地球滅亡の日とカタカムナ

またもや、日中の気温が30度もあった次の日、


やっぱり山火事が起こった。。。

もっとも、こちらは、夜になると15度くらいになってしまうんで、眠れないほど暑いということはめったにない。
が、日中暑い日が続いて雨が降らないと、必ず自然発火の山火事が起こる。

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夏になれば毎年山火事

だけど、今は、1月だよ!!

これも、世界中で起こる異常気象の現象だろう。

長年の環境破壊に、人知を超えた宇宙線や地殻変動や小惑星や太陽・・さまざまなものが影響しあった結果なのかもしれない。
海中もまた、大量の石油流出事故、船舶からの超音波、それに、原発廃棄物か・・・そりゃ、いくら浄化作用がある海でも、たまらないだろう。。。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

私の友人、日本生まれで子供の頃は、日本で育った彼は、こんな事を言っていた。

「僕は、東京の府中市出身なんだよ。僕みたいな、昭和40年代生まれは、ひどいアレルギーをいっぱい持ってる人って多いんだ。当時の府中市は多くの工場が立ち並び、光化学スモッグ発令ってのが、頻繁にあったよ。でも、当時は、まだ、人々がそれほど真剣に考えてなかったせいか、多くの子供たちは、外で遊んでたからね。」


実際、彼は多くのアレルギーを持っている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そういえば昔の日本が、豊かな欧米諸国にあこがれて高度成長を目指して、産業開発の真っ只中にいた頃、
始めて、環境問題が注目されたのは、

1956年、熊本県の水俣市で発生した水俣病だったと思う。

あれから、様々な条例により、有害物質を住民のいる土地や川、海に捨てないようになっても、結局は、廃棄物を捨てるのは、川や海に捨てるか土に埋めるしかないわけだ。

自然界に還元できない有害物質を捨てれば、また、それが大量になればなるほど、いずれは、土地や川、海が汚染され、まず、まっさきに影響を受ける動植物は死滅し、食物連鎖が狂えば他の動植物にも影響し、そして天候にも影響を及ぼし、オゾン層が破壊され・・・

そうなるとまず、

人口増加に伴う食物不足かな?(映画のソイレント・グリーンを思い出すなあ。)

南極北極の氷が溶けてしまい、すべての土地が埋没か?(映画のウォーターワールドを思い出す。)

オゾン層が破壊されて大量の放射能を浴びるようになり、地下生活になるかな?宇宙戦艦ヤマトかな?)

そのまえに、異常な寒波到来か?デイアフター・トゥコローか?)


ざっと考えただけで、いくつかのSF映画やアニメ作品なども一緒に、浮かんできてしまう私だが・・。


でもこれは、現実に私たちが向かう世界だと思うのだ。

そして、現在、すでにこの兆候が現れている。

いつ、火山の大爆発が起こっても大地震に大津波、大寒波に覆われようが不思議はないし、仮に、天変地異が起こらなくても食物不足が原因の戦争や疫病で死ぬか・・・だ。


これを止められるんだろうか?


中には、真剣に環境改善に取り組んでる人たちがいて、

多摩川(東京都)に魚を戻すことに成功(私が子供の頃は汚水を流すため真っ黒の水だった。)

蛍の名所だった場所に、蛍を戻すことに成功


なーんて、ニュースも聞いたことがある。


実に、ほのぼのとした気分にさせてくれる嬉しいニュースだし、必死に取り組んでくれた人には頭が下がる思いです。

でも、地球滅亡を食い止めるには、あまりにも小さすぎて悲しいというか、切ないというか・・・。


おそらく、このまま言ったら、最終的には滅亡は間違いないでしょうから。。。

その理由は、現状において、産業の発展や生活水準の向上と環境を考慮することは、まっこうから相反する状況にあるからです。

つまり、人間の大半は、豊かになること(お金を儲けること)生活が便利になること、を目指してるわけです。

中には、それは資本主義社会の考え方って言われることもあるけど、社会主義だろうが、共産主義だろうが、個人にゆだねるか国家レベルにするかのアプローチの違いだけで、環境問題においては、まったく同じです。

多くの人間のめざすとこは、み~んな一緒のわけです!


