ヴィジェ・ル・ブランと恐怖政治の時代

エリザベート・ヴィジェ・ル・ブラン(Elizabeth Vigee-Lebrun 1755−1842)という人についての本をたまたま読んだ。

で、私は全く知らなかったのだが・・この人はかなり有名な肖像画家で、マリー・アントワネットの肖像画を30作品以上制作してることでも有名な人だったらしい。
    ↓
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これは1778年の最初の作品↑

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こうやって、ヴィジェ・ル・ブラン作のマリーアントワネットの肖像画を年代順に並べてみると、だんだん人間味が増してくるというか・・その変化が面白いなあ、と思う。

肖像画なんてカメラがなかった時代の、ただのカメラ代わりじゃないか!と、私は単純に思い込んでいたのだが・・
こりゃ、とんでもないアートの一分野だったことがよくわかる。

そして、ヴィジェ・ル・ブランという画家は、女流画家で、しかも超美人。
こちらが自画像↓
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私はこちらの自画像が好きなのだが↓
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いやあ、たしかに・・ひょっとしたらマリー・アントワネットよりも美しい方かも。。。

これだけの美人だし、才能はあるし・・だから宮廷画家になって、注文主のために上手に修正を施して気に入った肖像画を作ることで、有名になれた・・・と考えるのは、ちょっと短絡的過ぎるかも。

ヴィジェ・ル・ブランが、後の回想でマリー・アントワネットのことを述べている部分があるのだが・・

背が高く、感嘆するほど良い体格で、ちょうどいい具合の肉付き。 腕はすばらしく、手は小さくて完璧な形。足は魅力的

これは、まさしく画家目線のコメントだと思う!
しかも、実に、被写体をポジティブな目線で捉えている!

それに、先にアップした最後の絵、マリーアントワネットが子供たちと一緒に描かれた絵、つまり、これ↓
もういちど、その一部分だけをアップさせてみよう↓
MARYR.jpg

そして、もう一度、全体の上に写真を見ると、

第1子は王妃の左側に立つマリー・テレーズ王女

第2子が、右側に立つ王太子ルイ・ジョゼフ。 1789年、革命が勃発したその年に脊椎カリエスを併発した肺結核で死亡。

アントワネットが抱いているのが、まだ幼子の第2王子ルイ・シャルル


そう、なんで、王太子ルイ・ジョゼフが、黒いベビーベッドを指さしてるの?
なんだか不自然な構図?・・・と思ったのだ。

実は、4番目の子供は死産してしまい、その最後の子供が寝かされるはずだったベビーベッドだったそうなのだ。
それを指さす息子、その色使い、影の配し方など、どきっとさせるものがある。

決して、ヴィジェ・ル・ブラン、ただの宮廷画家ではなさそうだ!

もちろん、王族や貴族の肖像画であれば本人の意向で多少の修正はすることもあるだろうが、かなりリアルに描かれているんじゃないだろうか。

リアルに、そして素材を生かしてしかもその魅力を十分に引き出す描き方。
時には、この3人の子供たちとの肖像画のように、そのときの心理状態までもを描き出す。


やっぱり、この人、正真正銘の画家なんだ!と思わされてしまう。



その後、あのフランス革命が起こり、彼女はまず、イタリアに亡命したのだが、その時、こんなことを書いている。

ここで見たのは、神さま、なんという光景でしょう。(イタリア・トリノのこと)
街路も広場もフランスの町々から逃げて避難場所を求めてやってきたあらゆる世代の男や女たちでいっぱいでした。
何千人という単位でやってきて繰り広げるその様子を見ると胸が張り裂けそうでした。
彼らのほとんどは荷物も金も、パン一つも持ってきていませんでした。
命以外のものを助け出す時間がなかったからです。

