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スピリチュアルや霊能力の行きつくところとホピ族

前回のブログ記事に、

目先しか見えない人間たちが、開発やテクノロジーの名のもとに、どんどん海も陸も汚染させていった。

それが人間の性だという人もいるけど・・私は、そうは思わない。
少数派でも、絶対、そんなことをしない人たちだっているのだから。



と書いたのだけど・・・

その「絶対、そんなことをしない人たち」について書いておこうと思う。


そうゆう人たちは少数ながら世界中にいると思うけど、まずよく知られている人たち、ホピ族だ。

ホピについては、過去ブログのアメリカインディアンについて書いたときにアップしている。

アメリカインディアンの話

その2: ポカホンタスの話

その3: 現代までのアメリカインディアン

その4:ホピ族について

それに、今ではホピの預言で有名だからご存じの方も多いと思うが・・
知らんがな~という人のために、こちらの動画をご紹介しておきます。
       ↓ これ、コンパクトに上手にまとまってる動画だと思う。



アメリカには数多くの先住民が分布していたのだけど、その中でも最も痩せた土地に住み着いていたのがホピ族だ。
それも自らの意思で!

これを見てもわかるとおり

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ホピのセカンドメサ
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生きるには実に厳しい場所。


フツウだったら、少しでも肥沃な土地を目指して移住しようとするはず。
川や湖の近くの肥沃な土地へと。


ところが、彼らはあえてこんな土地に住み着いた。

まあ、そのおかげで・・後にやってきた白人たちに土地から追い出されることもなく、ホピ族だけはお構いなしとされたんだけどね~。

逆に、肥沃な土地に住んでいた多くの原住民たちは、アメリカ政府によって、皆殺しにされるか不毛な原住民居留地(インディアンリザベーション)に追いやられた。(この囲いから外に出ないで、この中で勝手に餓死していってくれ~というのが見え見えの政策)
それが、アメリカ先住民の歴史だ。


なぜ? あえてそんな土地を選んで住み着いたのか?


それはこの動画にもあったとおり・・グレートスピリッツに導かれたから。
ここは大切な場所。 ここに住み着いてこの土地を守れ!の声を聴いて、それに従ったからだ。


さて、これをどう捉えるかなんだけど・・・

白人文明人たちからみれば、無教養でタダの迷信深い土着民に見えたことだろう。

アホじゃね? わざわざあんな土地にしがみついて食べてくのもやっとの生活してるなんて~!と、鼻で笑ったことだろう。


ところが、ホピ族には「宇宙創世神話」が伝わっているのだ。
彼らは、その古い言い伝えを綿々と継承してきている民族でもある。


彼らによれば、この世界は4度目の世界だという。

最初は火山の大噴火で滅び、二度目は氷河期で滅び、3度目は大洪水で滅んでしまい、現在は4度目の世界なのだ。

そしてホピ族は過去世界からの生き残り種族だという。


生き残り・・・つまり、過去の世界を知っている人々なのだ。 人の愚かさも過去の過ちすらも。


人の愚かなあやまちというのは、

人間は技術やテクノロジーの発展に気をとられるあまり、自然との調和を忘れて最終的には自らを絶ってしまう。ということ。

これがそれを表したもの、彼らに伝わるペトログリフ(岩に書かれた絵)がこれ。
    ↓
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だからこそ、彼らには託された使命がある・・・少なくとも彼らはそう思っている。


その伝承によれば・・

「人間はあらゆることを楽しむのを許されているが、その条件としていかなるときも創造主の愛を忘れてはいけない。
人はそのために、頭頂部にある「コパヴィ」をいつも開いておかなければならない。 それは創造主との交流の接点だから


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コパヴィ・・・まるで、松果体に繋がってるといわれる第3の目(サードアイチャクラ)のこと? そんなカンジがしてしまう。



アメリカ中西部をご存じだろうか?

実際にこの土地に立ったとき、私はクラクラしてきた。
夏なんか立ってられない・・・暑くて乾ききっていて・・どんだけ厳しんんよ~!

いったい、こんな土地でどうやって生きてきたんだ?

こんなところで、今まで命を繋いでこられたことが奇跡としか思えないのだ。

ホピのとうもろこし畑
   ↓
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What 2,000 years of traditional Hopi farming in the arid Southwest can teach about resilience

びっくりするほど厳しい土地だ。

アリゾナのこの地では1年に10インチ未満の雨しか降らないってご存じだろうか?

もちろん農地に引き入れるような川も湖もない。

湧き水はあるけど・・それは人間が飲み水にするのがやっとの量なので、とても農地には回せない。

この土地で2,000年以上にわたり、ホピは農業で生きてきたのだ。

主な作物はとうもろこし。 主にブルーコーンが多い。(←乾燥地でも育ちやすく、しかも栄養価が高いとか)

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そのほか、耐乾燥性の豆、リマ豆、テパリー豆、サヤインゲン、さらに21種類以上のトウモロコシも、ここで開発してきたという。


その農法は?というと・・

えっと・・名前を忘れちゃったんだけど、なんとかっていう木から作られた棒1本を使って、ぐりぐりと土を掘って、そこに1粒のトウモロコシの種を入れて土をかぶせるだけ。

農薬や除草剤は一切使用しないし、畑を灌漑することもしない(水が無いから灌漑の必要がないわけだけど・・)

あとはどうするか?

ひたすら祈るしかないのだ。
朝夕に雨を祈り、1粒のトウモロコシの種が芽を出してくれることを!


そうやって出来上がったコーンは、彼らからみると「商品」という感覚ではない。
これもまた「命あるもの」として、奇跡の産物となる。

彼らはそれを感謝とともに食べる。



もしも一滴も雨が降らない日々が続けば、彼らは考える。

私たちの行いの何かが間違っていたんだろうか?
何か改めなければならないことがあるのだろうか?


そこで彼らは儀式を行い瞑想し、コパヴィを開いてグレートスピリッツと交信する。


そうやって、彼らは2000年もの間、この地で農業だけで生きてきた。
狩猟を行ったりバッファローと共に生きてきた先住民ともまったく違う生き方をしてきたのだ。


これはもう、奇跡としかいえない気がする。

たった1粒の種が芽を出すことだって奇跡だ。

彼らは、グレートスピリッツに守られてきたのかもしれない・・とさえ思えてくる。


ホピの預言の話は、いまやあちこちで語られているので、ここでは省くけれど・・

彼らは預言を伝えるため、第二次世界大戦後に日本に原爆が落とされたとことを知った彼らは、国連まで出向いて訴えたことがあった。

また、当時の大統領ハリー・トルーマンあてに手紙を送っている。
ホピ族から大統領あての手紙

日本に原爆が落とされたとき、彼らは驚愕したという。

彼らに伝わってきたすべての預言が正しかったこと
そして、この第4世界もまた破滅に近づいているということ


あらためて確信したという。



こうゆう彼らの行動をみても、ホピ族は「選ばれた人」なのかもしれない。
私には、そのように思えてしまう。


同じように、文明的な生活を避けたり、あえて文明社会から背を向けた生き方をする人々はいる。

こういったひとたち
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禁欲を固く守り掟に厳格で、ファスナーの着いた服さえ拒絶した生き方をしてるコミュニティーだ。


