魯山人のエピソードと密教

ふと、思い出した魯山人のエピソードがあります。
*北大路魯山人・・篆刻家・画家・陶芸家・書道家・漆芸家・料理家など、なんでもアリの人

ずーーと昔、私がまだ日本にいた頃、陶芸教室に通っていた事がありました。



これは、その頃、陶芸の先生から聞いた魯山人の話。

右:魯山人(71歳のとき)、左:パブロ・ピカソ
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魯山人の本より

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ある日、友人の紹介で人が来た。 客は、わたしをつかまえてさっそく質問を発した。

「先生、料理の根本義についておきかせください」

 そこで、わたしは言下に答えた。

「食うために作ることだ」

 客は物足りぬ顔をしながらまたきいた。

「食うために作ることですか、先生。そんなら、なんのために食うのですか」

「そりゃ生きるためにだ」

「なんのために生きるのですか」

「死ぬためにだ」

「まるで先生、禅問答のようですね」

 わたしは笑いながらいった。
「君がむずかしいことを聞くからだ。料理の根本義について……なんぞいい出すからだよ。もっと、あたりまえの言葉できけばいいではないか。むずかしい言葉を使わぬと、本当のことや、立派なことがきけないと思うているとみえるね」

 客はあわてていった。
「いえ、決して……。では、あたりまえの言葉で伺ったら、先生は本当のことを教えてくださいますか」

「うむ、あたりまえの言葉で聞いたら、あたりまえのことをいってやるよ」

 客は、ここでもまたあわてていった。
「あたりまえのことなら、伺いたくないのです。先生、本当のことをききたいのです」

「あたりまえのことが、一番本当のことだよ。
君は、本当のものを見ないから見まちがうのだ。耳は、本当のことをききたがらない。
舌は本当の味を一つも知らないから、ごまかされるのだ。
手は、あたりまえのことをしないから、庖丁で怪我けがをするのだ」

「分ったようで、分りません」

「そうだ、なかなか、あたりまえのことは分りにくいものだ。いや、分ろうとしないのだよ。ハハハ……。
いろいろききたければ、わたしが、近々本を出すから、それを読んでくれるといい。それには、あたりまえのことしか書いてないが、多分、君の聞きたいことがみんな書いてあると思うよ」

「そうですか、ぜひ、読ませていただきます」

 客は帰りぎわに、なにか書いてくれといった。玄関へかけるのだという。
そこでわたしは、さっそく客のいう通りに、色紙をとりあげ、筆をもった。

「玄関へかけるのですから」

 客は、念を押して頼んだ。

 そこでわたしは「玄関」と書いて渡した。

「先生、玄関と書いてくださったのですか」

「そうだ」

 客は、まだなにかいいたそうであったが、なにもいわずに帰って行った。


 玄関であっても玄関でないような玄関もある。さっきの客も、入り口だか、便所だか、靴脱ぎだか、物置だか分らぬような玄関を作ったのかもしれない。

そうでなかったら、あんなこねまわした質問をするはずがない。

さっきの客も、また、その客を訪ねて行く客も、間違わぬようにと思って、わたしは親切に玄関と書いてあげた。

昭和28年、魯山人の言葉から。


尋常一様より

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私は、特に魯山人ファンというわけでもないんだけど・・このエピソードは、なぜか好きでしたね~。


言葉か~。

たしかに、始めに言葉ありき ・・・なんだけど、

いつしか言葉の洪水に飲み込まれて、言葉に惑わされてしまって、どんどん神髄から遠くへ行っちゃうことも多いような気がします。

とくに・・知識人と言われる人たち(笑)

この、魯山人さんのウチにやってきた、客人のように。

*知識人・・・学歴あり、知識豊富、多くの言葉を知ってる人たち、また、自分でもそう自覚してる人たち


とくに、インタビュアーというのは、相手にインタビューしてるつもりで、自分自身まで曝け出すことになっちゃうものですね~。
本人は、それすら気がつかないものですが・・。


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密教ってご存知でしょうか?

密教とひとことで言っても・・昨今では新興宗教も含めてさまざまな宗派もあるので、誤解があるといけないので・・

ここでは、西安の青龍寺恵果和尚(けいか / えか)の正当な伝承者の伝えたもの・・・ってことで限定しましょう。


ここ、青龍寺
   ↓
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ちなみに、そのメンバーは、「伝持の八祖」と呼ばれるそうで・・

龍猛( りゅうみょう)
龍智(りゅうち)
金剛智(こんごうち)
不空(ふくう)
善無畏(ぜんむい)
一行(いちぎょう)
恵果(けいか)
空海(くうかい)



なんだそうです。

そう、日本ではあの空海が祖となっている、真言宗になるわけですね~。


その、密教の方から聞いた「お釈迦様エピソード」がこちらです。 
     ↓

ある時、お釈迦様が弟子の前で花を一輪手に取って、それを眺めていた。

ただ、それだけのこと。

ある弟子は、お釈迦様のそんな様子に気を留めることもしない。

また、ある弟子は、なぜお釈迦様が花に関心を示しているんだろう?と思う。

一人の弟子だけは、それを見て、はっ!とする。・・・そして悟りを得てしまった。



これこそ、以心伝心という、もともとは仏教用語だったそうです。

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「心をもって心に伝える」という。


この密教の奥義として、

ただ、心から心に伝えることが大切であり、
文章によって伝えることのみを貴いとはしない。




というのがあります。

要するに、真の仏教は、このように書物や文字では伝えられないものがあるんですよ~と。



それ以前の仏教、つまり・・空海が唐の青龍寺で密教を学んでくる以前は、顕教(けんぎょう)と呼ばれていました。

顕教(けんぎょう)というのは、別に宗派のことをいうわけじゃないです。
ただの、分類するだけの呼び方です。

顕教(けんぎょう)・・言葉や文献で説かれた教え

密教・・以心伝心で伝えるもの



という分類です。

以前の仏教は、書物を読んで研究したり、また、偉いお坊さんたちが、せっせと相手にお説法することで説いてきた教えだったのです。


もちろん、それも素晴らしいことだったんでしょうが・・・次第に、そこには落とし穴も生まれてくるわけで・・

たぶん、多くを学んだ人々の中には、「頭でっかち」になっちゃった人も増えてきたんでしょうね~。


そこで、それまでの時流を反省するかのように、


顕教は極論すれば書物でも学べる教えであるが、書物のみで学べるものの中には本当の真理はない、という立場をとったのが密教でした。


これ、現代風にもっと簡単に言っちゃえば・・

本で勉強したり講義を聞いたりしても、わからん人には、わからんよ~。
感性も使ってキャッチしろよ~。


ってことかもしれません(笑)


ところで・・感性って言葉も曖昧ですけどね~。
直感、直観、霊感、第六感、なんでもいいんですけど・・感官を媒介として受入れる精神の認識能力なんて説明がありました。


Heart Communication


なるほど・・・。

「一生懸命努力してきた、知識人と呼ばれる人こそ、どんどん神髄から遠くへ行っちゃう」のも、わかる気がします。

別にこういったことは、宗教やら精神世界のことだけじゃないと思います。

科学、数学、あらゆる分野でも、また、日常の中でも、言えることだろうな~と思います。


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それでもやっぱり・・・とくに精神世界のことは言葉だけで伝えることは難しいでしょうね。


言葉だけが独り歩きして、誤解されたり、曲解されたり・・

あらゆる宗教でも、そういった側面はありますね。


密教は、神秘主義的、象徴主義的な教義が中心で信者だけで非公開な教団内で修行を行なうもの、それ以外、仏教を体得できない。 だから、出家しなさい・・・とか(笑)・・(実際に、これは・・オウム真理教で言われたことだったとか・・)



始めに言葉ありき・・・

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それは・・言葉から音質を感じ取ることとと似てるかもしれません。

音質が無い言葉には、言霊も宿らないでしょうから。

中国政府から宗教を考えてみた

In Deepさんのブログ記事をみてたら、たまたま中国に関する記事が載っていた。

このサイトは、いつも海外のニュースを・・それもあんまりメジャーに報道されていないニュースなどをみつけて翻訳して紹介してくれているので、なかなか興味深いものがある。


未来世紀チャイナが作り出す中国式デストピア : 人々はシミュレーションゲームのような「変動するポイント制度」による信用システムの中で生きていく

いよいよ中国で実行される人工降雨のための「人類史上最大の気象コントロール・プロジェクト」は日本の、そして地球の気候にどんな影響を与え得るか



やれやれ、中国はこっちの方向に行ってしうまうのか~。

こういったことがあると、つい我々は「中国人ってのは・・」というような見方をしてしまいがちだけど・・

こういったカテゴリー化した見方はあまりいい気分がしない・・・・

そこで、中国政府の進む方向は?・・・と言っておくことにする。




そういえば、多くの中国人の精神性は、いったいどこにあるんだろうか?

