イエメンのイマーム・ヤフヤの不思議

イエメンという国は、あまり日本人には、馴染みがない国かもしれません。

えーーと、中東のはずだけど、どこだったけ?って方のために↓

where-is-yemen.jpg

ちょっと古い話なんですが、有名な不思議話があるんですよ~。


その前に、イエメンの国について、ちょこっと話ましょう。

イエメンの歴史は、紀元前1000年頃のシバ王国にまでさかのぼることができます。

シバ王国ってのは、ソロモン王シバの女王で有名ですよね

旧約聖書にも登場するし、古代のユダヤ(スファラディ系ユダヤ人のこと)の国について触れた記事を、以前に書いてるんですが・・、ここでした↓
ユダヤの謎と日本の起源(その1)

こんな事を思い出すと、とても、大きな意味を持つ地域だったんじゃないかあ~。

王国のあった所在地については、現在のエチオピアかイエメンか、または、エチオピアとイエメン双方に位置していた可能性もあるそうです。

ようするに、よくわからないけど、ここらへん一帯だったってことですね~。

シバ王国は農耕が発達し、特産品の香料(乳香)の中継貿易によって栄えた国で、古代ギリシャやローマの時代には、
幸福のアラビア(Arabia a Felix)と呼ばれ、非常に栄えた街、美しい街だったようです。

ところが、まずは、エチオピア方面から侵入を受け、525年には、ササン朝ペルシャの支配を受けることになるし、
7世紀に入ると、イスラム教が流入してくるし、9世紀からは、ザイード派(イスラム教シーア派の一派)のラシード王家による王朝の支配となり、16世紀には、オスマン・トルコによる支配・・・という具合に・・・やれやれ

古代ユダヤの民が、とっくの昔に、散りじりに消え去ってしまったあとは、イスラム圏となり、なかなか政情の落ち着かない地域になってしまったわけです。

その後、あいかわらず、ゴタゴタを繰り返した後、1869年のスエズ運河の開通、
オスマン・トルコは高地にも勢力を伸ばしその結果、北イエメンを再び占領。

いやあ、この頃のオスマントルコってめちゃめちゃ強かったんですね~。
(ちなみに、オスマントルコというのは、オスマン家出身の君主(皇帝)を戴く多民族帝国なんですよ。)

結局、イエメンはどうなったかというと・・北はオスマン・トルコ領、南はイギリス領に分かれ、分断されちゃったそうです。

イエメンってのは、本当に苦労が絶えないわけですね~。

ところが、オスマン・トルコの支配に対して、地方の首長は度々反乱を起こしたわけです。

1904年には、ザイード派の指導者である、イマームのヤフヤによる反乱、
1909年には、ザイード派の北部部族による反乱などなど。

1911年には、強行に反乱を起こしてがんばってた、ヤフヤとザイード派に自治権を与えるという平和条約が交渉されたらしいんですが、まだまだ、トルコ軍との戦争は続いたままだったそうです。


ようやく、オスマン・トルコ軍は、第一次世界大戦の敗戦をきっかけに、次第に弱体化していき、

1918年、オスマン・トルコから、ようやく、イエメン王国が独立しました。

ここで、イマーム・ヤフヤは、イエメン国王となったわけです。

この、イマームというのは、ファーストネームってわけじゃないみたいですね。↓

アラビア語で「指導者」「模範となるべきもの」を意味する語であり、イスラム教では「指導者」を指す。
スンナ派においては、ムスリム(イスラム教徒)の大小の宗教共同体を指導する統率者のこと。
シーア派においては、宗教共同体にとって特別な存在である「最高指導者」のこと。



ようするに、最高指導者、統治者、国王に対する称号みたいなもんなんでしょうかね?

国王になった、イマーム・ヤフヤさんについては、こんなふうな説明がありました↓

イエメンの宗教・政治指導者。ザイド派の名門に生まれ,1904年同派のイマームとなる。以後オスマン帝国支配に対する反乱を指導,11年大幅な自治権を得,18年独立を達成した。アデンのイギリス勢力としばしば軍事的衝突をきたしたが,他方34年にはサウジアラビアと戦って敗北を喫し,48年暗殺された。




さて、イエメンについての前置きが長くなってしまいましたが、ここからです!
ここから、不思議話に入りますね。↓

この王様、ヤフヤー・ハミード・アッディーン【Yaḥyā Ḥamīd al‐Dīn】 1867年生‐1948年没
についての話です。(これが、本名なんですね~。)

イエメンの国王、イマーム・ヤフヤ(1869年 ~ 1948年)には、有名な占い師(予言者)がついていた。

幼い頃、ヤフヤは、この占い師から「決して自分の写真を撮られてはいけません。もし誰かに写真を撮られたら、あなたは不慮の死を遂げることになるでしょう。」と予言された。

