FC2ブログ

パラレルワールドの別次元に存在する日本という名の国

たまに、「外国人から見た日本のここがヘン!」という記事を目にすることがある。

そりゃ、国と文化が違えば常識が違うんだから、ヘンって感じるのは当たり前だろうよ(笑)


今度はたまたま・・江戸末期から明治時代のころの外国人たちから見た日本に焦点を当てて調べていくうちに、

あれ? こりゃあ、ヘンどころじゃないな~!って思ったのだ。



カルチャーショック!!

今まで自分が思っていた文明って、いったい何だったんだろう?


と、目からウロコ状態になって、それまでの西洋的価値観が崩れてしまった人も続出したという。


さて、どうゆうことなんだろう?


その前にまず、当時の日本に来た外国人というのは、宣教師、軍人、外交官、医者などといった知識階級がほとんどだっただろうし・・

きっと、当時の事情を考えると・・日本を開国させ、「我が国の植民地にするため」といった政治的思惑が絡んで、日本に送られた人も多かっただろう・・・

そのことも考慮しなければならない。



どうやって植民地化するか? まずは、よーーく日本人の気質と文化を探ってこい!ってことになったのかも。(←たぶん、これが一番の目的だったかな?)



ところが・・・やってきた彼らの多くは、


こんな国、今まで見たことがない!
と、びーーくりしてしまったのだ。


とくに、びーーくりだったのは・・江戸・明治の庶民たちの姿だったそうだ。


農民、職人、商人といった庶民たち
それも、ビンボーな庶民たち


●タウンゼント・ハリス(Townsend Harris)・・・初代駐日アメリカ公使
Townsend_Harris.jpg

彼は、日本についてこのように記している。
    ↓
これまで見たどの国よりも、簡素さと正直さがある。

柿崎は小さくて、貧寒な漁村であるが、住民の身なりはさっぱりとして、態度も丁寧である。

世界のあらゆる国で、貧乏にいつも付き物になっている”不潔さ”と言うものが見られない。




●ウオルター・ウエストン(Walter Weston)〈イギリス人宣教師、登山家。日本各地の山に登り『日本アルプスの登山と探検』な日本のアルプスを世界に知らしめた英国登山家〉
WestonPhoto.jpg

彼の言葉
  ↓
教育の無い、日本の田舎人ほどの"真の意味の紳士”を日本の内外で私は見たことがない。



●ペリー提督(Matthew Calbraith Perry)  ・・・米海軍の軍人
perry_sig_litho_h1200.jpg

国民の勤勉さ、器用さは尋常ではない
武士はもとより、町人も農民も手紙で知らせる、識字率がある


と、彼は驚いたそうだ。



●ヘンリー・ヒュースケン(Hendrick Heusken)・・・オランダ人だけど、幕府に雇われてハリスの通訳をした人
CIMG1924_edited-1.jpg
実際の画像が無いから、ドラマの中から拝借・・27歳だったかで殺害されちゃったし・・写真も絵もないみたい。。。


当時は鎖国中で英語の通訳が日本にはいなかったので、唯一国交のあったオランダ人の彼にお願いしたそうだ。
ヘンリーさんは、数か国語を話せる超優秀な人だったそうだ。


彼の日記から抜粋
   ↓
質朴な習慣、飾り気のなさ 子供たちの楽し気な笑い声
悲惨なものがない

この国の人々の質僕な習俗とともに、その飾り気のなさを私は賛美する。
この国土の豊かさを見、いたるところに満ちている子供たちの楽しい笑い声を聞き、どこにもひさんなものを見出すことができなかった。

おお、神よ、私には、この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、西洋人の人々が彼らの重大な悪徳を持ち込もうとしているように思われてならない




●ハインリヒ・シュリーマン(Heinrich Schliemann),・・ドイツの考古学者、実業家
schleimann_cropped-56a0273e3df78cafdaa04e1d.png


彼が記した日本見聞録の中で、このようなエピソードがある
    ↓

中国で最も不快に感じたのは、平気でうそをつき、お金をごまかす一般庶民の姿だった。

乗り物に乗っても、最初に提示した料金とは全然違う、高額の料金を後で吹っ掛けられたりして、閉口することがしばしばだった。

日本で渡し船に乗ったときのことである。

後で料金を支払う段になって、中国で味わった不快な先入観が頭をよぎった。

どうせ法外な料金を吹っ掛けられるに決まっているだろうから 、それならば、最初から高い金を渡しておこうと思い、規定の数倍の料金を渡した。

すると船頭が不思議な顔をして『これは規定の料金と違いますよ』と言って、余分の金を突き返してきたのである。




●エドワード・S・モース(Edward Sylvester Morse)・・動物学者、東京大学のお雇い教授を2年務め、大学の社会的・国際的姿勢の確立に尽力した人
0606000096-l.jpg

