ラスベガス襲撃事件からカミュの異邦人を思い出した日

ラスベガスの銃乱射事件から1週間が経った。

最初ニュースで、60人近くの人が死亡、500人余りが負傷、しかも犯人は初老の男の単独犯
というのを聞いて、


ええ? そんなばかな~。
自動小銃で、たった一人で、そんな短時間で? そんな多くの人たちを??


これは、単に私が感じたことに過ぎない。
当然、私は銃においても犯罪捜査においても、まったくのド素人だ。

それでも、ぬぐえない違和感があった。


こうゆう武器を使ったわけじゃなさそうだし・・
    ↓
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しかも、犯人の男は軍隊経験無し。
フツウの初老のおじさん。

小金持ちで酒とギャンブル好き、アジア系女性の恋人を持ってる人。

あ~あ、いかにも、典型的なアメリカのおっさんタイプだよなあ(笑)・・・と、つい、苦笑がこぼれてしまうようなタイプ。
そんなふうに、思ってしまうのは私だけかもしれないけど・・

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http://httpjournalsaolcomjenjer6steph.blogspot.com/2017/10/blame-game-steven-paddock.html

もしも、こうゆう人だったら、いかにも出来そうだけどね(笑)
     ↓
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もちろん、これはシュワちゃんの映画のシーンからだ(笑)

派手なアクション映画ならば、一人のヒーローが、バッタバッタと短時間で悪党どもをやっつけるのが常~


ところが、現実にこんな乱射事件を起こせるものなんだろうか?

なんとも言えない違和感が残る。


たぶん、私同様に違和感を覚えた人たちも多かったのだろう。
10月1日の当日にも、これは偽旗事件ではないか?という内容の記事がブログやYoutubeにもアップされていたから。

偽旗作戦(にせはたさくせん、false flag)とは、あたかも他の存在によって実施されているように見せかける、政府、法人、あるいはその他の団体が行う秘密作戦である。 平たく言えば、敵になりすまして行動し、結果の責任を相手側になすりつける行為である。



●なぜ、32階のマンダレイ ベイホテルのスイートルームに多数のマジンガンを持ち込めたのか?
相当重いし、かさばるだろうし・・マンダレイ ベイのセキュリティーがそんなにいい加減とは思えないし・・。

●しかも、銃撃目的には不自然にデカい窓の穴

●10階や4階からの旋光があったという目撃証言もあり

●特殊訓練を受けている者でさえ、これは前代未聞の殺傷率


このような理由から、偽旗事件、陰謀論に発展したんだと思う。

さらに、日を追って、さまざまな目撃証言があり、さらに、ベラージオホテルでも、弾丸が撃ち込まれホテルのロビーはパニック状態だったという目撃証言まで出てきている。


ところが、不思議なことに大手ニュースではほとんど記事として取り上げられていないようだし、私の素朴な疑問に対する答えさえもみつからない。

なんだか、謎のままにされて、事件はそのうちフェイドアウトで打ち切りにされてしまうんだろうか?

どう考えたって、おかしい!



そういった事件は、過去にもいっぱいあって・・
古くは、ケネディー暗殺事件、ジョン・レノン殺人事件、有名な9-11のテロ、ボストンマラソンのテロなどなど。


特別、陰謀論なんかに興味を持たない一般アメリカ人たちでさえ、これって、おかしいよね!と思ってる人は多いのだ。


しかし・・・なんだか変だ!真相はきっと別にある!と多くの人が感じていたとしても、誰にも真相を探り出すための調査なんか出来るわけがない。

もしも、それが真にフォルスフラッグ(偽旗)であれば、どこかの権力によって妨害されてしまうだろうから。

あ、だからこそ、陰謀論と呼ぶしかないんだろうけどね~。


・・・・・・・・・・・・・・・・・

私がこのラスベガス銃撃事件が気になってしまう理由のひとつとして、

ラスベガスは私の住まいからも比較的近いため頻繁に行ってる場所でもあり、マンダレイ ベイホテルでかつて知人が働いていたこともあるし、ベラージオにも何度か訪れている。

このホテルは、ウチから行くときにフリーウェイを降りて真っ先に目に飛び込んでくるホテルだ。

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その光景が、どうしても身近に感じてしまうので、よけい気になってしまうのだろう。

さらに、

このホテルの34階からコンサート会場までの距離は最短距離にしても304メートルもあるというのを聞いて・・
さらに違和感が況してしまったのだ。


昔、ニューヨークにいた頃、一度だけ射撃場でレッスンを受けたことがあった。

その教官が言っていたことを思い出す。

その教官は元軍隊か警察上がりだという初老の男だった。

「射撃というものは、かなり訓練をつまないと、命中するものじゃありませんよ。
よっぽどの至近距離から撃つなら当たるでしょうが・・
高性能の銃であっても、飛距離を出せるということは、射撃手の腕によるところが大きいんですよ。」