また、一時爆発的に流行ったニューエイジと呼ばれた若者たち。 ヒッピーって言葉もあったけど・・
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現代においても、山奥で文明とかけ離れた生活をする人だっている。
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これらは、みな彼らのライフスタイルだ。

それは現実社会からドロップアウトした結果かもしれないし逃避生活かもしれないし、もともと馴染めずに拒否した結果かもしれないし・・また宗教的集団かもしれないし・・事情は違うけど、あくまでも、それぞれの個人事情によって選んだ生活だと思う。

同じように質素で貧しい生活はしていても、やはりホピは違う。



もうちょっと別の言い方をすれば・・彼らは「使命を課せられた選ばれた種族」かもしれない。

そうでなければ、2000年もの間、先祖代々あんな生活は続けてこられない。
とっくに餓死して壊滅してるぞ~!
あの土地・・まじかに見たなら絶対そう思うはず。



そうはいうものの、現代のホピ村では、

こんな地味~な暮らしヤダ! おら、都会さ出るだ~♪と、ホピ村を飛び出していく人もいるし、

トウモロコシなんてやなこった!と、バーガー&チップスにコークを好む若者だって多いようだ。

で、ネイティブアメリカンにありがちの・・こんな体系の人たちが増えているのも事実。
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代々穀物や魚中心に食べてきた人たちの食生活が大幅に変わると、デブになりやすいらしい。
現代ハワイアンやサモア人にデブが多いのもこの理由によるものらしい。



それでも彼らはホピ村を変えようとはしない。
バーガー食べてる若者だって村を飛び出した若者だって、そんなことを言いださない。


ここにリゾートホテルを建てるか?って計画すらない。

一時期アメリカ先住民たちは生き残りをかけて、リゾート&カジノホテルを建設した時代にだって、ホピは行ってない。
シルバーアクセサリーとか工芸品作り、せいぜいホピ文化資料館だとか・・その程度でしのいできた。


今ではアメリカ先住民の中ではホピ族は有名だ。 世界的にも名前が知られた種族になった。

とくにホピの預言で有名になったし、ホピのシルバーアクセサリーでも広く名が知られている。


そこでだ・・
「悠久の2000年の文化 スピリチュアルな民」とかってキャッチフレーズで大々的に宣伝すればいくらでもビジネスに繋がるだろうに~。 

ホピの秘密とされてる儀式もこの際公開しちゃって、チケット売って写真撮影も許可して、快適なホテルに宿泊させて、それで自分たちは別の土地に移ってもっと文明的かつ裕福な生活だって出来ようってものなのに~。


ちょっとでも、その気を見せれば、アメリカの投資家なんてすぐ食らいついてきて、いくらでも資金を出すぞ~って人はいっぱいいるのだ。


貧しい漁港だった沖縄だって土地開発して、あんなに立派にしちゃったのになあ~。
前回のブログ記事
  ↓
サンゴの白い色は死装束



沖縄だけじゃなく、どこの地域だってそうやってきたのだ。・・土地開発



この違いはなんだろう?

考え方が古くて昔からの風習を頑なに守ってるだけ?
NO!

それは答えにならない。

この21世紀の時代、どんな堅物の年寄りだって目の前に裕福な暮らしがチラつけば、そっちを選んでしまうわけだ・・。
貧しければ貧しいほど、そうなる人々の方が多い。


それを拒絶するとしたら、それは、もう・・コパヴィで交信できるかどうかの違いだろう!

彼らは過去の破滅した3つの世界を認識し、これから起こることも、また、どうすべきかも認識している。
だから目先の美味しい話には飛びつかない。

それが美味しくないことを魂レベルで知っているのだ。


そうゆう人たち、つまり彼らは霊力を感じる能力がある
真にサイキックとも呼べる人々だと思うのだ。


昨今では霊感とかスピリチュアルといったものに興味を示す人が多くなったとも聞くが、本来のスピリチュアルとは、そこに行きつくものだと思う。

幽霊を見る能力とか超能力とかオカルトとか・・そういったものは不随品にしか過ぎない。

「道を示すものの声が聴こえるようになること」それこそが、スピリチュアルの最終目的だと思っている。


だからこそホピ族は、道を示す者の声を聴き、そこの土地を守ることが使命と思ってきたのではないだろうか?

自分たちは一番苦しい生活をしながら、人々にメッセージを送ることもまた、彼らの使命なのだろう。


「選ばれた人々」

選ばれた人々は辛いものだ・・。
全人類の贖罪のために最も苦しい磔刑にされたキリストのようなものかもしれない。


それに比べれば・・

美しいサンゴ礁の海があって、ウミガメだっていっぱいいて、魚介類がたっぷり獲れる生活のどこに不満があるんだ!
もっともっと、その恵まれた環境に感謝すべきだ・・・と思ってしまう私。

1粒の種に祈りを捧げる人々と比べれば・・どんだけ恵まれてることか。


でもコパヴィが開かない人は、今ある現実の美しさに気がつかない。
文明的都会的な暮らしの方がステキ~と思っちゃうんだろうね。

ホピの宇宙観
   ↓
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だから私はいつも思うのだ。
世界中の人がサイキックになればいいのに~と。

そしてさらに思うこと。
グレートスピリッツは、私たちに「ホピのような生活しろ」とは言ってない。
あれはホピの使命であって、私たちの使命ではない。


私たちは、どんどんテクノロジーを発達し開発していけばいいのだ。
ただし、すべての動植物、自然を破壊することなく調和のとれた世界を崩すことなく。


それが出来ないとは思わない。
すでに私たちには与えられた能力があると思っている。

いつか、そのようにして作られていった世界が見たいなあ

それは第5の世界になるんかな~。
それとも6か7か?

でも、世界中に少数ながらでもそういった人々がいる限り、必ず希望はある。
いつか実現できる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<<後記>>
私がアメリカに来た頃、ESLクラスで、まずアメリカの歴史を学ばされた。
そこで、サンクスギビングデイ(感謝祭)が、アメリカ人にとって、一番大切なビックイベントだということを知った。

それは、初めてメイフラワー号で白人移民がアメリカ大陸に上陸してきたとき、人々は生き延びることも危ない状況だったという。
そこでインディアンたちが、糧を得る方法や生活方法を細かく教えたという。

彼らのおかげで生き延びて、毎年収穫できるようになった人々は、インディアンたちをまねいてパーティーを開いた。
それが感謝祭の始まりとなった。

その話を聞いたとき、アメリカインディアンって、よそ者に対してそんなに友好的で面倒見のいい人たちだったん?と不思議に思ったのだ。

古いハリウッド映画を観てた私は、インディアンって好戦的で怖いってイメージを植え付けられてただけかな?と(笑)
それ以来、アメリカ原住民のことを調べるようになり、ホピ族にも行きついたという経緯がある。



