右脳を使うこと、ピアノと数学と師弟制度

いつの頃からか、右脳を鍛えた方がいいなーんてことが言われるようになりましたね。

右脳派人間 Vs.左脳派人間

なーんてのもあったりして。(笑)

こんなのがありました。 よろしければ、ちょっと遊び半分でどーぞ。↓

まず腕組みをして、どっちの腕が下でどっちの親指が上になってるかで判断するんだそーです。

20131209151815.jpg

ちなみに私は、うさ脳ってヤツでした。
ホセは、該当なし。
右腕が下で、左右の親指も下だったもんで・・。 しかも、右利きでもなく左利きでもなく、どっちも同じに使える。
そもそも、どういった占いをやっても該当無しってパターンが多いんで、ほーんと面白くない人なんだな~。


一般的に、、「左脳は理屈、右脳は感覚」といわれていて、理屈的なものを考えてるときには左脳の活動が活発になり、芸術的な絵を見たり音楽を聞いたりしているときには右脳の活動が活発になることが観測でわかっているようです。

でも、たとえば音楽を聴いたり、言語能力においても、右脳だけを使ってるわけではなく、左脳も使ってることだってあるし・・・そんな単純に分けられるってもんでもないはずです。

実際、私自身も・・・・これって、かつての職業病かもしれませんが・・・音楽を聴きながら、このフレーズはテーマで何回出現してるとか、あ、ここでピカルディー終止を使うなら、今後の展開のフレーズは?・・・なーんて考えながら聴いてることもあり、これって、音楽を聴くのは右脳じゃないだろーが! なーんて、思ったこともあります。

そもそも、別に左脳派だろうが右脳派だろうが、どっちでもいいことだと思いますけどね~(笑)

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

ただ、ちょっと、最近、教育の話で気になってたことがあって・・・。
それで、また、右脳左脳ってのも思い出してたってわけです。

実は、私、音大時代からずっとピアノを教えていたことがあって、その当時にも思ったことなんですが・・

なんで、日本では、ピアノ教育にはバイエルを使わなきゃならないんだよ!

ちょっとでもピアノを習ったことがある方なら、よーくご存知でしょうが、日本のピアノ教育では、ほとんどバイエルって教則本を使うんだよね~。

もちろん、最近は知らないけど、あまり使われなくなったって話ですね。(←だと、嬉しい!)

それがね、、、超退屈で、くっそ面白くもない教則本なんですよ~。
子供の頃に経験してるんで、よーーくわかります。

しかも、まず、右手の練習ってのがあって、次に左手の練習、それから両手の練習と順を追っていく。
しかも、最初は、ピアノの白鍵だけを使う練習で、もちろんハ長調から。。。

よーするに・・・

右手→左手→両手

ピアノの白鍵、そしてハ長調が易しいもの

黒鍵は難しい、そして、♯や♭が多くなるほど難しいもの



という感覚を、初心者に植えつけてしまうってことに抵抗があったわけです。

だって、音楽なんて、そもそも音ですもん。
ハ長調が易しいとか白鍵が易しいってことなんか、あるわけない!
楽譜なんて、単なる記譜法に過ぎないわけですもん!

楽譜なんか読めなくたって、素晴らしい即興演奏をしちゃう子どもだっているわけですから。
そっちの方が、よーっぽど優れた音楽性を持ってると思うんですよね~。


つまり、バイエルってのは技術面の練習法でしかないってわけです。
それも、かなり古典的な音を重視する・・。 ロマン派、印象派、現代曲の分野はカバーされてませんから。。


そもそも、ピアノを練習するってことは、すべての人がピアニストになるためじゃないわけで、それよりも総合的に、もしも、たった2-3年でピアノをやめた後でも、それが後に役立つような音楽センスを見につけるほうがいいんじゃないかなあ?

