一流贋作と呼ばれるマイアットとベルトラッチ

さて、先日の絵の贋作の話の続きに入りたいと思います。

こちらの記事からの続きです。
    ↓
メーヘレンの絵をめぐって


その2: ジョン・マイアット(John Myatt)

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ジョン・マイアットさんは1945年生まれのイギリス人。

こちらは、現代に生きている人ですね。

もともとは絵が好きな美術教師だったそうだが、ある日、妻が幼い子供二人を残して家を出てしまい、育児のために退職を余儀なくされたそうだ。

なんとか生計を立てていかなきゃならないけど・・働きには出られない!

そのため、「19世紀~20世紀の絵画、本物の贋作(Genuine Fakes)を描きます」という広告を出しそうだ。

これなら家で仕事ができるからね~。

せいぜい日本円にして2万円~5万円程度の料金だったそうだし、もちろん、これなら犯罪にはならなかったのだが・・・。


しかし、そこに、ジョン・ドリュー(John Drewe)という人物が顧客としてあらわれる。
彼は、ジョンの才能を見抜き、やがて、彼に本物と偽って売る詐欺を持ち掛けたのだ。

この男、なかなかの山師だったようで・・(笑)
原子核物理学者のドリュー,イスラエルの秘密サービスの代理人、防衛省のコンサルタントなどという肩書を持ち、(もちろん、フェイクだけど・・)

武器販売業やら何やら、さまざまな詐欺を手掛けていたらしい。


http://www.dailymail.co.uk/news/article-1247154/John-Myatt-career-forging-famous-works-art-finally-caught.html

John Drewe

この男
 ↓
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ふむふむ。

いかにも詐欺師らしく、「身なりがよくて知的で上品」を身にまとってる風(笑)



絵画には必ず、来歴を記した資料を、その絵画の所持者となる人(収集家や美術館の館長)へ渡されることになっている。

ジョン・ドリューという男、自分は教授と身分を偽って、偽造書類を作成して売り込んでいたらしい。


はじめは、マイアットさんは、ドリューを顧客と思っていたようだし、ドリューの方は、それを勝手に、本物と称して売りさばいていたようなのだ。 マイアットさんには知らせずに・・。


ところが、時間が経てばマイアットだって気がつく。
気がついたときは、もう遅い!

しっかり共謀になってた・・・というのが本当のところだろう。



結局、ジョン・マイアットの方は、シャガール、モネ、シャガール、ピカソなど、7年間で200以上の贋作作品を描いてドリューに渡し、

ドリューは、有名オークションの、Christie's、Phillips、Sotheby's や、また、ロンドン、パリ、ニューヨークのディーラーに販売し続けたという。

もちろん、本物作品と認められたことは言うまでもない。


ちなみに、Wikiによると・・
    ↓

最初に、アルベール・グレーズ Albert Gleizes)(の贋作をオークション会社クリスティーズに持ち込んだところ本物と鑑定され2万5000ポンド(500万円)で売れ、マイアットは分け前として150万円を受け取った。



ふーーん、マイアットの分け前が少ないような・・(笑)

これは、マイアットが描いたモネ
     ↓
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最終的には、ドリュー関係の方から暴かれ、詐欺行為の証拠となる書類を発見され通報したことで二人はスコットランドヤードに逮捕されたのだ。

マイアットは懲役1年、ドルーは6年の判決を受けた。

しかし、マイアットは実際に刑務所に入っていたのは約4ヶ月だったそうだ。



出所して絵筆を持つことを辞めたマイアットだったが・・

なんと、スコットランドヤードの刑事が、マイアット氏自身の作品として絵の依頼をしたのだ。
それも、5000ポンド(当時の価値で140万円相当)で。

その後、その刑事は、さらに画家としてのマイアット氏を後押しし続けたという。


そのかいあってか・・現在では、有名な画家になってしまったジョン・マイアットさん



200あまりの贋作作品のうち、そのうちのおよそ120は美術市場に流通してしまっているわけだけど・・それはどうなってるんだろう?


おそらく、本物として美術館に飾られているか収集家の屋敷にかけられているのだろう。


彼らは贋作と判明したのちも、あえてその事実を隠す傾向にあるという。
たしかに、名画ともなれば鑑定家やブローカーなどを流通し大金が動くわけだし・・・もしもそれが贋作と判明してしまえば、お金だけの問題でなくなるからだろう。



摩訶不思議な世の中だ。
だけど、それが現実社会というものらしい。


The Art of Genuin Fakes

The true story of the downfall of an amateur artist who pulled off the world's most audacious art fraud Read more: http://www.dailymail.co.uk/news/article-1247154/John-Myatt-career-forging-famous-works-art-finally-caught.html#ixzz54kTqypPm Follow us: @MailOnline on Twitter | DailyMail on Facebook

マイアット氏は、一番大切なのは子供たちだったという。
その生活費のために、贋作に手を染めたと裁判でも証言したそうだ。

そういえば、逮捕時に思春期だった子供たちは、犯罪者の父親をどう受け止めたのだろう?

fabulously cool!・・・だそうだ(笑)

ダディーって、超カッコいい!

世界的美術館やオークションハウスをも翻弄した父の腕前を、むしろ誇っていたのかもしれない(笑)


Who Says Crime Doesn’t Pay


今や、ジョン・マイオットは画家としても成功し、しかも座談会まで開く有名人となったのだ。

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彼は、非常に興味深い言葉を述べている。

「贋作を製作するときは、完全にそのアーティストになりきること。
たとえば、ゴッホは人とのつながりを持てず、とても寂しい人生を送ったはずです。

ゴッホの精神状態、自分らしく生きられないことからくる不安定な状態を表現する、こういったことこそがゴッホの心の状態を現しているのです。」


つまり、絵はテクニックだけではないのだ・・・。

そして、彼は、時を超えて・・ゴッホの一番の理解者だったのかもしれない。
もちろん、ゴッホだけでなく、彼がなりきったすべてのアーティストたちの。。。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その3: ヴォルフガング・ベルトラッチ(Wolfgang Beltracchi)

1951年生まれのドイツ人。 もともとの名前は、Wolfgang Fischer
フィッシャーさんという姓だったんだね~。

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彼の父親はアート作品の修復と壁画家をしていたようで、彼はそんな環境で生まれたそうだ。

14歳のときに、はじめてコピーしてみたのがピカソの作品、その後、ドイツの美術学校に通うも、そこは放校させられたという。

素行が悪かった? または、子供の頃から型にはめられるのが苦手だったのか・・(笑)

そのため、彼の絵はほとんど独学だそうだ。


ドイツ人でありながら、アムステルダムとモロッコに住み、また、マヨルカ、スペイン、フランスにも住んでいた彼。

1992年にヘレーネ・ベルトラッッチ(英語名だとヘレン)という女性と出会い、1993年に結婚した後、ここで彼女の姓を使うことになったそうだ。


それから妻と二人三脚で贋作を始めたという。


彼の場合は、単に贋作作品を作り上げる才能だけではない。

美術史、絵画の理論、美術業界、鑑定方法、技術のすべてに造詣が深く、作家ひとりひとりの人生についても調べ上げているのだ。

既存の作品の精巧なコピーではなく「本人が描いたオリジナル作品」を生み出していく。


まあ、ここらへんのとこは、メーヘレンとも共通する。



ところが、2006年に些細なことから発覚することになった。
絵の裏の美術商のラベルが贋作だとわかったことから、発覚となったという。

さらに、どんどん波紋を呼び、
現代アートの殿堂とまで言われた、ポンビドゥー・センター(Pompidou Centre)の元館長、シュピース氏を騙したことで大きく取り上げられることになる。

*フランス・パリ4区(セーヌ川右岸)にある総合文化施設。フランス語での正式名称は Centre national d'art et de culture Georges-Pompidou[† 2](日本語訳の例:ジョルジュ・ポンピドゥー国立美術文化センター)


 これが元館長さんのシュピース氏
         ↓
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Werner Spies rehabilitated with Max Ernst show in Vienna

1997年から2000年にかけてパリのポンピドーセンターのディレクターを務めた人であり、エルンストとピカソの親友で、1971年にピカソの彫刻のカタログシリーズを編集し、1975年にパリのグランド・パレで初めてのマックス・エルンストの回顧展を開催した経歴がある。

ベルトラッチは、そんな人に、なんと、マックス・エルンストの7枚の絵を売ったのだ。

もちろん、世紀の大発見、真作だと偽って!

