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ソマリ猫とソマリア

つい最近のこと・・知人がソマリという種類の猫を飼うことが決まったと聞いて・・
なんだか、私までウキウキした。

ソマリというのは、こーんなニャンコだ。
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もひとつ、色違い
    ↓
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ペットクリニックに行くと、待合室にはこんな写真があっていつも眺めていたものだ。
Cat Breeds


いつしか、

シャルトリュー、ノルウェージャンフォレスト、ソマリ・・な~んて猫たちの写真が気に入ってしまい・・私の頭に深くインプットされていた。


ソマリかあ! いいなあ、かわいいよな~♪ ♪~と。(ウチにもネコがいるのだが・・常によその芝生は緑に見えるもの!)




さらに友人から、「ソマリとアビシニアンは水好きらしいよ~。」という情報を聞いた。


え!そーなの? 水好き猫はまだ他にもいるんだ?



水好きのネコといえば、バン猫、または ターキッシュバン(←私はその2種類しか知らなかった)


現に、ウチのネコは3ヶ月くらいのころは、水遊びが好きで、水が流れる蛇口に手を突っ込んでみたり、バスタブに水を入れると自ら飛び込んで遊んでたこともあり・・


おそらく、その性癖とルックスから、我が家のネコのルーツはバン猫だろうと・・(勝手に思っている)


◆バン猫というのは、トルコの東アナトリア地方の隔絶された山岳地帯、そこのヴァン湖のほとりに生息する野生の猫(白一色のねこ)だから、バン猫と呼ぶ。
ん?ヴァンネコの方が正しいのか?ま、どっちでもいいが・・。

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ちなみに、2か月頃の我が家のバン猫もどき
      ↓
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手足が太くて、耳毛ボーボーのとこなど・・似てるのだ。



◆ターキッシュバンは、それを改良して立派な売り物になった猫(白いところに、特徴として、耳の周辺と尻尾部だけに色がついている猫」

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水を怖がらないとか水好きというよりも、「水泳好き」らしい・・別名、Swimming catと呼ばれるくらいだから。

ヴァン湖のあたりは、冬は寒いが夏はものすごく暑いらしく・・それで猫たちは水泳を楽しむようになったのではないか?という説がある。


とにかく、我が家のネコは、「水が平気、好き」という性癖と白一色のオッドアイだったため、バン猫ではないか?
と思ったのだが、もちろん、確証は何もない。

そもそも、バン猫は今ではトルコから持ち出すのは禁止らしいし、

https://matome.naver.jp/odai/2137886441833467101

それが、アメリカにいたとなると何代か前に入ってきた猫とのミックスということだろう。



または、ターキッシュアンゴラにもよく似てる気がする。

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こっちが現在のウチのネコ
     ↓
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が、ターキッシュアンゴラが水好きというのは聞いたことがない。。。


さて、ソマリとアビシニアンは水好きか?


ソマリという猫について調べてみたところ・・

もとは、アビシニアンから派生したネコでわりと新しい品種で、

●アビシニアンの長毛種として近年生まれた猫。

1940年、英国人のブリーダー、Janet Robertsonによって、アビシニアンの子猫を、オーストラリア、ニュージーランド、北米に輸出
話はそこからはじまる。

アビシニアンというのは、こうゆうネコ
     ↓
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大人になると・・

Ruddy-abyssinian-cat-picture3.jpg

短い毛の美しいネコだ。

ところが、その子孫に、長毛でふわふわな子が生まれた。


●1963年、カナダのブリーダー、Mary Mailingが、地元のペットショーに、この長毛ふわふわのをエントリーに混ぜていたのだ。

それをみつけた審査員のKen McGillが、「なんてこった! こんな美しいネコ、みたことないぞ!」と、
超気に入ってしまい、Maryにオーダーして育成をはじめたのが最初だとか。

しかし、ほとんどのブリーダーたちはロングヘアーのアビシニアンなんか邪道だ!と・・認めたがらなかった。


●一方、アメリカのブリーダー、Evelyn Magueもまた、自分の猫たちの中から長毛の子供たちが生まれた。

1967年、アビシニアンの両親からロングヘアーが生まれてジョージとなずけられた。

しかし、ロングヘアーじゃあ、売り物にはならん!と・・5週目のとき、ジョージはレスキューセンター送りにされてしまったそうだ。

そのネコは一般の手に渡り、またも、レスキューセンターに戻されてしまい、めぐりめぐって・・
再びEvelyn Magueが、数年後にジョージをみつけたそうだ。

なんとまあ、美しいネコなんだ!

そのネコこそ、自分が5週目のときに、売り物にならん!と手放したジョージだったことが判明して、ひどく驚いたという。

実に不思議な縁だ。。。

それがら、ロングヘアーのアビシニアンの育成を始めることになったという。

彼女は、その猫の種類を、ソマリとなずけた。


1979年、北米のCFSで認められ、

1982年、ヨーロッパで認められ

1991年、世界中に広がった

http://baspalace.com/about.html

https://en.wikipedia.org/wiki/Somali_cat

http://wdel.tripod.com/chuffa-tosca.html





これが、ざっとソマリのヒストリーなのだが・・

もともとはアビシニアンの両親から、アメリカとカナダでロングヘアーが生まれたことがきっかけとなった。

しかも、異種交配ではなく、突然変異で生まれたのだ。


*突然変異には・・DNAなどの塩基配列に物理的変化が生じることで遺伝子突然変異

または、染色体の数や構造に変化が生じることで染色体突然変異




どっちの突然変異だかわからんが、不思議だ~。


なにゆえ、北米にきて、突然変異が起こったのか?

それとも、現地でも起こっていたのだが、別に注目されなかっただけなのか・・?

北米につれてこられたことで起きたのか?


謎が謎をよぶネコでもある。。。




さて、アビシニアンとソマリが近い関係である以上、
アビシニアンが水好きなら、おそらくソマリも水好きだろう。


今度は、そこらへんを調べてみると、英語サイトに、こんなサイトがいくつかみつかった。

そのひとつ。
 
水大好きネコ 10選  
Top 10 Cats Who Love Water
    ↓

1. . Turkish Van: (Van cat) ターキッシュバン(ヴァン キャット)

2. Turkish Angora: ターキッシュアンゴラ

3. Savannah サバンナ

4. American Bobtail: アメリカンボブテイル

5. Bengal: ベンガル

6. Japanese Bobtail: ジャパニーズボブテイル

7. Manx: マンクス

8. Abyssinian: アビシニアン (ソマリ)

9. Norwegian Forest Cat ノーウェイジャンフォレストキャット

10.   Maine Coon メインクーン



(似たようなサイトは、いくつかあり、サイトによって順位も違ったり含まれている猫種も若干の違いはあるものの、だいたい同じ)
https://www.adventurecats.org/pawsome-reads/9-cat-breeds-that-love-water/


世界を見渡せば・・、こんなにも水好きネコは、いるんだ!!


暑けりゃ水遊びだってしたくなるだろうし・・
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枯れ葉を追って泳ぐのも楽しかろうし・・
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こ、これは・・何しとるんじゃ!
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まあ、とにかく・・

ちゃんと、アビシニアンもソマリも入っていた!

アビシニアンは もともとインド洋に面した地域に生息してたわけなんだから、水好きなのは驚くに値いしない!

と書かれてた。

インド洋に面した地域、・・・そう、つまり、現在のエチオピアだ。


現在のエチオピアを、ひと昔前まで・・欧米人はアビシニアと呼んでいた。

こちらが、1935年当時の地図
    ↓
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なんてこった!
アフリカは、イギリスか、フランスか、イタリア領だった時代だ~。




おっと!

ついでに、もうひとつ発見!



ターキッシュ・アンゴラも載ってる。

バン猫とターキッシュ・アンゴラも親戚みたいなもの。
当然、泳いだところで驚くに値しないと書かれていた。



そうか・・ウチのネコの、ターキッシュ・アンゴラ説も、さらに有力になった。

ターキッシュ・アンゴラのトラディショナルなタイプ・・・つまり、白一色ネコ



さて、アビシニアはエチオピア。

エチオピア(アビシニア)は美人の産で有名なとこだし・・人もネコも美しいらしい。

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ふーーむ。。。


エチオピアといえばアフリカだあ!
アフリカといえば、ダンゴ鼻のまっくろ黒人に未開の大平原、サバンナだ!
と・・イメージする人は多いかもしれない。


が、それでは・・エチオピア人からは大顰蹙を買うことになる。

こっちが、典型的ケニア人 (今度は㊚バージョンで)
   ↓
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こっちは、典型的エチオピア人
   ↓
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エチオピア人は浅黒い肌で鼻筋が通った顔立ち・・・

美しい人たちが多いのだ。

シバの女王でも有名なように・・・


ついでに、シバの女王のエピソードを載せておこう。

紀元前、10世紀ころの話。

絶世の美女でしかも賢いシバの女王は、ユダヤのソロモン王が評判どおりの名君かどうかを自分で確かめようと、
3ヶ月かけてユダヤ王国まで旅をした。


そのとき、土産に持参したものは・・黄金と瑪瑙(めのう)、エメラルド、ガーネット、琥珀などの宝石の山、香辛料の山, そし高価な乳香(にゅうこう)までも、たっぷり持参したそうだ。

シバ王国も、どんだけ裕福な国だったんだろう。。。

しかし、ソロモン王の国(ユダヤ王国)は、さらに裕福な国だった。

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ふん! どんなに富んだ国だって、王がアホじゃねえ。。。
試してやろーじゃないの!


と、シバの女王は、ソロモン王に多くの謎かけに満ちた質問をしたという。

ところが、ソロモン王は見事にすべてを答えた。


シバの女王は、すっかり魅了されてしまい・・

そして、ソロモン王もまた、シバの女王の望むとおりに贈り物をしたり・・もう、なんでもやってあげちゃったとか・・。

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https://www.pcog.org/articles/546/the-light-of-the-world



これは旧約聖書に出てくる話。


初代のエチオピアの王は、この二人から生まれた血筋だとか・・
色々な説? やらエピソード?が、残ることになる。。。

それが、映画になったり・・

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曲になったり・・




そんなこんなで・・・

エチオピア人は、実に誇り高いのだ。

裕福な王国、才色兼備のシバの女王の末裔なんだから。



ところが、

しかし、シバの王国がどこにあったのか・・正確な場所がわからないそうだ。

おそらく、現在のエチオピアか、またはイエメンだったのではないか・・という2つの説がある。



そして、また、ネコのアビシニアンも原産がどこかはわかっていないという。

エチオピア? イエメン? または、エジプトかも?って説もある。

(古代エジプトの壁画のネコがアビシニアンに似てるからエジプト説も生まれたらしいが・・・)


その、よくわからないアビシニアンが、北米に連れてこられて突然変異で生まれたネコが、ソマリというわけだ。


ところで、なにゆえ、ソマリって名前になった?

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アビシニア(エチオピア)の国境を越えた、お隣さんが、ソマリアだから。

(聞かなきゃよかったくらいに単純すぎる命名(笑)


しかし・・ソマリアという国。

ソマリアは1960年にイギリスとイタリアから独立したが、その当時からクーデターとやら戦争の連続、もちろん、エチオピアとソマリアの戦争もあったし、無政府状態が続き、武装集団が国連の援助物資を略奪。
国民は飢えに苦しんで餓死寸前。

ブラック・ホーク・ダウンという映画をみて、はじめて・・私もソマリアの内情というのを知ったのだったが・・

今では、アメリカも見放し、世界中から見放されて国だといわれている。



なんだかなあ。。。


だけど、
ソマリア人も美形だぞ!
(←だから、どーなんだ?)


男も
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https://www.lipstickalley.com/threads/10-african-countries-with-the-most-handsome-men.796954/

女も
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https://www.quora.com/Why-do-Somali-people-have-beautiful-faces-and-bodies-especially-girls


ネコのソマリも
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私は、むしろ・・ソマリア人はエチオピア人より美形だし、
アビシニアンより、ソマリの方が美ネコに思える。

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別名、Fox catと呼ばれるんだとか。

狐の尻尾みたいに、見事な美しい尻尾を持ってるから。


あ、そうそう・・ソマリの性格は、

好奇心旺盛で賢くて、デリケートな部分も持ちながら、本来、飛び回ってがんがん遊ぶのが大好きなんだそうだ。

なので・・狭いアパート暮らしや老人には向かない猫種だそうだ(←ただし、これはアメリカのサイトに書かれてあったこと。日本語サイトにはネガティブなことは一切書かれてなかった)


・・・・・・・・・・・・・・・・

<<今朝の出来事>>

オフィスにいる唯一の猫好きの同僚から、こんなことを聞かされた。

「ようやく、前の猫の一周忌が終わったんで、また猫を飼うことに決めたんだ。
明日、夫とシェルターに見にいくんだ~。 楽しみ~♪」

なんとまあ・・またも、ネコの話だ! それも似たような・・・。
私には、似たようなことが続けて起きる現象がよく起こる。 シンクロかい?(笑)



でも、これまた・・嬉しい話だ。

この人もまた、辛い時期を乗り越えて、今また、ネコと楽しい生活を送ろうとしている。


「そりゃあ、よかったね~。 きっと、楽しい猫ライフがまたくるね~♪」

ネコも人も共に幸せになって欲しいものだ~♪
私まで、ウキウキしてくる~♪



そんな話をしてるところに、横から口をはさんできた、日本人のジジイがいた。


「俺も前に猫を飼ったけど、猫は人に慣れないし、すぐに家出しちゃうから、やめた方がいいぞ。」と。

ジジイ、ひっこんどれ~!


同僚がジジイに聞いていた。

「いったい、どんなふうに飼ってたの? ちゃんと餌、あげてたんでしょうね~?」

「猫なんだから、味噌汁かけごはんに決まってるだろ!
昔は、みんなそーだったんだ! 今の犬猫は贅沢だ!」


そりゃ、家出するわな~。

ネコは人と違って・・肉食なのだ。
肉を食べなきゃ、栄養不足に陥って、いずれは病気になる。


昔は人も貧しく、犬猫たちだって・・栄養価のある食事をもらえない時代だったからこそ、

ネコたちは病原菌だらけのネズミを獲って食べたり・・

こんなこともしたのだ。
     ↓
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https://ameblo.jp/jugitesyura/entry-11549348520.html

命がけで・・

時代錯誤のアホ・ジジイは、「贅沢は敵」の時代に生きてたんだろう。
おまけに、自分の価値観だけが、全人類に通用すると思ってるらしい。


同僚が、今度は目で言った。
こいつは、アホだ! 

私も目で答えた。
おまけに、醜いジジイだ!

そして、二人で無視して遠ざかっていった。

ネコも人も美しくなきゃいけない

そして、ネコも人も・・共に幸せになって欲しい。

白でも黒でもないグレーな人物

昨日の記事で、

最近の大河ドラマと孫子の兵法

をアップしたのだけど、

きょうは、ちょっとそれに関連した続き、ともいうべきものになりそうだ。。。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

優れた天下人、または、将軍、経営者・・・えっと、まあ、それはなんでもいいんだけど、

とにかく・・トップに立つ人は、どんな特徴を持ってるんだろう?


「トップに立つ人」
といっても、

成り上がりで、自力でトップに上り詰める場合と、

すでに、トップの位置が出来上がっていて、それを受け継ぐ場合とでは違う。


ここでは、「成り上がりでトップを目指す場合」の話と限定して置こう。


昨日のブログにアップしたとおり、

孫子のいうところの、『五危(ごき)』に陥らない人


「正直で公正さを持ち、民思いで、必死に頑張る」・・・これは、まさに立派な大将の器だけど、 これだけに固執してもダメ!

さらに言い換えると、

常に冷静沈着で、1つのことだけにとらわれずバランス感覚を持って、広く浅く総合的な判断能力

ん? ちょっと月並みな表現で申し訳ないけど・・


もっと言い換えると、

グレーな部分を持ってる人
ということかもしれない。


かなり昔の大河ドラマ「毛利元就」を見ていたとき、あ! これだ~!と思ったことがある。

内藤興盛さんが言うセリフで、

「元就様は、白でも黒でもなく、灰色なのだ。
それに比べて、隆元様は白、真っ白な方なのだ。」



隆元様というのは、毛利元就の長男、つまり、毛利家を相続する跡取り息子

内藤興盛というのは、隆元さんの妻の父、隆元さんから見れば、義理の父上にあたる人

これは、父が娘に言うシーンで、

「オマエの夫は、色で言えば真っ白な人だから、そこんとこを理解して、オマエが支えてやらなにゃいかんよ~。」
みたいなことを言ったんだと思う。(←私の記憶が正しければ・・だけど)


きのうのブログでも、ちょっとだけ書いたけど・・

毛利元就さんは、まさに、「兵は詭道なり」を実践したような人で、知略によって敵方を滅ぼしていった人。
時には、かなり汚い手も使った人だ。 

それを、長男の隆元さんは、なかなか受け入れられなかった。

「いくら、敵を滅ぼすためとは言え、それって卑怯なやり方じゃないか!」・・と父に反感を覚える。

常に、武将として、「清く正しく、まっすぐに!」が、モットーな人。

それを、「真っ白な人」と表現したのだろう。

**あくまでも実際のところはわからない。 これは、大河ドラマの中のお話だから・・(笑)

こちらが、ドラマの中の隆元さん
     ↓
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真っ白な人は、誰にも好感を持たれる。

だけど、天下取りなんてできる器ではない。

「清く正しく真っすぐに」にだけ、戦ってれば、いずれは負ける。

相手も、同様な「真っ白な人」ばかりとは、限らないからだ。

「黒やグレーの人」と戦うときは、それなりに、こちらも、ときにはグレーにならなきゃならない時もある。


たぶん、それが・・孫子の言わんとしたことだろうし、

たぶん、それが・・トップに成りあがる人の条件なんだろうなあ、と思ったわけだ。



ただし、グレーの要素は初代に求められるものであって、2代目、3代目ともなれば、「真っ白」の方がいい場合もあるだろう。

領土を受け継き守っていけばいいわけなんだから、良き家臣に恵まれてさえいれば、自分は白いままでもやっていける。

いや、むしろ・・白い方が2代目には相応しいのかもしれない。



ところが、

成り上がりからトップに躍り出ようとするならば、グレーの部分を持ってなきゃ無理。


その、グレーの部分ゆえに、後世の人には「極悪非道の人物」として伝わることもある。

または、マ逆に、「公明正大な立派な大人物」として伝わることもある。



ところが、どっちも一緒!(笑)

グレーが、後世の人には、白に映ってみえたか、黒に見えたかの違いだけ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

フランス王のフィリップ4世は、まさに極悪非道、血も涙もない冷血漢ってイメージで語られる人だ。

フィリップ4世(Philippe IV le Bel)(1268 - 1314年)
フランス王の在位:1285 - 1314年)
Philippe IV

この人が、なんだって、後世に「血も涙もない冷血漢」とされてるのか?

時は、日本でいえば平安時代末期、平家の世から鎌倉時代へ移行していく時代。

フランスも大荒れに荒れてる時代だった。


フィリップ4世の別名は、「淡麗王」

なぜか、ヨーロッパの王には「二つ名」がつきもの。 賢明王だとか、太陽王だとか、獅子王だとか・・
この人は、淡麗王 (Philippe IV le Bel

肖像画でもわかるとおり、イケメンだったから。

顔はイケメンでも、心は醜悪・・・目的のためには手段を選ばない、冷血漢、と言われてる。


なぜなら、

ローマ教皇をモノともせず、免税特権のある聖職者に対して課税し、
挙句の果てに、ローマ教皇を憤死させてしまい、
テンプル騎士団に、罪をでっちあげて火あぶり、解体のうえ、財産没収。

それも、ぜーんぶ、「お金」のためだったから。



というのが理由。



まず、フィリップ4世の出自と状況説明から。

フリップ4世は、もともと王になれるはずのない立場、兄が亡くなったことで王大子となり、カペー朝の跡取りとなった。

カペー朝の跡取りといっても・・・王家といったところで、フランス全土を支配してたわけじゃない。

フランスは、複数の諸侯が支配していた寄せ集めの封建国家。

彼の王領は、パリを中心とするイル・ド・フランスに限られていて、小さな国に過ぎない。
諸侯の中には、もっと、有力な名家があって、たとえば、アキテーヌ公爵家なんて、他の公爵家や伯爵家も従えてた大侯爵家だった。

この赤で囲ったところが領土
    ↓
france_map.png
https://ameblo.jp/rokudenashichan/entry-10823962379.html

つまりは、「小国」であり、「名ばかり王朝」、彼もまた「名ばかり王」

それが、あれよあれよという間に、他国にさきんじて、ヨーロッパの一等国にのしあがることになる。


なぜ、そんなことができたのか?

そりゃあ、フィリップ4世は優れたリーダーだったから。

しかも、彼の政治改革には実績がともなっていた。

彼の目指したものは、他国にさきんじた、絶対王政を確立すること。


もうちょっと具体的に言うと・・

従来の貴族による封建体制から、官僚による中央集権体制へのパラダイムシフトさせること。

そのためには、王が任命した官僚を取り立てて、諸侯(貴族)の力を削ぎ落とすこと。





しかし・・出る杭は打たれるの例えどおり・・

ヘタをすりゃ、こっちが寝首をかかれる(歴史上よくある話)


というわけで、フィリップ4世は、阿修羅・魔王のごとく、ときには、「問答無用の冷血漢」となり戦った。

だからこそ、結果的にフランスは近代国家へと突き進むことができた、ともいえる。

しかし、同時に、悪辣非道、冷血漢の汚名も着ることになった。

ということらしい。



簡単に彼のやった事を説明すると・・

●ローマ教皇をモノともせず、免税特権のある聖職者に対して課税したこと。

これをやってのけるのは、実際には大変なことなのだ・・・。

当時の「教皇」というのは、神に近い存在。


まあ、日本で言うところの・・

征夷大将軍となっても、天皇には頭があがらない・・天皇宣下がなけりゃ、どーにもならん! 逆賊とされるのが怖い!
または、上皇となっても・・延暦寺の強訴が怖い!


というように、宗教的・神の存在だけは、なかなか手が出せないタブーだった。


なので、教皇はじめ、聖職者ともなれば、そりゃもう、特権階級!
税金だって納めなくてもいい!ってわけだから。


その教皇傘下にいる、テンプル騎士団も、あつーく「神」の名のもとに守られた存在。
アンタッチャブル!ってわけ。


フィリップ4世にとっては、目の上のたんこぶ(他の諸侯にとっても同じだっただろうけど・・)



当時のヨーロッパの最大の問題は、十字軍の遠征にあった。

ご存じのとおり・・

エルサレムはユダヤ教徒・キリスト教徒の聖地。 ところが、7世紀以降、イスラム勢力に占領されていた。(イスラムの言い分はちゃんとあるんだけど・・とりあえず、ここではヨーロッパ側の見方で通すことにする)

そこで、西ヨーロッパのキリスト教国は「エルサレム奪還」のため、
多国籍軍を編成し、エルサレムに送り込むことになった。
それが「十字軍」


遠路4000kmもの遠征が、事実、何回にもわけて派遣されたのだ。


無事、エルサレムは奪還したのはいいけど・・多くの十字軍兵士が帰還してしまえば、そこがまた再占領される恐れは十分ある。
そこで、守備隊を置く必要に迫られたのだ。
(ちなみに、エルサレムを奪還しただけで、イスラム教国家にはさしてダメージを与えてるわけじゃない。)


守備隊といっても・・聖地を守るんだから、騎士であり、また信仰の厚い聖職者でもあるものが望ましい。
そこで、「宗教騎士団」が創設されることになる。

いくつもの騎士団、ヨハネ騎士団、テンプル騎士団、テュートン騎士団なんてのがあって、テンプル騎士団はそのうちのひとつ。
1119年のことだった。



さて、ここで、十字軍の遠征の実態についてだけど・・


目的は、聖なる地、「エルサレム奪還」のためだったはずなのに、

年代記「フランク人の事績」によれば、
       ↓

1099年7月15日に、城内に突入、凄惨な殺戮が行われた。
犠牲になったのはイスラム教徒だけではない。
ユダヤ教徒も東方正教徒も・・・エルサレムの住民が皆殺しにされたのである。

「殺戮はすさまじく、わが軍の兵士たちは足首まで血につかって歩いた」


住民はもとより、ユダヤ教徒、キリスト教の東方正教徒まで皆殺しかい!!

いったい、何考えてんだよ~!


たぶん、なーんにも考えてない。
ただ、殺しまくっただけ!

4000キロも旅をして、ただ・・見境いなく殺しまくって帰ってきただけ。。。

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神聖な巡礼の旅であり、エルサレム奪回の目的と信じて参加した兵士たちにとっては、たまったものじゃない。

しかも、見知らぬ異郷の土地を4000キロも旅していけば、イスラム教徒や山賊の襲撃や略奪もある。
現金を持ち歩くことは危険極まりもないし、第一、重くってかなわない!
かといって、家に残していけば、留守中に全財産は消えてるかもしれない!


そこに目をつけたのが、テンプル騎士団だった。

巡礼者が本国でお金を預け入れて、行き先で払い戻す。

預金通帳のようなものもあっただろう。これなら現金を持ち歩く必要はない。

まさに、現代の銀行業のルーツがここにある。(テンプル騎士団は、ビジネスの天才だったのかも。)

この銀行業で、テンプル騎士団は莫大な資金を集めた。

さらに、集めた資金で、資産運用もはかる。

ヨーロッパ各地に広大な土地を購入し、教会や城砦を築き、ブドウ畑や農園をつくり、ワインや農産物を販売に乗り出す。



結果、テンプル騎士団は、

カネを稼ぎ、領地を拡大し、しかも戦う軍隊も持ってる団体になった。

その莫大な資金をもとでに、ヨーロッパ諸国の王に貸付け、利息でも大儲け。

敬虔な修道会、つーより、こりゃあもう、立派な複合ビジネスに近いような・・

立派な「世俗」にまみれた、ビジネスマンって気がしちゃうのは、私だけ?



さらに、テンプル騎士団はローマ教皇直属の組織でもある。

「ローマ教皇」という、大権威がバックについてるとなれば・・黙っていても、西ヨーロッパの王侯貴族から寄進が集まってしまう。

儲かってしまって・・笑いが止まらない状態。

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一方、フランスは巨額の財政赤字に苦しんでいた。


十字軍遠征なんてやってりゃ、どこだって金欠になる。(孫子だったら、呆れてモノも言えないはず。)

フランス王室は、止む無く、それをテンプル騎士団から借金でまかなっていたものの・・どうにもならない!
借金は問題解決にはならず、問題の先送り。

いわば自転車操業で、負債は膨らむばかり。



フランス王は絶対王政を目指していた。

強力な中央集権国家を作るためには、官僚機構と常備軍が欠かせない。

それにも、カネがかかる。

現状維持で、なーんも目指さない領主だったら、なんとかやれたのかもしれないけど・・、彼は違う!



ここで思いついたこと!

●ローマ教皇をモノともせず、免税特権のある聖職者に対して課税しちゃおう!

ようやく・・ここに話が戻る(笑)



もちろん、そんなことを言い出したって、はい!そうですか~!と、聖職者たちやローマ教皇が素直に納得してくれるわけがない。


フィリップ4世は、上手にその機会をうかがい、民意を図り、最善のタイミングでやってのけたのだ。

そこらへんの具体的なことは、省略するが、もちろん、さまざまな事件は起こったわけで、

1303年9月の「アナーニ事件」なんてのは、その最たるもの。
      ↓

ローマ教皇ボニファテイウス8世は激怒して、フィリップ4世を破門にしてしまう。

まあ、フツウの神経の持ち主だったら、

この時代、教皇に破門を言い渡されてしまったら、
ひええ! 私が悪うございました! なんとか・・ご勘弁を!ってことになるのが必定。

ところが、フィリップ4世、神をも恐れぬ驚くべき手段にでたのだ。

部下に命じて、教皇が滞在している避暑地アナーニを急襲し退位を迫った。

駆けつけてきた教皇軍が、ボニファテイウス8世を救出したものの、あまりにもショックを受けた教皇は、脳溢血で死んだ?
憤死?ともいわれている。





そりゃそうだ!

今まで、教皇の思い通りにならないような、王はいなかったんだから。
教皇として、こーんな惨めな屈辱を受けたのは、はじめてだろうから。

ここで、ちょっと調べてみると・・ボニファテイウス8世という教皇、こちらも、聖職者というよりも、なかなか世俗にまみれた人のようだったみたいだ・・・。

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https://entertainment.unitymedia.de/ritterserie-knightfall/knightfall4/


まあ、どっちもどっちかも・・。


結果的に、フィリップ4世に軍配が上がった。

次の教皇は、傀儡の教皇、フランス人のクレメンス5世を擁立した。

クレメンス5世Бальтазар-Косса-2


これで、ますます、フィリップ4世、仕事がやりやすくなってきた。



さて、次は、いよいよ

●テンプル騎士団の解体だ!

だんだん、テンプル騎士団の評判が悪くなってきた頃を見計らって・・・

そりゃそうだ! テンプル騎士団だけ大儲けしてる状態だもん・・自然と反感を持つ者も増えていく。


十字軍の失敗を機に、フィリップ4世は、なんと、テンプル騎士団を告発したのだ。


それも・・・あろうことか、異端の罪で。


これまた、従来の常識では、到底、ありえない!ことだ。

テンプル騎士団は、教皇直属であり、「異端」を取り締まる側なのだ。

それが、異端扱いされてしまうなんて・・。


実に思い切った、意表をつく手腕だ!


結果的に、テンプル騎士団は、「異端審問(異端を裁く宗教裁判)」にかけられ、全員有罪。

逮捕された団員は、拷問で自白を強要されたようだし、かなりアクドイ手を使ってる。


しかし、傀儡教皇クレメンス5世は、テンプル騎士団の解散を許可
傀儡だからね~。



フィリップ4世は、フランス王の勅命を発して・・・全員有罪、うち数十人を火あぶりに!


おいおい!

借りたカネを返したくないばかりに、相手を抹殺かい!
抹殺して、なお、余りあるカネをゲットかい!

借りた金は、返そうよ~!(←善人、小市民の発言)


1314年、テンプル騎士団の総長、ジャック・ド・モレー (Jacques de Molay)は、パリ・シテ島の刑場で生きたまま火刑にされた。

亡くなる直前、モレーは、
フィリップ4世とローマ教皇クレメンス5世を呪う言葉を吐いたことは有名な話・・として語り継がれている。

そりゃそうだ・・
王(フィリップ4世)は陰謀の張本人だったし、教皇(クレメンス5世)は家臣を見捨てた裏切り者だったんだから。


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そのせいか、どうかはわからないけど・・

同年1314年、1ヶ月後にクレメンス5世はこの世を去り、フィリップ4世は脳梗塞で倒れ、11月に死んだ。

ジャック・ド・モレーの預言は的中し呪いは成就したとされ・・

ここから、テンプル騎士団&ジャック・モレーの都市伝説がはじまった。

まあ、いろいろあるんだけど・・それは、また後ほどということで。


・・・・・・・・・・・・・

以前、この話を知ったとき、私は、まっさきに、織田信長を思い描いた。

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フィリップ4世と織田信長・・似てない?

顔じゃなくって、性格的なものが・・
あ、顔も両方とも、イケメンとして有名だけど。


●リアリスト
大業を成す人の、絶対条件かもしれない。
目的を見据えて、現実を直視して進むのみ。
社会通念や常識には捕らわれないたくましさ。

まさに、二人のも神をも恐れぬ大胆不敵な所業をしてるわけだから。


●実力主義

出自や身分に捕らわれず、「能力と実績」あるのみ。 実に合理的!
信長しかり。
フィリップ4世が官僚に登用したのは、市民階級や下級貴族だった。
ローマ法に精通した「レジスト(法律家)」とよばれる専門家集団を集めたという。


●明確なビジョン + 判断力、決断力、行動力

織田信長は「天下布武」
フィリップ4世は「絶対王政」

孫子の述べるごとく、目的に向かって、冷静で幅広い判断力、それに伴う決断力と行動力を持っている。


●出自は良くない。

信長さんも、小国・尾張の出身、同族間でもまとまらず争い事を抱えてたわけだし、今川と比べれば・・ちっぽけな吹けば飛ぶような国だった。
フィリップ4世も同様。

出自があまり良くない方が、下層階級と接触が持てるわけだし、彼らの心情も理解できるという利点に繋がるかもしれない。

信長さんは、うつけと呼ばれてた若い頃、農民たちに交じって戦争ごっこをやってたことなどで、実施訓練を兼ねて人心を掴み、良き人材発掘にも繋がったのではないか、ともいわれている。

・・・・・・・・・・

一般庶民というものは・・

神の前には恐れをなしてしまったり、勅命と言われれば、それだけで逆らえなくなってしまったり・・
感情に溺れて冷静さを失ってしまったり、血気にはやってバカな突撃をしちゃったり・・
人に臆病者と後ろ指をさされたくないため、無茶な行動に走ったり・・


そんなものだ。

白か黒かだけでも生きられてしまうのが、庶民なのだ。

なにがなんでも、犯罪は犯さない、許せない・・真っ白な人

または、自分の欲望のためだったら、全体を考えずになんでもしてのける、黒になるか・・

グレーでいることは、なかなか難しい。

そこが、トップに立つ人と、一般庶民の違いなのだろう。



グレーでいるということは、両面を持っていたり、もっと、さまざまな面を持つということでもある。

信長さんの逸話

信長さんは、神仏を恐れず、比叡山を焼き討ちしてしまったり、残虐な仕打ちを数多く語られる人物だけど、

一方で、足軽身分だった、鳥居強右衛門が、自分の命を犠牲にして長篠城を落城の危機から救ったことに深く感動して、自ら指揮して立派な墓を建立させたとか・・

また、

体に障害のある男が、街道沿いで乞食として暮らしていたのを度々みかけて哀れに思い、、村民を呼び集め、木綿二十反を与えて、「この者に小屋を建てて、この者が飢えないように毎年麦や米を施してくれれば、自分はとても嬉しい」と村人に要請した。 その場にいた人々は皆、涙した。



なんて、話も伝わっている。


悪魔か天使か、どっちなんだ?
たぶん、両方。


秀吉の妻、ねねに対しても・・秀吉がねねを軽んじた扱いをすれば、長い手紙をねねに送って元気づけてやり、何かあれば、ワシが間に入ってやる!みたいなことまで言う。




一家臣の妻に対してまで、ここまで細やかな気遣い?

あちこちに気を遣うような繊細さ、豪胆さ、残虐性と人情味、
ハイテンパーかと思えば、忍耐強さもあるし・・
とにかく、人物像をひとことでは言えない。



フィリップ4世の人物像の、細かなところまではわからない。

寡黙な人だったとも言われるけど、テンプル騎士団の罪を告訴するときの論理性は見事だし・・
敬虔なキリスト教信者だったと言われる反面、神をも恐れないリアリスト。



これまた、ひとことでは語れない人物らしい。



将来トップに立つ人には、幼少の頃から、帝王学なる教育を施す。
これは、どこの国でも同様だ。

王家や伝統ある家系・家柄などの特別な地位の跡継ぎに対する、幼少時から家督を継承するまでの特別教育ってわけで、
おそらく、家によって個々に違うだろう。


それでも、基本理念は、孫子の説いた
常に冷静沈着で、1つのことだけにとらわれずバランス感覚を持って、広く浅く総合的な判断能力

にありそうだ。

それが、リーダーシップ論、マネージメント論に通ずるものとなる。




そういえば・・たしか、算命学は古代中学の帝王学に由来するものだとか・・そんな話を聞いたことがある。


だから、我々一般人に、帝王学なんか必要ない!


なーんて意見もある。


そりゃあ、1つのことだけにフォーカスして他はどーでもいい!って生き方をしたい人には、たしかに不要だ。

白か黒だけで、生きたい人には不要だし、グレーなんて知ったこっちゃない!
それでも、生きていけるんだから。


でもね・・
ただ、言えることは・・

グレーに目をふさいでしまえば、当然、白か黒かしか見えなくなってしまう。

見えなければ、権力者がグレーであることも気がつかずに、コロっと騙されるだけ。




ましてや、民主主義という時代ならば・・

本来は、すべての人が、それぞれ、「一国の王」でいるべきなんじゃないだろうか?
つまり、王の心持ちってこと。



王の心持ちでいれば、「自分の利益だけ」を主張するわけにはいかなくなるはずだし・・

全体の流れを考えなきゃならなくなる。

国全体に視野を広げて、国を富ませる方法を考えなきゃならなくなる。


その視線でみれば、トップの色合いも、よーーくわかるようになるだろう。




だからといって、すべての人々がトップを目指せ!、なーんてことじゃない。

白でも黒でも、グレーでも・・
好きな色を選ぶのは、いつだって自分自身だ。

何色を選ぼうが、それは自由。


それでも、トップに立つ人のグレーな色を感じる目だけは、持つ必要はあると思うのだ。


その目を通してみなければ・・

フィリップ4世のやったことも、教皇のことも、また、テンプル騎士団のことも・・
何も見えてこない気がする。

もちろん、信長さんに対しても・・。

最近の大河ドラマと孫子の兵法

年配の日本人二人が、こんな会話をしていた。


「日本のTVは年々つまらなくなるねえ。 とくにNHK大河ドラマは最悪!

TVジャパン(24時間日本のTV番組を放送してるケーブルTVのこと)を入れて、ずーっと見てたのにさ。」


「うちもだよ。 まったくだね。 TVジャパンも、そろそろ解約しちゃうかな!」


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ロサンゼルスという場所は、海外でありながら不思議な場所でもある。

外国嫌いでどっぷり日本にはまっていたい日本人でさえ、ラクに生きていける場所なのだ。

買い物はすべて日系の店ですませ、
家では、ケーブルTVを入れれば、毎日24時間日本語放送が楽しめる。

そういった人たちが、日本語放送のTVを解約してしまう!ということは、よっぽどのことかもしれない。


NHK大河ドラマの第1作(昭和38年) 花の生涯・・井伊直弼の生涯を描いたもの
       ↓  (さすがに見てないけど・・)
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NHK大河ドラマ関していえば・・私は日本に住んでいた頃は、ほとんど見たことがなかった。

アメリカに来てから、何かのきっかけで見るようになり、

かなり古いものも含めて、Freeでアップロードされてる動画なら、すべてを見てしまったことがある(笑)


1980年代~90年代~2000年代と、時代の移り変わりとともに、世相を現すかのように大河ドラマも変化しているのがよくわかる。

そして、たしかに、あの二人が言ってたように・・近年はつまらなくなったと思う。

とくに、2010年あたりから・・「トンデモ大河」がやたら目につくようになった気がする(笑)

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むろん、「ドラマ」は、歴史番組とは別モノなんだから、大いに創作してもらって結構なのだ。

それでも、史実を無理やり変えてしまえば、視聴者に違和感を持たれかねない。


なので・・・変えられない史実があり、そこに創作を盛り込んでいく、
~そこらへんの微妙な巧みさが、歴史ドラマを見る醍醐味かもしれない。


面白いもので、
たとえ創作であっても、デキの良い作品というのは、まるで「それが事実だった」と思えてしまうものだ。

それこそが、「デキの良い作品」だ、と私は個人的に思っている。



さて、歴史上の人物でありながら、残ってる史料も少ないような人を主人公にする場合は、

そこは、まさに作家さん&スタッフさんの腕の見せ所でもあるし、いかに面白く、いかにうまく脚色する事ができるのか?が、楽しみなところとなる・・はず!


なるはず!・・・そう思っていたのだが・・


★2015年・花燃ゆ

★2017年・おんな城主 直虎


両方とも・・実に残念な作品になってしまった。(←あくまでも私の感想)



ある人が言ってた感想だけど・・「韓流時代劇っぽくて、昔の少女漫画のようなドラマだった!」と。

私は韓流ってのを見たことが無いんで、そこらへんはイマイチわからないんだけど・・
逆に、韓流ってのは、ああゆうものか~と(笑)



個人的な思い込みの問題だろうが・・あの少女漫画のようなラブラブシーンは、もともと恋愛モノ自体が苦手な私には、非常に受け入れがたいのだ。(←個人の感想です)

(少女漫画といっても、近年の少女漫画じゃなくって・・・ずーーと昔の少女漫画のこと。
最近の少女漫画は、人物描写や展開においても、ずっと深いものが多い。)




女城主・直虎の・・本能寺の変の時だったか・・こんなシーンがあった。

南蛮人の協力を得るために美人局(つつもたせ)的な事やっていて、

惹かれ合う男女が、その思いを素直に表現できないで、

ワルぶった男の方が、「そんなら、お前、援助交際やってみろ!(出来もしないくせに)」みたいな雰囲気で言えば、

お嬢様女は、「やってやるわよ!(できないと思ってるのね)」と意地になって・・・

で、実際、その場面ともなれば、結局、彼女を救おうと、

じゃーん!と、愛しい男が、現場に助けに来る・・・てな展開。



なんなんだよ!
この、ベタな展開!

これが、大河ドラマかよ!


・・と、正直、思いました。

本能寺事件のあたりでは、直虎さんはすでに50歳前後のわけで、・
恋を描くにしても・・もうちっと、オトナの恋を描けんのかよ!

いったい、誰が・・こんな脚本書いたんだ!
とも・・思ってしまったものです。。。



最近のNHK大河ドラマの傾向として・・


●戦さはキライだ! (戦さの無い世の中、民のために・・みたいなフレーズが多い。)

●恋愛至上主義(好きな人と結婚するのが良いこと)


この、2つを、実にベタに盛り込んでる。 
鼻につくくらいに。


これじゃあ、まさに、現代の感覚をそのまま持ってきてしまってるわけで・・

この時代の人々の心情は完全無視かい!
と、私は言いたい!

これじゃあ、
過去の時代や、そこに生きた人々の心情を、完全否定してるような、ちょっと嫌な気分にさせられてしまうのだ。



言うまでもないことだけど・・
誰だって、戦争や国の荒廃を見るのは嫌だし、また、好きな人と一緒にいたい!と願うのは当然のことだ。

それは、どの時代だろうが、どこの国で生きようが、みな「個人」感情は、同じはず。


しかし、過去の時代は、とくに武家社会においては、なによりも「家の存続」を一番に考えた。
100年後、200年後・・ずーーと我が家名が存続することを、男女ともに悲願としていた時代だ。

それゆえに、個人感情とのせめぎ合いに心乱れたり、「お家の大義」と「道の大義」の狭間で悩んだりもする。

だからこそ、そこにドラマが生まれる。


しかし、最近の大河ドラマでは、そういったことは・・まーーたく無視。
むしろ、バッサリ「悪い事」として、切り取ってしまってるかのようにも見える。


その時代に、現代感覚の現代人を持ってきて、ハリボテで作り上げてしまったような感覚だ。


主人公は、あくまでも、「いい人」に、作りあげる。
(もちろん、現代感覚の良い人)



これは・・現代の日本の風潮?

「いい人」は、戦国時代であっても、好きな女を妻に迎え、民のために戦えど、残虐行為はしないし、誰に対しても明るく優しい人。


ここに、ベタな良い人像が出来上がる(笑)

いい人なんか・・

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昔の大河ドラマを見ると、ここらへんが違う。

独眼竜政宗は、時には「撫で切り」を行う。
撫で切りとは、女子供に至るまで、見せしめのために片っ端から殺しまくることだ。

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その後、政宗さんは悪夢に悩まされて、しばらく心神喪失状態になる。

和尚に非道を責められたり、かと思えば、部下からは、致し方の無い事! それは武将として正しい事!という意見もある。



また、毛利元就では、

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元就さんは、かなり汚い手を使って、策略を用いて敵方を抹殺したりする。

それを、ある息子は、「父上は、武士にあるまじき卑怯者だ。」と怒り、
別の息子は、「まさに『兵は詭道(きどう)なり』、父上は立派だ!」と褒める。


現代の大河ドラマとは、あり得ないような人物像を作り上げている(笑)

私には、ベタな「いい人」像の主人公より、こういった主人公の方が、はるかに魅力的にみえる。

尼子役のこの人も魅力的に描かれてたけど・・
     ↓
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物語としても一貫性があり、デキの良い面白い作品に仕上がってたと思う。


ところが、最近は、

善か悪か?
いい人か悪い人か?

なぜか、この2つの選択肢しかないような気がしてしまう。

こうゆうのを、「ベタ」といい、 
言い方を変えれば、「薄っぺら」というんじゃないだろうか?


もちろん、これは私の個人的な感想なので、決してNHKさんや担当のスタッフさんに文句を言うつもりはない。
さまざまな事情があるのだろうし・・。


最近の世相に合わせて視聴率を上げるため、「一般多数の心理に迎合するため」に、あえてそういった作品が書かれるのか、

それとも、決して「迎合ではなく」作家や脚本家の本人の意思で書きあげたのか・・

また、「一般多数の心理」というのは、何を基準にしているのか・・




そこは私にはわからない。

わからないけど・・少なくとも「歴史が好きな人」が作ったんじゃないだろうなあ、と思う。

彼らにとっては、「別に過去の時代でも、現代でもどっちでも良かった・・たまたま、過去に時代設定にしただけ」
・・そんな気がしてしまう。



大河ドラマの主人公は、男でも女でも、だいたいが、歴史上に名を残す人物なのだが・・・

そのカリスマ性よりも、一般人と等身大の「いい人」をアピールしている気がする。

たぶん、これも世相?

銀幕の大スターといわれる女優よりも、隣のかわいい女学生っぽさの方が、親しみがあってウケるって風潮なのかも?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


しかし、現実的に考えれば、

天下をとるような人が、「ベタないい人」であろうはずがない


だからといって、

「悪いヤツに限って出世する」という見方もまた、あまりにも短絡的過ぎて、私は好きじゃない。


少なくとも、上に立つものに求められるものとは、こんな人ではないだろうか。


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孫子の兵法・・『九変篇』の最後に書かれている内容から、


『五危(ごき)』という5つ・・将軍が過ちを犯す危険=間違い例がある。


『将に五危有り。

必死は殺さるべきなり。
必生は虜(とりこ)にさるべきなり。
忿速(ふんそく)は侮(あなど)らるべきものなり。
廉潔(れんけつ)は辱(はずか)しめらるべきなり。
愛民は煩(わずら)わさるべきなり』



これをもっと、現代的に表現すると・・
   ↓
「将軍には5つの危険あり。

●必死な者は殺される。
●生きようとすれば捕虜になる。
●怒りっぽい者は軽視される。
●まじめな者は策にハメられる。
●民衆の事を考え過ぎると精神的に参ってしまう。


こんな将軍は必ず負け戦をしてしまうよ!と言っている。

上の5つ、「怒りっぽい」以外は、本来ならば、すべてが良いことでもあり、ある意味上に立つものには必要な要素でもある。


自分の身を案じてばかりで、死を怖がれば戦いにはならないわけだし、(リスクを恐れるな!)

そうかといって、命を大事に考えて撤退する時の見極めも重要。(見極めて引きどきも大事)

それに、民を治めるには、民衆のことは考えるのは当然のこと。(人々のベネフィットを考慮せよ)


しかし、こういったことにも・・何事もバランス感覚が大事!


簡単に言ってしまえば、「まじめ」なのは長所だけど、「くそまじめ」は弱点で短所となるって事だ。

何事も、こだわり過ぎるれば、逆にそれが弱点になる。

将軍に求められるのは、常に冷静沈着で、広く浅く・・・総合的に判断する能力であって、

1つの事だけに集中して力を注げば、それは、かえってマイナスになる・・・という教えになっている。


これは、まさに・・帝王学にも通ずる部分にも思える。


面白い事に、それぞれの歴史上に名を残すような人は、ほとんど、こういった要素を備えている人が多い。

さっすが! 孫子だ!


私がなぜ、孫子なんか読んだのかというと・・・
これは、やっぱり、大河ドラマからの影響から。

武田信玄は、有名な孫子好き。

旗までも、孫子にしちゃったくらいだから。
誰もがご存じ、風林火山
   ↓
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其の疾(はや)きこと、風の如く
其の徐(しず)かなること、林の如く
侵掠(しんりゃく)すること、火の如く
動かざること、山の如く
知り難きこと、陰(かげ)の如く
動くこと、雷霆(らいてい)の如し。

郷を掠(かす)むるには、衆を分かち
地を廓(ひろ)むるには、利を分かち
権を懸(か)けて動く。

「迂直の計」を先知する者は勝つ。
此れ軍争の法なり。』




これは、春秋時代の呉の将軍・孫武が書いた兵法書『孫子』の軍争篇の一説を引用した物だったそうだ。

有名な一説の意味は、
   ↓
「疾風のように早いかと思えば、林のように静まりかえる、
燃える炎のように攻撃するかと思えば、山のように動かない、
暗闇にかくれたかと思えば、雷のように現れる。

兵士を分散して村を襲い、守りを固めて領地を増やし、
的確な状況判断のもとに行動する。

敵より先に「迂直の計」を使えば勝つ。
これが、勝利の法則となる。」



「迂直の計」とは、「迂」=曲がりくねったり、「直」=まっすぐ行ったり・・・
わざと変幻自在、遠回りをして油断させておいて電撃的にたたみかけを」したり・・

つまり、静と動、陰と陽、厳しさと優しさ、飴とムチ?

