直観力、霊能力などを発揮させるには?

父が亡くなってから、母はマンションで一人暮らしをしている。
そんな母に、たまには電話でご機嫌伺いをすることにしている。

「料理するのを面倒がって、コンビニ食ばかり食べてない?」 と、私が聞くと、

「せっせと自分で買い物に行って料理してるわよ。でも、つい、いーぱい作り過ぎちゃうのよねえ。」と母。

「老人の一人暮らしで、そんなに作ってどーすんのよ。」

「パパの仏前に供えて、一緒に話しながら食事してるわよ。
まず、お供えして・・・少したったら、パパ、これ、もらうね!って言って、結局私が食べるんだけどね(笑)
それと、マンションの管理人さんにも持って行ってあげたりしてるわよ。」

「あ、そう。。。
結局、それって、少なくとも二人分食べてるってことじゃない?」


ここでちょっと不思議に思うことがある。

亡くなった父と二人で話ながら食事をしている?

霊の存在を信じてる人ならいざ知らず、母は完全なる現実主義者だ。
どうも・・・その姿がピンとこない。

父はもう、何年も前に亡くなっているわけだし・・。


仏前にお供えをしたりお線香をあげて手を合わせるってことは、日本人の習慣上、別段不思議なことではないが、
すでに亡くなっている故人と、毎日、会話するというのが、どうも母とは結びつかないのだ。

私の母を、ひとことで言うと、現実的でバイタリティー溢れる人。

精神世界だとかスピリチュアルだとかは、信じる信じないというよりも、まったく意を介さない。
母の世界は常に現実・・・現実をどうやって生きるか、どう行動するか?というのが彼女の世界だ。


その母が、現実にはすでにいなくなってしまった父と、いまだに一緒に食事しているというのが、どうも私には不思議な気がしてしまう。

まあ、母にもそんな一面もあったかと思うと、それはそれで微笑ましい気もしなくもないのだが・・。


超が付くほどの現実的な母は、もちろん、若いころから霊感はゼロだ。
まったく感じないし、一切見たこともないと言う。

「私に見えないってことは、いないってことよ! まあ、どーでもいいことよ!」
と、言っているくらいだ。

しかし・・・たった一度だけ、こんなことがあった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それも、ずいぶん昔のことだったけど、それは母が腰痛で1週間ほど入院していたときのことだった。

お見舞いに行ったとき、こんな話をしてくれた。

「そういえばね、昨夜、ちょっと不思議なことがあったのよ。
そこの窓の方から風が入ってきて、私のベッドの周りのカーテンが、ふわりと揺れた気がしたの。

それから、急に明るくなった気がして、誰かが覗きこんでる気がして、あ、看護婦さんが見回りにでも来たのかなあ~って思って寝てたんだけど、な~んか違うみたいなの。 

それで、今朝、看護婦さんに深夜、来ませんでした? って聞いたら、そんな時間にはナースコールで呼ばれない限り伺いませんよって言うのよ。
ヘンなことがあるもんねえ~。」

げ! だって、ここ3階だし・・・窓を閉め忘れれない限り外から風は入ってこないでしょ!」

「そういやあ、そうね~。 窓はいつも閉まってるわよ。」

「ちゃんと目をあけて見なかったの?」

「だって寝てたし~眠いし~、わざわざ目をあけてみようなんて思わなかったわね。」

「病院には幽霊がよく出るって言うじゃない。 きっと・・そういったものかもよ。」

「ふーーん、そーかもねえ~。 世の中不思議なこともあるもんよね~。」
(←ちーーとも怖がらない。。。)

おい! それで終わらせるんかよ!


これが、私の母の唯一のスピリチュアル体験談だ。

世の中不思議なこともあるもんよね~、で済んじゃう母のことだ。

彼女の中では、怖いとか気味が悪かった・・という感覚も無いようだ。
自分自身の現実に関わってこない限り、幽霊さんは通りすがりの通行人程度でしかないらしい。

今では、おそらく、この話ですら忘れてしまってる気がする(笑)


ただし、現実においては、母は恐ろしく直感が働く人だった。

「パパ、今おなかの具合が少し悪いでしょ!」

「アンタ、こっそりお菓子食べたでしょ!」

「学校で今日、誰かとケンカしたでしょ!」

「今は晴れてるけど、帰りには雨が降るから傘を持って行きなさい。」

「こっちのくじが当たってるわよ!」


こんなことが山ほどあった。
全部、大当たりなのだ・・・。
(ただし、くじ引きのときは自分が欲をかいたときは当たらなかったけどね~。)

