FC2ブログ

龍と人間力

まっ昼間のはずなのに、外は夜?
窓際に行ってみたら、何本もの稲妻が光っていた。

こちらはヨハネスブルグの雷の写真、実際の写真は撮れなかったのでイメージ写真
Bs-75o7IgAAjlzZ.png


美しい! でも、ぞっとする光景。

そのうち、叩きつけるような雨の音。

JT_Hail1-1140x641.jpg

あれ~!雨だと思ったら・・なんと、雹が降っている。


ありきたりの「日常」が、あっと言う間に非日常な世界に変わってしまったカンジ。



雷の落雷時の電圧は、100万ボルトから、最高で10億ボルトにもなるそうだ。

ん? 家庭の電気が100ボルト程度ってことを考えると、こりゃ途方もないパワーだ。

illustrain10-jiko03.png

こ、怖っ!
あっと言う間に真っ黒けの炭になっちゃう!!



でも、その一方で雷は恵みの雨も運んできてくれる。



すっごく当ったり前のことだけど・・・・

すべての生物は水無しでは生きられないんだよね~。


190490-131-B38BAB22.jpg


太古の昔、人々は日照りの中で、どんなにか雨を願ったことだろう。

「雨乞い」 は、世界各地に存在していた。

そりゃそうだ! 
死活問題だったのだから。


天に祈り、雨を司る精霊に祈り・・と、さぞや皆で祈りまくったことだろう。

たぶん、大昔だったら「祈る」しかなかっただろうから。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日本では水(雨)や雷を司る精霊は、とされていた。

古事記によれば、その神様は淤加美神(おかみのかみ)

日本書紀によれば、龗神(おかみのかみ)


とされていたらしい。


これは、神様系図にも載っていて、
なんでも、イザナギ迦具土神(ひのかぐつちのかみ)を斬り殺した際にしたたり落ちた血から生まれたんだとか)
迦具土神(ひのかぐつちのかみ)というのは、火の神様。
火から水の神様が生まれたってことらしい。




でも・・

古事記や日本書紀というのは、奈良時代頃になって、各地の民間信仰や自然信仰を集めて編集し朝廷に献上したものだから、
ひょっとしたら・・無理やり系統立てて、神様の出自まで作り上げちゃったりしてるかも・・とも考えられるね。


なので、神様の出自がどうとかより、

太古の人々は雨を司る自然霊に必死で雨乞いしたってことが、すべてのはじまりなのだと思う。


それが


Reggio_calabria_museo_nazionale_mosaico_da_kaulon.jpg
古代ギリシャのモザイク画より

面白いことに、竜(龍)は世界中にいるんだけど・・

290px-Dragon_Harley_MS_3244.png
https://en.wikipedia.org/wiki/Dragon


もちろん、実在していない。

神話や伝説に登場するだけの架空の生きもの。


それでも、世界中にいる・・ってのは面白い。

800px-Ninedragonwallpic1.jpg
北京の壁画になっている竜


こちらは、北斎画の日本の龍
    ↓
800px-Hokusai_Dragon.jpg


いずれも共通点は・・

気性が激しくて、地にも潜り空も飛び、でっかい爬虫類っぽい生き物。
強くて、どっちかというと荒々しいイメージ。


100万ボルトの雷、雨・風の天候まで司るとしたら、そりゃあ~最強の生物だわ~!

古代中国では皇帝の象徴にもしてたとか
(古代中国の皇帝は強いが一番!って思ってたんだろうね。中国王朝っていずれも短命だったし~。 ただし日本では皇室のシンボルとしては一度も使われたことがない・・ってのが、これまた興味深いとこ)




ここで、もうひとつ興味深い点、

古代の人々は、龍を、ちゃーんと感じていた。(体感認識してイメージ化したのかもしれない)

自然に宿るエネルギー体を、自然霊(精霊)として感じていた。



日本のレイラインをご存じだろうか?

パワースポットとパワースポットを繋ぐ神秘の直線ともいわれているヤツのこと。
      ↓
o0800038013622536799.png
http://blog.livedoor.jp/tamakina/archives/47362660.html


茨城の鹿島神宮から、明治神宮、富士山、伊勢神宮、ソロモン王の財宝伝説がある徳島の剣山(つるぎさん)に、宮崎の高千穂神社へと直線で並んでいるのがレイライン。


ところが、このレイラインは、中央構造線ともかなりの部分が重なっている。
中央構造線とは、火山活動と地震と深い関係があるといわれてる最長の断層帯のこと。

20140917vik2.jpg

中央構造線は、富士山のあたりを避けるような形になっているけど、それ以外は、レイラインとかなり重なっているのがわかる。


この中央構造線の南側は、1億年くらい前にイザナギプレートに乗って南からやってきた土地だったという。

それが北側、中国大陸側の土地とぶつかってくっついて、そのつなぎ目が中央構造線になったともいわれている。

そして、その断層帯こそが、いまなお地震や火山活動を生む動脈でもある。


地下に莫大なエネルギーを蓄えた動脈。
これを、別名、龍脈とも呼ぶ。


こちらの記事によると、中央構造線付近にある神社は、実に龍(竜)のつく神社が多い。 まさに龍の道なんだね~。
    ↓
縄文族ネットワーク [太陽の道]コミュの龍の道 ~中央構造線とフォッサマグナ、


そのライン上に、パワースポットと呼ばれるような神社があるということは・・
おそらく古代人は龍脈がどこにあるのか知っていたということだろう。


現代人と違って、松果体も発達していて第六感も優れていてスピリチュアル能力がバリバリだったのか・・

または、なんらかの経験則から知ったのかはわからないけど・・。(ん~、両方だったのかもしれないね。)


今でこそ、プレートテクニクスなんて研究もされているけど、彼らはと~っくの昔~に、それを知ってたということだ!



なぜ、龍脈の上に多くの神社が建てられたのか?

それはもちろん、荒っぽい龍のパワーを調整するためだったと思うのだ。


暴れまわって噴火したり地震を起こさないように、そして水の恩恵を与えて頂けるようにと(←美味しいとこ取り、いいとこ取り)

そのために、祭祀の場をライン上に作る必要があったのだろう。


そう考えると、古代日本は、卑弥呼に代表されるようなシャーマンの国だったに違いない。


img_20_m.jpg


彼らは龍というエネルギー体を感知していたのだから@@


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、日本書紀によれば、龍は龗神(おかみのかみ)

この神様=龍の化身なのか、

この神様の眷属(お使い)が龍なのか・・

そこのところは諸説あるみたいだけど・・

この、おかみといういう漢字は、雨編に口3つに龍

okaminokami.png


まさに、そのまんま(笑)
ここまで龍かよ~!



さらに、2種類の龗(おかみ)があるという。

高龗神(たかおかみのかみ)・・山の上の方、尾根 
祀ってある神社・・・貴船神社(京都)など

闇龗神(くらおかみのかみ)・・渓谷、深谷など日の光が届かないような山の谷間
祀ってある神社・・・丹生川上神社下社(奈良)など

**だからといって、別々の二柱の神様がいるということではなく、一柱の龗神の陰陽の姿だという説もあり。


いかにも山に囲まれた日本らしい!

山と湧き水
Spring waterの国だ。

spring-water.jpg


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

このようにして、古代人はせっせと祭祀の場を作り、龗神、龍神を祀ったわけだけど・・

でも、歴史を見ていくと、どうやら、ただ祈ってただけでもないらしい!


自然(龍)を相手に、しっかりと人間力も発揮してるのだ!



まず、821年、空海さんが土木工事を行っている。
洪水ばっかり起こしていた満濃池(まんのういけ)に強固な堤防を築いた。

*空海さんを、ただのお坊さんと思ったら大間違い!この人、治水、土木、建築学もしっかりモノにしてるのだ。


その後、戦国時代に入る頃には、さまざまな武将たちがせっせと治水工事を行っている。

有名どころでは、

●伊達政宗さんは、北上川の水害防止の工事、水路整備、運河も手掛けたし

●武田信玄さんも、暴れ川を収め新田開発の偉業があるし、

●加藤清正さんもまた、築城、治水工事の手腕を発揮し、火山灰の土地の農地に変えたりして、土木の神様と呼ばれたとか。

もちろん天下統一した●徳川家康さんも、忘れちゃいけない!