とにかく、正悟法と奇襲作戦のように、「相反する物を巧みに使え」って事らしい。



ここへへんを、チラ見しただけでも・・

『孫子』は、とても2500年前に書かれたものとは思えないようなシロモノで、現代でも充分通用する兵法書だと思う。

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信心と「吉凶」だけで、合戦の勝敗を占ってたような時代に、

こんなにも、リアリスト目線で、科学的で合理的な兵法書があったことには、びっくりだ。


もちろん武田信玄さんだけでなく、三国志の曹操や、八幡太郎義、徳川家康といった戦国武将も、愛読したという。

海外にも紹介されて、あのナポレオンでさえも、孫子を持っていたそうだ。(不可能という文字の入った辞書は持ってなかったらしいけど・・)



孫子の最も最初、第一章:始計篇の冒頭に出てくるのが、この言葉
    ↓
★『兵は国の大事にして、死生の地、存亡の道なり。 察せざるべからず』

つまり・・

「戦争は国家の一大事で、国民の生死、国家の存亡にも関わってくるのだから細心の注意を払って検討に検討を重ねなければならない」


また、もっとも大事な、「テーマともなるべき箇所」
    ↓
★『百戦百勝は善の善なる物にあらず、戦わずして人の兵を屈するは善の善なる物なり』

「百戦百勝しても、ちっともエラくない、戦わないで勝つのがベストなのだ」と。

戦争は、何も生み出さない。

無くしていくばかりだ。 人の命もカネも、すべてを亡くすだけ。

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戦争には、多額の金額と多くの犠牲が必要。
戦わないで勝てるなら、それが何にも勝る事・・・

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そして、どうしても戦争しなければならないのならば、

★「彼を知り、己を知れば、百戦して危うからず」

つまり、「情報を集めろ」という事。

敵の情報も、そして自分自身の事も、充分調べつくした上で、「勝てる相手とだけ戦え」と言ってる。

「勝算が無く負ける戦争ならば、絶対するべきではない」と、言っている。


まさに、納得。

戦国時代は、多くの隠密やら忍びの者たちが活躍していた時代。


実際は、こんな姿よりも
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こんな姿や、僧侶、農夫姿になって各地を回っていたという
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現地に潜入して、少しでも多くの情報を少しでも早く集めたものが、勝利に近づける。

あんな小大名だった、真田親子が機を見るのが早かったのも、徳川の大群を撃退できたのも、
まさに、上手に忍びの者たちを使い、詭道作戦を用いたからだろう。


毛利元就さんだって、小国の国人に過ぎなかったのに、情報収集と詭道を巧みに用いてのし上がった人だった。


★『故に、これを経(はか)るに五事を以ってし、これを校(くら)ぶるに、計を以ってして、その情を索(そと)む。
一に曰く道、二に曰く天、三に曰く地、四に曰く将、五に曰く法。』

「道・天・地・将・法の五つの事に関して、それが整っているかどうかで、この戦争を起こすべきかどうかを判断をする」
     ↓

「道」というのは、道理・・・つまり「大義名分」であり、「目的意識」
兵も民も納得すれば賛成してくれるし、兵もまた、「主君と生死をともにする」気持ちが強まるというもの

「天」とは・・時期の事。
天候や季節の事も含めて、今がその(戦争する)時なのかどうなのか?
(徳川家康さん、どんなに長くても時期をじっと待っていた人だった。)

「地」とは・・「地の利」。
地域の広さや地形を考え、どの場所で事を起こすか?

「将」とは・・大将の器量、つまり、国の君主が立派かどうか、信頼に値する人物なのか、公平さを持っている人なのか・・
すべての条件が整ってても、肝心の大将がダメなら、勝てる戦も勝てないわけだ。
(まさに、ここらへんは、真田幸村さんとか、楠木正成さんの悲劇を思い出してしまうところ)

「法」とは、軍のよしあしについて。
軍の編成や、軍需物資の管理、適材適所への配置など、個々の戦闘能力が強いだけでなく、チームワークや、全体の軍のまとまりも考慮するということ。
(数だけ多くても、負け色が見えると、寄せ集め軍はすぐに崩壊してしまうもの・・義元亡き後の今川軍は、こんなカンジだったのかな~。)




こういったことから、対戦相手と自分たちを見比べて、勝てるか勝てないかの判断をせよ!ということ。

そして、
「勝てない戦争はしない」というのが孫子の鉄則


また、
「本来、戦わずして勝つことが最良の方法」



そして、最後に、この始計篇のしめくくりに出てくる言葉が、

『兵は詭道(きどう)なり』

これ、2007年の風林火山でも、山本勘助が連呼してた言葉でもあった。


「詭道」の「詭」は、いつわるとか騙すとかという意味・・・つまり「正道」の反対

「兵」というのも、この時は「兵士」という意味ではなく、「戦争」の事。

で、「戦争は騙す事」という意味になる。




この部分を引用すると・・

『兵は詭道なり』
故に能なるも不能を示し、用なるも不用を示し、近くともこれに遠きを示し、遠くともこれに近きを示し、
利にしてこれを誘い、乱にしてこれを取り、実にしてこれを備え、強にしてこれを避け、
怒にしてこれを撓(みだ)し、卑にしてこれを驕(おご)らせ、佚(いつ)にしてこれを労し、親にしてこれを離す。
その無備を攻め、その不意に出ず。』
    ↓
「戦とは騙す事。

できるのにできないふりをしてみたり、いるのにいらないように見せたり、近いのに遠くに見せたり、遠いのに近くに見せたり、
有利だと思わせて誘い出し、混乱させてやっつける、充実している敵には準備を整え、強い敵とは戦いを避け、
挑発して掻き乱しといて、低姿勢に出て油断させる、休養をとっている者は疲れさせ、親密にしている者同士を引き離す、
無防備なところを攻めて、意表をつく。」



ここは、私が、個人的に好きな部分でもあって、
実に広い視野を持ったリアリスト視線で書かれている。


武士ならば、大群を相手にしても、正々堂々と真正面から戦って果てろ!とか、
親の仇き~!と、怨みに身を任せて、殺しまくる!とか、



それは、青臭いだけの、真っ正直な愚か者であり、

結局のところ・・自分の個人感情の枠から一歩も踏み出せない器でしかない。

つまり、大将の器ではない。

決して、すべての民の生活を任せられるような器ではない。

そんなことを言われてるような気がしてくる。



孫子の各章には、さまざまな実践部分も多いのだが・・

やはり、孫氏の特徴として、人の心理に関わるところが興味深い。


●『囲師(いし)には必ず闕(か)き』
 「敵を囲む時は、一方だけに逃げ道を作っておく」・・逃げ場がないとわかれば相手は必死になり、
思わぬ事態へ発展することもある。  たとえ、敵であっても、徹底的に追い詰めるな!ということ。


●『善く戦う者は勝ち易(やす)きに勝つ者なり。  故に善く戦う者は勝つや、智名なし、勇攻なし。』
「名将は、勝ちやすい者に勝つ。 だから名将は勝ったとしても、その名を知られる事はないし、賞賛もされない。」

これ、優れた野球選手の話で聞いたことがある。
    ↓

本当に、すぐれた選手は、ボールの落ちる場所が事前にわかるので、投げられた瞬間に走ってボールの下で待っていて受け止めることが多い。 
ところが、ダメ選手に限って、猛烈ダッシュをして転びながらのファインプレーを見せる。
観客は、ダメ選手の方に拍手を送るが、真のファインプレーをしているのは、前述の選手のことである。



たぶん、これと同じことじゃないかな?


●『・・・乱は治に生じ、怯(きょう)は勇に生じ、弱は彊(きょう)に生ず。
治乱は数なり。勇怯は勢なり。彊弱は形なり。』

「(戦争の中では・・・)平静はすぐに混乱に変り、勇気はすぐに怯えに変り、強者はすぐに弱者に変る。
混乱するかしないかは軍の統制力で決まり、怯えるが怯えないかは軍の勢いで決まり、弱者になるかならないかは軍の態勢で決まる」

いずれも、見事に、人の心理を言い当ててる箇所だ。

人の心理というものは、おそらく、紀元でも今でも変わらないのだろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

孫子は「兵法」でありながら、

なんだか、読んでいくうちに、

別角度からアプローチした「平和論」を説いているような気さえしてくる。

逆説的手法ってやつだろうか?(笑)


それで、いつのまにか、最上の平和論を読んでる気になってしまう。

戦争を通して、重大な問題提起をされてる気さえしてくるのだ・・・。


決して、

「戦争は悪い事だ!」
「戦は嫌い!」
「平和な世が一番」

なーんて、近年の大河ドラマのセリフは一言も無いんだけど・・

それゆえに、ずんとくる確かなものを感じてしまう。


戦国の世の武士たちは、家の存続をかけて、戦うことが商売ともいえる。

子供の頃から、実践の戦闘技術を学び、

さらに、名僧と言われる人を先生につけられて、帝王学なるものを学ぶ
そこには、四書五経からなる「人の道」の教えもあったはず。

当然、孫子を愛読していた人も多かったことだろう。


現実の戦国の世で、または・・過渡期の明治維新、それぞれの時代で、

男も女も・・

どんなことに悩みながら、どのように心の折り合いをつけ、どのように、トップに立つようになっていったのか?

孫子をどのようにとらえたのだろう?

彼らにとっての理想の家、理想の社会とは、どんなものだったんだろう?



そういった疑問がわいてくるけど・・

残念ながら、最近の大河ドラマの中に、それを探すのはムリだ。


むしろ・・昔のNHK番組、たとえば・・「その時歴史が動いた」の方が、ノンフィクションのはずなのに、
ドラマ性もあったし、人物も魅力的に見えた。

ノンフィクション登場した西郷さんの方が、今年の西郷どん!よりも、100倍も魅力的に描かれて気がする。
(今の最後うどん・・あれ? じゃなくって・・西郷どん!、最初の3回だけ見てやめちゃったけど・・)


これは、以前のブログに書いたことだけど・・・

漫画原作の、アシガールの方がはるかに楽しめたし・・時代考証もしっかりしてたし、おまけに、役者の立ち居振る舞いが美しかった。
タイムスリップが出てくる、ファンタジーモノなのに、だ!


もう、いっそのこと、大河ドラマは終わりにして、そっちの路線にしちゃった方がいいんじゃないかなあ。



それでも、

私が日本史に多少詳しくなれたのも、

孫子を知ったことも・・

陣形もわかるようになったことも・・

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やっぱり、大河ドラマがきっかけになっている。

そうゆう意味では、NHK大河ドラマには、大いに感謝している。

UFOシーカーズのビデオから、海軍のエリア51を知る

UFO シーカーズ (UFO Sheekers)が You tubeにアップしてるビデオを見ていた。

この、UFO シーカーズというのは、

2016年に創設された会社で、場所はカリフォルニア州、ベーカーズ・フィールド(Bakersfield, CA)にあり、
UFOの調査のため、24時間空を監視し、どこにでも行って調査するという。



UFO sheekers

https://twitter.com/ufo_seekers?lang=en


主に、この二人が中心になって運営しているようだ。
    ↓
ufosheekers2.jpg


You tubeにアップされてるUFO関連のビデオの中には、かなり素人臭いものやら胡散臭いものも含まれてるんだけど、彼らのビデオは、撮影・編集においてもプロっぽい作りなので、とっても見やすい。

UFOをテーマに扱ったものといえば・・日本の場合はなぜか「バラエティー番組」のイメージが強いようだけど・・
(そもそも、バラティーというジャンルはアメリカには無いのだが。)

これは、まったく別物で、さまざまな角度から考察を加えた作り方をしている。

なので、わおお!!と驚くようなエンタメシーンは、いまのところ・・登場しない。

しかしながら、海外にもファンも多いらしい。(とくに、イギリスからのファンが目についた。)



今回、私が見たビデオは、こちら・・
(日本語訳はついてないが、映像だけでも雰囲気はわかるかと思う。。。)

The US Navy's AREA 51 - UFO Seekers © S2E15 というもの。
    ↓


エリア51といえば、ご存じの方も多いだろう。

US Airforce(アメリカ空軍)によって管理されてる、ネバダ州の南の方にある、グルーム・レイク空軍基地の別名。

あの、ロズウェル事件で有名になったとこだから。




ただし・・今回こちらのビデオに登場するのは、US Navy(海軍)の管理するとことで、あのエリア51とは、まったくの別物。

下の赤いところ,
Naval Air Weapons Station China Lake・・・日本語にすれば、海軍航空兵器ステーション/チャイナレイク

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ロサンゼルスからラスベガスに向かう幹線道路15番のあたりや、アリゾナに向かう40番あたりには、まだまだ立ち入り禁止の軍事基地がいくつもあるんだけど・・
ここは、北の方に位置する場所で、デスバレーセコイアなどの国立公園にも囲まれてるとこにある。


実は、私は・・こんな軍事基地は知らなかった。

もっとも、一般人はマニアを別にして、軍事基地なんか、知らないことの方が多い。

フリーウェイを走ってれば、ここにでっかい軍事基地があるなあ、くらいはわかるんだけど、
特別マニアでもない限り、注意して名前をチェックしたり、わざわざ調べたりしない。


しかも、空軍じゃなくって、海軍ベースがこーんな砂漠のどまんなかにあるとは!

ここは、ベース(基地)というより、正確には研究施設というべきなのかもしれない。


海軍ベースといえば、サンディエゴは有名だし、ついつい、海軍=海のそばをイメージをしてしまいがち。

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だけど・・あの、昔の映画のトップガンだって、アメリカ海軍戦闘機兵器学校 (United States Navy Fighter Weapons School:NFWS) の通称。

つまり、空軍ではなく、海軍なのだ。


うーーむ。

研究施設ならば、砂漠の中にあるのは・・納得だ!

めったに人が近づくこともないだろうし、秘密裡に行えるわけだから。

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で、こちらの研究所の概要は、こんなものだ。
(このビデオでも、紹介されてたこととも一部ダブルけど・・)


チャイナレイクは、米国海軍の最大の陸上保有地。
1943年11月にチャイナレイクを海軍兵器試験場(NOTS)として設立。

主に、武器や武器の研究、開発、取得、試験などの使用の85%を占め、
世界の海上保有地の38%を占めている。

合計で、その2つの範囲とメインサイトは、ロードアイランド州よりも大きい1,100,000エーカー(4,500 km 2)をカバーしている。

その土地の少なくとも95%が未開発のまま残されているといわれている
設備の約30億ドルは、建物と施設が2,132、舗装道路が329マイル(529 km)、舗装されていない道路が1,801マイル(2,898 km)

チャイナレイクの19,600平方キロメートル(51,000 km 2)の制限された空域は、カリフォルニアの総空域の12%を占めている



これらは、すべて公式発表されてる内容。



それにしても・・・ミリタリーというのは、すごいものだ~。

途方もなく広大な敷地を使ってるわけだし、

陸だけでなく、空・・空域も19,600平方キロメートルも立ち入り禁止・・カリフォルニア州の12%も占めるのには驚きだ!


今度は、ミリタリーのサイトにいって調べてみると・・

ここは、トップ・シークレットに認定されている。

武器の開発や試験を行っているんだから、トップ・シークレット認定されるのは当然だとは思うけど・・


チャイナレイクで開発された武器(公式発表のもの)は、
    ↓
AAM-N-5 Meteor
AIM-9サイドワインダー
AGM-62 Walleye
AGM-45 Shrike
BOAR(ロケット)
チャイナレイク・グレネードランチャー
ジレット(ロケット)
聖モーゼス(ロケット)
ホピ(ミサイル)
LTV-N-4
ラム(ロケット)
RUR-4武器アルファ
テラスカ
ティニーティム(ロケット)
トマホークミサイル
SLAM-ER
CL-20


武器マニアでもない限り、よくわからんのだが、ミサイル、ロケットなど・・数々ある。


こんな・・砂漠のド真ん中・・人もめったに近寄らない場所で、

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施設内には、優秀な科学者を集め、そして、最新技術の設備がある。

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こんな砂漠のド真ん中に、優秀な科学者を集めるためには・・

彼らに保障する、高給はもとより・・
スイミングプール、ジム、セラミッククラブ、スカウト、おしゃれな趣味の店など・・さまざまなレクリエーション施設が完備されているという。
さらに、公立学校は、かなり高度な教育水準があるといわれてる。


いったい、どれほどの費用を使ってることだろう?

しかも、徹底した トップ・シークレットぶり。


本当に、武器の研究開発だけかい??

どうも、それだけではない!


・・・という噂が多くある。


だからこそ、

海軍のエリア51・・・と、このビデオのタイトルにもなったのだろう。


もちろん、軍関連の場所はここに限らず、

アメリカのミリタリーは、莫大は費用を使い、莫大な土地(空)を使用し・・・

そのすべてが、一般人立ち入り禁止であり、

公表される内容は実に少ない。




そんな中でも・・
トップ・シークレットとされる、ここは、

1-china-naval-sign.jpg


一歩外に出れば・・

野生動物の宝庫だそうだ。 その数、340種ともいわれているし、その中には、野生馬や野生のロバなどなど。
中には、絶滅危惧種のビッグホーンシープもいるそうだ。
   ↓
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また、ネイティブ・アメリカンの、 コスー・ピープルズ(Coso people)の本拠地でもあった場所でもある。


彼らによる、ペトログリフ、岩石画、ロックアートなどが多く残されていて、中にはいくつかは16,000年もの古いものもあるというが、そのほとんどが、いつ頃のものかわからないものも多いそうだ。

Coso_sheep.jpg
   ↑
たぶん、これは・・ビッグ・ホーン・シープらしい。 絶滅危惧種だけど、昔はいっぱいいたことだろう。。。

これらは、わからない。。。
    ↓
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ここは、たしかに・・UFOの目撃情報も多いところだそうだ。


トップシークレットの軍事基地があるからか?

それとも、

コソ・ピープルに関係あるからなのか?

謎だ!

猛暑の日本にドン・キホーテを思い出す

日本に住む母との電話。

「台風が近づいてるせいで、気温が下がってずいぶんラクになったわ。

それまでは、毎日35度以上もあったのよ!」



毎日が35度以上?

(アメリカでは、温度は華氏で表示するため、長年こっちに住んでると、摂氏(C)より、華氏(F)で表した方が
体感的にピンとくる。)

ぎょええ~!

35℃ってことは、95℉ ってことだ!


私が住む地域は、南ロサンゼルスだが・・ここでは、90℉(つまり、32℃くらい)、を超えると、

「きょうは最悪! 猛暑だ~!」と、人々は騒ぎ出す。


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そもそも、私の住む地域では、エアコンを入れている家は少ない。

日中はそれなりに暑くても、湿度は低いし日陰に入れば涼しい。

車生活のため、暑い中を歩く必要もないし、朝晩ともなれば、70℉代(25℃以下)まで気温は下がる。

暑くて寝苦しいなんてことは、めったにないからだ。
(ごくたまーに、年に2-3日くらいは、熱帯夜もあるが・・)

なので、エアコンも扇風機も不要でぐっすり眠れる。


ところが、日本は・・

毎日エアコンはつけっぱなしだし、夜寝るときも、エアコン無しでは眠れなかったそうだ。

「毎日のように、熱中症に注意のニュースが多くて・・
エアコンをつけてない老人が多く、熱中症で亡くなってるし、
ついに、子供までが、学校の課外授業で外を歩かされて死んだのよ。」


母の話をオンラインニュースで調べてみる。

たぶん・・このことだろう。
    ↓
熱中症で男児が死亡した愛知・豊田市の小学校、「判断甘かった」と校長。遺族に謝罪する

日本の小学校は、冷房も入れてないところが多いらしい。。。
(こんな状態で勉強が出来るんか~?と思うが・・)

部活も相変わらず、炎天下で行ってるらしいし、

甲子園野球もやってるらしい。。。

我々から見ると、こういったことは、異常なことに思えてならない。

非効率的で、無駄に体を酷使してるだけにしか思えないのだ。


こういったことからも、

どうやら、日本の常識が違うんだろうなあ、と思い知らされる。

こちらでは、スーツ姿のサラリーマンなどは、めったにお目にかからないのだが・・

日本のサラリーマンたちは、炎天下でもスーツを着なきゃならないらしいし・・

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我々から、みれば・・こっちの方が、ずーーと常識的な行為なのだ。
    ↓
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さすが・・両さん! 

小学生の命が犠牲に。「学校はエアコン不要」の根性論が子供を殺す


そういえば、昔、日本にいた頃・・
根性論とか精神論とかを、延々と説教する上司がいたことを思い出した(笑)

何事もやり続けることが大事!決して諦めちゃいかん!
苦労すればするほど、精神は鍛えられるのだ!

と・・延々。。。

そのお説教を聴きながら、ドン・キホーテの物語を思い出していた。

ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ

名馬ロシナンテに跨り、甲冑に身を固めて槍を高々と掲げてるドン・キホーテ。

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騎士道物語を読んで感動してしまったドン・キホーテは、自分自身も騎士道に身を捧げようと、正義を求める遍歴の旅へと出発する。

だけど、

名馬ロシナンテは、現実にはよぼよぼの駄馬だし、

ドン・キホーテも老人。

しかも・・街道の安宿を堅固な城砦と思いこんだり、巨人と間違えて風車に突進したりする始末だ。

この老人には、空想と現実、虚像と実像との区別がついてない。

そこにあるのは、ただ・・熱い騎士道精神と正義のみ。


悲しい物語だ。

この説教オヤジも悲しい。。。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なぜか、日本という国。

エアコンなんて贅沢品、まして小学生にエアコンなんて贅沢だ!という風潮が、あるのかもしれない。


しかし、現実は・・

成人よりも、高齢者や小さな子供の方が熱中症にかかりやすいのだ。

単純に気温がXX度以上になったら注意!という話ではない。

それぞれの筋肉量、水分量にも関係するし、湿度、輻射熱も関係する。

もちろん、そのときの体調にも関係する。





これも、母から聞いた話だが・・

母が子供の頃、真夏の暑い日には、

「きょうは暑くなるぞ~、梅汁を飲んでいけ!」と爺ちゃんに飲まされたそうだ。

梅汁とは、どうやら・・梅酢のことらしい。
    ↓

塩と梅をかめに入れて梅干しを作る過程で、自然に水として上がってくる梅のエキスのこと。
紫蘇を入れて、赤い色を出す



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http://blog.hyouhon.com/entry/2018/02/09/162155


それを冷たい水で割って飲まされたそうだ。
(もちろん、現在のものとは違って無添加だろう)


また、毎日、塩入りの麦茶を飲まされたという。


麦茶といっても、自家製のもので・・麦穂から、ちゃーんと炒って香ばしさを出して、作ったものだそうだ。

たぶん、こんなふうにして作ったのだろう。
  ↓
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http://inthex.net/2017/08/07/post-2471/


夏場は汗と共に塩分が出てしまうから、必ず塩を少々加えるんだとか。


うーーむ。

なんだか、昔の人たちの方が、はるかに、子供の体調には気を使っていたのかもしれない。


「私の小学生時代は、暑くなると、そんなものばかりを飲まされてたわね~。」
今は、エアコンがあるから、有難いわ。」

それにしても・・なんで、家にエアコンがあってもつけずに熱中症で亡くなる老人がいるんだろう?
老人になると、バカになっちゃうのかしらね?」


と、母が言う。


おいおい!

自分だって、80を過ぎたバリバリの老人じゃないか?


なぜ?
家にエアコンがあっても、オンにしないで、熱中症になる老人がいるのか?


それは、私にもわからない。。。

老人になると、長年の生活で感性が鈍ってしまい、暑さ寒さも感じなくなってしまうのか?


それとも、

暑さに耐えることが美徳という・・精神論やらド根性論に支配されてしまってる人が多いのか・・



たしかに・・昔の日本、とくに旧陸軍などは、

精神論を掲げて多くの人々を扇動し、その結果、悲惨な大事件に発展させてしまった事実がある。

インパール作戦だとか、

八甲田雪中行軍だとか、


食料がなくっても根性で生きられる!

猛吹雪でも根性で生きられる!

そんなことで脱落するのは、根性無しだからだ。

死ぬヤツが弱かったのだ!



当時の背景には、そういった風潮があったのだろう。


多くの人というものは・・・

「周囲の空気を読み、その空気の中で自分の思考を決めてしまう。」ようだ。


これは、時代が変わっても、その傾向はあまり変わってないように思える。


本来、

「思考や思想は周囲とは関係なく、自分から出るもの」だし、
そんなことは誰にでもわかってるはずなのに・・。




私自身は、子供の頃から、どこか周囲に馴染めないところがあった。

小学生時代は、いつも親に決めた服を着せられてた違和感があり、

中学生時代は、さらに学校、同級生たちが加わり・・またも違和感が増えていった。

同時に、処世術なるものが身に着いた。

上手に周りの空気を読んで、NOと言ってはマズイところでは言わないようにする(笑)


だけど、

自分の中では、

周囲の空気にむやみに同調しないぞ。
絶対にするもんか!
・・・みたいな(笑)


今でも、日本の報道記事を見るたびに、

「周囲で当然とされている価値観」なのに、私自身は、まったくそう思わない!ってことが山ほどある。



たぶん・・私のようなものはアウトローと呼ばれるのかもしれない。

アウトローでいることは、生き難い人生になるんだろうか?


結局のところ、

自分にとって、どっちが心地良いか、なんだと思う。

周囲の空気の中で生きることが心地良いか?

孤立しても、自分の中から生まれた価値観で生きる方が心地良いか?





こちらに住んでいる移民の中に、中国の文化大革命を機に、アメリカに逃げてきたという老人がいた。

その人から、すさまじい話を聞かされたことがある。

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知識人、文化人というだけで敵とみなされ、
扇動された民衆が、彼らを捉えて、生きたまま腹を裂き、肝臓や心臓を取り出し、我先に争って肉を切り取った光景をみたそうだ。

それどころか、近所の農家のおばあさんが、先生に野菜を届けたというだけで・・
狂った紅衛兵たち(ほとんどがティーンエイジャーの子供たち)に、その、おばあさんも惨殺されたんだという。

「おまえは、教師の片棒をかつぐ、反革命分子だ!」と言われて。

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その老人は、こう言った。

「私は、まだ子供だったけど・・父と共にその光景をみました。
それを見た父は、もう、中国は私の国じゃない!と言って、一家はすぐに国を捨ててアメリカに来たんです。
当時の中国で生きるには、彼らとともに残虐な殺人行為を行うか、逃げ出すかしかなかったんでしょう。

父は中国人として生きるよりも、人として、自分の信念で生きたかったんだと思ってます。
国籍なんてどうでもいいんですよ。 私も今のアメリカ国籍で満足してますよ。」




「時代の空気の中で生きること」


それは・・扇動に通じるのかもしれない。

権力者たちは、古今東西問わず、こういった「扇動」パワーを利用してきた。

それは、

人々が「自分で考えることを放棄したとき」から発動してしまうのだろう。


・・・・・・・・・・・・・・・・・

「猛暑といっても、まだ35度にはなってないから大丈夫」

「これは学校行事として決められてることなのだから」

「前例にはないことだから」

「みんながやってることだから」


こういった考え方は、すでに・・

「周囲からの影響による、思考や思想になってしまっている」んじゃないだろうか?



私が小学1年生の子を持つ親ならば・・安心してこんな学校には通わせられない、と思う。

「いつでも先生の言うことが正しいとは限らない!
誰になんと言われようとも、自分で考えて、自分の信念で行動しなさい!
それこそが、根性だ!」
と。

こんな・・アウトロー教育をするかもしれない(笑)

剣豪・山田次郎吉という人

ベッドにゴロゴロしながら、池波正太郎の時代小説を読むのが結構好きだったりする~♪

「信じられない!アンタって、オヤジ趣味ねえ~。」と笑われたことがあるが・・


歴史小説が好きというよりも、たぶん・・私は池波正太郎さんの世界が心地よいんだと思う。



その中で1つ、興味深いものを発見した。

それは、TVドラマ化されたこともある、「剣客商売」というシリーズだったんだけど・・


あ、これこれ!

「品川お匙屋敷」


この中に、小説のストーリーとは、まーーたく関係の無い事が書かれてる箇所がある。

準主役でもある、秋山大治郎という若い剣客の、彼の勘の鋭さを説明する部分なんだけど・・・

これは、TVドラマ化されたものだけど、この右の人のこと↓
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江戸時代の話を読んでるのに、いきなり・・その説明が、別次元に話が飛んじゃう部分がある(笑)


そこの部分だけ、抜き出してみる。
    ↓

彼ほどの剣客ともなると、その感能は、常人とははかり知れぬちからをそなえているといってよい。

理屈ではない。

明治の剣客などと呼ばれた直心陰流の山田次郎吉翁は、かの大正12年の関東大震災を4年前に予知し、これを発表している。

「おそらく大正13年までに、この東京に一大天災、つまり大地震があって、市民の7、8万人は死滅するだろう」

といい、この山田翁の言葉がロスアンゼルスの日本人会の新聞に出たという。

山田次郎吉いわく、

「剣術を、だんだんやってくると感が強くなって、人のことがわかるようになるから、注意しなければいけない。

感が当たるときはよいが、それが当たるとばかりはかぎらぬ。ときには間ちがうことがある。

それに頼ると大変な誤りを犯すことになるから気をつけなさい」

また、いわく。

「ほんとうに、明鏡止水の心境に到達すると、鉄砲の弾丸(たま)も当たるものではない。

心のはたらきは弾丸のはたらきよりもずっと速いからだ。

また、ここにすわっていて、太平洋の波の音を聞くこともできますよ」

また、或る日のこと、門下生某が下谷の清水町に住んでいた山田次郎吉を訪問し、さて、帰ろうとすると、次郎吉翁が、

「もう、10分もすると、M君が来るから、お待ちになったらいかがですか」という。

「先生、お約束でも、なさったのですか?」

「いえ、何も約束をしたわけではないが、30分くらい前に、M君が阿佐ヶ谷から私のところに来るため、出発したような気がします」

果たして、12-3分後に、M君が山田邸にあらわれたそうな。



私は、山田次郎吉なんて人、知らなかったのだが、急に興味を持った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

山田 次朗吉(やまだ じろきち、1863年 - 1930年)、剣術家(直心影流第15代)。
号は一徳斎。
自流の振興のみならず、諸学校において剣道師範を務め、剣道の研究・著述活動を行い『日本剣道史』等の名著を残した。


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江戸時代から明治、大正、昭和5年まで生きた、おそらく、最後の剣豪だったのかもしれない。

●上総国望陀郡下郡村(後の千葉県君津郡富岡村、現・木更津市)に、名主与吉の長男として誕生。
少年期は体力が低く、虚弱であった。

●1884年(21歳頃)、榊原鍵吉に出会い、剣の道を入る。


師となる榊原 鍵吉さんという人、これまた、すごい人だったらしい。
   ↓
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https://edo-g.com/blog/2016/06/professional.html/7

榊原 鍵吉(さかきばら けんきち、文政13(1830年) - 明治27(1894年)、江戸幕府幕臣、剣術家。 諱は友善(ともよし)。

幕末期に男谷信友から直心影流男谷派剣術を継承し、講武所剣術師範役、遊撃隊頭取を務める。
明治維新後は撃剣興行を主宰して困窮した士族を救済したことや、天覧兜割りの成功などで知られ、「最後の剣客」と呼ばれる。

稽古で長さ六尺(180cm)、重さ三貫(11kg)の振り棒を2000回も振ったといわれ、腕周りは55cmあったという。



ああ、なるほどね~。



そういえば、池波さんの「剣客商売」シリーズの中で、
秋山大治郎は、まず門弟に、振り棒2000回を振れるようにする稽古をやらせる・・という話が出てくる。

なまじっか、剣の心得がある門弟たちは、あまりの重さ・辛さに・・こんなこと、やってられっか~!と逃げ出してしまう・・
って話が出てくるんだけど、

なーるほど、この実話がちゃ~んとベースにあるらしい。




さて、山田次郎吉さん、

●師が師だけに、次郎吉さんも、すさまじい猛稽古に励んだらしい。

もちろん、振り棒で基礎体力作りは、まっさきにやったことだろう。


さらに、

健吉先生の荒稽古は、大きく強い面打ちで初太刀を取るというものだった。

つまり、いきなり頭をバーンと殴られる稽古。
(もちろん、防具も面もつけてるし、竹刀を使ってだろうが・・)


ところが、次郎吉は「その面を恐れぬ工夫が肝要」であると思いたち・・

つまり、頭に防具があるから、ついつい、平気!と思ってしまうのが、まずいんじゃないか!と思ったらしい。。。

頭を捨てる修行が必要と、毎日幾十度となく頭部を力いっぱいに、柱に打ち付ける修行をはじめる。(←マジかよ~)


回数を重ねるに従って、我知らず打ち付ける力が弱くなると、両手でしっかり柱をつかんで、柱を頭に引き付けるようにして打ち付け・・・幾度か気絶して倒れることも、そして遂には柱の中央が丸く凹んでしまった。
(この柱は・・現在次郎吉の弟子の某氏が保存されているとか)

そのうち、額は甲羅のように盛り上がり、強くなったとか・・


猛稽古をしていくうちに、

次郎吉さんは、さらに、こんなことに気がついた。

竹刀打ちと形とは恰も書道における、楷行草の関係の如きものである。
是を相排し合うべきではなく、兼修すべきものである」
・・恐る恐る健吉に向かってこの考えを述べた。

えっと、ちょっと補足すると・・


剣道の修行ってのは、昔は防具なんてつけないし、竹刀も使わない。
    ↓
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木刀を使う。

打ち所が悪ければ、そりゃ、死ぬこともある。

危険極まりないのだ。


そのため、まずは、徹底的に形(かた)というのを学ばされる。(剣道の場合がこれが守備にもなる)

技芸の上達についての言葉で、守破離という言葉がある。

守=まずは決められた通りの動き、つまり形を忠実に守り、

破=守で学んだ基本に自分なりの応用を加え、

離=形に囚われない自由な境地に至る。

つまり形をしっかりと身に付けることではじめて、高度な応用や個性の発揮が可能になるということ




ところが、竹刀なら、まず死ぬ危険はなくなるので、思い切って打ち込み稽古から始められる。
それに、地道に形(かた)をマスターするには、何年もかかっちゃうところを、短縮できる。


たぶん、そんなことから・・・

明治に入る頃になると、竹刀を使ったこういった稽古法が編み出されたようだ。



しかし、形(かた)を失ってしまえば、剣道はスポーツ化していく危険性もあるし(現在は完全にこうなってるけど・・)

もはや、剣道とは呼べないんじゃないか!・・・と、そこには賛否両論あったらしい。


現に、形と竹刀派とは真っ向から別れてしまっていて、流派も別れ、互いが犬猿の仲だったようだ。

ま、それぞれ、一長一短はあるということだけどね~。



榊原先生は、竹刀稽古派だったらしく形(かた)は使わない流派。


そこで、次郎吉さんは、師匠に、

「両方必要なんじゃないの?」・・と言ったわけだ。

「書道における、草書体、楷書体、行書体のようなもので・・全部必要だよね」と。


榊原先生、怒り出すどころか、

そりゃ、いい考えだ!と絶賛して、次郎吉さんが、他の師匠について、形(かた)を学ぶことを許したという。

さすがに大物!


●1894年(31歳)、榊原先生より免許皆伝の目録を受け、直心影流第15代と道場を継承。

●1895年(32歳) 師匠の榊原の死去に続き、父も世を去ったことを機に、東京へ移った。

●1896年、宮家の剣術師範を辞する。

●1901年、東京高等商業学校鍛錬部(剣道部)の師範に就任。

●1904年 道場を本郷区竹町に移し、「百錬館」と名付ける。
大日本武徳会からの入会勧誘を断り、競技的剣道には参加せず、直心影流に専心



その間、
東京高等商業学校、 東京帝国大学、東京帝国大学農科大学、東京府立第三中学校などで、指導を行い、

また、多くの著書も残している。

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『剣道集義』東京商科大学剣道部、1922年
『続剣道集義』水心社、1923年
『日本剣道史』東京商科大学剣道部、1925年
『鹿島神伝直心影流』東京商科大学剣道部、1927年
『古代養性論』水心社、1929年
『剣道叢書』水心社、1936年
『剣道極意義解』水心社、1937年



その他にも、まだまだ色々なことをしてる人らしい。

済生学舎に通って医学を学んだり、知人の医師のもとで薬学、整骨術を学ぶ。

警視庁に入って、巡査になったり、焼き芋屋や米屋、煙草屋を開業したり・・・これらの職業は、いずれも長くは続かなかったらしいが・・。



●1919年、雑誌『新時代 第3巻第1号』において、関東大震災を予言。

関東大震災(1923年)の四年前、大正8(1919)年正月の挨拶で、

弟子に『 大正十三(1924)年までに帝都を一大天災、恐らくは大地震が襲い市民の三分の二は亡くなる 』という予言をし、

それが、この雑誌で発表され、震災後に「的中した!」と、人々に驚かれたらしい。



「一徳斎山田次朗吉伝」(昭和6年)」には、関東大震災の当日の様子が、このように書かれているようだ。
     ↓

自宅(下谷区御徒町)で、友人(菊田慶太郎氏)と卓を囲んで談笑してたところ揺れが襲った。
菊田氏は顔面蒼白となったが、山田次朗吉は、特に普段と変わった様子もなく
「 下腹にウント力を入れなさい 」と菊田氏にアドバイスをし、
自身は立ち上がって部屋のガラス戸が地震で壊れないように電球を外したりと、冷静沈着に予防措置をとっていた。

曰く―――。

《「地震は踊るのが仕事、私達は酒を飲むのが仕事です。  菊田さん、マア落着いて一杯やりましょう」と、
そんな冗談を言いながら今度は階下で焼酎の盃を傾け、且つ静かに食事をとられた。

その内に火の手が見えて来たので外に出られた。

「昔の書物に地震のことが色々書いてあるが、随分平生と異なったことがあるらしい。今度こそ実際に経験して後の世の語り草にしよう」
他の人々がどうなる事かと、おろおろしている内に、こう決心して、次々に起るべき異変を悠々として迎えるべき心構えをされた。

「こうした事は天の為す業だから、人力では如何ともなし難い。家財道具などは出してはならぬ」
こう言われて永年蓄読募集して、無虚数万巻に達した珍貴な蔵書をも、少しも手をつけず、業火の焼くに委せられた。 》




御徒町の自宅に火が迫るなか、他人の救済を続けるために飛び出していき、
家財はもとより、貴重な書籍や、直心影流の伝書類の一切もが焼失してしてしまったそうだ。

それ以降、宗家を廃することにしたという。


実に面白い人だ・・。(笑)

剣豪と言われた人なのに、直心影流の免許皆伝とか、流派とか・・そういったことには、全くこだわりがない人らしい。

家財道具や貴重な書物が灰になることも気にしない。
(なるに任せてしまえばよい!ってことか・・)

そもそも・・巡査になったり、焼き芋屋?にもなったりする人だし、

弟子の時代から、師匠の流派の枠内にとどまらず、他流派の形(かた)までを学んでしまった人のわけだし。

それを、許す師匠も師匠、実に大物だ!

この師匠に、この弟子・・・だから、免許皆伝を与えて道場までも継がせたんだろうけど・・



山田次郎吉の目指したものは、唯一、剣の道

流派を超えたところにある、剣の道だったのだろう。



彼は、常々こんなことを言っていたそうだ。

「剣術使いは防具を頼りにするから真剣なりきれないで、単なる叩きあいに堕するのだ。
真に生死の際に泰然たる活人物になるには、形によって練らねばならぬ」


たしかに!

防具があれば、叩かれたって大丈夫。
生死をかける必要はない!

このようにして、明治以降の剣道は、スポーツになっていったわけだ。



ずっと前に、剣道・・武士道に関するブログ記事をアップしたことがあった。
      ↓
武士道と刀のスピリチュアル

殺陣と剣道と四戒


精魂を傾けた名人芸ともいうべき技で刀が作られ、それを肉体と精神を鍛え上げた剣の達人が手にする・・・そんな内容を書いたのだった。

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剣豪、つまり・・剣の達人ともなれば、

★家の中にいてさえ、迫りくる危険な気配を感じることができる
(相手の殺気を感じることができる)

★相手の次の動きを瞬時に予測することができる(太刀筋が読める)



まさに、スピリチュアルであり・・彼らは、サイキックだ。

そのようなことを書いた。



それを、今、まさに山田次郎吉さんの存在で、それが証明された気がする。


彼は、迫りくる関東大震災を予測し、太平洋の波の音さえも聞くことができるという。

鉄砲の弾丸さえ当たらなくなるという。
(心のはたらきは弾丸のはたらきよりもずっと速い)

おそらく、弾丸を発射する気配も予知し、弾丸の道筋さえも予測できるから、
鍛えぬいた体は、瞬時にそれに対応できるのだろう。

たぶん・・こんなふうに? ↓
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剣道の極意は、四戒

そして、明鏡止水の境地に達すること


私は、「ニュートラル」なんて言葉を使ったものけど、明鏡止水の方がカッコいいなあ~。


こういった精神面だけでなく、とうぜん、肉体もそれに合わせて鍛え上げなければならない。


そして、はじめて・・

完全無欠のサイキックが出来上がる!


サイキックとは、こうやって肉体と精神修行のうちに作られていくものなんだなあ・・とつくづく思う。


しかも、

感が当たるときはよいが、それが当たるとばかりはかぎらいし、ときには間ちがうことがある。
それに、頼ってばかりいると、大変な誤りを犯すことになるよ~。

と、ちゃーんと戒めているところも納得。

実に冷静なのだ。



現代もてはやされている、「霊能者」とか、「サイキック能力」なんて・・しょせんは、まだまだ不完全な方が多いのかもしれない。

ここまで肉体&精神を鍛え上げた人はいないだろうから。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日本という国は、つくづく・・

稀に見る、すごい国だったんだな~と思う。

山田次郎吉さんだけでなく、多くの剣客、そして剣豪と呼ばれる人たちがいたんだから。


華道も、書道も、茶道も、そして、剣道も・・・すべて道であり、精神修行がベースにあったのだから。

精神修行の先に、彼らは宇宙を! 調和の美を! 垣間見たのだろうか?

そのためのものだったんだろうか?

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しかし、

明治になって、すべてが変わってしまったようだ。

剣道は防具を着けて、竹刀でたたき合うスポーツに転じ、

華道、茶道は、女性向けの花嫁修業になり、
(華道、茶道も、本来は武将が好んだものらしいが・・)

書道は、キレイな字を書くことだけに変じてしまった。。。


たしかに・・
それじゃあ、サイキックは生まれようがない(笑)


明治以前の日本人は、

一般人でさえ、剣の道のごとく・・生の裏にある「死」の存在も意識しながら生きていたのかもしれない。

お迎えがくれば天にゆだねる潔さを持ち続ける。

だからこそ、精一杯明るく生きようとしていた気がする。

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池波正太郎さんの時代小説を読んでいると・・・

この人、すご~く、この時代が好きだったんだな~♪と思えてくる。

この時代が大好きで、そこに生きる人々、風物詩、鍛え抜かれた剣豪たち・・
「娑婆気」な中に漂うスピリチュアル

きっと、そういったすべてが好きで、

楽しんで書いてる・・・そんな感じがする。


だから、私は、「オヤジ趣味」といわれようが、「大衆小説」と言われようが・・
ついつい、ベッドで読んでしまう。。。


その人の好きでたまらない世界に触れると、私までハッピーになれるから。

文明は感性からつくられる

今回の、カナダで開かれた主要7カ国首脳会議(G7サミット)において、

「増え続けるプラスチックごみが海洋を汚染し、生態系に影響を及ぼし危機的状況になりつつある」

それを阻止するため、

G7では海洋保護に向け各国が削減を促進する「海洋プラスチック憲章」が提唱された。



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http://www.y-asakawa.com/Message2018-3/18-message85.htmからの画像

ウミガメだけではない。 鳥も、魚も散乱するプラスチックの影響を多大に受けている。


こちらのビデオは、ウミガメを助けるために、ストローを抜く様子を撮っている。
この映像は多くの反響をよび、スターバックスもストロー禁止の方向へ動き出したという。
    ↓



さて、G7は、

共存する海をプラスチック汚染から守るため、

英国、フランス、ドイツ、欧州連合(EU)は、海洋プラスチック憲章に署名した。

ところが、

アメリカと日本のみ、署名を拒否。

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http://www.y-asakawa.com/Message2018-3/18-message85.htmからの画像
   ↑
この腕組みしてる男二人は拒否したようだ。。。



どうゆうことだ?

日本が拒否した理由は、いったいどこにあるんだろう?


ぜひぜひ、安倍さんに聞いてみたい。

なぜ反対したのか? 



当然、日本にとっての国益を考えた結果の、反対なのだろうが・・・。

反対することによって、どんなプラス面をもたらすのか?

現状の海洋汚染問題を熟知しながら・・・それでもなお、反対に至った決断をぜひ聞いてみたい!



・・・と、私は思ったのだが、日本のニュースをみた限りでは、何も語られていない。


問題にもなってもいないらしい。


つまり、多くの日本の人々は無関心ってことなのか? (たぶん、そうらしい。。。)

「モリカケ問題」は、あれほど騒いだのに。。。




アメリカも、トランプさんが反対して署名しなかったのだが・・

だから、日本もアメリカも一緒!と思ってはいけない。



政治面とは別に、アメリカ人の環境への関心は、日本人と比べれば、はるかに高い。

たしかに州によって違いはあるものの、環境問題については日本人以上だ。

すぐに、手厳しい反対意見が出るし、反対運動が広がり、州法を変えてしまうほどのパワーを発揮する国だ。

事実、国立公園ではペットボトルを禁止するルールがあるようだし、ホワイトハウスでも禁止なんだとか。
私の住む、カリフォルニアでは、すでにお買い物のビニール袋も禁止されている。



ところが、日本人はびっくりするほど、関心が無いらしい。

唖然とするばかりだ。。。




マイクロプラスチックの問題については、私のブログ記事でも、何度かアップした。

プラスチック問題に触れた過去ブログ
     ↓
世の中には危険がいっぱい

食物連鎖からみる人間とは

異常気象から「気の流れ」を考える




日本という国。

いったいどうなっちゃったんだろう?


先進国の中で、環境問題に関心が全くといってない国は、日本と中国くらいだとか・・。
ま、中国は急激な高度成長で伸びたわけだから、まだまだ精神的には後進国なのはわかるけど・・・日本は?



以前、「日本の特色、良いところ」というニュアンスで、書いたブログ記事があった。
      ↓
サンクスギビングデイに日本史を考える


西欧諸国は、ウシハク国

「主人(うし)」が「履く(はく=所有する)」、主人が自分のものにする、という統治手法をとってきたのに対して、

日本は、シラス国。

「シラス」は、古い日本の言葉で、「シラス、シロシメス」などと活用されて、「統(し)めらふ」、つまり「統(す)めらみこと。
これは「知らしめる」という意味で、
「知らせ」を聞いたみんなが情報を共有化し、互いに必要な役割を定め、みんなで一致団結、協力して国造りをする。




古事記に登場する日本は、スメラミコトを中心とした、シラス国であり、「和をもって尊しとなす」国だった。



西洋諸国のように、

武力による恐怖政治と、がんじがらめのキリスト教に支配されてた地域とは違い、

古代日本は、八百万神(やおよろずのかみ)が存在し、神も人も動植物も共存していた国だったのだ。



ところが、現在はどうだろう?

欧州諸国では、

●食品添加物は非常に厳しい。

ドイツは60品目、フランスは30品目くらいしか許可されてない。

一方、日本は350品目以上OKらしい。(ちなみにアメリカは133品目とか・・それでも日本の3分の一程度)

●モンサント社の反対運動

●ペット規制が厳しい
ペットショップで、ペットの生態販売は出来ない。(檻に入れることは不可)
アメリカで、動物を虐待すれば、Animal Cops(動物警察)に逮捕される。




それに比べて、日本はどうなのか・・・ここであえて、述べるまでもないだろう。


うーーん。

日本人は、いったい・・どーなっちゃってんだ?


たとえば・・ペットに関して言えば、

TVをみれば、かわいいペット番組もいっぱいあるし、ペット大好き!という人々が多いらしい。

しかし、

こんなところに、毎日、売れるまで押し込められ・・
   ↓
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こんなふうに、出荷する
   ↓
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病気にならなきゃ平気、死ななきゃ平気・・・動物は強いんだから! と思ってるのか?


もしも、自分が同じ状況下に置かれたことを考えたら、この上もなく恐ろしいことなのに・・
そんな想像力さえ失ってしまってるんだろうか?



まったく同じことが、環境問題にも言えると思う。

知人に、環境意識コミュニケーション研究所という、webサイトを教えてもらったのだが・・そこのコンセプトにこんなことが書かれていた。
     ↓

そして環境問題………現代社会の問題点は、すべて、まわりのもの、まわりの人、自然、月、といった環境を感じなくなったところから、きている。

知らない間に、日本人がいつ満月かを知らなくなったのであれば、知らない間に、満月を見るような、コミュニケーションを社会全体で生み出すのが、環境意識コミュニケーションの目指すところ。

環境意識なくして、環境問題の解決はないと考えている。





満月にも気がつかず、風の匂いも、季節の移り変わりにも気がつかないような人々ならば・・

そりゃ、環境問題なんて考えられるはずもないだろう。(笑)


花鳥風月なんて、すっかり・・死語になってしまった日本、

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いまや、感性においても、到底、欧米人には及ばないのかもしれない。



私は、文明大好き、便利な世の中大好き!
昔を懐かしむ気もないし、古い時代に戻りたいなんて思ってもみない。

しかし・・そのために、
土に還らない物質を作り出し、環境破壊し動植物を殺すならば・・

それは、もう、文明とは呼べないものだと思う。


本来の「高度文明」とは、決して、自然破壊なんか、起こさないものだ。

また、人には、すでにその知性も、技術も、与えられているはずなのに。

「麻原彰晃とその教団元幹部7人の死刑執行」をアメリカで聞く

昨日、「麻原彰晃とその教団元幹部7人の死刑執行」というニュースを聞いた。

最初に海外ニュースから知ったので、日本のTVでどのような報道をされていたのかは実際には見ていない。

そんな折、日本に住んでいる母から電話があり、「どこの局でも特集番組みたいに、このニュースを報じてるよ。」
    ↓
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死刑囚写真に次々「執行」シール TV演出に疑問の声も


と・・それを聞いて、ああ、いかにも日本らしい報道だよな~、と。(ちょっと複雑な気分)

ニュースで報じるのは当然でしょうが、なんで、どこの局もすべてが似たような・・ここまでの特別番組になるのか? 

いつもながら、ここらへんのことが、私には不思議に思えてしまう。




このTV特別番組で、いったい、どんな問題提起がされて、コメンテーターたちは何を言ってたんだろう?

と、ちょっと気にもなったので、インターネット上から拾ってみた。(リアルタイムで日本のTVは見られないので・・)

★印が問題提起されてたもので、下に私自身が感じたことを書き出してみる。


★なぜ、いきなり、このタイミングで、幹部7人も含めて同じ日に執行されたのか?

さて? 