そういえば、中国の宗教って?
 

国教が定められている国もあるわけだし、定められてないにしても、インドネシアやパキスタンだったらムスリムが多いわけで、それは、大なり小なり精神性の基盤が政治や経済にも大きな影響を及ぼすのは確かなことだろう。


と、思って調べてみたら、

アメリカのあるサイトでは、最も宗教を持たない国のトップが中国になっていた。(ちなみに日本は2番目だっけど・・)


日本のサイトでは、こんなことが書かれているものもあった。

中国人の信じる宗教は「金」「中国共産党」がほとんど。
だから、彼らは道徳心が無い人なのだ!

(←あー、こうなると、まさに誹謗中傷が前面に出てるカンジだなあ。)


確かに、中国は文化大革命の後、四書五経などの古い書物は焼き捨てられてしまったそうだから、その後の新人類は、そんなものは、ほとんど知らないという。(むしろ日本の方がメジャーらしい。)


だからといって、中国人は宗教の信心が無い=精神性が未熟=道徳心が無いというのは、多分に偏見を含んでる気がする。


精神性が未熟=道徳心が無い人なんて、日本人だって欧米人だって、どこにでもいるわけだし・・たまたま、そういった中国人を身近で目にしただけかもしれない。


そもそも、中国は60くらいの民族があるわけだし、おそらく彼らには彼らなりの民族宗教や土着信仰がある可能性は高い。

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大多数を占める漢民族にしたって、ひょっとしたら目に見えない宗教弾圧があって公言できないのかもしれないし・・。


そもそも、宗教って何?

なんらかの宗教団体のメンバー登録されてれば信者とされるのかもしれないけど・・
それは、高い精神性を持つこととは、また別物だろうし(笑)

とくに、宗教に関するデータほど、信ぴょう性は低そうだ。


そう言いながら、参考までに、世界の宗教の割合もアップしておこう。
     ↓
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これを見ると、いまだに世界を占める割合は、キリスト教が多いけどイスラム教の数もかなり迫ってきてることになる。

続いてヒンズー教、その次が仏教で、その数は世界レベルで見れば少ないことがわかる。


こんな記事もある。
    ↓
急増するイスラム教徒、40年後にキリスト教に並ぶ 米調査機関


キリスト教とひとことで言ったところで、プロテスタントもカトリックもあるわけだし、さらにもっと分類されてるし・・
また、地域によっても内容はかなり違いがある。

日本人が知っている仏教だって「日本仏教」に過ぎないのと同じことだ。


同様にイスラム教といったところで、大きく分ければスンニ派とシーア派だけど、さらに地域によっても違いは大きいという。


結局のところ・・宗教データなんて、あんまり当てにならないし~、

根本的に、宗教と精神性とはまた、別物なんだよな~。



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などと、思っていたところに、メールが届いた。

どうやって除霊する?・・・・このブログ記事を見た人からのメールらしい。

「霊能者さんたちは、それぞれの宗教を使って除霊しているとのことですが、日本の新興宗教の一つで、そこの教団では多く霊能者さんを抱えています。
そういった教団の霊能者さんは、強いパワーを持っているということでしょうか? それとも偽霊能者なんでしょうか?」


ざっと要約すると、こんな質問メールだった。。。


やれやれ~😥


ま、いちおう回答していこう。

まず、「霊能者さんたちはそれぞれの宗教を使って除霊している」・・・??

私、そんな事、書いたっけ?


ま、いいか~。


たとえ、自分では何らかの宗教を信じている霊能者さんであっても、常にニュートラルな立ち位置は必要不可欠、と私は思っている。


たとえば、皆さんご存知の安倍晴明を例にしてみよう。

彼は、なんらかの宗教信者だったか?

答えはNOだ。

彼は、政府機関の陰陽寮に所属していた公務員に過ぎない。

しかし、膨大な知識を持っていたことは確かだ。

ジャンルにこだわらず、山岳信仰の修験道やら、古代中国からも学び、さらに空海が持ち帰った経典も学んだそうだし、独自に天文分野にも興味を持って研究をしていたような人だ。

むしろ、学者に近かった人じゃないだろうか?
学者+魔術師を志していたのかも?



彼が、霊能力を発揮するときは、自分のパワーを高めるために、今まで学んだ中の、呪文だったりお経、祝詞などを、
ツールとして使ったに過ぎないと、思っている。




さて、その新興宗教がどういったものかも知らない私は、なんとも答えようがないんだけど・・・

詳しいメールによると、そこの宗教団体では霊能者さんを育成する部署?があるらしく、長年そこで修行を積んで学んだ人しか霊能者になれないそうなのだ。


それならば、少なくとも霊能力は持ってるだろうし・・まったくのインチキ霊能者ではないように思う。(←大変失礼な言い方で申し訳ない)

現在起こっている何かの問題を言い当ててくれたり、今後のビジョンを見る能力もあるのだろう。

そうでなければ・・教団のイメージダウンになっちゃうだろうから。

それとも、霊能力以上にカウンセラーとしての能力や、トーク技術が優れているのかもしれない。


しかし、そういったことよりも・・

その教団の目的がどこにあるのか?・・・おそらく、それに尽きるはず。



別にこれは新興宗教に限った話じゃないけど・・小さな宗教グループがだんだん大きな団体になっていくにつれて・・

「いかにして教団を維持していくか?」という問題に突き当たることになる。

組織だったものを作らなければならなくもなり、そうなれば、当然のようにヒエラルキーも生まれてくる。


維持していくためには、カネ集め&信者集めが一番の重要事項となるのは必定。


そのためには、まず・・ビジュアルも必要ってことになるらしい(笑)
     ↓
【画像】凄すぎる...ド派手・巨大な宗教施設


私は日本に住んでいた頃、東京杉並区に住んでいたんだけど、車で走ると・・遠目にもこんな建物がどーんと見えてきたことがあって、最初みたときは、びっくりだった。

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この財力源がすごいことはわかるけど・・

で、巨大建築物を作っちゃうのか~!

この財力を他に使えなかったんだろうか?


ビジネスとしてみれば、宗教団体は他企業と比べて、税金も大幅免除だし、商品開発のコストも仕入れも研究費もないのだから、そりゃあ~利幅は大きいだろう。


しかも、多くの宗教団体では、「ご奉仕」として、多くの信者にボランティアで施設内のお掃除することを促すとか。

「ご奉仕」は、自分の修行でもあり徳を積む行為になるんだとか・・・。


たしかにそうかもしれない。。。


だけど・・もしも私だったら・・もともと立派な教団建物を掃除する「ご奉仕」より、

ホームレスの人たちに、暖かい食べ物を配って歩くとか、捨てられたペットたちを助けるとか・・

さらに、私が教団幹部だったら・・

ホームレス救済の施設&就職斡旋所を作るとか、ペットの殺傷処分反対運動を起こすとか・・・そっちの方をお勧めすると思う(笑)

「ご奉仕」するなら、明日の命に係わるような人(または動物)から救うべきだと思うのだが・・。

そんなことじゃ、教団幹部にはなれるはずもないだろうけど。



ついつい、豪華な宗教施設の建物やら、デーンと飾られた教祖様の銅像や写真などを目にするだけで・・私は、引いてしまうのだ。

だからといって、熱心な信者に異を唱えるつもりはない。

もちろん、ビジネス目的の宗教団体があったところで、別に私は反対する気もない。

信者が、そこに生きがいや幸せを見いだせるならば、それに越したことはないんだから。

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もっとも豪華な宗教施設といえば、ここだろう。

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そう、バチカンだ!

