本を読むことから自分の中でリアルな映像化する

最近は、多くの人が、とくに若者は活字ばなれしていているなんてことを、よく耳にします。

でも、まあ、仕方ないんじゃないですかね?
だってインターネットやスマホを使えば、わざわざ新聞を定期購読する必要もないから。
(新聞紙を捨てるのだってめんどくさいもん。)

このグラフをみると、20代の若者は、ほとんど新聞を読むことはないけど、テキスト系サイト(「ソーシャルメディアを見る・書くとブログ・ウェブサイトを見る・書く」を合わせたもの)は、ダントツ多いことがわかります。

また、総合としてみても、20代がダントツに見てることがわかります。
ということは、必ずしも、若者が活字ばなれしてる・・・とも言えないようですね。

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大学生の読書離れ、もう1つの見方より

ただ、問題はその中身にあるのかもしれませんが・・。(笑)
頻繁に、ブログ記事は見たり書いたりするけど、長文はまっさきに嫌われるし読む気も失せる・・・あ、私のブログなんて、真っ先に嫌われるはずですね(笑)


それに、これだけ情報が溢れるほどあると・・・・昔のように、ちゃーんと単行本やら文庫本を買って読書する人ってのは、たしかに少ないのかもしれません。
最近は、本も高いですからね~。

読んだとしても、純文学じゃなくて、ライトノベルしか読まない・・・なーんてことも聞きますが・・・。



あれ、そもそも、純文学、大衆文学、ライトノベル・・・とかって分類されてるみたいだけど、これって、どー違うの?
だれが、分類するんだ?

Yahoo知恵袋に載ってた回答
    ↓
純文学…一般読者には理解が出来ない芸術。
大衆文学…一般読者が楽しめる本。
ライトノベル…表紙にイラストを持ってきて、比較的若い人も楽しめる少しレベルの低い内容。


なんだそーです。(笑)

だれが分類するのかは・・・書いてありませんでしたが。

でも、この回答が正しいとすれば、

まず、「純文学は一般読者には理解が出来ない芸術」だとすれば、いったい誰が理解して楽しむんだろ?
そんな限定されたものだったら・・・そりゃ売れないわーーー。

ライトノベルは、「表紙にイラストを持ってきて比較的若い人も楽しめる少しレベルの低い内容」って書いてあったけど、レベルの高低ってどこで決まるんかな~。若い人がレベル低いって決め付けるのも、なんか失礼な気がするし~。

そんな疑問がいっぱい沸いてきちゃいます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まあ、そんなことはともかく、私にとって、本は面白いか面白くないか・・だけです。

なので、純文学とか大衆文学とかライトノベルといった、ジャンルを考えたこともなかった。


そういえば、子どもの頃、面白い本に出会って、ゴロゴロとベッドで読むのが、最高に幸せな時間でしたねえ~。

だんだん、本に慣れてくると・・本を手に取るだけで、それが面白いか面白くないのか、なんか匂いでわかるんですよね~
(笑)

小学生の頃は、読むものがなくなると、よく父の本棚にある本を持ち出して読んでました。←他に娯楽がなかったんかよ~。

そりゃ、たしかに・・難しい言葉やら漢字もどんどん覚えることになったと思います。

わからないところは、自分なりに想像してみるんだけど、それでも、ぜーんぜんイメージがわかないと、よく父親に聞きに行ったもんです。

「パパ、せんじょーてきって何?」

「は?扇情的?」

「うん、そうそう、その漢字!」

「えーとだなあ、たとえば・・きれいな芸者さんがいて、ちょっと色っぽいとか・・そういったときのドキドキ感かなあ。」(←ちょっと違わないか。)

「あ、そっか!了解!」

「おい、そんなのどういった場面で出てきたんだ?オマエ、何読んでんだ?」



何の本だったかは、忘れちゃったけど、それはたしか・・・美しい夕焼けの景色の描写部分だった記憶があります。

で、美しい芸者さんと、夕焼けを合体させて、それに感動する主人公の心境・・・てヤツを勝手に想像して、おーー、なるほどなあ!と自分なりに、わかった気になっちゃうわけです。  そんなんで、いいんかよ。