利根川を渡良瀬川へと合流させる大規模な河川工事をして、湿地帯でどーしょーもなかった江戸を立派な街に作り替えた人だ。



さすがに有名になった武将さんたちをみると、ただ戦に強いだけじゃないっつーのが、よーーーくわかる。

「水を収めるものは天下を収める」という言葉もあったけど・・中国の春秋時代に誰かが言った言葉だったと思う。
まずは百姓町人が豊かでなきゃ年貢も入ってことないし、戦も出来ん!
何事もカネがかかる(笑)



これ、国造りの常識だもんね~。
  ↓

水害・干ばつなどの自然災害は、経済発展と社会秩序の安定にとっては致命的。
これを克服して始めて、国民生活の安定、天下泰平・国家繁栄をもたらす事が出来る。





スピ系・シャーマン国日本でありながら、

古代人たちは、結構、現実的な行動も起こしているのだ。


自然の驚異に畏怖して祈りを捧げるだけじゃなくって、

知恵を絞って技術の粋を集めて行動を起こす。

この2本立てがいいのかもね!



「おいおい!自然の驚異には、しょせん人なんて叶うわけがないでしょうが! 人は龍神には勝てるわけがない。
いくら小賢しい知恵を絞って10メートルの防波堤を築いたって、20メートルの波が来ちゃったら終わりでしょうーが。」


ごもっとも!たしかに その通りですね!

でも、

だからといって、何もしないで祈っていればいいということじゃないと思う。


ん? じゃあ、そもそも「祈り」って何のため?

51r-zj9bFHL.jpg
人は何のために「祈る」のか 単行本 – Amazon

この本の帯には、このように書かれてましたが(別に本の宣伝じゃありませんよ~)
   ↓

祈りはとてつもない力を秘めている
それは我々の潜在的可能性を目覚めさせる行為なのだ
祈りと遺伝子という壮大なテーマに世界的科学者と第一線の宗教学者が挑んだ




内容をポイントだけ要約すると、

★人間にとって祈りとは、潜在的可能性を目覚めさせる行為。

★人間が生きていくのに必要な生命の根源すなわち生命エネルギーの源とつながるために人は祈る。

★祈りはブレない生き方を実現させる。

★そのような祈りをするためには直感知が関係する。




どうせ人なんて龍神様の前では無力、災難が降りかかりませんように~と、祈るだけ!

つーのと比べて、ものすごくポジティブじゃあ、ありませんか(笑)

「潜在的可能性を目覚めさせる行為」なんですから。


ということは・・

「祈ること」 と 「行動すること」は、一連の流れなんだと思います。

日照りで水が欲しいよ~、 または、洪水を起こさないでよ~と祈ること

と同時に、

貯水池を作ったり、川の流れを変えたり防波堤を築いたりと、行動を起こす。

行動を起こすこともまた、祈りの一環なのかもしれませんね。

やっぱ、2本立てだあ!



この2本立てで行く限り、絶対、20メートルの波は来ない気がする!!


人々の2本立て波動(念)が、20メートルの波であっても、ちっこい波に変えちゃうことができるんじゃないだろうか?

荒ぶる龍でさえ、

Big-dragon-little-knight.jpg


こーんな小さなかわいい龍に変えちゃう。
     ↓
cutedragon.jpg

龍と人はお友達になっちゃう~♪


人々の一途な念が集まれば、こーんなことだって可能なんじゃないだろうか?

一人よりも大勢の方がパワーアップするのは何事も同じ!


ただし、これには・・
「皆で真摯」にに祈ること、「皆で真摯」に知恵と技術を出し合うこと・・という条件付き。


「俺はね、正直言って・・他人はどーでもいいんよ。自分と自分の持ち物さえ守れれば。」

「堤防を築く?そんなん、専門家に任せとけばいいんじゃね? ただし、俺関係ないから、迷惑かからんようにやっとくれ。」

「俺、カネを出すのは嫌だよ! 儲け話には乗るけど!」



こうゆう思いが混じれば、「皆で真摯に」とは言えなくなってしまう。



だからといって、別にここで精神論とか道徳観の話をしてるわけではなくって、あくまでも人のエネルギー(波動)の話。

皆の団結力で、巨大な潜在的能力開花して「人間エネルギー」炸裂で、

10万ボルドの龍をなだめられたかもしれないのに~。



なーんとなく、最近は、こうゆう世の中になっちゃってる傾向、強いのかも。

ゲリラ豪雨に異常気象、自然災害だらけが現代ならば、

それは、人の持つバラバラで荒々しい波動が、自然にも影響してしまってるのかもしれない。

龍よりも、人の方が荒々しい波動を持ってるんとちゃう?


龍は、自然災害をもたらす反面、ミネラルたっぷりの湧き水、薬効効果のある温泉、肥沃な大地ももたらしてくれていた。

上手に付き合うことなのだ。

祈りと行動力を持って!

それが本来の人間力だと思うのだが。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


この間、日本人のIQが世界一って話をしたけど・・・日本人って、やっぱり賢い民族だったんだな~と思う。(←過去形かよ。)


龍脈を感知するスピリチュアルパワーも持ってたし、

優れた土木・治水工事の知識と技術もあったんだから。

(戦国時代に、計算通りに川の流れを変えられたなんてことは、すごい事だと思う。)



たぶん、論理的知性直感的知性に優れていたんだと思う。(←過去形にするなって!)

論理的知性しかなけりゃ、頭でひっかかる。
直感的知性を伴って、心の奥にストンと落ちる。 ⇒ ブレなくなる!

これもやっぱ、2本立てだね~(笑)



参考
高龗神(たかおかみのかみ)

水を司る神「おかみのかみ」と龍


淤加美神

ユル~く考える「許しと贖罪」

毎週、日曜礼拝に行ってるという人がいて・・かなり熱心なクリスチャンなのだろう。
ひと昔前ならば、アメリカ人は「日曜日といえば着飾って教会」というのが定番だったらしいが、最近はあまり聞かない。

えっと‥その人が行くのは、メソジスト派の教会って言ってたかな? 
(注:アメリカのほとんどがプロテスタント、ただしメキシカンはカトリックも多い)



ニューヨーク州にいた頃は、私は、黒人教会が好きでよく通っていたことがある。

fc2blog_20190330074730c55.jpg


なんてたって・・生ゴスペルがタダで聴けて、特にレディーたちのファッションは華やかだし、あとで出される軽食が超美味しかったから!(ガンボなんて、もう、最高だったもん)

detroit-gospel-choir.jpg

なぜか、黒い人たちのチャーチファッションって、とくに豪華だよねえ。
ふだんは、タレッタレのチープファッションなのにね(笑)

昼の正装として、ちゃーんと帽子をかぶる人が多いってのも特徴

charch hut

7b0a148629d06ce667ac5abb69d4e298.jpg

上の二つは雑誌のチャーチファッションからひろったものなので・・・


現実は、こっちに近いかも(教会に行くのはご年配の方々の方が多いので・・)
   ↓
old ladies charch

それでも・・気分はマイ・フェア・レディーなのかも。

fc2blog_20190330081631396.jpg

ファッション的にも変わらんじゃないか!


それとも、パリの凱旋門賞か(競馬の有名なレース)?
   ↓
120622010959-royal-ascot-races-30-horizontal-large-gallery.jpg

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あれれ、話が完全にずれてしまった・・・。

別に、チャーチファッションの話をするつもりではなかったのだ!

話を戻そう。。。



「教会で、どんなお説法を聞くの?」と聞いたら、

先週は、「許しと贖罪」がテーマだったんだとか。

ここの牧師さんのトークは、流れるように熱く静かな語り口で、美しいバリトンが人気なんだとか。



許しと贖罪ね~。

まさに、ジーザスの根本的テーマだね。


加害者を許せるか?



たぶん、多くの人の答えはNO



そうゆうとき、多くの人の心には憎しみが生まれるわけで、それを形にして処理しなけりゃならなくなるのが常。

それが、報復感情というもの。


報復感情を持つのは当たり前! 当然の権利!って思ってる人は多いだろう。

だからこそ、復讐があったり、法律で死刑もあるわけだし。
法律ならば、復讐も堂々と正当化できるわけだしね。


人というのはそうゆう生き物なんだから、当然のことだよ!とさらっと言われたことがある。

それも、敬虔なクリスチャンの人に言われたのだ。
矛盾してないか?



