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雅楽と西洋音楽のスピリチュアリズム

「洋楽は指揮者が必要なのに、なぜ雅楽は指揮者がいないのだろう?」

と聞かれました。

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確かに雅楽には指揮者はいない。


ん? そもそも雅楽ってどうゆうもの?
たぶん、そこらへんに答えがあるような気がする。


奈良・平安時代頃から始まり、わが国在来の古楽と、唐・三韓(さんかん)などから伝来した音楽との総称。
神楽(かぐら)・催馬楽(さいばら)・朗詠・唐楽・高麗楽(こまがく)などで、中国、インド(天竺)、南ベトナム(林邑)、さらにシルクロードを経て伝来し たもの。

とあります。
雅楽ーwikipedia
日本雅楽会

手っ取り早く言えば、日本で生まれたものでも起源が海外にあるものでも、「洋楽以外のものすべて」を雅楽とよんだようです。

そういえば、空海によって伝えられた真言密教の楽器や音楽もあるようです。仏具でも音を出しながら声明を唱えるものもいっぱいありますからね~。

雅楽とは、このように器楽演奏、歌、舞踏・・すべてを含めたもの。


で、なんのために?

雅楽は、奈良時代・平安時代から、宮廷は勿論、寺院や神社において盛んに演奏されました。(←日本雅楽会より)

毎年の行事として節目節目にも行わていたようで・・これは、別に宮中の楽しい行事(たとえば、春の花見や夏の舟遊びみたいな)っていうより、政(まつりごと)のためだったようです。

まつりごというのは現代の「政治」のことではないです。

まつりごととは「祭政一致(さいせいいっち)」のこと
祭祀と政治とが一元化、一体化していることだそうだが・・
精神性(民意)と行政が一致してるものでなくてはならないもの。



雅楽はそのために、「自然に宿る神と交信するためのもの」と考えた方が近いかと思います。

それならば・・指揮者は不要ですね~。

神の声を聴くため、心を澄ませて耳を傾ければ、自ずから演奏者の心は1つになっていくわけですから。


それと、雅楽にはもう1つの意味もあったようです。

「安摩」という舞いがあり、さらに「安摩」の「二の舞」という踊りがありますが、ご存じですか?
(俗にいう、二の舞を踏むというのは、ここから出たんだとか・・)

私は岡野玲子さんの漫画「陰陽師」を読んで、初めて知ったのだけど・・
その中で、安倍晴明が「安摩の二の舞」を踊るエピソードが出てきます。

内裏が炎上するわ日照り続きで不吉なことばかり。そんな中、ようやく焼け落ちてた内裏新造の際、地鎮祭を行うことになる。
そこで、安倍晴明は「安摩」を舞う。
*この「安摩」というのは、6世紀頃今のベトナム北部にあった国(林邑=チャンパ王国)から伝わったもので、当時の他の舞楽ともかなり異なった特色を持っていたらしい。


このときの面がまた、とっても不思議な幾何学模様で、なんとも奇妙で、どこか滑稽さを感じる面なんですよ。

右側が「安摩」で使う面
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http://ohtsukajumpei.hatenablog.com/entry/2015/07/09/153908

こんなふうに
   ↓
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https://www.pinterest.jp/pin/760826930773713884/


ひとくちに地鎮祭といっても、ただ決まった踊りをそのまんま踊ればいいってもんじゃないようです。

降雨のない状態が「陰」の龍ならば、「陽」を象徴する「朱雀」をもってその瓦解に充てる。
縦糸に横糸を通すように、「陰陽和した状態」を作り球体(珠)をもって表す。

これまた手っ取り早くいえば、陰陽のバランスが保てるような状態を舞いによって作り出すということ。(しかもすべての所作に意味があり、かなり理論的なもの)

詳しく知りたい方は岡野玲子さんの漫画「陰陽師」を読んで頂くか、下記のようなブログでも参照ください。
    ↓
中沢新一さんの虹の理論からの陰陽師の安摩の舞とか古事記のアメノウズメのくだりとか
海士と安摩-笑いの魔力




これでお分かり頂けたと思いますが、
雅楽はまつりごとに欠かせないもの、であると同時に「呪術」でもあった・・・ということです。

呪術というとおどろおどろしいものをイメージする方もいるかもしれませんが・・地鎮祭や魔を払うことなども、呪術の1つだったんですね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それに比べて、洋楽というのは、すべて「人によるもの」から成り立っています。 (人が作り人が演奏し人に聴かせるもの)


人によるものであれば、指揮者は絶対必要になってきますね。


それでも昔は「指揮者」という職業は存在してなかったようで、指揮をするのは皆作曲家だった。
自分で作った曲を自分で指揮するんだから・・そりゃ当然。

ベートーベンさんも自分で作った交響曲は自分で指揮してました。
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でも時代を経て、作曲した人が死んでいくと指揮する人が必要になってくるわけで、
そこで生まれてきたのが「指揮者」という職業のわけです。


作曲家は楽譜を残してます。

ベートーベンのムーンライトソナタらしいが・・結構悪筆?
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その楽譜をもとに、作曲した人の思いを読み取り、さらに自分の表現力や解釈を加味させたものが1つの曲となって今に甦えさせる・・それが指揮者の仕事になったんだと思います。


おおもとの作曲家がいて演奏者がいて、時代を経てからの指揮者と演奏者がいる・・・すべてが人によるもの。


単純に言ってしまえば、
雅楽が神(自然の声)を聴き取るのに対し、洋楽は多くの人の思いが詰まったもの
とも言えるかもしれません。


そんなわけで、クラシック音楽の場合、まず楽譜は基本。 楽譜から始まるわけです。
(ただし原譜の楽譜のこと・・練習用楽譜の場合、わかりやすくするため速度記号などを勝手に書き足しちゃった○○版とかってのもあります)

ところが、作曲家といえども楽譜にすべてを事細かに記すことは到底不可能。

ここんとこは強調した音だけどのびやかで繊細さも含めるとか、しっとりと含めた音にするとか・・書いてられないつーの。
そもそも言葉で説明できるってもんじゃないし~。

だからこそ、後の人の解釈次第でいかようにもクリエイティブにしていくことが出来るってのも面白いとこです。

数百年前の作曲家と演奏家と指揮者との共同作業でもあり、そしてぜーんぶの人の思いが詰まったもの。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あ、そういえばクラシック界にも異端児もいましたっけ。

