黄色と青、光と闇から色彩学

ここ最近、なぜか・・黄色、この二つの色のイメージが頭から離れない。。。

それは私の夢の中に出てきたイメージだったのかもしれないし、それとも何かを読んだ時に浮かんだイメージに過ぎないのかもしれないし・・・実はそれすらもわからない、実に曖昧なことなのだ。

もともと私は、夢はいっぱい見る人らしいのだ。
「夢をいっぱい見る人らしい」というのは・・・目覚めたときには覚えてないので、はっきりと断定できないんで、つい、こんな言い方をしちゃうんだけどね・・・(笑)

だけど、目覚めたときにはその、「夢の残り香」、とか、感触のようなものが残ってることが多い。
本当に匂いとか色が断片的に残ってることがあるのだ・・。

そして、いつも、ふと思う。

あれって何だったんだろう?と。

結局のところ、考えたところで、それが何を意味するのかなんてわからないことだし・・そもそも、こういった事が何か? どうゆう意味があったんだろう? なーんて考えることじたいが、ひどく無意味なことなのかもしれない。

私たちは、不思議なことに対してさえも、常にそれを合理的、かつ常識的な範疇に当てはめて答えをみつけようとするものだ。

ある人の言葉を借りると・・いや、これは、何かの本で読んだことだったのかもしれないが・・・、こんな言葉を思い出した。
  
    ↓

「物事はただありのままに受け止めるだけでいいんですよ。
あなたがたは、なぜ? どうして?と考えて、あらゆる事柄に合理的な説明をつけようとするけど、
それは、あなたたちの頭をヘンにさせるだけですよ。

目にするすべてのものを理解する必要はありません_重要なのは愛を感じることです。」


そうかもしれない。

何かの現象に対して、それが「心地良く感じる愛あるものか、または、そうでなかったのか?」それだけかもしれない。
心地よいものならば、それを十分受け止めて、満喫すればいいだけなんだろう。



さて、黄色と青・・・だったな。

なんだかわからないけど・・私にとってそのイメージは決して悪いものではない。
むしろ、きれいなイメージかもしれない。



そもそも、誰でも色に対して好きな色や嫌いな色ってものを持ってるはずだ。

また、オーラソーマなど、カラーボトルセラピーなんて分野もある。

aura_soma.jpg

こういった中かから、たった4本のカラーボトルを選ぶだけで、自身の本質、潜在的可能性や人生のテーマがわかるという話だし、またヒーリング効果もあるのだそうだ。(私自身は、まだ試したことはないのだが・・。)

色というものは、人の精神世界にも密接につながっているものだってことは確かなようだね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

そもそも、色について、私たちが習った知識ってのは、ニュートンの色彩論が元になってるわけだ。

少なくとも私が子供の頃はそう、習ったのだ。

古典力学全盛期時代の19世紀、「色は光の中に最初から含まれている」という概念で、

光をプリズムで物理的に分解した結果、:■青■緑■赤■むらさき■黄■橙■藍

という、光の屈折率の違いによって七つの色光に分解されて、これらの色光が人間の感覚中枢の中で色彩として感覚される。



ところが、これに異を唱えた人がいたわけですね~。

それは、ゲーテさんです!
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(←フルネームは長いですけどね~。)

src_11430449.jpg



ゲーテと言うと、詩人のゲーテ、「若きウェルテルの悩み」だとか・・そういったた文学者としてのイメージが強いけど、
実は彼は、政治家、法律家でもあり・・・なんといっても、彼は、すぐれた自然科学者でもあるんだよね。

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ

そして、有名な色彩論を20年もかけて執筆してる。

それだけでも・・どれだけ、彼が心血を注いでいたかがうかがえる。

ゲーテは、ニュートンの色彩論に、真っ向から反論したのだ。
    ↓

ニュートンの色彩論から 約100年後の1810年、
「もしもこの世界に光だけしかなかったら、色彩は成立しない、もちろん闇だけでも成立しない、
光と闇の中間にあって、この両極が作用し合う境界のなかにこそ、色彩は成立する」



と、痛烈に反論しました。

さらにもう一つ、ゲーテは、

色彩は「光の行為」なのだ。
色彩は数字や方程式であらわせるような、単なる主観でも単なる客観でもなく、人間の眼の感覚と自然の光との共同作業によって生成するもので、色は生きているのだ

・・と主張している。

つまり、ゲーテの言い方を借りて、もそっと説明すると・・

語りかけるとは、語るものと、語りかけられるものがあってこそ成り立つもの。

ということだそうだ。

たとえば、音や香り、味覚などにしても同様なんだけど、それは・・ただ客観的なものだけではとらえられない。
そこに客観的にあるものがあり、そして、それを感じる人間がいて、はじめて存在することになる。

色彩は「光の行為」であり、数字や方程式であらわせるような、単なる主観でも単なる客観でもなく、人間の眼の感覚と、自然の光との共同作業によって生成するもので、色は生きているのだ!・・・というのがゲーテの主張だった。

光と闇
そしてそれを感知する人間



さらに、ルドルフ・シュタイナーさんは、ゲーテの色彩論に、精神科学と神秘学を加えた独自の宇宙的色彩論を発展させていくことになるのだが・・・まあ、そこまで話し出すと、超長~くなってしまうので、きょうはやめておきます。(笑)


