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またも夢から「坊ちゃん」の感想文と父の思い出にとぶ

なんだか、前回の、アル君が登場した夢をみてからというもの、夢というものが気になりだした。

そこで、またもや、見た夢を忘れないようにメモしようと思ったんだけど・・今朝は時間がない!

すぐに飛び出さなきゃ遅刻だ~!

それでも、2つ3つ、走り書きのメモをとって大慌てで飛び出していった。

・・・・・・・・・・・・

仕事から戻って、なにげにテーブルの上を見ると、こんな走り書きのメモがある。

「蜜柑の木があるところ」
「・・・ぞなもし。」という方言
「田舎はきらいじゃ~」


なんだこりゃ! (←自分で書いたんだろーが!)

ああ、夢の断片を書き留めたんだったな?

きのうは、なんだか、長い夢を見てた気がするんだけど、さっぱりストーリーは思い出せない。

ストーリーは思い出せないくせに、言葉に出来ないような、リアルな感覚だけは覚えてる。


リアルな感覚・・

これを、いったい・・どうゆうふうに説明したらいいんだ?
(別に、こんな訳わからんものを、みなさんに説明するつもりはないんだけど・・自分に説明したがってる。。)


いきなり、

ああ! そうだ@@
これって、「坊ちゃん」だ!

夏目漱石の「坊ちゃん」
これだ~。


なんで、そこに飛ぶかな~?

なにがなんだかわからないけど・・
とにかく、そーなのだ!

botyan_syohan.jpg
明治39年、坊ちゃんの初版本↑ タイトルの漢字は、「うずらかご」と読むそうで、この中に、ぼっちゃん、二百十日、草枕が入ってるそうだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昔々、私は夏目漱石さんにはまった頃があって、もちろん、「坊ちゃん」も読んでる。

こっちの方は、ストーリーはよーく覚えてるくせに、そのリアルな感覚が思い出せない。

どっちにしても、中途半端だ。 とにかく私は記憶力欠乏症なのだ。


それじゃあ、夢の正体を探るためも兼ねて、もう一度「坊ちゃん」を読み返してみよう!と思った。
   ↓
青空文庫 坊ちゃん

便利のもので、今は、オンライン上でタダで読める。
アメリカだと日本の本屋って・・・ブックオフくらいしかないし~、遠いし~。


・・・・・★★・・・・・・・

いやあ、イッキ読みしてしまった~。

もう一度、余韻に浸りたくなって、今度は、「朗読で聞く・坊ちゃん」というのが、youtubeに上がってたので、聞きながら寝ることにした。


風間杜夫さんの声で、なかなか上手な朗読だった。
ただし、これ・・上と下の間の数ページ分が抜け落ちてて、不完全。時間の都合かなんかで、あえてカットしたのかな? 



本を読んで朗読を聞いてるうちに、亡き父のことを思い出したりもした。

父は、下町育ちの江戸っ子。
外の顔は上品な紳士を気取ってたけど、酔っぱらうと、早口のべらんめえ口調になる人だった。


昔の東京人は、早口なのだ。

江戸っ子(下町育ち)気質
    ↓
●べらんめえ口調
●竹を割ったような性格(ストレート)で、単純
●意地っ張り
●金離れがいい(金に執着しない)
●議論が苦手
●喧嘩っ早い(議論が苦手のせいか、先に手が出るのかも・・)
●駄洒落が多い
●人情家で涙もろくて、正義漢
●東京が一番だと思ってる人が多い、ほとんど旅行しない
●粋であることが大事(独自の美意識やこだわり、を持ってる)



これの、ほとんどが、私の父に当てはまるし、この、すべてが主人公の坊ちゃんに当てはまるのだ。

しかも、夏目漱石の文章って、軽妙なリズムがある。
そうそう・・そこが、昔から好きだったとこでもある。(←ようやく、思い出してきた。)