世界的なピアニストでありながら、和音を勝手にアルペジオにしちゃうとか、音を足しちゃうようなことまでした人。
有名なグレン・グールド(Glenn Herbert Gould)さん
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とことん、彼は自分流の自由な音楽を目指したかったんでしょうね~(笑)
ただし、彼の演奏はバッハなどのバロック音楽にほとんど限られていたようで、ショパンやリストではやっていません。

バッハくらいの時代だと即興性が強かったんで、まあ、オーソドックスなスタイルのジャズで即興演奏してる感覚なので、そうそう原曲をぶち壊すことにはならなかったんだと思うし、むしろ、曲によっては原曲を大いに活かした部分も大きかったかもしれません。


ところが、ロマン派以降のショパンやリストの時代の作曲家の作品は、下手に音を加えたり外したりしてしまえば、曲の完全破壊につながってしまうわけで・・

そこんとこ、グレン・グールドもわかってたらしく、ロマン派作品は好きじゃない!って言ってたようです。
そりゃ、自由にできないからね!(笑)

まあ、自由奔放にやりながらも、ちゃーんと曲の神髄は理解してた人なんだと思います。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あ、そういえば・・
現代のピアニストの中にも、自由奔放に、平気でぶっ壊す演奏しちゃう人もいるとか(笑)

しかも、この人、ショパンやリストの曲に独自で音を足しちゃったり省いちゃったりするわ、ミスタッチも多いわ、暗譜も忘れるわ・・で大変らしい(笑)


ところが本人は、私は機械じゃないんだから!(ミスしたって暗譜忘れたっていいっしょ!)と言ったとか言わないとか・・

うーーん! ある意味、すごいツワモノだと思うが・・

しかしながら・・
プロの落語家や講談家は、「滑舌が悪い」「言葉を噛む」ってのは致命的で、絶対やらないことだそーですよ。
そりゃあ、せっかく話の世界に入っても、それだけで現実に引き戻されちゃいますもんね~。

これは、演奏家も同じだと思うんですよ。 
ミスタッチしない、暗譜は忘れない・・なんてことは出来て当たり前で、だからプロなんだと思うのですが・・。


ずいぶん前でしたが、音大時代の知人(モーツァルト大好き)が、このピアニストとN響による、モーツァルトのピアノ協奏曲21番だったか?を聞きにいったそうですが・・

酷評でした。。。

だって、どこにもモーツァルトがいないんよ!
今まで、いっぱいコンサートで聴いてきたけど、モーツアルトの曲なのに、モーツアルトがどこにもいない演奏を初めて聴かされた! と。

完全に自分流の解釈で、ヘンな甘さとロマンチックを表に出す弾き方、しかも、あまりにも気ままで感傷的なだけ。
だったそうです。

たしかに、モーツァルトの美しさって、むしろ中庸のバランス的なとこにあるようです。
だからこそ、ロマンチックさも残り香のように、後からさわやかに伝わってくるみたいな。(←モーツアルトファンによる)

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まあ、音楽なんて好きなように演奏すりゃいいわけなんだけど・・・

それでも、演奏家は作曲家の思いを皆さんに伝えるという役目もあると思う私です。

作曲者を完全無視するなら、自分で作った曲を演奏すべきじゃないかな~って思う私です。


西洋音楽は「人によって作られたもの」 
クラシックとして今も残っているものは、その多くの人々を経た「最高傑作」のはず。

モーツアルトの曲を演奏するなら、時代背景から緻密な楽曲分析をしたりするのは必須のわけで、
(そういえば、のだめカンタービレの中でも、気分だけで弾いてたのだめが成長して、一生懸命、楽曲分析をするようになりましたね。・・あんなもんです。)

なぜなら、少しでもモーツァルトの心や、その神髄に近づこうとするからです。
つまり、自分だけの音楽でありながらも、決して自分だけのものでないのが音楽なのかと。

それを別の言い方をすれば、作曲者へ対する敬意なのかもしれません。

そういったものを完全無視するならば、そこに演奏価値は無いように思います。
やっぱり、自分で作曲した曲を演奏すべきかと。

・・・

さらに、驚くべきことに、このN響の演奏に指揮者を置かなかったそーですよ。

おまけに、途中から遅刻してきた客を途中でどんどん入れちゃうわで・・ざわついて煩かったとか。
(せめて人を入れるなら、1つの楽章が終わった切れ目にすべき、と思うのですが)

ええ? N響ってそんなとこだったん?
日本のクラシック音楽界ってそんなもんなん?


・・・と、これを聴いてちょっと悲しくなりました。。。

探してみたら、似たようなことを書いてるブログがありました。
    ↓
樋口裕一の筆不精作家のブログ


ついでに、かなり古い映像だけど、私が好きなピアニスト、マルタ・アルゲリッチと小澤征爾さんのコンサート前に打ち合わせをしてる映像があったので貼っておきます。
お二人とも、すごく若いとき。 (なかなか二人のやり取りが面白いし、最後の方には昨日のブログの、ベートーベンの7番もちょっとだけ入ってます。ベルフィンフィルだけど)



このようにして、指揮者もピアニストも綿密なリハーサルを重ねて本番に臨むわけです。

それだけ多くの人々の思いが詰まって出来上がるもの。
それが西洋音楽なんだと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<<雑記>>

雅楽をもっと聴いてみたいな~とは思うものの・・なんか、耳にする雅楽ってどれもテンポが超スローなものばかりだし、似たようなものばかりって気がする。 本当はシルクロードを経て伝わってきた、かなりハイテンポな曲もあったはずなのですが・・。

ふと、Wikiの一文にこんなことが書かれていた。
  ↓

現在、宮内省雅楽部は宮内庁式部職楽部となり百曲ほどを継承しているが、使用している楽譜が楽部創設以来の明治選定譜に基づいているにもかかわらず昭和初期から現代にかけて大半の管弦曲の演奏速度が遅くなったらしい。
曲によっては明治時代の三倍近くの長さになっており、これに合わせて奏法も変化している。

これは廃絶された管絃曲を現代の奏法で復元した際に演奏時間が極端に長くなったことにも現れている。
このような変化や律と呂が意識されなくなってきている事などから現代の雅楽には混乱が見られ、全体としての整合性が失われているのではないかと見ている研究者もいるが・・



つまり、今では伝承されてないものが多くあるということなんですね~。
そもそももともとは楽譜はなかったわけだし・・いずれにしても残念なことです。

クラシック音楽から知った「平凡な一般人でもラッキー!」

休暇をとって日本に帰省していた同僚が戻ってきた。

ところが、いつも明るいオーラを発散してる人なのに、どす黒いオーラになってる。

げえ! なにがあったん? 
こりゃ近寄りがたいぞ!


