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男尊女卑というジェンダー史

大学1回生の頃、友人たちと居酒屋にいたときのこと、
サラリーマン風のオヤジグループが「奢ってあげる」と割り込んできて、一緒に会話に参加するなんてことになった。

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なんの話をしてたのか忘れちゃったけど、あるオヤジが偉そうに、こんなことを言った。

「女ってのはね、男と違って感情的直観的に出来てるものなんだよ。
男は頭で考えるけど、女は子宮で考えるっていわれてるくらいだからね。」


ムっとした私は、「へえ~、おっさんは、そうゆう女としか付き合ってこなかったってことだね。」と言ったのを思い出した。

オジサンは、じゃなくって・・たしかに、オッサンと言った記憶がある(笑)
それも、かなり・・偉そうどころか、かなりの「上から目線で」いった覚えがある(笑)

当然、気まずい空気が流れる中、今度は隣にいた友人が、

「あ、そうだ! 女は子宮で考えて男は睾丸で考えるんだ!」と大声で言ったものだ。

こ、こうがん? 

そりゃ名言だわ~と、なぜか全員納得(笑)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「男は頭で考え女は子宮で考える」という言葉が本当にあるのかどうか、どこから出た言葉なのかは知らない。

若かった私は、その言葉を女性蔑視と捉えてムカついたのだ。


あれから少しは成長した今の私からみれば、ああ、それもアリかな?って思えないこともない(笑)

頭で考えるだけでは答えは出ないし、直感や本能に従うだけでも道を誤る。
つまり、両方が必要なのだ、という教訓


本当のところはどうゆう意味かは知らないけど。


さて、このときの、オッサンがどういう意図でいったのかは今となってはわからない。

女は所詮そういった生き物なんだがら、良き妻となり良き母になるべきなんだよ・・と言いたかったのかもしれない。


これは昭和時代の話だ。
いまどき、そんなことを公衆の面前で言ってしまう男はいないと思う(笑)


ところが、国会議員のオッサンが、

「新郎新婦には、必ず3人以上の子どもを産み育てていただきたい」とか
「子供を一人も産まず青春を謳歌してきた女性の老後を、税金を使って面倒をみるってのはどうかね~。」とか

発言しちゃったんだそうだ(笑)

いくら少子化問題が頭にあったとはいえ、政治家が「ジェンダー差別発言」はまずいし、そもそも、問題はそこじゃないだろうに~。

おそらく、このオッサンたちは、遠い昔の昭和時代から、ちーーとも成長していない人たちなのだろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

アメリカの大学のマスターコースにいる友人で、ジェンダー問題を専門に研究をしている人がいた。

私もその人の話に興味を持ち、自分でもいろいろと調べてみたことがあった。


★女性参政権

過去において、女性には参政権すらなかった。。。

そんな中、一部の欧米諸国の女性たちは、女性の地位改善を目指し参政権獲得に命がけで戦ってきた人たちもいた。
   ↓
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https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-42971614

これはイギリスの100年くらい前のポスターだそうだが、このように書かれている。
    ↓

法廷用のガウンを着た女性 「ここから出ていい時期なのに、鍵はどこでしょう?」

「犯罪者、狂人、そして女性たちは! 国会選挙に投票できない」



先進国と言われている欧米諸国は、いずれもこーんなものだったんだなあ、と思う。


欧米諸国では長きに渡って「女は結婚し妻となり家庭に入り育児をするもの」という考え方が主流だったようで、
もしも結婚できなかったら? 夫と死別したら? 娼婦になるしかない・・ような時代だったともいわれている。

それでは、男尊女卑と言われても仕方がないだろう。


★日本の昔

では、日本はどうだったのだろう?

日本は明治政府になってから、大きく変わった。
何事にも欧米風を取り入れたため、法の上から、男尊女卑を明確に形づけてしまったように思える。

それまでの藩制を廃止し完全な中央集権にして、列強諸国に負けないよう国作りをしなきゃならなかったんだから、法でがんじがらめにしようとしたのも、頷けないことはない。



それまでの日本をみてみると、男尊女卑という概念は無い。
「専業主婦」という考えもない!


食べていくことがあたり前だった庶民は夫婦揃って働いていた。

小さな子供はおんぶして働いていた。
    ↓
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広重の東海道五十三次より

少なくとも江戸時代の女性たちはバリバリ働いた。

江戸で働く女性たちには、実にさまざまな職業があったという。

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若い女の子たちの憧れの職業といえば、
   ↓
水茶屋・・喫茶店兼休憩所
麦湯売り・・麦湯とは麦茶のことで、夏ドリンクの定番
房楊枝屋・・優雅に房楊枝を売るのが人気だったとか。



パワフル系なら、
   ↓
料理屋・・かなり皿が重かったんで、主に力自慢の女性の仕事
留女・・旅籠の呼び込み専門

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行商人(ありとあらゆるものを売って歩ける)
海苔売り、針売り・・・これは婆さんたちの仕事、海苔や針ならば軽いので持ち歩けるので。


季節商売ならば、
   ↓
枝豆売り・・なぜか子供を背負った貧乏女が多かったそうだ。
鮎売り・・多摩川で鮎を獲って売り歩く



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子供を背負た貧しい枝豆売りの話は講談で聞いたことがある。

スキルがあれば・・
  ↓
三味線や小唄の師匠
手習いの先生
仕立物
養蚕・機織り
見世物小屋の奇術師、軽業師
旅芸人
綿摘み
・・黒い塗り桶に綿を乗せてほぐして小袖に入れる防寒用の綿にする(主に内職仕事だったらしい)
産婆(さんば)
髪結い
・・カリスマ美容師ともなれば超人気でかなりの儲けがあったとか。


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セックス産業がお好みならば、
  ↓
矢場の女
宿屋の私娼
飯盛女(めしもりおんな)
遊郭
(←これもお仕事で月々の賃金も決まっていたし専門の斡旋所もあったらしい。今でいう派遣社員か?)


https://edo-g.com/blog/2017/08/womens_work.html

ざっとあげただけでも、女性の職業は実にいーーぱい。
(ただし・・これは江戸の街やその近郊に限った話なので、貧しい地方にいけば話は別)


農家でも女も同様に畑仕事をしたし、街中に野菜を売りにいったりと、
むしろ、江戸の女は自活力があるので強かったといわれている。

男女の人口比も、男の方が圧倒的に多かったそうなので、女は引く手あまただったとか。
どんな鬼嫁でも、なかなか離縁も出来ない(笑)・・な~んて、可哀そうな男のボヤキも残っている。



これらは庶民の生活だが、武家社会ともなると、これまた話は別になる。

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武家社会では、「完全なる家長制度があって、女は家にいるもの」とされていた。

自由に出歩きも出来ないし、恋愛も結婚も個人の自由はない。

これでは女は男の所有物かい? 男尊女卑?と現代では勘違いすることも多いけど(笑)

これは単なる女性の「役割」 お役目なのだ。

武家は、とにもかくにも「お家の存続」重視。

男も女もそれに向かって一丸となっているだけなのだ。


男だって、自由恋愛⇒結婚、ができないのは一緒。 結婚もお仕事でありお役目。
男性は側室を持つこともできたけど、それだって、好きな女ならだれでも簡単に側室に出来たってわけじゃない。

まず、養えるほどのカネ持ってる殿様じゃなきゃならないし、側室を選ぶにしても周囲に認められた人でないとアウト。
悪い風評がたてば、お家おとり潰しにも繋がる。 おとり潰しが流行ってた時代でもあったから(笑)


殿には殿の仕事(お役目)があり、妻には妻の仕事(お役目)があり、側室には側室の仕事(お役目)があるという完全分業制。
家を守り繁栄させるために一致団結した協同組織みたいなものだったのだろう。


では武家の妻の仕事とは?

奥の総取締。
お金の管理、使用人たちの管理、側室がいれば彼女たちのケアー役、客人の接待、夫のサポート、情報集めをしたり、夫の相談役だったりと、ありとあらゆる奥向きの仕事が山積み。

ただし家事は下男・下女がやってくれるし、子育ては乳母がいるし、長男ならば、傅役(もりやく・教育係)という人物が、ちゃーんと付いていたはずなので・・それらの管理役。

これが、江戸時代の奥方の主なお仕事だ。


https://jjtaro-maru.hatenadiary.org/entry/20110123/1295765493


一番気の毒だったのは、30俵二人扶持あたりの下級武士。
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http://seiga.nicovideo.jp/seiga/im4146593

格式を重んじる武士はバイトも出来なけりゃ、奥方を働かせるわけにもいかない。
それでも武士と名がつく以上、しきたりにがんじがらめになるし、冠婚葬祭のしきたりだけでもカネはどんどん出ていくだけ。

庶民のような自由は少ない。
個人の自由を愛する人なら、この時代、武士には絶対生まれたくないだろう(笑)
たとえ高級武士であってさえも、


さて、武家社会がこのように確立されたのは、おもに徳川政権が確立から。


★明治時代以前に活躍した女性たち

それ以前、まだ戦国の気配が残っていた頃の徳川家康さんの時代だと・・
女性の表舞台での活躍も大きかったのだ。

家康さんはたくさんの側室を持っていたけど、中でもお気に入りだったのが、阿茶局(あちゃのつぼね)、彼女は大坂の陣では豊臣方の交渉役も務めたことでも有名な人だ。

出自も甲斐武田の遺臣の娘というだけで特別良い家柄では無いし、家康との間に子供をもうけたわけでもないのだが、彼女の才気を買って奥向き一切を任せ、しかも家康の相談役でもあり、敵方の交渉役にも抜擢されたという人だ。


もう少し時代を遡れは、のぼうの城に登場した、忍城の城主・成田氏長の娘、甲斐姫

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「東国無双の美人」と賞賛された一方、軍事に明るく武芸に秀でていた人でもあり、

1590年7月、豊臣方の小田原征伐の際に石田三成が率いた23000人の豊臣軍を相手に、兵300領民2700人のたった3000人で抗戦。

クレージ~。
なんなんだ? この、不屈な戦闘魂は!

石田三成は10万人もの人夫をかき集めて水攻めなどを行ってもなかなか落ちず、 逆に主家の小田原城・北条氏の方が先に降伏しちゃったというお話。


もう、こうなると、男も女もないのかもしれない(笑)


戦国の世であれば、女であっても家を守るためには、甲冑に身を包み戦略に長け、第一線で活躍した女たちもいたのも事実。

実際、乗馬や弓矢が得意な姫君も多かったらしいし、また家によっては、幼少の頃から兵法・武術も教育されていた姫君もいたという。


も~っと時代を遡れば、巴御前
木曽義仲(源義仲)の側室であり、この人は武者としても源義仲に仕えていた人でもある。

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「平家物語」によれば、「巴は色白く髪長く、容顔まことに優れたり。」と美しさを賛美される一方で、「強弓精兵、一人当千の兵者(つわもの)なり」

めっちゃ美人でありながら、めっちゃ強かった女武士と書かれている。(もちろん、脚色かもしれないけどね・・)

最後は、義仲軍はたったの7騎になり、敵襲の際に巴御前が一人奮闘して義仲を逃がしたという。

まさに主に使える武士の鏡(笑)


『吾妻鏡』によれば、
当時の甲信越地方の武士の家庭では女性も第一線級として通用する戦闘訓練を受けている例は存在する。
鎌倉時代にあっては、女性も男性と平等に財産分与がなされていた。





中世~明治期あたりまでをみると、庶民であれ武士であれ、日本の方がずーーと女性が活躍できる場があったようだ。
同様に、決して女性の地位が低いというわけでもない。


それ以前の古代をみると、古代日本は母系・父系双方の親族集団に属する社会だったので、豊富な経験と統治能力があれば、女性でもさまざまなポジションも可能、事実多くの女帝の存在がある。


ただし、8世紀に律令官僚制が導入されると、表舞台は父系・男性優位の原理が埋め込まれるようになったのも事実。

なぜか海外に見習うと、明治以降も同様だけど、男性を表舞台に立たせようつとする意識が導入されてしまうようだ。

それでも、また乱世に入ってくると、女武士やら女政治家も台頭してくるんだから、日本という国は根本的な意識の底には、
ジェンダー差別という意識は持ち合わせていないのかもしれない。

むしろ役割の違いこそあれ、日本人の中には基本的に同等という感覚を持っていたような気がする。




★フランスの話

それにくらべて、中世~近代の欧米諸国では女性は大変だったようだ。

フランスはパリでさえ、ひとりの女性が働く場所はほとんどなかったという。

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せいぜい、若いうちなら帽子屋さんやドレス屋さんのお針子に雇ってもらえるかもしれない。
でも、それで独り立ちするのは皆無。 ショーウインドーのそばでお金持ちでステキな男性が自分を見初めてくれるのを待っている子が多かったという話が残っている。

結局のところ、一人で女が働ける場所が無い以上、男性に養ってもらうしかないのだ。
行きつくところは、妻か娼婦か? 二者択一?