私の父も、「ママは、すごくカンがいいからなあ。隠し事は出来ないよあ。」と、よく言っていたほどだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

母の話をすると、ホセはこんなことを言った。

「僕は、霊感も直感も同じようなものだと思うよ。」(←まさに、ホセの直感による発言)

そうかもしれない。

直感
直観
霊感
第六感


それに加えて、インスピレーションなんて言葉もある。

もちろん、それぞれの言葉には、それぞれの定義づけはあるだろう。

sixsense.png


第六感は、五感以外で感知するすべてのもの・・・つまり、予知能力や透視能力や霊感といったものを含む広義な意味で使われることが多いだろうし、

インスピレーションや直観は、脳にセーブされている過去の経験や記憶が知識となって即座に導きだされた結果(答え)を指す場合もあるし、または、まったくそういったものとは別の、(過去の経験や学びを含まない)本能に近いものであるとか、神(宇宙)からの声という説もある(笑)

こういった定義ってのは、けっこうめんどくさい。

じゃあ、いっそのこと、英語で置き換えてみようかとも思ったが、intuition, psychic, six senseなどを思い浮かべてみても、英語の言葉でさえケースバイケースで、結構ごっちゃに使われてることが多いように思う。

そもそも、心や観念的なことを表す単語というものは、日本語から外国語で単純に置き換えられるものでもないし、また、どっちの言語にしろ、定義づけすることは、あまり意味がないのかもしれない。


要は、

直感
直観
霊感
第六感
インスピレーション


なんでもいいんだけど・・これらが、
物事の本質を掴むということだ。
本質や真理を、それも、瞬時に掴んでしまう。

たとえば、初対面の相手と出会ったとき、通常では、相手を把握するにはそれなりの時間がかかる。
相手の言葉や態度や、相手の性格、得意なものなどを知っていく過程で、だんだん相手がわかってくる。

ところが、それが瞬時に見えてしまうことがある。
それが、直感(ここでは、すべて直感という言葉で統一しちゃうことにする。)が働いたということになる。

相手のたった一つか二つの言動から、「この人は、こんな人だろうな」という判断が出来てしまう。
または、言葉を発しない前に、会った瞬間に性質や傾向を掴んでしまう。

なぜ、そんなことがわかってしまうのか?

うーん、それは自分でもよくわからないのだ。

過去の経験上の学びから脳にさまざまなデータが蓄積されていて、無意識で頭の引き出しを開けることで即座に判断してるのかもしれない。
さらに、瞬時に、コンピューター解析よりも早い分析能力、想像力、観察力・・そういったものが総動員された結果かもしれない。
人間の直感力は、 スーパーコンピューターを超える

または、まったく脳に蓄積されたデータがなくても、それでもわかっちゃう!のかもしれない。
そうなると、まさに天から降りてきた・・・みたいなことになりそうだが、それもアリかもしれない(笑)

とにかく、わかっちゃうのだ!

それも、コアな部分が見えてしまうときがある。

人というものはそのときの気分によっても違うだろうし、また長い目でみれば、性格だって変っていくことだってあるだろう。
その人が機嫌が良いか悪いか、明るい性格、怒りっぽい性格などというのは、それは単なる状態でしかない。
直感でわかるのは、そういった状態がわかるということでなく、時に、もっと本質的なものが見えてしまうことがある。

状態はさまざま変化するけど、人の本質とか核となる部分というのは、一生を通じて変わらないものだと思うのだが・・
それが見えてしまうこともある。


  直感 Vs. 推理&論理的思考


直感とは逆に、推理や論理的な思考というものがある。


たとえば・・推理小説じゃないけど、誰かが殺人を犯したとする。

犯人は、さーーぱりわからない。

まず、アリバイがあるものから、どんどん消していって残った者から動機を調べデータ集めをして、推理を重ねてひとつに絞り込み、証拠を探して証明することで、はじめて犯人逮捕となる。

ところがここで、もしもサイコメトリー能力のある人がいれば(たとえば、サイキック捜査官がいたとして・・)、

一瞬のうちに、誰が、どのように殺人を犯したか、という光景が、彼にはぱっ~と見えてしまう。 
もう、それが疑いようの無い真実なのだ。

実に速い!