彼には、こんなエピソードがあったそうだ。
    ↓

瀬戸内海地方を旅していたとき、広島の旅館に、遠出するために、財布と懐中時計を預けたのだが、女中は、モースの泊った部屋の畳の上に置いただけだ。

もちろん部屋は襖で仕切られているに過ぎず、鍵や閂などはついていない。

しかし、モースはここで思い切って『日本社会の実験』をしてみようとのつもりになったようで、そのまま遠出した。

一週間後、旅館に戻ったモースは、部屋の襖を開けて心から驚き、感じ入った。

『帰ってみると、時計は言うに及ばず、小銭の一セントに至るまで、私がそれらを残していった時と全く同様に、蓋のない盆の上に載っていた』と語っている。

当時の欧米のホテルでは、盗難防止のため、水飲み場のひしゃくには鎖が付き、寒暖計は壁にネジで止められているのが常だったそうである。

モースはこの日記の文章に続けて『日本人は生得正直である』と書き留ている。

さらに、横浜の大火にも遭遇したモースは、このときのことも、このように記している。
    ↓
「老いも若きもまるで『祭礼でもあるかのように』微笑すら湛えて復興に歩みだしていた」と、すべてを受け入れる日本人の姿を著わしている。

モースは、日本には、『貧乏人はいるが、貧困なるものは存在しない』と断言したそうだ。







●カール・ペーテル・ツンベルク (Carl Peter Thunberg)
・・スウェーデンの植物学者、博物学者、医学者)
carl thunberg
   ↓
彼らは第一級民族。
勤勉で賢明で礼儀正しく勇敢」と評価し、「志那朝鮮では女は奴隷なのに、この国では女は男と同席し表も自由に歩く」ことや、「清潔好きで、週に一度どころか毎日お風呂に入る」



そういえば・・お風呂については、シュリーマンも述べてた箇所がある。
   ↓
どんなに貧しい人でも、日には一度は公衆浴場に通っている、と。
 
さらに、

男女混浴を見て、

「禁断の林檎をかじる前の我々の先祖と同じ姿になった老若男女が一緒に湯をつかっている。
そこでは淫らな意識が生まれようがない。すべてのものが男女混浴を容認しており、男女混浴が恥ずかしいことでも、いけないことでもないのである。
ある民族の道徳性を他の民族のそれに比べてうんぬんすることはきわめて難しい。』
と記した。

西洋人の常識から見れば、混浴なんて信じられん!ってことになるんだけど・・(あ、今の日本もそうだけどね~)

彼はアダムとイブの時代に思いを馳せたようだ(笑)

ひょっとしたら・・我々欧米人の方が淫らなんじゃないだろうか? だからこそ、混浴しないのかもしれない・・と(笑)


・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、多くの欧米人がいろいろ観察して、さまざまな手記を残してるのだが、

ここで、ほぼすべてに共通しているのは、

貧しいけど、正直で礼儀正しく、親切、そして綺麗好き。識字率も高い。
そのうえ、笑顔で楽しそうに生活している



terakoya.jpg

「日本人はヨーロッパの先進国の人々ですら足元にも及ばぬほどの高い文化とモラルを持っている」

まずは、ここに驚いたようだ。


彼らの、それまでの常識から言えば、

また、日本以外のアジアの国々を見てきた経験から言っても
実際、日本にやってきた人たちは、日本以外の多くのアジアの国々だって実際に滞在したり見てきた人たちがほとんどで、初めての海外で、日本に来たという人は逆に少なかったという。


貧しいとは、惨めな生活と道徳的堕落を意味することであり、『絶望的な境遇』を意味する。= それが・・彼らの今までの常識

学問や芸術は恵まれた者だからこそ持つことがでくきるもの = それも・・彼らの今までの常識

貧しいものとは、

当然、見た目も汚い、不潔、
字なんか書けない、新しいものへ知的好奇心は無し、美的センスもゼロ

それどころか、カネをだまし取ることばかり、人のことなんか構っちゃレれない、嘘つき、怠け者が多い

貧しい人々は不幸、だから、そうなって当たり前、




ところが・・日本に来ると、見事にその常識が覆されてしまったそうだ!!

