タブーの宗教話をあえてするの巻き(最後の巻)

・・・・(その3からの続き)・・・・

正統派の三大宗教が、年月とともに、だんだん歪められていこことと、

新興宗教が、大きくなるほどに堕落するのも、ある意味では同じなのかもしれませんねえ。


あの悪名高いカルト教団になった、オウム真理教だって、ひょっとしたら、ひょっとしたらですよ・・一番最初 は、善意で、多くの人のために尽くそうとして始めたことだったのかもしれません。

だけど、大きくなるにつれて、人々をひれ伏させて、しっかり金儲け。 さらに大きくなると、自分が神だ!って思うようになり、世界征服までマジで考えるようになる。

自分が神なんだし、そんじょそこらの雑魚の命なんて、生かすも殺すも自分の意のままって考えるようになってくる。

どんどん、狂気に満ちてきて、神の世界からは、どんどん、どんどん、遠くなっちゃうんですよね~。     でも、気がつかない。


ほら、戦国武将の織田信長。

あの人だって、はじめは、小国の武将で、とっても自由な発想の持ち主。家柄にもこだわらず、有能な人材を採用し、海外からもどんどん新しいものを仕入れた人。

先見の目はあるし、頭はいいし、おまけに、美男ときてる。(写真ないけど・・織田家は、美男美女揃いの家系だったそうですよ。)

ところが、登りつめれば登りつめるほど、だんだん、狂気に満ちてくる。

不必要な大量殺戮はおっぱじめるし、そのうち、自分を神だと崇めろ!って、命令しだす始末。


人は、登りつめてビックになればなるほど、だんだん狂ってくるのかもしれません。自分が神で、世界を意のままにできるって、思い込んでくる。

権力者=神って、思っちゃうんでしょうね~。

そこから、すでに、破滅の道が始まっちゃうんだけど、自分では気づかないもんです。

中世におけるローマ教会も、おそらく、同じようなことだったんでしょう。。。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、私の宗教関連の体験談などから、いろいろ、書いてきましたが・・・

結論から言って、私は、「宗教」という言葉自体が、あんまり好きになれない。


○○教ってのが、たとえ、どんな立派な教えであっても、私には馴染めない気がする。(これは、ただの私の気分の問題でしょーが。)

その意味でいえば、神道は、いいかも・・。 (○○教じゃなくって、を使ってるからね!)

実際、神道関連の方に尋ねてみると、神道では、修行って言葉が無いそうです。

神道・・という、字のとおり、道を示すもの、道を自分で模索して到達する・・って考えかたがあるそうです。

ふーむ、なるほど。


・・・・・・・・・・


では、総まとめとして、まず、私のニガテなもの、キライなものから。↓
         

●ゴージャスな暮らししてる、宗教家、宗教集団、(霊能者、ヒーラーも含める)

高級車に乗り、高級スーツ、豪邸など、持ってる人。それも・・いかにも金かかってるぞーと、思えるようなブツを持ってる宗教団体。

だって、いかにも~って言うようなのは、俗物のかたまりそのものだし、だいたい趣味ワル~!センスもキライ!

そもそも、精神世界とは、対極にあるものでしょ。

それだけで、コイツは本物じゃないぞ!俗物のかたまりにしか見えない。

むしろ、俗物ならば、正々堂々とした成金オヤジ、成金ババアになって欲しい!(宗教なんて語るな!)


●ドグマ(教義)があるもの。←(こうしなきゃいけない!こうしなさい!って、頭ごなしに命令されるのキライだから!)

それに対する明確な理由が提示されてないものには、まず従えない。しかも、十分納得させるものが無ければ、絶対従えない。

まるで、校則をびっちり書かれた、生徒手帳を持たされてるようなカンジ。守らなきゃダメ~!って学校側から強要されてるカンジが気にくわん!(←ちょっと問題児発言)


●神様をあがめるもの。
唯一神がいて、それを、どーーんと最上段において、拝みなさい!・・ってのは、ニガテ!(け!偉そうにすんな!って思ってしまう。)

もちろん、教祖をあがめるなんて問題外。だって、ただの人間じゃん!

あがめることと、師として尊敬することとは別物だと思ってる。


●ネガティブなことを言うもの

たとえば、○○をしないと、地獄に落ちるぞ!とか、神罰が当る!とか、○○の祟りとか・・・。それって、ただの脅しじゃない?