<<参考>>
超物理学上と謎の解明へ


雅楽と西洋音楽のスピリチュアリズム

「洋楽は指揮者が必要なのに、なぜ雅楽は指揮者がいないのだろう?」

と聞かれました。

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確かに雅楽には指揮者はいない。


ん? そもそも雅楽ってどうゆうもの?
たぶん、そこらへんに答えがあるような気がする。


奈良・平安時代頃から始まり、わが国在来の古楽と、唐・三韓(さんかん)などから伝来した音楽との総称。
神楽(かぐら)・催馬楽(さいばら)・朗詠・唐楽・高麗楽(こまがく)などで、中国、インド(天竺)、南ベトナム(林邑)、さらにシルクロードを経て伝来し たもの。

とあります。
雅楽ーwikipedia
日本雅楽会

手っ取り早く言えば、日本で生まれたものでも起源が海外にあるものでも、「洋楽以外のものすべて」を雅楽とよんだようです。

そういえば、空海によって伝えられた真言密教の楽器や音楽もあるようです。仏具でも音を出しながら声明を唱えるものもいっぱいありますからね~。

雅楽とは、このように器楽演奏、歌、舞踏・・すべてを含めたもの。


で、なんのために?

雅楽は、奈良時代・平安時代から、宮廷は勿論、寺院や神社において盛んに演奏されました。(←日本雅楽会より)

毎年の行事として節目節目にも行わていたようで・・これは、別に宮中の楽しい行事(たとえば、春の花見や夏の舟遊びみたいな)っていうより、政(まつりごと)のためだったようです。

まつりごというのは現代の「政治」のことではないです。

まつりごととは「祭政一致(さいせいいっち)」のこと
祭祀と政治とが一元化、一体化していることだそうだが・・
精神性(民意)と行政が一致してるものでなくてはならないもの。



雅楽はそのために、「自然に宿る神と交信するためのもの」と考えた方が近いかと思います。

それならば・・指揮者は不要ですね~。

神の声を聴くため、心を澄ませて耳を傾ければ、自ずから演奏者の心は1つになっていくわけですから。


それと、雅楽にはもう1つの意味もあったようです。

「安摩」という舞いがあり、さらに「安摩」の「二の舞」という踊りがありますが、ご存じですか?
(俗にいう、二の舞を踏むというのは、ここから出たんだとか・・)

私は岡野玲子さんの漫画「陰陽師」を読んで、初めて知ったのだけど・・
その中で、安倍晴明が「安摩の二の舞」を踊るエピソードが出てきます。

内裏が炎上するわ日照り続きで不吉なことばかり。そんな中、ようやく焼け落ちてた内裏新造の際、地鎮祭を行うことになる。
そこで、安倍晴明は「安摩」を舞う。
*この「安摩」というのは、6世紀頃今のベトナム北部にあった国(林邑=チャンパ王国)から伝わったもので、当時の他の舞楽ともかなり異なった特色を持っていたらしい。


このときの面がまた、とっても不思議な幾何学模様で、なんとも奇妙で、どこか滑稽さを感じる面なんですよ。

右側が「安摩」で使う面
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http://ohtsukajumpei.hatenablog.com/entry/2015/07/09/153908

こんなふうに
   ↓
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https://www.pinterest.jp/pin/760826930773713884/


ひとくちに地鎮祭といっても、ただ決まった踊りをそのまんま踊ればいいってもんじゃないようです。

降雨のない状態が「陰」の龍ならば、「陽」を象徴する「朱雀」をもってその瓦解に充てる。
縦糸に横糸を通すように、「陰陽和した状態」を作り球体(珠)をもって表す。

これまた手っ取り早くいえば、陰陽のバランスが保てるような状態を舞いによって作り出すということ。(しかもすべての所作に意味があり、かなり理論的なもの)

詳しく知りたい方は岡野玲子さんの漫画「陰陽師」を読んで頂くか、下記のようなブログでも参照ください。
    ↓
中沢新一さんの虹の理論からの陰陽師の安摩の舞とか古事記のアメノウズメのくだりとか
海士と安摩-笑いの魔力




これでお分かり頂けたと思いますが、
雅楽はまつりごとに欠かせないもの、であると同時に「呪術」でもあった・・・ということです。

呪術というとおどろおどろしいものをイメージする方もいるかもしれませんが・・地鎮祭や魔を払うことなども、呪術の1つだったんですね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それに比べて、洋楽というのは、すべて「人によるもの」から成り立っています。 (人が作り人が演奏し人に聴かせるもの)


人によるものであれば、指揮者は絶対必要になってきますね。


それでも昔は「指揮者」という職業は存在してなかったようで、指揮をするのは皆作曲家だった。
自分で作った曲を自分で指揮するんだから・・そりゃ当然。

ベートーベンさんも自分で作った交響曲は自分で指揮してました。
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でも時代を経て、作曲した人が死んでいくと指揮する人が必要になってくるわけで、
そこで生まれてきたのが「指揮者」という職業のわけです。


作曲家は楽譜を残してます。

ベートーベンのムーンライトソナタらしいが・・結構悪筆?
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その楽譜をもとに、作曲した人の思いを読み取り、さらに自分の表現力や解釈を加味させたものが1つの曲となって今に甦えさせる・・それが指揮者の仕事になったんだと思います。


おおもとの作曲家がいて演奏者がいて、時代を経てからの指揮者と演奏者がいる・・・すべてが人によるもの。


単純に言ってしまえば、
雅楽が神(自然の声)を聴き取るのに対し、洋楽は多くの人の思いが詰まったもの
とも言えるかもしれません。


そんなわけで、クラシック音楽の場合、まず楽譜は基本。 楽譜から始まるわけです。
(ただし原譜の楽譜のこと・・練習用楽譜の場合、わかりやすくするため速度記号などを勝手に書き足しちゃった○○版とかってのもあります)

ところが、作曲家といえども楽譜にすべてを事細かに記すことは到底不可能。

ここんとこは強調した音だけどのびやかで繊細さも含めるとか、しっとりと含めた音にするとか・・書いてられないつーの。
そもそも言葉で説明できるってもんじゃないし~。

だからこそ、後の人の解釈次第でいかようにもクリエイティブにしていくことが出来るってのも面白いとこです。

数百年前の作曲家と演奏家と指揮者との共同作業でもあり、そしてぜーんぶの人の思いが詰まったもの。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あ、そういえばクラシック界にも異端児もいましたっけ。

世界的なピアニストでありながら、和音を勝手にアルペジオにしちゃうとか、音を足しちゃうようなことまでした人。
有名なグレン・グールド(Glenn Herbert Gould)さん
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とことん、彼は自分流の自由な音楽を目指したかったんでしょうね~(笑)
ただし、彼の演奏はバッハなどのバロック音楽にほとんど限られていたようで、ショパンやリストではやっていません。