なんとまあ、大胆不敵な(笑)


さらに、シュピース氏が、この鑑定の際に受け取った巨額の鑑定料を、タックスヘイブン(租税回避地)の口座に入れていたことにより問題はさらに複雑化。

しかも捜査時に、この事をシュピース氏が話さなかったため、真相の解明が遅れて、贋作のいくつかが再び市場に出回るという事態にも陥った。

なかなか美術界というのも黒い世界と見える。。。



こちらが、マックス・エルンストの贋作を作るベルトラッチ
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2008年、マックス・エルンストの『森』の贋作から、オリジナルが製作された1927年当時使用されていなかったとされる顔料(白チタン)が発見されたため、贋作の証拠をつかまれたそうだ。


結局わかってるだけでも、マックス・エルンスト(Max Ernst)、ハインリヒ・カンペンドンク(Heinrich Campendonk)、フェルナン・レジェ(FernandLéger)、Kees van Dongen(キース・ヴァン・ドンゲン)などの有名アーティストのオリジナル作品の偽造品を販売し、

合計4500万ドル(2860万ポンド)で売却された14作品の芸術作品を偽造したとして有罪判決を受けたのだった。



2011年10月27日、ベルトラッチは懲役6年の判決。彼の妻ヘレーネは4年。

ところが、刑務所に送られたにもかかわらず、ヴォルフガングは一定期間家に帰ることが許されいて、彼らは友人のフォトスタジオに雇われて、午前中に刑務所を出て、仕事後に戻る生活をしていたようだ。


なんとまあ、ジョン・マイオットも同様だったけど、刑罰とはいっても、ベルトラッチさんもまた、非常に優遇された軽い刑だったようだ。


とにかく、関係者は贋作だと気がついても、訴えない場合も多い。

また、ヴォルフガングさんの言葉を借りれば、「彼らは、いつも有名アーティストの真作発見を心待ちにしている」そうだ。

たしかに、そんなシロモノが見つかれば、みんなが飛びつく!センセーショナルな出来事なのだ。
そして、関係者はみな大儲けできるんだから。


悪く勘ぐれば、本物かどうか、怪しい気がする・・と思いながらも徹底的に調べずに本物だ!と認めてしまったのかもしれない。

少なくとも、悪気はなかったとしても、心理的に「そういった気持ち」が働いたのかもしれない(笑)




で、当人の、ベルトラッチ夫妻は、犯してしまった罪を深~く反省してるんだろうか?

いやいや、NO!・・・だと思うなあ(笑)


仲良し夫妻
  ↓
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世間もまた、犯罪者呼ばわりするどころか、彼を天才贋作アーティストとして一躍有名人にしてしまった。

今でも、ある美術館では、真作の本物作品とあえて、並べて彼らの贋作を展示しているところがあるという。


いくつかのドキュメンタリー映画も作られ、写真集やら座談会やらインタビューやらで、彼らはみな有名人だ(笑)



妻のヘレーネは、「彼の天職だし、私はその才能に魅了されてます!」とまで言い切っている。

彼らにとっては・・

贋作は犯罪、そんなことは承知の上、
しかし、人として罪を犯したとは思っていない。
むしろ、これが天職だと思ってる(笑)

だから、楽しみながら完全犯罪を企む。
そして・・もしも捕まったときは、潔く刑に服する。
ただ、それだけ。




なぜか、欧米諸国においては・・メーヘレンもマイアットも、ベルトラッチに対しても、一級の贋作アーティストとの名声を得たわけだし・・・

そのせいか、びっくりするほど、刑は軽く、出所すると一躍有名人だ。

欧米人は、そもそも、一流、天才、努力家には、寛大になるのかもしれない(笑)


それがいいのか悪いのかは別として・・

しょせん、刑法なんて、そんなものかもしれない。
人が作ったものなんだから、最終的には、大多数の意思で決められてしまうものかもしれない。

.......................

しかし、面白いものだ。

本物ならば、ン百万円もするようなものが、偽物と断定されれば、せいぜい1万円まで値が下がる。

蚤の市でみつけて600円で購入した皿が、有名陶芸家のものとわかり、数百万円になってしまうこともある。

街中で購入した二束三文の茶碗を千利休が購入して、大名に法外な値段で買い取ったなんて話だってあった。



ネームバリューというヤツだ(笑)

バブルの80年代には、若い女性たちは、有名ブランドに飛びついたものだ。
当時、私が働いていたオフィスでは、5人の女性がいたが・・彼らはみな、バッグはエルメスのケリーだったし、靴はフェラガモだった(笑)

たしか・・ケリーバッグが50万円位だった時代。
ただし、ちょっと専門分野を学んでさえいれば、派遣社員の女性たちも時給2000円近くもらえた時代だった。


こうなるともう、みんなが似たような服装で・・まるで、制服だ!

制服嫌いの私だけが、浅草の職人に頼んで、オーダーメイドのバッグを作ってもらった。
そして、KYと呼ばれることになった(笑)・・・もちろん、その当時はKYという言葉は存在してなかったけど。



こういった当時の女性心というものは・・クリスティーズで名画を競り落とす人々と似かよった心理なのかもしれない。

だからこそ、贋作も真作とされるチャンスが多いとも言えそうだ。



ある鑑定家が、こんなことを言っていた。

「結局、我々が鑑定できるのは、2流の贋作作品までなのだ。
一流の贋作作品ともなれば、作者側が何らかのミスを犯すまではみつけられるものではないのだ。」



となると、たしかに・・・

「美術館で鑑賞してる絵が贋作」ってことも、大いにありえそうだ。


1917年のHeinrich CampendonkによるTiereと、科学的分析を経てCampendonk様式で描いたのWolfgang Beltracchiの絵
   ↓
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ベルトラッチは語っていた。

「エルンストを天才とは思わないね。
エルンストのオリジナルより、私の贋作のほうが美しい。なぜなら、私は彼の作品に加えているからさ。


これは、決して負け惜しみではないのだろう。

そして、彼の妻も娘も、こういった彼を今もなお、誇りに思っているようだ。




参考
Could Wolfgang Beltracchi be the Original Fake?

https://www.youtube.com/watch?v=h2P3VwqnjWY&list=RDh2P3VwqnjWY&t=41

Here’s How to Make Millions as an Art Forger

天才詐欺師はニールだけではない

メーヘレンの絵をめぐって

ある人に、「ゲッティーに行くんだけど、一緒にいかない?」と誘われた。

ゲッティーというのは、J・ポール・ゲティ美術館(J. Paul Getty Museum)のことで、ロサンゼルスでは唯一有名な美術館だ。
ロサンゼルス観光のガイドブックにも、必ずといっていいほど載ってる。



お誘いを受けた人によく聞いてみると、どうやら、私の車で私の運転で行きたいらしい!

冗談じゃない!

遠いし、平日でもメチャメチャ混むし、駐車場も混雑して探すのが大変だとか・・そんな思いまでして行く気にはなれない。
おまけに、私が好きな絵はあまり置いてない。


そういえば・・昔日本に住んでいた頃は、美術展だとか写真展だとかによく出かけていた時期もあったけど・・いずれも混雑はすさまじかったなあ。

そんなことを思い出した。

ゴッホ展だとか、ナショナルジオグラフィック写真展だとか、そういった知名度があるものは行列を作って並び、列を作って歩きながら鑑賞するだけだったし、作品はガラスケースに入れられてるし、写真撮影は出来ないし・・。

そんなんじゃ、アート鑑賞をする意味がない。
疲れに行くようなものだ(笑)


やっぱり、こうゆう環境で見ないと・・

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中には、絵をみながらスケッチしてる学生たちもいる。

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これは、私がニューヨークのバッファローに住んでいた頃、頻繁に行った、Albright Art Museumの風景だ。

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どこのミュージアムも、閑静な場所に作られているしし、建物も環境も、ゆったりとアートを味わうような演出がされている。
それに、どこのミュージアムでも、街中と比べて館内のレストランは食事が美味しい。


アート鑑賞をするためには、すべてが非日常の空間でなければならない。

もっともだと思う。

そこで、お断りすることにした。

渋滞を抜けて駐車場を探し回ってドタバタ絵を見て帰ってくる気にはなれない、と。


そもそも、美術、音楽なんてものは、どうやったって、東海岸にはかなわないのだ。
街を歩く人々の服装にしたって、ニューヨーカーの方がはるかにおしゃれだ。

ロサンゼルスは、ビール片手に、ドジャース観戦の方が似合う街だ。


すると、断った相手からこんなことを言われた。

「えーー! ゲッティーは入館料タダなのに。
じゃあ、あなたは、お金を払ってでも小さい美術館に行く方がいいんだね?
でも、小さいとこなんか、贋作が置かれてる可能性があるよ~。」


はあ?

ゲッティーさんの遺言で入館料がタダなのは知ってるけど、その代わりゲッティー財団は駐車場を15ドルにしてるぞ(笑)

そもそも、大きい小さいとかじゃないし・・・贋作?って、いったいどこから来る発想なんだ??

よくわからん人だ。。。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「贋作」という言葉を耳にして、ふと、思い出したことがある。


3人の贋作画家のことだ。

この話、ご存じだろうか?

その1:ハン・ファン・メーヘレン(Han van Meegeren)

メーヘレンは、1889年オランダ生まれ。

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彼は、オランダの美術アカデミーを首席で卒業したようで、将来をおおいに期待されていた新人だった。



とくに彼は、17世紀の絵が大好きで、フェルメールに心酔していたという。


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フェルメールの代表作『真珠の耳飾りの少女』

しかし、あるとき開いた個展で・・「君の絵はもう古い!」と言われてしまう。

1920年に入ると、17世紀の絵が大好きというメーヘレンの作風は、古臭いとしか映らなかったのだろう。


時代の目は、少しずつ新しい芸術表現キュビスムに移行してきた時代だ。
その代表的なのが、ピカソだった。


写実とかロマン主義的リアリズムとかは、もう、時代遅れになっていたのだ。

当然、彼の絵は売れない。
絵葉書やポスターを書いて食いつないでいたという。


そこで彼は、大好きなフェルメールの贋作を作ることを思いついたのだ。

フェルメールはオランダでは超有名で、17世紀に活躍したバロック時代を代表する画家

ただし、作品はわずか三十数点しか確認されていない。


まだ、作品はどこかに埋もれているのかもしれない。

フェルメールが絵筆を取らなかったという、空白期間があるが、それは、作品が発見されてないだけじゃないだろうか?