と初めは逃げ腰になったものの、なにげなく聞いてみた。

「なんか顔色悪いよ! 体調崩した?」

「もう、日本で色々と大変だったんよ~!」
と彼女が語り出したところによると・・
遺産相続で弁護士まで介入してぐちゃぐちゃ状態になったことを皮切りに、しばらく我慢してきた仕事の不満までもが噴出し・・

もう手をつけられないような状態になってる。。。

そんな人に、大丈夫よ、頑張ってね、なーんて歯の浮くような慰めを言えるわけもない。


そこで話題を変えて、娘さんのピアノレッスンの話をした。

さすがに愛娘の話ともなると、いくぶん顔色は明るくなる。

「私、クラシックには無縁だったんだけど、娘にピアノを習わせるようになってから有名ピアニストの演奏を聴くようになったの。 私でもわかるようなクラシックで、何かお勧めない?」


そーだなあ~。。。

急に思いついたのが、こちらの演奏。
   ↓

Beethoven: Symphony No.7 / Ozawa Boston Symphony Orchestra (1989 Movie Live)

「うわ!オーケストラ? 交響曲なんて、私、ちゃんと聴いたことないし、よくわからないと思うなあ~。」

「のだめカンタービレ、全部観たって言ってたよね? これ、その中にも出てきた曲だから知ってはずだよ!
ま、とりあえず娘さんと一緒に聴いてみなよ!」
と、LINEでURLを送った。
   ↓
nodamecd.jpg
Amazonのサイト

「長いから、面倒だったら、終楽章だけでも聴くといいよ」
1st [0:20] 2nd [14:53] 3rd [23:37] 4th [31:27]
*4楽章は31分27秒から始まります。



その数日後

「うわああ! 凄--くよかったよ!もう、娘なんか感動して涙ぐんじゃったのよ!
小澤征爾さんて、ほーんとすごい人だっのね~。」

よかった~! 元気を貰えて・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

実は、私も小澤征爾さんの演奏を生(ナマ)で聴いたことがない。
小澤さんどころか海外の超有名どころのオケ&指揮者のパフォーマンスやオペラも・・生で聴いたことがない私なのだ。


私の若い頃は、YouTubeもなかった時代だし、映像も見るならば、直接コンサートに行って聴くしかなかった時代だ。


ところがですね~・・一番の問題はお値段が超高いこと!!

あの時代でさえ1万円台はザラだったし・・たしか、某有名オペラの席なんか、3万円はしてたと思う。。。

moneyfried.jpg

音大時代に先生たちからは、どんどんコンサートに行け! ただし安い席じゃダメだ!一番良い席で聴け!と言われてたんだけど、

あんたね~、そう簡単に行けるわけないだろーが!
楽譜だって、いいヤツ買おうと思うとウン万円したりすんだから~!
コンサート代まで回んないのよね~。


そんなわけで、私がよく行ったのはロックコンサート(←クラッシックの超有名オペラやシンフォニーと比べれば安いから。)
また、当時の私の音楽はクラシック1本ってわけでなく、ブリティッシュロックやソウルも大好きだった・・というのも理由の1つ。


しかし今、メチャメチャ後悔している!
無理してでも絶対行くべきだったと。



Youtubeのナマを見るようになってわかったことだけど、

★CDと生演奏とでは全然違うということ (そもそも録音用と生演奏では演奏自体も、それように変えてるらしい)

つまり、生演奏でなきゃビンビンに伝わってこないってことだ。
演奏者たちのその時の気分の高揚度によっても、コンサートホールによる音響の違いによっても違うのだから。


たとえば、こちらのAmazonのサイトに入って、CDで同じ曲を視聴してみると・・

下の方にスクロールすると、この1楽章と4楽章が視聴できるので、 このの部分をクリック。
    
: ベートーヴェン:交響曲第7番 1. ベートーヴェン:交響曲第7番
: ベートーヴェン:交響曲第7番 2. ベートーヴェン:交響曲第7番




これを小澤征爾&ボストンフィルの動画を観たあとで聴くと・・

とても上手だしきれいで、コンパクトにまとまったいい演奏だと思うけど・・なーんかそれだけ。(もちろん、これが下手だとか芸術性に欠けるなんて話ではない)

しいて言えば・・こんなキレイな美味しいお弁当を食べてるようなカンジかなあ~。
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お店に入って、じゅーじゅー聞いて、アツアツをふーふーして食べて、うわあ!おっちゃんの作る中華って絶品だ~!
   ↓
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https://fuji-totochan.com/eat/2676/

・・・みたいな感動がないってカンジかな? (←すべて食べ物で例えちまうんかよ?)