20150604230134.jpg


さらに、
『人々は貧しい、しかし幸せそうだ』ってことにも、驚いたという。



貧乏人の美的センスについても、こんな記述がある。

旅をしていると、峠には茶店がある。
いずこも貧しい建物だけど、掃除が行き届き、旅人の目を楽しませるように、シンプルさの中にも上品な皿が飾られていたりする。

さらに、もっと貧しい茶店にいくと、今度は飾るものは何もない・・・しかし、峠の茶店はどこも絶景なのだ。

ans234.jpg

もっとも美しい景色も見せるような位置に茶店は建てられ、旅人がそれを堪能するように、ちゃんと席も配慮されているのだ。
日本人とは、なんと素晴らしい美的センスを持つ人々だろう。
何も無くても、こうやって自然の中の美を取り入れてしまうのだから。





日本家屋は、実に簡素なもので、木と紙の文化だ。

しかし、木と紙、そこに取り込む、自然の光までを計算して作られているのだ。

washitsu_japanese_style_room_s__1920x1200.jpg


こういった美的センスに気がついた異国人たちは、これまたびっくり!

今までの、欧米の美学にはなかった感覚なのだ。



ドイツからやっていきた外交官、ルドルフ・リンダウ(Rudolph Lindau)は、紙と木の文明においては、日本人に優るものはないと言っている。

自然を取り入れ、日本人の生活はオープンでナチュラル、そして「大らか」なのだと述べている。



エンゲルベルト・ケンペル(Engelbert Kaempfer)(ドイツ)は長崎・出島オランダ東インド会社の主商館付き医師として1690年(元禄3)に来日した人だったけど、彼は、

日本庭園は、その綿密構築された小宇宙そのものだ。

と彼の「日本誌」の中で述べたとか。



メールデルフォート・ポンぺJohannes Lijdius Catharinus Pompe van Meerdervoort,(オランダ)・・彼は、医者として来日し、松本良順をはじめとする医者や医学生を教育した人だったけど、

日本人は貧乏人ですら、原始的な道具、原則的な手段で不便を切り抜ける独創的な手段に富んでいる。

西洋人は理論からはじまり道具を作りだした後は、すべて道具に頼るだけになる。
しかし、日本人は現実的な物づくりの道具を作った後も、職人芸を用いて作業するこだわりがある。
彼らは手仕事だけで、先進国の技術を上回る。



とまあ、当時の「貧しい」日本人の美的センスや芸術面もまた、高い評価がされ、驚きの対象とされた。



庶民のビンボー人がこれなら、

武士階級やトップの将軍についてはどう思ったんだろう?


ヒュースケンは、江戸城における将軍との謁見式の感想をこのように記している。
     ↓

「日本の宮廷は、たしかに人目を惹くほどの豪奢はない。廷臣は大勢いたが、ダイアモンドが光って見えるようなことは一度もなかった。…しかし江戸の宮廷の簡素なこと、気品と威厳をそなえた廷臣たちの態度、名だたる宮廷に栄光をそえる洗練された作法、そういったものはインド諸国のすべてのダイアモンドよりもはるかに眩(まばゆ)い光を放っていた。」




日本人は最高権力者といえども、諸外国に比べると質素だったようだ。


唯一、日本人の権力者が唯一お金をかけるところと言えば・・

女たちの着物・・日本の女は着物好き、それと、せいぜい、それに合う簪(かんざし)くらい。

男ならば、武士ならば刀、その他、せいぜい、茶道具や書画骨董ってとこだろうか?
(国がひとつ買えるほどの茶道具もあったようだけど・・そんなものに美的センスを感じるのだって日本くらいだろう。)


食事だって粗末だったようだ。

将軍ともなれば、毎日が山海珍味でグルメ三昧・・なーんてことは決してなく、いつも鱚(きす)の焼き物ばかりだったなんて話もある。 しかも、出来立てが食べられるわけでもなく、いつも冷めてた。