なぜ江戸の女たちのように、さまざまな行商でもして、自活しようとしなかったのだろう?

おそらく、世間がそれを許さなかった! そんな気がする。 

仮に女性が売り歩いたとしても誰も買ってくれなかった・・ということかもしれない。 
男の仕事をする女は世間から敬遠された?

つまり、何をやってみても商売にならない。


唯一女性が売り歩けたのは「花」だけだったそうだ。

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江戸の男たちは、商品がよければ女だって男だって構やしない。
むしろ、キレイな女の行商から買いたい!て思ったのか?(笑)

女がひとり立ちするには、あまりにも過酷だった欧米社会。



それでも、フランス中世期を登り詰めた女性もいる。

マダム・ポンパドール(Madame de Pompadour)だ。 

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ルイ15世の公妾だった人。・・公妾ってなんや?と思ったんだけど、公の認める国王の妾ってことで、公妾ともなれば、かなりのお手当も支払われるようになり身分も保証される、れっきとした役職でもあるらしい。

このマダム・ポンパドールは、銀行家だった平民出身の家柄。
ところが、両親はブルジョワ階級並みの教育を施し、18歳?だったころに「ハクをつけさせるため」に結婚させられる。
(注:当時フランスでは、未婚者の場合は不倫とされるけど既婚者が浮気をしても恋愛とされたとか?
いずれにしても、当時のフランスでは一度結婚経験がある女性の方が価値は上がったのだそうだ。)


その後超一流サロンに出入りするようになると、国王ルイ15世に見初められて公妾となって王宮入り。

美しかったことはもちろんだけど、この時代のフランスでは、美しいだけの女は相手にされない。

誰にも引けを取らない教養、会話術、ファッションセンス、審美眼がものをいう時代。


それでいて、やっぱり、この時代は、貴族階級だけがモノをいう時代。
平民階級の彼女は、どれほど素晴らしい人物であっても、王宮では白い目でみられたという。

もちろん、人々の妬みだってあったことだろう。

ところが、彼女はしだいに周囲の人々を味方につけてしまう。
王妃も貴族階級のおば様方も、宰相も大臣たちも、誰もかもが彼女のファンになっていったという。


夫であった、ルイ15世は政治には無関心ですべて人任せ。
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当時のフランスは決して安泰だったわけではない。

なんといっても七年戦争の時代だったのだから。

そこでマダム・ポンパドールは、政治に乗り出すことになる。

昼間は執務をとる。

彼女の一番大きな功績は、1756年、オーストリアのマリア・テレジア、ロシアのエリザヴェータと通じイギリスに対抗し、プロイセン包囲網を結成したことかもしれない。
(あ、ぜんぶ、女性政治家だよね~)

とくに宿敵オーストリアと和解にこぎつけたことは、彼女の画期的な快挙だったのだ。
のちに、その和解の証としてマリー・アントワネットがフランス王室に嫁ぐこととなるんだけどね~。


でも、マダム・ポンパドールのお仕事は公妾なんだから、本来はルイ15世との夜の寝室が舞台なのだ(笑)

もともと体が弱かった彼女は、昼は政治で、しかも夜の相手なんかしてたら体力が持たない。
そこで30歳を超えた頃から、きっぱり断って、国王をささえる「親友」に徹したという。

その代わり、国王のために鹿の園(ベルサイユの森に開設したとされる娼館を建ててルイ15世好みの若い女性たちにお相手をさせたそうだ。
それも市井の女の子たちに賃金を払って雇い入れたのだという。


彼女の功績は政治手腕だけでなく、啓蒙思想の庇護者でもあり芸術の熱心な愛好家でもあり、多くの芸術家のパトロンとなり庇護し、芸術の発展にも努めてた。 

これがフランスを中心に、優雅なロココ様式の発達した時代へと繋がることになる。

結果的に、マダム・ポンパドールは42歳でベルサイユで亡くなるまで、王が最も信頼する人として寵愛を受け続けたという。
(当時、死病に侵された人間は僧院に移され、ベルサイユから出される慣例だったそうなのだが、彼女だけは特別扱いだった)


Wikiで

ポンパドール夫人というのを調べたところ、
このように記述されていた。
   ↓

フランス国王の公式の愛妾となったポンパドゥール夫人は、湯水のように金を使って、あちこちに邸宅を建てさせ(現大統領官邸エリゼ宮は彼女の邸宅のひとつ)、やがて政治に関心の薄いルイ15世に代わって権勢を振るうようになる。



なーんとなく、このニュアンスって・・女が有能な政治家であることなんて許せない!というタイプの男が書いた記事のような気がして苦笑してしまった。

日本においても、男に代わって政治手腕を発揮した北条政子や日野富子を悪女にしておかなきゃ気が済まないという人もいるけど、まあ、似たようなものか~。




そういえば・・
ずいぶん前だったけど、ポンパドールスタイルという髪型が流行ったことがあったなあ。。。

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前髪をふわっと丸くしてアップにするスタイル。 もともとは彼女が考案して流行させたとか。

また、私が東京に住んでいた頃、ポンパドールってパン屋さんがあったなあ。
赤っぽいロゴでたしか、ロココ調の貴婦人のマークだった記憶がある。

何百年も経遠い日本でも彼女の名前は伝えられているってことなんだなあ。



★イギリスの女王の例


一方、高貴な生まれの女王であっても国を傾けてしまうという悪い例もある。

イギリスのメアリー1世は、ブラッディ・マリーの異名を持つくらいの人だし(笑)

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結婚制度って?のブログでも書いたけど、
ヘンリー8世と最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴンの娘、エリザベス1世の異母姉妹のお姉ちゃんだ。

メアリー1 世は熱心なカトリック信者であったため、イギリス国教会もプロテスタントも、メチャメチャ殺しまくった。 
貴族であろうが一般市民であろうが、あまりにも殺戮の限りをしたために、ブラディー「血まみれ」と呼ばれるようになったとか。

11歳年下のスペインのフェリペ2世と結婚し男に溺れ、イングランドを危機に陥れた人としても有名。
フェリペ2世の方は国益のための結婚と割り切ってたようで、都合をつけてスペインに帰ってしまう。
どーやら私捨てられたらしい?と知ると・・メアリーはますます危ない人になっていったという。

自分に反対する一派を粛清し、反対する庶民も殺害、まるで独裁ぶり。 こりゃもう、恐怖政治だ!

国民からは嫌われ恐れられ、早くエリザベスの時代にならないかと皆が待ちわびていたという。
メアリー一世の訃報を聞いたとき、国民がみな歓声を上げたという。(死んで大喜びされるってのも、すごいもんだにゃ!)


だからといって、女だから恋愛に溺れやすいということではないようだ。
男性君主でも恋に走るあまり国を傾けてしまった例は実に多い。
(えっと・・誰だったか忘れちゃったけど、君主(男)が男の恋人に心を奪われて国をメチャメチャにした話もあった)


要するに・・領土を収める者は個人的感情は後回しにしなければならないのだ。

そこに男女差は無く、国家を収める資質があったか? 国家を収める責任を持っていたか?ということに尽きる。


★中国・朝鮮、そしてイスラム圏では?

まず、中国と朝鮮史を調べてみたのだが・・

国を動かすような女性というのが、見事なまでにいないのだ!
これには、びっくり。

あ、唯一いた女帝は、中国の則天武后
ただし、ポンパドールのように自分の才覚で味方をつけて、のし上がったというよりも、「君主の母や妻が代行する政治」という状況をちゃっかり利用しただけのようなのだ。

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この人、憎らしい側室を抹殺するために、自分の娘を殺してその女に罪を擦り付けるとか‥結構あざといことをいっぱいしてる。
まさにドロドロした女の世界の、コワーい人でもある。


なぜか、古代中国や朝鮮では、女は美人に限る!という風潮が強かったようで、
側室にするには、出自よりも美人であればオッケ~。
フランス人のように教養にもこだわらない。 そんなん、無くってオッケ~。 

礼儀作法くらいはちゃっちゃと教育して王宮に差し出すということをしていたようだ。

うーーむ、ひょっとすると・・こちらの国々の方が徹底した「ヒエラルキー社会」で「男尊女卑」の国だったのかもしれない。

欧米諸国でも同じ傾向はあるけど、それでも女性たちが政治を行っている例がいくつもあるのに・・
むしろ、「皆無」という事実の方に驚いてしまう。


男の世界には口出すな!の世界なのか?


同様にイスラム圏の歴史上でも重要な役割を果たした女性というのが、あんまり出現していない。


ただ、古代にはスキタイの女戦士や、女族長なんかもいたので、第一線で戦う女性もいたようだ。
「いたようだ」というよりも、むしろ、女戦士が多い(笑)
  
イランササニッド時代の女性(西暦226〜651年)
     ↓
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スキタイの女戦士
   ↓
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https://freethoughtblogs.com/taslima/2012/07/07/women-had-more-rights-in-pre-islamic-period/


ところが、イスラム教が起こると、

イスラムの社会秩序の中では女性は男性に守られるべき存在であり、公的なポジションに女性が就くことは稀になった。

その代わり家庭内では女性が完全に仕切っていて男は口出しできなかったという。

家庭内の教育も母親の役割であり、女性の地位が低いというわけでもなく、やはり、完全な分業化だったといえそうだ。


しかし、朝鮮では家の中でさえ男(家長)の権力は絶対!

儒教のせい? で、女性は男性に服従しなければならない、ということだったのかもしれない。

ただ・・そういった儒教精神が支配するということは、
彼らの意識ベースに「それをすんなり受け入れる国民性があった」と言えるのかもしれない。


チャングムの誓いという、女性の立身出世ドラマが流行ったらしいけど・・
あの時代「人の体に触れる職業は卑しい」とされていたため、結局のところ、医女として宮廷の女官になろうが、「偉大なるチャングム」の称号をもらおうが、奴婢であることには変わりはなかったようだ。

実際は身分が上がることさえなく、上位のものには一生服従を強いられるという。
すべては生まれで決まり、男女差の壁も破れない。

そこには曖昧さはなく、実に徹底されていたようだ。

そんなに蔑まれてきた歴史があれば、そりゃ、女性は火病にでもなっちゃうかもしれない(笑)
と、なんだか同情的な気持ちにさせられてしまった。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こうやって、ざっとだけど、さまざまな国のジェンダー史をみていくと、

基本的に日本はジェンダーによる差別は無かった国といえそうだ。

もちろん、それぞれの時代・地域によっては、男女差別が強い地域もあっただろうし、今でも残っている地域はあるのかもしれない。

それでも、やっぱり同時代の各国と比較してみれば、差別という感覚は少ないように思う。



大きく変わったのは、やはり・・明治政府になってから。

西洋諸国の価値観を導入したことによって明確な男女差別を形作ってしまったように思える。

たとえば不倫。 この時代の言葉でいえば「不義密通」のことだが・・

●江戸幕府の定めた「御定書百箇条」によれば、「密通いたし候妻、死罪」
不倫した女もその相手の男も死刑・・・実にシンプル(笑)

●ところが、明治の法律では、
妻が行った場合は夫の告訴によってその妻と相手の男とが処罰(禁固6か月~2年)されたが、夫が行った場合、その相手が人妻でない限り処罰されない・・というもの。



どうみたって明治時代の法律は不平等過ぎないかい!


