マタギと山の神信仰

なんで、マタギなんかを調べだしちゃったんだろう?

えーと、確か・・狩猟民だった縄文人を調べているうちに、マタギにたどり着いたような気がする。。。


マタギとは、「山に入る猟師さんのことで、昔の方言かなんかで、マタギって呼んでたんだろう。」
と、単純に考えてた私だが・・・これが、違ったんだよなあ~。

たしかに、猟師さんではあるけど、でも、ただの猟師さんではない!

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そもそも日本人は、農耕民族の国。
農耕民が大多数であって、それが、一般大衆であり、フツーの人々だったわけだ~。

それに対して、樵夫(きこり)、木地師(きじし)、山窩(さんか)、又鬼
(マタギ)
という人々は、山岳地帯を生活の場としてきた山の民で、はっきりと、フツーの人々である「里人」とは、区別された存在だった。

●樵夫(きこり)・・・山に入って、木を切り倒すのを仕事にしてる人たち。

●木地師(きじし)・・・原始的な手びきろくろと、ろくろがんなを操作して、椀、盆、丸膳などを主に作ってた人々。 このほかに、轆轤師(ろくろし)、狛屋(こまや)などの呼名がある。

● 山窩(サンカ)とは、日本の山間部を生活の基盤とし、夏場の川魚漁、冬場の竹細工を主たる生業としながら、山野を渡り歩く人々。

いずれにしても、一箇所に移住してる人もいたけど、多くは、もともと土地に依存しない非農民で、漂泊生業者だったようだ。

つまり、戸籍を持たない人々も多かったらしい。
なので、一般大衆の里人(農耕民)からは、煙たがられるか、差別されるか・・・ということも非常に多かったのだろう。

民俗学者柳田國男は、著書『山の人生』でマタギに関し、次のように記述している。
「マタギの根源に関しては、現在まだ何人も説明を下しえた者はないが、岩手、秋田、青森の諸県において、平地に住む農民たちが、ややこれを異種族視していたことは確かである。」



ああ、そうそう、戸籍を持たないということは、非民と呼ばれ人間扱いされない!という、差別の時代だったからね~。

●マタギと呼ばれる人たちは、東北地方・北海道で、古い方法を用いて集団で狩猟を行う者をのこと。
「狩猟を専業とする」人々。
しかし、クマ狩りだけでなく、山菜採り、魚などを捕まえる川狩り、キノコ狩りなど・・・とにかく、山々から自然の恵みをいただく者たちを広くマタギと呼んでいた。

いったい、その起源はどこにあったんだろう?

色々な説は、あるようだけど、

もともとは、大和朝廷の中央集権にまとまろうとしていたときに、それに反発して、山に逃げてしまった人々、または、それは縄文人の世界までさかのぼらなければないだろう・・というような説がある。

狩猟民であった、縄文人

または、そのすっと後に、
源平合戦のあとに、落武者として生き延びた人々が、山奥に隠れ住み、マタギの里を作った。

というような説もある。


たしかに、両方のケースがありそうだなあ~。

現に、あるマタギの里では、全世帯の約6割が「佐藤」姓で、源義経の重臣だった、佐藤継信の子孫と称しているところもあるらしい。

源氏だろうが平家だろうが、落武者となって、隠れ住んだ人がいたことも確かなようだね~。

いずれにしても、農耕民の世界とは、まったく違ってたのは確か。

たとえば、マタギは、命がけで数人でチームを作って、クマ(主にツキノワグマ)を狩るんだけど、無事、クマをしとめたときは、獲物はみんなで平等に分けるのが決まりなんだとか。

マタギの古来から狩猟方法では、犬を使うことはめったになかったらしいが、もしも、犬を使って狩りをした場合は、その犬も頭数に数え上て、ちゃんと等分に分け前を与えたんだそうだ。

もちろん、チームリーダー的存在がいて、シカリと呼ばれていたそうだが・・・シカリは、猟においては全マタギの、絶対的な存在だったとか。

それでも、分け前は全員同じ・・・というのがキマリなんですって。


こういったところだけを見ても、つくづく・・組織の上に成り立っている、農耕民族とは全く違うんだね~。

また、シカリになるのは、完全に実力主義だそうで、農耕民のように、富を蓄えたものが庄屋さんになる・・な~んてこともない。

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・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、マタギの仕事は、もちろん、大物の獲物は、ツキノワグマ!
(念のため、今では、ツキノワグマは天然記念物になってしまってるんで、狩りは不可能。)