メーヘレンは、ここに目をつけたのだ!

そして、こんな作品を描き上げた。

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タイトルは、エマオの晩餐


これを、没落した貴族から極秘に仕入れた絵画を売却しているというふれこみで・・(笑)
もちろん、メーヘレンの見事なまでの贋作だ。


美術界はむろん、待ってましたとばかりに食いついた!


おお! これは、フェルメールが空白時代に書いた宗教画に違いない!
なんと、構図はカラヴァッジョ風・・・いかにもフェルメールがやりそうなことじゃないか!
と、美術界では話題になったそうだ。

むろん、厳しい鑑定も行われる・・が、ちゃーんと鑑定結果でも、真作(本物)とされたのだ。

当時の高名な美術評論家が真作と褒め称えたとなれば、ジャーナリズムは、それをセンセーショナルに煽り立てる。

あっという間に、「エマオの晩餐」はオランダの国宝級の作品に祭り上げられた。


瞬く間に入手バトルが始まり、最終的にはロッテルダムのボイマンス美術館が54万ギルダーで買い上げたという。(4500万円だとか・・・)


おかしなもんだなあ。

古臭いものは売れない時代なのに、フェルメールが描いたものならば、それほどの大金になってしまうんだから。


それからというもの、メーヘレンは、ときどき、「貴族の所有する古い絵画を売る画商」として、仕事を続けていったという。


時は、ナチスドイツの占領下だったオランダ。


そこに、ナチス傘下のヘルマン・ゲーリングがメーヘレンに絵の依頼をする。

この人だ。
  ↓
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絵画コレクションに、どうしても、フェルメールの絵を加えたいというのだ。


フェルメールの絵といったって、そりゃ、メーヘレンの作品なんだけど・・(笑)


ヘルマンは、絵に高額な値段をつけた上、オランダから没収した何点かの絵画を返却する条件を提示したという。
メーヘレンは、それに同意した。

金目当てだったか、それとも、失われたオランダの絵画を取り戻したい愛国心だったか、ナチスに一泡吹かせたかったのか・・そのすべてだったのか?

そこはわからない。

しかし、とにかく、彼は同意したのだ。



ナチスが、欧州各地で美術品を略奪しまくったことは有名な話だ。
なんでも60万点にも上るというし、未だに、未発見のナチスの財宝は10万点もあるんだとか・・。

ヒットラーは、若いころは画家志望だったというくらいで、自分でも絵を描くし、こよなく美術品を愛したという。
ウィーン美術アカデミー」への入学を希望していたのに、試験に落ちてしまったんだとか。

ちなみに、これは、ヒットラーが描いた絵の一つ
     ↓
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アドルフ・ヒトラーの描いた絵画

確かに、素人とは思えないほど見事だ!

だけど・・なんだか、絵葉書の絵みたい。。。


案の定、ヒトラーには、「独創性」が無いということで、落とされてしまったらしい。

技術的な問題よりも、彼の精神性に起因するものが多かったのかもしれない・・。
「絶対に自分の心を見せない」というような・・・


この絵をみてもわかるとおり、ヒットラーは、写実派なのだ。
前衛的作品を嫌って、破壊しまくったことでも知られている。


好きな絵は奪い、嫌いな絵は破壊する。

実にシンプルな人だ。


おそらく、ヒトラーにとっても、フェルマールは好きな絵だったはず。

それが、ヒットラーの意向だったのか、それともヘルマンさん個人の意向だったのかは、はっきりしないのだが・・



1945年ナチス・ドイツの国家元帥ヘルマン・ゲーリングの妻の居城からフェルメールの『キリストと悔恨の女』が押収された。

 
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キリストと悔恨の女

何度も言うけど・・これはメーヘレンの贋作(笑)


それが大問題に発展する。


ナチスなんかに、オランダの宝を売ったのは誰だ!

当然のごとく売却経路の追及され、メーヘレンが逮捕される。

オランダの宝を敵国に売り渡した売国奴としての罪だ。
それは、国家反逆罪


当時のオランダ人が、どれほどナチスを憎んでいたか?と思えば、その罪がどれほど重~いものだったかは想像できるというもの。

とんでもない!
ナチスに売った、売国奴にされたらたまらない!

ここで、はじめて・・メーヘレンは、この作品は自らが描いた贋作であると告白することになった。

メーヘレンの裁判時の写真
     ↓
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これは私が描いたものだ。
これだけじゃない! 
エマオの晩餐も私が描いた! あれも、あれも・みーんな私が描いた!



ところが・・誰も信じない。

そりゃそうだ・・。
国宝級とまでなってしまった絵を、僕が描いた!なんて言ったところで、誰が信じるもんか!

そこで、メーヘレン自身が法廷で贋作を描いてみせることになった。


まず、古い17世紀頃の絵を探し出してきて、絵の具を丁寧に削り取る。
絵の具は、17世紀の手法で自ら作り出したものを使う。
完全にフェルメールに成り切って描き上げる。
さらに、自然に古くみせる工夫もこらす。



そぞ、見事な作品だったことだろう。

実際に、法廷で描いた作品はこれだったそうだ。
     ↓
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寺院で教えを受ける幼いキリスト

なんと、この贋作の絵にも、3000ギルダーの値がついたという。

こうやって、メーヘレンの国家反逆罪の疑いは晴れたのだ。


それどころか、彼は一躍、売国奴から「ナチスを手玉にとった英雄」扱いされるようになった。


贋作の罪も異例の軽い罪となり、1年の禁固刑とされたそうだが、メーへレンは刑務所に入ることなく、亡くなるまで自宅で悠々と暮らしたという。
残念ながら、刑期が明ける前に病死したそうだが。

これは、今だに語り継がれる有名な話として残っている。


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メーヘレンが贋作に手を染めた理由は、自分を認めなかった美術界への反抗とか憎しみとか言われているようだけど・・・

そんなことは、本人に聞いてみなけりゃわからない。
いや、本人だって、わからないのかもしれない。

到底皆さんの納得できるような理由を述べることなんてできないだろう。

そこには、さまざまな思いが織りなす糸のようになっているはずで・・

強いていえば、「ただ、好きな絵を描き続けたかったから」としか、言えないのかもしれない。



これをスピリチュアルっぽい見方から眺めると・・

フェルメールが乗り移っていたのかもしれない(笑)

メーヘレンが愛してやまなかったフェルメール。

フェルメールという人、バロック絵画を代表する画家の1人になっているものの、謎の部分が多いのだ。
生涯で30作品程度しかなく、しかも、生年月日も死んだ日さえも、実はよくわかってない。
ただ、不遇の人であったことは確かなようで、彼の死後も長い間、忘れられた画家だったそうだから。

フェルメールとメーヘレンが引き合い、
さらに、その絵を強く望んだ、ヘルマン・ゲーリングもまた、何かに引き寄せられたのかもしれない。

ヘルマンもまた、最後は自殺を遂げた不遇な人ともいえる。


3人とも不遇な人、しかしまた、「不遇」というのも、一般人の見方でしかない。

本人たちは、思い残すことなく、十分生を全うしたのかもしれないのだ。



こういった贋作事件をみると、いろいろなことを考えさせられる。

美術業界というもの
美術鑑定というもの
芸術作品というもの
法というもの
物の価値というもの



「メーヘレンは、どんなに美術界に認められなかったとしても、諦めず自分の思った絵を描き続け、もっと精進し続けるべきだった」
というのは、実に良識的意見だ。

しかし、それは・・

アートというものが、純粋に作品に感動した人のみが代価を支払って入手できる、というシンプルな世界でのみ言える正論じゃないだろうか。

こんなふうに。
   ↓
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そして、その純粋さだけで、アーティストが食べていかれる世界。


私は、メーヘレンが贋作を犯した犯罪者か英雄かなんてことには、興味はない。


見方が違うだけで、誰でも英雄にもなれば犯罪者にもなる。
革命家がいい例だ(笑)


ただ、一人の人間の生き方としてみた場合、私は興味をそそられたのだ。

しかも、かなりの優れた才能を持っていた彼が歩んだ道に。


実は、私には、フェルメールもフェルメールの贋作も、それほど良さがわからないのだが・・
このデッサンをみたとき、なんとも美しい!と心を捉えたものがあった。


もちろん、メーヘルンの作品
   ↓
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http://www.meegeren.net/



美術界に認められることなく、ポスター画家として食いつなぎ、それでも精進し続けながら一生を終えるのも人生。

途中で諦めて他の職業につくのも人生。

メーヘレンの生き方もひとつの人生。

画家志望だったヒトラーの生き方もひとつの人生。


自分で選択する人生だ。

そして、最後に自分が納得した人生だったかどうか?