子供たちはおなかをすかせて哀れに泣き叫び、それまで荷馬車に乗ったことなどなかった妊婦たちはでこぼこ道の振動に耐え切れず多くが流産しました。
これ以上ひどいものは見たことがありません。
サルデーニャの王がこれらの不幸な人々を泊めて食べ物を与えるようにという命令を出しましたが、とてもすべての人に行きわたるものではありませんでした。



はああ・・・。

なんだか、2世紀前も今も・・いつの時代も同じかもしれない。。。
シリアどころじゃないなあ。

また、ヴィジェ・ル・ブランは、デュ・バリー夫人の処刑についても、のちの回想録の中でこんなことを述べている。

注:デュ・バリー夫人というのは、もともとは貧しい家庭で生まれた人で、貴族の出ではなかったが、出世してルイ15世の愛妾となり、宮廷ではマリー・アントワネットとも対立してたとも言われるが、なかなか気さくで朗らかかな人だったらしく、他の人々からのウケはよかったとか。
しかし、この当時のフランスの恐怖政治時代の犠牲者の一人。
とにかく、貴族は全部殺してしまえ!って時代だったし・・・貴族でなくても気に入らないってだけで殺された時代。
デュ・バリー夫人は、金持ちってだけで殺されたんだとか・・。


そして、Wikiによると↓

革命裁判所で死刑を宣告され、命を落とした多くの女性達の中で、断頭台を直視出来なかったのは、デュ・バリー夫人だけだったという。
彼女は泣き叫び、処刑台の周囲に集まった恐ろしい群衆に慈悲を乞い、彼らの心を掻き立てた。



そして、ヴィジェ・ル・ブランは、こう述懐している。
「私が確信したのは、もしこの凄まじい時期の犠牲者たちがあれ程までに誇り高くなかったならば、あんなに敢然と死に立ち向かわなかったならば、恐怖政治はもっとずっと早く終わっていたであろう」


多くの人々は、自分が無実であるにも関わらず、誇り高く断頭台で死んでいったんだろう。
ふと、子供のころに読んだ、二都物語を思い出した。

たしかに、それはカッコいいかもしれないけど・・ヴィジェ・ル・ブランの言うとおりだったかもしれない。


とにかく、あれは最悪な恐怖政治時代だったからねえ。。。(←私は生まれてなかったけど。。。)



フランス革命当時には、王党派、革命反対派、穏健派、過激派など・・色々な人々がいたわけで、しかし、勢力を持ったジャコバン派は、貧しい庶民を扇動して、自分たち以外の反対するものたちを、すべて皆殺しにしまくった。
マリーアントワネットが処刑された当日にも、ほとんど公正な裁判も行われずに21人のジロンド派全員を死刑にしてしまっている。

その他、有名な化学者のラヴォアジェは、「共和国は学者を必要としない」という理由で処刑されたし、ルイ16世の弁護をつとめたマルゼルブ、ラ・ロシュフコー、詩人のアンドレ・シェニエなんて人たちも・・もう、誰でも構わず殺してしまった時代。

そうそう、マリーアントワネットの、あの膝の上にいた幼児、第2王子ルイ・シャルルは、ある意味では一番残忍な殺され方だったかもしれない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A417%E4%B8%96

そもそも、恐怖政治というのは、このフランス革命後の、ロベスピエールのジャコバン派から始まったと言われてる。
フランス語では、terreurで、、まさにテロの語源になった言葉。

ちなみに、Wikiには、こんなふうに書かれてた。
    ↓

恐怖政治というのは、投獄、殺戮 等の苛烈な手段によって、反対者を弾圧して行う政治のことである。

つまり、権力を握った者が人々を弾圧したり恫喝することで恐怖を持たせ、恐怖のあまりに権力者に反対意見を言うことができなくなるようにすることで、無理やり従わせ、自らの権力を維持するという政治形態である。
権力を握った者が人々を逮捕し牢獄・監獄に入れてしまったり、殺してしまったりするのである。