バッハくらいの時代だと即興性が強かったんで、まあ、オーソドックスなスタイルのジャズで即興演奏してる感覚なので、そうそう原曲をぶち壊すことにはならなかったんだと思うし、むしろ、曲によっては原曲を大いに活かした部分も大きかったかもしれません。


ところが、ロマン派以降のショパンやリストの時代の作曲家の作品は、下手に音を加えたり外したりしてしまえば、曲の完全破壊につながってしまうわけで・・

そこんとこ、グレン・グールドもわかってたらしく、ロマン派作品は好きじゃない!って言ってたようです。
そりゃ、自由にできないからね!(笑)

まあ、自由奔放にやりながらも、ちゃーんと曲の神髄は理解してた人なんだと思います。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あ、そういえば・・
現代のピアニストの中にも、自由奔放に、平気でぶっ壊す演奏しちゃう人もいるとか(笑)

しかも、この人、ショパンやリストの曲に独自で音を足しちゃったり省いちゃったりするわ、ミスタッチも多いわ、暗譜も忘れるわ・・で大変らしい(笑)


ところが本人は、私は機械じゃないんだから!(ミスしたって暗譜忘れたっていいっしょ!)と言ったとか言わないとか・・

うーーん! ある意味、すごいツワモノだと思うが・・

しかしながら・・
プロの落語家や講談家は、「滑舌が悪い」「言葉を噛む」ってのは致命的で、絶対やらないことだそーですよ。
そりゃあ、せっかく話の世界に入っても、それだけで現実に引き戻されちゃいますもんね~。

これは、演奏家も同じだと思うんですよ。 
ミスタッチしない、暗譜は忘れない・・なんてことは出来て当たり前で、だからプロなんだと思うのですが・・。


ずいぶん前でしたが、音大時代の知人(モーツァルト大好き)が、このピアニストとN響による、モーツァルトのピアノ協奏曲21番だったか?を聞きにいったそうですが・・

酷評でした。。。

だって、どこにもモーツァルトがいないんよ!
今まで、いっぱいコンサートで聴いてきたけど、モーツアルトの曲なのに、モーツアルトがどこにもいない演奏を初めて聴かされた! と。

完全に自分流の解釈で、ヘンな甘さとロマンチックを表に出す弾き方、しかも、あまりにも気ままで感傷的なだけ。
だったそうです。

たしかに、モーツァルトの美しさって、むしろ中庸のバランス的なとこにあるようです。
だからこそ、ロマンチックさも残り香のように、後からさわやかに伝わってくるみたいな。(←モーツアルトファンによる)

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まあ、音楽なんて好きなように演奏すりゃいいわけなんだけど・・・

それでも、演奏家は作曲家の思いを皆さんに伝えるという役目もあると思う私です。

作曲者を完全無視するなら、自分で作った曲を演奏すべきじゃないかな~って思う私です。


西洋音楽は「人によって作られたもの」 
クラシックとして今も残っているものは、その多くの人々を経た「最高傑作」のはず。

モーツアルトの曲を演奏するなら、時代背景から緻密な楽曲分析をしたりするのは必須のわけで、
(そういえば、のだめカンタービレの中でも、気分だけで弾いてたのだめが成長して、一生懸命、楽曲分析をするようになりましたね。・・あんなもんです。)

なぜなら、少しでもモーツァルトの心や、その神髄に近づこうとするからです。
つまり、自分だけの音楽でありながらも、決して自分だけのものでないのが音楽なのかと。

それを別の言い方をすれば、作曲者へ対する敬意なのかもしれません。

そういったものを完全無視するならば、そこに演奏価値は無いように思います。
やっぱり、自分で作曲した曲を演奏すべきかと。

・・・

さらに、驚くべきことに、このN響の演奏に指揮者を置かなかったそーですよ。

おまけに、途中から遅刻してきた客を途中でどんどん入れちゃうわで・・ざわついて煩かったとか。
(せめて人を入れるなら、1つの楽章が終わった切れ目にすべき、と思うのですが)

ええ? N響ってそんなとこだったん?
日本のクラシック音楽界ってそんなもんなん?


・・・と、これを聴いてちょっと悲しくなりました。。。

探してみたら、似たようなことを書いてるブログがありました。
    ↓
樋口裕一の筆不精作家のブログ


ついでに、かなり古い映像だけど、私が好きなピアニスト、マルタ・アルゲリッチと小澤征爾さんのコンサート前に打ち合わせをしてる映像があったので貼っておきます。
お二人とも、すごく若いとき。 (なかなか二人のやり取りが面白いし、最後の方には昨日のブログの、ベートーベンの7番もちょっとだけ入ってます。ベルフィンフィルだけど)



このようにして、指揮者もピアニストも綿密なリハーサルを重ねて本番に臨むわけです。

それだけ多くの人々の思いが詰まって出来上がるもの。
それが西洋音楽なんだと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<<雑記>>

雅楽をもっと聴いてみたいな~とは思うものの・・なんか、耳にする雅楽ってどれもテンポが超スローなものばかりだし、似たようなものばかりって気がする。 本当はシルクロードを経て伝わってきた、かなりハイテンポな曲もあったはずなのですが・・。

ふと、Wikiの一文にこんなことが書かれていた。
  ↓

現在、宮内省雅楽部は宮内庁式部職楽部となり百曲ほどを継承しているが、使用している楽譜が楽部創設以来の明治選定譜に基づいているにもかかわらず昭和初期から現代にかけて大半の管弦曲の演奏速度が遅くなったらしい。
曲によっては明治時代の三倍近くの長さになっており、これに合わせて奏法も変化している。

これは廃絶された管絃曲を現代の奏法で復元した際に演奏時間が極端に長くなったことにも現れている。
このような変化や律と呂が意識されなくなってきている事などから現代の雅楽には混乱が見られ、全体としての整合性が失われているのではないかと見ている研究者もいるが・・



つまり、今では伝承されてないものが多くあるということなんですね~。
そもそももともとは楽譜はなかったわけだし・・いずれにしても残念なことです。

クラシック音楽から知った「平凡な一般人でもラッキー!」

休暇をとって日本に帰省していた同僚が戻ってきた。

ところが、いつも明るいオーラを発散してる人なのに、どす黒いオーラになってる。

げえ! なにがあったん? 
こりゃ近寄りがたいぞ!