たぶん、それだけだろう。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
*長くなったので、他の二人の贋作作家の話は次回にします。

三島由紀夫とゆう人

きのうのブログ記事で、ちょっとだけ、三島由紀夫さんに触れたんで、今日は、三島さんの話をアップしようと思う。


誰でも知ってる文豪で、戦後の日本文学界を代表する作家の一人だったし、

川端康成さんと並んでノーベル文学賞候補にも上がった人。(年齢順ってことで川端さんにノーベル賞が渡ったんだとか)


また、日本で一番文章が巧い作家ともいわれる人。

一番文章が巧いかどうかは、好みの分かれるところだけど、とにかく、「日本語の造詣が誰よりも深い人」とはいえるかもしれません。


で、私は個人的に、三島由紀夫作品が好きかどうかと言われると・・前半のものはよーーく読んでたんだけど、後半のはいまだに読んでない。

読む気になれないってのが正直なところ。
その理由は、あとで述べることにして・・(^-^)/


まず、私が三島由紀夫さんの小説を読むきっかけとなったのは、たしか、高校のときの現国の教科書。

そこに金閣寺の一説が載ってたのがきっかけ。


金閣寺を描写してるんだけど、たしか、この部分だったと思う。
         ↓


私はまた、その屋根の頂きに、永い歳月を風雨にさらされてきた金銅の鳳凰を思った。

この神秘的な金いろの鳥は、時もつくらず、羽ばたきもせず、自分が鳥であることを忘れてしまっているにちがいなかった。

しかしそれが飛ばないようにみえるのはまちがいだ。

ほかの鳥が空間を飛ぶのに、この金の鳳凰はかがやく翼をあげて、永遠に時間のなかを飛んでいるのだ。
時間がその翼を打つ。
翼を打って、後方に流れてゆく。飛んでいるためには、鳳凰はただ不動の姿で、眼を怒らせ、翼を高くかかげ、尾羽根をひるがえし、いかめしい金いろの双の脚を、しっかと踏んばっていればよかったのだ。

そうして考えると、私には金閣そのものも、時間の海をわたってきた美しい船のように思われた。
美術書が語っているその「壁の少ない、吹きぬきの建築」は、船の構造を空想させ、この複雑な三層の尾形船が臨んでいる池は、海の象徴を思わせた。

金閣はおびただしい夜を渡ってきた。
いつ果てるともしれぬ航海。そして、昼の間というもの、このふしぎな船はそしらぬ顔で碇を下ろし、大ぜいの人が見物するのに委せ、夜が来ると周囲の闇に勢いを得て、その屋根を帆のようにふくらませて出帆したのである。





これだけを読んで、がーんとなりました。


この金閣寺を、

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金銅の鳳凰、神秘的な金いろの鳥

永遠に時間のなかを飛ぶ。 

時間の海をわたってきた美しい船

おびただしい夜の中


こんなカンジにイメージさせちゃう。

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ファイナルファンタジーからの画像


さらに、鳳凰は金色の船に姿を変えて

夜に出帆していく

永遠の時間を、

後ろに




美しい映像だけでなく、そこに時空まで加えて・・まさに4次元的な世界を体感させてもらったカンジだった。。。


いやあ、金閣寺を、言葉だけで、こんな描写しちゃう人っていったいどんな人だろう?って思ったもんです。

しかも、ちゃあんと、その美しいイメージがストレートに私の中に入ってきて、
わぉう!と感動させてくれちゃったわけだから。


それから、三島作品を読むようになったわけです。

それは、私が高校生のときのはなし。


もっとも、今の私のように・・残業して疲れて帰宅して、ネコのトイレ掃除して、ゴハン、片付け、風呂に入って寝ちゃうような生活をしていれば、こんな文章を目にしたところで・・・鳳凰だとか金色の船のイメージはわいてこなかったかもしれない。

さらっと読みとばしてしまったような箇所だったかもしれない。


受け手の心にゆとりがなければ、どんなステキなプレゼントを与えられても、気がつかないものなんだろうなあ~。

高校生のときで、つくづく、よかったなあ~と思う(笑)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、三島由紀夫さんといえば、こんなことでも有名な人ですね。


●ボディービルで、ムキムキの体を作り上げた人

●政治的な傾向により、自衛隊に体験入隊し、民兵組織「楯の会」を結成

●自衛隊市ヶ谷駐屯地に押し入って演説の後、割腹自殺



たしかに、子供の頃から貧弱な体で、それにコンプレックスを持ってたらしい。
そこで、自ら肉体改造をするため、ボディビルをはじめたそうだ。

若いころはこんなだったけど・・

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こうなったんだよね~。

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見事な肉体美なんだけど・・

私は、それ以前の三島由紀夫さんの雰囲気の方が好き。

この最初の写真、ネコと戯れてるような方が自然で好きなのだ。

ボディビル後の三島さんの写真は、どれを見ても違和感を感じてしまって・・私は好きになれないのだ。




ボディビルで見事な体になった三島さんは、ヌード写真集までも出版されることになる。

薔薇刑(ばらけい)
写真家・細江英公撮影

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幻想的・耽美的な側面と、オブジェとしての肉体に焦点を当てるという側面とを兼ね備えた作品で、頁をめくるうちに、「ある漠然としたストーリー」が見る者に想起されるように構成されている。
1963年(昭和38年)3月25日に集英社より刊行
薔薇刑_Wikiより




もちろん、このヌード写真集は、そんじょそこらのヌード写真集とは違う(笑)

完全にアート作品なのだから。

写真1つ1つにも、また、薔薇というワードでさえ、シンボルとして使われてるようだ。

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薔薇の花弁は何重にも渦を巻いていて、どこまでが内か、どこまでが外なのかという判断を惑わせる形態をしている。
血と内蔵にまみれた表面は、内部による外部への氾濫だ。その比喩としての薔薇の花。
薔薇は、内部と外部の混沌・合一から生まれる「表層の美」とは何かを、最も明白に表してくれる。




現に、薔薇刑という写真集、今では海外の方で人気があるようで、日本以上に売られてるみたい。

そういえば、「仮面の告白」の中にも出てきたんだけど・・

ジェノバのパラッツォ・ロッソに所蔵されている、グイド・レーニの「聖セバスチャン殉教図」

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これは、ローマ皇帝ディオクレティアヌスの近衛兵であった聖セバスチャンが、密かにキリスト教を信仰していたために、処刑される様子を描いたもの、なんだそうだけど・・・

日本の矢から生々しい血が流れるわけでもないし、むしろ表情は安らぎに満ちていて、若々しい美しい肉体がある・・・
いやあ、こりゃ、そちらの方々が見たら、垂涎ものかも。(←そちらの方々って??)


まさに、エロティシズムの美の極地


そういえば、三島さんは、フランスの哲学者ジョルジュ・バタイユのエロティシズム理論に感銘を受けたというのを、インタビュービデオで見た記憶がある。


ジョルジュ・バタイユのエロティシズムとは、

エロティシズムは、いわば存在と存在の間の“深淵”を超えて、失われた連続性を回復しようとするノスタルジーから生じる。

それは初め肉体的エロティシズムとして、次に心情的(精神的)エロティシズムとして現れる。

つまり、肉体のエロティシズムが安定化することから、精神のエロティシズムが生じてくる。

この連続性へのノスタルジーがエロティシズムを形作っている



この解説がこちら
    ↓

孤独を超えてつながろうとする欲望、これがエロティシズムの根本にある。
私たちにとって恋が苦悩をもたらす理由はここにある。つまりそれは結局のところ不可能なものを追求しているからだ。

恋の感情は「彼女の心を手に入れられたなら、孤独なお前の心は彼女の心と一体になれるだろう」と何度となくささやきかけてくる。
それは叶えられない約束ではある。しかし、恋人たちの間では、それは狂気としての激しさをもって結実することがある。

https://www.philosophyguides.org/decoding/decoding-of-bataille-erotisme/



なんとなく、イメージとしておわかり頂けただろうか?

私には、彼のいうエロティシズムってのは、

永遠に結実しないもどかしさと切なさがあるからこそ、美しさを生むもの。
そして・・ちょぴり、死の予感を含むもの


そんなイメージがしてしまう。


さて、三島由紀夫さんも、ちゃーんと、この写真集の中に、同じようなポーズのものを入れてる。

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そのほか、

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また、こんな写真も

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新版 薔薇刑 細江英公 写真集 三島由紀夫


時計のモチーフを使った写真もいくつかあるらしい。


三島さんの「薔薇と海賊」からの抜粋
    ↓
帝一 (わが胸を押へて)ここでテクタク、時計みたいに動いてゐるものがハートだね。

楓 でもそれは冷たい鐡と硝子の時計ぢやなくて、熱い肉と血でできた時計なの

帝一 それぢやその時計、生きてゐるんだね。





おそらく三島さんて人は、文筆家としての才能だけでなく、絵画、音楽、戯曲といった幅広いセンスと才能を持ってたんじゃないのかなあ?

現に、戯曲もいくつも残してるし、それを演じる俳優さんに言わせると・・

「三島さんの戯曲は、セリフの言葉が緻密に計算されて書かれていて、とにかく美しく、印象的に作られている」のだそうだ。



さて、これほどまでに、多くの才能を秘めたアーティストが、なんでまた、政治活動?


こーんな軍服らしきものまで作っちゃって・・自前で団員たちに支給してあげたりして、

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当時は、「あーあ、三島も終わりだね~。 わけわからん、兵隊ごっこまで始めちゃって。」

「今さら、天皇制だとか、右翼に走るなんて頭がおかしいよなあ。」


と・・・評判ガタ落ち。

多くの人に失笑されたそうです。


アーティストは、右翼でも左翼でも・・政治と結びつくなんて、ありえないよなあ。。。

ましては、なんで今さら、天皇を神様にするんだ?