「それじゃあ、改造銃にして、より命中しやすくするってことはできるんですか?」

と、私はバカな質問をした。

「あはは・・お嬢ちゃんは、アクション映画が好きなのかい?(←初老の男から、お嬢ちゃん呼ばわりされた)
まあ、不可能じゃないだろうけど、それには、銃器の扱い方や知識を相当熟知していないとね。
最近の銃はね、プロでも改造するのは難しいよ。」


白髪混じりの教官は、おそらく、この事件の容疑者と同じような年恰好だったと思う。

が、明らかに、この教官と容疑者のおっさんとでは、発散されるオーラというものが明らかに違って感じられる。



あるニュース記事によると、容疑者のスティーブン・パドックさんの父親には凶悪犯としての犯罪歴があったと・・と書かれていた。


だから、息子の彼にも凶悪犯の血が流れている →シロウトであっても銃撃事件を起こすことが可能なのだ!


と・・読者の心理を誘導するための記事なんだろうか?

それとも、単にこの記事を書いた記者が、こういった思考回路を持っている人だったんだろうか?



いずれにしても、こういった思考は、偏見というだけでなく真実を遠ざけてしまう足枷となる。

よく、日本のニュースでも言われているフレーズだけど・・

犯人が逮捕されたあと、

反省の色が見えなかった
謝罪がなかった
誠意を示さなかった


というのを耳にすることがある。

そもそも逮捕されたからといって、いきなり、自分の行動を悔いて反省するなんてことの方が稀なんじゃないかな?

ちっ、捕まっちまったぜ!
しくじったなあ・・
って、反省なら、ありえるだろうけど。


むしろ、逮捕直後に被害者や世間に対する反省の色を示したとしたら、そりゃ、少しでも陪審員の印象をよくするための演技と疑う方が私には犯人の心理として自然だろうなあ、と思ってしまう。


それでも、メディアも視聴者も、そんな反省の色でも示してさえくれれば、いちおう満足なんだろうか?


俺はやったことに後悔なんかしてねーぜ!と言い放って悪党として死刑になってしまう犯人の方が、ある意味、潔いのかもしれないよなあ。

ふと、そんなことを思ったりもする。

・・・・・・・・・・・・・・・

なんだか、ラスベガス銃乱射事件から、そんなことを考えていたら、はるか昔に読んだ小説をいきなり思い出してしまった。

カミュの異邦人
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私が高校生の頃に読んだ小説で、ティーンエイジャーだった私の心を鷲づかみにした小説のひとつだった。

それから、アルベール・カミュという作家に興味を持って読みふけった記憶がある(←遠い昔の記憶だけど)
もちろん、原語のフランス語では読めないんで、翻訳で読んでたんだけどね。


それ以降は、とくに愛読書ってわけでもなかったんだけど、なんだって今、こんなものを思い出してしまったんだろう?



あらすじをざっと述べるとこんな話(ウィキから)
     ↓

アルジェリアのアルジェに暮らす主人公ムルソーの元に、母の死を知らせる電報が、養老院から届く。
母の葬式のために養老院を訪れたムルソーは、涙を流すどころか、特に感情を示さなかった。
葬式の翌日、たまたま出会った旧知の女性と情事にふけるなど普段と変わらない生活を送るが、ある日、友人レエモンのトラブルに巻き込まれ、アラブ人を射殺してしまう。
ムルソーは逮捕され、裁判にかけられることになった。裁判では、母親が死んでからの普段と変わらない行動を問題視され、人間味のかけらもない冷酷な人間であると糾弾される。裁判の最後では、殺人の動機を「太陽が眩しかったから」と述べた。
死刑を宣告されたムルソーは、懺悔を促す司祭を監獄から追い出し、死刑の際に人々から罵声を浴びせられることを人生最後の希望にする。



こうやってあらすじだけを並べると、なんだこりゃ!ってストーリーだよねえ~(笑)


当時は、カミュを不条理文学だとか、サルトルやマルローなんかの実存主義がどうしたこうしたとか・・
哲学的思想がどうとか・・まあ、いろいろと言われていた時代で、多くの評論も出回っていたくらいの有名小説だったように思う。


ただ、当時の私が感じたことは、

もしも、主人公ムルソーが、母の死に大いに打ちひしがれて涙を見せていて、
しかも、自分は友人を助けようとしていたこと、アラブ人が先に凶器を持って襲ってきたこと・・などを裁判で申し立てていたら、ひょっとしたら、罪は軽減されたか・・または、無罪放免になってたかもしれない。

なのに、ムルソーは、自分が有利になることを主張せず、殺害理由を聞かれたときに、 
ただ、「太陽が眩しかったせい!」と言っただけで、死んでいく。



その部分だったのだ。


裁判というのは、常識の世界だ。
でっち上げだろうが、無理やりだろうが、陪審員&裁判官を納得させるだけの因果関係を示すことが要求される世界。

しかし、彼はあえて、それをしない。

また、一番彼の印象を悪くしてしまったことは、母が死んだ日に淡々とした様子で、涙さえ流さなかったこと。
その日に、女と情事にふけるなんて、とんでもないことなのだ。

常識では、「母の死に打ちひしがれて涙を流し、消沈して家に籠っていること」が要求されるのだろう(笑)


