父の思い出と読売巨人軍とCIAの話

私の父は、なぜか、大の読売巨人嫌いで、読売新聞嫌いだった。

野球は大好きで、ビールを飲みながらのナイター中継を欠かさないような人だったが、別段、どこかのひいきのチームがあったわけじゃない。

とにかく、巨人軍嫌いで巨人戦を見るのは大好き

しかも、プロ野球でありながら、高校野球並みの熱い展開があって、アメージングなファインプレーをやってのけて、最後には巨人軍を叩き潰す!

それを見たさに、いつもナイターを見てたようだ。

私が小学生だった頃は、巨人の星なんて、マンガも流行ってた時代だったし、王・長嶋選手は、まだ、ヒーローとしてもてはやされてたような時代でもあったわけです。

世の中が、巨人軍ブームだった時代・・・ってことだけは、もちろん、小学生の私にもわかってました。



「私のパパはね、巨人軍は嫌いなんだって。」

「ふーん。お父さんはどこの出身なの? どっかの地方なの?どこのチームのファンなの?」

「東京生まれで東京育ち。ファンのチームはないみたい。。。ただ、巨人が負けるとビールが美味しいって言ってたよ。」

「あーーー、そういう天邪鬼(あまのじゃく)って、いるんだよね~


と、幾人かの大人たちは、子供である私にまで、ものすご~く嫌~な顔をしたものだった。

それだけ、巨人軍は絶対なんだ! そっか、父は天邪鬼って言うんだ!・・・と、子供のときに、そこらへんのことは理解しました。。。



ところで、なぜ父が、それほどまでに巨人軍嫌いなのか?・・・・それは、私としても、不思議だった。

たかが、野球じゃないか~。新聞だって、どこだって同じよーなもんだろう。。。


「ねえ、なんで、巨人軍が嫌いなの?」と、あるとき、父に聞いてみた。

「優秀な選手を、大金を積んでみんな引き抜いてくるからさ。やり方が汚いんだよ。
おまけに、徹底した管理野球だし、あんなやり方は、スポーツじゃないさ。」


ふーーん。


それから、年月がたち、私も成長するにしたがって、父は、正力松太郎という人物が、そもそもキライなんだろう・・・って事が、なーんとなくわかってきました。


正力 松太郎(しょうりき まつたろう、1885年(明治18年)4月11日 – 1969年(昭和44年)10月9日)は、日本の警察官僚、実業家、政治家。元読売新聞社社主。


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まあ、見るからに、古臭いワンマン社長、上から目線で、しかも、父の言葉が正しければ、野球の世界まで口を出し管理野球をやっちゃう人・・なので、私の、本能的に苦手なタイプ(笑)ってのは、顔を見ただけで、ビンビン感じる。

なので、不快なもの、苦手なものには関わらない私としては、ずーーーと、彼のような人は、別世界の住人としてました。


ところが、以前、ふと「原発・日本への導入の歴史」を調べたときに、この、嫌~なおっさんが、登場してきてしまったのだ。

・・・・・・・・・

正力さんという人は、戦前は、警察官僚として、無政府主義者、共産主義者の徹底取り締まりをした人だったらしい。
おそらく、アカ狩りとか特高警察ってのも指揮してたんだろう。

関東大震災のときは、「朝鮮人が暴動を起こした」というデマを流させたのも、彼だった・・という話もある。
それは、パニックになった日本国民を守るためだったとかって話だが・・・。
その結果、多くの朝鮮人が殺されたわけで・・・いやはや。

まあ、とにかく、彼が、やり手だったには違いなく、次第に名を上げて、政界の大物から大金を借りて、当時わずか5万部に低迷していた読売新聞を買収する。


大戦直前の1924年、読売新聞を買収。


しかも、奇抜な企画や大衆向けの新聞に仕上げて、大手新聞に肩を並べるまでにしてしまった人だ。

そういえば、私が子供の頃、
朝日新聞は、難しいことばっかり買いてあって面白くないのよ。やっぱり、読売新聞が一番面白いわよ!っておばちゃんたちが、よく話してたことを思い出した。
もっとも、父は、読売新聞なんて、学の無いバカが読むような新聞だ!と、頭っからバカにしてたもんだが・・。


とにかく、実業家としては、先見の目を持つ大物だったことは確からしい。


太平洋戦争後、多くの権力者たちが、A級戦犯、B級戦犯などとして逮捕され処刑されてしまった中で、
1945年に、正力さんもA級戦犯として逮捕される。

ところが、無罪放免!

