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アーティスの条件:心にゆとりがあること?

アーティストになる条件って何だと思う?

そんな質問をされた。


さて、どう答えたらいいんだろう?


人によって「アーティスト」の定義が違うわけだし・・

その前に、アート(芸術)にたいする定義だって違うだろうし・・


質問者の目的はどこにあるんだろう?

大きく2つに分けると、

1.アーティストと呼ばれる職業について成功すること

2.自分の内的世界を表現して創り出し、それを人々に伝えること




ところが、両方を望む人が多い(笑)
    ↓
自分の内的世界を表現して創り出し、それを人々に伝えることで、アーティストとして成功を収めて金持ちになれること

まあ、当然といえば当然だよなあ、誰だって、そうありたいと思う。



もしも、1だけであれば、答えはいたって簡単。

アーティストは社会の動静に敏感であること。

社会の時流を知ることだ。 

今何が求められていて、今後どういった傾向が受け入れられるか?
何が「新しいもの」として受け入れられるか?

一番大事なことは、現代社会に受け入れられるか?ってことに尽きる。
さらに、多くの人が「斬新なもの」として飛びつくものであること。


たとえば、LINEのステッカー・クリエイターをやってた人が大儲けしたって話を聞いたことがある。

こうゆうやつね
    ↓
20150606091745.jpg

見事に時流を知り、ニーズを知り、それを提供したんだから・・・そりゃ、大儲けできる。
立派な着眼点だ。

これだって、立派なクリエイター、これだってアーティストだ。


あ、だからといって・・今からLINEのステッカー・クリエイターを専門にやろうとしても、もう、商売にはならないそうだよ。
趣味ならいいけど・・。

流行というものは、目まぐるしく変わりゆくものなのだ。



じゃあ、2 :自分の内的世界を表現して創り出し、それを人々に伝えることを目指す場合は?

うーーん、これは、なかなか難しい。。。


そうだなあ・・・心にゆとりを持つことが第一条件かもしれないなあ。


日々バリバリ働いて月々の請求書を支払い、家事をして、あー今日もつかれた!と、TVを見て寝ちゃうだけの生活だったら、おそらく無理。

いや、これは決して、平凡な日常生活が悪い!ということを言ってるわけではない。


リッチで非凡な生活であろうが、毎日同じことを繰り返すしかない庶民生活であろうが・・

問題は、そこに感動があるかどうか?だろう。



若いころの私は、花を貰うと、ああ、きれいだね~ありがとう!と、一瞬思うものの、それ以上でもそれ以下でもなかった。

でも今は、毎日眺めて、ほおっとため息をつくほどだ(笑)

最近貰った花
   ↓
101331pz.jpg

新しく開いていく花、しぼんでいく花の1つ1つを観察して楽しむこともできるし・・

朝日に当たったときの色、夜の薄闇に浮かぶ花・・・それぞれ違う。

そんな発見をしたことさえも、感動なのだ。



また、ある友人はこんなことを言った。

「昔は、食べものなんて、ただ空腹を満たせばいいだけのものだと思ってたし、そりゃあ、美味しい!とかマズイ!って感覚はあったけど、ただ、それだけだったんだ。

ところが、この間、田舎に行ったとき、そこで、ばあちゃんが作ってくれた焼きおにぎりを食べたときにね・・・あまりの美味しさに衝撃を受けたんだ。食べ物で感動するなんてヘンな話だよな~。」


いやいや、ヘンじゃないよ~!!

10021536_PW36.jpg

どんなことにおいても、感動できるかどうか?それがカギかもしれない。

貰った花にも食事にも。
 
真夏の朝日、雨の匂い、風が運ぶ金木犀の香り、虫を凝視するネコの目、赤ちゃんのほっぺた・・・こんなことは、いくらでも日常の中に転がってるものだ。

それこそ、古人が花鳥風月にも感動できたように。



わざわざ感動を求めて、パリのルーブル美術館を訪れても、システィーナ礼拝堂を見に行ったとしても・・・感動する人はするし、しない人はしないものだ。


「あー、でっかい建物だよな~、絵がいっぱいあるんだなあ~。
名画ってのは、さぞ高いんだろうなあ。」
・・・で終わってしまう人だっている。(笑)

これじゃあ、本人だって・・充実感は感じないだろうし、楽しくもないだろう。

その違いが、心のゆとりでは、ないかな?