まあまあ、そう言ってしまえば・・舞台だってナマだし、TVとはぜーんぜん違うわけで、
別にクラシックの、オーケストラ演奏だけに限ったことじゃない。


それでも、
オーケストラの指揮者というものは、すごく特異な、不思議な存在だと思う。

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自分では何も楽器演奏はしないくせにめっちゃ演奏してる存在。

どんな一流どころのオーケストラが同じ曲を演奏しとしても、それは指揮者によって、まったく違う仕上がりになってしまうのは、すでに皆さん、ご存じのはず。


指揮者のお役目は、音楽の方向性を示し団員すべての思いを1つして曲を作り上げること。
その結果として、指揮者とそのオーケストラの個性が出ることになるんだよね~。

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ところが、そう簡単にはいかない(笑)

楽団員は大勢いて、そもそも人は十人十色、感じ方も音楽性もそれぞれ違う。
さらに、老若男女、国籍もバラバラだったりする。

そういったメンバ―すべてが、一点の曇りないとこで同じ方向を向く。
これは本当に凄いと思う。


それが指揮者のお役目と言われればそれまでなんだけど・・実際にそれをやってのけちゃう指揮者って、私には凄いとしか思えないのだ。


完全なる調和の世界


もしも、たった一人でも個人主義に走ってしまえば絶対に成り立たない世界だ。

なーんていうと・・自分を殺して皆に合わせるってことだね? と誤解されることもあるんだけど、
それはNO

自分を活かした上で全体の調和を目指すこと

目指すところは、さらなる高みなのだ。



俗に「息が合ってるね~」なんて言ったりもするけど、そんなことはオケにおいては当然だし~基本中の基本ってヤツだ(笑)

皆で一斉に音を出すとき、もしも0コンマ1秒、00コンマ1秒のずれがあっても、それは違和感となって聞こえてしまうのが音楽の世界。
音というのは実にシビアーだ。


それが出来るということは・・全員が同じ強い思いを持っているということだろう。
だからこそ皆が極限の集中力を保っていられるわけだし、息も合って当然。


それをやらなきゃならない指揮者は、すべての楽器を熟知して音を聴き取る鋭い耳を持ってるの当然のことだし、
さらに、全体のバランスを聴き取り、自分の目指す音楽の方向性を示して皆を誘導しなきゃならない。
気持ちも1つにしなきゃならない。


いやあ~。 指揮者って大親分みたいなもんやね~。

ところが、この大親分、自分一人では何1つ出来ない存在でもある。
団員がいなければ指揮者の存在はない。

ここらへんの関係性が、面白いとこだなあって思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「私もこれから、もっとオーケストラ曲も聴いてみたくなってきた。」

そりゃあ、よかったね~。

「でも、ああいう人たちって、生まれながら耳がすごく良くて、天分に恵まれた人たちなんだろうね~。」

さあ、それはどうだろう?


私が音大の1年のとき、聴音(音を耳で聴きとって楽譜に書くヤツ)をやらされたことがあって、
それがね、コントラバスパートだけを聴き取って楽譜にしなきゃなんないんだけど・・すっごく複雑に絡み合ってるヤツなんで、みーんな四苦八苦してた。
1年生でみんな未熟者だったせいもあるだろうけど・・とにかく完璧に聴き取れないのだ。

コントラバス
  ↓
bassist.jpg


ところが一人の女の子だけが、サラサラと楽譜に書いていく。 

ええ? なんであんたは、そんな簡単に出来るの~?

「私のカレシはベーシストなんよ。 ジャズだけどね・・
彼の演奏をいつもそばで聴いてたから、たぶん耳が慣れちゃってるんじゃないかな。」

 
クラッシック以外の演奏法では弓を使わないことも多い
     ↓
rockabilly slap bass


この彼女、他の成績はぱっとしない人だったが、ベースを聴き取る耳だけは凄かった(笑)

そう、「好きだから」かもしれない。
彼女の場合は、カレシが好きで、カレシの演奏も好きで、カレシのベース音が好きだったんだろうけどね。


私には、才能というのは後天的なものに思えてならないのだ。

いくら先天的な才能があったとしても、それが開花しなきゃ無いのと同じだし。

原動力は「好き」という熱い思いしかないように思う。
そこまで好きになれるかどうかじゃないのかな。


「なーるほどね~、みんな一流どころのミュージシャンとかアーティストは皆そうなんだろうねえ。」・・と彼女は納得しつつ、

「でもね~、 芸術分野の人っていいわよね~。 だって世俗に染まらずに好きな世界だけを一生懸命やってればいいんだもんね~。 私たちとは違うのよね~。 はあ。」・・と、またまた、ネガティブモードに入っていく(笑)


「そりゃ違うよ! 有名になっていけばいくほど出る釘は叩かれる、お金の問題もついて回るし、妨害や嫌がられだって大きくなるだろうし・・そうゆうのから上手に防御し立ち回りつつも、掃除洗濯して家計簿つける能力がなきゃ生活が破綻しちゃうのは、みーんな同じ。」

プラハにあるRudolfinumコンサートホール
   ↓

Rudolfinum.jpg

実際に小澤征爾さにしたって、ものすごい苦労の連続だったと思う。
もともと資産家の家庭に生まれたってわけでもなかったようだし、過去に起こったN響との確執問題ってのは特に有名な話だ。(TAP the POP


どんなに一流どころと云われる人でも、みーんな苦労はしてるわけで、
むしろ、彼らは一般人以上に過酷な苦労をしてるんじゃないかな~と思うのだ。


一般人で平凡に生きるということは、それだけ苦労も少なく済むってことかもしれない
苦労が少ない分、感動も少ないのかもしれないけど。



そこで、我々に感動を与えてくれる存在こそが、アーティストと呼ばれる人たちじゃないのかな。
(ざっくりアーティストっていったけど、ミュージシャン、落語・講談家、漫画家、小説家などなど、みーんな含めてのこと。)



まあ平穏無事に生きてきて、経験も感動も少ない我々なんだけど・・
ラッキーなことに、彼らからすべてを受け取ることが出来るのも我々。
(人から受け取って自分の血肉に出来ちゃうなんて超ラッキーだわい。)


それを与えるのが、彼らのお役目なのかもしれない。


ただし残念ながら、一流どころじゃないと、そこまでのものは与えて頂けない。
アートも、ただの娯楽(余暇の楽しみごと)で終わっちゃうことになる。


さらに、一流かどうかの判断も、これまた人によっても違うところかもしれないけど、

小澤征爾さんは、私にとって「一流どころ」の一人だ。


ベートーヴェン交響曲7番ならば、
私がもっとも好きなのは、この、「小澤征爾さん指揮のボストンフィル」1989年ですね~
この曲に関しては、ベルリンフィルより、やっぱボストンフィルだよな~って思ってしまう。
小澤さんの指揮は、ものすごーく緻密で、すごくパワフルで、まさに神が降りてきた~!ってカンジ。
それに見事に応えてるのがボストンフィル、ベルリンのは、なぜかもっと洗練され過ぎてるような気がしてしまうのだ。



残念ながら小澤さんの時代は終わったけど、どんどん新しい指揮者も出てるので、また楽しみです。

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何か1つでも、こういった「お気に入り」を持ってるといいもんです。

どんなダメダメな時でも、また新たにパワーを吹き込んでもらえますから。


あ、もちろん私、ここでクラシック音楽のお勧めをしてるわけじゃないですからね!