別の言い方をすれば、お金にならないことはやんない! 後回し!ってことですね。


それでも、「エコロジー」「地球に優しい」なーんて、キャッチフレーズのもとに多くの商品が開発されてますねえ。

そのひとつ、

環境に優しいと宣伝されるている「ハイブリッドカー」、

280px-Toyota_Prius_Plug-In_Hybrid_IAA_2009.jpg


たしかに走行中、従来のガソリンカーと比べると排気ガスを撒き散らさないんで「まさに、環境に優しい!」って思ってしまいがちだけど、

その開発、製造、廃棄処分などをよ~くみると、多大なエネルギーを使うために、その環境負荷は、ものすご~く大きなものになるんだそうだ。

たとえば、電池、バッテリーはどこに、どうやって廃棄させるんだろうか?

私たちの多くは、単に、「走行中ガソリンを撒き散らさない!だから、環境に優しいんだ!」・・・と思って、高いお金を出してハイブリッドカーを買ってる人もいるんじゃないでしょーかね?


多くの人は、
商品開発から利用して廃棄処分になるまでの過程を考えることはないんじゃないかな。
自分が使用するときのことと、購入するときのお値段しか考えない。


そして、ビジネスが成り立つ。

「商品化して高く売れる、儲かる」ってのが目標で、エコロジー製品もそのひとつの見事な販売戦略ってわけです。


なので、結論から言うと・・・これは止められない!ってことになります。


多くの人のベースになる考え方が、根本から変わらない限り、無理~。
破滅へまっしぐら~。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そもそも、長~い人類の歴史の中で、いったい、いつから破滅の道を歩んでしまったんでしょうかね?


文明の無い古代人は、ただ食物を探し寝るだけの、原始的思考しか持たなかったんでしょうかね?



縄文時代以前の時代をふと調べていて、面白い文献を見つけました。

カタカムナ文字ってご存知ですか?

もともと日本に中国から文字(漢字)が伝わる以前にも、神代文字というのが、いくつか残されています。

しかし、カタカムナは、「太古」の時代(今から数万年~10万年以前の時代)に、日本列島に住んでいたといわれる謎の人類が残した古代科学の書といわれているんだそうです。 


楢崎皐月(ならざき・こうげつ)さんという天才科学者が1949年に カタカムナ文字を入手して5年かけて解読に成功したそうです。

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○に十とかの文字が多くて・・・これって島津藩の家紋? あ、それとも日月神示にも出てきたような・・、あ!、たしか、ヨーロッパではキリスト教以前の先史時代(新石器時代・青銅器時代)から使用されていて、ケルト十字の元ともなったと聞いたこともある。。。。

なんか、興味をそそられるマーク(文字)がいっぱいだったんで、調べてみたんですよ。


カタカムナとは、古史古伝のひとつ。「カタカムナ文明」の実在を示しているとされる書物である。
カタカムナ文字によって記された80首の詩歌で構成されており、第1首が「カタカムナ ヒヒキ マノスヘシ アシアトウアン ウツシマツル カタカムナ ウタヒ」と解読された事から、『カタカムナのウタヒ』、略称『カタカムナ』と呼ばれる。

内容は全てカタカムナ文字で構成された詩歌の形で書かれており、生命の本質や宇宙全体の構成について記されているという



では、具体的にその歌をみてみると、

☆第一首の歌
カタカムナ ヒヒキ マノスヘシ アシアトウアン ウツシマツル カタカムナ ウタヒ


現象世界の背後には目には見えないが、カムという無限のエネルギーの広がる潜像世界があり、その世界にはカムナという主(ヌシ)が存在する。一方、現象世界 にはカムナから作られた目には見えないアマナとう主(ヌシ)が存在する。

宇宙の万物万象は、潜像世界の根源であるカムナと、現象世界の根源であるアマナの共振重合(重ね合わされること)反応によって発生している。

宇宙はすべて 「アマ始元量」より構成されているが、宇宙における万物万象は、すべてアマ始元量が変化変遷したものである。


☆第二首の歌
 ヤタノ カカミ カタカムナ カミ
「アマ始元量」は潜像世界でさまざまに変遷した最後に、現象世界へ出現する。そして、それは万物万象を構成してさまざまに変遷する。万物万象に変遷するチカ ラの本質は、無限世界のカムナが根源である。