それならば、初心者の頃から、作曲センスをみがいたり、音を聴いてコピーし簡単な曲を楽譜にできて弾けるようにしたり、即興演奏ができたりした方が、総合的な音楽センスを磨くことにもなり・・・なによりも、本人が楽しい!
楽しくなけりゃ音楽じゃないですから・・・。


まあ、そんな事を考えたことがあって、当時、私は、ピアノレッスンで、バイエルの教則本を使うのをやめちゃったわけです。 (ちなみに使ったのは、バルトークのミクロコスモスって教則本、あとは、自分で曲を作って生徒に渡してた・・。)

そしたら、ご両親からクレームの嵐

「他の子は、みんなバイエルを使ってるのに、なんでウチの子だけ!
みんなと一緒じゃなければ困ります。」

いくら説明しても、理解してもらえず・・
結局、じゃー、しょうがないなあ、ま、バイエルでよけりゃ、やりましょ! って、妥協してしまったんだけどね。

・・・・・・・・・・・・

そもそも、なんで、日本ではバイエルって教則本を使うようになったのか?
ちなみに、こんなにバイエルを使ったのは日本だけです。

西洋では、もともとは、ピアノを習うのは貴族階級のお金持ちだったわけです。
当時のピアノ教師は、生徒のために、自分で練習用の楽譜を作曲して渡したり、または、生徒に合った楽譜を探してきて与えてたんだそーです。

ところが、中産階級の力が強くなり、彼らもこぞってピアノを習いはじめるようになると、今までいたピアノ教師の数が、圧倒的に足りなくなってしまう時代があったのだそうだ。
そこで、あわてて、先生がみつからなくても、自分ひとりでもテクニックを伸ばせるような、誰にでも合うような教則本を与える必要があった・・・そこで、バイエルが登場した、ってことのようです。
もちろん、未熟な先生であっても、バイエルを使ってる限り、教えることは簡単ですからね~。

時代が落ち着いて、先生の数も足りるようになると、もちろん、バイエルを使う人はほとんどいなくなったってことです。
日本にバイエルが導入されたのは、明治時代。
当時はピアノ教師だって、ほとんどいなかったでしょうから、まさに同じ状況で、重宝がられたんでしょうね。

ところが、その先、すーーーと、ほとんど最近まで使われてきたってことのようですよ。




子どもたちにバイエルだけでレッスンをしていくと、一生懸命に指を動かす練習に集中してしまうため、まーたく頭を使わなくなるし、感性ってのが育たない傾向になるんだよね。(もちろん、個人差はあるけどね。)

言われたとおりの機械的なことしか出来なくなっちゃう。

ふと、私が昔思ったとおりの事が書かれていた記事をみつけて・・・そんな事を、あらためて思い出してました。
実は、これまた、シュタイナーの音楽教育から読んだんですけどね~(笑)

・・・・・・・・・・・・・・・

さらに、もうひとつ。

これは、数学の話です。

数学って完全に左脳を使うものやんけ~と、私は思ってたんですが、

あるとき、数学専攻の方に、「数式ってのは美しい。素晴らしい公式をみると、まるでアートだね。」ってのを聞いて、

えーー、そーだったの~??

私は、中学時代、大嫌いな数学教師がいて、数学の授業も大キライになりました。他の教科の成績は、自分で言うのもナンですが・・かなりよかったのに、数学がいつも半分の点しかとれないため、大幅に全成績の足をひっぱってました。
なので、数学は今でも、さーーぱりです。


その人に言わせると、数学はね、創造力の勝負さ、それと、センスだね!ってことでした。

つまり、超簡単な例だと、たとえ同じものであっても、

ab+ac+bc=0

と書くより

ab+bc+ca=0

の方がセンスがよく、美しいんだそうです。 (←まあ、このくらいなら、私の頭でもわかるが・・。)



そこで、数学について、ある記事を発見
   こちらです↓
右脳数学~公式主義=左脳偏重の現代教育~②

これを簡単に要約すると、

何よりも指導者の教え方が問題であり、公式を証明するや否や,公式を使う例題の説明に入り,演習に入る。
これの繰り返しによって数学の授業は構成されている。これではイメージを喚起するような教育はなされない。

大切なことは,直観による理解なのである。
しかし,直観による数学教育というのは,非常に困難な道である。なぜなら,教育全般が左脳に偏った教育になっていて,児童生徒の発想が左脳的になってしまっているからである。