とくに、この「坊ちゃん」は、口語体で、江戸っ子の坊ちゃん本人がしゃべってるように書かれているので、
実に明快な文体になっている。

それでいて、なんともいえない、おかしみがあるし、歯切れがよくって、サクサクしてる。

こんなのは、三島由紀夫さんには、絶対書けないだろうなあ、と思う(笑)


同じ文豪と呼ばれる人であっても、まったく持ち味が違うのだ。

漱石さんが、キリっとした蕎麦とカラッと上がった天ぷら和食なら、三島さんは、芳醇で濃厚なベシャメルソースを使ったフランス料理だ。


だけどなあ、これ、今の若い人たちが読んでもわかるかなあ?
坊ちゃんは、口語体だし、わかりやすい方だとは思うけど・・・。

なんせ、明治時代の言葉だし、文化も違うからなあ。

ジェネレーションギャップは、大きいのだ。


じゃ、私は なんでわかるんだ?
しかも高校生の頃から?

たぶん、江戸っ子の父親を持っていたせい。

それに、子供のころから近所のじいさんたちの話を聞いて育ったせいかもしれない。(←なんて育ち方をしちまったんだろ!)


「昔はね、旅に出るというと・・必ず、箱根より手前か先かと、考えたものだよ。
江戸っ子にとっては、箱根が基準になっててね、箱根より遠い場合は、もう二度と会えないかもしれないと覚悟したもんだよ。」


ある、じいさんに、子供の頃、こんな話を聞いたことがある。


それが、ちゃーんと、「坊ちゃん」の作中にも出てきてたのだ。
   ↓
坊ちゃんをひどくかわいがってる、キヨという家政婦に、松山に中学教師として赴任する話をすると、
キヨは、「坊ちゃん、そこは、箱根より先なんですか?」と聞くシーンがある。

飛行機も新幹線もあって、ケイタイですぐ連絡がとれる時代の人には、意味不明、「だから、何?」かもしれないけど・・

そこには、「箱根より遠くに行くんじゃ、ひょっとしたらもう、二度と会えないかもしれない」という悲しい思いがあるのだ。


それに、単語だって、現代とはちょっと違うニュアンスで使われてるものも多いし、
また、さっぱり、知らない単語だって出てくる。(←そりゃあ、私だって、いちおう昭和生まれですからね~。)


たとえば、こんなシーン

下宿屋のおばさん : 「そりゃあなた、大違いの勘五郎ぞなもし」
坊ちゃん :「勘五郎かね。だって今赤シャツがそう云いましたぜ。それが勘五郎なら赤シャツは嘘つきの法螺右衛門」



大違いの勘五郎(かんごろう)?
嘘つきの法螺右衛門(ほらえもん)?


何しゃべっとるんじゃ~!!

たぶん、想像するところによると・・

「おそれ入谷(いりや)の鬼子母神」
「その手は桑名の焼き蛤」


とかってのと似たような感覚なんじゃないかな?

江戸っ子特有のダジャレ、または、掛け言葉?とでもいうのかなあ。



つまり

「そりゃあなた、大違いですよ。」

「じゃあ、赤シャツは嘘つきだ。」


で、すんじゃうところを、あえて、そんな言い方をしてるだけなのだ。


それを、寅さんふうに、言えば・・

torasan.jpg


「結構です」というのを・・結構毛だらけ猫灰だらけって言ったり、

「ありがとう」というのを・・「ありがた山のほととぎす」

こうゆうのは、講談とか落語からの言い回しも多いんだとか。


たしかに、こんなのは、若い世代には、ちーっともわからないだろうし、説明されたところで、これのどこが面白いの?って言われちゃいそう。

たぶん、寅さん映画だって理解できないかもしれない。。。



じゃあ、ここで思い切って、明治時代の人がタイムスリップして現代に来たとしよう。(←おいおい!ありえないだろ@)

彼らが、現代人のお笑い番組をみても、これのどこが面白いの?ってことになるんじゃないかな?