クマが冬眠して、動きが鈍くなる冬になると、マタギはチームを組み、クマ猟に出かける。

古来から熊は貴重な動物で、熊の胆は万能の霊薬として金と同じ値で取引されていた。
熊の毛皮は敷物として高価であり、肉は食用として貴重な蛋白源となった。



昔は、熊の胆という薬があったそうですよ。
私のお婆ちゃんが、昔、話してたのを聞いたことがあります。 今でも、漢方として残ってるんですかね?
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効能は慢性の胃腸病、食中毒、疲労回復、二日酔いなど、万病に効く薬だとか・・。

とにかく、クマは捨てるところが無い、貴重なものであり、しかも、賢く勇猛。
「山は山神様が支配するところであり、クマは山神様からの授かり物」といわれていたんですね。

これって、完全な、アニミズム(自然崇拝)思想

厳しい雪山に分け入って、寒い最中に深雪、吹雪、雪崩の危険に曝されながらも、熊を追いつめて、火縄銃と手槍で仕留めるのは命がけの大仕事だったはず。
クマは、普通で、7~8キロ。 まれに200キロを超す大物もいる。 鋭い爪の前足は一撃で牛や馬を倒す。

おそらく、仕事を成し遂げるには、強い意志と団結力と、絶妙な技、そして、その上に、山の神の御加護が必要だったんでしょうね。

マタギの狩り

マタギの伝統的な狩猟方法として知られるのは、マキ狩りというもので、マキ狩りには、頭領をはじめ20人ほどが参加する。

それぞれの役割が決まっていて、

クマを見つけると、セコ(獲物を追い出す係)は槍を手に大声を上げて、ブッパ(鉄砲を持った射手)が待ち構える場所までクマを徐々に追い立てていく。

その包囲網は、どんな俊敏な小動物さえ逃れられないほどの見事な囲みだった。

クマが射程距離に入ると、いよいよ発砲するのだが、体のどの部分を撃ってもいいというわけではなく、クマの側面脇を狙って撃つ
クマの正面から胸元や腹部を打てば、最も貴重な部分である胆のうを傷めてしまう恐れがあり、さらにはクマの肉の味まで駄目にしてしまうのだそうだ。

そのため、ブッパは、狭い的を的確に狙い打つ高度な技術と経験が必要だった。


詳しくは、こちらのサイトにあります。↓
http://www.akita-gt.org/eat/shoku-02.html

そして、彼ら、マタギたちは、山入りをした後は、特別な作法に従って行動する。

まず、マタギ達は山に入る時には髭を剃り、身を清め身綺麗にして出かける。

そして、日常の話し言葉は「里言葉」と言って、いっさい使わないことになっていた。
代わりに、マタギ仲間だけに通用する「マタギ言葉」「山言葉」を使用した。

「マタギ言葉」は山での第一の掟とされていて、逆に、里では使用してはならなかった。

「山神様は、気がたけだけしい。夏の間は田畑の神様で、里に降りているが、冬になると神聖な山に帰る。
そうすると、汚れた里のことは一切嫌いになり、里の言葉は使わなくなる」という。

ちなみに、マタギ言葉には、イヌをセタ、水をワッカ、大きいをポロという。
(実は、アイヌの単語がたくさん用いられているらしい。)

また、マタギ言葉だけでなく、代々シカリに伝えられる巻物と、山の神への捧げ者のオコゼを持って、猟に行く・・というようなこともあったようだ。makimono.jpg
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(実は、山ノ神は、とっても醜い女神様で、自分よりも醜いオコゼの姿を見ると喜ぶんだとか・・(笑)


そのすべては秘事であり、秘法は凡て口伝で代々マタギにだけ伝えられ、口外することは一切タブーとされていた。



ところが、現在では、そういった秘事も、すでに秘事でなくなっちゃったようで・・ちゃんと、Wikipediaでも、簡単にマタギ言葉が調べられるようになっちゃったんですからね~。