目黒のサンマって話もあるくらいだから・・殿様の食事も想像がつく
目黒のさんま


将軍家だってそんなもんだったなら、万年ビンボーを強いられていた天皇家の食事なんて・・想像つくだろう。


つまり、日本の生活全体像は、こうゆうことになる。

トップクラスの最高権力者も、さほどの豪華な暮らしはしていない。

一般庶民はビンボーだけど、男も女も生活を楽しんでいる。
娯楽、芸術、教養もある。

作物は見事に実り、管理されている

街も完備されている





実際、とくに・・イギリスから来た人たちは、清潔な江戸の街にも驚いたそうだ。

当時の文明国イギリス、首都のロンドンも、テムズ川は排泄物などで汚染されていて不潔なことで有名。

ペストなど伝染病などの原因となってしまったわけだし、もちろん、下層民はひどい有様だった。


一部の貴族たちはこんなだったけど・・
454247049.jpg

テムズ川は、臭くて臭くて・・もう最悪だったそうだ。

こんな風刺画があったくらい
  ↓
FaradayFatherThames.jpg


これに対し、江戸時代の日本の川は綺麗。

なぜなら、まず排泄物の処理がきちんと管理されていたからだ。

排泄物が優れた有機肥料ってことで、ちゃんと高い値段で取り引きされていたのだ。
しかも、その価格も、江戸幕府が管理していたという。

まさに、エコロジーといえるかもしれない(笑)
もちろん下水道も完備、街中には水を引き込んで(大川のこと)、交通にも使う工夫がなされていた。


gaiyou_pi_003.jpg

edo02.jpg



たしかに、日本は類を見ない国だったことだろう。





それは、徳川政権が200年も続いて平和だったことも多分にあるかもしれない。

でも、それだけではないだろう。

戦国時代に訪れた、ルイス・フロイトや、他の宣教師たちでさえ、日本に対して似たような感想を述べているから。



異国から来た知識人たちは、日本だけでなく多くの国を見てきた人たちばかりだ。

中には、多くの世界を見分し、数か国語も話せるような人たちもいた。

こういった人々の公正で冷静な観察と判断からみても、

やっぱり・・
日本はどの国とも違って、類を抜いていた。


それは間違いなさそうだ。


世界中を旅して歩いた、イザベラ・バード(Isabella Lucy Bird)さんという、英国人、女性旅行家、探検家、紀行作家、写真家、ナチュラリストという肩書を持つ人だが・・

Isabella Lucy Bird

彼女は日本奥地紀行で、このように述べている。


●私はそれから奥地や蝦夷を1200マイルに渡って旅をしたが、まったく安全でしかも心配もなかった。
世界中で日本ほど婦人が危険にも無作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国はないと信じている。



●栃木県壬生町から鹿沼市の日光杉並木に至る例幣使街道では、よく手入れされた大麻畑や街道沿いの景色に日本の美しさを実感することができた。

湯元温泉にて、湯治客として滞在した際には、

●その宿屋(やしま屋)のたいへん清潔である様を、埃まみれの人間ではなく妖精が似合う宿であるとまで形容している。




一方で、彼女は、韓国併合以前の当時のソウルに関しては、こんな記述を残している。
   ↓

道は牛がすれ違えないほど細く迷路のようであり、家から出た汚物によって悪臭が酷く、北京を見るまで「ソウルこそこの世で一番不潔な町」だとし、「紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世で一番ひどいにおいだ」「都会であり首都であるにしては、そのお粗末さは実に形容しがたい」と記している。

ソウルには芸術品や公園や劇場、旧跡や図書館も文献もなく、寺院すらない。

1897年(明治30年)、李采淵が、ジョン・マクレヴィ・ブラウンの提案のもとに、市内環境改善を行なってから、ようやく綺麗になった。




1897年(明治30年)まで、ソウルは、臭くて汚くて、ひどかった??

それは知らなかった・・・。


たぶん、「日本の文化はすべて韓国人が教えてあげた」と思い込んでる韓国人には大変申し訳ない話だけど・・

ようやく、ソウルは明治30年になって、外国人の力を借りて、やっと街を整備しクリーンにできたという事実を考えると、どうみたって、江戸時代の古~い日本の方が文化的にも目覚ましいものがあったのことだろう。


ついでに、もうひとつ、韓国における、イザベラの記事を紹介すると・


釜山に上陸したときの記録に、

「高台にある外国人居留地の周りの杉林が1592年からの文禄・慶長の役の際に豊臣秀吉日本軍による植林によるもの」と記されているそうだ。

また釜山の旧市街もまた、同じく文禄・慶長の役の占領の際に、

「砦はとても古いものの、中の市街は三世紀前の構想に沿って日本人の手によって近代化されている」という記述もあるようだ。


ということは・・あの、豊臣秀吉が朝鮮半島に攻め入ったときの話じゃないか~!@@

まーったく知らなかった~!