さすがにこのときは、ちょっとびっくりした。

だってだって・・・じゃあ、ジーザスはなんで十字架刑になったんだあ?


総督のピラト、ジーザスを憎むユダヤ人たちの陰謀といった外郭からの理由は、この際置いとくとして、

ジーザス自らが十字架刑を選んだから。

この世のすべての人々の代わりに、彼らのすべての罪を自分の体で引き受けるために。




「だれも、わたしからいのちを取った者はいません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。」(ヨハネ伝10:18)

だから一切、自分を弁護せずに沈黙を守ったまま、最も残酷な十字架刑になったのだった。


ところで、十字架刑ってすっごく残酷な刑って知ってた?
    ↓

十字架に架けられる犯罪人は、裸にされ、両手両足首に約15センチの長さの大釘を打ち込まれ、十字架に固定される。
この時、手足首の神経は切断され、すさまじい激痛が襲う。
さらに十字架に吊り上げられると、両肩は脱臼し、釘を打ち込まれた傷口に全体重がかかり、さらなる激痛が襲う。
犯罪人が呼吸をするためには、何度も足を突っ張って体を持ち上げなければならない。
このような苦しみが数日続くこともあり、最終的には激しい痛みと疲労のために呼吸困難となり、心拍異常を起こして心停止で死に至る。



おえ~!

こんなんと比べたら、ギロチンとか切腹(介錯付き)の方が、はるかに温情的だねえ。。。


そりゃあ、メル・ギブソンのThe Passion of the Christって映画みたとき、想像ついてたけどね・・・。

撮影風景・・・血だらけだもんね~。 撮影でよかったよ!
svGIBSON_wideweb__470x353,0


まさに、パッションだよなあ。

パッション(passion)とは、2つの意味があって、あつーい「情熱」。  
もう一つは「キリストの受難」




そう!

彼は、自分がすべての人の罪を引き受けて、すべての罪ある人を許したわけ。

許し = 愛


だから決して、自分を卑しめた人にも、策略に落とした人にも、鞭うった人、釘打った人さえも、怨むこともなく、
むしろ、彼らのために祈ったのだ。

そうゆう人だったのだ。


彼のことを「人」なんていうと、そこんとこ、突っ込まれそうだけど・・

私は人だと思っている。 そうゆう人だったと!


少なくとも生きてるときは、私たち同様、肉体を持つ人だったことは確かなはず。


だからこそ、感動的なわけだし、

こんな生き様をした人は、他の宗教人をみても、まず・・いないと思う。

まさに、パッションなのだ!


許しとは、加害者を許すことで、加害者のためのもの、って思ってる人が多いようだけど・・

それは違う! ほんとうは、自分のためのもの。

・・・というのを、私も、どこかの教会のお説法で聴いたことがある。


加害者がいて被害者がいて・・

被害者は憎しみから報復感情を持つ。

報復感情を爆発させるのは簡単だけど、その状態を持ち続ければ消耗しかなくなってしまう。

そこから生まれるものは何もない。


同時に、被害感情もエンドレスで持ち続けることになってしまう。

それはそれで辛いことだろう。

いつまでも同じ穴にはまってるようなもので・・それこそ、生きたまま地縛霊になっちゃうようなものだ・・と私は思う。



そういえば、日本には「罪を憎んで人を憎まず」なんて言葉もあったね。

51762063_2011098815857930_8162042157435042075_n.jpg
https://deskgram.net/explore/tags/%E9%81%A0%E5%B1%B1%E9%87%91%E5%9B%9B%E9%83%8E

なんだか古い時代劇の、名奉行あたりが言いそうな言葉だけどね。


この語源がどこから出たのかは知らない。

孔子だとか、古代中国の賢人の言葉だって説もあるらしいけど、

でも、これを実践的に説いてくれたのは、やっぱり、この人だったと思うのだ。

Christ_Crowned_with_Thorns.jpg
https://en.wikipedia.org/wiki/Passion_of_Jesus


ついでにもう1つ、聖書からの引用で有名な言葉があったけど、

これはご存じだろうか?


ヨハネ伝の中に出てきた言葉だったと思うが・・

罪の無い者が最初の石を投げよ

jesus-woman-adultery-color-452x319.jpg


人々が姦淫の罪で捉えられた女が引き出してきて、律法通り、石打ちの刑(死ぬまで石を投げつけて殺す刑)にするという。
どうよ?法にのっとってんだから、文句はないだろーが!と。

そこで、ジーザスの言った言葉がこれだったわけですね~。


参考までに、詳しい話はこちらに載ってます。
    ↓
(49) 罪の無い者が最初の石を投げよ


なんだか、今も昔も、あんまし変わってないんかも~。

自分の罪を棚にあげて、集団でよってたかって・・人を断罪しようとするってとこ!
まーーたく罪を犯さない人間なんていないのにね~(もちろん、警察のお世話になったかどうかってことじゃないよ~。)

・・・・・・・・・・・・・・・

私はどちらかというと、もともと、ユルーく生きてるような人間で、頑張るよりも、疲れる前に休息をとっちゃうようなタイプだ。
(私の辞書に、頑張るという言葉はないらしい)


そんなもんだから・・

相手になんらかの被害を受けたとしても、報復こそが最終的なカタルシスだ~!とは、ちっとも思えないのだ。


悪意による被害を受けたときは、むろん立ち向かわなきゃならないし、決して我慢も泣き寝入りもするつもりはないんだけど、

その実害が修復できた時点になると、相手を許すとまではいかないまでも、な~んとなく相手にもユルーくなっていって、いつのまにか風化しちゃうというのが私の常だ。

tooime.jpg
http://mh2sketchbook.blog90.fc2.com/page-24.html

ああ、そういえば、そんなこともあったよね~と、いつのまにか、1つの思い出みたいに・・遠い目で思い出す程度になってる(笑)



こうゆうのって、ただの忘れっぽいつーか、ユル~い人間に過ぎないのかもしれないけど、

それでも、「許せない」というニュースばかりの世の中で、少しは、こんなユルーい人がいてもいいのかもしれない。
と、自分で自分を慰めている(笑)



人を許すなんてことよりも・・・自分のしている事や考えてることなどを、

ふと、別の視点で眺めたとき、

私の方こそ、「お許しください」という気持ちになることの方が多い。


生きてきた年数分だけ、「お許しください」が増えてくものなのかなあ。

いやあ、まいったなあ。

人生は贖罪の連続なのかもしれない。。。



贖罪(しょくざい)、これは難しい言葉だねえ。

私がこの言葉を知ったのは、英語の方が先だった。
それも映画から(笑)

shawshank redemption

日本語タイトルだと、ショーシャンクの空に
そういえばこれも、スティーブン・キングが原作だったんだよね~。

ずいぶん昔だけど、かなりヒットしたし映画だったから、覚えてる人も多いと思う。


この原題が、Shawshank Redemptionだったのだ。

この映画のおかげで、Redemptionを調べて、それが贖罪って意味だったと知ったわけ。


Redemptionとは、

キリスト教からくる、罪の贖いという意味なんだけど、実はもう1つ意味があって・・

会計用語(金融用語?)で使われる、償還(しょうかん)・・債務を返済すること。




そういえば、この映画の主人公(無実の罪で終身刑になっちゃた人)は、すごく有能な銀行員だったね。

ああ、だから、両方の意味を掛けて使ってたのか~と(笑)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ジーザスって、私の中ではいつも、映画や小説からだったり、宗教だとか神として捉えるよりも、人として捉えてしまったり・・と、

まさに異端なのだろうけど、それでも、魂に触れるものは、ちゃーんとある。

それは、もちろん、宗教として確立されて政治利用された部分は抜きにしての話だけど。



たまには、教会に行くのもいいかもしれない。


これでもか!って正装姿を見て、ミュージックを堪能して、最後の軽食を堪能して・・
で、流れるように、熱く静かに語るお説教を聞くのもいいかもしれない。


日本の教会は幼稚園のときに通ってたけど・・

プロフェショナルな歌を聞いた覚えがない。
お説法はどこも似たようなものだった気がする。


アメリカでは、プリーチャーには、スピーチの大会まであるらしい。
*プリーチャーというのは、プロテスタントの牧師さん(お説教をする人)のこと。


今さらながら、実にアメリカ的だよなあって思う。

ハート・スートラと般若心経と空(くう)