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これほど贅を尽くした建物はないだろうし、バチカン博物館の倉庫には、まだまだ多くの宝物がいまだに保管されているという。

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立派な旧教施設を建設する新興宗教団体は、目指せ!バチカン! なんだろうか。(笑)


過去、どんな宗教も政治に利用されてきたことは、すでに歴史上の事実でもあるし・・

小さな宗教団体でも人数が増えれば増えるほど、維持するための資金源確保が必要となり、力を持てば持つほど、カルトに走る可能性も出てくる。

それは、多くの歴史をみても明白。


何世紀も経てきたバチカンは、たしかに美の結晶でもあると同時に、過去の黒い歴史の結晶ということも忘れてはいけない気がする。


カトリックというならば、私にとっての正統派はこっちなのだ(笑)
      ↓
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アッシジのフランチェスコ (St. Francis of Assisi)


これは、フランチェスコの半生を描いた映画で、かなり有名になった。
   ↓




もちろん、何かの宗教団体に所属することもいいだろう。
尊敬する師をみつけて、教えを仰ぐこともいいだろう。

それが、新たな学びになるならば。

しかし、信奉することは、時に自己放棄と依存にも繋がってしまうことも多い。

そうなると、カルト集団になってしまってることさえ、気がつかないことだって起こりえる。
かつてのオウムがそうだったように・・・。


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宗教に関していえば・・・私は、何の宗教だって構わないと思っている。


結果的に、赦しと寛容、自然すべてと共生、リスペクトに向かうのなら、新興宗教だろうが、既存宗教だろうが、民族宗教でもなんでもいい。

常に、ニュートラルな精神性を持ち、歴史の過ちに学び、反省と修正を重ねる宗教であるならば。

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さて、これを持って、このメールを送ってくれた人への私の回答としたい。


もっと簡単に言えば・・

そこの霊能者さんが強いパワーを持っているのか偽霊能者なのか?・・・・それは、自分の観察眼と直感を使って、自分で判断すべきことであって、私に聞くべきことではない・・ということだ(笑)



ずいぶん、冷たい回答だろうか?

それならば、もう、ひとこと。(笑)


私に聞く前に、質問者は自分で判断するパワーを持っているし・・すでに、自ら答えを出ている。




だったら・・なんで、私に聞く?

自分の直感に従うことに躊躇する必要はないのに~!

と、私は言いたい(笑)

愛は地球を滅ぼす?救う?

スピリチュアル信奉者の方から(笑)
上質のターコイズのブレスレットを入手したいけど、あんまり高額なものでないやつが欲しいんですが?

・・という依頼を受けた。。。

そもそも、ターコイズ鉱山は枯渇してきているわけで、閉山になってしまったところも多い。
従って、希少価値のあるものは年々高くなる一方。


屑石を練り固めて色をつけたものなどは、それなりの値段で出回ってるけど(笑)
たぶん、それじゃダメなんだろう。

スピ系の人であれば最強のお守りか何かの目的でパワーストーンとして持ちたいってことなんだと思うから。

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たしか以前の私のブログ記事で、ターコイズのことをアップした記憶があるけど・・・

古来よりターコイズは人にもらった物が一番力を発揮する。


これが、ターコイズをパワーストーンとして捉えた場合の特徴。

その一つの記述
      ↓

ローマ帝国の皇帝ルドルフ二世の侍医をしていた神学者、アンセルムス・デ・ブートの著書の中に、ターコイズに関するエピソードが記載されている。
彼はイタリア留学を終えて故郷のボヘミアに帰る途中、険しい道で馬が転倒し大地に叩きつけられた。
しかし、かすり傷ひとつ負わず、代わりに父からもらったターコイズが四分の一ほど欠けていたのでした。
また、その数日後、今度は重い棒を担ぐ仕事をしていたところ脇腹に激痛が走り、骨が折れたような感覚があったのに、実際には異常がなく、代わりにターコイズが割れていた。

この記述の、デ・ブートが所持していたターコイズも、もともと父から贈られたもので、それは別の人が何十年も使っていて色あせた中古品で、デ・プートの父はタダ同然で手に入れたんだとか。
そして、父親から、「ターコイズは人にもらった物が力を発揮するそうだ」と言われて渡されたのだ。



ターコイズは愛する人に贈ると、プレゼントされた人は強く守られる、という言い伝えがある。

事実、アメリカ先住民の間では我が子へ、ターコイズを代々プレゼントしてきたそうだ。
(昔はアメリカ中西部ではターコイズは豊富に採れたからね~)


そんな言い伝えから、現在でもターコイズを愛する人から貰いたい! 愛する人にプレゼントしたい!と思ってる人がいるらしい。

ただし、下心(したごころ)でプレゼントしてもちっとも効果はないんだとか(笑)


下心ってのは・・

ほーら、プレゼントしたんだから、私に感謝してくれるかな?
私をもっと好きになってくれるかな?

な~んて気持ちのことだ(笑)

つまり、

「相手のため」という大義名分を持ちながら実は自分のため、ってこと。

費やした分のお金や費やした分の愛の大きさが自分に還元されることを望んでるってこと

ま、ほとんどが・・みんな、そんなもんだろう(笑)

・・・・・・・・・・・・・・・・・

そもそも、私は個人的に、

「愛してる」という言葉を使いたがる人やスピリチュアル信奉者というものが、どーも、苦手で好きになれない。

なんとなく違和感があって・・
「それって、なんか違うんじゃね?」って、昔から感じてしまうのだ。


よく美しい恋愛ドラマに出てくるようなシーン、

「愛してる、あなたがそばにいてくれるだけでいいの!」

なーんてセリフを聞いただけで、あちゃ~😫 こりゃダメだ~!
と感じてしまう。

もちろん、それは、すべての恋愛映画やドラマにダメ押ししてるわけではないんだけど・・そのほとんどが、薄っぺらなカンジがするものが多いのだ。

そうゆうのを、たまたま見てしまうと・・

愛ってなんなのか? ほんとにわかってんのかよ!って突っ込みたくなる。
演じてる俳優も、プロヂューサーも、脚本家も、きっと愛の本質を理解せずに作って演じたんだろうなあ?って思えるような陳腐な薄っぺらさなのだ。


それを見て感動するという人もまた、

美しいカメラワーク、音楽、美男美女の俳優さん、そして、愛という耳障りの良い言葉・・・

そういったところに、おーー!これこそが、純愛!と、感動してしまうんじゃないのかな?

そもそも純愛って?・・愛にわざわざ純って言葉をくっつけるのもどーなんよ? 愛は愛じゃないかい?


なんで、私がそんなふうに感じてしまうのか?

それは・・

「愛」という言葉を軽々しく乱用する人たちに限って、愛の本質的理解には至ってないような気がするから。

そもそも、理解しようとさえも思ってない。
ただの雰囲気だけで、耳障りがいいってだけで、人に受けがいいってだけで、簡単に使っちゃう。

そういったところが、どーにも、嫌~な違和感になってしまう。



そもそも、一般論として・・・愛ってどうゆうもの?

大切に思うこと
他人を思いやること?


私たちは小さいころから、「他人を思いやることは大切ですよ!」って教わってきた。


ところが、

私のような、かなり、嫌~なズルいガキは、

大人の望むいい子になろうとして、他人に親切をこころがけたものだった。
勉強のできない子に教えてあげたり、道案内をしてあげたり、お手伝いをしてあげたり・・

そうすれば、大人たちは、「この子はなんて優しい良い子」とぐーーんと株があがって、得することが多くなるのを知ってたから。

それだけのこと。
子供の時代の私は、自分のために、他人を、親切な行為というものを使って、利用し続けてきたのだ。

逆に、今度は他人から親切を受けても、おー!ラッキー!と思って当然喜んだ!