なんだか、こうやって見ていくと、音楽だけじゃないんですね~。

ピアノなんて右脳に働きかけるものって思っていたけど、ただ楽譜を見て楽譜どおりに弾けるようにするだけだったら、体育会系のうさぎ跳び練習と変わらないような気がするし~。

数学だって、本当は公式を覚えることだけじゃない、クリエイティブなものであり、直感を使えなければダメってことになると、、、、、

これは、ひょっとしたら、今の学校教育すべてが、おかしな方向にいってるのかもしれない!

また、人間は、どんな学問だろうとスポーツだろうと、右脳と左脳を使って、創造性や自分で考える力がなければ、無意味なものかもしれない。

今さらながら、そーんなことを考えてしまったわけです。

あ、この記事の前記事、①もありましたので、よろしかったら、こちらもどうぞ↓
右脳数学~公式主義=左脳偏重の現代教育~①

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

もうひとつ、関連してるな~って思ったことは、日本に昔からあった棟梁、親方の制度についてなんですが・・、

これも、私は、以前は、ネガティブな感覚でとらえてるような部分もありました。

すし屋に昔、奉公に出た人が、

「はじめは、ずーーと、掃除と洗い物ばっかりで、包丁も握らせてもらえなかったし、給料なんてほとんどなく朝から晩まで掃除と洗い物だった。 ずっと我慢して、まあ、一人前になるまでに、10年かかったなあ。」

と言うのを聞いて、ちゃんと学校制度ってのが出来て、本当によかったなあ、と思ったもんです。


ところが、宮大工に弟子入りした人の話を読んでから、ちょっと見方が変わりました。

最初に棟梁に言われたことは、
「納屋を掃除しておけ」

「はい」って答えて納屋へ掃除に行くと、そこには棟梁の道具が置いてあったし、鉋屑なんかがあった。
「納屋を掃除しろ」ということは、「そこには自分の道具が置いてある。よくわしの道具をみてみろ。わしがおまえの鑿や鉋がまったくなってないって意味がわかるだろ。
そこにはちゃんと研いだ鉋で削った鉋屑もある。それが本物なんだ。
道具を研ぐというのはそういうことだ。「掃除をしながら俺の仕事をよーく見ろ」ということだったのだ。

棟梁から「これはこうやって、ここはこうだ」なんてこと、一つもおそわらなかった。
納屋に上がって、「鉋屑はこういうもんだ」って鉋を一回かけてその鉋屑をくれただけ。

これが訓練校で少し教わってきたら違うんだ。
「こうやれば削れる」って説明してくれるし、だからかえって、その説明が頭から離れなくなる。
できるだけそれに近づこうとする。そのことが頭から離れず、それに凝り固まっちゃうんだなあ。
そのためにかえってわからなくなる。

弟子のなかにも、早く覚えたいからといって本を読むやつがいる。鉋の刃はこうしたほうがいい、こういうときはこうすればいい、って書いてある。
そして、聞いたようなことを質問してくる。
しかし棟梁は言葉では教えない。やって見せるんだ。

本で覚えたことは自分の手でやっていないから、手本を見せてもなかなかわからないものだ。
そういう意味では本を読んでも無駄なんだよ。それどころかそんなことに気を使い、意識するだけ上達は遅くなる。
棟梁がひとこと、「心を空にして指導教示を受け入れる様に」って言ったけど、それしかないんだ。

そのときは何でこんなこと話してくれるのかもわからず、「ふーん、なるほど」と思って聞くだけなんだ。
しかし後で考えると、そのときそのときの自分の力量や、次の仕事に関係のあることを話してくれるってことがわかってくる。 そして、自分の中で、棟梁の一言が後で大きくなっていくんだ。

わからないことを聞きに行くと、

「おまえの考えは?」
こう聞かれるし、答えを教えてくれる前に、

「では、あれはどうなっていた?」
って逆に質問される。

だから棟梁には下手に質問できない。
間違っているかもしれないけれど、自分はこう思うんだというのを持っていないと質問ができない。
だから聞く前に考えるようになるんだ。