それよりも、死刑判決を受けてから、なんでこんなにも長い年月を経て、執行されたのかが、不思議に思う。

社会に対する影響、混乱を回避するため、その他諸々の内部事情があったのだろうが、所詮は我々の伺い知らない事で、わかりようがない。


★処刑してしまったら、永久に動機や真相がわからないではないか?
(真相解明のためには、処刑すべきでないって意見らしい。)

動機や真相解明?

本人が自分の罪を悔いて反省し、犯罪時の心理状態を・・・誰にもわかりやすく理路整然と説明してくれない限り、わかりようがないと思う。

さて、実際にそうしてくれたとしても・・それが、「納得できる答え」になるのかどうかは疑問。


ずーーと前に、オウム真理教のテープが押収されて、その内容が公開されたことがあった。

今もちょっと検索したら、ここに掲載されていた。
http://bunshun.jp/articles/-/8092?page=4
      ↓
【ここで一つあなた方に秘儀の伝授をしよう。これはオウムの大変な秘密の部分に属するから、これを口外したものは、一番長いと言われている、小乗では阿喚地獄、大乗では無間地獄に至ると考えなさい。

グルの言ったことは絶対である、あるいはグルのためには殺生ですらしなければならない、たとえばここで500人の衆生が殺されるんだったら、その殺す人を殺しても構わない。
これがヴァジラヤーナだ】


【例えばAさんを殺したという事実をだよ、人間界の人たちが見たならばね、これは単なる殺人と。
客観的に見るならば、これは殺生です。
しかし、ヴァジラヤーナの考え方が背景にあるならば、これは立派なポアです】



早い話・・自分に敵対する者を殺してしまうことだが・・

それを言い換えれば、「ヴァジラヤーナの考え方に基づくポア」 だと。


ヴァジラヤーナの考え方に基づくポアは、正義となる。

実行部隊は、それが「正義」だから、喜んで実行できるのだ。 
心酔する教祖様のためにも。


私には、これが、すでに動機の答えになってたように思う。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こうゆう考え方は、大昔から、ずーーと存在し続けている。

「神や国家のために」という大義名分を掲げて相手を殺してしまうこと。



古くは、十字軍の遠征だってそうだし、正当が異端を抹殺し続けたことも・・
アメリカの「リメンバーXXXX」のスローガンだって、似たようなものかもしれない。

*Remember XXXXで始まる、力強く鼓舞するスピーチで、「正義の戦い」をアピールして人々を戦争に駆り立てたといわれる、
アメリカの常套手段と言われている。


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日本の幕末では、「天誅」と叫びながら、闇討ちで多くの著名人を殺害しまくった。

闇討ちでも、辻斬りでも・・どんな卑怯な手だろうが、それが「天誅」であれば、正義となるのだ。



岡田以蔵(おかだいぞう)は、土佐勤王党のために、いや、心酔する、武市 半平太(たけち はんぺいた)先生のために、
何人もの人々を殺しまくった。

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https://xn---ps4-963csa2494e8utac4a526ihbtf36g.gamerch.com/%E5%B2%A1%E7%94%B0%E4%BB%A5%E8%94%B5


土佐勤王党が敗れれば、武市 半平太は反逆者になり、岡田以蔵はただの殺人鬼になる。

しかし、もしも、土佐勤皇等が日本政府を手中に収めれば、彼らの行動のすべてが、「正義」になる。
実際、そうはならなかったけど。

世の中とは得てして、そんなものかもしれない。




麻原彰晃という人が、日本という国家を正しく導きたい!と義憤に駆られるあまり、「ヴァジラヤーナの考え方に基づくポア」を自らが信じたのか・・・

それとも、キャッチーな言葉「「ヴァジラヤーナ」やら、「ポア」なんて言葉を巧みに使って正当化させることで、
信者の心を捉えて、自分の野心を満足させたかっただけなのか・・つまり、俗物だったのか?


そこらへんはわからない。


ひょっとしたら、両方あったのかもしれないし・・最初は野心なんて微塵もなかったのに、そのうち教祖様と崇められていくうちに、俗物になっていったのか・・両方がミックスされてしまって、自分でもわからなくなっていったのか・・。

人の心理なんて、さまざまに揺れ動き、さまざまなものがミックスされていくものだ。


それでも、多くの人々に影響を与え巻き込んでいったことだけは事実だろう。

それだけ、社会に対しても強い影響力を持ったことも確かだろう。



★死刑制度に反対

これについては、今回の「教団死刑執行」に限った問題ではない。


前々から、
主要7カ国(G7)で死刑制度があるのは日本と米国の2カ国だけだ

と言われているのは知っている。

ただし、アメリカは州によって違う。
たしか・・20州くらいだったか?は、すでに死刑は廃止となっている。

つまり、アメリカ国内でも、かなり以前から議論され続けている問題でもある。


今後の課題として、日本でも別儀として、考えていかなければならないことは確かだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・

すでに、日本を遠く離れてしまっている私には、日本のTV局の意図もイマイチわからないし、また、視聴者がどう思って、こういった報道を見たのかも、よくわからない。


しかし、せっかく、特別番組まで組んで多くの局で取り上げた以上、


人を殺した悪いヤツラだ。 
ざまーみろ! 当然の報いだ!

それで留飲を下げて、おしまい。


そんな見方だけで、終わって欲しくないな~と思う。

ベネズエラを脱出した人々

ベネズエラは、その後どうなってるんだろう?・・・と、ふと思った。


南米、最北端の国。 首都はカラカス
   ↓
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ハイパーインフレで、ものすごい事になってしまった国だが、現状はますます悪化してるらしい。



一般庶民にとっては、社会主義だろうが、共産主義だろうが、独裁政権だろうが・・そんなことはどうでもいい。

生活が保障され安全に食べていくことができれば、暴動や革命なんてリスキーなことはしないものだ。



しかし・・現状がここまでくると・・

夜明け前から店に並んでも食料は買えず、赤ちゃんのミルクも買えず、腹を空かせて誰もが眼を血走らせている。

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あちこちで強奪、暴力が起こる。

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医療品も不足していて満足な治療も受けられない。 重病人のオペだって出来ない。

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警察官や軍人連中は、権力を笠に着て外貨を得るためなら、どんな非道なことまでもする。

マフィアが蔓延るようになる。


町は荒れ放題、不潔になり、伝染病も蔓延していく。



こんな状況になってしまえば、

荒んだ者たちは略奪、暴動を起こし、正義感溢れる者は死をかけても革命を志し、または、生きるために国外脱出を図る者で溢れる一方だ。



ベネズエラという国は、1970年代頃までは豊かな国だった。 

ラテンアメリカでも屈指の豊かさを誇った国だったはず。
    ↓
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なんてたって、石油埋蔵量は世界一だそうだ。

豊富な原油や天然資源があって莫大な貿易利益で潤っていた国だった。

美しい自然、美しいビーチ、人々は気さくで明るく・・多くの観光客が訪れる国だったのだ。


雲に覆われているマウント・ロライマ
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雲が晴れると
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http://mostlovelyplace.blogspot.com/2015/06/beautiful-place-mount-roraima-venezuela.html



世界最大落差979mといわれてる、エンジェル・フォール
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ビーチだって限りなく美しい
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http://www.diariorepublica.com/economia/turistas-extranjeros-aprovechan-el-control-de-cambio-en-venezuela


豊富な天然資源に恵まれた豊かな楽園。
一生に一度は行ってみたい国



・・・そんなキャッチコピーまであったというのに。


ところが、80年代に入って、だんだん翳りが見えてくる。

今では石油も、他国からの輸入に頼っているとか・・。

おいおい! 自分とこが世界一の埋蔵量なら、なんで買う?

石油を掘るには、掘るための技術もいるしカネもいる。

今じゃ、それすらも無い!

すっからか~ん、らしい。
あれほど外貨で潤っていた時代があったのに、そのカネはどこに行った?と、突っ込みたくなる。。。


石油どころか食料を買い入れるカネも無いため国民はどんどんやせ細っていく。

そもそも、ベネズエラは貿易に頼ってた小国で、自給自足で賄えないのだ。

日本も似たようなものだろうが・・。


そういった国が、国策を誤れば悲惨な結果になるのは明白。


発端は原油価格の下落に始まったようだが・・

政府の腐敗、失策によって、これほどまでに国を荒廃させてしまうものなんだな~と、つくづく思い知らされる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・


現在、約3000万人の国民のうち約220万人のベネズエラ人が自国に見切りをつけ、国外に移住していったそうだ。


彼らはまず隣接するコロンビアかブラジルにバスか徒歩で渡り、その後、彼らの多くは比較的治安がよくって、彼らの公用語であるスペイン語圏を目指す人が多いとか。


こちらは、日本人男性がメキシコで出会った、ベネズエラ人カップル話。
ベネズエラの悲惨な状況がよくわかるし、それでいて、明るいトーンを持ってるのでURLをコピペしてみる。
     ↓
【今、ベネズエラで何が起きているのか?】亡命者が語る、1日に50人が殺される国の現状。



こちらは、ペルーに渡ったベネズエラ人たちの話が書かれている。
       ↓
経済危機ベネズエラから世界へ 移民広める故郷のパン

移民となってベネズエラに渡って、路上でアレパ(arepa) という、ベネズエラのトウモロコシのパンを売り歩く人が増えているとか。

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アレパというのは、

柔らかくなるまで茹でた乾燥トウモロコシを挽いて作った生地を薄い円形に伸ばして、両面を焼くか油で揚げて作る。
中にチーズ、鶏卵、肉、野菜などを詰めたりする。



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人のいいペルー人たちは、

「ベネズエラ移民だって~、大変ね~。」

「あの、アレパ売りの男、ちょっとステキ~!」


などと言いながら、結構買ってくれるらしいのだ。


言われてみれば・・たしかに、ベネズエラは美男・美女の産出国だ。

南米人は全部同じと思ってはいけない。 国によって顔形も違うのだ。

*アフリカでも、エチオピア人は長身で美形、ケニア人はずんぐりでダンゴ鼻・・と言われてるみたいに(笑)


ベネズエラは、ミスユニバースでも、常に最終審査まで残ってたとか。


女性も
   
venezueran lady


男性も

venezuelan guy

確かに美しい。


路上のアレパ売りの中には、高学歴な人もいるだろう。

いくら言語が通じる国とはいえ、移民となれば苦難の連続だ。

今までのキャリアも何もかも捨てて、まさに一からの出直しなのだから。


でも、それでも・・

彼らは明るい!

絶望よりも希望の方が勝ってみえるのだ。

生きてさえいれば、なんとかなるっさ。

そうやって、他国で一から出発できる人々こそ、ほんとの国際人なのかもしれないなあ。

JULY4thの前日に車が

きょうは、July4th

インディペンデンスデイとよばれる独立記念日なのだが、あまり、「インディペンデンスディ」と・・長ったらしい言い方は聞かない。

みんな July4thとだけ呼ぶ。 長いのがメンドーだからか。

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数日前から、「もうすぐJuly4thだね、どこか出かけるの? それとも家でバーベキュー?」とみんなに聞かれる。

一人者の私は家族でBBQもないし、どっかに出かける予定すらないのだが、それでも休みは嬉しい!!

祭日なんてめったにないんだから、家でゆーーくり過ごしたい~♪と、楽しみにしていた。


そんな矢先、昨日の朝のことだ。

車がヤバイ状態になってるのを発見。

前輪に、ぷくっぷくっと膨らみが出てきてる。

げげ! 気味の悪い膨らみだ! まるで醜悪なイボにみえる。

これで、オフィスまでの往復はムリだろ!

すぐにでも・・AAA(日本でいうJAFみたいなもの)に連絡し、至急トーイングしてもらって、どこかでタイヤ交換をしてもらわなきゃ!

しかし朝のLAは渋滞地獄。 すぐに駆けつけてくれるわけじゃなし・・しかも、こちらでちゃんと支持して、「どこの道を通って、どこに車を持って行って欲しい!」と明確な指示を与えなければ、なーんもしてくれない。


まずは、近所のタイヤ交換専門にやってくれるところを調べて、電話かけまくって予約を入れる必要がある。

こうゆうとき、つくづく都会生活ってメンドーだなあって思い知らされる。

何事も予約が必須。 予約がなければ断られるか後回しにされる。
丸一日がつぶれることもざらではない。

都会生活の心得=いかに要領よく、無駄なく動けるか!


今回は、まあまあ上出来! うまくいった方だと思う。

タイヤ交換して、2時間遅れでオフィスに行けたんだから(笑)


しかし、オフィスで、この2時間遅れを取り戻すのは大変だった。
常に時間との戦いを強いられる仕事、しかも祝日前は忙殺。
トイレに行くヒマさえない状況になった。


帰りがけに、同僚が話しかけてきた。

「車パンク? タイヤ交換してきたんだって?」

「うん、朝から疲れちまったよ~。」

「わかる、わかる・・ここらへん道が悪いからさ、タイヤが持たないんだよね~。
ボコボコ穴が開いてるとこに、私も何度か落ちたからね~。」
・・と、勤続15年の同僚が言う。

注:もちろん舗装道路だけど、大型車が多くとおるせいか、すぐに穴があく。
  しかも、アメリカは高速道路でさえ、色々なモノが落ちてることがある。




え? そうなのか~。

そういえば、私も2度ほど、ぼこっと穴に落ちて車をバウンドさせてしまったことがある。
その上、金属破片らしきものを、グシャっと踏んだ記憶もある。

原因は・・やっぱりそれか~?

夜道でしかも疲れて運転してたりすると、つい、集中力が鈍る。
そうゆうときこそ、気をつけなきゃならないのに。

私のせいだ! インパラちゃん、ごめん!と心の中で車に謝った。(インパラって名前で呼んでる)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

どんなに安くても、事故車は買うな!と言われたりする。

これ、わかる気がする。。。

車には持ち主の気が入りやすい。

アメリカに来てから毎日車を運転するようになって、これを、しみじみ実感するようになった。


私も何度か事故を起こしたこともあるし(幸いマイナーな事故ではあったけど・・)
ポリスに切符切られたこともあるし・・

Car-Accident.jpeg


そのときのことを振り返ってみると、

肉体的に疲れきってるとき
精神的にイライラしたり心配事があったり、焦ってたりするとき


すべてが、これに当てはまる。

中には、自分の過失ではない事故もあるけど・・それすらも、自らの気が呼び寄せてしまった場合もある。



そうかと思えば、車の故障やマイナーな事故は、ときには有難いメッセージの場合もある。

体調を崩してるから気をつけろ! とか・・近々、ビジネスで波乱あり!とか


うーん・・微妙! 
あんまり有難くないかも~(笑) どうせ教えてくれるなら、修理費がかからない方法で教えてほしいとは思うが・・。

とにかく、密接に自分と関わってるのが車。



いつの頃からか、人の車に乗せてもらうと、持ち主の気を強く感じてしまうようになった。

誰からも好かれるような、とっても明るくて親切な人がいて・・・その人の車に乗ったとたんに、どーんより澱んだ何かを感じてしまうことがある。
それは、車の中に漂う不快な匂いみたいなカンジなのだ。


なんだか、その人の隠された顔を見てしまったような・・見たくなかった部分を見てしまった気がして・・あ、だから人の車には乗りたくないもんだ~と思ったりする。

車には持ち主の気が強く籠るらしい。


そうだなあ~。

吉牛のテイクアウトを車で持って帰って、次の日にその車に乗ると、まだ・・吉牛の匂いがしてる・・・そんなカンジ。

アメリカのYOSHINOYAのテイクアウト品
    ↓
yoshinoya.jpg


アメリカのYOSHINOYAのテイクアウトが独特の匂いがするのはなぜだ? 

車は密室なせいか、匂いが籠ってなかなか抜けないように、持ち主の気も籠りやすいのかも。
たぶん、家よりも抜けにくいかもしれない。


それが毎日のこととなると、車と持ち主の気は一体化していくのかもしれない。


でも、悪いことばかりじゃない!

知人の車は、25万マイルを走ってるが、ほとんど故障知らずだという。
もちろん、ケアはしてるしパーツ交換もしてる。

私も同乗させてもらったことがあるが、パワフルでなかなか良い走りをする車だった。
とても、25万マイルを出た車とは思えなかった!

Classic-Ford-Mustang.jpg


「車はマイル数なんて、あんまり関係ないよ。」
疲れてたら休ませてあげる、お腹がすいたら食べさせてあげる、体をキレイにしてあげる・・そういった基本的なケアをしてあげることだよ。

それに、私は車にしょっちゅう話しかけてるよ。 今日もいい走りをしてくれてありがとう!ってね。
良いコミュニケーションがとれてさえいれば、車は何万マイルだって元気に走ってくれるもんだよ。」


彼は、そう言っていた。


日本にいた頃、

車のマイレージは10万キロくらいが限界。
中古車を購入するときは、マイレージが少ないものが良い。



というのを聞いてけど、どうも違うらしい。


中古車を購入するときは、良い気の入った車を買うべし。

その人は、たまに落ち込んだ気分のときでも、逆に、25万マイルのマイカーを運転すると、気分が晴れるという。
車さんのおかげだ!と言っていた。



また、こんな話もあった。

以前、バイク修理専門のメカニックから、メールを頂いたことがあったのだ。

ある日、事故を起こしたバイクを修理して欲しいと持ち込まれれ、修理完了後、1か月もたたないうちに、またも事故を起こしてしまい、同じバイクが持ち込まれたという。

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完璧に修理を終えて、メカニックの人が試運転をしたところ、なんとなく、ざわついた嫌なカンジがするという。

悪いところは無いのに、運転していて、嫌な気分が、どうしてもつきまとう。


所有者のお客さんに聞いてみると、
「これは、中古だけど素晴らしいバイクだったし思ったより安かったんで即決で購入したんだけど、なぜか、事故ばかり起きてしまう。」って話だ。

もちろん、前の持ち主のことはわからない。
事故車の記録さえないそうだ。


どうやら、そのメカニックの兄ちゃんは、多少サイキック傾向がある人だったのかもしれない。

運転すると、何か嫌な気がする。 安定しなくなる。 こりゃ、たぶん・・物理的原因ではないだろう、と思ったという。

スピリチュアルなんて信じてない人だったけど、なぜか、ずーーと前、私のブログのクリスタルの話を読んだのを思い出して、
(なぜ、そんなものを読んでた?)

近所の数珠屋さんで水晶の数珠を買ってきて、バイクの座席にそれを埋め込んだとか。

すると、なぜか走りが安定したし、嫌なカンジも薄れた気がするという。

お客には、「走りを安定させるためにクリスタルを入れてあるけど、それを外さないように。」と言って、バイクを渡したそうだ。


、「ありがとうございました! おかげでバイクの嫌なカンジが取れました!」とメールでお礼を言われたのが・・

なんのこっちゃ!

別に私のおかげじゃないし~、 逆に、新たなクリスタルの使い方を教えてもらった気がした。


モノにも気が籠るっていうけど・・まさに、車は籠りやすいのかも。

特に一人で、毎日のように運転してる車ともなれば・・

それは、もう、パワーストーンどころじゃないのかもしれない。


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あと数時間で、July4thの花火が始まりそうだ。

その前に、ネコと買い物に出かけてこよう。

もちろん、車で♪
良い気分で~♪

サーモンの話

オフィスで思ったこと。

多国籍の女が集まれば、1に食べ物の話、2にファッションの話で盛り上がるんだなあ。

まさに、ガールズ・トーク

私の部署の女性陣は、みなアメリカ国籍だけど、韓国系、香港系、メキシコ系で構成されている。

とくに、韓国系女性は、メチャメチャの日本びいきで、日本のことなら、私以上に知ってる気がする。

ほら、あそこに新しいジャパニーズレストランがオープンしただとか、スシだったら、あそこの店が美味しいわよ!とか・・

「ところで、日本人の典型的な朝食ってどんなもの?」と、香港系が聞くと、私が、えーとね・・と考えてる間に、彼女がすらすらと答えてくれた。

これが、日本の典型的、オールドファッションな朝食スタイルだ。

img_07311.jpg
https://rocketnews24.com/2015/11/19/666000/

白いスティームド・ライスに、ミソスープ、ナットウ、ベークド・サーモン、
それから、厚焼き玉子とお新香の説明も、ちゃーんと加えてくれた。

ちなみに、この上の画像は、コンビニ食セブンプレミアムからの画像。

すごい! 今では全部コンビニで、こんな朝食も揃ってしまうんだね~。 チンするだけで。



「なんといっても、サーモンは欠かせないわよ! 私はスシバーで一番好きなのは、サーモンね。」と、彼女は言う。

そこで、みんながいっせいに私の顔をみる。

困ったな~。

「うーーん、私は実をいうと、あんまりサーモンは好きじゃないんだ。
独特の臭みが苦手でね。」 
と、正直に答えた。

日本人といえば、卵焼き塩じゃけだろーが~。 


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もう10年以上、日本に行ってないんで、現在の日本事情があまりわからないのだが、

少なくとも、アメリカで食べるサーモンが美味しいと思ったことがない。

スシバーで食べるサーモン握りも同様で、独特の生臭さが気になってしまう。

もっとも、私はMatsuhisa(ビバリーヒルズにある高級店)などで、食べたことがないんで・・あくまでも「LAにある一般的なスシバー」のことを言ってるだけなのだが・・。


以前、独特の生臭さを消して美味しくたべる方法を教わったことがある。
      

サーモンスシを美味しくたべるコツ
     ↓
サーモンスシを美味しく食べるコツは、レモンをきゅっと絞って少し置いておくこと。(レモンが無ければライムでもOK)
サーモンのピンク色が少し白く変わってきた頃に、さっと醤油につけて食べる。



たしかに、これだと美味しく食べられる。

でも、ここまでして、わざわざサーモンを注文してまで食べたいとは思わない。

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サーモンといっても、今では、「日本産の天然の鮭」なんてめったに手に入らないという。

もちろん、私は「日本産天然至上主義者」ではない。


最近は、日本のスーパーで並んでいるものは、ほとんどがチリ産かノルウェー産だと聞いたことがある。

むろん、養殖

チリかノルウェーで養殖されたものを日本が輸入して、スーパーに並ぶというわけだ。


昨今、こういった養殖モノが危険、といった記事もいっぱい目にする。

たとえば、こちらのサイト (英語版だけど、画面をスクロールするごとに、養殖サーモンが消費者のもとに行く過程をわかりやすく、面白い作りになってるので、参考までにURLを張っとく)
   ↓
What's in farmed Salmon

養殖は危険だよ~! っと訴えてるわけで、これを要約すると・・

●サーモンの稚魚は麻酔薬をうたれる
    ↓
●次に、お腹にワクチンをぶすり
    ↓
●イケスへ放たれる。 イケスの中に病原菌、細菌、フナムシなどが繁殖
そこで、与える餌の配合成分は
  ・ 遺伝子組み換え、
  ・(薄いピンクになる)色素配合
  ・ 豚や鶏の原料入
  ・ 殺虫剤成分
  ・ PCB(ポリ塩化ビフェニル)が混入した脂肪
  ・ フナムシを殺す化学薬品、病原体の集団感染を防ぐ抗生物質
  ↓
●これらの餌を食べ続けて成長したサーモンが出荷



おそらく、これが空輸されて日本へ入って、主に、スーパー、コンビニ、レストラン、回転すし店などへ流れていくのだろう。


もちろん、反対意見もある。

何を言っとるんだ! 養殖は安全そのものなんだぞー!と。


ざっくりと反対理由を調べたところ・・

●麻酔やワクチンの摂取=悪ではない! 人間だってするわけだし、病気にならないためのワクチンだろーが。

●チリやノルウェーのサーモンの養殖は厳しい管理のもとでされている。

●成分に関しては・・殺虫剤成分は保存剤-食品には入っているレベルだし、PCBも抗生物質も安全基準で、それほど高い数値は入れてない。



alaska-fly-fishing-adventure-trip.jpg
https://epicanglingadventure.com/2015-alaska-fishing-update/

さて、人のリアクションは、まさに人それぞれ(笑)

とくに日本人の場合
    ↓
どーでもいいじゃん! 美味しければ食べる!って人もいるし、

こんなの聞いたら怖くて食べられない!って小心者もいるし・・

どっちを信じたらいいんか、わからない・・と悩む人もいる。


私?

サーモンは、前述したとおり、独特の生臭さを感じてしまい、とくに今は美味しいと思わないから・・好んで食べない。
もともと嫌いってわけではなかったと思うのだが・・。

遠い昔の記憶で、日本にいた頃、鮭っておいしいと思ってたこともある。

あれば・・国産天然だったかどうかは、今となっては不明。

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それに・・

安全だったとしても、美味しく感じたとしても、やっぱり・・「養殖」ってヤツは好きになれない。

不自然に人によって作られたものだからだ。

不自然に育てられたサーモンの一生は、幸せを知らずに育ってると思うから。

命をかけて、川から海へ渡る醍醐味も知らず、川や海の匂いも知らず、思いっきり泳ぐ喜びも知らず、危険もない代わりに達成感も幸せもない、そ~んな鮭生を送ったサーモンさんたちからは、栄養は頂けないと思っている。

salmonandbear.jpg


もちろん、サーモンに限らない。 養殖魚すべてもそうだし・・
ウシ、ブタ、ニワトリだって同様。

人間の都合で、成長促進剤を打たれて大きくされて、食べられることだけを目的として粗悪な環境で育った動物に幸せはない。
それは、「生きたことにならないから。」

食するならば、一生を自分の力でせいいっぱい生きた動物や魚に限ると思ってる。 

たとえ、いずれは殺されて食べられる運命だったとしても・・。


そんなこと言ってたら、いまどき食べるものなんてなくなっちゃう。
だから、食べるときは食べるけどね~。(←ポリシーもなんもない!と言われてる私)


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サーモンの話で、もうひとつ

遺伝子組み換えサーモンも登場してるって事、ご存じしたか?


もう、これも数年前の話で、アメリカでは、かなり反対運動もあったことを覚えている。

2015年の日本語で書かれたCNNニュース記事をみつけた。
     ↓
米当局、遺伝子組み換えサケを初認可 表示義務なし


こっちは、2013年の記事
    ↓
米国でついに遺伝子組み換えの鮭を市場投入 農作物から動物への拡大に欧州は大反発

sakebyoki.jpg



遺伝子組み換えサーモンの利点は、

●病気に強いサーモンになる

●2倍の早さで成長する



わざわざ、成長促進剤やら、ワクチン投与して育てる手間もなくなるってわけなんだね~。
だけど、もちろん・・他のGMO植物同様に、一代限りだ。


こちらの記事に詳しく載ってた。
   ↓
IN YOUより
遺伝子組み換えがもたらすモンスター食品動物5選|あなたも口にしてるかも?


この記事を読んでたら、つい、笑ってしまった。。。

サーモンだけじゃなくって、羽根の無いニワトリだって~(キモイ、可哀そうすぎる!笑ってる場合じゃないんだけど・・)

ニワトリを加工する際に、羽の除去にかかるコストダウンできるし・・

鶏の成育に向かないような熱い国での飼育も可能となる。

で、WIN-WINってわけか~。

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まあ、どこで何を開発しようと結構なことだと思うのだが・・困ったことには、政府がいつの間にか承認してしまって、それをちゃーんと詳細に発表しないってこと。


EU諸国じゃ、前からGMOには反対だし・・あ、ロシアもそうだった。

GM天国のアメリカでも、強硬な反対運動もあって、ようやく、せめてもの「表示義務のための連邦法」もできたとか。



これは、ハンガリーで1000エーカーもの、GMとうもろこし畑を焼き払ったというニュース映像 (数年前だったと思うけど・・)
      ↓
Hungary-Burns-Monsanto-Crops-740x477.png
http://upriser.com/posts/hungarians-just-destroyed-all-monsanto-gmo-corn-fields


でも、一番困ったことに、日本ではGMに対する人々の関心がほとんどないとか。 

こういった事実を知らない人さえ多いとか。

そのおかげで日本は、アメリカ以上のGM天国だそうだ。

うーーむ。 

なんだか、人体実験されてるような気さえしてくる。。。

いいのかこれで・・。

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きょうのお昼は、何を食べようかな?

サーモンの話をしたせいか、フィッシュが食べたくなってきた。
ファーストフード店で買ってこよっと!


これは、ゴハンの上に、グリルしたフィッシュとズッキーニをのせて、ケジャンバターソースをかけたもの。

この上に、お好みで、オニオンマリネと、刻みトマトたっぷりのサルサ、それに、刻んだシアントロとライムをきゅっと絞って。
(全部、店の手作りで、これらは自由に好きなだけもらえる。)

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魚もソースも自由に選ぶことができるし、ちょっとメキシカン風でもある、近所のファーストフード店のメニューだ。
私のお気に入りの魚は、マヒマヒ。

これに、フィッシュ・タコもつけるかな~、それとも、クラムチャウダーにするか・・

taco.jpg


アメリカのファースト・フードは、なかなかなものだ!と、思ってる(笑)

少なくとも、あの、セブンイレブンの「日本の朝食メニュー」よりは、健康的な気がしてしまう私だ。

アンバー(琥珀)は樹木

琥珀玉の108数珠ネックレスを入手した。

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初めて手にとってみたとき、

なんだこりゃ~!


と、その、あまりの軽さにびっくりしてしまった。

8mm玉が108個もあるってのに、実に軽い。

しかも質感はまったく石とは別物で、


プラスチックみたいだ!と思った。

いやいや、でも、琥珀ではないよ~。
本物の琥珀で、「バルティック・アンバー」と呼ばれるヤツ。


しかし、よく考えてみれば、その通りなのだ!!

琥珀は石じゃないんだから!


鉱物じゃなくって、琥珀はプラスチックなのだ!


プラスチックというと、ついつい、合成樹脂を思い浮かべてしまうが・・

厳密にいえば、

プラスチックとは熱や圧力を加えることにより成形加工のできる、高分子物質のこと。




つまり合成樹脂だけじゃなくって、天然樹脂もプラスチックであることには変わりない
って、ことになる。



バルティック・アンバーという名前のとおり、

バルト海は世界有数の琥珀の産地で、バルト海沿岸の町には琥珀博物館やら、琥珀専門店がたくさんあるそうだ。

ポーランドやリトアニアは特に有名な産地らしい。

baltic sea




こちらは、ニュールンベルク博物館、Bernstein Museum
     ↓
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Bernstein-Museum in Nürnberg

この写真にある、でっかい木は、ドイツ最大の琥珀で重さが12,41キロだとか。



琥珀は、もともとは樹木の天然樹脂だ。

それも・・気が遠くなるような大昔の・・・
新中生代(約2億5000万 - 約6500万年前)あたり


木の表面に傷がつくと樹液が分泌される。

とろーりとろーりと。

メープルシロップや、松脂、漆、フランキンセンス(乳香)、ミルラ(没薬)なども同様。



それが固まり、長~い年月をかけて化石となる。

何千万、何億年の長い年月を経て鉱物並みの硬さを得るようになる。

*鉱物並みといったって、そこはやっぱ樹液だから、比重もモース硬度もめっちゃ低いけどね~。


英語でアンバー(Amber)

ドイツ語は、バーンシュタイン(Bernstein)



まさに、この博物館の名前と同じ。

その意味は、「燃える石」だそうで、 琥珀が可燃性であるところからこう呼ばれるようになったんだろう。

五行じゃないけど・・樹は火に弱しだ。


いわゆる琥珀色と呼ばれる飴色が多いけど、他にも、赤、青、グレー、透明、多色のマーブル状のものなどがあり、希少種は珍重される。

これは、ブルー・アンバー
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こっちは、メキシコ産のレッド・アンバー
RHB_8672.jpg
http://www.towercrystals.com/amber/chiapas/index.html


バルト海沿岸以外の産地では、レバノン、ドミニカ共和国、メキシコ、中国など、さまざま。 山から産出するものもある。
樹脂の化石なんだから、おそらく、どこで獲れても不思議はないだろう。


太古の昔に、とろーり、とろーりやってるうちに、うっかりモノの虫が入っちゃったり、葉っぱが入っちゃったり・・

CricketFossil03.jpg
http://fossil-collection.com/2011/03/19/cricket-fossil-insect-inclusion-in-baltic-amber/


うっかりモノの虫が入って、そのまま固まっちゃったものを「虫入り琥珀」・・・希少価値のせいか、虫入りは高いのだ。

他に葉っぱや花の入り込んだものもあるし、4000万年前の水が入った琥珀だってある。

水は蒸発することもなく、今でも、琥珀のタイムカプセルの中でゆらゆらと揺れ動いている。




太古の昔ともなれば・・今では絶滅種だってあるだろうし・・

こうなるともう、宝石というより、見事に保存された太古の昆虫標本、植物標本であり、学術的研究材料としても価値が高いものだろう。

そのうち、ジェラシックパークの映画じゃないけど・・琥珀の中に入り込んだ虫や動物からDNAを取り出して、現代に再現できるが日がくるかもしれない(笑)




天然樹脂といえば、以前にも、ミルラとフランキンセンスについてのブログ記事をアップしたこともあったけど・・
    ↓
そしてまた植物、どこにでもある植物かも。


おそらく、我々の生活に幅広く密着した、さまざまな利用法があることだろう。

事実、琥珀もまた、

塗料にもなり、漢方にもなる優れもの。とされている。

南北朝時代の『名医別録』によれば、
琥珀の効能は「一に去驚定神、二に活血散淤、三に利尿通淋」(精神を安定させ、滞る血液を流し、排尿障害を改善するとの意)と著されている。

琥珀_Wkiより抜粋




日本でも昔は、「南部藩における貴重な財源になっていた」という記述がある。

薫陸香(くんのこ)と呼んで、 お香、線香、塗料、医薬品などにも多くを用いたという。

こちらのサイトによれば、
   ↓
よくわかる「古生物、恐竜、化石」塾

琥珀の日本の産地は岩手県久慈市や千葉県銚子市が有名で、これら2県の琥珀は白亜紀の地層から見つかるそうだ。



なんとなく・・これは私が思うことなのだが・・

土地には土地神様がいるように、その土地固有の植物があるように思う。

それによって、我々生物は、深~い恩恵を受けてきたんじゃないだろうか?



日本は・・麻
   ↓
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https://asafuku.net/?p=565


アメリカは・・・とうもろこし

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*ただし、トウモロコシは南西部から南アメリカにかけてだけどね~。 アメリカは広いからね~。

ご存じのとおり、日本では戦後、麻の栽培は禁止されたし・・

アメリカのとうもろこしは今でも産出量は莫大・・だけど、GMOトウモロコシになりつつある現状。

たぶん、 土地神様じゃなかった・・土地植物様?が消えていった頃から、衰退が始まったんじゃなかろうか?


バルト海沿岸の「土地植物」が何かは、よくわからんが・・

たぶん、パインツリーやシダー、あたりじゃないかなあ。


実際のとこ、バルティック・アンバーを分析すると、パインツリーやらシダーが多いという。


1056255780tree.jpg

これもまた優れものだ。
香料、スパイス、アロマオイルもあるし、酒になったり、薬になったり・・もちろん、建築材料でもある。


いずれにしても、土地植物は、たくましく、放っておいてもボーボーに生えるものであり、
利用価値がいっぱいあるものでもあり、神からの贈り物・・かもしれない。

神聖の宿るもの・・土地植物様かもしれない。

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さて、ここらでもう一度、琥珀(アンバー)の話に戻そう。

私は個人的に、琥珀なんて・・まーーたく興味が無かったし、ましてや・・虫入りなんて、あんなキモイものいらんわ!と思ってた。
いくらジュラ紀の虫だろうが、虫は虫だ!


しかし、

ヨーロッパではその昔、王族や高貴な身分の人しか身につけられなかったという貴重品であり、愛好家も多い。

黄金以上に高価なものとされていたフシもある。



有名どころは、なんといっても、ピョートル大帝の「アンバー・ルーム」だろう。

AmberRoom.jpg
Amber Room: Priceless Russian treasure stolen by Nazis 'discovered by German researchers'

なんだこりゃ!

秀吉さんの金の茶室をビッグにしたようなものかい?

もともとは、プロイセン王のための琥珀の間だったそうだ。


ベースになってる壁は琥珀細工、そこに金や宝石も使い、国中から集めた琥珀職人や彫刻家に作らせたそうだ。

そこに、1716年、ロシアのピョートル大帝がここを訪問。
   ↓
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「いやあ、すんばらしい! 欲しい! 欲しい! 欲しい!
 と、ピョートル大帝は絶賛。


で、フリードリヒ・ウイルヘルム一世さんが、
     ↓
Friedrich_Wilhelm_I_1713.jpg

「そこまで気に入って頂けたなら、ぜひ進呈させて頂きます。」(←太っ腹~)

こうしてアンバー・ルームは解体されて、ロシアへ運ばれ、サンクト・ペテルブルクのエカテリーナ宮殿内に置かれることとなった。

ピョートル大帝は、琥珀をさらに大量に使って部屋を拡張。
アンバー・ルームは、さらにビッグになったそうだ。


ところが、この話には続きがある。

ここからがミステリー(笑)


さらに200年ほど時が流れて・・

1941年、第二次世界大戦中

ロシアへ侵攻したナチスの軍勢は、このアンバールームを持ち去ってしまう。

ナチスが各国の美術品収集をしてたのは有名だからね・・(←略奪ともいえるけど)

200年余りの時を超えて、再びプロイセンに戻ったアンバー・ルームは、ケーニヒスベルク城の中にしつらえ直された。

Königsberg Castle
    ↓
Königsberg_Castle_courtyard


ところが、1945年頃、この城から忽然と消えてしまう。

ナチスの敗戦間際のことだ。

●戦争の爆撃で破壊されたという説

●敗北を目前にしたナチスが、ソ連軍に攻め入られる前に部屋を解体して、多くの美術品類とともに、列車に乗せてヨーロッパ山中の秘密のトンネル内へ運び込んだという説
いわゆる、「財宝列車」が存在し、隠されているトンネルもあるはず・・という説。


「ナチス・ゴールド・トレイン」は、いつしかヨーロッパの伝説になっていったのだ。

しかし、伝説にとどまらず、実際に秘密のトンネルというのは実在しているそうだ。

日本では、「徳川の埋蔵金探し」だとか、「豊臣家の遺産探し」、な~んて話もあったけど・・これよりも、信ぴょう性があるようで・・
ヨーロッパでは「ナチス・ゴールドトレイン」探しに、今でも真剣に取り組んでる人もいるらしい。



一方、ロシアは失われたアンバー・ルームを再建。

オリジナルの設計図、昔の写真などを駆使して20年以上もかけて再建したそうだ。

2003年、エカテリーナ宮殿の中に正確なレプリカを完成させ、
完成式典にはロシアの大統領、ドイツ首相が共に出席したそうだ。

つまり、今あるロシアのアンバー・ルームは、レプリカってわけ(笑)

一般公開もされてるそうだから、きっと私たちも、エカテリーナ宮殿を訪れれば見学できるだろう。


これが、アンバーにまつわる最大のミステリー話だ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、

アンバー(琥珀)って、どんな効果があるの?と聞かれないうちに、言っておくことにする。

いちおう、天然石(パワーストーン)のサイトを持ってるわけだし・・・(笑)

ところが、

正直なとこ、わからないのだ!

なんせ、私は、琥珀を持つのが初めてなんだから! 
子供の頃に、ブローチを貰った記憶があるにはあるのが・・とにかく、琥珀なんて好きじゃなかったから身に着けた記憶もない。

それに、そもそも・・私はあまり高価な天然石類には手を出さないので知らないことも多いのだ。

おカネが無いってのは大きな理由のひとつだけど・・とにかく、高価なものほど偽物が多いのだ。

それも、専門家に鑑定してもらっても、なかなか判別が難しいものが多い昨今。

amber-earrings-top.jpg

高価な「虫入りアンバー」には、練り琥珀に、そこらの虫を入れて売り出してるものさえあるとか・・・。
つまり・・ジュラ紀の虫じゃなくて、現代の虫ね!(笑)

*練り琥珀とは粉末にした粗悪品の琥珀に、接着剤などを混ぜて成型した「半人工石」のこと。


そんなわけで、私は琥珀は・・まったくといいほど知らないのだ。

で、サイト上にあった、「天然石意味事典」からの情報を引用することにする。(←そんなんで、いいんか!)


アンバー(琥珀)のヒーリング効果

★エネルギーの活性化、★精神の安定、★生の喜びを高める、★自己肯定、★ストレスで弱っている人の癒し
★不快症状の軽減、★円滑な人間関係、★緊張緩和、★あがり症に、★金運、★本番、勝負に強くなる
★余計な力みを抜く



英語サイトでも、Amber Spiritual Meaningで検索しても、だいたい似たようなものだった。

そもそも樹木だからね~。

いっぱい効用がありそうだ。

いっぱいあるということは、持ち主がフォーカスするものによって、いかようにもなるということだ。

本来、天然石のスピリチュアルな意味・効用は、そうゆうものだと思っている。



さて、これから私が身を持って経験してみるつもりだ。

なんせ、最近の私は琥珀が好きになったのだから。


理由は単純だ!
   ↓

最高級のメイプルシロップを貰った →なんて美しい琥珀色なんだ! → 舐めてみる → 超旨い!
 → ブランデー、ウイスキー、メイプルシロップ・・最高級のものは美しい琥珀色してるなあ → 琥珀も樹液だったなあ
→ 琥珀もいいかも!!



そう思ったら好きになった。

参考
https://www.healing-crystals-for-you.com/amber-stone.html

アンバー(琥珀)天然石 意味事典

https://sputniknews.com/europe/201503051019079267/

A Brief History of the Amber Room

How to tell Real Amber vs Fake Amber Jewelry and Everything In Between



ベートーベンから学生時代を思い出した日

「僕はベートーベンの音楽って重た過ぎてあんまり好きになれないんだよなあ。 やっぱ苦労の人生だったから重たくなっちゃうのかな?
耳が聴こえないなんて音楽家として致命的だもんな~。」


オフィスの同僚がそういって、私に同意を求める(笑)
私が音大出身だから、クラシック通だと思ってるらしい・・・あまりにも昔のことで、ほとんど忘れてるつーのに!

う~ん、どうなんだろう?


遠い昔の音大時代にタイムスリップする。

私の同期のピアノ専攻に、ベートーベンとピンクレディのオタク男がいた。

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これはね、もう、人生を突き抜けた音楽なんだよ! と、いつもキラキラお目目で熱ーく語っちゃうような・・実に「暑苦しい男」だった。



「あと、僕は、アメリカ音楽は嫌いだけど、イーグルスだけはいいなあ。
イーグルスは、もうちょっとで突きぬけそうになってるからね~。」


とも言っていた。

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意味不明。。。

ベートーベンとピンクレディーとイーグルス?



当時の音大は、ピンクレディーとイーグルスファンが身近にいなかったせいか、彼は誰にでも、ベートーベンの話ばかりをしまくってた。


「ベートーベンはね、初期の頃は別にどうってこともないんだけど、30過ぎたあたりから、それも耳が聴こえなくなってからが素晴らしいんだ。
とくに、後期の作品はゾクゾクするね~。」



ベートーベンという人、今では大音楽家として知られてるけど、同時に、不幸な人生でも知られてる人だ。

★ビンボーに生まれ、当時の音楽家として必要だったパトロンも持たず、最後の方では、家族問題の裁判沙汰でも苦労している人。

★おまけに、失恋しまくりで独身のままだった人。
(恋多き男だったらしいけど・・恋に落ちる相手がいつも身分違いで、いわゆる貴種好みだったともいわれてる)

★カトリック家庭だったらしいけど・・ゲーテやシラーに近い思想の異端児。
政治思想はリベラル派・・一時ナポレオンを賞賛し彼に捧げるための交響曲を作曲したけど、ナポレオンを俗物と悟って、表題を削ってエロイカとした話は有名。

★40歳頃にはまったく聴こえなくなり、多くの病気に悩まされながら、後世に残る有名作品を生み出している。





子供の頃はビンボーのドン底。

父親は飲んだくれのアル中だったし・・宮廷歌手だった、祖父ちゃんの収入に頼って生計を立てていた。

祖父ちゃんが亡くなると、飲んだくれオヤジは、ベートーベンの才能に目をつけて、「ばっちりカネが稼げるピアニスト」にしようと企みスパルタ教育を始める。

スパルタってのは聞こえがいいけど・・実際は殴る蹴るの暴行の連続。 
言い方を変えれば、「児童虐待」だったかも。

7歳のときに演奏会に参加させられ、それ以降、祖父に代わって家系を支え続けたという。

母が他界し、次に父が他界してしまった頃になると、ピアノの即興演奏家として世間の評判もよかったようだが、それもつかの間。
次第に耳は聴こえなくなっていく。

そこでピアニストを諦めて、泣く泣く作曲家一本に転向したという説もある。

が、当時は現在の事情とは、ちょっと違う。

現在のような、ピアニスト、作曲家、指揮者・・といった、完全分業化してない時代だ。

ピアニストならば、ピアノの即興演奏もできたように、一人ですべてを兼ねてることが多い。
モーツアルトの即興演奏は超有名だし、彼もまたピアニストであり作曲家でもあったわけだ。

違う分野で言うならば・・数学者であり哲学者でもあり科学者、みたいなものかな~。



「難聴は音楽家としては致命的」・・・これも、ちと違うかな~と思う。

幼い頃からピアノを弾いてりゃ、どのキーからどんな音がするか体でわかってる。

耳が聴こえなくたって弾ける。

自分の奏でた曲を耳で確認することはできないけど、頭の中では音は聴こるものだ。


作曲にしたって、楽器がなけりゃ出来ないってわけじゃない。


そういえば、我々の音大時代にも「楽器無しで作曲課題」をさせられたこともあった。

「8小節くらいのテーマを与えられて1時間以内に作曲を完成させる」ってテストもあったかなあ。

この程度なことなら、凡人の音大生だって出来ることなのだ。

まして、ベートーベンに出来ないはずはない。



音楽史の講義のとき、教授が熱く語ってたことを思い出した。
(音大には、結構・・暑苦しいヤツらがいた。)

「歴史上偉大な作曲家は、5人のBのつく作曲家だ!

Bach(バッハ)
Beethoven(ベートーベン)
Brahms(ブラームス)
Bartok(バルトーク)
Beatles(ビートルズ)


で、5大Bってわけだ!」



おいおい! 最初の3人までは、クラシック界ではドイツ3大Bって言われてたはずだけど・・

バルトーク?

ビートルズ??

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この教授は、具体的にビートルズの曲を持ち出し・・

「ほらね、ここんとこのコード進行を見てごらん?
見事なまでの逆進行を使ってるだろ?
しかし・・これほど美しいものはないよ! もう、天才としか言えないだろ!」


この男も、とにかく、熱い!



音楽というのは、とくにクラッシック音楽にはというものがある。

その型をはずれると、メチャメチャにこき下ろされることになる(笑)

ぞれぞれの時代に、それぞれの常識というものがあって、常識をはずれれば、型破り、邪道・・といわれて受け入れられない事が多い。


この5大Bの共通点は、まさにそれ!(笑)

別の言い方をすれば・・

「従来の常識を超えた画期的なことをした人」ともいえる。


1910年に出版されたある本には、こんなことが書かれている。

It was common knowledge in his time that Purcell was a blundering experimenter, Bach did not write correct fugue, Beethoven perpetrated ugly progressions, Wagner was a charlatan, Richard Strauss was and remains to many a danger-signal, and Claude Debussy a nightmare. (Arthur G. Potter, 1910)
https://www.amazon.com/Tonal-Scale-Harmony-Explained-Examples/dp/B002RWKUUE

「偉大な作曲家の当時の評判はひどいもの、と相場がきまっている。

パーセルはいろいろ試して結果はいつも大失敗、バッハはフーガの書き方がわかっちゃいない、

ベートーベンのコード進行の汚さは犯罪レベル、ワーグナーはインチキ野郎で、

リヒャルト・シュトラウスは当時もヤバいが今もヤバい、

ドビュッシーにいたってはもうナイトメア!と。」





ベートーベンのコード進行の汚さは犯罪レベル?(笑)

1910年じゃあ、まだビートルズは登場しないけど、ビートルズ批判も聞いてみたかったなあ。



とにかく、ベートーベンは作曲において、とっても型破りなことをしている。

しかも、ベートーベンの有名作品といわれるものは、すべてと言っていいくらい「難聴」になってからのものばかり。


それ以前の前期作品は、古典派様式に忠実で、ハイドン、モーツァルトっぽいものが多かったそうだったけど、
いれ以降は、型破り(独創的)なロマン派の草分け的存在になっていく。



ある作曲家がこんなことを言っていた。

「ベートーベンのように耳が聴こえないということは、作曲家として、それほど辛いことはないと思う。
そりゃあ、彼ほどの人なら作曲はできるだろうけどね、
作曲した曲を演奏してもらって、それを聞くときこそが、作曲家としても最高の喜びなんだからね。」



そうか~、それもあるだろうなあ~。

ん? でも、ベートーベンは、どうなんだろう?と思った。


ひょっとしたら、ベートーベンにとっては、作曲することこそが喜びだったのかもしれない。


演奏はまた別モノだから。

そもそも、作品なんて自分の手を離れた時点で、それを受け取った人のものになってしまうのだ。

いくら、作曲家が、「ここは、このテンポで、ラルゴにしてね、 ここんとこは、だんだん音を大きくしてクレッシェンドで、ここはフォルテね~。」

Beethoven - Overture Prometheus Sheet Music Piano - Preview


なーんて楽譜にチマチマと注意書きを書き込んだところで、それを解釈する人、演奏する人によって、かなり違った作品になってしまうものだ。

演奏家の解釈によるところが大きいのだ。

つまり、自分の手を離れれた時点で、作品はみなさん個人のもの。


かえって耳が聴こえなくてよかったかも。
他人の演奏を聴いて、あ~、そこは違うんだってば!と腹をたてることもないわけだし(笑)



ベートーベンって人、難聴から全聾になったおかげで、後世に残すような作品を出せたのかもしれないって思う。


「耳が聴こえないから気の毒」 「音楽家として致命的」って考えるのは、五体満足のせいで、つい、表向きの五感に頼ってしまう凡人の思い癖に過ぎないのかもしれない。


えっと・・・どこで読んだものか思い出せないんだけど・・

「五感にばかり頼ってしまうと・・本来のものから遠ざかることがある。
五感(視・聴・嗅・味・触)ばかりに、頼るな。」


これを、なにかで読んだ覚えがある。 えっと~、ルドルフ・シュタイナーあたりだったかな??