分野なんて、なんでもいいです。
それこそお好きなものを!

ただし、娯楽ではなく、魂に息吹を感じられるようなものを!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
雑記

ところで、クラシック音楽のコンサートって、なんで日本ではあーんなに高いんでしょーねえ?
糞見たいなもの(失礼!)でも数千円は取るし~・・・だからこそ、敷居が高いものになっちゃうのかも。
アメリカでも、クラシックは高尚な趣味みたいに思われるとこあるけど・・でも、日本ほどじゃないし~。

ヨーロッパだと、オペラ座のようなとこでも一番安い席では500円程度で観られるとか(立ち見席だけど)
そりゃ貧乏でも、いくらでも行けるわ~!

ウィーンのオペラ座で立ち見席を利用する若者たち。 気軽に行けて羨ましいっす。
   ↓
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専門バカ、リベラルアーツ

これはアメリカ在住の日本人のおばさんの会話。

「うちの大学生の息子、専攻を経済学にするみたい。」

「あら、文系なのね~。 うちは理系に進んだわ。」


聞いていて、あ?と思った。

アメリカでは経済学は理系に入る!
でも、たしか日本では経済学は文系だったよなあ、と。

おそらく、日本で生まれ育った人たちは知らなかったのだろう。

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そういえば・・・と、

遠い昔のことを思い出した。

高2の秋、あるクラスメートが、
「俺、数学ニガテだから、私大の文系じゃなきゃダメだな! しかも男で文学部ってのは、なんかカッコ悪いし~、
経済学部を受験するよ! その方が就職にも有利だしな~!」


と言って、経済学部受験を決定したことなど。

こんなふうにして、進路なんて簡単に決まっちゃう~。


でも、数学ニガテだとすると大学に入ったあとで苦労したんじゃないかなあ?

今は経済学といっても、マクロ経済やミクロ経済、ファイナンス分野や計量経済などなど、数式を扱う科目はメチャメチャ多いらしいから。

近年ではとくに、理論物理学や電気工学、情報工学などの分野を応用した数量経済学とかってのもあるらしいし、数学色が濃~い学問のはず。


なのに、なんで経済学部の受験に数学がないんだ?
へんなの~?



たぶん・・
日本の大学の制度が出来上がったのは1900年代の初頭あたりと聞く。
ケインズさんもいなけりゃ、金融工学なんてものもなかっただろうし・・だから、文系に入れられちゃったんだろうなあ。



アメリカでも大学を卒業すると学士号がもらえる
(Bachelor)というヤツ。

専攻した科目によって、大きく2つに分かれる。

BA(Bachelor of art)・・・アート

BS(Bachelor of science)
・・・サイエンス



Art(アート)というと、日本語では「芸術」という言葉になるし~、それを科目で言えば、美術や音楽になってしまうんだけど・・

こちらの人から見れば、文学や歴史、哲学、美術、建築、音楽、全てアート。 これは、日本でいうところの文系になるカンジ。


逆に、Artの対義語は Nature、つまり、自然というわけ。

サイエンスもまた、これに属し、日本でいうところの理系ってことになる。


欧米人にとって、

Artは、人が作りだすもの・・・文系
Natureは、神が作り出したもの・・・・理系



人が作り出すのか、神が作ったものを解明するのか・・ということで分類したらしい。


まあ、分類なんてどうでもいいことだ!

経済学が理系か文系かなんてこともね(笑)



分類する、カテゴライズするというのは、便宜上、必要なこともあるんだけど・・ただ、それだけに過ぎない・・と思うのだけど、

なのに、人はすべてをカテゴライズされたものの中で見てしまうことになる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

何年か前に、1Q84って本が売り出されて、ちょっとしたブームになったことがあったよね。

そうそう、村上春樹さんの本!

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「この本って、SF・ファンタジー? それとも社会派に入るのかなあ?」

「いや、ミステリー、恋愛小説って見方もできるし、こうゆうの、困るよね~。」


って、会話を耳にしたときは・・・思わず笑ってしまった!

そこかよ!と。

どうして・・本までカテゴライズすることから、はじめちゃうんだろ!って。

えてして、良い作品というのは、むしろ1つのカテゴリーだけに留まらないものって気がするのだけど。



私も1Q84は読んだのだけど・・どうでもいいような小さな部分が今でも印象に残っている。

ある小型の銃を初心者に渡すときに、
「マガジン(弾倉部分)に素早く玉を込める練習をしなければいけない。
たとえ暗闇の中でも手先だけで素早く玉を込められるようにしておかなきゃいけない。」
というような事を言ってるシーンがあった。

27734680-マガジンと弾薬銃

これが、すごく真に迫ってた。

実は一度だけ、私もインストラクターについて射撃を習ったことがあったんだけど、
まさに、口を酸っぱくして言われたのが、これだったから!


こうゆうのって実際に経験してる人か、または、ちゃんとリサーチして完全にその感覚を自分のモノにしてる人じゃなきゃ、言えない言葉だよな~って。

こうゆう些細なところにも手を抜かないんだ! 作家さんてすごい!って思ったものだ。

そりゃあ、彼らにとってはプロとして当たり前のことかもしれないんだけどね~。


こうゆうのこそ、まさに、リベラルアーツなんじゃね?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

アメリカの大学だと、1-2年生のうちは、リベラルアーツを学ばされる。
専攻を決めるのは3年になってから。
日本だと、すでに専攻を決めてから受験するんだけどね~。

リベラルアーツは高校までで十分やってるはずだから、という認識なのかもしれない。
充分やってきたのは受験勉強だと思うんだけど・・まあ、それをここで言っても始まらない(笑)



リベラルアーツを日本語にすると、教養課程みたいなことになるんだろうか?

