せしぼん・薩摩治郎八の人生

アメリカ東海岸からロサンゼルスに引越してきて8年目に入った。

なんとまあ、ロサンゼルスには日本人が多いことか。
しかも、遊び歩いている日本の若者たちが多いのには、いまさらながら、びっくり。

そもそも留学生というのは、「現地のアメリカ人と比べれば、それ以上に苦労して勉強しなきゃならない」状況になるはずなんだが・・・。

アメリカの大学は、日本と違って、授業料はかなり高額だし、しかも、簡単には卒業させてくれない。
そこで、留学生になるために、まずは、TOFLEを受けて、その大学のレベルに合った英語力をつけてから、大学入学の資格を得て、ようやく入学許可がでる。・・・・そして、入学してからは、授業についていくために、必死に勉強の日々。

・・・・というのが、私の知っている留学生たちの姿だったのだが・・・。

どうも、ここ、ロサンゼルスは違うようだ。

なぜなら、語学学校ってのがいっぱいあるから。

英語が出来なくても、まず、語学学校に入る→コミュニティーカレッジに入る→大学に入る。

というコースで、大学まで行かれる道があるんだそうだ。

コミュニティーカレッジというのは、日本でいう短大のような、職業訓練校のような学校でもあるのだが、そこから、成績に応じて大学へ転入することも可能。

きっと、日本で英語の勉強をしてTOFLEを受けてこなかった分、こっちの現地で英語を勉強してから、進学というコースが設けられてるんだろうね。


ところが現状は、

語学学校に入って、遊び歩いただけで終わる人々の方が多いらしいのだ(笑)



聞いたところによると、

「ああ、語学学校ね~。あれはね、小金持ちの日本人の親が、ウチの子供は頭悪いし、ロクなところに進学も就職も出来ないから、アメリカにでも行かせちゃえ!ってことで、行かせることが多いんだよ。
語学学校でもなんでも、ちょっとでも、アメリカで勉強してたってことになれば、知らない日本人には、すごい!って思われるだろうからね~。」


なーんて話だ。。。

おまけに、ロサンゼルスは日本人が多いせいか、彼らは、日本人同士でつるむ事が多い。

まあ、そうすると、どんなもんだか・・想像がつくでしょう。。。


++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


金持ちの放蕩息子や娘の海外滞在記なんか、そりゃ、昔からいっぱいあるだろうけど・・

薩摩治郎八(さつまじろはち)って人をご存知だろうか?

かなり昔の人で、明治~大正時代~昭和初期だけどね。
あ、そうそう・・「おしん」ってドラマがあったけど、あれと、ほぼ同じ時代を生きた人だね。

彼こそ、最高の賛辞を与えたいような放蕩ぶりの人、
パリで、10年間で600億円を使ったといわれてる人。

satsuma.jpg


もともと、彼の家は、祖父の初代治兵衛が、一代で財を築いたという家。

おじいさんは、極貧から身を起こした近江商人で、明治初年ごろ横浜の外国商館と木綿織物などを幅広く取引して巨富を築き上げ、全国長者番付にランクされた『明治の綿業王』

父・治郎平(二代目治兵衛)も、その後を継ぎ、事業を手広く行っていた実業家で、治郎八はその三代目。

治郎八は18歳でロンドンへ渡り、オックスフォード大学で、ギリシア演劇などを学んでたそうです。
「アラビアのロレンス」として知られたトーマス・エドワード・ロレンスとも親交を深めたのもこの頃。


この頃、毎月日本から1万円(今の約1億円位か?)の仕送りを受けてたそうですよ。
さらに、費用が要ればいくらでも追加の送金があったとか。
当時のサラリーマンの月給は30円ぐらいっていうから、どんなにすごいことか・・・。
(明治時代は、所得に対する累進課税制度がなかったし、また、農地改革ができるまでは、地主の懐には、ほうっておいても、金が転がり込むようなしくみになってたんですね~。)

やがて2年ほどで治郎八はパリに移り、いちやく社交界の名士になる。
画家の藤田嗣治らと親しくなり、その紹介で、イサドラ・ダンカン、レイモン・ラディゲやジャン・コクトーらと交際し、海老原喜之助、岡鹿之助、藤原義江らのパトロンにもなった。

ニースで行われたコンクール・デレガンスに銀色のクライスラー・インペリアルの特注車と妻とともに登場し優勝を飾るなど、当時のヨーロッパの社交界にその名を轟かすこととなった。