それ以上でもそれ以下でもない。
それだけのものだった。

なぜなら、相手が自分にとってプラスになることをしてくれたんだから、そりゃ、当然喜ぶ!
そんな子供だった。。。


たぶん・・私には、その当時から「確固とした自我フレーム」ってものが出来上がってたんだと思う。

自分自身←→他人

とはっきりと区別する認識があって、(←それを自我の芽生えというのかも(笑)

自我が芽生えるということは、自分が! 自分が!という気持ちを強く持つようになるってことだ。

その結果、

大切に思うこと
他人を思いやることで、

これをうまく使えば、自分に大きくプラスに働くぞ。 
こりゃ利用価値があるぞ@

と、考えるようになったってわけ。
そして、相手もまた同様なんだ。

そんな相互利用で世界は成り立ってる。

たぶん、そんなふうに思ってた。

もちろん、子供だったから、自我だとか、相互利用、愛なんて言葉は知らなかったけどね。
それでも、そうゆう認識をしてたのは確かだった。

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それが大人になれば、もっと・シビアーな醜さを帯びてくるようになる。
自我が芽生えてしまった大人たちの世界なんだから。

さらに、名誉欲だとか権力、カネでも絡めば、さらに醜い駆け引きだって生まれるってもんだ。

ただし、ここでは・・世間体だとかカネや権力目当てというのは除いて考えてみることにしよう。


さて、そこで、

人間が成長し大人になって、恋愛ドラマのような恋をして結婚をしたとしよう。


そう、純粋に恋に落ちて結婚ってパターンの場合。


でも、なんのため結婚する?
なんでお互いに結婚を望む?


一緒にいたいから?

なんで?


自分がより幸せな気分でいるため。
伴侶を持てば自分がひとりぼっちの寂しさを感じなくてすむから。
何かあれば、伴侶に助けてもらえるから?




これもまた、自分が自分が!自分が!!

といった、エゴが中心になってることに気づかされる(笑)


結婚とは、

自分が幸せになるため。
安心感を得るため。

の保険のようなものかもしれない・・(笑)


そのために作られた制度なのかもしれない。

と、いつのころからか、私は思うようになった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昔々、弥生時代のころだっただろうか?
人は、狩猟生活から農耕生活に変わっていった時代があった。

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http://www2.ttcn.ne.jp/kazumatsu/kidspazegenshi.html


不安定な狩猟生活よりもなんといっても農耕生活は安定する。
多くを収穫し蓄えることができるようになったからだ。

これでもう、飢えることはない!

蓄えられるということは、安心感に繋がるのだ。

ところが・・人は飢えないようになると、今度はより多くを所有しようとするようになる。


「より多く」を所有すること = 安心感という意識が生まれてしまったのだ。


人よりも多くを所有すれば、より安心感が得られる。
当然、貧富の差もできる。
当然、自我(エゴ)意識もますます強くなっていく。




すべては、安心感を得たいがために。


ちょっと待てよ? ところで安心感ってなんだ?

安心感ってのは、失うことへの恐怖感と対極にあるもの。
恐怖心から逃れるための手段


そのためには、なんとしても少しでも多く自分のものにしなきゃならない!と思うようになる。
何事も!

こっちが、僕のもの、そっちがキミのもの・・・と線引きすることも覚えていった。


愛もそのひとつだろう。

現在、多くの人々が愛と呼んでいるものの多くは、ただ自分の「安心感」を得たいがためって気がしてならない。

自分のものとして所有したい、所有し続けたい、それは、裏返せば「失うことへの恐怖」という感情の上になりたったものだろう。


自分が幸せな気分でいるためには伴侶を持たなければ。
ひとりぼっちの孤独を感じなくてすむしね~。
そばにいてくれるだけで、幸せなの。



これは・・自分の安心感を得るため人を利用してるってことにならないかい?
このように、夫は妻を利用し、妻は夫を利用する(笑)


多くの人は、この相互利用を、「愛」と呼んでいるのかもしれない。


また、多くのこういった人たちによって作られたのが、結婚制度という法律でもある。


「所有すること」を目的に、安心感を守るために作った制度
さらに「結婚」「恋人」「家族」というレッテルを張った概念も出来上がっていく。


制度を作って法律にしちゃえば、もう、俺から離れれないのだ!
私は安心・・結婚してしまえば法律によって守られるからね~。


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ところが、時がたてば・・


最近のTVニュースをみても、XXさんが不倫をしてたとか離婚騒動だとか・・相変わらずにぎわってる。

そして当事者はみんな言うのだ。

あんなに愛していたのに~と。


そんなの、もともと愛じゃないんだよ!と、つい突っ込みを入れてしまうと・・

じゃあ、本当の愛ってなんだ?
説明してよ!


・・と言われてしまうだろう。

ところが言葉で説明なんかできない。


昔から多くの宗教家や聖人と呼ばれる人たちが、すべてといっていいほど人類愛を説いていたけど明確な説明はしていないんだからね~。

さまざまな解釈ができるような暗示的なことを散りばめているだけなのだ。

こんな私に説明ができるわけがない!


おそらく、言葉では説明ができないもの。
肌で全身全霊で感じるものなのだろう。


ただし、ひとつだけはっきりと言えることがある。

愛とは、恐怖や憎悪や悲しみは内包しないもの。


愛が裏切られて憎悪に変わるとか・・
愛ゆえに苦しむとか・・
愛ゆえに哀しむ・・

なーんてことであれば、それは愛ではなく、エゴから発生した感情のプロセスに過ぎない。
別名、欲望


自らのエゴから出た感情を、愛という美しい響きの言葉にすり替えてるだけなのだ。


だからこそ、そんな愛からは、偏りが生じ、執着が生まれ、依存が生まれ、対立が生まれ、喪失感や恐怖を生むことになる。


最近のTVニュースでみるような、不倫騒動、バッシング、ドロドロの離婚調停なーんてのをみても・・・納得。。。
どこにも愛はない。
はじめから・・・。

Bad men chase bad women


結局のところ、多くの人たちは、愛という言葉を軽々しく乱用しながらも、誰もその本質的理解にまでは至ってないどころか、

それだけで満足しちゃってる。


これじゃあ、愛は地球を救うなんて大嘘だ。

もし、こんな浅はかな理解の中で、愛を追い求めたりしていけば、

本来の愛とは、どんどん程遠い次元に変わっていってしまう気がする。

むしろ、愛は危険なものになる。

愛は地球を破滅させるかもしれない(笑)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これと、まったく同様なことが、スピリチュアル信奉者にも言える。

もちろんすべてのスピリチュアル信奉者を全否定するつもりはないんだけど・・


ただ、昨今のスピリチュアル信奉者たちの中には、スピリチュアルからどんどん遠のいて、かけ離れたラインに向かっている人が多い気がする。


たとえば、ニューエイジ連中の集会にありがちな光景

「v( ̄Д ̄)v イエイ! ラブ & ピース!」とピースサインをしながら、

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肩を組んだり、パワーストーンを身に着けてる人たち。

そんなことをしてる間にも、世界では戦争が起こり天変地異も起こり、多くの人が死んでいる事実は変わらないわけだし・・


戦争反対を叫んでるくせに・・なぜ、戦争が起こっているのか、国家がどのように形成されてるのか、現実の国家や社会のこともちーっとも学んでいない人たち。

学ぼうとしないどころか、
うちら、スピリチュアルを目指すものは、そんな現実の汚い世界なんか知らなくていいんだよね~と思ってる人だって多い。


現実を知らないところで、スピリチュアルなんてありえない@って思うんだけど・・。


スピ系の人たちって、見た目は優しくて穏やかに見える人が多いんだけど・・なんだか話してみると、ただ、フワフワした話だけで終わっちゃう人も多い気がする。

たぶん、自分で考えてない勉強不足の人が多いんじゃないかと(笑)

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それでいて、落ち込んでる人を見ると、

「だめ! 悲観的に物事をみちゃダメ!ポジティブシンキングよ!
この世は引き寄せの法則があってマイナスの思考はマイナスを引き寄せるんだよ! 
さあ、愛を感じなさい!」


なーんて、言ってのけたりする。。。

(まあ、たしかに言葉としては間違いじゃないんだけど・・同じ言葉であっても使う人によっては、ただのむなしい響き、ちーっとも説得力がない)


かと思えば・・

「言葉にはね言霊があるのよ。
だから、汚い言葉を使っちゃダメ! 毎日ありがとうを10回ずつ唱えなさい」


なーんて人もいる。

たしかに・・・言霊はあるだろうし、これも言ってることが間違いではないんだけど~

こうゆう人に限って、妙に汚い言葉に過剰反応をする人がいるのも確かだ。

おまえって、バーカか~!なんて言葉を聞いただけで、、あ、汚い言葉を聞いてしまった!悪い想念が移ってしまう!と思うらしい(笑)