「専門教育」の前に学習する一段低い、一般教育みたいなイメージがついて回るせいか、あまり真剣に考えない人も多いらしい。


ところが、そのリベラルアーツを、ちゃーんと学んでいないと、

自分の専門のことは詳しいけれど、それ以外のことは、ほとんど知らないという人たちが生みだされてしまうことになる。

それどころが、すでに教育として体系づけられてるものは学んでいけても、それ以上の発展性は見込めない!ってことになってしまう。

そっちが問題!

与えられるれたことがしか出来ない! 自分で先を学べない! 大発見はありえない!・・ということになる。


よーするに、1つのことしか出来ない(しない)専門バカに未来はない!ってことらしい(笑)


たとえば医学界・・脳神経外科は脳神経外科だけ、泌尿器科は泌尿器科だけ。

もしも別の部位に問題があり、それらが複雑に絡み合って症状が出ているとしたら・・・あっちこっちのXX科をたらいまわしにされることになる。

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永久にその原因と関連性はわからないだろうし、適切な治療もできなくなっちゃう・・というのはよく聞く話。
医学は完全に専門分野で分かれてしまってるから。

こういったことかもしれない。


数学者であっても、数学書ばかりを紐解いていても、新しい発見は出来ない。
堂々めぐりのこじつけ理論しか浮かんでこなくなる。

ほんとうは、音楽や文学の中にこそ、大きなヒントが隠れているのかもしれないのに。

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1Q84の中にも、
「バッハの平均律、あれこそ数学だ!」といったことが書かれていたっけ。

たしかにそうだ!

のだめカンタービレのフレーズにも、こんなのがあったっけ。

「神の作りたもうた世界は素晴らしい調和によって創造されている。
その調和の根本原理は数の関係によって成り立つ。」



作家さんて、本当にさまざまな分野に目を向けているんだなあ~と感心させられてしまう。

彼らの感覚は、決してカテゴライズすることなく、いつも自由に飛び回るから。


大学の専門分野で難しいことをいっぱい学んで、専門語ばかりを羅列して難解な論文を書いてる学者さんよりも、

自由な感覚で飛び回ってる一般人の方が、はるかに、その神髄を捉えちゃってる!

そんな気がすることが多い。


そう、だからリベラルアーツは大事ってことになる。

それを別な言い方をすれば・・

「なんでも幅広い分野を知ろうとすること」

もっと言えば・・・

「なにごとにも、自然に興味を持って味わえるゆとり」なのかもしれない。

現生利益とスピリチュアルの関係について

あるスピ系女子という方から、
「現生利益を一番に求めるのは悪いことでしょうか?」という・・なんともまあ、かわいらしい質問を頂いた。

もちろん悪くないです!・・・と私は思っている。


仏教のある宗派では「いけないこと」とされてるようだけど・・えーと、たしか・・浄土真宗だったかな?

こちらでは精神性を高めることによって現世利益はおのずから付いてくる、という考え方だったと思います。

またキリスト教全般においても、病気が治りますように! 商売繁盛!なんてお祈りはしないですね~。



でも、望んでしまうものは仕方ないじゃないですか~!

病気が治りますように。
商売繁盛、お金が儲かりますように


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ただし~、
現生利益を望むのであれば、まず自分自身でやるべきことをすべてやらなきゃ!って思うんですよ。

たとえばビジネスを徹底的に学ぶ、体を使って働く。 金の流れや世間全体の流れを見極める・・なーんてことを。


それを、スピ系パワーで引き寄せよう!なんてのは無駄かと思うんですよ。(ああ、引き寄せの法則のとこにも、似たようなことをつらつら書きましたっけ。)


愛と感謝、祈り、ワンネスなんてものを考えたり、念じたり、祈ったり、セミナーに出席したりなーんてヒマがあったら、実践でがつがつ学び働くことかと(笑)


病気だって同様!
なぜ、この病気になったか?の原因を探り、体のしくみを学び考え、どんな治療法が正しいのか?
自分なりに学ぼうとしたり治そうともしないで、すべてお医者様にお任せで神頼みでは・・ダメなんじゃね?
・・って思います。


時代劇ではお馴染みの「お百度詣り」
   ↓
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お百度詣りだって、現実に出来ることはすべてやった上で神頼みをするわけですもんね~。
あ、そうそう・・ただし、お百度するのは自分の為じゃなくって、大切な誰かの為に祈るんだそうです。
それも、わが身はどうなっても構いません!という切なる祈りだから叶えられるんだとか。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そもそも、スピリチュアルな生き方と現生利益では、ゴールも考え方も、ぜ~んぜん違うって思うんですよね。



最近のスピリチュアル系では、「私はこのようにして成功しました」といった成功談を実に美しく「デコ&ラッピング」されて語ってるのも多いようだし(笑)

さらに、「スピリチュアル系ビジネスで集客できる秘訣」なんてハウツーモノまで出回ってるそうですよね~。
たった3ヶ月で500万円達成ってのが、謳い文句だったなあ(笑)


こうゆうのはすべて「世間において成功した」という結果重視の考え方


私にはそれがスピリチュアルだとは思えないんですよね~。

ちょっと言葉は悪いかもしれませんが・・そうゆうのって、スピリチュアルを利用しているだけで、コンセプトは真逆のところにある気がしてしまうんですよ~。


当然、まっとうな代価は受け取るべきだし儲けるのも当然と思いますが・・「大儲けする」「成功」ということが最終目的であるならば、それはスピリチュアルとは別物と思います。


少なくとも、スピリチュアルは結果重視ではないはずです。


大切なのは、そこまでに行きつくまでの過程、日々の心の在り方なのであって、

もしも、最終的に成功したかどうかを判断基準にしているとしたら、それは・・むしろスピリチュアルとマ逆なj方向のように思えます。


大切なのは、毎日を充実して送っているか? 日々楽しくキラキラと生きているか?・・・それがスピリチュアルの基本じゃないかなあ。

・・・・・・・・・・・・・・

だからといって、現生利益を求めることが悪だなんて思ってません。

今、現生利益を一番に求める状況であるならば、素直に心のままに、そっちの方向を突っ走るべきかと思います。


お金は汚いものなんじゃないか?とか、日々愛と感謝がなければいけないんじゃないか?とか・・
そ~んな「なんちゃってスピリチュアル」に煩わされてる方が、むしろ道は遠くなるような気がします。


なので、先ほども述べたように、目的に向かって実践あるのみ。 がつがつ学び働くのみ!