もっとも、そんなふうに犯人がわかったところで、現代の法では物的証拠と証明は必要だけどね。
それでも、犯人がわかっているところから動き出せば、事件の解決はかなり速いだろう。

速い。
物事の本質をつかむ。


おまけに、じーっくり考えに考え抜いた結論が間違っていて、最初に直感的に頭に浮かんだことが正解だったということはありがちな話だ。
長く考えた事よりも直感が正しい!ってことは往々にして起こる。

ということは、論理的思考よりも直感は勝っている?

いやいや、ちょっと待った!

ここで、ちょっと視点を変えてみよう。

直感と推理や論理的思考というのは一見、マ逆なもののように見える。
しかし、色々な人を見ていくと、ひょっとしたらある人々はその両方を使ってるんじゃんないだろうか。


ふと、そんなことに気がついた。

たとえば、ある科学者の話。
まず、突然、ぱっと閃きがあるという。
絶対、これは正しい!という、それはもう確信に近いものとしてやってくるそうだ。

さて、そこから・・・絶対正しい!ものを、どうやって証明して人々にわからせるか、というプロセスに入り、そこから研究していくのだという。
(たとえば、アインシュタインはこのタイプだったそうだ。)


さらに、ここでまた、さっきの殺人事件の例をあげると、

ある刑事さんには、刑事の勘というものが働くそうだ。(ドラマでも、よく聞くよね~、俺の長年の刑事の勘だ!ってシーン)

特にベテラン刑事さんは、ちらっと相手の顔を見ただけで、「ぜったいアイツが犯人だ!」という、刑事の勘が働く・・ことがあるそうだ。

keizi.jpg


たとえ、相手にアリバイがあったとしても・・刑事の勘は絶対なのだ(笑)
そうなると、しっかりターゲットに食らいつき、とうとうアリバイを崩しして証拠を掴む・・・なーんて話、ドラマにも登場するよね~。

おそらくは、ベテラン刑事ともなれば、長年の刑事の経験上から培われたものだろう。
膨大な頭の引き出しから、瞬時にデータを取り出してくるのかもしれない。

しかし、それだけかなあ?
それだけではないのかもしれない。

直感? または本来備わっている勘の良さ? (←同じことか・・)、それと過去データと、その両方が備わっているのかもしれない。

そうなると、サイキック捜査官とは言えないまでも、おそるべき直感(刑事の勘)が働いてるってことだ。


さらに、ここで羽生善治(プロ棋士)の話を思い出す。
彼の中終盤でみせる妙手は、まるで神がかり的で、信じられない手を指して大逆転してしまう、なーんて言われてた人だけど・・・

どんなに負けがこんでいても、ふと冷静になったときに、彼には突然のひらめきが降りてくるそうだ。
苦境に立てばたつほど、新しい技が出てくると聞いたことがある。

将棋の世界なんて、何手も先を読む、まさに、推理と論理性のようだけど・・・おそらく、それだけじゃないってことだろう。

そうやって見ていくと、優れた人には必ず直感がある。
そして論理性を、直感をバックアップするような形でサポートとして使っているのかもしれない。

それを、私たちは漠然と「生まれもった才能」と呼んでるんじゃないかな。
生まれ持った才能とは、直感のことかもしれない。

そうすると、

どんなに努力して勉強し論理性を身につけたところで、もしも直感が働かない人は、「ちょっと出来る人」止まりで終わってしまうのかも(笑)


・・・・・・・・・・・・・・

もっとも、そこまで何かを極めるところまでいかないまでも、直感を使えれば、ふだんの生活の上でも便利なことが多いはずだ。

初対面で紹介された人が、なーんか胡散臭いヤツだと思えば、後で、騙された!な~んてことになって大きなショックを受けることも無いだろうし、その前にさまざまな安全策を講じることもできる。

何かの選択を迫られたときでも、どっちを選ぶかも即座に決められるだろう。
また、ここの場所、なーんか嫌な気がする・・と思えば避けるだろうし、危険回避もできる。

私たちは無意識のうちに、すでにこういったことをやっているのかもしれないけどね~。


直感、どんどん使うべし!


ところが、残念ながら、最近は直観力が働かなくなってしまってる人が多いという。
大昔の人々の方が、はるかに、こういった能力は優れていたそうだ。


最近では、まったく直感が働かない人、または直感が働いたと思ったけど、それが間違ってた!という話も聞く。
そもそも直感が間違ってれば、それ・・もはや直感とは呼べない・・それってただの思いこみ?(笑)

なんでそうなっちゃう?