心にゆとりがなくなると、感動することもなくなってくる。
仕事中心の生活になってしまい・・それ以外のことはどーでも良くなってしまってる、いわゆる、仕事人間には多いらしい。


そう、アーティストの基本は、カネもうけ以外のことでも、感動できることだ。


次に、それを表現できること。

画家なら絵筆を使い、音楽家なら音を使い、演奏家ならば楽器を使い、作家ならば言葉を使って・・って具合に。

もちろん、ここからは技術の習得、スキルを磨くことが要求されることになる。

表現することの基本は、できるだけリアルに忠実に。・・・つまり、写実能力を高めること。

画家であれば、まずは、デッサン
これが基本中の基本と言われている。



たとえば、ピカソ

シュールレアリスムとかって言ったってさあ、ただの子供の落書きにしか見えないじゃんか!・・なーんていう人もいるけど・・


これは、ピカソが8歳のときに書いたデッサンだそうだ。
   ↓
20110114_1569408.jpg
http://ega.egashibu.net/?eid=968951

ちゃーんと写実的に描けば、すでに8歳でこの域にまで達してたのだ。



一般人というものは、写実的なもの、つまり、リアルに、まるで本物がそこにあるかのように描かれたり、作られるとき、感動する。
感動のメカニズムの基本も、たぶん「写実」にあるのかもしれない



そして、アーティストを育てるためには、写実こそが基本スキルとして第一に要求されるものらしいのだ。

画家はデッサンだし、演奏家ならば、まず楽譜に忠実に演奏できることが要求される。

作家は?  

うーーん、作家の練習ってなんだろう?

当然言葉を知ってなきゃならないわけだし、多くの本を読むことは必須だろうけど・・写実のスキルアップとなると、何だろう?


その一つとして、ある人によればだけど・・多くの絵画を見て、それを言葉で伝える練習が良いとのこと。


たとえば、この絵を見て、あなただったら、どのように言葉で伝える?
   ↓
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ラファエロ・サンツィオ作『大公の聖母』


キリストを抱きかかえる聖母の姿が、昏冥の闇を背景に、やわらかな光を受けて浮かび上がっている。
緋色の肌衣に藍鼠色のローブを羽織った聖母マリア。
その左腕にあずけられた幼きキリストの聖体は、わずかばかりの薄絹が胴に巻かれているばかりで、それ以外は何も身に着けておらず、右手は聖母の左肩に置かれ、左手はゆるやかに彼女の御胸(みむね)に添えられている。
キリストの玉顔は、聖母にひたと抱(いだ)かれる聖体とは逆に正面を向き、視線はやや下方に向けられ、すでに迷える子羊を導く者としての、優しく、それでいて力強い意志をその瞳に漲らせている。

しかし、何よりも目を奪われるのは、聖母マリアの、その慈悲に満ちたる顔(かんばせ)だった。
薄いヴェールが垂れるまろやかな額は蛾眉を越えて窪み、その伏した眶(まかぶら)の仄見える眼差しは、ただ静かに慈愛を湛え、どこまでも深く沈んでいる。
滑らかにつづく鼻梁の先、幽かに引き上げられた唇の端は、微笑にいたる寸前でまどろみ、ややしもぶくれた頬と顎の縁に薄い翳が刷かれて、たおやかな輪郭をなしている。
聖母の御(おん)右手は幼子の脇腹を、その胴に巻かれた薄絹よりもやわらかに覆(おおう)ていた。

神の恩寵の証(あかし)として、金糸の如く精緻な光輪がこの聖母子の頭上を彩り、とりわけ幼子の光輪の円の中にほどこされた十字の文様が、完全なる人、神の子のみに許された贖罪の誉れにきらめいている。
『文章デッサン』 描写力と審美眼の鍛え方、より




これを、私の知人に表現してもらうと、こーんなふうになった。
    ↓


黒いバッグが背景になってて、女の人が赤ちゃんを抱いてる絵。
女の人は、まだ20代前半かそれよりも若いかもしれない。細面で整った顔をしてる。

薄いエンジ色のスクエアネックの服にブルーグレーのローブを羽織ってる。
両方とも黒い縁取りのついた服で、レトロのフォークロア系のロングワンピ。 素材は薄手のウール素材のようにも見える。
伏し目がちにしてる。

赤ちゃんは、なんだか、かなりデカくて、ぶーーとしたほっぺたしてる。
お腹のところに、淡いベージュのシフォンのスカーフを巻き付けてるだけで裸。
あんまり、子供っぽくない顔で、どっちかというと大人顔。 目つきが悪くて、かわいくない。

色のコントラストは、なかなかステキ。
インパクトの強い黒の中に、ちらっとみえるシックで落ち着いた赤を中心に、ブルーグレー、いずれもブラックの縁取り
そして、おおっきめの赤ちゃんの肌の色で、全体が暗くならないカンジに仕上がってる。

二人の頭の上には、丸い輪っかがうっすら見えるから、これって、聖母マリアかなんかの絵なのだろうか?



まず、着眼点がまったく違うのがよくわかる。

この知人は、自称認める、おバカキャラだそうで・・絵の知識も文章力もゼロ!と自慢してる人なのだ。

ところが、デザイナー志望で、色や形については、強い関心を示す人でもある。


お互いにどこに感動したか?ってポイントがまず違ってる。

もういちど、その部分だけを抜き出すと・・

何よりも目を奪われるのは、聖母マリアの、その慈悲に満ちたる顔(かんばせ)だった。
薄いヴェールが垂れるまろやかな額は蛾眉を越えて窪み、その伏した眶(まかぶら)の仄見える眼差しは、ただ静かに慈愛を湛え、どこまでも深く沈んでいる。



