・・)

1935年11月8日、エリーザベトはインフルエンザに罹り、それがもとで亡くなった。


享年89歳、死ぬ直前まで、元気に口述筆記を続けていたという。


11月11日、エリーザベトの追悼式は、ヒトラー総統をはじめ、ナチスの錚々たるメンバーによって送られた。




それから4年後、第二次世界大戦が始まり、

1946年12月、敗戦を迎えると、ナチスに加担したニーチェ館は閉鎖され、職員は逮捕されるか殺害された。



ニーチェ財団は完全に解体され、ニーチェの名声も地に落ちた。


・・・・・・・・・・・

私がアメリカに来てから一度だけ・・なんかのついでに、「二ーチェって哲学者がいたでしょ?」と、話をしたとき、

「あ? 二ーチェって確か・・ナチスドイツの手先だった哲学者じゃなかった?」・・と言われたことを思い出した。


たぶん、欧米人からみたニーチェ像は、いまだにナチスドイツのカラーが強いのかもしれない。


戦後の欧米人たちは、むしろニーチェを「忌まわしい歴史の一部」として、封印してしまったようだ。

1991年、東西ドイツが統一されて、はじめて、ニーチェ館のあった場所は博物館として蘇ったという。
ようやく・・45年もの長いときを経て・・。
博物館か~。



それにしても、日本では、ニーチェ=ナチスって話は一度も聞いたことがなかったし、
そこに突っ込みを入れる日本人も知らない。(←私がたまたま知らないだけか・・だけど。)

むしろ、ニーチェは戦後も日本では受け入れられていた哲学者だという。
なぜか・・日本では人気のある哲学者

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かつては日独伊同盟国だったわけだし、日本人はドイツに共感を持ってたんdなろうか? 
ヒトラーに対しても日本人は、欧米人たちよりも寛容だったのかもしれない。




現在でも、日本においては、二ーチェは人気のある哲学者らしい。

とくに、かなり大衆向けに編集された「ニーチェ語録」の売れ行きが大変よろしいんだとか・・。


断片的にピックした「ニーチェ語録?」
うーーん、こりゃ、エリザベートの強烈な意識が、時を超えて飛んできているのか(笑)



エリーザベト・・私はこれほどのビジネスセンスに溢れ、才能ある人をみたことがない。
また、これほどブレない、強い人も。

ただし・・絶対に会いたくない人だけど。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

話は変わるけど・・

以前、自称魔術師という、あるサイキックの人の言葉を思い出した。

その人は、強い念の力を持っていて・・どんな相手でも呪いをかけることができるという。
(まあ、ちょっとした事故に合わせるとか、倒産させるとか)

「ただし、ごく稀にだけど・・絶対、術にかからない人もいるんだ。
それは、自分のしたことは100パーセント正しい! 一点も悪くない!って思い込んでる人。 
こういう人だけは、絶対に通用しないんだ。」


まさに、エリーザベトだ!と私は思った。


きっと彼女なら言うだろう・・

私が金持ちになって贅沢するのは当然のことよ。
私は、それだけの価値ある人間なんだから。
神様だって、私をお認めになって、ご加護を下さってるわ。


こりゃ~、どんなに優れた術者だったとしても・・呪いをかけることは出来ないだろう。
簡単に跳ね返されてしまうはず(笑)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

好き嫌いは別にして、エリーザベトという人物、「稀にみる、ビジネスの天才」だったことは疑いようも無い。

こんな百年以上の昔に、現代のビジネスマン以上のことに着手して成功させているんだから。



こうゆう女性に対して、一般大衆は「悪女」の称号を与えたがるものだ。

悪女どころか、こちらの海外サイトでは、タイトルから、「悪魔の女」、「サタンの娘」として紹介している。
Most Evil Women in History: Satan's Daughter Elisabeth Förster-Nietzsche

それこそ・・ニーチェ流にいえば、妬みや嫉みのルサンチマンが潜んでいるのかもしれない。



果たして・・「悪い生き方」か「正しい生き方」かなんて、判断基準は、どこにあるのだろうか?

たとえば・・

マザー・テレサ = 善人
エリーザベト = 悪人
と・・言い切れるものだろうか?
(注: 決してマザー・テレサを貶めるつもりはない)


エリーザベトの人生における目的は、金儲け人々からの賞賛、名誉、それによる豪華な生活

その目的のために、形の上では確かに気の毒な兄を利用したことは事実だが・・・

だからといって、「兄を愛してなかった」 「冷酷なだけの女」とは言い切れない気がする。

心から、「それが兄のため」と思ってやっていたような気がするのだ。
もちろん、そのためには「自分のためが一番」、そうじゃなきゃ、「兄を助けることも出来ないから」・・という、彼女流の論法があったような気もするけど。


人の心は複雑だ。 
「人は良いことをしながら悪事もするし悪事を働きながら良いこともする。」
これは、池波正太郎さんの時代小説の中に、たびたび出てくる言葉だった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この本を読んだおかげで、

なぜ、自分が若い頃、ニーチェが嫌いだったか?
その後、なぜ、まったく関心がなくなってしまったか?

それが今、なーんとなくわかった気がする。

結局のとこ、

私の読んだニーチェの本の中には、数多くの単語を通して、
「超人」になれなかったニーチェと、生まれながらの「超人」エリーザベトの意識が強く流れていたからだろう。

私にとっては、これらは「魂の宿らない作り物」だったから。
なぜか、作り物には、私は感動できない。


しかし、人それぞれ。

青少年が、ニーチェ文学に触れて(たとえエリーザベト文学であっても・・)、インスパイアされて、
「超人」となって成長を遂げていく引き金となってくれるのなら、それに勝るものはないのだ。



エリーザベトと、ニーチェと、ヒトラーと。

方向性がまったく違う3人なのに、なぜか似ている気がする。

類は類をよぶ。
彼ら3人が出会ったことも・・必然だったのか?



参考
Friedrich Nietzsche's Influence on Hitler's Mein Kampf

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