サンフランシスコ郊外に、タサハラ(Tassajara)って場所があるのだけど・・そこは超ド田舎。
ところが、そこには有名な禅寺があります。

Zendo-hallway-600.jpg


どうゆうところかというと、詳しくはこちらの写真を参照ください。
    ↓
タサハラ・静寂・禅・温泉



私は、ここの禅寺の存在は、ずいぶん前に、ハンク・ウエルスマンの「スピリチュアル・ウォーカー」という本を読んだときに知ったのが最初でした。

へえ~、ハンクさんも禅寺に通ってたんだ~と。
*ハンク・ウエルスマンは人類学の教授

また、以前にも
スティーブ・ジョブスを思い出すというブログをアップしましたが・・スティーブ・ジョブスもまた、禅寺に通ってたというのは、有名な話です。


なぜか、アメリカ人には、根強いZENファンがいるらしい。
とはいっても・・そのほとんどが「知識階級」つーか、「意識レベルが高い人」つーか・・・そうゆう人たちに限られてはいるようですが・・。
クォンタム・リープ(Quantum Leap)を目指し、仏教(禅)について考えたり、思索を深めたりするような人たちのこと。



最近、ある知人から、そこの禅寺に宿泊してきたよ~と聞いたばかり。(夏場は宿泊できるホテルにもなってる)


その人は、とくに禅やスピリチュアルに興味があったわけではなく、

「ただ、文明からシャットアウトされた自然の中で、お坊さんたちが作るオーガニック料理を食べて、のーんびりしたかったから」

というのが理由だったそうです。(←うん、うん、私も同感)

roadsideDiariesGrahmRoss.jpg


しかし、そこで、「初心者のためのZEN」というセッションに参加して、ハート・マントラの小冊子をゲットしてきたそうです。


さっそく、それを見せて頂いたんですが、

ハート・マントラ(Heart Mantra)

なんだ! これって、般若心経の英語訳じゃないか!

と、気がついたわけです。

そういえば、般若心経は、密教や禅宗で用いられてる有名なお経ですよね~。

また、つい最近のブログ記事、
沙門空海唐の国にて鬼と宴す_読書感想文の最後の部分に、般若心経のことをアップしたばかり。

あらら~、なんかシンクロを感じるなあ、と思い、さっそく英語版の、ハート・マントラを読んでみました。

あらら、すっごく簡単でわかりやすい~♪



それに比べて・・なんで、日本語版って漢字ばっかで難しいんだろ?っと、あらためて思ったわけです。

@だって、これだもん@
  ↓

仏説・摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩・行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識・亦復如是。舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明・亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智、亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離・一切・顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。
即説呪曰、羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。般若心経




こんなん、いったいどれだけ勉強して、どれだけ知識を詰め込めば理解できんだよ!と、うんざりしてしまって、すっかり「般若心経」のことは、投げちゃってました。

そもそも、
ウチの檀家は、密でも禅でもなく、浄土宗だったか浄土真宗だったかで(←それすらもわからん、いい加減なのだ。)
般若心経を唱える人も身近にはいませんでしたから。(←言い訳はもう、いい!)



仏教といえば難しい漢字

その漢字だらけのお経を、お坊さんが読経してくれて・・一般人には、意味さっぱりわかんないけど、「ありがたいもの」

publicdomainq-0014624ypy.jpg

として、神妙に我慢して聞かなきゃならないもの・・そうゆうもの、って思い込んでたような気がします。


日本人は「仏教=お経=漢字」、という固定観念というか、「思い込み」を持ってるんじゃないかな?

つくづく、そんなことを感じました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『般若心経』は、ご存じのとおり、600年代に三蔵法師玄奘(さんぞうほうし・げんしょう)さんが、インドにまで行って、持ってかえってきた経典のひとつ。

saiyuki_characters.png

こうゆうものだったそうです。(模様にしか見えんのだが・・)
    ↓
bojihanya.png
(世界最古のサンスクリット語写本は法隆寺にあるそうです wikiより)


古代インド語(サンスクリット文字)で書かれたものを、玄奘さんが唐語に訳して、それが日本に入ってきて、
それが、ずーーと日本で用いられてきたってことのようです。

*また別ルートで、サンスクリット語(古代インド語=梵語)がパーリ語(古代インドの口語)に訳されて伝わったものもあるとか。
ややこしいなあ・・。 ややこしいから、こっちの話は無視。




そりゃ、難しいわけだ~!



ようするに~翻訳はすべて唐時代の漢字にしちゃうわけだし・・

たとえば、正式名称の『般若波羅蜜多心経』というのは、
サンスクリット語で『プラジュニャー・パーラミター・フリダヤ』(Prajñā-pāramitā-hṛdaya)

って発音がもと。

サンスクリット語の prajnã(プラジュニャー) の俗語形(パーリー語)が(pannã:パンニャ)で、

その音をそのまま漢字に写したのが、「般若」(ハンニャ)になってるそうです。



漢字でみるものじゃなくって・・本来は「音」から感じ取るものかもしれませんね。


私なぞは、ずーーとこっちのハンニャかと思ってたもんです。

omen_hannya.png




さて、ハンニャの意味ですが、

これは、「人間が真実に目覚めたときにあらわれる根源的な叡智のこと」
だそうです。

<<叡智>>


こうなると、宗教というよりフィロソフィーだよね~。
ああ、よかった~!


実は・・私はもともと、宗教には拒否反応を持ってましたもんで(笑)

なぜかって?

つまりですね~、こういったドグマが苦手だから!

XXしちゃいけない!
XXしなさい!

みたいな~。

禁止事項のオンパレード。

そこで、なんでやねん?と聞いたところで、
「それが、神様仏様の教えだからです!」

としか言われなかったし・・

それじゃ、返事になっとらんじゃないかい!
そんなん、学校の校則だけでも、うんざりなのに~

ああ!余計なお世話だ!


で、拒絶反応を持ってしまったってわけです。




この英語版の、ハート・スートラ(Heart Sutra)は、ちゃんとオンライン上にも載ってるんですね。
    ↓
The Heart Sutra and Key Concepts of Buddhism


この下に、元々の漢文と、現代語訳をつけたものがこちらになります。
    ↓

Avalokiteshvara Bodhisattva, when practicing deeply the prajna paramita,
perceived that all five skandhas in their own being are empty, and was saved from all suffering.

  ↓
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄

求道者にして聖なる観音様は、深遠な智慧の完成を実践していたとき
存在するものには5つの構成要素があることに気づかれた。
しかも、その本性からいうと、5つの構成要素とは、実体のないものであると気づかれた。


"O Shariputra, form does not differ from emptiness, emptiness does not differ from form;
that which is form is emptiness, that which is emptiness form.
The same is true of feelings, perceptions, formations, consciousness.

舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是


おお!シャーリプトラよ、 この世において、物質的現象は実体がないということであり、実体がないからこそ、物質的現象でもある。
実体がないということは、感覚も、知覚も、表象も、意識も、すべて実体がないのである。



O Shariputra, all dharmas are marked with emptiness: they do not appear nor disappear, are not tainted nor pure, do not increase nor decrease.

舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減


シャーリプトラよ、この世においては、すべての存在するものには実体がないという特性がある。
生じたということもなく滅したということもなく、汚れたものでもなく、ピュアなものでもなく、減るということもなく増すということもない。



Therefore in emptiness, no form, no feelings, no perceptions, no formations, no consciousness; no eyes, no ears, no nose, no tongue, no body, no mind, no color, no realm of eyes, until no realm of mind-consciousness; no ignorance, and also no extinction of it, until no old-age and death, and also no extinction of it; no suffering, no origination, no stopping, no path, no cognition, also no attainment.