明治時代からのタイムスリッパーたちには、夏目漱石は理解できても、現代の文豪作品は、きっと理解できないはずだ。


『僕は髪も染めていないし、ピアスもつけていない。清潔なラルフ・ローレンの白いポロシャツを着て、
やはりラルフ・ローレンのクリーム色のチノパンツをはいて、新しいトップサイダーのスニーカーをはいている。』
海辺のカフカより


kafuka.jpg


とか、


私は目を閉じて、その深い眠りに身をまかせた。ボブ・ディランは『激しい雨』を唄いつづけていた。
世界の終わりとハードボイルドワンダーランドより


20141026_a4eaf7.jpg

ああ、絶対無理だろーな~。

ピアス、ラルフローレン、チノパン?ボブ・ディラン???
髪を染めるって・・若いのに白髪になっちゃったの?




我々が、太宰権帥(だざいごんのそつ)や河合又五郎(かあいまたごろう)を知らないように、そんな単語はさっぱりわからんのだ。


うらなり先生が学校命令で左遷させられるのを聞いて、坊ちゃんがこんなことを言うシーンがある。
    ↓

当人がもとの通りでいいと云うのに延岡くんだりまで落ちさせるとは一体どう云う了見だろう。
太宰権帥(だざいごんのそつ)でさえ博多近辺で落ちついたものだ。河合又五郎(かあいまたごろう)だって相良でとまってるじゃないか。




知らないなりにも、たぶん・・昔の左遷された人か流刑された人なんかな~という想像はできる。

大宰権帥_Wikiより

河合又五郎_Wikiより


お互いにジェネレーションギャップがあれば、わからないのも仕方ない。

でも、仕方ない・・と言ってしまえば、

同じ時代、同じ国、同じ地域、同じ学年といったように、自分と同じものしか受け付けられなくなってしまう。

世界がどんどん、縮こまることになりはしないか?

sfc-2-728.jpg


ここはひとつ、現代の世代の方々も、過去からタイムスリップされてきた方も・・まずは、想像力を働かせてお互いを理解しようと務めるべきじゃないだろうか?
(だから、タイムスリップの話はよせって!)

想像力を使ってもどうにもお手上げのときは、今なら、簡単にインターネットで調べられる時代なんだしね。



昔の言葉や感覚を知るのも醍醐味だね~。

いや、知らないことを知ることこそが、醍醐味なのかも。

そのうえ、

いくらジェネレーションギャップがあろうとも、人間性ってやつは、どの時代においても、変わらない。

って、ことにも気がつくと、なおも、ぐーーと距離が近づく。

古今東西、世界は一緒。

世界征服した気分になる。(←そんな気になるのは、キミだけだろ!と、私の内なる声がまたも囁く)




坊ちゃんは、意地っ張りで曲がったことが大嫌い、単純だけど潔い性格だ。

悪ガキの寄宿制たちに、布団の中に大量のイナゴを入れられた上、深夜大騒ぎをされて寝かせないという、いたずらをされたときも、

シラを切り続けるガキどもに、坊ちゃんは、こう言っている。


「けちな奴等(やつら)だ。自分で自分のした事が云えないくらいなら、てんでしないがいい。
証拠さえ挙がらなければ、しらを切るつもりで図太く構えていやがる。

おれだって中学に居た時分は少しはいたずらもしたもんだ。しかしだれがしたと聞かれた時に、尻込みをするような卑怯な事はただの一度もなかった。
したものはしたので、しないものはしないに極きまってる。

おれなんぞは、いくら、いたずらをしたって潔白なものだ。嘘を吐いて罰を逃にげるくらいなら、始めからいたずらなんかやるものか。
いたずらと罰はつきもんだ。罰があるからいたずらも心持ちよく出来る。

いたずらだけで罰はご免蒙めんこうむるなんて下劣な根性がどこの国に流行と思ってるんだ。
金は借りるが、返す事はご免だと云う連中はみんな、こんな奴等が卒業してやる仕事に相違ない。

全体中学校へ何しにはいってるんだ。
学校へはいって、嘘を吐いて、胡魔化して、陰でこせこせ生意気な悪いたずらをして、そうして大きな面で卒業すれば教育を受けたもんだと癇違いをしていやがる。話せない雑兵だ。