<直感が働かない理由>

ネガティブな状態になっているとき。
イライラしたり心配事があったり、強い雑念に心が占められてるときも働かない。
ストレスは大敵なのだ。

それは、私自身も覚えがあることだし、ふだんから直感力バリバリの母もまた、そういった状態のときはからっきしダメだった。

いくら前向きな気持ちであっても、絶対こうであって欲しい、こうなりたい!という欲望が強すぎるときもダメだ。

そこで、

<直観力を発揮させる方法>

●リラックスした状態、冷静、平常心
ニュートラルな状態、が一番の基本
のようだ。

常にニュートラルな状態を作り出せるようにするため、座禅やメディテーションをする人もいる。
たしかに効果はありそう・・(私はやってないけど(笑)


そして、もうひとつ。
●日頃の食べもの

え? 食べ物なんて関係あるの?と、思ったのだが・・なかなか、これは侮れないことかもしれない。

ご存じのように、現代の私たちの食事は多くの添加物で溢れている。
健康志向を豪語する人たちでさえ、知らず知らずのうちに多くの添加物を取ってしまってる人もいるようだ。

朝食はヘルシーな和食を心がけて、味噌汁と漬物とゴハン、またはパンとサラダとヨーグルト・・という人がいたのだが、
よく聞いたら、朝は忙しいからカップみそ汁とレトルトゴハンに、スーパーで買ってきた漬物だそうだ(笑)

それって、保存料や防腐剤や合成着色料やら・・が、いっぱい入っているわけで(笑)
どこが、体にいいんだよ!と言いたくなる。。。

頻繁にみかけるヨーグルト↓
glico.jpg


頻繁にみかける食パンも↓
7df02d75.jpg
げ! マーガリン(トランス脂肪酸)はまだ日本では使用禁止になってないんだろうか?

納豆、豆腐、梅干し、味噌、サラダ、ヨーグルト・・・などは健康にいいと思いこんでる人が多いようだけど、何を食べるか?という品目よりも先に、まず気をつけなきゃならないのが、添加物じゃないかな?

健康志向を豪語するならば、
ひとつひとつの成分表示をしっかりとチェックして、それがどんなもので何のために使用されているのか、人体へどんな影響を及ぼすか・・なーんてこともちゃんと認識してなければいけない。

添加物だらけの味噌汁・ゴハン・漬けものを食べるよりも、私のきょうのランチ、このポテトチップスだけ(←超忙しかったんでね~)の方が、ずーーと健康的だったと思う(笑)
      ↓
IMAG0173.jpg
このポテトチップスは、じゃがいも、サンフラワーオイル、コーン、またはキャノーラオイル、塩だけだからね~。


健康ブームで健康志向の人が増えたといわれる昨今、
それでも、こうやって添加物を毎日いっぱいとってる人が多いんじゃないだろうか?

毎日少しずつ蓄積されていけば、どうなるんだろう?

まずは、食品添加物は味覚障害を起こすことはすでに知られている。
五感が正常に働かなければ、当然、第六感は働くはずもない。

・・・・・・・・・・・・・・・

日月神示の中に食べ物について言及している箇所があるのをご存じだろうか。

日本には五穀、野菜、海、川、いくらも弥栄の食べ物あるぞ。人民の食べ物間違えるでないぞ。

食べるには噛むことぞ。噛むとはかみざぞ。神に供えてから噛むのざぞ。噛めば噛むほど神となるぞ。

食べ物頂く時はよく噛めと申してあろが。上の歯は火(カ)ざぞ。下の歯は水(ミ)ざぞ。
火と水と合わすのざぞ。カムロギ、カムロミぞ。噛むと力生まれるぞ。血となるぞ。肉となるぞ。

一二三の食べ方心得たら、今度は気分ゆるやかに嬉し嬉しで食べよ。天国の食べ方ぞ。

食べ物を食べるのも喜びであるぞ。正しき食べ物、正しく食べよ。更に喜び増えて弥栄えるのぢゃ。
自分の喜びを進め進めて天国へ入ることできるのぢゃ。悪い食べ物、悪く食べるから悪くなるのぢゃ。
目に見える食べ物ばかりでないぞ。何もかも同様ぞ。人民は喜びの子と申してあろう。罪の子でないぞ。



① 自分の住む土地(国)で採れた穀物・野菜を食べること。
② よくよく噛むこと。
③ 喜びをもって、美味しくたべること。


どうやら、人の「霊性」と「食」というものには重要な相関関係があるようだ。

霊性を高めるには、人に優しくし、常に前向きであることとか、得を積むことなどといった精神論はよく聞くけど、本当はそれよりも先に、まずは食べ物に注意を払うことなのかもしれない。