満遍なく五感が働くおかげで、かえって、深い部分の感性と共鳴しない部分もあるのかもしれない。
たぶん、それが通常の人。



ところが、

盲目の画家だって、色がわかる人だっているのだ。

John Bramblitt(ジョン・ブランブリッド)は、アメリカでは知られた、盲目の画家。

2歳からの病気による合併症で、 ベートーベン同様、30歳前後で視力を失い、やがて全盲となったという。
そして、その頃から画家としての活動を始めたそうだ。

こちらは、彼の作品
    ↓
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指先の触覚だけで絵の具の色がわかるそうだ。

インタビュー番組で、
「青は、ちょっとザラザラした感触があってね、黄色はもうちょっと、モチっとしてて、赤ってのはね・・」

なーんて、ニコニコしながら、しゃべってるのを聞いたことがあった。

それを聞いてるうち、

私たち五体満足の人間ってのは、たしかに即座に色の識別はできるんだけど、それはただ識別してるってだけで・・

本当は、なーんも感じてないんじゃないだろうか!って思ったことがある。


大切のことは感じられることであって、目で感じようが指先で感じようが、どっちでもいいんじゃないか?

視覚も触覚も、表面的なものでしかなく、感じさせるためのツールでしかないんじゃないかな?


って思ったことがあった。



彼はすべての色が認識できて、自分で調合して色を作っていけるそうだ。

彼の脳内分析をした学者さんが、

「ジョンは、得た情報を、脳内でイメージ化し絵を描いていくことができるんです。
触覚、空間認識能力、記憶力、想像力など。
盲目になった代わりに、それらの能力が研ぎ澄まされたんでしょう。」
と言っていた。

ジョンに限らず、盲目の画家は、ちゃーんと世界中に存在している。



そんなことを考えると、ディサビリティなんてことは、別に特別なことじゃない気がする。

ディサビリティというのは・・身体障碍者でいいのかな?


知人で、専業主婦だけど・・掃除が苦手って人がいる。
旦那様がお勤めから帰ってくると、「あーあ、また、散らかってる!もう!」
と、いいながら・・まっさきに掃除を始めるとか。

まるで、のだめカンタービレに出てきた、千秋とのだめのような関係だと思った(笑)

世間では、おそらく「主婦失格」なんだろうけど・・夫には常に最高なアドバイスを与えて元気を与える人らしいのだ。
夫にとっては、最高の妻らしい(笑)


まさに、ディサアビリティーなんてものは、その程度のものかもしれない。

苦手なことは人に手伝ってもらって、自分が出来ることをみつけて、人に与えてあげればいいだけのこと。

誰にだって得意不得意なんてあるんだから。



ベートーベンも耳が正常だったら、後世に名を残すような人になれなかったかもしれないし、
ジョンも、こんなにも色彩豊かな絵が描けなかったかもしれない。

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何かを失うことによって絶望し、絶望した分だけ、彼らが得たものは大きいのかもしれないと思う。

少なくとも、彼らの到達した感性は、世情の事柄に邪魔されてしまうようなものでないのだろう。
世間に合わせた常識や、型といったものも、軽ーく超越しまったところに行きついてるのだろう。



学生時代の、ベートーベンとピンクレディーとイーグルス大好き、オタク男・・・

あ、思い出した!

彼の名前は、オイカワ君だった!



オイカワ君の好きなイーグルスの代表作に、ホテルカリフォルニアという名曲がある。

もちろん、訳詞もいっぱい出てるんだけど、この詩は解釈によってさまざまに受け止められるそうだ。

ま、それだけ・・意味不明の、わけのわからん歌詞ともいえる(笑)

フィッツジェラルドの香りがするロストジェネレーションを彷彿とさせるとか、ただの、ドラッグ中毒の歌だとか(笑)



私は、歌詞なんてあまり気にしないんだけど・・

それでも、あれれ~?と思った部分がある。


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車を走らせて砂漠を抜けて、ホテル・カリフォルニアに着いて滞在するってストーリー仕立てになってる。

そこで、ワインを持ってきて!って注文すると、

We haven't had that spirit here since nineteen sixty-nine
「ここには そのお酒(スピリット)は1969年以降置いてません」


って言われてしまう。

そして、もう一つ。

こんな歌詞の部分が出てくる。

We are all just prisoners here, of our own device
我々はみな自分のデバイスに捕らえられ た囚人


なんだこりゃ!

人はみな、自分で作った迷路にはまった囚人とでもいいたかったのか?



さっぱりわからないんだけど・・なーんとなく思ったことは・・

ベートーベンや画家のジョンは、きっと突き抜けちゃった。
たぶん、聴覚や視覚を失ったことをきっかけに。

でも、五体満足であるがゆえに、多くの人々は自分を見失うこともあるんかな~
自分でデバイスを作って押し込めちゃうからなんかな~
と。



オイカワ君が何を思ってたのかは知らない。

たしか・・オイカワ君は東北地方の資産家の息子で、家は代々政治家だったとか。
学生寮じゃピアノの練習が大変だからと・・練馬区の一軒家に、グランドピアノを置いてたことを思い出した。

そのわりには、ピアノの腕は大したことがなかったけどな~(笑)

彼は2年後にドイツに留学してしまい、その後の消息は誰も知らない。



いずれにしても、今では遠い遠い昔、私たちが19歳~20歳の頃の話だ。

ひょっとしたら、今頃私なんか足元にも及ばない音楽家になってるのかもしれない。

大阪の地震のニュースでギャップを感じる日

きのう、大阪で起きた地震のニュースを聞いた。

マグニチュード 6.1というのは、規模としては大規模とはいえないのだろうが、
それでも大きな被害があり、死傷者まで出している。


この大阪の地震は、多くのメディアでも報道されてるだろうし、アメリカにいる私よりもずっと日本にいる方々の方が詳しい内容をご存知のことだろう。

私はいくつかのニュースをインターネットで見ただけだが・・気になった記事がある。


日本経済新聞のニュースから
出社か帰宅か割れた判断 大阪北部地震、通勤時襲う
    ↓
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO31983620Z10C18A6AC8000/

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平日の朝8時ちょっと前に地震が起きた。
朝の8時頃ならば、通勤途中の人も多いだろう。


もしも私が通勤途中のオフィスワーカーで、震度6の地震が起こったと想像してみる。
    ↓

こりゃ、やばい! 家は大丈夫だろうか?どこからか火が出てないだろうか?

即座に帰る!

家に誰かがいれば、すぐに電話して安否確認と家の様子を聞くだろう。

もしも、家族全員が安全で、今のところ問題なしとわかっても・・やっぱりまっすぐ家に帰る。

さらなる地震が起こるかもしれない。

これ以上の地震が起こらなかったとしても、交通は麻痺して帰れなくなる可能性も出てくるから。

おっと! いちおう会社にもテキストメッセージをしておこうか。
無事を知らせておく必要もあるな。

「地震のため本日は急遽家に戻ります。 取り急ぎご連絡まで。」




たぶん・・これは一般的アメリカ人の行動だろう(笑)

・・・・・・・・・・・・・・

この記事を読んでつくづく思った。

私にはさっぱり理解できないのだ。

オフィスワーカーたちの行動が。

私だって日本人、しかも都内で長年オフィスワーカーをやってたはずなのに。

なんだか、ひどく日本が遠い国に感じてしまった。。。



この記事から引用しよう。

「自宅にいる場合は待機、通勤途中は帰宅」。

地震が発生した18日朝、大阪市内の製薬会社では所属長が電話で社員に指示を出し、対応に追われた。

災害時は出社の可否を所属長が判断するマニュアルに沿った形だが、
「途中まで来た社員の多くは結局、会社に出てきた」



なんで? 社員の多くは家よりも会社の仕事が心配になるんだろうか?


顧客対応の部署は原則出社するというルールを守ったのは、大阪市内の旅行会社。

当日予定していたツアー旅行の決行の可否や情報収集が必要なためで、安否が確認できた社員に出勤を求めた。

ただ交通機関の乱れもあって、出社したのは社員の半分ほど。



びっくりだ! ツアーの顧客が大事だから出勤せよ!だって?

地震によりスタッフが出勤しなかったため、手配が遅れてツアーが中止になったとしたら、顧客は怒りだすんだろうか!

こんなふうに。

「どうしてくれるんや! ツアーに行けなくなっただろーが! 賠償金払え!」

「地震? それで社員が大怪我したか死んだんかい!」



結果、会社は信用を失い経営不振に陥ってしまうんだろうか?


だとしたら・・日本て怖い国だな~。


今回の判断について担当者は「都市が壊滅するような大規模な地震であれば別だが、職種として仕方ない面もある」と話す。

一部社員は夜まで続いた交通機関の回復を待って帰宅したが、歩いて帰った人もいたという。




壊滅的ってのは、このくらい? すべての建物が崩れてライフラインも無くなるまでってことかな?
     ↓
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https://study.com/academy/lesson/earthquake-waves-types-lesson-quiz.html


都市が壊滅するような大規模な地震じゃない限り、会社に出勤して働け?ってことなのか?


で、職種としては仕方ないよな~って?


現代における多くの日本人は、そうゆう考え方をするんだろうか?(←完全に日本人がわからなくなってる。)



さらに、私に理解できなかったのが、

●社員は「会社の支持を仰ぎ」、会社側は「部下への連絡や指示を与えてる」らしいってこと。

●災害時のマニュアルに従う?・・日本のマニュアルって出勤するか休むかってことまで書かれてるものなのか?



なんだか、古いドラマのセリフを思い出してしまった。

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判断して行動するのは、その場にいる自分だろ!って・・・私は思う。

これは、すでに、アメリカンな考え方なんだろうーか?



そもそも彼らには、災害時に会社の指示を仰ぐという発想すら皆無だろう。

会社がオープンしてようがクローズだろうが・・

決めるのは自分だ!・・と思ってるだろうから。


この画像は、NY Cityの朝の通勤風景だそうだ。(地下鉄や電車を使って歩いてオフィスまで行くのは、日本と似てるかも)
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なんだか・・日本が遠く感じる。 もう、あそこは、私の知らない国なんだろうか?

地震の報道から、地震とはまったく関係無いことばかりが気になってしまった私だ。

異常気象から「気の流れ」を考える

ハワイのキラウエア火山や、中米グアテマラのフエゴ山の噴火、さらに、首都のグアテマラ近郊にある、パカヤ山という火山までもが立て続けに噴火してしまった。

ハワイキラウェア火山噴火と地中に見える青いメタンガス
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フエゴ山の噴火・・・遠目で見れば、不気味な美しささえ感じるけど・・

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すさまじい噴煙が噴出し溶岩が流れ出し

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沸騰した溶岩が押し寄せてきて

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一瞬のうちに家も人もすべてを飲み込んでしまう。


こちらは、傷つき生き残った犬
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詳細については多くの報道がされているので、あえてここで述べるつもりはないけど、
多くの死者、行方不明者を出していることは言うまでもない。



さらに、カリフォルニア州に住む私たちにとって、イエローストーンは比較的近くにあるため、こういった火山噴火の話題は頻繁に耳にする。

話題といっても・・

「また、噴火だってね~。怖いね~。」

「せめて、避難準備をしておくしかないよね~」

「イエローストーンはどうだろう?」


せいぜい、その程度の会話にしか過ぎないのだが。


イエローストーンというのは、ここに位置している。
       ↓
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イエローストーンは有名な国立公園なので、アメリカ旅行で訪れた方も多いことだろう。


旅行会社の説明にも載ってるくらいだ。
     ↓
イエローストーンの見どころ楽しみ方

ここにもあるように、イエローストーンの間欠泉というのが、有名で・・昔は45分ごとに規則正しく吹き上がっていたそうだ。

しかし、1960年ころから、不規則になり・・

さらに、近年にはますます不規則になり、めーったに吹き上がらなくなったかと思うと・・

90mにも達するような巨大なものになったり、今年に入って8回も吹き上がったりと、

とにかく異常性がみられるようだ。


こちらは、Washington Postの記事だが・・
A Yellowstone geyser has experienced unusual eruptions lately — and scientists can’t explain why


「巨大噴火が懸念されている、だけど・・科学者には説明がつかない」というような内容になっている。

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また、去年の記事では、イエローストーンで群発地震が2500回以上も観測されていたり、

多くの動物が逃げ出している・・などと言う記事も何度も目にした覚えがある。


いずれにしても、イエローストーンが大噴火ともなれば・・おそらく犠牲者は数百万人にもなるだろうし、北米は全滅・・

地球上すべてに渡って多くの影響を及ぼすことになるだろう。

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https://www.express.co.uk/news/world/971031/Guatemala-volcano-eruption-2018-Ring-of-Fire-Fuego-Pacaya-map


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

しかし、昨今では、とりたてて火山の爆発や地震に限らない、
多くの「異常な出来事」が観測され続けている。

ここ数年前を振り返ってみても・・

異常気象・・サハラ砂漠で雪が降ったり

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世界一乾ききった場所と言われた、チリのアタカマ砂漠、ここだけど・・
   ↓
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ここが、お花畑になっちゃったり・・
   ↓
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とんでもない気温をあちこちで記録したり・・

早朝の時間に122度って?(摂氏50度のことだよ!)
   ↓
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「観測史上初めて」、だとか、「100年ぶり」だとか、「千年に一度の現象」だとか、そんな文字ばかりが踊っている。


相変わらず、動物の大量死は止まらないし・・

湖には有害な藻の大繁殖が起こっている。

エリー湖は、かなり酷いらしいのだ。
以前、この近くに住んでいたことがあったので・・なおさら胸が痛くなる。。。
     ↓
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なんなんだよ! このミドリの水は!!

魚も死んでいくし・・
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このままじゃ、フロリダのマナティーも全滅するかもしれない!とまで言われている。。。

こちらは、2014年のナショジオの記事より
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/9552/


しかし・・・


「なぜ、こんなことが起こっているのか?」は、誰にも、なーんも・・解明できてないのだ。


異常気象も、動物の大量死も、地震や火山についても、藻の大発生も・・

あ、あと・・「北極で黒い氷が拡大している」ってニュースもあったなあ。。。

これは、黒い氷の原因は、藻類やバクテリアなどの微生物などに由来する「クリオコナイト」といわれる直径1~2ミリの物質らしい・・・と言われてるけど。

黒い氷じゃ太陽熱を吸収して溶けやすいだろうし・・北極や南極の大量の氷が解ければ、どうなるか?
海どころか、それもまた、大きく気象状況も変化させることだろう。

考えるだけでも恐ろしい!





「異常気象を招く原因は、ジェットストリームにある」
・・・という記事が日系サイエンスに載っていたことがあった。

異常気象をまねく暴れるジェット気流


それが、今年になって、シカゴニュースの記事に、こんなのをみつけた。
   ↓
New theory finds ‘traffic jams’ in jet stream cause abnormal weather patterns


この方は、シカゴ大学の日系人の教授らしいが・・またも、In Deepさんの記事で翻訳までされていたので貼っておきます。
    ↓
地球のジェット気流が崩壊している中で、その大気の循環異常のメカニズムがアメリカの日本人科学者によって突き止められる

このジェット気流を車の流れに例えていて、

ジェット気流には能力の限界があり、道路を過度の量の車が通過しようとすると渋滞が起きるように、ジェット気流でもそのキャパシティを超過すれば、交通渋滞と似たような状態が起こる



なかなか、わかりやすい面白い例え方だね~。


ここで、はっ!と気がついたことがあったのだ。


やっぱり・・気の流れなんだなあ、と。


東洋医学では「気の流れ」に注目していることは、おそらく皆さんもご存じでしょう。

東洋医学では、気・血・水(キ・ケツ・スイ)という身体を循環するものがあると言われていて、
その滞りや不足、過剰などが病の原因となるとされている。
ツボは、身体を流れる気血水の通路にある要点であり、そこが外部とのエネルギーの出入り口とされている。



最近はアメリカでは、西洋医学の中にも、こういった東洋医学をドッキングさせて、ホリスティック医療を行うところも、ずいぶん増えたものだ・・。

おっと!

ここは体の話をするとこじゃなかったんだ・・・


つまり、体だけでなく、地球すべてが同様なんじゃないかな!と思ったわけ。

気の流れが滞れば病になる=問題が多発してくる

と、いうことではないかと。。。


すべての基本は循環にあるはず。

「雨が降り地に浸み込み、蒸発して雲となり、また雨となる」ことも・・

また、食物連鎖も→食物連鎖からみる人間とは



循環を滞らせるものは何だろう?

これもまた、すごーーくいっぱいありそうだ。


殺虫剤、農薬、洗剤、癌治療剤等の薬品に含まれる化学物質・・・すべて文明が生み出したもの。

中でも、異常なくらい増えてるのが、マイクロプラスチックじゃないかと思う。

いったい、一人当たり、年間で・・どんだけの量のプラスチックゴミを出しているのか?

データを張り付けようかと思ったけど・・なんだか気分が悪くなったのでやめる・・・各自調べてみてください!

一見、ゴミも浮いていない海。しかし、その中にある微細な物質が大量に漂っている。大きさ5㎜以下のプラスチック=“マイクロプラスチック”だ。世界中から海に流れ出るプラスチックの量は、推計最大1300万トン。

それが砕け目に見えないほど小さくなり、海に漂っているのだ。

“マイクロプラスチック”は、海水中の油に溶けやすい有害物質を吸着させる特徴を持っていて、100万倍に濃縮させるという研究結果も出ていて、生態系への影響が懸念され始めている。
同支社海ごみ調査隊からの引用




とくに日本人の出すゴミの量は、世界一ではないか?と言われている。
アメリカ人からみれば、びっくりするほどの過剰包装をする国だからね~。

スーパーの青果売り場をみたってわかると思うけど・・

日本のスーパー

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アメリカのスーパー
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そして、買い物バッグ持参で買い物をする (現在カリフォルニアではビニール袋は廃止された)
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アメリカでは、おしゃれなスーパーに行けば行くほど、パック詰めは無い。

おしゃれ=エコロジー感覚=ハイソサエティー
という感覚があるらしい。



座礁したクジラの胃の中から、30枚ものビニール袋やら自動車部品までもが出てきた・・というニュースを見たことがあったけど・・

目に見えなくなっていたところで、マイクロチップはしっかりと、存在しているのだ。


それらは、私たちが日頃口にする小さな魚たちの中にも吸収されてるだろうし・・


この記事によれば・・海の塩の中にも検出されるそうだ。
     ↓
マイクロプラスチック ほぼすべての食卓用海塩に含有


・・・・・・・・・・・・・・・・

土にも海にも還らないもの。

燃やせばダイオキシンを発生する。 (←中には燃やしても害がないと言われてるものもあるけどね~)

土・海・空気にも拒絶されてしまって、ただ、ゴミとして蓄積されていくしかないものなのだ。

どう考えたって、そりゃあ~、どんどん、どんどん、どんどん・・増えてくだけ。



私は個人的に、昔からプラスチック製品は好きじゃないので、あまり使わない方だとは思うけど・・
それでも、家の中を見渡せば、うーんざりするほどある。


ひょっとしたら、川や海にいる魚の量よりも、すでにマイクロプラスチック量の方が超えてしまってるんじゃないの~?

なんだか、そんな気さえしてしまうのだ。。。

私たちは魚よりも、プラスチックを食べてるのかもしれない。。。


「やっぱ・・肉と野菜を食べよっと!」

「そりゃあ、成長促進剤とグリサホート食べてるようなものだろーが@」


おっしゃる通り@@



これじゃあ、

地球のすべてが循環している以上、トラフィック・ジャム(交通渋滞)が起きるのも、もっともなことだ。


それでも、みなさんが・・

「ここまで来ちゃったんだから、この生活は変えられないさ、無理だね~!」と、口を揃えて言うならば、

いっそのこと、イエローストーンに大爆発を起こしてもらって、世界を一気に変えて頂いた方がいいんじゃないか?・・と思ってしまう私だ。 (←危険思想と言われるけど)

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私は、多少の不便は構わない。

それよりも、自然と一体化した文明生活をしたい!

すべてのものが、土に、海に、空気中に・・還っていかれる生活を!


病気も強力霊も「匂い」で感じる人と動物

ペットフードのまとめ買いをしようとペットショップに出かけた。

いつもは、近場のスーパーマーケットで買ってしまうのだが、専門店に行けば種類も豊富にあるし・
おまけに、今日は久々に晴れ渡った日曜日だ!♪


ウチのネコも連れて、一緒に店内に入ることにした。(←頻繁にネコを連れてドライブしてる。)

まさに、こうゆう状態で。 (この画像はお店の宣伝にアップされてた画像なので・・犬だけどね)
  ↓
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「この猫缶なんか、どーかね? それとも、こっちがいいかね?」
・・と、ネコに聞きながら買い物をする。

すると、鼻をくんくんさせて、

「うにゃ、こっちじゃにゃ!」・・と、言わんばかりにウチのネコが選んでくれる。

カートに座りながら、興味深そうに、商品をながめたり人や犬たちを眺めたり・・・ショッピングを楽しんで頂けてる様子。

そこまではよかった。


ところが、広い店内を回っているうちに・・・

突然様子が変わってきたのだ。

はじめは、軽くクンクン・・と匂いを嗅いでたのが、だんだん、フンフンフンフンとなり、そのうち、フガフガ・ンフガ~となってきたのだ。

つまり、異常に、何かの匂いに反応しだした。

これは、危険信号なのだ。

私は慌ててネコを抱きかかえ、一目散に出口に走った。

すでに、小さなうなり声まで上げてきている。

やばい! 間に合うか!!

息を切らしながら出口を出て、車に向かうときには、すっかり、いつものネコに戻っていた。

何事もなかったかのように。


そのままネコを車に入れ、放りだしてきたカートのところに戻り、私は一人で買い物を続けた。

レジを済ませて戻ってみれば、後部座席で大の字になって寝ていた。

やれやれだ~。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

うちのネコが猛烈に匂いを嗅ぎだして・・徐々に興奮してきたときは、とにかく、要注意なのだ。

彼女が嫌がるような・・「何かものすごく嫌なものがある」ということなのだ。

それをなだめたり我慢させていると、とんでもないことになる。(←経験上)

低いうなり声をあげて、対象に向かって攻撃態勢に入るのだ。

その前に、抱きかかえてる私の腕は悲惨なことになる。 
ひっかき傷と噛み傷でズダズダにされること間違いなし。

こんなことを言うと、なんとまあ、攻撃的な子だと思われそうだが・・
彼女の名誉(?)のため、言っておこう(笑)

決して攻撃的タイプではない。

初対面の人に撫ぜられることもぜーんぜん平気だし、近寄ってくる犬もネコも平気。(←相手の方が怖がって(?)近寄らないことが多いけど・・)
もちろん、子供にも優しい。
人見知りはしないのだ。

かといって、喜んで喉を鳴らしたり、人にべたべたしたりするようなフレンドリータイプとも違うのだが・・
「どーでもいい事は気にしない」、「ま、好きにさせておくぜ」ってカンジらしい(笑)

「まあ、ビューティフルね!」・・なーんて撫ぜられれば、まんざらでもないご様子で、いつまでも撫ぜられている。
まあ、そんなタイプなのだ。


ところが、彼女には、絶対に「嫌な場所」、「嫌な人」というのがあるらしい。

それに遭遇してしまうと、前述したような行動を起こすのだ。


これが、本日のウチのネコ ↓
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人も犬もネコも(たぶん他の動物たちも)、みんな感じ方はそれぞれだし、「どこで感じるか?」という、感じる部分もそれぞれだろう。

ウチのネコの場合は、生まれつき耳が聴こえないせいか、日常から嗅覚で判断してるところが大きいようだ。
おそらく、通常のネコ以上に嗅覚は発達してるらしい・・・麻薬探知犬に成れるかも(←能力があっても性格的に無理だろうが・・)



さて、彼女は何を嫌がったのだろう?と、考えてみた。

かなり前に、連れて入ったときは、な~んの問題もなかったのに。

近寄ってきた人々には平気だったし・・たぶん、人ではない。

最後にいたあたりの場所か・・もしくは肉体を持たない人(または人々?)



以前にホセ君と一緒に、そこの店に買い物に行ったときのことを思い出した。
ホセ君は、強いサイキック能力を持ってる人だ。

「きょうは、僕は車の中で待ってる。」 と言われたことがあった。

そのとき、何か強い、禍々しいものを感じたので、彼は店に近寄りたくなかったようだ。

すかさず、私は文句を言った。

「そーんな~。 か弱き女性に、そんな強力な禍々しい場所に一人で行かせるのかよ!」と。

「いや、今日のキミはパワフルだから大丈夫。 いつもだけど・・
今日の僕は、あまり体調も良くないから、こうゆうときは、近寄らない方がいいんだ。」



古い言葉を使えば・・
瘴気にあてられるってことなんだろう。


ホセにしても、ウチのネコにしても・・肉体を持たない人々、つまり、霊のすべてに反応して、大暴れをするってわけではない(おっと!別にホセが暴れるわけじゃないけど・・)


そんな霊たちは、日常的にそこらにいるだろうし、ときどき、ウチのネコも、あらぬ方角を目で追ったり、見つめてることもあるくらいだから。

たぶん、そんな霊たちが寄ってきて、頭を撫ぜられたところで気にもしないことだろう。



ただし・・たまに、「とてつもなく強力で害を及ぼすよう存在」がいることがある。

彼女は、それを、得意の鼻センサーで感じ取っているようだ。



もともと霊感の無い私には、ほとんどといっていいほど、無害な霊の存在は感じられない。

しかし、今では「強力な害を及ぼす存在」だけは感じられるようになった。


もちろん、はっきり見えるわけではないのだが・・ゾクゾクっとするような悪寒で感じたり、あたりが急に暗く感じたり・・
うまく表現できないんだけど・・何か嫌~なカンジの違和感みたいなものは感じる。

そうゆうときは、さっさとその場を離れることにしている。

どうしても諸々の事情で、すぐに離れられないときは、深呼吸して常に携帯している数珠を手に持つ。
そして、自分のパワーをマックスに高めて一時的に対応することにしている。



ところが・・何かに気を取られてしまってるときは、危険に気がつかないときもある。


ペットショップに入ったときのことを思い出してみた。

そういえば・・入るとき、なんか今日は暗いな~と感じていたはず。
照明はいつも通りだったのに。

ショッピングしてるうちに、面白いネコのおもちゃを見つけて、夢中になって説明書を読んでたのだ。

たぶん・・それでサインを見落としたんだろう・・・と思っている。

ネコの様子が急変してきたのは、そのあたりからだった。



あまりにも、ワクワク気分になってしまってるとき、ひどく落ち込んでるときも、また、心配事で頭がいっぱいになってるときなど・・・
そうゆうときは、気がつかないときがある。

いかん、いかん!
要注意だ。



とにかく、ウチのネコの方が、私の数倍も霊感は強そうだ(笑)

ただ・・・一般的に「動物の方が霊感が強い」と言われてるようだけど・・・必ずしもそうとは言えないように思う。

人間同様、個人差はかなりある、と思うのだ。

犬だから、すべての犬が犯人を追う嗅覚を持っているとも言えないのだ。
あくまでも、「一般的に犬とは」・・という基準に過ぎないように思う。


私の知人宅のチワワは、まーーったく無い。
飼い主さんの方が、霊感が強いくらいだ(笑)
嗅覚もあんまり無さそう・・・フレンドリーで誰にでも尻尾を振って甘えるヤツだけど・・・。



これは、あくまでも、私が感じていることに過ぎないのだが・・

不幸な人生を歩んできた人やハンディーを追ってる人の方が、優れている気がする。
もちろん、イヌ・ネコもだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

もう10年以上も前の話だが、私が、まだニューヨーク州の田舎に住んでいた頃だった。

ある友人宅に、初めて遊びにいったとき、

そこには、スキトルズ(Skittles)という名前の猫がいた。
通称、スキちゃんと呼んでいた。


はじめ、スキちゃんは、遠巻きに私を見ていたが、少しずつ近づいて私の周りをウロウロし、私のバッグの匂いを嗅いだりしているうち、突然、うなり声を上げだしたのだ。


そう、まさに・・今日のウチのネコ状態になったのだ。


スキちゃんは、毛を逆立て恐怖と怒りの表情を剥き出しにし、私に襲いかからんばかりに見えた。

友人は慌てて私を別室に逃がし、「何が起こったのかわからないけど・・今日は帰って。」と追い出されてしまった。


酷くショックだった。。。

もちろん、私は当時もネコを飼っていたし、ネコ好き。
むしろ、何もしなくても動物の方から寄ってくるというタイプだったのだ。


しかし、私には思い当たるフシがあった。

当時の私には、霊障があったのだ。
それも・・かなりの強力なヤツ、しかも・・大勢憑いていた。


自分でも自覚症状があり、かなり、心身共に参っていた時期だった。

おそらく、スキちゃんは、それに強い反応を示したのだろう、と。


まさに、そのときの私こそが「強い害を及ぼす存在」になってしまっていたのだ。

しかし、スキちゃん以外の犬もネコも全然、私には特別な反応はしなかった。
家にいた犬なんか、相変わらずフレンドリーなまんま。



あとで、スキちゃんの生い立ちを聞いたところ、かなり・・悲惨な扱いを受けてきたネコだったらしい。

はじめは、アメリカ人一家に飼われていたネコだったらしいが・・・

そこでは、家具を傷つけられると困るし、子供が引っかかれても困るという理由で、子猫のうちにディクロウをされていた。

ディクロウ(declaw)とは、まさに読んで字のごとく、爪をとってしまう手術のことだが・・
正確に言うと、ただ、爪を剥がすだけではなく、人間でいうところの、第一関節から骨ごととってしまう手術なのだ。

それが、どれだけネコの生活にストレスを与えることになるかは・・自分がすべての指の第一関節を取られてしまったことを想えば、想像できることだろう。

詳しくはこちらに
   ↓
【猫を守って!】 ネコ科動物の爪除去手術に世界中から批判の声


術後のネコ・・痛ましい・・・
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その上、あまり、そこの家では可愛がられていたとは言えないようだ。

子猫のうちは、かわいいペットとして扱われたのだろうけど、成長してからは・・おそらく、それなりの虐待もされていたようなのだ。

結局、シェルター行きとなり、最終的には、運よく私の友人にアダプションされることになったネコだった。

友人は、もちろん、スキちゃんを愛情たっぷりにかわいがっていた。

1年以上たって、ようやくスキちゃんも友人に心を開くようになり、強い愛情をたっぷり示すようになってきたという。

私が訪れたのは、そんなときだったのだ。



おそらく、スキちゃんは、大好きな飼い主さんを必死に守ろうとしたんじゃないだろうか?


こんな邪悪な存在を近づけてはいけない!(←それ、私のこと)
僕が守らなきゃ!

スキちゃんは、そんな思いだったのかもしれない。


当時の私は、今思えば・・ほんと~に酷かったと思う。

体調も精神状態もボロボロだったし、家ではラップ現象やら電化製品はほとんど故障する始末。
写真をとれば黒く映るし、鏡を見れば、とくに自分の目が異常に見えた。
自分が自分でないような・・自分でも、怖っ!と思ったほど。



そんな状態であっても、それなりにおしゃれして出かけて、無理してでも、にこやかに人に接していれば、ほとんどの人には気づかれることもなかった。

また、

何不自由もなく甘やかされて育った犬や猫たちにさえも、気づかれなかったのだ。


しかし、スキちゃんには・・・初対面で見抜かれてしまったってことだ。


その後、私は数々のサイキック連中と知り合ったり、自分でも多くの事を学ぶことになるのだが・・
まさに、スキちゃんとの出会いが、大きなきっかけとなったのも事実だ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

シックスセンスを持つ犬・ネコ、そして人もいる・・・。

つい先日も、「犬が飼い主さんの皮膚癌に気づき、早期発見ができたおかげで命が救われた」というニュースを読んだんばかりだ。


ちなみに、こちらの記事(英語版)だった。
    ↓
New York Woman's Adopted Hound Dog Rescues Her By Sniffing Out Skin Cancer and Saving Her Life


執拗に飼い主さんの耳の匂いを嗅いでいて、それを飼い主さんが不審に思ったのがきっかけになったそうだが・・この犬もまた、シェルターから引き取った犬だったという。


がん細胞には特有の匂いがあり、機械でも測定できないほどの微量なその匂いを犬は感知することができると言われていて、近年では「癌探知犬」も存在するようだ。


果たして、

訓練によって、癌探知犬に成れるものなのか?

それとも、天性の能力によるものなのか・・また、苦労してきた過去によって能力が芽生えるものなのか?

飼い主さんを守ろうとする愛情のなせるものなのか?



明確なところはわからない。

それそらも、個々によって違うのかもしれない。



病院にいるオスカーという猫は、「死期の迫った人の病室を訪れて寄り添う」ということで有名になったネコだ。
ご存じの方も多いだろう。

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Cat's "Sixth Sense" Predicting Death?


彼らの中には、癌だけでなく、他の病気も、死の匂いも感じることができる者たちもいるのだろう。


しかし、イヌやネコだけではない。
人間もまた、病気の匂いや死期が迫ったときを匂いで感じる人もいるのだ。

病気の匂いも、死の匂いも、また、強力な災いを及ぼす霊の存在もまた、匂いで感じるという。


「すごい! かなりの霊感をお持ちなんですね~。」と言うと、彼はこんなふうに答えたものだ。

「霊感といっても、私は幽霊を見るとか、オーラの色を見るといったような霊感はまったくありませんよ。
私はただ、嗅覚が鋭いだけで、嗅覚で病気の匂いも霊の匂いも感じてるだけなんですよ。
みなさんだって、それぞれに優れた部分も苦手な部分もあると思いますよ。」



最近、つくづく思うのだ。

私の足りない部分のシックスセンスは、我が家のネコに補ってもらっているんじゃないかと。(笑)

私は一人じゃないんだな~と。

ダーウィンとウォレスと最新の進化論

数日、ずーーと頭を離れないことがあります。

こちらの、In Deepの記事を読んでから。
     ↓
[特報]ダーウィンの進化論が崩壊 : かつてない大規模な生物種の遺伝子検査により「ヒトを含む地球の生物種の90%以上は、地上に現れたのがこの20万年以内」だと結論される。つまり、ほぼすべての生物は「進化してきていない」

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New Genetic Study Seriously Challenges Darwin’s ‘Theory Of Evolution’


ああ、やっぱり~! と、いう思いと・・ついに、科学界もここまで来たんだ~!という思いで、じみじみと感じ入ってしまいました。

それで、ここ数日、いろいろな文献調べをしてしまったわけです。



しかしながら、In Deepさんの記事にも書かれていたように、一般の方々は、ほとんどといっていいほど、こんな記事に興味がないんでしょうね~。

進化論がどーだろうと、宇宙の成り立ちがどーであろうと・・・そんなこと、どーでもいいじゃんか!と。

で、私のブログも、タイトルを見ただけでスルーされちゃうような気もします(笑)



当然、こーんなすごいニュースなのに、日本ではほとんど報道されていない・・。

え?すごいニュースかって? (←それすら・・誰もすごい!とも思っていない?)


私は、そりゃあ、すごいと思いますよ~。

だって、我々が学校で習った「常識」を完全に覆すような新事実が出てしまったんだから!




なぜなんでしょうね~?

意図的に、こういったニュースを報道しないようにしているとしか思えないんですよね~。

権威あるチャールズ・ダーウィンの進化論を黙ってそのままにしておこうとしているのか・・?


こちらが、チャールズ・ロバート・ダーウィン(Charles Robert Darwin 1809 - 1882)
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そもそも、この進化論、本当はダーウィンの業績じゃなかった・・というのは、その道ではすでに有名な話。

実際には、ダーウィンがウォレスの研究をパクッって発表しちゃっただけってこと。


こちらが、アルフレッド・ラッセル・ウォレス(Alfred Russel Wallace, 1823 - 1913)
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私の以前のブログにもウォレスの話をちょこっと・・アップしてますが→クリスマスの朝、アルフレッドの夢をみる

詳しい事情を知りたい方は、どのようにパクったのかは・・こちらの記事をみるとわかりやすいかも。
   ↓
ダーウィンの進化論は嘘だった!?



ダーウィンはイギリス科学界のエリート学者、生まれも良い。
一方、ウォレスは、ただの在野の研究者、貧しい生まれで上流階級出身ではない。



たぶん、そんなところに原因があったように思います。



ところで・・

ダーウィンが、パクったにしろなんにしろ、二人とも同じく「進化論」を唱えていただから、考え方は同じだよね?と思われがち。

ところが・・これが違うんですね~。


まず、進化論とは・・ひとことで言ってしまえば、このように言われてます。
    ↓

自然界に適応し自然淘汰されて、強いものが生き残って進化していく



これは、まさにダーウィンの進化論です。


ダーウィンは同種の個体間の生存と繁殖の競争を強調した考え方を打ち出していた。 つまり、強いものだけが生き残るという点。

ウォレスは、生物地理学的、環境的なものによって、適応していく・・という点に重点を置いていた。



以前にも、野生ライオンの話をアップしましたが→「本能」という言葉、そして野生ライオン
ここに出てきた、ツァボのオスライオンにはたてがみが無い、というのは、まさにこれでしょうね~。


さらに、ウォレスはこんな記述も残しています。
    ↓

「人間の肉体的な変化は、自然淘汰説で説明がつくが、人間の持つ感情、たとえば真実をみつめようとしたり、美に感動し、正義を愛し、リスクを厭わない正義や勇気といった感情は、サルや猿人が生きてく上で、必要不可欠なものではなかったはず。

進化のメカニズムが「自然淘汰」ならば、必要となる前に、進化するのは、ありえない。」


それで、彼もまた、宇宙から進化を遂げた霊的生命体がサルや類人猿に宿ったか、または、「卓越した知性」の何者かによって、そういった感情や、数学、音楽、美術的能力などの特別な力が授けられたか・・どちらかだろう・・と述べてます。



うーーむ、進化論を唱えながら、懐疑的な部分も残している。


さらに、心霊分野まで研究してる人でした。

・・・・・・・・・・・・・・・・

たぶん今、

ウォレスさんに、「ようやく今、ほぼすべての生物は進化してきてないってことがわかったんだよ!」と教えてあげたら、

「え! すごい!やっぱり・・そうだったのか~!」と喜んでくれそうな気がします。


チャールズはどうなんだろ?(←ダーウィンのことね~)

「そんなはずはないだろ! 神はサイコロを振るわけがないんだ!」と怒り出したりして・・(笑)  ←おいおい! それこそ、誰かさんのパクリだよー@


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここ数年の間に、どんどん、さまざまな分野が新しく変わってきたような気がします。


以前にもここで書いたことがありますが、→神の領域へ挑戦する人々(その2)

●宇宙はビッグバンから始まったという説も、非情に怪しいものになりつつあります。

アインシュタインによって、宇宙が137億年前に「無」から誕生したことが分かっているものの・・・

●もちろん、アインシュタインの相対性理論ですら・・。
いきなり無から有が生じるんかい!と。


これは科学界だけじゃないです。

●歴史分野においても、年々多くの発見がされてきて、それによって大きく歴史が塗り替えられています。

もっとも・・ウォレスさん同様、在野の研究家は学会からは無視されるようですが・・。

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私たちが学校で習ったこと、つまり、我々の常識が塗り替えられてきている。

なのに・・・ほとんど、大々的に発表されることがないんですよね~。

教科書はどうなんだろう?
ちゃーんと、すぐに書き換えてくれてるんだろうか? 



これじゃあ、まるで・・あえて、愚民化政策でもとってるんかいな~と、疑いたくなっちゃいます。

一般人は、読み書き、簡単な計算が出来れば良い。 そしてそれぞれの仕事に結びつくことだけが出来れば良し。
あとは、娯楽を与えて一揆を起こさせないように武器を取り上げて常に監視してれれば良いのだ!

なーんて思われてる?

いやいや・・まさかね~。



また残念なことに、一般人側もまた、これに甘んじている人々も多いような気がします。
特に昨今では・・。

別に一揆を起こせっていってるわけじゃないですけどね~(笑)

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つまり、自分のことに関しては、一生懸命に見つめ直したり考える人も多い。
だけど、関係ないことは、一切、考えようともしない。 無視!


関係無い事ってのは・・・まさに、進化論やら、ビッグバンやら、歴史も・・・
海外で起こっていることすらも・・

そーんなこと、自分が生きてく上でなんの関係があるんじゃい!

・・と思ってしまうのでしょう。



でも、私的には、そうは思えないんですよね。。。

直接今の自分に関係無さそうな事柄ですら、個人の生き方に大きく影響を与えてくれる気がします。
むしろ、そっちの方が!

個人の人生観、恋愛観、人間関係、金銭についてさえも、大きく影響を与えてくれて・・
そこには、ただの目標や方向ではない、ベクトルが見えてくる気がします。


どっちが正しいとか間違いとかではなく、また善い悪いでもない、別の次元の思考かな、っと思っています。


思考といっても、脳で考えることじゃないです。
深く「感じること」に近いものです。



あえていうならば、体すべてのDNAで感じるって感覚でしょうか・・?

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そういったものを促してくれるものだと思うんですよね。



そこがまた、現代人に一番欠乏しているような気がします。

愚民化政策で報道されなくなったため、人々が興味を示さなくなってしまったのか、
人々が興味を示さなくなったため、報道しなくなったのか・・

どっちが先かはわかりませんが・・。

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むしろ、一見まったく関係の無いことさえも感じることが出来なければ、ひらめくアイデア💡はやってこない気がします。

むしろ、狭い世界で生きてる一芸に秀でるような人の方が、多次元ベクトルを捉えてるような気もします。


しかも、それが「頭脳派といわれるような科学者タイプ」だったりしちゃうわけです。

彼らは決して、多くの一般人のように・・・脳だけを使って考えてるわけじゃないと思いますよ。

アメリカの銃規制:あらゆる側面を考えてみる

知人の幼稚園児の娘が、こーんなことを言っていた。

「きょうはね、幼稚園で突然テロリストが銃を持って襲ってきたときの隠れ方、逃げ方の練習をしたんだよ。」

パニックにならない騒がない。
身を隠す場所をみつけて素早く隠れる。


うんうん、やっぱり・・これは基本だよな~と、お母さんたちと一緒に頷きあったものだが・・


日本にお住まいの日本人の方々にそんな話しをしようものなら、

ちょっと待った! そこじゃないだろ!


アメリカってなんて国だよ!・・とドン引きされちゃいそうだ(笑)

しかしながら、アメリカで暮らしてていて、学校に行ってるお子さんを持ってる方にとっては、これは一番の心配事といってもいいくらいだ。


わざわざ闊歩する危ない地域に行くわけじゃないのに
毎日フツーに学校に行くだけなのに・・・

なんだって、幼稚園児までがテロリスト対策の予行練習をしなきゃならないんだ?

たしかに異常な話だ。


・・・・・・・・・・・・・

まず、銃乱射事件の記事をみてみよう。
(学校の銃乱射事件に限ってのデータ)

こちらは、2018年5月25日のCNNのニュースから。
      ↓
There has been, on average, 1 school shooting every week this year

こちらの内容を要約すると・・
    
2018年に入って、21週目を迎えたが、学校で銃撃による殺傷事件が23回も起きている。
これは、平均すると1週間に1回以上という計算になる。


ご存じのように、アメリカでの銃乱射事件というのは、世界各国と比較しても圧倒的に多い。

2012年までのデータではあるけれど・・
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(NCBIよりMy Big Apple NY)


こちらは国別、銃保有者のデータ
    ↓
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つい最近、学校で起きた銃襲撃事件は、ミドルスクールだった。(←日本でいうところの中学校に相当する)


そんなガキが銃で人を殺すなんてありえない!と思われるかもしれないが・・

今では、子供だってマイ銃を持っている時代なのだ。

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女の子にはピンクが人気とか!

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これ、決しておもちゃじゃありません。
正真正銘の本物・・しかも、アサルトライフルだ。

アサルトライフル(assault rifle)は、実用的な全自動射撃能力を持つ自動小銃のこと。
従来の小銃弾(フルサイズ弾)より反動の弱い弾薬(中間弾薬)を用いることで全自動射撃を容易にしているものが多い



こちらは、20016年の記事だが・・すでに銃販売業界では、6歳児用の銃まで販売するようになった。
        ↓
米銃器業界、カラフルな銃で6歳からの子ども市場に照準 報告書


5-6歳から、射撃のレッスンをしている子供だっている。

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しかも、わざわざ専門店に行かなくても、スーパーだってお手替えに買えるとこだってある。

アーカンサスのウォルマート店(大型スーパーチェーン) の広告
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性能もお値段もピンキリだけど、一番安いセール品なら、30ドルくらいから買える。


CNN 2016年2月26日のニュースより

米アイオワ州で、子どもも年齢を問わず大人の監督の下で短銃を使うことを認める改正法案が州下院を通過した。
同州の現行法では14歳未満の子どもの短銃使用を禁止している。
改正法案は23日、62対36の賛成多数で州下院を通過した。




こんなニュースを見ただけで・・

日本人から見れば、「信じられない! アメリカ人ってヤツらは、なんて野蛮人なんだ!」と感じる人も多いだろう。


外部からみると、「アメリカ人は」という、1つのカテゴリー化したイメージで捉えられてしまうことは多いのだけど・・


実際は、アメリカ内部では、

銃についても賛成派と反対派は真っ二つに分かれている。

また、州によって、考え方や文化さえも違いがあるのがアメリカという国。



大きく分けて、リベラルな都会派と保守的なアメリカ魂を持つカントリー派が存在してるのだが、両者はまったく違ったタイプなのだ。

たとえば、リベラルな人々の多くは銃を嫌い、ハンティングでさえ野蛮な行為として嫌う人も多い。


しかし、マッチョなカントリー派は、銃を持つことを厭わない・・それどころか、誇りに感じてる人も多いのだ。

武器を手にして戦い家族を守ることは、マッチョな男のカガミという意識を持っている。

彼らは暴漢だけでなく、今でもコヨーテやオオカミ、地域によっては熊やマウンテン・ライオンから家畜や子どもたちを守るために銃を使用している。


そんなマッチョマンは息子に銃の手ほどきをし、狩猟に連れ出して撃ち方の実演練習をしたりするそうだ。

それがまた、親子の絆を深めることにもつながったりする。

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人々の感覚はこんなにも違うわけだし、それは顕著にそれぞれの州法にも違いをみせることになる。

マッチョマンが多く住む州と都会のリベラル派が住む州とで。
    ↓
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この図を見て頂けるとよーくわかると思うが・・

赤がハンドガンを持ち歩けない州。
クリーム色が持ち歩いてもOKな州。
ライトブラウンは、一部の規制はあるけど持ち歩くのが可能な州。




私は過去にニューヨーク州(かなりな田舎だったけど・・)に住み、現在はカリフォルニア州に住んでいるが・・

当然ながら、銃を持ち歩いている人を見たことはない。 (違法だから、すぐにポリスに逮捕されちゃう~)

周囲を見渡せば、銃規制を訴える人やハンティングにも反対する人ばかりだった。
私自身もまた、それが当然だと思っていた。


しかし、長年、中西部や南部の小さな州に住んでいた友人は、常にハンドバックや車の中にも銃を入れて置いたそうだ。

この方は、アメリカ国籍の日本人女性だったが・・銃を持たずに子供を連れて出かけるのは不安だという。

それほどまでに、感覚は違うのだ。

つまり、

それほどまでに、住んでいる地域にも違いがある、ということだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここで、銃を保持することについて、もういちど、よーく考えてみようと思う。

単に「銃は武器だから悪いもの」・・などといった原則原理を押し通すような考え方だけはしたくない。


リベラル派の中にも、強引に原則原理だけを押し通そうとする人がいるのも確かなのだ。

銃を持ったこともなければ、銃に関しての知識を得たいとも思わず、銃所持派の意見を黙殺して、

銃所持者への憎悪と軽蔑心だけで反対するために、中には銃に関する偽情報だけを流し続けるような人たちだっている。



ここでは、個人の感情は無視して、あらゆる側面から、銃保持について考えてみたい。


アメリカは開拓時代から、武器を取ってわが身と家族を守るってきた歴史がある。

しかも、武器を手にして、アメリカの独立さえ勝ち取った歴史を持っている国だ。

とくにカントリーサイドでは、いまだに西部開拓時代の、ウエスタンムービーの感覚と変わらないのかもしれない。

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子供の頃には、よーくウエスタンムービーを見ていたけど・・・

襲ってくるならず者に、牧師さんまでもが「アーメン」と言いながら族を撃ち殺したり、女性も銃を持って戦うシーンをみて、子供心にびっくりしたものだった。


しかし・・その状況を考えれば、もっともなことだ!とも思える。


隣近所だって離れてるような、広~い土地では、
保安官が飛んできてすぐに助けてくれるわけじゃないし、助けを待ってたら自分や家族までもが殺されることになってしまう。


ましてや、現代を考えると・・赤字のためポリスや保安官の数を削減してる状況で、すぐに助けが来てくれる方があり得ない!


銃を持つメリットとは

銃を所持してさえいれば、どんなに身体の弱い人でも高齢者や子供でも、銃を使う事によって普通では太刀打ちできない様な相手から身を守る事ができること。



もし、銃の所持が認められていない国で、もし、到底太刀打ちできない相手に襲われた場合・・
ただ警察を呼んで到着を待つしかないのだ。

その間に、殺されてしまう可能性は高い。


では、銃を持つデメリットとは、

●未熟者が銃を持った場合、誤って相手を殺傷してしまう可能性も高い。
実際、子供が誤って発砲してしまった事件だってある。

●すぐにブチ切れやすい人は、簡単に銃を手にして発砲しかねない。
ちょっとした家庭内暴力だったとしても・・恋人同士のいさかいだったとしても・・




スパイダーマンの映画の中でも、有名なセリフがある。

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With great power comes great responsibility (大いなる力には大いなる責任が伴う)
*Withをわざわざ頭に出して、倒置法を使って言ってるところが見事だよな~と感心してしまったセリフ。


まさに、スパイダーマンに説教した、このオヤジの言う通り、

圧倒的な力を持つ武器を持つならば、強い責任を持たなければいけない。

誰かが襲ってきた気がする・・というだけで、恐怖心から先にぶっ放してしまったり・・

ちょっとブチ切れちゃったもんで・・というだけで、ぶっ放しちゃったり・・

あれ~、使い方を間違えちゃった~!で済むようなシロモノではないのだ。


唯一手にすることができる者は、

常に冷静な判断力を持ち、一切の責任を取る覚悟のある者だけにのみ許されるものだと思う。

・・・・・・・・・・・・・・

しかし、現状は違う。

では、どうすりゃいいのか?