恐怖感を煽って、人心を動かすってのは、霊感商法の常套手段でしょ。

人を動かすならば、理解させること。それも、愛を持って・・、それが宗教なのでは?(まあ、宗教以外でも同じでしょうが・・。)

そもそも、人の愛を説く宗教には、ネガティブなものは存在しない。地獄なんて存在しないと思ってる。

悪いことが起きるとしたら、それは、何かの原因があり結果として起こる現象と思ってるんで、すべて、スピリチュアルと結びつける考え方がキライ。



では、逆に好きなものは?・・・って、聞かれると、

これだ!・・・って、一つに絞ることはできないんだけど、部分的に、共感できるものはいくつもある。


前回で述べた、真言密教ってのも、とても興味深いと思う。


神(仏)を、大衆と切り離して上にいるもの、崇めるものとは、してないところが、いいんだよね。

自分の心の中にいるもの。仏も、人も、もともとは同じもの・・・という考え方があるそうです。

だから、空海さんによれば、生きているうちにだって、誰だって、仏と一体化できるし、調和することもできる。仏の力を身につけることもできる・・・って、考え方なんですね。

もちろん、決して押し付けたりしない。

下記は、密教についてのブログからコピペしたもの
      

私は、いったいどう生きたら、いいんでしょう?

あなたの中にいる不動明王(勇気)観音菩薩(やさしさ)に聞いてください。

人生は選択です。

肉体のあなた(レベルの低いあなた)を喜ばせたいのか、
魂のあなた(レベルの高いあなた)を喜ばせたいのか?

あなたが選択してください。


優しさ(観音菩薩)を追求すれば、世の中の苦しみを癒したいとなるかもしれません。

勇気(不動明王)を追求すれば、世の中の真実を知らない人を導きたいと思うかも知れません


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

また、先に述べた、グノーシス派もなーるほど!ってうなずけるところがいっぱいありますね。

教義は、プラトン主義の流れを汲む多神教だそうで、イエスは、人々に叡智を授けるために使わされた・・って考えです。

自分で認識すること、思考すること、それが叡智で、神に近づく。・・・そういうところ、なーっるほど!って思わされます。


さらに、また、先に述べた、アッシジの聖フランシスコ

このすごいところは、キリスト教でありながら、自然と調和して生きる姿勢でしょうね。

まるで、老子の思想にも共通するような・・・。無為自然

それって、ネイティブアメリカン(インディアン)の世界観にも通じてます。

白人たちは、無知で野蛮なインディアンとして嫌ったけど、

彼らの生き方や精神を知ると、本来は、実に、自然と調和し、感謝して生きてきた平和を愛する人たちだったんだな~って感じる。

彼らにとってはすべてが友達。

鳥も獣も草花も太陽も月も・・・自分に恵みを与えてくれるありがたいものであり、そこから、多くを学べるものという認識だった。

さらに、森羅万象のすべての中に、精霊が宿り、エネルギーがあるって信じてた人々。

だからこそ、白人と違って、不必要な乱獲もしなかったし、エコロジーなんて言葉も生まれないほど、自然体でエコな生活が当たり前だったわけでしょう。

彼らの生活をみると、

上下関係もなく、男性も女性も同じ、個人のプライバシーも尊重されてたようです。

あ、酋長ってのは、単に、会議のときのまとめ役って考え方だったそうで、すべて、決定権があるボスってわけじゃなかったそうです。

彼らは、常に協議によって物事を決定してたわけで、

当時の白人の方が、酋長が一番偉い人で、その命令ですべてを動かしてるって勘違いしてたそうです。(あ、白人社会がそうだもんね~。下っ端の意見は通らないもんね。)

また、メディスンマン、シャーマンと言われる人も、厳しい修行の末、一番能力があるものが継いでいったとのこと。

薬草学、気象学、地質学にもたけて、自然に宿る霊とも交信できるオールマイティーの人が選ばれたんだそうだ。

ついでに、一夫一婦制の、めんどくさい結婚の決まりごともなく、当然、浮気やら不倫もなし。

どちらかが、イヤになれば別れるし、子供は母親に預けられるものの、誰の子供・・というよりも、子供は、一族全員で大切にするという意識が強かったそうです。

もちろん、男が家族全員を養わなければならない!なーんて、がんじがらめの法もなし。

女も自立して働らくし、誰かが病気になればメディスンマンの登場だし、周りのみんなで面倒みてあげるだけのこと。

とっても、自由で自然体でしょ?