江戸時代の法は、「どっちも死刑」と、実にシンプルで厳しかったものの・・実際にはそこんとこは曖昧にされていた部分も多い。

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「すんませんでした~! 深く反省してますよってに今度だけは勘弁してください。大事になると家名にも傷がつくし奉公人も路頭に迷わせることになりますし~。」

「しゃーねーなあ。 んじゃあ、今回限りは、お目こぼしにしてやろう。」

なーんて具合に。

さらに、あれだけ厳しい武家社会においても、
「こんなことでお家取り潰しじゃ気の毒だ。もともとは良い領主なのだから、今回はお目こぼしにしてあげよう。」とか

身分違いの恋愛で、泣く泣く恋を諦めようとする長男のことだって、
「まあ、アイツは良い跡取りの素質十分だし、相手の女も身分が低いというだけで立派な嫁になる素質は十分なんだから、武家のしかるべき家の養女ってことにして、一緒にさせてやろーかの。」
なーんてことも、そこそこあったらしい。

ま、何事にも「お目こぼし」ってヤツがあり、日本人特有の「本音と建て前ってヤツ」があった。

それを「汚い不正」と捉えるか、それとも「情状酌量の温情」と捉えるか?

それは時と場合にもより、人によって受け止め方も違うことだろう。


欧米諸国が、常に善か悪かの徹底した二元論になってしまうのに対して、

日本は、ゆる~~いところだ。


欧米的二元論は、長年に渡ってキリスト教会によって支配されてきたということが大きな原因だろう。

一方、日本人は厳しい法を施行されよるが仏法やら儒教を説かれよるが、結局のところ、心は自然体なのかもしれない。

だからこそ、一神教に支配されることもなく八百万神(やおよろずのかみ)がいる国なのかもしれない。


ジェンダー問題もまた同様。

男のくせに! 女のくせに!なんて言葉を発しながらも、
ま!いいか~! アイツはアイツで頑張ってろんだし、どっちでもいいや!というところに落ち着いてしまう。

どこか、そのような生き方が見えてくる。


つまり・・

現代の女性たちが思うような・・
「昔から女は子供を産む道具にされてきた。 男尊女卑の世界だった」という意識は、
当時の女性たちは持ち合わせていなかった。

それぞれの役割にプライドを持って生きていたように思える。


そうは言っても、
いつの時代だって、自己中人物はいるし、レイシストだっている。


それでも、こうやって歴史を眺めてみると、総じて日本人はゆるーく生きてたのかな、という気がする。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

現代でも、ある種のオッサンたちは、いまだに「女は結婚して子供を産むもの」と信じて疑わない人もいるのかもしれない。

それは、明治政府が植え付けた先入観から抜けられなくなっちゃってる人たちなのだろう(笑)
かわいそうに~。


言うまでもなく、男も女もそれぞれの生き方がある。


「結婚して子供を持ち専業主婦になること」もその1つ。


ただし、自らがそう望んでしたことと、「女だから、そうしなきゃならない」と思ってしたことでは、そこには大きな意識の違いが生まれる。

また男性側も同様だ。

心の底でジェンダー蔑視を持ち「女は男の仕事に口出すな! 育児と家事だけしてろ!」
なーんて本気で思ってるとしたら、そこに未来はない(笑)


夫がどんどん出世し家も安泰・繁栄した家というのをみると、妻が夫の相談役にもなっているケースが実に多い。

徳川家康さんの「阿茶局」さんも、秀吉さんの「おね」さんも、山内一豊の「千代」さんも、夫の仕事に口出ししまくってる(笑)
夫も、ちゃんと耳を傾けている。

アメリカのメイシーズという有名デパートの共同責任者、イジドー・ストラウスは、なんでも妻のアイダに相談したという話も残っている。(19世紀~20世紀初頭にかけてのアメリカでは妻は専業主婦、一般的に男は仕事上のことは妻に話さないのが常識)


戦国時代の領主であれば、「お家思い」の、先祖代々の家臣も多かっただろうし、相談役もいたことだろう。

ところが、今、唯一のブレーンになりうるのは、外で働く夫にとって妻だけなのだ。

結局のところ、どんな時代に生き、建て前はどうであれ・・やはり、信頼できる最強の見方を持っているかどうかで、今後の運命は大きく変わることだろう。

「夫婦」は最小限の最強チームといえそうだ。

そこに、ジェンダー蔑視なんて入り込む隙はないのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・

私はそんなことを学んだ気がする。

どんなに血筋がモノをいった時代だったり、女性の進出が難しいとされる時代であってさえも、

マダム・ポンパドールのように、いつのまにか周囲を賛同者に変えてしまい、自分の望む道を進んだ人もいたわけだし、それも可能だったという事実。

明治の時代にだって、与謝野晶子さんのような、超スーパーウーマンだっていた。

早い話、
その気になりゃ、どんな時代だってなんでも出来る!

それを時代や世の中のせいにして、男社会が悪い!なーんて愚痴ってるよりも成し遂げようぜ~!


と思う私でもある。


ああ・・ただね~、昔の中国や韓国に女として生まれたらどうだったんだろう?・・と、ちと、それだけは自信がない。

いやいや、実のところ中国や韓国にだって、歴史上のスーパーウーマンはいたのかもしれない。
ところが、後の政府がその事実を知られることを恐れて、記録を焼き捨ててしまっただけかもしれない。

真相は闇の中だ。

8/15に歴史を考えてみた(その3)

8/15に歴史を考えてみた(その2)からの続きとして

今回は私が原爆に思うことを書こうと思う。

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原爆について、私たちが学生時代に教わった認識では、

「原爆は悪だけど、アメリカが戦争を終わらせるためには仕方のない事だった。」


ということになっていた。

これは、日本のみならず、アメリカの学生もまた、そのように歴史の事業で学ぶという。

アメリカの場合、アメリカ史のすべてを網羅しないといけないらしく、歴史の教科書はすごく分厚い。
A4判ほどの大きさで1000ページ前後はあると思う。 (アメリカでB5判はめったに使わない)

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一方、日本の歴史の教科書って、B5サイズで440ページくらい。

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なんで、アメリカの歴史の方が浅いはずなのに、こんなに分量が違うのかというと・・

●アメリカには日本のような全国共通の指導要領や教科書検定制度がないので、出版社側が自由に編集できること。

●アメリカの教科書では論争的なテーマについて幅広い意見を提示している。
これは、歴史の授業が生徒に批判・評価能力をつけるため、討論を中心に組み立てられているため。


なので、アメリカの教科書は学校によって、どの教科書を採用するかによって違ってくるし、また時代によっても違いは出てくるだろう。


ちなみに私と同世代の人に、歴史の教科書では、原爆のことはどのように書かれてた?と聞いたところ・・

ほんの1-2ページだけだったし・・

内容は、例のきのこ雲の写真、犠牲者の数、原爆が投下された理由(原爆が戦争を終結させた)

そして、アメリカと日本はトモダチになり、今ではすべてがうまくいっている。めでたし。めでたし。



だったそうだ。


それに、とくに授業でも、それについてのディスカッションはなかったそうだ。(ディスカッション好きのアメリカなのに?)

だから彼もまた、原爆は戦争を終わらせるためだったんだ~、今はアメリカと日本は仲良し~と、漠然と思っていたという。


私と認識とほとんど変わらない(笑)


ところが真実はわからない! 

その後、調べたところによると・・


すでに敗戦は濃厚だったので、日本政府は全面降伏の準備があることをすでに敵側にも伝えていた。
ただ1つの懸念は、天皇制だけを残してもらうことだった・・。


だとすると、「戦争を終わらせるため」にという理由が成り立たなくなる。

アメリカ内部の1部の人たちが、その情報を握りつぶしてしまったのか?

なんのために?

  

原爆を落としたいから。
他国にも原爆の威力を見せつけたかったから(とくにソ連に対して)



というのが、歴史修正主義者の主張だ。(オリバー・ストーンは有名、また一部の歴史学者など)


一方、伝統的な歴史学者は、今なお原爆は戦争を終結させたと主張する。

彼らの主張はこうだ。


●そもそも・・真珠湾攻撃を仕掛けたのは日本だ。

これに対する歴史修正主義者によれば・・
アメリカ軍部では、日本の無線を傍受していて・・すでに真珠湾が攻撃されることを知っていた。
知っていてあえて無視した(彼らを見殺しにした)、戦争突入の大義名分が堂々と得られるから。

うーん、これについては・・過去のアメリカの「リメンバーXXX!」のスローガンを考えると、実にありえそう!と思ってしまう私

●日本本土上陸を実行すれば、多くのアメリカ兵を失うことになる。
彼らの命を守るために必要だったのだ。


アメリカ側では、残虐性を帯びた鬼畜日本兵! 死をも恐れないクレージー日本人!と思われていたらしい。

こんな奴らと戦えば、負けがわかっていても降伏しないだろうし、いたずらにアメリカ兵を失うことになってしまう・・というのが理由。


●捕虜となっているアメリカ兵を救うため。

欧米では正々堂々と戦い、負けを認めたら捕虜となる、敵方であっても、共に戦って捕虜となったものには敬意を示すこと・・というのが正しいとされる考え方。

ところが当時の日本では、捕虜となるよりは死を!とされていたそうで、生きて捕虜になることはもっとも恥ずべき行為だったとか。そこで、戦争捕虜に対しては対等な人としては扱われなかったそうだ。 虐待は日常、殺してもいいような存在だったらしい。

捕虜たちが死に至るのは時間の問題だっただろう。


実際、捕虜収容所に入れられていた元米兵が、勝利パレードのときに、トルーマンの家族に、

「日本に原爆を落としてくれてありがとうございます。 おかげで私たちは命が助かったんです。
あれが、もう少しでも遅かったら私たちは殺されてました!」
・・・と涙ながらに感謝したそうだ。

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実際、私自身もアメリカに来て、退役軍人のじいさんたちから・・似たような話を聞かされたことがある。

ある米海兵隊のキャプテンだった彼は、当時長崎への上陸計画が計画されていたが、もし実行されれば日本軍の反撃に遭って、部下の多くを失うと悩んでいたそうだ。
だから長崎に原爆が投下されて戦争が終結したと聞いたとき、心から安堵したという。



そして一方、広島や長崎の話を聞けば・・

あまりにも無残、残酷、悲惨過ぎて、絶句するばかりだ。


あ、そういえば・・
「はだしのゲン」は、2-3年前に図書館の閲覧を禁止するとかしないとかって問題にもなったっけ。

子供にはグロテスク過ぎるとか、歴史修正主義者の悪影響だとか、天皇制を反対する思想が込められてるとか・・ってことだったような・・(笑)

そこじゃないよな~!と思うのは私だけ?


前にドラマ化されたヤツをみたけど、

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中井貴一さんのお父さんが、かっこよかったなあ(←そこでもないだろ~が!)


こういった日本の広島・長崎サイドらの視点でみれば・・

軍人でもない一般市民の命を奪ったんだから、原爆を落としたアメリカこそが悪人!

という感情で掻き立てられてしまうのだけど・・



しかし、当時の常識としては・・

あれは戦争なのだ。
人々(連合国でも枢軸国であっても)は市民を攻撃する行為を正当化できると思っていたわけだし・・

事実、当時行われたことのすべてについて、多くの「正当化」がなされてきたことだって事実だ。


また、原爆ほど残虐なものはないと言う人もいるけど、残虐な行為なんてほかにもたくさんあったのだ。

東京大空襲では死者数は広島に匹敵するらしい(放射能の被害はないというだけだ。)

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累々と並ぶ黒焦げ死体の山の写真をみたけれど、絶句してしまうばかりだった。

親戚のおばあちゃんから、焼け爛れた人の群れが隅田川に入って絶叫しながら、みな死んだ・・という地獄絵図の話を聞かされたことがあった。

まず・・なんで民間人がこんな目に合わなきゃならないんだ!って、思った。


では、民間人を殺してはいけないけど、兵士ならばどんな殺し方をしてもいいのか?
生物兵器を使ってもOKか?

