「千の風になって」とパブロ・ネルーダの詩の世界から

千の風になってという曲を前回の記事、先祖と前世とアイデンティティ(きのうの続きから)の中でアップしたのだけど、

この曲の歌詞に対することで論争があったということを耳にした。

donot.jpg



私はお墓の中にいません。 お墓の前で泣かないでください・・・って箇所が問題らしい(笑)

◆だから・・お墓なんて建てる必要がないんだ

◆じょーだんじゃない! 我々文化に置いてお墓は必要だ

    ↓

「この歌詞は石塔(墓)を立てて、盆や彼岸にそれに参る、われわれの葬礼習俗への挑戦ともいえるもの」
「東日本大震災後の遺体捜索を見れば、遺体によって親族の死を確認し火葬骨を墓に納めたいという遺族の強烈な願いと行政がそれを無視できないことが露わにされている。 (ウィキより引用)



あーあ、なんで・・こーなっちゃうんだろうね~。

やれやれ。

お墓を建ててお墓詣りをするもよし、またはお墓を作らない方法で個人を偲ぶもよし・・それで、いーんじゃないのかなあ、なんで論争になる?


ましては、こういった曲の歌詞を論争の引き合いに出すってところが・・どうもなあ。

私はお墓の中にいません。
私は死んでいません。


それを・・
嘘やんけ!
死んでるやんけ!


と言い出したら、

お月様が笑ってる。
風がすすり泣いている。
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝(←こちらヨハネの福音書から)


こいったメタファーを全部、否定することになってしまう。(笑)

最近は、なんだか、ただ言葉尻をとらえただけで、あらさがしをして、そこを攻撃することが目的、みたいな論争も増えてる気がする。

双方が建設的な結論を導くための論争ではない気がする。

本筋から逸れてしまって、ちょっとした人の言い間違いだけをクローズアップして叩くとか・・(笑)



あ、そういえば・・


云々(うんぬん)を、でんでん・・・と読んだ人がいたとか(笑)

こちらに住んでると、そういった日本人は多くいるんで、私はあまり驚かない。
日系2世、3世の子供たち、または、長年アメリカに住んで日本語を忘れてきちゃったおじいちゃん、おばあちゃんなど。

そうゆう間違いを聞くと、なんだか私は・・かわゆい!って思えて、つい笑ってしまう。

ただし、彼らはとうぜん英語は堪能だし、それなりの教養はある人たちだ。
だからこそ、ちょっと子供っぽい日本語の間違いが、逆にかわいく思えてしまうのかもしれない。

しかし・・・

もしも、でんでんの間違いをしたのが、日本在住の人で大学出で、しかも、もしも(笑)、国家の首脳クラスの人で、しかも国会討論会の席であったとしたら・・・そりゃあ、当然、話は別。

そもそも、

自分の言葉で原稿を書いてない。
その場で読んだだけで内容を理解してない。

そんな人に国を任せていいんかい?


ってことになっちゃうから~。

・・・・・・・

そういえば、もう数年前のことだけど、私がアメリカに来てから体験した「言葉の間違い」事件もあったなあ・・・。


ある日系人のおじいさんから日本語の手紙のタイピングを頼まれたことがあったのだ。
原稿はすでに別の日本人女性にお願いして手書きで作ってもらっているという。
それを、タイピングして、ワードで添付して欲しいと頼まれたのだ。

それでその手書きの原稿に目を通したのだが・・・
どうしても、ある箇所が理解できない。

XXXXXXXXXX、XXXXXXXXXX
xxxxx、よめ、XXXを持ってきてください。

この、よめがわからん?のだ。

よめって、どうゆう意味だろう?
ただの書き間違い?


いくらそこに書いてあるからっていっても、自分で理解できないことをタイピングするわけにはいかない。

そこで、手書きの原稿を書いた日本人の方に聞いたのだ。

「あの、よめって何かの間違いですか? これ、削っちゃっていいの?」・・・と、私。

「何言ってるの! 削っちゃだめよ。」・・・と、その人。

その方は、中年の日本人女性で、日本語学校で国語の教師をしているという。

「あの、私・・よめって聞いたことがないんだけど、どうゆう意味ですか?」・・・と私。

「あら、あなたは、あまり本を読んだことがないのね。。。」と、彼女は軽蔑したような視線を私に向けながら続ける。

「本をいっぱい読んでる人ならわかると思うけどね、これは、よく使われる言葉なのよ。」


長年生きてきて、そんな日本語に出会ったことがなかった。
だけど・・日本語も英語も間違いだらけの私には自信がない(笑)

「そうなんですか~。 
ところで、どうゆう意味ですか? 次の文を強調するようなときに使う言葉ですか?」

「え?強調?、そうね・・・そういった意味も含まれると思うけど・・とにかく、頻繁に使われる言いまわしだと思ってちょうだい。
あなたも、もっと本を読んだ方がいいわよ。
うちに帰って調べてみるといいわ。 これはあなたの宿題ね。」


なんだか、上から目線で、完全に私を生徒扱いかよ。

まあ、とにかく解明しないとタイピングができない。
そこで色々と調べたのだ。

これは、どこぞの方言か?
彼女は、どこの出身だったっけ?
それとも、古語なのか?