ようするに、場面を想像する、イメージするんでしょうね。
そして、そのイメージが鮮明であればあるほど、その世界に入り込めるし、すっごく楽しい。

別に、難しい言葉や漢字を知ってたところで、ちっとも楽しくないわけで、そこからイメージがふくらむかどうか・・なんだよね~。

ただの活字を追ってるだけなのに、

アフリカのサバンナの動物たちの匂い、太陽が降り注ぐ南欧のラベンダー畑、陰鬱なシャーウッドの森に降り注ぐ雨の匂い・・・・そんなものまで感じて、登場人物も、まるでそこに存在するかのように感じられると、もう、自分自身もその世界に入ってしまってるんですよね。

だから楽しい! 非日常の世界に、まるで幽体離脱して見てきたようなカンジなんだよね。(←幽体離脱ってしたことないけど。)


なので、ジャンルはまったく関係なく、イメージがリアルに沸くものが、面白いもの・・になります。

たまに、純文学で大評判といわれる作品であっても、なーんか、張りぼての作り物ってカンジがしちゃって、リアルさを感じないものもあります。 そうすると、私の幽体離脱が起こらないんですよね~。(笑)

そういうのは、私にとっては、「つまらない、ぜーんぜん面白くない作品」ってわけです。


ところが、ずーーと昔、ただの旅行のガイドブックだったんですが、そこに書かれた文章に感動したことがあります。

モロッコの小さな駅の風景で、1日そこで列車の到着を待つ人々の描写が書かれていて、それは、ほんの短い文章だったのに、なぜか、すごく感動したことがあります。
 
はっとするような美しい景色と人々の思いがマッチしたような情景が、リアルに浮かんでくるんですよね。
いいなあ、絶対、ここに行って見たい!と、思ったもんです。(←あーあ、単純に商業ベースに乗りやすいヤツ)

たぶん、すっごく文章センスがいいか、人を惹きつけるテクニックを備えたライターさんが書いたんでしょうね。

なので、ジャンルなんて、ほとんど関係ないって気がします。


ただ、教科書とか実用書は、また違うと思います。
こうゆうのって、ただ、字がずっらーーと並んでるだけにしか見えなくなっちゃうことが多いんで、
やたら、難しい言葉が使われてたりするよりは、イラストとか漫画っぽく書かれてた方が、手っ取り早く頭に入りやすい。

最近は、この傾向なんで助かりますね。
もっとも、教科書とか実用書を読みながら、イメージを膨らませて幽体離脱を起してしまっては、まずいわけだし~。


まあ、ようするに、私にとって面白い小説ってのは、イメージが膨らんで→いつでも、私の頭の中で映像化できるもの、みたいです。

そう、自分で映画化できるもの。

なので、たまーに、実際に小説が映画化されたときに、ぜーんぜん、自分の作った映画とまったく違ってたりすると・・がっかりしちゃったりするのは、たぶん、そういったことが原因なんでしょうね。



しかし、、人によっては、本を読んでも、まーったくイメージが沸かない人、映像化できない人、ってのがいるようです。
どの本を読んでも、すべてダメ、活字を受け付けない・・って人もいます。

・・・・・・・・

私の身近な例で、ホセが、まさにそれです。

もともと彼は、おそろしいほどの記憶力と集中力の持ち主で、子どもの頃から、学校のテストで、ほとんど100点以外を取ったことがないんだそーです。

まさか~、ありえないだろ!・・と最初は思ったんですが、ところが、いたんですよね~。
そうゆう異常体質の人って!

頭がいいとか勉強ができるってことじゃなく、それはもう、異常体質なんですよね。

学校の教科書や参考書を読んだりすると、まず、映像としてそれが、インプットされちゃうんだそうです。

ただし、映像といっても、私のように自分のイメージを膨らませて、映像化するっていうのとは違います。


教科書を1ページづつ、まるで写真をとったように、頭の中で記憶されちゃうんだそうです。それも、短時間で!
(どーゆう頭しとるんじゃ!)


なので、テストのときは、頭の中からそのページを引っ張り出して見ればいいだけ。
よーするに、いつでも、頭の中にカンニングペーパーを入れてるようなもんだったんですね~。

そりゃ、いつだって100点だわー!