そして、もうひとつ、ゲーテを興味深いことを言ってるのだ。

光に一番近い色が黄、闇に一番近い色が青であると。

光が強すぎると、我々の目は白として認識し、弱すぎると黒と認識してしまうものだが、くもった媒質を通して光を見ると黄色が見え、闇を見ると青色が生じるのだそうだ。

そこで、ゲーテはこの黄色と青を両極とする色彩論を展開している。

munsell-color-system.gif

ゲーテは実験から、白く見える光を弱くしていったらまず黄色が見え、逆に暗くて何も見えない状態から光を強くしていくと、最初に見られる色は青だということに気づいたのだ。

たしかに、これは・・私自身も、なんとなく身を持って納得できるんだよね~。
地平線をドライブしていると、太陽の光が沈んでいくときは、空は美しく様々な色に変化していく。
オレンジやピンクに変わり、そして最終的には青になって沈んでいく。
cvetovaya-palitra-936.jpg

たしかに闇に一番近い色は青、
そして、光に一番近い色は、黄色に見える。


対立するものが呼び求め合うというこの運動は、ゲーテが自然のうちに見いだした分極性の働きである。

眼はひとつの色彩の状態にとどまらず、明るさと暗さという両極にあるものを呼び求め合うことによって新たなる色彩を生み出す

このようにゲーテは、静止した対象としてではなく、生成するものとしての色彩を見いだすのである。
ゲーテにとって生きるとは活発に運動し、新たなるものを創造することである。(Wikiからの引用)




光と闇、善と悪、男と女・・・なんだか、また二元論みたいなことになっちゃうけど・・

結局のところは、

一見、両極端に見えるものであっても、同様に必要なものだと言うことだ。

なくてはならないもの。
悪ですら、きっと必要なものなのだろう。

それを理解して上手に統合させることで、美しい色になるのかもしれない。

ふと、そんなことを考える。

・・・・・・・・・・

かなり以前、ホセに言われたことを思い出した。

「オマエの中心となるオーラの色は、強烈な黄色だね! 調子いいときは、すごくキレイな黄色だけど、具合が悪いと・・まるで、汚いウンコ色に見えるぞ!」

「はあ? そーなんか~。
で、ホセ自身は何色なんだよ?」

「僕は、青が中心らしい。」


サイキックな人々は、そのように、オーラの色として見えるのかもしれない。

光と闇、
黄色と青、
私は光、ホセは闇か?



しかし・・・たしか、色を認識するということは、反射する色を認識するのだ。

つまり、その理論でいえば、

私は黄色を多く反射してしまい、青を多く吸収しているということだ。

つまり、私の中は、闇をいっぱい吸収してるってことになる。。。

ふうむ。

でも、やっぱ、ダークな私の方が私らしいかもしれない(笑) (←なぜか、自分で納得)

・・・・・・・・・・・・・

黄色と青で思い出すのは、ゴッホの絵だ。
フィンセント・ファン・ゴッホ

彼の作品は、黄色と青の対比が実に多い気がする。

gogh.jpg
これは有名な「種をまく人」という作品。

もともとは、ミレー(フランス19世紀写実主義の巨匠ジャン=フランソワ・ミレーのこと)の「種をまく人」という作品が、ひどく気に入ってしまい、ゴッホも、自分でも書きたくなったんだとか。

友人にあてた手紙の中でこんなことを語ったそうだ↓
『種まく人を描くことは昔からの僕の念願だ。古い願いはいつも成熟できるとは限らないけど、僕にはまだできることがある。
ミレーが残した「種をまく人」には色彩がない。僕は大きな画面に色彩で「種をまく人」を描こうかと思っている』



こちらは、もともとのミレーの作品↓
800px-Jean-François_Millet_(II)_013


たしかに、ゴッホの作品は鮮やかな色彩感だ。 黄色と青の。
そして、生き生きとしている。
生きている!

ふうむ。

生きることは光、そして同時に、闇。

光と闇が必要だってことか・・・。


それにしても、見事に黄色の太陽だなあ。

そうそう、ちなみに、太陽の絵を描かせると欧米では黄色で描くことが多いのに、日本は決まって赤だ。
実際には、太陽は白い光か黄色で見えるはずなのに・・なぜ、日本人は赤のイメージなんだろう?

今度は、そんなことを考えてしまった。。。


その疑問をホセにぶつけると、彼はこんなことを言った。

「たしかにねえ、日中の太陽を見ると、輝く白に見えるか黄色だよね。
でもね、太陽をいっぱい浴びたあと目をとじてごらんよ。 閉じた目の中では太陽は、いつだってなんだよ。」


なるほど、たしかにそうだ!
太陽を見て目を閉じると、真っ赤に見える。。。

日本人は目を閉じて心でイメージしたときの太陽の色を描いていたのかもしれない。
心で見た太陽だったのか・・・。

そうすると、

とりこんだイメージが赤ならば、太陽の赤は存在し、そして私たちにも赤い太陽の恵みを与えているに違いないのだ。

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