また、捕虜となった兵士ならどんなふうに虐待しようが殺しても構わないのか? 
捕虜となれば民間人と同様でないのか?


色々な疑問が湧いてくる。

そもそも、殺された人の数が問題でもない。

問われているのは、人としての倫理観だ。


戦争における倫理観?
めったにお目にかかれないような気がする(笑)

どれも最悪の出来事であり、どれも正当化することはできない。


アメリカにおいても、伝統歴史学者と歴史修正主義者が集まると、最後はただ怒鳴り合うだけになるという。

どちらか一方の極端な主張だけを採用しようとすれば、なにも前に進めない。 いがみ合うだけになるだろう。

こんな人たちには不快感しかない。

また、原爆投下をしたアメリカに対して、謝罪しろ!と叫ぶ日本人も不快だ!


原爆投下に謝罪しろ!と要求するならば、真珠湾先制攻撃に対しても謝罪を要求されても当然ということになる。

そのほか、捕虜への虐待、惨殺にも、南京事件やら、731部隊のことにしても・・・日本側だって、叩けばいくらでも出てくる。

当時の日本国民(兵士ではない人たち)ですら、米兵を竹槍で突き刺して殺せ!と教えられていたらしいから。
そうなれば、決して無抵抗な民間人ではなくなってしまう。


謝罪!
単なる謝罪?

そもそも、そんなことから・いったい何が生まれる?


オバマ大統領が2016年だったか・・広島を訪れて原爆死没者慰霊碑前に献花して、スピーチしたときも、
ぜんぜん謝罪をしなかった!という点が大きく取り上げられたとか。

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太平洋戦争で生き残ったアメリカの退役軍人に対して、彼らの心情を思えば、原爆投下が間違っていたと言うことはできない。
だからといって、原爆投下は素晴らしい考えだった、という正当化はできない。

それは、大統領の立場として当然のことだと思う。
むしろ、政治的な面よりも、人としての面においても・・。


日本人が言う、謝罪の目的はなんだろう?

そもそも、オバマはあの時代を生きた世代ではないし戦争に直接関わっていないじゃないか?
なぜ、そんな彼に謝罪を求めるのかが・・、私にはわからない。

トルーマンに謝罪を求めるなら、わかるんだけど・・。


謝罪によって、罪の意識を植え付け上書きさせたいんだろうか?

それじゃあ、まるで・・慰安婦問題がどうとか叫んであちこちに銅像まで作っちゃう・・ようなレベルになってしまう(笑)

謝罪させて罪を認めさせて、相手国を貶めておいて、しっかり賠償金をゲット!が目的?
だとしたら、それこそ、まさにポリティックだ(笑)・・・それもいやらしいやり口だと思えてしまう。


だからといって、

戦争だったんだから仕方ないよ! もう、なかったことにしよーぜ!ってことではない。

しっかりと、すべての人々に、

広島・長崎で起こったことのすべてとアメリカ側に起こったことのすべても・・両サイドのすべてを!

何も隠さず事実のすべてを知らせること、知ることだと思う。


私たち世代のすべきことは・・・それらを罪の意識として捉えるのではなく、

託された責任として受け止めるべきではないだろうか?


未来において、物事を少しでも良くするための責任だ。


戦争において、

原爆によって家族を失った日本人もいれば、日本人によって家族を失ったアメリカ人だっている。

どちらが辛いか、悲惨かなんて・・はかりにかけるようなことではないし、また、出来ようもない。

そこから抜け出すのは並大抵のことではないだろうけど・・、

それでも、あの、ヴィクトール・フランクルのように、

「それでも人生にYESと言う」


それは希望であり、

同時に、私たち未来へ課せられた責任でもあると思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これは今の私が思うことだ。

若い頃の私は、そんなことまで考えてもみなかったし、教科書に書かれていた数行の事実しか知らなかった。


子供の頃なんて・・戦争映画大好きだったし~!(←信じられん)
戦場にかける男の熱い友情とか、戦闘シーンに、ぐっとなってる子だった。

とくにこの映画は小学校のときに、大ファンになってしまったくらい。
    ↓
眼下の敵poster

そしてずいぶん前に、こんな戦争の話もアップしてたくらい(笑)
   ↓
武士道・騎士道:惻隠(そくいん)の情

これは実話であって、実にヒューマニズム溢れる話なんだけど・・

こんな男ばかりじゃないし~、戦争なんて大半は醜いものだ!と知るのは、それから後の事。

ソルジャー・ブルーだとか、プラトーンをみたりしたあたりから・・だんだんと私も学んでいったわけです。。。

まずは、さまざまな角度から事実を知ることだと思う。


・・ということも、映画から学んだような気がする。
でも、本当は、ちゃんと教科書から学べる世の中になって欲しいと思うのだ。

8/15に歴史を考えてみた(その2)

8/15に戦争の歴史を考えてみたからの続き


原爆にまつわる話なんだけど・・

アメリカの原爆開発にユダヤ人科学者たちが多くかかわっていたことはご存じだろうか?

実は以前にも原爆の話はちょこっとアップしたことがあったけど⇒古代核戦争の謎とヒロシマ原爆
今回は、別視点で書いてみることにする。



当時ヨーロッパにいた、ユダヤ系科学者たちの多くは、ナチスドイツから逃れるために、多くがアメリカに亡命した。

たとえば・・ごく一部の後世に名を残した人だけを挙げるならば・・

ユージン・ポール・ウィグナー (Eugene Paul Wigner)・・・ハンガリー出身の物理学者。ユダヤ系。
「 原子核と素粒子の理論における対称性の発見」により1963年ノーベル物理学賞受賞。
Eugene Paul Wigner


レオ・シラード(Leo Szilard)・・ハンガリー出身の物理学者。物理学者・分子生物学者。

Leo Szilard
右側がシラード、左側がアインシュタイン

アルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein)・・ドイツ生まれの理論物理学者。
この人の説明は、いまさら不要だろう(笑)


エドワード・テラー(Edward Teller)・・ハンガリー出身の物理学者。 理論物理学者。
アメリカ合衆国の「水爆の父」として知られる。ローレンス・リバモア国立研究所は彼の提案によって設立された。
Edward Teller


ニールス・ヘンリク・ダヴィド・ボーア(Niels Henrik David Bohr)・・デンマークの理論物理学者。
量子論の育ての親として、前期量子論の展開を指導、量子力学の確立に大いに貢献した。
Niels Henrik David Bohr


これらは、みなナチスの手を逃れてアメリカに亡命したユダヤ人たちだ。


そして、こちらは、当時の亡命者ではないけれど・・同じくユダヤ系アメリカ人(お父さんの時代に亡命していたのかも?)
   ↓
ジュリアス・ロバート・オッペンハイマー(Julius Robert Oppenheimer)・・ユダヤ系アメリカ人の物理学者。
当時ロスアラモス国立研究所の初代所長としてマンハッタン計画を主導。
卓抜なリーダーシップで原子爆弾開発プロジェクトの指導者的役割を果たしたため「原爆の父」として知られた。
Julius Robert Oppenheimer


そもそものきっかけは、
1938年に、アインシュタインとレオ・シラードが共同で書いた手紙が、ルーズベルトに送られたことからはじまる。
アインシュタイン=シラードの手紙


ナチスドイツは、原子力の兵器開発を進めてますよ~!
どうか、アメリカの方が早く開発を進めてください。

原子力兵器の開発計画を進言する手紙だった。


なぜなら、

彼らはナチスドイツから逃げてきた人たちだ!

ヨーロッパはナチスドイツに占領され、多くの彼らの同胞たちが大量殺戮に合っていたのだから。
なんとか、彼らを救いたいとして、アメリカに進言したのもうなずける。


ルーズベルト大統領はアインシュタインの進言をすぐに受け入れ、原子爆弾開発を目指すマンハッタン計画が開始されることになる。

Franklin Delano Roosevelt
     ↓
Franklin Delano Roosevelt

アメリカ側にとっては、実においしい話だから(笑)

マンハッタン計画には多くのユダヤ人科学者が加わることになった。

上記にあげた科学者たちも当然加わっている。


実際ドイツでは、数年前から開発を進めて、あと少しで原子爆弾は出来上がる手はずになっていたそうだ。

ハイゼンベルクたちも、ナチスドイツに命令されて開発させられてたそうだけど・・・わざと、チンタラやってたらしい。
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ナチス・ドイツなんかに、こんな研究を渡してなるもんか!と、心の底ではアンチ・ヒトラーの科学者たちも多かったという。
純粋なドイツ人にもかかわらず!

それにしても、量子力学の話をアップしたときも、ボーアやハイゼンベルクは登場してるし・・すごいメンバーです。
神の領域に挑戦する人々(その1)


原爆開発がもたついている間に、ナチスドイツ軍にも陰りが見えてくる。


1943年1月31日、スターリングラードでソ連軍に降伏。

で、ソ連が東部戦線の主導権を握ることになった。


同年9月3日、イタリアが無条件降伏。

翌1944年6月6日。連合軍は200万人、艦船4400隻、航空機25000機を投入してノルマンディ海岸に上陸。

東からはソ連軍が、西からは連合軍がベルリンを目指して進行を開始した。


1944年9月18日。 
ルーズベルトとイギリスのチャーチル首相の秘密会談が開かれ、秘密協定が結ばれたらしい。

ドイツの原爆開発はもう無いだろうし、ヨーロッパ戦線のメドもたったから、原爆投下の対象は日本にしようぜい!と。
(実際のところは正式発表がないのでわからないのだが・・おそらく、このような話になっていたのではないかと・・)




おいおい! ちょっと待ってよ!・・・と、ここで慌てたのはユダヤ人科学者たちだ。

俺たちはベルリンに原爆を落とすためには協力してきたんであって、日本には落としたくない!
日本にはなんの恨みもないんだから!


それどころか、日本はユダヤ人のことを差別しないどころか、むしろヒトラーから逃げてきたユダヤ人を匿ってさえいたのだから。
(実際、神戸には多くのユダヤ人がいたという。)



1945年3月25日、ドイツの降伏が目前に迫ると、アインシュタインはルーズベルトに手紙を書いて、日本に対して原爆を使わないよう要請している。

残念ながら、ルーズベルトはその手紙を読まないまま、4月12日に急死してしまう(過労死だったという話)
そりゃまあ、大恐慌にニューデール政策だとか、第二次大戦とか・・大変なことばっかだったしなあ。。。


急遽その後をついだのは、副大統領だったトルーマン
貧しい育ちで、唯一大学出ではない大統領だったので、ルーズベルトからはバカにされてたとか・・


Harry S Truman
      ↓
Harry S Truman


同4月28日、イタリアの独裁者・ムッソリーニは民衆義勇軍によって逮捕され処刑。
ミラノで、愛人と共に死体がさらしものにされた。


同4月29日、ナチス総統ヒトラーはピストルで撃ち抜き自殺。
5月7日、ナチスドイツは連合軍に無条件降伏。


今度は、レオ・シラードはトルーマンに請願書を書いた。

「日本に対する原爆使用は正当性がない、日本への原爆投下は国際犯罪となるだろう。
さらに、全世界が大量破破壊兵器の脅威にさらされる時代をまねいてしまうことになるだろう。」
、といった内容だった。


実に科学者らしい・・・原爆がどういったシロモノであるかを熟知していたわけだし・・
だが、アメリカは原爆投下を行っても国際犯罪で訴えられることはなかったけどね~。
(まあ、イギリスも、チャーチル・ルーズベルト会談で知ってたからなのか・・? だからアメリカを責められない、正当性を認めちゃったのかも・・)