いやあ、見事なくらいの江戸っ子だ~。

ibaasen2.jpg



生徒がこれなら、先生も似たようなもの

生徒のやった悪質ないたずら事件に対して職員全員の会議を開くことになった。

そこで坊ちゃんの言葉

会議というものは生れて始めてだからとんと容子(ようす)が分らないが、職員が寄って、たかって自分勝手な説をたてて、それを校長が好い加減に纏(まと)めるのだろう。 纏めるというのは黒白(こくびゃく)の決しかねる事柄ことがらについて云うべき言葉だ。
この場合のような、誰が見たって、不都合としか思われない事件に会議をするのは暇潰(ひまつぶし)だ。




あるよなあ~、
こうゆう、わけのわからん会議ばっかりやってる会社も(笑)



その会議の席では、校長の狸が口火を切る
    ↓
狸は例の通りもったいぶって、教育の生霊という見えでこんな意味の事を述べた。
教育の生霊ってのは、面白い表現だねえ。

「学校の職員や生徒に過失のあるのは、みんな自分の寡徳(かとく)の致すところで、何か事件がある度に、自分はよくこれで校長が勤まるとひそかに慚愧の念に堪えんが、不幸にして今回もまたかかる騒動を引き起したのは、深く諸君に向って謝罪しなければならん。しかしひとたび起った以上は仕方がない・・・以下続く



それに対する坊ちゃんの胸のうち
   ↓


おれは校長の言葉を聞いて、なるほど校長だの狸だのと云うものは、えらい事を云うもんだと感心した。
こう校長が何もかも責任を受けて、自分の咎だとか、不徳だとか云うくらいなら、生徒を処分するのは、やめにして、自分から先へ免職になったら、よさそうなもんだ。
そうすればこんな面倒めんどうな会議なんぞを開く必要もなくなる訳だ。




坊ちゃんの言うことはもっともだ~、でも実に子供っぽいとも言われそうだ。

校長の狸ってのは・・実に大人っぽい、そして日本人にありがちなタイプだろうなあ。



全面的に生徒が悪いってことは誰の目にも明白なのに、さも、自分の不徳の致すところとか言いながら、まずは丁重なお詫びするポーズ。 
それでいて、心の中では、ちーーとも、悪いなんて思ってないから、なーんもしない。


