異常気象から「気の流れ」を考える

ハワイのキラウエア火山や、中米グアテマラのフエゴ山の噴火、さらに、首都のグアテマラ近郊にある、パカヤ山という火山までもが立て続けに噴火してしまった。

ハワイキラウェア火山噴火と地中に見える青いメタンガス
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G Brad Lewis Face Book



フエゴ山の噴火・・・遠目で見れば、不気味な美しささえ感じるけど・・

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すさまじい噴煙が噴出し溶岩が流れ出し

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沸騰した溶岩が押し寄せてきて

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一瞬のうちに家も人もすべてを飲み込んでしまう。


こちらは、傷つき生き残った犬
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詳細については多くの報道がされているので、あえてここで述べるつもりはないけど、
多くの死者、行方不明者を出していることは言うまでもない。



さらに、カリフォルニア州に住む私たちにとって、イエローストーンは比較的近くにあるため、こういった火山噴火の話題は頻繁に耳にする。

話題といっても・・

「また、噴火だってね~。怖いね~。」

「せめて、避難準備をしておくしかないよね~」

「イエローストーンはどうだろう?」


せいぜい、その程度の会話にしか過ぎないのだが。


イエローストーンというのは、ここに位置している。
       ↓
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イエローストーンは有名な国立公園なので、アメリカ旅行で訪れた方も多いことだろう。


旅行会社の説明にも載ってるくらいだ。
     ↓
イエローストーンの見どころ楽しみ方

ここにもあるように、イエローストーンの間欠泉というのが、有名で・・昔は45分ごとに規則正しく吹き上がっていたそうだ。

しかし、1960年ころから、不規則になり・・

さらに、近年にはますます不規則になり、めーったに吹き上がらなくなったかと思うと・・

90mにも達するような巨大なものになったり、今年に入って8回も吹き上がったりと、

とにかく異常性がみられるようだ。


こちらは、Washington Postの記事だが・・
A Yellowstone geyser has experienced unusual eruptions lately — and scientists can’t explain why


「巨大噴火が懸念されている、だけど・・科学者には説明がつかない」というような内容になっている。

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また、去年の記事では、イエローストーンで群発地震が2500回以上も観測されていたり、

多くの動物が逃げ出している・・などと言う記事も何度も目にした覚えがある。


いずれにしても、イエローストーンが大噴火ともなれば・・おそらく犠牲者は数百万人にもなるだろうし、北米は全滅・・

地球上すべてに渡って多くの影響を及ぼすことになるだろう。

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https://www.express.co.uk/news/world/971031/Guatemala-volcano-eruption-2018-Ring-of-Fire-Fuego-Pacaya-map


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

しかし、昨今では、とりたてて火山の爆発や地震に限らない、
多くの「異常な出来事」が観測され続けている。

ここ数年前を振り返ってみても・・

異常気象・・サハラ砂漠で雪が降ったり

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世界一乾ききった場所と言われた、チリのアタカマ砂漠、ここだけど・・
   ↓
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ここが、お花畑になっちゃったり・・
   ↓
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とんでもない気温をあちこちで記録したり・・

早朝の時間に122度って?(摂氏50度のことだよ!)
   ↓
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「観測史上初めて」、だとか、「100年ぶり」だとか、「千年に一度の現象」だとか、そんな文字ばかりが踊っている。


相変わらず、動物の大量死は止まらないし・・

湖には有害な藻の大繁殖が起こっている。

エリー湖は、かなり酷いらしいのだ。
以前、この近くに住んでいたことがあったので・・なおさら胸が痛くなる。。。
     ↓
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なんなんだよ! このミドリの水は!!

魚も死んでいくし・・
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このままじゃ、フロリダのマナティーも全滅するかもしれない!とまで言われている。。。

こちらは、2014年のナショジオの記事より
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/9552/


しかし・・・


「なぜ、こんなことが起こっているのか?」は、誰にも、なーんも・・解明できてないのだ。


異常気象も、動物の大量死も、地震や火山についても、藻の大発生も・・

あ、あと・・「北極で黒い氷が拡大している」ってニュースもあったなあ。。。

これは、黒い氷の原因は、藻類やバクテリアなどの微生物などに由来する「クリオコナイト」といわれる直径1~2ミリの物質らしい・・・と言われてるけど。

黒い氷じゃ太陽熱を吸収して溶けやすいだろうし・・北極や南極の大量の氷が解ければ、どうなるか?
海どころか、それもまた、大きく気象状況も変化させることだろう。

考えるだけでも恐ろしい!





「異常気象を招く原因は、ジェットストリームにある」
・・・という記事が日系サイエンスに載っていたことがあった。

異常気象をまねく暴れるジェット気流


それが、今年になって、シカゴニュースの記事に、こんなのをみつけた。
   ↓
New theory finds ‘traffic jams’ in jet stream cause abnormal weather patterns


この方は、シカゴ大学の日系人の教授らしいが・・またも、In Deepさんの記事で翻訳までされていたので貼っておきます。
    ↓
地球のジェット気流が崩壊している中で、その大気の循環異常のメカニズムがアメリカの日本人科学者によって突き止められる

このジェット気流を車の流れに例えていて、

ジェット気流には能力の限界があり、道路を過度の量の車が通過しようとすると渋滞が起きるように、ジェット気流でもそのキャパシティを超過すれば、交通渋滞と似たような状態が起こる



なかなか、わかりやすい面白い例え方だね~。


ここで、はっ!と気がついたことがあったのだ。


やっぱり・・気の流れなんだなあ、と。


東洋医学では「気の流れ」に注目していることは、おそらく皆さんもご存じでしょう。

東洋医学では、気・血・水(キ・ケツ・スイ)という身体を循環するものがあると言われていて、
その滞りや不足、過剰などが病の原因となるとされている。
ツボは、身体を流れる気血水の通路にある要点であり、そこが外部とのエネルギーの出入り口とされている。



最近はアメリカでは、西洋医学の中にも、こういった東洋医学をドッキングさせて、ホリスティック医療を行うところも、ずいぶん増えたものだ・・。

おっと!

ここは体の話をするとこじゃなかったんだ・・・


つまり、体だけでなく、地球すべてが同様なんじゃないかな!と思ったわけ。

気の流れが滞れば病になる=問題が多発してくる

と、いうことではないかと。。。


すべての基本は循環にあるはず。

「雨が降り地に浸み込み、蒸発して雲となり、また雨となる」ことも・・

また、食物連鎖も→食物連鎖からみる人間とは



循環を滞らせるものは何だろう?

これもまた、すごーーくいっぱいありそうだ。


殺虫剤、農薬、洗剤、癌治療剤等の薬品に含まれる化学物質・・・すべて文明が生み出したもの。

中でも、異常なくらい増えてるのが、マイクロプラスチックじゃないかと思う。

いったい、一人当たり、年間で・・どんだけの量のプラスチックゴミを出しているのか?

データを張り付けようかと思ったけど・・なんだか気分が悪くなったのでやめる・・・各自調べてみてください!

一見、ゴミも浮いていない海。しかし、その中にある微細な物質が大量に漂っている。大きさ5㎜以下のプラスチック=“マイクロプラスチック”だ。世界中から海に流れ出るプラスチックの量は、推計最大1300万トン。

それが砕け目に見えないほど小さくなり、海に漂っているのだ。

“マイクロプラスチック”は、海水中の油に溶けやすい有害物質を吸着させる特徴を持っていて、100万倍に濃縮させるという研究結果も出ていて、生態系への影響が懸念され始めている。
同支社海ごみ調査隊からの引用




とくに日本人の出すゴミの量は、世界一ではないか?と言われている。
アメリカ人からみれば、びっくりするほどの過剰包装をする国だからね~。

スーパーの青果売り場をみたってわかると思うけど・・

日本のスーパー

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アメリカのスーパー
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そして、買い物バッグ持参で買い物をする (現在カリフォルニアではビニール袋は廃止された)
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アメリカでは、おしゃれなスーパーに行けば行くほど、パック詰めは無い。

おしゃれ=エコロジー感覚=ハイソサエティー
という感覚があるらしい。



座礁したクジラの胃の中から、30枚ものビニール袋やら自動車部品までもが出てきた・・というニュースを見たことがあったけど・・

目に見えなくなっていたところで、マイクロチップはしっかりと、存在しているのだ。


それらは、私たちが日頃口にする小さな魚たちの中にも吸収されてるだろうし・・


この記事によれば・・海の塩の中にも検出されるそうだ。
     ↓
マイクロプラスチック ほぼすべての食卓用海塩に含有


・・・・・・・・・・・・・・・・

土にも海にも還らないもの。

燃やせばダイオキシンを発生する。 (←中には燃やしても害がないと言われてるものもあるけどね~)

土・海・空気にも拒絶されてしまって、ただ、ゴミとして蓄積されていくしかないものなのだ。

どう考えたって、そりゃあ~、どんどん、どんどん、どんどん・・増えてくだけ。



私は個人的に、昔からプラスチック製品は好きじゃないので、あまり使わない方だとは思うけど・・
それでも、家の中を見渡せば、うーんざりするほどある。


ひょっとしたら、川や海にいる魚の量よりも、すでにマイクロプラスチック量の方が超えてしまってるんじゃないの~?

なんだか、そんな気さえしてしまうのだ。。。

私たちは魚よりも、プラスチックを食べてるのかもしれない。。。


「やっぱ・・肉と野菜を食べよっと!」

「そりゃあ、成長促進剤とグリサホート食べてるようなものだろーが@」


おっしゃる通り@@



これじゃあ、

地球のすべてが循環している以上、トラフィック・ジャム(交通渋滞)が起きるのも、もっともなことだ。


それでも、みなさんが・・

「ここまで来ちゃったんだから、この生活は変えられないさ、無理だね~!」と、口を揃えて言うならば、

いっそのこと、イエローストーンに大爆発を起こしてもらって、世界を一気に変えて頂いた方がいいんじゃないか?・・と思ってしまう私だ。 (←危険思想と言われるけど)

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私は、多少の不便は構わない。

それよりも、自然と一体化した文明生活をしたい!

すべてのものが、土に、海に、空気中に・・還っていかれる生活を!


病気も強力霊も「匂い」で感じる人と動物

ペットフードのまとめ買いをしようとペットショップに出かけた。

いつもは、近場のスーパーマーケットで買ってしまうのだが、専門店に行けば種類も豊富にあるし・
おまけに、今日は久々に晴れ渡った日曜日だ!♪


ウチのネコも連れて、一緒に店内に入ることにした。(←頻繁にネコを連れてドライブしてる。)

まさに、こうゆう状態で。 (この画像はお店の宣伝にアップされてた画像なので・・犬だけどね)
  ↓
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「この猫缶なんか、どーかね? それとも、こっちがいいかね?」
・・と、ネコに聞きながら買い物をする。

すると、鼻をくんくんさせて、

「うにゃ、こっちじゃにゃ!」・・と、言わんばかりにウチのネコが選んでくれる。

カートに座りながら、興味深そうに、商品をながめたり人や犬たちを眺めたり・・・ショッピングを楽しんで頂けてる様子。

そこまではよかった。


ところが、広い店内を回っているうちに・・・

突然様子が変わってきたのだ。

はじめは、軽くクンクン・・と匂いを嗅いでたのが、だんだん、フンフンフンフンとなり、そのうち、フガフガ・ンフガ~となってきたのだ。

つまり、異常に、何かの匂いに反応しだした。

これは、危険信号なのだ。

私は慌ててネコを抱きかかえ、一目散に出口に走った。

すでに、小さなうなり声まで上げてきている。

やばい! 間に合うか!!

息を切らしながら出口を出て、車に向かうときには、すっかり、いつものネコに戻っていた。

何事もなかったかのように。


そのままネコを車に入れ、放りだしてきたカートのところに戻り、私は一人で買い物を続けた。

レジを済ませて戻ってみれば、後部座席で大の字になって寝ていた。

やれやれだ~。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

うちのネコが猛烈に匂いを嗅ぎだして・・徐々に興奮してきたときは、とにかく、要注意なのだ。

彼女が嫌がるような・・「何かものすごく嫌なものがある」ということなのだ。

それをなだめたり我慢させていると、とんでもないことになる。(←経験上)

低いうなり声をあげて、対象に向かって攻撃態勢に入るのだ。

その前に、抱きかかえてる私の腕は悲惨なことになる。 
ひっかき傷と噛み傷でズダズダにされること間違いなし。

こんなことを言うと、なんとまあ、攻撃的な子だと思われそうだが・・
彼女の名誉(?)のため、言っておこう(笑)

決して攻撃的タイプではない。

初対面の人に撫ぜられることもぜーんぜん平気だし、近寄ってくる犬もネコも平気。(←相手の方が怖がって(?)近寄らないことが多いけど・・)
もちろん、子供にも優しい。
人見知りはしないのだ。

かといって、喜んで喉を鳴らしたり、人にべたべたしたりするようなフレンドリータイプとも違うのだが・・
「どーでもいい事は気にしない」、「ま、好きにさせておくぜ」ってカンジらしい(笑)

「まあ、ビューティフルね!」・・なーんて撫ぜられれば、まんざらでもないご様子で、いつまでも撫ぜられている。
まあ、そんなタイプなのだ。


ところが、彼女には、絶対に「嫌な場所」、「嫌な人」というのがあるらしい。

それに遭遇してしまうと、前述したような行動を起こすのだ。


これが、本日のウチのネコ ↓
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人も犬もネコも(たぶん他の動物たちも)、みんな感じ方はそれぞれだし、「どこで感じるか?」という、感じる部分もそれぞれだろう。

ウチのネコの場合は、生まれつき耳が聴こえないせいか、日常から嗅覚で判断してるところが大きいようだ。
おそらく、通常のネコ以上に嗅覚は発達してるらしい・・・麻薬探知犬に成れるかも(←能力があっても性格的に無理だろうが・・)



さて、彼女は何を嫌がったのだろう?と、考えてみた。

かなり前に、連れて入ったときは、な~んの問題もなかったのに。

近寄ってきた人々には平気だったし・・たぶん、人ではない。

最後にいたあたりの場所か・・もしくは肉体を持たない人(または人々?)



以前にホセ君と一緒に、そこの店に買い物に行ったときのことを思い出した。
ホセ君は、強いサイキック能力を持ってる人だ。

「きょうは、僕は車の中で待ってる。」 と言われたことがあった。

そのとき、何か強い、禍々しいものを感じたので、彼は店に近寄りたくなかったようだ。

すかさず、私は文句を言った。

「そーんな~。 か弱き女性に、そんな強力な禍々しい場所に一人で行かせるのかよ!」と。

「いや、今日のキミはパワフルだから大丈夫。 いつもだけど・・
今日の僕は、あまり体調も良くないから、こうゆうときは、近寄らない方がいいんだ。」



古い言葉を使えば・・
瘴気にあてられるってことなんだろう。


ホセにしても、ウチのネコにしても・・肉体を持たない人々、つまり、霊のすべてに反応して、大暴れをするってわけではない(おっと!別にホセが暴れるわけじゃないけど・・)


そんな霊たちは、日常的にそこらにいるだろうし、ときどき、ウチのネコも、あらぬ方角を目で追ったり、見つめてることもあるくらいだから。

たぶん、そんな霊たちが寄ってきて、頭を撫ぜられたところで気にもしないことだろう。



ただし・・たまに、「とてつもなく強力で害を及ぼすよう存在」がいることがある。

彼女は、それを、得意の鼻センサーで感じ取っているようだ。



もともと霊感の無い私には、ほとんどといっていいほど、無害な霊の存在は感じられない。

しかし、今では「強力な害を及ぼす存在」だけは感じられるようになった。


もちろん、はっきり見えるわけではないのだが・・ゾクゾクっとするような悪寒で感じたり、あたりが急に暗く感じたり・・
うまく表現できないんだけど・・何か嫌~なカンジの違和感みたいなものは感じる。

そうゆうときは、さっさとその場を離れることにしている。

どうしても諸々の事情で、すぐに離れられないときは、深呼吸して常に携帯している数珠を手に持つ。
そして、自分のパワーをマックスに高めて一時的に対応することにしている。



ところが・・何かに気を取られてしまってるときは、危険に気がつかないときもある。


ペットショップに入ったときのことを思い出してみた。

そういえば・・入るとき、なんか今日は暗いな~と感じていたはず。
照明はいつも通りだったのに。

ショッピングしてるうちに、面白いネコのおもちゃを見つけて、夢中になって説明書を読んでたのだ。

たぶん・・それでサインを見落としたんだろう・・・と思っている。

ネコの様子が急変してきたのは、そのあたりからだった。



あまりにも、ワクワク気分になってしまってるとき、ひどく落ち込んでるときも、また、心配事で頭がいっぱいになってるときなど・・・
そうゆうときは、気がつかないときがある。

いかん、いかん!
要注意だ。



とにかく、ウチのネコの方が、私の数倍も霊感は強そうだ(笑)

ただ・・・一般的に「動物の方が霊感が強い」と言われてるようだけど・・・必ずしもそうとは言えないように思う。

人間同様、個人差はかなりある、と思うのだ。

犬だから、すべての犬が犯人を追う嗅覚を持っているとも言えないのだ。
あくまでも、「一般的に犬とは」・・という基準に過ぎないように思う。


私の知人宅のチワワは、まーーったく無い。
飼い主さんの方が、霊感が強いくらいだ(笑)
嗅覚もあんまり無さそう・・・フレンドリーで誰にでも尻尾を振って甘えるヤツだけど・・・。



これは、あくまでも、私が感じていることに過ぎないのだが・・

不幸な人生を歩んできた人やハンディーを追ってる人の方が、優れている気がする。
もちろん、イヌ・ネコもだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

もう10年以上も前の話だが、私が、まだニューヨーク州の田舎に住んでいた頃だった。

ある友人宅に、初めて遊びにいったとき、

そこには、スキトルズ(Skittles)という名前の猫がいた。
通称、スキちゃんと呼んでいた。


はじめ、スキちゃんは、遠巻きに私を見ていたが、少しずつ近づいて私の周りをウロウロし、私のバッグの匂いを嗅いだりしているうち、突然、うなり声を上げだしたのだ。


そう、まさに・・今日のウチのネコ状態になったのだ。


スキちゃんは、毛を逆立て恐怖と怒りの表情を剥き出しにし、私に襲いかからんばかりに見えた。

友人は慌てて私を別室に逃がし、「何が起こったのかわからないけど・・今日は帰って。」と追い出されてしまった。


酷くショックだった。。。

もちろん、私は当時もネコを飼っていたし、ネコ好き。
むしろ、何もしなくても動物の方から寄ってくるというタイプだったのだ。


しかし、私には思い当たるフシがあった。

当時の私には、霊障があったのだ。
それも・・かなりの強力なヤツ、しかも・・大勢憑いていた。


自分でも自覚症状があり、かなり、心身共に参っていた時期だった。

おそらく、スキちゃんは、それに強い反応を示したのだろう、と。


まさに、そのときの私こそが「強い害を及ぼす存在」になってしまっていたのだ。

しかし、スキちゃん以外の犬もネコも全然、私には特別な反応はしなかった。
家にいた犬なんか、相変わらずフレンドリーなまんま。



あとで、スキちゃんの生い立ちを聞いたところ、かなり・・悲惨な扱いを受けてきたネコだったらしい。

はじめは、アメリカ人一家に飼われていたネコだったらしいが・・・

そこでは、家具を傷つけられると困るし、子供が引っかかれても困るという理由で、子猫のうちにディクロウをされていた。

ディクロウ(declaw)とは、まさに読んで字のごとく、爪をとってしまう手術のことだが・・
正確に言うと、ただ、爪を剥がすだけではなく、人間でいうところの、第一関節から骨ごととってしまう手術なのだ。

それが、どれだけネコの生活にストレスを与えることになるかは・・自分がすべての指の第一関節を取られてしまったことを想えば、想像できることだろう。

詳しくはこちらに
   ↓
【猫を守って!】 ネコ科動物の爪除去手術に世界中から批判の声


術後のネコ・・痛ましい・・・
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その上、あまり、そこの家では可愛がられていたとは言えないようだ。

子猫のうちは、かわいいペットとして扱われたのだろうけど、成長してからは・・おそらく、それなりの虐待もされていたようなのだ。

結局、シェルター行きとなり、最終的には、運よく私の友人にアダプションされることになったネコだった。

友人は、もちろん、スキちゃんを愛情たっぷりにかわいがっていた。

1年以上たって、ようやくスキちゃんも友人に心を開くようになり、強い愛情をたっぷり示すようになってきたという。

私が訪れたのは、そんなときだったのだ。



おそらく、スキちゃんは、大好きな飼い主さんを必死に守ろうとしたんじゃないだろうか?


こんな邪悪な存在を近づけてはいけない!(←それ、私のこと)
僕が守らなきゃ!

スキちゃんは、そんな思いだったのかもしれない。


当時の私は、今思えば・・ほんと~に酷かったと思う。

体調も精神状態もボロボロだったし、家ではラップ現象やら電化製品はほとんど故障する始末。
写真をとれば黒く映るし、鏡を見れば、とくに自分の目が異常に見えた。
自分が自分でないような・・自分でも、怖っ!と思ったほど。



そんな状態であっても、それなりにおしゃれして出かけて、無理してでも、にこやかに人に接していれば、ほとんどの人には気づかれることもなかった。

また、

何不自由もなく甘やかされて育った犬や猫たちにさえも、気づかれなかったのだ。


しかし、スキちゃんには・・・初対面で見抜かれてしまったってことだ。


その後、私は数々のサイキック連中と知り合ったり、自分でも多くの事を学ぶことになるのだが・・
まさに、スキちゃんとの出会いが、大きなきっかけとなったのも事実だ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

シックスセンスを持つ犬・ネコ、そして人もいる・・・。

つい先日も、「犬が飼い主さんの皮膚癌に気づき、早期発見ができたおかげで命が救われた」というニュースを読んだんばかりだ。


ちなみに、こちらの記事(英語版)だった。
    ↓
New York Woman's Adopted Hound Dog Rescues Her By Sniffing Out Skin Cancer and Saving Her Life


執拗に飼い主さんの耳の匂いを嗅いでいて、それを飼い主さんが不審に思ったのがきっかけになったそうだが・・この犬もまた、シェルターから引き取った犬だったという。


がん細胞には特有の匂いがあり、機械でも測定できないほどの微量なその匂いを犬は感知することができると言われていて、近年では「癌探知犬」も存在するようだ。


果たして、

訓練によって、癌探知犬に成れるものなのか?

それとも、天性の能力によるものなのか・・また、苦労してきた過去によって能力が芽生えるものなのか?

飼い主さんを守ろうとする愛情のなせるものなのか?



明確なところはわからない。

それそらも、個々によって違うのかもしれない。



病院にいるオスカーという猫は、「死期の迫った人の病室を訪れて寄り添う」ということで有名になったネコだ。
ご存じの方も多いだろう。

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Cat's "Sixth Sense" Predicting Death?


彼らの中には、癌だけでなく、他の病気も、死の匂いも感じることができる者たちもいるのだろう。


しかし、イヌやネコだけではない。
人間もまた、病気の匂いや死期が迫ったときを匂いで感じる人もいるのだ。

病気の匂いも、死の匂いも、また、強力な災いを及ぼす霊の存在もまた、匂いで感じるという。


「すごい! かなりの霊感をお持ちなんですね~。」と言うと、彼はこんなふうに答えたものだ。

「霊感といっても、私は幽霊を見るとか、オーラの色を見るといったような霊感はまったくありませんよ。
私はただ、嗅覚が鋭いだけで、嗅覚で病気の匂いも霊の匂いも感じてるだけなんですよ。
みなさんだって、それぞれに優れた部分も苦手な部分もあると思いますよ。」



最近、つくづく思うのだ。

私の足りない部分のシックスセンスは、我が家のネコに補ってもらっているんじゃないかと。(笑)

私は一人じゃないんだな~と。

ダーウィンとウォレスと最新の進化論

数日、ずーーと頭を離れないことがあります。

こちらの、In Deepの記事を読んでから。
     ↓
[特報]ダーウィンの進化論が崩壊 : かつてない大規模な生物種の遺伝子検査により「ヒトを含む地球の生物種の90%以上は、地上に現れたのがこの20万年以内」だと結論される。つまり、ほぼすべての生物は「進化してきていない」

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New Genetic Study Seriously Challenges Darwin’s ‘Theory Of Evolution’


ああ、やっぱり~! と、いう思いと・・ついに、科学界もここまで来たんだ~!という思いで、じみじみと感じ入ってしまいました。

それで、ここ数日、いろいろな文献調べをしてしまったわけです。



しかしながら、In Deepさんの記事にも書かれていたように、一般の方々は、ほとんどといっていいほど、こんな記事に興味がないんでしょうね~。

進化論がどーだろうと、宇宙の成り立ちがどーであろうと・・・そんなこと、どーでもいいじゃんか!と。

で、私のブログも、タイトルを見ただけでスルーされちゃうような気もします(笑)



当然、こーんなすごいニュースなのに、日本ではほとんど報道されていない・・。

え?すごいニュースかって? (←それすら・・誰もすごい!とも思っていない?)


私は、そりゃあ、すごいと思いますよ~。

だって、我々が学校で習った「常識」を完全に覆すような新事実が出てしまったんだから!




なぜなんでしょうね~?

意図的に、こういったニュースを報道しないようにしているとしか思えないんですよね~。

権威あるチャールズ・ダーウィンの進化論を黙ってそのままにしておこうとしているのか・・?


こちらが、チャールズ・ロバート・ダーウィン(Charles Robert Darwin 1809 - 1882)
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そもそも、この進化論、本当はダーウィンの業績じゃなかった・・というのは、その道ではすでに有名な話。

実際には、ダーウィンがウォレスの研究をパクッって発表しちゃっただけってこと。


こちらが、アルフレッド・ラッセル・ウォレス(Alfred Russel Wallace, 1823 - 1913)
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私の以前のブログにもウォレスの話をちょこっと・・アップしてますが→クリスマスの朝、アルフレッドの夢をみる

詳しい事情を知りたい方は、どのようにパクったのかは・・こちらの記事をみるとわかりやすいかも。
   ↓
ダーウィンの進化論は嘘だった!?



ダーウィンはイギリス科学界のエリート学者、生まれも良い。
一方、ウォレスは、ただの在野の研究者、貧しい生まれで上流階級出身ではない。



たぶん、そんなところに原因があったように思います。



ところで・・

ダーウィンが、パクったにしろなんにしろ、二人とも同じく「進化論」を唱えていただから、考え方は同じだよね?と思われがち。

ところが・・これが違うんですね~。


まず、進化論とは・・ひとことで言ってしまえば、このように言われてます。
    ↓

自然界に適応し自然淘汰されて、強いものが生き残って進化していく



これは、まさにダーウィンの進化論です。


ダーウィンは同種の個体間の生存と繁殖の競争を強調した考え方を打ち出していた。 つまり、強いものだけが生き残るという点。

ウォレスは、生物地理学的、環境的なものによって、適応していく・・という点に重点を置いていた。



以前にも、野生ライオンの話をアップしましたが→「本能」という言葉、そして野生ライオン
ここに出てきた、ツァボのオスライオンにはたてがみが無い、というのは、まさにこれでしょうね~。


さらに、ウォレスはこんな記述も残しています。
    ↓

「人間の肉体的な変化は、自然淘汰説で説明がつくが、人間の持つ感情、たとえば真実をみつめようとしたり、美に感動し、正義を愛し、リスクを厭わない正義や勇気といった感情は、サルや猿人が生きてく上で、必要不可欠なものではなかったはず。

進化のメカニズムが「自然淘汰」ならば、必要となる前に、進化するのは、ありえない。」


それで、彼もまた、宇宙から進化を遂げた霊的生命体がサルや類人猿に宿ったか、または、「卓越した知性」の何者かによって、そういった感情や、数学、音楽、美術的能力などの特別な力が授けられたか・・どちらかだろう・・と述べてます。



うーーむ、進化論を唱えながら、懐疑的な部分も残している。


さらに、心霊分野まで研究してる人でした。

・・・・・・・・・・・・・・・・

たぶん今、

ウォレスさんに、「ようやく今、ほぼすべての生物は進化してきてないってことがわかったんだよ!」と教えてあげたら、

「え! すごい!やっぱり・・そうだったのか~!」と喜んでくれそうな気がします。


チャールズはどうなんだろ?(←ダーウィンのことね~)

「そんなはずはないだろ! 神はサイコロを振るわけがないんだ!」と怒り出したりして・・(笑)  ←おいおい! それこそ、誰かさんのパクリだよー@


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここ数年の間に、どんどん、さまざまな分野が新しく変わってきたような気がします。


以前にもここで書いたことがありますが、→神の領域へ挑戦する人々(その2)

●宇宙はビッグバンから始まったという説も、非情に怪しいものになりつつあります。

アインシュタインによって、宇宙が137億年前に「無」から誕生したことが分かっているものの・・・

●もちろん、アインシュタインの相対性理論ですら・・。
いきなり無から有が生じるんかい!と。


これは科学界だけじゃないです。

●歴史分野においても、年々多くの発見がされてきて、それによって大きく歴史が塗り替えられています。

もっとも・・ウォレスさん同様、在野の研究家は学会からは無視されるようですが・・。

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私たちが学校で習ったこと、つまり、我々の常識が塗り替えられてきている。

なのに・・・ほとんど、大々的に発表されることがないんですよね~。

教科書はどうなんだろう?
ちゃーんと、すぐに書き換えてくれてるんだろうか? 



これじゃあ、まるで・・あえて、愚民化政策でもとってるんかいな~と、疑いたくなっちゃいます。

一般人は、読み書き、簡単な計算が出来れば良い。 そしてそれぞれの仕事に結びつくことだけが出来れば良し。
あとは、娯楽を与えて一揆を起こさせないように武器を取り上げて常に監視してれれば良いのだ!

なーんて思われてる?

いやいや・・まさかね~。



また残念なことに、一般人側もまた、これに甘んじている人々も多いような気がします。
特に昨今では・・。

別に一揆を起こせっていってるわけじゃないですけどね~(笑)

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つまり、自分のことに関しては、一生懸命に見つめ直したり考える人も多い。
だけど、関係ないことは、一切、考えようともしない。 無視!


関係無い事ってのは・・・まさに、進化論やら、ビッグバンやら、歴史も・・・
海外で起こっていることすらも・・

そーんなこと、自分が生きてく上でなんの関係があるんじゃい!

・・と思ってしまうのでしょう。



でも、私的には、そうは思えないんですよね。。。

直接今の自分に関係無さそうな事柄ですら、個人の生き方に大きく影響を与えてくれる気がします。
むしろ、そっちの方が!

個人の人生観、恋愛観、人間関係、金銭についてさえも、大きく影響を与えてくれて・・
そこには、ただの目標や方向ではない、ベクトルが見えてくる気がします。


どっちが正しいとか間違いとかではなく、また善い悪いでもない、別の次元の思考かな、っと思っています。


思考といっても、脳で考えることじゃないです。
深く「感じること」に近いものです。



あえていうならば、体すべてのDNAで感じるって感覚でしょうか・・?

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そういったものを促してくれるものだと思うんですよね。



そこがまた、現代人に一番欠乏しているような気がします。

愚民化政策で報道されなくなったため、人々が興味を示さなくなってしまったのか、
人々が興味を示さなくなったため、報道しなくなったのか・・

どっちが先かはわかりませんが・・。

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むしろ、一見まったく関係の無いことさえも感じることが出来なければ、ひらめくアイデア💡はやってこない気がします。

むしろ、狭い世界で生きてる一芸に秀でるような人の方が、多次元ベクトルを捉えてるような気もします。


しかも、それが「頭脳派といわれるような科学者タイプ」だったりしちゃうわけです。

彼らは決して、多くの一般人のように・・・脳だけを使って考えてるわけじゃないと思いますよ。

アメリカの銃規制:あらゆる側面を考えてみる

知人の幼稚園児の娘が、こーんなことを言っていた。

「きょうはね、幼稚園で突然テロリストが銃を持って襲ってきたときの隠れ方、逃げ方の練習をしたんだよ。」

パニックにならない騒がない。
身を隠す場所をみつけて素早く隠れる。


うんうん、やっぱり・・これは基本だよな~と、お母さんたちと一緒に頷きあったものだが・・


日本にお住まいの日本人の方々にそんな話しをしようものなら、

ちょっと待った! そこじゃないだろ!


アメリカってなんて国だよ!・・とドン引きされちゃいそうだ(笑)

しかしながら、アメリカで暮らしてていて、学校に行ってるお子さんを持ってる方にとっては、これは一番の心配事といってもいいくらいだ。


わざわざ闊歩する危ない地域に行くわけじゃないのに
毎日フツーに学校に行くだけなのに・・・

なんだって、幼稚園児までがテロリスト対策の予行練習をしなきゃならないんだ?

たしかに異常な話だ。


・・・・・・・・・・・・・

まず、銃乱射事件の記事をみてみよう。
(学校の銃乱射事件に限ってのデータ)

こちらは、2018年5月25日のCNNのニュースから。
      ↓
There has been, on average, 1 school shooting every week this year

こちらの内容を要約すると・・
    
2018年に入って、21週目を迎えたが、学校で銃撃による殺傷事件が23回も起きている。
これは、平均すると1週間に1回以上という計算になる。


ご存じのように、アメリカでの銃乱射事件というのは、世界各国と比較しても圧倒的に多い。

2012年までのデータではあるけれど・・
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(NCBIよりMy Big Apple NY)


こちらは国別、銃保有者のデータ
    ↓
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つい最近、学校で起きた銃襲撃事件は、ミドルスクールだった。(←日本でいうところの中学校に相当する)


そんなガキが銃で人を殺すなんてありえない!と思われるかもしれないが・・

今では、子供だってマイ銃を持っている時代なのだ。

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女の子にはピンクが人気とか!

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これ、決しておもちゃじゃありません。
正真正銘の本物・・しかも、アサルトライフルだ。

アサルトライフル(assault rifle)は、実用的な全自動射撃能力を持つ自動小銃のこと。
従来の小銃弾(フルサイズ弾)より反動の弱い弾薬(中間弾薬)を用いることで全自動射撃を容易にしているものが多い



こちらは、20016年の記事だが・・すでに銃販売業界では、6歳児用の銃まで販売するようになった。
        ↓
米銃器業界、カラフルな銃で6歳からの子ども市場に照準 報告書


5-6歳から、射撃のレッスンをしている子供だっている。

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しかも、わざわざ専門店に行かなくても、スーパーだってお手替えに買えるとこだってある。

アーカンサスのウォルマート店(大型スーパーチェーン) の広告
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性能もお値段もピンキリだけど、一番安いセール品なら、30ドルくらいから買える。


CNN 2016年2月26日のニュースより

米アイオワ州で、子どもも年齢を問わず大人の監督の下で短銃を使うことを認める改正法案が州下院を通過した。
同州の現行法では14歳未満の子どもの短銃使用を禁止している。
改正法案は23日、62対36の賛成多数で州下院を通過した。




こんなニュースを見ただけで・・

日本人から見れば、「信じられない! アメリカ人ってヤツらは、なんて野蛮人なんだ!」と感じる人も多いだろう。


外部からみると、「アメリカ人は」という、1つのカテゴリー化したイメージで捉えられてしまうことは多いのだけど・・


実際は、アメリカ内部では、

銃についても賛成派と反対派は真っ二つに分かれている。

また、州によって、考え方や文化さえも違いがあるのがアメリカという国。



大きく分けて、リベラルな都会派と保守的なアメリカ魂を持つカントリー派が存在してるのだが、両者はまったく違ったタイプなのだ。

たとえば、リベラルな人々の多くは銃を嫌い、ハンティングでさえ野蛮な行為として嫌う人も多い。


しかし、マッチョなカントリー派は、銃を持つことを厭わない・・それどころか、誇りに感じてる人も多いのだ。

武器を手にして戦い家族を守ることは、マッチョな男のカガミという意識を持っている。

彼らは暴漢だけでなく、今でもコヨーテやオオカミ、地域によっては熊やマウンテン・ライオンから家畜や子どもたちを守るために銃を使用している。


そんなマッチョマンは息子に銃の手ほどきをし、狩猟に連れ出して撃ち方の実演練習をしたりするそうだ。

それがまた、親子の絆を深めることにもつながったりする。

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人々の感覚はこんなにも違うわけだし、それは顕著にそれぞれの州法にも違いをみせることになる。

マッチョマンが多く住む州と都会のリベラル派が住む州とで。
    ↓
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この図を見て頂けるとよーくわかると思うが・・

赤がハンドガンを持ち歩けない州。
クリーム色が持ち歩いてもOKな州。
ライトブラウンは、一部の規制はあるけど持ち歩くのが可能な州。




私は過去にニューヨーク州(かなりな田舎だったけど・・)に住み、現在はカリフォルニア州に住んでいるが・・

当然ながら、銃を持ち歩いている人を見たことはない。 (違法だから、すぐにポリスに逮捕されちゃう~)

周囲を見渡せば、銃規制を訴える人やハンティングにも反対する人ばかりだった。
私自身もまた、それが当然だと思っていた。


しかし、長年、中西部や南部の小さな州に住んでいた友人は、常にハンドバックや車の中にも銃を入れて置いたそうだ。

この方は、アメリカ国籍の日本人女性だったが・・銃を持たずに子供を連れて出かけるのは不安だという。

それほどまでに、感覚は違うのだ。

つまり、

それほどまでに、住んでいる地域にも違いがある、ということだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここで、銃を保持することについて、もういちど、よーく考えてみようと思う。

単に「銃は武器だから悪いもの」・・などといった原則原理を押し通すような考え方だけはしたくない。


リベラル派の中にも、強引に原則原理だけを押し通そうとする人がいるのも確かなのだ。

銃を持ったこともなければ、銃に関しての知識を得たいとも思わず、銃所持派の意見を黙殺して、

銃所持者への憎悪と軽蔑心だけで反対するために、中には銃に関する偽情報だけを流し続けるような人たちだっている。



ここでは、個人の感情は無視して、あらゆる側面から、銃保持について考えてみたい。


アメリカは開拓時代から、武器を取ってわが身と家族を守るってきた歴史がある。

しかも、武器を手にして、アメリカの独立さえ勝ち取った歴史を持っている国だ。

とくにカントリーサイドでは、いまだに西部開拓時代の、ウエスタンムービーの感覚と変わらないのかもしれない。

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子供の頃には、よーくウエスタンムービーを見ていたけど・・・

襲ってくるならず者に、牧師さんまでもが「アーメン」と言いながら族を撃ち殺したり、女性も銃を持って戦うシーンをみて、子供心にびっくりしたものだった。


しかし・・その状況を考えれば、もっともなことだ!とも思える。


隣近所だって離れてるような、広~い土地では、
保安官が飛んできてすぐに助けてくれるわけじゃないし、助けを待ってたら自分や家族までもが殺されることになってしまう。


ましてや、現代を考えると・・赤字のためポリスや保安官の数を削減してる状況で、すぐに助けが来てくれる方があり得ない!


銃を持つメリットとは

銃を所持してさえいれば、どんなに身体の弱い人でも高齢者や子供でも、銃を使う事によって普通では太刀打ちできない様な相手から身を守る事ができること。



もし、銃の所持が認められていない国で、もし、到底太刀打ちできない相手に襲われた場合・・
ただ警察を呼んで到着を待つしかないのだ。

その間に、殺されてしまう可能性は高い。


では、銃を持つデメリットとは、

●未熟者が銃を持った場合、誤って相手を殺傷してしまう可能性も高い。
実際、子供が誤って発砲してしまった事件だってある。

●すぐにブチ切れやすい人は、簡単に銃を手にして発砲しかねない。
ちょっとした家庭内暴力だったとしても・・恋人同士のいさかいだったとしても・・




スパイダーマンの映画の中でも、有名なセリフがある。

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With great power comes great responsibility (大いなる力には大いなる責任が伴う)
*Withをわざわざ頭に出して、倒置法を使って言ってるところが見事だよな~と感心してしまったセリフ。


まさに、スパイダーマンに説教した、このオヤジの言う通り、

圧倒的な力を持つ武器を持つならば、強い責任を持たなければいけない。

誰かが襲ってきた気がする・・というだけで、恐怖心から先にぶっ放してしまったり・・

ちょっとブチ切れちゃったもんで・・というだけで、ぶっ放しちゃったり・・

あれ~、使い方を間違えちゃった~!で済むようなシロモノではないのだ。


唯一手にすることができる者は、

常に冷静な判断力を持ち、一切の責任を取る覚悟のある者だけにのみ許されるものだと思う。

・・・・・・・・・・・・・・

しかし、現状は違う。

では、どうすりゃいいのか?


もしも・・銃を無くすという方向で考えるならば・・

これは私が思う、1つの案に過ぎないのだが・・

●まずは、国の法律を変えるっきゃない!

アメリカ独立の15年後に合衆国憲法に付加された補正第2条
   ↓
 「規律の整った国民義勇軍は自由な国家の安全保障にとって必要であり、国民が武器を所持し、携帯する権利は侵害されてはならない」




●一般人のすべての銃器禁止令を出す。

そして・・銃規制なんて中途半端なことをせずに、徹底した「刀狩り」をする。

秀吉さんが強硬したみたいに、すべての武器を差し出すこと。
徹底的に家宅調査して、隠し持っていた者に対しては厳罰に処す。(禁固刑20年とか・・)

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●銃を持たない農村部の人々を守るために、多くの保安官やポリスを配備する。
その費用は、膨大な軍事費を大幅に削って捻出すること




うん、これっきゃない。

が・・・・現状は絶対無理!(笑)


・・・・・・・・・・・・・・・・・

◆最近、日本語サイトで「アメリカの銃規制報道」を見て思うこと。

一方的にリベラル派の肩を持ったような報道が多いような気がする。


もちろん、この大元は、アメリカのリベラル派が流すフェイクニュースが原因で、日本は、それをそのまま報道しているだけという見方もできる。


フェイクニュースとされるものの1つを紹介すると・・

ラスベガス乱射事件直後にアメリカで報道された記事。
    ↓
ハフィントン・ポストやABCニュースなどで、「ネバダ州は銃規制が甘いのでマシンガンを持って街を歩くことができる」と報道。
いかにも、誰でも気軽にマシンガンを持って歩ける・・というようなニュアンスで書かれている。

しかし・・民間人が全自動銃や1986年以降に製造されたマシンガンを所有することは連邦法で禁じられている。

また、1986年以前のマシンガンを購入するには指紋証明を含む厳しい身元調査が必要となる。
さらに、これらの銃の平均価格は約3万ドルはするのだ。
よっぽど、金持ちで、しかも熱心なコレクターしか入手できないものなのだ。




さらに、

●悲惨な銃による事件ばかりにフォーカスしている部分も感じられるし、

●子供に銃を持たせるなんて異常・・という意見も多い。



しかしながら、これが・・都会じゃなくって、もう一度、田舎の状況を考えたとき、

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コヨーテやオオカミ、マウンテン・ライオンから家畜や自分の身を守らなければならない状況、

広大な牧場・農場の脇に住んでいる彼らは、万が一強盗に襲われて警察に通報できたとしても、保安官が到着するまでには、最低でも20分以上もかかる。

となれば・・子供といえども護身のためにも銃が必要になってくる。
常に、親がそばにいるとも限らない場合だってあるのだから。


そういう地域に住む人々にとっては、銃は日常生活の必需品になるのだ。



そこで、今度は、「銃を持つ」という視点で考えてみよう。

●小さな子どもたちには、親から銃の安全な扱い方をしっかり学ばせる。
または、射撃練習場に通って正しい操作法や射撃法をプロのインストラクターから学ぶことが必須。

当然、銃を持つという責任についてもだ。

これは、大人や子供に限らず、銃を持つものすべてに徹底すべきこと。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

◆もうひとつ、最近の報道で思ったこと。

NRAが常に悪者扱いされてばかりって気がしてしまうのだ。

アメリカの大手メディアは、NRA(全米ライフル協会)のことを、銃ロビー(gun lobby、銃支持派圧力団体)と呼んだり、

日本のメディアもNRAのことを「豊富な資金と政治力を抱えた銃規制に反対する圧力団体」という見方が強い。


多くのリベラル派のアメリカ人、そしてほとんどの日本人がNRAは銃製造・販売業者の回し者だと思っているようだ。

豊富な資金にモノを言わせて、政治家にカネをばらまき、NRAのメンバーは銃関連業界の利益しか考えない奴らだと。


たしかに・・・私もそう思っていた。

たしかに、そうゆう人たちもいるだろう。

それに銃を持つ以上、NRAと銃製造業・販売業者の利害関係は一致する部分が多いのは確かでもある。



しかし、よ~く調べてみると、それだけでもないのだ。

NRAは合衆国憲法補正第2条で制定されている銃所持・携帯権を信じる一般人の集団であり、銃関連業者の利益代弁組織ではない。

純粋に「権利章典(補正第1条から第10条)を守りたい」という一心から銃規制に反対している人々も多いし、
また、「我々こそ憲法順守を目的とする正義の組織だ」という自負が強い人々も多いのも確かなのだ。



こうやって考えていくと、銃規制をすべきなのか、しないべきなのか・・は、簡単に結論が出せるものではないと思う。

ましてや、一部の強硬なリベラル派のように、むやみに「銃は武器だ。 武器は悪い!」なんてことは言えるはずもない。

もちろん、狭い国土で銃を持ったこともなく知識もない日本人が、簡単に善悪だけを持ち出して反対できるようなものではないと思う。


そんな観点だけで押し通そうとすれば、マトモなディベートを展開して解決策を見出すことは到底無理だ。

どうせ、あんな奴らと議論したってムダさ~ !

で、水と油のままで終わってしまうだけ。


まあ、それが現状になってるんだけどね~。



とくに、リベラル派で、豪邸に住み銃を持った警備員に守られて生活してるような都会の人たち、

彼らは一度、アメリカのド田舎の生活を経験すべきかもしれない。

一度も経験したこともなく、柔軟な想像力さえ働かないような人々は・・意見を言う資格は無いように思う。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ただ・・

学校での無差別発砲事件・・・これは、すぐに対応すべき重大な問題であることは確かだ。


しかし、それは銃規制するだけで解決する問題なのだろうか?

そういった痛ましい事件が起こるたびに、なぜか必ずといっていいほど、銃規制の問題ばかりがクローズアップされる。

まるで・・そこに「意図的な何か」が働いているような気さえしてしまう。


それに、

アメリカの銃乱射事件について、諸外国と比較したデータも多く上がっているのを目にする。

それはまさに、

ほらね~アメリカって国は最悪でしょ! だから銃規制すべきなんだよ!というイメージを強くアピールすることが目的のような気さえしてしまう。


国土の広さや歴史を無視して、単にデータだけを挙げること。
それは果たして・・公平な比較になるんだろうか?



ある陰謀論(?)によれば・・・

イルミナティーは、アメリカ国民からすべての銃を取り上げるのが目的なのだそうだ。
まるで、秀吉さんの刀狩りのごとくに。

武器を全く持たなくなった国民ならば、簡単に力づくでなんとでもできるから。

イルミナティーが恐れるのは、不屈な精神を持ったマッチョなアメリカ人だち。

それを撲滅するために、リベラル派を利用して、「銃を持つことの悪を唱え続け」て、彼らを抹殺しようとしている・・・・という人たちもいる。



だからこそ逆に、彼らは絶対に銃は手放したくないのだと!・・・そんな声も聞く。


マッチョなカントリーマン&ウーマンたち、彼らは、国やら政府なんてものは心の底から信じていないのだろう。

信じる者は自分、そして仲間だけ。
いまだに、家族を守れるのは自分しかいない!と信じているのだ。


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実際に、中西部の田舎の家に嫁にいった友人の家では、

居間の壁に、数世代前の先祖が使っていたライフルを飾っていたという。

なぜなら、自分たちの先祖が銃の力を借りて荒野を開拓し、農場や牧場に変えたことを誇りに思っているからだそうだ。


また、祖父が使っていた銃を形見として大切に携帯している人なども大勢いるという。

おそらく、

彼らにとっての銃は、侍にとっての刀と同様なものかもしれない。 開拓者魂の象徴なのかもしれない。


私たちは、そういったあらゆる側面も理解した上で、考えなければならない、と思う。
もちろん、すべての報道に対してもだ。

認知症と松果体、そして感動すること?

日本の人から、こんな話を聞きました。
   ↓
「75歳以上のドライバーは認知症機能検査を受けなければならず、検査に合格しないと免許をとりあげられる」


車社会のアメリカで、こんな法が出来てしまったら大変なことになるでしょうね。

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まあ、それだけ認知症が多い日本では、老人ドライバーが引き起こす交通事故も多いんでしょうし、

また、車が無ければ無いでも、生活ができる環境だということなのかもしれません。



先進国において認知症患者の割合が最も多いのは日本なんだそうです。

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経済開発協力機構(2017年12月)より

認知症患者の割合、OECD加盟国で日本が最多

日本というのは、ある意味・・不思議な国だと思います。


日本人は平均寿命が大幅に伸びている一方で、健康寿命はほとんど伸びていない。



これは何を意味するか?

高齢になった場合、日々薬のお世話になるということ。



認知症というのは、ご存じのとおり、記憶力、判断力、認識力が低下してしまい・・
社会生活に支障をきたす状態のこと



社会生活に支障をきたさない限り、つまり・・一人では生活できなくなってしまわない限り、認知症とは呼ばれないんだそうです。


ところが、

認知症とされないまでも、認知症予備軍はいっぱいいるような気がします。


年をとれば、記憶力、判断力、認識力が低下するのは当然・・・と、本人も周囲の人々も、考えてしまい、とくに改善しようとしない・・・そんな傾向が強いように思います。


実は、私がアメリカで生活するようになってから、さまざまな老人とも接したんですが、

日本と比べると、それほどボケ老人がいない!って気がします。


たしかに、体力は落ちてる人は多いです。
頭も禿上がってしまったり、白髪になっちゃう人もほとんどです。


こちらは、100歳で現役で運転してる人
     ↓
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だけど、記憶力、判断力、認識力は・・おそらく、まったく落ちてないと思える人も、実に多かったんですよね~。
もちろん、ボケ気味の人もいましたけど・・(笑)


私の見た限りにおいてですが、

「記憶力、判断力、認識力が落ちない老人の特徴」は、この3つでした。

●薬をほとんど飲んでない。

●できるだけ有機的で未加工の食品を食べている

●好奇心旺盛なタイプで、人とよく話す




まあ、ここらへんのことは、一般的にも言われるようなことですけどね~。



もうひとつ、彼らが大きく違う点は、生活の中で「感動する度合い」が多いってことでした。

これは、好奇心などとも結びつく点かもしれません。

映画を見ては、読書をしては感動し、人の親切にも感動するし・・・とにかく、ストレートによく泣き、よく笑う人が多かったです。


生活の中に感動するものが多い人ほど、ボケない=「記憶力、判断力、認識力が落ちない」

そんな気がしました。


逆に、脳に感動刺激がなくなると、年齢に関係なく、人はボケていくのかもしれません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私の友人でまだ30代後半なのに・・・忘れっぽいし、うっかり間違いは多いという困った人がいました。

典型的に、記憶力、判断力、認識力共に欠乏しちゃってるタイプなんですよね~。


待ち合わせ時間には遅れてくるし、ナビつけていても道に迷うし・・かなり、周りから顰蹙を買ってましたね~。


そこで、あるとき、彼の友人がこんなことを進言しました。

「それは、きっと自分じゃ気がつかないかもしれないけど、ストレスが溜まってるんだよ。
たまには、頭をゆっくり休めて好きなことをするのが一番だよ。 おまえ、ツェッペリンとか聴くの好きだっただろ?」


「うん、音楽聴くのは好きだけどさ・・ダメなんだよ。
好きな音楽を聴くとさ、そればかりに、じっくり聞き言っちゃうからさ。」


はああ???

それを聞いた私も彼も、唖然。

こいつは、何を言ってんだ?




で、その彼の生活習慣を尋ねてみると、常にこんな具合だったことがわかりました。

Twitterしつつテレビ見ながら食事する。
風呂に入りながら、仕事を考えながら、飲み物を飲んでいる。




そういえば・・昔の親たちは、こうゆうのを「ながら族」と呼んでましたね~。
すっかり、死語になっちゃってますけど。


「XXXしながらは、ダメ~! 一つのことだけに集中しなさい!」と、よく言われたもんです。


ところが、私も、まさに、この「ながら族」タイプでした。

「勉強するとき」「仕事するとき」「作業するとき」は、だいたいにおいて、2つ3つの事を同時進行するタイプです。

また、そっちの方が、むしろ・・さっさとはかどるんですよね~。



ところが、あるとき、気がついたことがあります。

さくさく終わらせることは出来るけど・・・そこには感動はないんですよね~。



昔、受験勉強をしているとき、いつものようにBGMを聴きながら、コーヒーを飲みながら勉強していました。

ある勉強内容の1つに、なぜか、すごーく興味を持ってしまい、そこばかりを真剣に調べたり考えたりしてしまったことがありました。


集中していた間は、BGMの音楽も聞こえなくなってたし、コーヒーが冷めているのにもまったく気づきませんでした。

答えをみつけたとき、あーーそうゆうことだったのか! なんと素晴らしい!・・と、感動、したことがあります。

そのあとは、うっとりするような充実感!