と、私も、さーーぱりわからん!状態だった。


ところが、時を経て今になってみると・・・彼は、右翼とか左翼とか、また、この天皇一家を神として神として崇めよう、なーんてことを目指してたんじゃなかった・・・ってことに気がついた(笑)

決して、この方々を神様として明日から奉ろう!なーんてことじゃないので・・誤解無きように。
       ↓
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三島さんの、こんな言葉が残っているらしい。

天皇は「日本の歴史・文化・伝統の中心」であり、生きている現人神で、絶対的存在であった。
しかし、米国が作った平和憲法の中の天皇は「国政に関する権能を持たない国民統合の象徴」であるだけだった。

日米同盟という安保の枠組みの中で経済的豊饒(ほうじょう)に安住し、国を守れる軍隊も持たず、情けない「米国に従属した国」となった。



「果たし得てゐない約束――私の中の二十五年」からの引用部分
     
私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。
このまま行つたら「日本」はなくなつてしまうのではないかといふ感を日ましに深くする。

日本はなくなつて、その代はりに、、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。

それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気にもなれなくなつてゐるのである。



ああ!

たしかに~。


今、、まさに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない或る経済的大国になっちゃってるなあ。

それすらも、翳りが見えてきてるけど・・



私のつい最近のブログで、サンクスギビングデイに日本史を考える

でも、触れたんだけど・・

日本は太古の昔から、他国のウシハク国とはまったく違った文化や思想を持つ国。

シラス国なのだ。

それは、アマテラス神の血筋を継承する、天皇を中心に、民による君民共治をする国。

それは、他国の金権主義や合理主義をベースにしない、独自の文化を持つ国。




たぶん、三島さんは、かつての日本、そういった独自の文化を持つ国に戻したい!
そのための、スピリチュアルな天皇制を目指したんじゃないだろうか?

ってことに・・今さら気がついた。

となると・・もちろん、今の天皇家のあり方・・ほとんど一般人と変わらないようになっちゃった? しちゃった?あり方にも、異議を唱えたことだろうね~。

なんかのエッセイだったか、コラムだったか・・忘れちゃったんだけど、

だからこそ、天皇は一般人のような自由は許されない存在なのだということを言ってたはず。


戦後、口当たりの良い言葉、民主主義、平等の世といった言葉にくるまれちゃって、すっかり、欧米諸国龍の金権主義に魂を譲り渡しちゃった文化になっちゃったってことかな。。。


それを、1960年代後半~1970年代に、警鐘を鳴らしていたんだから、これって、すごい!かもしれない。

日本は裕福になり、まさに、バブル景気に向かうような時代だったときに。

三島さんて、世の中の流れについても、おそろしく先見の目を持っていた人だったんだろうね~。

だけど、こんな時代では、ほとんど理解されなかったのだろう。

それが世の常だから。。。。



おっと!

三島さんよりも、もっと昔に、先見の目を持ってる人がいたのを忘れちゃいけない!

それは・・幕末の頃にいた、佐久間象山(さくましょうざん)という思想家の先生

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これも、以前のブログ記事、中国人と日本人と論語にも、アップしたんだけど、そこからまた、引用すると・・

幕末の頃といえば・・

開国して優れた西洋のものをバンバン入れようぜ!って人と、日本国に西洋人なんてとんでもねーぞ、ぶっ殺せ!って人もいた動乱期。

ところが、象山先生は、東洋道徳・西洋藝術を唱えたのだった。

あくまでも、東洋的な思想を基盤にした上で、西洋の技術、テクノロジーを取り入れるこそがすぐれた国を作ることだと。

この時代に、彼はちゃーんと見通してた。

東洋と西洋の優れた部分と弱点すらも!



誰もが黒船来航から、新しい文化・テクノロジーに有頂天になってる人か・・または、外国すべて排除してやる!という反対派と、真2つに割れてた時代に、冷静に未来をみつめてた人もいたんだね~。


三島由紀夫さんもまた、日本の未来を考えたとき、佐久間象山と同様な危惧を持ったんじゃないかな?


そんでもって、楯の会活動に入る?

うーーん、なんだか・・そこらへんには、ちと、無理があるような・・(笑)

私の、まったくの個人的直感に従って言ってしまえば・・

ただ、彼は、死にたかったんじゃないかと!

それも、冷静に計画的に。

死ぬ準備の流れの1つとして、楯の会があったのではないかと・・・。


これは、まーーたくの根拠もない、想像です(笑)


なんで死にたかったのか?

そりゃ、よくわかりません。

色々な方がさまざまな推測をしてるけど・・・。

醜い姿をさらして老いて死ぬより、美しい肉体のうちに死にたかった。

美を完結させたかった。

自分の一生を自分で演出し、現実を舞台にして死をもって完結させた。


もっと、現実的な推測をみると、

小説がもう書けなくなって自死した。
右翼を貫くパフォーマンスとして自死した


なーんてのもある。


ドナルド・キーンさんという、彼は有名な日本文学の翻訳家。
永井荷風や谷崎潤一郎などの翻訳も手掛け、個人的にも親しかったそうだ。

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とくに、いちばん親しかったのは三島由紀夫さんだったらしい。


彼が言うには、

「自死を選んだ原因はいくつもあると思います。

三島が命を絶ったのは憂国のためだけではないと思います。

彼には独自の美学があった。彼は歳をとりたくなかった。
美しく咲いたままその命を閉じたかった。

それも1つの大きな理由でしょう。」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ある日、死にたい!と思ったとしたら・・

それも、冷静な意思として思ったとしたら・・

それはもう、ますます、死は身近になってきて、死は美しい憧れのようになっていくのかもしれない。

アーティストであれば、それを、自ら演出しようとしてしまうかもしれない。


もう一つ、美輪明宏さんが興味深いことを言ってましたっけ。

美輪さんは、三島さんと長年に渡って懇意にした人だ。

ある日のパーティーでのこと、

美輪さんは突然、三島さんの背中のところに変な人影が見えたそうだ。
緑色ぽい人影で、青年将校のような姿をしていたという。

ところが、美輪さんは、その人物を知らない。

「どうやら、二・二六事件の関係者じゃないかしら。」

そこで、三島さんに、その関係者の名前をあげさせたそうだ。

いくつか名をあげても、みんな違う。

そのうち、「磯部浅一」の名をあげたとたん、それは、ぱっと消えた。

「それよ!その人よ!」と、美輪さんは叫んだ。

霊は名をあげられると消えるそうだ。

三島さんが、どうやら、磯部浅一の霊に憑依されていたというのは、知る人ぞ知る有名な話。


美輪さんは、こんなことも語っている。
    ↓
「『憂国』を書いてる時に、自分であって自分でないようなおかしなことはありません?」って聞いたら、「ある」っておっしゃって…。

眠くなっても筆だけ闊達に動いてるんですって。で、どうしてもやめられない。

終わった後読み返して、文に不満があるんだけど、書き直そうとしても何かが書き直させない力が働いて、あれは不思議だったっておっしゃった。

あの「憂国」というのは、純粋に三島さんではないと思っています、半分ね。」



磯部浅一という人物は、二・二六事件の実質指導者で首謀者として銃殺刑を受けている人物。

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処刑が決まったあと、獄中での磯部は、軍の幹部から、世の中すべてに至るまでを呪う文書を多く残してる。

死にたくない、仇がうちたい、全幕僚を虐殺して復讐したい・・・とか。

「天皇陛下 何と云ふ御失政でありますか 何と云ふザマです、皇祖皇宗に御あやまりなされませ」などと書き記して、
現天皇はおろか明治天皇、皇祖神、天照大神にいたるまで叱り、呪っている恨みっぷりだったそうだ。

「成仏するつもりなど、さらさならない、悪鬼となりて所信を貫徹してやる!


二・二六事件の青年将校の霊に憑依されていた三島由紀夫


怨んで怨んで、悪鬼のようになって死んでいった人のようだ。

なんと往生際の悪い・・。


そうか~!

そのせいだったのか~!

と、実は、私は自分なりになんか、納得してしまったものだ。。。

私が後期の三島作品が好きになれなかった理由。

なんとも違和感があって、本を手にとっただけでも読む気にすらなれなかった理由は、そこらへんにあったのかもしれない。

違和感と重さ


憂国なんて作品、舞台を見る気さえなれなかった。。。


写真を見たって、たしかに後半の三島さんは、イケメンに変身し、

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素晴らしいボディかもしれないけど・・

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どうも好きにはなれない。

目が、どうにも好きになれない。

異質に、なんだか作り上げたような表情だし・・・。

最初にアップした若かりし頃、たしかに・・ちょっとなよっとしてるけど・・私は、こっの方が100倍好き。

または、せいぜい、このくらいまでの頃の写真

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ネコ好きだったのかな?

彼の作品についても同様に・・・ある頃を境にしてから、つまり、ボディビルあたりを境に・・読む気がなくなってしまった。



それは、彼が彼であると同時に憑依されて、半分は別の人にもなっていたからなんだろうか?