しかし、

人によって悲しみの対処の仕方は違うものだ。


哀しみのあまり葬式にも参列せずに、一人旅に出てしまうような人も知ってるし、また、葬儀の場で、「父親の位牌をめがけて焼香の灰を思いっきりブチ撒いた」人もいたっけ。(←おっと、これは織田信長が18歳だったときの話だった。。)
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http://www.izumishobo.co.jp/onlinebook/c02_denki/nobunaga/nobunaga1.html

または、悲しみを忘れようとするのか、大酒を飲んで破天荒に大暴れするか、遊びまくる人だっている。


私の遠い記憶が正しければ・・だけど、

ムルソーは、母親に深い愛情を感じていたと思う。
なんせ、いまだに、ママンと呼んでたくらいなんだから。。。

ま、そこは小説の見事な手法なんだろうけど、いっさいのムルソーの心情の説明は何もない。
ただ彼の行動だけを記してるだけ。

そこから読み手がいかに感じるか!・・・それだけなんだけどね~。


客観的にみれば、何があっても、ムルソーは表面上はいつも平常のまま、決して感情の迸りなんて見せるタイプではない。

なのに、唯一最後のシーンで、彼のブチ切れシーンが登場する。


死刑囚となったムルソーは、司祭は呼ばないでくれ!って言ってたのにもかかわらず・・「いやいや私はなんとしも彼を神の愛で救いたい」といって勝手に来ちゃった司祭がいたのだ。

信仰心の熱い熱血司祭さんだったんだろうけどね~

ムルソーは、「オマエのくそ説教なんかやめろ!」と叩き出したのだった。



当時の私、高校生の私の心の中には、

この世を生きるためには形だけでも世間の常識に従ってフリをし続けなければならない・・ということに対する苛立ちにも似た反発心


が、当時、大いにあった気がする。

1942年に刊行された小説なのに、なぜか現代に通じるものを身近に感じてしまったことは確かだった。


お葬式では涙を流すこと、
反省の色を示すこと、謝罪すること、
司祭のありがたいお説教を聞くこと、




これらは、「生き抜くためにしなければならないこと」なのだから。
それが常識ってものなのだから。


よっぽどの風雲児、信長さんにでもならない限り、常識破りは通用しないのだ。

ところが、ムルソーは、人々の嘲りや避難を受け止めて現実の死をもって完結させる。

高校生の私には、それが眩しく感じられたのだろう。

しかも、太陽が眩しかったから!なーんてセリフだけを残して死んでいくなんて・・カッコいい!

と・・・当時の私が感じたことを思い出す。(←一歩間違えば危険思想だったのかな?)



この作品、「異邦人」は、実際のところ賛否両論のようで、

思ってることを意思表示できないようなただのダメ男の物語じゃないか!って受け止める人もいたり、
こんな常識破れはいけない!という常識人もいたり、

または、当時は、これこそ不条理を表現した哲学的思想を含んだ最高傑作という人もいたりしたものだ。


結局のところ、カミュは、ノーベル文学賞を受賞している。

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それだけで、「理解できない、または認めない」常識人でさえも、認めざるを得ない小説になってるのかもしれない。


ビッグタイトルをゲットするか、天下統一を果たす権力者になれば、世間というものは理解できないながらも認めてしまう
・・・そんなものなのかもしれない。

それだけのものなのかもしれない。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ところで、なんでまた、はるか昔に読んだ、異邦人を思いだしたんだろう?

今回のラスベガス襲撃事件と、なにかが繋がっているような感覚で思い出してしまってる。

うーーん。

どうみたって、主人公のムルソーと、容疑者のアメリカのおっさんとは結び付かないのは確かなんだけどなあ(笑)
当然、フランス人のインテリ、アルベール・カミュとも、絶~対に結びつかない!!



余談だけど・・・

カミュは、ノーベル文学賞を受賞して2年後だったかに自動車事故で死亡している。
事故死とされているけど、これまた、実は暗殺されたという陰謀論もある。


いずれにしても、事実を知るのは本人のみ。
何事も、容疑者死亡では調査のしようもないだろう。


カミュの、どの小説の中だったか忘れてしまったけど、さらに思い出した言葉がある。

人間の奥底には生きる意味を「死に物狂い」で知りたがる願望が激しく鳴り響いている。

最後の審判なんて待たなくていい。
それは毎日やって来ているのだから。


もういちど、異邦人を、今度はフランス語の原文でちゃんと読んでみることができれば、何か発見があるのかもしれない。
たぶん、無理だろうけど・・

ただ、なんだかわからん、もどかしさだけが残っている。

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