そこで、いくつか楢崎さんの文章やその研究文献などから引用します。

     ↓


●まず、時代背景ですが、これをカタカムナ時代とすると、
カタカムナ時代は、氷河期の旧石器時代で、象も居り、火山の爆発、地殻変動、海面変動、その他気象の異変も考えると、天然自然が変動の時代で、カタカムナ人自身もまだ移動生活が続いていたことも考えられる。


●カタカムナ人は、今我々現代人が使つている日本語は、何も持つていなかつた、ということを、読者はもう一度、よく考えて頂きたい。

カタカムナ人は、今、我々が持つている様々な智識は無く、たとえば「脳」という言葉も、「生命」という言葉も、無かつた。
人類としての(われわれ現代人と同等の)基本的な生命力(感受性と判断力)を以つて、自分たちの感受し判断したモノを、四十八のコトバを造つて、表明したのである。

それ故、カタカムナのサトリをわかりたいと思えば、我々も、現代人の智識や常識のままで読むのではなく、人間が本来もっていた、最も基本的な正直な感受性と判断力になった気持ちで読むのでなければ、わかりようがないのだということを、もう一度よく考えて(自分自身を逆序して起励して)、読み進んで頂きたい。』

「相似象誌、第十一号、第五、六首、232頁」より



つまり、カタカムナ人は、現代人の思考回路とは、まったく異なっていた。

人間が本来もっていた、最も基本的な正直な感受性と判断力を持っていた・・・つまり、現代人が退化させてしまった、すぐれた五感、超能力や霊感?のようなものを備えていたのかもしれません。

なので、「現代人の智識や常識のままで読むのではなく、五感を研ぎ澄まし、本能~共認~観念を直結させる事で物事を捉え、潜在思念に導かれながら思考し、判断する・・・彼らの心になって読まない限り、理解不能なんだそうです。



さて、その内容について詳細に書かれていたブログがあったので、そちらから引用させて頂きます。

    ↓

●第6項 天然は八種類の相似象から成っている
カタカムナ人が見抜いた基本的な相似象は、天然には「球」の相似象があるということだった。天然の大きなものは宇宙球から、恒星、惑星がすべて球であるし、ミクロなものでは原子、原子核、電子が球型である。水も丸くなる性質がある。

カタカムナ人は、このもとは天然のすべてのモノの素粒子であるアマ始元量の微分量である「マリ」が球状であることにある、と観じていた。カタカムナ人は、アマ始元量の微分されたものを〈アメ〉といっている。〈アマ〉は始元量全体の名称で、この素量は(アマから出た芽〈メ〉という思念)で〈アメ〉と呼んでいる。また、〈アメ〉の個々の球状のものを〈マリ〉と呼んでいる。

カタカムナ人が、天然の相似象だけでなく、その他さまざまな相似象があるが、カタカムナ人はそれらすべて、アマ始元量の性質の表れたものであると直観していた。どんな相似象を見抜いていたかというと、およそ次の八種類だという。


【1】正反対称性とひずみ性
天然自然に存在するものには、すべて正と反(陰と陽)が存在している。究極の正反は「カム」と「アマ」の関係である。次の正反は、アマ始元量の究極粒子であるマリの正反である。マリの正反は、マリの回転方向の違い、すなわち右回りか左回りかによって生じている。
なお、すべて正と反が対照的に存在しているが、まったくの対称ではなく、ややひずみをもった対称であるところに特徴がある。これを正反対称性とひずみ性といっている。究極粒子マリは、完全な求形ではなく、ややひずみがある。そのために回転運動が生じ、さまざまな性質や変化が現われるのである。
ヤサカノマガタマは究極粒子「マリ」を表象しているが、完全な球ではなく、マガタマであることがひずみ性を表している。マリの正反対称性の相似象として、現象界に存在するものはすべて正と反が存在しているのである。たとえば、男と女、昼と夜、右と左、縦と横、過去と未来、暑いと寒いなどである。