どうやら、彼はずっと、CIAのスパイをしていたということで、無罪になったらしいのだ。
しかも、どうやら、読売新聞社を買収する資金も、アメリカから出ていた可能性が高い。

アメリカと連携し、マスコミを利用して、読売TVで全国放送を行う計画を立て、事実上、新聞とTVの世界で君臨する人になっていきます。

1951年 正力松太郎の公職追放解除。そして、読売新聞に復帰。

1952年 日本テレビ放送網㈱(正力が社長)が日本の第1号テレビ放送免許取得
       
1953年 日本テレビを開局。「街頭テレビ」方式を採用。力道山ブームで、テレビの普及、CMスポンサーの開拓という一挙両得手法を編み出した。


             
アメリカとしても、戦後の日本を属国として手中に収め、国民を洗脳する方法として、マスコミを利用するのが一番だったはずだろう。

それに、一役買ったのが、正力さんだったというわけだ。。。


正力松太郎がCIAに操縦されていた歴史的事実を明らかにしたのは、早稲田大学、社会学部の有馬哲夫という教授です。
その根拠になったのは、例の、米国公文書館の公開された外交機密文書

長い年月を経て、ようやくアメリカの機密文書が公開されましたからね~。


教授が見つけた文書は、いまだ殆ど誰も手にしていない文書であって、非常に貴重な文書だったらしいです。
それによると、正力は「ポダム」というコードネームで呼ばれていたんだそうですよ。

まさに、スパイ映画やら陰謀映画の世界ですね~。


さあ、その後の正力さんは、どうなっていったんでしょう。。。


1955年 衆議院議員初当選。鳩山派に入る。

1956年 原子力行政の推進に力を入れ、科学技術庁を創設、初代長官に就任。

1957年 岸信介内閣で国家公安委員長と科学技術庁長官・原子力委員長に就任。


ようやく原発導入の動きが出てきましたね~。


ところで、彼は、なんで原発を望んだんでしょうかね?


下記は、正力松太郎はなぜ日本に原発を持ち込んだのか~ゲスト:有馬哲夫氏(早稲田大学社会科学部教授)の記事からの抜粋です。
      ↓


正力の真の野望は、マイクロ波通信網と呼ばれる国内通信網の実現だった。
これを手にすれば、当時将来有望な市場と目されていた放送・通信事業のインフラを自らの手中に収めることができる

正力はそのための資金としてアメリカからの1000万ドルの借款、それに対する日本政府の承認、そして通信事業に参入するための公衆電気通信の免許が必要だった。

正力は野望実現のために、当時の吉田茂首相やアメリカとの交渉に奔走した。
しかし、正力はほどなく一つの結論にたどりつく。

それは、野望を実現するためには自らが最高権力者、すなわち日本の首相になるしかない、というものだった。
そして、正力は同じく当時将来が嘱望されていた原子力発電は、そのための強力なカードになると考えた。

しかし、正力の関心はあくまでマイクロ波通信網であり、原発そのものは正力にとってはどうでもいい存在だった。

当初はアメリカも、弱小紙だった読売新聞を大新聞に育て上げた正力のビジネスマンとしての才能や政治的コネクション、そして何よりもそのアンチ共産主義的な思想を評価していたと有馬氏は言う。

更にアメリカは、1953年のアイゼンハワーの国連演説以降、核の平和利用を推進し、その恩恵を西側陣営に広げることを対ソ戦略の柱の一つにしていた。アメリカにとって正力は十分に利用価値のある人物だった。


日本で初の原子力関連予算が成立した翌年の1955年、正力は衆院議員に当選するやいなや、原発の導入を強力に推進する。新人議員ながら既に70歳と高齢だった正力は、限られた時間の中で、自らが首相になるための実績作りを急がなければならなかった。