ところが、
最終的に行き着いたのはこれだった。
   ↓

最近のゆとり世代と言われる人々は、漢字が読み間違いが多い。
予め(あらかじめ)を、よめ・・と読んだりする人も多い。



ええ??
予め(あらかじめ)のつもりだったの??


そもそも、強めの意味じゃないし~・・意味も知らずに使ってたんかよ!!

おまけに、よめとひらがなで書かれたんじゃ、わかるはずもない!

いやあ、まいった! まいった!(笑)


とにかく、
ある社会的立場にいる人は、自分の知らない言葉を思い込みで使ってはいけないのだ。

よめ、にしろ・・でんでんにしろ・・。


そうはいっても、私も人のことは言えない。
白状するけど・・私は、「引導を渡す」という言葉を、ずーーと「インロウを渡す」だと思い込んでいたのだ。

たぶん、最初に耳で聞いて、引導(インドウ)をインロウと聞き間違えて、勝手に印篭を渡すだと思っていたのだ。

ある日、何かの文章の中で、「引導を渡す」と書かれていて、はじめて、自分の長年の間違いに気がついたというわけだ。

もっとも高校生の頃だったけどね~(←十分、恥ずかしいだろ!)
そのせいか、いまだに引導を渡すという言葉をみつけると、つい、印篭が頭に浮かんでしまう。

inrou.jpg

それを友人に話したら、

「僕なんか、もっとすごいぞ! 常夏(とこなつ)の島って言うだろ? それをココナツの島だと、ずーーと思ってたんだ。
常夏って字を、ココナツと読むもんだとも思ってたぞ! しかも、二十歳過ぎまでだぞ!」

「そりゃ、すごい! キミには負けた。。。」(←そうゆうことかよ@!)


こういったおバカ自慢ができるのも、ただの庶民の庶民的な会話の場だから許されるんだけど・・・

それが、国語の先生って立場の公の場だったり、国会討論会じゃあ・・やはり、失格の烙印を押されてしまうだろうなあ。

・・・・・・・・・・・・・・

話が逸れてしまった!

千の風になって、の話に戻すことにしよう。

これは、もともとは曲ではなく、詩だったそうだ。

Do not stand at my grave and weepという、アメリカで生まれた詩だったという。

それもかなり古い。
1930年代に、ある主婦が友人のために書いた詩だったそうだ。

遠い異国のドイツに住む母が亡くなった知らせを聞いたものの、当時の反ユダヤ主義のドイツへ帰国することも出来ずに、嘆き悲しんでいた友人のために、メアリー・フライ(Mary Elizabeth Frye 1905 - 2004)という人が、茶色の紙袋に書き綴ったものを送ったのがはじめだった・・と言われている。

その詩が口コミで、どんどん広がり、公の葬儀のセレモニーでも朗読されるようになったとか。

実際に墓石に掘っちゃう人だって何人もいるくらい、多くの人に愛されている詩なのだ。
    ↓
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Do not stand at my grave and weep,
I am not there, I do not sleep.
I am in a thousand winds that blow,
I am the softly falling snow.
I am the gentle showers of rain,
I am the fields of ripening grain.
I am in the morning hush,
I am in the graceful rush
Of beautiful birds in circling flight,
I am the starshine of the night.
I am in the flowers that bloom,
I am in a quiet room.
I am in the birds that sing,
I am in each lovely thing.
Do not stand at my grave and cry,
I am not there. I do not die.



これがオリジナルの詩だとされているんだけど、日本語の訳詩もほとんど同じ。
      ↓

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風になって あの大きな空を 吹きわたっています

秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に 千の風になって あの大きな空を
吹きわたっています




メアリー・フライさんは友人を癒すため、追悼のためにこの詩を書いたので、著作権にこだわることもなかった。

そのため、多くの人々は自分の文体や言葉で好きなようにアレンジも出来たし、出版することもできた。
それが広く流通して知れ渡ることになったんだとか。

そして、ついに・・それが日本でも紹介されて曲もつけられて公の前で歌われることになった。

ということだ。

・・・・・・・・・・・

詩としての本来の在りようで広まっていった・・・つくづくそんな気がした。


以前のブログ記事、本を読むことから自分の中でリアルな映像化するの中で、

イル・ポスティーノという古い映画について書いたことがあった。
実在の詩人パブロ・ネルーダがナポリのカプリ島に滞在したという史実をもとにして作られた映画だ。

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以前のブログの中でも触れたのだが、

マリオという地元の郵便配達人が、パブロ・ネルーダ(有名なチリの詩人)と仲良くなって、彼の作品を勝手に使って最愛の恋人へ詩をプレゼントすると、

パブロがマリオにいう。

盗作はダメだよ!と諫めるパブロに、

今度はマリオが言う言葉。

「どうして? だって、たしかに詩は、最初にあなたが書いたものだ。 だけど、それに感動して、それを使ったものがいたら、それはもう、あなただけのものじゃなくなる。 それを一番必要としている人のものになるんじゃないのかな? 」

イタリア語だったんだけど、英語の字幕ではこう書かれていた。今でもよーく覚えているシーン。
Poetry doesn't belong to those who write it, but those who need it.