色のコントラストは、なかなかステキ。
インパクトの強い黒の中に、ちらっとみえるシックで落ち着いた赤を中心に、ブルーグレー、いずれもブラックの縁取り
そして、おおっきめの赤ちゃんの肌の色で、全体が暗くならないカンジに仕上がってる。



ま、どっちでもいい(笑)

まずは、それぞれに感動をみつけることなのだ。

そして、もしも作家としてのスキルを磨くならば、それを写実的に言葉にできるような繰り返し練習が必須になってくるってことだろう。

言い換えれば・・作家もまた多くのジャンルの違ったアートに触れなければならないってことになる。



基本は写実のスキルありき。

見事なデッサン力があって、ピカソもこんな絵を描くようになった。
    ↓
3dancers.jpg


このポーズは、キリストの磔の姿。
さらに、右上の横顔の影は、ピカソの友人Ramon Pichotといわれている。
そもそも、その友人の死を追悼するために描かれたらしく、死のイメージが色濃く出ている作品といわれているそうだ。


写実でない作品は、素人にはうまい絵かどうかさえ、わからないことが多い。


「こういったものはね、素人には理解できないものなんだよ。」と、偉そうに言う自称プロもいるけど・・

素人かどうかの違いは・・・知識があるかの違いではなく、やっぱり、心のゆとりではないだろうか?

心にゆとりがあれば、観察眼だって生まれてくる。

何かにはっと気がつけば、感動が生まれる。



この絵、Three dancers、3人のダンサーは、右に黒い影、左にぽっかり黒い穴のあいた原型さえとどめないパーツになってる人。
その二人ががっしりと手をつなぎ、真ん中に磔ポーズの人。
それぞれが、手を結びあってる。
影のような黒を基調に、ぽっかり空いた窓の空色、中央の紫に色褪せたような赤

やれやれ。

私も、絵を文章で表現することは苦手だなあ。
実に文章力がないと思う(笑)


それに、別段ピカソが好きってわけじゃないんだけど・・
なぜか、この絵には惹かれるものがある。

色使いにしても、一つ一つのパーツにしても、引き込まれていくものがある。

縦型の目のモチーフみたいなものがいくつもあったり、斜めストライプのモチーフ・・・実に興味深い。

根本に流れるものは、リアルな死や悲哀なのかもしれないけど・・・そういったものさえも薄絹で包んで、それを第三者的に眺めてるよーな・・なんか、そんなイメージになるところが好きなのだ。

直接的ではないからこそ、じーんと伝わってくるような死と悲哀のイメージが印象的なのかなあ?


この私の好きな感覚は、シュルレアリスムでしか表現されないものなのかもしれない。
だからこそ、写実手法を使わなかったんだろうか?


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

アーティストになる条件って聞かれたけど・・別にアーティストにならないにしても、アーティストになる条件は必要なのかもしれない。

なぜなら、その条件を持ってない人にはアートは伝わらのかもしれないから。

「なーんだ。子供の落書きみたいだ!」で終わってしまうってのは、つまり、そうゆうことか~?(笑)



わかるってことは、感動できるかどうか!

知識や技法を学んでいるかどうかよりも先に、まず、そこだろう!と思う。
(ただし、これは鑑賞者の場合ね。アーティストはスキル必要なんだから・・)


それには、何度も言うけど・・心にゆとりがあるかどうかで決まるように思えてならない。


どうせ、生きてるなら、ちょっとでも感動できた方が幸せだし、なによりも、平凡な人生でさえ、メリハリがあって楽しいのだ~♪

それを提供してくれるのがアーティストなんだと思う。


ただし、

私のアートの定義は、「長い年月を超えても色褪せない感動」を提供してくれるものに限られている。

この際、時代とともに消えてしまうものは、アートに加えないことにしてる(笑)



ゴッホ
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ゴーギャンも、
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モジリアーニも、
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ほとんど生きてる間には売れなかったという。

石川啄木なんて、
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ビンボーの中で若死にしちゃった人だ。


自分の感性が、その時代に受け入れられなければ、それで食ってくことは出来ないのだ。

世の中は残酷なものだ。


じゃあ、やっぱり・・社会の時流に受け入れられるものを作る?

たとえ、それがすぐに消えてしまう作品だったとしても、どんどん作り続けて現生をたくましく生き抜くか?


それもアリだ。

それで満足ならば、それが、その人にとっては正しい選択になる。



さて、ビンボーのまま死んじゃったアーティストたち、ゴッホ、ゴーギャン、、モジリアーニ、石川啄木は、浮かばれない人たちなんだろうか?

不幸だったのか、それでも幸せだったのか?

ビンボー=不幸=浮かばれない という図式は、こりゃまた、いかにも、杓子定規な考え方だ。


それこそ、心にゆとりが無い人の思考回路になってしまうかもしれない(笑)

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アリゾナ州セドナにて、アクセサリー工房Alizona*銀の月*をオープンしてる銀月です!

日々の生活や体験の中から、社会のこと、スピリチュアルなことなど・・思いつくままに書きつらねてます。

皆様にも「スピリチャアルの意味」「生きる意味」を感じて頂けたら、幸いです!☆

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