一般的に権力者が自分自身で直接逮捕に出向き自分の手で監獄に連れてゆくわけではなく、権力者の手先となり逮捕・収監を実行するような組織・機関を作りそこに属する者に実行させる。「秘密警察」「官憲」「公安警察」などと呼ばれるものである。

逮捕や収監はしばしば、法律に基づかず、闇雲に行われる。
ともかく権力者の意に従わないかも知れないと少しでも思われた者をそのままにしておかず排除する。逮捕直後に「取調べ」などと称しつつ暴力を振るって殺してしまう事例も多い。
逮捕直後に殺さなかった場合でも、収監後に、人々に分からないように、殺してしまう。
逮捕された人の家族から見ると、家族が傷だらけの遺体で帰ってきて、警察機関の者から「取調べ中に自殺した」などという作り話を聞かされたり、あるいは消息が全く判らなくなる、ということになる。

恐怖政治を行う権力者はしばしば密告を奨励し、人々を相互監視の状態に追い込む。
人々は、言うべきことは言い状況を変えてゆくために努力しなければならないと頭では分っていても、恐怖心のあまり行動することも発言することもできなくなってゆく。

それでも一部の人は、人々を弾圧・抑圧から解放するための策を練り、身を挺して行動しようとする。それでうまく権力者を倒せることもあるが、権力者の側に察知され殺されてしまうことも多く、権力者はそうした計画を「陰謀」と呼び、さらに弾圧に強める。

人々を幸福にする良い君主(権力者)であれば、陰謀をそれほど恐れる必要は無い。
だが、独裁者はほとんどが陰謀を非常に恐れ、人々に過酷な刑罰を課し、人々を疑い、無実の人のことまで罪があるとし、その結果、自ら(彼らが言うところの)「陰謀」を誘発しているわけである。



こんなことは多くの国で行われてきたことだし、未だにテロリストに支配されてる国だってあるだろうし、また、日本にもこういった時代があった。


それにしても、当時のフランスってのは、本当に恐怖!
まさに狂った殺戮の時代だったんだろう。


その時代を、ヴィジェ・ル・ブランは画家の目でみつめ、生き抜いてきた。

彼女の回顧録からみると、美しいだけでなく、かなり聡明な人でもあったと思う。


こんな記述もあった↓

1791年、ヴィジェ・ル・ブランは亡命先のローマでに、知り合いの歌手の妻マダム・カイヨーからの手紙を受け取った。

「私たちはみなが平等になるのです、黄金時代が到来するのです。」と言って、彼女にもぜひ帰国をするようにと勧めてきた。

しかし、ヴィジェ・ル・ブランは信じなかった。

その少しあとで、マダム・カイヨーは絶望の果てに窓から身投げして死んだ。



黄金時代はこなかった。

恐怖時代がやってきたのだ。

政治家がどれほど素晴らしいプロパガンダを広めようと、彼女には信じられなかったのだろう。。。


彼女は、その後数年間をイタリア、オーストリア、ロシアで暮らし、貴族の顧客との付き合った経験を生かして画家として働いた。
そして、ローマでは作品が大絶賛され、ローマの聖ルカ・アカデミーの会員に選ばれた。

その後、フランスに戻り、1842年3月30日にパリで亡くなった。

激動の時代を生き、そして、さまざまな国に移り住んで生き抜いてきた人。


そう言えば、マリーアントワネットの子供たちで、たった一人、亡命して生き残ったのは、マリー・テレーズ王女だけだった。
彼女もまた、転々と亡命生活を繰り返した人だった。

しかし、あまりにも悲惨な経験がトラウマになったのか、気難しい性格になり笑わない皇女と呼ばれたとか。。。

フランス革命とその後の恐怖時代は、さまざまな人を巻き込み、多くの影響を及ぼしていったことだろう。


最後に、ヴィジェ・ル・ブランとその子の自画像↓

mary7.jpg

なんだろう?

この清潔感のある美しさは。。。 白の色使いが美しいせいか?

リアルに会ってみたい人だ。

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