もしも・・銃を無くすという方向で考えるならば・・

これは私が思う、1つの案に過ぎないのだが・・

●まずは、国の法律を変えるっきゃない!

アメリカ独立の15年後に合衆国憲法に付加された補正第2条
   ↓
 「規律の整った国民義勇軍は自由な国家の安全保障にとって必要であり、国民が武器を所持し、携帯する権利は侵害されてはならない」




●一般人のすべての銃器禁止令を出す。

そして・・銃規制なんて中途半端なことをせずに、徹底した「刀狩り」をする。

秀吉さんが強硬したみたいに、すべての武器を差し出すこと。
徹底的に家宅調査して、隠し持っていた者に対しては厳罰に処す。(禁固刑20年とか・・)

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●銃を持たない農村部の人々を守るために、多くの保安官やポリスを配備する。
その費用は、膨大な軍事費を大幅に削って捻出すること




うん、これっきゃない。

が・・・・現状は絶対無理!(笑)


・・・・・・・・・・・・・・・・・

◆最近、日本語サイトで「アメリカの銃規制報道」を見て思うこと。

一方的にリベラル派の肩を持ったような報道が多いような気がする。


もちろん、この大元は、アメリカのリベラル派が流すフェイクニュースが原因で、日本は、それをそのまま報道しているだけという見方もできる。


フェイクニュースとされるものの1つを紹介すると・・

ラスベガス乱射事件直後にアメリカで報道された記事。
    ↓
ハフィントン・ポストやABCニュースなどで、「ネバダ州は銃規制が甘いのでマシンガンを持って街を歩くことができる」と報道。
いかにも、誰でも気軽にマシンガンを持って歩ける・・というようなニュアンスで書かれている。

しかし・・民間人が全自動銃や1986年以降に製造されたマシンガンを所有することは連邦法で禁じられている。

また、1986年以前のマシンガンを購入するには指紋証明を含む厳しい身元調査が必要となる。
さらに、これらの銃の平均価格は約3万ドルはするのだ。
よっぽど、金持ちで、しかも熱心なコレクターしか入手できないものなのだ。




さらに、

●悲惨な銃による事件ばかりにフォーカスしている部分も感じられるし、

●子供に銃を持たせるなんて異常・・という意見も多い。



しかしながら、これが・・都会じゃなくって、もう一度、田舎の状況を考えたとき、

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コヨーテやオオカミ、マウンテン・ライオンから家畜や自分の身を守らなければならない状況、

広大な牧場・農場の脇に住んでいる彼らは、万が一強盗に襲われて警察に通報できたとしても、保安官が到着するまでには、最低でも20分以上もかかる。

となれば・・子供といえども護身のためにも銃が必要になってくる。
常に、親がそばにいるとも限らない場合だってあるのだから。


そういう地域に住む人々にとっては、銃は日常生活の必需品になるのだ。



そこで、今度は、「銃を持つ」という視点で考えてみよう。

●小さな子どもたちには、親から銃の安全な扱い方をしっかり学ばせる。
または、射撃練習場に通って正しい操作法や射撃法をプロのインストラクターから学ぶことが必須。

当然、銃を持つという責任についてもだ。

これは、大人や子供に限らず、銃を持つものすべてに徹底すべきこと。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

◆もうひとつ、最近の報道で思ったこと。

NRAが常に悪者扱いされてばかりって気がしてしまうのだ。

アメリカの大手メディアは、NRA(全米ライフル協会)のことを、銃ロビー(gun lobby、銃支持派圧力団体)と呼んだり、

日本のメディアもNRAのことを「豊富な資金と政治力を抱えた銃規制に反対する圧力団体」という見方が強い。


多くのリベラル派のアメリカ人、そしてほとんどの日本人がNRAは銃製造・販売業者の回し者だと思っているようだ。

豊富な資金にモノを言わせて、政治家にカネをばらまき、NRAのメンバーは銃関連業界の利益しか考えない奴らだと。


たしかに・・・私もそう思っていた。

たしかに、そうゆう人たちもいるだろう。

それに銃を持つ以上、NRAと銃製造業・販売業者の利害関係は一致する部分が多いのは確かでもある。



しかし、よ~く調べてみると、それだけでもないのだ。

NRAは合衆国憲法補正第2条で制定されている銃所持・携帯権を信じる一般人の集団であり、銃関連業者の利益代弁組織ではない。

純粋に「権利章典(補正第1条から第10条)を守りたい」という一心から銃規制に反対している人々も多いし、
また、「我々こそ憲法順守を目的とする正義の組織だ」という自負が強い人々も多いのも確かなのだ。



こうやって考えていくと、銃規制をすべきなのか、しないべきなのか・・は、簡単に結論が出せるものではないと思う。

ましてや、一部の強硬なリベラル派のように、むやみに「銃は武器だ。 武器は悪い!」なんてことは言えるはずもない。

もちろん、狭い国土で銃を持ったこともなく知識もない日本人が、簡単に善悪だけを持ち出して反対できるようなものではないと思う。


そんな観点だけで押し通そうとすれば、マトモなディベートを展開して解決策を見出すことは到底無理だ。

どうせ、あんな奴らと議論したってムダさ~ !

で、水と油のままで終わってしまうだけ。


まあ、それが現状になってるんだけどね~。



とくに、リベラル派で、豪邸に住み銃を持った警備員に守られて生活してるような都会の人たち、

彼らは一度、アメリカのド田舎の生活を経験すべきかもしれない。

一度も経験したこともなく、柔軟な想像力さえ働かないような人々は・・意見を言う資格は無いように思う。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ただ・・

学校での無差別発砲事件・・・これは、すぐに対応すべき重大な問題であることは確かだ。


しかし、それは銃規制するだけで解決する問題なのだろうか?

そういった痛ましい事件が起こるたびに、なぜか必ずといっていいほど、銃規制の問題ばかりがクローズアップされる。

まるで・・そこに「意図的な何か」が働いているような気さえしてしまう。


それに、

アメリカの銃乱射事件について、諸外国と比較したデータも多く上がっているのを目にする。

それはまさに、

ほらね~アメリカって国は最悪でしょ! だから銃規制すべきなんだよ!というイメージを強くアピールすることが目的のような気さえしてしまう。


国土の広さや歴史を無視して、単にデータだけを挙げること。
それは果たして・・公平な比較になるんだろうか?



ある陰謀論(?)によれば・・・

イルミナティーは、アメリカ国民からすべての銃を取り上げるのが目的なのだそうだ。
まるで、秀吉さんの刀狩りのごとくに。

武器を全く持たなくなった国民ならば、簡単に力づくでなんとでもできるから。

イルミナティーが恐れるのは、不屈な精神を持ったマッチョなアメリカ人だち。

それを撲滅するために、リベラル派を利用して、「銃を持つことの悪を唱え続け」て、彼らを抹殺しようとしている・・・・という人たちもいる。



だからこそ逆に、彼らは絶対に銃は手放したくないのだと!・・・そんな声も聞く。


マッチョなカントリーマン&ウーマンたち、彼らは、国やら政府なんてものは心の底から信じていないのだろう。

信じる者は自分、そして仲間だけ。
いまだに、家族を守れるのは自分しかいない!と信じているのだ。


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実際に、中西部の田舎の家に嫁にいった友人の家では、

居間の壁に、数世代前の先祖が使っていたライフルを飾っていたという。

なぜなら、自分たちの先祖が銃の力を借りて荒野を開拓し、農場や牧場に変えたことを誇りに思っているからだそうだ。


また、祖父が使っていた銃を形見として大切に携帯している人なども大勢いるという。

おそらく、

彼らにとっての銃は、侍にとっての刀と同様なものかもしれない。 開拓者魂の象徴なのかもしれない。


私たちは、そういったあらゆる側面も理解した上で、考えなければならない、と思う。
もちろん、すべての報道に対してもだ。

認知症と松果体、そして感動すること?

日本の人から、こんな話を聞きました。
   ↓
「75歳以上のドライバーは認知症機能検査を受けなければならず、検査に合格しないと免許をとりあげられる」


車社会のアメリカで、こんな法が出来てしまったら大変なことになるでしょうね。

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まあ、それだけ認知症が多い日本では、老人ドライバーが引き起こす交通事故も多いんでしょうし、

また、車が無ければ無いでも、生活ができる環境だということなのかもしれません。



先進国において認知症患者の割合が最も多いのは日本なんだそうです。

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経済開発協力機構(2017年12月)より

認知症患者の割合、OECD加盟国で日本が最多

日本というのは、ある意味・・不思議な国だと思います。


日本人は平均寿命が大幅に伸びている一方で、健康寿命はほとんど伸びていない。



これは何を意味するか?

高齢になった場合、日々薬のお世話になるということ。



認知症というのは、ご存じのとおり、記憶力、判断力、認識力が低下してしまい・・
社会生活に支障をきたす状態のこと



社会生活に支障をきたさない限り、つまり・・一人では生活できなくなってしまわない限り、認知症とは呼ばれないんだそうです。


ところが、

認知症とされないまでも、認知症予備軍はいっぱいいるような気がします。


年をとれば、記憶力、判断力、認識力が低下するのは当然・・・と、本人も周囲の人々も、考えてしまい、とくに改善しようとしない・・・そんな傾向が強いように思います。


実は、私がアメリカで生活するようになってから、さまざまな老人とも接したんですが、

日本と比べると、それほどボケ老人がいない!って気がします。


たしかに、体力は落ちてる人は多いです。
頭も禿上がってしまったり、白髪になっちゃう人もほとんどです。


こちらは、100歳で現役で運転してる人
     ↓
100_YEAR_OLD_DRIVERS.jpg


だけど、記憶力、判断力、認識力は・・おそらく、まったく落ちてないと思える人も、実に多かったんですよね~。
もちろん、ボケ気味の人もいましたけど・・(笑)


私の見た限りにおいてですが、

「記憶力、判断力、認識力が落ちない老人の特徴」は、この3つでした。

●薬をほとんど飲んでない。

●できるだけ有機的で未加工の食品を食べている

●好奇心旺盛なタイプで、人とよく話す




まあ、ここらへんのことは、一般的にも言われるようなことですけどね~。



もうひとつ、彼らが大きく違う点は、生活の中で「感動する度合い」が多いってことでした。

これは、好奇心などとも結びつく点かもしれません。

映画を見ては、読書をしては感動し、人の親切にも感動するし・・・とにかく、ストレートによく泣き、よく笑う人が多かったです。


生活の中に感動するものが多い人ほど、ボケない=「記憶力、判断力、認識力が落ちない」

そんな気がしました。


逆に、脳に感動刺激がなくなると、年齢に関係なく、人はボケていくのかもしれません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私の友人でまだ30代後半なのに・・・忘れっぽいし、うっかり間違いは多いという困った人がいました。

典型的に、記憶力、判断力、認識力共に欠乏しちゃってるタイプなんですよね~。


待ち合わせ時間には遅れてくるし、ナビつけていても道に迷うし・・かなり、周りから顰蹙を買ってましたね~。


そこで、あるとき、彼の友人がこんなことを進言しました。

「それは、きっと自分じゃ気がつかないかもしれないけど、ストレスが溜まってるんだよ。
たまには、頭をゆっくり休めて好きなことをするのが一番だよ。 おまえ、ツェッペリンとか聴くの好きだっただろ?」


「うん、音楽聴くのは好きだけどさ・・ダメなんだよ。
好きな音楽を聴くとさ、そればかりに、じっくり聞き言っちゃうからさ。」


はああ???

それを聞いた私も彼も、唖然。

こいつは、何を言ってんだ?




で、その彼の生活習慣を尋ねてみると、常にこんな具合だったことがわかりました。

Twitterしつつテレビ見ながら食事する。
風呂に入りながら、仕事を考えながら、飲み物を飲んでいる。




そういえば・・昔の親たちは、こうゆうのを「ながら族」と呼んでましたね~。
すっかり、死語になっちゃってますけど。


「XXXしながらは、ダメ~! 一つのことだけに集中しなさい!」と、よく言われたもんです。


ところが、私も、まさに、この「ながら族」タイプでした。

「勉強するとき」「仕事するとき」「作業するとき」は、だいたいにおいて、2つ3つの事を同時進行するタイプです。

また、そっちの方が、むしろ・・さっさとはかどるんですよね~。



ところが、あるとき、気がついたことがあります。

さくさく終わらせることは出来るけど・・・そこには感動はないんですよね~。



昔、受験勉強をしているとき、いつものようにBGMを聴きながら、コーヒーを飲みながら勉強していました。

ある勉強内容の1つに、なぜか、すごーく興味を持ってしまい、そこばかりを真剣に調べたり考えたりしてしまったことがありました。


集中していた間は、BGMの音楽も聞こえなくなってたし、コーヒーが冷めているのにもまったく気づきませんでした。

答えをみつけたとき、あーーそうゆうことだったのか! なんと素晴らしい!・・と、感動、したことがあります。

そのあとは、うっとりするような充実感!

そのうち、リラーックスしてきて眠くなり、ベッドに入って朝まで熟睡。

当然のごとく、次の日の試験はさんざんでしたけど(笑)





たぶん、そうゆうことだと思うんですよね~。

常に「XXしながら、XXする」というのが習慣になってた友人は、「無事に終わらせた」という日常しかない。

「感動」のない生活をしてるだけ・・・だったんだと思います。


そこで、
「おまえって、なーんも感動しない生活しとるんとちゃうか?」・・と、さっそく別の友人がツッコミを入れると、

「そんなことはないよ~。 読書してもドラマを見ても感動してるさ。」・・・と本人は言うけど・・

それが、そもそも、時間が経つと内容をあんまり覚えてないんですよね~(笑)

そうゆうのは、感動とは言わない・・と思うんですよ。

「面白かったよ~。」と「感動した~!」は違うと思うんで。



感動の無い人生を送っていると、

その結果、自分でも気がつかないストレスを溜め込み、脳の老化現象を起こしてしまうことに繋がるのかもしれません。


感動が無い=日常だけ=気がつかないストレスを溜めてしまう




それにしても、「思い癖習慣」とは怖いものです。

とくに、彼の場合は、IQも高い人で成績優秀なんだけど・・異常に左脳ばかりを駆使する人で、

「思考」の部分しか使えてないような人でした。


脳内のニューロン(神経細胞)のグループ分けをすると、この8系統だそうです。

★思考 ★感情
★伝達 ★理解
★運動 ★聴覚
★視覚 ★記憶




おもに、思考と感情がベースになるようですが・・

この8つが満遍なく繋がって強化されていかないと、脳は偏り、正常な働きをしなくなっていくそうです。



主な原因は、脳をちゃんと休めてない状況・・つまり、ストレスにあるのかもしれません。


そこで、認知症予備軍の彼に、

仕事や日常のストレスを解消してもらおうと、

音楽を聴くことで、「好きなことに集中すること」を提案しても、

好きなことに没頭しちゃったら「作業がはかどらないからから」という理由で拒否されちゃったわけですもんね~。


これは・・彼の頭の中で、事の真意すら理解できなくなってしまっていて、理解力、判断力の低下
まさに、それを意味してたんだと思います。

こうなっちゃうとダメでした。。。

いくら、説明しても聞き入れてもらえないし・・(笑)


ある心理学分野の書物で、このように書かれていたことを思い出しました。

「思考」ばかりが強く働き過ぎると、物事を既存の知識やフレームに当てはめようとする傾向が強くなり、俗にいう、「融通が利かない」事になる可能性がある。



うーーむ、まさに、これだな!と(笑)


ようするに、ニューロンのすべてが満遍なく使えてないと・・かならず、どこかにひずみが出るってことのようです。





さらに、こういった状態を長年続けていれば、認知症予備軍から完全に認知症になっていく気がします。


老人に多いということは、おそらく・・加齢のせいではなく、そういった生活を長年続けてしまった結果ではないだろうか?


さらに、長年に渡って降圧剤等で血圧を下げ続けていると、脳の血流低下により、新しい神経細胞が互いに安定して連携することが出来なくなってしまうのかもしれません。

なんといっても、血液で送っているわけですから。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

認知症の原因の多くは、アルツハイマー病だといわれています。

なかなかアルツハイマー病については、いまだにわかっていないことは多いようですが・・


脳の神経細胞が減少する、脳の中で記憶を司る「海馬」を中心に脳全体が萎縮する

脳に「老人斑」というシミが広がる、脳の神経細胞に糸くず状の「神経原線維変化」が見つかる


といった変化が現れることは、わかっているようです。


加齢とともに、神経細胞のニューロンが死んでいくのが原因だろうと思われてきたのですが、Cell Stem Cellという記事で、今年の4月にこんな内容のものが発表されました。
   ↓
Human Hippocampal Neurogenesis Persists throughout Aging

この記事をもとに、日本語記事にされたものもあります。
     ↓
高齢者でも脳細胞は甦っている 研究

79歳でも新しい脳細胞は生まれる、米研究



やはり、松果体がカギとなっている!


松果体については、過去記事にも何度かアップしたことはあるけど、いずれも・・スピリチュアル視点で書いた記事だったと思う。

第3の目と松果体
子供のサイキック能力と松果体の関係は?




しかし、この際サイキック能力などは別にして・・我々の体と心にも重要な働きもしてる。

こちらは、In Deepさんからの引用で、おおもとは、アメリカの科学者ジェイコブ・リーバーマン博士という方の書籍からの抜粋だそうです。 
   ↓

今日、松果体は人間の機能のすべての側面において主要な役割を果たすものとして認識されている。そして、これは「人体の各器官を調節する器官(regulator of regulators)」として機能している。

これまでの医学的な記録文書からは、松果体が次の各機能に影響を及ぼしていると考えられる。
生殖機能、人体の成長、体温、血圧、運動活性、睡眠、腫瘍の成長、気分や精神、人体の免疫系、そしてまた松果体は寿命の要因のひとつともとらえられる。




そして、一番の問題は、現代においては、松果体を萎縮させてしまうようなものが溢れているということ。

それは、今では多くの人がご存じかと思いますが、

石灰化現象と呼ばれるものです。


どんどん石灰化が進んでしまい、「松果体の機能を衰えさせてしまう。

その原因は、言うまでもなく、フッ化物ですね~。

それも、天然のフッ化カルシウムではなく、合成のフッ化物

もっと具体的に言うと・

アルミニウムやスチール、セメントなどの製造から出る毒性化学副産物でもあり、また、リン酸肥料産業の有害廃棄物ともなっているもの。


それはどこに含まれているかというと・・

★水道水
日本ではたぶん・・塩素だけかもしれませんが、アメリカではフッ素混入してる州がいまだに多いです。

★歯磨き粉
一般的で安価な歯磨き粉には、必ずといっていいほど含まれてることが多い。

★殺虫剤や農薬

★加工食品
ほとんど、すべての加工食品には、リン酸カルシウム、炭酸カルシウム、あるいはリン酸二カルシウムのような合成カルシウムが含まれていることが多い。



そうそう・・最近、購入する人が増えたサプリメントにも、含まれていることが多いようですよ。

日常には、実に多く溢れてるわけです。


こういったカルシウムの添加物は、「すべて」石灰化をもたらす要因となっていることは事実だと思います。



そうやってみていくと、

「薬を飲んでいない、できるだけ有機的で未加工の食品を食べていて、好奇心旺盛なタイプ」のお年寄り連中が、ぜーんぜん「認知症」と縁が無いのは、わかる気がします。



現代社会で、有機的で未加工の食品を食べることや、添加物が混入されてないものを食べることは・・

たしかにおカネもかかるし、探すのも大変かもしれません。


しかし、何事も工夫次第なんじゃないでしょうかね?


あるお年寄りは、ベーキングソーダで自家製歯磨き粉を作る人もいたし、市販のシャンプーを使わわず、オーガニック石鹸で頭も体も洗ってましたから。


合成シャンプー、コンディショナーの正体は台所用洗剤と同じ合成界面活性剤ですもんね~。

しかも、さらに多くの添加物が含まれているため、むしろ、台所洗剤で洗った方がマシって声もあります。
石油系合成シャンプー・リンスは髪だけでなく体にも悪い


合成界面活性剤の持つ浸透力は強力で、しかも本来皮膚から入り込まない物質(アレルギー,接触刺激,皮膚毒性,発ガン性のおそれのあるものなど)でも入 り込みやすく、皮膚を通して内蔵(特に肝臓)にまで障害を 引き起こす可能性は十分ありえる。




私も、元気な年寄りを見習って、シャンプーは使わず石鹸を使ってます。

こうゆう石鹸を量り売りで買ってきて、

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もちろん、コンディショナーなんて使いません(笑)
たまーに、パサつくときだけ、ヘンプオイルを使うくらい。


基本的に、薬を飲まなくなった方が・・持病の頭痛持ちも治ったし、風邪もひかなくなったし・・

砂糖と塩の代わりに、ハチミツと
hanny with comb

ピンクソルトを使い、
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加工食品もめったに食べなくなったせいか味を楽しめるようになったし・・

水道水は、むろん・・塩素もフッ素も除荷するフィルターを通してるし・・たまに、贅沢して高級天然水を買ったりもします


あまり健康に気をつける方じゃないんで・・せいぜい、その程度のことくらいですけどね~。

そんなことをしてるうちに、日常の食べ物ですら、美味しい!って感動することが増えるんですよね~。



まあ、松果体だけは、これ以上、石灰化させたくないな~と思ってます。

もっと多くの感動ができる人生を送りたいですからね~。

メメントモリとエベレストのテーマ「死を想う」

本棚の整理してたら、メメント・モリ(藤原新也)という本が出てきた。

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ずいぶん昔に、友人からバースディプレゼントとしてもらった本だった。


メメント・モリとは、

◆ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句。(Wikiより)

◆この言葉は、ペストが蔓延り、生が刹那、享楽的になった中世末期のヨーロッパで盛んに使われたラテン語の宗教用語である。
(本文中の藤原新也の言葉より



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著者はインドなどアジア各地を長期間放浪し、写真と文章が渾然一体となった作品を生み出すこととなったそうだ。

ガンジス河のほとりや沖縄の片隅で・・・生と死が交錯する一瞬の写真に短い文章が添えられた写真集だ。

この本のブルーの帯にも、こんなメッセージがあるが
        ↓

    Memento-Mori
         死を想え

月の明かりで手相を見た。 生命線がくっきりみえた。


これは本文中からの引用。


当然、ページをめくれば、死体の写真がいくつか出てくる。

げっ! そんなキモイものは見たくない!と誰もが思うものかもしれない。

しかし、そこから私がイメージするものは・・

切なさ → 美しさ → 荘厳さ → 生きること

だった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日本のメジャーな報道においては、遺体の映像や画像が表示されることは、まずないようだ。

そこは、諸外国と大きく異なる点だ。


噂によると・・その歴史は1948年の帝銀事件から掲載されなくなったそうだ。

凄惨な遺体の写真をありのままに報道するメディアに批難が集中してしまい、その後は、出来るだけ死体の写真や映像の公開を、避ける傾向が強くなったという。



数年前に、私の友人が、ヒロシマの原爆資料館を訪れたときには、凄惨さ、悲惨さを感じさせる写真は一切なかったそうだ。
そのため、なんだか・・ピンと来なかった!と言っていたのを思い出した。


「子供がトラウマになるから」というのが一番の理由で展示されなくなったんだとか。

こうした日本の文化は素晴らしいものだと評価する人たちもいる。



しかし、その反面、

平和な世界で暮らす日本人にとっては、「死体」や「死」といったものは、現実からかけ離れた異質なものに感じるのだろう。

ふだん目に触れないものなのだから。


神経質なまでに「死」という存在を遠ざけることばかりを偏重してしまうと、

逆に、生の意味も希薄になっていくような気がする。


シリアの戦火で多くの人々が殺されようが、よそ事としか感じられないだろうし・・
南米の大地震が起ころうとも、やっぱり、よそ事としか思えない。



あえて目に触れないように遠ざけられてるんだから・・そりゃ、無理もないんだろうけど・・。

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私の友人は、ヒロシマの原爆資料館に子供の頃に連れていかれたことがあったそうだ。


小学校の低学年の頃に連れていかれて、戦中の地獄絵図を描いた巨大な円山応挙の絵画や数々の写真をみて、
強烈なトラウマとなってしまって、眠れなかったという。

「だからこそ、私は猛烈な戦争反対、核反対者になったわけよ~」と、彼女は言った。


戦争は悪いこと、核も悪いこと・・・と頭で理解することと、目で見たものから感覚で理解することとは別なのだ。



人々にショックを与えたくないのは・・よーくわかるんだけど・・

見たくない現実には蓋をして精神を守ることだけが、いつでも最良の方法とは限らないように思う。


私は、むしろ・・子供に見せることもいいんじゃないかな~、と思っている。


ただし、子供に見せる場合は、特に親がちゃんとフォローアップできるかどうかも重要なポイントだろう。

ところが、最近は、親の方が、ぎえ~!こんなグロいものを見せる方が悪い!と一方的にバッシングして終わっちゃう人が多いそうだ。


悲惨な死の現実を、単にグロいもの!と受け止めるのか

それとも

「生や死を意識することで命を大切に思い、生きていることの有り難みを実感するか」


そこらへんが、まさに、感性の違いだろう。

子供への教育に、そこを示唆すことが出来なければ、それこそ、ただのPTSDを引き起こすだけになってしまう。


ただし・・なんでもかんでもグロい写真を掲載すりゃいいってもんでもない。

やっぱり、さまざまな配慮や見せ方もあるので、そこらへんは考慮すべきところだと思う。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

前回のエベレストのブログ記事の続きになるけど・・

またも、800メートルを超えた、デスゾーンのことを思った。

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デスゾーンというのは、「あまりの壮絶さゆえ、人が生きていけない領域」という意味で登山家の間で呼ばれるようになった場所だ。

デスゾーンでは、すでに300体以上の死体が転がっているとも言われている。

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遺体の回収が困難なため、そのほとんどがそのまま放置された状態になっている地域。

ノーマルルートでさえ、デスゾーンに入れば、嫌でも死体を目にするという。

むしろ、その死体の位置を目印にして進むというほどだ。


ここで、

なんでヘリコプターを使って回収してあげないの?・・と愚問を投げかけてはいけない(笑)

ヘリコプターの原理は、空気を使って揚力を得ているのだ。
気圧が低すぎたら安定して飛ぶ事ができない。

せいぜい、飛べたとしても、標高6000mくらいまでが限界と言われている。
(もちろん、天候や風にも大きく左右される)

実際に、標高5300mにあるベースキャンプ付近に墜落したヘリコプターの残骸が二機、今も残されたままとなっている。

こちらがその一機
IMG_09451.jpg


じゃあ、仲間が背負って下山する?

NO WAY!


地上の三分の一しか空気がない領域では、呼吸は速くなり、消化器官は機能せず、ただ滞在しているだけで疲労は増していく。

つまり、酸素を補給するスピードより、消費するスピードの方が速いってことになる。


そんなところで、少なく見積もっても・・50~60キロもある死体をどうやって背負って降りる?

in the deathzone


比較的ラクと言われている、ノーマルルードだって・・何が起こるかわからないのだ。

山頂付近では100m進むのに1、2時間かかると言われているし、キャンプの200m手前で遭難するという事だって起こっている。


酸素ボンベが故障したり、途中で酸素が切れることだってあるだろう。
ザイルが切れないとも限らない。

体力があったとしても・・足を滑らせたり、突風や雪崩、突然のブリザード・・危険は隣りあわせ。

大ベテランのシェルパだって、そんなところで吹雪きにあえば、自分を守るため、先に山を降りてしまうという。
それは当たり前。


そのような環境下で、人を背負って下山するのはまず無理。

死にそうになっている人を助けたくても見捨てざるを得ないのが、デスゾーン。

動けなくなった人は見捨てる。
歩けなくなったら、終わりと思った方がいい。



topof themountain


疲労のため、頂上を目前にして動けなくなった女性が、

「私はここに残るから先に登頂してきて。 戻ってきたら一緒に下山するから」

そして仲間が戻ってきたときは、その人は両足とも凍りつき自力で立つことも出来なかったという。

なんとか立たせようとしているうちにも、仲間たちの息切れが激しくなる。 酸素の残量もなくなってくる。

結局、仲間たちは後ろ髪を引かれる思いで、彼女を見捨てて下山していった。




または、最愛の人を残して行かれずにその場で一緒に死を選ぶ人もいる。

人それぞれなのだ。


この話も有名だ。

疲労で動けなくなってしまった女性を見ながらも、何十人の人が通り過ぎていったけど、誰も助けなかったという話。



これは・・のちに多くの人々から避難を浴びることになったという。

しかし、それはデスゾーンを知らない、地上人の常識世界から出た非難だ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まだ、息のある人を助けようとしないのは残酷だ、という人も多い。

しかし、それを残酷というならば・・

「お願い助けて! 見捨てていかないで!」

と、懇願する人の方が、もっと残酷かもしれない。


状況を百も承知の上で、あなたの命を私のために頂戴!と言ってるようなものじゃないだろうか?

人の心情を思いやる気持ちが残っていれば・・決してそんなことは言えないはずなのだ。




多くのアルピニストたちも、必ずといっていいほど、こういったシーンに遭遇するという。

みんな仲間を失ってきた人たちばかりだ。

そんな一人から、こんな話を聞いた。

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歩けなくなって死を覚悟した仲間が、

「先に行ってくれ! 大丈夫!あとで追いつくから先に行っててくれ!」
と言ったという。

もう立ち上がることも出来ず、追いつけるはずもない。
どこが、大丈夫だよ!


そんなことは二人とも無言のうちにわかっている。


しかし、死にゆく仲間は、友人を生還させるため、また、少しでも罪悪感を感じさせないために・・

「あとで追いつくから」、と言ったのだった。




「仲間を残し自分が生きる覚悟をした」アルピニストは、「生きる」ことを真摯に感じるようになったという。



理屈でわかるのではなく、感覚で「死」と「生」がわかるようになるのだという。


むしろ、安全な世界でずっと過ごしてきた人たちより、彼らの方が「必死に生きること」を思えるようになるのかもしれない。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「必死に生きること」とは、裏を返せば、「死ぬ覚悟」が出来ているということかもしれない。


デスゾーンに挑戦するということは、

「真摯に生きようとする意思」と、 死ぬときがきたら「満足して死んでいく」

たぶん、この二つが要求されることかもしれない。


現実的な話になるけど・・

アルピニストのほとんどが、資金をスポンサーから提供してもらう人が多いという。

登頂に成功すれば、あえてメディアに露出して、さらに多くのスポンサーをつけるようにしていく。

そうしなければ、よっぽどの大金持ちでもない限り、続けられないのが現状だからだ。

もちろん、スポンサーが出資するのは、それがビジネスに結びつける目的があるからだ。


中には、難波康子さんのように、スポンサーを持たずに自分の資金と休暇を使って登る人もいる。


こういった人は、ほとんど世間では知られず、無名な人が多い。


どっちにも利点もあれば欠点もある。

多くのスポンサーがいたり、メディアに露出すればするほど、おカネは集めやすくなるだろうけど・・
人間界からのプレッシャーが多くなるのも確かだろう。


デスゾーンに入れば、そこは人間界じゃないのに・・(笑)

The-Wildest-Dream_Death-Zone-Film-Still-1.jpg


それでも、人間界のプレッシャーを引きづってしまうことも多いのかもしれない。


それもまた、人それぞれ。

ただ、最期をどうやって迎えられるか?

それが、大きなポイントになる。


遭難して、もう誰も助けてくれないし助けられない。

そうなったときに自分で納得できるかどうかだ。


自分で命をかけてここまで来たんだから、これで満足と思えるか・・

助けてくれなかった人を恨んで死ぬか・・神を呪うか・・

やっぱ、こんな仕事受けなきゃよかったって後悔しながら死ぬか・・


最期に、これで本望だ!と思わなかったとしたら・・それほど不幸な死に方はないだろう。


死をみつめるということは生をみつめること



本来、そんなことは、地上界だって同じことなのだけど、

恵まれた人たちは、死も知らず、痛みも知らず・・

そして、「酸素のありがたみ」すら知らずに生きているのだろう。

エベレストでトップ・オブ・ザ・ワールドを目指す人々

少し前に、エベレストという映画を観た。

everest3d.jpg

2015年に制作されたアメリカ&イギリスの映画。
これは、1996年に, 実際にエベレストで起きた大量遭難事故の実話をもとに作られている。

さすがに・・3D映像のカメラワークには息を呑むばかりのド迫力。

この映画はセットも使わず、役者にはヘルパーもつけず、彼らは重い荷物を各自が背負い、まさに撮影も命がけだったとか。

そのせいか・・鬼気迫るものがあった。



実は、この遭難事故の映画化は、今回が初めてではない。
1997年にも、アメリカ映画として DEATH ON EVEREST (日本名: エベレスト 死の彷徨)というものもあったし、その他、多くの出版物も出回っている。

こちらはYoutubeにもアップされていたので、ご興味のある方はどうぞ

『エベレスト 死の彷徨』 DEATH ON EVEREST 1/6

エベレスト 『死の彷徨』 DEATH ON EVEREST 2/6

『エベレスト 死の彷徨』 DEATH ON EVEREST 3/6

『エベレスト 死の彷徨』 DEATH ON EVEREST 4/6

『エベレスト 死の彷徨』 DEATH ON EVEREST 5/6

『エベレスト 死の彷徨』 DEATH ON EVEREST 6/6

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エベレストは、チベット(中国)側とネパール側にまたがる、8848mの山。

Mount-Everest.jpg


世界一の高さを持つ山のせいか、登山愛好家にとっては、なんとか登頂に立ちたい!と切望する人たちも多いのだろう。

なんせ、まさに・・頂上に立つことができれば、TOP OF THE WORLDなんだから。



エベレスト登頂を目指すには、いくつかのルートがある。


特に一般的なのは、

●ネパール側からの南東稜ルート (赤い線) South Col Route


●中国側(チベット側)からの北稜ルート (青い線)North East Ridge Route


adventure1.jpg
https://blogs.yahoo.co.jp/discus11199/14857023.html

この二つのルートは難易度が低く登頂率が高い。 そのため山頂を目指す多くの登山者が利用する。

とくに、サウスコルルート(南東稜ルート)は、ノーマルルートと呼ばれるほど、比較的ラクだし人気のあるルートだ。(赤線のルート)

拡大したものが、こちら
  ↓
pic07_01.png

通常のエベレスト登山期であれば、ここは熟練の登山ガイドによりルートにロープが据え付けられ、氷の割れ目にははしごが設置されている。

だから、それに従って進んでいけば、アイスフォールクレパスも抜けることができるので、苦心して自分でルートを探しながら進む必要はない。

だから、比較的ラクと言われている。


しかし・・比較的ラクとは言っても・・

C4の場所、つまり、テントが張ってある4番目の場所、
(サウスコルと呼ばれる標高7900mにある平地に、最後のテントを設営する)

ここを出発したら、そこはデスゾーンと呼ばれる場所になる。

デスゾーン:標高8000m以上は空気は地上の三分の一、何もしなくても疲労していく領域のこと。




通常は、ここからは酸素マスクをつけ、酸素ボンベを背負って行動することになる。

酸欠になると・・頭痛、吐き気から始まり、頭がパンパンに腫れ上がり浮腫を起こして死に至ることになる。
心筋梗塞や脳梗塞とも似ているようで、たとえ助かっても障害を持つ場合もあるらしい。





いかに、ラクとはいえ、それでも最低限度の体力は必要。
    ↓

サンシャイン60ビルの60階展望台が226mなので、この約4倍の高さ、これを階段で上り下りできる体力。
しかも、背中に酸素ボンベを背負うので大きな負荷にも耐えられ、また標高8000m以上のデス・ゾーンでは、体の機能が著しく低下するので、それも考慮に入れた上の体力ってこと



それに、まずは・・酸素の薄い中でも大丈夫なように、時間をかけて体を十分に慣らしておかなければならない。
(慣れるか慣れないかは、個人差があるらしい。)


この2つがクリアーさえできれば、おそらく初心者でも、登頂できる可能性はあると言われているのが、このサウスコルのルートだ。



しかし、この遭難事故は、サウスコルルート(南東稜ルート)で実際に起こってしまったのだ。


それほど技術的には難しいものはないルート、しかも、ちゃーんとガイドが率いる公募隊登山だったのに。




何故このような事故が起こってしまったんだろうか?

映画をみて、Wikiの記録を見れば詳細はよくわかる。
      ↓
1996年のエベレスト大量遭難_Wikiより


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その理由を簡単にまとめると・・


まず、

●これは公募隊だったこと

登山参加者はお金を払って、参加者全員でグループとなって登頂を目指す。
簡単に言えば、ツアーガイド会社に申し込んで、引率者がお客を連れていくようなもの。

そのため、登山一筋ン十年というベテランもういれば、週末やバケーションのみで楽しむ愛好家、一度トライしてみたかったんだよね~という者などもいて、

登山経験の知識、体力も・・実にばらつきがあった。


ガイドは、こういったばらつきをまとめて頂上へ導くのが仕事だろーが!と言ってしまえば簡単だけど、

そこは、8000メートルを超える世界、通常の人間界では無いのだ。


●一行は最終キャンプを深夜に出発して山頂に向かう。 そして日が暮れないうちに帰る必要がある。
(通常、山頂まで行って戻ってくると12時間~18時間はかかるため。
つまり深夜に出発しても、キャンプまで戻ってこられるのは昼を過ぎる。
午後からは天候が変わりやすく、夜になれば、さらに危険度は増す)



実際に、もしも山頂に到達できなくても、「午後2時になったら必ず引き返すこと」、というルールを決めて全員に言い渡していたのだ。

もしも、頂上が残り50m先に見えていたとしても、諦めて引き返すこと・・という厳しいルールを設定したいた。


ところが、記録を読むと、一番最後に頂上に到着したメンバーは、午後の3時過ぎで、降りはじめたのが4時半頃とされている。

ぜーんぜん、ルールは守られなかったということだ。


この状況を考えてみると・・

前日の夜中の12時から歩き始めて山頂までの片道で、なんと、15時間も費やしてしまったことになる。
(いろいろと予期せぬハプニング、アクシデントのため、こんなに時間がかかっちゃったらしいが・・)

しかも、帰りはまた同じ道を戻らなければならないのだ。

いったい何時間歩き続けることになるのだろう?

日中で天候が良くても平均気温がマイナス25度、酸素量は3分の1と言われている場所で。


通常の地であっても、24時間歩き続けるのは大変なことなのに、 デスゾーンでは不可能としか思えない。

実際のところ、事故は帰りの方が圧倒的に多いという。

極度の疲労と酸欠状態のために朦朧として、注意力散漫となり事故死する者、または・・体力の限界が尽きて、単に疲労のため命を落とす人も多いという。


なんだって・・それだけ、厳しい2時ルールを決めてたのにもかかわらず、

チームを率いるガイドでさえも、2時を過ぎても彼らを押しとどめなかったのだ?




そこには、人の事情ってものがある。

実際のところ、公募隊に参加するには、多額の費用がかかる。
1996年当時、6500ドル(日本円で700万円弱ってところか・・)

おまけに、休暇を使って来ている以上、帰りのチケットを買ってる人もいるだろう。


山頂が見えていれば、参加者の心理としては、きっぱり諦らめるのは、かなり難しい。
せっかく、ここまで来たのに、すべてを無駄にしたくない!と思うはず。

また、

ガイド側にしたって、なんとかしてでも,、彼らを登頂させてあげたいと思うものだ。
心情的にもビジネス的にも。

多くの人が登頂成功するほど来年のビジネスにも繋がるわけだから。



その結果、

疲労困憊して、体力を使い果たしてしまった上、猛吹雪に見舞われ、さらに夜になって道に迷い・・ついに、こういった事態を招いてしまったのだ。

ガイドが顧客の体力をしっかりと把握して、きっちりと下山の支持を出していれば、この事故は防げた可能性もあったとは思う。



事故だけは防げただろうけど、おそらく全員が登頂することはまずムリだっただろう。


その理由を見ると、

●リーダーのシェルパに、お客がかなり重い荷物を担がせていたこと。
(それも、登山には不要なもの)

●さらに、歩くのが困難になった客に、腰縄をつけて引っ張って歩いてあげたこと。(親切ちゃー親切なんだけど・・)

そのせいで、体力に限界がきてしまい・・

●最後の難関場所の、ヒラリーステップに、彼がロープを張る予定だったが、それが出来なくなってしまったこと。



そういったことで、大幅に時間がオーバーしていってしまったのだ。

ヒラリーステップというのは、初登頂のエドモンド・ヒラリーが最初に切り開いたとされる標高8760mにある約12メートルの岩場。
これを登り切れば頂上・・というところに位置している。

近年では残置されている新旧のロープが入り乱れている状態で、新しいロープに昇降機(ユマール)を取り付けて体を持ち上げながら、登っていく。
ただし、メチャメチャ岩の足場が悪い。

1953年5月29日午前11時30分(ネパール時間)、エドモンド・ヒラリーと、シエルパーのテンジン・ノルゲイが人類初となるエベレスト山頂到達に成功
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おまけに、登頂を果たして、いざ下山しようとすると渋滞も起こっていた。


ヒラリーステップの渋滞
    ↓
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ここは誰もが目指す人気ルート、 しかもシーズン中ならば、人も多い。
なので渋滞が起こるのだ。


しかし、平地の渋滞ならば、文句を言いながらも待ってれば危険はないけど・・

神の領域では、寒さで体が麻痺してくる。 帰りの時間は刻刻と過ぎていく。
待つことも命がけなのだ。



チベットではエベレストのことを「チョモランマ」Chomo-Lungmaと呼び、
ネパールでは「サガルマータ」Sagarmathaと呼ぶ。


地元のシェルパ族は、女神が住む世界だという。


彼らもまた、日本の山岳信仰と変わらないものを持っているのだ。



その女神の世界に、地上の世界さながらの渋滞が起こるとは・・

人々は8000メートルの女神の世界にも、地上の意識を持ち込んでしまうのかもしれない。


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こんな誰でも登るようなルートは、真っ平だ。
エベレストにまで来て、渋滞なんか見たくない!



そう思うなら、別のルートを行けばいいってことになるのだが・・当然、危険はさらに増すことになる。



夢枕獏による小説で、神々の山嶺(かみがみのいただき)というのがある。

2016年に映画化もされたし、ご存じの方も多いかもしれない(私は、映画は見てないんだけど・・)
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 「神々の山嶺」の主人公が目指すのは、南西壁と呼ばれるルート

 文字通り南西に存在する岩壁を登るルート。

いきなり・・崖なのだ。

ロッククライミングの技術も必須ってことになる。。。


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キャンプ2と南西壁


神々の山嶺は、 南西壁からエベレストの山頂を目指す一人の登山家の話で・・

ただでさえ難所であるのに、主人公の羽生は冬季・単独・しかも無酸素でこの南西壁を目指すのだ。


このルートは、想像を絶する困難さだと言われている。



しかし、実際にこのルートを使って登頂した人がいないわけではない。

 ・1975年 英国隊 初登頂

 ・1982年 ソ連隊 登頂

 ・1988年 チェコスロバキア隊 1名登頂 下山途中全員死亡




ただし、単独で登った人はいない。


もしも、単独で登るならば、隊でルートを確保し、キャンプをあげて南西壁を攻略するところを、
自らの力だけでルートを切り開き、氷の割れ目を迂回し、氷壁を乗り越えていかねばならないということになる。



じゃあ、単独では無理か?といえば・・
チベット側からのアプローチならば、単独で登った人もいる。


エベレスト登山史上、単独で登頂したとされるのは

イタリア人のラインホルトー・メスナー(Reinhold Messner)
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そしてイギリス人のアリソン・ハーグリーブス(Alison Hargreaves)
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単独がどれほど、困難なものか?

そもそも、南西壁ルートは、壁攻略だけではないのだ。


こんなアイスフォールを、どうやって一人で正しい道をみつけて進めるというのだろう?
   ↓
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ここを抜けられる個人が現実にいるのだろうか?



また、南西壁から無酸素登頂した人も、いまだかつていない。



別のルートならば、無酸素登頂をしている登山家もいるし、日本人でも数名いるそうだが・・。

酸素ボンベの重さは、3.5×2が背中にかかることになるけど・・
その分素早く行動できるし、疲労感が軽減される。

酸欠状態になれば、体力は失い、思考力はなくなり、あっと言う間に道に迷うか・・
浮腫を引き起こせば死に至る。

また酸素不足は凍傷を引き起こしやすくなるそうだ。



単独・しかも無酸素でこの南西壁で成功したとすれば・・それはもう、人ではないのかもしれない。

人ならば・・前代未聞の快挙となることは間違いない。



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こちらは、山下健夫さんという登山家が単独で登頂に成功したときの、彼自身がハンディカム片手に命がけで撮った映像。
もちろん、南西壁ルートではないけど。
    ↓


これを見ていると、

未熟な登山者が崖を登れず、最期の力を振り絞って、そこで息絶えてしまった様子や、

横向きで死にかけている(すでに死んでいる人?)を、見捨てて進んでいく様子もよくわかる。

実際に、放置された死体も多いそうだ。

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ここは、地上の世界とは全く違う世界。

誰も手を差し伸べる余力はない。

それを、非人情だと言って非難するのは、人の住む地上の世界だけなのだろう。


神の世界は生と死は隣りあわせ
ここでは、助けてくれ!と人にすがることも、人を助けることさえも許されない世界なのかもしれない。



人は決して山に登ってはいけない。
そこは、神の住まうところだから。


これは、日本の山岳信仰でも、よく聞く言葉だ。


チベットでも、聖なる山に登るのは禁忌とされるそうだ。

ブータンでも、1994年 宗教信仰に反するという理由から6,000m以上の山への登山が禁止となったという。


それでも、高い山をみつけて登頂しようとするならば、

人里の意識を全て捨てて、極限状態で生死を見つめに入るしかないのかもしれない。
生死も神にゆだねて。


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ふと、そんなことを考えていた日だった。

エベレストで遭難死した栗城史多さんのニュースを聞いた。

私は、この人のことは全く知らなかった。


しかし、ニュース記事を読む限りでは、

彼は、単独・しかも無酸素でこの南西壁に挑戦し続けていたという。

神々の山嶺へ。

参考
節約旅行.info
エベレスト南西壁の難しさ。

「日本の不可思議な風潮」に宿るあまりにニーチェ的な・・・

アメリカ人の相撲ファンという人が、

「日本の相撲の世界はヘンだよ! 強い力士をバッシングをして引退に追い込むって傾向があるね~。 
とくに外国人力士に対しては、僕には偏見があるとしか思えないんだ!」


と言っていた。

私は相撲については、まったくといいほど知らない。

でも、まあ それでも・・ちょっとしたニュースくらいは耳に入っている。

横綱・朝青龍は、夏巡業休場中に母国モンゴルでサッカーをしていたことがバレて出場停止、
土俵上でのガッツポーズしたとか、酔っぱらって暴力をふるったとかで・・強制引退させられた。

横綱・日馬富士も、強制引退
去年だったか、力士同士の飲み会席で喧嘩になり、相手を殴って流血騒ぎを起こしたのが原因。

横綱・白鳳は、「張り手やかち上げを使った横綱らしくない勝ち方をする」、品格が備わってない・・と言われてる。



相撲に詳しい彼は、こういった事件のことを嘆いているらしい。

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こういったニュース記事だけを見れば、いかにも罪状明白ってカンジがするんだけど・・

相撲を知らない私にも・・・ちょっと考えてみると、いろいろな疑問も湧いてくる。


暴力事件における詳細もわからないし・・
ルールブックに載ってる勝ち方をして何が悪いんだろう?
品格って何?




そんなことを考えているうちに・・

最近の日本の「不可思議な風潮」を思い起こしてしまった。



芸能人、アナウンサー、俳優や歌手・・名の知られた人たちは、何かあれば、すぐにバッシングの対象にされるという風潮


ここ数年の芸能人の「不倫問題」「暴力問題」、つい最近では「わいせつ行為」?だったかな・・そんなのもあったなあ。

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相撲といえば・・・横綱・日馬富士は、たしか今年の1月に引退させられたんだっけ。

力士たちとの飲み会で、酔っぱらって喧嘩になり、相手に怪我をさせたのが原因とされている。



たまたま、それをTV座談会でやっていたのを見たことがある。

そこで、

「ビール瓶」で殴ったかどうかが問題になった。

すると、一人のコメンテーターが、こんなことを言ったのだ。

「ビール瓶で殴ったかどうかは問題ではないでしょう。
暴力そのものがいけないんだから、当然、厳重処分にすべきだ。」


すると・・一同、うんうん、と頷く。


これを見て、私は唖然としてしまった。。。

これじゃあ、まるでキリスト教原理主義者、イスラム原理主義者と変わらんじゃないか!

原理原則を持ち出して刀両断にしちゃうんかい?


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そこに、どうゆう経緯があって、どんな事情があり、どうゆう結果になったかなんて、どーでもいいってことか。

問題は「暴力をふるった」ってことだけ?

じゃあ、そもそも、座談会なんかやる意味さえもないだろ!


このコメンテーターに限らず、ここに・・昨今の日本人の風潮を見たような気がしたのだ。


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ずいぶん昔のことだったけど・・私の小学生時代を思い出した。
   ↓

ひどく内気で勉強も出来ない女の子がいた。
おまけに家もビンボーらしく、いつも同じ服を着てるような子。

その子を、ある男の子がイジメていた。
その男の子の家は金持ちで、まあ、ドラえもん世界で言うところの・・スネ夫かな。

そりゃもう、ひどい言葉で・・汚い、バカ、臭いとか・・。
オマエが頭が悪いのは、オマエのパパもママもバカだからだ、だから貧乏なんだとか・・。

女の子は泣きそうになりながらも、必死に耐えている。


そこに助け舟が登場。

クラスで一番の腕力の持ち主・・・かりに、ジャイアンとしておこう。(←ますます、ドラえもんワールドになってきた)

「やめろよ! 女の子をイジメやがって!」

まさに、正義の味方!