と初めは逃げ腰になったものの、なにげなく聞いてみた。

「なんか顔色悪いよ! 体調崩した?」

「もう、日本で色々と大変だったんよ~!」
と彼女が語り出したところによると・・
遺産相続で弁護士まで介入してぐちゃぐちゃ状態になったことを皮切りに、しばらく我慢してきた仕事の不満までもが噴出し・・

もう手をつけられないような状態になってる。。。

そんな人に、大丈夫よ、頑張ってね、なーんて歯の浮くような慰めを言えるわけもない。


そこで話題を変えて、娘さんのピアノレッスンの話をした。

さすがに愛娘の話ともなると、いくぶん顔色は明るくなる。

「私、クラシックには無縁だったんだけど、娘にピアノを習わせるようになってから有名ピアニストの演奏を聴くようになったの。 私でもわかるようなクラシックで、何かお勧めない?」


そーだなあ~。。。

急に思いついたのが、こちらの演奏。
   ↓

Beethoven: Symphony No.7 / Ozawa Boston Symphony Orchestra (1989 Movie Live)

「うわ!オーケストラ? 交響曲なんて、私、ちゃんと聴いたことないし、よくわからないと思うなあ~。」

「のだめカンタービレ、全部観たって言ってたよね? これ、その中にも出てきた曲だから知ってはずだよ!
ま、とりあえず娘さんと一緒に聴いてみなよ!」
と、LINEでURLを送った。
   ↓
nodamecd.jpg
Amazonのサイト

「長いから、面倒だったら、終楽章だけでも聴くといいよ」
1st [0:20] 2nd [14:53] 3rd [23:37] 4th [31:27]
*4楽章は31分27秒から始まります。



その数日後

「うわああ! 凄--くよかったよ!もう、娘なんか感動して涙ぐんじゃったのよ!
小澤征爾さんて、ほーんとすごい人だっのね~。」

よかった~! 元気を貰えて・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

実は、私も小澤征爾さんの演奏を生(ナマ)で聴いたことがない。
小澤さんどころか海外の超有名どころのオケ&指揮者のパフォーマンスやオペラも・・生で聴いたことがない私なのだ。


私の若い頃は、YouTubeもなかった時代だし、映像も見るならば、直接コンサートに行って聴くしかなかった時代だ。


ところがですね~・・一番の問題はお値段が超高いこと!!

あの時代でさえ1万円台はザラだったし・・たしか、某有名オペラの席なんか、3万円はしてたと思う。。。

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音大時代に先生たちからは、どんどんコンサートに行け! ただし安い席じゃダメだ!一番良い席で聴け!と言われてたんだけど、

あんたね~、そう簡単に行けるわけないだろーが!
楽譜だって、いいヤツ買おうと思うとウン万円したりすんだから~!
コンサート代まで回んないのよね~。


そんなわけで、私がよく行ったのはロックコンサート(←クラッシックの超有名オペラやシンフォニーと比べれば安いから。)
また、当時の私の音楽はクラシック1本ってわけでなく、ブリティッシュロックやソウルも大好きだった・・というのも理由の1つ。


しかし今、メチャメチャ後悔している!
無理してでも絶対行くべきだったと。



Youtubeのナマを見るようになってわかったことだけど、

★CDと生演奏とでは全然違うということ (そもそも録音用と生演奏では演奏自体も、それように変えてるらしい)

つまり、生演奏でなきゃビンビンに伝わってこないってことだ。
演奏者たちのその時の気分の高揚度によっても、コンサートホールによる音響の違いによっても違うのだから。


たとえば、こちらのAmazonのサイトに入って、CDで同じ曲を視聴してみると・・

下の方にスクロールすると、この1楽章と4楽章が視聴できるので、 このの部分をクリック。
    
: ベートーヴェン:交響曲第7番 1. ベートーヴェン:交響曲第7番
: ベートーヴェン:交響曲第7番 2. ベートーヴェン:交響曲第7番




これを小澤征爾&ボストンフィルの動画を観たあとで聴くと・・

とても上手だしきれいで、コンパクトにまとまったいい演奏だと思うけど・・なーんかそれだけ。(もちろん、これが下手だとか芸術性に欠けるなんて話ではない)

しいて言えば・・こんなキレイな美味しいお弁当を食べてるようなカンジかなあ~。
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お店に入って、じゅーじゅー聞いて、アツアツをふーふーして食べて、うわあ!おっちゃんの作る中華って絶品だ~!
   ↓
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https://fuji-totochan.com/eat/2676/

・・・みたいな感動がないってカンジかな? (←すべて食べ物で例えちまうんかよ?)


まあまあ、そう言ってしまえば・・舞台だってナマだし、TVとはぜーんぜん違うわけで、
別にクラシックの、オーケストラ演奏だけに限ったことじゃない。


それでも、
オーケストラの指揮者というものは、すごく特異な、不思議な存在だと思う。

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自分では何も楽器演奏はしないくせにめっちゃ演奏してる存在。

どんな一流どころのオーケストラが同じ曲を演奏しとしても、それは指揮者によって、まったく違う仕上がりになってしまうのは、すでに皆さん、ご存じのはず。


指揮者のお役目は、音楽の方向性を示し団員すべての思いを1つして曲を作り上げること。
その結果として、指揮者とそのオーケストラの個性が出ることになるんだよね~。

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ところが、そう簡単にはいかない(笑)

楽団員は大勢いて、そもそも人は十人十色、感じ方も音楽性もそれぞれ違う。
さらに、老若男女、国籍もバラバラだったりする。

そういったメンバ―すべてが、一点の曇りないとこで同じ方向を向く。
これは本当に凄いと思う。


それが指揮者のお役目と言われればそれまでなんだけど・・実際にそれをやってのけちゃう指揮者って、私には凄いとしか思えないのだ。


完全なる調和の世界


もしも、たった一人でも個人主義に走ってしまえば絶対に成り立たない世界だ。

なーんていうと・・自分を殺して皆に合わせるってことだね? と誤解されることもあるんだけど、
それはNO

自分を活かした上で全体の調和を目指すこと

目指すところは、さらなる高みなのだ。



俗に「息が合ってるね~」なんて言ったりもするけど、そんなことはオケにおいては当然だし~基本中の基本ってヤツだ(笑)

皆で一斉に音を出すとき、もしも0コンマ1秒、00コンマ1秒のずれがあっても、それは違和感となって聞こえてしまうのが音楽の世界。
音というのは実にシビアーだ。


それが出来るということは・・全員が同じ強い思いを持っているということだろう。
だからこそ皆が極限の集中力を保っていられるわけだし、息も合って当然。


それをやらなきゃならない指揮者は、すべての楽器を熟知して音を聴き取る鋭い耳を持ってるの当然のことだし、
さらに、全体のバランスを聴き取り、自分の目指す音楽の方向性を示して皆を誘導しなきゃならない。
気持ちも1つにしなきゃならない。


いやあ~。 指揮者って大親分みたいなもんやね~。

ところが、この大親分、自分一人では何1つ出来ない存在でもある。
団員がいなければ指揮者の存在はない。

ここらへんの関係性が、面白いとこだなあって思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「私もこれから、もっとオーケストラ曲も聴いてみたくなってきた。」

そりゃあ、よかったね~。

「でも、ああいう人たちって、生まれながら耳がすごく良くて、天分に恵まれた人たちなんだろうね~。」

さあ、それはどうだろう?


私が音大の1年のとき、聴音(音を耳で聴きとって楽譜に書くヤツ)をやらされたことがあって、
それがね、コントラバスパートだけを聴き取って楽譜にしなきゃなんないんだけど・・すっごく複雑に絡み合ってるヤツなんで、みーんな四苦八苦してた。
1年生でみんな未熟者だったせいもあるだろうけど・・とにかく完璧に聴き取れないのだ。

コントラバス
  ↓
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ところが一人の女の子だけが、サラサラと楽譜に書いていく。 

ええ? なんであんたは、そんな簡単に出来るの~?