後半の三島さんは、憂国の舞台で真に迫る切腹シーンを撮影したり、関の孫六の名刀を手に入れたり・・どんどん、そっちの方向へ傾いていく。

鬼気迫るように。

憑依の力も借りて(利用して)、クーデターにおよび、割腹自殺に至ったのかもしれない。


しかし、それもまた自分。
自分が呼び寄せた霊、たとえ無意識だったとしても・・・。



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これは、美輪さんが最後に三島さんと会ったときのエピソードから。
   

自決される1週間前、三島さんは私がコンサートをやっている日劇の楽屋を訪ねてこられました。

「出演おめでとう!」と言いながら、抱えきれないほどのバラを持って。

ピカピカの靴でタキシードで正装されてました。
普段ならご家族のことなどはあまり話さない方なのに、その日に限って弟さんの話をしたりして、いつもの様子とはちょっと違っていました。

 三島さんが劇場の控室からお帰りになる際、突然楽屋を振り返り、「もうこれっきり、君の楽屋には来ないからね」と。

「どうして?」と聞いたら、

「今日も奇麗だったよ!なんて嘘をつくのがつらいから、もう来ないよ」
そんな皮肉交じりの冗談を笑いながらおっしゃって出ていかれました。

298521-赤い背景に彼の背中の後ろに赤いバラの大きい花束を持って男



なんとまあ、古い外国映画のセリフみたいに、おしゃれなセリフ(笑)

それもまた、彼の別の一面だったんだろうなあ。



三島由紀夫が亡くなったのは、1970年

今から、もう47年前だ。


彼の魂は今、どうしてるんだろう(笑)

とっくに、統合されてしまい、個としても三島由紀夫はなくなってるんだろうか?


それでも、生きてる我々には、決して消えない人のようだ。

彼の作品とともに、いまだに語り継がれているわけだから。




参考
http://d.hatena.ne.jp/SemiuNatsuhito/20141130/1417345296

http://www.tv-asahi.co.jp/ss/182/special/top.html
http://news.livedoor.com/article/detail/9916106/

丙午のジェーンさんの人生そして宿命と運命

「私はね、丙午(ひのえうま)の生まれなんですよ。」

日系1世のおばあちゃんが言った。

この方は、日本で生まれて結婚しその後夫婦でロサンゼルスに渡ってきたという経歴の人だ。


「そういえば・・丙午の女は強過ぎて男を食い殺す・・なーんて話は聞いたことがありますね。
昔は、そんな話が信じられていたとか。」

「ええ、そうなのよ。 私も、娘時代に見てもらった占い師さんから結婚は無理かもしれないって言われたものですよ。
自分で手に職をつけて自立していく道を考えた方がいいですよって。」

このおばあちゃんは、アメリカ国籍で名前はジェーンという。
昔、日本にいた頃は当然、日本名があったのだろうが・・そんな昔の名前は知らない。

「丙午の日に生まれた女性の特徴って、具体的にはどうゆうものなんですか?」
と私は聞いた。

「とにかく強いんだそうよ。 自我の強さがあって頑固、負けん気と根性で自立心が旺盛と言われましたわ。
だから、そちらの特性を活かしなさい、と言われましたのよ。」


強いってステキなことじゃないですか?
男でも女でも、私は「強いが一番」って思っていますけど。(笑)」



強い女のイメージというと、こんなのを思い浮かべるけど・・
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ジェーンさんは、どっちかというとこんなカンジ
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細く華奢でエレガント、物腰も上品で、まさに清楚というイメージに近い。


ということは、まさに・・ジェーンさんは最強の丙午の女かもしれない、と思った(笑)

逆に、見かけがいかにも強くワンマンで、上から目線でガンガン物言いをするような人に限って、「弱い人」というのは世間の常だ。

人は、弱さ、臆病さを隠そうとして、大きく尊大に振る舞うものだ・・と私は思っている。


「そうね、今の時代はそうかもしれないわね。 でも私の時代には強い女は嫌遠されたのよ。
もう、丙午の女というだけでね。」


「ジェーンさんは、自分でビジネスをはじめたり、いわゆる、キャリア・ウーマンの道は望まなかったんですか?」

「いいえ、まったく!
私の夢は、結婚して子供をたくさん作って育てる専業主婦だったの。
だから・・そんな占い師の言葉なんか、糞くらえ!って思ったわね。」


エレガントに微笑みながら、お下品な言葉を見事に使いこなす(笑)
それだけで私は、彼女がいっぺんで好きになった。

ジェーンさんは続ける。

「事実、私は結婚して専業主婦になり外で働いたことは一度もありませんの。
それが、私の子供の頃からの夢だったんですもの。」

「それは素晴らしい。 夢をそのまま実現されたってわけですもんね。
もしも、若い時に占い師の言葉に従って、自立の道を歩んでいたら、ひょっとしたら違った人生になったかもしれない。」

「ええ。 もともと、私、占いはあまり信用していませんの。
占いよりも自分の人生は自分の意思で決まるものじゃないかしら?
宿命とか運命というのも、私、あまり信じていませんのよ。」

彼女は、私(わたし)ではなく、わたくし、と言うのだが、それに、ちっとも不自然さを感じさせない。


ジェーンさんは、結婚後、夫とともにロサンゼルスに渡り、4人の子供を育てる母親となった。
夫は苦労しながら、レストランを経営し、それを大成功させた、ということだけは耳にしている。


おそらく、彼女は、若いころから華奢で物静かで夫に従う専業主婦の典型、のように思われていた人だったんじゃないだろうか?

しかし、その実、夫を支えて時には叱咤激励して、夫の事業を成功に導いたのも、ジェーンさんの貢献するところが大きかったんじゃないだろうか?


彼女のご主人もまた、妻のアドバイスに常に耳を傾けて一緒に歩む人だったのではないだろうか?
外見は典型的な亭主関白に見えた方かもしれないけど・・(笑)

私は、勝手ながらも、そんな想像を巡らしていた。


まさに、丙午の女かもしれない(笑)
まさに、丙午の女にふさわしいステキな夫だったのだろう。
(←すでに故人となられてるらしい)


そんな彼女に、「結婚は向かない!」なんて言ってのけた占い師は、やっぱり・・ヘボ占い師だ!(笑)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昔、彼女を鑑定した占い師さんは、四柱推命と風水の占い師さんだったらしいが、彼の言ってることは、おそらく間違いではないのだ。

この点においては。
    ↓
とにかく強くて、自我の強さがあって頑固、負けん気と根性で自立心が旺盛

まさに、これは、ジェーンさんが持って生まれた気質、キャラクターなのだろう。


たしかに、その通り!と私も感じてしまう。


しかし、だからといって、「家庭を守るだけの専業主婦には向かないから、自立した職業人を目指した方がいいですよ!」というアドバイスは間違いだと思う。

人というのは、そんなマニュアル通りに当てはまらない。

たぶん、鑑定した占い師さん自身が、マニュアル通りに生きる世界しか知らない人だったのだろう。
たぶん、stereotype(ステレオタイプ)の占い師さん(笑)


そもそも、東洋系の占いというのは、宿命をベースにしているようだ。
(東洋系というのは、四柱推命、天中殺で知られる算命占星術、風水などのこと)

生年月日から、「あなたはこういうタイプですね。」といった気質を見て、そこからさらに気の流れを見て、「こうゆう運命をたどるだろうから、子供は作らない方がいいとか、結婚には向かないとか・・わりと断定的に答えを出す傾向もあるように思える。

宿命運をベースにするという点では、西洋占星術、ホロスコープも同様らしいが・・。


たしかに、東洋占星術は、生まれ持った気質を見る、という点では大変優れていると思う。
また、現状のバイオリズムを知るという点でも優れていると思う。


しかし・・しかしなのだ!

一部の占い師さんがアドバイスするような、「宿命に沿った生き方」を提唱するのは、ちと違う気がする。


そもそも宿命とは? 運命とは?・・というのは、昨今ではよく耳にする言葉だ。

宿命は、生まれ持ったもので、決して変えられないもの・・・人種、肌の色や目の色、生まれた場所、両親など
運命とは、自分の意思で変えられるもの・・・性格、環境などなど。



漢字が表す如く、まさに、「宿った命」と「運ぶ命」ってことだ(笑)


それを、最近では料理の材料とメニューに例えたりする。
・・えーと、最初、この例えは江原啓之さんが言い出したんだっけ?


あなたが持って生まれたものは、ジャガイモ、ニンジン、牛肉、玉ねぎ etc. (宿命)
それを使って、美味しいカレーを作ることも、シチューを作ることもできる。それはあなた次第。(運命)



なんだか、私は個人的に・・こんなことを言われるのはあまり嬉しくない。
きっと、例えが悪いだけなのかもしれないけど・・。


つまり、あなたはこうゆう材料なんですからこの範囲でできることをしてください!ってニュアンスを感じてしまうのだ。

そう、はじめから範囲指定がかかってる気がしてしまうからだ。


もしも、私がどうしても、オマールエビのアメリケーヌを作りたかったとしたら?