なので、小・中・高を通して、100点以外をとるときは、たまたま、うっかり回答欄を一行間違えて書いちゃったときとか、そういったときだけなんだそーです。

もちろん、それならば、灘高→東大→高級官僚といった出世コースもいとも簡単だったと思うでしょうが・・(笑)


しかし、人生ってのは、そう、甘くはないのが常。

彼の家は、超ビンボー、おまけに、両親は息子の教育にも興味がなかったそうで、そんな異常に出来る子どもってことさえも、ぜーんぜん知らなかったようです。

しかし本人は、やはり子どもの頃は、出世コースまっしぐら・脱ビンボー・大金持ちを目指してたんだとか。(笑)

ところが現実は、お金がなくて自力で高校に行くのがやっとだったそうで、(それも学費の安い高校のみ)、
それで、絵に描いたような出世コースの夢は、見事に崩れとんだんだそーだ。


今でも、語学は、スペイン語や英語の読み書き・会話もバッチリだし、もちろん日本語も。
それに、マイクロソフトのMCSEの資格は持ってるし、複雑なコンピューター言語も作るし優秀な人なんだろうなあ・・・とは思うけど・・・やっぱ、それは、その異常体質ゆえ、なんでしょうね。(笑)

さて、その彼の問題は、

「僕は、本が読めないんだ!」、ということ。

つまり、字が読めないわけではないんだけど、読んだところで、それぞれのページの文字の羅列が写真のように、頭の中に記憶されていくだけ・・・・ということになるらしい。

従って、本の中の字の羅列から、イメージしたり、私のような映像化が起こらない。

だから、ちーーとも面白くない。

そりゃ、本を読んで全部記憶できたところで、何ページの何行目までわかったところで、

そんなもん、面白くないだろーな。


「僕はね、すっごい欠陥人間だと思う。」と、自分でも言ってる。



「アニメや映画は楽しめるのに、なんで、本からはイメージできないんだろうね。
アニメや映画も面白いけど、あれは、はじめから作者によって映像化されたものを与えられるわけだから、自分の世界で作り変えて楽しむってことができないでしょ~。」

「うーん、それはよくわかるんだけど、やっぱ、出来ないんだよ~。やっぱ、僕って欠陥人間なんだ~。」


たしかに、ホセを見ていると、本の活字だけでなく、音楽を聴くことや絵を見ることにおいても、それなりには楽しめるようだけど、やっぱり、イメージを膨らませて映像化するのは かなり劣っているような気がする。

いい音楽を聴いたり、すごい絵ってのを見ると、私の場合は、たった一枚の絵からでさえ、壮大なドラマが浮かんでくる。・・・だから楽しい。だから、興奮したり感動する。

でも、きっと彼は、そこまでいかないような気がする。 たぶん、心地よいBGM程度なのかもしれない。


うーん。

それでいて、アートの才能が全くないというわけではないんだよなあ。

料理を作り、お皿の上に盛り付けたときは、はっとするほどの美しいアートを作る。
それが、まさに、私がイメージを膨らませて感動できるようなアートだったりする。。。

もともと手先は器用だし、繊細なものを作り出すのはうまいと思う。

おまけに、イメージを膨らませて映像化ができないくせに、幽霊やら妖怪らしきものは、よく見るし・・・。
きのうは、透明な妖怪が、壁から、むにゅむにゅと、それもお尻から出てきたんだとか。。。

「なんだか、本を記憶してしまうときも幽霊や妖怪などを見てしまうのも、僕は、どうやら、他の人と別の部分を使ってしまってるような気がするんだ。 脳の別の部分というか・・・ときどき、額のこのあたりに熱を感じたりするから、たぶん、第3の目って呼ばれるようなところかもしれない。」

ふーん。

さんざん、欠陥人間を治すべく、色々考えてたんだけど、やっぱり、こればっかりは無理そうな気がする。

そんなホセを見ていいると

どんな人間でも、欠陥があるとすれば、それを補って余りあるような別の能力の備わっているってことかもしれない。・・・そんな気がしてくる。


そんなわけで、私が、面白かった本に出会うと読んで、それを、ウキウキと、彼に話して聞かせることにしている。
どんな色で、どんな世界で、どんな匂いがしたかまで・・。

そうすると、私の話から映像化して、どうやら楽しめるらしい。(←それとも、私が煩いから、ただ黙って聞いてくれてるんか?と思うときもあるのだが・・。)


まあ、多分に、私の作り上げた世界が入っちゃってることになるんでしょうが・・。(笑)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

小説や詩など、活字の世界の面白いところは、映画やアニメとは違って、読み手がそれぞれに自分の映像化が作れるってことなのかもしれない。

そう考えると、作者が作り出した作品は、もう、作者の手を離れて、それぞれの人のものになっちゃうのかもしれない・・・と思うこともある。


そういえば、ずっと昔IL POSTINO(イル・ポスティーノ)というイタリア映画を見たことがあった。

ilpostino.jpg


イタリアの小さな島、ほとんどが猟師ばっかりの小さな島のできごとを描いた作品。
マリオという男が、仕事をしなきゃならないのに猟師はきらいで、やる気がない。

「お前は、読み書きができるだろ。だったら、郵便配達の仕事があるぞ。」ということで、郵便配達人になるのだ。

ちょうどその頃、チリから亡命してきた、パブロ・ネルーダという世界的に有名な詩人が、その島に住むことになる。

小さな島なんで、郵便配達といっても、ほとんどが、パブロのところに届く郵便ばかり。
そんなわけで、だんだん、マリオとパブロは話すようになり、次第に仲良くなっていく。