是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意無色声香味触法無限界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得


それゆえに、実体がないということは、物質的現象もなく、感覚もなく、知覚も表象もなく、意志もない。
眼もなく、耳もなく、鼻もなく、舌もなく、身体もなく、心もなく、かたちもなく、声もなく、香りもなく、味もなく、触れられる対象もなく、心の対象もない。眼の領域から、意識の領域にいたるまでことごとくない。
(さとりもなければ、)迷いもなく、(さとりがなくなることもなければ、)迷いがなかうなることもない。 そして、老いも死もなく、老いも死もなくなることはないということに至る。
苦しみも、苦しみの原因も、苦しみを制することも、苦しみを制する道もない。知ることもなく、得ることもない。


With nothing to attain, a Bodhisattva depends on prajna paramita and the mind is no hindrance. Without any hindrance,
no fears exist. Far apart from every perverted view one dwells in nirvana. In the three worlds all Buddhas depend on prajna paramita and attain unsurpassed complete perfect enlightenment.

以無所得故菩提薩依般若波羅蜜多故心無礙無礙故無有恐怖遠離一切顛倒夢想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提


それゆえに、得るということがないから、諸々の求道者の智慧の完成に安んじて、人は、心を覆われることなく住している。
心を覆うものがないから、恐れがなく、顛倒した心を遠く離れて、永遠の平安に入っていけるのである。過去・現在・未来の三世にいます目覚めたひとびとは、すべて、智慧の完成に安んじて、この上ない正しい目覚めを覚り得られた。

Therefore, know the prajna paramita is the great transcendent mantra, is the great bright mantra, is the utmost mantra, is the supreme mantra, which is able to relieve all suffering and is true not false.

故知般若波羅蜜多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪能除一切苦真実不虚


それゆえに、人は知るべきである。 智慧の完成の大いなる真言、大いなるさとりの真言、無上の真言、無比の真言は、すべての苦しみを鎮めるものであり、偽りがないから真実であると。



So, proclaim the prajna paramita mantra, proclaim the mantra that says,
Gate, gate, paragate, parasamgate! Bodhi! Svaha!"

故説般若波羅蜜多呪即説呪曰呪即説呪曰
羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶


その真言は、智慧の完成において次のように説かれた。
ガテー ガテー パーラガーテー パーラサンガテー 
ボーディ スヴァーハー (意訳: 往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸あれ)
佐々木閑の現代語訳より




ここのサイトには、ちゃんと初心者でもわかるような説明が載ってました。


ポイントは・・

These are the five skandhas (aggregates):
宇宙すべては「五蘊(ごうん)」から出来ている。

しっかし・・五蘊って漢字、難しいよなあ。
こんなん、早い話、ファイブ・エレメンツってことやん。



この英文サイトから、ひっぱって、五蘊(ごうん)の説明をすると・・

★みることの出来る現象・物質的な存在


●Form⇒「色」(しき) 
たとえば、火のついたレンジがあるとする。

KAZDSCF2671_TP_V.jpg



★他の4つは、みることのできない人間側の世界=すべて心や精神

●Feeling(感覚)⇒「受蘊」
ガスコンロを熱いと感じるのも、目で火をみるのも・・すべて感覚

●Perception(知覚)想い浮かべる作用(概念)⇒「想蘊」
コンロの火を触ったら、熱いぞ~と。

●Impuls(衝動)、自己の心の働く方向、意志ともいえるかな⇒「行蘊」
コンロの火に触れた途端に、手をひっこめる

●Consciousness(意識)自己の心でとらえている状態(意識⇒「識蘊」
コンロの火に触れて、やばっ!あちちっ!ってなる。


で、こうゆうのって、ぜーーんぶ、「空」(Emptiness)なんだよ!ってのが、最重要ポイント。

「空」なんですね~。

そもそも、「空」という語自体は仏教が編み出したものではなくって、インドではごくありふれた語のひとつだったようです。
この「空」の概念から、数学史上最大の発見といわれる数字の「ゼロ」を導き出したのもインド人の功績。

インド人、恐るべし!
indianmeditation.jpg

インド仏教徒は、瞑想の極致のヴィジョンとして、「空」を発見したといわれています。



ところが、般若心経の中で
「空」って言われてしまうと、それって「無」ってこと?
と、そっちに行ってしまって・・

なんだか、すべてが虚しい気分になってしまいがち。(←以前の私、まさにこれでした。 仏教の教えみたく、すべてが無なんていってしまったら、努力したって虚しいじゃんか!と思ったもんです。)

それにしても、後半は「無」って言葉のオンパレードですもんね~。


ところが、ちゃーんと、ここには「空」の説明も載ってました。

Emptiness is not nothingness.
It is the other side of interdependence (pratityasamutpada).



「空」は「無」ってことではないよ~。

それは、ある意味、interdependence(お互いが関係しあって持ちつ持たれつの関係)ってことでもあるんだよ。
って言ってます。

カッコの中に入ってる言葉は、なんだか難しくって聞いたことが無い単語・・・pratityasamutpada
これは、因縁生起(いんねんしょうき)といったような意味で、 因とは果を生起させる直接の原因、縁のことなんだとか。


すごくわかりやすい!!

とにかく、こーんな難しい漢字をみてるよりは、断然わかりやすいもんね~。
  ↓
観自在菩薩・行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄



もちろん、こういった難しい漢字に対する日本語の解説書もいっぱいあるんだけど・・いずれも解説書を読めば読むほどわからなくなってしまう。(←それは、私の理解力&知識の問題なんだろうけど)


とくに専門的なことに関しては、英語の方が、日本語よりもわかりやすい表現が使われてることが多い気がしますね。
余談だけど・・昔の日本の「編み物の本」なんて・・専門用語だらけでさっぱりわからんかったもんね~!


おかげさまで、先日にアップした、沙門空海唐の国にて鬼と宴すの、夢枕獏さんの「般若心経」解説と、今回のハート・スートラ(Heart Sutra)のおかげで、今、ようやく自分なりに見えてきた!って気がしてます。


そもそも般若心経は、観自在菩薩さんが、シャカの一番弟子だったシャーリプトラさんに話し聞かせてる形をとってたんですよね~。

おお! シャーリプトラよ!なんて、呼びかけがあるし、実にわかりやすいし、親しみも感じる。
漢文だと、ただ「舎利子」としか書かれてないんだもんなあ。 (←わかるわけないやん!ブツブツ)

シャーリプトラさん
   ↓
monksya.jpg
http://jayarava.blogspot.com/2011/09/sariputta.html


もちろん、前述したように解説書はいっぱいあります。

また最近では、現代語訳の解説書も多くあるようだし・・中にはロック調なんてのもあったり、Youtubeで聴けるのもあったりと、実にバラエティーに富んでますね~(笑)

ただ、それぞれの人によって、若干の解釈の違いは個々にあるようです。

とくに、「空」を、どのようにとらえるか?は、さまざまでしょうね。


私としては、やっぱ・・これですかね。

o0614052413471839354.jpg
   ↓


そのときの『現実』は君の脳が解釈した、単なる電気信号に過ぎないんだ。
マトリックスという映画から「厄介な脳」を知った日



なので、

宇宙 全て の 物質的 な 存在 「色」を除けば、全部自分の脳が作り上げた実体が無いもの。
「空」ってわけです。

だからなにもかもが本来は「無」=NOともいえるもの。
*ただし、この場合のNOは否定の意味じゃないです。

No「無」で始まるオンパレードがここまでくると、もう、壮観としか言いようがないですね~!
   ↓

no form, no feelings, no perceptions, no formations, no consciousness; no eyes, no ears, no nose, no tongue,
no body, no mind, no color, no realm of eyes, until no realm of mind-consciousness; no ignorance,
and also no extinction of it, until no old-age and death, and also no extinction of it; no suffering, no origination,
no stopping, no path, no cognition, also no attainment.