ここらへん、結婚のあり方なんかは、現在のブータンと似てますね~。

また、あらゆるものに精霊が宿っているという考え方、昔の日本の考え方とも似てませんか?


古神道にも通じるものがあります。八百万(やおよろず)の神がいて、

山には山の神、川には川の神がいて、家の中にも、竈の神様もいるって考え方。(←あ、トイレの神様もいたんかな?)

そして、すべての神様に見守られ、人はその恵みを生活に利用して、しかも感謝を忘れない。

遠い昔の日本の姿です。。。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私としては、こういった考え方の方が、宗教と言う名前で縛るよりも、はるかに、納得できちゃうんですね。


インディアンの神様ってのは、自然に宿る、グレイトスピリッツであって、キリスト教の唯一神とは、まったく違うんですね。

だいたい、キリスト教の唯一神は、教えに従わなければ、人間を「罰する」神でしょ。

インディアンの死後の世界には、悪魔もいなければ、地獄もない。

善と悪の対立、もない。大いなる善なる神が存在してるだけ・・・って考え方。

たとえ、その人に悪いことが起こったとしても、それは天罰ではなく、何かの原因があって、起こるべきして起こった結果に過ぎないと考える。

原因を考え、次に回避することを考え、人生の学びとしていくって考え方なんですね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

下記は、白人によって、キリスト教に改宗を迫られたときの、ホピ族の言葉(コピペしてます!)
       

もし、あなたの神がそんなにも偉大ならば、わしらの神がそうやっているように、

白人の口からじゃなく、直接わしらの心に話しかけてはしい。

あなたの神は冷酷で、けっして全能なんかじゃない。

なぜなら、あなたはいつも悪魔のことや、人が死後に行く地獄の話ばかりをしているからだ。

わしらの神は全能だし、まったく善良だ。

悪魔なんていないし、わしらが死後に行く霊の世界には、地獄などない。

いやいや、わしは改宗なんかしないことにする。

わしは自分の神と自分の宗教についていくことにするよ。

あなたの宗教よりも、わしの宗教のほうが、ずっと幸せになれそうだからな。           

1907年 不詳(ホピ族)



。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

ね、とってもポジティブな考え方でしょ? 

宗教観がまったく違うでしょ?

むしろ、日本の古神道にも通じるものがあるんじゃないか?って思う。

神道には、修行って言葉が無いって、さっき言ったけど・・

自分で模索して、自分の中に道を探し求めることなんじゃないかな?

こういった神に対する考え方は、わりと世界の各地に残っている。

チベット仏教や、一部のマヤ、アフリカの中にも見られるし、

むしろ、古代からの、古いものの方が、私には、なぜか、しっくりくることが多いんだよね。

だからといって、ネイティブアメリカンの部族に入ろうとも思わないし、神道に入ろうとも、真言密教に帰依しようとも思わないけどね。(集団ニガテだもん。)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それでも、私は・・神の存在を信じてるか?って聞かれれば、もちろん信じてる!

だけど、決して、どの宗教にも属することは無いって思う。

もちろん、今、述べてきたような、それぞれの宗教観の中にも、私を、はっとさせるような気づきや、あ、そうだったんだ~!と、教わることもとっても多い。

だけど、私には、1人の教祖様も、1つの団体も不要なのだ。それが、どんな立派な団体、集団だったとしても!