「私のカレシはベーシストなんよ。 ジャズだけどね・・
彼の演奏をいつもそばで聴いてたから、たぶん耳が慣れちゃってるんじゃないかな。」

 
クラッシック以外の演奏法では弓を使わないことも多い
     ↓
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この彼女、他の成績はぱっとしない人だったが、ベースを聴き取る耳だけは凄かった(笑)

そう、「好きだから」かもしれない。
彼女の場合は、カレシが好きで、カレシの演奏も好きで、カレシのベース音が好きだったんだろうけどね。


私には、才能というのは後天的なものに思えてならないのだ。

いくら先天的な才能があったとしても、それが開花しなきゃ無いのと同じだし。

原動力は「好き」という熱い思いしかないように思う。
そこまで好きになれるかどうかじゃないのかな。


「なーるほどね~、みんな一流どころのミュージシャンとかアーティストは皆そうなんだろうねえ。」・・と彼女は納得しつつ、

「でもね~、 芸術分野の人っていいわよね~。 だって世俗に染まらずに好きな世界だけを一生懸命やってればいいんだもんね~。 私たちとは違うのよね~。 はあ。」・・と、またまた、ネガティブモードに入っていく(笑)


「そりゃ違うよ! 有名になっていけばいくほど出る釘は叩かれる、お金の問題もついて回るし、妨害や嫌がられだって大きくなるだろうし・・そうゆうのから上手に防御し立ち回りつつも、掃除洗濯して家計簿つける能力がなきゃ生活が破綻しちゃうのは、みーんな同じ。」

プラハにあるRudolfinumコンサートホール
   ↓

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実際に小澤征爾さにしたって、ものすごい苦労の連続だったと思う。
もともと資産家の家庭に生まれたってわけでもなかったようだし、過去に起こったN響との確執問題ってのは特に有名な話だ。(TAP the POP


どんなに一流どころと云われる人でも、みーんな苦労はしてるわけで、
むしろ、彼らは一般人以上に過酷な苦労をしてるんじゃないかな~と思うのだ。


一般人で平凡に生きるということは、それだけ苦労も少なく済むってことかもしれない
苦労が少ない分、感動も少ないのかもしれないけど。



そこで、我々に感動を与えてくれる存在こそが、アーティストと呼ばれる人たちじゃないのかな。
(ざっくりアーティストっていったけど、ミュージシャン、落語・講談家、漫画家、小説家などなど、みーんな含めてのこと。)



まあ平穏無事に生きてきて、経験も感動も少ない我々なんだけど・・
ラッキーなことに、彼らからすべてを受け取ることが出来るのも我々。
(人から受け取って自分の血肉に出来ちゃうなんて超ラッキーだわい。)


それを与えるのが、彼らのお役目なのかもしれない。


ただし残念ながら、一流どころじゃないと、そこまでのものは与えて頂けない。
アートも、ただの娯楽(余暇の楽しみごと)で終わっちゃうことになる。


さらに、一流かどうかの判断も、これまた人によっても違うところかもしれないけど、

小澤征爾さんは、私にとって「一流どころ」の一人だ。


ベートーヴェン交響曲7番ならば、
私がもっとも好きなのは、この、「小澤征爾さん指揮のボストンフィル」1989年ですね~
この曲に関しては、ベルリンフィルより、やっぱボストンフィルだよな~って思ってしまう。
小澤さんの指揮は、ものすごーく緻密で、すごくパワフルで、まさに神が降りてきた~!ってカンジ。
それに見事に応えてるのがボストンフィル、ベルリンのは、なぜかもっと洗練され過ぎてるような気がしてしまうのだ。



残念ながら小澤さんの時代は終わったけど、どんどん新しい指揮者も出てるので、また楽しみです。

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何か1つでも、こういった「お気に入り」を持ってるといいもんです。

どんなダメダメな時でも、また新たにパワーを吹き込んでもらえますから。


あ、もちろん私、ここでクラシック音楽のお勧めをしてるわけじゃないですからね!

分野なんて、なんでもいいです。
それこそお好きなものを!

ただし、娯楽ではなく、魂に息吹を感じられるようなものを!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
雑記

ところで、クラシック音楽のコンサートって、なんで日本ではあーんなに高いんでしょーねえ?
糞見たいなもの(失礼!)でも数千円は取るし~・・・だからこそ、敷居が高いものになっちゃうのかも。
アメリカでも、クラシックは高尚な趣味みたいに思われるとこあるけど・・でも、日本ほどじゃないし~。

ヨーロッパだと、オペラ座のようなとこでも一番安い席では500円程度で観られるとか(立ち見席だけど)
そりゃ貧乏でも、いくらでも行けるわ~!

ウィーンのオペラ座で立ち見席を利用する若者たち。 気軽に行けて羨ましいっす。
   ↓
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専門バカ、リベラルアーツ

これはアメリカ在住の日本人のおばさんの会話。

「うちの大学生の息子、専攻を経済学にするみたい。」

「あら、文系なのね~。 うちは理系に進んだわ。」


聞いていて、あ?と思った。

アメリカでは経済学は理系に入る!
でも、たしか日本では経済学は文系だったよなあ、と。

おそらく、日本で生まれ育った人たちは知らなかったのだろう。

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そういえば・・・と、

遠い昔のことを思い出した。

高2の秋、あるクラスメートが、
「俺、数学ニガテだから、私大の文系じゃなきゃダメだな! しかも男で文学部ってのは、なんかカッコ悪いし~、
経済学部を受験するよ! その方が就職にも有利だしな~!」


と言って、経済学部受験を決定したことなど。

こんなふうにして、進路なんて簡単に決まっちゃう~。


でも、数学ニガテだとすると大学に入ったあとで苦労したんじゃないかなあ?

今は経済学といっても、マクロ経済やミクロ経済、ファイナンス分野や計量経済などなど、数式を扱う科目はメチャメチャ多いらしいから。

近年ではとくに、理論物理学や電気工学、情報工学などの分野を応用した数量経済学とかってのもあるらしいし、数学色が濃~い学問のはず。


なのに、なんで経済学部の受験に数学がないんだ?
へんなの~?



たぶん・・
日本の大学の制度が出来上がったのは1900年代の初頭あたりと聞く。
ケインズさんもいなけりゃ、金融工学なんてものもなかっただろうし・・だから、文系に入れられちゃったんだろうなあ。



アメリカでも大学を卒業すると学士号がもらえる
(Bachelor)というヤツ。

専攻した科目によって、大きく2つに分かれる。

BA(Bachelor of art)・・・アート

BS(Bachelor of science)
・・・サイエンス



Art(アート)というと、日本語では「芸術」という言葉になるし~、それを科目で言えば、美術や音楽になってしまうんだけど・・

こちらの人から見れば、文学や歴史、哲学、美術、建築、音楽、全てアート。 これは、日本でいうところの文系になるカンジ。


逆に、Artの対義語は Nature、つまり、自然というわけ。

サイエンスもまた、これに属し、日本でいうところの理系ってことになる。


欧米人にとって、

Artは、人が作りだすもの・・・文系
Natureは、神が作り出したもの・・・・理系



人が作り出すのか、神が作ったものを解明するのか・・ということで分類したらしい。


まあ、分類なんてどうでもいいことだ!