とにかく形だけは下手に出ておいて、

そして、誰もが穏便に済ませようとするタイプ。




次に教頭の赤シャツがスピーチをすると・・

生徒のやったことは悪いけど、先生に対する不満だってあったのだろうし、若いんだし、血気にはやることもあるもんだし・・と、だんだん問題点をすり替えられていく。

校長の狸と教頭の赤シャツがそんなことを言いだすと、みんなが、「ごもっとも!」と静かにうなずくだけ。
誰も反対意見を述べようともしない。

あるある! たぶん・・今の世も似たようなものかも(笑)
あんまり言いたくないけど・・日本社会ではありがちかも。



校長の狸は、ただ校長の肩書でふんぞり返ってるだけの無能な男

教頭の赤シャツは上品なエリートだけど、心の底はどす黒い策士。

それに、へこへこと腰ぎんちゃくのようにくっついて歩き回る、ノダイコは小者のくせに、これまた、どす黒い男。

あとは、みーんなこいつら、黙って従うだけの情けない奴らばっかり。



ようやく坊ちゃんが立ち上がって意見を述べるんだけど・・
単細胞の坊ちゃんは、会議の席で理路整然と意見を述べることは苦手。

ストレート過ぎる性格が災いしてしまって、みんなに失笑されて終わっちまう。

こりゃあ、もうダメか~。
事なかれ主義の穏便派にやりこめられちゃうのか~。


と思いきや、そこで、山嵐先生が立ち上がって意見を述べる。

山嵐は、坊ちゃんの胸の内を、ちゃーんと大人の言葉に翻訳して、理路整然と反対意見を述べてくれたのだ。

だから、説得力があるのだ。



こんなことから、坊ちゃんと山嵐は仲良くなるんだけど・・

教頭と腰ぎんちゃくのノダイコチームにとっては、山嵐はますます目の上のたんこぶとなる。


そこで、やつらは策略を巡らせる。

陰で学校を牛耳ってるのは、教頭なのだ。


教頭の赤シャツは、おとなしいウラナリ先生の婚約者、マドンナに横恋慕してる。
なぜって? 超美人だから。。。

マドンナもまた、絶世の美人かもしれないけど・・落ち目のウラナリ先生から権力者の赤シャツにのりかえるとは、なかなか抜け目のない腹黒い女だってことだ。

ま、類友、似た者同士なのだ。



そこで、赤シャツは、まず、ウラナリ先生をド田舎に転勤させる策略を巡らせる。

もちろん、マドンナのゲットのため。

次に、目の上のタンコブ、山嵐先生は、口実を作って首にする画策をする。

坊ちゃん先生は、若くて単細胞な男だから、うまく丸め込んでしまえば、利用価値はあると思ったらしい。


いやあ、まあ、こんなの今でもよくありがちな話だねえ(笑)



しかし、坊ちゃんは、単細胞だけど・・なかなか鋭い感性を持っている。

優しい言葉や理路整然とした説得で丸め込まれそうになっても、ちゃーんと、直感的に真理を見抜くのだ。


この部分、私の好きな箇所
  ↓


おれの頭はあまりえらくないのだから、いつもなら、相手がこういう巧妙な弁舌を揮(ふる)えば、おやそうかな、それじゃ、おれが間違ってたと恐れ入って引きさがるのだけれども、今夜はそうは行かない。

ここへ来た最初から赤シャツは何だか虫が好かなかった。
途中で親切な女みたような男だと思い返した事はあるが、それが親切でも何でもなさそうなので、反動の結果今じゃよっぽど厭になっている。

だから先がどれほどうまく論理的に弁論を逞(たくましく)しようとも、堂々たる教頭流におれを遣り込めようとも、そんな事は構わない。

議論のいい人が善人とはきまらない。遣り込められる方が悪人とは限らない。
表向きは赤シャツの方が重々もっともだが、表向きがいくら立派だって、腹の中まで惚れさせる訳には行かない。

金や威力や理屈で人間の心が買える者なら、高利貸でも巡査でも大学教授でも一番人に好かれなくてはならない。

中学の教頭ぐらいな論法でおれの心がどう動くものか。人間は好き嫌いで働くものだ。論法で働くものじゃない。



人を動かすモチベーションとは、好き嫌いなのだ。
論法ではない。
惚れるかどうかなのだ!


これって、私には、すとーんと胸に落ちる言葉だ。



しか~し!
策略を巡らせる大人社会に、直球勝負をしたところで子供がかなわないのは世の常。


ウラナリ先生は左遷させられ、山嵐は首にされる。
ま、ウラナリさんは、人はいいだけで超おとなしすぎる人だからなあ~。

すべてが、赤シャツのはかりごと通りに運んでしまうのだ。


そこで、山嵐と坊ちゃんは、こうなったら最後の手段! 
現場を抑えて、鉄拳制裁だ!天誅だ!


そう、そっちに行ってしまうのだ!



おいおい、暴力に訴えるのかよ!と、現代人は、ここで、つい違和感を持ってしまうかもしれない。

ところが、

こういったことは、ひと昔前の感覚としては至極当然のことでもあったらしいのだ。

むしろ、よくやった~!と評価されることもあったようだ。

ここらへんの常識と感覚の違いは大きいかもしれない。


だって、ほら!
最高権力者の江戸幕府に歯向かって、討ち入りを果たした、忠臣蔵の物語が庶民にもてはやされたんだからね~。

義を通すことや潔さが一番かっこいい!というのが、一般庶民の社会通念だった時代。

そういった人物は、まさに、英雄だったのだ!