つまり、戦後あたりから、もう、正当なマタギは、姿を消してしまったってことなんでしょうね~。

最後に、狩のあとは、必ず、ケボカイの神事を執り行う。

熊の頭を北に向け、あおむけにする。シカリが塩をふり、口字を切る。
山神さまに感謝し、次の獲物を授けてくださいという唱え言葉を三度唱えるなど。

こういった、一連の神事は、神に感謝し、熊を成仏させるために引導をわたすものであるとされている。

山の中は山の神の支配する聖域であって、そこでは山の神の意に反することは絶対にしてはいけない・・・・彼らは、獲物を山の神の恵みとして感謝し、必要以上に乱獲せず、祈りを捧げていた。


なんだか、これを聞くと・・アメリカの先住民の思想とも似たものがある。


ずっと以前に、やはり古代の狩りについて書かれたものを思い出してしまった。

これは、日本ではない、とある外国の話だったんだけど・・・
  ↓
野生馬の群れをみつけて狩りをしようとすると、群れのリーダーと思われる大きな美しい馬が丘の上にそびえたっている。
神々しいまでに畏敬の念を感じる馬に、一人の男が心の中で祈る。

「どうか、私たち飢えている部族に、二頭の馬を与えてください。私たちの食料とさせてください。
私たちは、感謝の祈りをささげ、犠牲となる馬たちが、幸せに旅立てるように、そして、また生を受けて戻ってくることを祈るだろう。」

すると、偉大な馬は姿を消し、その後、すぐに、野生馬の群れがやってくる。
男たちは、二頭の馬を見事にしとめる。

部族のものは、まず、ひざまずき、二頭の馬に深い感謝の祈りを捧げ、そして、全員で分け合い、大宴会を催す。


そんな内容の話だった。

自然崇拝、アニミズムみたいなものは、単なる無知な原住民の迷信に過ぎない!と、私は、子供の頃はずっと思っていた。
でも、それは、常にスーパーで買ってきた肉や魚、パック詰めのものしか見たこともなく、食べたこともなかった子供の感覚なんだろうなあ~。

つい、最近、初体験のニジマス釣りをしたとき、すごい!生きてるんだ~!命を食べるんだ~って、つくづく、いまさらながら、実感しちゃったわけです。(←いい年をして、かなり恥ずかしい。)

それって、すごいことなんだ!って。


まあ、最近では、肉食が良くないとか、ビーガンにすべきだとか・・スピリチュアル的にも、肉食は霊性を下げる・・とか、って、口にしない人も多くなってきてるんだけど・・それは、まあ、そうかもしれない。

でも、食べちゃいけないということではなく・・まず、生きていたものを殺して食べるならば、命を食べることへの重み、喜び、感謝を感じることが必要なんじゃないかな~。

ふと、そんなことを感じてしまう。

パックに入った肉に、ちーっとも、命を感じなくなってる人々、そういった現状の方が、怖いことかも。

ひょっとしたら、野生のライオンが、野うさぎを襲って食べるときよりも、私は、何の感謝も感動もなく、パックの肉を食べていたのかもしれない。

うっ~。


だからこそ・・今、マタギの生き方こそが、一番まっとうな生き方に見えてくるのかなあ。

一番、人間として、正しい生き方のような気さえしてくる。

厳しい自然の中で、誰にも属さずに自由。

農耕民のような縦社会に縛られることもない。しかし自然の厳しさ。命の重み。

それとも、命の重みは、命をかけるものにしかわからないのだろうか?

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No title

私は、ベジタリアンではありませんが

食肉1キログラムを生産するために、その約10倍の穀物が飼料として使われ、一方で飢餓により死ぬ人がいること。また、肉は生産や輸送の過程で二酸化炭素を大量に排出するため、肉を食べないことは地球温暖化対策になるということ。