マリオは、詩に興味を持ち、パブロにメタッファレ(英語だとメタファー、metaphor・代表的な比喩の修辞技法のこと。)を習う。
 *たとえば・・海は泣いている。人生はメリーゴーランドだ。みたいな使い方)


それを使って自分で詩を書くようになる。
そのうち、食堂の娘、ベアトリーチェに恋するようになると、彼女の心を射止めるために、パブロの詩のメタッファレを引用してプレゼントする。

そこで、パブロが、「そんなことをしてはいけない。それは、盗作になるんだぞ。」と言うと、

「どうして? だって、たしかに詩は、最初にあなたが書いたものだ。 だけど、それに感動して、それを使ったものがいたら、それはもう、あなただけのものじゃなくなる。 それぞれのもの、それを一番必要としている人のものになるんじゃないのかな? 」


たしか、そんなシーンがあったのを思い出した。

それを必要とする人のものになる。

ふと、そうなのかもしれないなあ~と、思ってしまったもんです。


つまり、どんな作品も、作り手の手を離れたものになっていく・・・のかもしれません。
そして、それぞれの心の中に入っていく。


だけど、それでいて、ちゃーんと、作者の気配も、そこに残ってるんですよね~。

面白いことに、同じ作者の作品には、まったく違った作品だったとしても、なぜかそこに、同じ波動や同じ色のようなものを感じるから不思議だなあ・・・と思う。

自分の世界のものになるんだけど、同時に、作り手の気配はいつまでも、かすかに残るもの。

そうなのかもしれない。

そうすると、

まったく知らない作り手の人とも、どこかで繋がっていて、作品を共有するものがあるのかもしれない。

だから、いい作品に出会うと嬉しいのかも。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
たまたま、IL POSTINOの映画を思い出したんで、そのワンシーン、タンゴを踊るシーンをどうぞ↓


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No title

私も本を読むのが大好きですi-178
銀月さんのブログも読んではあれこれ想像します。
色々奥深いので二三日考えたり、疑問に思ってなやむこともしばしば。
でもすごく為になるし、楽しいです。
実生活で助けられたこともありました。
銀月さんははてなんのことやらだと思いますが、
とってもとっても感謝感謝です。

ところで、アメリカにも妖怪っているんですか。
なんだかじめじめした日本やアジアならいそうな気がしますが
空気の乾いたアメリカで妖怪って想像が難しい!
赤い一端木綿もコットンバスタオルって感じなのでしょうか??
性格もオープンなのか?うーん。。

Re: No title

たんのさん、

いつも、お読みいただいてありがとうございます。

妖怪の話、たまたまアップしたところです!(笑)

アメリカって日本の妖怪とは違うようですが、やはり、その地域にいけば、色々な言い伝えはあるみたいです。
アニミズムと言われて、もちろん、現実主義のアメリカ人はバカにする人たちもいますけどね。

何かの精霊・霊、と呼ばれるような、ようするに実体の無いエネルギー体が、何かの形となって、見える人には見えるのが、妖怪なのかも・・ですね。

そういえば、北欧神話やアイルランドなんかは、昔から、妖精やら妖怪話が多いところでしたね。


赤い一反木綿は、素材はわかんないけど・・(笑)、結構高めのところ(電柱よりも上のあたり)を、ひらひらひら~と飛んで横切って、消えてくのを見るんだそーです。
なので、「赤い一反木綿のようなもの」を見てるだけんんで、もちろん正体は不明。

ところで、小さなお子さんやペットなんかは、不思議なものを見ることは多いようですね。
Profile
スピリチュアル世界中心のブログ★

gingetsu2010

Author:gingetsu2010
アリゾナ州セドナにて、アクセサリー工房Alizona*銀の月*をオープンしてる銀月です!

日々の生活や体験の中から、社会のこと、スピリチュアルなことなど・・思いつくままに書きつらねてます。

皆様にも「スピリチャアルの意味」「生きる意味」を感じて頂けたら、幸いです!☆

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