バカ!はたしかに、汚い言葉だろうけど・・それを愛情表現として使う人だっているのだ。


たとえ口調は汚くても、その根本にあるものが、人を傷つけようとして吐いた言葉なのかどうかも感じ取れないようでは、言霊なんて理解できるはずもないのに~。


言葉というのは言葉そのものでなく、言葉に乗せた想念のことなのだから。
毎日ありがとう!って唱えたところで、心ここにあらずだったら、そーんな言葉が無意味なのと一緒だ。



スピ系の人たちは、実にいろいろなことを言う。

「イメージトレーニングが大事です。まずは自分がなりたい姿をイメージしてみましょう。」とか、

「信心して得を積みましょう。 得を積むためには人に親切にすれば得を積めます。そして自分も幸せになれるんです。」とか


そもそも、ありがとうを唱えることも、得を積むために人に親切にすることも、イメージトレーニングも・・・


すべての目的が、自分が幸せになりたいためだったとしたら、
自分が安心感を手に入れたいためだったとしたら、

本末転倒だろう。
ちーっとも人のためにならない。

全部が自分の欲求を満たすため。


下心でターコイズをプレゼントすることと変わらないってことだ。
当然、効き目なんてあるわけがない。


毎日、ありがとうを呪文のように唱えながら、傍らで萎れていく花にも気がつかないかもしれない。

こんなことで幸せになんかなれるはずはないのだ。


かと思えば・・

「とにかく深いことは何~も考えず、ひとすら他人に尽くして、お人好しになって、愛を信じてさえいれば奇跡が起こって私は幸せになれるの」って人もいる。

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あ~、もう、

みーんな思考停止しちゃった、フワフワした人たち。

エゴを手放せずに・・・生きながら浮遊霊のようにさまよってる人たちだ。


これじゃ、スピリチュアル信奉者が増えるほど、世の中はスピリチュアルから遠のいていく。
愛と同様に。


腐ったものにフタをして、ポジティブシンキングという名のもとに、思考停止にだけはならないでほしい。



たぶん、私たちは、長い進化の過程で、エゴを発達させてきたことで、よけいな恐怖心を身に着けてしまったんだと思う。

失うことの恐怖、他人から認められない恐怖、それゆえの執着、不安などなど、あまりにもいっぱいある。。。


それでも、私は、その過程が悪いことだとは思わない。
そういったネガティブなものでさえ、きっと我々には必要な、「必要悪」のような気がするから。

必要悪を認識し、我々が次のステップに進化するためになくてはならないもの。
たぶん、通過儀礼。 越えなければならない試練・・として必要なもの、って気がするから。


ただし~

耳障りのよい言葉に騙されて、いつまでも何も気がつくことなく通り過ぎてしまえば・・・

もしも多く人が、そうなってしまえば・・・どんどん悪化させていくような気がする。
あなた自身の個人も世界のすべても。


そのためすべきことは、

まずは、自分の中にあるエゴや必要悪の存在に気がつくことじゃないかな?


気がつくためには、フワフワはやめて、よーっく考えること、よーく学ぶことだと思うのだ。


ただし、学ぶということは脳だけを使って学ぶことではない。


今までの固定観念、常識、ネガティブな思考パターン、恐怖心をすべてゼロにした状態で(ニュートラルの状態と言ったりもするんだけど・・)、学ぶということは感じ取ることだと思う。

脳だけでなく体全体の細胞から感じ取ること=理解する=学ぶこと
だと私は思ってる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ついでに、もうひとつ。

これは、あくまでも私が感じていることに過ぎないけど・・・

よくスピリチュアル世界で言われていることがある。
      ↓
人間というものは、自分自身 対 他人ではなくて・・・類魂で成り立っている


そうであれば、自分だけの幸せを求めるのは永遠に無理ではないだろうか?
そもそも、「自分の幸せ」なんか、存在していないのかもしれない。

多くの人と繋がっていることが感じ取れない限り、たぶん、本当の愛も幸せもありえないんじゃないだろうか?



と、同時に、もうひとつ思ってることがある。

私たちには、本当の愛の感覚というものが、もともと内在されている気がする。


本来、備わっていたんじゃないだろうか?

それは、私たちが文明とともに、太古の昔に忘れてしまった感覚のひとつかもしれない。
第六感やサイキック能力などと同様に。

それでもまだ、私たちは潜在的に誰もが持っているような気がするのだ。 



これは私の場合だけど・・

前述したように、私は子供のころから利己主義の申し子みたいなヤツだったんだけど・・
なぜか、こんな私でも、動物だけは大好きだったのだ。

虐められてる野良犬や猫をみるたび、いたたまれない気持ちになった。

なんとか救おうとしてしまう。
相手が自分より大きないじめっ子でも、そんなときは勇敢に立ち向かってしまうのだ。


ところが、その一方でわかってるのだ!

野良犬や猫を救ったところで何になる?
彼らが恩返しをしてくれるとは思えない。

ここ掘れ、ワンワンで、金貨がザックザックは物語の中だけだろーが!

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鶴の恩返しも、狐の恩返しも、ぜーんぶ嘘っぱち。
そんなことは子供心にもわかってる。

動物なんて人間より利用価値は低いのだ!


だけど、助けてしまうのは、なぜ?
さっぱり・・わからない。


それでも、救った動物たちが元気で生きていってくれるだけで嬉しいって思ってしまう。


あるとき、助けてあげようと思った野良犬に噛みつかれたこともあった。
だけど・・怒る気もなければ怖いとも思わなかった。(たしかに、ひどく痛かったけど・・)

そのとき、痛みから感じたことがある。
ああ、長い間人間にひどいことされてきたんだから無理もない。 こんなにも人間が怖かったんだ!
なんと可哀そうに!
って思って泣けてきた。


たぶん・・今、思えば、これこそが唯一私に宿っていた、愛の片鱗だったんだと思う。

無私の愛、相手が幸せならばそれで私も幸せって思える愛


うーーん、残念なことに、私は動物に対してしか持ち合わせてなかったなあ(笑)

なので、まだまだ修行が必要な身でもある。



きっと誰でも、愛の片鱗は生まれながらに備わっているものではないだろうか?

大人になり、エゴの渦巻く物質社会の中でさえ

ふと、その感覚を思い出せば、

きっと誰もが愛を理解していけるような気がする。

人類すべて、生き物すべて、そしてすべての自然に対する愛というものを。
たぶん、そういったものこそが、愛と呼べるものなんじゃないかなあ?

シャーマニズムと宗教話ついでに恋愛話も。

ハンク・ウエスルマンのワークショップに行きたい!と前々から思っているんだけど・・なかなか都合がつかなくって行かれない。

あ、カリフォルニアに来る!と思っても・・・サンフランシスコに近い地域ばかりなのだ。
とても日帰りできるような距離じゃないよなあ!

「そりゃあそうだろうよ!カリフォルニアといったって、能天気なアホばかり住んでるようなLAなんかには来ないさ。
サンフランシスコ、サンノゼ付近だろうね。」
・・・と友人は言う(笑)

そうだろうなあ。

こちらがハンクと奥さんのジル
   ↓
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さて、ハンク・ウエルスマンって誰?という人のために。
       ↓
スピリチュアルウォーカー ハンク・ウェスルマン
こちらは、私にHPの中の本の紹介ページから(かなり昔のものだけど。)


8年くらい前だったと思うけど、この本を最初に読んでからハンク・ウエスルマンさんにはとても興味を持つようになった。


彼についてもっと詳しい内容は、こちらのヤスさんのブログで、どうぞ。
      ↓
ヤスの忘備録 番外編




私がなぜ、彼のワークショップに参加してみたいか、というと・・シャーマニズムについての話が聞きたいから。

彼自身がすでにシャーマンの能力を持ってる人だし、それを学者らしく分析し様々な部分を解明してきた人だからだ。

また、すべての人に宿るシャーマン能力を開発して、それぞれの生き方にもヒーリングにも活用して欲しいという趣旨を持つ人でもある。



一般人からみると、シャーマンとは、古代文明やら未開の地で・・火や太鼓なんかを使ったり、化粧したり、トランス状態になったりする怪しげな人ってイメージが強いかもしれない。

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しかし、火や太鼓なんかを使ったり、化粧したり、トランス状態になるにも、それなりの意味があるのだ。

そして、シャーマンとは、その部族においての

メディスンマン
霊能者
ミディアム
ヒーラー
チャネラー
医者
超能力者
カウンセラー



などと考えていいだろう。

別の言い方をすれば、3次元世界にいながら精霊(別次元)世界とコンタクトがとれる人。

ハンクに言わせると、それ・誰でも本来持っている能力だそうだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、話はちょっと変わるのだが・・

つい先日、日本人女性から、ある相談事を持ちかけられた。

この女性は、ある新興宗教に6年間入信していて、つい先日脱会したそうだ。
その新興宗教の教祖は、かなりの霊能者だとか。



そこで相談事というのは・・

「私は6年間もその教祖に、私の依存心を教祖に向けるようにと仕向けられてきました。
そこで、その教祖を訴えたい!または、彼のしたことや私のひどい経験をネット上で拡散したい!
一番いい方法は、どうすればいいと思いますか?」


そんなこと、知るか!!