山嵐と坊ちゃんは、赤シャツとノダイコを待ち伏せて、生卵をぶつけて、ぼこぼこに殴りつける。

とくに、坊ちゃんはノダイコが大っ嫌いなのだ。

同じ江戸っ子、東京出身でありながら・・こんなヤツは江戸っ子の名折れだ!と思ってる。

野だは大嫌いだ。こんな奴は沢庵石をつけて海の底へ沈しずめちまう方が日本のためだ、とまで言ってるくらいだ(笑)


だから、めちゃくちゃに卵をぶつける。
あーあ、本当は、自分が食べようと大事に持っていた卵だったのに~。

そのうえ黄身だらけの顔を、ぼこぼこに殴りつけたのだ。


だけど、ナイフを使うとか汚いマネはしない。
素手で殴って、しかも、現代人と違って、ちゃんと殴る度合いも心得ている。

さんざん殴りつけた後、
俺たちは、明日までここに泊まってるから、さあ、巡査でも呼んで来い。お前らの好きにしろ!と、言って去っていく二人。

カッコよくて、実に、すがすがしい、正々堂々とした暴力なのだ。

暴力というより、決闘の感覚かもしれない。

DSC_1465.jpg



たぶん、そうゆう時代だったのだ。



実は、これに似た話を、子供の頃に父から聞いたことがある。

会社の忘年会が近づくと、課長や部長の役職についてる者たちはビビりだして・・血気盛んな平社員にお世辞を使って急に褒めだす者も多かったそうだ。

なぜなら、忘年会では、日頃から汚いマネをしてる役職者は、平社員にぼこぼこに殴られる場でもあったそうだ。

当時は・・忘年会、酒の席ならこのくらいは年中行事とみなされていたらしい。

今だったら、暴力沙汰とされて、殴った平社員は即、首だろうし、警察のお世話になったことだろう。


だけど・・この時代、もちろん、昭和の時代だったんだけど、実は、それが通ってしまう時代だったというのが、私にも驚きだ。

しかも、暴力を振るわれた上司も会社側も、そんな暴力社員を首にしたり警察沙汰にはしなかったという。


なんで?

「たしかに殴られるだけの汚いマネはしてるって本人だって自覚してるし、会社側もわかってるんだろうよ。
だけど、会社組織はどうにもできないってこともあるし・・それなら、せめて若いもんには殴らせて、留飲を下げさせてやれ!ってとこだったんだろうよ。
ま、年中行事みたいなもんだったね~」

年中行事~!


で、殴った平社員は留飲を下げて、また元気に働いたそうだ。


ほう!
こりゃまた、江戸っ子気質か!


そんな風潮だったんだね~。


ただし・・これは、父の会社だけだったのかもしれないし、または、東京という江戸っ子気質が生きてる地域だけのことだったのかもしれない。

ちなみに、父は兜町で働く証券マンだった。


「たぶん、昭和40年代中ごろあたりまでかなあ? それからだね、日本がガラと変わったのは。
誰もそんなことをするヤツはいなくなった。
誰もがそんなヤツはバカだと思うようになってしまったし、上司が黒を白と言っても、ハイハイごもっとも!と素直にうなずく方が正しい道だと思うようになってしまったんだ。
社員の個性も、何もかもなくなってしまったんだ。」




そうだったのか~。


こうやって、ひと昔前までは、バランスが取れていたんだろう。

これなら、今のようにうつ病になる人も少なかったことだろう。



私は古い人種たちから、そういった話をさんざん聞いてたおかげで、「坊ちゃん」のラストシーンが、すんなりと納得できたのだ。


それにしても、坊ちゃんも山嵐も、損するタイプだろうなあ。

それだけは言える(笑)