プラトンの代表的とされる『国家』の中にも食品に関する記述がある。

これは、理想的な国家のあり方を論述しているんだけど・・・なぜか食べ物が出てくる。

理想国家における食べ物とは
     ↓
大麦粉のパンや小麦粉のケーキ、塩やオリーブ油やチーズで料理した根菜や野菜、エンドウ豆、イチジク、樫の実、ぶどう酒など。



プラトンはソクラテスの弟子であり、食についても師匠の教えを受け継いだそうだが、彼があげている食べ物を見ると、当時のギリシャの自然の中でとれる産物ばかりだ。

まさにこれって、日月神示で言うところの、「自分の住む土地(国)で採れた穀物・野菜を食べること」と同じことかもしれない。


ところで・・・これはちょっと余談だけど・・・なぜ、プラトンは肉食を理想国家の中に入れなかったんだろう?
古代ギリシャ人たちは肉をいっぱい食べていたはずなのに・・。

その理由はこのように言われている。
    ↓
多くの人々が日常的に肉食をすることになると、現代で言うところのエントロピーの増大、深刻な環境問題を引き起こすこと、などの配慮をしたため。

つまり、現代の問題点は↓
●肉となる家畜の飼料を生産するために膨大な穀類があてられ環境に様々な悪影響を及ぼし、さらに慢性的な食料不足を生み出す。
●先進国における食のぜいたくが発展途上国においては飢餓をもたらす。
一方では食物が有り余り大量の残飯が捨てられているにもかかわらず、一方では動物飼料のトウモロコシの一粒さえ口にできず死んでいく人たちがいる。



プラトンは、今から2000年以上も前に、人類社会が直面することになる危機的状況と、主な原因が「肉食」をもとにしたぜいたくにあることを、すでに知っていたのかもしれない。

まず食べ物が、個人個人の肉体と精神を作りそして国家も形成する・・・ってことのようだ。


日月神示が出る前に、出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)という人がいたが・・・この人もまた多くの予言を残したすぐれた霊能力者でもあった人だ。

野菜を食えば仁の心が養われる。魚類を食えば知恵がわく。故に魚類も月に一度や二度は必ず食わねばならない。米と野菜と魚類とで、智・仁・勇となる。

肉食をする者には仁の心は少ない。故に野菜を常食とする日本人にして初めて愛善の心があり、外国人には稀である。
肉というものは一度、草や野菜等を喰って、その栄養素が肉となったのであるから、あまり栄養もない。
そして肉によって養われた細胞は弱い。
日本人は米を食い、野菜を食うから、すなわちまだ肉とならない栄養を摂るから、細胞が強い。
また、日本人の歯は臼歯といって米を噛みこなし易くできているが、肉食人においては臼歯がとがっている。 
 (「食物」昭和7年12月)



出口王仁三郎は、明治期の若い頃には、「コタツ以外の四ツ足は何でも食べた」と言われるほど、肉食をしていたそうだが、最終的には菜食中心に行きついたそうだ。


最後にもうひとり、ルドルフ・シュタイナーを紹介しよう。
私は個人的には、出口王仁三郎さんと似た感性を持ってる人に思えるのだが・・(笑)

オーストリアやドイツで活動した神秘思想家、人智主義(アントロポゾフィー)、哲学者、教育者としても知られる人で、超・サイキックでもあった人だ。
彼は、肉食と菜食(1908年)という講演も行っている。
  ちょこっと抜粋すると↓

精神科学にとっては、わたしたちの周囲にあるものは、すべて霊的なものの現れです。

物質の背後には、霊的なものが存在します。食べものの背後にも、霊的なものが存在します。
私たちは、目の前にある食べものだけを食べるのではありません。食べものの背後に存在する霊的なものも、いっしょに食べるのです。
食べものをとおして、その背後に存在する霊的なものと関係するのです。それも、いっしょに食べるのです。
「人間は、食べるところのものである」という言葉は正しいのですが、その間、物質的なプロセスだけでなく、霊的なプロセスも存在していることを理解しなければなりません。


この後の講演(1924年)でシュタイナーは、まるで狂牛病をも見通したような発言をしているのだが、その話はまた別の機会に。


さらに、シュタイナーは独自のバイオ・ダイナミック農法というのを発表することになる。

ひとことで言ってしまえば、有機農業のようなものだが・・地球の観点だけでなく、天体の動きとの関係、とくに太陽や月など、宇宙との関係に基づいた「農業暦」にしたがって、種まきや収穫などを行うという、自然と調和させた農業のこと。