と、とある方が言っていました。

肉や魚を食べなくても生きていけるのに、なぜ食べるのかと訊かれると、、、
美味しいから、というのが本音でしょうか。
もちろんいただけることに感謝していますが。

いろいろ思う事あります。

いつも興味深い記事をありがとうございます。





Re: No title

rkさん

まったくですよね~。どう考えても、おかしいだろ!ってことばっかりですもんね。

数年前に、狂牛病騒ぎときなんかは、大量の牛が殺され、鶏は、みんな生きたまま穴に突き落とされ、生き埋めにされてる映像を見たことがあります。

たぶん、生き物である前に、お客様のニーズ合う商品「商品」なんでしょう。

そんなことを言ったら、ペットショップの犬、猫なども、みーんな商品なんでしょうね~。

おはようございます。

「マタギ」って気にしたことがなく、なんとなく部落民のような存在なのか
と思っていましたが、そうではないことが、お陰様で分かりました。

狭い領域の中で少数の人間が集団自活をすると、こうなるということでしょうか。
確かにアメリカの先住民に似ています。アボリジニにも似ているでしょうか。
面白いのは、宗教の中の神道と同じで、生き方が原始的なほうがスピリチュアルに近く、
中には、自然界を実際に制御できる力を持っている人も居るようですね。

「熊の胆」は一度飲んだことがあります。本物だったかどうか知りませんが。

No title

こんにちは。

興味深い記事をありがとうございます。
つい最近、広島で大きな土砂災害が起き、たくさんの尊い命が
犠牲になりました。
この災害は天災ではありますが、人災だと思います。

理由は山が異常に削り取られてそこにべったりと住宅を
建てていたからです。
宅地不足のため、デベロッパーが宅地開発を進め住宅を売り、何もしらない人々が購入してきたのでしょう。

人間の都合のために自然を捻じ曲げた結果です。

そんな中この記事を読み、山神様の気高さと怖さを知り、また、
自然に向き合って生きていた昔の人々の意識の高さと
感覚の鋭さを感じました。

自然を畏怖している人は、人間の都合で何かを自然に施したら
大きな反動があるということをわかっていたのですね。
特に山は怖いと思いました。

自然にはその自然がそうである意味があるのに、人間が目の前の都合しか見なくなり自然を踏みつけているツケが、幼い命を奪う結果になっているなんて我慢できないです。

知っていくことしか守る方法はないのでしょうね。


Re: おはようございます。

☆バーソ☆ さま、


「生き方が原始的なほうがスピリチュアルに近い」というのは、たしかに言えそうですね。

テクノロジーが進んだ中で生きる「文明人」であっても、なお、原始的なスピリチュアルを持ち続けること・・・というのは、無理かなあ。

「熊の胆」は、
「とっても苦いんだけど、すごく効く薬なのよ。良薬は口に苦しって言うくらいだからね。」

と、子供の頃におばあちゃんが言ってたのを思い出しました。

真っ黒でとっても苦い!そんなイメージだったけど・・・どうでした?

Re: No title

fumi さん


広島の状況は、NHKの特集番組だったかで、見ました。
まだ、危険地域は日本中に多く存在するんだそうですが、「危険地域指定」というような勧告はなかなか出せないんだそうですよ。

なぜなら、そんなことで注意を促してしまったとたん、土地家屋の価格が下がってしまうから・・・。
だから、住民も嫌がる人が多いんだそうです。

津波、地震、雪崩、土砂崩れ・・すべての自然災害に対しては、もう、自分自身のカンを働かせて自分で自分や家族の命を守るしかないと思いますね。

発表される情報を待っていたのでは、遅い!当てにならない!ですからねえ。


現代の状況をみたら、当時の「マタギ」の人は、さぞ、びっくり仰天でしょう。
「えーー、こんなになっちゃったんだ~。ああ、もう、終わりだ~!」と思ったかも。

でも、ここまできちゃったからには・・・

唯一、現代人の出来ることとして、「グッズを用意しておく、家族と打ち合わせをしておく、何があっても力を合わせて、たくましく生き抜く心の準備をしておく」

それが、すべてかな!と思います。
Profile
スピリチュアル世界中心のブログ★

gingetsu2010

Author:gingetsu2010
アリゾナ州セドナにて、アクセサリー工房Alizona*銀の月*をオープンしてる銀月です!

日々の生活や体験の中から、社会のこと、スピリチュアルなことなど・・思いつくままに書きつらねてます。

皆様にも「スピリチャアルの意味」「生きる意味」を感じて頂けたら、幸いです!☆

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