おそらく、明治の、この時代においてさえもだ。

今だったら、きっと狂人扱いだ。


言いたいことは言う。
金にも権力にもなびかない。
潔ぎ良すぎ。



事実、坊ちゃんが不当な仕打ちを受けたのは、学校からだけじゃない。

不当な言いがかりをつけて下宿を追い出そうとする大家もそうだし、最初に泊まった旅館の女中も充分チップをあげる前は、ひどいものだった。

ところが、坊ちゃんは、そういったやつらに、談判するどころか、

「いきなり、出てけ!って理不尽なことを言うところには、いてやるもんか!
こんなとこ、こっちから出て行ってやる!」
だもん。


何も言わずに、さっさと出て行っちゃう。

キミキミ、だから、キミは損ばかりするんだよ~、と、つい私までが説教したくなる。。。


でも、坊ちゃんにしてみれば・

相手の姑息なやり方にあきれ果ててしまって、マトモに談判する気さえなくなっちゃうと見える。

喧嘩する気も起きなくなっちゃうとみえる。

江戸っ子は気が短いのだ。

話してもわからんヤツと話しをするのは、えーい!めんどうだ!となる。

それでいて、ちっとも自分が損してる!なんて思ってもいない。
単細胞でもある。

結局、
お天道様と米の飯くらいは、どこにいたってついて回るんだ! 構うもんか!となる。


ま、こういったタイプは絶対に、立身出世はできないタイプ。

今も昔も(笑)

だけど、本人はそんなことは眼中にもないのだ。

お天道様と米の飯くらいは、どこにいたってついて回るから。

残念ながら、現代では、お天道様と米の飯はついて回らない時代になってしまった。。。


長いものにはひたすら我慢して、巻かれるしかない時代なんだろうか?

我慢に我慢を重ねて、そりゃあ、うつ病など、精神疾患を患ってしまうことにもなるだろう。




坊ちゃんの松山生活は、山嵐以外は、みーんな、利に敏くて汚い大人ばっかりだったなあ。

旅館の女中、下宿先の大家、美人のマドンナ、生徒たち、先生たち・・・みーんな薄汚い大人ばかり(笑)

坊ちゃんの言葉を借りれば、みんな下品な奴らなのだ。


敵を思う存分殴りつけた後、坊ちゃんは東京に引き上げて、教師を辞めて、街鉄(がいてつ)の技手になった。

*「街鉄」というのは街中を走る路面電車のことで、「技手」というのは運転手兼整備要員だそうだ。


無学な婆さんだけど、とっても上品なキヨを引き取って、一緒に暮らした。

そこで、この物語は終わる。


これは、実際に漱石さんが、松山中学で教鞭をとっていた頃の写真、明治29年3月29歳の頃とか
     ↓
443896a9d102a0212b1ed7dbe8e21415.jpg
なかなか良し!だね~。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

また父の言葉を思い出した。

「僕もね、ずいぶん、地方に転勤したり、田舎に出張したりしたもんだけど・・
田舎の人は、東京のすれっからしと違って純朴でいい人が多いってのは、あれは、ウソだね。
田舎特有の嫌なものだって、いっぱい見たもんだよ。
愚図でまどろっこしくて何を言ってるんだかさっぱりわからない、それでいて、カネに汚い、心根の曲がったやつらも多かったよ。」


江戸っ子気質の父の言葉だ。

・・・・・・・・・・・

なんだか、すっかり、「坊ちゃん」の感想文と父の思い出話になってしまったなあ。。。

おかげで、すっかり忘れていた漱石文学の感覚も取り戻すことは出来たけど。


どっか庶民的で、リズム感のある文体を。
夏目ワールドを!


庶民的といっても、赤シャツの言葉を借りて、

ターナーの絵
ラファエロのマドンナ
ゴーリキ


なーんて言葉も、作品中にはポンポン飛び出す。



ここらへんのことは、こちらのブログで解説されていて面白い。
     ↓
漱石の作品と食べもの2/ゴルキは、ギゾかキュウセンか?