そのうち、リラーックスしてきて眠くなり、ベッドに入って朝まで熟睡。

当然のごとく、次の日の試験はさんざんでしたけど(笑)





たぶん、そうゆうことだと思うんですよね~。

常に「XXしながら、XXする」というのが習慣になってた友人は、「無事に終わらせた」という日常しかない。

「感動」のない生活をしてるだけ・・・だったんだと思います。


そこで、
「おまえって、なーんも感動しない生活しとるんとちゃうか?」・・と、さっそく別の友人がツッコミを入れると、

「そんなことはないよ~。 読書してもドラマを見ても感動してるさ。」・・・と本人は言うけど・・

それが、そもそも、時間が経つと内容をあんまり覚えてないんですよね~(笑)

そうゆうのは、感動とは言わない・・と思うんですよ。

「面白かったよ~。」と「感動した~!」は違うと思うんで。



感動の無い人生を送っていると、

その結果、自分でも気がつかないストレスを溜め込み、脳の老化現象を起こしてしまうことに繋がるのかもしれません。


感動が無い=日常だけ=気がつかないストレスを溜めてしまう




それにしても、「思い癖習慣」とは怖いものです。

とくに、彼の場合は、IQも高い人で成績優秀なんだけど・・異常に左脳ばかりを駆使する人で、

「思考」の部分しか使えてないような人でした。


脳内のニューロン(神経細胞)のグループ分けをすると、この8系統だそうです。

★思考 ★感情
★伝達 ★理解
★運動 ★聴覚
★視覚 ★記憶




おもに、思考と感情がベースになるようですが・・

この8つが満遍なく繋がって強化されていかないと、脳は偏り、正常な働きをしなくなっていくそうです。



主な原因は、脳をちゃんと休めてない状況・・つまり、ストレスにあるのかもしれません。


そこで、認知症予備軍の彼に、

仕事や日常のストレスを解消してもらおうと、

音楽を聴くことで、「好きなことに集中すること」を提案しても、

好きなことに没頭しちゃったら「作業がはかどらないからから」という理由で拒否されちゃったわけですもんね~。


これは・・彼の頭の中で、事の真意すら理解できなくなってしまっていて、理解力、判断力の低下
まさに、それを意味してたんだと思います。

こうなっちゃうとダメでした。。。

いくら、説明しても聞き入れてもらえないし・・(笑)


ある心理学分野の書物で、このように書かれていたことを思い出しました。

「思考」ばかりが強く働き過ぎると、物事を既存の知識やフレームに当てはめようとする傾向が強くなり、俗にいう、「融通が利かない」事になる可能性がある。



うーーむ、まさに、これだな!と(笑)


ようするに、ニューロンのすべてが満遍なく使えてないと・・かならず、どこかにひずみが出るってことのようです。





さらに、こういった状態を長年続けていれば、認知症予備軍から完全に認知症になっていく気がします。


老人に多いということは、おそらく・・加齢のせいではなく、そういった生活を長年続けてしまった結果ではないだろうか?


さらに、長年に渡って降圧剤等で血圧を下げ続けていると、脳の血流低下により、新しい神経細胞が互いに安定して連携することが出来なくなってしまうのかもしれません。

なんといっても、血液で送っているわけですから。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

認知症の原因の多くは、アルツハイマー病だといわれています。

なかなかアルツハイマー病については、いまだにわかっていないことは多いようですが・・


脳の神経細胞が減少する、脳の中で記憶を司る「海馬」を中心に脳全体が萎縮する

脳に「老人斑」というシミが広がる、脳の神経細胞に糸くず状の「神経原線維変化」が見つかる


といった変化が現れることは、わかっているようです。


加齢とともに、神経細胞のニューロンが死んでいくのが原因だろうと思われてきたのですが、Cell Stem Cellという記事で、今年の4月にこんな内容のものが発表されました。
   ↓
Human Hippocampal Neurogenesis Persists throughout Aging

この記事をもとに、日本語記事にされたものもあります。
     ↓
高齢者でも脳細胞は甦っている 研究

79歳でも新しい脳細胞は生まれる、米研究



やはり、松果体がカギとなっている!


松果体については、過去記事にも何度かアップしたことはあるけど、いずれも・・スピリチュアル視点で書いた記事だったと思う。

第3の目と松果体
子供のサイキック能力と松果体の関係は?




しかし、この際サイキック能力などは別にして・・我々の体と心にも重要な働きもしてる。

こちらは、In Deepさんからの引用で、おおもとは、アメリカの科学者ジェイコブ・リーバーマン博士という方の書籍からの抜粋だそうです。 
   ↓

今日、松果体は人間の機能のすべての側面において主要な役割を果たすものとして認識されている。そして、これは「人体の各器官を調節する器官(regulator of regulators)」として機能している。

これまでの医学的な記録文書からは、松果体が次の各機能に影響を及ぼしていると考えられる。
生殖機能、人体の成長、体温、血圧、運動活性、睡眠、腫瘍の成長、気分や精神、人体の免疫系、そしてまた松果体は寿命の要因のひとつともとらえられる。




そして、一番の問題は、現代においては、松果体を萎縮させてしまうようなものが溢れているということ。

それは、今では多くの人がご存じかと思いますが、

石灰化現象と呼ばれるものです。


どんどん石灰化が進んでしまい、「松果体の機能を衰えさせてしまう。

その原因は、言うまでもなく、フッ化物ですね~。

それも、天然のフッ化カルシウムではなく、合成のフッ化物

もっと具体的に言うと・

アルミニウムやスチール、セメントなどの製造から出る毒性化学副産物でもあり、また、リン酸肥料産業の有害廃棄物ともなっているもの。


それはどこに含まれているかというと・・

★水道水
日本ではたぶん・・塩素だけかもしれませんが、アメリカではフッ素混入してる州がいまだに多いです。

★歯磨き粉
一般的で安価な歯磨き粉には、必ずといっていいほど含まれてることが多い。

★殺虫剤や農薬

★加工食品
ほとんど、すべての加工食品には、リン酸カルシウム、炭酸カルシウム、あるいはリン酸二カルシウムのような合成カルシウムが含まれていることが多い。



そうそう・・最近、購入する人が増えたサプリメントにも、含まれていることが多いようですよ。

日常には、実に多く溢れてるわけです。


こういったカルシウムの添加物は、「すべて」石灰化をもたらす要因となっていることは事実だと思います。



そうやってみていくと、

「薬を飲んでいない、できるだけ有機的で未加工の食品を食べていて、好奇心旺盛なタイプ」のお年寄り連中が、ぜーんぜん「認知症」と縁が無いのは、わかる気がします。



現代社会で、有機的で未加工の食品を食べることや、添加物が混入されてないものを食べることは・・

たしかにおカネもかかるし、探すのも大変かもしれません。


しかし、何事も工夫次第なんじゃないでしょうかね?


あるお年寄りは、ベーキングソーダで自家製歯磨き粉を作る人もいたし、市販のシャンプーを使わわず、オーガニック石鹸で頭も体も洗ってましたから。


合成シャンプー、コンディショナーの正体は台所用洗剤と同じ合成界面活性剤ですもんね~。

しかも、さらに多くの添加物が含まれているため、むしろ、台所洗剤で洗った方がマシって声もあります。
石油系合成シャンプー・リンスは髪だけでなく体にも悪い


合成界面活性剤の持つ浸透力は強力で、しかも本来皮膚から入り込まない物質(アレルギー,接触刺激,皮膚毒性,発ガン性のおそれのあるものなど)でも入 り込みやすく、皮膚を通して内蔵(特に肝臓)にまで障害を 引き起こす可能性は十分ありえる。




私も、元気な年寄りを見習って、シャンプーは使わず石鹸を使ってます。

こうゆう石鹸を量り売りで買ってきて、

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もちろん、コンディショナーなんて使いません(笑)
たまーに、パサつくときだけ、ヘンプオイルを使うくらい。


基本的に、薬を飲まなくなった方が・・持病の頭痛持ちも治ったし、風邪もひかなくなったし・・

砂糖と塩の代わりに、ハチミツと
hanny with comb

ピンクソルトを使い、
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加工食品もめったに食べなくなったせいか味を楽しめるようになったし・・

水道水は、むろん・・塩素もフッ素も除荷するフィルターを通してるし・・たまに、贅沢して高級天然水を買ったりもします


あまり健康に気をつける方じゃないんで・・せいぜい、その程度のことくらいですけどね~。

そんなことをしてるうちに、日常の食べ物ですら、美味しい!って感動することが増えるんですよね~。



まあ、松果体だけは、これ以上、石灰化させたくないな~と思ってます。

もっと多くの感動ができる人生を送りたいですからね~。

メメントモリとエベレストのテーマ「死を想う」

本棚の整理してたら、メメント・モリ(藤原新也)という本が出てきた。

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ずいぶん昔に、友人からバースディプレゼントとしてもらった本だった。


メメント・モリとは、

◆ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句。(Wikiより)

◆この言葉は、ペストが蔓延り、生が刹那、享楽的になった中世末期のヨーロッパで盛んに使われたラテン語の宗教用語である。
(本文中の藤原新也の言葉より



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著者はインドなどアジア各地を長期間放浪し、写真と文章が渾然一体となった作品を生み出すこととなったそうだ。

ガンジス河のほとりや沖縄の片隅で・・・生と死が交錯する一瞬の写真に短い文章が添えられた写真集だ。

この本のブルーの帯にも、こんなメッセージがあるが
        ↓

    Memento-Mori
         死を想え

月の明かりで手相を見た。 生命線がくっきりみえた。


これは本文中からの引用。


当然、ページをめくれば、死体の写真がいくつか出てくる。

げっ! そんなキモイものは見たくない!と誰もが思うものかもしれない。

しかし、そこから私がイメージするものは・・

切なさ → 美しさ → 荘厳さ → 生きること

だった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日本のメジャーな報道においては、遺体の映像や画像が表示されることは、まずないようだ。

そこは、諸外国と大きく異なる点だ。


噂によると・・その歴史は1948年の帝銀事件から掲載されなくなったそうだ。

凄惨な遺体の写真をありのままに報道するメディアに批難が集中してしまい、その後は、出来るだけ死体の写真や映像の公開を、避ける傾向が強くなったという。



数年前に、私の友人が、ヒロシマの原爆資料館を訪れたときには、凄惨さ、悲惨さを感じさせる写真は一切なかったそうだ。
そのため、なんだか・・ピンと来なかった!と言っていたのを思い出した。


「子供がトラウマになるから」というのが一番の理由で展示されなくなったんだとか。

こうした日本の文化は素晴らしいものだと評価する人たちもいる。



しかし、その反面、

平和な世界で暮らす日本人にとっては、「死体」や「死」といったものは、現実からかけ離れた異質なものに感じるのだろう。

ふだん目に触れないものなのだから。


神経質なまでに「死」という存在を遠ざけることばかりを偏重してしまうと、

逆に、生の意味も希薄になっていくような気がする。


シリアの戦火で多くの人々が殺されようが、よそ事としか感じられないだろうし・・
南米の大地震が起ころうとも、やっぱり、よそ事としか思えない。



あえて目に触れないように遠ざけられてるんだから・・そりゃ、無理もないんだろうけど・・。

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私の友人は、ヒロシマの原爆資料館に子供の頃に連れていかれたことがあったそうだ。


小学校の低学年の頃に連れていかれて、戦中の地獄絵図を描いた巨大な円山応挙の絵画や数々の写真をみて、
強烈なトラウマとなってしまって、眠れなかったという。

「だからこそ、私は猛烈な戦争反対、核反対者になったわけよ~」と、彼女は言った。


戦争は悪いこと、核も悪いこと・・・と頭で理解することと、目で見たものから感覚で理解することとは別なのだ。



人々にショックを与えたくないのは・・よーくわかるんだけど・・

見たくない現実には蓋をして精神を守ることだけが、いつでも最良の方法とは限らないように思う。


私は、むしろ・・子供に見せることもいいんじゃないかな~、と思っている。


ただし、子供に見せる場合は、特に親がちゃんとフォローアップできるかどうかも重要なポイントだろう。

ところが、最近は、親の方が、ぎえ~!こんなグロいものを見せる方が悪い!と一方的にバッシングして終わっちゃう人が多いそうだ。


悲惨な死の現実を、単にグロいもの!と受け止めるのか

それとも

「生や死を意識することで命を大切に思い、生きていることの有り難みを実感するか」


そこらへんが、まさに、感性の違いだろう。

子供への教育に、そこを示唆すことが出来なければ、それこそ、ただのPTSDを引き起こすだけになってしまう。


ただし・・なんでもかんでもグロい写真を掲載すりゃいいってもんでもない。

やっぱり、さまざまな配慮や見せ方もあるので、そこらへんは考慮すべきところだと思う。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

前回のエベレストのブログ記事の続きになるけど・・

またも、800メートルを超えた、デスゾーンのことを思った。

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デスゾーンというのは、「あまりの壮絶さゆえ、人が生きていけない領域」という意味で登山家の間で呼ばれるようになった場所だ。

デスゾーンでは、すでに300体以上の死体が転がっているとも言われている。

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遺体の回収が困難なため、そのほとんどがそのまま放置された状態になっている地域。

ノーマルルートでさえ、デスゾーンに入れば、嫌でも死体を目にするという。

むしろ、その死体の位置を目印にして進むというほどだ。


ここで、

なんでヘリコプターを使って回収してあげないの?・・と愚問を投げかけてはいけない(笑)

ヘリコプターの原理は、空気を使って揚力を得ているのだ。
気圧が低すぎたら安定して飛ぶ事ができない。

せいぜい、飛べたとしても、標高6000mくらいまでが限界と言われている。
(もちろん、天候や風にも大きく左右される)

実際に、標高5300mにあるベースキャンプ付近に墜落したヘリコプターの残骸が二機、今も残されたままとなっている。

こちらがその一機
IMG_09451.jpg


じゃあ、仲間が背負って下山する?

NO WAY!


地上の三分の一しか空気がない領域では、呼吸は速くなり、消化器官は機能せず、ただ滞在しているだけで疲労は増していく。

つまり、酸素を補給するスピードより、消費するスピードの方が速いってことになる。


そんなところで、少なく見積もっても・・50~60キロもある死体をどうやって背負って降りる?

in the deathzone


比較的ラクと言われている、ノーマルルードだって・・何が起こるかわからないのだ。

山頂付近では100m進むのに1、2時間かかると言われているし、キャンプの200m手前で遭難するという事だって起こっている。


酸素ボンベが故障したり、途中で酸素が切れることだってあるだろう。
ザイルが切れないとも限らない。

体力があったとしても・・足を滑らせたり、突風や雪崩、突然のブリザード・・危険は隣りあわせ。

大ベテランのシェルパだって、そんなところで吹雪きにあえば、自分を守るため、先に山を降りてしまうという。
それは当たり前。


そのような環境下で、人を背負って下山するのはまず無理。

死にそうになっている人を助けたくても見捨てざるを得ないのが、デスゾーン。

動けなくなった人は見捨てる。
歩けなくなったら、終わりと思った方がいい。



topof themountain


疲労のため、頂上を目前にして動けなくなった女性が、

「私はここに残るから先に登頂してきて。 戻ってきたら一緒に下山するから」

そして仲間が戻ってきたときは、その人は両足とも凍りつき自力で立つことも出来なかったという。

なんとか立たせようとしているうちにも、仲間たちの息切れが激しくなる。 酸素の残量もなくなってくる。

結局、仲間たちは後ろ髪を引かれる思いで、彼女を見捨てて下山していった。




または、最愛の人を残して行かれずにその場で一緒に死を選ぶ人もいる。

人それぞれなのだ。


この話も有名だ。

疲労で動けなくなってしまった女性を見ながらも、何十人の人が通り過ぎていったけど、誰も助けなかったという話。



これは・・のちに多くの人々から避難を浴びることになったという。

しかし、それはデスゾーンを知らない、地上人の常識世界から出た非難だ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まだ、息のある人を助けようとしないのは残酷だ、という人も多い。

しかし、それを残酷というならば・・

「お願い助けて! 見捨てていかないで!」

と、懇願する人の方が、もっと残酷かもしれない。


状況を百も承知の上で、あなたの命を私のために頂戴!と言ってるようなものじゃないだろうか?

人の心情を思いやる気持ちが残っていれば・・決してそんなことは言えないはずなのだ。




多くのアルピニストたちも、必ずといっていいほど、こういったシーンに遭遇するという。

みんな仲間を失ってきた人たちばかりだ。

そんな一人から、こんな話を聞いた。

p034nf5m.jpg


歩けなくなって死を覚悟した仲間が、

「先に行ってくれ! 大丈夫!あとで追いつくから先に行っててくれ!」
と言ったという。

もう立ち上がることも出来ず、追いつけるはずもない。
どこが、大丈夫だよ!


そんなことは二人とも無言のうちにわかっている。


しかし、死にゆく仲間は、友人を生還させるため、また、少しでも罪悪感を感じさせないために・・

「あとで追いつくから」、と言ったのだった。




「仲間を残し自分が生きる覚悟をした」アルピニストは、「生きる」ことを真摯に感じるようになったという。



理屈でわかるのではなく、感覚で「死」と「生」がわかるようになるのだという。


むしろ、安全な世界でずっと過ごしてきた人たちより、彼らの方が「必死に生きること」を思えるようになるのかもしれない。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「必死に生きること」とは、裏を返せば、「死ぬ覚悟」が出来ているということかもしれない。


デスゾーンに挑戦するということは、

「真摯に生きようとする意思」と、 死ぬときがきたら「満足して死んでいく」

たぶん、この二つが要求されることかもしれない。


現実的な話になるけど・・

アルピニストのほとんどが、資金をスポンサーから提供してもらう人が多いという。

登頂に成功すれば、あえてメディアに露出して、さらに多くのスポンサーをつけるようにしていく。

そうしなければ、よっぽどの大金持ちでもない限り、続けられないのが現状だからだ。

もちろん、スポンサーが出資するのは、それがビジネスに結びつける目的があるからだ。


中には、難波康子さんのように、スポンサーを持たずに自分の資金と休暇を使って登る人もいる。


こういった人は、ほとんど世間では知られず、無名な人が多い。


どっちにも利点もあれば欠点もある。

多くのスポンサーがいたり、メディアに露出すればするほど、おカネは集めやすくなるだろうけど・・
人間界からのプレッシャーが多くなるのも確かだろう。


デスゾーンに入れば、そこは人間界じゃないのに・・(笑)

The-Wildest-Dream_Death-Zone-Film-Still-1.jpg


それでも、人間界のプレッシャーを引きづってしまうことも多いのかもしれない。


それもまた、人それぞれ。

ただ、最期をどうやって迎えられるか?

それが、大きなポイントになる。


遭難して、もう誰も助けてくれないし助けられない。

そうなったときに自分で納得できるかどうかだ。


自分で命をかけてここまで来たんだから、これで満足と思えるか・・

助けてくれなかった人を恨んで死ぬか・・神を呪うか・・

やっぱ、こんな仕事受けなきゃよかったって後悔しながら死ぬか・・


最期に、これで本望だ!と思わなかったとしたら・・それほど不幸な死に方はないだろう。


死をみつめるということは生をみつめること



本来、そんなことは、地上界だって同じことなのだけど、

恵まれた人たちは、死も知らず、痛みも知らず・・

そして、「酸素のありがたみ」すら知らずに生きているのだろう。

エベレストでトップ・オブ・ザ・ワールドを目指す人々

少し前に、エベレストという映画を観た。

everest3d.jpg

2015年に制作されたアメリカ&イギリスの映画。
これは、1996年に, 実際にエベレストで起きた大量遭難事故の実話をもとに作られている。

さすがに・・3D映像のカメラワークには息を呑むばかりのド迫力。

この映画はセットも使わず、役者にはヘルパーもつけず、彼らは重い荷物を各自が背負い、まさに撮影も命がけだったとか。

そのせいか・・鬼気迫るものがあった。



実は、この遭難事故の映画化は、今回が初めてではない。
1997年にも、アメリカ映画として DEATH ON EVEREST (日本名: エベレスト 死の彷徨)というものもあったし、その他、多くの出版物も出回っている。

こちらはYoutubeにもアップされていたので、ご興味のある方はどうぞ

『エベレスト 死の彷徨』 DEATH ON EVEREST 1/6

エベレスト 『死の彷徨』 DEATH ON EVEREST 2/6

『エベレスト 死の彷徨』 DEATH ON EVEREST 3/6

『エベレスト 死の彷徨』 DEATH ON EVEREST 4/6

『エベレスト 死の彷徨』 DEATH ON EVEREST 5/6

『エベレスト 死の彷徨』 DEATH ON EVEREST 6/6

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

エベレストは、チベット(中国)側とネパール側にまたがる、8848mの山。

Mount-Everest.jpg


世界一の高さを持つ山のせいか、登山愛好家にとっては、なんとか登頂に立ちたい!と切望する人たちも多いのだろう。

なんせ、まさに・・頂上に立つことができれば、TOP OF THE WORLDなんだから。



エベレスト登頂を目指すには、いくつかのルートがある。


特に一般的なのは、

●ネパール側からの南東稜ルート (赤い線) South Col Route


●中国側(チベット側)からの北稜ルート (青い線)North East Ridge Route


adventure1.jpg
https://blogs.yahoo.co.jp/discus11199/14857023.html

この二つのルートは難易度が低く登頂率が高い。 そのため山頂を目指す多くの登山者が利用する。

とくに、サウスコルルート(南東稜ルート)は、ノーマルルートと呼ばれるほど、比較的ラクだし人気のあるルートだ。(赤線のルート)

拡大したものが、こちら
  ↓
pic07_01.png

通常のエベレスト登山期であれば、ここは熟練の登山ガイドによりルートにロープが据え付けられ、氷の割れ目にははしごが設置されている。

だから、それに従って進んでいけば、アイスフォールクレパスも抜けることができるので、苦心して自分でルートを探しながら進む必要はない。

だから、比較的ラクと言われている。


しかし・・比較的ラクとは言っても・・

C4の場所、つまり、テントが張ってある4番目の場所、
(サウスコルと呼ばれる標高7900mにある平地に、最後のテントを設営する)

ここを出発したら、そこはデスゾーンと呼ばれる場所になる。

デスゾーン:標高8000m以上は空気は地上の三分の一、何もしなくても疲労していく領域のこと。




通常は、ここからは酸素マスクをつけ、酸素ボンベを背負って行動することになる。

酸欠になると・・頭痛、吐き気から始まり、頭がパンパンに腫れ上がり浮腫を起こして死に至ることになる。
心筋梗塞や脳梗塞とも似ているようで、たとえ助かっても障害を持つ場合もあるらしい。





いかに、ラクとはいえ、それでも最低限度の体力は必要。
    ↓

サンシャイン60ビルの60階展望台が226mなので、この約4倍の高さ、これを階段で上り下りできる体力。
しかも、背中に酸素ボンベを背負うので大きな負荷にも耐えられ、また標高8000m以上のデス・ゾーンでは、体の機能が著しく低下するので、それも考慮に入れた上の体力ってこと



それに、まずは・・酸素の薄い中でも大丈夫なように、時間をかけて体を十分に慣らしておかなければならない。
(慣れるか慣れないかは、個人差があるらしい。)


この2つがクリアーさえできれば、おそらく初心者でも、登頂できる可能性はあると言われているのが、このサウスコルのルートだ。



しかし、この遭難事故は、サウスコルルート(南東稜ルート)で実際に起こってしまったのだ。


それほど技術的には難しいものはないルート、しかも、ちゃーんとガイドが率いる公募隊登山だったのに。




何故このような事故が起こってしまったんだろうか?

映画をみて、Wikiの記録を見れば詳細はよくわかる。
      ↓
1996年のエベレスト大量遭難_Wikiより


・・・・・・・・・・・・・・・

その理由を簡単にまとめると・・


まず、

●これは公募隊だったこと

登山参加者はお金を払って、参加者全員でグループとなって登頂を目指す。
簡単に言えば、ツアーガイド会社に申し込んで、引率者がお客を連れていくようなもの。

そのため、登山一筋ン十年というベテランもういれば、週末やバケーションのみで楽しむ愛好家、一度トライしてみたかったんだよね~という者などもいて、

登山経験の知識、体力も・・実にばらつきがあった。


ガイドは、こういったばらつきをまとめて頂上へ導くのが仕事だろーが!と言ってしまえば簡単だけど、

そこは、8000メートルを超える世界、通常の人間界では無いのだ。


●一行は最終キャンプを深夜に出発して山頂に向かう。 そして日が暮れないうちに帰る必要がある。
(通常、山頂まで行って戻ってくると12時間~18時間はかかるため。
つまり深夜に出発しても、キャンプまで戻ってこられるのは昼を過ぎる。
午後からは天候が変わりやすく、夜になれば、さらに危険度は増す)



実際に、もしも山頂に到達できなくても、「午後2時になったら必ず引き返すこと」、というルールを決めて全員に言い渡していたのだ。

もしも、頂上が残り50m先に見えていたとしても、諦めて引き返すこと・・という厳しいルールを設定したいた。


ところが、記録を読むと、一番最後に頂上に到着したメンバーは、午後の3時過ぎで、降りはじめたのが4時半頃とされている。

ぜーんぜん、ルールは守られなかったということだ。


この状況を考えてみると・・

前日の夜中の12時から歩き始めて山頂までの片道で、なんと、15時間も費やしてしまったことになる。
(いろいろと予期せぬハプニング、アクシデントのため、こんなに時間がかかっちゃったらしいが・・)

しかも、帰りはまた同じ道を戻らなければならないのだ。

いったい何時間歩き続けることになるのだろう?

日中で天候が良くても平均気温がマイナス25度、酸素量は3分の1と言われている場所で。


通常の地であっても、24時間歩き続けるのは大変なことなのに、 デスゾーンでは不可能としか思えない。

実際のところ、事故は帰りの方が圧倒的に多いという。

極度の疲労と酸欠状態のために朦朧として、注意力散漫となり事故死する者、または・・体力の限界が尽きて、単に疲労のため命を落とす人も多いという。


なんだって・・それだけ、厳しい2時ルールを決めてたのにもかかわらず、

チームを率いるガイドでさえも、2時を過ぎても彼らを押しとどめなかったのだ?




そこには、人の事情ってものがある。

実際のところ、公募隊に参加するには、多額の費用がかかる。
1996年当時、6500ドル(日本円で700万円弱ってところか・・)

おまけに、休暇を使って来ている以上、帰りのチケットを買ってる人もいるだろう。


山頂が見えていれば、参加者の心理としては、きっぱり諦らめるのは、かなり難しい。
せっかく、ここまで来たのに、すべてを無駄にしたくない!と思うはず。

また、

ガイド側にしたって、なんとかしてでも,、彼らを登頂させてあげたいと思うものだ。
心情的にもビジネス的にも。

多くの人が登頂成功するほど来年のビジネスにも繋がるわけだから。



その結果、

疲労困憊して、体力を使い果たしてしまった上、猛吹雪に見舞われ、さらに夜になって道に迷い・・ついに、こういった事態を招いてしまったのだ。

ガイドが顧客の体力をしっかりと把握して、きっちりと下山の支持を出していれば、この事故は防げた可能性もあったとは思う。



事故だけは防げただろうけど、おそらく全員が登頂することはまずムリだっただろう。


その理由を見ると、

●リーダーのシェルパに、お客がかなり重い荷物を担がせていたこと。
(それも、登山には不要なもの)

●さらに、歩くのが困難になった客に、腰縄をつけて引っ張って歩いてあげたこと。(親切ちゃー親切なんだけど・・)

そのせいで、体力に限界がきてしまい・・

●最後の難関場所の、ヒラリーステップに、彼がロープを張る予定だったが、それが出来なくなってしまったこと。



そういったことで、大幅に時間がオーバーしていってしまったのだ。

ヒラリーステップというのは、初登頂のエドモンド・ヒラリーが最初に切り開いたとされる標高8760mにある約12メートルの岩場。
これを登り切れば頂上・・というところに位置している。

近年では残置されている新旧のロープが入り乱れている状態で、新しいロープに昇降機(ユマール)を取り付けて体を持ち上げながら、登っていく。
ただし、メチャメチャ岩の足場が悪い。

1953年5月29日午前11時30分(ネパール時間)、エドモンド・ヒラリーと、シエルパーのテンジン・ノルゲイが人類初となるエベレスト山頂到達に成功
Hillary_and_tenzing.jpg




おまけに、登頂を果たして、いざ下山しようとすると渋滞も起こっていた。


ヒラリーステップの渋滞
    ↓
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ここは誰もが目指す人気ルート、 しかもシーズン中ならば、人も多い。
なので渋滞が起こるのだ。


しかし、平地の渋滞ならば、文句を言いながらも待ってれば危険はないけど・・

神の領域では、寒さで体が麻痺してくる。 帰りの時間は刻刻と過ぎていく。
待つことも命がけなのだ。



チベットではエベレストのことを「チョモランマ」Chomo-Lungmaと呼び、
ネパールでは「サガルマータ」Sagarmathaと呼ぶ。


地元のシェルパ族は、女神が住む世界だという。


彼らもまた、日本の山岳信仰と変わらないものを持っているのだ。



その女神の世界に、地上の世界さながらの渋滞が起こるとは・・

人々は8000メートルの女神の世界にも、地上の意識を持ち込んでしまうのかもしれない。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こんな誰でも登るようなルートは、真っ平だ。
エベレストにまで来て、渋滞なんか見たくない!



そう思うなら、別のルートを行けばいいってことになるのだが・・当然、危険はさらに増すことになる。



夢枕獏による小説で、神々の山嶺(かみがみのいただき)というのがある。

2016年に映画化もされたし、ご存じの方も多いかもしれない(私は、映画は見てないんだけど・・)
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 「神々の山嶺」の主人公が目指すのは、南西壁と呼ばれるルート

 文字通り南西に存在する岩壁を登るルート。

いきなり・・崖なのだ。

ロッククライミングの技術も必須ってことになる。。。


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キャンプ2と南西壁


神々の山嶺は、 南西壁からエベレストの山頂を目指す一人の登山家の話で・・

ただでさえ難所であるのに、主人公の羽生は冬季・単独・しかも無酸素でこの南西壁を目指すのだ。


このルートは、想像を絶する困難さだと言われている。



しかし、実際にこのルートを使って登頂した人がいないわけではない。

 ・1975年 英国隊 初登頂

 ・1982年 ソ連隊 登頂

 ・1988年 チェコスロバキア隊 1名登頂 下山途中全員死亡




ただし、単独で登った人はいない。


もしも、単独で登るならば、隊でルートを確保し、キャンプをあげて南西壁を攻略するところを、
自らの力だけでルートを切り開き、氷の割れ目を迂回し、氷壁を乗り越えていかねばならないということになる。



じゃあ、単独では無理か?といえば・・
チベット側からのアプローチならば、単独で登った人もいる。


エベレスト登山史上、単独で登頂したとされるのは

イタリア人のラインホルトー・メスナー(Reinhold Messner)
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そしてイギリス人のアリソン・ハーグリーブス(Alison Hargreaves)
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単独がどれほど、困難なものか?

そもそも、南西壁ルートは、壁攻略だけではないのだ。


こんなアイスフォールを、どうやって一人で正しい道をみつけて進めるというのだろう?
   ↓
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ここを抜けられる個人が現実にいるのだろうか?



また、南西壁から無酸素登頂した人も、いまだかつていない。



別のルートならば、無酸素登頂をしている登山家もいるし、日本人でも数名いるそうだが・・。

酸素ボンベの重さは、3.5×2が背中にかかることになるけど・・
その分素早く行動できるし、疲労感が軽減される。

酸欠状態になれば、体力は失い、思考力はなくなり、あっと言う間に道に迷うか・・
浮腫を引き起こせば死に至る。

また酸素不足は凍傷を引き起こしやすくなるそうだ。



単独・しかも無酸素でこの南西壁で成功したとすれば・・それはもう、人ではないのかもしれない。

人ならば・・前代未聞の快挙となることは間違いない。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こちらは、山下健夫さんという登山家が単独で登頂に成功したときの、彼自身がハンディカム片手に命がけで撮った映像。
もちろん、南西壁ルートではないけど。
    ↓


これを見ていると、

未熟な登山者が崖を登れず、最期の力を振り絞って、そこで息絶えてしまった様子や、

横向きで死にかけている(すでに死んでいる人?)を、見捨てて進んでいく様子もよくわかる。

実際に、放置された死体も多いそうだ。

Mount-everest-from-Drukair.jpg

ここは、地上の世界とは全く違う世界。

誰も手を差し伸べる余力はない。

それを、非人情だと言って非難するのは、人の住む地上の世界だけなのだろう。


神の世界は生と死は隣りあわせ
ここでは、助けてくれ!と人にすがることも、人を助けることさえも許されない世界なのかもしれない。



人は決して山に登ってはいけない。
そこは、神の住まうところだから。


これは、日本の山岳信仰でも、よく聞く言葉だ。


チベットでも、聖なる山に登るのは禁忌とされるそうだ。

ブータンでも、1994年 宗教信仰に反するという理由から6,000m以上の山への登山が禁止となったという。


それでも、高い山をみつけて登頂しようとするならば、

人里の意識を全て捨てて、極限状態で生死を見つめに入るしかないのかもしれない。
生死も神にゆだねて。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ふと、そんなことを考えていた日だった。

エベレストで遭難死した栗城史多さんのニュースを聞いた。

私は、この人のことは全く知らなかった。


しかし、ニュース記事を読む限りでは、

彼は、単独・しかも無酸素でこの南西壁に挑戦し続けていたという。

神々の山嶺へ。

参考
節約旅行.info
エベレスト南西壁の難しさ。

「日本の不可思議な風潮」に宿るあまりにニーチェ的な・・・

アメリカ人の相撲ファンという人が、

「日本の相撲の世界はヘンだよ! 強い力士をバッシングをして引退に追い込むって傾向があるね~。 
とくに外国人力士に対しては、僕には偏見があるとしか思えないんだ!」


と言っていた。

私は相撲については、まったくといいほど知らない。

でも、まあ それでも・・ちょっとしたニュースくらいは耳に入っている。

横綱・朝青龍は、夏巡業休場中に母国モンゴルでサッカーをしていたことがバレて出場停止、
土俵上でのガッツポーズしたとか、酔っぱらって暴力をふるったとかで・・強制引退させられた。

横綱・日馬富士も、強制引退
去年だったか、力士同士の飲み会席で喧嘩になり、相手を殴って流血騒ぎを起こしたのが原因。

横綱・白鳳は、「張り手やかち上げを使った横綱らしくない勝ち方をする」、品格が備わってない・・と言われてる。



相撲に詳しい彼は、こういった事件のことを嘆いているらしい。

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こういったニュース記事だけを見れば、いかにも罪状明白ってカンジがするんだけど・・

相撲を知らない私にも・・・ちょっと考えてみると、いろいろな疑問も湧いてくる。


暴力事件における詳細もわからないし・・
ルールブックに載ってる勝ち方をして何が悪いんだろう?
品格って何?




そんなことを考えているうちに・・

最近の日本の「不可思議な風潮」を思い起こしてしまった。



芸能人、アナウンサー、俳優や歌手・・名の知られた人たちは、何かあれば、すぐにバッシングの対象にされるという風潮


ここ数年の芸能人の「不倫問題」「暴力問題」、つい最近では「わいせつ行為」?だったかな・・そんなのもあったなあ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

相撲といえば・・・横綱・日馬富士は、たしか今年の1月に引退させられたんだっけ。

力士たちとの飲み会で、酔っぱらって喧嘩になり、相手に怪我をさせたのが原因とされている。



たまたま、それをTV座談会でやっていたのを見たことがある。

そこで、

「ビール瓶」で殴ったかどうかが問題になった。

すると、一人のコメンテーターが、こんなことを言ったのだ。

「ビール瓶で殴ったかどうかは問題ではないでしょう。
暴力そのものがいけないんだから、当然、厳重処分にすべきだ。」


すると・・一同、うんうん、と頷く。


これを見て、私は唖然としてしまった。。。

これじゃあ、まるでキリスト教原理主義者、イスラム原理主義者と変わらんじゃないか!

原理原則を持ち出して刀両断にしちゃうんかい?


lopez.jpg


そこに、どうゆう経緯があって、どんな事情があり、どうゆう結果になったかなんて、どーでもいいってことか。

問題は「暴力をふるった」ってことだけ?

じゃあ、そもそも、座談会なんかやる意味さえもないだろ!


このコメンテーターに限らず、ここに・・昨今の日本人の風潮を見たような気がしたのだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


ずいぶん昔のことだったけど・・私の小学生時代を思い出した。
   ↓

ひどく内気で勉強も出来ない女の子がいた。
おまけに家もビンボーらしく、いつも同じ服を着てるような子。

その子を、ある男の子がイジメていた。
その男の子の家は金持ちで、まあ、ドラえもん世界で言うところの・・スネ夫かな。

そりゃもう、ひどい言葉で・・汚い、バカ、臭いとか・・。
オマエが頭が悪いのは、オマエのパパもママもバカだからだ、だから貧乏なんだとか・・。

女の子は泣きそうになりながらも、必死に耐えている。


そこに助け舟が登場。

クラスで一番の腕力の持ち主・・・かりに、ジャイアンとしておこう。(←ますます、ドラえもんワールドになってきた)

「やめろよ! 女の子をイジメやがって!」

まさに、正義の味方!

ところが、スネ夫はひるまない。
ジャイアンのこともバカにしてるから。

「僕は本当のことを言ってるだけだもんね。」

ますます、その女の子に顔を近づけて、汚い! 臭い!と顔をしかめてみせた。

ついに、怒ったジャイアンが割って入って、スネ夫を押しのけたのだ。

別にグーで殴ったわけじゃない。

えい!って押しのけたら、スネ夫が吹っ飛んで転んでしまったのだ。
なんせ、ジャイアンは力持ちだから。

スネ夫は泣きながら、先生に訴えたのだ。

「ジャイアンが僕に暴力を振るいました。
僕は突き飛ばされて、怪我をしました。」と。

怪我ったって、椅子にぶつけたかすり傷と軽い打撲だったけど・・

そこで、先生がどう言ったか。

暴力をふるったんだから、ジャイアンが悪い。
どうゆういきさつがあったにしろ、暴力をふるった方が悪い。
スネオに謝りなさい!


だった。

この判定にブチ切れたジャイアンは、午後の授業を放棄して家に帰ってしまった。

*後日談として、この事件は学校問題にもなり、この担任の先生がジャイアンに謝ることになった。





暴力を振るった方が悪い?

じゃあ先に「言葉の暴力」を振るったスネ夫はどうなんだ?


以前のブログ記事、
   ↓
脳が幸せを感じるしくみ

この中で、アミット・ソッド博士(Amit Sood)の述べた内容をアップしたことがある。
   

脳は、心の痛みと身体の痛みの区別がつかない

たとえば、嫌がらせや中傷されたりして心を傷つけられたとき、その痛みは、肉体的にトゲが刺さった時の痛みと同じ。

たとえば、心が壊れた時の痛みは、骨が折れた時と同様の痛みと同じ。

脳にとっては心の痛みも身体の痛みも区別が無しの同じもの。




スネ夫が受けた打撲と軽い傷は問題にされたけど・・女の子が受けた精神的暴力は無視されたことになる。

それは、骨折に値するような心の傷だったかもしれないのに。

・・・・・・・・・・・・・

なにがなんでも、「暴力」というものだけをカテゴリー化して、一刀両断にするというならば、どうすればいいのだろ?

もしも、これが小学校じゃなくって、大人の世界だったら?



バーで女性が、失礼な男に絡まれていたとしたら・・どうすりゃいい?

言葉で注意しても、ますます図に乗るだけで、ちーーとも相手が聞き入れないでエスカレートしてきたとき。
(だいたいが、こうなるパターン)


警察に訴える?・・そんなことで警察は動くわけがない。

じゃあ、

見て見ぬフリをして関わらない。

相手の暴力(言葉の暴力でも肉体的な暴力でも)をひたすら我慢する。

その女性を連れてその場を逃げる。




それなら、たしかに「問題を起こさない」だろう。


だけど、見て見ぬフリができない人には、到底それはできない相談だ。

なんで我慢して、なんで、こっちが逃げなきゃならないんだ?

正義感があるヤツならば、そんなことはできない。

で、ジャイアンのような男は、すぐに傷害罪やら器物破損罪で訴えられて世間から抹殺されてしまう。


「品行方正」とは、何の問題も起こさないこと=見て見ぬフリができる人のこと?

そんな疑問さえ浮かんでくる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こうゆうのは、昨今の風潮だと思うのだ。

昭和の時代、それも・・私の父の若かった頃は、おかしな武勇伝?もいっぱい聞かされた。

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父は平凡なサラリーマンだったのだが、路上で喧嘩して相手の鼻の骨をへし折ってしまったことがあったとか。

父の友人はもっとすごい。・・・この人は超一流会社にお勤めのエリート社員。

普段はもの静かでマジメなサラリーマンだったようだけど、ヤクザと喧嘩して相手に何針も縫うような怪我をさせてしまったとか。

もちろん、素手で。
相手はナイフを持ってたらしいけど・・。

いったい・・どんな格闘技をやってたんだか・・。


当然、警官が飛んできて、その場で事情を確かめると、

「もう、しょうがないなあ~。 今回は厳重注意ってことにしときますけど、いくら酔った勢いとはいえ、喧嘩は謹んでください。」

で、終わってしまったそうだ。



当然、この話は会社にも知れ渡ることになって・・武勇伝としてもてはやされたという。

役員たちも・・

「しょうがないヤツだよなあ・・でも、若いときはそのくらいの元気がなきゃ。」

「それにしても、ヤクザ相手に素手でボコボコにするとは、アイツもやるなあ。 見上げたもんだ!」

見上げたもんかどうかは知らないけど・・(笑)


今だったら、

マスコミが嗅ぎつけてきて、大スクープとなる。
会社役員がTVカメラの前で陳謝
人々のバッシング、ネット上は大炎上
会社員を擁護した人までバッシングを受ける
会社はイメージダウン
本人はもちろん、首で、再起不能まで叩きのめされる




だからこそ、現代人の多くは「見て見ぬフリ」をすることにもなる。


そんなものは時代が違うし、価値観も違うんだから、と言ってしまえば、それまでの話。


だけど・・少なくとも、今のような「暴力は悪」という、

単純な「善悪」だけを持ち出して一刀両断にジャッジするようなことはなかった時代だったと思う。
もちろん、暴力を擁護する気はさらさらないけどね~。


当事者同士の問題ならば、・・たとえば力士同士の酔った勢いの喧嘩だったら・・

たとえば・・横綱・日馬富士のケースなんかの場合など。
*これが当事者同士の問題にしなかった理由は、バックに相撲協会における派閥だとかドロドロしたものが絡みついていたのだろうけど・・


おそらく・・
「示談」で済ませるということの方が多かったように思う。

相手に医者に行く怪我を負わされたとしても・・(格闘家にとっての流血事件は我々一般人と一緒にはならない。)

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「ごめん! あんときは、つい、頭に血が上ってやり過ぎちゃった。」

「いいってことよ! 俺の方も、酔っぱらってたし、悪かったんだからさ。」



問題となるのは・・

そこに悪意、殺意が込められていたか?

それとも、寄った勢いで暴れてバカやっちゃったのか?


この二つは、根本的に別だと思うのだ。



しかし・・現代は、こんなことでは済まない。

「暴力」という言葉だけに、フォーカスされてしまう。

情状酌量(ジョウジョウシャクリョウ)という言葉もあったけど・・

現代人には通用しないようだ。


やり玉に挙げられた人間は、何もかも失うまで叩きのめされる。
たった一度の過ちでも許されず、人生そのものを抹殺されかねない。

そこまでの罪に価することをしてるんだろうか?


そもそも、一度も間違いを犯さない人間なんていないと思う。
もしも、いたとしたら・・よっぽどの「事なかれ主義」を通してきた人としか思えない。





ここまでしてしまう理由を聞けば・・

「事をうやむやにするのはいけないから」

「世間に公表して徹底的に懲らしめる必要がある」


ということらしい。


これは、

「正義の名のもとに行われる、ただの嫌がらせ」って場合もあるかもしれない。

たとえば、世間の人気者に対する「うらみ・ひがみ」から出たもの。



または、

アイツは「悪い」んだから、「罰を与えて抹殺して当然」と思ってる人。

むしろ、こっちの心理の方がもっと不気味、薄気味悪い。

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善か悪か、白か黒か・・右か左か・・・

完全なる二元論。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

つい、最近ブログにアップした、ニーチェのことを思い出した。

エリーザベト・ニーチェとその兄貴&ヒトラー(その1)

まさにニーチェも、善か悪か、右か左かの人だった。


宗教的道徳を、奴隷道徳として称して憎み、本来持つ「欲望」を直視して突き進め! 
「道徳や秩序より己の意志に従うべし」 それが超人だ!
超人となれ!


それらを、熱く、強烈な言葉で語った人だ。


たしかに・・一理はある・・・とは思う。

だけど、私には納得できないものも多々ある。


かつてのキリスト教が奴隷精神を作り上げて、統治国家を作り上げた側面もあることもわかる。

「秩序」を通して「平和」を作り上げれば、支配者はますます国民や信者を支配しやすいし、それこそが支配者の狙い・・それもわかる。


●しかし、もしもあらゆる人々が、ニーチェの言うような・・

欲望を受け入れろ!意思で生きろ!・・で突っ走ってしまったら・・・

危なくって外にも出られなくなるだろう(笑)



●キリスト教の教義に対して、受け入れられない部分を批判するの結構。

だけど・・彼は ドクトリン doctrineではなく、はっきり、「道徳」 Moralという言葉を使って批判してしまっている。


そもそも、宗教や道徳が、ひがみ・ねたみ、卑屈さから生まれたとは思えないのだ。


後の世で、いくらキリスト教が歪められてきた歴史があるにせよ、


少なくとも、イエス・キリストの説いたものには、ひがみも、ねたもみも、卑屈さも感じられない。

人類の罪を一身に背負い、あの、残酷なまでの・・十字架刑にまでなった人だったんじゃないだろうか。

そこには、むしろ、「強い生き様」や気迫さえ感じられる。

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ニーチェは、「超人思想」を説きながら、いったい、どんな自分になりたかったんだろう?

ふと、そんな疑問が湧いてくる。


世界に名をなす英雄か? 大実業家か? 世界の王を目指すのか?



ニーチェは発狂する前に、すでに・・おかしな手紙を送っている。

「わたしはこの世で最高の名士になるでしょう。 わたしには、政治的な力があります。
わたしは王子たちにローマで会議を開くように命じました。若い皇帝がだれかに撃ち殺されるのが、わたしの望みなのです」

1888年12月、スウェーデンの作家ストリンドベリに送った手紙より
ストリンドベリは異常なまでの人種差別主義者



ん?  なんだこりゃ!

その手紙のサインが「ニーチェ カエサル」だったそうだ。

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ん? いつから、キミはカサエルになっったんだ?


すでに、狂人の兆候があったのかもしれないけど。


彼が夢見ていたもの、目指したものは・・

カサエルのような、「君臨する権力者」だったような気がしなくもないのだ。

彼の心にあったものは・・以外にも・・単純な権力への憧れ?
(こんなことを言うと、ニーチェファンに袋叩きにされそうだけど・・・)


ガラス細工のように心の弱い男が、望んでいたものは、それだったのかもしれない。

しかし、頭が優秀な彼には、「なりふり構わず、カネと権力と武力で押し切れ!」な~んて言葉の羅列はできない。

きっと、彼のプライドが許さないだろうし、良心の呵責やら、なにやらいっぱいウジウジとしたものが渦巻いていて・・

結局、「道徳や秩序より己の意志に従うべし、それが超人だ!」という言葉にいきついたという気がする。



無理やり、自分自身を鼓舞して・・

でも現実は、やっぱり・・
誰にも見向きもされずに本もまったく売れない。


そこにあったのは・・

挫折感と絶望・・
でも自分のプライドも力への憧れも捨てられない。


文通相手のストリンドベリも、また似たようなタイプだったのかもしれない。

返信文↓
「わたしは狂いたい、狂いたい。 ともあれ、狂うのは喜ばしいことだ」



実際、この二人は、相前後して気が触れてしまった。



「頭でっかちなだけの弱い男」にはありがちなパターンかもしれない。
      ↓

善か悪か、右か左かの振り子に自分自身すらも押し込め、執拗に振り切ろうとまでする。





さらに私は、ニーチェの本の中に、ひどく人工的な匂いを感じてしまう。

「魂から発した言葉」と、「自分の心を鼓舞するために発した言葉」とでは、伝わり方が違うのだ。



●彼の嫌う「奴隷」「凡人」・・・

その言葉のウラには、人種差別的な匂いさえも感じてしまうのだ。

もちろん、ニーチェは、リヒャルト・ヴァーグナーとコージマ夫妻のような人種差別者ではなかった。

しかし、身分や人種の差別ではない別の差別意識さえも感じてしまう。


「奴隷」「凡人」・・・
そのすべてが、卑怯者のルサンチマンだとは言えないだろう。


のーんびりした性格で強い意思さえなくって・・田舎で親の進めるままに結婚して子を作り、平凡に死んでいく人生・・

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それの、どこがいかんのだ?
・・と、つい反論したくなる(笑)



「道徳の系譜」という本だったか・・真実の山では登って無駄に終わることは決してないと述べていた気がするけど・・


では、「真実」の基準はなんだろう?

なにが真実なんだ? 

結局のところ、自分の魂で真実だと「感じた」ものでしかない。

真実なんて言葉を使うと、まさに、究極の客観のように思えるけど、これこそ、個人個人の主観でしかないと思う。

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欲望も意思も貫かず、分相応に地味~に生きるも人生

挑戦し続けて失敗して野垂れ死にも人生

大成功で権力を握るも人生


人の人生に、善悪、白黒の二元論を持ち出すべきものでもないように思うのだ。

自分の好きなキャラで、自分の真実に従って生きればいいだけだろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

最近の世相をみるにつれて・・

なんだかなあ・・・

ニーチェっぽい人が増えてるんかいな~という気がしてならない。


私には、やっぱり、ニーチェの「超人思想」は受け入れがたいものがある。

むしろ、妹エリーザベトの方が、天性の「超人」だったと思う。
ビジネスセンスにおいては、ピカイチだし・・。


ただし、どっちにしても・・お近づきにはなりたくない人たちではある(笑)


なぜなら・・

こういった二元論だけで生きていく人には感性がないから。

感性が育つはずもないのだろうけど。

感性がなければ、人類への愛もない・・・・そんな気がしてしまうのだ。


参考
「エリーザベト・ニーチェ―ニーチェをナチに売り渡した女」
Ben Macintyre (原著), 藤川 芳朗 (翻訳)

神の領域へ挑戦する人々(その2)

<<前回からの続き>>

◆マクロの世界とミクロの世界

人がもっとも憧れることは・・

本質を知ること、それによって未来を知ること

それが可能となれば、ヒトは「神」を超え、すべてを操れるときが来るかもしれない。

どんな占いよりも、予言者よりも・・
めざせ、的中率100%!



実際、たしかに、
マクロ世界のニュートン力学は的中率100%の予言者となった。(だからこそ人々は狂喜したのだった)

もしも違ったとしたら、そりゃ条件が変わっただけ。



ところが・・

ミクロ世界では「決定論」は成立しない。

当然、未来を予知することも原理的に不可能。




量子力学の「不確定性原理」が、それを数学的に証明してしまった。



いまだに、量子力学の「不確定性原理」は、多くの理工系学生たちを混乱させるという。

だって、「当たるも八卦(はっけ)当たらぬも八卦」を科学の世界で証明してしまったようなものだから。

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生まれてこのかた、ン十年も、ずーーと「太陽は地球の周りを回ってる。ありがたや~」と信じてきた人が、

ある日、突然「それ、ちゃうねん! あんたらが、地球が、太陽の周りを回ってるねん!」と言われたようなものだ。 それも、証拠を目の前に突きつけられて・・


にわかには受け入れ難い! ヒトの感情としてはとくに・・。

そういえば、一般相対性理論の創始者・アインシュタインはこの量子力学が大嫌いだった。

いや、むしろ・・敵意を抱いていたようだ(笑)

「神はサイコロはふらない」・・というのを理由にしてまで。



◆作り物、現実、仮想現実?

でも、マクロの世界でニュートン力学が通用するんだから、ミクロの世界なんて、どーでもいいんじゃね?
我々はマクロの世界で生きてるんだし!

なーんて大きな誤解をしないためにも、もういちど、ミクロの世界についておさらいしてみよう。


この世界の物質はすべて「原子」でできている。
さらに、原子を分解すると原子核と電子になり、原子核を分解すると陽子と中性子になる。

そして、この分解作業の最後に行き着くのが「素粒子」だ。


この素粒子の世界=ミクロの世界においては、
物質でもあり波でもある。

観測者が見ることで、いかようにも変化してしまう。



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まるで、幽霊じゃないか?

白でもあり黒でもある、固体でもあり気体でもある、動物でもあり植物でもある・・とでも言ってるようなものじゃないか!

おい!禅問答じゃないんだぞ!

ミクロの世界はミロクの世界?(おい!ダジャレてる場合じゃない!)


これは「実物」といえるんだろうか?


