FC2ブログ

8/15に歴史を考えてみた(その3)

8/15に歴史を考えてみた(その2)からの続きとして

今回は私が原爆に思うことを書こうと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

原爆について、私たちが学生時代に教わった認識では、

「原爆は悪だけど、アメリカが戦争を終わらせるためには仕方のない事だった。」


ということになっていた。

これは、日本のみならず、アメリカの学生もまた、そのように歴史の事業で学ぶという。

アメリカの場合、アメリカ史のすべてを網羅しないといけないらしく、歴史の教科書はすごく分厚い。
A4判ほどの大きさで1000ページ前後はあると思う。 (アメリカでB5判はめったに使わない)

s-l225.jpg


一方、日本の歴史の教科書って、B5サイズで440ページくらい。

yamakawahistry.jpg

なんで、アメリカの歴史の方が浅いはずなのに、こんなに分量が違うのかというと・・

●アメリカには日本のような全国共通の指導要領や教科書検定制度がないので、出版社側が自由に編集できること。

●アメリカの教科書では論争的なテーマについて幅広い意見を提示している。
これは、歴史の授業が生徒に批判・評価能力をつけるため、討論を中心に組み立てられているため。


なので、アメリカの教科書は学校によって、どの教科書を採用するかによって違ってくるし、また時代によっても違いは出てくるだろう。


ちなみに私と同世代の人に、歴史の教科書では、原爆のことはどのように書かれてた?と聞いたところ・・

ほんの1-2ページだけだったし・・

内容は、例のきのこ雲の写真、犠牲者の数、原爆が投下された理由(原爆が戦争を終結させた)

そして、アメリカと日本はトモダチになり、今ではすべてがうまくいっている。めでたし。めでたし。



だったそうだ。


それに、とくに授業でも、それについてのディスカッションはなかったそうだ。(ディスカッション好きのアメリカなのに?)

だから彼もまた、原爆は戦争を終わらせるためだったんだ~、今はアメリカと日本は仲良し~と、漠然と思っていたという。


私と認識とほとんど変わらない(笑)


ところが真実はわからない! 

その後、調べたところによると・・


すでに敗戦は濃厚だったので、日本政府は全面降伏の準備があることをすでに敵側にも伝えていた。
ただ1つの懸念は、天皇制だけを残してもらうことだった・・。


だとすると、「戦争を終わらせるため」にという理由が成り立たなくなる。

アメリカ内部の1部の人たちが、その情報を握りつぶしてしまったのか?

なんのために?

  

原爆を落としたいから。
他国にも原爆の威力を見せつけたかったから(とくにソ連に対して)



というのが、歴史修正主義者の主張だ。(オリバー・ストーンは有名、また一部の歴史学者など)


一方、伝統的な歴史学者は、今なお原爆は戦争を終結させたと主張する。

彼らの主張はこうだ。


●そもそも・・真珠湾攻撃を仕掛けたのは日本だ。

これに対する歴史修正主義者によれば・・
アメリカ軍部では、日本の無線を傍受していて・・すでに真珠湾が攻撃されることを知っていた。
知っていてあえて無視した(彼らを見殺しにした)、戦争突入の大義名分が堂々と得られるから。

うーん、これについては・・過去のアメリカの「リメンバーXXX!」のスローガンを考えると、実にありえそう!と思ってしまう私

●日本本土上陸を実行すれば、多くのアメリカ兵を失うことになる。
彼らの命を守るために必要だったのだ。


アメリカ側では、残虐性を帯びた鬼畜日本兵! 死をも恐れないクレージー日本人!と思われていたらしい。

こんな奴らと戦えば、負けがわかっていても降伏しないだろうし、いたずらにアメリカ兵を失うことになってしまう・・というのが理由。


●捕虜となっているアメリカ兵を救うため。

欧米では正々堂々と戦い、負けを認めたら捕虜となる、敵方であっても、共に戦って捕虜となったものには敬意を示すこと・・というのが正しいとされる考え方。

ところが当時の日本では、捕虜となるよりは死を!とされていたそうで、生きて捕虜になることはもっとも恥ずべき行為だったとか。そこで、戦争捕虜に対しては対等な人としては扱われなかったそうだ。 虐待は日常、殺してもいいような存在だったらしい。