その豪奢かつ華麗な振る舞いから、爵位がなかったのにもかかわらず「バロン薩摩(薩摩男爵)」と呼ばれていたんですって。


その他、パリ市南部の大学都市に日本会館を建てて寄贈したそうです。
これは、当時の日本政府が資金難で、出来なかったことを、治郎八の資金を当てにして押し付けた?って話もあるようだけど、とにかく、大正9年から足かけ9年かけて昭和4年に完工した、その総工費は現在の数十億~100億と言われている。

そういった功績も認められ、フランス政府からレジオン・ドヌール勲章を受けている。

結局、パリで現在の金で600億円もの金を使いまくったそうだ。




ちなみに、薩摩治郎八の奥さんになったのは、山田英夫伯爵(松平容保の五男)の娘 千代さんという伯爵令嬢。
古風な伯爵令嬢だったらしいが、治郎八さん好みに変身したのか、させられたのか、当時のパリ社交界の注目の的となり、パリモードを作り出すような人物だったそうですよ。
若くして結核にかかり、静養のため日本にもどって亡くなってますが。

satuma1.jpg

satsuma2.jpg

結局、治郎八さんは、1935年に実家は世界恐慌のあおりで倒産。
さらに、戦後、農地改革もあり、1956年無一文で帰国。

財産を無くしてしまうわけですが・・・
日本にもどって、今度は、がらっと変わって、ジャポニズム文化にはまる。

粋な着流し姿で浅草界隈を出入りし、そこで知り合った、ストリッップ小屋の売れっ子と交際、結婚。
財産を失ったあとは、ずいぶん奥さんに食べさせてもらってたらしいが、文才を発揮して、作家に転職。

最後まで添い遂げて、1976年に亡くなったそうです。



詳しくは、こちらのサイトにあったので、どうぞ↓(本も出版されてるようですが・・。)
日本リーダーパワー史:薩摩治郎八

・・・・・・・・・・・・・・・・・

まあ、この過渡期の時代には、ありがちな話で、


●一代目は、貧農出身(ドラマのおしんと同じようなものか・・・?)
一代で財を築くってことは、天才実業家、おそらくビジネスのためなら、あくどい事もやってのけたのかも。
そして、当然、質実剛健の倹約家。
芸術だの、粋だの、洗練された感性を磨くなんてことには、まったく縁がない人だったんでしょう。

●二代目は、一代目の強烈な個性にあてられて、金儲けに情熱は向かないけど、贅沢は多少身に付き、感性は洗練されてくる。
ただ、一代目の目の黒いうちは、好き勝手には出来ないし、もちろん、父親の苦労も見てきている。
きっと、ビジネスに身を入れてるフリでもしなきゃならない・・って状況だったかも。
もちろん、湯水のような放蕩には罪悪感もあって、思い切ったことは出来ない。

●三代目は、一代目の苦労も知らない上、生まれたときから、使い切れないほどのお金がどっさり。
金持ちの特権として、絵画、演劇、音楽といった、あらゆる一流芸術に思う存分浸れる環境にあり。
自然と洗練され、感性は磨かれ、自分はアーティストになれなくても、芸術に対する優れた鑑識眼を持ち、優れた芸術家の卵たちを支援する方に回る・・・ってのは、当然かも。

まあ、それが、彼のやりたい事だったわけだし・・

蓄えられた財を散在する為に生まれてきた人だったのかもしれない。


薩摩家3代について書かれているブログを発見↓
http://kousera.exblog.jp/5532504

治郎八さんという人物、パリでも日本でも、芸術に造詣の深い風流人で、気前が良くて、派手好きだったようだ。
おまけに、超・女好き。美しいフランス人女性とも多くの浮名を流し、最後は、50才を過ぎて、まだ20代の浅草のストリップ小屋のダンサーと結婚するなんて、まさに、やるなあ~!ってカンジ。

しかも、美しい花形ダンサーが、一文無しの中年男を養ってくれてたってことは・・金じゃなくって、やっぱ愛なんだろうね?