モノでもあり波でもあるもの。


「見えないし感じることもできなければ存在しない」と、思い込む人は多い。

たとえば、マクスウェル(James Clerk Maxwell 1831-1879)は電磁波の存在を予言した。

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しかし、人々は見ることも感じることもできなかったため当時は誰も信じようとはしなかったという。(科学者でさえ)

しかし、今では電磁波の存在を疑う人はいない。

電磁波を否定すれば、TVも無線機もGPSもスマホも全部否定することになるから。

同様に、幽霊だとか、輪廻転生・・なんてスピリチュアル系とされるものも、存在を否定できないってことになる。
(科学に重点を置き、存在を否定するならば、それを数式で証明しなければならない。)

むしろ、否定するより肯定したほうが、論理的に辻褄が合う場合だって多い。

・・・・・・・・・・・・・・・


さりながら・・見えない、感じないものの存在を認識するのは難しくもある。


まして、物質であり波であるものなんか・・。

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これは、現実? 作り物? それとも仮想現実?

ここで、もういちど、プラトン流の世界観を思い出してみよう。

物質界の上に本物のイデア界が存在し、そのテンプレート(ひな形)として、物質界が実体化されている



・・・ とすれば、現実世界も「作り物」といえるのかもしれない。



仮想現実と現実世界・・その違いは?

現実世界の物は「実物」だが、仮想世界の物は作り物。

本物のバラの花と作り物のバラは触ればわかるじゃないか。

じゃあ、コンピューター映像の作り出すものは? そんなの「データ」に過ぎないじゃないか。

そんなの誰だってわかる「作り物」だと。




でも ・・・ 本当にそうだろうか?


現代のテクノロジーを持ってすれば・・人の五感を操りコンピュータ映像をリアルに思い込ませることだって可能。

バラにしたって、高度な3Dプリンターで作ったものはどーなんだ?

クローン羊ドリーは? 実物っていえるのか?

そもそも、「実物」って何だ?




実物と思い込めば実物になる・・ひょっとしたら、その程度のもの。

それが実物の正体?



◆仮想現実のTVゲームの世界



ふと思うことがある。

現実世界は、TVゲームの仮想世界となんら変わりはないのかもしれない と。

早い話が「作り物」であり、作り物である以上、「作った者が必ずいる」ことになる。


言い方を変えれば・・

我々が生活している現実世界、その上に上位世界がある。(←まさに、プラトンのイデア説)


子供が観察してる世界 >水槽の中で飼われているアリの世界

3Dプログラマー >ゲームユーザー





TVゲームの世界においては、3Dプログラマーは神の存在だ(笑)


シミュレーション系のゲームソフトで、シムシティ(Sim City)というのをご存知だろうか?

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ユーザーが市長になり、都市を開発するシミュレーションゲームだ。

このゲーム世界には、住宅地、工業地、商業地、発電所、交通網などのインフラがあるし、すべてが現実世界そのもののだ。

住民も現実そのもの・・道路が渋滞がすれば文句を言うし、わがままな住民もいれば、犯罪が多発すれば町を去っていく。その結果、税収が減り都市作りは滞る。

まさに、現実世界の都市がコンピュータ上でそのまんま再現されている。




これは、もうひとつの現実と言えないだろうか?


実際、3Dプログラマーは高度なプログラミングによって、空間とオブジェクトを、それこそ物理法則を適用して見事に3次元で操ってるわけだ。 

それがTVゲームの世界。


我々ユーザーは、その中で特定の役になりきり、そこにある「リアル感」を十分堪能することができるのだ。


しかも・・もしも飽きたらリセットしてやり直せばいい(←ゲーム界の輪廻転生)


しかし、

ユーザーは絶対に上の世界(S3Dプログラマー = 神)にはアクセス出来ないのだ。


神プログラマーは、いったい何の目的で、我々の世界を作ったんだろうか?

いくら、我々が必死の努力を重ねて、世界の法則の「仕組み」が理解できるようになったとしても、その「目的」だけはわからない。
永久に不可能。。。


唯一、その「目的」を知るのは創造者だけ。(人の限界・・)



◆プログラミングは、実行してみななけりゃわからん


またしても、ここで浮上してくる問題。

全知全能の神=3Dプログラマーならば、我々の知らない未来も、すべてお見通しなんだろうか?

だって、プログラミングしたわけだし~。 ぜーんぶ、どうなるか、ぜーんぶわかってて当然だよね?


で、プログラミングして、なんだって、それをわざわざ実行するんだろ?

3Dプログラマーならば、そりゃ、ユーザーが購入してくれて大儲けが目的だと想像がつくけど、

我々の上の世界の神プログラマーの目的は何?
「大儲け」が目的ってことはありえないから・・



そもそも・・プログラミングして結果がすべてわかってるんだったら、実行したところで何になるんだ?

まったく意味がないじゃないか!

うーーむ。


ちょっと待った!

ここで、突然気がついたことがある!

    ↓
現実世界では、SEがいて、プログラマーがSEの構想と指示に従ってプラグラムを書く。

その「プログラム」こそが、その世界を生成し更新していく。ものだ。


たしかに・・

もしも、そのプログラムを盗み出して解析できれば、次に何をするかがわかるし未来も予測できるってことになる。


ところが、そこが違う! そんな簡単にはいかない。

SEやプログラマーでさえ、プログラムが何をしでかすか正確に予知することができないのだ。

自分が書いたプログラムのくせに(笑)


それは、コンピュータ業界の常識だ。


すべてがプログラミングどおりに行くならば、(=予知できるならば)
プログラムに「バグ(誤り)」など、あるはずがない。

しかし・・・SEもプログラマーも声をそろえていう。
「仕方ないよ。バグってのはつきものだから!」


そういえば・・思い出すのが、マイクロソフトのWindows 8
Windows 7と比べて、評判は悪かった。


なぜなら、「特定の条件下において外付けHDDのファイルが消失する」ってことが判明しちゃったから。

ありえないだろ?

そんなもの、出荷するなよなあ!

しかし・・

「複雑なソフトウェアでは、すべてのバグを見つけるのは困難であるため、ソフトウェア会社は、発売後のサポートで対応するのが当たり前になってる」

これが常識!




つまり、プログラマーはプログラムを実行させてみて、初めてバグに気付く。

さらに、そのバグを修正すると新たなバグが生まれ ・・・ これを延々と繰り返さなきゃならないこともあるそうだ。

「デバッグ(Debug)」と呼ばれる作業がこれのこと。

プログラムは、実行してみないと結果はわからない。


つまり、

創造主=神プログラマーにも未来はわからないんじゃないか?
実行してみないと結果はわからないんじゃないか!




そもそも、プログラムを読むだけで結果がわかってしまうなら、プログラムを実行する意味がどこにある?

わからないからこそ、実行したのだ。


◆創造主とは?

おそらく・・それは「地球外生命体」によるところが大きいだろう。

ゼカリア・シッチン説によれば・・文明発祥の地、シュメールに秘密がありそうだし・・

リソパンスペルミア説:地球の生命が宇宙の彼方からやってきたという新たなる証拠が発見される(ロシア研究

なんてのもある。


我々の呼ぶ神とは・・高度な地球外生命体。

たぶん。。。


観察する子供 >水槽の中のアリ


同様に

高度な地球外生命体 > 地球人




しかし、それならば・・その高度な地球外生命体の世界は?

そのまた上の世界は、どうなっているのだ?

上の上の上の上の・・・世界があるのかもしれない。

「あるのかもしれない」というより、「ある」と考えた方がすんなりいくかも(笑)


なぜなら、我々の上の世界があって、そこで完結してるとは考えられない。



◆宇宙は無から誕生する? ビッグバンからか?

近代において、一般相対性理論の創始者アインシュタインによって、

宇宙が137億年前に「無」から誕生したことが分かっている。

BIG BANG

ところが、完全無欠に見えたこの理論にも弱点が浮上した。


一般的には、宇宙誕生の瞬間は137億年前に起こったビッグバン(宇宙大爆発)とされている。

のだが・・

じゃあ、ビッグバンの起こる前はどーだったんだよ?・・という問題が浮上する。


そこで、「無が支配する世界」な~んて言えば大変なことになる。

無から有が生じたことになってしまうから・・・。


これは、水槽のアリの世界は、 ある日突然、水槽が出現してアリも出現したのだ!といってるようなものだ。

違うだろ! 我々の世界があって子供がいて、その子が水槽を持ってきて・・作られたんだから。





同様に、現在宇宙に存在する膨大なエネルギーと物質が、宇宙誕生の瞬間に、突然湧き出たことになってしまう。。。

一体、こんな莫大なエネルギーや質量は、どこから湧き出たというのだ?


そこで、唯一考えられることは・

・この世界とはまた別の世界が存在し、それがこの世界に影響を与えている。ということ。


それは・・

「宇宙は創造主がつくったのであり、膨大な物質やエネルギーは、宇宙誕生の瞬間にさらに外から持ち込まれた」ことになる。


そうなると・・さらに上の上の上の・・・世界が存在する?

創造主の創造主の創造主・・がいる?

こりゃ、いったいどこまでいく?




または、この説に対する反論として・・

「虚数時間」を唱える科学者もいる。
     ↓
虚数【宇宙の謎】ビッグバン以前には何が存在したのか


これを極論してしまうと・・

●「宇宙の誕生」などなかった説

これが苦し紛れであろうとなかろうと・・こうやって辻褄を合わせる以外ない。


または・・前述したように、

●137億年前、宇宙誕生の瞬間に、宇宙の外世界からエネルギーと物質が持ち込まれたとする説


そこで、次の問題は・・、

このような大それたことができるのはどこの誰か?

高度に進化してしまった地球外生命体 または、神?



もう、こりゃ、堂々巡りだよな~(笑)


多くの科学者は・・研究を重ねれば重ねるほとに、またもという言葉にただりつく。


しかし・・神は大きくわけて二通りある。(念のため)

●信仰者が信じる「宗教上の神」

●科学者が疑う「宇宙の創造主」



けど・・ここでは信仰者の信じる神は無視


科学者は世界のしくみを知れば知るほど・・驚嘆することになる。

なんと無駄なく素晴らしい構造なんだ!と。

まさに、神の成せる業!と神の存在を身近に感じてしまうのだ。

感嘆し認めつつ、それでもやはり・・それを神に押しつけたくない気持ちが働く。


それが科学者のプライド、宇宙の誕生をなんとか自分自身で科学的に説明したい。

それが、科学者の性(さが)というものかもしれない。


・・・・・・・・・・・・・・

以前、私はこんな説を聞いたことがある。

地球人は

●他の星から移住して異星人が、地球の爬虫類を使って遺伝子操作で誕生させたものだ。

●複数の異星人が移住してきてハイブリッドになったのが地球人となった。

などなど。




結局、私の想像はここに行き着く
     ↓
たとえ、我々地球人が、どれほどの高度な知的生命体に作られたにしろ、上の世界の創造主に作られたにしろ・・

この世が上の上の上の・・・世界があって、

創造主の創造主の創造主の・・がいたとしても・・

すでに実行されてしまったプログラムの未来は、誰にもわからないんじゃないだろうか?


創造主の神プログラマーでさえ、予知できない世界。

はじめは、誰かに作られたとしても・・

今、この世界を作っていくのは、我々人間なのだ。と。





だからこそ、創造主も・・この世界がどうなっていくか、その変化(進化)を見ているのかもしれない。
見てどーする? 楽しんでるのか学んでるのか?・・・そこんとこは、わからないけど。


キーワードは、変化(進化)


神の前では無力と思われてきた人間だけど、我々人間が、神に影響を与えてることも確か・・・って気がしてきた。


神の領域に挑戦する人々が、これからまた、どんな発見をし、どんな進歩していくのか・・


私もまた、わくわくしながら見守っていきたくなってきた。

<<参考>>
http://tocana.jp/2016/12/post_11854_entry.html
スティーブン・ホーキング博士「宇宙は神が設計していない、自己創造するのみ」http://japanese.donga.com/List/3/all/27/312682/1
Maxwell's electromagnetic theory and special relativity

神の領域に挑戦する人々(その1)

現代人の人生の悩みは

「健康」「お金」「人間関係」の3つに集約されるとか。

ごもっとも。
・・と納得するものの、なんだか、小さいよな~と思ってしまうことがある。

人の人生なんて、たかだが70年~80年の平均寿命で、

狭い世界の中で生きて、その世界しか知らずに、そんなことで悩みながら寿命を終えるとしたら?


じゃあ、広い世界? もっと拡大して・・宇宙ってどうなってるんだ?


そーんなことを考えたことってないですか?

私は子供の頃にも・・そんなことを思い、今でもたまに考えます。(←いまだに子供かよ!とか、現実逃避かよ! と、非難されちゃいますが。)

・・・・・・・・・・・・・・・・

以前、大きな水槽でアリの飼育をしていた人がいて・・人といっても、それは10歳くらいの子供だったんだけどね。

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その子は、アリが迷路のような巣を掘るところを観察するのがとても面白いと言っていた。

「だってアリは外の世界を知らないし、僕が観察してることだって知らないんだよ。
面白いでしょ!」


そっか~。
人間も同じだ~!


と、思ったら、なんだか、メチャクチャ腹がたってきた。

クヨクヨと悩んでた自分自身に!
それを観察してるかもしれない・・誰かに!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ところが、アリさんたちの中にも、ある日突然、こんなことを思うヤツがいるかもしれない。

おい! ちょっと待てよ! 外があるんじゃね?
この外はどーなってんだ?



この世界(宇宙)はどのようにして誕生したのか?
この世界(宇宙)のしくみは、どうなっているんだろう?



◆プラトンから始まる

その一人が、プラトンだった。

アテナイのプラトン(BC427年 - BC347年)は、ソクラテスの弟子であり、アリストテレスの師にあたる哲学者だ。

中央左:プラトン、 右:アリストテレス
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https://humanities.blogs.ie.edu/2012/07/we-think-therefore-we-are.html

彼が唱えたのがイデア説
    ↓

物質界(この世)の上には、さらにイデア界があると考えた。

イデアとは永遠不滅の真実で、究極まで抽象化されていて、実体(実物)をもたない。

劣化することも朽ち果てることもない世界であり・・我々が住む物質界はイデア界がひな形になったものではないか?




古代ギリシャ・ローマの時代というのは、宗教も科学(数学・物理学・天文学・哲学)も共存共栄していて、(つまり、今のように・・学問のジャンル分けをされていない時代)

一人の人間が、さまざまな分野からのアプローチで答えをみつけようとすることも珍しくはなかった時代だ。



で、何のために?

そりゃ、やっぱ・・外の世界が気になりだしたから=真理の追究をしたかったから

もう一回繰り返すけど・・やっぱり、ここから始まった。
    ↓

おい! ちょっと待てよ! 外があるんじゃね?
この外はどーなってんだ?

この世界(宇宙)はどのようにして誕生したのか?
この世界(宇宙)のしくみは、どうなっているんだろう?



これこそ、「人類の究極の謎」といえるかもしれない。


プラトン哲学は・・その「先駆者」であったようで、その後のキリスト教の異端「グノーシス主義」や西洋神秘学「ヘルメス学」や、カバラにも影響を与えていったといわれている。



さて、プラトンから始まって、「人類の究極の謎」に挑戦し続けてきた歴史をみていこうと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

◆一神教のキリスト教が浸透していった時代

ところが、これに、ストップがかかることになる。

我々が「中世」と呼ぶ時代だ。

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ご存じのとおり・・「一神教のキリスト教」が浸透していくと・・

宗教的価値観が西欧世界を覆いつくしてしまった。


ちょっとでも別の価値観を持つ者は、恐ろしい拷問で殺されてしまった時代。

一神教ってのは・・コワイコワイ。
*ちなみに、一神教はユダヤ教、キリスト教、イスラム教


真実を追求しようとしていた科学は、このせいで停滞。

この時代は、むしろイスラム世界の方が科学が進歩していたとか。
  ↓参考
現代とフリードリヒ2世の時代考察



プラトンの時代は、宗教も科学も、その目的は「真理の追求」にあったはずなのに・・。

一神教のキリスト教は、マ逆の路線を行く。


科学は「疑うこと」から始まるが、宗教は「信じる」ことから始まる。

発生時点の教義を真理と決めてしまうのが「宗教」。

そこには一切の「改善」も許されない。

一方、科学は「疑い」と「改善」を基に進化していくもの。



そりゃ、どうみたって相容れるものは無い。


それまでの時代は、宗教も科学も、「真理の追究」にあったはずなのに。

ここにきて、宗教家 vs. 科学者という分類が出来上がる。



さて、停滞してしまった宗教はここでは置いとくとして・・

ここから科学者たちが、どうやって「究極の謎」に挑み、「真理の追究」をしていったか? をみていこう。



◆地動説

まず、画期的なのは、「地動説」

16世紀、コペルニクスによって提唱されたものだ。

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それまでは、「太陽を含む星々は地球を中心に回っている」と信じられていた=天動説

ところが地動説は、マ逆な発想!

こんなことに気づくヒトは、たしかにすごい!


天空を観察すれば・・すべての星々は自分を中心に(=地球を中心に)回って見える。 

それを、まったく逆の発想で考えたってことは・・やはり凡人ではありえない。

後に、物事の見方が180度変わることを「コペルニクス的転回」という言葉が生まれたのにも納得させられる。


ところが、実際には、コペルニクスの時代よりもずっと前に、それに気がついている人がいた。


5世紀エジプト、アレクサンドリアにいた、女流科学者ヒュパティアだ。

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以前、アレクサンドリアという映画を見て、その感想文的な記事をアップしたことがある
       ↓
アレキサンダー大王からヒュパティア、そして現代へ


ヒュパティアは、優れた天文学者、数学者、教育者でありながら、大変な美人でもあったことで有名な人だ。

しかし、彼女はキリスト教徒から弾圧され無残な殺され方をした。
罪人とされ公開処刑、それも・・生きたまま体を切り刻まれ、その後火で焼かれたという。


16世紀のコペルニクスもまた、地動説を決して世に出さず、発表したのは自分の死の間際だったという。


コワいコワい!

他にも、地動説に気づいていた人々はいたのかもしれない・・
でも、コワいから・・発表できなかっただけだったのかも。 (←それは大いにあり得る)




◆ケプラー、惑星の軌道は楕円

次に登場するのが、ケプラー(ヨハネス・ケプラー(Johannes Kepler、1571年 - 1630年)
数学者、天文学者、そして、かたわら占星術を主とする暦を出版したこと人としても有名。

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コペルニクス説を全面的に支持した天文学者として知られている人で、のちに、この3つのケプラーの法則を導き出す。


第一法則・・・「惑星の軌道は太陽を焦点の一つとする楕円(だえん)である」

第二法則・・・「惑星と太陽とを結ぶ線分が等しい時間に掃く(横切る)面積は等しい」(面積速度一定の法則)

第三法則・・・「惑星軌道の長半径(両天体間の平均距離でもある)の3乗は公転周期の2乗に比例する」



ケプラーはドイツの大学で教鞭をとっていたが、チェコに逃げ出して(←もちろん、コワイから)、かなりな貧乏生活をしていたという。


しかし、彼のおかげで、

惑星の軌道は太陽を焦点の一つとする楕円 (円じゃない!)

ってことが判明したのだ。


そういえば・・映画、アレキサンドリアの中でも、ピュパテイアのが楕円だ~!ということに気がつくシーンがあったけど・・
それはどうだったんだろう?
5世紀、まだ望遠鏡すら発明されてない時代だったわけだし・・




ただし、ここではまだ、ケプラーが「楕円であることを証明した」とは言えないのだ。

あくまでも、観測結果からの推測だったから。

このときはまだ、方程式を解いて導き出した答えではなかったからだ。



証明するには、数式が必須。

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数学って、そんなに信用できるものかよ?・・・と数式にチンプンカンプンの人は疑問に思うかもしれない。(←私もその一人)

しかし・・今のところ、人間が真実を知る上でこれに優る方法はない。

なぜなら、

数学は具体性が排除され、すべてを抽象化することができる。

3人の子供が鬼ごっこをしていました。 ところが、一人の子供は家に帰ってしまいました。
残ったのは何人でしょう?

3個のクッキーがありました。 A君がこっそり1つを盗み食いをしました。 クッキーは今いくつあるでしょう?

「3-1=2」



数学は、必要最低限にまで抽象化し、抽象化によって高い普遍性をもつもの
(全てに当てはめることができるってこと。)


しかも完全無欠の論理(真実)で構築されている。
絶対的仮定の「公理」からスタートして水も漏らさぬ論理で。

その結果、導き出されたのが「定理」。

だから、曖昧さがつけいるスキがない。

それゆえ、数学は人間の究極の武器になっているのだ。



◆デカルトとニュートン

時代は流れて17世紀後半になると、有名な二人の科学者の登場となる。


デカルト(哲学者、数学者)

ニュートン(自然哲学者、数学者、物理学者、天文学者)




デカルト方がはニュートンより50年弱早く生まれてるので、まったくの同時期とは言えないけど、

二人が、注目したのは「天体の運行」だった。


ただし、アプローチの仕方はマ逆。

デカルトが考えたのは天体が「なぜ」動くか?

ニュートンは「どう」動くか?



デカルトは、天体が動くのは目に見えない何かによって天体を押されている? と考えた。

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ルネ・デカルト(仏: Rene Descartes、1596年 - 1650年)
高校数学でやったXY座標も、哲学の命題「我思う、ゆえに我あり」でも有名な人




デカルトは真空の存在を認めてないので、物質の粒子の間をうめるものとして、それは「微細な物質」だろうと想定し、その動きもしくは働きによって、惑星は流動し渦巻く物質にのって運動している、光が伝達されるのも然り。と、した。

目に見えない何か?・・・それは「エーテル」という物質。 Ether


しかし、ニュートンはこんな考え方はしない。

なぜ動くか?は神の領分。

そんなことを詮索したところで答えなんが出ない、と。

まずは、どう動くか?を考えばいいのだ!
そっちが先だろーが!


ニュートン流の天体の運行とは・・
    ↓

太陽の質量を「m1」、惑星の質量を「m2」、その距離を「r」とすると、
太陽と惑星は互いに力「f」で引き合う。これが重力(引力)

式にすると、こうなる(←私には理解できないけど・・)
f = G×m1×m2 / (r×r)
この式の意味するところは、2つの物体に働く力は、質量に比例し距離の2乗に反比例する




ニュートンは、超現実主義?

一方、デカルトは、宇宙のロマンを追い求めたロマンチスト?



しかし・・ロマンチストが過ぎて「なぜ?」ばかりに固執すると・・

エーテルのような怪しい物質をでっちあげるような結果になっちゃうのかもしれない。



ニュートン流の科学は「原因」ではなく「結果」を重視した。

そこにある、「神の方程式」を見つけ出し、それを解き答えを導きだすことだった。

だからこそ、ニュートン哲学は近代科学の父(あれ?母?)とまで呼ばれるようになったわけだ。(←納得)


奇人変人だったニュートン
    ↓

Isaac-Newton (1)


ここに面白いエピソードがある。

1684年、エドモンド・ハレーは、いきなり、ケンブリッジ大学のニュートン教授の元におしかけて、単刀直入に質問した。
(エドモンド・ハレーとは、天文学者、地球物理学者、数学者、気象学者、物理学者で、あの、ハレー彗星でも有名)

「惑星はどのような周回軌道を描くんですか?」

ニュートンは言う。

「そりゃあ、楕円だよ。」

うわあ! やっぱりそうだったのか~。 

ハレーはドキドキしながら、その理由を聞くと、ニュートンは素っ気なく答える。

「そりゃあ、計算したからだよ」

狂喜のあまり、ハレーは、その計算をみせてくれるように頼んだ。


が・・・・・

いくら捜しても出てこない。
どっか、行っちゃった・・・。

あり得ない・・。



いや、ニュートンならば、あり得るのだ。

ニュートンは、 恐ろしいほどの集中力の持ち主=奇人変人の類

突然何かが閃くと、ピクリともせずに何時間も座っていることがあったという。
紙とペンも使わずに、頭の中で宇宙の大問題さえも解いてしまう。

おまけに、困ったことに・・地位や名声にも無頓着。
どーでもいいのだ・・自分の中で満足すれば、あとはどーでもよくなっちゃう。


そのとき、ハレーが、もういちど解いて欲しいと懇願したことは言うまでもないだろう。

それに同意した、ニュートンは、またもや驚くべき集中力で論文を書き上げた。

「プリンキピア(Principia)」
プリンキピアは「3つの運動法則」と「万有引力の法則」で構成される力学大系で、科学史上最も重要な、歴史的な科学論文論文の一つ。



ところが、紆余曲解があって・・・それが発表されるには、かなりの時間がかかっている。
紆余曲解ってのは・・ほとんどはカネの問題だったらしいけど。


ニュートンは、自分で出版費用まで払って世に出す気はさらさらない。

「そんなことは、どーでもいい。 カネがかかるなら、もっと、どーでもいい」・・と思ってたらしい。


必死になって自腹を切ってまで、出版したのは、結局、Hレーさんだったようだ。

Edmond Halley
edmond-halley-astronomer.jpg


ハレーがいなかったら、プリンキピアはこの世に存在しない。

自分で宇宙の謎を明かすと、そこで満足しちゃって、世間に公表することなんて、どーでもいいニュートンさん。
おかげで、数学分野における、「微分積分法」ですら、世に出たのは、ずっと後のことだった。


そもそも、ニュートンの一番の関心事は数学や物理ではなかった。

こっちの研究に、50年も費やしたとか・・。
    ↓
錬金術と宗教。

まるで、オカルト?

ちなみに、ニュートンが熱中した「宗教」についてひとこと言うと、
キリスト教「異端」とされた、アリウス主義だった。

正統派は、もちろん「三位一体」を説いているんだけど、

注:「三位一体」とは、父と子と聖霊という3つの位格が1つとなって神の存在とする説



ところが、アリウス派は「子・イエス」の神性を真っ向から否定した。
つまり・・「イエス・キリストは神じゃないよ! 人だよ!」ってこと。

かなりの危険思想・・現代の「ダビンチコード」でも出版された後ならいざ知らず・・。
この時代に、堂々と発表してたら・・そりゃ、命が無かったはず。



とにかく、

本人にとっては、それほど関心がなかったモノだったのに・・

ニュートン力学は大快挙! となってしまったのだ。

これぞ、まさに人類が手にした初めての「神の方程式」だったのだ。


なぜなら、実験や観測の結果からの説やら推測ではない。

それを、ちゃーんと数式で証明してしまったところが、スゴイところ。


「天体観測結果=事実=絶対的仮定」からスタートし、微積分を使って万有引力の法則を導き出した。
まさに帰納法。



しかも、ニュートン力学というのは、「万有引力の法則」と「3つの運動法則」なのだが、
その普遍性には驚くばかり。

リンゴが大地に落ちるのも、地球が太陽を周回するのも、同じ原理。

しかも、ニュートン力学を使えば、100万年後の星々の位置、隕石の地球衝突も予測できる。

さらに、地球から7800万km離れた火星に宇宙船を送り込むことも可能なのだ。




つまり・・・

ニュートン力学を使えば・・未来さえも予知できることになる!?


たとえば・・

高校の物理で習うニュートンの方程式で、

ボールを投げると、その未来の道筋を完全に予測できる。
必要なデータは、ボールを投げた瞬間の角度と速度。

計算式もたった2つ。
   ↓
https://physics-htfi.github.io/classical_mechanics/001.html


やっぱ、こりゃ未来予知じゃないか!
「当たるも八卦当たらぬも八卦」の占いどころじゃないぞ!


これを言い換えれば、こうゆうことになる。
    ↓

すべての出来事は、原因があって結果がある。

それをヒモづけしているのが「因果律」

だから、因果律(神の方程式)を見つけ出し、

原因をインプット(速度、重さ、風向きなど)すれば、

未来の「位置」と「運動量」を求めることができる。


すべての未来がわかるのだ!

ただし、その精度を上げるには逐次計算が必要で、強力なコンピュータは欠かせない。
というわけで、コンピューターが出来てからの発展はさらに目覚ましいものがあった。



このようにして・・

ニュートン力学によって「近代科学」が始まったのだ。

こののち、科学は「法則化」の道を歩み、やがて哲学から枝分かれした。


そして、驚異の科学文明を築き上げていくことになる。

現在のテクノロジーも、すべてニュートン力学の延長線上にあったのだ。




もっとも、人々の心を掴んだのは、この、「画期的な考え」だったかもしれない。
    ↓
ニュートン力学を使えば・・未来さえも予知できることになる!?


それを言い換えれば・・
    ↓
未来は現在の状態によって、すでに決まっているんだ!?

こういった考え方を「決定論」と呼ぶことになった。



それを・・熱~く提唱した人がいる。


◆ラプラスの悪魔

19世紀初頭、フランスの数学者ピエール・シモン・ラプラス(Pierre-Simon Laplace (1749 – 1827)は、完全なる「決定論」の信奉者だった。

Pierre-SimonLaplace.jpg


未来はすでに決まっている
宇宙がはじまったときから、私たちが何をするのかも、次に何をするのかも決まっている。



もしもある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、
もしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、
この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来も(過去同様に)全て見えているであろう。



ラプラスによって提唱された、この概念=「決定論」をラプラスの悪魔と呼ぶことになった。
なんで・・悪魔? インパクト強そうな言葉だから?

簡単に言ってしまえば、こうゆうこと。
    ↓

未来はすでに決まってる?!

過去も未来も・・あなたのことも!

何もかも?!

それを、ちゃーんと、すべての物理的状態と力やデータ解析できる能力が無いから、今のとこは、わからないだけ!?




そっか~!

じゃあ、「もっと精密な方程式」さえあれば宇宙の過去も未来も完全に予測できるってことだよね~?



そこで、登場したのが・・

◆アインシュタインの一般相対性理論

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まず、宇宙は3次元の空間と、その中にある物質と時間とで構成されると仮定する。

そして、ある瞬間の宇宙の状態が分かれば、宇宙誕生までさかのぼることも、その後に続く宇宙もすべて求めることができるという。


実際、この方程式を解くことによって、宇宙が137億年前に「無」から誕生したことが分かったのだ。
宇宙の誕生は137億年前と言われているのは、ここから来たんだね~。


いやあ、これでますます・・神の領域に近づいた!


と、当時は誰もが思った。

この世のすべてに法則がある。
証明できないものなんてないんだ!

科学の時代だ。 科学バンザイ!
古臭い迷信なんかくそ食らえ!




20世紀を迎える頃には、一般人もまた、この風潮が強くなっていった。

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しかし・・・

ここで、ニュートン力学 → ラプラスの悪魔 → アインシュタインの一般相対性理論と・・

ここまで築きあげてきた一連の流れが、ガラガラと崩れるようなことが起きる。

Tarot_Tower.jpg


◆ハイゼンベルクの反論

我々のマクロ世界では、ニュートン力学は、まさに神の方程式だった。

アインシュタインのおかげで、さらに進歩を遂げた。



ところが、それをミクロ世界で検証してみた人たちがいる。

ミクロの世界とは、

原子の真ん中には原子核があり、その周囲を電子がグルグル回っている。

atoms-image.jpg

よーし、電子の未来を予知してみようじゃないか。

ある時点における電子の位置と運動量を測定し、ニュートン力学で計算すれば、未来の位置と運動量が予測できるはず。

ぜーんぜん問題ないだろう。。。


ところが、これが問題オオアリだった。


「量子力学」

ミクロ世界では、原子の位置と運動量(質量×速度)を同時に正確に測定することはできない。



もちろん・・測定器の誤差の問題とかじゃなくって、原理的に無理だったのだ!


なんで?

「位置」の測定誤差が減れば、そのぶん、「運動量」の測定誤差が増える。

逆もまた真なり。

式で表すと
 ↓
「位置の測定誤差×運動量の測定誤差≧一定値」




これが、不確定性原理

提唱者したハイゼンベルク(Werner Karl Heisenberg, 1901 - 1976年)は、その功績によりノーベル物理学賞を受賞した。

Heisenberg_10.jpg



量子論については、過去記事でも何度かアップしたことがある。
      ↓
人の意識とボーアから始まった量子論
フォトンの作りだす世界を量子論とスピリチュアルで眺める




これでまた、世界は騒然となった。


天動説から地動説が提唱された時みたいに・・・?

いや、それ以上の驚愕だったかもしれない。


だって、今までの価値観すべてがひっくりかえってしまうような・・まさに、これこそコペルニクス的転回なんだから(笑)


<<次回へ続く>>


参考
Edmond Halley Facts and Biography
人類が知っていることすべての短い歴史 (著), Bill Bryson (原著), 楡井 浩一 (翻訳)
ケプラーの法則


エリーザベト・ニーチェとその兄貴&ヒトラー(その2)

さて、前回からの続き、


ここからは、エリーザベトを追ってみよう。

エリーザベトの人生において、もっとも大きな3つの出来事とは・・


●パラグアイにドイツ人植民地「新ゲルマニア」を建設したこと

●哲学の大家のごとく「ニーチェ」を有名にしたこと

●ニーチェをナチスのプロパガンダに利用したこと



この3つだろう。

彼女のおかげで、ニーチェが「世界のニーチェ」になれたことは疑う余地もない。

彼女がいなければ・・十中八九、ニーチェは世に出ていないということだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まずは、エリーザベトの伴侶を紹介しよう。

エリーザベトの夫は、ハンサムで背が高く、名をフェルスターといった。

ベルンハルト・フェルスター(Bernhard Förster 1843 –1889)
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二人を結び付けたのは、兄のニーチェとリヒャルト・ヴァーグナーだ。


リヒャルト・ヴァーグナー(Richard Wagner, 1813-1883)といえば、もちろん、、19世紀ドイツを代表する大音楽家で、「トリスタンとイゾルデ」「ニーベルングの指輪」などで知られる人だ。

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最初の頃、ニーチェはヴァーグナーに魅せられた部分があったようで、頻繁に彼の取り巻きとしてヴァーグナーの豪邸に出入りをしていた。

しかし、才能あふれる大音楽家の裏側には、アーリア人至上主義、国粋主義者という顔があったことは、あまり知られていないのかもしれない。


ベルンハルト・フェルスター(Bernhard Förster)もまた、ヴァーグナー邸に出入りしていた取り巻きの一人だったのだ。

これが、のちにエリーザベトの夫になった人。





フェルスターは狂信的な反ユダヤ主義者で、「人種差別主義者」だった。

「ユダヤ人はあこぎな商売をしてドイツ文化を破壊しようとしている」として、ユダヤ人をおとしめるためには決して労を惜しまなかったというくらいの人。


一方ニーチェは、「反ユダヤ主義」の思想や「著名な音楽家」の肩書でヴァーグナーに心酔していたわけではなかった。

そのせいか、次第にヴァーグナーにも、ヴァーグナーの豪華な屋敷にもうんざりするようになっていく。

豪華絢爛たる屋敷で、40人もの楽隊をおき、お追従ばかり言う信奉者に囲まれて、ふんぞり返ってるヴァーグナー。


「まさに身の毛もよだつ人間たちの集まりだ。出来そこないは一人とて欠けてはいない。
反ユダヤ主義者さえもだ。 哀れなヴァーグナー、なんという境遇に陥ってしまったことか!
豚に囲まれている方がまだましだ!」
・・と、ニーチェは言っている。

そして、ヴァーグナーと決別していくことになる。

ニーチェは、むしろ民主主義、社会主義、全体主義、国粋主義、民族主義 といった、イデオロギーと名のつくものは、すべて嫌いだった。

彼は、あくまでも個を重んじ、全体主義(イデオロギー)を嫌った人だ。
だから、キリスト教の教義を猛烈批判しても、キリスト教徒たち、個人批判はしていない。



たしかに・・全体主義・・イデオロギーというものは、神=道徳とも同じような類だろう。


しかし、エリーザベトは、ニーチェが「豚小屋以下」と評したヴァーグナーの豪華屋敷が、相変わらず大好きだった。

二人は、そこで出会って結婚することになった。



当時、フェルスターは常々、「ユダヤ人に汚染されたドイツを捨てて、地球の裏側でドイツ人植民地を建設する」と触れ回っていた。

勇ましい演説をぶち、過激な人種差別で警察沙汰になったこともあるような男だ。


彼は「反ユダヤ」の妄想に取り憑かれていて 「ユダヤ人がドイツの芸術や道徳を堕落させ、その悪意にみちた陰謀の一環として、出版界まで支配しつつある。 私が書いた本が売れないのも、そのせいだ」と。

そんな事まで言っている。

本が売れないのは、どうみたって才能が無いから? または、内容に共感が持てないから?・・だと思うのだが。


うーーむ、この思い込みの激しさは、エリーザベトとも、ちと共通したものがあるかもしれない。


類は類は呼ぶか~?

しかし、逞しさ&強さの度合いは雲泥の差だったけど・・・もちろん、エリーザベトが雲。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1880年、フェルスター夫妻にとって、この移住計画を後押しするような決定的な出来事が起こる。



ヴァーグナーが「宗教と芸術」のなかで、このように記したのだ。
     ↓
「高貴な人種と高貴ならざる人種との混合が、人類最高の特質を損ないつつある。
アーリア人種の純粋さを保つことによってのみ、人種の復活は成し遂げられる ・・・ 食糧を供給するのに十分肥沃な『南アメリカ大陸』に人々を移住させることを阻むものは一つもない」



この当時、南米移住は珍しいことではない。

すでに、ドイツ移民となって南米に渡っていた人は大勢いた。


1871年、ドイツ帝国(帝政ドイツ)が成立して統一された後も、ひどい不況続きだった。


何千、何万というドイツ人が貧困にあえぎ、多くのドイツ人が南アメリカに渡った。


人が移民となる理由は、たぶん・・・第一に「食いっぱぐれで、もう、後がないから」


行き先は、たいてい、ブラジルかアルゼンチンだった。
すでに多くのドイツ人が住んでいたから移住しやすいのだ。


しかし、フェルスター夫妻が選んだのは、パラグアイだ。


なにゆえ、パラグアイ?

反ユダヤで純血ドイツ人の国をつくること。 

移住すれば・・ヴァーグナー信奉者の一人として彼にいい顔できる。
 
そして、パラグアイなら・・三国同盟戦争の結果人口が激減してるし、パラグアイも有利な条件で土地を譲渡してくれそう。
いまなら自分が移民リーダーで、お山の大将になって、そのうち国を乗っ取って好き放題できるかも。



とゆう読みがあったのだろう。


しかし・・・

土地は痩せ、穀物も育たない。インフラは皆無。 道らしい道もない。
水道もなく、井戸を掘ってもすぐに枯れ、飲み水にも事欠く。
そして殺人的な暑さ。



こんな不毛の土地で、文明化されてるドイツ人が生きていけるはずがないだろう。

実際この後、貧困・重労働の中で疫病で死んでいった人も多いのだ。
エリーザベトだけは、ぜーんぜん平気だったけどね~。 どこまでも強い・・。



エリーザベトとフェルスターは国中をまわり、パラグアイの理想郷を、「新ゲルマニア」と名付けて熱く語り歩き、移住希望者を募った。  ゲルマニアとは奇しくも、アドルフ・ヒットラーの世界首都ゲルマニアと同じ・・これも幻に終わっちゃったけど・・


その結果、移住希望者が100名ほど集まった。


1886年2月15日、開拓団を乗せた蒸気船がドイツのハンブルク港を出航した。



彼らは、他の植民団のように「食うため」ではなく、「アーリア人による人種の純化の国=新ゲルマニア建設」というイデオロギーを掲げていた。(←いちおう・・)


当然ながら、フェルスター夫妻が共同指導者に就いた。



しかし、パラグアイは三国同盟戦争で焦土と化してしまった土地。
なーんもない国。 
しかも地球の裏側にある未知の国。


そんなとこで、大丈夫か?・・・・と思うのはフツーの人

しかし、この夫妻はフツーの人ではない。

植民地=新ゲルマニアから、ゆくゆくは、南アメリカ全土を包含する「アーリア人共和国」の建国の絵図まで描いていたのだろう。 そこで、もちろん自分がトップの座につくという壮大な計画を。

そして、壮大な計画の方が着実な計画より上回っていた。



1886年3月15日、開拓団はアスンシオン(現在のパラグアイの首都)に着いた。



「新ゲルマニア」計画の土地は、さらに、アスンシオンの北150マイルにあるカンポ・カサッシアという地域だった。
面積は600平方キロメートル


ところが、着いてみれば・・土地の譲渡契約がまだ締結されていない!

信じがたいような話!(←ほーんとに熱い夢だけで・・つーか誇大妄想だけで突っ走れるらしい。)


そこで、フェルスターは、パラグアイ政府を巻き込み、手付け金2000マルクで、4万エーカーの土地を譲渡してもらう約束をとりつける。
ただし・・2年以内に最低140家族を入植させるという条件付き、 それが出来なきゃ土地は没収


この契約書にフェルスターは、嬉々としてサインしたそうだ。
なんと、好条件の契約だ~!と思ったらしい。

目先のことさえクリアーできれば、後のことはなんとかなるとでも思っていたのか・・あんまり、モノを考えない人だったのか?


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地図上でみても、分かる通り、どまんなか・・に位置する新ゲルマニアの地は、ジャングルそのものだった。



そのジャングルで、新ゲルマニア建設が始まることになる。

まずは、家とライフライン、最も優先されたのが、フェルスター夫妻の邸宅だった。


おいおい! みんなの家とライフラインからじゃないの~?


いやいや、そうではない!
王と女王のお住まいから・・に決まってる(笑)

エリーザベトは、植民地「新ゲルマニア」の母であり、ドイツ第二の祖国「アーリア人共和国」の女王になるだろう人であり、
フェルスターは、「アーリア人共和国」の近い未来のキングなのだから。

少なくとも、二人はそう信じていた。


1888年3月、大邸宅は完成し盛大な落成式をおこなった。



エリーザベトはこのとき42才、暑さもものともせず、常に黒いドレスを着こみ、くるくると精力的に動き回っていた。(←鉄人らしい)

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このとき、得意絶頂のエリーザベトは、兄に手紙を書いている。

「新ゲルマニアには輝ける未来があるので、兄さんも早くパラグアイに来てください」



ニーチェからの返事
   ↓

「反ユダヤ主義者は、みんなまとめてパラグアイへ送りだしたらどうだろう?」(←まだ、発狂する前で、いたって正気)




さて、フェルスター夫妻の邸宅は完成したものの植民地建設はこれから。

そもそも2年以内に140家族が入植しないと土地は没収されてしまうことになる。



そこで、フェルスター夫妻が考え出したことは、

入植者を集めるため、誇大広告の宣伝を始めることだ。


新ゲルマニアを「希望の楽園」として・・。

現在、学校は建設中。
牧師を呼ぶための基金の計画も順調に進んでいる。すぐに新ゲルマニアと外部世界を結ぶ鉄道も開設されるでしょう。
純朴なパラグアイ人は召使いになるために集まってきます。
気候は快適で、食べ物は木に成っているのでまったく不自由しません。
ここは、まさに、エデンの園。



当然、「早い者勝ち」を煽ることも忘れない! さすが、商売人。(←かなりなアコギな商売人だけど・・)


誇大広告つーか、まったくの大嘘。。。


現実は、地獄そのもの!だったんだから。

殺人的暑さ、かと思えば突然の猛雨ですべて流されて水浸し、土壌は粘土質で耕すのも重労働、作物は育たない。
井戸は30メートル以上掘らないと水源に達しない上、もともと水量が少ないのですぐに干上がる。

そ、ぜーーーんぶ、見事なくらいのウソ八百。


ジャングルに住むパラグアイ人といえば・・

当時のパラグアイ人と接触したヨーロッパ人の証言
     ↓
「パラグアイ人は男も女も素っ裸で暮らしている。父が娘を売り、夫は妻を売る。ときには兄が妹を売ったり、食料や物と交換したりする。捕虜を捕らえると、まず、太らせてから食べる。われわれが豚を太らせるのと同じだ。
そして、おおむね、彼らは怠惰で仕事が嫌いである」


どこが、純朴なパラグアイ人だよ!



しかし、またもや、誇大広告に騙されて、一旗揚げようと入植者たちがやってくる。

1888年、ユリウス・クリングバイルという男が妻を連れて、新ゲルマニアにやって来た。



彼らは、まずは挨拶に、フェルスター邸を訪れた。


そこで彼らが見たものは・・

美しく飾り立てられ、豪華な家具、ピアノ、夕食には上等のワイン。
しかし、他の入植者たちは地獄の中で貧困生活をしている・・・その事実。


さらに、フェルスター夫妻にも失望した。

夫のフォレスターは落ち着きのない男で、マトモに相手の顔を正視することもできない。
妻のエリーザベトは、機関銃のようにしゃべりまくり、分譲地がどんどん売れ植民地が成功しているし・・といった自慢話を延々と聞かされる。




とうとう、クリングバイル夫妻はフェルスター夫妻と喧嘩別れをして、さっさとドイツに帰ってしまった。

帰りの旅費もあって・・ドイツに帰れた人はラッキーだろう。
帰れない人は、地獄の奴隷生活を強いられてたことだろうから。


それでも腹の虫が収まらなかった、クリングバイル夫妻は、

1889年、「ベルンハルト・フェルスターの植民地・新ゲルマニアの真相を暴く」という本を出版した。


   ↓

フェルスターは大ペテン師。 夫婦そろって愛国者をきどっているが、貧しい者を食い物にしている大悪党だ。
我々は新ゲルマニアの宣伝に騙されて、とんでもない目にあった。
政府は、ただちに介入すべき、こんな悪事を放置してはならない。



まさに暴露版・・でも、真実。


これは大騒動になった。

さすがに、植民地協会もフェルスターに疑いを持ち、真相を見極めるまで植民地基金を新ゲルマニアに送金しない決定を下しそうた。

これはフェルスター夫妻にとっては大変な痛手だ。

「植民地基金の送金」と「入植者への分譲地」が儲けなんだから・・・送金をストップされた上、入植者がやってこなくなったらたまったもんじゃない!


そこで、エリーザベトは、入植者たち(半ば奴隷化してる?)に、夫と自分を賛美する手紙を書かせたという。

ベルンハルト・フェルスターは実に誠実で頼もしい人です。
エリーザベトはクリスマスに子供たちのためにケーキを焼いてくれます。・・・とかなんとか。(←呆れてモノが言えない。)



しかし、こうなっては、もう下降線をたどるだけ。
(当然ちゃー当然の成り行き、ウソで固めたモノが永遠にバレないわけがない)


財産をつぎ込んでしまってるのに、カネが入らず・・しかも、2年以内に没収されるかも。 

その恐怖で、フェルスターは、アスンシオン(パラグアイの首都)に近いドイツ人居住区サン・ベルナルディノのホテルに逃げ出してしまう。

うつ状態の飲んだくれ男になる。

狂信的な反ユダヤ主義で、大ぼら吹きのくせに、実は小心者だったらしい。


一方、エリザベートは逃げない。
 
どんどん、新しい大嘘を並べて宣伝のための本まで出版する。
ブレない。 実に強い信念の人なのだ。

まさに、彼女こそ、生まれながらの超人(オーヴァーマン)だったんだろう。

ただし・・常に目的は邪悪そのものだったと言われそうだけど・・。


1889年、ついにフェルスターはホテルで自殺を遂げてしまった。




もちろん、エリザベートは、夫の死を悲しむあまり悲嘆にくれた日々を送る・・・なーんてことはない!

ここで、すでにNextステップを考えた。

こりゃ、そろそろ見切りをつける時期かもな~。
ここらが引き際だ。


ちょうど、その頃、うまい具合に兄ニーチェの容体が悪化した。

彼女の行動は早い。

家と土地を売っ払い、有り金全部を持って、

1893年8月、エリーザベトはアスンシオンを出航

してしまった。


後に残された入植者なんか、知ったこっちゃない。


帰国後の1895年1月、エリーザベトはこんな記事を寄稿した。



「私には、別の仕事が私の時間とエネルギーを要求しています。
たった一人の愛する兄、哲学者ニーチェの世話をすることです。
兄の著作を守り、その人生と思想を記述しなければなりません」


素晴らしい!
なんという変わり身の早さ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

彼女の次のステップは・・兄ニーチェの著書を独占販売して金儲け!


それも、ただかき集めて出版したわけではない。
そんなことをしたって、売れるわけがない。

売るには、ステキなキャッチコピーと大々的な宣伝が必須。
それをブランド化してしまうことだ。(←なぜか、こうゆうことにかけては天才)


そこで、狂人&廃人となり果てたニーチェを、狂気の天才哲学者+超人というイメージを打ち出すことにした。 なぜか、超人という言葉は、彼女も気に入っていたらしい・・これはいけるぞ!と思ったはず。


しかし、こういったことすべてを、エリーザベトは論理的に考えたわけではない。

そこがまた、彼女のすごいところ。


そもそも筋道立てて考えるということはしない人(出来ない人?)
なのに、まさに・・直観的に行動することが大当たりになるし、大衆を掴むことにかけては天才なのだ。



そこで、彼女は自分の側近であり、詩人であり詐欺師のシュタイナーを使って広告文を書かせた。

彼はニーチェをこう讃えた。
   ↓
「ニーチェが、ひだのある白い部屋着に身を包んで横たわり、濃い眉の下の深くくぼんだ目を見開いて、バラモンのように凝視し、問いかけるような謎に満ちた顔をして、思索家らしい頭を獅子のように威厳に満ちて傾けるのを見れば、だれしも、この男が死ぬなどということはなありえない、この男の目は永遠に人類の上に注がれることだろう、という感じがするのだった」

バラモンのように・・獅子のように威厳だとか・・永遠に人類の上に注がれることだろうとか・・

よくもまあ・・
内容なんて空っぽなくせに・・一般大衆はこうゆう文句に弱い、ってことをよーく知ってる。

さすが詐欺師、さすがエリーザベト。



さらに、どんどん、味方を手なずけて宣伝させていく。

ニーチェの信奉者だったハリー・ケスラー伯爵

さらに、

1896年、音楽家リヒャルト・シュトラウスまでも、
ニーチェの著書「ツァラトゥストラはかく語りき」をモチーフに交響曲を書いた

のだから。

この楽曲は、スタンリー・キューブリックのSF映画の「2001年宇宙の旅」に使われ一躍有名になったので、いまだに多くの人はご存じだろう。

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こうしてニーチェは正気を失った後、どんどん名声を得ていくこととなる。

すべては、エリーザベトのプロデュース、キャッチーな宣伝のおかげなのだ。


さらに、エリーザベトは、ニーチェ本の編集までに口を出した。

といっても・・エリーザベトは哲学の知識は皆無、だから、実際に書くのは、側近のシュタイナーにやらせるんだけど、

しっかりと口をはさむのだ。


シュタイナーは、こんな言葉を残している
    ↓
「(エリーザベトは)兄上の学説に関してはまったく門外漢だ。
細かな差異を、いや、大ざっぱであれ、論理的であれ、差異というものを把握する感覚が一切欠けているのだ。

あの人の考え方には論理的一貫性がこれっぽちもない。そして、客観性というものについての感覚も持ち合わせていない ・・・ どんなことでも、自分の言ったことが完全に正しいと思っている」



まさに、エリーザベトの性格そのもの。


しかし、実際にエリーザベトが編集に関わった本はメチャメチャ売れた。

哲学の素養も論理的思考もゼロなくせに、なぜか、セリフのセンスは抜群なのだ。
大衆は、そうゆうものに飛びつく。



エリーザベトは、ますます意欲的に動く。
「ニーチェ資料館」を設立して、書籍以外の商売をもくろむ。・・・(←この時代に、こういったアイデアはすごいとしか言いようがない。)


1894年2月2日、ナウムブルクの実家で「ニーチェ資料館」が開館。


ニーチェの著書、手紙、そのほか、ニーチェにまつわるあらゆるものが詰め込まれた。


資金集めにも抜かりはない。

ニーチェを崇拝する友人で金持ち連中から、資金を提供させ、今度はヴァイマルに、資料館を移してバージョンアップ。

ヴァイマルは、ドイツ古典研究の中心であり、ゲーテー、シラー、リストなど著名な文化人を輩出しているから・・目の付け所も申し分なし。


ニーチェ資料館には、そのうちヨーロッパ中の知識人が押しかけるようになる。

悲劇の天才哲学者ニーチェワールドをひとめ見ようと。

著作は売れ続け、ニーチェの健康が悪化すると、さらに名声は高まり、本の販売数もうなぎのぼり。


1898年10月に、アルノルト・クラーマーが「椅子にすわる病めるニーチェ」と題する彫像を製作。



これも、カネになるチャンス!・・・・エリザベートはレプリカの販売を思いついて即販売。


1900年8月25日、ニーチェは風邪をこじらせて55歳で死んだ。


もちろん狂ったまま、正気に戻ることもなく・・あっけなく死んだ・・・。

エリーザベトはこの機会を逃さす、精力的に宣伝して売りまくる。


この後、さらにエリーザベトが目を付けたのは、ニーチェの未完の書の出版だ。

未完の書? 
そんなものがあるわけない・・・

ニーチェは、とうの昔に発狂してたんだから・・残ってるのは、書いたり、棄てたりしていたのメモ書きばかり。

しかし、それで十分!


エリーザベトは、ニーチェの信奉者のペーター・ガストを再雇用して、ニーチェのメモを繋ぎ合わせて、
一冊の本を創りあげてしまった。

それも・・エリーザベトの指示に従って。


1901年、この本は、「権力への意志」と命名され、ドイツで出版され、ニーチェの代表作の一つになった。


エリーザベトとその仲間によって書かれた本なのに。


エリーザベトは、ますます本の売り上げで大儲け、
しかも、金持ち連中からの寄付も後を絶たない。


その中の一人、スウェーデンの銀行家エルネスト・ティールは、ニーチェの熱烈な崇拝者であり、エリーザベトに多額の寄付の申し出をしてきた。

ところが、この銀行家はユダヤ人。

あれだけ・・反ユダヤ主義のイデオロギーを打ち立ててパラグアイアまで言ったんだから、そりゃお断りする・・・はず?