捕虜たちが死に至るのは時間の問題だっただろう。


実際、捕虜収容所に入れられていた元米兵が、勝利パレードのときに、トルーマンの家族に、

「日本に原爆を落としてくれてありがとうございます。 おかげで私たちは命が助かったんです。
あれが、もう少しでも遅かったら私たちは殺されてました!」
・・・と涙ながらに感謝したそうだ。

NINTCHDBPICT000495704999-1.jpg

実際、私自身もアメリカに来て、退役軍人のじいさんたちから・・似たような話を聞かされたことがある。

ある米海兵隊のキャプテンだった彼は、当時長崎への上陸計画が計画されていたが、もし実行されれば日本軍の反撃に遭って、部下の多くを失うと悩んでいたそうだ。
だから長崎に原爆が投下されて戦争が終結したと聞いたとき、心から安堵したという。



そして一方、広島や長崎の話を聞けば・・

あまりにも無残、残酷、悲惨過ぎて、絶句するばかりだ。


あ、そういえば・・
「はだしのゲン」は、2-3年前に図書館の閲覧を禁止するとかしないとかって問題にもなったっけ。

子供にはグロテスク過ぎるとか、歴史修正主義者の悪影響だとか、天皇制を反対する思想が込められてるとか・・ってことだったような・・(笑)

そこじゃないよな~!と思うのは私だけ?


前にドラマ化されたヤツをみたけど、

hadasigen.jpg

中井貴一さんのお父さんが、かっこよかったなあ(←そこでもないだろ~が!)


こういった日本の広島・長崎サイドらの視点でみれば・・

軍人でもない一般市民の命を奪ったんだから、原爆を落としたアメリカこそが悪人!

という感情で掻き立てられてしまうのだけど・・



しかし、当時の常識としては・・

あれは戦争なのだ。
人々(連合国でも枢軸国であっても)は市民を攻撃する行為を正当化できると思っていたわけだし・・

事実、当時行われたことのすべてについて、多くの「正当化」がなされてきたことだって事実だ。


また、原爆ほど残虐なものはないと言う人もいるけど、残虐な行為なんてほかにもたくさんあったのだ。

東京大空襲では死者数は広島に匹敵するらしい(放射能の被害はないというだけだ。)

tokyodaikusyu.jpg

累々と並ぶ黒焦げ死体の山の写真をみたけれど、絶句してしまうばかりだった。

親戚のおばあちゃんから、焼け爛れた人の群れが隅田川に入って絶叫しながら、みな死んだ・・という地獄絵図の話を聞かされたことがあった。

まず・・なんで民間人がこんな目に合わなきゃならないんだ!って、思った。


では、民間人を殺してはいけないけど、兵士ならばどんな殺し方をしてもいいのか?
生物兵器を使ってもOKか?

また、捕虜となった兵士ならどんなふうに虐待しようが殺しても構わないのか? 
捕虜となれば民間人と同様でないのか?


色々な疑問が湧いてくる。

そもそも、殺された人の数が問題でもない。

問われているのは、人としての倫理観だ。


戦争における倫理観?
めったにお目にかかれないような気がする(笑)

どれも最悪の出来事であり、どれも正当化することはできない。


アメリカにおいても、伝統歴史学者と歴史修正主義者が集まると、最後はただ怒鳴り合うだけになるという。

どちらか一方の極端な主張だけを採用しようとすれば、なにも前に進めない。 いがみ合うだけになるだろう。

こんな人たちには不快感しかない。

また、原爆投下をしたアメリカに対して、謝罪しろ!と叫ぶ日本人も不快だ!


原爆投下に謝罪しろ!と要求するならば、真珠湾先制攻撃に対しても謝罪を要求されても当然ということになる。

そのほか、捕虜への虐待、惨殺にも、南京事件やら、731部隊のことにしても・・・日本側だって、叩けばいくらでも出てくる。

当時の日本国民(兵士ではない人たち)ですら、米兵を竹槍で突き刺して殺せ!と教えられていたらしいから。
そうなれば、決して無抵抗な民間人ではなくなってしまう。


謝罪!
単なる謝罪?