まずは1年くらい、まっしぐらに、やるべきことは全~部やって、最後だけは神頼みもよろしいのではないかと(笑)

・・・・・・・・・・・・・・・・

現生利益にご利益があるのは、えべっ様お稲荷様だそうです。


1年を死に物狂いで働きまくって

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https://amanaimages.com/info/infoRM.aspx?SearchKey=02768000012


商売繁盛笹もってこ~い♪♪ と、祈りを込めてどーんとお飾りを買う!



または、お稲荷さまにどーんと願掛けする。

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https://yamagata-jinjyacho.or.jp/wp/blog/archives/2400

江戸時代には、お稲荷様は、今のスタバ以上に、あちらこちらにあったそうです。

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江戸で有名な稲荷神社といえば、「王子」「袖擦」「三廻り」「九郎助」など。
三廻神社は、たしか三菱? 三井?だったかの願掛け神社としても有名だったはず。


なんでまた、江戸時代にお稲荷様が大人気だったかといえば・・

それには諸説あるものの・・結局のところは「手っ取り早くご利益があるから」(笑)

まあ、江戸庶民だって、そりゃあ一番に現生利益を祈ってたわけですよ~。



もちろん願いが叶ったならば、お礼を忘れちゃいけません。

江戸時代の人は神に対する、畏敬の念というものもあったし信心深かったですからね~。
現代人と比べれば、ちゃんとお礼も忘れず信心し続けたはずです。


ところが現代人って、困ったときだけの神頼みが多いみたいですね~(笑)

とくに、お稲荷様は祀らなくなったとたん、しっぺ返しに合うって話・・たしかによく耳にします。

私の知人に代々商売をやってる家の方がいて、家の敷地にもお稲荷様を祀ってたそうですが、
お父様の時代になって、引っ越しをすることになり、それを機にお稲荷様の祠を壊してしまい、すっかり祈ることも忘れちゃったそうです。

その後ご両親も弟も相次いで病気でなくなり家運も傾き、一人生き残った長男もまた難病に苦しんでるとか。



まあ、それが祟りかどうかはわかりませんが・・似たような話はいくつも聞いてます。


また個人の話に限らず、地域の守り神としてあったお稲荷様の祠を壊してしまったり、
誰も祀る人がいなくなって寂れてしまったとき、

その地域では怪異やら不幸な出来事が多く起こるようになるとか。

そんな話も聞いてます。

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人間なんて勝手なものだよね~。

昔の住民たちは、土地の発展や加護を願ってお稲荷様に毎日のように拝んでいたでしょうに・・

現代になって土地開発が進み、時代が変わったとたん、誰も見向きもしなくなっちゃうんだから(笑)


仕方ないよ~! 土地開発するんだから! とか。
時代の波には逆らえないし~とか。


ぜーんぶ、自分の都合ばっかし!なんだもんね~(笑)


その上、「お稲荷様は祟るから良くない」な~んて言い出す始末。


これじゃあ、お稲荷様が怒ったとしても当然だよな~。

それより、お稲荷様、おキツネ様が気の毒だよな~。

・・・と思ってしまう私。


現生利益をすぐに叶えてくれる神様は、わりと人に近い波動を持ってるとか。

そりゃあ・・利用された!見捨てられた!と思えば悲しいだろうし、哀しみが怒りになることもあるだろーに。


せめてでも、人として同等に接するならば、叶えて頂いたなら、ずっと感謝するのが当たり前。


そんなの、やなこった!と思うなら、神頼みなんかしないこと。

自分の力を信じて自分で切り開くこと。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そうそう、1つだけ確かだな~って思うことがあります!

ほんとうにスピリチュアルに目覚めてしまった人たちは、自分のための現生利益なんて願ったりしない。

彼らの視点は、もっともっと壮大なところにある。



当然、「私はこのように成功を引き寄せた」とか「たったの3か月でxx百万稼いだ!」なんて話題にも上らない(笑)


それでいて、彼らには不思議と、現生利益はささやかながらでも、ちゃ~んと付いて回ってる。
まさに浄土真宗の教えじゃないけどね(笑)



だからといって、先にも言ったように・・現生利益を求める事が悪いとは決して思ってはいない!

ただし・・まだまだオヌシ、ちっちゃえよな~とは思う(笑)

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かくゆう私も、まだまだ「ちっちゃえ」ヤツですが、デカくなりたいと思ってます!

引き寄せの法則の回答と思ったこと

3回に分けて引き寄せの法則をテーマにアップしたところ、いくつものメールを頂いた。

それだけ、引き寄せの法則に関心がある人が多いってことなんかな~。

この場を借りて、質問に回答させて頂きます。


★引き寄せの法則を信じてる?

はい。 信じてます。
信じる?というニュアンスに微妙な響きがあるけど・・当然「起こりえる」ということは信じています。

つーか、自然界にはいくつもの法則が存在してると思う。 
私的には、波動の法則があるから、当然引き寄せられることもアリと思ってる。

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のたとえどおりに。

★引き寄せするためには、一番何が大切でしょうか?

ただ、ひたすら好きなことに突っ走ればいいんじゃね?
前回のブログ記事の淀川さんみたく。


★私は漠然とお金は無いよりあった方が絶対いいと思ってますが、そういった気持ちでは引き寄せはでき無いんでしょうか?