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いやあ、私たち凡人は、つい著作権で保護するとか、盗作だとか・・という視点で見てしまいがちだけど・・

本来のアートは、感動してそれを必要とする人すべてもものになることが本来の在りようかもしれない。

それこそ、まさにアーティスト冥利につきるってもんだろう。

とにかく・・この映画は私にとっては、インパクトの強い映画だった。



この「千の風になって」・・も、マリオの言葉どおり、感動した人々すべてのものになってるってことじゃないのかなあ。

自分のものにした人々は、それぞれに、ほんの少しずつ自分流にアレンジを加えて朗読し、ますます広まっていく。


日本に入ってきたとき、タイトルは「千の風になって」と変わった。

詩の3行目の、I am in a thousand winds that blow,から、「千の風になって」というタイトルにしたそうだ。

うん、たしかに・・原題よりも、洗練されたカンジになった。


そもそも、オリジナルは、メアリー・フライによって作られたらしい・・とは言われているものの、今となっては、それすら確実かどうかはわからないそうだ。
そこで、この詩は作者不明と表記されることが多いと聞く。

最初に誰が作ったか?

いや、そんなことは、どうでもいいのかも。


作者は自分の名前を残すことよりも、作品だけを残し多くの人を癒すことを望んだのだから。

実際に、アメリカで広まり、葬儀のときには、すべての宗派も超えてこの詩が朗読されることも多い。


なのに~

「この歌詞は石塔(墓)を立てて盆や彼岸にそれに参る、われわれの葬礼習俗への挑戦ともいえる」・・・なんて、捉え方をする人がいるとしたら・・それは、あまりにも気の毒な人。

感じる心は教養とはまったく関係がないように思える。



マリオが居酒屋の娘、ベアトリーチェの心を射止めて結婚式を挙げたとき、その席で立会人になった、パブロ・ネルーダがスピーチの代わりに自作の詩を暗唱してみせるシーンがある。

これが実に良い響き、実にいい詩。
イタリアの片田舎の寡黙で文字の読めない人々が、みんな下を向いてじっと聞き入っている。

感じることというのは、そういったことなんだと思う。


映画の中にも、いくつか実際のネルーダの詩が使われていた。

引用された有名なネルーダの詩 Walking around というのがあったが・・

人間であることにぼくはうんざりしている、
フエルト製の白鳥のように疲れていながら意地になっているだけ。
ぼくは散髪屋の臭い声をあげて泣く
ぼくの望みはただ一つ 石か羊毛のやすらぎ


一部だけを引用すると、こんな内容の詩だったはず・・

マリオが最初にこの詩をひどく気に入ってしまい、それを暗唱してみせてから、こう尋ねるシーンがあった。

「理髪店の臭いに声をあげて泣くというのは、どうゆう意味ですか」

ネルーダは答える。

「いいかね、マリオ。 君の読んだ詩を違う言葉で表現することはできないんだよ。
詩は説明しては意味がない。詩から直接、何かを感じ取ることが大切なんだ。
理解しようと思えば感じるはずだ」


pablo_neruda.jpg
こちらが本物のパブロ・ネルーダ↑

チリの国民的詩人、ノーベル文学賞を受賞した詩人でもあり、メタファーの達人と言われた人
バスク系チリ人
(←なぜかバスク系は、私の憧れ)
そして外交官で政治家


最後は暗殺されたという噂もあり不幸な死を遂げた人だったけど・・・

世界はメタファーで満ちていることを知っていた詩人の一生は、やっぱり不幸だったとは思えないのだ。

詩は感じること

たぶん・・・詩だけではなく、すべては「感じること」が基本かも。

考える前に感じること

理路整然と説明できる人は賢い人と言われるけど・・

説明なんかできなくても、より深く感じられる人の方が豊かかもしれない。



暗い部分ばかりがクローズアップされる世の中だけど、
多くを感じることができれば、もっと、この世はステキなもので満ちているのかもしれない。

なんだか温かい気持ちでそんなことを思った。


あ、そうそう・・
もしも、イル・ポスティーノを見るとしたら、この映画に限っては、日本語吹き替え版はお勧めできない。
音の感覚が大事な役割を果たしているんで・・

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皆様にも「スピリチャアルの意味」「生きる意味」を感じて頂けたら、幸いです!☆

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