彼女の話を聞いてるうちに、きいいいい・・とイライラが募ってきてしまった(笑)


その教団というのは、それほど有名でもなく、どっちらかというと割と小さい組織らしい。
で、彼女の被害というのは・・・別に、家を奪われたり老後資金すべてを奪われたってわけではなく・・

たしか入会金が5000円で月会費が3000円だとか。(←私の子供の頃のピアノの月謝よりも安いような・・・)

ただし、任意でセミナーに参加費を払って参加するとか寄付するとか・・お金を使いたければもちろんもっと使えるらしい。
だからといって、別にあやしげば壺や絵画を売ってるわけでもなさそう。

彼女は、月に3万~4万は教団のために使ってきたいう。(←でも、それって自分の意思で使ったわけで恐喝されてたわけじゃないんだよね?)


「とにかく、月4万円として6年間でざっと300万弱のお金を使ってしまったことに対して、憤りを感じてるわけ?
騙されて支払ってしまったって思うの?」
・・と聞くと、

「いや、お金のことは、それほど大した額ではないのでいいです。」と彼女は言う。


じゃあ、なんで怒ってるわけ?


「私の依存心を煽って、私を教団から離さないようなことをしたからです。 
たぶん、霊能力を使って、私を操っていたんだと思う。
私は、教祖様のことを私の神様だと思ってましたからね・・・。
だから私、絶対、許せないんです!」


はあ?

月々3万円か4万円を使う会員に対して、霊能力を使ってまで教団に縛り付けておくなんてこと、するかな?(笑)
そんなことをしたら、たぶん会員全員に怪しい術でもかけなきゃならないだろうし・・会員数何人いるんだか知らんけど・・。
そもそも・・・そんな怪しい術って?(笑)

というようなことに・・この元信者は気づかないもんかね!!

気づかないんだろうなあ・・・だから、こんな相談事をしてくるわけだから。


何が私をイライラさせたかというと・・・(←こんなことでイラつく私もかなりの未熟者だ)

ぜーんぶ、ネガティブな被害者意識ばっかりだから。
それを長々と聞かされてるだけで、イライラしてくるのだ。。。


そもそも・・依存心を持たされるように仕向けられた!って、なんだそりゃ?

依存心を強く持つ人に限って・・・「私はXXされた」というネガティブな被害者意識を持つことが多い。

彼女の依存心は、いまだに健在だってことだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こうゆうのは、ある種の恋愛問題にも似ているかもしれない。


ものすごーく思い入れの強い女性(または男性)が、相手のために必死で尽くす。

それこそ、痒い所にも手が届くほどの尽くしようで、なんでも相手の望むことをしてあげちゃう!

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http://pinky-media.jp/I0014863


ところが、その相手の方は・・だんだん、それが重荷で嫌になってくるものだ。(←まあ、よくある話だよね~)

なぜ、そんなにも尽くされてるのに嫌になってしまうのか?

だって、それって・・本当に相手のことを思い、愛しているわけじゃないから!

最初のうちは、なーんてよく尽くしてくれるんだろう!と嬉しいものかもしれないけど・・そのうち、これってなんか違う!ってことに、人は無意識のうちにも心で気がついてしまうものなのだ。

なぜなら、

彼女(彼)が尽くすのは、相手の愛を自分に繋ぎとめておくため。
自分は捨てられたくない! 一人になりたくない!


・・・・その一心でしてたことに、相手だって気がつくときが必ずくる。


そして、ある日、

「ごめん、もう別れたいんだ。」

とか、

「ごめん、他に好きな人ができた。」

なーんて別れを切り出されると、尽くした相手はぶち切れる。


私はこんなにも尽くしてきたのに捨てられた!
訴えてやる!


なーんて具合に、被害者意識から、憎しみや恨みに豹変する


これって、ぜーんぶ依存心の強いタイプにありがち。


一人になりたくない!という寂しがり屋なのか?
捨てられたくない!というプライドなのか?

それとも

何かにすがらなければやっていけない現状があるのか?



とにかく、相手に執着して離れたくないだけなのだ。


さらに、こうゆう執着タイプは困ったもので・・、

たとえば、相手が悪いヤツで自分が利用されているだけ騙されているだけだったとする。

それを薄々感づいていたとしても、あえて見ないようにして目をつぶってつきあっていく!なーんてことを、やってしまいがちなのだ。

真実を知りたくない!
このまま変わらずに、ずっとこのまま!


という意識が働いてしまうのだろう。


執着=依存心=失うことへの恐怖


そして、ついに、それが明るみに出てしまうと、やっぱり、被害者意識から恨みや怒りとなって爆発する。

「私は騙されていた!」
「そんなこと、ちっとも知らなかった!」
・・・と。

あーあ、厄介なことだ。


対処法は、なぜ?を自問自答して、自分を内観して自分で答えをみつけるしかないのだ。


・・・・・・・・・・・・・・・

さて、こういった恋愛ケースも新興宗教への依存心も、なんだか、ひどく似ている気がする。


新興宗教であれ恋愛であれ、そんな形でハマるってことは・・心の底になんらかの弱さがあるからなんだろうけど・・、

だからこそ、「新興宗教にすがりたくなる」ともいえるのだろう。

また、

だからこそ、新興宗教も信者を増やせるってものかも(笑)

悩みをかかえてる人、弱い人、かもーん、かもーん!・・・もっとも、そんな宗教団体ばっかりではないだろうが。


新興宗教と言う言葉を聞くと、なんとなく胡散臭いってイメージを持つ人も多いようだ。


ところが、新興宗教というのは、伝統宗教と比べて比較的成立時期が新しい宗教のことを差すだけのことで、日本では明治以降の宗教を新興宗教と呼ぶらしい。

それだけのことなのだ。


ところが、新興宗教と聞くと聞いただけで、なんとなく胡散臭いってイメージを持つ人の方が多いのはなぜだろう?

まあ、過去にもさまざまな事件があったりしたわけだし、また、「自分のとこの神様が本物なんだ!他は一切認めないぞ!」と主張する教団もあったりするようだし・・

そうなると、なんだか精神世界つーよりも、ただの宗教ビジネスに思えてしまうせいかもしれない。


じゃあ、伝統宗教は違ったのか!というと・・いやいや、それでもないのだ。

鎌倉時代に遡って、まさに元寇がやってきた頃、新興宗教として登場した日蓮さんもまた、
「法華経こそが正法であるのに、浄土宗などは邪法だ!」と、堂々と非難していたようだ。
(もっとも、これは若い頃の日蓮さんが辻説法をやっていた頃だそうで・・流罪された後は変わったそうだ。)


そもそも・・仏教と言ったって、シャカは文書にして何も残さなかったわけだし、
たとえば、日本に多く広まっている法華経なんて、シャカの死後、ざっくり600年もたって記されたものだ。

それに比べて、キリスト教の新約聖書は、キリストの直弟子たちによって記されたものなんで、まだ聖人の言葉が忠実に記されたものか?というと・・それが、そうとも言えないらしい。

だからこそ、いくつもの宗派ができたわけだし、宗派どうしで解釈の違いによる論争だって起きるわけだ(笑)


人から聞いたものを書き起こせば、それは書き手の意識が必ず投入されることになる。
一つの言葉にしても、受け手によって解釈の違いはあるし、特に精神世界の言葉というものは、なかなか言葉だけでは表せないことの方が多い。


だいたい、精神世界は頭で理解することではないのだから!