彼らは、海外の戦地に来てまで、そーんなことまでしてたのか~!とびっくりさせられる。


そりゃ、敵である朝鮮人のためにしたわけじゃないだろう。
おそらく、自分たちのために砦を整備し、植林しただけ
なんだろうけど・・・

どんな苦境の中でも、「創意工夫をして暮らしやすくする」というのが日本人の特質・・

それは、こーんな昔からあったのかもしれない。




実は、似たような話を、私はアメリカに住むようになってからLAの日系人の老人会の人たちから聞いたことがある。


Guard-Tower.jpg

太平洋戦争時、カリフォルニアの日本人は財産没収の上捕えられ、みんな捕虜収容所に送られた。

そこは、砂漠の中の不毛な土地で何もない、しかも、明日はどうなるかもわからないような絶望の状況の中で、

わずかしかない食料を増やすために、彼らは工夫を重ね土地を開墾し、ついに広大な畑を作り上げた。

manzanar-19.jpg

また、粗末な小屋を立派に改築し快適な暮らしに変え、子供たちのために学校も作ったという。

7f46be28e3df013e2a54e0a13462a07f.jpg

日本人全員が働き、不可能と思われたことがどんどん可能になっていく。

はじめは、バカにして笑ってみていたアメリカ兵たちも、これには感嘆したという。

この絶望の捕虜生活で、日本人は、どうしてこんなことができたのだ? と・・


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そういったことを思い出すと、彼ら外国人が見た、当時の日本は、やっぱり、そのとおりだったのだろう。

そう、思わざるを得ないのだ。


私は、子供の頃から、アメリカをはじめとする欧米諸国こそが進歩した国だと教わってきた世代だ。

考え方も技術も文化も、欧米諸国は先進国と呼ばれ、日本より勝っている国なんだと。


時代劇を見れば・・必ず、身分制度があって、男尊女卑で、常に農民は悪代官に虐げられ、武士だけが威張り腐って・・豪商とつるんだ悪大名がいて、女は子を産むための道具扱い・・・なーんてものばっかりだったし・・(笑)


文化も技術も遅れていて知識レベルも低いし、庶民はバカばっかり・・・と思い込まされてきたのかもしれない(笑)


それに比べて、
イギリス貴族は、騎士道精神があってレディーファーストだし、アメリカは人民による人民の国の平等な国だ!と、思っていたのだ。

あーあ~


ところが、大人になってだんだん知るようになると・・そういったものが、ボロボロと剥がれていく。

どーこが、レディーファーストだよ!人前でのカッコだけじゃんかよ!と。

どーこが、平等だよ!同じ白人だけが平等なだけだろーが!と。


そういった各国の真実が見えてくればくるほど・・・むしろ日本の方が、はるかに精神的に平等だった気さえしてくる。


階級制度があり、身分としてのトップの武士階級には、様々な制約に縛られ、場合によっては切腹しなきゃならないような命がけなことも多かったわけだし・・

逆に、最も階級が下だった商人はかなり・・自由だった。

百姓も職人も・・貧しくても、お天道様と米の飯がついてくるんだったら、それでいいんじゃね?

侍はオイラたちと比べれば、色々と大変だもんなあ
・・と、思ってたフシもある。


「分を知る」という言葉があったけど・・それは、そうゆう意味だったのかもしれない。

彼らは、身分の上の者や裕福な者を羨んだり妬んだりしない。

運命さえも、呪ったりしない。

自分の与えられた分の中で、せいいっぱい仕事し、せいいっぱい生き、せいいっぱい楽しもうとしたんじゃないだろうか?





そうでなければ、ビンボーなのに幸せってことに説明がつかない!

私にもわからないのだ。

現代に生きる私もまた、当時の外国人同様に、日本という国にカルチャーショックを感じるだけだ(笑)



サー・エドウィン・アーノルド(Sir Edwin Arnold)、この人は、イギリス出身の新聞記者(探訪記者)、紀行文作家、随筆家、東洋学者、日本研究家、仏教学者、詩人という肩書を持つ人だ。