さらに、シラードは、
原爆を投下する前には、せめて日本に充分な警告を与えるよう求める内容の手紙も書いている。

この2番目の請願書 は67人の科学者が署名し、大統領宛に送付されている。

それでも、ダメだったんだよなあ。




ここで、その頃の戦況を述べておこう。

アメリカ海兵隊が連戦に次ぐ連戦で、バラワン、ルバン、ミンダナオ、パナイ、セブ、ネグロス各島に上陸。日本守備隊全滅


3月26日、最後の砦だった沖縄に、18万3千名のアメリカ軍が上陸
各地で悲壮なまでの死闘が繰り広げられ、日本兵10万9千名と沖縄市民10万人が死亡。


日本軍はこの時点で、戦艦・航空母艦・戦闘機もほとんど底を尽き、都市は焦土と化してしまった。

降伏は時間の問題になっていた。

あとは、本土決戦で一億玉砕か、無条件降伏か。
日本の選ぶべき道は、2つに1つだった。


1945年7月17日、ベルリン南西部のポツダム市。 旧プロイセン王家の屋敷「ツェツィーリン・ホーフ」

ここに、イギリスのチャーチル、ソ連のスターリン、アメリカのトルーマン三首脳が集まっていた。
ポツダム会談だ。

Potsdam Conference

これより終戦後の世界をお互いにどーするか? って会談が開かれたわけだ。


この会談の初日、アメリカ大統領、トルーマンのもとに、一通の電報が届けられたという。

★人類史上初めて、核分裂による原子爆弾実験成功!!のしらせだったという。


この時すでにトルーマンは、原子力政策諮問機関「中間委員会」の答申を受けて、「実行」を決断していたのだ。


そう、つまり・・ユダヤ人科学者たちの嘆願書も、なーんも意味を持たなかったというわけだね。


ニールス・ボーアなどは、日本への原爆投下を阻止するためにも、涙ぐましいほどに奔走している。

でも、それすら徒労に終わった。


なぜ、トルーマンは実行させてしまったのか?

●前任者のルーズベルトは、原爆の研究・製造予算に、延べ20億ドルを政府予算からひねり出していたという。
それを、議会も国民にも内緒にして。


●いくらアメリカ軍が連勝しているとはいえ、払っている犠牲も大きかった。
沖縄本土決戦においても、硫黄島の戦いにおいても、信じられないくらいの米兵を失っている。
死を直前にした日本兵は、すさまじかったのだ・・・それは恐怖にも近いほど。
まして勝ち戦に、多くの犠牲を払いたくなんかない!


●第二次世界大戦においてソ連を偉大な貢献者にはできないし、
ソ連に対する「威嚇」という政治的効果を重要視しなければならなかった。




まだ、他にも理由はあるかもしれないけど・・主なところ、政治家としての理由をあげるならば、こんな理由からだろう。



なんとまあ、汚い! 非人道的的! 

しかし、戦争というものは、そもそも非人道的であり汚いのだ。

こういった考え方は戦争においては、むしろ「常識」であり、「立派」なのかもしれない。


昔からそうだ。

たとえば、日本における豊臣秀吉の戦略をみても・・・

彼はサル🐵と呼ばれ、ひょうきんなお調子者でムードメーカーだったけど、戦略の天才でもあったんだから。
戦略の天才=汚い!ということでもある。

我が軍勢を損なわないために行った三木の干殺し(みきのひごろし)などは有名な話だし・・彼のお得意戦法の1つだった。

民百姓まで城内に入れるようにさせといて、食料輸送を絶ち、徹底して敵方が飢えて死ぬのを待つという戦法。
これなら、味方は高見の見物をしてるだけで済む。

さらに、1つの戦に勝ったあとのことまでも計算に入れて、いかに有利に進められるかを考えて行動している。



時代がどんなに変わろうとも、戦争というものは、古今東西、同じなのだ・・・と思い知らされる。


ルーズベルトやトルーマンが、どんな人だったのかは知らない。 
日本人が大嫌いの差別主義者だったとか、ただ原爆の威力を確かめたかっただけだったとか・・そういった見方もあるけど・・
同時に、良き父であり家庭思いであり人格者で、有能な政治家という評価もある。

人間なんて、さまざまな面を併せ持っているわけだし、周囲によっても影響を受けてしまうものだ。


当時は、アメリカ人たちは、日本をジャップと呼んでバカにしてたし、日本では、鬼畜米英 アメリカ兵をぶち殺せ!というスローガンまであったそうだ。 (←いやはや)


偏見といえば・・

日本では、「お国のため」のプロパガンダが強力に推進されていたし、欲しがりません勝つまでは!を合言葉に、大和魂総動員。
一人一人が御国の柱だとかいわれて、当時の小中生までもが、竹槍を持ってアメリカ人を殺す練習までさせられていたそうだから。

いざとなれば、玉砕!全員死ね!とまで言われたきた日本人。

こりゃもう、軍部による、りっぱな自殺幇助罪じゃね!


でも、似たようなことは、スピーチの天才といわれたヒトラーも言っている。
   ↓

青少年も同様に愚かだ。彼らには車とオートバイと美しいスターと、音楽と流行と競争だけを与えてやればいいのだ。
それでシャンペンの空気を抜くように、かれらの頭から”考える力”を抜き取る。あとは車とスターと流行と音楽の力を借りて、ワッとけしかければ、彼らは武器を抱いて地獄の底へでも突っ込んで行くよ。

そのためにも、大衆や青少年には、真に必要なことを何も教えるな。必要がないバカのようなことだけを毎日毎日教えろ。それで競争させろ。笑わせろ。ものを考えられなくさせろ。真に必要なことは、大衆と青少年を操るものだけが知っていればいい。

そしてあとは、”国家のため!”と何千回も呼びかけて、戦わせ殺し合わせるのだ。1人の人間を殺せば殺人犯だが、戦争で100万人を1度に殺せば、その男は必ず国家から最高の勲章をもらえるぞ。



なんだか、今でも通用する、3S政策みたいだ。

どの時代にも、権力を握るものと握られている側の図式がある。


ということは、戦争下においては、日本人もドイツ人もアメリカ人も・・みんな洗脳されてしまうのかもしれない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ただし、亡命してきたユダヤ人科学者たちだけは、違う視点でみていたことだろう。

ユダヤ人同胞を救いたい! それにはナチスを滅ぼさなければならない。 ナチスより先に原爆を作らなければならない。

そして結果的にはアメリカ政府に利用されたような形になってしまう。。。




紀元前から迫害され続けたユダヤ人、 その結果ユダヤ人は世界各国に広がり、同胞意識は強いものがある。
同胞を救おうとするユダヤ人。

そのユダヤ人が原爆を作り、まっさきに、その話に飛びついたルーズベルトもまたユダヤ系移民だったのだ。

そして、結果的に日本に落とされた・・ということは、なんらかの目には見えない関連性があるようにも思えてしまう。


古代ユダヤの民たちの血は、おそらく日本人の血の中にも混ざり合っていることだろう。
いわば、日本もまた血の上の同胞かもしれないのに。
    ↓
続:ユダヤの謎と日本の起源(その2)


不思議な因果だ。

さらに、アメリカはマンハッタン計画のとき、ウラン鉱脈が無いために海外から手にいれなければならなかったはずが・・
ホピ族の土地から発見されて・・邪魔になったホピ族を他の土地に強制移住させようとまでしている。

(彼らは断固反対して土地を手放さなかったし、また、他国からの人道的な面でクレーム入れられるのを恐れてアメリカ政府は断念した)

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もうひとつ、忘れてならないことは、

ホピ族も、トルーマン大統領に手紙を出していることだ。

ホピの長老に、口述で伝えられてきた予言によれば、

「ここは、アメリカ大陸の背骨であり、ヒマラヤなどと同様、地球の自然エネルギーの震源で、もしここが破壊されたら全地球的な規模で変動が起きる。 それゆえ、この地に留まり守らなければならない。」

「またこの地には、使い方によっては人類を滅亡してしまうものが埋まっている。人類がこれを争いではなく平和に利用することが出来るようになる日まで、この場所に留まりこれらのものを守っていくように。」

それゆえ、ホピは、この地にとうもろこしを植えて細々と生活をし、この土地を守ってきたという。



彼らの手紙を要約すると、

今日、私たちとあなたがた白人もまた、それぞれの人生の岐路に直面しています。
どうか道を間違わないでください!


<参考>
ネイティブアメリカン・ホピ族の神話世界より

ホピ族から大統領にあてた手紙(英文のまま)


このタイミングで、トルーマン大統領あてに手紙を書いたということは・・よほどのことだっただろう。

彼らもまた、ユダヤ人科学者たちとは別の視点から、未来における危機を予知していたことになる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

戦争の原因に宗教の違いをあげる人も多いけど、
私は、戦争の原因になる宗教は宗教ではないと思っている・・ただのポリティックの一環に過ぎないと思う。

多くは偏見と差別だ。

それと・・利権争い!

あっちの土地が裕福だし、もらっちゃおう!というヤツ。。



そして・・残念ながら、それは紀元前の昔から続いている。

この世はもう、ダメじゃ~! 終わりか?


いやいや、そうは思わない!

それでも、どんな状況下でも、勇気をもって人を助けようとする人がいるのも事実なのだ。
どんな巧みな、戦争下の洗脳にも、ひっかからずに!

たとえ少数であっても、こんな人たちがいる以上、必ず光はある。




同時に・・これはまったくの私の勘のようなものだけど・・

なぜか、ユダヤ系が人類のカギを握っているような気がしてならない。
そして、日本という地やホピ族もまた、「何か」あるのかもしれない。

8/15に戦争の歴史を考えてみた

8月半ばになると、終戦記念日のためか、やたら第二次大戦関連のものを目にすることになる。

広島の平和祈念式典の様子がニュース映像だとか、戦時中を舞台にした映画、ドラマだとか、もちろん、原爆の話なんかも。


こんなことは、ずーーと昔からあったことだったけど・・

学生時代の私は、
ああ、日本は広島・長崎に原爆を落とされて敗戦となったんだよな~。 
戦争で多くの市民も亡くなって気の毒だったよなあ~。


くらいの感想しか持たなかったのだけど、そのうち、だんだん歴史を知るうちに、思うことや考えることも変わってきた。


歴史の勉強といっても、もちろん学校の授業で学んだわけではない!
学校は良い成績を取るための勉強しかしてこなかったから。(笑)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

戦争の歴史にかかせないのは、やっぱりユダヤ人迫害の歴史が多く絡んでいるように思える。

そこで、あらためて、ユダヤ人の歴史をみていこうと思う。


★出エジプト

ユダヤ人の迫害の歴史は、紀元前13世紀の旧約聖書による「出エジプト」から始まっている。

私が知ったのは、チャールトン ヘストン主演の映画の「十戒」から。

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ここらへんのことは以前のブログ、ユダヤの謎と日本の起源(その1)にもアップした話だった。


この当時、一部のユダヤ人はエジプトの地で暮らしていたが、エジプト新王国による差別と迫害を受けていた。

やがて、予言者モーセが現れ、ユダヤの民を率いてエジプトを脱出。

その後、聖なるシナイ山の頂上で神ヤハウェとの契約をさずけられる。 
⇒ これがのちのユダヤ教へ ⇒ さらに、キリスト教とイスラム教へと繋がっていくことになる。



モーゼの死後、紀元前11世紀頃になると、建国を成し遂げ、後継者ダビデ王およびソロモン王の治世で、最盛期をむかえる。

それもつかの間、ソロモン王の死後、王国は北方の北イスラエル王国と、南方のユダ王国に分裂してしまう。

その後、

北イスラエル王国はアッシリア帝国に(紀元前8世紀)

ユダ王国は新バビロニア王国に(紀元前6世紀)



に征服された。


このとき、ユダ王国の人々はバビロンに強制移住させられたが、これがたしか教科書にも載っていた「バビロンの捕囚」

800px-Tissot_The_Flight_of_the_Prisoners.jpg
*ユダ王国のユダヤ人たちがバビロンを初めとしたバビロニア地方へ捕虜として連行され、強制移住させられた事件のこと。


もちろん、全員が捕虜になったわけではなくって多数のユダヤ人が虐殺されている。

ここらへん、まるでアメリカ合衆国が先住民に行ったことと同じだよなあ~!