ところが、スネ夫はひるまない。
ジャイアンのこともバカにしてるから。

「僕は本当のことを言ってるだけだもんね。」

ますます、その女の子に顔を近づけて、汚い! 臭い!と顔をしかめてみせた。

ついに、怒ったジャイアンが割って入って、スネ夫を押しのけたのだ。

別にグーで殴ったわけじゃない。

えい!って押しのけたら、スネ夫が吹っ飛んで転んでしまったのだ。
なんせ、ジャイアンは力持ちだから。

スネ夫は泣きながら、先生に訴えたのだ。

「ジャイアンが僕に暴力を振るいました。
僕は突き飛ばされて、怪我をしました。」と。

怪我ったって、椅子にぶつけたかすり傷と軽い打撲だったけど・・

そこで、先生がどう言ったか。

暴力をふるったんだから、ジャイアンが悪い。
どうゆういきさつがあったにしろ、暴力をふるった方が悪い。
スネオに謝りなさい!


だった。

この判定にブチ切れたジャイアンは、午後の授業を放棄して家に帰ってしまった。

*後日談として、この事件は学校問題にもなり、この担任の先生がジャイアンに謝ることになった。





暴力を振るった方が悪い?

じゃあ先に「言葉の暴力」を振るったスネ夫はどうなんだ?


以前のブログ記事、
   ↓
脳が幸せを感じるしくみ

この中で、アミット・ソッド博士(Amit Sood)の述べた内容をアップしたことがある。
   

脳は、心の痛みと身体の痛みの区別がつかない

たとえば、嫌がらせや中傷されたりして心を傷つけられたとき、その痛みは、肉体的にトゲが刺さった時の痛みと同じ。

たとえば、心が壊れた時の痛みは、骨が折れた時と同様の痛みと同じ。

脳にとっては心の痛みも身体の痛みも区別が無しの同じもの。




スネ夫が受けた打撲と軽い傷は問題にされたけど・・女の子が受けた精神的暴力は無視されたことになる。

それは、骨折に値するような心の傷だったかもしれないのに。

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なにがなんでも、「暴力」というものだけをカテゴリー化して、一刀両断にするというならば、どうすればいいのだろ?

もしも、これが小学校じゃなくって、大人の世界だったら?



バーで女性が、失礼な男に絡まれていたとしたら・・どうすりゃいい?

言葉で注意しても、ますます図に乗るだけで、ちーーとも相手が聞き入れないでエスカレートしてきたとき。
(だいたいが、こうなるパターン)


警察に訴える?・・そんなことで警察は動くわけがない。

じゃあ、

見て見ぬフリをして関わらない。

相手の暴力(言葉の暴力でも肉体的な暴力でも)をひたすら我慢する。

その女性を連れてその場を逃げる。




それなら、たしかに「問題を起こさない」だろう。


だけど、見て見ぬフリができない人には、到底それはできない相談だ。

なんで我慢して、なんで、こっちが逃げなきゃならないんだ?

正義感があるヤツならば、そんなことはできない。

で、ジャイアンのような男は、すぐに傷害罪やら器物破損罪で訴えられて世間から抹殺されてしまう。


「品行方正」とは、何の問題も起こさないこと=見て見ぬフリができる人のこと?

そんな疑問さえ浮かんでくる。

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こうゆうのは、昨今の風潮だと思うのだ。

昭和の時代、それも・・私の父の若かった頃は、おかしな武勇伝?もいっぱい聞かされた。

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父は平凡なサラリーマンだったのだが、路上で喧嘩して相手の鼻の骨をへし折ってしまったことがあったとか。

父の友人はもっとすごい。・・・この人は超一流会社にお勤めのエリート社員。

普段はもの静かでマジメなサラリーマンだったようだけど、ヤクザと喧嘩して相手に何針も縫うような怪我をさせてしまったとか。

もちろん、素手で。
相手はナイフを持ってたらしいけど・・。

いったい・・どんな格闘技をやってたんだか・・。


当然、警官が飛んできて、その場で事情を確かめると、

「もう、しょうがないなあ~。 今回は厳重注意ってことにしときますけど、いくら酔った勢いとはいえ、喧嘩は謹んでください。」

で、終わってしまったそうだ。



当然、この話は会社にも知れ渡ることになって・・武勇伝としてもてはやされたという。

役員たちも・・

「しょうがないヤツだよなあ・・でも、若いときはそのくらいの元気がなきゃ。」

「それにしても、ヤクザ相手に素手でボコボコにするとは、アイツもやるなあ。 見上げたもんだ!」

見上げたもんかどうかは知らないけど・・(笑)


今だったら、

マスコミが嗅ぎつけてきて、大スクープとなる。
会社役員がTVカメラの前で陳謝
人々のバッシング、ネット上は大炎上
会社員を擁護した人までバッシングを受ける
会社はイメージダウン
本人はもちろん、首で、再起不能まで叩きのめされる




だからこそ、現代人の多くは「見て見ぬフリ」をすることにもなる。


そんなものは時代が違うし、価値観も違うんだから、と言ってしまえば、それまでの話。


だけど・・少なくとも、今のような「暴力は悪」という、

単純な「善悪」だけを持ち出して一刀両断にジャッジするようなことはなかった時代だったと思う。
もちろん、暴力を擁護する気はさらさらないけどね~。


当事者同士の問題ならば、・・たとえば力士同士の酔った勢いの喧嘩だったら・・

たとえば・・横綱・日馬富士のケースなんかの場合など。
*これが当事者同士の問題にしなかった理由は、バックに相撲協会における派閥だとかドロドロしたものが絡みついていたのだろうけど・・


おそらく・・
「示談」で済ませるということの方が多かったように思う。

相手に医者に行く怪我を負わされたとしても・・(格闘家にとっての流血事件は我々一般人と一緒にはならない。)

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「ごめん! あんときは、つい、頭に血が上ってやり過ぎちゃった。」

「いいってことよ! 俺の方も、酔っぱらってたし、悪かったんだからさ。」



問題となるのは・・

そこに悪意、殺意が込められていたか?

それとも、寄った勢いで暴れてバカやっちゃったのか?


この二つは、根本的に別だと思うのだ。



しかし・・現代は、こんなことでは済まない。

「暴力」という言葉だけに、フォーカスされてしまう。

情状酌量(ジョウジョウシャクリョウ)という言葉もあったけど・・

現代人には通用しないようだ。


やり玉に挙げられた人間は、何もかも失うまで叩きのめされる。
たった一度の過ちでも許されず、人生そのものを抹殺されかねない。

そこまでの罪に価することをしてるんだろうか?


そもそも、一度も間違いを犯さない人間なんていないと思う。
もしも、いたとしたら・・よっぽどの「事なかれ主義」を通してきた人としか思えない。





ここまでしてしまう理由を聞けば・・

「事をうやむやにするのはいけないから」

「世間に公表して徹底的に懲らしめる必要がある」


ということらしい。


これは、

「正義の名のもとに行われる、ただの嫌がらせ」って場合もあるかもしれない。

たとえば、世間の人気者に対する「うらみ・ひがみ」から出たもの。



または、

アイツは「悪い」んだから、「罰を与えて抹殺して当然」と思ってる人。

むしろ、こっちの心理の方がもっと不気味、薄気味悪い。

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善か悪か、白か黒か・・右か左か・・・

完全なる二元論。


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つい、最近ブログにアップした、ニーチェのことを思い出した。

エリーザベト・ニーチェとその兄貴&ヒトラー(その1)

まさにニーチェも、善か悪か、右か左かの人だった。


宗教的道徳を、奴隷道徳として称して憎み、本来持つ「欲望」を直視して突き進め! 
「道徳や秩序より己の意志に従うべし」 それが超人だ!
超人となれ!


それらを、熱く、強烈な言葉で語った人だ。


たしかに・・一理はある・・・とは思う。

だけど、私には納得できないものも多々ある。


かつてのキリスト教が奴隷精神を作り上げて、統治国家を作り上げた側面もあることもわかる。

「秩序」を通して「平和」を作り上げれば、支配者はますます国民や信者を支配しやすいし、それこそが支配者の狙い・・それもわかる。


●しかし、もしもあらゆる人々が、ニーチェの言うような・・

欲望を受け入れろ!意思で生きろ!・・で突っ走ってしまったら・・・

危なくって外にも出られなくなるだろう(笑)



●キリスト教の教義に対して、受け入れられない部分を批判するの結構。

だけど・・彼は ドクトリン doctrineではなく、はっきり、「道徳」 Moralという言葉を使って批判してしまっている。


そもそも、宗教や道徳が、ひがみ・ねたみ、卑屈さから生まれたとは思えないのだ。


後の世で、いくらキリスト教が歪められてきた歴史があるにせよ、


少なくとも、イエス・キリストの説いたものには、ひがみも、ねたもみも、卑屈さも感じられない。

人類の罪を一身に背負い、あの、残酷なまでの・・十字架刑にまでなった人だったんじゃないだろうか。

そこには、むしろ、「強い生き様」や気迫さえ感じられる。

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ニーチェは、「超人思想」を説きながら、いったい、どんな自分になりたかったんだろう?

ふと、そんな疑問が湧いてくる。


世界に名をなす英雄か? 大実業家か? 世界の王を目指すのか?



ニーチェは発狂する前に、すでに・・おかしな手紙を送っている。

「わたしはこの世で最高の名士になるでしょう。 わたしには、政治的な力があります。
わたしは王子たちにローマで会議を開くように命じました。若い皇帝がだれかに撃ち殺されるのが、わたしの望みなのです」

1888年12月、スウェーデンの作家ストリンドベリに送った手紙より
ストリンドベリは異常なまでの人種差別主義者



ん?  なんだこりゃ!

その手紙のサインが「ニーチェ カエサル」だったそうだ。

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ん? いつから、キミはカサエルになっったんだ?


すでに、狂人の兆候があったのかもしれないけど。


彼が夢見ていたもの、目指したものは・・

カサエルのような、「君臨する権力者」だったような気がしなくもないのだ。

彼の心にあったものは・・以外にも・・単純な権力への憧れ?
(こんなことを言うと、ニーチェファンに袋叩きにされそうだけど・・・)


ガラス細工のように心の弱い男が、望んでいたものは、それだったのかもしれない。

しかし、頭が優秀な彼には、「なりふり構わず、カネと権力と武力で押し切れ!」な~んて言葉の羅列はできない。

きっと、彼のプライドが許さないだろうし、良心の呵責やら、なにやらいっぱいウジウジとしたものが渦巻いていて・・

結局、「道徳や秩序より己の意志に従うべし、それが超人だ!」という言葉にいきついたという気がする。



無理やり、自分自身を鼓舞して・・

でも現実は、やっぱり・・
誰にも見向きもされずに本もまったく売れない。


そこにあったのは・・

挫折感と絶望・・
でも自分のプライドも力への憧れも捨てられない。


文通相手のストリンドベリも、また似たようなタイプだったのかもしれない。

返信文↓
「わたしは狂いたい、狂いたい。 ともあれ、狂うのは喜ばしいことだ」



実際、この二人は、相前後して気が触れてしまった。



「頭でっかちなだけの弱い男」にはありがちなパターンかもしれない。
      ↓

善か悪か、右か左かの振り子に自分自身すらも押し込め、執拗に振り切ろうとまでする。





さらに私は、ニーチェの本の中に、ひどく人工的な匂いを感じてしまう。

「魂から発した言葉」と、「自分の心を鼓舞するために発した言葉」とでは、伝わり方が違うのだ。



●彼の嫌う「奴隷」「凡人」・・・

その言葉のウラには、人種差別的な匂いさえも感じてしまうのだ。

もちろん、ニーチェは、リヒャルト・ヴァーグナーとコージマ夫妻のような人種差別者ではなかった。

しかし、身分や人種の差別ではない別の差別意識さえも感じてしまう。


「奴隷」「凡人」・・・
そのすべてが、卑怯者のルサンチマンだとは言えないだろう。


のーんびりした性格で強い意思さえなくって・・田舎で親の進めるままに結婚して子を作り、平凡に死んでいく人生・・

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それの、どこがいかんのだ?
・・と、つい反論したくなる(笑)



「道徳の系譜」という本だったか・・真実の山では登って無駄に終わることは決してないと述べていた気がするけど・・


では、「真実」の基準はなんだろう?

なにが真実なんだ? 

結局のところ、自分の魂で真実だと「感じた」ものでしかない。

真実なんて言葉を使うと、まさに、究極の客観のように思えるけど、これこそ、個人個人の主観でしかないと思う。

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欲望も意思も貫かず、分相応に地味~に生きるも人生

挑戦し続けて失敗して野垂れ死にも人生

大成功で権力を握るも人生


人の人生に、善悪、白黒の二元論を持ち出すべきものでもないように思うのだ。

自分の好きなキャラで、自分の真実に従って生きればいいだけだろう。

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最近の世相をみるにつれて・・

なんだかなあ・・・

ニーチェっぽい人が増えてるんかいな~という気がしてならない。


私には、やっぱり、ニーチェの「超人思想」は受け入れがたいものがある。

むしろ、妹エリーザベトの方が、天性の「超人」だったと思う。
ビジネスセンスにおいては、ピカイチだし・・。


ただし、どっちにしても・・お近づきにはなりたくない人たちではある(笑)


なぜなら・・

こういった二元論だけで生きていく人には感性がないから。

感性が育つはずもないのだろうけど。

感性がなければ、人類への愛もない・・・・そんな気がしてしまうのだ。


参考
「エリーザベト・ニーチェ―ニーチェをナチに売り渡した女」
Ben Macintyre (原著), 藤川 芳朗 (翻訳)

神の領域へ挑戦する人々(その2)

<<前回からの続き>>

◆マクロの世界とミクロの世界

人がもっとも憧れることは・・

本質を知ること、それによって未来を知ること

それが可能となれば、ヒトは「神」を超え、すべてを操れるときが来るかもしれない。

どんな占いよりも、予言者よりも・・
めざせ、的中率100%!



実際、たしかに、
マクロ世界のニュートン力学は的中率100%の予言者となった。(だからこそ人々は狂喜したのだった)

もしも違ったとしたら、そりゃ条件が変わっただけ。



ところが・・

ミクロ世界では「決定論」は成立しない。

当然、未来を予知することも原理的に不可能。




量子力学の「不確定性原理」が、それを数学的に証明してしまった。



いまだに、量子力学の「不確定性原理」は、多くの理工系学生たちを混乱させるという。

だって、「当たるも八卦(はっけ)当たらぬも八卦」を科学の世界で証明してしまったようなものだから。

atarumo.jpg


生まれてこのかた、ン十年も、ずーーと「太陽は地球の周りを回ってる。ありがたや~」と信じてきた人が、

ある日、突然「それ、ちゃうねん! あんたらが、地球が、太陽の周りを回ってるねん!」と言われたようなものだ。 それも、証拠を目の前に突きつけられて・・


にわかには受け入れ難い! ヒトの感情としてはとくに・・。

そういえば、一般相対性理論の創始者・アインシュタインはこの量子力学が大嫌いだった。

いや、むしろ・・敵意を抱いていたようだ(笑)

「神はサイコロはふらない」・・というのを理由にしてまで。



◆作り物、現実、仮想現実?

でも、マクロの世界でニュートン力学が通用するんだから、ミクロの世界なんて、どーでもいいんじゃね?
我々はマクロの世界で生きてるんだし!

なーんて大きな誤解をしないためにも、もういちど、ミクロの世界についておさらいしてみよう。


この世界の物質はすべて「原子」でできている。
さらに、原子を分解すると原子核と電子になり、原子核を分解すると陽子と中性子になる。

そして、この分解作業の最後に行き着くのが「素粒子」だ。


この素粒子の世界=ミクロの世界においては、
物質でもあり波でもある。

観測者が見ることで、いかようにも変化してしまう。



e1152d5e.jpg


まるで、幽霊じゃないか?

白でもあり黒でもある、固体でもあり気体でもある、動物でもあり植物でもある・・とでも言ってるようなものじゃないか!

おい!禅問答じゃないんだぞ!

ミクロの世界はミロクの世界?(おい!ダジャレてる場合じゃない!)


これは「実物」といえるんだろうか?


モノでもあり波でもあるもの。


「見えないし感じることもできなければ存在しない」と、思い込む人は多い。

たとえば、マクスウェル(James Clerk Maxwell 1831-1879)は電磁波の存在を予言した。

maxwell.jpg


しかし、人々は見ることも感じることもできなかったため当時は誰も信じようとはしなかったという。(科学者でさえ)

しかし、今では電磁波の存在を疑う人はいない。

電磁波を否定すれば、TVも無線機もGPSもスマホも全部否定することになるから。

同様に、幽霊だとか、輪廻転生・・なんてスピリチュアル系とされるものも、存在を否定できないってことになる。
(科学に重点を置き、存在を否定するならば、それを数式で証明しなければならない。)

むしろ、否定するより肯定したほうが、論理的に辻褄が合う場合だって多い。

・・・・・・・・・・・・・・・


さりながら・・見えない、感じないものの存在を認識するのは難しくもある。


まして、物質であり波であるものなんか・・。

oceanwave.jpg


これは、現実? 作り物? それとも仮想現実?

ここで、もういちど、プラトン流の世界観を思い出してみよう。

物質界の上に本物のイデア界が存在し、そのテンプレート(ひな形)として、物質界が実体化されている



・・・ とすれば、現実世界も「作り物」といえるのかもしれない。



仮想現実と現実世界・・その違いは?

現実世界の物は「実物」だが、仮想世界の物は作り物。

本物のバラの花と作り物のバラは触ればわかるじゃないか。

じゃあ、コンピューター映像の作り出すものは? そんなの「データ」に過ぎないじゃないか。

そんなの誰だってわかる「作り物」だと。




でも ・・・ 本当にそうだろうか?


現代のテクノロジーを持ってすれば・・人の五感を操りコンピュータ映像をリアルに思い込ませることだって可能。

バラにしたって、高度な3Dプリンターで作ったものはどーなんだ?

クローン羊ドリーは? 実物っていえるのか?

そもそも、「実物」って何だ?




実物と思い込めば実物になる・・ひょっとしたら、その程度のもの。

それが実物の正体?



◆仮想現実のTVゲームの世界



ふと思うことがある。

現実世界は、TVゲームの仮想世界となんら変わりはないのかもしれない と。

早い話が「作り物」であり、作り物である以上、「作った者が必ずいる」ことになる。


言い方を変えれば・・

我々が生活している現実世界、その上に上位世界がある。(←まさに、プラトンのイデア説)


子供が観察してる世界 >水槽の中で飼われているアリの世界

3Dプログラマー >ゲームユーザー





TVゲームの世界においては、3Dプログラマーは神の存在だ(笑)


シミュレーション系のゲームソフトで、シムシティ(Sim City)というのをご存知だろうか?

SIMSITY.jpg

ユーザーが市長になり、都市を開発するシミュレーションゲームだ。

このゲーム世界には、住宅地、工業地、商業地、発電所、交通網などのインフラがあるし、すべてが現実世界そのもののだ。

住民も現実そのもの・・道路が渋滞がすれば文句を言うし、わがままな住民もいれば、犯罪が多発すれば町を去っていく。その結果、税収が減り都市作りは滞る。

まさに、現実世界の都市がコンピュータ上でそのまんま再現されている。




これは、もうひとつの現実と言えないだろうか?


実際、3Dプログラマーは高度なプログラミングによって、空間とオブジェクトを、それこそ物理法則を適用して見事に3次元で操ってるわけだ。 

それがTVゲームの世界。


我々ユーザーは、その中で特定の役になりきり、そこにある「リアル感」を十分堪能することができるのだ。


しかも・・もしも飽きたらリセットしてやり直せばいい(←ゲーム界の輪廻転生)


しかし、

ユーザーは絶対に上の世界(S3Dプログラマー = 神)にはアクセス出来ないのだ。


神プログラマーは、いったい何の目的で、我々の世界を作ったんだろうか?

いくら、我々が必死の努力を重ねて、世界の法則の「仕組み」が理解できるようになったとしても、その「目的」だけはわからない。
永久に不可能。。。


唯一、その「目的」を知るのは創造者だけ。(人の限界・・)



◆プログラミングは、実行してみななけりゃわからん


またしても、ここで浮上してくる問題。

全知全能の神=3Dプログラマーならば、我々の知らない未来も、すべてお見通しなんだろうか?

だって、プログラミングしたわけだし~。 ぜーんぶ、どうなるか、ぜーんぶわかってて当然だよね?


で、プログラミングして、なんだって、それをわざわざ実行するんだろ?

3Dプログラマーならば、そりゃ、ユーザーが購入してくれて大儲けが目的だと想像がつくけど、

我々の上の世界の神プログラマーの目的は何?
「大儲け」が目的ってことはありえないから・・



そもそも・・プログラミングして結果がすべてわかってるんだったら、実行したところで何になるんだ?

まったく意味がないじゃないか!

うーーむ。


ちょっと待った!

ここで、突然気がついたことがある!

    ↓
現実世界では、SEがいて、プログラマーがSEの構想と指示に従ってプラグラムを書く。

その「プログラム」こそが、その世界を生成し更新していく。ものだ。


たしかに・・

もしも、そのプログラムを盗み出して解析できれば、次に何をするかがわかるし未来も予測できるってことになる。


ところが、そこが違う! そんな簡単にはいかない。

SEやプログラマーでさえ、プログラムが何をしでかすか正確に予知することができないのだ。

自分が書いたプログラムのくせに(笑)


それは、コンピュータ業界の常識だ。


すべてがプログラミングどおりに行くならば、(=予知できるならば)
プログラムに「バグ(誤り)」など、あるはずがない。

しかし・・・SEもプログラマーも声をそろえていう。
「仕方ないよ。バグってのはつきものだから!」


そういえば・・思い出すのが、マイクロソフトのWindows 8
Windows 7と比べて、評判は悪かった。


なぜなら、「特定の条件下において外付けHDDのファイルが消失する」ってことが判明しちゃったから。

ありえないだろ?

そんなもの、出荷するなよなあ!

しかし・・

「複雑なソフトウェアでは、すべてのバグを見つけるのは困難であるため、ソフトウェア会社は、発売後のサポートで対応するのが当たり前になってる」

これが常識!




つまり、プログラマーはプログラムを実行させてみて、初めてバグに気付く。

さらに、そのバグを修正すると新たなバグが生まれ ・・・ これを延々と繰り返さなきゃならないこともあるそうだ。

「デバッグ(Debug)」と呼ばれる作業がこれのこと。

プログラムは、実行してみないと結果はわからない。


つまり、

創造主=神プログラマーにも未来はわからないんじゃないか?
実行してみないと結果はわからないんじゃないか!




そもそも、プログラムを読むだけで結果がわかってしまうなら、プログラムを実行する意味がどこにある?

わからないからこそ、実行したのだ。


◆創造主とは?

おそらく・・それは「地球外生命体」によるところが大きいだろう。

ゼカリア・シッチン説によれば・・文明発祥の地、シュメールに秘密がありそうだし・・

リソパンスペルミア説:地球の生命が宇宙の彼方からやってきたという新たなる証拠が発見される(ロシア研究

なんてのもある。


我々の呼ぶ神とは・・高度な地球外生命体。

たぶん。。。


観察する子供 >水槽の中のアリ


同様に

高度な地球外生命体 > 地球人




しかし、それならば・・その高度な地球外生命体の世界は?

そのまた上の世界は、どうなっているのだ?

上の上の上の上の・・・世界があるのかもしれない。

「あるのかもしれない」というより、「ある」と考えた方がすんなりいくかも(笑)


なぜなら、我々の上の世界があって、そこで完結してるとは考えられない。



◆宇宙は無から誕生する? ビッグバンからか?

近代において、一般相対性理論の創始者アインシュタインによって、

宇宙が137億年前に「無」から誕生したことが分かっている。

BIG BANG

ところが、完全無欠に見えたこの理論にも弱点が浮上した。


一般的には、宇宙誕生の瞬間は137億年前に起こったビッグバン(宇宙大爆発)とされている。

のだが・・

じゃあ、ビッグバンの起こる前はどーだったんだよ?・・という問題が浮上する。


そこで、「無が支配する世界」な~んて言えば大変なことになる。

無から有が生じたことになってしまうから・・・。


これは、水槽のアリの世界は、 ある日突然、水槽が出現してアリも出現したのだ!といってるようなものだ。

違うだろ! 我々の世界があって子供がいて、その子が水槽を持ってきて・・作られたんだから。





同様に、現在宇宙に存在する膨大なエネルギーと物質が、宇宙誕生の瞬間に、突然湧き出たことになってしまう。。。

一体、こんな莫大なエネルギーや質量は、どこから湧き出たというのだ?


そこで、唯一考えられることは・

・この世界とはまた別の世界が存在し、それがこの世界に影響を与えている。ということ。


それは・・

「宇宙は創造主がつくったのであり、膨大な物質やエネルギーは、宇宙誕生の瞬間にさらに外から持ち込まれた」ことになる。


そうなると・・さらに上の上の上の・・・世界が存在する?

創造主の創造主の創造主・・がいる?

こりゃ、いったいどこまでいく?




または、この説に対する反論として・・

「虚数時間」を唱える科学者もいる。
     ↓
虚数【宇宙の謎】ビッグバン以前には何が存在したのか


これを極論してしまうと・・

●「宇宙の誕生」などなかった説

これが苦し紛れであろうとなかろうと・・こうやって辻褄を合わせる以外ない。


または・・前述したように、

●137億年前、宇宙誕生の瞬間に、宇宙の外世界からエネルギーと物質が持ち込まれたとする説


そこで、次の問題は・・、

このような大それたことができるのはどこの誰か?

高度に進化してしまった地球外生命体 または、神?



もう、こりゃ、堂々巡りだよな~(笑)


多くの科学者は・・研究を重ねれば重ねるほとに、またもという言葉にただりつく。


しかし・・神は大きくわけて二通りある。(念のため)

●信仰者が信じる「宗教上の神」

●科学者が疑う「宇宙の創造主」



けど・・ここでは信仰者の信じる神は無視


科学者は世界のしくみを知れば知るほど・・驚嘆することになる。

なんと無駄なく素晴らしい構造なんだ!と。

まさに、神の成せる業!と神の存在を身近に感じてしまうのだ。

感嘆し認めつつ、それでもやはり・・それを神に押しつけたくない気持ちが働く。


それが科学者のプライド、宇宙の誕生をなんとか自分自身で科学的に説明したい。

それが、科学者の性(さが)というものかもしれない。


・・・・・・・・・・・・・・

以前、私はこんな説を聞いたことがある。

地球人は

●他の星から移住して異星人が、地球の爬虫類を使って遺伝子操作で誕生させたものだ。

●複数の異星人が移住してきてハイブリッドになったのが地球人となった。

などなど。




結局、私の想像はここに行き着く
     ↓
たとえ、我々地球人が、どれほどの高度な知的生命体に作られたにしろ、上の世界の創造主に作られたにしろ・・

この世が上の上の上の・・・世界があって、

創造主の創造主の創造主の・・がいたとしても・・

すでに実行されてしまったプログラムの未来は、誰にもわからないんじゃないだろうか?


創造主の神プログラマーでさえ、予知できない世界。

はじめは、誰かに作られたとしても・・

今、この世界を作っていくのは、我々人間なのだ。と。





だからこそ、創造主も・・この世界がどうなっていくか、その変化(進化)を見ているのかもしれない。
見てどーする? 楽しんでるのか学んでるのか?・・・そこんとこは、わからないけど。


キーワードは、変化(進化)


神の前では無力と思われてきた人間だけど、我々人間が、神に影響を与えてることも確か・・・って気がしてきた。


神の領域に挑戦する人々が、これからまた、どんな発見をし、どんな進歩していくのか・・


私もまた、わくわくしながら見守っていきたくなってきた。

<<参考>>
http://tocana.jp/2016/12/post_11854_entry.html
スティーブン・ホーキング博士「宇宙は神が設計していない、自己創造するのみ」http://japanese.donga.com/List/3/all/27/312682/1
Maxwell's electromagnetic theory and special relativity

神の領域に挑戦する人々(その1)

現代人の人生の悩みは

「健康」「お金」「人間関係」の3つに集約されるとか。

ごもっとも。
・・と納得するものの、なんだか、小さいよな~と思ってしまうことがある。

人の人生なんて、たかだが70年~80年の平均寿命で、

狭い世界の中で生きて、その世界しか知らずに、そんなことで悩みながら寿命を終えるとしたら?


じゃあ、広い世界? もっと拡大して・・宇宙ってどうなってるんだ?


そーんなことを考えたことってないですか?

私は子供の頃にも・・そんなことを思い、今でもたまに考えます。(←いまだに子供かよ!とか、現実逃避かよ! と、非難されちゃいますが。)

・・・・・・・・・・・・・・・・

以前、大きな水槽でアリの飼育をしていた人がいて・・人といっても、それは10歳くらいの子供だったんだけどね。

ari_su.png

その子は、アリが迷路のような巣を掘るところを観察するのがとても面白いと言っていた。

「だってアリは外の世界を知らないし、僕が観察してることだって知らないんだよ。
面白いでしょ!」


そっか~。
人間も同じだ~!


と、思ったら、なんだか、メチャクチャ腹がたってきた。

クヨクヨと悩んでた自分自身に!
それを観察してるかもしれない・・誰かに!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ところが、アリさんたちの中にも、ある日突然、こんなことを思うヤツがいるかもしれない。

おい! ちょっと待てよ! 外があるんじゃね?
この外はどーなってんだ?



この世界(宇宙)はどのようにして誕生したのか?
この世界(宇宙)のしくみは、どうなっているんだろう?



◆プラトンから始まる

その一人が、プラトンだった。

アテナイのプラトン(BC427年 - BC347年)は、ソクラテスの弟子であり、アリストテレスの師にあたる哲学者だ。

中央左:プラトン、 右:アリストテレス
8-11-2015_plato_aristotle.jpg
https://humanities.blogs.ie.edu/2012/07/we-think-therefore-we-are.html

彼が唱えたのがイデア説
    ↓

物質界(この世)の上には、さらにイデア界があると考えた。

イデアとは永遠不滅の真実で、究極まで抽象化されていて、実体(実物)をもたない。

劣化することも朽ち果てることもない世界であり・・我々が住む物質界はイデア界がひな形になったものではないか?




古代ギリシャ・ローマの時代というのは、宗教も科学(数学・物理学・天文学・哲学)も共存共栄していて、(つまり、今のように・・学問のジャンル分けをされていない時代)

一人の人間が、さまざまな分野からのアプローチで答えをみつけようとすることも珍しくはなかった時代だ。



で、何のために?

そりゃ、やっぱ・・外の世界が気になりだしたから=真理の追究をしたかったから

もう一回繰り返すけど・・やっぱり、ここから始まった。
    ↓

おい! ちょっと待てよ! 外があるんじゃね?
この外はどーなってんだ?

この世界(宇宙)はどのようにして誕生したのか?
この世界(宇宙)のしくみは、どうなっているんだろう?



これこそ、「人類の究極の謎」といえるかもしれない。


プラトン哲学は・・その「先駆者」であったようで、その後のキリスト教の異端「グノーシス主義」や西洋神秘学「ヘルメス学」や、カバラにも影響を与えていったといわれている。



さて、プラトンから始まって、「人類の究極の謎」に挑戦し続けてきた歴史をみていこうと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

◆一神教のキリスト教が浸透していった時代

ところが、これに、ストップがかかることになる。

我々が「中世」と呼ぶ時代だ。

conversion.jpg


ご存じのとおり・・「一神教のキリスト教」が浸透していくと・・

宗教的価値観が西欧世界を覆いつくしてしまった。


ちょっとでも別の価値観を持つ者は、恐ろしい拷問で殺されてしまった時代。

一神教ってのは・・コワイコワイ。
*ちなみに、一神教はユダヤ教、キリスト教、イスラム教


真実を追求しようとしていた科学は、このせいで停滞。

この時代は、むしろイスラム世界の方が科学が進歩していたとか。
  ↓参考
現代とフリードリヒ2世の時代考察



プラトンの時代は、宗教も科学も、その目的は「真理の追求」にあったはずなのに・・。

一神教のキリスト教は、マ逆の路線を行く。


科学は「疑うこと」から始まるが、宗教は「信じる」ことから始まる。

発生時点の教義を真理と決めてしまうのが「宗教」。

そこには一切の「改善」も許されない。

一方、科学は「疑い」と「改善」を基に進化していくもの。



そりゃ、どうみたって相容れるものは無い。


それまでの時代は、宗教も科学も、「真理の追究」にあったはずなのに。

ここにきて、宗教家 vs. 科学者という分類が出来上がる。



さて、停滞してしまった宗教はここでは置いとくとして・・

ここから科学者たちが、どうやって「究極の謎」に挑み、「真理の追究」をしていったか? をみていこう。



◆地動説

まず、画期的なのは、「地動説」

16世紀、コペルニクスによって提唱されたものだ。

Copernicus.jpg


それまでは、「太陽を含む星々は地球を中心に回っている」と信じられていた=天動説

ところが地動説は、マ逆な発想!

こんなことに気づくヒトは、たしかにすごい!


天空を観察すれば・・すべての星々は自分を中心に(=地球を中心に)回って見える。 

それを、まったく逆の発想で考えたってことは・・やはり凡人ではありえない。

後に、物事の見方が180度変わることを「コペルニクス的転回」という言葉が生まれたのにも納得させられる。


ところが、実際には、コペルニクスの時代よりもずっと前に、それに気がついている人がいた。


5世紀エジプト、アレクサンドリアにいた、女流科学者ヒュパティアだ。

Hypatia.jpg


以前、アレクサンドリアという映画を見て、その感想文的な記事をアップしたことがある
       ↓
アレキサンダー大王からヒュパティア、そして現代へ


ヒュパティアは、優れた天文学者、数学者、教育者でありながら、大変な美人でもあったことで有名な人だ。

しかし、彼女はキリスト教徒から弾圧され無残な殺され方をした。
罪人とされ公開処刑、それも・・生きたまま体を切り刻まれ、その後火で焼かれたという。


16世紀のコペルニクスもまた、地動説を決して世に出さず、発表したのは自分の死の間際だったという。


コワいコワい!

他にも、地動説に気づいていた人々はいたのかもしれない・・
でも、コワいから・・発表できなかっただけだったのかも。 (←それは大いにあり得る)




◆ケプラー、惑星の軌道は楕円

次に登場するのが、ケプラー(ヨハネス・ケプラー(Johannes Kepler、1571年 - 1630年)
数学者、天文学者、そして、かたわら占星術を主とする暦を出版したこと人としても有名。

kepler3.jpg

コペルニクス説を全面的に支持した天文学者として知られている人で、のちに、この3つのケプラーの法則を導き出す。


第一法則・・・「惑星の軌道は太陽を焦点の一つとする楕円(だえん)である」

第二法則・・・「惑星と太陽とを結ぶ線分が等しい時間に掃く(横切る)面積は等しい」(面積速度一定の法則)

第三法則・・・「惑星軌道の長半径(両天体間の平均距離でもある)の3乗は公転周期の2乗に比例する」



ケプラーはドイツの大学で教鞭をとっていたが、チェコに逃げ出して(←もちろん、コワイから)、かなりな貧乏生活をしていたという。


しかし、彼のおかげで、

惑星の軌道は太陽を焦点の一つとする楕円 (円じゃない!)

ってことが判明したのだ。


そういえば・・映画、アレキサンドリアの中でも、ピュパテイアのが楕円だ~!ということに気がつくシーンがあったけど・・
それはどうだったんだろう?
5世紀、まだ望遠鏡すら発明されてない時代だったわけだし・・




ただし、ここではまだ、ケプラーが「楕円であることを証明した」とは言えないのだ。

あくまでも、観測結果からの推測だったから。

このときはまだ、方程式を解いて導き出した答えではなかったからだ。



証明するには、数式が必須。

How-does-mathematics-explain-the-universe.jpg

数学って、そんなに信用できるものかよ?・・・と数式にチンプンカンプンの人は疑問に思うかもしれない。(←私もその一人)

しかし・・今のところ、人間が真実を知る上でこれに優る方法はない。

なぜなら、

数学は具体性が排除され、すべてを抽象化することができる。

3人の子供が鬼ごっこをしていました。 ところが、一人の子供は家に帰ってしまいました。
残ったのは何人でしょう?

3個のクッキーがありました。 A君がこっそり1つを盗み食いをしました。 クッキーは今いくつあるでしょう?

「3-1=2」



数学は、必要最低限にまで抽象化し、抽象化によって高い普遍性をもつもの
(全てに当てはめることができるってこと。)


しかも完全無欠の論理(真実)で構築されている。
絶対的仮定の「公理」からスタートして水も漏らさぬ論理で。

その結果、導き出されたのが「定理」。

だから、曖昧さがつけいるスキがない。

それゆえ、数学は人間の究極の武器になっているのだ。



◆デカルトとニュートン

時代は流れて17世紀後半になると、有名な二人の科学者の登場となる。


デカルト(哲学者、数学者)

ニュートン(自然哲学者、数学者、物理学者、天文学者)




デカルト方がはニュートンより50年弱早く生まれてるので、まったくの同時期とは言えないけど、

二人が、注目したのは「天体の運行」だった。


ただし、アプローチの仕方はマ逆。

デカルトが考えたのは天体が「なぜ」動くか?

ニュートンは「どう」動くか?



デカルトは、天体が動くのは目に見えない何かによって天体を押されている? と考えた。

6-Major-Accomplishments-of-Rene-Descartes.jpg

ルネ・デカルト(仏: Rene Descartes、1596年 - 1650年)
高校数学でやったXY座標も、哲学の命題「我思う、ゆえに我あり」でも有名な人




デカルトは真空の存在を認めてないので、物質の粒子の間をうめるものとして、それは「微細な物質」だろうと想定し、その動きもしくは働きによって、惑星は流動し渦巻く物質にのって運動している、光が伝達されるのも然り。と、した。

目に見えない何か?・・・それは「エーテル」という物質。 Ether


しかし、ニュートンはこんな考え方はしない。

なぜ動くか?は神の領分。

そんなことを詮索したところで答えなんが出ない、と。

まずは、どう動くか?を考えばいいのだ!
そっちが先だろーが!


ニュートン流の天体の運行とは・・
    ↓

太陽の質量を「m1」、惑星の質量を「m2」、その距離を「r」とすると、
太陽と惑星は互いに力「f」で引き合う。これが重力(引力)

式にすると、こうなる(←私には理解できないけど・・)
f = G×m1×m2 / (r×r)
この式の意味するところは、2つの物体に働く力は、質量に比例し距離の2乗に反比例する




ニュートンは、超現実主義?

一方、デカルトは、宇宙のロマンを追い求めたロマンチスト?



しかし・・ロマンチストが過ぎて「なぜ?」ばかりに固執すると・・

エーテルのような怪しい物質をでっちあげるような結果になっちゃうのかもしれない。



ニュートン流の科学は「原因」ではなく「結果」を重視した。

そこにある、「神の方程式」を見つけ出し、それを解き答えを導きだすことだった。

だからこそ、ニュートン哲学は近代科学の父(あれ?母?)とまで呼ばれるようになったわけだ。(←納得)


奇人変人だったニュートン
    ↓

Isaac-Newton (1)


ここに面白いエピソードがある。

1684年、エドモンド・ハレーは、いきなり、ケンブリッジ大学のニュートン教授の元におしかけて、単刀直入に質問した。
(エドモンド・ハレーとは、天文学者、地球物理学者、数学者、気象学者、物理学者で、あの、ハレー彗星でも有名)

「惑星はどのような周回軌道を描くんですか?」

ニュートンは言う。

「そりゃあ、楕円だよ。」

うわあ! やっぱりそうだったのか~。 

ハレーはドキドキしながら、その理由を聞くと、ニュートンは素っ気なく答える。

「そりゃあ、計算したからだよ」

狂喜のあまり、ハレーは、その計算をみせてくれるように頼んだ。


が・・・・・

いくら捜しても出てこない。
どっか、行っちゃった・・・。

あり得ない・・。



いや、ニュートンならば、あり得るのだ。

ニュートンは、 恐ろしいほどの集中力の持ち主=奇人変人の類

突然何かが閃くと、ピクリともせずに何時間も座っていることがあったという。
紙とペンも使わずに、頭の中で宇宙の大問題さえも解いてしまう。

おまけに、困ったことに・・地位や名声にも無頓着。
どーでもいいのだ・・自分の中で満足すれば、あとはどーでもよくなっちゃう。


そのとき、ハレーが、もういちど解いて欲しいと懇願したことは言うまでもないだろう。

それに同意した、ニュートンは、またもや驚くべき集中力で論文を書き上げた。

「プリンキピア(Principia)」
プリンキピアは「3つの運動法則」と「万有引力の法則」で構成される力学大系で、科学史上最も重要な、歴史的な科学論文論文の一つ。



ところが、紆余曲解があって・・・それが発表されるには、かなりの時間がかかっている。
紆余曲解ってのは・・ほとんどはカネの問題だったらしいけど。


ニュートンは、自分で出版費用まで払って世に出す気はさらさらない。

「そんなことは、どーでもいい。 カネがかかるなら、もっと、どーでもいい」・・と思ってたらしい。


必死になって自腹を切ってまで、出版したのは、結局、Hレーさんだったようだ。

Edmond Halley
edmond-halley-astronomer.jpg


ハレーがいなかったら、プリンキピアはこの世に存在しない。

自分で宇宙の謎を明かすと、そこで満足しちゃって、世間に公表することなんて、どーでもいいニュートンさん。
おかげで、数学分野における、「微分積分法」ですら、世に出たのは、ずっと後のことだった。


そもそも、ニュートンの一番の関心事は数学や物理ではなかった。

こっちの研究に、50年も費やしたとか・・。
    ↓
錬金術と宗教。

まるで、オカルト?

ちなみに、ニュートンが熱中した「宗教」についてひとこと言うと、
キリスト教「異端」とされた、アリウス主義だった。

正統派は、もちろん「三位一体」を説いているんだけど、

注:「三位一体」とは、父と子と聖霊という3つの位格が1つとなって神の存在とする説



ところが、アリウス派は「子・イエス」の神性を真っ向から否定した。
つまり・・「イエス・キリストは神じゃないよ! 人だよ!」ってこと。

かなりの危険思想・・現代の「ダビンチコード」でも出版された後ならいざ知らず・・。
この時代に、堂々と発表してたら・・そりゃ、命が無かったはず。



とにかく、

本人にとっては、それほど関心がなかったモノだったのに・・

ニュートン力学は大快挙! となってしまったのだ。

これぞ、まさに人類が手にした初めての「神の方程式」だったのだ。


なぜなら、実験や観測の結果からの説やら推測ではない。

それを、ちゃーんと数式で証明してしまったところが、スゴイところ。


「天体観測結果=事実=絶対的仮定」からスタートし、微積分を使って万有引力の法則を導き出した。
まさに帰納法。



しかも、ニュートン力学というのは、「万有引力の法則」と「3つの運動法則」なのだが、
その普遍性には驚くばかり。

リンゴが大地に落ちるのも、地球が太陽を周回するのも、同じ原理。

しかも、ニュートン力学を使えば、100万年後の星々の位置、隕石の地球衝突も予測できる。

さらに、地球から7800万km離れた火星に宇宙船を送り込むことも可能なのだ。




つまり・・・

ニュートン力学を使えば・・未来さえも予知できることになる!?


たとえば・・

高校の物理で習うニュートンの方程式で、

ボールを投げると、その未来の道筋を完全に予測できる。
必要なデータは、ボールを投げた瞬間の角度と速度。

計算式もたった2つ。
   ↓
https://physics-htfi.github.io/classical_mechanics/001.html


やっぱ、こりゃ未来予知じゃないか!
「当たるも八卦当たらぬも八卦」の占いどころじゃないぞ!


これを言い換えれば、こうゆうことになる。
    ↓

すべての出来事は、原因があって結果がある。

それをヒモづけしているのが「因果律」

だから、因果律(神の方程式)を見つけ出し、

原因をインプット(速度、重さ、風向きなど)すれば、

未来の「位置」と「運動量」を求めることができる。


すべての未来がわかるのだ!

ただし、その精度を上げるには逐次計算が必要で、強力なコンピュータは欠かせない。
というわけで、コンピューターが出来てからの発展はさらに目覚ましいものがあった。



このようにして・・

ニュートン力学によって「近代科学」が始まったのだ。

こののち、科学は「法則化」の道を歩み、やがて哲学から枝分かれした。


そして、驚異の科学文明を築き上げていくことになる。

現在のテクノロジーも、すべてニュートン力学の延長線上にあったのだ。




もっとも、人々の心を掴んだのは、この、「画期的な考え」だったかもしれない。
    ↓
ニュートン力学を使えば・・未来さえも予知できることになる!?


それを言い換えれば・・
    ↓
未来は現在の状態によって、すでに決まっているんだ!?

こういった考え方を「決定論」と呼ぶことになった。



それを・・熱~く提唱した人がいる。


◆ラプラスの悪魔

19世紀初頭、フランスの数学者ピエール・シモン・ラプラス(Pierre-Simon Laplace (1749 – 1827)は、完全なる「決定論」の信奉者だった。

Pierre-SimonLaplace.jpg


未来はすでに決まっている
宇宙がはじまったときから、私たちが何をするのかも、次に何をするのかも決まっている。



もしもある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、
もしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、
この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来も(過去同様に)全て見えているであろう。



ラプラスによって提唱された、この概念=「決定論」をラプラスの悪魔と呼ぶことになった。
なんで・・悪魔? インパクト強そうな言葉だから?

簡単に言ってしまえば、こうゆうこと。
    ↓

未来はすでに決まってる?!

過去も未来も・・あなたのことも!

何もかも?!

それを、ちゃーんと、すべての物理的状態と力やデータ解析できる能力が無いから、今のとこは、わからないだけ!?




そっか~!

じゃあ、「もっと精密な方程式」さえあれば宇宙の過去も未来も完全に予測できるってことだよね~?



そこで、登場したのが・・

◆アインシュタインの一般相対性理論

Einsteine=mc2.jpg


まず、宇宙は3次元の空間と、その中にある物質と時間とで構成されると仮定する。

そして、ある瞬間の宇宙の状態が分かれば、宇宙誕生までさかのぼることも、その後に続く宇宙もすべて求めることができるという。


実際、この方程式を解くことによって、宇宙が137億年前に「無」から誕生したことが分かったのだ。
宇宙の誕生は137億年前と言われているのは、ここから来たんだね~。


いやあ、これでますます・・神の領域に近づいた!


と、当時は誰もが思った。

この世のすべてに法則がある。
証明できないものなんてないんだ!

科学の時代だ。 科学バンザイ!
古臭い迷信なんかくそ食らえ!




20世紀を迎える頃には、一般人もまた、この風潮が強くなっていった。

492853c7aa4168884bc631849b9b5e1a.jpg




しかし・・・

ここで、ニュートン力学 → ラプラスの悪魔 → アインシュタインの一般相対性理論と・・

ここまで築きあげてきた一連の流れが、ガラガラと崩れるようなことが起きる。

Tarot_Tower.jpg


◆ハイゼンベルクの反論

我々のマクロ世界では、ニュートン力学は、まさに神の方程式だった。

アインシュタインのおかげで、さらに進歩を遂げた。



ところが、それをミクロ世界で検証してみた人たちがいる。

ミクロの世界とは、

原子の真ん中には原子核があり、その周囲を電子がグルグル回っている。

atoms-image.jpg

よーし、電子の未来を予知してみようじゃないか。

ある時点における電子の位置と運動量を測定し、ニュートン力学で計算すれば、未来の位置と運動量が予測できるはず。

ぜーんぜん問題ないだろう。。。


ところが、これが問題オオアリだった。


「量子力学」

ミクロ世界では、原子の位置と運動量(質量×速度)を同時に正確に測定することはできない。



もちろん・・測定器の誤差の問題とかじゃなくって、原理的に無理だったのだ!


なんで?

「位置」の測定誤差が減れば、そのぶん、「運動量」の測定誤差が増える。

逆もまた真なり。

式で表すと
 ↓
「位置の測定誤差×運動量の測定誤差≧一定値」




これが、不確定性原理

提唱者したハイゼンベルク(Werner Karl Heisenberg, 1901 - 1976年)は、その功績によりノーベル物理学賞を受賞した。

Heisenberg_10.jpg



量子論については、過去記事でも何度かアップしたことがある。
      ↓
人の意識とボーアから始まった量子論
フォトンの作りだす世界を量子論とスピリチュアルで眺める




これでまた、世界は騒然となった。


天動説から地動説が提唱された時みたいに・・・?