経済学が理系か文系かなんてこともね(笑)



分類する、カテゴライズするというのは、便宜上、必要なこともあるんだけど・・ただ、それだけに過ぎない・・と思うのだけど、

なのに、人はすべてをカテゴライズされたものの中で見てしまうことになる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

何年か前に、1Q84って本が売り出されて、ちょっとしたブームになったことがあったよね。

そうそう、村上春樹さんの本!

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「この本って、SF・ファンタジー? それとも社会派に入るのかなあ?」

「いや、ミステリー、恋愛小説って見方もできるし、こうゆうの、困るよね~。」


って、会話を耳にしたときは・・・思わず笑ってしまった!

そこかよ!と。

どうして・・本までカテゴライズすることから、はじめちゃうんだろ!って。

えてして、良い作品というのは、むしろ1つのカテゴリーだけに留まらないものって気がするのだけど。



私も1Q84は読んだのだけど・・どうでもいいような小さな部分が今でも印象に残っている。

ある小型の銃を初心者に渡すときに、
「マガジン(弾倉部分)に素早く玉を込める練習をしなければいけない。
たとえ暗闇の中でも手先だけで素早く玉を込められるようにしておかなきゃいけない。」
というような事を言ってるシーンがあった。

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これが、すごく真に迫ってた。

実は一度だけ、私もインストラクターについて射撃を習ったことがあったんだけど、
まさに、口を酸っぱくして言われたのが、これだったから!


こうゆうのって実際に経験してる人か、または、ちゃんとリサーチして完全にその感覚を自分のモノにしてる人じゃなきゃ、言えない言葉だよな~って。

こうゆう些細なところにも手を抜かないんだ! 作家さんてすごい!って思ったものだ。

そりゃあ、彼らにとってはプロとして当たり前のことかもしれないんだけどね~。


こうゆうのこそ、まさに、リベラルアーツなんじゃね?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

アメリカの大学だと、1-2年生のうちは、リベラルアーツを学ばされる。
専攻を決めるのは3年になってから。
日本だと、すでに専攻を決めてから受験するんだけどね~。

リベラルアーツは高校までで十分やってるはずだから、という認識なのかもしれない。
充分やってきたのは受験勉強だと思うんだけど・・まあ、それをここで言っても始まらない(笑)



リベラルアーツを日本語にすると、教養課程みたいなことになるんだろうか?

「専門教育」の前に学習する一段低い、一般教育みたいなイメージがついて回るせいか、あまり真剣に考えない人も多いらしい。


ところが、そのリベラルアーツを、ちゃーんと学んでいないと、

自分の専門のことは詳しいけれど、それ以外のことは、ほとんど知らないという人たちが生みだされてしまうことになる。

それどころが、すでに教育として体系づけられてるものは学んでいけても、それ以上の発展性は見込めない!ってことになってしまう。

そっちが問題!

与えられるれたことがしか出来ない! 自分で先を学べない! 大発見はありえない!・・ということになる。


よーするに、1つのことしか出来ない(しない)専門バカに未来はない!ってことらしい(笑)


たとえば医学界・・脳神経外科は脳神経外科だけ、泌尿器科は泌尿器科だけ。

もしも別の部位に問題があり、それらが複雑に絡み合って症状が出ているとしたら・・・あっちこっちのXX科をたらいまわしにされることになる。

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永久にその原因と関連性はわからないだろうし、適切な治療もできなくなっちゃう・・というのはよく聞く話。
医学は完全に専門分野で分かれてしまってるから。

こういったことかもしれない。


数学者であっても、数学書ばかりを紐解いていても、新しい発見は出来ない。
堂々めぐりのこじつけ理論しか浮かんでこなくなる。

ほんとうは、音楽や文学の中にこそ、大きなヒントが隠れているのかもしれないのに。

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1Q84の中にも、
「バッハの平均律、あれこそ数学だ!」といったことが書かれていたっけ。

たしかにそうだ!

のだめカンタービレのフレーズにも、こんなのがあったっけ。

「神の作りたもうた世界は素晴らしい調和によって創造されている。
その調和の根本原理は数の関係によって成り立つ。」



作家さんて、本当にさまざまな分野に目を向けているんだなあ~と感心させられてしまう。

彼らの感覚は、決してカテゴライズすることなく、いつも自由に飛び回るから。


大学の専門分野で難しいことをいっぱい学んで、専門語ばかりを羅列して難解な論文を書いてる学者さんよりも、

自由な感覚で飛び回ってる一般人の方が、はるかに、その神髄を捉えちゃってる!

そんな気がすることが多い。


そう、だからリベラルアーツは大事ってことになる。

それを別な言い方をすれば・・

「なんでも幅広い分野を知ろうとすること」

もっと言えば・・・

「なにごとにも、自然に興味を持って味わえるゆとり」なのかもしれない。

現生利益とスピリチュアルの関係について

あるスピ系女子という方から、
「現生利益を一番に求めるのは悪いことでしょうか?」という・・なんともまあ、かわいらしい質問を頂いた。

もちろん悪くないです!・・・と私は思っている。


仏教のある宗派では「いけないこと」とされてるようだけど・・えーと、たしか・・浄土真宗だったかな?

こちらでは精神性を高めることによって現世利益はおのずから付いてくる、という考え方だったと思います。

またキリスト教全般においても、病気が治りますように! 商売繁盛!なんてお祈りはしないですね~。



でも、望んでしまうものは仕方ないじゃないですか~!

病気が治りますように。
商売繁盛、お金が儲かりますように


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ただし~、
現生利益を望むのであれば、まず自分自身でやるべきことをすべてやらなきゃ!って思うんですよ。

たとえばビジネスを徹底的に学ぶ、体を使って働く。 金の流れや世間全体の流れを見極める・・なーんてことを。


それを、スピ系パワーで引き寄せよう!なんてのは無駄かと思うんですよ。(ああ、引き寄せの法則のとこにも、似たようなことをつらつら書きましたっけ。)


愛と感謝、祈り、ワンネスなんてものを考えたり、念じたり、祈ったり、セミナーに出席したりなーんてヒマがあったら、実践でがつがつ学び働くことかと(笑)


病気だって同様!
なぜ、この病気になったか?の原因を探り、体のしくみを学び考え、どんな治療法が正しいのか?
自分なりに学ぼうとしたり治そうともしないで、すべてお医者様にお任せで神頼みでは・・ダメなんじゃね?
・・って思います。