そのために読売新聞や日本テレビを使った大々的な原発推進キャンペーンを次々と打ち、当時第五福竜丸の被爆などで高まりつつあった反米、反原子力の世論の懐柔に奔走した。

こうして正力は初代の原子力委員会委員長、同じく初代の科学技術庁長官の座を手にし、権力の階段を着実に登り始めたかに見えた。

しかし、その頃までにアメリカは正力の権力欲を警戒し、正力から距離を置き始めていたと有馬氏は言う。

それでも正力はあきらめず、遂に1957年8月、茨城県東海原発実験炉に日本で初めて原子力の灯がともった。

しかし、正力の首相になる夢は叶わず、マイクロ波構想も通信・放送衛星の登場によって、意味のないものとなってしまった。




あ゛~~なんだか、嫌~な気分になってきますね~。

もともとは、こーんなことのために、原発が日本に導入されてしまったのかと思うと・・・。


もちろん、その後も調べていくと、正力さんだけじゃないです。

さまざまな政治家さんたちの思惑で、原発を利用してきたってことのようで、

そりゃ現在では、もう簡単に廃止するのは、多くの利権が、ぐっちゃぐっちゃに絡みあってしまっていて、おそらく、このままいったら無理でしょう。


そして、マスメディア・・・とりわけ、その中心である、放送メディアが、現在の大衆文化・大衆社会をどのように作り上げてきたのか?


それを考えると、苦々しい気分になります。。。


同時に今でも、日本の政治界の中にも、どれほど黒い霧が潜んでいるのか?

CIAの息がかかった者がいるのか?


すべては、彼らによって牛耳られ、マスコミに毒された国民は誰も気がつかない、唯一、気がついて反論を唱える有力者は、抹殺される。



でもね、こんな時代は、そろそろ終わりが近いんだと思います。


だからこそ、明るみに出てきたわけだし、多くの一般国民の中にも、気づいてきた人が増えているし・・・。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私の父は、正力松太郎について、そこまで知っていたとは思えないんですが・・どうだったんでしょうかね?
それに、おそらく、有馬哲夫教授の記事を、病床で読んだとも思えません。

が、・・・・それでも、ただ本能的に、ずーーと昔からキライだったんでしょうか?


私にとっての父は、「嫌な部分も好きな部分もあったフツーの父親」でしたが、「読売巨人軍と読売新聞は大嫌キライ!」と、常々豪語してたところは、なぜか、私が、かっこいい!と思える部分でした。

あ、そういえば、当時の言葉で、「巨人、大鵬、卵焼き」って言葉があったらしく・・・それも、大嫌いだ!って言ってましたっけ。


まあ、今思えば、いかにも、正力さんあたりが、大衆向けに作ったような言葉とも、とれなくもないし~。(笑)
そうやって、庶民は、楽しい娯楽と思い込んで、だんだん洗脳されていく・・のかもしれません。


父は、ただ、直感的にキライだったのかもしれませんが、父はサラリーマンであり、しかも会社の上層部が、読売新聞社とも深くつながっていたような状況だったらしいんです。

そこで、頻繁にスター選手を招いてのパーティーもあったらしいんですが・・いったい、彼は、どうしてたんだか?


まあ、結局、たいして出世しなかったことを考えると、わかる気もします・・。



でも、私にとっては、そこが、一番、父のかっこよかった!とこかもしれません。


私も、いつのまにか、そういった父の影響を知らず知らずに受けてしまったのか、「巨人・大鵬・卵焼き」って言葉を嬉しそうに使ってる大人を見ると、なんだか、胸やけがするような、嫌な気分になったもんです。



なんだか、父の事をふと思い出してしまい、さらに、原発やらCIAやらマスコミの洗脳やら・・の話になってしまいました。。。


ところで、当時の日本人が、巨人と大鵬が好きだったわけは、おそらく強かったから!ってのが、理由でしょうが・・・なんで、卵焼きなんでしょうね?

たこ焼き、でも、鯛焼きでもなくって、卵焼き??


そういえば、日本人は、卵が大好きな国民みたいです。
卵焼きに郷愁を感じる、な~んて、話も聞いたことがあります。

私は、それほど好きじゃないし、郷愁?も感じないんで、わかりませんが。
日本人の外人からみた不思議の1つかもしれません。



CIAに日本を売った読売新聞の正力松太郎

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