坊ちゃんは、横文字の外国名を並べて悦に入ってる嫌なヤツ二人を皮肉ったり、冷ややかな目で見てるけど、

これらすべては・・夏目漱石さん自身が日ごろから親しんだものでもあり、仲間うちで話していたことなんだろう。

明治時代のアーティスとや文壇人は、今とはくらべものにならないほど教養も高かったという。



そういえば、文中で、坊ちゃんはこんなことを言ってたなあ。
    ↓
赤シャツは時々『帝国文学』とかいう真赤な雜誌を学校へ持って来てありがたそうに銃んでいる。
山嵐に聞いて見たら、赤シャッの片仮名はみんなあの雜誌から出るんだそうだ。『帝国文学』も罪な雜誌だ。


帝国文学とは、実際に、東京帝大文科の機関誌で、漱石も執筆している雑誌だ!
その『帝国文学』を、あえて登場させてに皮肉ってみせるところが、漱石さんらしいのかもなあ。


そのほか、

伊万里焼
海屋(かいおく)の書画
・・貫名菘翁

な~んて、さりげなく日本のアートも盛り込まれてる。



さらに、食べ物についてまで(笑)

坊ちゃんは、・蕎麦好き、団子好き
ま、それで・・学校で問題になるんだけどね~。

酒飲みではないくせに、マグロの刺身とかまぼこのつけ焼きが好き



送別会のとき、街一番の料亭で出された料理に文句をつけるシーンがあった。

口取に蒲鉾はついてるが、どす黒くて竹輪の出来損できそこないである。刺身も並んでるが、厚くって鮪の切り身を生で食うと同じ事だ。それでも隣となり近所の連中はむしゃむしゃ旨うまそうに食っている。大方江戸前の料理を食った事がないんだろう。




ここでまた、父を思い出した。

「いやあ、田舎の刺身はまずくって食えないよ。
いくら新鮮だからといっても・・あんなに分厚く切られたんじゃ、魚は生臭くって叶わない。
寿司だって、シャリとネタのバランスで食わせるものなんだ。
デカければ得した気分で旨い!と思い込むのは、下品な田舎者だ!」



「まあ、いいじゃありませんか。
田舎者だろうが何だろうが、人の好みに文句をつけるなんてあなたの偏見だって嫌われますよ。」
・・と、母がとりなしたもんだ。


実際、田舎者の母は、そう言って父を諫めたものだ(笑)

父は、そんな奴らに嫌われたってかまわん! 望むところだ!・・と、いつも言ってたけど(笑)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あ~、いったい、私の夢と夏目漱石の坊ちゃんとは、どう結びつくんだ~!!

さっぱりわからなくなった。。。


あの夢、たしかに、タイムスリップした松山で、坊ちゃんの世界だったような気はするけど・・

それが意味するものは?

もういちど、夏目漱石でも読め!という私の守護霊様のメッセージだったのか?

それとも、父親の事を思い出せ!なのか?

それとも、坊ちゃんのようにまっすぐに生き抜け!というメッセージなのか?

それとも、坊ちゃんのような男でもみつけろ!というメッセージなのか?(←今さら、そりゃない!)


そもそも、意味なんか何~もなくって、ただ、そんな夢を見ただけってことかもしれない。


ただ・・今、無性に、マグロの刺身かカツオのタタキが食べたくなった。

あ~、かまぼこも食べたいよ~。(←実はかまぼこが大好きなのだ。)


残念ながら、こういったものは、ロサンゼルス界隈では食べられない。

あるにはあるんだけど・・・あの松山の料亭よりひどい味のものばかりだから。

かまぼこに至っては、日系スーパーに
行けばいくらでも買えるんだけど、添加物だらけのものしかない。


ああああああああ!

食べられない思うと無性に食べたくなる。

やっぱ、ダメ元でもいいから、日系スーパーでも覗きにいってみよう。。。


結局、私の夢は・・これだけだったのかな~。

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gingetsu2010

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ネイティブインディアンのホピ族を中心としたオーバーレイの銀製品を中心に、銀月の好みで集めてしまった逸品揃いですよ~(^^)v
☆ホピ族は、まさに、スピリチュアルな生き方を貫いてきた人々。
銀月のWEB、「ホピ族の話」をまずは、じっくり、ご覧ください。


Alizona*銀の月*の↓のURLから、お入りください。
http://sedona10silvermoon.web.fc2.com/index.html"