いや、エリザベートは、ぜーんぜん気にせずしっかりと受け取る。


それどころか、その後も家族ぐるみで仲良く付き合うようになり、彼からの30年間に及ぶ寄付の総額は数十万マルクにも上ったという。

もちろん、エリーザベトは、気がとがめることもなく、すべてを使い切ったことは言うまでもない。


エリーザベトトにとっては、根本的にイデオロギーなんてどーでもいいことだったのだ。
人種差別者でもなかった。
彼女は、ただの日和見主義なのだ。

目的は、儲けることにあり。(←ビジネスマンの鑑)


それこそが、彼女の信念であり、そこには神のご加護もあるのだ。
それはもう、正義なのだ

・・・ここに達することができる人ほど、強いものはないだろう。


どんな実業家であろうとも、時には、良心の呵責やら、重責に押しつぶされそうになったり、ストレスに打ちのめされたりするものだ。 

しかし・・彼女にはそれが微塵もない。

愛する夫が自殺したときも、新ゲルマニア計画が挫折してペテン師呼ばわりされたときも・・・。

そんなことで悩んでるより、常に前に進め! GO! GO!

だからこそ、ブレない人なのだ。



1914年7月28日、第一次世界大戦が始まる。



エリーザベトは、さっそくアーリア人至上主義、国粋主義に凝り固まった論文を新聞に投稿する。

「ツァラトゥストラは立ち上がれ! 戦え!すべてのドイツ人の中に戦士が息づいている」というような内容のものを。

エリーザベトの文章もスピーチも・・じっくり読めば読むほど、何が言いたいんだかよくわからんのだ。
しかし、言葉の使い方だけは絶妙(たぶん、言霊使い?)で、それで、大衆の心を掴んでしまうところがある。



そうやって、世間は、

ツァラトゥストラは超人であり、アーリア人魂だ~!と。
・・・すっかり、ツァラトゥストラは、エリーザベトの作り上げたツァラトゥストラに書き換えられてしまった。

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これは・・ドイツ政府にとっても好都合だったのだ。


ドイツ政府はニーチェの著書「ツァラトゥストラはかく語りき」を前線の兵士に配布することにした。


「ツァラトゥストラはかく語りき」は大ベストセラーになり、版元のエリーザベトは、またもや大儲け。

やれやれ、戦争まで味方につけてしまうとは・・・。


ニーチェも、まさか自分の高邁な哲理が、自分が一番嫌っていた戦争のプロパガンダと金儲けに利用される結果になるとは、思ってもみなかっただろう。。。


1918年11月11日、第一次世界大戦の休戦条約が締結。


これは実質上の、ドイツの「敗戦条約」だった。


さて、この後・・ドイツ情勢がどうなっていくか?
多くの人がご存じのとおり。

多大な借金を抱えてドイツ国民はますます貧しくなっていく。

1923年、さらに大事件、ドイツはハイパーインフレが進行し、マルクは紙くず同然になっていく。


それが、どんなすさまじいものだったか・・・。

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パン1個買うにしても・・一夜の内にものすごいことになっていく。
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エリーザベトへの親交ある大金持ち、資金提供者たちも、どんどん崩れていく。

やっぱ、個人の資産家なんてのはダメかも。
よし、こうなったら、政府だ。
政府からカネを出させるのが一番安定してる。



そこで彼女が次に目をつけたのが・・なんと、ナチスだったのだ。

しかし、この時はまだ、ナチスはただのゴロツキ集団のようなもので、政党としてなんか機能してない。
アドルフ・ヒットラーは、ムショに入れられてたわけだし・・。

そんな状態のうちに、いち早くナチスに目をつけるとは・・・さすが、エリーザベトとしか言いようがない。

政権内部にコネをつくりつつ、エリーザベトは虎視眈々とヒトラー内閣が成立を待っていた。

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そして、誰もがご存じとおり、
ついにヒトラーが政権をとるときがくる。

ゴロツキ平民にも似た集団・・あんなナチスが政権をとるとは・・実に異例な事。

しかし・・この当時のドイツの時代背景を考えれば、当然ちゃー当然なのだ。


1929年 世界大恐慌が起こる



第一次大戦で負けて莫大な賠償金を課せられ、ハイパーインフレと大量失業で国は破綻寸前、その上、大恐慌が襲ったんだから、ドイツ国民は食うや食わずの状況。 餓死者も大勢出る。


平和外交なんぞで、メシが食えるか?
俺たちは生きるか死ぬかなんだぞ~!


こういった国民感情は、当然のようにナチスに向いていったのだ。

無理はない。。。



1933年1月30日午前11時15分、アドルフ・ヒトラーが首相に任命された。



ついに、エリザベートの進撃開始が始まる。

これを逃してなるものか!
私の優雅な暮らしを再び手に入れるために!



彼女は、ドイツの内相フリックに目をつけ、そこから、ヒットラー総統に近ずくことに成功。

エリーザベトはヒトラーに歯の浮くような賛美の手紙を書き、ニーチェ記念館を訪れるよう催促した。

ヒトラーが来訪すればエリーザベトに箔がつくし、ニーチェブランドの価値はまたもや急上昇間違いなし


そして、ヒットラーはやってきた。
それも何度も訪れた。

エリーザベトの勝利!!

エリーザベトとナチス
     ↓
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ところで、
ヒットラーは、ニーチェの信奉者だったんだろうか?

答えは NO!!


たぶん、ヒットラーは一冊も読んでいない。 哲学書なんぞには興味もなかっただろう。

だけど、エリーザベトには敬意を表しニーチェに感銘を受けてるフリはした。

なぜなら、利用価値を見出していたから。
読みもしないくせに、利用価値をだけは・・ちゃーんと見出していた。


すべてが「力の賛美」となる熱い言葉の数々・・「超人」「力への意思」「ツァラトゥストラ」

それによって大衆を、熱い心で燃え上がらせ、モチベーションを高めるにはうってつけ。
ヒットラー自身もまた、熱い芝居がかったスピーチで大衆の心を鷲づかみにしてしまう天才と呼ばれた人物でもある。


こりゃ、使えるぞ!

ニーチェのロジックなんて、どーでもいいのだ。・・・そんなこと、たぶん、考えてもみない。
利用価値があるかないか・・なのだ。

かくして、ニーチェの文言が、何の脈絡もなく断片的に引用されて、ナチスの教義に利用されるようになっていったのだ。

それは、エリーザベトも同様。

ある意味で、実に似た者同士だったのだろう。
エリーザベトとヒトラー

目的こそ違って・・かたや政治利用(ナチスの教義)、かたや金儲け利用だったけど。



しかし、また・・思い出して欲しい。

ニーチェは、民族主義も、国粋主義も、ありとあらゆるイデオロギーを嫌っていた人だ。
しかも、盲目的に「超人」になれと、力を賛美したわけではない。
既存の道徳やイデオロギーにも左右されず、自らの内なる声を直視し、自己実現を説いたのだ。


ニーチェの賛美したものは、あくまでも「個人主義」であって、
決してナチスの「全体主義」ではない。

むしろ、それを忌み嫌ったことだろう。





しかし・・実際に、こんなふうに語られてしまうと・・
    ↓
「ニーチェはつねにはっきりと見ていた、ユダヤ人の振る舞いがドイツにおいてはいかに相容れないものかを」


まるで、これが本当の事のように思われてしまうのだ。

言葉を断片的に取り上げて抽象化して、上手に引用されてしまえば、なんとでもなってしまうものだ。



自分で出版した本はまったく売れずに、「超人」を目指して・・ついに発狂してしまった男。
しかも、生まれながらの「超人」だった妹と、ナチスの全体主義を煽るための「教義」に利用されてしまった男。


まさか・・ニーチェも、こんな顛末になるとは思ってもみなかった。
草葉の陰で泣いているのだろうか?


しかし、彼の著書には、このような一文が残っている。
   ↓
「最悪の読者は、略奪団のような真似をする。彼らは利用できるあれこれのものを持ち去るのである」

狂気に落ちていく中で垣間見た予言?
「超人」にはなれなかったけど・・サイキックだったのか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1934年、エリーザベトはヒトラーの秘書から手紙を受け取る。


「兄上の仕事の普及につとめておられるあなたの奉仕に対し、月額300ライヒスマルクの名誉終身恩給を給付いたします」



エリーザベトは、見事にやってのけたのだ!


しかし・・

年には勝てない。(でも、ここまで生きれば十分かも・・)

1935年11月8日、エリーザベトはインフルエンザに罹り、それがもとで亡くなった。


享年89歳、死ぬ直前まで、元気に口述筆記を続けていたという。


11月11日、エリーザベトの追悼式は、ヒトラー総統をはじめ、ナチスの錚々たるメンバーによって送られた。




それから4年後、第二次世界大戦が始まり、

1946年12月、敗戦を迎えると、ナチスに加担したニーチェ館は閉鎖され、職員は逮捕されるか殺害された。



ニーチェ財団は完全に解体され、ニーチェの名声も地に落ちた。


・・・・・・・・・・・

私がアメリカに来てから一度だけ・・なんかのついでに、「二ーチェって哲学者がいたでしょ?」と、話をしたとき、

「あ? 二ーチェって確か・・ナチスドイツの手先だった哲学者じゃなかった?」・・と言われたことを思い出した。


たぶん、欧米人からみたニーチェ像は、いまだにナチスドイツのカラーが強いのかもしれない。


戦後の欧米人たちは、むしろニーチェを「忌まわしい歴史の一部」として、封印してしまったようだ。

1991年、東西ドイツが統一されて、はじめて、ニーチェ館のあった場所は博物館として蘇ったという。
ようやく・・45年もの長いときを経て・・。
博物館か~。



それにしても、日本では、ニーチェ=ナチスって話は一度も聞いたことがなかったし、
そこに突っ込みを入れる日本人も知らない。(←私がたまたま知らないだけか・・だけど。)

むしろ、ニーチェは戦後も日本では受け入れられていた哲学者だという。
なぜか・・日本では人気のある哲学者

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かつては日独伊同盟国だったわけだし、日本人はドイツに共感を持ってたんdなろうか? 
ヒトラーに対しても日本人は、欧米人たちよりも寛容だったのかもしれない。




現在でも、日本においては、二ーチェは人気のある哲学者らしい。

とくに、かなり大衆向けに編集された「ニーチェ語録」の売れ行きが大変よろしいんだとか・・。


断片的にピックした「ニーチェ語録?」
うーーん、こりゃ、エリザベートの強烈な意識が、時を超えて飛んできているのか(笑)



エリーザベト・・私はこれほどのビジネスセンスに溢れ、才能ある人をみたことがない。
また、これほどブレない、強い人も。

ただし・・絶対に会いたくない人だけど。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

話は変わるけど・・

以前、自称魔術師という、あるサイキックの人の言葉を思い出した。

その人は、強い念の力を持っていて・・どんな相手でも呪いをかけることができるという。
(まあ、ちょっとした事故に合わせるとか、倒産させるとか)

「ただし、ごく稀にだけど・・絶対、術にかからない人もいるんだ。
それは、自分のしたことは100パーセント正しい! 一点も悪くない!って思い込んでる人。 
こういう人だけは、絶対に通用しないんだ。」


まさに、エリーザベトだ!と私は思った。


きっと彼女なら言うだろう・・

私が金持ちになって贅沢するのは当然のことよ。
私は、それだけの価値ある人間なんだから。
神様だって、私をお認めになって、ご加護を下さってるわ。


こりゃ~、どんなに優れた術者だったとしても・・呪いをかけることは出来ないだろう。
簡単に跳ね返されてしまうはず(笑)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

好き嫌いは別にして、エリーザベトという人物、「稀にみる、ビジネスの天才」だったことは疑いようも無い。

こんな百年以上の昔に、現代のビジネスマン以上のことに着手して成功させているんだから。



こうゆう女性に対して、一般大衆は「悪女」の称号を与えたがるものだ。

悪女どころか、こちらの海外サイトでは、タイトルから、「悪魔の女」、「サタンの娘」として紹介している。
Most Evil Women in History: Satan's Daughter Elisabeth Förster-Nietzsche

それこそ・・ニーチェ流にいえば、妬みや嫉みのルサンチマンが潜んでいるのかもしれない。



果たして・・「悪い生き方」か「正しい生き方」かなんて、判断基準は、どこにあるのだろうか?

たとえば・・

マザー・テレサ = 善人
エリーザベト = 悪人
と・・言い切れるものだろうか?
(注: 決してマザー・テレサを貶めるつもりはない)


エリーザベトの人生における目的は、金儲け人々からの賞賛、名誉、それによる豪華な生活

その目的のために、形の上では確かに気の毒な兄を利用したことは事実だが・・・

だからといって、「兄を愛してなかった」 「冷酷なだけの女」とは言い切れない気がする。

心から、「それが兄のため」と思ってやっていたような気がするのだ。
もちろん、そのためには「自分のためが一番」、そうじゃなきゃ、「兄を助けることも出来ないから」・・という、彼女流の論法があったような気もするけど。


人の心は複雑だ。 
「人は良いことをしながら悪事もするし悪事を働きながら良いこともする。」
これは、池波正太郎さんの時代小説の中に、たびたび出てくる言葉だった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この本を読んだおかげで、

なぜ、自分が若い頃、ニーチェが嫌いだったか?
その後、なぜ、まったく関心がなくなってしまったか?

それが今、なーんとなくわかった気がする。

結局のとこ、

私の読んだニーチェの本の中には、数多くの単語を通して、
「超人」になれなかったニーチェと、生まれながらの「超人」エリーザベトの意識が強く流れていたからだろう。

私にとっては、これらは「魂の宿らない作り物」だったから。
なぜか、作り物には、私は感動できない。


しかし、人それぞれ。

青少年が、ニーチェ文学に触れて(たとえエリーザベト文学であっても・・)、インスパイアされて、
「超人」となって成長を遂げていく引き金となってくれるのなら、それに勝るものはないのだ。



エリーザベトと、ニーチェと、ヒトラーと。

方向性がまったく違う3人なのに、なぜか似ている気がする。

類は類をよぶ。
彼ら3人が出会ったことも・・必然だったのか?



参考
Friedrich Nietzsche's Influence on Hitler's Mein Kampf

エリーザベト・ニーチェとその兄貴&ヒトラー(その1)

読書をしていると、その作品の内容は別にして、作者のイメージが湧いてきて、まるで、その作者と対峙しているかのような気がするときがある。

そうなると、ぜひ会ってみたい人だと思ったり、逆に あんまり、近づきたくはない人だな~と思ったり・・。
もちろん、100年も前の人だったりすれば会えるわけはないんだけどね(笑)


あるサイキックの人から、それこそが、サイキックの質だよ!と言われたことがあったけど・・・でも私はサイキックじゃないし(笑)

逆に、サイキックの人には、こうゆうふうに人が見える(感じる)ものなのか? と思ったものだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

引っ越しをするという人から、古本を何冊かもらった。
古本屋まで持ってくのがメンドーだからあげる!・・という、まあ、ゴミ出し代わりに使われただけかもしれない(笑)



その中に、こんな本があった。
    ↓
「エリーザベト・ニーチェ ― ニーチェをナチに売り渡した女」
ベン マッキンタイアー Ben Macintyre (原著), 藤川 芳朗 (翻訳)


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え? ニーチェかよ~! ・・・と思った。(←思い切り嫌な顔をしながら・・)

実は、私は二ーチェって人が苦手(もっと正確に言えば、キライ!)



キライになったわけは、16-7歳頃に遡る。
高校時代、世界の文豪・名作文庫なるものがあって、かたっぱしから読んだことがあった。

トルストイのアンナ・カレーニナ・・・こりゃ、すげえ不倫小説だなあ!
ゲーテの若きウェルテルの悩み・・・クラっ! ネクラ失恋男のばやきじゃんか!


なーんてことを思いながら読んでた。 (←ひどいもんだ。。名作文学もカタナシ。。。)



その中にニーチェのツァラトゥストラはかく語りきってのがあったので、タイトルに惹かれて読んで、

なんだ、こりゃ! 神話物語かい? 哲学書ってのは、もっと体系だったものかと思ってたのに、へんなの?


と思った記憶がある。
しかも・・わかったような、わからないような・・。(←結局わかってない)


それを、そのまま先生に言ったら、

「何を言ってる! ニーチェは素晴らしい哲学者なんだぞ! それを理解できないのは、まだまだ子供だな。」・・と言われて、しゃくにさわって、それから、さらに、いくつかの作品を読んだ。


で、大嫌いになった(笑)


いったい、私は何が嫌だったんだろう?

と、当時の感覚を思い出してみた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まず、思い出すのは・・

「超人」「神は死んだ」「力への意思」・・なんて言葉を使って、とにかく、厳しい口調でこき下ろす。
注: 超人なんて言葉を聴くと・・なんだかゲームワールドをイメージしちゃうけど、それとは違うので・・念のため。
詳細は後ほど説明。



それを、力強くて、斬新で、カッコイイって思う人もいたのかもしれないけど・・私は、まず、そこがキライだったのだ。

誤解無きように付け加えるけど・・・私は、決して「血なまぐさいものやバイオレンスが苦手なの~」、というタイプの女の子ではなかった。(←子供の頃から)



たぶん・・強さ、厳しさ、たくましさの裏側に、なんらかの「嫌~なカンジなもの」を感じたからだと思う。

嫌~なカンジのものというのは・・・今思えば、「弱弱しいもの」やら「卑屈なもの」を感じたからだと思う。

暴力的と思えるほどの強さで、弱さを必死に隠そうする。それが「姑息さ」と感じたのかもしれない。


弱い犬ほど吠える(ストレスが溜まってる場合もあるけどね~)

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たぶん、それでニーチェは、会いたくない人にカテゴライズされてしまったのだ。  私の頭の中で。

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なんの因果で、また、こんな本・・ニーチェに関する本は読みたくないのだ!

と思ったら、なぜか・・読んでしまった。



ところが、これがなかなか面白かったのだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

タイトルの通り、この本はニーチェの妹、エリーザベトについて書かれている。

エリーザベト(Therese Elisabeth Alexandra Förster-Nietzsche)
    ↓
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写真のとおり、目がくりくりっとした小柄でかわいいカンジの人だったようだ。


ところが、この、エリーザベトは、とにかく、すごい!(←すごい!のひとことなのだ。)


どう、すごいかって?

とにかく・・ビジネスの天才、
目先の利益追究主義者
日和見主義でコロコロ変わる、変わり身の早さ
でもって、ぜーーたいにブレない強さ

かわいいルックスとは裏腹の怪物




ここまでくると・・もう、素晴らしい!としか言いようがない人なのだ。



で、お兄さんのニーチェと、どう関わったのかというと・・

兄貴が発狂して廃人同様になると・・兄貴の原稿(主に走り書きのメモみたいなものが多かったとか)を寄せ集めて、本にして世に出してしまったのだ。
(そ、当然・・改竄


「精神異常の天才哲学者」 というキャッチコピーで、「悲劇ぶり」を見事にアピールしまくって、
まんまと大衆の野卑な好奇心を惹きつけて、大ブレイクさせてしまった仕掛け人だったのだ。


もう、素晴らしいとしかいいようのないプロデューサーだった。


それまでのニーチェは、まーーたくの無名、
本を出版しても、ぜーんぜん売れなかったそうだ。


ここで、な~んと、お兄様思いの妹、と思ってはいけない。

彼女は兄への愛の為ではなく、自分の強い信念に基づいてやったのだ。・・・おそらく。

その信念とは「目先の利益追究」

これがまた、ただの欲望なんてレベルじゃなくって、信念そのもの=自分がすべて正しいと思ってる
こういったところが、やっぱり、すごい人としかいいようがない!


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


さて、妹エリザべートの話の前に、ここでちゃーんと、発狂する前のニーチェという人物を紹介しておく必要があると思う。


誰もがご存じのとおり、

フリードリヒ・ニーチェ(Friedrich Nietzsche) (1844–1900) は、「超人思想」を提唱し、自らが「超人(オーヴァーマン)」になろうとした人だ。

この超人という言葉からして・・私は弱弱しい男がせいいっぱいの虚勢を張ってるかののように感じちゃって・・そこがキライだった。 もちろん・・本人は無意識だったと思うけど・・



なんだって、ニーチェは、こんなことを考え出したんだよ?・・という答えを得るには、

まず、当時のヨーロッパに蔓延していたキリスト教思想がベースにあった・・・ということを知っとく必要はある。



簡単に言ってしまえば、こんなことだ。
      ↓
そもそも、ユダヤ教、およびキリスト教は、かつては迫害されて負け組となった宗教だ。

ところが、現実世界で負けた恨みを晴らそうとして、精神世界ってやつを持ち出してきて、それによって勝利しようとした。
その仕掛けとなったのが「道徳」だった。


武力によって現実的に滅ぼされたのが弱者

負けちまった弱者のくせに・・

我々は高い精神性(道徳)を持っているんだから、本当の強者は我々キリスト教なんだと!




つまり・・彼らの「善悪」定義は、こうゆうことらしい。
     ↓
弱者=協調的で優しい=「善」
強者=自己中で強引=「悪」



このようにして、多くの人々は、神の名のもとに「道徳」を植え付けられて、飼い殺しにされ道徳奴隷にさせられてしまった。



ニーチェは、これをひどく蔑んで忌み嫌った。

勝ち目のない惨めな現実から逃れるため、自己を正当化しようとする願望が「奴隷精神」

詭弁を弄して正当化しようが根本にあるのは、ひがみとねたみ根性じゃないか!


ニーチェは、このような価値観を植え付けられ、飼い殺しにあってしまった弱者を、「ルサンチマン」(フランス語で「ひがみ・ねたみ」の意味)と呼んだ。


ルサンチマンとは、
信仰によって骨抜きにされ、自分の欲望を直視することができない人たち。
自分というものがなく、「群れ」でしか生きられない人たち。
だから、本当は弱虫。
しかも、それを認めず道徳をでっちあげて、自分は上等だと言い張る人々。




ところが、こんな張りぼて妄想が長続きするわけがない。

その結果 ・・・人々はだんだん疑いだし、そんな神が信じられなくなっていく。



信じてもらえない神は「神ではない」

ゆえに、神は死んだ!


神が死ねば道徳も崩壊する。

たぶん・・日本人のイメージする「道徳」とヨーロッパキリスト教徒たちの「道徳」とは、違うかもしれない。

こちらが、彼らの「道徳」
      ↓

注: キリスト教圏の思想は、神=道徳
当時のキリスト教では、道徳を守らない者は神罰が下ると教えられて育っている。
それが怖いから道徳を守る。
だけど、神がいなくなれば神罰もなくなる、道徳も崩壊する。




こうやって、「信仰と道徳」は崩壊するだろう。

そのとき、ルサンチマンはよりどころを失い、ただ生きながらえるだけの生き物になる。
それをニーチェは「末人」と呼んだ。

今まで信じていた神、価値観、目指すべき理想を失ってしまうと・・全てが同じものに見えてしまうようになり、昨日も今日も明日も同じことの続きに感じてしむ。
しかもそれは・・無限に反復されていくかのように。


これじゃあ、なんのために生きてるんだ?
どこに意味があるんだ?
なーんも意味なんてねえじゃん!


こういった感覚を、当時の人々は、「ニヒリズム」って言ってたようだ。
だから、ニーチェの哲理はニヒリズムから発しているとかって言う人もいたんだねー。


それが無限に反復されていくかのような感覚」、こうした状態をニーチェは「永遠回帰」と呼んだ。

20120205142812.jpg
http://d.hatena.ne.jp/yosikazuf/20120205/p1


しかし、ニーチェは、この永遠回帰をむしろ積極的に受け入れ、そこから、「超人」となることを目指そうとしたのだ。


それには、まず人間本来の欲望を押し殺さず、目をそらさないこと。
人間本来の欲望って?・・・やっぱ、権力、金力、名誉?


それに挑戦する人間。

つまり、結果ではなく意志。 


だからこそ、ニーチェは「力への意志」と呼んだ。


そして、この意志を持ち続ける人間を「超人(オーヴァーマン)」とよんで、人間かくあるべしと鼓舞したのである。

当然、自分も、超人(オーヴァーマン)であろうと!

ところが、なりきれず・・
精神を病んじゃったんだけどねー。

461482m.jpg



それにしても、この人の言葉はメッチャメチャ強烈だ。

強烈な言葉は、ドイツ国民にも向けられた。

ニーチェの著書「偶像の黄昏」の中の一説
     ↓
「かつて思索の民とよばれたドイツ人は、今日そもそも、思索というものをまだしているだろうか。
近頃では、ドイツ人の精神にうんざりしている ・・・ ドイツ、世界に冠たるドイツ、これはドイツ哲学の終焉ではあるまいか、とわたしは恐れている。
ほかのどこにも、ヨーロッパの『二大麻薬』、つまり、アルコールとキリスト教、これほど悪徳として乱用されているところはない」


アルコールとキリスト教を「二大麻薬」とまでも言い放ってしまう強烈さ。
(←アルコールだってさ・・百薬の長ってこともあるんだよーー。 おぬし、知らんな! )


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

確かに、キリスト教=道徳社会が人々を堕落させているというのもわからんじゃない!
そうゆう人、たしかに・・・今でもいたし・・。

近代文明の発達とともに、立派な道徳を説きながら、一方で金権主義、権利主義が蔓延する世の中。

人々は権力者には何も言えない現状。
(←あ、今と変わらないのかも)


そこで、

弱者=協調的で優しい=「善」を植え付けられて奴隷化されてるのは、もうやめようよー。
そこから脱却して、現実をみつめ、自由の精神、自分の意思の力で生きようじゃないか!

この発想はたしかに素晴らしい。
十分、現代にも通用しそうだ。


だけど、
彼の激しい言葉の数々が示すかのように


白か黒か、右か左か・・それしかない人だ。 
まるで、中庸と安定を憎むかのような人だ。



幼い頃から頭脳明晰、神童とまで言われたような人だったようだし、現実を見据える目も確かだろう。

しかし、あまりにも・・ストイックで純粋。

一方しか見えなくなる狂信性


悪と決めつけたら、既存の価値のことごとく破壊しなきゃいられない。

まるで、ドーパミン出っ放し。

これじゃあ、まるで、狂気。

こんな状態じゃ、いずれは自分が壊れるぞ!


で、実際、彼は狂ってしまったんだった。

たぶん、今でいうところの「統合失調症」



1889年1月3日、カルロ・アルベルト広場で、老馬が御者に鞭打たれるを見て発狂してしまった・・と言われている。


は? そんなシーンで発狂してる場合かよ!
そんな御者殴り倒して、さっさと老馬を助けろよ!と思うのだが。

(←そっちの方が、ずーーと超人(オーヴァーマン)だと思うのだが・・。

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ニーチェという人、彼の精神は「精工なガラス細工」のようで、繊細で崩れやすい人だったんじゃないだろうか?


だからこそ、ドーパミン出しっぱなしの、超人(オーヴァーマン)とならんとすることで、
必死で自分を保っていたのかも。


ふと、そんなことを考えたら、このガラス細工のように弱い男を守ってやりたくなってきた(←冗談)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、発狂してしまったニーチェは、完全にエリーザベトに利用されまくることになるのだが・・

長くなるので、ここからは次回にアップすることにしよう。


続く>>>>>>>

SANMEIGAKU占いが当たらないというアメリカ人

アメリカ人の若い男性で、SANMEIGAKUに興味を持って少し学んだという方がいた。

「最初に僕はイン・ヤン(Yin and Yan) に興味を持ったんだよね、これってタオイズム(Taoism)のベーシックであり、もともとのマスターは、紀元前までさかのぼるラオツー(Lao-tzu)チャンツー(Chuang-tzu.)が、ファイブエレメンツ(five elements)フローパターン(flow patterns)を説いたそうだけど、それってすごいと思ったんだよ。

それで、僕はSANMEIGAKUの講座に入って日本人の先生についていろいろ教わってボディーマップ(Body Map)を作って自分や多くの人をみたんだけど・・パーソナリティーもクオリティーも実際はなんか違ってるように思えてならないんだ。

スターから読み解くと、まったく別人みたいに思える人も多かったんだ。なんか違和感を感じるようになって、それでやめちゃったんだけどね・・それってどうしてだろう?」



長っ!

こいつは何語でしゃべってるんだ? (←英語に決まってるだろーが!)

さっぱりわからん。。。



仕方ない!

も一回よーく聞いてみると・・・

「はじめ、陰陽思想の老子や荘子、五行に興味を持って、それから算命学を学んで人体星図を作って鑑定したところ、なんだか、性格判断があんまり当たってない。」

ってことが言いたかったらしい。



人体星図というのは、こうゆうやつだ。(英語ではボディーマップというらしいけど・・初めて知った!)


これ、二人分あるから、相性鑑定に使うものだろうけど・・
     ↓
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こういった人体星図をもとにして、鑑定結果を作る。(こちらは上の人体星図のものとは関係ないです。あくまでも一例なので・・)

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https://buyee.jp/item/yahoo/auction/p603014783?lang=chs

最近は便利だね~。

誕生日を入力するだけで、ソフトでここまでの鑑定結果がでちゃうんだから。

これじゃあ、ソフトさえ購入してしまえば、誰でも「にわか占い師」になれちゃうだろう(笑)

ちなみに、このサイト・・中国元で販売してたけど、日本円に直すと6万円~12万円くらいの間でそれぞれのソフトを販売している。 もちろん、日本語対応だし・・。
それぞれというのは・・算命学、四柱推命、紫微斗数、なんと姓名判断まであったんだから、びっくりだね!




彼がいうように、隋の時代に撰述されたと五行大義の考え方には、おーー! なるほど!と感心させられるものがある。

だからこそ、日本にも脈々と受け継がれてきたんだろう。

五行大義については、少し前のブログ記事にも、アップしてるので、ここでは省略。
    ↓
占い、そして天中殺の定義を考えてみる
五行大義そして弧虚理論の完全自己流解釈




しかし・・彼も勘違いをしてたようだけど・・

算命学(さんめいがく)は、生年月日からその人の持って生まれた性質や運命を算出する中国発祥の学問で、古代中国4000年の歴史を持つものです。



と、いうのは、ちと違うと思う。(実際、堂々とこのように謳ってるサイトなんかもあるけど・・)


私の理解では、こっち。
    ↓

算命学とは、高尾義政氏(1941~1990)によって生み出された、生年月日を使用して個人の運命を占い予測する技法。

現在の日本で流行っている算命学は、高尾氏によって個人的に確立された運命学。  
つまり、日本のもの。

文化大革命時、中国政府の弾圧から日本に逃れてきた中国人が基礎となる知識を高尾氏に伝えたって言われてる。
(古い書物は焼き捨てられ研究者も弾圧された時代だから・・)

その内容は、中国においての、子平・・徐子平(じょしへい)さんの説いたもの、八字・・現在の四柱推命のもとになってるもの、命理・・これも現在の四柱推命のもととなったもの・・などと同じような内容だったと考えられてる。

高尾義政さんは、それに基礎に独自の研究による理論を加えて、一つの新しいジャンルとして体系化していった方。

「算命学」という名称は、もともとは高尾氏自身によって商標登録されたもの。(現在の商品登録については知りませんが・・。)




なので、算命学は立派に日本で生まれたものであって、古代中国の流れを汲むものではない・・・と思っている。
実は私も・・昔はこれを勘違いしてたんだけどね~。


もちろん、ベースは古代中国にあるっちゃーあるのかもしれないけど(笑)

だけど、それを言ってしまえば・・

風水占い(陽宅風水)、易断、紫微斗数、四柱推命、宿曜術、奇門遁甲・・・みーんな古代中国がベースにある。

まるで・・湯川秀樹さんはドイツ語文献で勉強してたから、彼のノーベル賞快挙も、ルーツはドイツだ!って言ってしまうようなレベルになっちゃいそうだ。



おっと!

そういえば・・

たしか・・算命学の中には、その起源を中国の戦国時代(前403~前221)においてる流派?もあったはず。

その創始者として鬼谷子(きこくし)という、戦国時代の縦横家(←策略家のこと)の名をあげてた気がする。

kikokusi.jpg


この鬼谷子という人物、隠棲していた鬼谷(山西省沢州府内)の土地をもって鬼谷と呼ばれただけのようだし、姓氏、事跡ともに不明だし、彼が残した資料や文献等もなく、彼が創始者であると確定できるたしかな物はないみたいなのだ。


たぶん・・ビジネスにする以上は、ブランド名やキャッチコピーが必要なのはわかるけど・・こうゆう無垢な(アホな?)アメリカ人に、誤解を与えるようなことを言っちゃいけない・・・と思う(笑)



まあ、そんなわけで・・算命学と四柱推命も、まるで兄弟のように、類似した部分も多いのも当然のこと。

算命学も四柱推命も、同じ干支暦を使用してるようだし、星の解釈にもそれほど大きな違いはないそうだから。


しかし・・素人の私から見ると四柱推命ってのは、ひどくわかりにくいね~。
算命学の方が、実にすっきりと、表なども理解しやすい気がする。


こちらは、それに対する四柱推命の先生からのコメント
    ↓
「算命学はその干支暦から作成された命式自体をオリジナルな暦として使用してるけど、四柱推命はその干支を年、月、日、時間と横に並べるシンプルなものを使ってるだけに、理解が困難な箇所も多いんだよね。

たとえば四柱推命では干支の力量計算や根の作用、大運干支の作用など総合的に判断しなければならないために、
基本的な判断ですらよく間違うことがあるよ。

しかも、「空亡」や「神殺」なんてものも考慮してるうちに、プロの占い師でさえ、判断自体を大失敗してしまうこともありがちなんだよね。」


この話の内容自体も、私にはすべて理解できないのだが・・


とにかく、ここでわかったことは・・・この2つだ。
    ↓
●算命学の方が、私のような素人にとっては、システム的に完成度が高いらしい。

●総合的に見なければ、プロでも読み違えたり、判断を間違うことはある。




さて、前置きが長くなったけど・・(←そ、今までの・・ぜーんぶ前置きだからね~。)


なぜ、彼が当たらないというのか?


ずっと昔のことだけど・・少なくとも、私自身が自分や友人たちを見た限りでは、性格や特質において、そんなにハズレはなかったと思う。


そこで、あることに気がついた!

外国人だったり、外国生まれの日本人だからか?・・・と。



なぜなら、算命学は生年月日だけで占う。 

いやいや、四柱推命にしたって、時差の違う外国人ならば鑑定結果は違ってくることになるのは同じだ!!
たとえば、ここ・・日本とロサンゼルスでは16時間時間が違うわけだし、しかも夏時間と冬時間では、また違う。


いまさらながら、こんな素朴な疑問が浮かんできた。

●四柱推命では生まれた時間も入れるし、西洋占星術では生まれた時間や場所までも考慮してホロスコープを作成する。

●算命学は「生まれた時間」を無視して考える

●どっちにしても外国生まれの場合は、どーなる?





そこで、ある算命学の先生に、オンライン質問コーナーで聞いてみたところ、こんな答えが返ってきた。
       ↓

「この世は時間と空間によって存在しているのです。 地球が1回転したら1日です。
地球の自転に要する時間が1日ですから、算命学はこの1日という時間を宇宙の時間の最小単位として捉えているのです。

ようするに、どのくらい回ったか?というのは関係ないのです。
1日が24時間であるかどうかは関係なく、回ったら1日、ただそれだけと考えてください。
生まれた日に宇宙から与えられたエネルギー、その「空間の範囲」を明らかにしていくのが算命学です。

出生時間や出生地というデータがあったとしても、それを用いる必要もありませんし、
その日の朝に生まれようと、夜に生まれようとその日に与えられた「空間の範囲」は変わらないということです。」




いやいや・・そうじゃなくってね~!

時間は関係ない、その日はその日!ってのは、わかるんだけどね~、

その日が、どの日になるのかわからんから困っとるんじゃよ~!



なーんとなく、この先生から答えは得られそうもないと思ったので、それ以上の質問メールは止めた。
とりあえず、ありがとうございました  m( ̄ー ̄)m



で、今度は四柱推命の先生に聞いてみた。 

すると、こんな回答をもらった。
      ↓

四柱推命の命式で日柱と時柱を求める際、海外生まれの人の場合は、このような方法がとられています。

(1)出生地の現地時間を用いる方法、
(2)日本時間(UTC+9)を用いる方法、
(3)日柱には日本時間を用い、時柱には現地時間を用いる方法、

しかし・・・

(1)の方法では、ある瞬間に生まれた人の命式は、地球上の出生地によって異なってきます。

(2)の方法によると、地球上のどこで生まれても、同じ瞬間に生まれた人は、同じ命式になります。

(3)の場合は、地球上の各地である瞬間に生まれた人々は、日柱が共通し、時柱がタイムゾーンに応じて様々になります。

林しゅうせい氏の著書「日本で一番わかりやすい四柱推命の本」によれば、外国生まれの著名人の命式を(1)の方法で算出しています。

しかしながら、(1)の方法では、例えば、出生地が日付変更線上にある場合を想定すると、日付変更線の前後によって日柱が変化し、その結果、同じ時刻であっても時柱まで異なってしまいます。

これは、出生地が1メートルずれるだけで、24時間違いの全く別の命式になりうることを意味し、明らかにおかしい事態が生じます。

従って、私は、(1)の方法はありえず、(2)又は(3)が正しいと思います。

つまり、(2)又は(3)が正しいのだろうということで、結論から言うと・・正直なところ私にもわかりません。



あららら~。

でも、実に納得のいく回答をありがとうございました!



それじゃあ、やっぱり・・

外国人の彼が一生懸命勉強して人体星図やら命式を作ったところで、そこから違ってたとしたら、正しい鑑定なんてムリってことになる。

「黒カラス理論」の間違いと同じだ~!
  
(注:すべてのカラスは黒い→これは白い→絶対カラスじゃない・・・という間違いをしちゃう理論のこと・・別名、演繹法ともいうらしいが・・)


算命学では「人体星図」という表を使用して実際の判断をしていく。

確かにこの表は分かりやすいし明瞭で優れものだよなあ・・とは思う。


しかし、もともとは干支の羅列を表に変換してしまったものなんだし、そうなると、いくつかの問題点が出てくる気がする。
当然、四柱推命だって同様だけど・・



そこには、時間の問題もある。

算命学では生まれた時間(生誕時間)を考慮しないけど、本当はその点も考慮すべきだったんじゃないだろうか?


もちろん、外国生まれの日本人なんか知ったことか~。
外人なんか、どーでもいいわい!・・・・と、言われてしまえば、それまでだけど(笑)



残念ながら高尾先生はすでに他界されちゃったけど・・そこらへんは質問してみたい点だ。


おそらく・・彼が生存していた時代背景を考えれば、算命学が世界中で通用するものとして学問体系を作りあげたわけじゃないように思える。

おそらく、こんなことまでは考慮してなかったと思うのだ・・。
      ↓

アメリカでは17時間の時差があるし夏時間と冬時間もある
北半球と南・・季節が逆
広大な中国だって、今は北京時間で押しきっちゃってる
帝王切開で生まれた人、促進剤を使った人の生まれた時間




そんな時代じゃなかっただろうし・・「日本人のために日本で通用するもの」として体系づけたんだと思う。


もしも、現在も生きていたとしたら、どんどん改良していったとは思うけどね~。



実際のところ、同じ日本生まれの日本人でさえも、こんな疑問を持つ人もいた。

たとえば、夜11時45分生まれの人・・

日本の基準時間は兵庫県明石になってるわけだし・・・明石より東の地域は23時45分は過ぎてるし、西だと、まだ、その時間になってないことになる。


しかも、それが年末だったりすると、「年」そのものも、そっくり違ってしまうことになる。

当然、鑑定結果が全然違ってくることにもなる。





同じ算命学でも、たしか・・立春説(高尾説)と冬至説(自然法算命学説)があるようだし、

中国系占術の多くは23時をもって日付が変わる時刻とし、西洋占星術の場合、日の変わる時刻は午前0時ってのを聞いたけど・・
だけど・・『四柱推命』の、なんとか流だったかは、午前0時をもって日の干支が変わるとしてるとか。


「年」については・・

24節気をもとに月を定める占術においては、太陽が黄経315°の地点を通過する時点を年の初めと考えると共に、
寅月の初めと考え、以後、太陽が黄道上を30°移動するごとに卯月、辰月、・・・、丑月と月が変わっていくとしている。
つまり、「黄経315°,45°,135°,225°を通過する時点から」ってことらしいんだけど・・


あ゛あ゛~、もう!

ド素人の私からみれば・・

もう、こういったことで・・どの説が正しいか?な~んて議論すること自体が、ばかばかしくなってくる(笑)

結局のところ、どの人体星図(または、ホロスコープ)に、はめ込んじゃおうか?ってことに過ぎない気がしてくるから。



挙句の果てに、○○派だったかの占い師さんに、

年末の深夜近くに生まれた人が、自分がどっちだかわからないんですけど~、と、質問したところ、

「そうゆうときは、両方の鑑定結果から判断して、自分に当たってるな~と思う方を見ればいいんですよ~。」と、言われたそうだ。



そんな・・乱暴な~(笑)

客に丸投げですか~・・と、私は突っ込みたくなった。

そんな占い師さんもいる(笑)

・・・・・・・・・・・・・・・・・

算命学で時間を無視する理由(ある占い師さんによるコメント)
        ↓

「算命学は象位(運命に現れる現象)より質(本人の内面の思考、気質、役目)を重視するため、生まれた時間の干支を使用しないんですよ。

それ以上に重要視するのが、その人の家族環境であり、家系、生まれた地方、国家(文明国家~発展途上国というとらえ方)の環境の方が、生まれた時間における干支の影響より大きいと考えたんです。
だから、算命学では生時の干支を使用しないんですよ。」




なーるほど・・


「また、もうひとつ、算命学の考え方では、宿命が家系と縁があるか、ないかということも、重要なポイントになってるんです。
そのなかで、家系と縁ある生き方をしているのか、家系の恩恵を受けない生き方をしているのか
で、運命を論じ、宿命と生きる環境が一致するようにアドバイスしていく
そこに、算命学が、他の未来予測の運命学より、優れた開運技法としての価値があるのだと思いますね。」



これを聞くと、

つくづく、古来の日本的発想をベースにして生まれたものなんだな~と思う。


時差や場所の問題は別にしたとしても・・・

家系を知らない現代人や、お墓参りの習慣さえ持たない外国人には、当てはまらない部分も多いかもしれない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


医化学の祖で科学者でもあったパラケルスス(Theophrastus von Hohenheim(1493-1541)
って人をご存じだろうか。 (←もっと正確にいうと・・昔の人らしく・・医師、化学者、錬金術師、神秘思想家。悪魔使い・・なんて肩書もある)

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この人は、こんな言葉を残している。

「天とはすなわち人間であり人間とはすなわち天である。 
すべての人間が一つの天であり、天はただ一人の人間なのだ。」


彼は、人間と宇宙は常につながっており、切り離すことはできないものであり、人間とは宇宙を写し取った「小宇宙」。と考えたようだ。


また、ケプラーさんも同様。

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http://s.webry.info/sp/13662321.at.webry.info/201607/article_8.html


ケプラー(Johannes Kepler、1571 - 1630)は、惑星の軌道を計算した科学者として有名だけど、占星術師でもあった人だ。



星と人間の潜在意識がシンクロしているという考え方は、東洋・西洋問わず、占星術の基本となる考え方になってきている。


算命学もまた、東洋占星術の一つであり、木星の動きに注目して作られたという。
木星は太陽のまわりを約12年で1周する・・実際のところ、地球はずっと内側を回っているので、私たちから見れば、木星は12年かけて星々の中を1周しているように見える。


それならば、なおさらのこと、時間や生まれた場所を無視することは出来ないのではないだろうか?


そこに、「日本向け古いテキスト」を持ち出して鑑定したところで・・それにはムリがあるだろう(笑)




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     ↑
このイラストではユングの言葉の載せてるけど・・

「人間と星々」の関係は、「潜在意識」に関わるという概念があり、現代科学では、主に心理学の中にもちゃーんと息吹いているようだ。


心理学も占星術も、心という見えない分野を扱ってる点では同類だろうし、ちょっとばかしアプローチの方法が違うだけかもしれない。


・・・・・・・・・・・・・・

そういったことから考えても、

私は、すべての占星術(東洋、西洋問わず・・)が、個人の質(内面の思考、気質、役目)などを読み解く優れものだと思えてならない。

当然、近未来に起こる出来事だって、星から読み解くことは可能だと思っている。



ただし・・・生まれた場所・位置、時間によって、星から受ける影響は違うわけだから、決して誕生日だけで表に当てはめたりマニュアル化はできないと思うのだ。

ましてや・・誕生日を入れるだけのソフトで、すべてがクリアーにできるわけがない(笑)



プロフェッショナルな鑑定師さんが対面してくれて、はじめて、その個人を読み解いてもらえるんだと思う。

○○派だとか、○○理論とかに妄執・固執する鑑定士さんであれば・・そこから、すでに読み間違いを起こしてしまう気がする。



そもそも・・・どの占星術分野においても、優れた点もあれば、ダメ~!という点もあるはずだと思う。
あって当然だと思う。



理論だけに頼れば理論に溺れるだけだろうし、そこは、長年培った勘やインスピレーション、そして経験も要求されるものではないだろうか?


そして、物理学世界同様に、どんどん新たに塗り替えていく必要があるように思う。
アインシュタインの相対性理論だって、どんどん塗り替えられてしまってるわけだしね~。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

SANMEIGAKUを学んでたというアメリカ人男は、自分の先生に、

「あんまり当たってるとは思えない!」といったそうだ。

すると、
「そんなはずはありません。 この命式で間違いはありません。
外国人にだって通用するものなんですからね!」


と押し切られたそうだ。



フリーサイズ効果は、アメリカ人男には通用しなかったと見える(笑)

*フリーサイズ効果というのは・・XXです!と言われると、なーんとなく、そう思ってしまうこと。

例えば、A型は几帳面、B型は自己中と言われると・・多かれ少なかれ人には几帳面な部分もあるし、多少なりとも自己中の部分もあるわけなんだけど、言われたことだけにフォーカスして、あ、そうなんだ~と思い込んでしまうという現象。





客は、「実在するものと」「似て非なるもの」との判断力が必要だということだ(笑)  惑わされずに!



占い師に必要なのは・・たぶん一番必要な要素は・・

「目の前の一匹の迷える子羊」を救いたい!ってことかもしれない。

そう真摯に思えない占い師であれば、おそらく読み違えるだろう(笑)

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この男に、聞かれた。

「東洋のSAIMEIGAKUって、あなたは信じている?」



「私はすべての占星術を信じているよ、東洋西洋に問わず。 もちろん、SANMEIGAKUだって。

人間は宇宙を写し取った「小宇宙」だと信じてるし、また、逆に人間が宇宙に影響を与えてるとも思ってるから。

星と人間の潜在意識がシンクロしているってことを信じてるからね。」


「そうか~、運命は脳内にある潜在意識で作られていくんだね。」


そうじゃないよ!
潜在意識は脳の中じゃなくって、スピリチュアルな部分にあると思う。
それが同時に、天体を作ってるものだと思うよ!」

「あ! そうか~。 うーーむ、すごい!!」(←妙に納得した様子)で、この男は続けて聞いた。

「あ、だったら・・当たらないのはなんで?」


だからさ、そりゃ、読み違いをしてるからに決まってるだろーが!」




この男、もっとスピリチュアル部分に磨きをかけない限り、何も学べないような気がしてきた。。。
すごく、素直でイイヤツでは、あるんだけど・・・。

食物連鎖からみる人間とは

日本に旅行してきた人(フィリピン系アメリカ人)が、こんなことを言ってた。

「いやあ、神社にいったんだけどね~、 すっごく鳩がいっぱいいて近寄っても逃げないんだよ~。」

おやおや、神社に言って、一番印象に残ったのは大量の鳩だったのか(笑)

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「日本では鳩の天敵がいないんだね?」

ああ、そうなのかもしれない。

鳩の天敵といえば・・ワシ、タカ、フクロウ、カラスだったと思うが・・・ワシ、タカ、フクロウなどはほとんど見かけないし・・

人間界で暮らしてるカラスは、わざわざ、鳩ハンティングしなくっても、ゴミあさりは簡単にできるだろう。

それで、天敵がいない鳩は増えていくのかもしれない。



ましてや、日本では・・鳩を取って食べるって習慣もないわけだし(笑)

以前、中国からきた女優さんが、「日本に最初に来たとき驚いたのは鳩がいっぱいいるってこと。
うわあ、美味しそう!って思ったんだけど・・なんで日本人は獲って食べないんだろう?って不思議に思ったの。」



なるほど・・・中国では鳩にとっては、人間も天敵だったんだね~。



天敵がなくなって、ある種類の動物だけが増えれば、生態系を崩してしまうことにもなる。

アメリカのイエローストーンの例も以前に、こちらのブログ記事の中で紹介したことがあった。

オオカミと人と自然の関係

オオカミを絶滅させてしまったために、天敵のいなくなったシカが増えて草を食べつくし川の流れまでも変えてしまったという話。



天敵のいなくなった鳩も増え続けるのだろうか?



そういえば、ゴキブリも天敵があまりいないせいか、昔よりかなり増えたような気がする。

ましてや、家の中は暖かく食べ物が氾濫する時代なんだから。

ゴキブリの最大の天敵はクモだそうだ。・・・それもアシダカグモはゴキちゃんが大好物だとか。

このクモさん
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昔々、おばあちゃんが、「クモは殺しちゃダメだよ! 悪い虫を食べてくれるんだからね。」と言ってたことを思い出す。

なるほど、そーゆーことだったのか!



ところが、いつの頃からか、クモをほとんど見なくなった。 

家に中まで、家宅侵入してくる昆虫そのものが減ってきてる気がする。
(外にだって少ないんだから・・当然か~)


特に日本では!東京のマンションに住んでいたときは、一度も虫をみたことがなかった。


アメリカの方がまだ見かける。

私はLAに住んでるけど、たまにクモも入ってくるし、外にはリスがちょろちょろしてるし、スズメも鳩もペリカンもカモメだっている。

それでも、近寄ればささっと逃げる。。。つまり、それぞれ、天敵がいるってことだろう。

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日本もいっそのこと・・鳩肉を食べる国になればいいかも? 
フランスでは、ピジョンは高級肉とされてるようだし・・


そもそも、生まれた瞬間から虐待されて残酷に殺されるブロイラー鶏肉より、はるかにおいしいし栄養素もありそうだ。

鳩取り放題食べ放題にすればホームレスだって、助かるだろうに。



あれれ? 私は何の話をしてたんだっけ?


あ、そうそう・・天敵がいなくなり生態系が崩れ自然破壊になる話だった。。。




そういえば・・子供の頃に食物連鎖というのを教わった。
小学校の高学年の頃だったろうか・・

たしかこんなカンジのイラストがあって・・

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三角形ヒエラルキーのトップに人間が君臨してたことを思い出す。

それを見て、ガキ共が「やっぱ・・人間って偉いんだ!」と、

まるで、「キリスト教かぶれの傲慢白人」のようなことを言ったものだ。

注: キリスト教かぶれの傲慢白人とは・・「すべての動物は神様が人間のために作ってくださった。
だから好きなように扱っていいんだ!」
って考え方。

創世記 9章3節に「生きている動く生き物はすべてあなた方のための食物としてよい」
・・・と書かれてるので、ここんとこだけ捉えて都合よく解釈しちゃったらしい。(←ちゃんと全部を読めよ~・・・と言いたい。)




でも・・よく考えてみればわかるように・・ヒエラルキーなんてないのだ。


たぶん・・こっちのアメリカの教科書に載ってた方が、いくぶんマシなイラストかも。
    ↓
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下に書いてある、DECOMPOSERとは「分解者」のことだ。


以前に読んだ池波正太郎さんの時代小説の中の、こんなシーンを思い出す。

坊主が長屋の仲間にナマズを持ってくる。
「おう! みんなで鍋にして食おうや!」

男たち :「坊主の癖に、殺生かい。」

坊主 :「なーに。 こいつだって子魚を食ってここまで育ったんだ。 その子魚だって、もっと小さい魚を食って育ってるんだ。」

男1:「で、人がナマズを食って・・人は何に食われるんだ?」

坊主:「そりゃ、蛆(うじ)だろ。」



まさに、これぞ、Composer
これぞ、食物連鎖ですね~。





さて、ここで、ちょっとマジメ~な食物連鎖の話。

実に興味深い話だ。

食物連鎖をエネルギーの流れからみると、こんなことがいえるそうだ。
      ↓
降り注ぐ太陽エネルギーが緑色植物の光合成によって化学エネルギーに変えられる。

それを草食動物が摂取する。

しかし、草食動物は、光合成によって生まれたすべてのエネルギーを摂取できるわけではない。 
一部は未利用のまま。

さらにその上の肉食動物も同様に、その一部だけしか摂取できない。

連鎖の各鎖ごとに利用できるエネルギーは減少していく。

栄養段階の上位に位置するものほど、その下位のものより利用できるエネルギーの量が少なくなる。




ということは・・・最終的に動物を食べる人間が、エネルギー量(もともとは太陽から得たエネルギーの摂取が一番少ないってことになる。


もうひとつ、注目する点は、

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我々生物すべては、太陽からエネルギーを得ているということだ。

ただし、植物を除いて、食物連鎖の中でしか摂取できない・・・ということだ。




ってことは・・・一番、太陽エネルギーを存分に得ているのは、植物ってことになる。 
植物、恐るべし!