そもそも、そんなことから・いったい何が生まれる?


オバマ大統領が2016年だったか・・広島を訪れて原爆死没者慰霊碑前に献花して、スピーチしたときも、
ぜんぜん謝罪をしなかった!という点が大きく取り上げられたとか。

obamain hiroshima

太平洋戦争で生き残ったアメリカの退役軍人に対して、彼らの心情を思えば、原爆投下が間違っていたと言うことはできない。
だからといって、原爆投下は素晴らしい考えだった、という正当化はできない。

それは、大統領の立場として当然のことだと思う。
むしろ、政治的な面よりも、人としての面においても・・。


日本人が言う、謝罪の目的はなんだろう?

そもそも、オバマはあの時代を生きた世代ではないし戦争に直接関わっていないじゃないか?
なぜ、そんな彼に謝罪を求めるのかが・・、私にはわからない。

トルーマンに謝罪を求めるなら、わかるんだけど・・。


謝罪によって、罪の意識を植え付け上書きさせたいんだろうか?

それじゃあ、まるで・・慰安婦問題がどうとか叫んであちこちに銅像まで作っちゃう・・ようなレベルになってしまう(笑)

謝罪させて罪を認めさせて、相手国を貶めておいて、しっかり賠償金をゲット!が目的?
だとしたら、それこそ、まさにポリティックだ(笑)・・・それもいやらしいやり口だと思えてしまう。


だからといって、

戦争だったんだから仕方ないよ! もう、なかったことにしよーぜ!ってことではない。

しっかりと、すべての人々に、

広島・長崎で起こったことのすべてとアメリカ側に起こったことのすべても・・両サイドのすべてを!

何も隠さず事実のすべてを知らせること、知ることだと思う。


私たち世代のすべきことは・・・それらを罪の意識として捉えるのではなく、

託された責任として受け止めるべきではないだろうか?


未来において、物事を少しでも良くするための責任だ。


戦争において、

原爆によって家族を失った日本人もいれば、日本人によって家族を失ったアメリカ人だっている。

どちらが辛いか、悲惨かなんて・・はかりにかけるようなことではないし、また、出来ようもない。

そこから抜け出すのは並大抵のことではないだろうけど・・、

それでも、あの、ヴィクトール・フランクルのように、

「それでも人生にYESと言う」


それは希望であり、

同時に、私たち未来へ課せられた責任でもあると思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これは今の私が思うことだ。

若い頃の私は、そんなことまで考えてもみなかったし、教科書に書かれていた数行の事実しか知らなかった。


子供の頃なんて・・戦争映画大好きだったし~!(←信じられん)
戦場にかける男の熱い友情とか、戦闘シーンに、ぐっとなってる子だった。

とくにこの映画は小学校のときに、大ファンになってしまったくらい。
    ↓
眼下の敵poster

そしてずいぶん前に、こんな戦争の話もアップしてたくらい(笑)
   ↓
武士道・騎士道:惻隠(そくいん)の情

これは実話であって、実にヒューマニズム溢れる話なんだけど・・

こんな男ばかりじゃないし~、戦争なんて大半は醜いものだ!と知るのは、それから後の事。

ソルジャー・ブルーだとか、プラトーンをみたりしたあたりから・・だんだんと私も学んでいったわけです。。。

まずは、さまざまな角度から事実を知ることだと思う。


・・ということも、映画から学んだような気がする。
でも、本当は、ちゃんと教科書から学べる世の中になって欲しいと思うのだ。

8/15に歴史を考えてみた(その2)

8/15に戦争の歴史を考えてみたからの続き


原爆にまつわる話なんだけど・・

アメリカの原爆開発にユダヤ人科学者たちが多くかかわっていたことはご存じだろうか?