是故空中受想行識眼耳鼻舌身意色声香味触法限界乃至意識界明亦明尽乃至老死亦老死尽苦集滅道智亦




釈迦のもっとも基本的な教えの「八正道」の教えさえだって、「無」だし、
  ↓

1.正見(しょうけん):正しく見る、 2.正思惟(しょうしゆい):正しい思い、 3.正語(しょうご):正しい言葉
4.正業(しょうごう):正しい行い 5.正命(しょうみょう):正しい仕事、 6.正精進(しょうしょうじん):正しく精進
7.正念(しょうねん):正しい気づき、 8.正定(しょうじょう):正しく意識


六波羅蜜だって「無」だあ!
   ↓

1布施(ふせ)親切心、2持戒(じかい)言行一致、3忍辱(にんにく)……忍耐
4精進(しょうじん)……努力、5禅定(ぜんじょう)……反省、6智慧(ちえ)……修養


これでもかあ!!
いえぃ! じゃじゃ~ん!
7231bd4102b693b57b706f4b8ff6faa4.png


ところが、ここらへんの部分に反感を感じる方々もいらっしゃるようで・・・

「八正道」や「六波羅蜜」までもが、「無」ってのは、ありえないだろ!
お釈迦様が、煩悩を無くし人々を救済するための教えまでもが「無」というのは暴言だ!
と思われてしまうようです。



しかし・・ここで言う「無」というのは、否定してることじゃないし、「八正道」や「六波羅蜜」を実践したって意味ないぞ~ってことじゃないと思います。


宇宙の法則(真理)を述べてるだけで、それに「気づいてくださいよ」というのが、般若心経のメッセージじゃないかと思うんですけどね~。(私の理解ですが・・。)


じゃあ、般若心経というのは、どうするべき?って説いてるんですか?
って聞かれたことがあるんですが・・

そんな答えは、どこにもないと思います!
どこにも答えは書いてないと思います。


すべては人の想念が作り出したもので「空」であり、物質世界もまた「空」
その相互関係の中で、常に変化し続ける世界の中で生きてるってことに、まずは「気づいてください」


それだけのメッセージじゃないでしょうか。

そして、それだけが「ものすごく大切」なことじゃないでしょうか?

「気づく」ということが。



気づいた上で、あとは各自が自分で道を選択してくださいね~、ってことだと思います。

だから、何も書かれていない。


気づいた人が、自ら選択して「八正道」や「六波羅蜜」を実践していく道を選んだのなら、それは立派な道ではないでしょうか?

ただし、

「気づき」無くして、お釈迦様が説いたからというだけで「八正道」や「六波羅蜜」をがむしゃらに実践したところで、煩悩がなくなるどころか、なんだか・・ますます深~くなっちゃいそうな気がします(笑)


さて、あなたは、どんな道を進みますか~?


うーーん・・・私は?

「八正道」や「六波羅蜜」の実践?・・・いや、違うな。

脳の電気信号に惑わされず、ネガティブなものだけは追っ払って、常に楽しいことワクワクすることにフォーカスして生きたいなあ。
もちろん「楽しいこと」も「ワクワクすること」も、「空」であるのは承知の上。

でも、だからこそ、逆に生きてる喜びみたいなものがあるような気がするんですよね~。

やっぱり、こんなカンジかな。
column03_awa-odori01.jpg


そういえば、空海さんは、
『般若心経』は小乗、大乗の諸宗と真言を含めたあらゆる仏教の思想と行果が凝縮された、重要な経典と捉えていたようです。

彼自らも、般若心経秘鍵という注釈書を書いてます。



後半部分、あの「無」=NOという言葉が連続した最後に、ガテー ガテー パラーガテーという真言で高らかに歌い上げて締めくくっちゃうとこなんて、

まさに、夢枕獏さんの言葉を引用すれば・・
「そのよう な美、 あるいは知恵の完結を、 どう でも いいとでも言う よう に、『般若心経』 は、その最後で高らかに叫ぶのである。」

やっぱ、阿波踊りですかね~(笑)

サンスクリット語(梵語)で、

Gate Gate Paragate
ガテー ガテー パラーガテー
Parasamgate Bodhi Svaha
パラーサンガテー ボディー スヴァッハ


(この真言は、ある霊能者によると、かなり強力な魔除けにもなるとか)

ここは真言として唱える部分なので、あえて訳されなかったようだけど、こんな意味らしい。

行けるものよ、行けるものよ、
彼岸に行けるものよ、
彼岸に完全に行けるものに、幸いあれ!




♪~踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら、踊らにゃそんそん~♪

なんか似てません?(←違うって!)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私はハート・スートラ(Heart Sutra)を読んでるときに、ずっと、ジョン・レノンのイマジンのメロディーが浮かんでました。


この歌もまた、
天国なんてない。 地獄だってない。
国だってないんだ。・・・って、NOの連続ですもんね~。


そういえば、ジョン・レノンも、仏教(Zen)に傾倒していたことでも有名な人でしたね。
オノ・ヨーコさんの影響だったともいわれてますが・・。

ジョン・レノンが「気づき」の先に、行きつく道は、この、イマジンの世界だったのかもしれませんね。

魯山人のエピソードと密教

ふと、思い出した魯山人のエピソードがあります。
*北大路魯山人・・篆刻家・画家・陶芸家・書道家・漆芸家・料理家など、なんでもアリの人

ずーーと昔、私がまだ日本にいた頃、陶芸教室に通っていた事がありました。



これは、その頃、陶芸の先生から聞いた魯山人の話。

右:魯山人(71歳のとき)、左:パブロ・ピカソ
picaso_ros.jpg
魯山人の本より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ある日、友人の紹介で人が来た。 客は、わたしをつかまえてさっそく質問を発した。

「先生、料理の根本義についておきかせください」

 そこで、わたしは言下に答えた。

「食うために作ることだ」

 客は物足りぬ顔をしながらまたきいた。

「食うために作ることですか、先生。そんなら、なんのために食うのですか」

「そりゃ生きるためにだ」

「なんのために生きるのですか」

「死ぬためにだ」

「まるで先生、禅問答のようですね」

 わたしは笑いながらいった。
「君がむずかしいことを聞くからだ。料理の根本義について……なんぞいい出すからだよ。もっと、あたりまえの言葉できけばいいではないか。むずかしい言葉を使わぬと、本当のことや、立派なことがきけないと思うているとみえるね」

 客はあわてていった。
「いえ、決して……。では、あたりまえの言葉で伺ったら、先生は本当のことを教えてくださいますか」

「うむ、あたりまえの言葉で聞いたら、あたりまえのことをいってやるよ」

 客は、ここでもまたあわてていった。
「あたりまえのことなら、伺いたくないのです。先生、本当のことをききたいのです」

「あたりまえのことが、一番本当のことだよ。
君は、本当のものを見ないから見まちがうのだ。耳は、本当のことをききたがらない。
舌は本当の味を一つも知らないから、ごまかされるのだ。
手は、あたりまえのことをしないから、庖丁で怪我けがをするのだ」

「分ったようで、分りません」

「そうだ、なかなか、あたりまえのことは分りにくいものだ。いや、分ろうとしないのだよ。ハハハ……。
いろいろききたければ、わたしが、近々本を出すから、それを読んでくれるといい。それには、あたりまえのことしか書いてないが、多分、君の聞きたいことがみんな書いてあると思うよ」

「そうですか、ぜひ、読ませていただきます」

 客は帰りぎわに、なにか書いてくれといった。玄関へかけるのだという。
そこでわたしは、さっそく客のいう通りに、色紙をとりあげ、筆をもった。

「玄関へかけるのですから」

 客は、念を押して頼んだ。

 そこでわたしは「玄関」と書いて渡した。

「先生、玄関と書いてくださったのですか」

「そうだ」

 客は、まだなにかいいたそうであったが、なにもいわずに帰って行った。


 玄関であっても玄関でないような玄関もある。さっきの客も、入り口だか、便所だか、靴脱ぎだか、物置だか分らぬような玄関を作ったのかもしれない。

そうでなかったら、あんなこねまわした質問をするはずがない。

さっきの客も、また、その客を訪ねて行く客も、間違わぬようにと思って、わたしは親切に玄関と書いてあげた。

昭和28年、魯山人の言葉から。


尋常一様より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は、特に魯山人ファンというわけでもないんだけど・・このエピソードは、なぜか好きでしたね~。


言葉か~。

たしかに、始めに言葉ありき ・・・なんだけど、

いつしか言葉の洪水に飲み込まれて、言葉に惑わされてしまって、どんどん神髄から遠くへ行っちゃうことも多いような気がします。

とくに・・知識人と言われる人たち(笑)

この、魯山人さんのウチにやってきた、客人のように。

*知識人・・・学歴あり、知識豊富、多くの言葉を知ってる人たち、また、自分でもそう自覚してる人たち


とくに、インタビュアーというのは、相手にインタビューしてるつもりで、自分自身まで曝け出すことになっちゃうものですね~。
本人は、それすら気がつかないものですが・・。


・・・・・・・・・・・・・・

密教ってご存知でしょうか?