この予言を信じたヤフヤは、それ以来、決して人に写真を撮らせないように最大限の配慮をしていた。

そのため、もちろん国民も、ヤフヤ王の顔を見たことがなかったというわけだ。

ところが、あるときのこと、

あるイタリア人の画家が、国王に面会を許され、その面会中に、記憶力のいい画家は、国王の顔を完全に覚えてしまったのだ。
そして、あろうことか、面会が終わってすぐに、国王の肖像画を描きあげてしまった。

この肖像画は、後にアメリカのリプレーという作家の元に渡ることになる。

リプレーというのは当時のアメリカの人気作家であり、しかも、世界中の不思議な事件や奇妙な風習などを文書や漫画にして発表している人物だった。

リプレーはこの当時、新聞に「信じようと信じまいと」というタイトルのコラムを連載していた。

このコラムに、「イエメンの国王は、自分の写真を他人に見られると自分が死ぬと信じているため、この国の国民は誰も国王の顔を知らない。」という記事と共に国王の肖像画を新聞に掲載してしまった。

確かに写真ではないが、絵という媒体を通じて国王の顔は多くの人の目に触れることになってしまった。

Yahya_Muhammad_Hamid_ed-Din.jpg
Wikipediaより


この記事が掲載されたのは1948年2月20日。

そしてアメリカで記事が掲載された、まさにこの日、

イエメンにクーデターが起こり、ヤフヤは反乱部隊の手によって殺害されてしまった。

クーデターは、王位継承を狙う一人の王子の陰謀であり、このクーデターによってヤフヤ王自身と、16人の息子のうちの3人が暗殺されたそうだ。

ヤフヤ王殺害のニュースはその日のうちにアメリカに伝わり、夕刊に記事が掲載された、と記録されている。


Yahya Muhammad Hamid ed-Din

写真じゃないし~、絵なんだから、いいじゃんか!・・・というのは、通らなかったんですね~


まあ、単純に考えれば、「だから、写真も絵も、絶対ダメだったんだよ~。占い師の言いつけを守ってればよかったのに~。」とも言えそうな話ですが、

なーんとなく、そうゆうことじゃなかったんじゃないかな~


つまり、占い師(預言者)は、すでに、彼が死ぬ姿を見ていて(予知していて)、写真(絵)が公開されるときに死ぬ運命だってことを知っていた。

そして、いずれ、写真か絵を、どんなに気をつけていたとしても、必ず公開される日が来るだろうし、それは避けられない出来事だったんじゃないかな。

そんなふうに感じました。。。

・・・・・・・・・・・・・・

多くの動物は、自分の死を予期することができる、という話を聞いたことがあります。

特に死時が近づくと、ほとんどがわかるのだそうです。

ところが、唯一人間だけが、自分の死を予期できないんだそうです。
(なーんとなくわかる人もいるんでしょうが、どこかで、完全に信じ切れてないというような予感の仕方なんだそうですよ。)

あ、ノストラダムスは、はっきり予言していたとも言われるんで、もちろん、例外はあるんでしょうけど。
(彼って、動物的本能に近かったんかな?


世の中には、びっくりするような予知能力を持つ人もいて、げんに、私のまわりにも、そういった人たちがいるんですが、

その彼らですら、なぜか、自分のことは見えてこないんだよね~と、言ってる。。。

だからこそ、未来は白紙のわけで、最後の最期まで死を確実に意識しないでいられるから、生きられる、生きようとするのが人間なのかもしれませんね。

これって、ひょっとしたら、幸せなこと?


ここで、昔読んだ吸血鬼の話なんかを思い出しちゃったんだけど・・吸血鬼は死なない、死ねないんだよね?

何百年も何千年も行き続けるって、結構、しんどいことなんじゃないかな?


それと比較すると(←吸血鬼と比較してどーすんの?)人間って幸せかも。


最後の最期までわからないから行きようとするわけだし、そして、ちゃんと終わりも来てくれるんだからね~。



ヤフヤさんは、最期にどう思ったんでしょうかね?

「あ、やばい!しまった!やっぱ、あの絵を描かれたのがまずった!」と思ったか、それとも、「あ、こうゆうことだったのか~。これも定め。思い残すことはない。」と思ったか・・・。

でも、かなり若い頃に予言されていたってことは、少なくとも、いずれ来る、死というものを意識したに違いないわけだし、だからこそ、オスマントルコを相手に戦い、彼なりに人生を駆け抜けていったのかもしれません。

死は必ず来る、という自覚、だけど、それがいつかは漠然としていてわからない。
だからこそ、せいいっぱい生きようとするのかもしれませんね~。

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