【2】旋転、巡回、ら旋の回転性
アマ始元量は、究極粒子マリが回転運動し、しかもら旋的な回転をしている。この性質が、相似象でさまざまな現象として現われている。
ミクロなものでは、原子の中で、原子核、電子が自転し、電子は原子核の周りを回転している。大きなものでは、太陽、地球、月は自転し、地球や火星などの惑星は太陽の周りを公転している。太陽系全体も上位の太陽の周りを公転している。さらに大きくは銀河系や星雲なども渦回転している。宇宙球においても、宇宙球全体が旋転している。

【3】対向発生
正と反が対向すると新しいものが発生するという性質がある。究極はカムナとアマナの対向発生である。カムナとアマナが対向すると、さまざまのものが発生する。すなわち宇宙においては、カムナとアマナの対向により物質や生命体やさまざまな星が生成する。その相似象として、雌雄が交わるとこどもが生れるという現象がある。インスピレーションも、人間の内部のアマナと宇宙のカムナとの対向発生の結果である。

【4】同種反発、異種親和
究極粒子のマリにも正と反があるが、このマリには同種のものは反発し、異種のものは親和するという性質がある。この性質は相似象として現象世界に現われている。たとえば、磁石の同極同士は反発するが、異極同士はくっつくとか、人間も男女の異性間は親和するなどの現象である。

【5】統計的存在性
これは、マクロに見ると一定の固定したもののように見えるが、ミクロには絶え物質の出入りや発生と消滅が起こっており、統計的に一定なものであるという性質。宇宙球は、一定の形をもった有限のものであるが、絶えずアマ始元量が流入流出している回転流動体の統計的存在である。
この相似象は、人間や素粒子に見られる。すなわち、人間は、ミクロには絶えず細胞の新陳代謝が起こって肉体は入れ替わっている統計的な存在である。また、電子などの素粒子も固定された一定のものではなく、これを構成するさらに超ミクロの素粒子が絶えず流入し流出している統計的存在であると推定されている。

【6】重合互換性
重合性というのは、異なるものが重なり合って共存するという性質である。アマ始元量には、左旋性と右旋性、膨張性と収縮性、粒子性と波動性などの相反する性質が同時に存在する。また、物質にアマナという潜象界のヌシが潜在するなどの例である。互換性というのはアマ始元量のマリがトキやトコロに互換したり、イカツミ(電気)、マクミ(磁気)、カラミ(力)などに変換したりする性質である。アマ始元量が現象世界の物質に変化することも互換性による。

【7】微分、統合性の周期性
アマ始元量には、分化して小さくなる性質とまとまって統合し大きくなる性質、すなわち波動性や粒子性、膨張性や収縮性という相反する性質が同時に存在する。この他に、それぞれには抗膨張性や抗収縮性という、それらに逆らおうとする性質も存在する。これらを「正反四相」という。現象界における相似象としては、光が粒子としての性質と波動としての性質の二面性をもつなどの現象が挙げられる。

【8】極限循環性
アマ始元量は、宇宙球に流入したのち、きわめて長い時間かかって流出する循環サイクルをしている。この間、アマ始元量はさまざまに返遷する。たとえばアマ始元量でできるさまざまな物質や生命体は、生成(発生)・成長・極限(飽和)・崩壊(死)というように、誕生してから飽和の極限まで成長発展したのち、崩壊して元の状態に還元するという、短期の循環サイクルをたどる。
宇宙におけるこれらの長期や短期の循環サイクルは、永遠につづくが、これらはすべてアマ始元量の極限循環性によるのである。上古代のカタカムナ人は、現象世界における万物万象の特徴はすべて、アマ始元量のさまざまな性質が相似象で現われたものと捉えていたのである。凄い直観力といえる。

<引用終わり>



おいおい!


縄文時代以前の古代日本人が、なんで、こんな事まで知ってるんだよ?

文明のない時代ってのは、食べて寝るだけの野蛮人だったんじゃなかったのか~!!

旧石器時代のカタカムナ人(=日本人)が、天然には「球」の相似象があるという認識を見出し、素粒子まで捉えていることに驚きを隠せません・・・と、この方も言ってますが・・・まさに、同感です


では、なぜ、古代日本人が、このような思考ができたのか?

おそらく、前述したように、古代人と現代人の思考回路が大きく異なっているのが前提になります。


それならば、どう異なっているのか?