時代劇ではお馴染みの「お百度詣り」
   ↓
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お百度詣りだって、現実に出来ることはすべてやった上で神頼みをするわけですもんね~。
あ、そうそう・・ただし、お百度するのは自分の為じゃなくって、大切な誰かの為に祈るんだそうです。
それも、わが身はどうなっても構いません!という切なる祈りだから叶えられるんだとか。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そもそも、スピリチュアルな生き方と現生利益では、ゴールも考え方も、ぜ~んぜん違うって思うんですよね。



最近のスピリチュアル系では、「私はこのようにして成功しました」といった成功談を実に美しく「デコ&ラッピング」されて語ってるのも多いようだし(笑)

さらに、「スピリチュアル系ビジネスで集客できる秘訣」なんてハウツーモノまで出回ってるそうですよね~。
たった3ヶ月で500万円達成ってのが、謳い文句だったなあ(笑)


こうゆうのはすべて「世間において成功した」という結果重視の考え方


私にはそれがスピリチュアルだとは思えないんですよね~。

ちょっと言葉は悪いかもしれませんが・・そうゆうのって、スピリチュアルを利用しているだけで、コンセプトは真逆のところにある気がしてしまうんですよ~。


当然、まっとうな代価は受け取るべきだし儲けるのも当然と思いますが・・「大儲けする」「成功」ということが最終目的であるならば、それはスピリチュアルとは別物と思います。


少なくとも、スピリチュアルは結果重視ではないはずです。


大切なのは、そこまでに行きつくまでの過程、日々の心の在り方なのであって、

もしも、最終的に成功したかどうかを判断基準にしているとしたら、それは・・むしろスピリチュアルとマ逆なj方向のように思えます。


大切なのは、毎日を充実して送っているか? 日々楽しくキラキラと生きているか?・・・それがスピリチュアルの基本じゃないかなあ。

・・・・・・・・・・・・・・

だからといって、現生利益を求めることが悪だなんて思ってません。

今、現生利益を一番に求める状況であるならば、素直に心のままに、そっちの方向を突っ走るべきかと思います。


お金は汚いものなんじゃないか?とか、日々愛と感謝がなければいけないんじゃないか?とか・・
そ~んな「なんちゃってスピリチュアル」に煩わされてる方が、むしろ道は遠くなるような気がします。


なので、先ほども述べたように、目的に向かって実践あるのみ。 がつがつ学び働くのみ!


まずは1年くらい、まっしぐらに、やるべきことは全~部やって、最後だけは神頼みもよろしいのではないかと(笑)

・・・・・・・・・・・・・・・・

現生利益にご利益があるのは、えべっ様お稲荷様だそうです。


1年を死に物狂いで働きまくって

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https://amanaimages.com/info/infoRM.aspx?SearchKey=02768000012


商売繁盛笹もってこ~い♪♪ と、祈りを込めてどーんとお飾りを買う!



または、お稲荷さまにどーんと願掛けする。

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https://yamagata-jinjyacho.or.jp/wp/blog/archives/2400

江戸時代には、お稲荷様は、今のスタバ以上に、あちらこちらにあったそうです。

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江戸で有名な稲荷神社といえば、「王子」「袖擦」「三廻り」「九郎助」など。
三廻神社は、たしか三菱? 三井?だったかの願掛け神社としても有名だったはず。


なんでまた、江戸時代にお稲荷様が大人気だったかといえば・・

それには諸説あるものの・・結局のところは「手っ取り早くご利益があるから」(笑)

まあ、江戸庶民だって、そりゃあ一番に現生利益を祈ってたわけですよ~。



もちろん願いが叶ったならば、お礼を忘れちゃいけません。

江戸時代の人は神に対する、畏敬の念というものもあったし信心深かったですからね~。
現代人と比べれば、ちゃんとお礼も忘れず信心し続けたはずです。


ところが現代人って、困ったときだけの神頼みが多いみたいですね~(笑)

とくに、お稲荷様は祀らなくなったとたん、しっぺ返しに合うって話・・たしかによく耳にします。

私の知人に代々商売をやってる家の方がいて、家の敷地にもお稲荷様を祀ってたそうですが、
お父様の時代になって、引っ越しをすることになり、それを機にお稲荷様の祠を壊してしまい、すっかり祈ることも忘れちゃったそうです。

その後ご両親も弟も相次いで病気でなくなり家運も傾き、一人生き残った長男もまた難病に苦しんでるとか。



まあ、それが祟りかどうかはわかりませんが・・似たような話はいくつも聞いてます。


また個人の話に限らず、地域の守り神としてあったお稲荷様の祠を壊してしまったり、
誰も祀る人がいなくなって寂れてしまったとき、

その地域では怪異やら不幸な出来事が多く起こるようになるとか。

そんな話も聞いてます。

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人間なんて勝手なものだよね~。

昔の住民たちは、土地の発展や加護を願ってお稲荷様に毎日のように拝んでいたでしょうに・・

現代になって土地開発が進み、時代が変わったとたん、誰も見向きもしなくなっちゃうんだから(笑)


仕方ないよ~! 土地開発するんだから! とか。
時代の波には逆らえないし~とか。


ぜーんぶ、自分の都合ばっかし!なんだもんね~(笑)


その上、「お稲荷様は祟るから良くない」な~んて言い出す始末。


これじゃあ、お稲荷様が怒ったとしても当然だよな~。

それより、お稲荷様、おキツネ様が気の毒だよな~。

・・・と思ってしまう私。


現生利益をすぐに叶えてくれる神様は、わりと人に近い波動を持ってるとか。

そりゃあ・・利用された!見捨てられた!と思えば悲しいだろうし、哀しみが怒りになることもあるだろーに。


せめてでも、人として同等に接するならば、叶えて頂いたなら、ずっと感謝するのが当たり前。


そんなの、やなこった!と思うなら、神頼みなんかしないこと。

自分の力を信じて自分で切り開くこと。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そうそう、1つだけ確かだな~って思うことがあります!

ほんとうにスピリチュアルに目覚めてしまった人たちは、自分のための現生利益なんて願ったりしない。

彼らの視点は、もっともっと壮大なところにある。



当然、「私はこのように成功を引き寄せた」とか「たったの3か月でxx百万稼いだ!」なんて話題にも上らない(笑)


それでいて、彼らには不思議と、現生利益はささやかながらでも、ちゃ~んと付いて回ってる。
まさに浄土真宗の教えじゃないけどね(笑)



だからといって、先にも言ったように・・現生利益を求める事が悪いとは決して思ってはいない!

ただし・・まだまだオヌシ、ちっちゃえよな~とは思う(笑)

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かくゆう私も、まだまだ「ちっちゃえ」ヤツですが、デカくなりたいと思ってます!

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スピリチュアル世界中心のブログ★

gingetsu2010

Author:gingetsu2010
アリゾナ州セドナにて、アクセサリー工房Alizona*銀の月*をオープンしてる銀月です!

日々の生活や体験の中から、社会のこと、スピリチュアルなことなど・・思いつくままに書きつらねてます。

皆様にも「スピリチャアルの意味」「生きる意味」を感じて頂けたら、幸いです!☆

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