ところが、その新バビロニアもアケメネス朝ペルシャに滅ぼされてしまう。

新しい支配者のペルシャは、なかなか寛大な国だったらしく、納税を怠らず、謀反や反乱をおこさなければ、生活はもちろん、習慣や文化も保護された。


一方、アッシリアに征服されちゃった方は、死ぬまで過酷な奴隷としてこき使われて、そりゃ大変な目にあった。
なんといっても、アッシリアは歴史上でも、最も残忍な国といわれるくらいだから。

逃亡や反乱でも企てれば、見せしめに生きたまま皮を剥がされて貼り付けられたとか。

ペルシャの寛大さと比べると大違い!

ペルシャのユダヤ人たちは平和に暮らし、しかも、紀元前538年には、ユダヤ人はエルサレムに帰還することが許されたという。


彼らは帰還後、神殿を再建し、唯一神ヤハウェを信じるユダヤ教が成立した。

これ以降から、彼らはユダヤ人と呼ばれるようになったそうだ。
*それにしても、ヘブライ人、イスラエル人とも呼ばれたりして、ユダヤ人の定義は難しい。
宗教的要素と人種的要素の二つの面をもつわけだし~。



★イエス・キリスト受難

さらに、その100年後イエスが登場、そして、イエス・キリストの受難という流れ。

映画「パッション」を見てもわかるとおり、とにかく残虐極まりない殺し方。
あれほど苦痛を与え続けてじわじわと殺す方法がこの世にあろうか!ってくらいに。。。


しかも、イエスをローマ帝国に告訴したのはユダヤ教徒。 銀貨30枚でイエスを売ったユダもユダヤ人。
イエスを迫害し抹殺したのは、ローマ帝国でもヘロデ王でもなくって、ユダヤ人だった。

と、歴史上ではされている!

ここがまたのちの、ユダヤ人迫害にも繋がるらしい。


イエスの死後、キリスト教はヨーロッパで急速に広まっていったわけだけど・・313年、ミラノ勅令が公布される。

「正統派キリスト教」というものを決めて、正統派と認められれば、教会はしっかりと保証されるようになったわけだ。(何をもって正統? そこはまた政治が絡んでる)

キリスト教は完全勝利をおさめ、それに反動するように、ユダヤ人への差別と迫害がはじまった。


★ユダヤ人迫害&惨殺
中世に入っても、ユダヤ人への迫害はつづく。

1096年、聖地エルサレムはイスラム教徒の支配下にあったが、それを奪回すべく「十字軍」の遠征が始まる。

ところが、エルサレムを奪回した十字軍は、イスラム教徒だけじゃなくユダヤ人も虐殺しまくった。


ユダヤ教とキリスト教はともに旧約聖書を聖典とする同根の宗教のはずなのに~。

この後、ユダヤ人への差別や迫害は地球規模となり全時代におよんでいることがわかる。

1819年には、ドイツで「ポグロム」とよばれる大規模なユダヤ人迫害が起こっている。 その後、東ヨーロッパでも、ロシアでも。
ポグロム」はロシア語で、ユダヤ人にたいする略奪、虐殺を意味する。

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ヘプヘプ・ポグロムでドイツ農婦たちに農具で虐殺されるユダヤ人たち(ドイツ・フランクフルト、1819年)
ポグロム_wiki


その他、虐殺事件とまではいかないまでも、人種差別から出た事件は山ほどある。

1894年にフランスで起きたドレフュス事件は、歴史的にも有名なもの。
当時フランス陸軍参謀本部勤務の大尉であったユダヤ人のアルフレド・ドレフュスがスパイ容疑で逮捕された冤罪事件。


★ナチスドイツ
近年になって、歴史上もっとも有名なのは、ナチスドイツによるユダヤ人迫害。

もともとは宗教上の問題ではなく人種差別に過ぎなかったのだけど、

1850年代だったか・・フランスの外交官ゴビノーによって、人種的優劣を論じた「人種不平等論」が発表されて
その中で、アーリヤ人種の優越性を唱え、同時にユダヤ人はもっとも下劣だとか・・。

何を根拠に論じたのかはわからないんだけど・・科学的根拠があるはずもない。
そもそも、DNAの構造が解明されるは、それから100年後くらいだし~。

本といえば、もっと昔、

1543年に、マルティン・ルター(プロテスタント運動の創始者の一人)が『ユダヤ人と彼らの嘘について』というのを出している。

もちろん、どこに根拠があるんかい?と思うけど・・。


とにかく、ユダヤ人迫害どころか堂々と大虐殺の時代だった。

「夜と霧」はヴィクトール・フランクルがアウシュビッツ収容所での体験をもとに、1946年に出版され、既に歴史的な名声を得ている。

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この本、昔ちらっと読んだことあったけど・・トラウマになりそうだった!
ある収容所長の奥さんだったかが、自分が殺したユダヤ人の皮を剥いでランプの傘を作ったとか。

これじゃあ、残虐極まりない古代アッシリア帝国にも決して負けてないよなあ。

この当時、ユダヤ人は人ではないのだから。 害虫といっしょ!

だから、子供だろうがなんだろうが惨殺してOK。  
それが社会通念にもなっていたような時代だったのだから。



それでも、そんな時代の中でさえ、ユダヤ人を救った人もいる。

有名なのは、スピルバーグの映画「シンドラーのリスト」にも登場した、オスカー・シンドラー。
ドイツの実業家で、単に安い賃金でユダヤ人を雇えるし経営アップ!を狙っただけだったともいうけど・・
その結果、リストのユダヤ人1200名の命が救われたという。

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また、杉原千畝(すぎはら ちうね)は、日本経由の通過ピザを数千枚も発行した人で有名になった人で、これも映画化されていた。



その他にも、名も知らないドイツの一般人であってさえ、ユダヤ人を匿ったり命を救った人だって多くいたことだろう。


戦場のピアニストという映画の中では、ドイツ人の将校が、ユダヤ系ポーランド人のピアニストをこっそり匿まう話だったけど・・

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これもまた実話をもとに作られていたという。

この当時、ユダヤ人に救いの手を差し伸べることが、どんなに危険なことだったか。
それでも、自分の命の危険も賭けて救おうとした人々がいたことも確かなことだったのだ。


★パレスチナから中東問題へ
まさに、ユダヤ民族とアラブ民族の仁義なき戦い。

なんだってこんなことになったのか?

事の発端はイギリスの2枚舌外交。

イギリスはオスマントルコが目障りで仕方がない!
なんとか、滅亡させて、ちゃっかり広大な領土を頂きたい!

そこで、1916年、イギリスのエジプト高等弁務官マクマホンとアラブの指導者フサインとの間に協定がかわされた。
アラブがオスマン帝国に反乱をおこす見返りに、第一次世界大戦後、イギリスがアラブ国家の独立を約束するよ~というもの。

そこで、アラブのベドウィンたちがロレンスと共に戦うことになる。
    ↓
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ここらへんのことは、アカデミー賞7部門を獲得した映画「アラビアのローレンス」を観ると、よーくわかる。
気の毒に・・ロレンスは何のために、戦っかったんだ~?


今度は1917年、イギリスはユダヤ人にも同じような約束をした。
バルフォア宣言だった。
パレスチナにユダヤ人国家の建設をしてもいいよ~というもの。

イギリスは、このユダヤ人国家をとおしてパレスチナに支配力を保持しようとしたのだろう。

それにしても、見事なまでのダブルブッキング!



こりゃ、どうみたって平和にすむはずがない。 

だって、ユダヤ人とアラブ人の根幹をなすものは、当然、ユダヤ教とイスラム教。
バリバリの一神教だ。 他の神は許さない!

神が悪魔か、善か悪か、勝利か敗北か、完全な二元論が支配する世界に突入しちゃったというわけ。


このようにして、イギリス(フランスも絡んでたのだが・・)の二枚舌計略で、オスマン帝国も滅亡させられちゃったわけだけど・・

オスマン帝国下ではイスラム教という大きな枠があるとはいえども多種の宗教が許容されていたそうだ。

各種民族が生活していて、また、言語も多種にわたり、アラブ語、ベルベル語、コプト語、シリア語も使われてたし、
宗教も、ムスリムが大部分だったけど、スンナ派、シーク派もOKだったし、エジプトのコプト教徒、レバノン周辺のマロン派、シリア北部からイラク北部にはネストリウス派、東方キリスト教諸宗派、正教徒、アルメニア教会派、カトリック、プロテスタント、ユダヤ教徒など。



ぜーんぶ、この1つのアラブ圏で生活を営んでいたのだった。

少なくとも、オスマン・トルコの時代だったときの方が、ずーーと平和だったはず。

キミらを独立させてあげるし国もあげるよ~!なーんて、甘い言葉にさえ乗せられなければなあ。


この対立の原因は、人種的、宗教的なものではなく、政治的なものが原因だったといえるだろう。

そんなわけで、今では、イスラエルとアラブ諸国の生存をかけた戦いに発展し、

これに、アメリカがイスラエルを支援してアラブ諸国と対立する構図があるのが現代。
ハイテク兵器をせっせとイスラエルに流し、ユダヤ人は最新兵器でパレスチナ人に対抗する。
ハイテク兵器を持たないアラブの組織がテロ的行動に出ることとなる。


★イスラエルという国

強力な後ろ盾、アメリカがついててイスラエルは安泰か?
というと・・そうでもなさそう。

イスラエルという国、ユダヤ人国家という1枚岩ではないから。

ご存じのように、アシュケナジー系ユダヤ人と、スファラディ系ユダヤ人という2種類のユダヤ人のいる国。


ロシア、ポーランドを中心とする東欧系ユダヤ人(アシュケナジーム)とその子孫で、白人系

中東と北アフリカのアラブ諸国から難民として流入してきたユダヤ人(スファラディム)で、有色人種系


ただし、同じスファラディムであっても、その出身国は、北西アフリカ、モロッコ、アルジェリア、チュニジア、リビア、イラク、イラン、イエメン、シリア、インドなど広範囲にまたがっており、決して一つの共同体というわけではない。

これまた、厄介なとこ。

同じユダヤ教徒のはずだけど、シナゴークも違えば、その教えも違う。


政府のトップ機関はアシュケナジー系に占められていて支配層が多く、スファラディ系は一段低くみなされている。

ところが、スファラディー系の方が、圧倒的に数が多いので・・いつまで抑え込めるかはわからない。
実際に、大統領の暗殺事件やら、物騒なことは山のように起きている国なのだ。

スファラディムの保守党は祖国愛の強いナショナリストであることが多いため、彼らはアメリカの言うことを聞かないのに対し、

リベラル派であるイスラエル労働党の方は、アメリカ(とくにアメリカのユダヤ人=政治家が多い)の言うことをよく聞く(笑)


つまり、内部分裂があるわけで・・物騒なこと、この上もない!


そこで、アシュケナジー系ユダヤ人の間では、イスラエル社会へ幻滅して、またも欧米に移住してしまう者も増えているそうだ。
欧米から移住してきたにもかかわらず・・だ。(貧乏人の多いスファラディ系はなかなか移住できない)


★グローバリスト・ユダヤ人

今のアメリカに住むユダヤ人たちのうち、金融財界人や学者、官僚になった人々は、そういった一部の人たち。

彼rはアシュケナージでもなければ、スファラディでもない。
なずけて、グローバリスト・ユダヤ人

彼らは、『わが愛する祖国と大地』を持たない人たち。 
そんなものは、どーでもいいと思える人たちだ(笑)

だって、グローバリストなんだから!