さらにここでは、民俗学者の折口信夫(おりくちしのぶ)氏による、人間の思考能力は、「別化性能」と「類化性能」のふたつに分けて考えることができる・・・と述べている、

これについて、中沢新一氏が書いた書籍『古代から来た未来人 折口信夫』からの引用です。


折口信夫は人間の思考能力を、「別化性能」と「類化性能」のふたつに分けて考えている。

ものごとの違いを見抜く能力が「別化性能」であり、一見するとまるで違っているように見えるもののあいだに類似性や共通性を発見するのが「類化性能」であり、折口自身は自分は「類化性能」がとても発達していると語っていた。

この言い方をとおして、彼は「古代人」の思考の特徴をしめそうとしていた。近代人は「別化性能」を異常に発達させた。
そしてその傾向はすでに、奈良朝からはじまっていた。


ところが、「古代人」たちの精神生活は、「類化性能」を存分に生かしながらかたちづくられていた。
「類化性能」とは、いまの言い方をすれば「アナロジー(類似)」のことであり、詩のことばなどが活用する「比喩」の能力が、それにあたる。

ひとつのものごとを別のものと重ね合わすことによって、意味を発生させるやりかたである。

この能力が発揮されると、音や形や意味やイメージのあいだにある「類似=どこか似ている」という感覚をもとにして、ふつうなら離れたところに分離されてあるようなものごと同士が、ひとつに結びあわされて、新しいイメージをつくりだしていくようになる。


このやり方で森羅万象のできごとを見直していくと、月と女性は「似ている」ということになり(どちらも周期的に満ちたり欠けたりする)、蛇と結びつけられ(昔の人は、蛇が脱皮を繰り返すことによって、死と再生を繰り返し生きている、と考えた)、湿気や水と結びついていくようになる。

そこから、「水辺に立つ神聖な女性」という存在が考えられるようになる。


ところが、奈良朝の知識人のような「近代人」には、その思考法がよく理解できていないから、「みずはのめ」は不気味な妖怪になってしまう。

折口信夫の考える「古代人」はこのようなアナロジーの思考法を駆使して、森羅万象を「象徴の森」で覆いつくそうとしたのである。現代の考古学は、そういう「比喩」が獲得されることによって、わたしたちホモサピエンスが出現したと考えている。


つまり、折口の言う「類化性能」こそが、現在の人類の心を生みだしたものであり、その「類化性能」によって世界をとらえる能力を発達させていたのが「古代人」であったとすると、折口信夫の「古代」という概念は、じつはおそろしいほどに深い時間の深度をもっていることがわかる。


その概念は、奈良朝を突き抜け、古墳時代を突き抜け、弥生時代を突き抜け、縄文時代にまで達する、大きな射程をもっている。

それどころか、旧石器時代に現在の人類の心が生まれた、その最初の場面にまで触れようとしている。
折口信夫がはじめようとした学問は、その意味では、未来に属する学問なのだと言える。


縄文と古代文明を追求しようより引用


単純に考えてみて、「別化性能」よりも、「類化性能」の考え方の方が、ポジティブで幸せな気分にさせませんか?

人は違ったもの、異種におびえ、恐れ、排斥しようとするわけですから。
そこから、人種問題やら戦争も生まれてきたとも考えられるわけで・・。

それに、「無限循環を含んだ状態のまま、概念の構造を可視化することが量子力学」というならば、新しい科学のアプローチ方である、量子力学の概念とも、つながるような気がしてきますね。
文系と理系の量子力学より。


それにしても、古代人がこんな事を考えたのに・・我々現代人って、いったい何万年もの間、何してたんだ~?

我々人類は退化しちゃったんじゃないかね?

直感も使えず、科学で証明されることを信じるだけで、しかも、オーソリティーの発表を信じるだけになってしまったわけだもん。。。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、ここで環境破壊、環境問題に、話を戻しましょう。

我々は、長い時間をかけて、確かに素晴らしい文明を築いてきました。
生活も向上し、便利に豊かになったのは事実です。

しかし、同時に、自然破壊を繰り返し地球を汚染してきたのも事実。

そして、おそらく・・・今は、滅亡の秒読みに入っている。。。


本来、我々はどうするべきだったんでしょう?

古代人のままの原始生活を守るべきだったのか?
一部のホピ族のように、土地を守りとうもろこしを耕し、自然に感謝すべきライフスタイルを守るべきだったのか?
すべての人類が、そうすべきだったのか?