密教とひとことで言っても・・昨今では新興宗教も含めてさまざまな宗派もあるので、誤解があるといけないので・・

ここでは、西安の青龍寺恵果和尚(けいか / えか)の正当な伝承者の伝えたもの・・・ってことで限定しましょう。


ここ、青龍寺
   ↓
seiryu_keika.jpg


ちなみに、そのメンバーは、「伝持の八祖」と呼ばれるそうで・・

龍猛( りゅうみょう)
龍智(りゅうち)
金剛智(こんごうち)
不空(ふくう)
善無畏(ぜんむい)
一行(いちぎょう)
恵果(けいか)
空海(くうかい)



なんだそうです。

そう、日本ではあの空海が祖となっている、真言宗になるわけですね~。


その、密教の方から聞いた「お釈迦様エピソード」がこちらです。 
     ↓

ある時、お釈迦様が弟子の前で花を一輪手に取って、それを眺めていた。

ただ、それだけのこと。

ある弟子は、お釈迦様のそんな様子に気を留めることもしない。

また、ある弟子は、なぜお釈迦様が花に関心を示しているんだろう?と思う。

一人の弟子だけは、それを見て、はっ!とする。・・・そして悟りを得てしまった。



これこそ、以心伝心という、もともとは仏教用語だったそうです。

flower_lotus.jpg

「心をもって心に伝える」という。


この密教の奥義として、

ただ、心から心に伝えることが大切であり、
文章によって伝えることのみを貴いとはしない。




というのがあります。

要するに、真の仏教は、このように書物や文字では伝えられないものがあるんですよ~と。



それ以前の仏教、つまり・・空海が唐の青龍寺で密教を学んでくる以前は、顕教(けんぎょう)と呼ばれていました。

顕教(けんぎょう)というのは、別に宗派のことをいうわけじゃないです。
ただの、分類するだけの呼び方です。

顕教(けんぎょう)・・言葉や文献で説かれた教え

密教・・以心伝心で伝えるもの



という分類です。

以前の仏教は、書物を読んで研究したり、また、偉いお坊さんたちが、せっせと相手にお説法することで説いてきた教えだったのです。


もちろん、それも素晴らしいことだったんでしょうが・・・次第に、そこには落とし穴も生まれてくるわけで・・

たぶん、多くを学んだ人々の中には、「頭でっかち」になっちゃった人も増えてきたんでしょうね~。


そこで、それまでの時流を反省するかのように、


顕教は極論すれば書物でも学べる教えであるが、書物のみで学べるものの中には本当の真理はない、という立場をとったのが密教でした。


これ、現代風にもっと簡単に言っちゃえば・・

本で勉強したり講義を聞いたりしても、わからん人には、わからんよ~。
感性も使ってキャッチしろよ~。


ってことかもしれません(笑)


ところで・・感性って言葉も曖昧ですけどね~。
直感、直観、霊感、第六感、なんでもいいんですけど・・感官を媒介として受入れる精神の認識能力なんて説明がありました。


Heart Communication


なるほど・・・。

「一生懸命努力してきた、知識人と呼ばれる人こそ、どんどん神髄から遠くへ行っちゃう」のも、わかる気がします。

別にこういったことは、宗教やら精神世界のことだけじゃないと思います。

科学、数学、あらゆる分野でも、また、日常の中でも、言えることだろうな~と思います。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それでもやっぱり・・・とくに精神世界のことは言葉だけで伝えることは難しいでしょうね。


言葉だけが独り歩きして、誤解されたり、曲解されたり・・

あらゆる宗教でも、そういった側面はありますね。


密教は、神秘主義的、象徴主義的な教義が中心で信者だけで非公開な教団内で修行を行なうもの、それ以外、仏教を体得できない。 だから、出家しなさい・・・とか(笑)・・(実際に、これは・・オウム真理教で言われたことだったとか・・)



始めに言葉ありき・・・

Music-For-Father-Sun.jpg

それは・・言葉から音質を感じ取ることとと似てるかもしれません。

音質が無い言葉には、言霊も宿らないでしょうから。

中国政府から宗教を考えてみた

In Deepさんのブログ記事をみてたら、たまたま中国に関する記事が載っていた。

このサイトは、いつも海外のニュースを・・それもあんまりメジャーに報道されていないニュースなどをみつけて翻訳して紹介してくれているので、なかなか興味深いものがある。


未来世紀チャイナが作り出す中国式デストピア : 人々はシミュレーションゲームのような「変動するポイント制度」による信用システムの中で生きていく

いよいよ中国で実行される人工降雨のための「人類史上最大の気象コントロール・プロジェクト」は日本の、そして地球の気候にどんな影響を与え得るか



やれやれ、中国はこっちの方向に行ってしうまうのか~。

こういったことがあると、つい我々は「中国人ってのは・・」というような見方をしてしまいがちだけど・・

こういったカテゴリー化した見方はあまりいい気分がしない・・・・

そこで、中国政府の進む方向は?・・・と言っておくことにする。




そういえば、多くの中国人の精神性は、いったいどこにあるんだろうか?

そういえば、中国の宗教って?
 

国教が定められている国もあるわけだし、定められてないにしても、インドネシアやパキスタンだったらムスリムが多いわけで、それは、大なり小なり精神性の基盤が政治や経済にも大きな影響を及ぼすのは確かなことだろう。


と、思って調べてみたら、

アメリカのあるサイトでは、最も宗教を持たない国のトップが中国になっていた。(ちなみに日本は2番目だっけど・・)


日本のサイトでは、こんなことが書かれているものもあった。

中国人の信じる宗教は「金」「中国共産党」がほとんど。
だから、彼らは道徳心が無い人なのだ!

(←あー、こうなると、まさに誹謗中傷が前面に出てるカンジだなあ。)


確かに、中国は文化大革命の後、四書五経などの古い書物は焼き捨てられてしまったそうだから、その後の新人類は、そんなものは、ほとんど知らないという。(むしろ日本の方がメジャーらしい。)


だからといって、中国人は宗教の信心が無い=精神性が未熟=道徳心が無いというのは、多分に偏見を含んでる気がする。


精神性が未熟=道徳心が無い人なんて、日本人だって欧米人だって、どこにでもいるわけだし・・たまたま、そういった中国人を身近で目にしただけかもしれない。


そもそも、中国は60くらいの民族があるわけだし、おそらく彼らには彼らなりの民族宗教や土着信仰がある可能性は高い。

Lg005655.jpg


minzoku.png


大多数を占める漢民族にしたって、ひょっとしたら目に見えない宗教弾圧があって公言できないのかもしれないし・・。


そもそも、宗教って何?

なんらかの宗教団体のメンバー登録されてれば信者とされるのかもしれないけど・・
それは、高い精神性を持つこととは、また別物だろうし(笑)

とくに、宗教に関するデータほど、信ぴょう性は低そうだ。


そう言いながら、参考までに、世界の宗教の割合もアップしておこう。
     ↓
projectionsUpdate_global.png


これを見ると、いまだに世界を占める割合は、キリスト教が多いけどイスラム教の数もかなり迫ってきてることになる。

続いてヒンズー教、その次が仏教で、その数は世界レベルで見れば少ないことがわかる。


こんな記事もある。
    ↓
急増するイスラム教徒、40年後にキリスト教に並ぶ 米調査機関


キリスト教とひとことで言ったところで、プロテスタントもカトリックもあるわけだし、さらにもっと分類されてるし・・
また、地域によっても内容はかなり違いがある。

日本人が知っている仏教だって「日本仏教」に過ぎないのと同じことだ。


同様にイスラム教といったところで、大きく分ければスンニ派とシーア派だけど、さらに地域によっても違いは大きいという。


結局のところ・・宗教データなんて、あんまり当てにならないし~、

根本的に、宗教と精神性とはまた、別物なんだよな~。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

などと、思っていたところに、メールが届いた。

どうやって除霊する?・・・・このブログ記事を見た人からのメールらしい。

「霊能者さんたちは、それぞれの宗教を使って除霊しているとのことですが、日本の新興宗教の一つで、そこの教団では多く霊能者さんを抱えています。
そういった教団の霊能者さんは、強いパワーを持っているということでしょうか? それとも偽霊能者なんでしょうか?」


ざっと要約すると、こんな質問メールだった。。。


やれやれ~😥


ま、いちおう回答していこう。

まず、「霊能者さんたちはそれぞれの宗教を使って除霊している」・・・??