祖国に対する愛国主義も持たないし、必要とあれば、その土地に合わせて宗教だって自在に改宗できちゃう。

世界中のすべてが彼らの移住地であり、

彼らの目的はただ1つ、世界を自分たちの能力で管理してゆきたいと考えている人たちだ。

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オーストラリアではトップ7人の大富豪のうち5人がユダヤ人だとか

まあ、グローバルユダヤ人、グローバル戦略の先駆けだったロスチャイルド兄弟だろうなあ~。



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ずーーと迫害され続けたユダヤ人、

そして影で糸を弾いて、戦争を仕掛けるのもユダヤ人だったりする(グローバルユダヤ人だけど)

キリストもユダヤ人、キリストを迫害したのも処刑したのも、キリストを売ったのもユダヤ人だったかのように。

これが、どのように日本にも関わってくるのかは、次回のブログにアップすることにする。
(長くなるんで・・)



最後に1つ、

夜と霧のヴィクトール・フランクル、彼は第二次世界大戦下でナチスの強制収容所に送られ、家族を無残に殺され、自身も生死の淵から奇跡的に生還した実存主義の心理学者だった人だ。

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その彼がその過酷な人生を振り返ってなお語った言葉が印象的だった。


「それでも人生にYESと言う」


どんなに悲惨で逆境に満ちた人生が与えられていても、恨みや怒りや悲しみさえもを乗り越えた人の言葉だ。

人生を肯定する言葉だ。

Say yes to life in spite of everything.

<<続く>>

白でも黒でもないグレーな人物

昨日の記事で、

最近の大河ドラマと孫子の兵法

をアップしたのだけど、

きょうは、ちょっとそれに関連した続き、ともいうべきものになりそうだ。。。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

優れた天下人、または、将軍、経営者・・・えっと、まあ、それはなんでもいいんだけど、

とにかく・・トップに立つ人は、どんな特徴を持ってるんだろう?


「トップに立つ人」
といっても、

成り上がりで、自力でトップに上り詰める場合と、

すでに、トップの位置が出来上がっていて、それを受け継ぐ場合とでは違う。


ここでは、「成り上がりでトップを目指す場合」の話と限定して置こう。


昨日のブログにアップしたとおり、

孫子のいうところの、『五危(ごき)』に陥らない人


「正直で公正さを持ち、民思いで、必死に頑張る」・・・これは、まさに立派な大将の器だけど、 これだけに固執してもダメ!

さらに言い換えると、

常に冷静沈着で、1つのことだけにとらわれずバランス感覚を持って、広く浅く総合的な判断能力

ん? ちょっと月並みな表現で申し訳ないけど・・


もっと言い換えると、

グレーな部分を持ってる人
ということかもしれない。


かなり昔の大河ドラマ「毛利元就」を見ていたとき、あ! これだ~!と思ったことがある。

内藤興盛さんが言うセリフで、

「元就様は、白でも黒でもなく、灰色なのだ。
それに比べて、隆元様は白、真っ白な方なのだ。」



隆元様というのは、毛利元就の長男、つまり、毛利家を相続する跡取り息子

内藤興盛というのは、隆元さんの妻の父、隆元さんから見れば、義理の父上にあたる人

これは、父が娘に言うシーンで、

「オマエの夫は、色で言えば真っ白な人だから、そこんとこを理解して、オマエが支えてやらなにゃいかんよ~。」
みたいなことを言ったんだと思う。(←私の記憶が正しければ・・だけど)


きのうのブログでも、ちょっとだけ書いたけど・・

毛利元就さんは、まさに、「兵は詭道なり」を実践したような人で、知略によって敵方を滅ぼしていった人。
時には、かなり汚い手も使った人だ。 

それを、長男の隆元さんは、なかなか受け入れられなかった。

「いくら、敵を滅ぼすためとは言え、それって卑怯なやり方じゃないか!」・・と父に反感を覚える。

常に、武将として、「清く正しく、まっすぐに!」が、モットーな人。

それを、「真っ白な人」と表現したのだろう。

**あくまでも実際のところはわからない。 これは、大河ドラマの中のお話だから・・(笑)

こちらが、ドラマの中の隆元さん
     ↓
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真っ白な人は、誰にも好感を持たれる。

だけど、天下取りなんてできる器ではない。

「清く正しく真っすぐに」にだけ、戦ってれば、いずれは負ける。

相手も、同様な「真っ白な人」ばかりとは、限らないからだ。

「黒やグレーの人」と戦うときは、それなりに、こちらも、ときにはグレーにならなきゃならない時もある。


たぶん、それが・・孫子の言わんとしたことだろうし、

たぶん、それが・・トップに成りあがる人の条件なんだろうなあ、と思ったわけだ。



ただし、グレーの要素は初代に求められるものであって、2代目、3代目ともなれば、「真っ白」の方がいい場合もあるだろう。

領土を受け継き守っていけばいいわけなんだから、良き家臣に恵まれてさえいれば、自分は白いままでもやっていける。

いや、むしろ・・白い方が2代目には相応しいのかもしれない。



ところが、

成り上がりからトップに躍り出ようとするならば、グレーの部分を持ってなきゃ無理。


その、グレーの部分ゆえに、後世の人には「極悪非道の人物」として伝わることもある。

または、マ逆に、「公明正大な立派な大人物」として伝わることもある。



ところが、どっちも一緒!(笑)

グレーが、後世の人には、白に映ってみえたか、黒に見えたかの違いだけ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

フランス王のフィリップ4世は、まさに極悪非道、血も涙もない冷血漢ってイメージで語られる人だ。

フィリップ4世(Philippe IV le Bel)(1268 - 1314年)
フランス王の在位:1285 - 1314年)
Philippe IV

この人が、なんだって、後世に「血も涙もない冷血漢」とされてるのか?

時は、日本でいえば平安時代末期、平家の世から鎌倉時代へ移行していく時代。

フランスも大荒れに荒れてる時代だった。


フィリップ4世の別名は、「淡麗王」

なぜか、ヨーロッパの王には「二つ名」がつきもの。 賢明王だとか、太陽王だとか、獅子王だとか・・
この人は、淡麗王 (Philippe IV le Bel

肖像画でもわかるとおり、イケメンだったから。

顔はイケメンでも、心は醜悪・・・目的のためには手段を選ばない、冷血漢、と言われてる。


なぜなら、

ローマ教皇をモノともせず、免税特権のある聖職者に対して課税し、
挙句の果てに、ローマ教皇を憤死させてしまい、
テンプル騎士団に、罪をでっちあげて火あぶり、解体のうえ、財産没収。

それも、ぜーんぶ、「お金」のためだったから。



というのが理由。



まず、フィリップ4世の出自と状況説明から。

フリップ4世は、もともと王になれるはずのない立場、兄が亡くなったことで王大子となり、カペー朝の跡取りとなった。

カペー朝の跡取りといっても・・・王家といったところで、フランス全土を支配してたわけじゃない。

フランスは、複数の諸侯が支配していた寄せ集めの封建国家。

彼の王領は、パリを中心とするイル・ド・フランスに限られていて、小さな国に過ぎない。
諸侯の中には、もっと、有力な名家があって、たとえば、アキテーヌ公爵家なんて、他の公爵家や伯爵家も従えてた大侯爵家だった。

この赤で囲ったところが領土
    ↓
france_map.png
https://ameblo.jp/rokudenashichan/entry-10823962379.html

つまりは、「小国」であり、「名ばかり王朝」、彼もまた「名ばかり王」

それが、あれよあれよという間に、他国にさきんじて、ヨーロッパの一等国にのしあがることになる。


なぜ、そんなことができたのか?

そりゃあ、フィリップ4世は優れたリーダーだったから。

しかも、彼の政治改革には実績がともなっていた。

彼の目指したものは、他国にさきんじた、絶対王政を確立すること。


もうちょっと具体的に言うと・・

従来の貴族による封建体制から、官僚による中央集権体制へのパラダイムシフトさせること。

そのためには、王が任命した官僚を取り立てて、諸侯(貴族)の力を削ぎ落とすこと。





しかし・・出る杭は打たれるの例えどおり・・

ヘタをすりゃ、こっちが寝首をかかれる(歴史上よくある話)


というわけで、フィリップ4世は、阿修羅・魔王のごとく、ときには、「問答無用の冷血漢」となり戦った。

だからこそ、結果的にフランスは近代国家へと突き進むことができた、ともいえる。

しかし、同時に、悪辣非道、冷血漢の汚名も着ることになった。

ということらしい。



簡単に彼のやった事を説明すると・・

●ローマ教皇をモノともせず、免税特権のある聖職者に対して課税したこと。

これをやってのけるのは、実際には大変なことなのだ・・・。

当時の「教皇」というのは、神に近い存在。


まあ、日本で言うところの・・

征夷大将軍となっても、天皇には頭があがらない・・天皇宣下がなけりゃ、どーにもならん! 逆賊とされるのが怖い!
または、上皇となっても・・延暦寺の強訴が怖い!


というように、宗教的・神の存在だけは、なかなか手が出せないタブーだった。


なので、教皇はじめ、聖職者ともなれば、そりゃもう、特権階級!
税金だって納めなくてもいい!ってわけだから。


その教皇傘下にいる、テンプル騎士団も、あつーく「神」の名のもとに守られた存在。
アンタッチャブル!ってわけ。


フィリップ4世にとっては、目の上のたんこぶ(他の諸侯にとっても同じだっただろうけど・・)



当時のヨーロッパの最大の問題は、十字軍の遠征にあった。

ご存じのとおり・・

エルサレムはユダヤ教徒・キリスト教徒の聖地。 ところが、7世紀以降、イスラム勢力に占領されていた。(イスラムの言い分はちゃんとあるんだけど・・とりあえず、ここではヨーロッパ側の見方で通すことにする)

そこで、西ヨーロッパのキリスト教国は「エルサレム奪還」のため、
多国籍軍を編成し、エルサレムに送り込むことになった。
それが「十字軍」


遠路4000kmもの遠征が、事実、何回にもわけて派遣されたのだ。


無事、エルサレムは奪還したのはいいけど・・多くの十字軍兵士が帰還してしまえば、そこがまた再占領される恐れは十分ある。
そこで、守備隊を置く必要に迫られたのだ。
(ちなみに、エルサレムを奪還しただけで、イスラム教国家にはさしてダメージを与えてるわけじゃない。)


守備隊といっても・・聖地を守るんだから、騎士であり、また信仰の厚い聖職者でもあるものが望ましい。
そこで、「宗教騎士団」が創設されることになる。

いくつもの騎士団、ヨハネ騎士団、テンプル騎士団、テュートン騎士団なんてのがあって、テンプル騎士団はそのうちのひとつ。
1119年のことだった。



さて、ここで、十字軍の遠征の実態についてだけど・・


目的は、聖なる地、「エルサレム奪還」のためだったはずなのに、

年代記「フランク人の事績」によれば、
       ↓

1099年7月15日に、城内に突入、凄惨な殺戮が行われた。
犠牲になったのはイスラム教徒だけではない。
ユダヤ教徒も東方正教徒も・・・エルサレムの住民が皆殺しにされたのである。

「殺戮はすさまじく、わが軍の兵士たちは足首まで血につかって歩いた」


住民はもとより、ユダヤ教徒、キリスト教の東方正教徒まで皆殺しかい!!

いったい、何考えてんだよ~!


たぶん、なーんにも考えてない。
ただ、殺しまくっただけ!

4000キロも旅をして、ただ・・見境いなく殺しまくって帰ってきただけ。。。

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神聖な巡礼の旅であり、エルサレム奪回の目的と信じて参加した兵士たちにとっては、たまったものじゃない。

しかも、見知らぬ異郷の土地を4000キロも旅していけば、イスラム教徒や山賊の襲撃や略奪もある。
現金を持ち歩くことは危険極まりもないし、第一、重くってかなわない!
かといって、家に残していけば、留守中に全財産は消えてるかもしれない!