そして彼にとって女性遍歴は、ただの女好きとも言えるけど・・アートの一部だったのかも。。。
アーティストには、なれなかったけど、彼の人生のキャンバスそのものが、アートの中だったのかもなあ。

プチーニのオペラのアリアに、「歌に生き愛に生き」というのがあったのを思い出した・・・彼の人生って、まさに、これだったのかもなあ。



まあ、それは、あくまでも私の想像であって、

一般的には、「莫大な財産を浪費して無くしてしまった、おろかな3代目」という評価をされそうな人だけどね~。

特に、当時の日本人の感覚では、絶対受け入れられなかった人だろう。

世間での立派な人は、祖父や父が築き、守ってきた財産を守り抜き、さらに大きくして、わが子にたくす・・・というのが、正しい道なんだろうからね。


しかし、私は、治郎八さんは、ちゃんと生まれてきた役割を果たしたんじゃないかな・・って思えるのだ。
決して失敗の人生ではない、むしろ、人生を存分に生きて全うした人。成功の人生

祖父さんは、一代で苦労し、莫大な財産を築いた反面、芸術を愛する喜びも知らず亡くなったわけだし、でも、それはそれで、バイタリティー溢れる人生だったはず。

お父さんは、商売か芸術面かで葛藤しながらも、自分の思いは成し遂げられず亡くなったようだけど、彼は、2代目として間にはさまれた葛藤の中で、そこから何かを学び取ることための人生だったのかもしれない。

そして3代目は思い切りよく自分の好きなことをやる人生で、自分がアートを生み出せないとわかれば、莫大なお金を使い、多くの才能を世に送り、その財産までを見事に世間に還元して、最後はゼロになる・・という人生。

この3代を通して、壮大な薩摩家の3部作を見てるようで、実に面白い。



治郎八さんは、晩年、すっかり財産を失ってから、若き日の三輪明宏さんに出会ってるらしい。

「いやあ、残念だ!キミは素晴らしい才能を持っている。キミの才能は、お金をかければかけるほど開花するのに、今の僕は一文無しだからなあ。何も出来ないのが残念だ。」

と、語ったそうだ。

三輪明宏の「おしゃれ大図鑑」という本の中に、薩摩治郎八さんについて、こんなふうに書かれてあった。

最近の政界、実業界には、物欲、権力欲に毒され、品性のかけらもない人間ばかりですが、彼は違いました。
人間の真価や物の価値を、お金に換算するような卑しい真似は決してなさいませんでした。
    ・・・・・  略  ・・・・・
狭く苦しいアパートの一室でセンスよく暮らし、こういう生活もなかなか面白いと、生活を楽しんでいました。
本当の豊かさとは、こういうことです。
お金や物ではなく、品性があるかどうか、自分に対する誇りと尊厳を持っているかどうかで、人間の質は決まるものです。


薩摩治郎八さんは、こんな本も出している。
(私は、読んだことはないのだが・・。)

img_475313_7849481_2.jpeg


フランス語で、C'est si bon. セ・シ・ ボン。 フランスを代表するシャンソン歌手/俳優のイブ・モンタンの代表曲。 フランス語で「素晴らしい」という意味。

いや、ここでは、ちょっと古風に、素晴らしき哉・・と訳した方がおしゃれかな。。。

本のタイトルからして、実に、ポジティブな響きありでしょ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ロサンゼルス界隈で、遊びまくるお金持ちのお坊ちゃま・お嬢様方も、勉強嫌いで遊ぶなら、ぜひ、このくらいのスケールを目指して欲しいもんです。

あ、英語が話せないとか、日本人同士でつるんで遊ぶなんて、問題外ですねえ。。。

治郎八さんは、放蕩息子だけど、英語もフランス語も堪能だったし、風流を極めてたし、人のためにお金を使った人ですからねえ。。。


ところで、セシボンってこんな歌ですよ↓
http://www.youtube.com/watch?v=OfcWznFTguQ

コメントの投稿

非公開コメント

Profile
スピリチュアル世界中心のブログ★

gingetsu2010

Author:gingetsu2010
アリゾナ州セドナにて、アクセサリー工房Alizona*銀の月*をオープンしてる銀月です!

日々の生活や体験の中から、社会のこと、スピリチュアルなことなど・・思いつくままに書きつらねてます。

皆様にも「スピリチャアルの意味」「生きる意味」を感じて頂けたら、幸いです!☆

Calender
10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
Link
☆HPはここをクリック↓☆
検索フォーム
カテゴリ
Diary
Alizona*銀の月*ショッピングサイトのお知らせ
Alizona*銀の月*では、ショッピングサイトをオープンしました。
ネイティブインディアンのホピ族を中心としたオーバーレイの銀製品を中心に、銀月の好みで集めてしまった逸品揃いですよ~(^^)v
☆ホピ族は、まさに、スピリチュアルな生き方を貫いてきた人々。
銀月のWEB、「ホピ族の話」をまずは、じっくり、ご覧ください。


Alizona*銀の月*の↓のURLから、お入りください。
http://sedona10silvermoon.web.fc2.com/index.html"