190px-Edwin_Arnold.jpg

明治22年に東京で開かれた、ある講演でこう語っている。
     ↓

日本は、地上で天国あるいは極楽に最も近づいている国だ。

その景色は妖精のように優美で、その美術は絶妙であり、

その神のように優しい性質はさらに美しく、

その魅力的な態度、その礼儀正しさは、謙譲ではあるが卑屈に堕することなく、精巧であるが飾ることもない。




こkれは、決してお世辞ではないだろう。

彼は、本当に、そう思っていたことだろう。


彼のように、当時の日本にやってきて、親日家になってしまった人は多い。


前述したエドウィン・アーノルドも、アーネスト・サトウ(Ernest Mason Satow)も、親日家だ。

ちなみにアーネスト・サトウはイギリスの外交官で、イギリス公使館の通訳、薩長の大物たちとも会ってる人物。
   
200px-YoungSatow.jpg
ほう、今見ても・・なかなかのイケメンかも。

「サトウ」といっても、日本人じゃないからね~。
当時スウェーデン領生まれドイツ系人だった父の姓だった」とか。


もう一人、ラフカディオ・ハーンという文学者もいた。

彼らは、親日家のあまりか(笑)、日本人を妻にし、もちろん・・帰国時にも連れ帰ったり、また日本に残した妻子にも生涯面倒を見ていたという。

ラフカディオ・ハーンさんは、日本に骨をうずめたそうだけど・・。



こういった日本の姿は、本当に私の祖国の日本のことなんだろうか?

なんだか今の私には、時空の違うところ、別次元に存在する日本という名の別の国に思えてならない。
(まさに、このタイトルのとおり)


最後に、ヒュースケンさんが言った言葉をもう一度引用しておこう。

おお、神よ!
この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、西洋人の人々が彼らの重大な悪徳を持ち込もうとしているように思われてならない


これはまた、

フィリップ・シーボルト(ドイツ)Philipp Franz Balthasar von Sieboldの残した言葉とも共通する。

739523885bd007cc2eb1a395af843f81.jpg


ご存じ医学者であり博物学者として、日本人青年に医学と自然科学の目を開かせた有名なシーボルト先生。

彼には、20冊もの『日本』という膨大な著書があり、

日本人はことに生国をこよなく愛し、祖先についても尊敬を払っている。

従って歴史と伝統に限りない崇敬をもっているし、日本人の生活法、風俗、習慣、宗教というのはヨーロッパのものと異なっているので、ヨーロッパのような様式を強制することは全く無意味であり不可能である。

日本に対して武力や威圧によって近づいてはならないし、開国を求めてはならない。



とまで、言い切っている。


彼らが予言したように、日本という国は西洋諸国に飲み込まれていってしまったのだろうか?


だから・・・私には、そんな日本がみつからないのか。

タイムスリップして、パラレルワールドに迷い込まない限り、そんな日本はどこにも存在しないのだ。


そういうと、日系アメリカ人の友人が言った。

「そんなことないよ!
今の日本人にだって、ちゃんと、そういったDNAが受け継がれているんだよ。

だって、地震や津波で大災害に見舞われても、暴動を起こすどころか規則正しく順番を待ったり、人助けをする人だって多かったでしょう?
それに、みんなが力を合わせて、あっという間に復興しちゃったでしょ?

これがアメリカだったら、すぐに暴動・略奪になっただろうね。
それでいて、ショックから立ち直れない人も多いから、復興なんて10年たってもできないだろうしね・・それがアメリカなんだよ。

それに比べると日本人のDNAはすごいなあ!

ただね・・きっと、いざっていうときにならないと、今の日本人には、出てこないのかもしれないけどね~(笑)


それでも、それでもだよ・・
私にもあなたにも、そのDNAは受け継がれているんだよ。 確実に!」


彼は笑顔でいっきに言い切った。

コメントの投稿

非公開コメント

Profile
スピリチュアル世界中心のブログ★

gingetsu2010

Author:gingetsu2010
アリゾナ州セドナにて、アクセサリー工房Alizona*銀の月*をオープンしてる銀月です!

日々の生活や体験の中から、社会のこと、スピリチュアルなことなど・・思いつくままに書きつらねてます。

皆様にも「スピリチャアルの意味」「生きる意味」を感じて頂けたら、幸いです!☆

Calender
10 | 2018/11 | 12
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
Link
☆HPはここをクリック↓☆
検索フォーム
カテゴリ
Diary
Alizona*銀の月*ショッピングサイトのお知らせ
Alizona*銀の月*では、ショッピングサイトをオープンしました。
ネイティブインディアンのホピ族を中心としたオーバーレイの銀製品を中心に、銀月の好みで集めてしまった逸品揃いですよ~(^^)v
☆ホピ族は、まさに、スピリチュアルな生き方を貫いてきた人々。
銀月のWEB、「ホピ族の話」をまずは、じっくり、ご覧ください。


Alizona*銀の月*の↓のURLから、お入りください。
http://sedona10silvermoon.web.fc2.com/index.html"