私、そんな事、書いたっけ?


ま、いいか~。


たとえ、自分では何らかの宗教を信じている霊能者さんであっても、常にニュートラルな立ち位置は必要不可欠、と私は思っている。


たとえば、皆さんご存知の安倍晴明を例にしてみよう。

彼は、なんらかの宗教信者だったか?

答えはNOだ。

彼は、政府機関の陰陽寮に所属していた公務員に過ぎない。

しかし、膨大な知識を持っていたことは確かだ。

ジャンルにこだわらず、山岳信仰の修験道やら、古代中国からも学び、さらに空海が持ち帰った経典も学んだそうだし、独自に天文分野にも興味を持って研究をしていたような人だ。

むしろ、学者に近かった人じゃないだろうか?
学者+魔術師を志していたのかも?



彼が、霊能力を発揮するときは、自分のパワーを高めるために、今まで学んだ中の、呪文だったりお経、祝詞などを、
ツールとして使ったに過ぎないと、思っている。




さて、その新興宗教がどういったものかも知らない私は、なんとも答えようがないんだけど・・・

詳しいメールによると、そこの宗教団体では霊能者さんを育成する部署?があるらしく、長年そこで修行を積んで学んだ人しか霊能者になれないそうなのだ。


それならば、少なくとも霊能力は持ってるだろうし・・まったくのインチキ霊能者ではないように思う。(←大変失礼な言い方で申し訳ない)

現在起こっている何かの問題を言い当ててくれたり、今後のビジョンを見る能力もあるのだろう。

そうでなければ・・教団のイメージダウンになっちゃうだろうから。

それとも、霊能力以上にカウンセラーとしての能力や、トーク技術が優れているのかもしれない。


しかし、そういったことよりも・・

その教団の目的がどこにあるのか?・・・おそらく、それに尽きるはず。



別にこれは新興宗教に限った話じゃないけど・・小さな宗教グループがだんだん大きな団体になっていくにつれて・・

「いかにして教団を維持していくか?」という問題に突き当たることになる。

組織だったものを作らなければならなくもなり、そうなれば、当然のようにヒエラルキーも生まれてくる。


維持していくためには、カネ集め&信者集めが一番の重要事項となるのは必定。


そのためには、まず・・ビジュアルも必要ってことになるらしい(笑)
     ↓
【画像】凄すぎる...ド派手・巨大な宗教施設


私は日本に住んでいた頃、東京杉並区に住んでいたんだけど、車で走ると・・遠目にもこんな建物がどーんと見えてきたことがあって、最初みたときは、びっくりだった。

77b1a114-s.jpg


この財力源がすごいことはわかるけど・・

で、巨大建築物を作っちゃうのか~!

この財力を他に使えなかったんだろうか?


ビジネスとしてみれば、宗教団体は他企業と比べて、税金も大幅免除だし、商品開発のコストも仕入れも研究費もないのだから、そりゃあ~利幅は大きいだろう。


しかも、多くの宗教団体では、「ご奉仕」として、多くの信者にボランティアで施設内のお掃除することを促すとか。

「ご奉仕」は、自分の修行でもあり徳を積む行為になるんだとか・・・。


たしかにそうかもしれない。。。


だけど・・もしも私だったら・・もともと立派な教団建物を掃除する「ご奉仕」より、

ホームレスの人たちに、暖かい食べ物を配って歩くとか、捨てられたペットたちを助けるとか・・

さらに、私が教団幹部だったら・・

ホームレス救済の施設&就職斡旋所を作るとか、ペットの殺傷処分反対運動を起こすとか・・・そっちの方をお勧めすると思う(笑)

「ご奉仕」するなら、明日の命に係わるような人(または動物)から救うべきだと思うのだが・・。

そんなことじゃ、教団幹部にはなれるはずもないだろうけど。



ついつい、豪華な宗教施設の建物やら、デーンと飾られた教祖様の銅像や写真などを目にするだけで・・私は、引いてしまうのだ。

だからといって、熱心な信者に異を唱えるつもりはない。

もちろん、ビジネス目的の宗教団体があったところで、別に私は反対する気もない。

信者が、そこに生きがいや幸せを見いだせるならば、それに越したことはないんだから。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

もっとも豪華な宗教施設といえば、ここだろう。

2F9BD27E00000578-3373654-image-a-15_1451062778973.jpg


そう、バチカンだ!

article-2608000-1D2E29FF00000578-537_968x563.jpg

これほど贅を尽くした建物はないだろうし、バチカン博物館の倉庫には、まだまだ多くの宝物がいまだに保管されているという。

PopeBenedictUrbietOrbi.jpg


立派な旧教施設を建設する新興宗教団体は、目指せ!バチカン! なんだろうか。(笑)


過去、どんな宗教も政治に利用されてきたことは、すでに歴史上の事実でもあるし・・

小さな宗教団体でも人数が増えれば増えるほど、維持するための資金源確保が必要となり、力を持てば持つほど、カルトに走る可能性も出てくる。

それは、多くの歴史をみても明白。


何世紀も経てきたバチカンは、たしかに美の結晶でもあると同時に、過去の黒い歴史の結晶ということも忘れてはいけない気がする。


カトリックというならば、私にとっての正統派はこっちなのだ(笑)
      ↓
st-francis-and-the-animals.jpg

アッシジのフランチェスコ (St. Francis of Assisi)


これは、フランチェスコの半生を描いた映画で、かなり有名になった。
   ↓




もちろん、何かの宗教団体に所属することもいいだろう。
尊敬する師をみつけて、教えを仰ぐこともいいだろう。

それが、新たな学びになるならば。

しかし、信奉することは、時に自己放棄と依存にも繋がってしまうことも多い。

そうなると、カルト集団になってしまってることさえ、気がつかないことだって起こりえる。
かつてのオウムがそうだったように・・・。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

宗教に関していえば・・・私は、何の宗教だって構わないと思っている。


結果的に、赦しと寛容、自然すべてと共生、リスペクトに向かうのなら、新興宗教だろうが、既存宗教だろうが、民族宗教でもなんでもいい。

常に、ニュートラルな精神性を持ち、歴史の過ちに学び、反省と修正を重ねる宗教であるならば。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、これを持って、このメールを送ってくれた人への私の回答としたい。


もっと簡単に言えば・・

そこの霊能者さんが強いパワーを持っているのか偽霊能者なのか?・・・・それは、自分の観察眼と直感を使って、自分で判断すべきことであって、私に聞くべきことではない・・ということだ(笑)



ずいぶん、冷たい回答だろうか?

それならば、もう、ひとこと。(笑)


私に聞く前に、質問者は自分で判断するパワーを持っているし・・すでに、自ら答えを出ている。




だったら・・なんで、私に聞く?

自分の直感に従うことに躊躇する必要はないのに~!

と、私は言いたい(笑)

Profile
スピリチュアル世界中心のブログ★

gingetsu2010

Author:gingetsu2010
アリゾナ州セドナにて、アクセサリー工房Alizona*銀の月*をオープンしてる銀月です!

日々の生活や体験の中から、社会のこと、スピリチュアルなことなど・・思いつくままに書きつらねてます。

皆様にも「スピリチャアルの意味」「生きる意味」を感じて頂けたら、幸いです!☆

Calender
08 | 2019/09 | 10
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -
Link
☆HPはここをクリック↓☆
検索フォーム
カテゴリ
Diary
Alizona*銀の月*ショッピングサイトのお知らせ
Alizona*銀の月*では、ショッピングサイトをオープンしました。
ネイティブインディアンのホピ族を中心としたオーバーレイの銀製品を中心に、銀月の好みで集めてしまった逸品揃いですよ~(^^)v
☆ホピ族は、まさに、スピリチュアルな生き方を貫いてきた人々。
銀月のWEB、「ホピ族の話」をまずは、じっくり、ご覧ください。


Alizona*銀の月*の↓のURLから、お入りください。
http://sedona10silvermoon.web.fc2.com/index.html"