で具体的には、

●太陽、月、惑星と地球の位置関係が、土壌や生命体の成分及び気象等に与える影響を考え、種まき、苗植え、耕うん、の時期を決める。
●調合剤の準備や施肥、収穫などの時期を天体の動きにあわせて選択する。
●土壌バランスや植物を健康に保ちつつ、天然のハーブや鉱物、家畜を利用して作った各種調合剤を施す。(いわゆる肥料)
当然、人為的な化学物質はいっさい使用しない。


これって、ただの農業というよりも、天文学、地質学までも含む、壮大なものだ。
人体、そして自然の摂理、地球のみならず宇宙の循環までも考慮されてるのだろう。

その土地にあるものを利用して、その土地に適したものを考えださなければならないので、画一的なものは一切無いってことになる。 相当な探究心がなければ難しそうだ。

おまけに、採算度外視、効率性も無視の農業なので、がんがん利潤を上げたい農家さんは絶対やらないだろう(笑)

それでも、ヨーロッパのワイン農家では、シュタイナーのバイオ・ダイナミック農法をベースにしてワイン生産をしているところもあるそうだ。

こちら↓
farm-blog-130416-sheep-in-biodynamic-vineyard.jpg

どれも、驚くほど美味なワインだそうだが、残念ながら私は飲んだことはない。

・・・・・・・・・

こうやって見ていくと、精神世界や霊性に関わるものこそ、食について説いている気がする。

食は肉体を作るだけのものではなかった・・・ということか~。

人間の能力は、私たちが認識している以上に、まだまだ計り知れないすごいパワーを秘めている、と言われている。
そのためには、心身を正しい状態に維持しなければならないということだし、そのためには、日々の食事が重要になるということだ。


うーん、それはわかるのだが・・なかなか現状は難しいのも確か。

もう、20年も前の話だけど、私が吉祥寺(東京都武蔵野市)に出かけたときに、偶然みつけた小さなレストランで食事をしたことがある。
メニューは、たったひとつしかない定食で、それも、白いご飯、味噌汁、漬けもの、アジの開きだった記憶がある。

しかし、ゴハンは完全無農薬でかまどで薪をくべて炊いたご飯、味噌も漬けものも自家製、アジの開きも七輪に網をのせて焼くという、すべての食材と調理法にこだわった店だった。

28302.jpg


質素な食事なのに、それは信じられないくらい美味しかった。
ただし、値段も高かったけどね~。 当時で2千円はしてたと思う。

自然なものを食べようとすれば、たしかに高くつくのが現状だ。

自然なもの、添加物が含まれていない食材は高い。

しかし、考えようによっては1日3食を2食や1食に減らしてもいいわけだし、またはおかずを減らすとか、それこそ一汁一菜にするとか(笑)
何事も常識にはとらわれず、すべては工夫次第なのかもしれない。

そもそも、小食・粗食の方が、霊性も高まり健康にはいいそうだからね。
(ただし、粗食であっても、美味しいものを美味しいと思って食べなけれ意味がないそうだ。)

健康に気を配るというからには、まず、労力を惜しまないこと、そして愛情をこめて自分で作ることだと思う。

最近はな~んとなくの健康ブームに乗って、健康食を食べているような気がしてるだけの人が多いのかもしれない。
それが実は粗悪品だったり、添加物だらけだったりしても、すでに味覚では判断できなくなってしまっているのかもしれない。

味覚障害も洗脳かも?

人を判断するとき、学歴や家柄、高級そうな見なりで判断してしまう人は、きっと、オリーブオイルを買うときも、美しいパッケージと「最高級・オーガニック・エキストラバージンオイル」という肩書だけで買ってしまうのかもしれない(笑)

まずは深呼吸して落ち着いて・・・買い物すらも心眼で見なけりゃいけないのかも。

頼りになるのは自分自身の直感。
それは、ニュートラルな状態からでしか発揮できない。

なるべく・・自然な食を心がけ正常な状態であれば、必ず、自分に合った直感が発揮できると思う。

直感、霊能力、超能力、第六感、刑事の勘(?)

それもまた、人それぞれだ。
その人に必要な能力が、ちゃーんと発揮されるように出来ている気がする。

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Author:gingetsu2010
アリゾナ州セドナにて、アクセサリー工房Alizona*銀の月*をオープンしてる銀月です!

日々の生活や体験の中から、社会のこと、スピリチュアルなことなど・・思いつくままに書きつらねてます。

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