そう、いろんなとこから、ちょっとづつ、いいとこ取りするだけで十分。それが、私には合ってる。

私に、何かを気づかせてくれた人、教えてくれた人には、もちろん、感謝と共に、尊敬の念を持つだろう。きっと、「我が師」とも思うだろう。

だけど、決して崇めることはしないと思う。



また、私の師となるものは、立派な修行者や知識人とも限らない。

時に、私の友達だったり、絵画や小説だったり、マンガやゲームの中にも現れることがある。

さらに、雪を頂いたシャスタ山の雲、アリゾナの砂漠、ウチで寝てばかりの、ぐうたらのネコだったりすることもある。

どんな最悪なときでも、はっと気づかせてくれるもの道を示してくれるもの・・・それは、至るところに現れる。

必ず、ぴか!っと光り輝いたようなカンジがして、ポジティブな力が沸々とわいてくるものだ。

だから、どんなにピンチに陥っても、決して、どっかの宗教に属するつもりは無いし、霊能者なんかを頼ろうとも思わない。

必ず、耳を済ませていれば、私にとって必用なことは、必ず、示してくれる存在があるって思ってる。

それは、至るところに潜んでいて、形を変え、時には、友達の何気ない言葉の中に潜んでたりもするんだよね~。

きっと、こんな事を繰り返しながら、私は、どこかに向かって進んでいく、導かれていく・・・ってのが、

私の道であり、同時に、神様はいる!って感じるところなんだよね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

でも、これは、あくまでも、私の方法であって、人は、それぞれの、自分なりの方法でいいんだと思う。

だから、1つの宗教に入信して、自分探しや自分磨きをするってのも、1つの方法なんじゃないかな。



でもね、それは、あくまでも、目的達成のための方法であって、

もしも・・そこで、本来の目的を見失ってしまっては、なーんの意味がないと思ってしまうのだ。

本来の目的ってのは、みんなの永遠のテーマ!
遠い昔から言われてきた、哲学的命題とも、呼べるヤツ。↓

「私はいかに生きるべきか?」

それに、つきるんじゃないかな?

それは、結局、自分ひとりで探すことなんじゃないかな?


いつかそれを忘れて、盲目的に教団の神を崇めるだけになったら、あなたの神は、どーんどん遠くに行ってしまうんじゃないかなあ。。。


じゃ、アンタの神様は、いったい、どこにいるんだよ~?どんな姿?・・・って聞かれたら

うーーむ。それこそ、言葉で説明するのは、難しいなあ~。

 

うーーん。こんなカンジかなあ。
    
(金子みすゞ 童謡詩の世界から、金子みすゞの詩を引用)

      


         はちと神さま 

          はちはお花の中に、

         お花はお庭の中に、

         お庭は土べいの中に、

         土べいは町の中に、

         町は日本の中に、

         日本は世界の中に、

         世界は神さまの中に、

         そうして、そうして、神さまは、

         小ちゃなはちの中に。


・・・・・・・・・

なーんとなくでも、私の宗教観って理解していただけましたでしょうか?

でも、結局のところ、こうゆうのって、無宗教、無心論者ってことになるんでしょうかね?

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No title

こんばんは。すごく読み応えのあるお話をありがとうございました。
本当に同感です。集団で何かや誰かを崇めるのは違うと私も
常々思ってきました。

変なたとえですが、新興宗教団体の人たちは、小さなお店でのお買い物は選ぶのに迷わないから楽、だけど大きなお店では迷いすぎるから嫌、だから私は小さなお店でお買い物するのが好き!っていう感じに私には見えます。

迷いの根底にはもっとよいのがいい!という欲があるからなのかな
と思います。

幸福の科学に騙されて連れていかれ、その教会で見たものは
大川隆法の顔をした大きなマリア様の像でした。
あれだけはあまりに強烈で忘れられません。

笑いをこらえるのに大変でしたが、本気でこのマリア様のような
像にお祈りをしている人たちに恐怖も感じました。

そのへんのホラー映画より怖いです・・・。



Re: No title

Fumiさん

長文、読んでいただいてありがとうございます!

私、このイメージ、想像しちゃったら、頭から離れなくなっちゃいましたよ~。(笑)
  v-31
> 大川隆法の顔をした大きなマリア様の像。

強烈!

まさに、Fumiさんのお買い物のたとえ、とっても同感です!
その結果が・・大川隆法の顔をした大きなマリア様の像、になるんですね。。。

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スピリチュアル世界中心のブログ★

gingetsu2010

Author:gingetsu2010
アリゾナ州セドナにて、アクセサリー工房Alizona*銀の月*をオープンしてる銀月です!

日々の生活や体験の中から、社会のこと、スピリチュアルなことなど・・思いつくままに書きつらねてます。

皆様にも「スピリチャアルの意味」「生きる意味」を感じて頂けたら、幸いです!☆

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