さらに、興味深いことがある。

食物連鎖が特に問題となるのは、連鎖を通じた有害物質の濃縮である。

有害物質が廃水などに混入して環境に排出されると、食物連鎖を通じて他の生物の体内に移るが、連鎖の段階(栄養段階)を経るごとに濃縮され大きな被害をもたらす。

たとえば・・昔あったような水俣病のような水銀中毒の場合、

工場廃水が海水を汚染する → プランクトンの体内に取り込まれ、 → それを食べた魚の体内に水銀が蓄積
最終的に魚を食べた動物や人に、高濃度の水銀汚染となって発症する。

魚のなかでも小型魚類を捕食する、マグロなど食物連鎖の上位にある大型魚類は、高濃度の水銀汚染がみられる。




え? 食物連鎖の上位にいけばいくほど、有害物質は濃縮される?

しかも・・

太陽エネルギーは、上にいけばいくほど、摂取しにくくなる?


これじゃあ、人間が一番、ダメじゃんか~!!


しかも・・汚染度の濃縮度トップの、大型マグロを美味しい美味しい!と食べたりするわけで・・・

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日本人は、こんなにもマグロ好きらしい。
     ↓
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食物連鎖からみていくと、人間が一番、食物に注意を払わなければならないってことは、よーくわかる。

環境保護というのは・・・その究極は、「正しい食」を意味するのかもしれない。
体内にエネルギーを取り込むための、「正しい食」


それを、マ逆にブチ壊すのが、汚染ということになる。

海の汚染といえば・・

工場や家庭からの排水、河川や大気から農薬などの化学物質

現在、一番問題になってるのは、マイクロプラスチック汚染だろう。

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おっと!

それどころじゃないかも。

石油流出事故もあったし・・

放射能汚染もあったし・・


放射能汚染なんて・・・結局ぜーんぜん回収されてない・・できない? いや、本気でする気もなかったのか?


とくに、放射能汚染においては、日本の海は最悪かもしれない。

こちらは、フクシマのときの汚染の広がる様
         ↓



うーーん、ひょっとすると・・日本が一番、地球環境をぶっ壊してるのかも・・
そうは、思いたくないけど・・。




こうやって、食物連鎖から見れば、すべての動植物の中で、人間が一番、弱い存在でしかないようだ。


なのに、いーーーーちばん、愚かなことをしてる。。。


とくに・・日本は、まーーたく関心がないのか、気がついてないのか・・



なんだか食物連鎖図をみているうちに、・・まるで、依存図のように思えてきた。

人間は肉食をし、その肉である家畜は草に依存し、草は土壌微生物に依存しているわけで、

そうなると・・・人間が一番多く依存しなければ生きていけない生物ってことになる。

しかも、太陽エネルギーは一番取り込めないくせに、汚染濃縮は一番強いんだから・・。

やっぱり、一番弱い存在だ。

こりゃ、依存図だ。


ならば、


せめて、精神くらいは依存せずに生きたいものだ。。。

アインシュタインによれば、ミツバチがいなくなると人類は4年で滅亡だとか。

農家直送の露天の店まで、ハチミツを買いに行ったら、「今年は収穫できなかったから無いよー」と言われた。

それで、仕方なくスーパーマーケットで買った。

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セージから蜜を採取したハチミツだそうで、甘ったるい香りもなく味も良く使い勝手がいい。

うーーん・・・しかし・・高いなあ。。。こんな小さなビンで15ドルもする。

日頃、砂糖の代わりに使っているので・・無いとなると困るのだ。



ついに、この地域でも、CCDがはじまったんだろうか?



CCDとは・・・Colony Collapse Disorder

日本語では、蜂群崩壊症候群(ほうぐんほうかい症候群)と言うそうです。 (←日本語の方が難しい言葉を使っている)


どうゆう現象かというと・・

2006年頃から、巣箱全体の30~90%もの大量の蜂が突然いなくなる。
女王蜂や幼虫は巣に残っている場合が多い。
なぜ、こんなことになっているのか・・いまだに原因が特定できていない。
不吉なことに、巣箱の中や巣箱付近にも蜂の死体が見当たらない。




どうやら、働き蜂たちがお仕事に出ていったきり、帰らなくなってしまう(帰れなくなってしまう)という現象が起こっているらしい。


原因はわかっていないものの・・

気候の変化、寄生ダニや感染症、農薬などではないか?・・・という話だ。
 
それらすべてが複合的な原因となっているのかもしれない。


その中でも、最も疑われているのが、ニコチノイド

これは農薬に含まれている成分だ。



ミツバチは、人類よりも早い時代からこの地球上に生れ、厳しい氷河期すらも生き抜いてきたとされる、かなりなタフガイ連中。


オレンジの花から蜜を集めるハチ(私はこのオレンジの花から集めたハチミツが一番好きなのだ。)
      ↓
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それが、気候の変化や寄生ダニやら感染症ごときでやられるとは思えないんだよなあ。



ネオニコチノイド系農薬は、昆虫の神経をかく乱させることで毒性を発揮するという。

神経系にダメージを受けてしまったハチは、巣に戻ることができなくなってしまうのだろうか?


実際、ニコチノイド系農薬は、世界中で実に多く利用されているのだ。

農薬だけではない!

我々の身近なところにも山ほどあるのだ。

ネオニコチノイド系殺虫剤の利用
一般家庭のガーデニング用、農業用、シロアリ駆除、ペットのシラミ・ノミ取り、ゴキブリ駆除、スプレー殺虫剤、新築住宅の化学建材などにも。



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蚊取り線香は夏の情緒!なんて・・言ってる場合ではない(笑)
除虫菊を使った天然素材を探すだけでも大変かもしれないのだ。。。



人間には害が少なく、昆虫にはよく利くということで利用され始めたらしいのだが・・


ネオニコチノイド系農薬は、昨今では「人の脳や神経の発達に悪影響を及ぼす可能性がある」として、
2013年頃から、世界中で禁止、規制される方向へと動いている。


ん? 農薬といえば・・モンサント社か?

ちょこっと調べてみたら・・やっぱり、モンサントだった。(笑)



そのせいか、アメリカは欧米諸国のようには規制されていないらしいが・・

それでも、すでに、それぞれの州で禁止されたり、厳しい規制が敷かれてきてる状況だ。(←アメリカは州によるところが大きい)

米国初・ネオニコチノイド系農薬の使用を禁止するメリーランド州

日本で規制緩和が進むネオニコチノイド系農薬。米オレゴン州では規制へ


ところで、日本はどうなんだろう?

ネオニコチノイド系農薬、世界諸国が使用規制を進める中、日本は逆行!その実態とは?!


おい!

どんどん規制を緩めて使い出すって、どーゆうことよ!



こんな証拠となるようなものさえも上がってきている昨今、
      ↓
ネオニコチノイド系農薬とハチ減少に新たな証拠

それでも、日本は規制するどころが、どんどん使いだす?


やれやれ。

呆れてモノが言えないぞ!

アインシュタインによれば・・ミツバチがいなくなると、人類は4年しか残されていない。 ミツバチがいなければ受粉が出来ず、植物はなくなり、動物もなくなり、人類もなくなる・・・と言ったそうだけど・・

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アインシュタインさん、もしもこの時代を生きていたら、ミツバチを救う研究や汚染された地球を蘇らせるための研究ををしてくれただろうか?



汚染は、ネオニコチノイドに限ったことではない。

食品添加物まみれの食品、抗生物質と成長促進剤まみれの肉、大量の医薬品・・・


人が、便利でラク、安価を追究し、そのニーズに合わせて企業が利益追求に突き進んだ結果が、こういった現状を作ってしまったというわけだ。


ひと昔前の農家は大変だったそうだ。

ずーーと前だけど・・農家のお年寄りが言っていた言葉を思い出す。

「昔は大変だったよ~。
でも、今はラクなもんだ~。 こうやって農薬散布するだけで虫はつかなくなったし、手間がかからないし、
無駄にすることなく、多くを出荷できるようになったんだから。」


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http://nou-ledge.com/page/2/

「でも、ウチで食べる野菜には農薬を使わないようにしてるんだ!
だから・・出荷するものとは別にしてるから大丈夫。」


おいおい!

以前、メンタイコ工場を見学したとき、工場長が・・
「こんな添加物まみれで、膨張剤を使って見栄えを良くしただけのメンタイコなんか、俺たちは絶対食べないよ。」

と言ったのが、フラッシュバックする(笑)


こんな世の中に誰がした?

消費者がしたのだ。 

(政治や企業のせいにする人もいるけど・・私は一番の原因は一般消費者だと思っている。)

そして、蜂がいなくなる。。。


蜂どころか・・・夏の蛍、秋の赤とんぼも、ツバメもすっかり見なくなった。

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昔はよかったな~。

・・・という郷愁に浸ってる場合ではない(笑)



蜂がいなくなる。 → そりゃ養蜂家は困るだろう


多くの人が、それしか考えられないとしたら・・そりゃ、世界は滅亡に一直進だ。(笑)


蜂の役割として、受粉がある。

果物・野菜を栽培する農業の現場において、果実を実らせるための受粉をしてくれている。

ミツバチが世界で生産される全作物の3分の1以上で受粉を行い、75%について生産性を高めているという。

つまり、ミツバチが絶滅すると、少なくとも世界の作物の3分の1が失われる恐れがあることになる。



こちらは、グリーンピースの記事だけど・・
ミツバチがいなくなったら、いったいどうなるの?



「僕はね、そんなこと、ぜーんぜん気にしませんよ。
今は、モンサント社の提供する、遺伝子組み換えで、あらゆる穀物、果物、野菜が作れるんですから。
そのために、モンサント社があるんですよ。」


と、このオッサンは言うだろう。

Monsanto CEO
   ↓
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モンサント社からビジネスの定義を考えてみる

遺伝子組み換えとワクチンと



こうやって・・世界の方向が決まっていく。


それにしても、日本は愚かな人々が多いのかもしれない。

あまりにも・・現状を知らなさすぎるし、それを考えてみようともしないらしい。

もちろん・・アメリカ人だって、なーんも考えない愚か者は多いんだけど・・

それでも、一部の人は、水道水のフッ素混入を反対したり、ネオニコチノイドに反対する人が必ずいる。

そういった人々が地域運動を起こし、それがだんだん大きなパワーとなって人々を巻き込み、州法を変えてしまうことだって多いのだ。

現に、いくつかの州では、規制せざるを得なくなったのだから。


しかし・・日本では、あまりそういったことは起こらないようだ。



以前、体調不良を訴えていた人に、食品添加物、薬害やら農薬についての話をしたことがあった。

「農薬? 食品添加物だって?
そうはいってもねえ・・・現状が、こうなってるんだから仕方ないだろ?

少しでも安い方がいいし・・気取って高いオーガニックなんか買う気はしないね。
別に、農薬が少しくらいついてたって、すぐに病気になるわけじゃないよ。」


そのくせ、少しでも体調を崩すと、その人はすぐに薬を飲む。

毎日数種類の薬を何年も飲み続けている。
その上、今日は鼻水が止まらず、風邪か花粉症かわからないから・・両方の薬を飲んだという。


こうゆう人に、「地球環境」の話を持ち出したところで、遠い遠いところの、フワフワしたよそ事にしか聞こえないだろう。

でも、フワフワしてるのは、この人の方だろ!・・・と、私は思う(笑)



もういい加減・・フワフワやさしいだけの羊さんでいるのはやめようよ~。

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やさしいだけの羊さん

目先のことしか考えられない羊さん

何でも人任せの羊さん

みんなで一緒にフワフワしてるだけの羊さん、

仕方がないよ~といってるだけの羊さん




一見おとなしくて、かわいく見えても・・毒にも良薬にもならない存在だ。

そうゆうのは、醜い羊さんじゃないだろうか?


自分の体をおろそかにする人は自分の心も精神もおろそかにする人だし、また他者も世界も・・おろそかにする人に思えてしまう。

そんな人が、本当に何かを愛することなんて・・できるとは思えない。



こっちの羊さんたちの方が、ずーーと真摯な生き方をしてるような気がする。
    ↓
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私には・・美しい生き方に思える。

始めに言葉ありき_言葉について考える

魯山人のエピソードと密教の中で、以心伝心のエピソードを載せました。
    ↓

ある時、お釈迦様が弟子の前で花を一輪手に取って、それを眺めていた。

ただ、それだけのこと。

ある弟子は、お釈迦様のそんな様子に気を留めることもしない。

また、ある弟子は、なぜお釈迦様が花に関心を示しているんだろう?と思う。

一人の弟子だけは、それを見て、はっ!とする。・・・そして悟りを得てしまった。



これこそ、以心伝心


密教の奥義
ただ、心から心に伝えることが大切であり、
文章や説法(ことばよって伝えることのみを貴いとはしない。





これについて・・また、しみじみと物思いにふけってました。。。



そういえば、日本でも昔は師弟制度があったよな~、と。

主に、商人や職人を目指す人たちは、親方のところに奉公して見習いとなって学んでいかなきゃならない時代だったはずです。


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若いころの私は、この、古臭~い子弟制度ってのが大嫌いでした。

料理人として見習いに入ったのに、何年も掃除とジャガイモの皮むきばかり。

親方や先輩は威張ってばかりで、私用までも言いつけられる。

日々掃除や雑用ばかりで肝心な技術を教えてもらえない。

そもそも、1日の労働時間がものすごーーく長い。




こんなことを、常々聞いてたせいでしょうかね~。


ところが、昭和の時代になると、さまざまな専門学校が出来ました。


これで、悪しき封建制度も終わって、つくづくよかったな~と思ったものです。



しかし・・以前の、こちらのブログにも載せたように、
   ↓
右脳を使うこと、ピアノと数学と師弟制度

師弟制度でなければ学べないことも多いんじゃないかな~と、ある時、気がついたわけです。
いやいや、むしろ・・師弟制度の方が、学びも多いんじゃないかな?って気がしてきたんですよね~。


昔の私は・・調理人を目指すんだったら、包丁さばきや煮炊き、焼きの技術を身に着けることが肝心なわけだし・・

それを、さっさと教えればいいだろーが!
掃除や後片付けなんてやらせるなよ!


と、私は思ってたんですが・・


今ではむしろ、掃除や後片付けの中にこそ学ぶことは多いのかもしれない・・と思うようになりました。

掃除だけをとっても、大工さんの工房と料理人の板場では、掃除の内容も、その必要性も全然違うわけだし・・

後片付けをしながら、カンナ屑をみたり、野菜の切れっぱしを見て学ぶことは盛りだくさん。


つまり、まずは自分で学び取れ。
「自分から学んだことでないと、本当には理解できない」ってことだったんだな~と気がついたわけです。



理解すること、身につけること・・・それは、頭だけで理解することではなく、頭と体と魂のすべてで感じて理解するってことなんだな~、と、そんな事からも、気がつかせてもらったわけです。


あ、だからと言って・・・学校に通うよりも師弟制度の方が優れている~なんてことを言いたいわけじゃないですからね。

もちろん・・中には傲慢で横暴なだけの師匠や兄弟子だっていたでしょうし・・そんなところに入ってしまったら、そりゃあ、ただの掃除係と小間使いで終わっちゃう・・・なーんてこともあったでしょうから。



高卒で進学をやめて、ドイツに行ってしまった人のことなんかも思い出しました。

その人は、本場ドイツのマイスターに弟子入りして、バイオリン作りをするのが夢だと言ってましたっけ。

イメージ写真ですが・・
    ↓
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「えー、そんなことでわざわざドイツに行って苦労しなくても、今は日本に学校だってあるじゃない!」

と、言う私に・・

「それじゃあ、ダメなんだよ。 伝統の工房の中で、その匂いを嗅ぎ、同じ空気を吸ってこなければ、ストラディバリは生まれないよ!」・・と、笑って言われました。

ストラディバリみたいなのを作る気かよ!!


当時の私は、匂いや空気なんか・・バイオリン作りに関係ないだろ!と思ってましたが・・そうじゃなかったんですよね。

その人は、ドイツ、ウィーンなどの有名オーケストラの演奏を頻繁に聞きに行くことから始めたそうです。

そういったことのすべてが・・ようやく私の中で1つになったような気がします。

この年になって・・ようやくですけど・・(笑)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「言葉を使って教えること、相手に伝えること」は、

私たちの職場でも、後輩に仕事を教えたり引継ぎをしたりなんてこともあるわけで、日常的に多々あります。


同じように教えても、ちーーとも理解が出来ない人もいれば、即座にポイントをつかんで覚えてしまう人もいます。

人によって実に様々なものです。

聞いただけで黙って理解してしまう人もいれば・・
すごく良い質問をしながら覚えていく人もいるし・・
関係ない事までクドクド質問してきて、ポイントから外れてしまう人もいるし・・(笑)


私も若い頃は、

すぐに覚えてくれる人=優秀、 
なかなか理解できない人=ダメ人間


と思ったものです。


逆に教えてもらう立場になったときは・・・

自分がなかなか理解できないと、教え方が悪いんだよね~、ちゃんと適切な言葉を使って教えてくれないんだもん!

と、実~に自分勝手なことを思ったものでした。。。


他者に対して、自分の世界を中心にした見方しかできない。

まさに、それって「傲慢」の、ひとことですね~。



でも、あるとき、ふと気がついたんですよね~。


人には波長が合う人、合わない人もいるわけだし・・・そもそも、波長なんてそれぞれ違って当たり前。

相手に伝わらないのは、相手が理解する言葉で適切に伝えてなかったんじゃないか!と。

つまり、自分の問題じゃないか!・・と、気がついたわけです。


人に教えるということは・・相手の波動をキャッチして、相手に合わせた言葉を使わなければ理解してもらえない!


同時に自分が習うときもまた、先生側の波動をキャッチしようとしなければ、わからない!ってことにも気がつきました。


これは傲慢さが消えて、単に謙虚になったってことよりも・・

ようやく、「マトモに客観的に見えるようになった」って、ことに近いかと思います。


人に教えることは、
感、や、勘をフル活用しなきゃいけない!ってことにも気づきました。

すると、すべてにわたって、「通りがよくなる」気がしました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・

ある方が、「老子の無為自然というのは、常に現実のままが正しいってことなんだよ。」っと解説した人がいて・・

それに対して、

じゃあ、シリアの爆撃、原発、大気汚染・・・これ現実だけど、それを肯定するんかい? それが正しいわけ?

と、ひどくツッコミを入れられてるシーンを目にしたことがあります。


たしかにそうですね~。 

現実が正しいなんて言ってしまったら、現状に甘んじてなーんもしない。
改革も改善も無しってことになっちゃう!


でも、よーく聞いてみると・・

「現状をまず知り受け入れることから始まる」ので、それが「正しい在り方」なんだよ!と、その方は伝えたかったようです。

ああ、こうやって、誤解されちゃうケースもあるんだろうなあ、と。(笑)




そういえば、こんなのもよく聞きますね~。

「欲望のままに生きるべきではない、すべての欲を捨てろ!」なんて言われたり、

かと思えば、

「我慢して欲望を抑えるのはいけない!」とも言われたり・・


仏の道は、欲・煩悩を捨てることだと思っていたら・・

「理趣釈経」という教典も存在する(笑)

俗にいう、「理趣経」のことですね。
理趣経については、こちらの過去記事でちょっとだけアップしたことがあります。
    ↓
空海とシュタイナーの関連性



美味しいものを食べたり、好きな音楽を奏でたり聞いたり、または恋に落ちたり、セックスしたり・・
それもまた、菩薩の境地だと言ってるわけです。




え? 欲望は抑えなきゃいけないんじゃないの~?
もう! 何を信じたらいいんだよ!



と混乱しちゃう人もいるかもしれませんね。


実際のところ、この理趣経は特に門外不出で、空海さんは、最澄さんにも貸さなかったそうですよ。

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最澄さんというのは、天台宗を開いた人で、最高位の知識人とされていた人です。
唐留学にも、国費で留学したくらいの人ですから。

それに比べて空海さんは自費留学生・・・当然ながら、当時は最澄さんの方がランク上とされていたわけです。


その最澄さんが、頭を下げて「勉強したいから本を貸してください!」って頼んでるのに、空海さんは、NO!だったそうです。

空海 :「そんなに学びたければ教えるから、こっちに来てくださいよ~!」

と言ってるのに、時の人である最澄さんは仕事が超忙しい!

最澄 : 「だから~、僕、そんなヒマないから、本だけでも貸して!ってお願いしてるじゃん!」

空海: 「それじゃダメ~。 この経典はとくにダメ。 読んだだけで学べる内容じゃないんだよ!」

最澄: 「どーして?? 僕が読んだだけで理解できないバカだっていいたいわけ?」



これは、私の想像ですけどね~。

実際のところ、このお二人の関係を悪化させたのは、この理趣経にあったともいわれてます。


たぶん・・空海さんは、言葉だけで真の教えを誤解されたくなかったんだとは思いますが・・。




こーんな昔から・・

言葉ってのは、やっかいなものです。

言葉を発する人、それを受ける人の間で、差異が出てしまうことも多い。

つくづく、宗教を含む、精神世界の事を伝えるは、特に大変なことだと思います。


この時代も、言葉を頭だけで理解して教えようとしてしまったり、
教わったことを頭だけで消化しようとしまう人も多かったのかもしれません。

それが、そのまま、誤解されたり曲解されたまま、後世にまで伝わってしまったり・・・

そういったことも多々あったような気がします。


・・・・・・・・・・・・・・

ずっと昔読んだファンタジー小説に面白い一説がありました。
(話がコロコロ変わってすみません。。。思いつくまま書いてますんで・・)


多くの人々が、魔物が襲ってくるような危険な土地を旅をしなければならないとき、

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危険を避けて無事目的地に到着するために、多くの人たちは、土地に詳しい「案内人」を雇い入れるんですよね。


案内人が、「ここでは、夜は絶対に火を炊いたらダメだ。」と雇い主に教えると、

それを漏れ聞いた人たちは、「夜は絶対に火を炊いたらダメなんだって!」という言葉だけが、あっと言う間に広まっていく。

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しかし・・・

場所によっては、また、そのときの状況によっては、火を炊いてもいい場合もあり・・・むしろ、火を炊かなければならない場合もあり・・

さらに、火の炊き方も場所も様々なケースがあるわけです。

藪の近くで炊くか、大木の根元で炊くか・・どのくらいの炎にするのか、細々とした事が状況によって全然違ってくるわけです。

そもそも、夜、火を炊かなければ、食事のための煮炊きもできず暖も取れず、体力が持たないわけだし・・
また真っ暗闇では、敵襲があったとき、何も見えないことにもなる。


そのすべてを言葉で伝えたり、本に書けば膨大な量にもなってしまうし到底伝えられるものではない。

仮に膨大なマニュアルを作ってもらって、それを読破したところで、

すべてがマニュアル通りにいくわけでもない(笑)


それが、現状だと思うんですよ。



案内人が長年かけて培ってきた経験と勘による判断が大きいわけで、
それを一気に言葉にして伝える(教える)ことはムリなんですよね~。


本や講義を聞いただけでは学べないこと、というのは、こういったところにあるんだと思います。




名人と呼ばれる料理人は、その日の温度や湿度、天気によって・・塩加減を変えると聞いたことがあります。

それもまた、言葉では教えられないことじゃないでしょうか?




まさに、以心伝心でしか、伝えられないこと。

さらに、長い時間をかけて自ら経験を積んだ先に見えてくるもの。

それが学ぶということかもしれません。



・・・・・・・・・・・・・


一方で、言葉とDNAの関係では、

すでに数年前から、科学者によるジャンクDNAの研究から、言葉と周波数でDNAのプログラムが変わることも、発見されています。


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極端に言ってしまうと・・DNAは言語が具体化したものとも言えるそうです。

つまり・・言葉によって(発する言葉も受け取る言葉も)、常に心身に影響を与えるということでもあり=(常にDNAの書き換えが起こっている)ということでもあり・・

さらに、ジャンク領域の研究によって、ハイパーコミュニケーションの存在すら、認められるようになっています。

ハイパーコミュニケーションというのは・・
スピリチュアル世界でいうところの、透視、直感、ヒーリング(遠隔ヒーリング、自己ヒーリングを含む)、アファーメーション、人の周りの光、オーラ、天候のマインドによる変化、テレパシー、念動力、シンクロニシティーなどと、考えて構わないと思います。



以前に、アップしたブログのどこかでも・・

●DNAは情報を引き寄せ意識の橋渡しをする。
●ハイパー通信プロセスは、リラックスした状態での最も効果的となる。
●それぞれの言語もまたDNAと深い関係がある



なんてことを書いた覚えもあります。(えっと・・どこだったか・探すのがめんどくさい。。)


まさに・・・たかが言葉、されど言葉

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「太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と偕(とも)にあり、言は神なりき。」・・・これは、"Gospel of John" ・・・つまり、ヨハネの福音書の有名な部分です。 (ジョンが歌ったゴスペルと勘違いした人もいたけど・・違うからね! いや、似たようなものかなあ?)


この解釈も、いろいろと言われてます(笑)





「学ぶ」ということにおいて、ときにはマイナス面にもなってしまう言葉ですが・・

とっても簡単でやさしい言葉は、不思議と誰にでも、すーーと入っていくみたいですよ。


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とか・・

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最近の私は、相手に対してせいぜい60%くらいの感謝しかないときでも、

「ありがとう!!」と、即座に言うことにしているし・・

同様に、「わあ! ステキ~だね~!」 「大~好き!」も、大安売りで言っています(笑)

人だけでなく、ネコにも犬にも、花にも・・・。



相手がシャイな日本人だったり、人を信用しないタイプには、最初びっくりした表情をされて引かれちゃうこともあるんですが・・

それでも、嬉しそうにしてくれるんですよね~。


その嬉しい気持ちが、ブーンと、ブーメランで私にも戻ってきます。


そして、60%の感謝しかなかったはずなのに、なんだか100%の感謝に感じられちゃったりするんですよね~。

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こうゆうのを、アファーメーション(affirmation)っていうんでしょうかね?




言葉はたしかに、厄介なときもあるんだけど・・・


単純でやさしい言葉は、誰にでもストレートに伝わりやすい!

誰もが全身全霊で受け止めてくれる。

誤解も曲解もされず、誰もが受け止めてくれる


それだけは確かなことだと思います。

文明の進歩している方向と流れ

LAに出張で来た人を、車でお迎えに出向いた。

「うわあ、LAってのは運転が大変だね~。 片側3車線、4車線まであるんだ~。」
と、その人は言う。

ユタ州から来たばかりだという。

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「どこらへんで、どの車線に移動するとか全部覚えてるの?
標識のサインを見るより先に移動するんだね~。」

「うん、サインを見てからじゃ、遅いんだよ。
状況を見て早めに車線変更しなければ、なかなか入れてもらえないし、もしも入れなければ、かなりな時間のロスをするし、ガソリンも食うからね~。」

「ひええ、ロサンゼルスの運転は嫌だなあ。 郷に入ったら郷に従えってことか・・。
車の運転もまた、人生と同じかあ。」


人生?~(笑)

うーむ。

言われてみれば、その通りかもしれない。

普段当たり前のようにしてる運転も・・・

常に一歩先を考えること。 どこで右折して、どこでフリーウェイに乗って・・

なるべく渋滞する箇所を避けて、スムーズな流れに乗るようにして・・・

道に落ちてる危険物を避けて・・(←実際、とんでもないものが頻繁に落ちてることが多い。ベッドのマットレスが落ちてることもあったくらいだ。)

穴ぼこを避けて・・(←フリーウェイでさえ穴が開いてたりする・・日本のきれいな高速道路とは大違い。)

無謀運転の車を避けて・・(←ウインカーを出さずにいきなり車線変更してくる車もかなり多い。)

目的は、少しでも早く到着するため




もしも・・

そんなことに神経を使いたくない!
私は好きにやる!

なーんてことをすれば、そっちの方がストレスは大きいだろう(笑)

たしかに、人生と似てる(笑)



人生をなるべく無駄なく、リスクを回避して生きようとするならば、


流れに乗ること


流れにのる人が多くなればなるほど、またさらに人は流れに乗ろうとする。

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流れとは、そのようにして作られている。

そうやって、人が作り出したものなのだ。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

IT業界では、5Gを2020年に向けて実用化、商用化するんだとか。

次世代モバイル通信"5G"とは?【第1回】 なぜWi-Fi並みの低電力で10Gbpsの超高速通信を目指すのか

まさに、現在の人類の流れは、そっちの方に流れている。


それを・・人間の技術の進歩、文明の進歩はすごい!・・・と賞賛する人もいるけど、

それは、一方方向だけの進歩(?)に思えてならない。



●昨今世界中で頻繁に起こる地震・火山噴火
最近では、「環太平洋火山帯ではない場所」で地震が多く発生してきている。

●シンクホール・・・2018年に入ってからは世界同時多発シンクホールも起こっている


こちらは、バチカンの近くで起こったシンクホール
       ↓
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https://indeep.jp/why-giant-sinkholes-all-over-the-world-february-2018/

●世界規模での動物の大量死も止まらない。

アルゼンチンのコルドバで7200万匹にのぼるミツバチたちの「突然の大量死」が発生。現時点で原因は不明

もちろん、日本でも・・

相次ぐ鳥の大量死/埼玉県

イワシ 寒さにギョッ 大量死
ギョッtって言ってるくらいだから、このライターさんは、危機感よりも、面白ニュースとしてみてるんだろうなあ。


鳥類、魚類、哺乳類・・あらゆる大量死の報告があるが・・最近では珍しくもないため、ローカルニュースにちょっと載るくらいだ。


いずれも、こういったすべての原因はわかっていない。

不明、研究中・・・とされている。

それも、もう、何年も前から。。。

海水の温度の変化、地磁気、太陽フレアーまで・・いろいろな説だけは、あるにはあるけど・・。

ちっとも解明されていないのだ。



個々の野生動物の行動学に至っては、いまだに、わかっていないことが多い。

それどころか、これだけのペットブームを作り上げたというのに、飼いネコの行動ですら判明していないことだってある!

トイレハイ現象・・ネコによっては、トイレの後(特に大の後)、テンションマックスな行動をする。

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http://nekotp.com/9766

ぴゅうーーと走り回ったり、ガシガシとカーテンに登ったり・・するのだ。

トイレの後、砂かけをしないネコほど多い現象だとか。(←まさにウチのネコ)


こんなことすら、原因不明なのだ。


もっとも・・そんな研究をしたって・・どう考えてもカネにはならないだろう(笑)

研究費だって支給されそうもないし・・


そうなのだ。

そこなのだ。

流れから外れたものは、無視されることになる。


研究するなら、

ITやらIoT関連
新薬開発
バイオテクノロジー

に限るそうだ。。。

うーーん、どうみても、政府や軍事関連が喜びそうなものばかり(笑)



だからこそ、研究費を支給してくれるんだろうし・・

だからこそ、ますます一方方向の流れが出来上がる。



たしかに、文明の進歩はすごい!

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高エネルギーレーザー地域防衛システム(HELLADS)
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昆虫とMEMS(機械部品)のハイブリッド
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未来の戦争を変える10の兵器とテクノロジーより




そういえば・・これもバイオテクノロジー分野になるんだろうけど、こんなものもあったなあ。

四角いスイカ
     ↓
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http://biotechview.blogspot.com/2010/03/square-watermelons-its-true.html

目先が変わっていて興味をひくし、箱詰めしやすいので海外の金持ち連中も注文してるんだとか。
ただし・・味は落ちるとか・・

海外からも注目の「四角スイカ」…実は食べてもおいしくない!?

いったい何のために? (笑)


文明はいったい、どこに向かっている?

進歩?・・かなり偏った方向だけじゃないのかい?(笑)



日本は新薬開発分野には目覚ましいものがあるとか。



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しかし、自然の恩恵ともいえるべき、を違法として引っこ抜き、別方向へ妄進してるような気がしてならない。

新しい抗生物質まを出せば出すほど・・薬が効かない耐性菌が登場してくる。

まさにイタチごっこ。

麻については、以前にブログ記事にしたときに、いろいろと調べたことがある。

過去記事

ヘンプシードから植物のパワーを考える

大麻草の近代史をみる

ネコとドライブして、マリファナを考える。




私個人的には、新薬開発よりも、まずは、こっちの方向ではないかと思っているのだが・・
       ↓
「どんな病気でも、必ず治療できる方法は存在する。それは自然の中からみつかる。
自然の摂理の中で、もしも新しい病気が出れば、必ず、それを治療できる薬草もみつかるものだ。」


身近にあるものを無視して、一方方向のみに進んでも、決して解決法なんてない気がしてしまうのだ。



麻には環境修復作用があり、放射能を除染することができる・・とも聞いた。

放射能汚染から土地を回復させることも可能なんだとか?

しかし・・そんな研究は遅々として進まない。

流れが別に向いているから。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

結局のところ、この流れを変えるのは、人々の意識しかない。

そうはいっても、ギリギリのところで生きている人々は、流れの中で身動きもできないだろう。
(たとえば、シリアの戦乱の中で難民となっている人たち、明日の糧のために仕事を探してる人々などにはムリな話だ)

しかし、少しでも財力や権力を持ってるような人たちから、流れを変えることは可能なのだ。


そして、

百匹目の猿現象が起これば、世界の流れは変わるはず。


少なくとも、こんな渋滞の中で、当然のように車を運転していることが当たり前・・だとは思いたくない。

また、すべての人たちに、これが当たり前だとは思って欲しくない。

人々の意識が変わらなければ、なーんも変わらないのだから。

魯山人のエピソードと密教

ふと、思い出した魯山人のエピソードがあります。
*北大路魯山人・・篆刻家・画家・陶芸家・書道家・漆芸家・料理家など、なんでもアリの人

ずーーと昔、私がまだ日本にいた頃、陶芸教室に通っていた事がありました。



これは、その頃、陶芸の先生から聞いた魯山人の話。

右:魯山人(71歳のとき)、左:パブロ・ピカソ
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魯山人の本より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ある日、友人の紹介で人が来た。 客は、わたしをつかまえてさっそく質問を発した。

「先生、料理の根本義についておきかせください」

 そこで、わたしは言下に答えた。

「食うために作ることだ」

 客は物足りぬ顔をしながらまたきいた。

「食うために作ることですか、先生。そんなら、なんのために食うのですか」

「そりゃ生きるためにだ」

「なんのために生きるのですか」

「死ぬためにだ」

「まるで先生、禅問答のようですね」

 わたしは笑いながらいった。
「君がむずかしいことを聞くからだ。料理の根本義について……なんぞいい出すからだよ。もっと、あたりまえの言葉できけばいいではないか。むずかしい言葉を使わぬと、本当のことや、立派なことがきけないと思うているとみえるね」

 客はあわてていった。
「いえ、決して……。では、あたりまえの言葉で伺ったら、先生は本当のことを教えてくださいますか」

「うむ、あたりまえの言葉で聞いたら、あたりまえのことをいってやるよ」

 客は、ここでもまたあわてていった。
「あたりまえのことなら、伺いたくないのです。先生、本当のことをききたいのです」

「あたりまえのことが、一番本当のことだよ。
君は、本当のものを見ないから見まちがうのだ。耳は、本当のことをききたがらない。
舌は本当の味を一つも知らないから、ごまかされるのだ。
手は、あたりまえのことをしないから、庖丁で怪我けがをするのだ」

「分ったようで、分りません」

「そうだ、なかなか、あたりまえのことは分りにくいものだ。いや、分ろうとしないのだよ。ハハハ……。
いろいろききたければ、わたしが、近々本を出すから、それを読んでくれるといい。それには、あたりまえのことしか書いてないが、多分、君の聞きたいことがみんな書いてあると思うよ」

「そうですか、ぜひ、読ませていただきます」

 客は帰りぎわに、なにか書いてくれといった。玄関へかけるのだという。
そこでわたしは、さっそく客のいう通りに、色紙をとりあげ、筆をもった。

「玄関へかけるのですから」

 客は、念を押して頼んだ。

 そこでわたしは「玄関」と書いて渡した。

「先生、玄関と書いてくださったのですか」

「そうだ」

 客は、まだなにかいいたそうであったが、なにもいわずに帰って行った。


 玄関であっても玄関でないような玄関もある。さっきの客も、入り口だか、便所だか、靴脱ぎだか、物置だか分らぬような玄関を作ったのかもしれない。

そうでなかったら、あんなこねまわした質問をするはずがない。

さっきの客も、また、その客を訪ねて行く客も、間違わぬようにと思って、わたしは親切に玄関と書いてあげた。

昭和28年、魯山人の言葉から。


尋常一様より

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は、特に魯山人ファンというわけでもないんだけど・・このエピソードは、なぜか好きでしたね~。


言葉か~。

たしかに、始めに言葉ありき ・・・なんだけど、

いつしか言葉の洪水に飲み込まれて、言葉に惑わされてしまって、どんどん神髄から遠くへ行っちゃうことも多いような気がします。

とくに・・知識人と言われる人たち(笑)

この、魯山人さんのウチにやってきた、客人のように。

*知識人・・・学歴あり、知識豊富、多くの言葉を知ってる人たち、また、自分でもそう自覚してる人たち


とくに、インタビュアーというのは、相手にインタビューしてるつもりで、自分自身まで曝け出すことになっちゃうものですね~。
本人は、それすら気がつかないものですが・・。


・・・・・・・・・・・・・・

密教ってご存知でしょうか?

密教とひとことで言っても・・昨今では新興宗教も含めてさまざまな宗派もあるので、誤解があるといけないので・・

ここでは、西安の青龍寺恵果和尚(けいか / えか)の正当な伝承者の伝えたもの・・・ってことで限定しましょう。


ここ、青龍寺
   ↓
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ちなみに、そのメンバーは、「伝持の八祖」と呼ばれるそうで・・

龍猛( りゅうみょう)
龍智(りゅうち)
金剛智(こんごうち)
不空(ふくう)
善無畏(ぜんむい)
一行(いちぎょう)
恵果(けいか)
空海(くうかい)



なんだそうです。

そう、日本ではあの空海が祖となっている、真言宗になるわけですね~。


その、密教の方から聞いた「お釈迦様エピソード」がこちらです。 
     ↓

ある時、お釈迦様が弟子の前で花を一輪手に取って、それを眺めていた。

ただ、それだけのこと。

ある弟子は、お釈迦様のそんな様子に気を留めることもしない。

また、ある弟子は、なぜお釈迦様が花に関心を示しているんだろう?と思う。

一人の弟子だけは、それを見て、はっ!とする。・・・そして悟りを得てしまった。



これこそ、以心伝心という、もともとは仏教用語だったそうです。

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「心をもって心に伝える」という。


この密教の奥義として、

ただ、心から心に伝えることが大切であり、
文章によって伝えることのみを貴いとはしない。




というのがあります。

要するに、真の仏教は、このように書物や文字では伝えられないものがあるんですよ~と。



それ以前の仏教、つまり・・空海が唐の青龍寺で密教を学んでくる以前は、顕教(けんぎょう)と呼ばれていました。

顕教(けんぎょう)というのは、別に宗派のことをいうわけじゃないです。
ただの、分類するだけの呼び方です。

顕教(けんぎょう)・・言葉や文献で説かれた教え

密教・・以心伝心で伝えるもの



という分類です。

以前の仏教は、書物を読んで研究したり、また、偉いお坊さんたちが、せっせと相手にお説法することで説いてきた教えだったのです。


もちろん、それも素晴らしいことだったんでしょうが・・・次第に、そこには落とし穴も生まれてくるわけで・・

たぶん、多くを学んだ人々の中には、「頭でっかち」になっちゃった人も増えてきたんでしょうね~。


そこで、それまでの時流を反省するかのように、


顕教は極論すれば書物でも学べる教えであるが、書物のみで学べるものの中には本当の真理はない、という立場をとったのが密教でした。


これ、現代風にもっと簡単に言っちゃえば・・

本で勉強したり講義を聞いたりしても、わからん人には、わからんよ~。
感性も使ってキャッチしろよ~。


ってことかもしれません(笑)


ところで・・感性って言葉も曖昧ですけどね~。
直感、直観、霊感、第六感、なんでもいいんですけど・・感官を媒介として受入れる精神の認識能力なんて説明がありました。


Heart Communication


なるほど・・・。

「一生懸命努力してきた、知識人と呼ばれる人こそ、どんどん神髄から遠くへ行っちゃう」のも、わかる気がします。

別にこういったことは、宗教やら精神世界のことだけじゃないと思います。

科学、数学、あらゆる分野でも、また、日常の中でも、言えることだろうな~と思います。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それでもやっぱり・・・とくに精神世界のことは言葉だけで伝えることは難しいでしょうね。


言葉だけが独り歩きして、誤解されたり、曲解されたり・・

あらゆる宗教でも、そういった側面はありますね。


密教は、神秘主義的、象徴主義的な教義が中心で信者だけで非公開な教団内で修行を行なうもの、それ以外、仏教を体得できない。 だから、出家しなさい・・・とか(笑)・・(実際に、これは・・オウム真理教で言われたことだったとか・・)



始めに言葉ありき・・・

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それは・・言葉から音質を感じ取ることとと似てるかもしれません。

音質が無い言葉には、言霊も宿らないでしょうから。

マドモワゼル・パラディーと医療の話がシンクロしたような日

オーストリアのバーバラ・アルバート(Barbara Albert,)監督作品で、「マドモワゼル・パラディ」という、実話がもとになっている作品の紹介をみていて・・なんとなく興味がそそられた。

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https://witcraft.at/film-productions/mademoiselle-paradis/

もちろん、まだ、この映画見たわけではない!


おおまかなあらすじはこんなものだ。
      ↓

1777年のウィーンに、2歳の頃から徐々に視力を失った18歳の全盲の女性ピアニストがいた。
マリア・テレジア フォン・パラディス・・・彼女の超絶技巧は、社交界で注目される存在だった。

彼女は、「動物磁気」による治療で有名なドクター、フランツ・アントン・メスメルによって視力を一時的に回復したが、それと共に、ピアノの腕前が落ちてしまったという。

そして彼女は治療を断念する。



映画評によれば、バロック後期のウィーンのサロンを華麗に再現していて、主役のマリア・テレジア役はルーマニアの女優で、迫真の素晴らしい演技だそうだ。

実際のところ、ちょこっと調べてみた限りでは、

マリア・テレジアはピアニストであり、作曲も行い、驚異的な記憶力と、聴力、音感を持つ人物でもあり、ピアノ曲のみならず、コンチェルトや宗教曲の膨大なレパートリーを持っていたという。。


なぜ、治療を断念してしまったのか?

実際のところはわかりようもないし・・また、この映画の描かれ方すらも、まだ見てないんだから、わかるはずもない(笑)


「全盲の超絶技巧を持つピアニスト」というセールスポイントを失いたくなかったのか?

本当に、目が見えだしたことで、ピアノがうまく弾けなくなるというジレンマに悩んだのか?

それとも、

治療をきっかけに、「アーティストとしての別の境地」を知ってしまったんだろうか?
若いピアニストの多くは超絶技巧に走りがちなものだから・・そこから成長していくんだろうか?

Mozart - Figaro Hochzeit Duett - Preview



実際、楽器演奏をするときは、楽譜は目で追うくらいのものでしかない。

それが、練習段階ならば、楽譜と首っ引きで、ここをどのように弾こうか? どうしたものか? と試行錯誤しつつ自分の演奏を作り上げていったりするんだけど・・


それが完成して、すっかり暗譜してしまえば楽譜は不要になる。

なまじっか楽譜を目の前に置いてあると、視覚が邪魔して、聴覚や触覚といった感度の精度が下がってしまう。

少なくとも・・私の場合は、そうだった。

そのせいか、リサイタルで楽譜を見ながら演奏する人は、ほとんどいないんじゃないだろうか?


それと、

「知覚器官の一部にハンディを持つ人は、それを補うかのように他の知覚が鋭くなることが多い」・・こともよく知られた事実だ。

私の身近な例では、ウチのネコなんだけど・・生まれつき耳が聴こえない。

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欠陥を持つ不具者であり、標準とはいえないネコだけど・・・

犬にも劣らないような嗅覚を発揮するし、体で察知する振動で何かを識別することができるらしい。

私の車のエンジンの「音」・・ではない、おそらく・・車の「振動」を体で感じるらしく、それで飼い主の帰宅がわかるらしいのだ(笑)


そうゆう生き物を身近に見ていると、

人のみならず、動物すべてが、「ハンディを補うため他の部分に鋭い知覚が与えられる」に違いない、と、思えてならない。



マリア・テレジアもまた、かなり優れた能力を発揮していたことは想像できる。



さらに言えば・・

この映画の中のキイポイント人物は、マリア・テレジアだけではない気がする。

医者である、フランツ・アントン・メスメルも重要な役割を与えられているのかもしれない。

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むろん、実在の人物で、彼はドイツの医師であり、有名な音楽家たち、ハイドン、グリュック、モーツアルトなどの庇護活動もしていた人だった。

日本語版のWikiにも載っているくらいだ。


なぜ、彼が有名になったのか?というと、

メスメルは、「動物磁気」理論というものを立ち上げた人物でもあり、体に流れる磁気に注目し治療を施す方法を取ったことにあったという。


具体的には、体の中に電位差を作って流れを促し病気を治すことを試みていたようだ。

最初は鉄分を服用させた後で体に磁石をあてるという方法を使っていたようだが、やがて、手をそっとかざしたり、触れたりするだけで治療するようになったという。


いわゆる東洋の気功とも類似点は多いし、また、催眠術療法の先駆者とも云われた人でもある。


メスメルは、医者免許を持つれっきとした医者だったし、彼自身もまた、自分の治療法を「科学」として捉えていたのだろうけど・・次第に、世間からはオカルトとされ、追放されてしまったそうだ。


もちろん、今でもこの方は、立派に(?)オカルト分野にカテゴライズされているドクターだ。



それでも、当時のサロンの著名人たち、とくに、ロマン派を代表するような・・、バルザック、ユゴー、ネルヴァル、ジョルジュ・サンドたち・・には、大きな影響を与えていたという。

真実多くの心身治療に効果があったことは確かなようだし・・だからこそ、有名にもなれたのだろうし・・

マリア・テレジアの目が一時的に視力が回復したこともまた、紛れもない事実だったわけだし・・

そして、今回映画にもなってるわけだから。

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この映画は、ピアニストのマリア・テレジア、医術を通じて、ドクターのメスメル、・・・そこらへんをモチーフとしているのかもしれない。

・・・・・・・・・・・・・・・・

ちょうど、そんな事に思いめぐらせていたとき、日本に住む母から電話があった。


しかも、今回の母の話のテーマは「医者について」だった。

最近、こういいったシンクロが実に多い(笑)



ここからは、実に現実的な、つまらない話になる。


「まあ、聞いてよ!
私ね、きのう、医者に行ってきたんだけどね・・ほら、腎臓の検査の結果が出るからって言われていたでしょ?」


と、母が話し出す。


前回の通院時で、母は腎臓が悪いと言われ、極力塩分を控えなさい!と言われたらしい。
さもなければ、次の検査の結果次第では人工透析をしなければならないとまで・・脅かされていたらしい。


これは、2か月くらい前に遡る。、

母は医者の言いつけを守ろうと、極力塩分を取らない食事を続けた結果、食欲までも失った。

ほとんど何も食べられなくなり、毎日ベッドの中にいることが多くなっていった。


電話すると、いつも力ない声で・・「ああ、私も年だからね~、もう、お迎えが来てもいい時期なのよね~!」などと、ほやきが増えていくばかりで、マトモな話はほとんどできなくなっていった。


それって年のせいじゃなくって、食べる気力を失って食べてないせいだろーが!

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私にはそう思えた(笑)


そこで、

「もう、塩分を気にするのは止めちゃえば! そもそも、昔から好んで塩辛いものを食べる人じゃないんだから!
どうせ、年でお迎えが近いんだったら、好きなものを美味しく食べて死ぬのと・・今の状態で死ぬのと、どっちを取る?」


と、二者択一を母に迫ったところ・・

彼女は、あっさり、医者のアドバイスを捨てた。



さらに、以前は9種類の薬を処方箋してもらい飲み続けていたらしいが・・自己判断で3種類しか飲まないことにしたという。

これもまた・・私がブチ切れて、母に暴言を吐いたことがきっかけになったようだ。


当時の母は、とにかく愚痴が多かった。。。

電話のたびに、母の愚痴→「私は体があちこち悪くて~、もうダメ~!」というのを延々と聞かされたんでは、たまったもんじゃない!


心優しい娘なら、年老いた母親の愚痴を黙って聞いてあげることこそが、親孝行なのかもしれないけど・・
私は、心優しい娘ではないし、そんな者になろうとも思わない。(←非情な娘)


「薬の飲みすぎなんじゃないの!
自分でどこか悪いと思ったときだけ、その薬だけを飲めば? そんで、ちょっとでも良くなったと思ったら飲まない!
薬や医者だけに頼る前に、まず自分で判断しなさいよ!
もう、そんな話で電話してこないで!」



と、冷たく言い放ったものだ。

たぶん、母は私に冷たい言葉に、あ! そのとおりかも!と思ったに違いない。


意地っ張りな母は、決して私の言葉に従ったとは言わないけど・・

「私はね、医者の言うことよりも、自分で判断する人間なのよ!」と、今では他人に偉そうに言っているらしい。

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まあ、些細なことは目をつぶろう。

昔も今も、我が家では、常に、彼女が法だったのだから。



結果として、母はメチャメチャ、元気になった。

頻繁に起こっていた立ち眩みがなくなり、ひどかった足のむくみも消えてしまったそうだ。


以前は近所の買い物で、外に出るだけでも不安になり、いつか自分は外出先で倒れるかもしれないという恐怖があったという。

そのため、緊急連絡先を書いたカードを常に携帯していたそうだ。


が、今は、

「あーら、そんなもの、今は持ってないわよ。 あんな紙、どっかに行っちゃたしね~」と平然と言い放つ。

紙?・・じゃなくって、緊急カードだろ!と、突っ込んだところで、仕方ない。。。


そもそも、あの人は・・(←母のこと)、どこか悪くなると極端に悪化していくし、どこか良くなるとあっと言う間に回復してしまうような人なのだ。

こうゆうのは、幼児かペットにありがちな症状らしい。




さて、今回、医者に行ってきたという母の話に戻ろう。

「きのう、医者が言うにはね・・腎臓の話も塩分の話も、なーんも言わないのよ。
それでね、今度は、野菜や糖分も控えなさいですって。
もう、バカバカしくなっちゃったわ!
で、また・・・山のように薬をくれてね・・・(笑)、ばっかじゃないの!」



自分で医者に行くくせに、相手に対して、ばっかじゃんないの!・・・は、ちと酷いんじゃないかい!とも思うけど・・

やれやれ・・。


それでも・・確かに、医者の言うことも道理が通らん気がする。
百歩譲って、無知な老人相手では、こうゆうアドバイスしかないんだろうか?・・・でもなあ~、と思う。


「私が、野菜や果物が好きだって言ったから、今度はわざと、そんなことを言ったのかしら?」と、母が言う。



まさか、そんなことはあるまい。

・・いちおう、ドクターなんだし、なんらかのデータ結果を見て、母にアドバイスをしているんだろう。

それでも、・・やっぱり、どこか、的がずれてる感は否めない(笑)



日本では、とくに老人ともなれば10種類以上の薬を何年も飲み続けている人が多いという。

同時に、必ずといっていいほど、医者通いをしている人がほとんどだという。


おそらく、日本ではこれが常識なんだろうけど、「外国人からみた、日本のここがヘン!」にでもピックされそうなネタだ、と思う(笑)



その背景には・・こんな状況があるらしい。


●正常値主義

とにかく、検診、検査、そしてデータがすべてという傾向が強い昨今。

その結果、「平均をはずれていること=病気」とされて、すぐに、早期発見となって、治療が開始されてしまう。

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本来、人は年齢によっても、身長体重、育った環境、食べ物など、さまざまなことによって、個々に違うはずなのだ。

それを加味して結論を出さず、データの平均値のみで「正常」「異常」なんて、決められるものなんだろうか?

私の知人で、体温が平均より高めの人がいて・・すぐに解熱剤を出されることが多かったという。
しかし、その人にとっては37度の体温でも、いたって健康だったし、むしろ、薬を飲むことで具合が悪くなっていたことが多かったと聞いたこともあった。



「正常な値」と、薬を使うことで「正常な値」にしたってことでは、体に与える意味が根本的に違うと思うのだが・・・。



そして、もう一つの問題は、

●専門分化主義

昔は内科、外科程度にしか分けられていなかったはずだけど・・

今では、呼吸器科、内分泌科、消化器内科、循環器内科などと、臓器別の診療科が進んでしまってる。


もちろん、専門分野を極めてくれるドクターがいることは良いことなんだろうが、

その反面、専門外分野は、どうしてもお粗末になることは否めない・・という現象が起こってくる。


しかも、人間の体というものは、すべてが影響し合っていることがほとんどだ。



あるドクターによれば、お医者さん向けのマニュアル本というのが、多く出されているという。

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そこには、それぞれの病気による、「標準治療」が紹介されていて、もちろん、それぞれの専門分野の先生が執筆している。

その本に従えば、「標準治療の多くの場合は2-3種類の薬を飲ませればいい」ことになっているという。
たしかに、それが一番、標準的な方法でもあり、無難な方法なんだとか。


なるほど。

ということは・・4つくらいの病気を抱えている老人だったら、当然10種類以上の薬を飲むハメになるのもうなずける(笑)



しかし、こういったマニュアル本にも問題点がある。

他の病気が合併していることは、ほとんど考慮に入れて書かれていない。

他の薬を飲んでいる場合、この処方をどうすべきか、などは書かれていない。




ここらへんは、まさに食品添加物の問題とも共通してる気がする。
合法化されて、無害とされた添加物が、他の何種類と一緒に使用された場合、どういった結果を引き起こすかは研究されていないという話を聞いたことがある。






最近の医者は、やたらに薬ばかりを出すだけで儲けしか考えない!なんてことを言う人もいるけど、どうも、根本原因は、そういったことではなさそうだ。


薬で儲かるとしたら、そりゃ、製薬会社の方だろうし・・むしろ、マニュアルに忠実に従おうとする、マジメな医者だからこそ、薬を出してしまうのかもしれないのだ。


そうも考えられる。。。


つまり、医学生の教育自体に根本的な問題があるんじゃないだろうか?