仏教の宗派なんて、いったいどれだけあるんだろう?

結局・・自分がどれを支持するか?(信じるか?)でしかないように思う。


私自身は、以前にもブログにアップしたことがあるけど・・宗教家として好きな人の名をあげるならば、やっぱり空海さんかな。
    ↓ 
空海とシュタイナーの関連性

だからといって、わざわざ真言宗の檀家に入ろうとも思わないし、新興宗教の真如苑に入ろうとも思わない。

空海さんは、宗教家というだけでなく、書家としてアーティストの才もあったし、建築、土木、鉱山など、あらゆる才を発揮してるし、自分で道を切り開いた人でもある。

それでいて、しっかりと親のスネをかじって留学費用を出してもらったり(たぶん・・そうだったんだろうなあ。)、当時の天皇にも上手に取り入ったというか(笑)、そういった世渡り上手な人間臭い部分も持ち合わせている。

そういったところをすべて含めて、好きなのだ。

まあ、好みの問題かもしれない(笑)


キリストさんもそうだし、日蓮さんだって・・みんなそれぞれ、独自の道を作り上げたパイオニア(開拓者)だったという点では、たしかに尊敬できる人たちばかりだ。

今では、みんな高次元の存在=神となっている人たちかもしれないけど・・そうやって、人として現世にいた頃は、おそらく、悩んだり試行錯誤を繰り返しながら、道を究めていったことだろう。

空海さんは、しっかり時の天皇にも可愛がられたけど、日蓮さんは反逆者として迫害され処刑されそうになったり、島流しの憂き目にもあってる・・さぞ、熱くまっすぐな人だったのだろう。

それに、親鸞さんのような、アウトロー精神にも脱帽だ。

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当時の仏教社会では、僧侶の妻帯や肉食はタブーとされていた時代だったのに・・奥さんを持った人だったことでも有名な人だ。


私は、そういった先駆者として道を究めた人が好きなのだ。



しかし、宗教となると、それは人間によって作られた団体、組織に過ぎないと思う。

みんなで集まって、勉強し精神修行をするところだ。


精神修行とは、

◆高次元と繋がること
(高次元の宇宙人、神、精霊といったようなもの・・いわゆるハイヤーセルフなんて言葉も使われるけど・・。)
そこからメッセージをもらって学んでいくこと

◆自分を客観的に観察し、分析して、考え方の修正をしていくこと


この2点ではないだろうか?


でも、宗教団体に所属するということは、必ずといっていいほど、人間関係特有の問題やら矛盾もくっついてくることになるだろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・

これは、元創価学会の熱心な会員だったという人に聞いた話だ。

その人は、日蓮上人の教えを学びたいために入信したのだそうだが・・・あるとき、学会に飾られた曼荼羅を見ると、そこには・・天照大神や八幡様までがいることに気がついたそうだ。

だけど・・

「創価学会では他宗教を批判してるし、神道を含めた宗教も否定している。 それって矛盾してるぞ!」
と思ったのがきっかけになったそうだ。


そこから、ますます色々な矛盾に悩むようになり、結局脱会したそうだ。


それでも、多くのことを学ぶこともできたし、また、そういった矛盾を知ることもできたんだから、今でも創価学会にはとっても感謝してると言っていた。

いやあ、先ほどの、元信者とは大きな違いだ(笑)


「どこの教団だってそうでしょうが・・宗教という団体になった以上は、3次元的に維持していかなきゃならなくなっちゃうんですよ。

そもそも高次元の神の言葉を、3次元の人間が本にまとめて、それを読んで勉強するのも3次元の頭だったんだってことに・・
私はようやく気がついたってわけです。」

と、その人は言っていた。

なるほどなあ。。。

宗教団体に所属して一生懸命、精神世界について学ぶよりも、野に咲く花に感動できる人の方が、よっぽどハイヤーセルフに近いのかもなあ。

なんだか、そんなことを思った。

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God grows weary of great kingdoms, but never of little flowers.
<<神は偉大な王国には飽きられてしまうが、小さな花には飽きることはない>>

これは、ラビンドラナート・タゴールRabindranath Tagore(1861 – 1941)の詩の一節だったかな?
     ↓
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そう考えると、精神世界を探るのは宗教に限ったものじゃないってことになる。

つーか、むしろ、宗教団体に所属するよりも、戒律だとかめんどくさい人間関係が無い分、自由な心で見つめられるような気がする。


もちろん、シャーマニズムの世界もだ!

ハンク・ウエスルマンさんは、独自の経験を通して、シャーマニズムの道にそれを求めたということだろう。

彼の新しい本で、心霊の世界に覚醒してというのが出版されているんだけど、サブタイトルは、「直接啓示を受けるためのシャーマンの方法」となっていて、なかなか実践的で面白い。

シャーマンにもいろいろなタイプがあることが解説されてるし、

また、霊能力があるからとか、悟りの体験してるからというだけで、その人達の言うことを鵜呑みするべきではない。ということも、当然ながら頷ける(笑)


ついでだから、ざっと紹介すると、

シャーマニズムとは神霊の世界に直接アクセスし神霊の助けと保護を得る精神的な実践方法だそうで、大きくわけて、

3つあるそうだ。

◆感謝の心

何事にも感謝する姿勢が、神霊の世界へのドアを開ける一歩になる。

この世の裏側では、神霊たちが人間の目には見えないけど、気づいてもらいたいと思って光を放っているのに、なかなか人間は気がつかないものだ。

(彼は精霊と呼んでいるけど・・神・守護霊・高次元の宇宙人・ハイヤーセルフ・・そういったものと考えてもよいかと・・・。)

神霊の世界への入口は実にいたるところに隠されている。その一つは心臓のところにあるそうだ。

恐れ、敵意、うぬぼれ、落ち込み、疑い、皮肉癖、憤りなどの感情は、この心臓にある出入り口を塞ぐので、ほとんどの人の出入り口は閉じられてしまっているそうだ。

ところが感謝の心を持つことにおって、これらの悪感情を追い払うことができるので、心臓の出入り口を開くことができるようになるそうだ。

うーん、ハートチャクラを開くってことかもなあ(笑)


◆見る
二つめのテクニックは見ること。
無知や間違った世界の見方を克服できる術は、「見る」ことで、神霊が現実の中で見せてくれる真実を知ることができる。
シャーマンが言うところの「見る」というのは、頭の中をカラにして、一切の現世の考えを取り去ることだ。

無になることで、サードアイチャクラが開くってことかな?


◆祝福の祈り
三つめのテクニックは、祝福の祈りをすることだ。
祝福の祈りは魂へと還る道だそうだ、
そこには、人間の想像を超えた力があり、おそらく3つの中でも最も強力なものとなるだろう。
しかし、感謝の心がなければ祝福の祈りを捧げることは難しいことになる。



なんだか、本の紹介みたいになっちゃったけど(笑)
    ↓
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まあ、そんなわけで、私も一度はワークショップに参加して色々と聞けたらいいなあ!と思ったのだ。


いずれにしても、

精神世界を極めるにしても、ハイヤーセルフと繋がるにしても、自己改善にしても、良い恋愛をするにしても・・・

私は、ハンクさんの3つのことが基本かな、って気がする。


参考
SharedWisdom

野生動物の異種間交流と聖書の言葉から

「最近はとくに、凶悪事件やら、戦争とかテロのニュースばかりだよなあ。
なんか、こう、ぐぐっとくるような心温まるニュースってのは、ないもんかなあ?」

と、友人が言った。

あるわけないじゃん!