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「宿命(材料)に入ってないから無理ですよ。」と、言われてしまうことになる。


たぶん、ジェーンさんだったら、こう言うだろう。

「あら、宿命に入ってなかったら、ご自分で材料を作って新しく加えてしまえば、よろしいんのではありません?。」と。

彼女は宿命なんてことすら信じてない。


たしかに、自分が生まれた両親、場所、そのときの状況・・裕福な家かビンボーな家か?な~んてことは、どうにもならないことだ。

しかし、一説によれば、「ヒトは生まれる前に自分で、その状況を選んで生まれてくる」ともいう。

だとすれば、それはすでに自分の意思ということになる。


ところが現生に生まれた瞬間忘れてしまい、「あ~、もっと裕福な家系に生まれたかったのに~」と嘆いたりすることもある(笑)


面白いことに、前世で占領軍に惨めに殺された人は、次に生まれ変わるときは、逆に占領軍側に生まれ変わるともいう。

さまざまなケースを学ぶために、それも自分自身で選択して生まれてくるそうだ。


そういった側面から考えると、宿命すらも、すでに自分の意思ともいえそうだ。


また、「人は出会う人は選べない。出会いは宿命」・・ともいわれるけれど、それも、自分が引き寄せてくるものかもしれない。

それは、複雑に織りなすクモの糸から手繰り寄せた因果関係の結果、というものかもしれない。

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死もまた、選べないもの、まさに死は宿命、といわれるけれど・・・それも自分の意思が働いているのかもしれない。


「たぶん、私はXXで。XXの状態で死ぬだろう、それも宿命なのだから従おう!」と思ったノストラダムスは予言どおりに亡くなったとか。
(本当に彼がこう思ったかどうかは不明だけど)



「基本的に、未来の出来事には変えられるものと、変えられないものがあります、
しかし、クライエントが心底望めば、それは変えられるものへと転じることもできます。」


と言っているのは、ゲリー・ボーネルさん。


「宿命を知って宿命に沿った生き方をしなさい!」と言われるよりも、私にとっては、ずーーと、未来に暖かい光明を見いだせる言葉だ。


結局のところ、人の強い意思や意識が作り上げるものこそが未来図ではないだろうか?

強い意思や意識、それさえあれば、不可能とみえることさえも可能に変えられる。


ただし、漠然と心で願うだけのことでは、変えられるわけもない。

「漠然と心で願うだけ」の人が、なんと多いことか(笑)


たとえば、どうしても結婚がしたいんです!といって、占い師を訪れる適齢期の女性。

誰と結婚したいのか? その相手もいなかったりする。

それは、「漠然と」心で思っていることに過ぎない。

世間で周囲の人たちが結婚していくから、自分も一度くらいは結婚したい!と願うのは、魂から出た意思ではないはず。


お金持ちなりたいんです!というのも同様だ。

多くのお金を手にすることで、いったいどうしたいのか!


そういった方に聞いてみると、豪邸に住んで自家用機を持って人に羨ましがられる身分になって・・なーんてステレオタイプの金持ちイメージを語りだす人が多いのも事実。

願望というよりも、漠然とした憧れに過ぎない。



ジェーンさんの夢は、「結婚して子供をたくさん作って、夫を支えながら子供の成長を助ける人生」というものだった。

それは、夢なんて漠然とした言葉よりも、そこには強い意志があったように思う。

強い意志には、強い意識が働く。

だからこそ、結婚に向かない丙午の女でも、実現させてしまったのかもしれない。



そこを見抜けなった占い師さんは、やっぱりダメ~!だったんだろうなあ(笑)

もしも、丙午の、ふわふわした女の子がやってきて、

「私、適齢期には結婚したいんですけど~。」と言ったのであれば、彼のアドバイスは非常に適切だったかもしれない。


しかし、そこらへんは、占い師さんであれば、研ぎ澄まされた鑑識眼とさらに、スピリチュアルな感性を使って察知しなければならないところだ。


どんなに勉強をされた博識の占い師さんであっても、答えは文献の中にはみつからない。
占いは、一般論ではないのだから。

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ましてや、未来を占うことは難しい。
たとえ、過去を見事に言い当てることができたとしても。

また近い未来が見えたとしても、先になればなるほど難しくなる。


なぜならば、人々の意識が変われば、いかようにも未来は変わっていくものだからだ。

ババ・ヴァンガは、ブルガリア政府公認の優れた予言を残していることで有名だし、現代のジョセフ・ティテルなども、優れた予言者だと思う。

こういった優れた予言者は他にも多くいることだろう。


一般人は、つい、〇〇パーセントの確立で当たったとか外れたとか・・
それだけで、本物か偽物かなんてことまでも判断したりしがちだけど、愚かな話だと思う。

予言とは現在の意識の延長にあるものに過ぎない。

未来予測は、あくまでも現在の意識状態のままでいたときの場合に過ぎない。


それが嫌なら、自分の意識を変えることなのだ。

おそらく、

優れた予言者とは、人々が何かに気づき意識を変えて、予言が当たらない状態こそを願って、予言を発表するのだろう。


私もジェーンさんのように、

「宿命、運命? そんなものは関係ないぜ@
うだうだ、そんなこと考えるな! 未来なんか、どうにでも作れるんだぜい! 」


と言うことにしている。


どうも・・・私が言うと下品になる。
下品な言葉を使うと、ますます下品に聞こえてしまう。。。
これこそまさに、人柄っていうものなのかなあ。

アレキサンダー大王からヒュパティア、そして現代へ

友人から聞いて・・アレクサンドリアという映画をみた。

FC2映画 アレクサンドリア

4世紀のエジプトのアレクサンドリアを舞台に、実在した学者、
ヒュパティアの物語だった。

まず、アレクサンドリアという場所はココ。
    ↓
p01-02.png
ビブリオテカ・アレクサンドリア・プロジェクトより

地中海に面した南東部、
この周りを見ると、アテネ、テーベ、コリントス、シラクサ、ローマ、ボンベイ、クノッソス、カルタゴ、ビザンチンなどという、有名な都市が、まさにオンパレードだね。

もともと、この都市は、かの有名なアレクサンダー大王が作ったもの。
(ギリシャ語読みにすると、アレクサンドロスだが、ここでは、アレクサンダー大王と呼ぶことにする)

アレクサンダー大王と言う人は、生まれは非常に高貴な血筋でありながら、前線で戦えばめちゃめちゃ強い、おまけに臨機応変に対応できる戦略家でもあったとか。

だからこそ、小アジア、エジプト、ペルシャ、インドなど、ほぼ世界征服できちゃったんだろうねえ。
おまけに、彼の目は「一眼は夜の暗闇を、一眼は空の青を抱く」と言われた、虹彩異色症、つまり、ブルーとブラウンのオッドアイをしていたんだとか。

そういったルックスまで伴って、とにかく戦えば負け知らずの、カリスマ的存在だったのだろう。

しかも、彼の場合は武力だけではなく、知性と教養も高い。
子供のころは、わざわざアリストテレスを先生として招いてたとか。
Alexander_and_Aristotle.jpg
↑アリストテレスの講義を受けるアレクサンダー

また、愛読書がホメロスの詩で、遠征中にも持ち歩いていたと云われている・・つまり文武両道カリスマ的存在であり、とにかくすごい人だったらしい!
それは、旧約聖書コーラン、シャー・ナーメ(イラン最大の民族叙事詩)、ゾロアスター教など多様な民族の教典にも登場することをみても、どれほど・・すごい人だったのか・・。


さて、アレキサンダーさんは、各地を遠征して手中に収めたいく中で、主要な場所には、みーんなアレキサンドリアという名前をつけて都市建設をしていったようだ。(まるで・・マーキング?)

で、アレキサンドリアは、実に70か所以上もあったらしいのだが(70か所もマーキング?)、その中で一番繁栄したのが、ここのアレキサンドリアだったというわけだ。

p01-alex.jpg

それまで、大きな港を作ることができなかった地を、ファロス島という島を堤防で繋ぐことで、西と東に2つの港を築くことが可能となったし、ナイル川から注ぐ湖があることで飲料水も確保できる。

そんなわけで、アレクサンダー大王の死後も、(実は若くして死んでしまうんだよねえ。天才ってのはやっぱり早死か?)最も繁栄した都市。

その後プトレマイオス一世によって引き継がれたアレクサンドリアは、東地中海と紅海を通じてインド洋の南海貿易を行い、巨額の富を得た。
その富を都市建設に投じ、ヘレニズム世界の中心として文化的にも大いに繁栄し、「世界の結び目」と呼ばれ、地中海貿易の中心地として繁栄を続けた・・・そうだ。

注:プトレマイオス一世というのは、アレクサンダーさんの臣下だった人で、マケドニア出身のギリシャ人将軍。
ちなみに、アレクサンダーさんもギリシャ人だったし、当時の公用語は、コイネー語といわれるギリシャ語で、エジプトでありながらも・・・支配層は全部ギリシャ人。 エジプト人は肉体労働をさせられる奴隷とかが多かったそうだよ。
つまり、エジプトとギリシャが融合してたような文化、まさに、ヘレニズム文化だったんだよね~。


「アレクサンドリアにないものは雪ばかり」という言葉もあるくらい、おそらく百万都市だったんじゃないか?・・とまで言われた都市。

で、このアレキサンドリア・・中でも、ものすごーーく有名なのが、図書館ファロス灯台

ファロス灯台は、世界の7不思議の一つとまで言われるような、すごいものだったらしいが、まあ、この話は別の機会にでもするとして・・・・
アレクサンドリアの大灯台

またまた、すっごい!のが、この図書館。  

Wikiによると↓

世界中の文献を収集することを目的として建設され、古代最大にして最高の図書館とも、最古の学術の殿堂。
所蔵文献はパピルスの巻物であり、蔵書は巻子本にしておよそ70万巻にものぼったとされる。アルキメデスやエウクレイデスら世界各地から優秀な学者が集まった一大学術機関でもある。薬草園が併設されていた。