ふと、そんなことを考えた。


分化し過ぎて専門家し過ぎてしまったために、他の臓器との関連性と紐づけできなくなってしまっていること、

標準値こそが正常とする考え方。


こういった考え方は・・医者の世界だけでなく、すべての現在社会に共通してるのではないだろうか?



そして、この考え方は18世紀のメスメルとも真逆な方向の考え方だ。

体全体を重視した考え方 Vs. 一部だけに特化した考え方



なるほど・・それが、オカルト扱いされるのか(笑)



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

せっかく映画のことを考えていたのに、母の電話ですっかり現実に引き戻されてしまった。


しかし・・今、

この時代に、こんな作品の映画が登場するというのも、それもまた意味のあることなのかもしれない。




ところで、こんな・・いかにもヨーロッパ好みのこんな作品は、果たして日本で上映されるんだろうか?



<<参考>>

モーツァルトとメスマー博士②史実から見たモーツァルトとメスマの親交

医学かオカルトか

薬の大量処方で医者が儲かるという「大ウソ」 薬が減らないのには2つの原因があった

「本能」という言葉、そして野生ライオン

先ほど、ちょっとカフェでコーヒーブレイクをしていたら・・・日本語が飛び込んできた。

私の後ろの席にいる男女の会話らしい(←むろん、日本人)

男1: 「ほら、アイツってさ、頑固だからさ。 そこらへんのとこ、わかってやってよ。」

女:「ふーん・・・あんた、頑固ってどうゆう意味の頑固を言ってるの?
★stubborn
★hard‐headed
★ obstinate
★ dogged
★ persistent
★ adamant

どの意味の頑固よ?」


ひえええ?

さすが・・アメリカにいる女はすごい!


しかも・・彼女、ずいぶん単語も知ってる人だなあ。


ちょっと解説すると、頑固といっても、英語の単語はこれだけある。

stubborn・・・揺ぎ無い、強情な、確固とした、
hard‐headed・・文字通り、頭が固くて融通が利かないような頑固さ
obstinate・・・固執(こしゅう)する、片意地な、
dogged・・・屈しない、根気のある、
persistent・・・粘り強い、根気強い
perverse・・・非を認めない、強情な
adamant・・・強い信念や固い決心に基づく、非妥協的な態度


いや、もっとあると思う。

ボキャブラリーの少ない私には浮かんでこないけど・・。

つまり、「頑固」というのは、ポジティブな意味でもネガティブな意味でも使われるという言葉なのだ。

しかし、

日本語で「頑固」としてしまうと・・ただのひとことで終わってしまい、なーんとなく、ポジティブな意味もネガティブな意味も含んでるような曖昧にしてしまい、相手を、ほわーんとなーんとなく、納得させてしまうことも多いのかもしれない。

たぶん、彼女の頭の中は英語感覚になっているのかもしれない。


さて、相手の男は、絶句してしまったようだ。(笑)

男1:「いや、その・・ま、一般的なstubbornって、カンジつっか・・・。」


男2: 「いやいや~、ま、そんなことは・・。 つまりさあ、浮気ってのは男の本能でもあるんだからさ、そこんとこは理解してあげて欲しいんだよね?」


あ、男が二人いたんだ~。

で、助け舟を出したつもりらしい(笑)


なーるほど・・・
ようやく、私にも見えてきた。

この女の子のカレシが浮気をした。
それを仲裁しようと・・・二人の男が彼女を説得しているらしい。




私は、なんだか・・こんなおばさん心境になって聞き耳を立てていた(笑)
      ↓
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さて、彼女は・・次にどう答えるんだろうか?

彼女は、大きなため息をついて、それから、言った。


女:「あんたらみたいなバカが友人なら、アイツも相当なバカ男だったってことね~。それを見抜けなかった私もバカだけど・・・。
アイツに言っといて・・私は喜んでバイバイしたいから、今さら謝る必要はないって。
んじゃ!」


彼女は立ち上がった。

そのまま・・出て行ってしまった。。。

「なんだ、アイツ~、性格悪いよな!」
「うん、ちっとも可愛げが無いよな~。」

と、残された男どもが囁いていた。


まあ、こういった男たちから見れば、そりゃあ~、「可愛げが無く」って、「性格が悪い」ってことになるんだろう。

つまり、男二人は彼女に完敗なのだ(笑)


「可愛げが無い」
「性格が悪い」

ってのも・・実に日本的な曖昧な言葉かもしれないけど・・(笑)


なーんとなく思ったことだけど・・

彼女は本心では、上手に説得してもらって、カレシとの縁を取り持つことを願っていたのかもしれない。

あえて、生意気なフリをして、英語の頑固の意味を尋ねて、突っ込みを入れただけかもしれない。


そこで、もうちょっと賢い男が彼女の説得役になってくれて・・・

「頑固って言葉はさ・・それだけ色々な意味を含んでるってことだよ。ネガティブでもポジティブな意味もね。
人もまた、同じなんじゃないかな~。
たった1つの出来事だけで決めつけることもまた、hard‐headedかもしれないよ。」


なーんてね。。。(笑)


残念ながら・・確かに、この男たちは、おバカ過ぎたかも。(笑)


「浮気は男の本能」ってのには、私ものけぞってしまった。。。

彼女はあきれ果てて・・それに対する反論する気さえ失ってしまったんだろう。


・・・・・・・・・・・・

本能ってなんだろう?


そもそも、本能なんて言葉は、すでに、社会学や心理学分野では死語になってしまっている。

「本能とは、ある種の全ての個体に見られる複雑な行動パターンで、生まれつき持っているもので変更がきかない、遺伝的性質に基づき、習得的な影響を受けない行動」と定義されたもの。

生まれたての赤ちゃんが、おっぱいに吸いつくのは、原始反射と呼ばれて反射反応だと言われている。
そうゆうことでさえ、本能とは呼ばれていないのだ。



以前は、「動物は本能のままに生きてる」などと、言われることも多かった。


私は、昔から野生動物に関心があって、以前からビデオや本をみたり、アフリカまでサファリツアーに出かけたこともあった。

そのおかげで、色々と野生動物についても、ずいぶん学ぶことができたように思う。


・・・・・・・・・・・・・・・・・

たとえば、野生動物のライオン

ライオンは、プライドと呼ばれる群れを作って暮らす動物。

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プライドとは、だいたい1~4頭の大人のオスと4~6頭の大人のメス、その子どもたちから構成されている。


狩りと子育てをするのは、メスライオンの役目。

オスライオンは、ふだんはゴロゴロしてるだけでなーんもしないくせに、メスライオンが持ってきてくれたゴハンを真っ先に食べる。

女・子供たちは、男どものゴハンが終わるまで待たされるし・・しかも、小さな獲物だったら、もう、何も残ってないことにもなる。


ライオン男ってのは・・

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子供の頃、私はこーんなイメージを持っていた(笑)

しかし・・

そこには、ちゃんーんと理由があるのだ。


●狩りにはメスの方が適している。

メスは体が小型なので俊敏に動けるため、狩りに向いているのだ。

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ただし・・大物を倒すときだけは、オスが参加することもある。


ライオンの狩りの方法はご存じだろうか?

獲物を追いかけていって引き倒す → 首に噛みついて窒息死させる

ところが、大物のバッファローだったりすると・・メスの体重では、なかなか引き倒せないのだ。

そこで、大きなオスが、上に乗っかって引き倒す役目を引き受けるため、狩りに参加することがある。


●オスの主なお役目

進んで狩りはしないものの、大事なお役目は、用心棒なのだ。

自分のテリトリー内に侵入してきた、他のプライドのライオンや放浪ライオンと真っ先に戦って、自分のプライドを守る役目がある。


もしも・・その戦いに負けてしまえば、すべての子供ライオンが殺されてしまう。

そして、自分は怪我で死ぬか、または、プライドを追い出されて放浪ライオンになるしかなくなってしまう。



そもそも、オスライオンは、

●2歳くらいで、プライドを追い出されてしまう。 

この子たち、まだ若い!たてがみが生えそろってないし~。  たぶん、プライドから独立したばかりの兄弟なんだろう。
     ↓
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今までに覚えたハンティング技術を使って、さらに多くを学びながら、しばらくは放浪ライオンとして生きていかなければならないのだ。

兄弟が一人もいない子は、自分一人で生き行くか、また、同じような境遇のライオンと出会ってチームを組むしかないのだ。

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充分経験を積んで、4-5歳に成長した頃になると、


●プライドのオス・ライオンに戦いを挑む

負ければ死ぬか、または、放浪の旅。

勝てば、ようやく、メスライオンたちに迎えられる・・・ところが、その前にメス・ライオンの猛攻撃を受ける可能性も大なのだ。

ライオンのオスは、別のプライドのオスライオンの子供を殺すから。


なぜなら、子供がいる限りメスライオンは発情しない。 → したがって、自分たちのプライドを作るためには、子殺しをしなければならないってことになる。


当然、メスライオンたちは子供を守ろうと猛攻撃をしかけてくることにもあるだろう。



ここまでの事をすべてクリアーして初めて、自分たちのプライドを率いることができるようになる。


しかし、この後は守る側に転じなければならない。


どんなに強くて賢いオスライオンであったとしても、老いていけば、いつかは、若い放浪ライオンにとって代わられるだろう。


年老いた放浪ライオンの待っている先にあるのは、飢え死にか、ハイエナあたりに襲われて死ぬか・・自然界の選択は2つの選択肢しかない。


ハイエナという動物は、とにかく数が多いし、群れをなしてやってくる。

ライオン、ヒョウなどと違って体は小さいし狩りも下手くそだけど、決して侮れない、怖~い敵なのだ。


1対1では勝てても、数で来られればたまったものじゃない。

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獰猛な性格と強靭なアゴと並外れた持久力も持ってる動物でもある。

☆ライオンが走れる距離は、せいぜい70メートルなのに対して、ハイエナは3キロも疾走できる。

☆ライオンが獲物を倒し窒息死させてから食べるのに対して、ハイエナは後ろから襲い掛かりながら、生きたまま肉を食いちぎっていく。



でも、これこそが体の小さな肉食獣に与えられた天からのギフトなんだろう。



今度は、ライオンのメスを見てみよう。

プライドから追い出されることのないメスたちだけど・・


主なお仕事は、狩りと子育て


リーダー格の狩り名人のメスが、若いメスたちに狩りを教え、チームワークや役割を教え込む場合も多いという。


赤ちゃんを産むときは、ひっそりと一人藪の中に入って出産し、しばらくの間、プライドに戻らずに自力で育てる。


赤ちゃんたちが自由に歩けるようになるまでの間は、母ライオン一人の仕事となる。

子供を藪の中に隠したまま、一人で狩りをして、また戻って授乳して・・を繰り返すことになるんだけど・・


●子供は当然狙われる

他の肉食獣、チーター、ヒョウ、ハイエナ、ジャッカルなどは、当然のように狙ってくる。

そこで、経験を積んだ賢い母親ほど、彼らの目を上手に欺く方法を考える。

見つかりにくい最適な藪を探したり、しかも、場所替えして敵の目をくらませたり、頻繁に引っ越しを繰り返すこともある。

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それにしても、引っ越しは大変だ! 

一匹ずつ口に加えて数キロの距離を何往復することもある。

以前、みたビデオの中に、お!ここなら、まず、肉食獣にはみつからないだろう! と思われる場所を母親がみつけて、それから、狩りに出て帰ったとき、子供たちすべてが、ニシキヘビに丸のみされていたのがあった。

殺し屋はどこに潜んでいるかわからないのだ。。。


●子供が殺されたときのリアクション

子供が殺されてしまったときの、母ライオンのリアクションはさまざまだ。


痛々しいほどの嘆き悲しみ方で、遠吠えする母ライオンもいるし・・割と諦めが早いタイプもいる。

また、相手に、復讐のためだけに戦いを仕掛けた母ライオンもいた。

実にそれぞれなのだ。

オス・ライオンに殺されそうになるときも、猛然と立ち向かう母もいれば、ま、仕方ないか~と、諦めの早いタイプもいる。

まったく、個々に違うのだ。


●子供を間引きすることもある。

発育が悪い子供、または怪我を負ってしまった子供・・・この子は、もうダメだろう!と判断した場合、母は間引きすることがある。

おっぱいを与えず育児放棄したり、大怪我を負ってしまった子供を自ら殺すこともある。(←たぶん、安楽死かも)


こうゆうのを見ると、残酷だ~と思ってしまいがちだが・・


彼らは常にギリギリの命がけの生活をしていることを忘れてはいけない。


動物は残酷だ!と言う前に・・・我々の生活の中にも、昔、寒村では子殺し、間引き、姥捨ての風習があったことを忘れてはいけないと、思うのだ。



ある子供ライオンを撮影したビデオにこんなのがあった。

未熟児の子ライオンで、しかも性格は臆病で内気、兄弟たちについていけない子がいた。
その子は、歩けるようになっても足は遅く置いてきぼりになってしまった。

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運よく、母のいるプライドをみつけて合流したものの、それ以来、母親はおっぱいを与えなくなってしまった。

お荷物になるだけだと判断されたのだろう。

誰からも拒否され脱水症状を起こし、足にも怪我を負い、マトモに歩けなくなった子ライオンは・・見るのも痛々しかった。

ところが、その子ライオンは決して諦めないのだ。

どんなにヨロヨロでも、群れが移動するときは、必ず立ち上がって、びっこを引きながらついていく。

いつしか、遅れてついてくる子ライオンを兄弟ライオンたちが、振り返って待つようになる。

すると、育児放棄したはずの、母ライオンも待つのだ。

そしてついに、また、おっぱいを与えられるようになった。




これは何を意味するんだろうか?

もともとの性格も内気で発育は遅れてたし、ドンくさいし、迷子になるわ怪我をするわだし・・


通常であれば、間引きされてしまっていたライオンの子。


しかし・・この子のネバーギブアップ精神は、恐ろしく強いものがあった。

フツウだったら、脱水症状で痛む足を引きずりながら、起き上がることさえ辛いだろう。

母にも兄弟にも見放された心のショックも、大きいだろう。

こういったケースでは、ほとんどの子ライオンは、じっとうずくまったまま立ち上がろうともしなくなる。


しかし、この子は何度でも立ち上がったのだ。

立ち上がれる体力を持っていたということではないだろう。

「強い精神力」のみで立ち上がっていたようだ。


子供といえども、実にそれぞれなんだ!


その強靭なる精神力に、母ライオンも兄弟たちも、感動し、感銘を受けてしまったということだろうか?

強靭な精神力を見せつけて、母や兄弟たちに自分を「認めさせてしまった」んだろうか?





従来言われ続けてきた、動物の本能とはなんだろう?

人間といったいどこが違うんだろう?




ライオンビデオをいくつも見ているうちに、さらに、さまざまな事に気がついた。

例外もかなり多いということ



「通常はプライド内のメスグループが狩りをして、オスを養い、子供は2歳になると放浪ライオンとなって二度と群れには戻れない」

・・これはライオン界の常識となっているのだが・・・・そういったことですら、場所と条件によって違うケースもある。


例えば、ツァボのライオン

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ツァボは、気温は40度にも上ることがあり、赤土だらけで草木も少ない土地なのだ。

そこに住む、ライオンには興味深い特徴がある。

◆木陰をみつけると、木の根元の土を掘り返してそこに座る・・・(←暑さ対策のため、直射日光に当たっていない土はひんやりするのだ。)

◆オスにはたてがみが無い。 (ちょっとライオンぽくないけど・・)

     ↓ 
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あまりの暑さのためにたてがみがなくなる形で進化してしまったようだ。(気温40度でふさふさ襟巻はキツイだろうから。)


◆一頭だけで個別に狩りをする。 もちろん、オスライオンも狩りをする

*雨が少ないため草は少なく木が多いため、チームプレイができないのだ。

ライオンの狩りは、それぞれのポジションにつき、仲間の動きを見て図りながら、チームプレイで狩りをする。
ところが、木が多いため相手の動きが見えないことが多い。

*大型の草食動物も少ないため、むしろ1頭でする狩りが向いている


◆バッファローの大群がやってきたときだけ、チームプレーをする。

大型動物であるバッファローは、一頭だけで倒すのは難しい危険動物だ。

この鋭い角と蹄でライオンが殺されることも多い。
       ↓
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しかも、なかなか引きずり倒すことが難しいため、そこで、大きなオスライオンの体重が必要となる。


それだけじゃない。

放浪ライオンとなった子供ライオンたちも、このときだけは戻ってきて、全員でハンティングチームに加わるという。

通常のライオン社会では、絶対タブーとされるルールなのだが・・。



このように、常識はずれなことも、かなり多いのだ。


ライオンたちは、その地域で最も効率的で適した生き方をするために、経験の中から多くを学び行動を進化させていったのではないだろうか?

強い意識、行動力が、体までも変化させるのかもしれない。(この地域だけ、たてがみが無くなるわけだから。)




進化していくということは適応していくこと。

適応とは、強く望む意思力や意識が、日々の行動を通じて、体までも変化していくこと・・なのかもしれない。



強い意識や意思こそが、現状・状況を変えていく・・・ふと、そんなことを思った。



セレンゲッティーの乾ききった土地に住むライオンは、雨が降るとお互いの体についた水滴ですら、舐め合って吸収しようとするそうだ。

これは、ここの地のライオンにしか見られない行動だといわれている。



こういったことのすべてに渡って・・・本能という言葉では片づけれれない。


彼らは考え、学習し、日々学んでいる。


狩りの方法も、チームの役割も、捕獲動物の種類によって変えたり、状況に応じて様々に変えたりするし・・・。



あるリーダー格のメスライオンは、自分が獲った獲物を他のチームメイトに与えたまま、自分は食べずにすぐに次の獲物を探しにいった例もある。

本能として「食べる」ことがインプットされているならば、自分が獲った獲物は真っ先に自分が食べるはずだ。


しかし・・・彼女は先を読んでいるのだ。

そして、全員を養う方法を考えているのだ。


こんな小さな獲物では全員の分には足りない。

今のチャンスを逃さず、他の獲物も今のうちに狩っておいた方が得策だ。

と。


生き残る方法は、「知性」と「すぐれた体力・運動能力」 しかない。

それでも、病には勝てないけど・・。


また、個別に、それぞれ性格も能力も、まったく違うのだ。

これは、メスのヒョウの話だったけど・・何度も隣の縄張りのオス・ヒョウに子供を殺された母ヒョウは、次の発情期には、自分の縄張りのオスと隣の縄張りのオスと、同時期に交尾をしたという例がある(笑)

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どっちのオスにも子供を2度と殺させないぞ!という決意だったのかも。



簡単に子供を間引きする母親も入れば、なかなかしない母もいる。

人間に育てられて野生に戻された後でさえ、何年ぶりに、その人と再開すれば子猫のように甘えてくるヤツもいるし・・・

自宅の檻で大切に育てられていたライオンだったはずなのに、飼い主を襲った例もある。

野生ライオンのメスが、はぐれてしまったヒョウの子の育児をしてしまったり、

恰好の獲物であるはずの、子ぎつねや小鹿を守ることもある。



DNAに種族保存のみがインプットされているならば、彼らの行動に無駄があってはいけないのだ。

しかし、知れば知るほど・・・

彼らにも、愛や憎しみといった感情、学習能力、強い意思力があり、・・・ちっとも人間と変わらない気がしてしまうのだ。



もちろん、これはライオンだけの話ではない。
他の動物にも多くみられる。

多くの野生動物の行動学は、いまだに解明されてないことが、まだまだ実に多い。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それにしても・・・

もっとも、愚かな動物は・・・やっぱり、人間かもしれない。

米国人による“趣味の狩猟”で大量の動物が犠牲に 年間12万6000頭を超える動物が殺され、米国に持ち込まれた

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彼らのほとんどは、地位の高いお金持ち連中だが・・・(趣味のハンティングなんて金持ちしかできないからね~)


彼らの天地創造の神によると、

この世の支配構造は神―→人間―→自然(動物―→植物―→無生物)のタテ社会、というのがご託宣らしい。


ありがたいことに、人間は、神様が自然(動物―→植物―→無生物)を与えてくださってるんだから、好きにしていい!と・・・いまだに思い込んでいるに違いない。



ジンバブエ、ワンゲ国立公園で、人気者だったライオンのセシルが、アメリカ人歯科医の「趣味のハンティング」で射殺されてしまった事件があった。

殺されたライオン「セシル」が愛された理由

なぜか、彼らは仕留めた獲物を誇示するためか、常にこういった写真をアップしたがる。

で、ずいぶんネット上でも非難されていたけど・・
     ↓
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え? そんな有名なライオンだとは知らなかったわけだし・・法には触れてないし、なーんも知らされてなかったんだから・・仕方ないじゃん!
と、言ったとか。。。


愚か過ぎる~。

どんなに社会的地位があろうとも、金持ちだろうとも・・・。


「浮気は、男の本能なんだからさ、仕方ないじゃん!」と、
本能の意味すら知らずに、言ってしまう男たちと、ちっとも変わらない気がする。

中国政府から宗教を考えてみた

In Deepさんのブログ記事をみてたら、たまたま中国に関する記事が載っていた。

このサイトは、いつも海外のニュースを・・それもあんまりメジャーに報道されていないニュースなどをみつけて翻訳して紹介してくれているので、なかなか興味深いものがある。


未来世紀チャイナが作り出す中国式デストピア : 人々はシミュレーションゲームのような「変動するポイント制度」による信用システムの中で生きていく

いよいよ中国で実行される人工降雨のための「人類史上最大の気象コントロール・プロジェクト」は日本の、そして地球の気候にどんな影響を与え得るか



やれやれ、中国はこっちの方向に行ってしうまうのか~。

こういったことがあると、つい我々は「中国人ってのは・・」というような見方をしてしまいがちだけど・・

こういったカテゴリー化した見方はあまりいい気分がしない・・・・

そこで、中国政府の進む方向は?・・・と言っておくことにする。




そういえば、多くの中国人の精神性は、いったいどこにあるんだろうか?

そういえば、中国の宗教って?
 

国教が定められている国もあるわけだし、定められてないにしても、インドネシアやパキスタンだったらムスリムが多いわけで、それは、大なり小なり精神性の基盤が政治や経済にも大きな影響を及ぼすのは確かなことだろう。


と、思って調べてみたら、

アメリカのあるサイトでは、最も宗教を持たない国のトップが中国になっていた。(ちなみに日本は2番目だっけど・・)


日本のサイトでは、こんなことが書かれているものもあった。

中国人の信じる宗教は「金」「中国共産党」がほとんど。
だから、彼らは道徳心が無い人なのだ!

(←あー、こうなると、まさに誹謗中傷が前面に出てるカンジだなあ。)


確かに、中国は文化大革命の後、四書五経などの古い書物は焼き捨てられてしまったそうだから、その後の新人類は、そんなものは、ほとんど知らないという。(むしろ日本の方がメジャーらしい。)


だからといって、中国人は宗教の信心が無い=精神性が未熟=道徳心が無いというのは、多分に偏見を含んでる気がする。


精神性が未熟=道徳心が無い人なんて、日本人だって欧米人だって、どこにでもいるわけだし・・たまたま、そういった中国人を身近で目にしただけかもしれない。


そもそも、中国は60くらいの民族があるわけだし、おそらく彼らには彼らなりの民族宗教や土着信仰がある可能性は高い。

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大多数を占める漢民族にしたって、ひょっとしたら目に見えない宗教弾圧があって公言できないのかもしれないし・・。


そもそも、宗教って何?

なんらかの宗教団体のメンバー登録されてれば信者とされるのかもしれないけど・・
それは、高い精神性を持つこととは、また別物だろうし(笑)

とくに、宗教に関するデータほど、信ぴょう性は低そうだ。


そう言いながら、参考までに、世界の宗教の割合もアップしておこう。
     ↓
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これを見ると、いまだに世界を占める割合は、キリスト教が多いけどイスラム教の数もかなり迫ってきてることになる。

続いてヒンズー教、その次が仏教で、その数は世界レベルで見れば少ないことがわかる。


こんな記事もある。
    ↓
急増するイスラム教徒、40年後にキリスト教に並ぶ 米調査機関


キリスト教とひとことで言ったところで、プロテスタントもカトリックもあるわけだし、さらにもっと分類されてるし・・
また、地域によっても内容はかなり違いがある。

日本人が知っている仏教だって「日本仏教」に過ぎないのと同じことだ。


同様にイスラム教といったところで、大きく分ければスンニ派とシーア派だけど、さらに地域によっても違いは大きいという。


結局のところ・・宗教データなんて、あんまり当てにならないし~、

根本的に、宗教と精神性とはまた、別物なんだよな~。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

などと、思っていたところに、メールが届いた。

どうやって除霊する?・・・・このブログ記事を見た人からのメールらしい。

「霊能者さんたちは、それぞれの宗教を使って除霊しているとのことですが、日本の新興宗教の一つで、そこの教団では多く霊能者さんを抱えています。
そういった教団の霊能者さんは、強いパワーを持っているということでしょうか? それとも偽霊能者なんでしょうか?」


ざっと要約すると、こんな質問メールだった。。。


やれやれ~😥


ま、いちおう回答していこう。

まず、「霊能者さんたちはそれぞれの宗教を使って除霊している」・・・??

私、そんな事、書いたっけ?


ま、いいか~。


たとえ、自分では何らかの宗教を信じている霊能者さんであっても、常にニュートラルな立ち位置は必要不可欠、と私は思っている。


たとえば、皆さんご存知の安倍晴明を例にしてみよう。

彼は、なんらかの宗教信者だったか?

答えはNOだ。

彼は、政府機関の陰陽寮に所属していた公務員に過ぎない。

しかし、膨大な知識を持っていたことは確かだ。

ジャンルにこだわらず、山岳信仰の修験道やら、古代中国からも学び、さらに空海が持ち帰った経典も学んだそうだし、独自に天文分野にも興味を持って研究をしていたような人だ。

むしろ、学者に近かった人じゃないだろうか?
学者+魔術師を志していたのかも?



彼が、霊能力を発揮するときは、自分のパワーを高めるために、今まで学んだ中の、呪文だったりお経、祝詞などを、
ツールとして使ったに過ぎないと、思っている。




さて、その新興宗教がどういったものかも知らない私は、なんとも答えようがないんだけど・・・

詳しいメールによると、そこの宗教団体では霊能者さんを育成する部署?があるらしく、長年そこで修行を積んで学んだ人しか霊能者になれないそうなのだ。


それならば、少なくとも霊能力は持ってるだろうし・・まったくのインチキ霊能者ではないように思う。(←大変失礼な言い方で申し訳ない)

現在起こっている何かの問題を言い当ててくれたり、今後のビジョンを見る能力もあるのだろう。

そうでなければ・・教団のイメージダウンになっちゃうだろうから。

それとも、霊能力以上にカウンセラーとしての能力や、トーク技術が優れているのかもしれない。


しかし、そういったことよりも・・

その教団の目的がどこにあるのか?・・・おそらく、それに尽きるはず。



別にこれは新興宗教に限った話じゃないけど・・小さな宗教グループがだんだん大きな団体になっていくにつれて・・

「いかにして教団を維持していくか?」という問題に突き当たることになる。

組織だったものを作らなければならなくもなり、そうなれば、当然のようにヒエラルキーも生まれてくる。


維持していくためには、カネ集め&信者集めが一番の重要事項となるのは必定。


そのためには、まず・・ビジュアルも必要ってことになるらしい(笑)
     ↓
【画像】凄すぎる...ド派手・巨大な宗教施設


私は日本に住んでいた頃、東京杉並区に住んでいたんだけど、車で走ると・・遠目にもこんな建物がどーんと見えてきたことがあって、最初みたときは、びっくりだった。

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この財力源がすごいことはわかるけど・・

で、巨大建築物を作っちゃうのか~!

この財力を他に使えなかったんだろうか?


ビジネスとしてみれば、宗教団体は他企業と比べて、税金も大幅免除だし、商品開発のコストも仕入れも研究費もないのだから、そりゃあ~利幅は大きいだろう。


しかも、多くの宗教団体では、「ご奉仕」として、多くの信者にボランティアで施設内のお掃除することを促すとか。

「ご奉仕」は、自分の修行でもあり徳を積む行為になるんだとか・・・。


たしかにそうかもしれない。。。


だけど・・もしも私だったら・・もともと立派な教団建物を掃除する「ご奉仕」より、

ホームレスの人たちに、暖かい食べ物を配って歩くとか、捨てられたペットたちを助けるとか・・

さらに、私が教団幹部だったら・・

ホームレス救済の施設&就職斡旋所を作るとか、ペットの殺傷処分反対運動を起こすとか・・・そっちの方をお勧めすると思う(笑)

「ご奉仕」するなら、明日の命に係わるような人(または動物)から救うべきだと思うのだが・・。

そんなことじゃ、教団幹部にはなれるはずもないだろうけど。



ついつい、豪華な宗教施設の建物やら、デーンと飾られた教祖様の銅像や写真などを目にするだけで・・私は、引いてしまうのだ。

だからといって、熱心な信者に異を唱えるつもりはない。

もちろん、ビジネス目的の宗教団体があったところで、別に私は反対する気もない。

信者が、そこに生きがいや幸せを見いだせるならば、それに越したことはないんだから。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

もっとも豪華な宗教施設といえば、ここだろう。

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そう、バチカンだ!

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これほど贅を尽くした建物はないだろうし、バチカン博物館の倉庫には、まだまだ多くの宝物がいまだに保管されているという。

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立派な旧教施設を建設する新興宗教団体は、目指せ!バチカン! なんだろうか。(笑)


過去、どんな宗教も政治に利用されてきたことは、すでに歴史上の事実でもあるし・・

小さな宗教団体でも人数が増えれば増えるほど、維持するための資金源確保が必要となり、力を持てば持つほど、カルトに走る可能性も出てくる。

それは、多くの歴史をみても明白。


何世紀も経てきたバチカンは、たしかに美の結晶でもあると同時に、過去の黒い歴史の結晶ということも忘れてはいけない気がする。


カトリックというならば、私にとっての正統派はこっちなのだ(笑)
      ↓
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アッシジのフランチェスコ (St. Francis of Assisi)


これは、フランチェスコの半生を描いた映画で、かなり有名になった。
   ↓




もちろん、何かの宗教団体に所属することもいいだろう。
尊敬する師をみつけて、教えを仰ぐこともいいだろう。

それが、新たな学びになるならば。

しかし、信奉することは、時に自己放棄と依存にも繋がってしまうことも多い。

そうなると、カルト集団になってしまってることさえ、気がつかないことだって起こりえる。
かつてのオウムがそうだったように・・・。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

宗教に関していえば・・・私は、何の宗教だって構わないと思っている。


結果的に、赦しと寛容、自然すべてと共生、リスペクトに向かうのなら、新興宗教だろうが、既存宗教だろうが、民族宗教でもなんでもいい。

常に、ニュートラルな精神性を持ち、歴史の過ちに学び、反省と修正を重ねる宗教であるならば。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、これを持って、このメールを送ってくれた人への私の回答としたい。


もっと簡単に言えば・・

そこの霊能者さんが強いパワーを持っているのか偽霊能者なのか?・・・・それは、自分の観察眼と直感を使って、自分で判断すべきことであって、私に聞くべきことではない・・ということだ(笑)



ずいぶん、冷たい回答だろうか?

それならば、もう、ひとこと。(笑)


私に聞く前に、質問者は自分で判断するパワーを持っているし・・すでに、自ら答えを出ている。




だったら・・なんで、私に聞く?

自分の直感に従うことに躊躇する必要はないのに~!

と、私は言いたい(笑)

Facebook情報漏洩問題から、あらためて思うこと

「もうFacebookのアカウント削除しようかな?」と言ってる人がいた。

むろん、こういった情報漏洩ニュースを見たからだ。
   ↓
FB、トランプ陣営側のアカウント停止 5000万人の情報漏えいか 3/18

Facebook files leak: What we know about the social network's secret rulebook


いまさら何を(笑)・・・・と、私は思ってしまう。


Facebookについて今さら説明する必要もないだろうし、そんなことは誰でも知ってることだろうけど・・

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しかし、ここでちょっと思い出してみると・・


たしかカリフォルニアで2004年に創立されて、学生たちを中心に爆発的に広がっていったSNSだった。

私はLAに住んでるせいもあってか、ほとんど周囲の人たちはその当時からFBアカウントを持ってたし、多く利用していたという記憶がある。

その頃・・日本ではMIXYというのが流行ってたんじゃなかったかな?


その後、FBは2012年には世界中に10億人のユーザーを持つ世界最大のSNSになり、

いまやFBアカウントは子供から大人まで持つようになり、多くの企業もマーケティングの為には、Facebookアカウンティングは必須といわれているのが現状。

持ってない企業は、時代遅れといわれるくらいだから。



正直なところ、私はSNSなんて使いたくもないし、持ちたくもない。

実にうっとおしいことが多かったから。



そうはいいながら・・やっぱりアカウントだけは今でも持っている。(持っていないと不便なことが多いのだ。)


FBに限らず、LINEも同様だ。

とくに、LINEは、会社の連絡事項までLINEを使用する以上、スマホにダウンロードして置かなきゃならない。

また、日本への国際電話にも、使わざるを得ない。

結局、使いたくないと思ったところで・・世間の波に逆行して生きることは難しい。

そんなことを考えると・・好むと好まざると問わず、誰もが持たなきゃならない状況に追い込まれる

ってことらしい。


都会を離れた場所で生活ができればいいのだが・・。

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出来ることなら、田舎暮らしをして、コンピューターライズされてない車を持ち、スマホも持たず、銀行口座も持たず、
唯一の手作りのパソコンで、OSはLINAX・・・なーんて生活ができればいいんだけどな~。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そういえば、

エドワード・スノーデンさんは、もうず~っと前に警告していた。

スノーデンの警告「Dropboxは捨てろ」「FacebookとGoogleには近づくな」
https://www.huffingtonpost.jp/techcrunch-japan/snowden_b_5980606.html


しかし、Windows10に切り替えた時点で、もう、どうしようもないのかもしれない。


旧バージョンのときから、「Windows10」にバージョンアップさせようとするポップアップがさんざん登場していたし、

そこで、嫌~なカンジの意図を感じて、絶対やらないもんね~と頑張っていたものの・・

パソコンが壊れてしまえば仕方がない。

買いに行くと、すでにもう、旧バージョンが販売されてないんだから。。。


このようにして、自由な選択肢が無い時代になっていく。



仕方なく、WINDOWS10にした後も・・

こうゆうサイトをいくつもみて、
    ↓
情報ダダ漏れ!?Windows 10のプライバシー設定の概要と変更する方法

色々とやってみたものの・・

Webカメラからはダダ漏れ、スマホからもダダ漏れ・・今私がどこにいるか?といった現在位置までもわかっちゃう時代なんだからねえ(笑)

情報ゲットしようとする意志の前には、なすすべもない。


今に始まったことではないんだけど、もう、かなり前から個人情報は、詳細なところまで摘まれているのだ。

戸籍情報だけじゃなく、その人の詳細な好みや生活パターンまでもが!

オンライン上に残る支払い履歴をデータに入れれば、生活パターンの解析は簡単に出来てしまうだろう。

それどころか、病歴に預金までがダダ漏れ・・事実、調べようと思えば簡単にわかってしまう。



日本では、マイナンバーと預貯金口座も、すでにリンクされてるんだろうか?



たま~に、「私はどんな個人情報を知られたところで、ぜーんぜん困ることないし秘密にする必要もないから平気~」
と、のんきにおっしゃる方々もいる。

きっと、玄関に鍵をかけないような地域で育ち、世の中、そうそう悪い人なんていないと信じこんでる人なのかもしれない。(笑)

そうゆう問題じゃないんだけどね~(笑)


とくに、こうゆう人たちは・・大義名分を掲げられれば、素直に信じてくれる人たちなのだとか。


WINDOWS10では、「デバイスにより変わるインターフェイス、どんなデバイスでもつながる、使える」

マイナンバーは、個人の特定が容易になり、各種手続きが従来よりスムーズになる。




大義名分のメリットの部分だけを与えられると、そこで思考停止させてしまって、デメリットを無視してしまう人たちが増えているそうだ。


もしも、そんな中で一人だけ・・

おい! ちょっと待った! 問題は別にあるんだ! ・・と声を大にして発言する人が現れると、

即座によってたかって弾劾されて瞬殺! 

国民が複数でよってたかって一人を弾圧すること、それを別名バッシングともいうけど・・

バッシング、ネット炎上



現代はすっかり・・そうゆう風潮になってきている気がする。
たぶん、インターネットが普及してきた頃からだったかなあ。


民主主義社会といいながら、自由のない国になりつつある・・ような気がする。


これじゃあ、かつて、政府批判をしただけで投獄されたシンガポールやキューバも真っ青かも(笑・・あ、シンガポールは今でもかな?)



それを秘密警察ではなく、国民がよってたかって一人を弾圧してくれるんだから、陰の黒幕は上手にインターネット上で扇動すればいいだけ? なのかな(笑)



なぜ、こんな風潮になってしまったのかはわからない。

ただ、こういったことに、インターネットが一役買ってることだけは事実だろう。


強い善悪意識を持ち正義感で弾圧する・・・しかし、裏を返せば、ただの腹いせだったり・・

集団で行うことは、ただの、集団イジメに過ぎなかったりする。



集団で国家権力に立ち向かうならばまだしも・・・最近は、一個人ばかりを攻撃する傾向が強いような・・・。

なんか、嫌な風潮だよなあ~。



そうなってくると・・多くの人たちは、無意識にもイジメに合わないように、自己防衛をすることになる。


社会通念を敏感にキャッチして、

個人が好きなものよりも、「今、流行っているもの」を優先し、

個人の価値観よりも、「現代の風潮」を自分の価値観とすり替えてしまう。



そして、全体となって・・いったいどこへ向かうというのだろう?



これはすでに、洗脳なのかもしれない(笑)



こんなニュースがあったけど・・
        ↓
【衝撃】アメリカ政府は「リリー波」を使って国民を遠隔洗脳していた! ディスプレイを通して脳の水分子を操作、感情・記憶を改変!

もっとも、これに似たようなニュースもずいぶん以前からあった。


人々はこうやって、インターネットを使うことによって、何かに、管理されていくのだろうか。


たとえば、中国政府のように・・

中国、全ての市民をポイント制評価へ

人々をポイント制にして、ランキングしちゃう?

これって、ファシズム?


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
話は変わって・・・


去年、ロンドンで面白いニュースがあった。

The Shed at Dulwhich(ダリッジの小屋)というレストランの話。

http://gigazine.net/news/20180126-the-shed-at-dulwhich/


こちらは、Washington Postの英語版の記事
      ↓
https://www.washingtonpost.com/news/food/wp/2017/12/08/it-was-londons-top-rated-restaurant-just-one-problem-it-didnt-exist/?utm_term=.1442a79b2605


新たなレストランを開拓しようと思ったとき、みなさんは何を参考にするだろうか?

私は、もっぱらYelpを使ってるし、たまには自分でレビューを書き込んだりもする。

しかし・・☆の数が多くベタ褒めコメントが多かったとしても、行ってみるとたいしたことないよな~と思うところもあるし、その逆もあったりする。

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これは、Yelpではなく、Trip Adviserの話だが・・ここでロンドンで第一位に輝いたレストランがあったのだが・・

それが、なんと存在しないレストランだった! つまり、すべてがフェイクだったというわけだ。

初めは、ちょっとした、いたずら心から架空のレストランをアップしてみたそうだ。

仕掛け人はこの人
   ↓
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(この話は日本語の記事もいくつかアップされているので、ご存知の方も多いかもしれない。)


料理の写真は、あえて食べられない素材を使って美味しそうに仕上げ、さらにサクラを使ってコメントもアップロード。



それが、どんどん人気になり、ついにロンドンで一番になってしまった。

●予約がなかなかとれない人気店
●ユニークなレストラン
●小さくてアットホーム


人は、こういったコンセプトに弱いものだ。

特に都会人にとっては、田舎風、納屋、小屋、自然に囲まれてるところ、アットホームな雰囲気は、粋でおしゃれに通ずるようだ。

それを、まさに上手に演出したレストランだった。(←何度も言うようだけど、フェイクだったんだけどね~)

このお遊びの総仕上げに、一夜だけお客さんを入れたそうだ。


急遽自分の家の裏庭にテーブルと椅子をセットして・・

料理は、近所のスーパーで買えるようなレトルト製品やらカップスープばかり。

なので、マイクロウェーブでチン!で出来てしまう。

その上に、もっともらしい飾りつけはしたようだけどね(笑)

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そして・・お客さんたちの反応は・・・

長く待ったかいがあった! すばらしい。
とっても懐かしい味で、ぜひ、また来たい!

実に好評だったそうだ。

最終的にこのレストランは、本人が・・「あれは、フェイクなんだよ~!」とTVで公表して終わりにしちゃったそうだ。


人々は情報にどれだけ騙されるか?という実験結果としてみると、実に面白い。

しかも、フェイクレストランのわけで・・誰も実際には食べたことがないのに・・・レートがロンドンで一番の最高点まで挙がってしまうってどーゆうこと?(笑)


いくら、彼の友人たちがサクラとなって、フェイクコメントを載せてたとしても・・それはないだろ!

でも、あったのだ! これが現実だったのだ。


散々またされて、ロンドンで一番人気の素晴らしい店と思い込んでしまったお客は、百円程度のレトルト食品を食べさせられてもわからない。。。

素晴らしい味!と思い込んでしまうようだ(笑)


しかも、多くの人が支持すればするほど、それは大きな渦となって一人歩きしてますます大きくなっていく。

もしも冷静な舌を持つ人がいて、「これってレトルト食品の味っぽくない?」なんて言うものなら、

「オマエってやつは・・味覚音痴かい!」ってみんなに馬鹿にされて、もしも日本だったら、バッシングの対象にされちゃうのかもしれない。


多数にやり込められると、本当は正しい舌を持っていた人でさえ「たぶん自分が間違ってたんだろうなあ、みんながそう言うんだから。」と自分を疑い出すかもしれない。

そうして、ますます大きな渦となって呑み込んでいく。

これがインターネットの側面でもある。



もちろん良い面も悪い面もあるわけだけど・・・どちらにしても大きな渦を作りやすい。


このフェイクレストランのおかげで、ネット社会の側面が、見事に暴かれた気がする。


ちなみに、当日のお客さんから御代は頂いていないそうだ・・取材が入るので特別無料ってことにしたらしい。

(客はイギリス人と観光で来たアメリカ人だったらしいが・・レトルト食品とカップスープに騙されちゃうのは、もともと食事の質にこだわらない国民性のせいかもしれない。。
彼らが一番気にする店は、お店の雰囲気と従業員がフレンドリーかのようだから(笑)


どうやって除霊する?

さて、前回のブログ、
もしもあなたが霊能者だったとしたら?アンタッチャブルに立ち向かう?からの続き。


きょうは、

どうやって、霊能者さんたちは除霊するのか?

そこらへんのことを見ていきたいと思う。


ただし・・除霊なので、霊障のある人から霊を取り除くだけ。
または自分自身に寄って来たときの対処法。


前回にも言ったように、これは霊が納得して成仏していってくれるわけではないから、一時的な措置に過ぎないんだけどね~。

それでも、無理やりにでも、引っ剥がさなきゃならないときもある。(←引っ剥がすなんて言葉は、霊に失礼だけど・・)


さて前回、カトリックのエクソシストの話をしたわけだけど・・

カトリックで言われている悪魔の所業とは

①人の心にとりつき精神の病にしてしまう
②人の肉体にとりつき攻撃する
③人の全身全霊につき体の全てをコントロールする
④家や物につくラップ現象



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悪魔がとりつくと、こういったことが起こるといわれる。

悪魔というと、上のタロットカードにもあるような1つの人格と想像しがちだけど・・これは、キリスト教圏での古典的な悪魔のイメージに過ぎない。


赤い目で牙があって、とにかく獣染みていて、人間の獣性を思いっきり打ち出してるもの・・これらの悪魔は、よく、こんなイメージで描かれる。

未だに信心深い田舎の人たちなどは、黒または赤なんて色も不気味に思えるし、ヤギ角や爪、コウモリの羽などをみても、ぎえっ~と、なるそうだ。


もっとも、日本人にとっては、ピンと来ない話だけどね~。

なんで、ヤギの角が怖いん? なんで蝙蝠さんが悪者なん?
動物も人間も生まれ変わると信じていた日本人にとっては、動物も同じ命を持つものという意識の方が強かったのだ。


これは、初期キリスト教社会で、異教徒の神をイメージするように作られたもの、という説ある。


それをいまだに刷り込み状態でひきづってしまってる西洋人は、「悪魔」というひとつの人格をイメージしてしまう人も多いらしい。

しかし、そうではない!


幽霊・悪霊・悪魔・・・これは、全部、肉体を持たない意識体
それも、ネガティブな意識体となっているもの




こちらは、日本人のビジュアル化した幽霊(かなり古典的な幽霊像だけどね~。)

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どこの国のネガティブな意識体でも、共通して、こうゆうことをしようとするのは一緒だ。
     ↓
①人の心にとりつき精神の病にしてしまう
②人の肉体にとりつき攻撃する
③人の全身全霊につき体の全てをコントロールする
④家や物につくラップ現象


そこで、じゃーんと、霊能者さんの出番となる。

もちろん、霊能者さんといっても、カトリックのエクソシスト、仏教のお坊さん、神主さん、ヒーラーなど、呼び方はさまざま。
(ここでは、全部まとめて霊能者と呼ぶことにする)



さて、その前に、幽霊となって出てくるためにも、いくつかの条件があるそうだ。

いくら怨みや悲しみの中で死んだとしても、誰もが幽霊になって出現したり、人に祟ったりできるとは限らない。



ずっと前に、森久美子さんがある番組で、興味深い話をしたことがあった。

友達が亡くなって幽霊となって現れたとき、その友達から、「幽霊になるための条件」を教えてもらったそうだ。

それによれば・・下記のものが必要とのこと。

①霊本人の集中力
②静電気
③受け手
④磁場
⑤蛍光灯や太陽光ではない小さな光




これは以前、アメリカ人のサイキックから聞いていた話とかなり共通する内容だった。
    ↓
「ゴーストとして、ちゃ~んと像を結んで、私たち見えるようにするには、霊の方にパワーがなけりゃダメみたいだよ。
とにかく、強い念とか集中力は必須条件だね。

私たちには、いろいろな霊が見えるけど、中には半透明のものだとか、顔しかないヤツだとか足がないのとか、いろいろなんだよ。
ところが、生身の人間と変わらないように、くっきりはっきりしてるのもいる。 
それは、かなりパワーが強いタイプだろうね。

私たちサイキックが、どうしてそれが見えてしまうのかは、よくわからないんけど・・ある学者に言わせると右脳を使ってビジュアル化して見るそうだよ。 
しかも、他にも色々あって、周波数が合わなきゃ見えないし、土地の磁場も関係する場合があるって話だけどね。」



しかし、そう考えると・・

生きている人に影響を及ぼす霊というのは、相当に強いパワー(念の力とか、集中力など)を持ってるってことになる。


それに対抗しなきゃならない霊能者さんは、もっと強いパワーを持たなきゃならないということだ。

目に見えない意識体同士の戦い。
パワー対パワーの戦い


こちらは、ハリーポッターの戦いのイメージからだけど・・
     ↓
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ある霊能者さんから、「術式を使って除霊するとか」、「術式を使って身を守るとか」

そんな言葉を聞くことがあるんだけど・・・


術式というと、大層なものに聞こえるけど、「自分のパワーをさらにあげてくれるもの」なんだそうだ。

そこのところは霊能者さんによって違う。


●カトリック神父ならば、
    ↓
聖水、十字架、紫のストーラ(神父様の首から垂らす布)、そして聖書の言葉(または祈祷文)

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という色は、日本でも昔、病気になった人が頭に巻いたハチマキにも使われていた色

病鉢巻(やまいはちまき)
病鉢巻は抗炎症・解毒・解熱の薬効があるといわれるムラサキの根で染められています。また、紫色は高貴な色で悪いものを寄せ付けない色と考えらていた。 病鉢巻は薬草と「おまじない」的な効果を狙ったもの



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https://blogs.yahoo.co.jp/tanaka42tamaki52/34711586.html

聖水というのは、もちろん、ただの水ではない。
ルルドの泉のような特別の水を汲んできて使ったり、または、十字架を一晩水につけたり祈祷を唱えたりした水だとか・・・色々な方法があるらしいけど。



●仏教(密教系)によるもの

護摩焚き 
バラモン教の宗教儀礼、ゾロアスター教とも共通する同根の文化じゃないかともいわれている。

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調伏法(ちょうぶくほう)
怨敵(おんてき)・悪魔などを調伏する修法。不動・降三世(ごうざんぜ)・軍荼利(ぐんだり)・金剛夜叉(こんごうやしゃ)明王など忿怒(ふんぬ)の相を表すものを本尊として修する。調法。



●神道系のもの

いわずとしれた、陰陽道なんかは、こちらに入るわけで・・

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返し矢を射るとか、 鳴弦の儀とか、矢を使うもの
護符や呪文を使うもの



これは、九字護身法だけど・・・
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九字切りは、神道だけじゃなくて、仏教系、修験道、道教なんかでも使われていたかな?



●修験道、山岳信仰など

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もちろん、彼らは山の聖なる力をつけるために修行するわけだ。



まだまだ、さまざまなものがあると思うし、また、仏教、神道、修験道、道教だとか・・はっきり区別のできない部分もある。



では海外の悪霊払いの術式で、どんなのがあるかというと・・・(もちろん、カトリック以外の方法で。)

これまた、あまりにも多すぎて、わけわからん。


こういったものは、長年、カトリック教会から、魔法を使う者だとかウイッチクラフトとか言われて、弾圧されてきてしまったので、ちゃんと体系づけられて残っていないそうだ。


その中で、比較的知られているのがこれかな?

●ロマに由来するもの

ロマ、つまり・・ジプシーから伝わる悪霊払いのまじないなどがあるし、彼らは、水晶を使ったり、天然石を使ったり、
精霊を呼び出したり・・

ただし、ロマとひとことで言っても、彼らの起源は、北アフリカとか、北インドとか・・あまりにも多すぎて民族もわからない場合も多い。
ようするに、ヨーロッパ諸国を放浪する人々をこう、総称してたらしい。



そこで、海外の霊能者さんたちの中には、

水晶をはじめとする天然石を使ったり、フランキンセンスなどの香油、お香を使うものなど、さまざま。

あ、魔法陣を使う人もいたっけ。

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いずれにしても、道具にしろ、呪文だろうが、お経だろうが・・なんでもいいのだ。

自分のパワーをアップしてくれるものを使うだけ。


自分のイメージ力をどれだけアップできるかにかかっているのだから。




例えば、レイキはアメリカでは、なかなか知名度があって、気功と似ているヒーリング方法のひとつとして知られている。


レイキとは、臼井甕男(1865年 - 1926年)が始めた臼井霊気療法(臼井靈氣療法)(霊気)が海外で独自に発展・簡略化したもの。「霊気」は臼井甕男(うすい みかお)によって約100年前に日本で誕生し、臼井の弟子・林忠次郎(1879年 - 1940年)から日系アメリカ人ハワヨ・タカタ(1900年 - 1980年)に伝えられ、タカタによってアメリカに伝わり、彼女とその弟子によって「レイキ」として普及した。




両方とも目に見えないエネルギーを使って、患者をヒーリングしてあげるんだけど・・・これはどうも、霊能者さんのしていることと似ているような気もするのだ。


気功の場合は、自分の気を呼吸や動作によって強めていって、それを患者さんの体に、どれだけのエネルギーが必要なのか、どれだけの強さか、また流れや速度、時間までも読み取って、施すそうだ。


レイキの場合は、自分がアンテナとなって、宇宙に遍在するレイキエネルギーを集めて使うという。


霊能者さんの場合は、宇宙に偏在するエネルギーを、自分の出自の宗教や天然石などのグッズから、繋がりやすくしたりして得ているのかも?・・・と思ったのだ。

もちろん、気功のように自分の中のエネルギーを高めて使う場合もあるだろう。


どちらにしても、悪霊に退散するように念じたり、パワーを当てて追い出すイメージをするという。
(もちろん、ここらへんのイメージは人によって違うらしいけど。)


霊が意識体ならば、霊能者さんのパワーも意識体。

より集中力があって、力強い方が勝ることになる。




何を使おうが・・・基本は使う人の意思力にかかっているということだ。

もちろん、霊能者さんの中には、なんの宗教も持たずツールも何も使わないって人もいる。

または、「強いガーディアンエンジェル(守護霊)がついていてくれるから平気なんだ!」などと言ってた人もいた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私たちも、こんな経験はないだろうか?