いや、それ以上の驚愕だったかもしれない。


だって、今までの価値観すべてがひっくりかえってしまうような・・まさに、これこそコペルニクス的転回なんだから(笑)


<<次回へ続く>>


参考
Edmond Halley Facts and Biography
人類が知っていることすべての短い歴史 (著), Bill Bryson (原著), 楡井 浩一 (翻訳)
ケプラーの法則


エリーザベト・ニーチェとその兄貴&ヒトラー(その2)

さて、前回からの続き、


ここからは、エリーザベトを追ってみよう。

エリーザベトの人生において、もっとも大きな3つの出来事とは・・


●パラグアイにドイツ人植民地「新ゲルマニア」を建設したこと

●哲学の大家のごとく「ニーチェ」を有名にしたこと

●ニーチェをナチスのプロパガンダに利用したこと



この3つだろう。

彼女のおかげで、ニーチェが「世界のニーチェ」になれたことは疑う余地もない。

彼女がいなければ・・十中八九、ニーチェは世に出ていないということだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まずは、エリーザベトの伴侶を紹介しよう。

エリーザベトの夫は、ハンサムで背が高く、名をフェルスターといった。

ベルンハルト・フェルスター(Bernhard Förster 1843 –1889)
bib_ill_portraits_Foerster.jpg


二人を結び付けたのは、兄のニーチェとリヒャルト・ヴァーグナーだ。


リヒャルト・ヴァーグナー(Richard Wagner, 1813-1883)といえば、もちろん、、19世紀ドイツを代表する大音楽家で、「トリスタンとイゾルデ」「ニーベルングの指輪」などで知られる人だ。

RichardWagner.jpg


最初の頃、ニーチェはヴァーグナーに魅せられた部分があったようで、頻繁に彼の取り巻きとしてヴァーグナーの豪邸に出入りをしていた。

しかし、才能あふれる大音楽家の裏側には、アーリア人至上主義、国粋主義者という顔があったことは、あまり知られていないのかもしれない。


ベルンハルト・フェルスター(Bernhard Förster)もまた、ヴァーグナー邸に出入りしていた取り巻きの一人だったのだ。

これが、のちにエリーザベトの夫になった人。





フェルスターは狂信的な反ユダヤ主義者で、「人種差別主義者」だった。

「ユダヤ人はあこぎな商売をしてドイツ文化を破壊しようとしている」として、ユダヤ人をおとしめるためには決して労を惜しまなかったというくらいの人。


一方ニーチェは、「反ユダヤ主義」の思想や「著名な音楽家」の肩書でヴァーグナーに心酔していたわけではなかった。

そのせいか、次第にヴァーグナーにも、ヴァーグナーの豪華な屋敷にもうんざりするようになっていく。

豪華絢爛たる屋敷で、40人もの楽隊をおき、お追従ばかり言う信奉者に囲まれて、ふんぞり返ってるヴァーグナー。


「まさに身の毛もよだつ人間たちの集まりだ。出来そこないは一人とて欠けてはいない。
反ユダヤ主義者さえもだ。 哀れなヴァーグナー、なんという境遇に陥ってしまったことか!
豚に囲まれている方がまだましだ!」
・・と、ニーチェは言っている。

そして、ヴァーグナーと決別していくことになる。

ニーチェは、むしろ民主主義、社会主義、全体主義、国粋主義、民族主義 といった、イデオロギーと名のつくものは、すべて嫌いだった。

彼は、あくまでも個を重んじ、全体主義(イデオロギー)を嫌った人だ。
だから、キリスト教の教義を猛烈批判しても、キリスト教徒たち、個人批判はしていない。



たしかに・・全体主義・・イデオロギーというものは、神=道徳とも同じような類だろう。


しかし、エリーザベトは、ニーチェが「豚小屋以下」と評したヴァーグナーの豪華屋敷が、相変わらず大好きだった。

二人は、そこで出会って結婚することになった。



当時、フェルスターは常々、「ユダヤ人に汚染されたドイツを捨てて、地球の裏側でドイツ人植民地を建設する」と触れ回っていた。

勇ましい演説をぶち、過激な人種差別で警察沙汰になったこともあるような男だ。


彼は「反ユダヤ」の妄想に取り憑かれていて 「ユダヤ人がドイツの芸術や道徳を堕落させ、その悪意にみちた陰謀の一環として、出版界まで支配しつつある。 私が書いた本が売れないのも、そのせいだ」と。

そんな事まで言っている。

本が売れないのは、どうみたって才能が無いから? または、内容に共感が持てないから?・・だと思うのだが。


うーーむ、この思い込みの激しさは、エリーザベトとも、ちと共通したものがあるかもしれない。


類は類は呼ぶか~?

しかし、逞しさ&強さの度合いは雲泥の差だったけど・・・もちろん、エリーザベトが雲。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1880年、フェルスター夫妻にとって、この移住計画を後押しするような決定的な出来事が起こる。



ヴァーグナーが「宗教と芸術」のなかで、このように記したのだ。
     ↓
「高貴な人種と高貴ならざる人種との混合が、人類最高の特質を損ないつつある。
アーリア人種の純粋さを保つことによってのみ、人種の復活は成し遂げられる ・・・ 食糧を供給するのに十分肥沃な『南アメリカ大陸』に人々を移住させることを阻むものは一つもない」



この当時、南米移住は珍しいことではない。

すでに、ドイツ移民となって南米に渡っていた人は大勢いた。


1871年、ドイツ帝国(帝政ドイツ)が成立して統一された後も、ひどい不況続きだった。


何千、何万というドイツ人が貧困にあえぎ、多くのドイツ人が南アメリカに渡った。


人が移民となる理由は、たぶん・・・第一に「食いっぱぐれで、もう、後がないから」


行き先は、たいてい、ブラジルかアルゼンチンだった。
すでに多くのドイツ人が住んでいたから移住しやすいのだ。


しかし、フェルスター夫妻が選んだのは、パラグアイだ。


なにゆえ、パラグアイ?

反ユダヤで純血ドイツ人の国をつくること。 

移住すれば・・ヴァーグナー信奉者の一人として彼にいい顔できる。
 
そして、パラグアイなら・・三国同盟戦争の結果人口が激減してるし、パラグアイも有利な条件で土地を譲渡してくれそう。
いまなら自分が移民リーダーで、お山の大将になって、そのうち国を乗っ取って好き放題できるかも。



とゆう読みがあったのだろう。


しかし・・・

土地は痩せ、穀物も育たない。インフラは皆無。 道らしい道もない。
水道もなく、井戸を掘ってもすぐに枯れ、飲み水にも事欠く。
そして殺人的な暑さ。



こんな不毛の土地で、文明化されてるドイツ人が生きていけるはずがないだろう。

実際この後、貧困・重労働の中で疫病で死んでいった人も多いのだ。
エリーザベトだけは、ぜーんぜん平気だったけどね~。 どこまでも強い・・。



エリーザベトとフェルスターは国中をまわり、パラグアイの理想郷を、「新ゲルマニア」と名付けて熱く語り歩き、移住希望者を募った。  ゲルマニアとは奇しくも、アドルフ・ヒットラーの世界首都ゲルマニアと同じ・・これも幻に終わっちゃったけど・・


その結果、移住希望者が100名ほど集まった。


1886年2月15日、開拓団を乗せた蒸気船がドイツのハンブルク港を出航した。



彼らは、他の植民団のように「食うため」ではなく、「アーリア人による人種の純化の国=新ゲルマニア建設」というイデオロギーを掲げていた。(←いちおう・・)


当然ながら、フェルスター夫妻が共同指導者に就いた。



しかし、パラグアイは三国同盟戦争で焦土と化してしまった土地。
なーんもない国。 
しかも地球の裏側にある未知の国。


そんなとこで、大丈夫か?・・・・と思うのはフツーの人

しかし、この夫妻はフツーの人ではない。

植民地=新ゲルマニアから、ゆくゆくは、南アメリカ全土を包含する「アーリア人共和国」の建国の絵図まで描いていたのだろう。 そこで、もちろん自分がトップの座につくという壮大な計画を。

そして、壮大な計画の方が着実な計画より上回っていた。



1886年3月15日、開拓団はアスンシオン(現在のパラグアイの首都)に着いた。



「新ゲルマニア」計画の土地は、さらに、アスンシオンの北150マイルにあるカンポ・カサッシアという地域だった。
面積は600平方キロメートル


ところが、着いてみれば・・土地の譲渡契約がまだ締結されていない!

信じがたいような話!(←ほーんとに熱い夢だけで・・つーか誇大妄想だけで突っ走れるらしい。)


そこで、フェルスターは、パラグアイ政府を巻き込み、手付け金2000マルクで、4万エーカーの土地を譲渡してもらう約束をとりつける。
ただし・・2年以内に最低140家族を入植させるという条件付き、 それが出来なきゃ土地は没収


この契約書にフェルスターは、嬉々としてサインしたそうだ。
なんと、好条件の契約だ~!と思ったらしい。

目先のことさえクリアーできれば、後のことはなんとかなるとでも思っていたのか・・あんまり、モノを考えない人だったのか?


physical-location-map-of-nueva-germania.jpg

地図上でみても、分かる通り、どまんなか・・に位置する新ゲルマニアの地は、ジャングルそのものだった。



そのジャングルで、新ゲルマニア建設が始まることになる。

まずは、家とライフライン、最も優先されたのが、フェルスター夫妻の邸宅だった。


おいおい! みんなの家とライフラインからじゃないの~?


いやいや、そうではない!
王と女王のお住まいから・・に決まってる(笑)

エリーザベトは、植民地「新ゲルマニア」の母であり、ドイツ第二の祖国「アーリア人共和国」の女王になるだろう人であり、
フェルスターは、「アーリア人共和国」の近い未来のキングなのだから。

少なくとも、二人はそう信じていた。


1888年3月、大邸宅は完成し盛大な落成式をおこなった。



エリーザベトはこのとき42才、暑さもものともせず、常に黒いドレスを着こみ、くるくると精力的に動き回っていた。(←鉄人らしい)

19221712.jpg

このとき、得意絶頂のエリーザベトは、兄に手紙を書いている。

「新ゲルマニアには輝ける未来があるので、兄さんも早くパラグアイに来てください」



ニーチェからの返事
   ↓

「反ユダヤ主義者は、みんなまとめてパラグアイへ送りだしたらどうだろう?」(←まだ、発狂する前で、いたって正気)




さて、フェルスター夫妻の邸宅は完成したものの植民地建設はこれから。

そもそも2年以内に140家族が入植しないと土地は没収されてしまうことになる。



そこで、フェルスター夫妻が考え出したことは、

入植者を集めるため、誇大広告の宣伝を始めることだ。


新ゲルマニアを「希望の楽園」として・・。

現在、学校は建設中。
牧師を呼ぶための基金の計画も順調に進んでいる。すぐに新ゲルマニアと外部世界を結ぶ鉄道も開設されるでしょう。
純朴なパラグアイ人は召使いになるために集まってきます。
気候は快適で、食べ物は木に成っているのでまったく不自由しません。
ここは、まさに、エデンの園。



当然、「早い者勝ち」を煽ることも忘れない! さすが、商売人。(←かなりなアコギな商売人だけど・・)


誇大広告つーか、まったくの大嘘。。。


現実は、地獄そのもの!だったんだから。

殺人的暑さ、かと思えば突然の猛雨ですべて流されて水浸し、土壌は粘土質で耕すのも重労働、作物は育たない。
井戸は30メートル以上掘らないと水源に達しない上、もともと水量が少ないのですぐに干上がる。

そ、ぜーーーんぶ、見事なくらいのウソ八百。


ジャングルに住むパラグアイ人といえば・・

当時のパラグアイ人と接触したヨーロッパ人の証言
     ↓
「パラグアイ人は男も女も素っ裸で暮らしている。父が娘を売り、夫は妻を売る。ときには兄が妹を売ったり、食料や物と交換したりする。捕虜を捕らえると、まず、太らせてから食べる。われわれが豚を太らせるのと同じだ。
そして、おおむね、彼らは怠惰で仕事が嫌いである」


どこが、純朴なパラグアイ人だよ!



しかし、またもや、誇大広告に騙されて、一旗揚げようと入植者たちがやってくる。

1888年、ユリウス・クリングバイルという男が妻を連れて、新ゲルマニアにやって来た。



彼らは、まずは挨拶に、フェルスター邸を訪れた。


そこで彼らが見たものは・・

美しく飾り立てられ、豪華な家具、ピアノ、夕食には上等のワイン。
しかし、他の入植者たちは地獄の中で貧困生活をしている・・・その事実。


さらに、フェルスター夫妻にも失望した。

夫のフォレスターは落ち着きのない男で、マトモに相手の顔を正視することもできない。
妻のエリーザベトは、機関銃のようにしゃべりまくり、分譲地がどんどん売れ植民地が成功しているし・・といった自慢話を延々と聞かされる。




とうとう、クリングバイル夫妻はフェルスター夫妻と喧嘩別れをして、さっさとドイツに帰ってしまった。

帰りの旅費もあって・・ドイツに帰れた人はラッキーだろう。
帰れない人は、地獄の奴隷生活を強いられてたことだろうから。


それでも腹の虫が収まらなかった、クリングバイル夫妻は、

1889年、「ベルンハルト・フェルスターの植民地・新ゲルマニアの真相を暴く」という本を出版した。


   ↓

フェルスターは大ペテン師。 夫婦そろって愛国者をきどっているが、貧しい者を食い物にしている大悪党だ。
我々は新ゲルマニアの宣伝に騙されて、とんでもない目にあった。
政府は、ただちに介入すべき、こんな悪事を放置してはならない。



まさに暴露版・・でも、真実。


これは大騒動になった。

さすがに、植民地協会もフェルスターに疑いを持ち、真相を見極めるまで植民地基金を新ゲルマニアに送金しない決定を下しそうた。

これはフェルスター夫妻にとっては大変な痛手だ。

「植民地基金の送金」と「入植者への分譲地」が儲けなんだから・・・送金をストップされた上、入植者がやってこなくなったらたまったもんじゃない!


そこで、エリーザベトは、入植者たち(半ば奴隷化してる?)に、夫と自分を賛美する手紙を書かせたという。

ベルンハルト・フェルスターは実に誠実で頼もしい人です。
エリーザベトはクリスマスに子供たちのためにケーキを焼いてくれます。・・・とかなんとか。(←呆れてモノが言えない。)



しかし、こうなっては、もう下降線をたどるだけ。
(当然ちゃー当然の成り行き、ウソで固めたモノが永遠にバレないわけがない)


財産をつぎ込んでしまってるのに、カネが入らず・・しかも、2年以内に没収されるかも。 

その恐怖で、フェルスターは、アスンシオン(パラグアイの首都)に近いドイツ人居住区サン・ベルナルディノのホテルに逃げ出してしまう。

うつ状態の飲んだくれ男になる。

狂信的な反ユダヤ主義で、大ぼら吹きのくせに、実は小心者だったらしい。


一方、エリザベートは逃げない。
 
どんどん、新しい大嘘を並べて宣伝のための本まで出版する。
ブレない。 実に強い信念の人なのだ。

まさに、彼女こそ、生まれながらの超人(オーヴァーマン)だったんだろう。

ただし・・常に目的は邪悪そのものだったと言われそうだけど・・。


1889年、ついにフェルスターはホテルで自殺を遂げてしまった。




もちろん、エリザベートは、夫の死を悲しむあまり悲嘆にくれた日々を送る・・・なーんてことはない!

ここで、すでにNextステップを考えた。

こりゃ、そろそろ見切りをつける時期かもな~。
ここらが引き際だ。


ちょうど、その頃、うまい具合に兄ニーチェの容体が悪化した。

彼女の行動は早い。

家と土地を売っ払い、有り金全部を持って、

1893年8月、エリーザベトはアスンシオンを出航

してしまった。


後に残された入植者なんか、知ったこっちゃない。


帰国後の1895年1月、エリーザベトはこんな記事を寄稿した。



「私には、別の仕事が私の時間とエネルギーを要求しています。
たった一人の愛する兄、哲学者ニーチェの世話をすることです。
兄の著作を守り、その人生と思想を記述しなければなりません」


素晴らしい!
なんという変わり身の早さ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

彼女の次のステップは・・兄ニーチェの著書を独占販売して金儲け!


それも、ただかき集めて出版したわけではない。
そんなことをしたって、売れるわけがない。

売るには、ステキなキャッチコピーと大々的な宣伝が必須。
それをブランド化してしまうことだ。(←なぜか、こうゆうことにかけては天才)


そこで、狂人&廃人となり果てたニーチェを、狂気の天才哲学者+超人というイメージを打ち出すことにした。 なぜか、超人という言葉は、彼女も気に入っていたらしい・・これはいけるぞ!と思ったはず。


しかし、こういったことすべてを、エリーザベトは論理的に考えたわけではない。

そこがまた、彼女のすごいところ。


そもそも筋道立てて考えるということはしない人(出来ない人?)
なのに、まさに・・直観的に行動することが大当たりになるし、大衆を掴むことにかけては天才なのだ。



そこで、彼女は自分の側近であり、詩人であり詐欺師のシュタイナーを使って広告文を書かせた。

彼はニーチェをこう讃えた。
   ↓
「ニーチェが、ひだのある白い部屋着に身を包んで横たわり、濃い眉の下の深くくぼんだ目を見開いて、バラモンのように凝視し、問いかけるような謎に満ちた顔をして、思索家らしい頭を獅子のように威厳に満ちて傾けるのを見れば、だれしも、この男が死ぬなどということはなありえない、この男の目は永遠に人類の上に注がれることだろう、という感じがするのだった」

バラモンのように・・獅子のように威厳だとか・・永遠に人類の上に注がれることだろうとか・・

よくもまあ・・
内容なんて空っぽなくせに・・一般大衆はこうゆう文句に弱い、ってことをよーく知ってる。

さすが詐欺師、さすがエリーザベト。



さらに、どんどん、味方を手なずけて宣伝させていく。

ニーチェの信奉者だったハリー・ケスラー伯爵

さらに、

1896年、音楽家リヒャルト・シュトラウスまでも、
ニーチェの著書「ツァラトゥストラはかく語りき」をモチーフに交響曲を書いた

のだから。

この楽曲は、スタンリー・キューブリックのSF映画の「2001年宇宙の旅」に使われ一躍有名になったので、いまだに多くの人はご存じだろう。

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こうしてニーチェは正気を失った後、どんどん名声を得ていくこととなる。

すべては、エリーザベトのプロデュース、キャッチーな宣伝のおかげなのだ。


さらに、エリーザベトは、ニーチェ本の編集までに口を出した。

といっても・・エリーザベトは哲学の知識は皆無、だから、実際に書くのは、側近のシュタイナーにやらせるんだけど、

しっかりと口をはさむのだ。


シュタイナーは、こんな言葉を残している
    ↓
「(エリーザベトは)兄上の学説に関してはまったく門外漢だ。
細かな差異を、いや、大ざっぱであれ、論理的であれ、差異というものを把握する感覚が一切欠けているのだ。

あの人の考え方には論理的一貫性がこれっぽちもない。そして、客観性というものについての感覚も持ち合わせていない ・・・ どんなことでも、自分の言ったことが完全に正しいと思っている」



まさに、エリーザベトの性格そのもの。


しかし、実際にエリーザベトが編集に関わった本はメチャメチャ売れた。

哲学の素養も論理的思考もゼロなくせに、なぜか、セリフのセンスは抜群なのだ。
大衆は、そうゆうものに飛びつく。



エリーザベトは、ますます意欲的に動く。
「ニーチェ資料館」を設立して、書籍以外の商売をもくろむ。・・・(←この時代に、こういったアイデアはすごいとしか言いようがない。)


1894年2月2日、ナウムブルクの実家で「ニーチェ資料館」が開館。


ニーチェの著書、手紙、そのほか、ニーチェにまつわるあらゆるものが詰め込まれた。


資金集めにも抜かりはない。

ニーチェを崇拝する友人で金持ち連中から、資金を提供させ、今度はヴァイマルに、資料館を移してバージョンアップ。

ヴァイマルは、ドイツ古典研究の中心であり、ゲーテー、シラー、リストなど著名な文化人を輩出しているから・・目の付け所も申し分なし。


ニーチェ資料館には、そのうちヨーロッパ中の知識人が押しかけるようになる。

悲劇の天才哲学者ニーチェワールドをひとめ見ようと。

著作は売れ続け、ニーチェの健康が悪化すると、さらに名声は高まり、本の販売数もうなぎのぼり。


1898年10月に、アルノルト・クラーマーが「椅子にすわる病めるニーチェ」と題する彫像を製作。



これも、カネになるチャンス!・・・・エリザベートはレプリカの販売を思いついて即販売。


1900年8月25日、ニーチェは風邪をこじらせて55歳で死んだ。


もちろん狂ったまま、正気に戻ることもなく・・あっけなく死んだ・・・。

エリーザベトはこの機会を逃さす、精力的に宣伝して売りまくる。


この後、さらにエリーザベトが目を付けたのは、ニーチェの未完の書の出版だ。

未完の書? 
そんなものがあるわけない・・・

ニーチェは、とうの昔に発狂してたんだから・・残ってるのは、書いたり、棄てたりしていたのメモ書きばかり。

しかし、それで十分!


エリーザベトは、ニーチェの信奉者のペーター・ガストを再雇用して、ニーチェのメモを繋ぎ合わせて、
一冊の本を創りあげてしまった。

それも・・エリーザベトの指示に従って。


1901年、この本は、「権力への意志」と命名され、ドイツで出版され、ニーチェの代表作の一つになった。


エリーザベトとその仲間によって書かれた本なのに。


エリーザベトは、ますます本の売り上げで大儲け、
しかも、金持ち連中からの寄付も後を絶たない。


その中の一人、スウェーデンの銀行家エルネスト・ティールは、ニーチェの熱烈な崇拝者であり、エリーザベトに多額の寄付の申し出をしてきた。

ところが、この銀行家はユダヤ人。

あれだけ・・反ユダヤ主義のイデオロギーを打ち立ててパラグアイアまで言ったんだから、そりゃお断りする・・・はず?

いや、エリザベートは、ぜーんぜん気にせずしっかりと受け取る。


それどころか、その後も家族ぐるみで仲良く付き合うようになり、彼からの30年間に及ぶ寄付の総額は数十万マルクにも上ったという。

もちろん、エリーザベトは、気がとがめることもなく、すべてを使い切ったことは言うまでもない。


エリーザベトトにとっては、根本的にイデオロギーなんてどーでもいいことだったのだ。
人種差別者でもなかった。
彼女は、ただの日和見主義なのだ。

目的は、儲けることにあり。(←ビジネスマンの鑑)


それこそが、彼女の信念であり、そこには神のご加護もあるのだ。
それはもう、正義なのだ

・・・ここに達することができる人ほど、強いものはないだろう。


どんな実業家であろうとも、時には、良心の呵責やら、重責に押しつぶされそうになったり、ストレスに打ちのめされたりするものだ。 

しかし・・彼女にはそれが微塵もない。

愛する夫が自殺したときも、新ゲルマニア計画が挫折してペテン師呼ばわりされたときも・・・。

そんなことで悩んでるより、常に前に進め! GO! GO!

だからこそ、ブレない人なのだ。



1914年7月28日、第一次世界大戦が始まる。



エリーザベトは、さっそくアーリア人至上主義、国粋主義に凝り固まった論文を新聞に投稿する。

「ツァラトゥストラは立ち上がれ! 戦え!すべてのドイツ人の中に戦士が息づいている」というような内容のものを。

エリーザベトの文章もスピーチも・・じっくり読めば読むほど、何が言いたいんだかよくわからんのだ。
しかし、言葉の使い方だけは絶妙(たぶん、言霊使い?)で、それで、大衆の心を掴んでしまうところがある。



そうやって、世間は、

ツァラトゥストラは超人であり、アーリア人魂だ~!と。
・・・すっかり、ツァラトゥストラは、エリーザベトの作り上げたツァラトゥストラに書き換えられてしまった。

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これは・・ドイツ政府にとっても好都合だったのだ。


ドイツ政府はニーチェの著書「ツァラトゥストラはかく語りき」を前線の兵士に配布することにした。


「ツァラトゥストラはかく語りき」は大ベストセラーになり、版元のエリーザベトは、またもや大儲け。

やれやれ、戦争まで味方につけてしまうとは・・・。


ニーチェも、まさか自分の高邁な哲理が、自分が一番嫌っていた戦争のプロパガンダと金儲けに利用される結果になるとは、思ってもみなかっただろう。。。


1918年11月11日、第一次世界大戦の休戦条約が締結。


これは実質上の、ドイツの「敗戦条約」だった。


さて、この後・・ドイツ情勢がどうなっていくか?
多くの人がご存じのとおり。

多大な借金を抱えてドイツ国民はますます貧しくなっていく。

1923年、さらに大事件、ドイツはハイパーインフレが進行し、マルクは紙くず同然になっていく。


それが、どんなすさまじいものだったか・・・。

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パン1個買うにしても・・一夜の内にものすごいことになっていく。
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エリーザベトへの親交ある大金持ち、資金提供者たちも、どんどん崩れていく。

やっぱ、個人の資産家なんてのはダメかも。
よし、こうなったら、政府だ。
政府からカネを出させるのが一番安定してる。



そこで彼女が次に目をつけたのが・・なんと、ナチスだったのだ。

しかし、この時はまだ、ナチスはただのゴロツキ集団のようなもので、政党としてなんか機能してない。
アドルフ・ヒットラーは、ムショに入れられてたわけだし・・。

そんな状態のうちに、いち早くナチスに目をつけるとは・・・さすが、エリーザベトとしか言いようがない。

政権内部にコネをつくりつつ、エリーザベトは虎視眈々とヒトラー内閣が成立を待っていた。

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そして、誰もがご存じとおり、
ついにヒトラーが政権をとるときがくる。

ゴロツキ平民にも似た集団・・あんなナチスが政権をとるとは・・実に異例な事。

しかし・・この当時のドイツの時代背景を考えれば、当然ちゃー当然なのだ。


1929年 世界大恐慌が起こる



第一次大戦で負けて莫大な賠償金を課せられ、ハイパーインフレと大量失業で国は破綻寸前、その上、大恐慌が襲ったんだから、ドイツ国民は食うや食わずの状況。 餓死者も大勢出る。


平和外交なんぞで、メシが食えるか?
俺たちは生きるか死ぬかなんだぞ~!


こういった国民感情は、当然のようにナチスに向いていったのだ。

無理はない。。。



1933年1月30日午前11時15分、アドルフ・ヒトラーが首相に任命された。



ついに、エリザベートの進撃開始が始まる。

これを逃してなるものか!
私の優雅な暮らしを再び手に入れるために!



彼女は、ドイツの内相フリックに目をつけ、そこから、ヒットラー総統に近ずくことに成功。

エリーザベトはヒトラーに歯の浮くような賛美の手紙を書き、ニーチェ記念館を訪れるよう催促した。

ヒトラーが来訪すればエリーザベトに箔がつくし、ニーチェブランドの価値はまたもや急上昇間違いなし


そして、ヒットラーはやってきた。
それも何度も訪れた。

エリーザベトの勝利!!

エリーザベトとナチス
     ↓
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ところで、
ヒットラーは、ニーチェの信奉者だったんだろうか?

答えは NO!!


たぶん、ヒットラーは一冊も読んでいない。 哲学書なんぞには興味もなかっただろう。

だけど、エリーザベトには敬意を表しニーチェに感銘を受けてるフリはした。

なぜなら、利用価値を見出していたから。
読みもしないくせに、利用価値をだけは・・ちゃーんと見出していた。


すべてが「力の賛美」となる熱い言葉の数々・・「超人」「力への意思」「ツァラトゥストラ」

それによって大衆を、熱い心で燃え上がらせ、モチベーションを高めるにはうってつけ。
ヒットラー自身もまた、熱い芝居がかったスピーチで大衆の心を鷲づかみにしてしまう天才と呼ばれた人物でもある。


こりゃ、使えるぞ!

ニーチェのロジックなんて、どーでもいいのだ。・・・そんなこと、たぶん、考えてもみない。
利用価値があるかないか・・なのだ。

かくして、ニーチェの文言が、何の脈絡もなく断片的に引用されて、ナチスの教義に利用されるようになっていったのだ。

それは、エリーザベトも同様。

ある意味で、実に似た者同士だったのだろう。
エリーザベトとヒトラー

目的こそ違って・・かたや政治利用(ナチスの教義)、かたや金儲け利用だったけど。



しかし、また・・思い出して欲しい。

ニーチェは、民族主義も、国粋主義も、ありとあらゆるイデオロギーを嫌っていた人だ。
しかも、盲目的に「超人」になれと、力を賛美したわけではない。
既存の道徳やイデオロギーにも左右されず、自らの内なる声を直視し、自己実現を説いたのだ。


ニーチェの賛美したものは、あくまでも「個人主義」であって、
決してナチスの「全体主義」ではない。

むしろ、それを忌み嫌ったことだろう。





しかし・・実際に、こんなふうに語られてしまうと・・
    ↓
「ニーチェはつねにはっきりと見ていた、ユダヤ人の振る舞いがドイツにおいてはいかに相容れないものかを」


まるで、これが本当の事のように思われてしまうのだ。

言葉を断片的に取り上げて抽象化して、上手に引用されてしまえば、なんとでもなってしまうものだ。



自分で出版した本はまったく売れずに、「超人」を目指して・・ついに発狂してしまった男。
しかも、生まれながらの「超人」だった妹と、ナチスの全体主義を煽るための「教義」に利用されてしまった男。


まさか・・ニーチェも、こんな顛末になるとは思ってもみなかった。
草葉の陰で泣いているのだろうか?


しかし、彼の著書には、このような一文が残っている。
   ↓
「最悪の読者は、略奪団のような真似をする。彼らは利用できるあれこれのものを持ち去るのである」

狂気に落ちていく中で垣間見た予言?
「超人」にはなれなかったけど・・サイキックだったのか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1934年、エリーザベトはヒトラーの秘書から手紙を受け取る。


「兄上の仕事の普及につとめておられるあなたの奉仕に対し、月額300ライヒスマルクの名誉終身恩給を給付いたします」



エリーザベトは、見事にやってのけたのだ!


しかし・・

年には勝てない。(でも、ここまで生きれば十分かも・・)

1935年11月8日、エリーザベトはインフルエンザに罹り、それがもとで亡くなった。


享年89歳、死ぬ直前まで、元気に口述筆記を続けていたという。


11月11日、エリーザベトの追悼式は、ヒトラー総統をはじめ、ナチスの錚々たるメンバーによって送られた。




それから4年後、第二次世界大戦が始まり、

1946年12月、敗戦を迎えると、ナチスに加担したニーチェ館は閉鎖され、職員は逮捕されるか殺害された。



ニーチェ財団は完全に解体され、ニーチェの名声も地に落ちた。


・・・・・・・・・・・

私がアメリカに来てから一度だけ・・なんかのついでに、「二ーチェって哲学者がいたでしょ?」と、話をしたとき、

「あ? 二ーチェって確か・・ナチスドイツの手先だった哲学者じゃなかった?」・・と言われたことを思い出した。


たぶん、欧米人からみたニーチェ像は、いまだにナチスドイツのカラーが強いのかもしれない。


戦後の欧米人たちは、むしろニーチェを「忌まわしい歴史の一部」として、封印してしまったようだ。

1991年、東西ドイツが統一されて、はじめて、ニーチェ館のあった場所は博物館として蘇ったという。
ようやく・・45年もの長いときを経て・・。
博物館か~。



それにしても、日本では、ニーチェ=ナチスって話は一度も聞いたことがなかったし、
そこに突っ込みを入れる日本人も知らない。(←私がたまたま知らないだけか・・だけど。)

むしろ、ニーチェは戦後も日本では受け入れられていた哲学者だという。
なぜか・・日本では人気のある哲学者

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かつては日独伊同盟国だったわけだし、日本人はドイツに共感を持ってたんdなろうか? 
ヒトラーに対しても日本人は、欧米人たちよりも寛容だったのかもしれない。




現在でも、日本においては、二ーチェは人気のある哲学者らしい。

とくに、かなり大衆向けに編集された「ニーチェ語録」の売れ行きが大変よろしいんだとか・・。


断片的にピックした「ニーチェ語録?」
うーーん、こりゃ、エリザベートの強烈な意識が、時を超えて飛んできているのか(笑)



エリーザベト・・私はこれほどのビジネスセンスに溢れ、才能ある人をみたことがない。
また、これほどブレない、強い人も。

ただし・・絶対に会いたくない人だけど。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

話は変わるけど・・

以前、自称魔術師という、あるサイキックの人の言葉を思い出した。

その人は、強い念の力を持っていて・・どんな相手でも呪いをかけることができるという。
(まあ、ちょっとした事故に合わせるとか、倒産させるとか)

「ただし、ごく稀にだけど・・絶対、術にかからない人もいるんだ。
それは、自分のしたことは100パーセント正しい! 一点も悪くない!って思い込んでる人。 
こういう人だけは、絶対に通用しないんだ。」


まさに、エリーザベトだ!と私は思った。


きっと彼女なら言うだろう・・

私が金持ちになって贅沢するのは当然のことよ。
私は、それだけの価値ある人間なんだから。
神様だって、私をお認めになって、ご加護を下さってるわ。


こりゃ~、どんなに優れた術者だったとしても・・呪いをかけることは出来ないだろう。
簡単に跳ね返されてしまうはず(笑)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

好き嫌いは別にして、エリーザベトという人物、「稀にみる、ビジネスの天才」だったことは疑いようも無い。

こんな百年以上の昔に、現代のビジネスマン以上のことに着手して成功させているんだから。



こうゆう女性に対して、一般大衆は「悪女」の称号を与えたがるものだ。

悪女どころか、こちらの海外サイトでは、タイトルから、「悪魔の女」、「サタンの娘」として紹介している。
Most Evil Women in History: Satan's Daughter Elisabeth Förster-Nietzsche

それこそ・・ニーチェ流にいえば、妬みや嫉みのルサンチマンが潜んでいるのかもしれない。



果たして・・「悪い生き方」か「正しい生き方」かなんて、判断基準は、どこにあるのだろうか?

たとえば・・

マザー・テレサ = 善人
エリーザベト = 悪人
と・・言い切れるものだろうか?
(注: 決してマザー・テレサを貶めるつもりはない)


エリーザベトの人生における目的は、金儲け人々からの賞賛、名誉、それによる豪華な生活

その目的のために、形の上では確かに気の毒な兄を利用したことは事実だが・・・

だからといって、「兄を愛してなかった」 「冷酷なだけの女」とは言い切れない気がする。

心から、「それが兄のため」と思ってやっていたような気がするのだ。
もちろん、そのためには「自分のためが一番」、そうじゃなきゃ、「兄を助けることも出来ないから」・・という、彼女流の論法があったような気もするけど。


人の心は複雑だ。 
「人は良いことをしながら悪事もするし悪事を働きながら良いこともする。」
これは、池波正太郎さんの時代小説の中に、たびたび出てくる言葉だった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この本を読んだおかげで、

なぜ、自分が若い頃、ニーチェが嫌いだったか?
その後、なぜ、まったく関心がなくなってしまったか?

それが今、なーんとなくわかった気がする。

結局のとこ、

私の読んだニーチェの本の中には、数多くの単語を通して、
「超人」になれなかったニーチェと、生まれながらの「超人」エリーザベトの意識が強く流れていたからだろう。

私にとっては、これらは「魂の宿らない作り物」だったから。
なぜか、作り物には、私は感動できない。


しかし、人それぞれ。

青少年が、ニーチェ文学に触れて(たとえエリーザベト文学であっても・・)、インスパイアされて、
「超人」となって成長を遂げていく引き金となってくれるのなら、それに勝るものはないのだ。



エリーザベトと、ニーチェと、ヒトラーと。

方向性がまったく違う3人なのに、なぜか似ている気がする。

類は類をよぶ。
彼ら3人が出会ったことも・・必然だったのか?



参考
Friedrich Nietzsche's Influence on Hitler's Mein Kampf

エリーザベト・ニーチェとその兄貴&ヒトラー(その1)

読書をしていると、その作品の内容は別にして、作者のイメージが湧いてきて、まるで、その作者と対峙しているかのような気がするときがある。

そうなると、ぜひ会ってみたい人だと思ったり、逆に あんまり、近づきたくはない人だな~と思ったり・・。
もちろん、100年も前の人だったりすれば会えるわけはないんだけどね(笑)


あるサイキックの人から、それこそが、サイキックの質だよ!と言われたことがあったけど・・・でも私はサイキックじゃないし(笑)

逆に、サイキックの人には、こうゆうふうに人が見える(感じる)ものなのか? と思ったものだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

引っ越しをするという人から、古本を何冊かもらった。
古本屋まで持ってくのがメンドーだからあげる!・・という、まあ、ゴミ出し代わりに使われただけかもしれない(笑)



その中に、こんな本があった。
    ↓
「エリーザベト・ニーチェ ― ニーチェをナチに売り渡した女」
ベン マッキンタイアー Ben Macintyre (原著), 藤川 芳朗 (翻訳)


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え? ニーチェかよ~! ・・・と思った。(←思い切り嫌な顔をしながら・・)

実は、私は二ーチェって人が苦手(もっと正確に言えば、キライ!)



キライになったわけは、16-7歳頃に遡る。
高校時代、世界の文豪・名作文庫なるものがあって、かたっぱしから読んだことがあった。

トルストイのアンナ・カレーニナ・・・こりゃ、すげえ不倫小説だなあ!
ゲーテの若きウェルテルの悩み・・・クラっ! ネクラ失恋男のばやきじゃんか!


なーんてことを思いながら読んでた。 (←ひどいもんだ。。名作文学もカタナシ。。。)



その中にニーチェのツァラトゥストラはかく語りきってのがあったので、タイトルに惹かれて読んで、

なんだ、こりゃ! 神話物語かい? 哲学書ってのは、もっと体系だったものかと思ってたのに、へんなの?


と思った記憶がある。
しかも・・わかったような、わからないような・・。(←結局わかってない)


それを、そのまま先生に言ったら、

「何を言ってる! ニーチェは素晴らしい哲学者なんだぞ! それを理解できないのは、まだまだ子供だな。」・・と言われて、しゃくにさわって、それから、さらに、いくつかの作品を読んだ。


で、大嫌いになった(笑)


いったい、私は何が嫌だったんだろう?

と、当時の感覚を思い出してみた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まず、思い出すのは・・

「超人」「神は死んだ」「力への意思」・・なんて言葉を使って、とにかく、厳しい口調でこき下ろす。
注: 超人なんて言葉を聴くと・・なんだかゲームワールドをイメージしちゃうけど、それとは違うので・・念のため。
詳細は後ほど説明。



それを、力強くて、斬新で、カッコイイって思う人もいたのかもしれないけど・・私は、まず、そこがキライだったのだ。

誤解無きように付け加えるけど・・・私は、決して「血なまぐさいものやバイオレンスが苦手なの~」、というタイプの女の子ではなかった。(←子供の頃から)



たぶん・・強さ、厳しさ、たくましさの裏側に、なんらかの「嫌~なカンジなもの」を感じたからだと思う。

嫌~なカンジのものというのは・・・今思えば、「弱弱しいもの」やら「卑屈なもの」を感じたからだと思う。

暴力的と思えるほどの強さで、弱さを必死に隠そうする。それが「姑息さ」と感じたのかもしれない。


弱い犬ほど吠える(ストレスが溜まってる場合もあるけどね~)

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たぶん、それでニーチェは、会いたくない人にカテゴライズされてしまったのだ。  私の頭の中で。

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なんの因果で、また、こんな本・・ニーチェに関する本は読みたくないのだ!

と思ったら、なぜか・・読んでしまった。



ところが、これがなかなか面白かったのだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

タイトルの通り、この本はニーチェの妹、エリーザベトについて書かれている。

エリーザベト(Therese Elisabeth Alexandra Förster-Nietzsche)
    ↓
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写真のとおり、目がくりくりっとした小柄でかわいいカンジの人だったようだ。


ところが、この、エリーザベトは、とにかく、すごい!(←すごい!のひとことなのだ。)


どう、すごいかって?

とにかく・・ビジネスの天才、
目先の利益追究主義者
日和見主義でコロコロ変わる、変わり身の早さ
でもって、ぜーーたいにブレない強さ

かわいいルックスとは裏腹の怪物




ここまでくると・・もう、素晴らしい!としか言いようがない人なのだ。



で、お兄さんのニーチェと、どう関わったのかというと・・

兄貴が発狂して廃人同様になると・・兄貴の原稿(主に走り書きのメモみたいなものが多かったとか)を寄せ集めて、本にして世に出してしまったのだ。
(そ、当然・・改竄


「精神異常の天才哲学者」 というキャッチコピーで、「悲劇ぶり」を見事にアピールしまくって、
まんまと大衆の野卑な好奇心を惹きつけて、大ブレイクさせてしまった仕掛け人だったのだ。


もう、素晴らしいとしかいいようのないプロデューサーだった。


それまでのニーチェは、まーーたくの無名、
本を出版しても、ぜーんぜん売れなかったそうだ。


ここで、な~んと、お兄様思いの妹、と思ってはいけない。

彼女は兄への愛の為ではなく、自分の強い信念に基づいてやったのだ。・・・おそらく。

その信念とは「目先の利益追究」

これがまた、ただの欲望なんてレベルじゃなくって、信念そのもの=自分がすべて正しいと思ってる
こういったところが、やっぱり、すごい人としかいいようがない!


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


さて、妹エリザべートの話の前に、ここでちゃーんと、発狂する前のニーチェという人物を紹介しておく必要があると思う。


誰もがご存じのとおり、

フリードリヒ・ニーチェ(Friedrich Nietzsche) (1844–1900) は、「超人思想」を提唱し、自らが「超人(オーヴァーマン)」になろうとした人だ。

この超人という言葉からして・・私は弱弱しい男がせいいっぱいの虚勢を張ってるかののように感じちゃって・・そこがキライだった。 もちろん・・本人は無意識だったと思うけど・・



なんだって、ニーチェは、こんなことを考え出したんだよ?・・という答えを得るには、

まず、当時のヨーロッパに蔓延していたキリスト教思想がベースにあった・・・ということを知っとく必要はある。



簡単に言ってしまえば、こんなことだ。
      ↓
そもそも、ユダヤ教、およびキリスト教は、かつては迫害されて負け組となった宗教だ。

ところが、現実世界で負けた恨みを晴らそうとして、精神世界ってやつを持ち出してきて、それによって勝利しようとした。
その仕掛けとなったのが「道徳」だった。


武力によって現実的に滅ぼされたのが弱者

負けちまった弱者のくせに・・

我々は高い精神性(道徳)を持っているんだから、本当の強者は我々キリスト教なんだと!




つまり・・彼らの「善悪」定義は、こうゆうことらしい。
     ↓
弱者=協調的で優しい=「善」
強者=自己中で強引=「悪」



このようにして、多くの人々は、神の名のもとに「道徳」を植え付けられて、飼い殺しにされ道徳奴隷にさせられてしまった。



ニーチェは、これをひどく蔑んで忌み嫌った。

勝ち目のない惨めな現実から逃れるため、自己を正当化しようとする願望が「奴隷精神」

詭弁を弄して正当化しようが根本にあるのは、ひがみとねたみ根性じゃないか!


ニーチェは、このような価値観を植え付けられ、飼い殺しにあってしまった弱者を、「ルサンチマン」(フランス語で「ひがみ・ねたみ」の意味)と呼んだ。


ルサンチマンとは、
信仰によって骨抜きにされ、自分の欲望を直視することができない人たち。
自分というものがなく、「群れ」でしか生きられない人たち。
だから、本当は弱虫。
しかも、それを認めず道徳をでっちあげて、自分は上等だと言い張る人々。




ところが、こんな張りぼて妄想が長続きするわけがない。

その結果 ・・・人々はだんだん疑いだし、そんな神が信じられなくなっていく。



信じてもらえない神は「神ではない」

ゆえに、神は死んだ!


神が死ねば道徳も崩壊する。

たぶん・・日本人のイメージする「道徳」とヨーロッパキリスト教徒たちの「道徳」とは、違うかもしれない。

こちらが、彼らの「道徳」
      ↓

注: キリスト教圏の思想は、神=道徳
当時のキリスト教では、道徳を守らない者は神罰が下ると教えられて育っている。
それが怖いから道徳を守る。
だけど、神がいなくなれば神罰もなくなる、道徳も崩壊する。




こうやって、「信仰と道徳」は崩壊するだろう。

そのとき、ルサンチマンはよりどころを失い、ただ生きながらえるだけの生き物になる。
それをニーチェは「末人」と呼んだ。

今まで信じていた神、価値観、目指すべき理想を失ってしまうと・・全てが同じものに見えてしまうようになり、昨日も今日も明日も同じことの続きに感じてしむ。
しかもそれは・・無限に反復されていくかのように。


これじゃあ、なんのために生きてるんだ?
どこに意味があるんだ?
なーんも意味なんてねえじゃん!


こういった感覚を、当時の人々は、「ニヒリズム」って言ってたようだ。
だから、ニーチェの哲理はニヒリズムから発しているとかって言う人もいたんだねー。


それが無限に反復されていくかのような感覚」、こうした状態をニーチェは「永遠回帰」と呼んだ。

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http://d.hatena.ne.jp/yosikazuf/20120205/p1


しかし、ニーチェは、この永遠回帰をむしろ積極的に受け入れ、そこから、「超人」となることを目指そうとしたのだ。


それには、まず人間本来の欲望を押し殺さず、目をそらさないこと。
人間本来の欲望って?・・・やっぱ、権力、金力、名誉?


それに挑戦する人間。

つまり、結果ではなく意志。 


だからこそ、ニーチェは「力への意志」と呼んだ。


そして、この意志を持ち続ける人間を「超人(オーヴァーマン)」とよんで、人間かくあるべしと鼓舞したのである。

当然、自分も、超人(オーヴァーマン)であろうと!

ところが、なりきれず・・
精神を病んじゃったんだけどねー。

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それにしても、この人の言葉はメッチャメチャ強烈だ。

強烈な言葉は、ドイツ国民にも向けられた。

ニーチェの著書「偶像の黄昏」の中の一説
     ↓
「かつて思索の民とよばれたドイツ人は、今日そもそも、思索というものをまだしているだろうか。
近頃では、ドイツ人の精神にうんざりしている ・・・ ドイツ、世界に冠たるドイツ、これはドイツ哲学の終焉ではあるまいか、とわたしは恐れている。
ほかのどこにも、ヨーロッパの『二大麻薬』、つまり、アルコールとキリスト教、これほど悪徳として乱用されているところはない」


アルコールとキリスト教を「二大麻薬」とまでも言い放ってしまう強烈さ。
(←アルコールだってさ・・百薬の長ってこともあるんだよーー。 おぬし、知らんな! )


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

確かに、キリスト教=道徳社会が人々を堕落させているというのもわからんじゃない!
そうゆう人、たしかに・・・今でもいたし・・。

近代文明の発達とともに、立派な道徳を説きながら、一方で金権主義、権利主義が蔓延する世の中。

人々は権力者には何も言えない現状。
(←あ、今と変わらないのかも)


そこで、

弱者=協調的で優しい=「善」を植え付けられて奴隷化されてるのは、もうやめようよー。
そこから脱却して、現実をみつめ、自由の精神、自分の意思の力で生きようじゃないか!

この発想はたしかに素晴らしい。
十分、現代にも通用しそうだ。


だけど、
彼の激しい言葉の数々が示すかのように


白か黒か、右か左か・・それしかない人だ。 
まるで、中庸と安定を憎むかのような人だ。



幼い頃から頭脳明晰、神童とまで言われたような人だったようだし、現実を見据える目も確かだろう。

しかし、あまりにも・・ストイックで純粋。

一方しか見えなくなる狂信性


悪と決めつけたら、既存の価値のことごとく破壊しなきゃいられない。

まるで、ドーパミン出っ放し。

これじゃあ、まるで、狂気。

こんな状態じゃ、いずれは自分が壊れるぞ!


で、実際、彼は狂ってしまったんだった。

たぶん、今でいうところの「統合失調症」



1889年1月3日、カルロ・アルベルト広場で、老馬が御者に鞭打たれるを見て発狂してしまった・・と言われている。


は? そんなシーンで発狂してる場合かよ!
そんな御者殴り倒して、さっさと老馬を助けろよ!と思うのだが。

(←そっちの方が、ずーーと超人(オーヴァーマン)だと思うのだが・・。

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ニーチェという人、彼の精神は「精工なガラス細工」のようで、繊細で崩れやすい人だったんじゃないだろうか?


だからこそ、ドーパミン出しっぱなしの、超人(オーヴァーマン)とならんとすることで、
必死で自分を保っていたのかも。


ふと、そんなことを考えたら、このガラス細工のように弱い男を守ってやりたくなってきた(←冗談)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、発狂してしまったニーチェは、完全にエリーザベトに利用されまくることになるのだが・・

長くなるので、ここからは次回にアップすることにしよう。


続く>>>>>>>

SANMEIGAKU占いが当たらないというアメリカ人

アメリカ人の若い男性で、SANMEIGAKUに興味を持って少し学んだという方がいた。

「最初に僕はイン・ヤン(Yin and Yan) に興味を持ったんだよね、これってタオイズム(Taoism)のベーシックであり、もともとのマスターは、紀元前までさかのぼるラオツー(Lao-tzu)チャンツー(Chuang-tzu.)が、ファイブエレメンツ(five elements)フローパターン(flow patterns)を説いたそうだけど、それってすごいと思ったんだよ。

それで、僕はSANMEIGAKUの講座に入って日本人の先生についていろいろ教わってボディーマップ(Body Map)を作って自分や多くの人をみたんだけど・・パーソナリティーもクオリティーも実際はなんか違ってるように思えてならないんだ。

スターから読み解くと、まったく別人みたいに思える人も多かったんだ。なんか違和感を感じるようになって、それでやめちゃったんだけどね・・それってどうしてだろう?」



長っ!

こいつは何語でしゃべってるんだ? (←英語に決まってるだろーが!)

さっぱりわからん。。。



仕方ない!

も一回よーく聞いてみると・・・

「はじめ、陰陽思想の老子や荘子、五行に興味を持って、それから算命学を学んで人体星図を作って鑑定したところ、なんだか、性格判断があんまり当たってない。」

ってことが言いたかったらしい。



人体星図というのは、こうゆうやつだ。(英語ではボディーマップというらしいけど・・初めて知った!)


これ、二人分あるから、相性鑑定に使うものだろうけど・・
     ↓
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こういった人体星図をもとにして、鑑定結果を作る。(こちらは上の人体星図のものとは関係ないです。あくまでも一例なので・・)

ambassadoreast796-img1200x821-1505776322qibmve15732 (1)
https://buyee.jp/item/yahoo/auction/p603014783?lang=chs

最近は便利だね~。

誕生日を入力するだけで、ソフトでここまでの鑑定結果がでちゃうんだから。

これじゃあ、ソフトさえ購入してしまえば、誰でも「にわか占い師」になれちゃうだろう(笑)

ちなみに、このサイト・・中国元で販売してたけど、日本円に直すと6万円~12万円くらいの間でそれぞれのソフトを販売している。 もちろん、日本語対応だし・・。
それぞれというのは・・算命学、四柱推命、紫微斗数、なんと姓名判断まであったんだから、びっくりだね!