この時代だから、綴じ本はなかっただろうけど、パピルスの巻物が山のようにあったことだろう。。。


さて、ここで、ようやく本題に入る。(今までは、ぜーんぶ前置き。)

ようやく、ヒュパティア登場。

Hypatia.jpg

Ὑπατία, Hypatia・・・・哲学、数学、天文学分野の学者。 
(ハイパティアか、ヒュパティアか、発音はわからないけど、ここでは一般的に、ヒュパティアと呼ぶことにする。)

アレクサンドリアのテオンの娘であり、ヒュパティアは400年頃アレクサンドリアの新プラトン主義哲学校の校長。
彼女はプラトンやアリストテレスらについて講義を行ったという。

お父さんのテオン(Theon of Alexandria 、335年頃 - 405年頃)は、同様にギリシャの天文学者・数学者・哲学者で、アレクサンドリア図書館の最後の所長であり、高名な学者だった。
当然、父の姿を見て育った娘も、父の後を継いで学者になったんだろう。

典型的なギリシャ美人だったらしいが、父を凌ぐほどの学者だったらしいのだ。

残念ながら、彼女はキリスト教徒により異教徒として虐殺されてしまったため、彼女の文献はほとんど残っていないらしい。

そう、この当時は、プトレマイオスがローマに滅ぼされ、エジプトがローマ領になっていた時代。
ローマはアレクサンドリアにエジプト総督をおいて支配し、さらにキリスト教勢力がどんどん強くなっていく時代。

当時のアレクサンドリアの総司教は、強硬派のキュリロス
皇帝から、非キリスト教の宗教施設・神殿を破壊する許可を与えられ、キリスト教の暴徒を使って、寺院やアレクサンドリア図書館や他の異教の記念碑・神殿を破壊しまくる。

映画の中でも、こういったシーンがいっぱいあった。

それまでのアレクサンドリアでは、宗教は比較的自由で、エジプトの神やギリシャの神、その二つが融合した神だったり、また、ユダヤ人地区では、ユダヤ教のシナゴークも多く存在していたようだ。

しかし、どんどんキリスト教信者は増えて行く。
貧しい者から、どんどんキリスト教に洗脳されていく。

数は多くなればなるほど怖い。。。


暴徒となったキリスト教信者は、414年、ずべてのユダヤ人を強制的に追放してしまう。

もう、キリスト教に改宗しない限り、そこでは生きてはいけない・・という状況になるのだ。

ところが、ピュパティアは、学術的で、科学的な思考をする。
神秘主義を廃し続け、しかも妥協しなかった。

それは、キリスト教徒からすると全く異端だったということだ。

とうとう、キリスト教信者たちによって教会に連れ込まれ、生きたままカキの殻で肉をえぐられて殺された・・・らしいが、
映画では、さすがに、石打ちの刑で殺されたことになってた。
まあ・・どっちにしてもあ。。。

・・・・・・・・・・・・・・・

この映画を見ていると、キリスト教信者が、悪魔の集団に見えてくる。

集団で徒党を組んで、破壊、惨殺しまくり。

それから後の世、中世においても、キリスト教によって、貴重な文献を焼きつくされ、異端審問と魔女狩りで多くの学者は殺されたわけだし・・・
なんとまあ、この時代から、恐怖のキリスト教時代が始まってたんだなあ。


その後、アレクサンドリア教会は最初の布教の拠点の一つとなり、キリスト教の五本山の一つされたそうだ。

五本山とは・・・ローマ帝国末期に5つの管区に別けて教会と信徒を管理するようになった。
その5管区の大司教がおかれた教会を五本山といい、ローマ教会・コンスタンティノープル教会・アレクサンドリア・イェルサレム・アンティオキアがそれである。
7世紀以降になるとアレクサンドリア、イェルサレム、アンティオキアの三教会がイスラームの支配下に入って衰え、残ったローマとコンスタンティノープルの二教会が激しく首位権を争うようになり、8~10世紀の対立を経て、ローマ=カトリック教会とギリシア正教として分離する。




そして、さらにその後、
アレクサンドリアは、641年にイスラームに征服され、イスラーム化した。

そう、恐怖のキリスト教は、今度は恐怖のイスラム教に変わっただけかもしれない。

midsea-zoom.png

現在の地図、これを見ると、まさに地中海沿岸は、今も戦火に巻き込まれている地域も多い。

そして、今も・・その原因は宗教だ!

宗教とは・・強固なイデオロギーによって社会を一元的に律すること。
人々に恐怖を植えつけ、そして洗脳する。

じゃあ、
世界の在り方を解明し、世界の真実を人々に説き明かし、人々を正しい方向に導くもの。
は、なんと呼べばいいんだっけ? (笑)

洗脳され、集団となった人々は実に怖い。
権力者の意のままに操られ、平気で殺人まで犯す。


つくづく、日本はキリスト教社会にならなくてよかったなあ~と、ほ~んと、つくづく思ってしまう。

ヨーロッパもキリスト教の暗黒時代に支配され、そしてアメリカも同様だ。
ようやく、アメリカでも少しずつキリスト教ばなれがしてきたのは、まだまだ最近のことだ。


なぜ、日本にキリスト教が広まらなかった(現在も広まらない)のだろう?
(ここで言うキリスト教とは、強固なイデオロギーによって社会を一元的に律するキリスト教のこと)

まあ、色々な説はあるようだけど・・

キリスト教には、「父(神)と子(イエス)と精霊」は三つの位格をもつが本質的に一体であるという、三位一体説がある。
これが、異端では無い正統なキリスト教とされたようだけど・・・

イエスの母・マリアは、カトリックでは大事にされてるけど、プロテスタントではマリア信仰は認めてない。


いずれにしても、キリスト教の中心にあるのは、常に「厳しい父なるもの」であって、

優しいお母さんが居てはいけないのだ。

すべてを受容する母性原理と、
絶対的な原理に合わないものを排除する父性原理。

もともと、日本は縄文時代から自然崇拝的を発端として、多神教的な傾向があった。
それこそ、プトレマイオス時代までのアレキサンドリアのように。

おそら、すべてのく人間の原点はそこにあるんじゃないだろうか?

しかし、アレキサンドリアを初めとし、多くの世界は、絶対的な父性原理一色に塗り替えられてしまう。

しかし、なぜか、日本人は、ずっとそれを持ち続けられた。
自然崇拝的、多神教的、すべてを受容する母性原理を!

きっと、日本人は心の奥で、父性原理の強い、絶対主義な一神教に対して、違和感が感じてしまうのかもしれない。
おそらく無自覚だろうとは思うのだが。
無意識の心の中では、厳格な父よりも、すべてを許容する大きな暖かい母は大きな存在だったのかもしれない。

もちろん、日本の昔を見れば、男尊女卑は形としてはあったのだが、それすらも、キリスト教圏の男尊女卑とは底辺に流れているものが違ったような気がする。


母なるもの。
すべてを包み込み融合させてしまう暖かさ。



それに対し、父なるもの。
絶対的な唯一神があり、人間はそのしもべとして存在し、さらに、人間と動物とを厳しく区別する。
まさに、これはランクづけする発想だ。


ユダヤ教、キリスト教、イスラム教・・いずれも一神教だし、その発想は実に似ている気がする。


日本に限らず、どこの国や地域に関わらず、本来の人間はアニミズム的自然崇拝があり、母性原理に近かったと思う。

それを、なぜ、日本だけ持ち続けられたのかはわからない。

たしかに、

島国であり他民族に襲われることもなかったこと。
植民地にされなかったため、無理やり全国民がキリスト教を強制されなかったこと。


そういった要因は大きいと思うけど・・きっと日本人の心は、それだけではないのかもしれない。
ちょっと日本人を美化しすぎだろうか?(笑)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今、つくづく、思う。

これからの世界は、母なるものへ移行すべきなんだと思う。



それには、

常に自分で考えなければならない・・ということだ。
考えることを放棄してしまえば、人は洗脳されていくだけだから。


貧困、差別、飢餓、疫病・・・人は苦しくなればなるほど、自分で考えることを放棄し何かに依存しようとする。
そうなると、常軌を逸した行動すらもわからなくなる。

おそらく、アレクサンドリアの貧しい人々も同様だっただろうし、現在の世界もまた、大差ないように思えてくる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

映画を見て、色々なことを思ってしまった。。。

ヒュパティアが、こんな言葉を教え子に残してるそうだ。

Reserve your right to think, for even to think wrongly is better than not to think at all
あなたの考えるという権利を保持しておくこと。たとえ誤ったことを考えていたとしても、まったく考えないことよりはずっと良いのですから。

まあ、こんな時代にこんな事を言ってたら、そりゃあ、殺されるよなあ。。。
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Author:gingetsu2010
アリゾナ州セドナにて、アクセサリー工房Alizona*銀の月*をオープンしてる銀月です!

日々の生活や体験の中から、社会のこと、スピリチュアルなことなど・・思いつくままに書きつらねてます。

皆様にも「スピリチャアルの意味」「生きる意味」を感じて頂けたら、幸いです!☆

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