そこに目をつけたのが、テンプル騎士団だった。

巡礼者が本国でお金を預け入れて、行き先で払い戻す。

預金通帳のようなものもあっただろう。これなら現金を持ち歩く必要はない。

まさに、現代の銀行業のルーツがここにある。(テンプル騎士団は、ビジネスの天才だったのかも。)

この銀行業で、テンプル騎士団は莫大な資金を集めた。

さらに、集めた資金で、資産運用もはかる。

ヨーロッパ各地に広大な土地を購入し、教会や城砦を築き、ブドウ畑や農園をつくり、ワインや農産物を販売に乗り出す。



結果、テンプル騎士団は、

カネを稼ぎ、領地を拡大し、しかも戦う軍隊も持ってる団体になった。

その莫大な資金をもとでに、ヨーロッパ諸国の王に貸付け、利息でも大儲け。

敬虔な修道会、つーより、こりゃあもう、立派な複合ビジネスに近いような・・

立派な「世俗」にまみれた、ビジネスマンって気がしちゃうのは、私だけ?



さらに、テンプル騎士団はローマ教皇直属の組織でもある。

「ローマ教皇」という、大権威がバックについてるとなれば・・黙っていても、西ヨーロッパの王侯貴族から寄進が集まってしまう。

儲かってしまって・・笑いが止まらない状態。

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一方、フランスは巨額の財政赤字に苦しんでいた。


十字軍遠征なんてやってりゃ、どこだって金欠になる。(孫子だったら、呆れてモノも言えないはず。)

フランス王室は、止む無く、それをテンプル騎士団から借金でまかなっていたものの・・どうにもならない!
借金は問題解決にはならず、問題の先送り。

いわば自転車操業で、負債は膨らむばかり。



フランス王は絶対王政を目指していた。

強力な中央集権国家を作るためには、官僚機構と常備軍が欠かせない。

それにも、カネがかかる。

現状維持で、なーんも目指さない領主だったら、なんとかやれたのかもしれないけど・・、彼は違う!



ここで思いついたこと!

●ローマ教皇をモノともせず、免税特権のある聖職者に対して課税しちゃおう!

ようやく・・ここに話が戻る(笑)



もちろん、そんなことを言い出したって、はい!そうですか~!と、聖職者たちやローマ教皇が素直に納得してくれるわけがない。


フィリップ4世は、上手にその機会をうかがい、民意を図り、最善のタイミングでやってのけたのだ。

そこらへんの具体的なことは、省略するが、もちろん、さまざまな事件は起こったわけで、

1303年9月の「アナーニ事件」なんてのは、その最たるもの。
      ↓

ローマ教皇ボニファテイウス8世は激怒して、フィリップ4世を破門にしてしまう。

まあ、フツウの神経の持ち主だったら、

この時代、教皇に破門を言い渡されてしまったら、
ひええ! 私が悪うございました! なんとか・・ご勘弁を!ってことになるのが必定。

ところが、フィリップ4世、神をも恐れぬ驚くべき手段にでたのだ。

部下に命じて、教皇が滞在している避暑地アナーニを急襲し退位を迫った。

駆けつけてきた教皇軍が、ボニファテイウス8世を救出したものの、あまりにもショックを受けた教皇は、脳溢血で死んだ?
憤死?ともいわれている。





そりゃそうだ!

今まで、教皇の思い通りにならないような、王はいなかったんだから。
教皇として、こーんな惨めな屈辱を受けたのは、はじめてだろうから。

ここで、ちょっと調べてみると・・ボニファテイウス8世という教皇、こちらも、聖職者というよりも、なかなか世俗にまみれた人のようだったみたいだ・・・。

Knightfall4.jpg
https://entertainment.unitymedia.de/ritterserie-knightfall/knightfall4/


まあ、どっちもどっちかも・・。


結果的に、フィリップ4世に軍配が上がった。

次の教皇は、傀儡の教皇、フランス人のクレメンス5世を擁立した。

クレメンス5世Бальтазар-Косса-2


これで、ますます、フィリップ4世、仕事がやりやすくなってきた。



さて、次は、いよいよ

●テンプル騎士団の解体だ!

だんだん、テンプル騎士団の評判が悪くなってきた頃を見計らって・・・

そりゃそうだ! テンプル騎士団だけ大儲けしてる状態だもん・・自然と反感を持つ者も増えていく。


十字軍の失敗を機に、フィリップ4世は、なんと、テンプル騎士団を告発したのだ。


それも・・・あろうことか、異端の罪で。


これまた、従来の常識では、到底、ありえない!ことだ。

テンプル騎士団は、教皇直属であり、「異端」を取り締まる側なのだ。

それが、異端扱いされてしまうなんて・・。


実に思い切った、意表をつく手腕だ!


結果的に、テンプル騎士団は、「異端審問(異端を裁く宗教裁判)」にかけられ、全員有罪。

逮捕された団員は、拷問で自白を強要されたようだし、かなりアクドイ手を使ってる。


しかし、傀儡教皇クレメンス5世は、テンプル騎士団の解散を許可
傀儡だからね~。



フィリップ4世は、フランス王の勅命を発して・・・全員有罪、うち数十人を火あぶりに!


おいおい!

借りたカネを返したくないばかりに、相手を抹殺かい!
抹殺して、なお、余りあるカネをゲットかい!

借りた金は、返そうよ~!(←善人、小市民の発言)


1314年、テンプル騎士団の総長、ジャック・ド・モレー (Jacques de Molay)は、パリ・シテ島の刑場で生きたまま火刑にされた。

亡くなる直前、モレーは、
フィリップ4世とローマ教皇クレメンス5世を呪う言葉を吐いたことは有名な話・・として語り継がれている。

そりゃそうだ・・
王(フィリップ4世)は陰謀の張本人だったし、教皇(クレメンス5世)は家臣を見捨てた裏切り者だったんだから。


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そのせいか、どうかはわからないけど・・

同年1314年、1ヶ月後にクレメンス5世はこの世を去り、フィリップ4世は脳梗塞で倒れ、11月に死んだ。

ジャック・ド・モレーの預言は的中し呪いは成就したとされ・・

ここから、テンプル騎士団&ジャック・モレーの都市伝説がはじまった。

まあ、いろいろあるんだけど・・それは、また後ほどということで。


・・・・・・・・・・・・・

以前、この話を知ったとき、私は、まっさきに、織田信長を思い描いた。

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フィリップ4世と織田信長・・似てない?

顔じゃなくって、性格的なものが・・
あ、顔も両方とも、イケメンとして有名だけど。


●リアリスト
大業を成す人の、絶対条件かもしれない。
目的を見据えて、現実を直視して進むのみ。
社会通念や常識には捕らわれないたくましさ。

まさに、二人のも神をも恐れぬ大胆不敵な所業をしてるわけだから。


●実力主義

出自や身分に捕らわれず、「能力と実績」あるのみ。 実に合理的!
信長しかり。
フィリップ4世が官僚に登用したのは、市民階級や下級貴族だった。
ローマ法に精通した「レジスト(法律家)」とよばれる専門家集団を集めたという。


●明確なビジョン + 判断力、決断力、行動力

織田信長は「天下布武」
フィリップ4世は「絶対王政」

孫子の述べるごとく、目的に向かって、冷静で幅広い判断力、それに伴う決断力と行動力を持っている。


●出自は良くない。

信長さんも、小国・尾張の出身、同族間でもまとまらず争い事を抱えてたわけだし、今川と比べれば・・ちっぽけな吹けば飛ぶような国だった。
フィリップ4世も同様。

出自があまり良くない方が、下層階級と接触が持てるわけだし、彼らの心情も理解できるという利点に繋がるかもしれない。

信長さんは、うつけと呼ばれてた若い頃、農民たちに交じって戦争ごっこをやってたことなどで、実施訓練を兼ねて人心を掴み、良き人材発掘にも繋がったのではないか、ともいわれている。

・・・・・・・・・・

一般庶民というものは・・

神の前には恐れをなしてしまったり、勅命と言われれば、それだけで逆らえなくなってしまったり・・
感情に溺れて冷静さを失ってしまったり、血気にはやってバカな突撃をしちゃったり・・
人に臆病者と後ろ指をさされたくないため、無茶な行動に走ったり・・


そんなものだ。

白か黒かだけでも生きられてしまうのが、庶民なのだ。

なにがなんでも、犯罪は犯さない、許せない・・真っ白な人

または、自分の欲望のためだったら、全体を考えずになんでもしてのける、黒になるか・・

グレーでいることは、なかなか難しい。

そこが、トップに立つ人と、一般庶民の違いなのだろう。



グレーでいるということは、両面を持っていたり、もっと、さまざまな面を持つということでもある。

信長さんの逸話

信長さんは、神仏を恐れず、比叡山を焼き討ちしてしまったり、残虐な仕打ちを数多く語られる人物だけど、

一方で、足軽身分だった、鳥居強右衛門が、自分の命を犠牲にして長篠城を落城の危機から救ったことに深く感動して、自ら指揮して立派な墓を建立させたとか・・

また、

体に障害のある男が、街道沿いで乞食として暮らしていたのを度々みかけて哀れに思い、、村民を呼び集め、木綿二十反を与えて、「この者に小屋を建てて、この者が飢えないように毎年麦や米を施してくれれば、自分はとても嬉しい」と村人に要請した。 その場にいた人々は皆、涙した。



なんて、話も伝わっている。


悪魔か天使か、どっちなんだ?
たぶん、両方。


秀吉の妻、ねねに対しても・・秀吉がねねを軽んじた扱いをすれば、長い手紙をねねに送って元気づけてやり、何かあれば、ワシが間に入ってやる!みたいなことまで言う。




一家臣の妻に対してまで、ここまで細やかな気遣い?

あちこちに気を遣うような繊細さ、豪胆さ、残虐性と人情味、
ハイテンパーかと思えば、忍耐強さもあるし・・
とにかく、人物像をひとことでは言えない。



フィリップ4世の人物像の、細かなところまではわからない。

寡黙な人だったとも言われるけど、テンプル騎士団の罪を告訴するときの論理性は見事だし・・
敬虔なキリスト教信者だったと言われる反面、神をも恐れないリアリスト。



これまた、ひとことでは語れない人物らしい。



将来トップに立つ人には、幼少の頃から、帝王学なる教育を施す。
これは、どこの国でも同様だ。

王家や伝統ある家系・家柄などの特別な地位の跡継ぎに対する、幼少時から家督を継承するまでの特別教育ってわけで、
おそらく、家によって個々に違うだろう。


それでも、基本理念は、孫子の説いた
常に冷静沈着で、1つのことだけにとらわれずバランス感覚を持って、広く浅く総合的な判断能力

にありそうだ。

それが、リーダーシップ論、マネージメント論に通ずるものとなる。




そういえば・・たしか、算命学は古代中学の帝王学に由来するものだとか・・そんな話を聞いたことがある。


だから、我々一般人に、帝王学なんか必要ない!


なーんて意見もある。


そりゃあ、1つのことだけにフォーカスして他はどーでもいい!って生き方をしたい人には、たしかに不要だ。

白か黒だけで、生きたい人には不要だし、グレーなんて知ったこっちゃない!
それでも、生きていけるんだから。


でもね・・
ただ、言えることは・・

グレーに目をふさいでしまえば、当然、白か黒かしか見えなくなってしまう。

見えなければ、権力者がグレーであることも気がつかずに、コロっと騙されるだけ。




ましてや、民主主義という時代ならば・・

本来は、すべての人が、それぞれ、「一国の王」でいるべきなんじゃないだろうか?
つまり、王の心持ちってこと。



王の心持ちでいれば、「自分の利益だけ」を主張するわけにはいかなくなるはずだし・・

全体の流れを考えなきゃならなくなる。

国全体に視野を広げて、国を富ませる方法を考えなきゃならなくなる。


その視線でみれば、トップの色合いも、よーーくわかるようになるだろう。




だからといって、すべての人々がトップを目指せ!、なーんてことじゃない。

白でも黒でも、グレーでも・・
好きな色を選ぶのは、いつだって自分自身だ。

何色を選ぼうが、それは自由。


それでも、トップに立つ人のグレーな色を感じる目だけは、持つ必要はあると思うのだ。


その目を通してみなければ・・

フィリップ4世のやったことも、教皇のことも、また、テンプル騎士団のことも・・
何も見えてこない気がする。

もちろん、信長さんに対しても・・。
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