「自分がわからないとき、わからないから、教えてくれっていうのは失礼なんだ」
棟梁は教えられるんやなくて自分から「学べ」っていってたのだ。

みんなはなんでも言葉や文字で伝わると思っているが、そんなのは一部に過ぎない。
匂いや音、手の感触なんてものが文字で伝わるわけがない。

学校や訓練所で、勘が養えるか?なんでも学校で襲われると思ったら間違い。
勘をどうやって養うかっていったら、自分の師匠から写し取るしかないんだ。

だけど、人はみんな性格も、持っている才能も違う。
教える方は弟子の性格や才能に合わせてタイミングをはかって、ここまで来たらこうしてやろうということを考えなくちゃならないんだ。勝手に教えておしまいってわけにはいかないんだ。

個性なんてものがなければ、誰にでも同じ方法で教えられるけど、人は木と同じでそれぞれ癖がある。
それを無視したらだめになってしまう。癖を生かすように、それを伸ばしてやるのが教える側の勤めなんだ。
棟梁はこういっている。「人間は生れたままの個性を持っている。本当の教育というのは、その個性を伸ばしてやることだ。」

こうなると教わるほうも教えるほうも大変で、学校のように教室に集めてみんな一緒に、同じペースでというわけにはいかないものだ。

以上、ここからの抜粋です↓
http://web.joumon.jp.net/blog/2014/08/2127.html



これを読んでから、私も徒弟制度ってものの考え方がちょっと変わりました。

あ、もちろん、これって、すぐれた師匠につかなきゃ話にもならないですけどね~。


「教えること」「教えてもらうこと」についても、学校教育をはじめとして・・限界がきているのかもしれません。

会社での仕事においても、「後輩にはもっと主体性が欲しいんだよね!」な~んて言いながら、先輩は、せっせとマニュアル作りをしちゃって、「ちゃーんとマニュアルに書いてあるだろ?そのとおりやってもらわなきゃ困るよなあ。」・・なーんて、言っちゃたりする。。。(笑)

たしかに、すべてを教えてしまえば主体性は育たない、自分で感じなくなる、自分で考えなくなる、言われたとおりにしかできない、やろうともしなくなる・・・ってことになるんでしょうね~。

主体性を持たせる教育、クリエイティブ、右脳を働かせること・・・なーんて、昨今ではよく話題になるわりに、実際には、あーんまり、実践されてなくて、ただ言ってるだけ?って、気もしちゃいます。。。


もっとも、どんな状況下であっても、たとえ詰め込むだけの授業をされてる生徒たちであっても、

中には、先生も気がつかないようなポイントを直感的にキャッチして、自分自身で把握して学んでいける人もいるわけなんで、学校が悪いとはいえないとは思ってます。

ただ、やっぱり全体的には、主体性を持つこと、クリエイティブ、右脳を働かせること、自由に発想する力、ってのは、育ちにくいんじゃないかなあ。


そういった人間が巣立って、社会を作っていっちゃうんですねえ。。。

みんな与えられたものだけで、考えない人間、感じない人間が多い社会になっちゃうと思うと、ぞっとしますね~。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それでも、やっぱり人間は、生まれ持った個性や能力ってのは持ってると思います。
あの棟梁の言葉じゃないけど、人も木と同じように個性を持ってる。。。

同時に、本来、直感や霊感、第六感ってものさえも備わってると思います。

もしも、
「あれ?自分の個性ってなんだろう?自分の能力ってなんだろう? 最近、直感って働いてないような気がするなあ。」

と、それだけでも気がつけば、必ず、本来の自分の姿に戻れる気がします。
たとえ、それが、いくつになっていても・・・。

むしろ、子どもたちの方が、与えられた課題をこなすことにいっぱいいっぱいで、余裕がないため、見えなくなってしまっているのかもしれません。

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Author:gingetsu2010
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皆様にも「スピリチャアルの意味」「生きる意味」を感じて頂けたら、幸いです!☆

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