いや、私が見たヤツで、ひとつあったな~。


ノルウェーに住む、写真家のTorgeir Bergeさん愛犬、Tinni(ティ二)と野生のキツネのSniffer(スニファー)がベストフレンドになっているという記事。

あるとき、バージさんがティ二を連れて森に散歩に行ったとき、一匹のキツネとばったり出くわした。

なぜか、愛犬とその狐は意気投合。

それからずーーと、2匹はこの森で会うたびに、いつも一緒になって冬も夏も広い森の中を元気いっぱいに遊び回る。

こちらがその写真

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バージさんは、このキツネにSniffer(スニファー)と名づけた。

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寒い雪の日も夏の日も。

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二匹はいつも一緒。

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なんなんだ? この仲良しぶりは?(笑)

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バージさんは、彼らの交流を見るたびに、いつも写真を撮っている。

そして、こんなコメントを載せていた。
    ↓
「犬とキツネは行動や性格が似ているところがあって・・・、スニファーのような多くのキツネたちが、毛皮を採るために捕獲されて、ケージに入れられていくことを考えると、ひどく胸が痛んでしまう。」

https://www.thedodo.com/fox-and-hound-are-real-life-best-friends-1169549384.html




キツネと犬というのは、そもそも天敵のような関係だったはず?
キツネ狩りには犬を使うわけだから。。。


それに、

野生動物は食べることと繁殖すること・・のみで生きている・・それが野生動物なのだ

だから、人間のように遊びのための遊びはあり得ない・・とされてきた。
(つまり、子供同士の遊びに見えても、獲物を獲得するための狩りの練習に過ぎない・・という説)


もしも、この説が正しければ、絶対に野生動物には異種間の交流なんてありえないだろう。


ところが、どう見ても・・この二匹は一緒にいるというだけで幸せそう。


そういったことに気がついて、もう、ずいぶん昔に、この説に対して反論を唱えていたのが、羽仁進監督だったのだが・・・

今では、なーるほどなあ・・と、思っている。


異種間の交流と言えば・・

もちろん、キツネと犬だけでない。


野生のホッキョクグマと仲良く遊ぶ犬だとか、フクロウと仲良しのネコだとか、びっくりするような組み合わせが多く報告されている。


なぜなのだ?

エサをもらえるわけでもないし子作りに貢献できるわけでもないのに・・つまり、お互いに利害関係は無いのだ。
そもそも、利害関係から彼らの心理を探ろうとすること自体が、人間の大きな間違いではないだろうか?


すでそこに、重点を置いて考えてしまいがちな、悲しい人間の性。


理由は何もないよ。
ただ、お互いに幸せだから・・・



それだけの理由すら理解できない人間の方が愚かなのかもしれない。

そして、我々は・・野生動物のことすら、いまだにわかってないのかもしれない。



私は友人とそんなことを話し合った。

「それにしても、ほのぼのするような良いニュースってのは、みんな動物がらみのばっかだよなあ。
人間のニュースは、最悪なのばっかだもんなあ。 これじゃあ、人間嫌いになっちゃいそうだ~。」

と、友人が言う。


「ほんとだよねえ・・サリン空爆に報復して米軍がシリア攻撃をしたとか・・そんなのが一面のトップニュースだったりすると、うーーんざりだよ。」

「そもそも、報復ってのはおかしいよ! しかもアメリカ国家が堂々と報復するってのはさ。
アメリカは、昔っから、国家の中枢に登れる人は、WASP(ワスプ)のみって言われてきた国なんだよ。」

注: WASP(ワスプ)とは、ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント(英語: White Anglo-Saxon Protestant)」の頭文字をとった略語のこと


「たしかにそうだよね~、 オバマさん以来、ホワイトというのだけは完全に変わったけど・・いまだに、ムスリムは国家中枢機関にいられないだろうしね。」

「だろ? そのプロテスタントの国家中枢が、堂々と報復のための戦争なんて言葉を使うこと自体が大きな矛盾なのさ。」


「でも、歯には歯を! 目には目を!って言葉があるからOKってことなんじゃないの!」

「それは、聖書を読んだことが無い人の誤解だよ。」



おっと、そうだった・・。。。


目には目、歯には歯
出典はハムラビ法典とされているし、また、旧約聖書にも同じ言葉が記されている。

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目には目。歯には歯。手には手。足には足。やけどのはやけど。傷には傷。打ち傷には打ち傷。
(旧約聖書 出エジプ記21章24-25)



これは、復讐することを奨励する言葉ではなくて、まったく逆の意味なのだ。


紀元前の、この時代の律法では加害者に罰を与えることが出来たわけで・・
ただし、そのやりすぎを案じての但し書のようなものだったらしいのだ。

たとえば、加害者が被害者の片目を潰したとする。
被害者側は超怒りまくって・・今度は加害者の両目を潰した上瀕死の重傷を負わせてしまったとする。

こりゃあ、明らかにやりすぎ。
こんなるともう、被害者の方がもっと凶悪な犯罪者だ。




だから、もしも片目を潰されたなら、片目だけにしなさいよ・・という意味だったそうだ。


そして、こちらは

マタイ伝
   ↓
「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。 
しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。
だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」
新約聖書 マタイによる福音書 5章38~39節

http://www.christ-hour.com/archive/detail.php?id=93より




こちらは、

パウロによるローマの信徒への手紙からの抜粋
       ↓
愛する人たち。自分で復讐をしてはいけません。神の怒りに任せなさい。
それはこう書いてあるからです。「復讐はわたし(神)のすることである。
わたしが報いをする、と主は言われる。」
(新約聖書 ローマの信徒への手紙 12章19節)



古代の律法でも行き過ぎた報復は禁じられていたし、キリスト教が誕生後は、完全に報復はするな!と言い切っている。


うっ! 
そうなると・・・少し前に流行った、倍返しって言葉があったけど・・・これって、完全に現代の報復を象徴するような言葉なのかもなあ。。。



それにしても・・・

昔からキリスト教国だったアメリカって、なんなんだよ?
ちっとも聖書、読んでないじゃんか!@@


ひょっとしたら、復讐するは我にあり=我=神=アメリカ

と・・超・おバカな勘違いでもしてるのだろうか~?


そうでなければ、国家が堂々と、「報復のため」なんて言葉を公言できるはずもないだろうから。
それで、納得しちゃう国民もまた、真のキリスト教徒ではないってことになる。


「だけどさ、そこはほら・・・大人の事情ってヤツでさ・・聖書で正しいことはわかっていても、世の中、そうはいかない事情ってのが大人にあるって言われるだろ? そうやって、みんなが納得しちゃってるんじゃないかな。」

22657777.gif


「それこそ・・詭弁でしかないね~。
大人の事情ってのは、ほとんどが利害にまつわることだもんね~。
それじゃあ、子供に正しい道なんて示せるわけないし・・いずれは、みんな大人になっちゃうことを考えると、お先真っ暗だよ。」



「仲良しワンコとキツネの方が、ずっと神に近い存在だよね~。」


「そうだね、逆に、自称・敬虔なキリスト教徒と言ってる人のほうが、ずーーと神の世界からは遠い場合も多いのかもね~。」
愛よりも利害関係を先に考えるのが大人だとしたら・・・悲しいよね~。」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

先ほどのワンコとキツネのニュースで、ワンコの飼い主で写真家のバージさんが、

「スニファーのような多くのキツネたちが、毛皮を採るために捕獲されて、ケージに入れられていくことを考えると、ひどく胸が痛んでしまう。」とコメントしてたけど、


下記のビデオは、「子ぎつねが捕まって毛皮工場のゲージに入れられていたところを助けた」人がアップしたビデオだ。

こーんな小さなキツネまで毛皮にするために殺すのか・・と、私は初めて知った。。。
そりゃあ、たしかに子ぎつねの毛の方が柔らかいだろうし、上物だろうけど・・。



この子キツネは、助けてもらった人の家で、犬たちと一緒に飼われているらしい。
今では犬とも子供とも仲良くなって、とってもステキな表情をしている。 (1分程度のビデオなんで、どうぞご覧ください。)
     ↓




こんな子ぎつねを殺してまで毛皮にする人もいれば、それを買う人もいるってことだね~。

(そうゆう私も、子供の頃にはキツネの襟巻を持ってたし、若い頃はフォックスコートを持っていたことがあるのだが・・。)


しかし、今は思う。

唯一、動物を殺して食べたり毛皮にすることが許される人々は、厳しい自然環境で生きる原住民だけだと。

彼らは、命がけで狩りをして獲物を捕獲して食べ、また、極寒の冬を乗り切るために毛皮を得る。
そして、それを感謝と共に頂く人々のみが神から許されるのだろう、と。



そう思うと、子ぎつねを捕獲する毛皮工場も、それを身にまとう人々も・・・なんと、あさましい。
神の世界からは遠い人々だ。


だけど・・一方ではそれを救う人がいることも事実だ。

私は、まだまだ・・人間嫌いにはならないだろう。(笑)
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