人の悪口ばかりを毒づいてる人の近くにいただけで、気分が悪くなったり、実際に頭痛がしてきたり。。。

病院にお見舞いにいっただけで、ひどく疲れたり。。。

ネガティブな意識は周囲にも影響を及ぼすそうだ。


もしも、たまたま・・自分にも似たようなネガティブな念があった場合は、それらを引き寄せ、

ますます、自分もどす黒い気持ちに落ちてしまったりすることが多いという。


そんなとき、

あれれ? なーんかヤバイかも!と感じたとき、

深~く深呼吸して、悪いものをすべて吐き出すつもりで息をゆっくりと吐き出す

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それだけでも、実際に吐き出せているそうだ。



目に見えないイメージだけなのに、「実際にそれが起こっていることがほとんど」だという。



霊能者さんも、そうでない人も、

霊障から守るのも除霊するのも、精神的な強さにかかっている、ということだ。

恐怖やネガティブさに負けず、どれだけ自分自身を持ち続けられるか。





「霊に憑かれる人というのは、優しい人って聞いたことがあるよ。
優しいから霊がよってきやすいんだって。」

昔、私はあるサイキックに、こんなことを聞いたことがあった。


「優しい人ってのは、一番厄介なダメ人間を意味するときもあるんだよ。
霊能者は、お客さんが霊障にあってるとき、オマエがダメ人間だから霊が憑いたんだ!とはお客に言えないから・・
だから、優しいからね~って、曖昧に言うことが多いのさ。」(笑)

「え? そーなん?」

「じゃ、優しい人ってどうゆう意味だと思ってるの?」


「相手にシンパシーを感じられる人」

「気の毒な人に同情して、自分の心も悲しくなったり傷ついたりする人だね・・・それでどーするの?
そこから、相手を救うために何か行動するとか活動するとか・・するのかな?」

「うーーむ、それだけで終わる人も多いかも。」

「そうゆうのは、ネガティブが伝染しただけに過ぎない、ただの厄介者というんだよ。
そんなんだったら、むしろ何物も寄せ付けないような鈍感な方がマシだよ。

優しさというのは強さを伴わなきゃ、むしろ悪いものでしかない気がするよ。」



そのときはじめて、優しさには2種類あると気がついた。


子供を守るためならメチャメチャ強くなれる・・母のような優しさ

同情して泣くだけの優しさ




霊は、一緒に泣いてくれて同情してくれそうな人に憑きやすいという。

すると、ネガティブさがダブルになってしまうのかも。
それこそが、霊の企みか?


そうやって悪も霊も蔓延るものかもしれない(笑)


霊に憑かれやすいのは、霊感がある人が多いというのも、確かなことらしいけど・・・

同時に、優しい(弱い)人=ダメ人間 が多いらしいのだ。


誰でも、精神力を強くしなきゃいけないようだ。

「強さこそが優しさ」・・まさに、霊能者さんに教えてもらった言葉だった。

もしもあなたが霊能者だったとしたら?アンタッチャブルに立ち向かう?

Newsweek(アメリカ版)に、カトリック教会、悪霊の急激な増加によりエクソシストの必要性
司教からの警告
というのが載っていたのを目にした。

CATHOLIC CHURCH NEEDS MORE EXORCISTS DUE TO URGENT INCREASE IN DEMONIC ACTIVITY, PRIEST WARNS

これは今にはじまったことではなく、数年前から、エクソシスト急募をしているようだ。

ずっと前の日本語記事でも載ってたくらいだから。
    ↓
エクソシストの不足が深刻化し、ヴァチカンが養成講座を開講

カトリック教会ではエクソシスト(悪魔祓い師)の養成が不足している ー アイルランドの神父の主張


自ら進んでエクソシストを志すなんて・・いまどき、そんな神父さんは稀だろう。


エクソシストというのは、悪霊払いをしてくれる人
手っ取り早く言えば・・日本語で言うところの「霊能者」のことだ。

ただし、カトリックの人たちやヴァチカンからみれば、一般の「異教徒」の霊能者や、シャーマン、ヒーラーなどとは、一緒にはされたくないわけで・・

「ヴァチカン認定の」「正規のもの」でなければならないのだ。

●ウチは金儲けに走る偽霊能者じゃないので・・(基本無料)

●聖水、十字架、紫のストーラ(神父様の首から垂らす布)、そして聖書の言葉を使う




こちらは、ビンチェンツォ・タラボレッリ神父・・ちゃーんと手にしてますね~。
      ↓
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http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-37689107



昨今のカトリックは、アフリカや中南米では今だに根強いものがあるようだけど・・先進国では信者の数も神父の数も減少しつつあるという。

その一方で、エクソシストを望む声は増加しているとか。



日本ではどうなんだろう?

もちろん、エクソシストという概念じゃなくって「霊能者」になるわけだけど・・需要は増えているんだろうか?


非科学的、反スピリチュアル主義を唱える人も多い反面、占い・霊視に頼ろうとする人も激増しているという話も聞いたことがある。

事実、TV番組でも、その手のものは多く、「心霊や占いは常に需要があって手っ取り早く視聴率を稼げる」ことができる、なーんて言ってるTV関係者も多いとか。

●TV番組としては、多くの「怖いもの見たさ」を望む人々を満足させるための企画かもしれないし・・

●個人的に霊能者を頼るのは、自分で決断できない依存型タイプが増えているせいかもしれない。


同時に、

●実際に悪霊(現生にさまよう霊で人に悪影響を及ぼすものたち)となっていく人も、増加しているのかもしれない。
無念の死や恨みや憎しみを持って死んでいく人も多そうだし・・


結局、そういった諸々のことからも、霊能者の需要は増えているのかもしれない。


しかし、どんなに需要があったところで、本物の霊能者(つまり、それなりのパワーを持った霊能者って意味で・・)は、稀な存在だろうし、いくら素質を持っている人がいたところで、「成り手」が少ないのも確かなことだろう。



私の知人は、かなりサイキック能力を持つ人が多いのだが、それでも霊能者を職業にしたいという人は稀だ。


むしろ、一般人には「私は霊感なんてありませんよ~!」という顔をしている人たちばかりだし、
霊にも「私はなーんも見えないフツーの人ですよ~!」という顔をしている人たちばかりだ。




そんな友人の一人に言わせると・・・

「霊能者の職業につくのは、世間からドロップアウトしちゃて他に職業が持てなくなった、どーしようもないヤツか、
天からのお告げを受けちゃって、仕方なく始めた人か・・そのどっちかだね。
ほとんどが、そんな人たちだよ。」


なのだそうだ。。。

おいおい! そこまで言うか~! と思わなくもないけど・・

私は「霊能者100人に聞きました!」のアンケート調査をしたことはないので、そこらへんのことは、よくわからない。


とにかく、これでもか~!っていうくらい、精神力を要求されるきつーい仕事だということは、よーく耳にしているし・・・たしかに、そうだろうな~とは思っている。

だから、成り手も少ないってことになるのだろう。


前回のブログ記事、琉球スピリチュアル_マブイについての中でも触れたことと重複してしまうけど・・


霊能力者の必須条件は、

◆強靭な精神力

まずは、これに尽きる。

「精神力」なんて、実に曖昧なワードだけど・・

具体的に言えば、いかなる恐怖にも打ち勝つ力、意志力、集中力などなど、多くのものが含まれる。

さらに、常識や偏見があれば、判断を間違えることにもなるので、そこも超越しなければならないことも多い。

霊の世界に現代の常識や社会通念なんかは通じないわけだしね~。



精神力=総合的人間力
で、メチャメチャ強くなければならない。

もちろん、体力も必要
(精神力と体力は切っても切れない関係だそうだから。)




ずいぶん昔だけど、私が日本に住んでいた頃、ある霊能者さんと知り合いになり、その人から聞いた話がある。

その人は、もちろん、日本人で女性霊能者さんだった。


どんないきさつだったのか細かい事は忘れてしまったけど・・その霊能者さんは、ある日メチャメチャ強力な霊と接触してしまったそうだ。

とにかく、念が強い!強力なパワーを持ってる、危険人物(←正確にいえば、すでに肉体のある人じゃないけどね・・)


彼女がその霊と会話を試みると、

そいつは、「私はなにがなんでもアイツを、できるだけ苦しめて殺すつもりだ!」と言ってのけたという。


「そんな~、人に苦しめるとか、まして殺すなんていけないことよ!」と、彼女は説得を試みる。

すると、その霊は生前の自分に起きた身の上話を、長々と語りはじめたそうだ。

ある人物に、何十年もの間さんざん苦しめられ、誰にも助けてもらえず、挙句の果てには、自分も子供たちも殺された。

しかも、その人物には法の力も及ばず、巨万の富を築いて、今でものうのうと幸せに暮らしているという。

あんまりじゃないか!
なにがなんでも復讐してやる。
うんと苦しめてじわじわ殺してやる!


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その姿は、不気味な黒目を持つ、こーんなカンジの人だったらしい。


彼女(その霊能者)は、すっかり言葉を失ってしまったという。

霊の身の上話があまりにも凄惨で恐ろしく、同時にあまりにも悲しかったそうだ。


「そうゆう人(霊)に、恨んではいけないとか復讐はいけない!なんて、キレイごとに思えてしまって、私は何も言えなくなってしまった。

だからといって、怨み、復讐は悪いことだし・・まして、人を殺すなんて・・とんでもないこと!
それは、わかってるんだけど、私にはその霊に掛ける言葉がなくなってしまって・・せめて、相手を殺すのは止めて欲しいとお願いしました。」



これを聞いたとき、

え? それでも霊能者かい!

それじゃあ、霊能者というよりも、霊感が強いってだけの女の子だよな~。

と、大変失礼ながら思ってしまったのだ。
女の子といっても・・40代の人だったけどね~(笑)


こうゆう人が、霊能者を続けるのは、むしろ危険じゃないだろうか。



おそらく、この心優しい霊能者さんは、霊を説得して「怨みは憎しみから離れること、殺人計画をストップしてもらうこと」を望んでいたようだが、

あまりにも悲惨な身の上にショックを受けてしまい、言葉を失ってしまったという。

しかし、どんな残虐シーンを見聞きしても、常に冷静に受け止めなきゃならないのが霊能者なのだ。


また、言葉を失ってしまった、もうひとつの理由は、

「怨みや憎しみ、殺人は悪いこと」というのを、世間の常識的範疇で理解しているだけに過ぎない、のだろう。

それは、本当には理解していないということだ。

それじゃあ、地獄の体験をしてしまった霊たちに、かける言葉さえもないはずだ。 説得は出来ない。

優しいだけで霊能者は務まらない。


どっちかというと、
外柔内剛タイプが望ましいそうだ。


たとえば、女性霊能者ならば、見かけも口調も優しい人なんだけど
    ↓
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中身は「海千山千のつわもの」、「剛の者」、実際に戦っても強い!・・でなければ務まらないのだ。
   ↓
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もちろん、年齢は関係ないんだけど、多くの壮絶な体験をしていなければ、なかなか、その領域には至れないものかもしれない。

若くして、すでにそういった条件を備え持っている人は、生まれ変わりの回数も多く、過去性での多くの体験を積んでる・・ともいわれている。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、このケースをもう一度考えてみよう。

依頼主は、極悪非道な男の権力者=殺人者なのだろう。

そして霊となっているのは、被害者であり強い恨みと憎しみを持つ者




こうゆうケースの場合、熟練の霊能者さんたちだったら、どうするんだろう?

と、私は彼らに尋ねたことがある。

    
<<以下、そのときの会話>>

私は霊能者Aと霊能者B、二人に聞いてみた。

霊能者A:
「ああ、そうゆうケース、よくある話しさ。
だいたいね、大実業家だとか大物政治家なんてやつらは、裏でこんなことやってきた奴らは多いんだよ。
そんなヤツ、俺はほうっておくね。
だって、怨みを買って殺されたとしても、そりゃ自業自得だからね!

だから、依頼されても絶対受けないよ。
上手にお断りしちゃうな。」



霊能者B:
「僕の場合は、まず、霊と依頼主の間に入ってお互いを説得することを試みるね。

たとえば・・霊には、こんなふうに説得を試みるんだ。

「いつまでも恨みを持ってさ迷っていてもキミだってつらいだけだろう?
(←実際に霊、本人もそれを感じている場合)
あの男は、今では深く反省して、キミと殺された子供たちのために生涯、償って生きると言っているんだよ。
供えて欲しいものはあるかい?」

とやさしく語り掛ける。

そして、依頼主には、
「あなたの現在の不運と病気は、死んだxxxさんが怒っているせいです。
今までも行いを悔いて深く反省して、生涯、彼らの魂を祀ってあげてください。
さもないと、あなたの命までなくなりかねません。 (←ちょっと脅し・・でも事実)

と、説得するね~。」



私: 
「霊と依頼主の間に入って、ネゴシエーターになるわけか・・・。それで、お互いが納得するわけ?」


霊能者B:「うーん・・・うまくいくときもあるけど、ダメな時もあったな~。」

私: 「ダメな時っていうのは?」

霊能者B:
「ある霊なんか・・『ほんとうに悔いているならば、全財産を世界中に寄付しろ、そして、自分の罪を世間に公表して警察に自首しろ!、それならオマエを許してやる!』って言ってきたんだ。

それを依頼主に伝えたら、ブチ切れた。

『そんなことできるわけないだろ! 誰がそこまでするもんか!』って。

おまけに、今度は俺に向かって・・『そもそも、そんなことのために、高いカネを払ってお前のような霊能者を雇ったんじゃないぞ!
さっさと、その霊を俺の周りから追い出してしまえばいいんだ!』って怒鳴られた。

すると、霊の方も、もっと怒り出して・・俺の邪魔するならオマエも殺してやる!って言いだした。

で、仕方ないから、まず、術式を使って自分の身を守ることにしたけどね~。」



ダメじゃん!


すると、霊能者Aが霊能者Bに向かってこんなことを言った。

霊能者A:
「ばっかだな~、オマエは!
そもそも、依頼主から依頼を受けた時点で、そいつが過去にどんなことをしてきたヤツかくらい、すぐに見なきゃいけないんだよ!
そうすりゃ、そんな甘っちょろい説得に応じるやつかどうかだって見抜けただろ!

それが見抜けなかったのなら、半人前だ!
霊能者なんてやめた方がいいよ!」



霊能者B:
「うん、そーなんだよ~。
これ、俺の若いときの失敗談・・ちゃーんと生きてる依頼者の方を、真っ先に見なかったんだよね~。」



霊能者A:
「へたすりゃ、オマエまで殺されるぞ!
なんせ、依頼者の真っ黒な過去を知っちゃったんだから!」



霊能者B:
「実際やばかったんだ。 自殺にみせかけて俺を殺そうとしたり、破産に追い込もうとしたり・・・色々仕掛けてきたな。
それに、霊の方にまで逆キレされちゃって、俺にまで害を及ぼそうとしてきた。

そいつらから身を守るのに、かなりエネルギーを使っちまったよ。 あはは。。。
まあ、その経験があって、俺も霊能者として成長できたんだけどね~。」



霊能者A:
「まず、依頼を受けた時点で依頼主を見なけりゃいけないんだよ。
それと、霊の方だって、たしかに被害者だし悲惨な目にはあってるだろうけど・・彼の方にも、ある種の問題が含まれてることもあるのさ。

そこまで見極めてなけりゃ、上手に説得なんかできるわけないよ。
それには、両方の過去生まで遡ってみないとわからないことだってあるんだ。

説得するということは、そういったすべてを理解した上で、その人の弱みと泣き所を上手に使って訴えることなんだよ。」


私:
「ん? 弱みと泣き所を利用するわけ?」


霊能者A:
「そういうと言葉は悪いけど・・別の言い方をすれば、弱みと泣き所というのはね、
心の琴線に触れる愛の部分に訴えるってことだよ。」


言葉が急にキレイに輝いた。



霊能者B:
「ところが、生きてる人間でも死んでる霊でも、なかには、ぜーんぜん聞く耳を持たないヤツもいるんだよね。

何がなんでも殺してやる!に固執しちゃって、どんどん巨大化する霊もいるし、自首するくらいなら、全財産を失うくらいなら、死んだ方がマシ!ってヤツもいるんだよ。

そうなると手に負えない。 だから、僕も関わらないことにしたんだ~。」


私:
「おいおい、じゃあ、A君と一緒じゃん!」


霊能者B:
「そうゆうことになるねえ~(笑)、若いときは、僕も甘ちゃんのとこがあって、話せば誰でもきっとわかってくれる・・なーんて思ってたところもあったんだ。
でも、今は、わからずやは放っておくことにしてる。
霊も人間も!」



霊能者A:
「ところが・・俺の知ってる霊能者で、実業家や大物政治家ばかりを顧客に持ってる人もいるよ。
だからさ、依頼主は生霊も死霊もつけていて真っ黒なヤツも多いらしい。

でも、彼は決して彼らからの依頼を断らないんだ。」


注:彼らには悪意や病気といったネガティブなものは黒っぽくみえるらしい。


私: 「え? なんで・・? それって、やばくない?」


霊能者A:
「その場限りのお祓いをするだけだけに徹してるみたいだ。
ようするに、一時的に悪霊を封じ込めるか退散させるだけって方法をとるんだ。

だから、すぐにまた元に戻って憑いてしまうか、追い出された霊は他に行って似たような誰かを祟ることになるんだけどね。」



私: 「それじゃあ、根本的解決にはならないだろうに~。」


霊能者A:
「ぜーんぜん、ならないよ。 でも彼は構わないらしい。
依頼者は、自分の過去をとやかく言われたくないわけだし、黙って払ってくれることだけを望んでるわけだし・・一時しのぎでもいいのさ。
それでいて、その霊能者にはたんまりお金が入るから。」


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霊能者B:
「あ、知ってる!  Cってヤツだろ。 あの人はかなりの術者で力もあるからね~。
それを使って、ただ力まかせに払いまくってる。 祓い屋だね。

だけど・・そうやって無理やり払われた霊はますますネガティブパワーを取り込んでどんどん大きくなってしまうし・・そのうち、きっとCにだって払えなくなってしまう日が来るのも目に見えているのになあ。」



霊能者A:
「いや、アイツだったら、その見極めもちゃんとできてるだろうよ。
その前にしっかり稼いで引退しちゃうつもりだろう。」



ほお! 色々なタイプがいるわけだね~。


霊能者Cは、二人の話を聞く限りでは、なかなかしたたかなヤツのようで好感は持てないけど、こうゆう人も必要なのかもしれない。

そもそも、お祓いビジネスで得た金を何かに使う目的があるのかもしれないし・・
いくら極悪人といえど、見殺しにすることなく結果的に救っていることにもなるわけだし・・・

それが、どうゆう結果をもたらすのかは私にはわからない以上、ジャッジすることはできない。

また、ジャッジする必要もない。

人それぞれなのだ。


私: 
「さっき、ちらっと・・被害者であっても、その人の前世がかかわってる場合がある、みたいな事を言ってたよね?
相手を説得するには、前世まで探った上でなければ・・みたいなこと。」


霊能者A:
「たとえば・・現生では、マジメに生きてる小市民だったとしても、過去生で多くの人を殺してきた殺人者だったケースもあるよ。
過去生で、自分が殺した相手に、現生でお互いが生まれ変わっていて、今度は殺した相手に自分が殺されるってこともね。」


私:
「それは、過去の恨みが消えずに生まれ変わって復讐したってことなんだろうか?」


霊能者A:
「そうゆう単純なことじゃないよ。 バタフライイフェクトのように、いろいろなものが絡み合ってきて、結果として何かが起こるって考えた方がいいね。」

私: 
「ふーん・・・わかったようなわからないような・・
それにしても、過去生まで見るのは大変だろうなあ。」



霊能者B:
「過去生をみるのは、大変だよ!
まず、世界の歴史に精通してなきゃならないし、その時代の風潮、考え方までも掴んでなきゃ見れるもんじゃないよ。


霊能者A;
「僕らは確かに映像が見えるんだけど・・見えるだけなんだよ。
誰も解説してくれないからね~。」


なるほど~!

過去生を専門に見るって人は、相当、世界の歴史にも精通してる人じゃなきゃ務まらないってことらしい。

霊能者B:
「いや、歴史だけじゃないよ! さまざまなビジョンが見えることがあるけど、その解釈が出来なきゃ、どうしようもないからね。」


お! 今、私が心の中で思ったことを読んだのか?


私:
「ところで、霊能者やっていて、一番嬉しいことか、やりがいを感じることって、どうゆうとき?」


ちょっと月並みな質問をしてみた。


霊能者A:
「霊からも、依頼者からも感謝されることだね。」


霊能者B:
「これで思い残すことなく別の次元に行くことができます、ありがとうございましたって言って消えていく霊をみるとき。
そして依頼者からは、とってもすがすがしい気持ちになれました。
新しい自分になれた気がします、ありがとう!なーんて言われたときだね。
自分の気持ちが、ほっこりするんだ。」




さて、まとめてみよう。

●どんなに残酷なシーンや悲惨なシーンをみても、冷静でなければならない

●依頼主と霊の両方の人物、ときには過去生までも見極めなければならない

●過去生をみるには、世界の歴史も把握してなければならない

●説得するには、相手の心の奥底に残っている泣き所(愛の部分)に訴える・・・つまり、それが見出せなければ説得は出来ない。

●説得不可能と思われるものには手を出さない。

●一時的に無理やり除霊する、(祓い屋に徹する場合もある)


一応、こんなところだ。



他にも、私は知人のサイキック連中から、いろいろ聞かされたことがある。

例えば・・多くの不審死や自殺と言われてるものが、ほとんどの場合、他殺だったとか。


元鑑識官だった人が、こんなことを言ってたけど、

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霊能者には、はっきり見えていることが多いようだ。

どんな人が、どのように自殺に見せかけて殺したか、そして、黒幕は誰だったのかまでも・・・。


彼らは、TVニュースを見ただけで・・いきなり、その映像が脳裏に飛び込んでしまうことが多々あるそうだ。

だから、彼らは通常、自分の能力をオフ状態にしておくという。

オンとオフの切り替えスイッチがあって、サイキック能力を使いたいときだけ、オンにするそうだ。

「いつでもオン状態だったら、オチオチ外も歩けないじゃないか~!
人の心の声が聞こえてきたり、嫌な映像が見えてしまったりするんだぞ!

オン・オフの切り替えは、基本中の基本だよ。
それが出来ないのは、霊感が強いタダの人で、しょちゅう体調を壊すだけさ。」



さらに、こんな話も聞いたことがある。

これは・・あるTV番組だったけど、ある霊能者がTVスタッフたちと一緒に、霊の目撃証言が多い廃墟ロケに行ったそうだ。

そこには、確かに女性の霊がいて、その霊能者に語ったという。

「私は自殺したことになってますが、殺されたんです!
殺した相手とは不倫関係にあり、彼が別れ話を言い出し、私が、それなら私たちの関係を公表すると言ったんで、私は殺されたんです。
その相手は、XXXで、今、ここから数キロ先のXXXという学校の校長をしています。」



もちろん、その番組はここまでで、The Endとなった。


今さら、自殺で片付いてしまった事件が再調査されるわけがない。
それ以前に、霊の証言を取り上げてくれるわけがない(笑)
人権問題になるので、霊のあげた名前は公表できるわけがない。




これは、アンタッチャブルな世界なのだから。



もちろん、アメリカだって同様。

アメリカには、サイキック捜査官という存在がある(もちろん、表向きには存在しないことになってる)なーんて、ブログ記事を以前にアップしたことがあったけど・・↓
FBIサイキック捜査官と心霊考古学の話


すべての事件の真相解明が許されるわけではない。

「していいもの」と、「あえて無視しなきゃいけないもの」がある、という。

FBIに所属している以上、自分の正義感や倫理観よりも、FBIや国家の意向に従うことが優先されるってことだ。


こうやって、優れた霊能者ほど、社会的な枠の中で、しがらみやら悩みも多くなるかもしれない。
真実と正義感とアンタッチャブルの狭間で。

それもまた、自分で乗り越えていかなきゃならない試練なのだろうけど。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

アンタッチャブルといえば・・アル・カポネだった(笑)

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この人は、ご存じのとおり、かつてのアメリカでは有名な、マフィアの大親分だ。

たかが、マフィアの親分と侮ってはいけない。

彼の権力の前では、警察も裁判所もひれ伏していたような状態だったんだから。

シカゴ警察も裁判所も市長も、そっくり買収してたというから、ケタはずれだ。

どれだけ人を殺したかも・・たぶん自分でも数えきれないし覚えてないだろう。

それでも、彼は絶対捕まらない。
捕まるわけがない!


ところが、

最終的には、財務省の酒類取締局の捜査官、エりオット・ネスが、カポネを脱税容疑で逮捕したんだったけどね~。


本当は数えきれない殺人容疑や密売があったのに、脱税容疑くらいしか、付け入るところがなかったのだ。


Eliot Ness

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山ほどの酒の密売やら、殺人もわかってるくせに、誰もアル・カポネには手が出せなかったのだ。

「アル・カポネには逆らってはいけない」・・これが当時の常識だったそうだから。


映画にもなってくるらいだから、ご存じの方も多いだろうけど・・

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脱税容疑であげるだけでも、大変なことだったはずだ。
まさに、彼らもまた命がけだった。



脱税で逮捕されたあたりから、カポネの人生には陰りが見えてきた。
特別待遇の刑務所から、ついには、アルカトラズに移されたという。
    

アルカトラズ刑務所は、別名、ザ・ロック、監獄島とも呼ばれていて、極悪人が収監されていたところだ。
もちろん、彼らの人権なんて認められない、悲惨な場所だったと聞く。
     ↓
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たしか、1960年代には廃止になったそうだけど、今でも霊現象が多いと言われる場所でもある。


アル・カポネはムショの中で病気になり、病院に移された後、刑期を短縮されて釈放、ロサンゼルスの自宅に戻ったそうだが・・

このあたりから、メチャメチャ、霊能者を呼んでいたという。


残虐に人を殺しまくってきたんだから、そりゃあ、霊も多く憑きまくったことだろう。
霊だけではない、生きている人の怨念や妬みの、怨嗟の渦だったかもしれない。


彼の最期は、脳卒中と肺炎だったというが、梅毒やら、精神錯乱やら、彼の晩年はズタズタだったようだ。

晩年といっても、たしか亡くなったのはまだ、40代だったはず。



まさに、カポネは霊たちによって、「じわじわと苦しめながら殺されたのかもしれない。」

彼に呼ばれていた霊能者たちは、おそらく、Cタイプの人だったんだろうか?(←一時的に霊を払うしかしない霊能者)

たぶん・・それくらいしか出来なかった?


まさに、これも・・アンタッチャブルな世界だ。

もしも、あなたが霊能者だったとしたら、どうする?



ん?

私だったら、極力、スイッチをオフにしておくことにする。

これじゃあ、私の友人たちと同じだ~(笑)



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

**霊能者の話、次回へ続く

琉球スピリチュアル_マブイについて

たまたまYoutubeの沖縄の番組をみつけた。

沖縄発UST番組、不思議世界をテーマに歴史、文化、エピソードなどを紹介する番組らしい。

「琉球あやかし堂」という。


興味のある方はどうぞ
     ↓
琉球あやかし堂 第参夜その2 沖縄 怪談

琉球あやかし堂 第参夜その3 沖縄 怪談



私が見たのは、金城保さんという神人(かみんちゅ)との対談の回だった。

神人(かみんちゅ)というのは、本土の人が言うところの「霊能者」のことなのだが、

完全に、神人(かみんちゅ)= 本土の霊能者 と同じ・・・って、わけでもないらしい。



この番組、沖縄の番組だけあって・・方言?やら、沖縄の専門用語?らしきもので語られてる部分があって、

私には、イマイチわからない言葉があったので、それを、いちいち調べながら見るはめになってしまった。

しかし、そこから琉球の文化、彼らに根付く精神性なども知ることも出来たので、かえって面白かったのだ。


そこで今回は、沖縄(琉球)スピリチュアルについて、書いてみようと思う。

・・・・・・・・・・・・・・

沖縄の霊能者といえば「ユタ」というくらい、最近では本土の人たちにもよーく知られるようになった。

しかし、実際にはユタだけじゃない。
 
この金城さんのように、神人(かみんちゅ)と呼ばれる人やノロと呼ばれる人もいる。


全部、似たようなもので・・霊能者を指す言葉なんだろうか?


私の沖縄に関する知識は実に少ない。

ずっと前に仲間由紀恵さん主演のテンペストってドラマを見たのがきっかけに、そのときはじめて琉球王国というものに興味を持って、ちょこっと調べてみた程度だ(笑)



琉球という国は、完全なる祭政一致を敷いていた国だったようだ。


男が政治を行い、女が神からの声を聴く・・という完全分業制をとっていた国だ。

本土で言えば、まるで卑弥呼の時代や・・せいぜい、陰陽寮を置いていた平安朝あたりに該当するのかもしれない。

しかし、それが、明治になって王国が廃止するまで続いてたってことは、・・・やっぱり本土の感覚よりスピリチュアルはもっと身近なものなのかもしれない。


琉球人は、女性は全て巫女的、または神的素質を生得的に、また本質的に持つものと信じていたようだ。

そこで、

琉球王府の尚真王は聞得大君(きこえおおきみ)をトップとする神職組織を作り上げたという。



こちらは、ドラマのテンペストからの聞得大君
      ↓
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聞得大君というのは、王の姉妹から選ばれた者で・・つまり、兄妹による政教二重主権がおこなわれていた。



聞得大君の下にいるのが、祝女(ノロ)と呼ばれる女神官たちだ。

平安時代の陰陽寮みたいなものだったんだろうか・・(ただし、全部女性のポジションだけど。)

彼女たちは、公的祭祀や共同体の祈願行事の司祭に携わっていたという。

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まあ、こんなカンジで祭事を行っていたのだろう。

沖縄は旧正月に始まって、清明祭、旧盆などをはじめ、神行事がかなり多いらしい。

こんなに頻繁にあり、しかもいまだに神行事が残っているのは、日本全国といえども今では沖縄だけらしい。



つまり、ノロは聞得大君を頂点とした官僚的神官組織に組み込まれていて、彼女たちは国家公務員ということになる。

しかも、ノロは世襲制だったという。


神人(かみんちゅ)というのは、ノロを含め、神の声を聞ける人の総称。
当然、男も含めて・・ってことになる。


一方、ユタというのは、民間におけるフリーの霊媒師たちを指した言葉だそうだ。


やはり女性が圧倒的に多かったようだが・・彼女たちの場合は、必ずしも世襲制ではない。


ある日突然、神から選ばれるという。・・・ほとんど眠れない日々が続き、神の声が聞こえてくるという。

別の言い方をすると・・幻聴幻影に悩まされてろくろく寝ることもできずに、体力の限界すれすれの状態に陥り山野をさまよったり・・そりゃもう、つらい、つらい時期を過ごすらしい。


それを「神がかり」とよび・・カム(ン)カカリヤー(神がかりする人)と呼ぶらしいけど・・絶対に拒否出来ない神の試練なんだそうだ。

かなり、過酷なものだという。

その時期を経て、最終的に、こりゃもう! ユタとして生きていくしかないと自分で覚悟を決めてユタの道を歩んでいくようになるようだ。


本来のユタのお仕事は民間霊媒師であり、俗に言われる、シャーマンに近い気もする。


ただし海外のシャーマンが薬草知識が豊富で医者を兼ねていることが多かったのと違って、ユタは薬草は扱わないという。 
むしろ、地域住民のカウンセラー的役割が強いようだ。


具体的にいうと・・紛失物を探す 人間関係の問題を解決する 土地や財産の問題を 故人・本人から意見を聞く ご先祖様の注意&勧告 ご指導を仰ぐ など。

そういった仕事が多かったそうだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

これが、従来のユタ、カミンチュ、ノロの違い。


ただし、琉球国においては、ユタというのは蔑視的なニュアンスを含んだ呼び方だったそうで・・未だに、ユタと呼ばれるのを好まない人もいるらしい。(この対談に出てくる金城さんも、かみんちゅという名称を使ってるようだ。)


しかし、現在は、名称による違いも、お仕事内容も、そこらへんのことは、かなりあいまいになってきているようで・・

本人がどの名称を好んで使うか? 何を得意とするか?それによるところが大きいという。

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さて、この対談の内容を簡単に箇条書きにしていってみよう。
(ここでは、ユタ・ノロ・カミンチュをまとめて、一般的に知られている、ユタと呼ぶことにする)


●ユタによって得意分野は違う

失せ物探しを得意とする人、過去生、過去の因縁を得意とする人、逆に未来を見るのを得意とする人、判じ物が得意、土地の浄化、病の見極めなどなど・・・中には宇宙をみる?人もいるとか・・。


これはユタに限らず、世界中すべての霊能者(サイキック)にもいえることだと思う。

残像意識から過去の出来事を探るサイコメトリーだったり、ガーディアンエンジェルにコンタクトするのが得意な人もいたり、オーラから病気を知るのが得意な人もいたり・・得意分野はそれぞれ。

彼らは、自分の得意分野から探って、核心へ近づく方法をとるようだ。


●一番大事なことは「精神力」

まさに、これこそ世界中すべての霊能力者に共通することだ。


とにかく強靭な精神面がないとやってられないのだ!


心の度量が広く、何者にも動じないような強さがなければ、こんな仕事は出来ない。

以前のブログ記事で、イギリスにスピリチュアル留学して、最初に恐怖に打ち勝つ訓練をした人の話をアップしたしたことがあったけど・・まさに、これも同じことだと思う。
サイキック(霊能者)の心得と一般人の心得


●幽霊の存在は意識体
ユタは意識をビジュアル化して見る能力を使っているだけ。


●『マブイを落とした』

これは、まさに沖縄らしい表現。

番組中にマブイって出てきたんだけど・・

マブイってなんやねん?

すぐにぐぐってみると、

マブイとは、
魂。霊魂。生きている人の魂をいう。死者の霊はタマシーという。 地域によってマブイは3、5、7つもあるという。
心理的ショックを受け茫然自失の状態に陥ることがある。これをマブイが落ちた、抜けたという。
抜けた後に悪霊が入り込み、破滅に向かわせるということで、早めにマブイグミ(魂込み)を行う。
沖縄大百科より




沖縄では魂が生命の源と考えられています。
事故や病気などは、マブイが離れたから・もしくはそれによりマブイが離れた(落とした)と言われ、マブイを取り戻す儀式を行ったりします。
沖縄方言集より



こんなブログを参考にしてみるとわかりやすい。

沖縄の常識

シーサーイズマモリガミ

なーるほど。

沖縄地方では、一般人でさえ「マブイを落とした」って表現はかなり頻繁に使われてるらしいのだ。

本土と違って、かなりスピリチュアルな感覚が未だに残ってる土地柄なのかもしれない(笑)


金城さんによると、怖がってどきどきしているとき、焦ってるときなども・・すでにマブイを落としている状態なんだとか。


彼特有の比喩で、棒磁石と蹉跌の話がわかりやすいかもしれない。

棒磁石が自分、そこに蹉跌がいっぱいついている。
ところが、ショックなことがあったり、恐れ、怒りなどでも、蹉跌は落ちてしまう。

蹉跌は意識体、棒磁石を自分の肉体だとすると、砂鉄をくっつけておく力は意志力だ。




マブイは通常ならば自然に戻ってくるが、あまりにも大きなショックなどが起こると、なかなか戻らないことが起こる。

そこで、ユタに、マブイを戻してもらう手助けをお願いすることになるという。


ここからがちょっと面白い。

沖縄地方でよく聞かれることらしいが・・

「どこでマブイを落としてきたの?」だそうだ(笑)

意識体というのは観念上のものに過ぎないと考えてしまいがちだけど・・

こうなると、まるで実体化した物質のようにも聞こえてくる。

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まるで・・・財布を落として、あわてて探しに行くみたいな・・・(笑)


例えば、交通事故に合って強いショックのあまり、その事故現場にマブイを落としてきてしまった場合は、そこに拾いにいくこともあるそうだ。

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子供はよくマブイを落とすけど・・ほとんどの場合、こうやって母親が呼び戻すことができるので、さほど問題はないそうだが・・
大人は、ちと厄介だったりするらしい。(←まあ、なーんとなく想像できるね。)

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具体的な方法は、ユタによって違うらしいが・・

「マブヤーマブヤーウーティキミソーリ」「魂よ、魂よ、私を追ってきてください」と言いながら、本人愛用の持ち物などを使って呼ぶ方法などが、わりと一般的なんだとか。


本人の持ち物に、その人のマブイは付着しやすいという。
つまり親和性があるからなんだろうね。


とにかく、
大切なことは、マブイを呼び戻して、「100%を自分自身の状態に戻すこと」


これを聞いたとき、本当にその場所に落ちてるもんかいな?(財布じゃあるまいし・・・)と・・私はちょっと半信半疑だったんだけど・・・

よーく考えて見ると、事故現場によくいる「地縛霊」

これなんかまさに死んだ人の最後の念(意識)がそこに落ちてるってことなんじゃないかな?と、思いついたのだ。


金城さんによると、
死んだばかりの人はとても念が強いことが多いという。


その場で肉体がなくなると、マブイが、まずぱっと舞い上がって散って、それから、その場に落ちて、そこに付着するそうだ。

以前、私のサイキックな友達がよく言ってたんだけど・・

「絶対に落ちてる石は拾うな! 石は怖いことが多いんだ~。人の念が憑いてることが多いからね」

と言ってたことを思い出した。

なーるほど・・そうゆうことだったんだな~、とあらためて思う。



マブイがなくなってる状態が長く続くと、だんだん、ヤバイものが入り込んできたりして、ますます良くない状態になってしまうという。


一方、マブイは落としてすぐ呼べば素直に戻ってきてくれるらしいが、時間が立つと勝手に歩き回るようになって落とした場所から居なくなり、最悪な場合、自我を持った妖怪化すこともあるとのことだ。


そうなると、まず自分では戻せないだろう。

ユタにお願いするしかなくなるだろうけど・・・そうなっちゃうと、かなりの力量のあるユタじゃないと大変かもしれない。。。


そこまでいかないうちに、

自分のマブイを拾ってきて(呼び寄せて)、ちゃーんと元の場所に入れる、
それを、マブイグミ「魂込め」というそうだ。 グミとは込めるって意味だとか。


基本的なユタの仕事は、拝み(鎮魂)とマブイグミ(マブイを本人の体に戻す)、その儀式を司るのが基本中の基本だという。



さらに、マブイの話なんだけど・・

自分自身の精神力を鍛えることによって、なかなか落ちなくなるようだ。

辛かったり、怖かったり、嫌な事があって、すぐに、マブイが落ちてしまっていても・・多くの経験を積んで、そこから学んでいくことによって、マブイは簡単には落ちなくなるという。

棒磁石についている蹉跌が落ちなくなっていく。(←金城さんの表現を借りると・・)

最初は100個ある蹉跌のうち、99個落ちてたのが、だんだん98個、97個、そのうち、50個、40個と落ちる量が少なくなっていくという。

それが、精神を鍛えるってことなんだろうなあ。



●怖い幽霊と怖くない幽霊

金城さんに言わせると・・

恨めしい顔や怒った顔で現れる幽霊は怖くない
しかし、笑ってる幽霊はマジ怖い!


だそーだ。

恨めしい顔や怒った顔ということは、相手に聞いてほしい!なんとかして欲しい!
助けて欲しい!という思いがある。つまり、それは向上心でもある。


ところが笑ってる幽霊は、自分が救われたいわけでもなく、向上したいわけでもない。

自分が死んでることはよーく知っているのに、別次元に行く気もサラサラない。
ただ単に人に災いを起こすのが楽しくて現世にとどまっているというタイプらしい。

しかも、自殺者の霊などネガティブ霊をどんどん呼び込んで、巨大化し妖怪化しているようなものさえいるらしいのだ。

これは、めちゃめちゃ怖いらしい。

霊能力者さんが怖いと言うことは・・「彼らでも手に余ることがある」ということだろう。


いくら説得を試みたところで聞く耳を持たないだろうし、人に災いをもたらすことが最高の楽しみで巨大化してるとしたら・・
手に負えないってことかもしれない。

もっとも・・生きてる人でも憑依されまくって巨大化して、これに近い状態の人もいるようだけど・・


ただし、彼らはほとんどの場合、決まったエリアにいるので、こちらから踏み込まない限りは大丈夫だという。

例えば、岬だとか自殺者の多い場所などにあえて行かないこと・・・だそうだ。

霊能者さんにお願いすれば、いつでも救ってもらえるとは思わない方がいいと思う。


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ここからは、我々が日常心掛けることについての話になる。


●おどおど、びくびくするのは、すでに魂(マブイ)を落としている状態
100パーセントのエネルギで堂々としてるのが、通常の状態



びくびくしていると・・自分自身で悪いことを呼んでしまうことにもなる。


まず人生、平穏無事というのはありえない・・・と思うべし。


上がり調子が下がり調子か。

何事もなく過ぎることを望むことは、すでに下がり調子になっていることらしい。



●嫌なことをしない(好きなこと。うきうきすることからはじめる)

これは私自身も実感してることなんだけど・・

「嫌いなことを努力してやり通す」、これを立派なことだという人もいるけど・・本当にそうなんだろうか?


もしも、嫌だな~と思いながら、我慢して続けたとしたら・・・それこそマブイを落としまくって、しかもネガティブエネルギーをあたりにまき散らすだけって気がしてしまう(笑)


大切なことは「やり続ける」ことではなく、嫌いだと思ってることを好きにしたり、そこから何か新しいものを発見することじゃないだろうか?

それこそ、まさに進歩であり、人として成長するってことじゃないかなあ・・・と、私は思っている。


「やり遂げた」という結果は、ただの後つけでついてくるものに過ぎない気がする。


ま、そんなわけで、私は「努力」とか、「我慢」とか、「頑張る」という単語があまり好きになれない。

そもそも、ちーっともワクワク感がないワードだし、むしろ、歯を食いしばって力を入れたカンジで、悲壮感が漂うイメージなのだ。


私は、「ハマってる」って言葉が好き(笑)


「ね! 今、ハマってることってなーに?」
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ところが、世の中には頑固な人もいて・・

そんなん無理!に決まってるじゃん。
嫌いなものは嫌~い!


と言い切ってしまう人たちもいる。

たしかに、そう言い切ってしまえば、絶対無理だろうし、ずーーと嫌いなままだろう。


ところが、ちょっと視点を変えるだけで好きになれたり、好きじゃないまでも興味、好奇心を持つことができるようになることが多々ある。


例えば・・
これは、金城さんの例で言われていた・・・真夏の草むしり

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あつい~、だるい~、疲れる~。 まさに、嫌いなこと


しかし、発想の転換をしてみる。

これをすることでエネルギーが消費できる! 自分のダイエットになる!

庭がきれいになる!

家族が喜んでくれる!

きれいになった庭をイングリッシュ・ガーデン風にしてみよっかな!



つまり、プラスを数えるってことだと思う。


人って、なんで悪い面ばかりを数えたがるのかなあ?



●ユタは誰でもなれるってわけじゃない

勉強してスピリチュアルカウンセラーになることはできるけど、ユタになるには遺伝的要素が必要。
これは、金城さんの説

本土の霊能力者との違いがここらへんにあるのかもしれない。


ユタというのは、たぶん・・・琉球の土地神様を媒介としている部分があるのかもしれない。
(これは私が勝手に感じてること。)


・・・・・・・・・・・・・・・

霊能者さんは、色々なタイプがあるし、得意な点も人によってさまざまだ。


ならば、まったくタイプの違う霊能力者さんたちが集まって、さまざまな情報交換をしたり、お互いに学び合うことがあれば、もっといろいろな事がわかってくるのかもしれない。

英国のスピリチュアルスクールで学んだ霊能力者さん、土御門神道がベースの霊能力者さん、密教系のお坊さんの霊能力者さん、占星術をベースにしている霊能力者さんなどが、一堂に集まって情報交換のサミットを開くとか・・・。


ところが、霊能力業界はなかなか横のつながりを持たないそうだ。(←金城さんの言葉)


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最後に、これは私が最近思っていること


近頃、「幽霊を見る人が増えている」とか。

で、「私って霊感があるみたいなんです!」という人がいる。


ところが、ほとんどの場合、それは・・勘違い(笑)

そもそも正確に言えば、「誰でも霊感は潜在的に持っている」
もちろん、個人差はあるけど。


サイキックと一緒にいるだけで、ふだん全く見えない、聞こえない人でも、同じように見えたり聞こえてしまうことはよくあることなのだ。

また、一般人の場合、自分の波長が落ちているときは、幽霊が見えやすくなる傾向がある。

低次元の幽霊さんと波長があってしまうから。

まさに、マブイが落ちちゃってると、幽霊が見えたり憑かれてしまうことも起こりえる。


そして、必ず、そうゆう人たちが言うのは・・ネガティブなことばかり。

「悪霊のせいで悪い事ばかりが起きる」とか、「身体に不具合が・・・」とか、「きっと霊障のせいだ・・」とか。

彼らは悪霊の存在は感じるのに、福の神の存在は感じない。守護霊の愛も感じない。

なぜ、人は悪い事ばかりにフォーカスしがちなのかな?


良いことも悪い事も半分づつあるはずなのに。

どっちを大きくするかも、本人の意志力次第なのに。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

参考
沖縄のうわさ話/親から子へ伝えられるマブイグミという不思議なおまじない

社会は変わらないという夢のお告げか?

1週間くらい前に、へんな夢を見た。

「もうじき世界が終わるよ~、終わるから大丈夫だよ~!」と、色鮮やかな鳥が現れてパタパタしながら・・耳元で囁く。

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今度は鳥人間に変身して、また、「世界が終わるよ~!」と言ってる夢。

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そこで目が覚めた。

覚えてるのはそれだけ。


なーんでこんな夢見ちゃったんだろ?


こりゃ、世界の終わりとワンダーランドかい?・・と思わず苦笑してしまった。


そして、ずっと考えていた。

なーんでこんな夢見ちゃったんだ?

そういえば・・その日、トランプさんのニュースを見たせいかもしれないな~と。



もとはといえば・・
フロリダのハイスクールで起こった銃乱射事件だ。

退学になっていた19歳の白人男が、銃を乱射して17人を殺害、多くの負傷者を出したという事件。

アメリカでは何度も似たような事件が起こっているわけで、そのたびに銃規制問題が浮上するものの、NRAの圧力は相変わらず強い状況だ。

全米ライフル協会(National Rifle Association of America、略称:NRA)のこと



一般人においても、銃規制を求める声が上がる一方で、銃の所持は自衛のため必要だという意見がわきあがり、世論は二分されたまま、いまだに解決はみない。

いつものことだ~。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


それでもこの事件は多くの波紋をよんだ。

まず、高校生が中心となった運動を起こし、一人の高校生のスピーチに騒然となった。

こちらのCNNの記事に、彼女の全スピーチまで掲載されている。

Florida student Emma Gonzalez to lawmakers and gun advocates: 'We call BS'

タイトルは、Florida student Emma Gonzalez to lawmakers and gun advocates: 'We call BS'とされているんだけど・・
上手な日本語訳が私には出来ないんだけど・・フロリダ州の学生エマ・ゴンザレスは議員と銃の支持者を「BS」と呼ぶ
こんなとこかな~。


BSというのは、スラングでbullshitを短くしたもの

「bullshit」の意味は、「たわごと」、「嘘をつく」など・・ときに、恥知らず、大ウソつき、大馬鹿野郎といった強いニュアンスの言葉になるため、BSと省略して言うことも多い。




これだけでも、彼女のスピーチがどんだけパワフルだったかがわかるだろう。

クラスメートを失った高校生の悲痛な叫びじゃん!
たかが高校生のスピーチじゃん!


と、侮ってはいけない。。。

彼女のスピーチは、ただ精神論に訴えるだけだとか、感情的に訴える、やみくもに相手を攻撃してるだけじゃない。

ちゃ~んと法律、現状、政界についても調べ上げた上でのスピーチなんで、非常に説得力がある。

しかも若さゆえの、歯に衣を着せないストレートな力強さがあるんだよね~。

英語版しかみつからなかったけど、動画もアップされてる。
      ↓


どんだけパワフルなのか雰囲気もよーく伝わってくる。


私もこれを見て、

フロリダ州って、こんなに銃規制がないんだ~!ってことを知った。

アメリカは州によって法律もかなり違う。


銃のライセンスは全く不要。
購入すると登録する必要もないわけで、隠しライフルやショットガンを買えるし、一度に好きなだけ多くの銃を購入できちゃうそうだ。

カリフォルニア州もかなり甘い方だと思ってたけど(ライセンスはその場で簡単に発行してもらえるらしい)、その比ではないらしいなあ。。。


しかも、銃は殺傷力があるものがどんどん進化して販売されていってるのに、法律はほとんど改良されていない昔のままだ。


市民の基本的人権に関する規定であり、憲法制定直後の1789年第1回合衆国議会で提案され1791年12月実施されたもの
    ↓
第二条に、規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない・・・とある。



彼女のスピーチから、私も色々考えさせられたものだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

しかし、このスピーチが話題になると、マスコミ連中もこぞって報道するようになる。

フロリダ州高校銃乱射の被害者のインタビューに殺到する。

すると、あのインタビューはクライシス・アクターを使ってるという話も出てきたり・・

つまり、「やらせ」ってことだね。

被害者のフリをして演技をしてくれる専門の俳優さんがいるらしい(笑)
最近では、日本でも使われてるって話だけどね~。



これが真実だったか、やらせかはわからないけどね~。


・・・・・・・・・・・

ついに、米フロリダの高校乱射事件を受けて、トランプさんは、学生、教師、家族を呼び寄せて、銃の改革のための嘆願を聞くことになった。

その様子が、こちらにあるんだけど・・日本語訳もついてるけど、なぜか肝心なところのビデオは省力されちゃってるようだ。
   ↓
http://www.bbc.com/japanese/43150567

こっちは英語版
   ↓
http://www.bbc.com/news/world-us-canada-43149694


結局のところ、トランプさんは、「銃規制の方向で考えていく」なーんてことは、はひとことも言ってない。


銃保持者のメンタル面だとか・・

アサルトライフルについては規制する方向を検討するとか・・

ちなみに、アサルトライフル(assault rifle)とは、こうゆう銃のこと
     ↓

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銃は、こうゆうふうに進化していったんだよね~・・・・ライフル→マシンガン→サブマシンガン→アサルトライフル

やれやれ、これじゃあ、一人でも短時間に大量虐殺だってできるわけだよね~。



トランプさん、あげくの果てには・・

「銃器に熟練した教師がいれば、攻撃を非常に迅速に終了することができるんじゃないかな~」とか、言っちゃったから、もう大変な騒ぎになった。


おいおい!
そっちに行くんかい!


この発言がまた波紋を呼ぶ。


「教師よ銃をとれ」のトランプか、それとも銃規制? 学校の銃乱射事件を止めるのはどちら


すると、これに対して高校教員は・・・

我々は、現在だって仕事内容は膨大なのだ。
この上、銃の訓練なんてじょーだんじゃないよ!



ますます、別の方向へ行ってる・・・。

さらに、デルタ航空とユナイテッド航空が、NRAの会員向けの割引制度を廃止すると発表すると・・NRAは、「そんならお前らに、もう献金してやらないからな~!」となり・・

それどころか、
NRAは本社のあるジョージア州の共和党に働きかけて・・・ジェット燃料に対する州税免除の条項を法案から削除するぞ!と政治家権限で脅しをかけてるとか・・。


ああ、ますます、そっちの方向かい!


ばかばかしくなって、これ以上ニュースを見るのは止めてしまった。

今、アメリカはこのように動いている。。。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

フロリダ州のように、誰でも自由に購入できちゃえば、そりゃ~、犯罪だって増えるのは当然だと思う。

逆恨みヤローが、あいつを殺してやる!と銃を購入して相手をつけ狙えば、チャンスはいくらでもあるわけだし・・
そんなことで狙われた方はたまったもんじゃない!

警察なんて事件が起こらなきゃ動いてくれるわけないしね~。


それどころか、事故もだって多い。

幼児が誤って親を売っちゃった事件もあったし、恋人を撃ち殺しちゃった事件もあった・・・。


家に戻ってくるボーイフレンドを驚かそうとして、クローゼットに隠れていたガールフレンドがいて、

ここまでは、よくある、かわいい話なのにね~♪

ところが、侵入者の気配を感じたボーイフレンドは銃を手にして部屋に戻ると、
バーンとクローゼットが開いた瞬間に、彼女を侵入者と思って撃ち殺しちゃった!のだ。


武器を持つことが倫理的にどうこう言う前に・・・

銃を持つには(武器を持つこと)、精神性及び技術面において充分な訓練を積んだもの以外、決して手にすべきものではない・・と、私的には思っている。

目を離した隙に誤って子供が持ち出しちゃった~とか、
恐怖のあまり、相手を見ないで発砲しちゃった~とか・・

こーんなレベルの人が、武器を持つ資格はないと思っている。
また、その程度の人が購入出来ちゃうシステムは絶対おかしいと思うのだ。

常に恐怖を克服できる精神力を持っている人
相手を間違って射殺するくらいなら、自分が先に殺される方を喜んで選択できる人

それ以外、手にすべきじゃない、と私は個人的に思っている。。。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ところが、昔から共和党とNRAの癒着は有名な話で・・

トランプさんは3000万ドルくらいの寄付を受け取ったらしいって噂は有名な話。


もともと大富豪のトランプさんだし、お金はそれほど必要じゃないかもしれないけど・・・

政治は、金と票集め(つまり人)


それがもっとも大事な営業活動・・というのは、日本の若手議員さんに、私もすでに教わったことは、前回のブログにも書いたとおり
    ↓
サラリーマンの憂鬱


で、結局のところ・・・アメリカみたいにNRAなんてものが、メチャ強い国では、なかなか銃規制が進むはずもない。

おそらく、どんな政治家が出てこようとも・・今の状況では変えられないのだ。
思い切った新しいことなんて・・できないのだ。


もしも、変えていこうと思ったら、人々の価値観から変えなければならないだろうし・・
そうなると・・教育から・・・しかないだろう。

しかし・・それは、何十年先をも見据えたものになる。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日本の教育というのは、欧米諸国から見ると、かなり異質なものがある。

学校のお掃除の時間があったり、飼育係、図書係、花係とか、係があったり・・よく、ウサギや鶏を学校で飼ってたり・・
授業前の号令(起立・礼・着席)なんてのがあったり・・

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もっとも・・最近の日本では、こういったものはすでに廃止されてる学校も多いらしいけどね~。


欧米からみると・・

学校で児童生徒に掃除させるなんてことは、学校側の掃除人を雇うコスト削減だとか、児童虐待だとかって言われるし・

授業前の号令(起立・礼・着席)は、まるで軍隊じゃないか!