彼がいうように、隋の時代に撰述されたと五行大義の考え方には、おーー! なるほど!と感心させられるものがある。

だからこそ、日本にも脈々と受け継がれてきたんだろう。

五行大義については、少し前のブログ記事にも、アップしてるので、ここでは省略。
    ↓
占い、そして天中殺の定義を考えてみる
五行大義そして弧虚理論の完全自己流解釈




しかし・・彼も勘違いをしてたようだけど・・

算命学(さんめいがく)は、生年月日からその人の持って生まれた性質や運命を算出する中国発祥の学問で、古代中国4000年の歴史を持つものです。



と、いうのは、ちと違うと思う。(実際、堂々とこのように謳ってるサイトなんかもあるけど・・)


私の理解では、こっち。
    ↓

算命学とは、高尾義政氏(1941~1990)によって生み出された、生年月日を使用して個人の運命を占い予測する技法。

現在の日本で流行っている算命学は、高尾氏によって個人的に確立された運命学。  
つまり、日本のもの。

文化大革命時、中国政府の弾圧から日本に逃れてきた中国人が基礎となる知識を高尾氏に伝えたって言われてる。
(古い書物は焼き捨てられ研究者も弾圧された時代だから・・)

その内容は、中国においての、子平・・徐子平(じょしへい)さんの説いたもの、八字・・現在の四柱推命のもとになってるもの、命理・・これも現在の四柱推命のもととなったもの・・などと同じような内容だったと考えられてる。

高尾義政さんは、それに基礎に独自の研究による理論を加えて、一つの新しいジャンルとして体系化していった方。

「算命学」という名称は、もともとは高尾氏自身によって商標登録されたもの。(現在の商品登録については知りませんが・・。)




なので、算命学は立派に日本で生まれたものであって、古代中国の流れを汲むものではない・・・と思っている。
実は私も・・昔はこれを勘違いしてたんだけどね~。


もちろん、ベースは古代中国にあるっちゃーあるのかもしれないけど(笑)

だけど、それを言ってしまえば・・

風水占い(陽宅風水)、易断、紫微斗数、四柱推命、宿曜術、奇門遁甲・・・みーんな古代中国がベースにある。

まるで・・湯川秀樹さんはドイツ語文献で勉強してたから、彼のノーベル賞快挙も、ルーツはドイツだ!って言ってしまうようなレベルになっちゃいそうだ。



おっと!

そういえば・・

たしか・・算命学の中には、その起源を中国の戦国時代(前403~前221)においてる流派?もあったはず。

その創始者として鬼谷子(きこくし)という、戦国時代の縦横家(←策略家のこと)の名をあげてた気がする。

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この鬼谷子という人物、隠棲していた鬼谷(山西省沢州府内)の土地をもって鬼谷と呼ばれただけのようだし、姓氏、事跡ともに不明だし、彼が残した資料や文献等もなく、彼が創始者であると確定できるたしかな物はないみたいなのだ。


たぶん・・ビジネスにする以上は、ブランド名やキャッチコピーが必要なのはわかるけど・・こうゆう無垢な(アホな?)アメリカ人に、誤解を与えるようなことを言っちゃいけない・・・と思う(笑)



まあ、そんなわけで・・算命学と四柱推命も、まるで兄弟のように、類似した部分も多いのも当然のこと。

算命学も四柱推命も、同じ干支暦を使用してるようだし、星の解釈にもそれほど大きな違いはないそうだから。


しかし・・素人の私から見ると四柱推命ってのは、ひどくわかりにくいね~。
算命学の方が、実にすっきりと、表なども理解しやすい気がする。


こちらは、それに対する四柱推命の先生からのコメント
    ↓
「算命学はその干支暦から作成された命式自体をオリジナルな暦として使用してるけど、四柱推命はその干支を年、月、日、時間と横に並べるシンプルなものを使ってるだけに、理解が困難な箇所も多いんだよね。

たとえば四柱推命では干支の力量計算や根の作用、大運干支の作用など総合的に判断しなければならないために、
基本的な判断ですらよく間違うことがあるよ。

しかも、「空亡」や「神殺」なんてものも考慮してるうちに、プロの占い師でさえ、判断自体を大失敗してしまうこともありがちなんだよね。」


この話の内容自体も、私にはすべて理解できないのだが・・


とにかく、ここでわかったことは・・・この2つだ。
    ↓
●算命学の方が、私のような素人にとっては、システム的に完成度が高いらしい。

●総合的に見なければ、プロでも読み違えたり、判断を間違うことはある。




さて、前置きが長くなったけど・・(←そ、今までの・・ぜーんぶ前置きだからね~。)


なぜ、彼が当たらないというのか?


ずっと昔のことだけど・・少なくとも、私自身が自分や友人たちを見た限りでは、性格や特質において、そんなにハズレはなかったと思う。


そこで、あることに気がついた!

外国人だったり、外国生まれの日本人だからか?・・・と。



なぜなら、算命学は生年月日だけで占う。 

いやいや、四柱推命にしたって、時差の違う外国人ならば鑑定結果は違ってくることになるのは同じだ!!
たとえば、ここ・・日本とロサンゼルスでは16時間時間が違うわけだし、しかも夏時間と冬時間では、また違う。


いまさらながら、こんな素朴な疑問が浮かんできた。

●四柱推命では生まれた時間も入れるし、西洋占星術では生まれた時間や場所までも考慮してホロスコープを作成する。

●算命学は「生まれた時間」を無視して考える

●どっちにしても外国生まれの場合は、どーなる?





そこで、ある算命学の先生に、オンライン質問コーナーで聞いてみたところ、こんな答えが返ってきた。
       ↓

「この世は時間と空間によって存在しているのです。 地球が1回転したら1日です。
地球の自転に要する時間が1日ですから、算命学はこの1日という時間を宇宙の時間の最小単位として捉えているのです。

ようするに、どのくらい回ったか?というのは関係ないのです。
1日が24時間であるかどうかは関係なく、回ったら1日、ただそれだけと考えてください。
生まれた日に宇宙から与えられたエネルギー、その「空間の範囲」を明らかにしていくのが算命学です。

出生時間や出生地というデータがあったとしても、それを用いる必要もありませんし、
その日の朝に生まれようと、夜に生まれようとその日に与えられた「空間の範囲」は変わらないということです。」




いやいや・・そうじゃなくってね~!

時間は関係ない、その日はその日!ってのは、わかるんだけどね~、

その日が、どの日になるのかわからんから困っとるんじゃよ~!



なーんとなく、この先生から答えは得られそうもないと思ったので、それ以上の質問メールは止めた。
とりあえず、ありがとうございました  m( ̄ー ̄)m



で、今度は四柱推命の先生に聞いてみた。 

すると、こんな回答をもらった。
      ↓

四柱推命の命式で日柱と時柱を求める際、海外生まれの人の場合は、このような方法がとられています。

(1)出生地の現地時間を用いる方法、
(2)日本時間(UTC+9)を用いる方法、
(3)日柱には日本時間を用い、時柱には現地時間を用いる方法、

しかし・・・

(1)の方法では、ある瞬間に生まれた人の命式は、地球上の出生地によって異なってきます。

(2)の方法によると、地球上のどこで生まれても、同じ瞬間に生まれた人は、同じ命式になります。

(3)の場合は、地球上の各地である瞬間に生まれた人々は、日柱が共通し、時柱がタイムゾーンに応じて様々になります。

林しゅうせい氏の著書「日本で一番わかりやすい四柱推命の本」によれば、外国生まれの著名人の命式を(1)の方法で算出しています。

しかしながら、(1)の方法では、例えば、出生地が日付変更線上にある場合を想定すると、日付変更線の前後によって日柱が変化し、その結果、同じ時刻であっても時柱まで異なってしまいます。

これは、出生地が1メートルずれるだけで、24時間違いの全く別の命式になりうることを意味し、明らかにおかしい事態が生じます。

従って、私は、(1)の方法はありえず、(2)又は(3)が正しいと思います。

つまり、(2)又は(3)が正しいのだろうということで、結論から言うと・・正直なところ私にもわかりません。



あららら~。

でも、実に納得のいく回答をありがとうございました!



それじゃあ、やっぱり・・

外国人の彼が一生懸命勉強して人体星図やら命式を作ったところで、そこから違ってたとしたら、正しい鑑定なんてムリってことになる。

「黒カラス理論」の間違いと同じだ~!
  
(注:すべてのカラスは黒い→これは白い→絶対カラスじゃない・・・という間違いをしちゃう理論のこと・・別名、演繹法ともいうらしいが・・)


算命学では「人体星図」という表を使用して実際の判断をしていく。

確かにこの表は分かりやすいし明瞭で優れものだよなあ・・とは思う。


しかし、もともとは干支の羅列を表に変換してしまったものなんだし、そうなると、いくつかの問題点が出てくる気がする。
当然、四柱推命だって同様だけど・・



そこには、時間の問題もある。

算命学では生まれた時間(生誕時間)を考慮しないけど、本当はその点も考慮すべきだったんじゃないだろうか?


もちろん、外国生まれの日本人なんか知ったことか~。
外人なんか、どーでもいいわい!・・・・と、言われてしまえば、それまでだけど(笑)



残念ながら高尾先生はすでに他界されちゃったけど・・そこらへんは質問してみたい点だ。


おそらく・・彼が生存していた時代背景を考えれば、算命学が世界中で通用するものとして学問体系を作りあげたわけじゃないように思える。

おそらく、こんなことまでは考慮してなかったと思うのだ・・。
      ↓

アメリカでは17時間の時差があるし夏時間と冬時間もある
北半球と南・・季節が逆
広大な中国だって、今は北京時間で押しきっちゃってる
帝王切開で生まれた人、促進剤を使った人の生まれた時間




そんな時代じゃなかっただろうし・・「日本人のために日本で通用するもの」として体系づけたんだと思う。


もしも、現在も生きていたとしたら、どんどん改良していったとは思うけどね~。



実際のところ、同じ日本生まれの日本人でさえも、こんな疑問を持つ人もいた。

たとえば、夜11時45分生まれの人・・

日本の基準時間は兵庫県明石になってるわけだし・・・明石より東の地域は23時45分は過ぎてるし、西だと、まだ、その時間になってないことになる。


しかも、それが年末だったりすると、「年」そのものも、そっくり違ってしまうことになる。

当然、鑑定結果が全然違ってくることにもなる。





同じ算命学でも、たしか・・立春説(高尾説)と冬至説(自然法算命学説)があるようだし、

中国系占術の多くは23時をもって日付が変わる時刻とし、西洋占星術の場合、日の変わる時刻は午前0時ってのを聞いたけど・・
だけど・・『四柱推命』の、なんとか流だったかは、午前0時をもって日の干支が変わるとしてるとか。


「年」については・・

24節気をもとに月を定める占術においては、太陽が黄経315°の地点を通過する時点を年の初めと考えると共に、
寅月の初めと考え、以後、太陽が黄道上を30°移動するごとに卯月、辰月、・・・、丑月と月が変わっていくとしている。
つまり、「黄経315°,45°,135°,225°を通過する時点から」ってことらしいんだけど・・


あ゛あ゛~、もう!

ド素人の私からみれば・・

もう、こういったことで・・どの説が正しいか?な~んて議論すること自体が、ばかばかしくなってくる(笑)

結局のところ、どの人体星図(または、ホロスコープ)に、はめ込んじゃおうか?ってことに過ぎない気がしてくるから。



挙句の果てに、○○派だったかの占い師さんに、

年末の深夜近くに生まれた人が、自分がどっちだかわからないんですけど~、と、質問したところ、

「そうゆうときは、両方の鑑定結果から判断して、自分に当たってるな~と思う方を見ればいいんですよ~。」と、言われたそうだ。



そんな・・乱暴な~(笑)

客に丸投げですか~・・と、私は突っ込みたくなった。

そんな占い師さんもいる(笑)

・・・・・・・・・・・・・・・・・

算命学で時間を無視する理由(ある占い師さんによるコメント)
        ↓

「算命学は象位(運命に現れる現象)より質(本人の内面の思考、気質、役目)を重視するため、生まれた時間の干支を使用しないんですよ。

それ以上に重要視するのが、その人の家族環境であり、家系、生まれた地方、国家(文明国家~発展途上国というとらえ方)の環境の方が、生まれた時間における干支の影響より大きいと考えたんです。
だから、算命学では生時の干支を使用しないんですよ。」




なーるほど・・


「また、もうひとつ、算命学の考え方では、宿命が家系と縁があるか、ないかということも、重要なポイントになってるんです。
そのなかで、家系と縁ある生き方をしているのか、家系の恩恵を受けない生き方をしているのか
で、運命を論じ、宿命と生きる環境が一致するようにアドバイスしていく
そこに、算命学が、他の未来予測の運命学より、優れた開運技法としての価値があるのだと思いますね。」



これを聞くと、

つくづく、古来の日本的発想をベースにして生まれたものなんだな~と思う。


時差や場所の問題は別にしたとしても・・・

家系を知らない現代人や、お墓参りの習慣さえ持たない外国人には、当てはまらない部分も多いかもしれない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


医化学の祖で科学者でもあったパラケルスス(Theophrastus von Hohenheim(1493-1541)
って人をご存じだろうか。 (←もっと正確にいうと・・昔の人らしく・・医師、化学者、錬金術師、神秘思想家。悪魔使い・・なんて肩書もある)

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この人は、こんな言葉を残している。

「天とはすなわち人間であり人間とはすなわち天である。 
すべての人間が一つの天であり、天はただ一人の人間なのだ。」


彼は、人間と宇宙は常につながっており、切り離すことはできないものであり、人間とは宇宙を写し取った「小宇宙」。と考えたようだ。


また、ケプラーさんも同様。

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http://s.webry.info/sp/13662321.at.webry.info/201607/article_8.html


ケプラー(Johannes Kepler、1571 - 1630)は、惑星の軌道を計算した科学者として有名だけど、占星術師でもあった人だ。



星と人間の潜在意識がシンクロしているという考え方は、東洋・西洋問わず、占星術の基本となる考え方になってきている。


算命学もまた、東洋占星術の一つであり、木星の動きに注目して作られたという。
木星は太陽のまわりを約12年で1周する・・実際のところ、地球はずっと内側を回っているので、私たちから見れば、木星は12年かけて星々の中を1周しているように見える。


それならば、なおさらのこと、時間や生まれた場所を無視することは出来ないのではないだろうか?


そこに、「日本向け古いテキスト」を持ち出して鑑定したところで・・それにはムリがあるだろう(笑)




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     ↑
このイラストではユングの言葉の載せてるけど・・

「人間と星々」の関係は、「潜在意識」に関わるという概念があり、現代科学では、主に心理学の中にもちゃーんと息吹いているようだ。


心理学も占星術も、心という見えない分野を扱ってる点では同類だろうし、ちょっとばかしアプローチの方法が違うだけかもしれない。


・・・・・・・・・・・・・・

そういったことから考えても、

私は、すべての占星術(東洋、西洋問わず・・)が、個人の質(内面の思考、気質、役目)などを読み解く優れものだと思えてならない。

当然、近未来に起こる出来事だって、星から読み解くことは可能だと思っている。



ただし・・・生まれた場所・位置、時間によって、星から受ける影響は違うわけだから、決して誕生日だけで表に当てはめたりマニュアル化はできないと思うのだ。

ましてや・・誕生日を入れるだけのソフトで、すべてがクリアーにできるわけがない(笑)



プロフェッショナルな鑑定師さんが対面してくれて、はじめて、その個人を読み解いてもらえるんだと思う。

○○派だとか、○○理論とかに妄執・固執する鑑定士さんであれば・・そこから、すでに読み間違いを起こしてしまう気がする。



そもそも・・・どの占星術分野においても、優れた点もあれば、ダメ~!という点もあるはずだと思う。
あって当然だと思う。



理論だけに頼れば理論に溺れるだけだろうし、そこは、長年培った勘やインスピレーション、そして経験も要求されるものではないだろうか?


そして、物理学世界同様に、どんどん新たに塗り替えていく必要があるように思う。
アインシュタインの相対性理論だって、どんどん塗り替えられてしまってるわけだしね~。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

SANMEIGAKUを学んでたというアメリカ人男は、自分の先生に、

「あんまり当たってるとは思えない!」といったそうだ。

すると、
「そんなはずはありません。 この命式で間違いはありません。
外国人にだって通用するものなんですからね!」


と押し切られたそうだ。



フリーサイズ効果は、アメリカ人男には通用しなかったと見える(笑)

*フリーサイズ効果というのは・・XXです!と言われると、なーんとなく、そう思ってしまうこと。

例えば、A型は几帳面、B型は自己中と言われると・・多かれ少なかれ人には几帳面な部分もあるし、多少なりとも自己中の部分もあるわけなんだけど、言われたことだけにフォーカスして、あ、そうなんだ~と思い込んでしまうという現象。





客は、「実在するものと」「似て非なるもの」との判断力が必要だということだ(笑)  惑わされずに!



占い師に必要なのは・・たぶん一番必要な要素は・・

「目の前の一匹の迷える子羊」を救いたい!ってことかもしれない。

そう真摯に思えない占い師であれば、おそらく読み違えるだろう(笑)

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この男に、聞かれた。

「東洋のSAIMEIGAKUって、あなたは信じている?」



「私はすべての占星術を信じているよ、東洋西洋に問わず。 もちろん、SANMEIGAKUだって。

人間は宇宙を写し取った「小宇宙」だと信じてるし、また、逆に人間が宇宙に影響を与えてるとも思ってるから。

星と人間の潜在意識がシンクロしているってことを信じてるからね。」


「そうか~、運命は脳内にある潜在意識で作られていくんだね。」


そうじゃないよ!
潜在意識は脳の中じゃなくって、スピリチュアルな部分にあると思う。
それが同時に、天体を作ってるものだと思うよ!」

「あ! そうか~。 うーーむ、すごい!!」(←妙に納得した様子)で、この男は続けて聞いた。

「あ、だったら・・当たらないのはなんで?」


だからさ、そりゃ、読み違いをしてるからに決まってるだろーが!」




この男、もっとスピリチュアル部分に磨きをかけない限り、何も学べないような気がしてきた。。。
すごく、素直でイイヤツでは、あるんだけど・・・。

食物連鎖からみる人間とは

日本に旅行してきた人(フィリピン系アメリカ人)が、こんなことを言ってた。

「いやあ、神社にいったんだけどね~、 すっごく鳩がいっぱいいて近寄っても逃げないんだよ~。」

おやおや、神社に言って、一番印象に残ったのは大量の鳩だったのか(笑)

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「日本では鳩の天敵がいないんだね?」

ああ、そうなのかもしれない。

鳩の天敵といえば・・ワシ、タカ、フクロウ、カラスだったと思うが・・・ワシ、タカ、フクロウなどはほとんど見かけないし・・

人間界で暮らしてるカラスは、わざわざ、鳩ハンティングしなくっても、ゴミあさりは簡単にできるだろう。

それで、天敵がいない鳩は増えていくのかもしれない。



ましてや、日本では・・鳩を取って食べるって習慣もないわけだし(笑)

以前、中国からきた女優さんが、「日本に最初に来たとき驚いたのは鳩がいっぱいいるってこと。
うわあ、美味しそう!って思ったんだけど・・なんで日本人は獲って食べないんだろう?って不思議に思ったの。」



なるほど・・・中国では鳩にとっては、人間も天敵だったんだね~。



天敵がなくなって、ある種類の動物だけが増えれば、生態系を崩してしまうことにもなる。

アメリカのイエローストーンの例も以前に、こちらのブログ記事の中で紹介したことがあった。

オオカミと人と自然の関係

オオカミを絶滅させてしまったために、天敵のいなくなったシカが増えて草を食べつくし川の流れまでも変えてしまったという話。



天敵のいなくなった鳩も増え続けるのだろうか?



そういえば、ゴキブリも天敵があまりいないせいか、昔よりかなり増えたような気がする。

ましてや、家の中は暖かく食べ物が氾濫する時代なんだから。

ゴキブリの最大の天敵はクモだそうだ。・・・それもアシダカグモはゴキちゃんが大好物だとか。

このクモさん
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昔々、おばあちゃんが、「クモは殺しちゃダメだよ! 悪い虫を食べてくれるんだからね。」と言ってたことを思い出す。

なるほど、そーゆーことだったのか!



ところが、いつの頃からか、クモをほとんど見なくなった。 

家に中まで、家宅侵入してくる昆虫そのものが減ってきてる気がする。
(外にだって少ないんだから・・当然か~)


特に日本では!東京のマンションに住んでいたときは、一度も虫をみたことがなかった。


アメリカの方がまだ見かける。

私はLAに住んでるけど、たまにクモも入ってくるし、外にはリスがちょろちょろしてるし、スズメも鳩もペリカンもカモメだっている。

それでも、近寄ればささっと逃げる。。。つまり、それぞれ、天敵がいるってことだろう。

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日本もいっそのこと・・鳩肉を食べる国になればいいかも? 
フランスでは、ピジョンは高級肉とされてるようだし・・


そもそも、生まれた瞬間から虐待されて残酷に殺されるブロイラー鶏肉より、はるかにおいしいし栄養素もありそうだ。

鳩取り放題食べ放題にすればホームレスだって、助かるだろうに。



あれれ? 私は何の話をしてたんだっけ?


あ、そうそう・・天敵がいなくなり生態系が崩れ自然破壊になる話だった。。。




そういえば・・子供の頃に食物連鎖というのを教わった。
小学校の高学年の頃だったろうか・・

たしかこんなカンジのイラストがあって・・

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三角形ヒエラルキーのトップに人間が君臨してたことを思い出す。

それを見て、ガキ共が「やっぱ・・人間って偉いんだ!」と、

まるで、「キリスト教かぶれの傲慢白人」のようなことを言ったものだ。

注: キリスト教かぶれの傲慢白人とは・・「すべての動物は神様が人間のために作ってくださった。
だから好きなように扱っていいんだ!」
って考え方。

創世記 9章3節に「生きている動く生き物はすべてあなた方のための食物としてよい」
・・・と書かれてるので、ここんとこだけ捉えて都合よく解釈しちゃったらしい。(←ちゃんと全部を読めよ~・・・と言いたい。)




でも・・よく考えてみればわかるように・・ヒエラルキーなんてないのだ。


たぶん・・こっちのアメリカの教科書に載ってた方が、いくぶんマシなイラストかも。
    ↓
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下に書いてある、DECOMPOSERとは「分解者」のことだ。


以前に読んだ池波正太郎さんの時代小説の中の、こんなシーンを思い出す。

坊主が長屋の仲間にナマズを持ってくる。
「おう! みんなで鍋にして食おうや!」

男たち :「坊主の癖に、殺生かい。」

坊主 :「なーに。 こいつだって子魚を食ってここまで育ったんだ。 その子魚だって、もっと小さい魚を食って育ってるんだ。」

男1:「で、人がナマズを食って・・人は何に食われるんだ?」

坊主:「そりゃ、蛆(うじ)だろ。」



まさに、これぞ、Composer
これぞ、食物連鎖ですね~。





さて、ここで、ちょっとマジメ~な食物連鎖の話。

実に興味深い話だ。

食物連鎖をエネルギーの流れからみると、こんなことがいえるそうだ。
      ↓
降り注ぐ太陽エネルギーが緑色植物の光合成によって化学エネルギーに変えられる。

それを草食動物が摂取する。

しかし、草食動物は、光合成によって生まれたすべてのエネルギーを摂取できるわけではない。 
一部は未利用のまま。

さらにその上の肉食動物も同様に、その一部だけしか摂取できない。

連鎖の各鎖ごとに利用できるエネルギーは減少していく。

栄養段階の上位に位置するものほど、その下位のものより利用できるエネルギーの量が少なくなる。




ということは・・・最終的に動物を食べる人間が、エネルギー量(もともとは太陽から得たエネルギーの摂取が一番少ないってことになる。


もうひとつ、注目する点は、

sun_illustration.png


我々生物すべては、太陽からエネルギーを得ているということだ。

ただし、植物を除いて、食物連鎖の中でしか摂取できない・・・ということだ。




ってことは・・・一番、太陽エネルギーを存分に得ているのは、植物ってことになる。 
植物、恐るべし!



さらに、興味深いことがある。

食物連鎖が特に問題となるのは、連鎖を通じた有害物質の濃縮である。

有害物質が廃水などに混入して環境に排出されると、食物連鎖を通じて他の生物の体内に移るが、連鎖の段階(栄養段階)を経るごとに濃縮され大きな被害をもたらす。

たとえば・・昔あったような水俣病のような水銀中毒の場合、

工場廃水が海水を汚染する → プランクトンの体内に取り込まれ、 → それを食べた魚の体内に水銀が蓄積
最終的に魚を食べた動物や人に、高濃度の水銀汚染となって発症する。

魚のなかでも小型魚類を捕食する、マグロなど食物連鎖の上位にある大型魚類は、高濃度の水銀汚染がみられる。




え? 食物連鎖の上位にいけばいくほど、有害物質は濃縮される?

しかも・・

太陽エネルギーは、上にいけばいくほど、摂取しにくくなる?


これじゃあ、人間が一番、ダメじゃんか~!!


しかも・・汚染度の濃縮度トップの、大型マグロを美味しい美味しい!と食べたりするわけで・・・

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日本人は、こんなにもマグロ好きらしい。
     ↓
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食物連鎖からみていくと、人間が一番、食物に注意を払わなければならないってことは、よーくわかる。

環境保護というのは・・・その究極は、「正しい食」を意味するのかもしれない。
体内にエネルギーを取り込むための、「正しい食」


それを、マ逆にブチ壊すのが、汚染ということになる。

海の汚染といえば・・

工場や家庭からの排水、河川や大気から農薬などの化学物質

現在、一番問題になってるのは、マイクロプラスチック汚染だろう。

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おっと!

それどころじゃないかも。

石油流出事故もあったし・・

放射能汚染もあったし・・


放射能汚染なんて・・・結局ぜーんぜん回収されてない・・できない? いや、本気でする気もなかったのか?


とくに、放射能汚染においては、日本の海は最悪かもしれない。

こちらは、フクシマのときの汚染の広がる様
         ↓



うーーん、ひょっとすると・・日本が一番、地球環境をぶっ壊してるのかも・・
そうは、思いたくないけど・・。




こうやって、食物連鎖から見れば、すべての動植物の中で、人間が一番、弱い存在でしかないようだ。


なのに、いーーーーちばん、愚かなことをしてる。。。


とくに・・日本は、まーーたく関心がないのか、気がついてないのか・・



なんだか食物連鎖図をみているうちに、・・まるで、依存図のように思えてきた。

人間は肉食をし、その肉である家畜は草に依存し、草は土壌微生物に依存しているわけで、

そうなると・・・人間が一番多く依存しなければ生きていけない生物ってことになる。

しかも、太陽エネルギーは一番取り込めないくせに、汚染濃縮は一番強いんだから・・。

やっぱり、一番弱い存在だ。

こりゃ、依存図だ。


ならば、


せめて、精神くらいは依存せずに生きたいものだ。。。

アインシュタインによれば、ミツバチがいなくなると人類は4年で滅亡だとか。

農家直送の露天の店まで、ハチミツを買いに行ったら、「今年は収穫できなかったから無いよー」と言われた。

それで、仕方なくスーパーマーケットで買った。

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セージから蜜を採取したハチミツだそうで、甘ったるい香りもなく味も良く使い勝手がいい。

うーーん・・・しかし・・高いなあ。。。こんな小さなビンで15ドルもする。

日頃、砂糖の代わりに使っているので・・無いとなると困るのだ。



ついに、この地域でも、CCDがはじまったんだろうか?



CCDとは・・・Colony Collapse Disorder

日本語では、蜂群崩壊症候群(ほうぐんほうかい症候群)と言うそうです。 (←日本語の方が難しい言葉を使っている)


どうゆう現象かというと・・

2006年頃から、巣箱全体の30~90%もの大量の蜂が突然いなくなる。
女王蜂や幼虫は巣に残っている場合が多い。
なぜ、こんなことになっているのか・・いまだに原因が特定できていない。
不吉なことに、巣箱の中や巣箱付近にも蜂の死体が見当たらない。




どうやら、働き蜂たちがお仕事に出ていったきり、帰らなくなってしまう(帰れなくなってしまう)という現象が起こっているらしい。


原因はわかっていないものの・・

気候の変化、寄生ダニや感染症、農薬などではないか?・・・という話だ。
 
それらすべてが複合的な原因となっているのかもしれない。


その中でも、最も疑われているのが、ニコチノイド

これは農薬に含まれている成分だ。



ミツバチは、人類よりも早い時代からこの地球上に生れ、厳しい氷河期すらも生き抜いてきたとされる、かなりなタフガイ連中。


オレンジの花から蜜を集めるハチ(私はこのオレンジの花から集めたハチミツが一番好きなのだ。)
      ↓
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それが、気候の変化や寄生ダニやら感染症ごときでやられるとは思えないんだよなあ。



ネオニコチノイド系農薬は、昆虫の神経をかく乱させることで毒性を発揮するという。

神経系にダメージを受けてしまったハチは、巣に戻ることができなくなってしまうのだろうか?


実際、ニコチノイド系農薬は、世界中で実に多く利用されているのだ。

農薬だけではない!

我々の身近なところにも山ほどあるのだ。

ネオニコチノイド系殺虫剤の利用
一般家庭のガーデニング用、農業用、シロアリ駆除、ペットのシラミ・ノミ取り、ゴキブリ駆除、スプレー殺虫剤、新築住宅の化学建材などにも。



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蚊取り線香は夏の情緒!なんて・・言ってる場合ではない(笑)
除虫菊を使った天然素材を探すだけでも大変かもしれないのだ。。。



人間には害が少なく、昆虫にはよく利くということで利用され始めたらしいのだが・・


ネオニコチノイド系農薬は、昨今では「人の脳や神経の発達に悪影響を及ぼす可能性がある」として、
2013年頃から、世界中で禁止、規制される方向へと動いている。


ん? 農薬といえば・・モンサント社か?

ちょこっと調べてみたら・・やっぱり、モンサントだった。(笑)



そのせいか、アメリカは欧米諸国のようには規制されていないらしいが・・

それでも、すでに、それぞれの州で禁止されたり、厳しい規制が敷かれてきてる状況だ。(←アメリカは州によるところが大きい)

米国初・ネオニコチノイド系農薬の使用を禁止するメリーランド州

日本で規制緩和が進むネオニコチノイド系農薬。米オレゴン州では規制へ


ところで、日本はどうなんだろう?

ネオニコチノイド系農薬、世界諸国が使用規制を進める中、日本は逆行!その実態とは?!


おい!

どんどん規制を緩めて使い出すって、どーゆうことよ!



こんな証拠となるようなものさえも上がってきている昨今、
      ↓
ネオニコチノイド系農薬とハチ減少に新たな証拠

それでも、日本は規制するどころが、どんどん使いだす?


やれやれ。

呆れてモノが言えないぞ!

アインシュタインによれば・・ミツバチがいなくなると、人類は4年しか残されていない。 ミツバチがいなければ受粉が出来ず、植物はなくなり、動物もなくなり、人類もなくなる・・・と言ったそうだけど・・

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アインシュタインさん、もしもこの時代を生きていたら、ミツバチを救う研究や汚染された地球を蘇らせるための研究ををしてくれただろうか?



汚染は、ネオニコチノイドに限ったことではない。

食品添加物まみれの食品、抗生物質と成長促進剤まみれの肉、大量の医薬品・・・


人が、便利でラク、安価を追究し、そのニーズに合わせて企業が利益追求に突き進んだ結果が、こういった現状を作ってしまったというわけだ。


ひと昔前の農家は大変だったそうだ。

ずーーと前だけど・・農家のお年寄りが言っていた言葉を思い出す。

「昔は大変だったよ~。
でも、今はラクなもんだ~。 こうやって農薬散布するだけで虫はつかなくなったし、手間がかからないし、
無駄にすることなく、多くを出荷できるようになったんだから。」


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http://nou-ledge.com/page/2/

「でも、ウチで食べる野菜には農薬を使わないようにしてるんだ!
だから・・出荷するものとは別にしてるから大丈夫。」


おいおい!

以前、メンタイコ工場を見学したとき、工場長が・・
「こんな添加物まみれで、膨張剤を使って見栄えを良くしただけのメンタイコなんか、俺たちは絶対食べないよ。」

と言ったのが、フラッシュバックする(笑)


こんな世の中に誰がした?

消費者がしたのだ。 

(政治や企業のせいにする人もいるけど・・私は一番の原因は一般消費者だと思っている。)

そして、蜂がいなくなる。。。


蜂どころか・・・夏の蛍、秋の赤とんぼも、ツバメもすっかり見なくなった。

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昔はよかったな~。

・・・という郷愁に浸ってる場合ではない(笑)



蜂がいなくなる。 → そりゃ養蜂家は困るだろう


多くの人が、それしか考えられないとしたら・・そりゃ、世界は滅亡に一直進だ。(笑)


蜂の役割として、受粉がある。

果物・野菜を栽培する農業の現場において、果実を実らせるための受粉をしてくれている。

ミツバチが世界で生産される全作物の3分の1以上で受粉を行い、75%について生産性を高めているという。

つまり、ミツバチが絶滅すると、少なくとも世界の作物の3分の1が失われる恐れがあることになる。



こちらは、グリーンピースの記事だけど・・
ミツバチがいなくなったら、いったいどうなるの?



「僕はね、そんなこと、ぜーんぜん気にしませんよ。
今は、モンサント社の提供する、遺伝子組み換えで、あらゆる穀物、果物、野菜が作れるんですから。
そのために、モンサント社があるんですよ。」


と、このオッサンは言うだろう。

Monsanto CEO
   ↓
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モンサント社からビジネスの定義を考えてみる

遺伝子組み換えとワクチンと



こうやって・・世界の方向が決まっていく。


それにしても、日本は愚かな人々が多いのかもしれない。

あまりにも・・現状を知らなさすぎるし、それを考えてみようともしないらしい。

もちろん・・アメリカ人だって、なーんも考えない愚か者は多いんだけど・・

それでも、一部の人は、水道水のフッ素混入を反対したり、ネオニコチノイドに反対する人が必ずいる。

そういった人々が地域運動を起こし、それがだんだん大きなパワーとなって人々を巻き込み、州法を変えてしまうことだって多いのだ。

現に、いくつかの州では、規制せざるを得なくなったのだから。


しかし・・日本では、あまりそういったことは起こらないようだ。



以前、体調不良を訴えていた人に、食品添加物、薬害やら農薬についての話をしたことがあった。

「農薬? 食品添加物だって?
そうはいってもねえ・・・現状が、こうなってるんだから仕方ないだろ?

少しでも安い方がいいし・・気取って高いオーガニックなんか買う気はしないね。
別に、農薬が少しくらいついてたって、すぐに病気になるわけじゃないよ。」


そのくせ、少しでも体調を崩すと、その人はすぐに薬を飲む。

毎日数種類の薬を何年も飲み続けている。
その上、今日は鼻水が止まらず、風邪か花粉症かわからないから・・両方の薬を飲んだという。


こうゆう人に、「地球環境」の話を持ち出したところで、遠い遠いところの、フワフワしたよそ事にしか聞こえないだろう。

でも、フワフワしてるのは、この人の方だろ!・・・と、私は思う(笑)



もういい加減・・フワフワやさしいだけの羊さんでいるのはやめようよ~。

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やさしいだけの羊さん

目先のことしか考えられない羊さん

何でも人任せの羊さん

みんなで一緒にフワフワしてるだけの羊さん、

仕方がないよ~といってるだけの羊さん




一見おとなしくて、かわいく見えても・・毒にも良薬にもならない存在だ。

そうゆうのは、醜い羊さんじゃないだろうか?


自分の体をおろそかにする人は自分の心も精神もおろそかにする人だし、また他者も世界も・・おろそかにする人に思えてしまう。

そんな人が、本当に何かを愛することなんて・・できるとは思えない。



こっちの羊さんたちの方が、ずーーと真摯な生き方をしてるような気がする。
    ↓
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私には・・美しい生き方に思える。

始めに言葉ありき_言葉について考える

魯山人のエピソードと密教の中で、以心伝心のエピソードを載せました。
    ↓

ある時、お釈迦様が弟子の前で花を一輪手に取って、それを眺めていた。

ただ、それだけのこと。

ある弟子は、お釈迦様のそんな様子に気を留めることもしない。

また、ある弟子は、なぜお釈迦様が花に関心を示しているんだろう?と思う。

一人の弟子だけは、それを見て、はっ!とする。・・・そして悟りを得てしまった。



これこそ、以心伝心


密教の奥義
ただ、心から心に伝えることが大切であり、
文章や説法(ことばよって伝えることのみを貴いとはしない。





これについて・・また、しみじみと物思いにふけってました。。。



そういえば、日本でも昔は師弟制度があったよな~、と。

主に、商人や職人を目指す人たちは、親方のところに奉公して見習いとなって学んでいかなきゃならない時代だったはずです。


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若いころの私は、この、古臭~い子弟制度ってのが大嫌いでした。

料理人として見習いに入ったのに、何年も掃除とジャガイモの皮むきばかり。

親方や先輩は威張ってばかりで、私用までも言いつけられる。

日々掃除や雑用ばかりで肝心な技術を教えてもらえない。

そもそも、1日の労働時間がものすごーーく長い。




こんなことを、常々聞いてたせいでしょうかね~。


ところが、昭和の時代になると、さまざまな専門学校が出来ました。


これで、悪しき封建制度も終わって、つくづくよかったな~と思ったものです。



しかし・・以前の、こちらのブログにも載せたように、
   ↓
右脳を使うこと、ピアノと数学と師弟制度

師弟制度でなければ学べないことも多いんじゃないかな~と、ある時、気がついたわけです。
いやいや、むしろ・・師弟制度の方が、学びも多いんじゃないかな?って気がしてきたんですよね~。


昔の私は・・調理人を目指すんだったら、包丁さばきや煮炊き、焼きの技術を身に着けることが肝心なわけだし・・

それを、さっさと教えればいいだろーが!
掃除や後片付けなんてやらせるなよ!


と、私は思ってたんですが・・


今ではむしろ、掃除や後片付けの中にこそ学ぶことは多いのかもしれない・・と思うようになりました。

掃除だけをとっても、大工さんの工房と料理人の板場では、掃除の内容も、その必要性も全然違うわけだし・・

後片付けをしながら、カンナ屑をみたり、野菜の切れっぱしを見て学ぶことは盛りだくさん。


つまり、まずは自分で学び取れ。
「自分から学んだことでないと、本当には理解できない」ってことだったんだな~と気がついたわけです。



理解すること、身につけること・・・それは、頭だけで理解することではなく、頭と体と魂のすべてで感じて理解するってことなんだな~、と、そんな事からも、気がつかせてもらったわけです。


あ、だからと言って・・・学校に通うよりも師弟制度の方が優れている~なんてことを言いたいわけじゃないですからね。

もちろん・・中には傲慢で横暴なだけの師匠や兄弟子だっていたでしょうし・・そんなところに入ってしまったら、そりゃあ、ただの掃除係と小間使いで終わっちゃう・・・なーんてこともあったでしょうから。



高卒で進学をやめて、ドイツに行ってしまった人のことなんかも思い出しました。

その人は、本場ドイツのマイスターに弟子入りして、バイオリン作りをするのが夢だと言ってましたっけ。

イメージ写真ですが・・
    ↓
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「えー、そんなことでわざわざドイツに行って苦労しなくても、今は日本に学校だってあるじゃない!」

と、言う私に・・

「それじゃあ、ダメなんだよ。 伝統の工房の中で、その匂いを嗅ぎ、同じ空気を吸ってこなければ、ストラディバリは生まれないよ!」・・と、笑って言われました。

ストラディバリみたいなのを作る気かよ!!


当時の私は、匂いや空気なんか・・バイオリン作りに関係ないだろ!と思ってましたが・・そうじゃなかったんですよね。

その人は、ドイツ、ウィーンなどの有名オーケストラの演奏を頻繁に聞きに行くことから始めたそうです。

そういったことのすべてが・・ようやく私の中で1つになったような気がします。

この年になって・・ようやくですけど・・(笑)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「言葉を使って教えること、相手に伝えること」は、

私たちの職場でも、後輩に仕事を教えたり引継ぎをしたりなんてこともあるわけで、日常的に多々あります。


同じように教えても、ちーーとも理解が出来ない人もいれば、即座にポイントをつかんで覚えてしまう人もいます。

人によって実に様々なものです。

聞いただけで黙って理解してしまう人もいれば・・
すごく良い質問をしながら覚えていく人もいるし・・
関係ない事までクドクド質問してきて、ポイントから外れてしまう人もいるし・・(笑)


私も若い頃は、

すぐに覚えてくれる人=優秀、 
なかなか理解できない人=ダメ人間


と思ったものです。


逆に教えてもらう立場になったときは・・・

自分がなかなか理解できないと、教え方が悪いんだよね~、ちゃんと適切な言葉を使って教えてくれないんだもん!

と、実~に自分勝手なことを思ったものでした。。。


他者に対して、自分の世界を中心にした見方しかできない。

まさに、それって「傲慢」の、ひとことですね~。



でも、あるとき、ふと気がついたんですよね~。


人には波長が合う人、合わない人もいるわけだし・・・そもそも、波長なんてそれぞれ違って当たり前。

相手に伝わらないのは、相手が理解する言葉で適切に伝えてなかったんじゃないか!と。

つまり、自分の問題じゃないか!・・と、気がついたわけです。


人に教えるということは・・相手の波動をキャッチして、相手に合わせた言葉を使わなければ理解してもらえない!


同時に自分が習うときもまた、先生側の波動をキャッチしようとしなければ、わからない!ってことにも気がつきました。


これは傲慢さが消えて、単に謙虚になったってことよりも・・

ようやく、「マトモに客観的に見えるようになった」って、ことに近いかと思います。


人に教えることは、
感、や、勘をフル活用しなきゃいけない!ってことにも気づきました。

すると、すべてにわたって、「通りがよくなる」気がしました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・

ある方が、「老子の無為自然というのは、常に現実のままが正しいってことなんだよ。」っと解説した人がいて・・

それに対して、

じゃあ、シリアの爆撃、原発、大気汚染・・・これ現実だけど、それを肯定するんかい? それが正しいわけ?

と、ひどくツッコミを入れられてるシーンを目にしたことがあります。


たしかにそうですね~。 

現実が正しいなんて言ってしまったら、現状に甘んじてなーんもしない。
改革も改善も無しってことになっちゃう!


でも、よーく聞いてみると・・

「現状をまず知り受け入れることから始まる」ので、それが「正しい在り方」なんだよ!と、その方は伝えたかったようです。

ああ、こうやって、誤解されちゃうケースもあるんだろうなあ、と。(笑)




そういえば、こんなのもよく聞きますね~。

「欲望のままに生きるべきではない、すべての欲を捨てろ!」なんて言われたり、

かと思えば、

「我慢して欲望を抑えるのはいけない!」とも言われたり・・


仏の道は、欲・煩悩を捨てることだと思っていたら・・

「理趣釈経」という教典も存在する(笑)

俗にいう、「理趣経」のことですね。
理趣経については、こちらの過去記事でちょっとだけアップしたことがあります。
    ↓
空海とシュタイナーの関連性



美味しいものを食べたり、好きな音楽を奏でたり聞いたり、または恋に落ちたり、セックスしたり・・
それもまた、菩薩の境地だと言ってるわけです。




え? 欲望は抑えなきゃいけないんじゃないの~?
もう! 何を信じたらいいんだよ!



と混乱しちゃう人もいるかもしれませんね。


実際のところ、この理趣経は特に門外不出で、空海さんは、最澄さんにも貸さなかったそうですよ。

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最澄さんというのは、天台宗を開いた人で、最高位の知識人とされていた人です。
唐留学にも、国費で留学したくらいの人ですから。

それに比べて空海さんは自費留学生・・・当然ながら、当時は最澄さんの方がランク上とされていたわけです。


その最澄さんが、頭を下げて「勉強したいから本を貸してください!」って頼んでるのに、空海さんは、NO!だったそうです。

空海 :「そんなに学びたければ教えるから、こっちに来てくださいよ~!」

と言ってるのに、時の人である最澄さんは仕事が超忙しい!

最澄 : 「だから~、僕、そんなヒマないから、本だけでも貸して!ってお願いしてるじゃん!」

空海: 「それじゃダメ~。 この経典はとくにダメ。 読んだだけで学べる内容じゃないんだよ!」

最澄: 「どーして?? 僕が読んだだけで理解できないバカだっていいたいわけ?」



これは、私の想像ですけどね~。

実際のところ、このお二人の関係を悪化させたのは、この理趣経にあったともいわれてます。


たぶん・・空海さんは、言葉だけで真の教えを誤解されたくなかったんだとは思いますが・・。




こーんな昔から・・

言葉ってのは、やっかいなものです。

言葉を発する人、それを受ける人の間で、差異が出てしまうことも多い。

つくづく、宗教を含む、精神世界の事を伝えるは、特に大変なことだと思います。


この時代も、言葉を頭だけで理解して教えようとしてしまったり、
教わったことを頭だけで消化しようとしまう人も多かったのかもしれません。

それが、そのまま、誤解されたり曲解されたまま、後世にまで伝わってしまったり・・・

そういったことも多々あったような気がします。


・・・・・・・・・・・・・・

ずっと昔読んだファンタジー小説に面白い一説がありました。
(話がコロコロ変わってすみません。。。思いつくまま書いてますんで・・)


多くの人々が、魔物が襲ってくるような危険な土地を旅をしなければならないとき、

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危険を避けて無事目的地に到着するために、多くの人たちは、土地に詳しい「案内人」を雇い入れるんですよね。


案内人が、「ここでは、夜は絶対に火を炊いたらダメだ。」と雇い主に教えると、

それを漏れ聞いた人たちは、「夜は絶対に火を炊いたらダメなんだって!」という言葉だけが、あっと言う間に広まっていく。

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しかし・・・

場所によっては、また、そのときの状況によっては、火を炊いてもいい場合もあり・・・むしろ、火を炊かなければならない場合もあり・・

さらに、火の炊き方も場所も様々なケースがあるわけです。

藪の近くで炊くか、大木の根元で炊くか・・どのくらいの炎にするのか、細々とした事が状況によって全然違ってくるわけです。

そもそも、夜、火を炊かなければ、食事のための煮炊きもできず暖も取れず、体力が持たないわけだし・・
また真っ暗闇では、敵襲があったとき、何も見えないことにもなる。


そのすべてを言葉で伝えたり、本に書けば膨大な量にもなってしまうし到底伝えられるものではない。

仮に膨大なマニュアルを作ってもらって、それを読破したところで、

すべてがマニュアル通りにいくわけでもない(笑)


それが、現状だと思うんですよ。



案内人が長年かけて培ってきた経験と勘による判断が大きいわけで、
それを一気に言葉にして伝える(教える)ことはムリなんですよね~。


本や講義を聞いただけでは学べないこと、というのは、こういったところにあるんだと思います。




名人と呼ばれる料理人は、その日の温度や湿度、天気によって・・塩加減を変えると聞いたことがあります。

それもまた、言葉では教えられないことじゃないでしょうか?




まさに、以心伝心でしか、伝えられないこと。

さらに、長い時間をかけて自ら経験を積んだ先に見えてくるもの。

それが学ぶということかもしれません。



・・・・・・・・・・・・・


一方で、言葉とDNAの関係では、

すでに数年前から、科学者によるジャンクDNAの研究から、言葉と周波数でDNAのプログラムが変わることも、発見されています。


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極端に言ってしまうと・・DNAは言語が具体化したものとも言えるそうです。

つまり・・言葉によって(発する言葉も受け取る言葉も)、常に心身に影響を与えるということでもあり=(常にDNAの書き換えが起こっている)ということでもあり・・

さらに、ジャンク領域の研究によって、ハイパーコミュニケーションの存在すら、認められるようになっています。

ハイパーコミュニケーションというのは・・
スピリチュアル世界でいうところの、透視、直感、ヒーリング(遠隔ヒーリング、自己ヒーリングを含む)、アファーメーション、人の周りの光、オーラ、天候のマインドによる変化、テレパシー、念動力、シンクロニシティーなどと、考えて構わないと思います。



以前に、アップしたブログのどこかでも・・

●DNAは情報を引き寄せ意識の橋渡しをする。
●ハイパー通信プロセスは、リラックスした状態での最も効果的となる。
●それぞれの言語もまたDNAと深い関係がある



なんてことを書いた覚えもあります。(えっと・・どこだったか・探すのがめんどくさい。。)


まさに・・・たかが言葉、されど言葉

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「太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と偕(とも)にあり、言は神なりき。」・・・これは、"Gospel of John" ・・・つまり、ヨハネの福音書の有名な部分です。 (ジョンが歌ったゴスペルと勘違いした人もいたけど・・違うからね! いや、似たようなものかなあ?)


この解釈も、いろいろと言われてます(笑)





「学ぶ」ということにおいて、ときにはマイナス面にもなってしまう言葉ですが・・

とっても簡単でやさしい言葉は、不思議と誰にでも、すーーと入っていくみたいですよ。


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とか・・

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最近の私は、相手に対してせいぜい60%くらいの感謝しかないときでも、

「ありがとう!!」と、即座に言うことにしているし・・

同様に、「わあ! ステキ~だね~!」 「大~好き!」も、大安売りで言っています(笑)

人だけでなく、ネコにも犬にも、花にも・・・。



相手がシャイな日本人だったり、人を信用しないタイプには、最初びっくりした表情をされて引かれちゃうこともあるんですが・・

それでも、嬉しそうにしてくれるんですよね~。


その嬉しい気持ちが、ブーンと、ブーメランで私にも戻ってきます。


そして、60%の感謝しかなかったはずなのに、なんだか100%の感謝に感じられちゃったりするんですよね~。

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こうゆうのを、アファーメーション(affirmation)っていうんでしょうかね?




言葉はたしかに、厄介なときもあるんだけど・・・


単純でやさしい言葉は、誰にでもストレートに伝わりやすい!

誰もが全身全霊で受け止めてくれる。

誤解も曲解もされず、誰もが受け止めてくれる


それだけは確かなことだと思います。
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スピリチュアル世界中心のブログ★

gingetsu2010

Author:gingetsu2010
アリゾナ州セドナにて、アクセサリー工房Alizona*銀の月*をオープンしてる銀月です!

日々の生活や体験の中から、社会のこと、スピリチュアルなことなど・・思いつくままに書きつらねてます。

皆様にも「スピリチャアルの意味」「生きる意味」を感じて頂けたら、幸いです!☆

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