無いよりあった方がいい!
何が何でもXXしたい!
これは、まったく別物かと。

で、類は類を呼ぶ。
つまり、あなたの内在するものを引き寄せるわけで、無いものとは引き合わないと思います。
ついでに言うと、「漠然と」というのは、無いに等しいことかと。


★若いときは私もセレブのような生活に憧れてましたが、年を取った今は悠々自適な老後を送ること、それだけを望んでいます。
そういった私が、引き寄せをするには?


は? セレブのような生活? 悠々自適な老後?って・・・具体的に何をしたいのかがわかりません。
なーんとなく外部から作られたイメージを、なーんとなく追ってるような気がしてしまう。
それもまた、「漠然と」なのかもしれませんね。


★引き寄せの法則を含めて、今たくさんのスピ系セミナーがありますがどう思いますか?

スピ系セミナーはキライです。
なぜなら第一目的が金儲けになってるのが多いから。

何事も対価を得るのは当然のことだし、むしろ良いことだと思います。
だけど、主催者の目的が自分の名声やカネをゲットすることが第一目的のスピ系講座に、精神性の上で得るものはないように思います。
私なら、むしろビジネス実践講座を受講しますね。

これもまた類は類を呼ぶで、似たような波動の人たちが集まるように思いますね。

★ご自身でも、引き寄せの経験はありますか?

あると思ってます。
車がヤバい状態になってしまって、お金がぜーんぜんなくて買うこともできなかったときに、新車をプレゼントされたことがあったので。 あとで考えると、引き寄せ?とも思いました。
車が無ければ仕事にも行けない国では命にかかわるので、これは・・今でも感謝感謝です

他にも細かいことはいっぱいあります。

★引き寄せの法則で願いが叶ったあとも感謝し続けることは必要ですか?
以前、キツネの神様(稲荷様)は感謝し続けないと、しっぺ返しに合うと聞きましたが。


は? キツネの神様~・・たしかにそうですね~(笑)

誰からでも、有難く受けた恩には感謝するってのは人の道、道理かと思います。
高価なプレゼントをもらっちまったら、それでええわ~! アンタのことなんか知らんわ~!じゃ、おキツネ様が怒るのも当たり前。


★引き寄せの法則の有名人たちが、子宮系で、子宮委員長はるちゃんを交えた対談がありましたが、その子宮メソッドについてはどう思われますか?

なんじゃいそれ? バラエティー番組の企画?
ごめん~。 質問の意味不明だし、それをちゃんと調べる気にも回答する気にもなれんわ~!

・・・・・・・・・・・・・・・・・

ざっと、こんなとこです。

メールを頂いて思ったんだけど・・引き寄せって今ではまるで、怪しげな宗教みたくなってるのかもしれないですね~。

本を出版、セミナーを開くってのは、昔からスピ系ビジネスの常套手段ですもんね~(笑)

個人カウンセリングするよりも、なんてたって手っ取り早く、しかも莫大に儲かりますからね~。

スピ系ビジネス、すごいもんです。

もっとも似たようなもので、健康食品だとか、超能力開発、UFO関連だとか、実にいっぱいありますよね~。
食べ物だって、ロウフード派 vs. マクロビ派とかで反目しあってる人もいるくらいで(笑)

どれもこれも信奉者を集めちまうところからスタートするもんです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、質問メールを寄せて頂いた方々に共通して思ったことは、

いかに、みなさんが既成概念の中で生きているか!ってことでした。

とくに、置かれた環境、年齢といったものに縛られてるような気がしてなりません。


まず、そこから解放されない限り真のスピリチュアルの道はあり得ないつーか、理解できないようにも思えます。
(それって理解するものかどうかもわからんのですけど・・)

そうなると、似非スピリチュアルの言葉に幻惑されちゃうだけかなあ。

感謝すること、希望を持つこと、信じること、好きなことをすること・・こういったキラキラワードに惑わされることにもなりかねないかな~って思いましたね。

海外セレブが報じられてるのを見ればステキ~って思い、超モテ男を見ればカッコいいって思い、東大受験を目指してるっていえば、頭いいんだね~と思い・・まあ、そうゆうのと同じことかと。


感謝なんて自ずから湧いてくるものだし、希望なんて行動力が無い人だけが使う言葉だし、
何かを信じることや好きなことをするのも、魂レベルから自然に湧いてくることなんじゃないかなあ。

つまり、
ぜーんぶ周りに作られた既成概念の中で感じたり、考えたりしながら、生きてるんじゃないでしょうか?


私は、既成概念というよりも、最近では・・それはもう、全体主義的強迫観念に近いものになってるような気さえしちゃいます(笑)


そこから解放されない限り、引き寄せなんて出来るわけないって思いますよ。

そもそも、引き寄せなんて意識してするもんじゃないと思うし。


あれれ~、あとで気がついたら、これって「引き寄せか~」って思いあたるようなものなんだと思います。
シンクロにシティーも同様ですけどね~(笑)


中には淀川さんのように、小さい頃から「好きで好きでたまらないもの」を持ってる人もいます。
また、特に無いって人もいます。(←私はもともとこのタイプ)


「好きで好きでたまらないもの」を持ってれば、そっちに向かえばいいだけだし、
また、特に無いならば、日常の小さなことでも好きなことをして日々楽しく過ごせばいいだけのこと。


そして、もっと充実感や幸せ度を求めたいならば、他人のために何かをすることではないでしょうか?

家族や恋人のためは当然だけど、まったく関係ない人でも少しでも幸せにしてあげること、
笑顔にしてあげること。


私はこれに尽きると思います。
ここから大きく未来が開けていくと思ってます。


質問メールを寄せて頂いた皆様、

まずは、すべて自分を取り巻く既成概念をぜーんぶ外してから、考えたり感じてみてくださいね~。

英語で、think outside the box(箱の外で考える)という表現があります。

つまりは、既成概念をはずすということ(自由にあなた自身の発想で考える)という意味にもなります。

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スピリチュアル世界中心のブログ★

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Author:gingetsu2010
アリゾナ州セドナにて、アクセサリー工房Alizona*銀の月*をオープンしてる銀月です!

日々の生活や体験の中から、社会のこと、スピリチュアルなことなど・・思いつくままに書きつらねてます。

皆様にも「スピリチャアルの意味」「生きる意味」を感じて頂けたら、幸いです!☆

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