なーんて批判されることも多い。


私の中学?だったか、高校のとき、ヨーロッパから交換学生が来ていて、

「私の国では、生徒がお掃除することはないよ。専門の業者さんが放課後来ていたから」

というのを聞いて、すっごく羨ましかったものだ。

日本は、なーんて国だ!
生徒にやらせるなんて! 
学校は勉強するところだろーが!


・・・と、私もまた腹立たしく思ったものだ。



しかし、卒業して、大人になって考えてみると・・・

日本の教育は知識を教えるだけじゃなかったんだな~、ってことに気がついた。

学問(知識)の前に、道を教えるところ、


それこそが教育って考え方なんだよな~、と気がついたのだ。



たぶん、それは・・日本の伝統的な考え方であり、日本の教育はそうゆうものだったようだ。

祖父ちゃんに聞くと、昔は6-7歳くらいから、まず論語を暗唱させられる学校も多かったとか・・

学校というか、藩校、だったり私塾だった時代かもしれないけどね(笑)


もちろん、意味はわからないけど・・難しい漢文を、とにかく暗唱させられて叩き込まれて・・
それが、成長していくにつれて、だんだん意味がわかるようになってくるんだそうだ。


知識の前に「人の道」を教える

そんな教育は少なくとも欧米では聞かない。


そう考えると・・・自分が学ぶ場所を自分でまず掃除するってのは、礼儀だろうし・・
教えを乞う先生に、礼をするのも当然ってことになる。

それは、ビジネスではないのだから。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

面白い話がある。

アメリカ人男性だけど、彼は日本の学校の掃除について賛成の立場をとってる人だ。

しかし、彼の周囲のアメリカ人たちは、ほとんどが反対意見を唱える。

「えー、そんなの信じられない! それは掃除スタッフの仕事でしょ」と言う人の方が多いそうだ。

ここから、彼のコメントは引用すると・・


自分もそういう子供だった。

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マクドナルドかウェンディか忘れたけど、ファストフードの店でケチャップに小さな穴を開けて強く押すと、
隣のテーブルまで飛ばせることに気づき、兄弟で母親に気づかれないようにして遊んでいた。

それを知った母親が怒ってナプキンを持ってきてきれいにするように僕らに言った。

それに対して僕は「なんで?これはメキシコ人の仕事だろ」と言った。

すると母親は店長に話をして、僕ら兄弟に店の床をすべて掃除させる手配してきた。

当時の僕らにとって、それはすごく長い時間がかかった。床をはいて、テーブルを吹いて、モップがけもした。
座席も窓もだ。
トイレも掃除するように母に言われたが、ついに店長が、しなくていいと言ってくれた。

そこで学んだレッスンは3つだ。

「掃除スタッフにひどい対応をしない」
「差別主義者にならない」
「正しいモップのかけ方」




いやあ、すごいお母さんだなあ~と思ったけど・・たぶん、こうゆう人はマレだと思う。

いまでさえ、大人でさえも「これはメキシコ人の仕事だろ」って思ってる人が多いのが現状だ。


とくにLAでは、メキシコからの移民が多い。

メキシコ移民は、英語も満足にできない人、満足な学校教育も受けてない人が多いため、彼らは、レストランの下働きか掃除の仕事につく人が多い。
逆を言えば・・そういった仕事はほとんどメキシコ系に奪われているのが現状




こうやって、育ったアメリカ人が大人になって政治家になるってことを考えれば・・

さて、国をどんな方向へ持っていくか?

それは想像できるだろう(笑)


もしも・・私にマジックを使うことができれば・・

トランプさんをはじめ、すべての議員さんたちもNRAのお偉方も、5-6歳の子供に変えて、日本の学校に入学させたくなった(笑)

もっとも、今の日本の学校じゃ、ほとんどアメリカナイズされてきてるからダメだろうけどね~。



それができなきゃ、たぶん、夢のお告げのとおり、

鳥男が予言してくれたとおり・・

「もうじき世界が終わるよ~!」ってことなのかもしれないなあ。

サラリーマンの憂鬱

「うちの会社、成果主義でさ、自己アピールが巧い奴ほどボーナスがいいってのは頭にくるよ!」

といってる日本人サラリーマンの方がいました。


もちろん、サラリーマンの方ならよーくわかるでしょうが・・・そうではない方のために、いちおう説明しておきます。

年功序列主義・・・勤続年数によって昇給や昇格が行われてきた日本の従来のケース

成果主義・・・その人の実力、仕事の成果、成績によって評価をするシステム。
年齢や学歴、勤続年数や経験値などに左右されることなく、昇給や昇格が行われる。



日本ではバブル以降、つまり・・1990年代の半ば以降あたりからでしょうか・・多くの会社が成果主義に移行していったようです。

もちろん、日本だけじゃないです!

中国でも取り入れられてるし、アメリカは昔から成果主義だし、昔は年功序列を重んじていた韓国でさえ、日本より先に導入したそうです。


私も若いころは、成果主義には大賛成で、これは、もっともじゃないか!実に平等な制度だ! と思ったものです。


ところが実際に働いてみると・・・そうではないことが、だんだんわかってきます(笑)

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私がアメリカに来て、最初に働いた企業は、日系企業でしたが・・やはり、成果主義を取り入れた会社でした。

そのため、自己評価表を毎年2~3回提出させられます。

かなり、細かい項目に分かれていて、たしか5段階評価で、私は最高点の5か4ばかりをつけた記憶があります。

もちろん、ほとんどミスもなく会社側が要求する仕事に対する成果は上げていると思ったからです。



次に直属の上司に呼ばれて、その評価表をもとにインタビューが行われるしくみになってました。

すると、私の上司が、

「キミね~、これじゃあ、困るんだよ。 ほとんどの人はね、だいたい真ん中の3くらいをつけるものだよ。 たまに、4とか2とかを散らばらせてね~。
キミが大変良くやってるのはわかるけど・・・悪いけど、これ、書き直してくれる?」


はあ?

それじゃあ、実質上の最高点が3の真ん中だとすると・・ペーパー上の4とか5はなんのために存在するんだろう?

とくに、この会社、「自分の与えられた仕事以上のことをやったりしてはいけない会社でもあり、新たなアイデアも受け付けてくれない会社でしたから・・・うーーっむ、それじゃあ、4や5へ行くにはどうすりゃいいんだろう?

そもそも・・・自己評価表を提出する意味っていったい何?って、思ったわけです。


思わず、そこらへんのとこを突っ込んで質問しようと思ったものの・・

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ま、この上司を困らせるだけなことは明白だったし、その結果、いきなり首にされても困るので会社の意向に従うことにしちゃいました。(←大人の選択ってヤツです)

アメリカでは、ある日出社すると首を言い渡されて、その場で荷物をまとめて帰るなんてこともよくある光景ですから。



そのとき上司の方から、

「キミはアメリカに来て初めてウチで働いたわけだし、自己評価シートも初めてだったから、よくわからなかったのも仕方ないよね~。」と、大変同情的なお言葉(?)を頂いたものです(笑)


もちろん、こんな会社ばかりじゃないです。

会社によってそれぞれなので、そこは念のため。


これはずいぶん昔のことですが・・・私はそのとき初めて「成果主義についてあらためて考える」ことが出来たわけです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


もちろん、成果主義にもメリット・デメリットはあります。

一番よく言われるのは、社員のモチベーションをあげる・・・ってことですね。

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成果を出して昇給、昇進につなげよう! おう!!

これは大変よろしいことですね~。


しかし、これがデメリットになることもあります。

平等で正当な評価を下さなければモチベーションには繋がらないってことになります。

次に大事なことは・・その評価に個人個人の社員が納得しなければ、逆にモチベーションを下げることにもなっちゃいます!




本来の目的ならば・・
自己評価したものを、さらに第三者である上司や他の人々の意見を取り入れて、お互いに納得した上で、さらに明日に繋げるってとこに意味があるわけですから。


となると・・セールスの売り上げ成績の方が、一目瞭然で誰もが判断し易いでしょうね。

しかし、技術職、研究職などの内勤業務だったら、どのように評価を下すか?って問題が出てきます。



となると・・最初に言ってた人のように、自己アピールの旨い奴ほど高評価がつけられるなーんてこともアリかもしれませんね(笑)



一方、セールスマンなら評価しやすいか!というと、実際のところ、そうでもないようです。

「売り上げの数字だけじゃないだろ!」って声もあります。

強引に売り上げて数字だけ伸ばして、後からクレームの山って奴だっているんだぞ!
そのクレームを上手に胡麻化してしまうヤツだっているんだぞ~!


と、さまざまな不満の声もあります。

つまり、納得していない人が多いってことかもしれません。


しかも、それを声にして会社側に問題提起をする人も少なくなってきているのが現状のようです。
こんな世の中ですからね~。



これじゃあ、従業員のモチベーションががーんと上がって、どーんとイノベーションが起きる、なーんてあり得ないかもなあ~。

なーんて思いました。。。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なぜ、会社側は従来の年功序列をやめて成果主義にしたか?

もちろん、それは経費削減です。


かつての日本は、入社すると定年までその会社で勤め上げる終身雇用が当たり前でした。
会社は社員の生活を保障する賃金を提供し、それが年功序列制度につながっていたわけです。

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ところが、バブル崩壊による業績の悪化。

真っ先に考えることは、コスト削減、しかも人件費!
原料費はどうしても削れないけど、人件費だったら一番削れるわけですから、手っ取り早いってわけですね~!

高齢化社会に突入したことで、社員の高齢化が進んでいることも大きな要因のひとつかもしれません。
従来の年功序列制度だったら、給料を下げることが困難ですからね~。


ご存じのとおり、正社員雇用よりも、いつでも好きなときに首を挿げ替えられる派遣社員を多く導入するようになったのをみても、わかることですね。

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つまり、成果主義は会社側にとって実に都合のいいシステムなわけです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

だからといって、会社側は非人道的だ!とか、ここで一方的に、そんな批判をしたところで・・

会社だけでなく政治も社会も、何もかも、現在のほとんどすべての方向性がそこに置かれていることを認識しとく必要はあると思います。



現在の政治の目指すところでさえ、カネと軍事力ですもん。

国民一人ひとりの生活を守るための政治じゃないわけですから・・・そりゃ、企業だって非人道的なのは当然だと思います(笑)
大変遺憾に存じますが・・(←誰かさんの口マネしてみる)


これは2016年度のグラフだけど・・これによると、日本もしっかりと上位に食い込んでいるのがわかります。
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で、中国、インド、韓国が・・負けるもんか~!と、どーんと伸びたのがわかります。
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http://www.garbagenews.net/archives/2258869.html


これが良いか悪いかは別として・・

つまり、世の中はこうゆう傾向にあるってことです。


軍事力というのは、守るか攻めるかの大義名分を無視して言えば・・・つまり、戦争準備ってことですね~。

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私は個人的に、戦争したけりゃ、トップ同士の試合で決めてくれ~て思うんですけどね~。
そうすりゃ一般人を巻き込むことなく、無駄な経費も使わず資源も守れる。



ある、若い政治家さんから聞いた話では、
「1年目に先輩たちから言われたことは、まずは、営業活動に力を入れることだったそうです。

え? 政治家の営業活動って?


真っ先に、票集め、資金集めを重点的にやらなきゃならない!ってことだそうです。
それが何よりも大事だと言われたそうです。


「僕は、それを聞いたときに、え?そんなことのために僕は政治家を目指したんじゃない!って思ったんだけど・・
まず、その基本がなければ、やりたい事ひとつできないんだぞ!って言われてしまいました。」



うーーん、

こうやって若い政治家さんたちのモチベーションをめっちゃ下げて・・・

別のタイプの政治家さんになっちゃうんですかね~。


・・・・・・・・・・・・・・・・・

ちょっと話がずれましたが・・・

社会全体が、このような意識になっているということ。

弱肉強食、
カネと力こそが報酬であり、それを判断基準にもしている



国も会社もそうですし、もちろん、個人だって・・そう思ってる方も多いのかもしれません。

だからこそ、少しでも多い報酬をゲットし昇進を狙い、人よりも上を目指そうとする。

競争社会にしてモチベーションを煽る方法を取ろうとする。




もちろん、これは大人の社会だけじゃないですよね?

子供社会も、多くはこうやってモチベーションを煽る世の中になってるわけです。


だからこそ、逆に不満も噴出してくるわけですよね~。

私はアイツよりも、ずっと仕事が早いし正確なのに、なんで、アイツの方が給料が高いんだ?

犯罪すれすれの事をやってるやつの方がなんで評価されるんだ?

私は10年かけてノーベル賞をとったのに、これを会社の実績にされてしまった?





もちろん、私も何度も、これに近い苦い経験はいっぱいしてきてます(笑)


でも・・ふと、気がついたわけです。


それって、私自身もまた、他人と比較することに重点を置いてたんじゃないか?
会社や他人の評価を気にしてたからじゃないのか?


と。


だからこそ、この世は不条理だ~!と、叫びたくもなるわけです。

まさに、これこそが、競争社会の申し子なのかもしれませんね。

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他人と比較すること=他者からどう思われてるか気にすること
根本にある競争意識


そんなことを常に恐れて気にしている。

自分が思っていたより他者の評価より低ければ、不公平だ!と怒るか、自分はダメな人間だ!と自信喪失してしまう・・・。

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それってバカバカしいよな~!
・・って思ってから、私は、すっかり自分の意識が変わりました。

人から高い評価を受けなくても、給料が安いままでも、そーんなことはどーでもいいや~と。


もちろん、仕事というのは代価が与えられるものです。

代価とは、他者がそれに見合った商品またはサービスに対して支払うべきもの=お金



ところが、この代価の基準だって、なかなか難しいものだと思います。

例えば、ものすごーく素晴らしい商品を作っても、相手に支払う能力が無ければ上限以上の金額は支払うことはできないわけだし、・・・

そもそも評価なんて人間のすることなんで、どんなに公平な評価をしようとしても、それで、すべての人が納得できる評価ができるか?というと、そこには限界があると思います。

見る人の主観が入ってしまうのは否めないことだと思うんですよね。


だからこそ、より良い評価を得ようとするには「自己アピールする」ことも必須だったり・・・「自分を大きくみせるとか」「ゴマする」とか(笑)、そういった努力も不可欠という考え方があるのも納得です。


ところが、私の場合は、そんなことにまで注意を払ったり、評価で一喜一憂することが、なんだかバカバカしくなっちゃったわけです。

そこで、
日々自分自身で納得できる良い仕事をするのみ。というところに落ち着きました。


私の行きついた代価は、

ま、ギリギリでも生活できてればいいんじゃね・・・・て、とこで落ち着いたわけです。

仕事って、たとえどんな小さなことであっても何らかに貢献することであり、ひいては、人のためになってることだと思います

私にとっては、こっちのモチベーションの方が大事になりました。


それで、もしも、

花形プロジェクトを外されて、たとえ窓際に置かれたとしても・・時間ができた分、これは好きな勉強に使えるぞ~♪と喜び、

首になったところで、こりゃ!なんかの新しいチャンスを与えてもらってるのかも~♪

と・・そんなふうに感じるようになりました。


すると、ある人から、「オマエって、ほーんと生き下手だよな~!」って言われちゃいましたが・・(笑)

生き下手結構!っと、今では胸を張って思ってます。(←アホか~!)

生き下手どころか、私は完全に、世にいう「負け組」ですね~(笑) でも、胸を張った負け組でいようと思ってます。



これは、あくまでも私の場合ですが、

なぜか、こんなふうに意識を変えただけで、かつてなかったような充実感が感じられるようになりました。


若い頃の私は、競争社会で頂点を目指すべく、必死に勉強したり人一倍努力もしてたはずなんだけど・・なんか違うんですよね~。

どんなに勉強しても努力を重ねても・・なーんか、どこかで楽しくなかったし、充実感もあまりなかったような気がします。

そりゃあ、給料がアップになったり昇進は確かに嬉しい出来事だったんだけど・・・それって一時的な嬉しさなんですよね~。
いつもなんらかの欲求不満を抱えてたような気がします。


子供の頃、テストで100点とって他人にちやほやされても、そんなもんかな~ってカンジと似てました。。。
嬉しいだけど・・どっか嬉しくない部分もあって、なんか満足感がないってカンジですかね~。



・・・・・・・・・・・・・・・・

かなり古いんですが、黒澤明さんの作品で、「生きる」という映画がありました。

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モノクロ映画だし、超地味~な映画です。

一般的には、ニューマニズムを原点とした映画だとか、お役所仕事に代表される官僚主義を批判した映画ともいわれてるんですが・・・私としては「仕事をする」意味を追究した映画って気がしたんですよね~。

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今は亡き、志村喬さんが演じる、市役所勤めの市民課長さんで、毎日書類の山を相手に黙々と判子を押すだけのお仕事です。

このまま無事勤め上げて定年退職・・・(←まさに年功序列主義の時代)

市役所内部は縄張り意識で縛られてるわけだし、面倒な住民の陳情は市役所や市議会の中でたらい回し。

ま、仕事なーんてそ~んなもんだし~と思いながら、どっか無気力になってる男が、あるとき、胃がんで余命いくばくもない事を知ってしまう。


そこから、彼は、市役所でメチャメチャ働き出したわけです。

頭の固い役所の幹部たちを相手に粘り強く説得するし、ヤクザ者からの脅迫にも屈せず、住民の要望を取り上げていく・・
そして最後に死を迎える。

そーんな映画だったと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

結局のところ、年功序列主義をとろうが成果主義をとろうが、たとえ、どんな世の中であろうが・・・

自分がどのように生きるか!ってことなのかもしれませんね。


人の一生なんて限られたものです。

どれだけ自分が満足して生きられたか!に尽きるのかもしれません。


もちろん、競争意識や闘争心が決して悪いとは思いません。


この映画の課長さんだって、「頭の固い役所の幹部たちを相手に粘り強く説得し、ヤクザ者からの脅迫にも屈せず・・」なーんてのは、ものすごい闘争心だと思うわけです。


ただ・・・その使い方を間違ってしまうと、とてつもなくネガティブなものを放出するだけって気がするんですよね~。
それは、自分にとっても、他人にとっても、社会にとっても。



おそらく、多くの人たちが、競争社会の申し子をやめたときから、社会は別の方向に動き出すようになると思います。


そのためには、何をするか?

それは人それぞれだと思います。

「営業をしない政治家さん」を志すのもいいかもしれませんね(笑)


・・・・・・・・・・

余談ですけど、

昨年のPresident誌によると、

GEやグーグルなどのアメリカ大手企業では人事評価をやめる動きが相次いでいるんだそうですよ。
    ↓
なぜアメリカ企業は人事評価をやめるのか?_president誌の日本版より

なんだかなあ~(笑)

羽生結弦 x 野村萬斎のSEIMEIについてのあれこれ

羽生結弦 x 野村萬斎のSEIMEIについての対談がアップされていた。

実は、オリンピック前にこれを見つけたのだけど・・

これは、役者として舞台に立つ人にはとても役にたつ対談だよなあ、と感心させられてしまった。



SEIMEIというのは、もちろん、安倍晴明のことで、

2001年に野村萬斎さん主演で製作された陰陽師(おんみょうじ)という映画。

これは夢枕獏さん原作の陰陽師・安倍晴明の活躍を描いた小説『陰陽師』を映画化したもの。

夢枕獏の小説『陰陽師』を原作とするものでは、岡野玲子さんの漫画が有名だ。

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岡野さんの陰陽師は、さらに独自の世界観を完成させた。

そして、今回はスケート演技のテーマにもするのか~。


こういったものは、日本人の魂の、琴線に触れるものなのかもしれない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

野村萬斎さんというのは、言わずと知れた狂言界の人だ。

しかも、従来の伝統芸能の世界にとどまらず、どんどん新しい分野にも進出した人でもある。


最初に、映画化された「陰陽師」を見て、彼の美しさに釘付けになってしまったのをよーく覚えている。

実は、映画のストーリーやら他のことはすっかり忘れちゃってるんだけど、彼の姿だけは今でも焼き付いている(笑)

これはルックスがいいとかの問題じゃなくて、やはり・・立入振る舞いや動きの美しさにあると思う。

そうゆう役者さんが出ているだけで、映画の出来が決まってしまうものかもしれない。


そういえば、先月アップしたブログ記事だったけど・・

去年の時代劇ドラマの話_アシガール~
ここでも、若手の役者さんの動きの美しさを絶賛したことを思い出した(笑)




そりゃまあ、野村萬斎さんの場合は子供の頃から基礎をみっちり叩き込まれてるわけだから他の役者さんと比較しても仕方がないのかもしれないけど・・

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この対談の動画をみていて、

ああ、そうか~!
ジャンプ1つとっても、こんなに違うんだ~。

手の位置をちょっと変えただけで、こんなにも違って見えるんだ~!

と、いろいろなことを教えてもらった気がする。

動きというものは、ただマネをするだけでなくそこにある意味を考えて作り上げなければならないという言葉には納得させられる。


伝統芸能の世界で新しい境地を開いた人といえば、玉三郎さんもそうだけど・・

この二人の演技の方向性は、まったく別だ。

玉三郎さんは、内へ内へと溜めた重量感を感じさせる人であり、
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野村萬斎さんは、風のように外へ流れていくものを感じる。

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持ち味というのは、それぞれなんだなあ・・とつくづく思う。


さて、フィギュアスケートの世界で、羽生結弦君は、どのようにSEIMEIを演じたんだろう?

どんな舞台作りをしたんだろう?

と、思って・・もちろん、オリンピック動画をチェックした。


ところが・・

日本版の動画を見たところ、超うるさい!

アナウンサーが、「さあ、ここから4回転サルコー~! 決まりました~!」とか、「これから後半に残した4回転、体力は大丈夫か~!」とか。

煩くって、うざくって・・音楽もマトモに聞こえやしない。。。


仕方ないんで、もう一度、ロシア版だったかの動画で見直すことにした。

(なんで、日本のヤツってあんなにうるさいんだ? 解説が多すぎだろ!)
と、思ったものの、

あ? これって・・・アートの舞台じゃないんだよな~。
スポーツだったんだよな~。

と、いまさらながらに気がついたのだ(笑)


フィギュアスケートというのは、スポーツとはいうものの、かなり微妙だ。

難易度の高い技術点だけで争うものではなく、「芸術点」というものもある。

「振り付け」「構成」「音楽の解釈」という項目でも点数がつけられる。


まるで、アートの舞台と変わらないという気もする。

音楽の選び方、編集の仕方、演技力、メリハリのある流れ、衣装に至るまで・・・総合芸術でもある。
すべてが要求されるものなのだ。


ピアニストが、リストの超絶技巧練習曲第4曲「マゼッパ」あたりを、フルスピードのノーミスで弾ききって、ドヤ顔したところで・・ブーイングされちゃうようなものだ(笑)


つまり、フィギュアスケートの選手といえども、ただ技術を磨いて一生懸命練習を重ねていればいいってものじゃない。
振付けや音楽も人任せってわけにはいかないだろう。

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今回の羽生選手の演技をみて、この人は、かなりな、アーティスト魂を持ってるなあ~と、感じた。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

良い役者は、憑依体質の人が多いという。

「霊に乗り移られやすい体質なので、演じる他人が乗り移ってくれて楽に演じることができる」
と思われがちだけど・・

そんな簡単なものではないらしい。

演じる対象を知ろうと必死に学ぶ姿勢がなければ・・そんな霊もやってきてはくれない。

相手を必死で知ろうとすることは、相手に対する深い愛情でもある。



かなり以前だけど・・、山本耕史さんがこんなことを言っていたのを思い出す。

「僕は自分の演じる舞台を観客として生で客席から見て、どんなふうに感動するのか見てみたい!」

この人もまた、アーティスト魂を持ってる人だなあ~と感心してしまったものだ。

こうゆう感性の人には、霊は降りてきて力を貸してくれるのかもしれない(笑)


演じる姿に霊と演技者が一体となって、独自の完成形を見せてくれるのかもしれない。

オリンピックに、SEIMEIは降りてきてくれたんだろうか?

韓国人から聞いた朝鮮の歴史

きのう、コーリアンの人と話をしたせいか・・ヘンな夢をみてしまった。

白い服を着た難民みたいな人たちがいっぱいいる映像だった。

まさにこんな人々(Pintarestから画像を探したもの)
      ↓
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あたり一面が、あまりにも汚くて臭くて、特に人が密集している家々のある通りは、ひどいものだった。

臭さと汚さのため、すぐに、この夢はリセットじゃ~!

と思ったのに、なぜかリセットできない(←私の夢はいつも明晰夢なんでいつでもにリセット可能)

ちょっと待った!がかかってしまったようだ(笑)

仕方がないから、そのまま、嫌な夢を見続けることにした。



まぎれもなく、こりゃ、朝鮮半島の庶民の姿だってことはわかる。。。


こちらのWEBにこんな画像をみつけた。

同時代の日本と朝鮮の比較画像で、左は朝鮮、右が日本だそうだ。
          ↓
oldkorea.jpg
https://blogs.yahoo.co.jp/wood72046/34323241.html

文化の違いは、あきらかだ!


おそらく江戸末期から明治にかけての時代だろうけど、

江戸時代の庶民は貧しくても色や柄のついた着物を着ているし帯もしている。 どんなに貧しい農民でさえもだった。

一方、彼らの服は白しかない。 裸の人さえいた。

つまり、庶民のための服は、染色技術も普及せず、そんな技術も職人もいなかったということだろう。

これは、彼らの生活が「いかにして日々の糧を得るか」だけだったということを物語るものだ。


この3番目の写真を見ると、右側の人力車に乗っているのは日本の庶民だろう。

しかし、左側はあきらかに、それなりの権力者。
色付きの立派な着物や飾りもつけてるから。

それだけ貧富の差は激しかったということもいえるだろう。



当時の写真を見ると、王宮のあるソウル市内ですら、庶民は同様のありさまだ。

以前の記事でも引用したことがあったと思うが、また、イザベラ・バード朝鮮紀行によれば・・


イザベラ・バード朝鮮紀行とは
イザベラ・バードが1894年(明治27年)から1897年(明治30年)にかけて、4度にわたり最末期の李氏朝鮮(朝鮮王朝)を訪れた旅行の記録。
当時の朝鮮の風俗、社会、政治情勢などを知ることのできる歴史的資料。



ソウルの町並みと悪臭について
1894年の訪問時のソウルに関して、道は牛がすれ違えないほど細く迷路のようであり、家から出た汚物によって悪臭が酷い。

人工の道や橋も少なく、「あっても夏には土埃が厚くて、冬にはぬかるみ、ならしてない場合はでこぼこの地面と、突き出た岩の上をわだちが通っている。

ソウルには芸術品や公園や劇場、旧跡や図書館も文献もなく寺院すらない。

貨幣・通貨の流通については銀行が町になく、日本の円がソウルと条約港で通用した。
Wikiより引用




しかし、なんでも・・・イザベラ・バードの朝鮮紀行にはイギリス版と韓国版があって・・まったく違う内容なんだとか・・?
  ↓
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20080827/copipe



まあ、いろいろと言われてるわけだけど・・少なくとも、汚かった!ことだけは確かだろうと思う。

オンライン上でアップされていた当時の写真を見れば、それは想像できる。
私の場合、夢で臭い匂いを嗅いじゃったけど・・


昔の日本は貧しく民は虐げられていた!と言っても、彼らに比べれば、実に幸せだったことだろう。
まず、世界中の先進国でも類を見ない、キレイさだったというから。

その理由は、他国と比べて外に捨てたり川に捨てることもなかったそうだ。
見事な人糞利用で、すべてが回収されて畑の肥料とされていた。
江戸時代では大家が店子のブツを売って得たお金で、家賃も安く抑えられていたという記述さえある。



それに比べて、

当時の朝鮮半島の人たちが、どれほど悲惨な暮らしをしていたか?

おそらく、野良犬同等に扱われていたのだろう。

野良犬にさえ人権(犬権?)を与えたいと思ってる私としては・・

もう、それは・・悲しい光景としか言いようがない。

どうして、人と生まれてこんな暮らしを強いられるんだろう?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は朝鮮史についてはあまり知らない。


学校教育では、高句麗・新羅・百済の頃を最後にして、すぽっと教科書から抜けてしまっていた。
お隣の国なのに・・・なぜか7世紀頃を最後に、ずっと登場しなくなってしまう。

私の知らないうちに、いつの間にか李王朝なんてものが出来ていて、それを明治時代になると日本帝国軍が李王朝を滅ぼし、朝鮮を植民地化し、非道の限りを行った・・。

だから、今でも朝鮮半島の人々は日本を憎んでいる・・・みたいな事を教わった気がする。

だからこそ、日本は償わなければならない。(教科書にはそこまで詳しく書かれたなかったけど、たしか日教組の先生だったかがそんなことを言ってた記憶がある)

それは、朝鮮(北朝鮮&韓国)にひたすら恭順の姿勢、謝罪、そしてお金を払え!ということに繋がるそうだ。

そんなことは昔から聞いている。


ん? そうなんかな? という、違和感にも似たカンジが漠然とあったものの、特別に北朝鮮にも韓国にも関心がなかった私は、あえて自ら調べてみたこともなかった。


きのう、たまたま韓国系アメリカ人の女性と話をしていて、世界情勢やら政治の話に発展したのだ。

なぜか夢の中でも、その光景がまた、ありありと登場してしまったのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

彼女の両親は韓国人でソウルからの移民だという。
しかし、彼女はアメリカで生まれたアメリカ国籍だ。(顔は韓国人だけど・・)

英語は当然堪能だし、日本語も話す人だ。


「あら? 韓国が現代のような先進国になれたのは日本のおかげに決まってるじゃない!」・・と、彼女は言った。

え? 彼女からそんな言葉を聞くのはちょっと意外な気がした。

「私はアメリカで生まれたけどルーツは韓国でしょ? 
だから、昔から自分のルーツの国のことを知りたくて、ずいぶん勉強したのよ。」

「そーなの?
私は、日本にいた頃、日本帝国陸軍が朝鮮半島を植民地化して李王朝も文化も破壊して悪行の限りを尽くしたって聞いたことがあるよ。」

「なーに言ってんのよ!
李王朝なんて、李成桂(りせいけい)が高麗国でクーデターを起こして、ちゃっかり乗っ取っちゃった国よ。
乗っ取るためには同僚も殺し、王族を騙してしかも裏で殺害して・・まさに下剋上、日本の斎藤道三も真っ青になるくらいの人よ。」



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え? 彼女、斎藤道三も知ってる? 日本の歴史も知ってるんだ~。


「でも斎藤道三は国取りをしたあと、領民には善政を敷いたわ。 産業を発達させて城下はにぎわうようになった。
だけど、李成桂は、国民のための政治よりも、大国の中国のご機嫌取りをしたわけよ~。
国中から美女を引っさらってきて貢物として差し出したり・・そーんなことばっかしてたわけよ。
そのおかげで、朝鮮って名前も賜ることができたわけだし・・・代々、李王朝ってのは、そうやって成り立ってきたってわけ。」


「え? そうだったの?
だけどさあ、朝鮮半島は肥沃な土地じゃないし、小国として生き残るには仕方なかったのかもしれないよね~。」



なんだか・・日本人の私の方が李王朝を弁護してるみたいな言い方だ(笑)

「そりゃそうだけどね・・だからといって、一国の統治者が強いものに巻かれて、植民地になることで良しとしてしまったら、そりゃもう、国とは呼べないと思うわ。

つまり、国家を考えるより自分の一族だけが生き残ることを考えた結果としか思えないのよね。
ようするに、外交が全くできないバカだったんだと思うわ。」

「なるほど・・そのとおりだろうなあ。」


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「見てごらんなさいよ。
聖徳太子の時代だって、大国の隋に植民地化されそうになったけど、見事に乗り切って対等に持って行ったじゃない!

それどころか、幕末の日本だって、いくつもの先進国を相手に見事に乗り切ったじゃない!
結局ね、李王朝ではブレーンとなるような家臣を持たず、(たぶん、そうゆう人は殺しちゃったんだと思うけど・・)
トップは保身しか考えないアホだったってことよ。

だからこそ、すべてのしわ寄せは一般市民に行ったわけよ。
市民とは名ばかりで彼らにとっては奴隷か、それ以下の扱いだったけどね。

それが大きく変わったのは、当時の日本政府が韓国併合をしたときから。
街を整備し、トイレは家の中でする法令まで作り、学校を作り、一般人をようやく人間らしい生活に導いたんだから。」

「でも、植民地化したのは事実でしょ?」

「ええ、事実でしょうね。

でも、植民地化=悪政とはいえないと思うよ。 実際、色々なケースがあるんだから。
それに当時の世界は、どこの先進国も植民地化政策を敷いてたわけだから、日本だって生き残りをかけていたことを考えれば当然の流れでしょうね。

むしろ、それが多くの韓国人を救ったことになったと思うけどね。」


「なろほどね~、しかし・・現在でも帝国陸軍は極悪非道の限りを尽くしたことになってる?」

そーんなの、プロパガンダに決まってるじゃない!
新しいことをするときには反感を買うのは当然だし、そりゃあ、行き過ぎもあっただろうけど、
ちょっとしたミスを、重箱の隅をつつくように攻撃して、プロバガンダに結びつけようとしてるだけよ。

なんだか、こうゆうのは、アホな李王朝に近いのかも(笑)」



韓国人で、ここまで李王朝を悪しざまに言う人に初めて会った気がする。

彼女は韓国の血をひきながらアメリカに住むアメリカ人だ。

第三者として冷静な目で見ることができるのかもしれない。


・・・・・・・・・・・・

韓流ブームとやらで、日本では韓国の時代劇もかなり放映されているらしい。

しかし、本当の韓国の歴史を知っている人はどれだけいるんだろう?

こんな雑誌もあるらしいけど・・
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ドラマの韓国の時代劇は、「ファンタジー時代劇」に過ぎないと思う。

かつての日本の大河ドラマのように、綿密な時代考証がされているとも思えない。(最近の大河もファンタジーに近いけど・・(笑)

ある時代劇ドラマでは、大量の唐辛子を使ってキムチを作るシーンがあったとか・・・。
そもそも唐辛子なんて南米原産だ。 ポルトガルから日本に入ってきた唐辛子が、朝鮮通信使(ちょうせんつうしんし)によって朝鮮に持ち帰ったものだという。



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なかなか、真実の朝鮮史を学ぼうとしても、朝鮮の歴史を記した古い文献はほとんど焼き捨てられてしまっていて現存するものは少ないといわれている。


さらに、現存するものも大幅に改竄されたものかもしれないし、また、現在の韓国の教科書の歴史に至っては、もっと信用できないようだ。(日本の歴史教科書もだけどなあ・・・)


歴史というものは、どこでも・・当時の統治者の都合のいいように書き換えられていくものだ。


「朝鮮半島からやってきた弥生人が日本に多くの文化をもたらした」
「それまでいた縄文人には、文化のかけらもなかった」

・・というのが、授業で教わったことだった。


しかし、現在DNAを調べると、日本人と韓国人のDNAは全く違っているという結果が出ているそうだ。

また、古代の高句麗国の人々と現代の韓国人とのDNAも違うという。

今では、韓国人はエヴェンキ族と穢(わい)族の混血ではないか?とも言われているようだ。

しかも彼らの遺伝子には、度重なる近親交配により作られたものがみられるという。


かつて朝鮮半島では美女という美女はすべてお召し上げになったというし・・

試し腹(ためしばら)も、わりと最近まで行われていたという話もある。
父親か兄などが、娘を嫁がせる前にちゃんと妊娠できる娘であるかどうかを調べるために、あえて孕ませて嫁がせる制度。
それで生まれてきた子供は捨てられるか生涯奴隷として扱われると聞く


そうであれば、近親交配で作られてきたDNAというのも・・なんだか納得できてしまうのが怖い。


そんなことを、彼女に尋ねるのは・・・すごく気が引けたのだが、彼女がどう思っているのか知りたくて、つい聞いてみた。

すると彼女は平然と言う。

「当然あったでしょうね。
そんな話、私、実際におばあちゃんに聞いたことがあるもん。

それにね、ルーツが穢(わい)族というのも本当だと思うわ。
中国の史書である『三国志』や『後漢書』にも記されてるんだから・・。
そりゃもう、衛生観念なんてゼロで臭くて汚い人たちだったそうよ~(笑)」


彼女を前にして言葉を失ってしまう私。

私の表情を読んだのか・・彼女は続けていう。


「でもね、そーんなこと・・・私は気にしないわ。
たとえ私の祖先が、好戦的なエヴェンキ族だっとしても、糞まみれの穢族だったとしても、または腑抜けの李一族だったとしても・・(笑)」

おいおい! そこまで言ってないよ~。。。

「そもそも民族のDNAによって、優秀だとか下等なんてあるはずないでしょ。
なぜ、そんな民族になったのか!という、必ずそれなりの状況があったはず。

まず、それを知ることによって、私たちが今後学ぶことはいっぱいあると思うけどね。」


「たしかに真実の過去を知って、それを未来に活かすことだろうね。
それが歴史を知ることなんだろうなあ~。」


「ええ!
もしも、現在の韓国政府や国民がそれを知っているくせに、ひた隠しにしてるんだとしたら、それほどみっともないことはないわ。
国民に反日感情を植え付けてるとしたら、それこそ、やってることは李王朝時代と変わらないってことになるだろうね~。」

「でも、日本人にも昔から朝鮮嫌いってのも多かったようだよ。」



「そりゃそうよ~!
日本人は昔から清潔好きだし、いくら権力を持つ武士だって、庶民を無礼打ちなんてしてしまったら、切腹ものかお家取り潰しだったんだから。 日本はもともと民主国家の思想を持ってた国よ。」

「え? そーなの?
時代劇では、よくあるシーンだったけどな~。」


「もう! ちゃんと勉強しなさい!あなたの国のことなんだから。
無礼打ちにしたときはすぐに役所に届け出が必要だったし、厳しい取り調べを受けて、もちろん、相応の理由が認められなければ武士の方が罪に問われたのよ。
だから、武士はめったなことでは刀を抜かったかったそうよ。・・とくに農民や町人には。

ところが、朝鮮は違った・・。
権力を持つ役人だったら、庶民の鶏を奪ってもそれは正当な行為とされたし、それを邪魔して庶民が殺されても当然だったのよ。」

「そんな~!」

朝鮮通信使の鶏泥棒の話、知らないの?」



え? 知らないけど・・・


彼女が教えてくれたのは、これだった。
    ↓
鶏を盗んで町人と喧嘩する朝鮮通信使


朝鮮通信使(ちょうせんつうしんし)とは・・室町時代から江戸時代にかけて李氏朝鮮より日本へ派遣された使節団である。
天皇や徳川将軍が交代のときには、必ずやってきたという外交政策のひとつ



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この絵が京都で展示されたそうだ。

問題はこの下の部分の絵。

鶏泥棒した使節団に町人が怒って取り返そうとしている。
切り殺されたのか倒れている人、なおも棒を持って立ち向かう人の絵が描かれている。


もうちょっとわかりやすくすると、こーんなカンジになる。
      ↓
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https://ameblo.jp/9023410651/entry-12324294299.html


「でもね、これは当時の朝鮮ではあたり前のことだったのよ。
だって、役人は庶民の持ってる鶏が欲しくなったら、当然取り上げる権限を持ってたんだもん。

それだけじゃなくてね(笑)、日本人にとって、朝鮮使節団は大変だったらしい。
宿泊する旅館の中に置いてある調度品は根こそぎ持って行ってしまうし、トイレがあるにもかかわらず、平気で外で用を足したし・・・・そりゃあ、日本人には嫌われて当たり前よ!」

「そんなに文化が違ったんだ~!」


「そう、価値観がまるっきり違う!
新井白石だったか、当時の偉い学者は、朝鮮と交流しても得ることはないから、やめちゃった方がいいんじゃないか!とまで言ったそうよ。」



彼女に言われて私も調べてわかったことだけど、この絵は朝鮮嫌いの人たちの間では話題になり、さっそく韓国バッシングがはじまったという。

すると、すぐに、それに反論する教授も現れ、反論記事までもが掲載されたようだ。
      ↓
朝鮮通信使の「鶏泥棒」はぬれぎぬ? ~「鶏が逃げ、それを捕まえようとした可能性も」ー京都新聞


なんだかなあ~。

こうやって反日感情を煽り、韓国嫌いを煽り・・をお互いに繰り返してるだけって気がする。。。


「価値観の違いってのは、大きいね。
それをどっちが正しいとか間違ってるとかってことだけで押し通そうとしても、お互いに未来はないだろうね~。」
と、私が言う。

「そのとおりだと思う。
私はアメリカ生まれの韓国人だから、韓国のことは知らないことが多かったんだ~。

大学時代に韓国から留学してきた女の子と一緒にルームシェアしたことがあったんだけど・・
最初は、超ムカつくことばっかりだった!

私の服や本を断りも無しに持ち出すし、ありがとう!も言わないし・・・アメリカでも日本でもそんなの許されないことでしょう?

でも、韓国では仲良くなった人同士ならば、それが当然なんだって聞いたわ。 
むしろ、いちいちお礼を言ったりする方が水臭くて嫌われるそうよ。
つまり、それだけ、歴史も常識も違うってことよ。」



そうかもしれない。

「結局のところ、プロパガンダを駆使して押し通そうとする韓国もバカだし、そんなことで右往左往する今の日本もバカなのよ。
今の日本の政治家も、李王朝時代の側近みたくなっちゃってるのかもね~。

日本は幕末の頃までは、坂本龍馬だとか西郷隆盛とか優秀な人が多かったのにね~。」



いやあ、彼女の知識には驚くばかりだ。


「でもさ、坂本龍馬さんとか、西郷さんは政治家だったっけ?」

注: 坂本さんは暗殺されちゃったし、西郷さんは鹿児島に帰っちゃったんだった。。。


「ううん、明治政府に入ってないから、議員ですらないでしょうね。
でもね、議員バッチをつけてるのが政治家じゃないと思うよ。

真剣に民のことを考えられる人を政治家と呼ぶんじゃないのかな。」


「あの・・ひょっとして、あなたは相当な親日家?」

「いやね~(笑) 私は反日家でも親日家でもないわよ。
そんなレベルの話はしてないし・・・」


おお!(笑)

恐れ入りました。。。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ふと、思い出した。

これは日本の場合だけど・・・

政治というのは、政(まつりごと)とも呼ばれる。

まつりごとというのは・・祭政一致(さいせいいっち)のことで、
祭祀と政治とが一元化、一体化していること
だそうだが・・

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それは、天から授かるお役目のようなものではないだろうか?

天とは、神様なのかグレイトスピリッツなのか・・そこらへんのことはわからない。


しかし、まつりごととは、

精神性と行政が一致してるものでなくてはならないもの。

そして、政とは民意の反映


そんなことを思った。

決して一部の権力者を守ることでもなく、

王族の存続でもなく、

多くの民の意思を反映するために行うことのが政治ではなかったか。


少なくとも、それが日本における政治(まつりごと)だった気がする。


彼女の言うように、議員バッチにをつけているものが政治家ではないのだ。

オオカミと人と自然の関係

「ルーマニア、カルパチア山脈の森で生きる羊飼いと狼の物語」という動画をまた見てしまった。




これには、いくつもの考えさせられるポイントがあったのだ。


◆狼は群れで生きる動物・・・なのに群れを離れることを選択して一匹オオカミとなるヤツもいるということ。

「群れる」ということは協力し合うことができる・・つまり、それだけ食料にありつけることにもなり、危険から身を守ることもできる。

それに比べて一匹で生きるということは過酷だ。

待ち受けるものは死しかない・・・ほとんどのケースが餓死か病死

じわじわと死を待つという死に方は、一番つらいものだという。
まさに孤独死。

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なぜなら・・・一匹では大きな獲物は狩れないからだ。
運よく狩れてもウサギやリス程度の小動物、それでは体重50キロもあるようなオオカミのお腹の足しにはならないだろう。




◆カラスという鳥・・その生態については、いまだわかっていないことが多いという。

カラスといっても、このカラスはRaven(ワタリガラス)だろう。
Crow(カラス)ではない。

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一匹オオカミとカラスは森で出会い相棒となる。
つまり協力関係、同盟を結んだってことになる(笑)

カラスの能力、「高いところから遠くを見渡せる視覚」を使って、オオカミに獲物の場所を教え、
オオカミは獲物を倒し、その一部を食料をカラスにも与える。

なぜ、異種間でありながら、こんな協調関係がささっと結ばれるのか?

しかも、狩ったものが小動物の獲物であってさえも、オオカミは必ず獲物の一部をカラスのために残すのだ。



◆カルパチアの森で暮らす羊飼いは銃を持たないという。
また、罠を仕掛けることもしないそうだ。

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唯一、羊飼いと羊たちを守る役目は犬たちに委ねられる。


ん? これはまだ子供だけど・・
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Carpatian Shepherd Dog(カルパチアン・シープドッグ)と言われる種類で、祖先はカルパチアオオカミだという。

こちらは、同種でありながら、襲う側と守る側に分かれているわけだ。


カルパチアンドッグは、他のシープドッグのように羊たちを移動させたり柵に追い込んだりする仕事はしない。
ひたすら目を光らせ、守ることだけに24時間専念する。


しかし、どうしても守り切れない事態も十分に起こりえる。

銃を使わず犬たちに頼れば、年に数匹の羊が奪われれるのは覚悟の上、しかも、大切な犬もまた、オオカミによって殺されてしまうこともある。


つまり、みんなが命をかけているのだ。
ヒトも犬もオオカミも羊も・・。



◆犬のトレーニング方法

この動画の中で見る限り、「子犬を羊たちに慣れさせるために一定期間同じ小屋の中に入れて置く」

それだけだった。。。

羊と犬との協調関係は築けるだろうけど・・それだけで、犬は羊を守るという使命を自覚するんだろうか?

うーーむ。 どうも、そうらしい。

信頼関係さえ築ければ、そのあと子犬は大人の犬たちの行動を見ながら、自ら学んでいくようだ。


さらに、
羊飼いは、めったに犬に触れることはしないそうだ。

犬に触れて撫ぜてしまうと・・犬は使命を全うできなくなってしまうという。

それでも子犬が怯えて鳴くときは、羊飼いは優しく声をかける。

べたべたしたスキンシップでなくても、深い愛情はテレパシーとなって犬の心に染みわたるのかもしれない。

そんなことを、つくづく考えさせられた。

でも・・私には、ちと無理かもしれない。
大きな犬にモフモフと顔をうずめて寝るのが好きな私には・・(笑)


こういった信頼感は、誰もが命がけで生きているからこそ生まれるものなのだろうか?

オオカミとカラスも、羊飼いと犬、そして羊たちも。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

一方、世界全体をみれば、武器を持ちオオカミを殺戮しまくった人たちの方がはるかに多い。

オオカミは「憎むべき敵」、「悪い奴」の代名詞だったからだ。

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アメリカのイエローストーン国立公園の話は有名だけど、この話、日本の方々はご存じだろうか?

1926年を最後にオオカミは絶滅した。(←もちろん人間の手によってだ)

その結果、捕獲される恐れがないため、鹿が増え続けた。
多量の鹿によって、ほとんどの草が食べつくされて大地は丸裸になってしまった。

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それだけではない。

草木が無ければ、ツグミやヒバリなどの鳥たちはいなくなる。

水辺に住むビーバーがいなくなる。
ビーバーがいなくなれば、あの、ビーバーが作るダムがなくなるのだ。

ビーバーダムは、カワウソやマスクラット、カモ、魚など、多くの爬虫類、両生動物などの住処でもあるのだ。

彼らはみーんな消えていく。

それはいつしか、川の流れさえも変えてしまうことになった。

川は濁流へと変化したのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

慌てた人々は、生態系回復のため、1995年にカナダから連れてきたオオカミの群れを再導入した。

そして約20年後、また、生態系は回復したのだ。

鹿はオオカミたちから狙われやすい場所や逃げづらい谷間を避けるようになったため、そこから植物が息を吹き返したのだ。

すると、鳥たちが戻り、

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多くの小動物も復活する

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大きな動物たちも復活していく。

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そしてまた、川さえも変えたのだ。

それまで曲がりくねっていた川は緩やかな蛇行流となり、浸食が減り水路は狭まり、より多くの浅瀬ができるようになった。
ますます野生の生物たちにとって、好ましい環境になっていく。


まさに、バタフライ効果と呼べそうだ。

バタフライ効果とは・・
初期値のわずかな変化が次第に大きな影響を及ぼす現象のこと。
蝶が羽を動かすだけで遠くの気象が変化するといった比喩的、寓話的な表現ともされている




オオカミの群れが加わったというだけで・・自然は復活したのだ。
それもたったの20年で・・。

狼の社会は、ウルフパックと呼ばれる群れ社会だ。

だいたいの場合、平均8~15頭ほどの群れを形成し縄張りを持ち、それをボスが統率している。

イェローストーンには、美しい白い雌狼が率いる群れがあった。

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雌がボスであり、しかも美しい白オオカミ、これは稀なことだ。

彼女は、White lady(白い貴婦人)と呼ばれ、多くの観光客にとってアイドル的な存在となった。


しかし、ある日、彼女は心無いハンターによって射殺されてしまったのだ。


すると、さまざまな団体が犯人捜しをはじめ、犯人をみつけたもの、またはチクった者には賞金を出すということになった。

私が聞いたときは、5000ドルだったけど・・今では1万ドルまで跳ね上がったようだ。

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もちろん、心無いハンターによって殺されてしまったのは悲しい。


だけど、人は愚かだ。
愚かすぎる。。。

オオカミを憎み絶滅させておいて、今度は復活させ、そして一頭をアイドル扱いして、それが殺されると今度は賞金を出して犯人捜しか~。

・・・・・・・・・・・・・・

オオカミが絶滅した当初、鹿にとっては天国だったことだろう。

ところが、人口増加で土地は荒廃し食料不足になり、いずれは鹿も絶滅してしまうのだ。
まるで、今の人間社会のようだ(笑)

そうならないように、モンサント社が貢献してるって?
おいおい!(笑)



すべての人及び動植物が生きるのは、そこに必ず意味があると思っている。

どれかひとつが欠けても成り立たないのではないだろうか?


動植物だけの関係性だけではない。

それは・・自然にも大きな影響を与えている。

川の流れを変え、気象までも変えてしまうものなのだから。



自然あっての命でもあり、
人と動植物あっての自然なのだ。




それでも、個々には誰もが思うのだ。

飢えたくない、死にたくない!

それは、どの動植物だって同じ思いだろう。


だからといって、ある対象を敵とみなして抹殺してしまえば、結局自分たちの種族は全滅する。

それでも、自分の命だけが少しでも長く無事ならば、それで構わないんだろうか?

たぶん、そうやって作られてきたのが現在の人間社会なのだろう。


ところが、真逆な生き方をしている人たちもいる。
この動画にあった、羊飼いのように。


その大きな違いは、
自分は自然の中の一部だという認識かもしれない。


だからこそ、命ある限りせいいっぱい生き、そして、天命が下れば、いつでも死ぬ覚悟もある。

まさに、野生動物たちと同じなのだ。

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彼らは必死に生き、子を守り教育し次の世代へ繋げていく。
いつか死を迎えれば、それさえも誰かの糧になる。


銃を持たない羊飼いは、文明社会の人と比べれば短命かもしれない。

それでも、強い信頼関係で結ばれた犬たちがいる。

羊と犬もまた、強い信頼関係で結ばれている。

オオカミの群れは、仲間との強い信頼関係で成り立っている。(←だからこそ連携プレーの狩りができるってわけだ。)

カラスと一匹オオカミもまた信頼関係で結ばれている。

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なんだか、私には、こっちの方が羨ましい生き方に思えてしまう。

自分という個の存在ですら、何か(誰か)の役にたち、それが未来へ繋ぐことになるのだから。

私の夢は、いつか世界中すべての動植物と自然が共存できる世界になること(笑)

決して不可能ではないのだ・・・人の意識さえ変われば。

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注: オオカミはかつて世界中に広範囲に生息している動物だった。

もちろん、日本にも生息していた。
ニホンオオカミは1905年に奈良県東吉野村鷲家口(わしかぐち)にて捕獲された若いオスの個体を最後に目撃例がない。
すでに絶滅したと見られている。

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