いやいや、私としては・・・そうは思いません。

やっぱり、文明を築いていこうとする方向性は、正しかったと思ってます。


ただ問題は・・

たとえば、車を発明し利用する際には、

その車の出す、排気ガスや道路建設のために、どれだけの自然破壊をして、どれだけの動植物にダメージを与えるか、
その産業廃棄物をどうやって、処理し完全に自然に帰せるのか?

ということを考慮しなかったことだと思うんですよね。

本来、車を発明し商品化する時点で、同時に汚れた空気を清浄に還元する方法や廃棄物の処理方法も発明すべきだったんだと思うんですよ。


その上で、商品化するべきだった!


そのために、たとえ500万の車が1千万のコストに跳ね上がろうが、その結果、すぐには一般庶民に浸透することができなくても、販売しちゃいけなかったんだと思うんですよね。。。


その他すべてのもの、原発においても同様でしょう。



それって・・・結局は、人間の意識の問題なんだと思います。


狭い視野で、身近な一点しか見えない競争社会、まずは、自分は勝ち組!と考え、高度成長→豊かでお金持ち・・・を望む図式ができるわけで・・・あまりにも無知すぎるんですよ。


少なくとも、カタカムナ人の壮大な宇宙と自然論が理解できなければ、人類は変われない。

しかも、その理解とは、「類化性能」アナロジー(類似)に頭を切り替えなければ、とうてい理解できないってわけです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

おそらく、このまま行けば、私たちは破滅でしょうなあ~。

それが私の生存してる時代にくるか、次の世代かは、わかりませんが・・遅かれ早かれ来るものは来る。


火山の大爆発か地震津波、または、小惑星や隕石の衝突かは、そんなことはわかりません。

でも、まあ、そんなことは、どうでもいいかなあ~



ただ、また地球の人類が一から始める際に、もう、同じことを何度も繰り返すのは、うーーんざりです。

今度こそ、ほんとうの進化を遂げて欲しい


ひょっとして、数人の人が生き残って新しい世界を築くかもしれないし、または全員滅亡するかもしれない。

おそらく、私なんかは、あっさりと死んでしまう部類だと思うんですが(笑)、人間の思いは残るってのを信じてますんで、

しっかりと、この念を残して、新たに人類を築いていく人々に託したいと思いますね。


真っ先に死にそうな私にも、ちゃんと役割があるような気がするし、その程度なら貢献できるのかもしれません。

うーーん、せめてそのくらいは・・・(笑)


<<追記>>(楢崎皐月の発見のエピソード)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
老子の時代にあった八鏡文字について

楢崎さんが旧満州の吉林(キーリン)で製鉄の研究にたずさわっていた頃、
満州職人の信仰に敬意を表し、北山(ペーサン)にあった道院、娘々廟(ニャンニャンビョウ) に詣でた時、日本人としてははじめて寄進したことから、道士蘆有三(ラウサン)に招じられ 一服の茶をすすめられることとなった。

そしてつぎのような驚くべき内容の老子経古伝をあかされた。
「上古代の日本の地にアシア族という、高度の文明を持つ種族が存在し、『八鏡の文字』 を創り、特殊の鉄をはじめ、さまざまの生活技法を開発していたこと、
そして後代の哲学、医学 (易の思想や素問霊枢(ソモンレイスウ)、漢方等)は、その文化の流れに展開したものである。」
と。

平十字(ヒラトウジ)とカタカムナ文献
昭和25年頃、楢崎皐月が大地電気の測定のため、兵庫県六甲山系の金鳥山近くの狐塚付近に 穴を掘ってこもっていたとき、平十字という猟師の訪問を受け、その時に古い巻物をみせてもらった。

それは、江戸時代の和紙に筆写したとみられ、80個の渦巻状に、丸と十字を基本とした図象が記されていた。 平十字は、父がカタカムナ神社の宮司で、巻物は父祖代々「カタカムナの神の御神体」として伝わったもので あると、説明した。
楢崎皐月はこれが満州での八鏡文字だと悟り、写経を請い、20夜のあいだ壕の中で ロウソクの明かりのもとで書き写したのである。



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