実は以前にも原爆の話はちょこっとアップしたことがあったけど⇒古代核戦争の謎とヒロシマ原爆
今回は、別視点で書いてみることにする。



当時ヨーロッパにいた、ユダヤ系科学者たちの多くは、ナチスドイツから逃れるために、多くがアメリカに亡命した。

たとえば・・ごく一部の後世に名を残した人だけを挙げるならば・・

ユージン・ポール・ウィグナー (Eugene Paul Wigner)・・・ハンガリー出身の物理学者。ユダヤ系。
「 原子核と素粒子の理論における対称性の発見」により1963年ノーベル物理学賞受賞。
Eugene Paul Wigner


レオ・シラード(Leo Szilard)・・ハンガリー出身の物理学者。物理学者・分子生物学者。

Leo Szilard
右側がシラード、左側がアインシュタイン

アルベルト・アインシュタイン(Albert Einstein)・・ドイツ生まれの理論物理学者。
この人の説明は、いまさら不要だろう(笑)


エドワード・テラー(Edward Teller)・・ハンガリー出身の物理学者。 理論物理学者。
アメリカ合衆国の「水爆の父」として知られる。ローレンス・リバモア国立研究所は彼の提案によって設立された。
Edward Teller


ニールス・ヘンリク・ダヴィド・ボーア(Niels Henrik David Bohr)・・デンマークの理論物理学者。
量子論の育ての親として、前期量子論の展開を指導、量子力学の確立に大いに貢献した。
Niels Henrik David Bohr


これらは、みなナチスの手を逃れてアメリカに亡命したユダヤ人たちだ。


そして、こちらは、当時の亡命者ではないけれど・・同じくユダヤ系アメリカ人(お父さんの時代に亡命していたのかも?)
   ↓
ジュリアス・ロバート・オッペンハイマー(Julius Robert Oppenheimer)・・ユダヤ系アメリカ人の物理学者。
当時ロスアラモス国立研究所の初代所長としてマンハッタン計画を主導。
卓抜なリーダーシップで原子爆弾開発プロジェクトの指導者的役割を果たしたため「原爆の父」として知られた。
Julius Robert Oppenheimer


そもそものきっかけは、
1938年に、アインシュタインとレオ・シラードが共同で書いた手紙が、ルーズベルトに送られたことからはじまる。
アインシュタイン=シラードの手紙


ナチスドイツは、原子力の兵器開発を進めてますよ~!
どうか、アメリカの方が早く開発を進めてください。

原子力兵器の開発計画を進言する手紙だった。


なぜなら、

彼らはナチスドイツから逃げてきた人たちだ!

ヨーロッパはナチスドイツに占領され、多くの彼らの同胞たちが大量殺戮に合っていたのだから。
なんとか、彼らを救いたいとして、アメリカに進言したのもうなずける。


ルーズベルト大統領はアインシュタインの進言をすぐに受け入れ、原子爆弾開発を目指すマンハッタン計画が開始されることになる。

Franklin Delano Roosevelt
     ↓
Franklin Delano Roosevelt

アメリカ側にとっては、実においしい話だから(笑)

マンハッタン計画には多くのユダヤ人科学者が加わることになった。

上記にあげた科学者たちも当然加わっている。


実際ドイツでは、数年前から開発を進めて、あと少しで原子爆弾は出来上がる手はずになっていたそうだ。

ハイゼンベルクたちも、ナチスドイツに命令されて開発させられてたそうだけど・・・わざと、チンタラやってたらしい。
Heisenberg_10.jpg
ナチス・ドイツなんかに、こんな研究を渡してなるもんか!と、心の底ではアンチ・ヒトラーの科学者たちも多かったという。
純粋なドイツ人にもかかわらず!

それにしても、量子力学の話をアップしたときも、ボーアやハイゼンベルクは登場してるし・・すごいメンバーです。
神の領域に挑戦する人々(その1)


原爆開発がもたついている間に、ナチスドイツ軍にも陰りが見えてくる。


1943年1月31日、スターリングラードでソ連軍に降伏。

で、ソ連が東部戦線の主導権を握ることになった。


同年9月3日、イタリアが無条件降伏。

翌1944年6月6日。連合軍は200万人、艦船4400隻、航空機25000機を投入してノルマンディ海岸に上陸。

東からはソ連軍が、西からは連合軍がベルリンを目指して進行を開始した。


1944年9月18日。 
ルーズベルトとイギリスのチャーチル首相の秘密会談が開かれ、秘密協定が結ばれたらしい。

ドイツの原爆開発はもう無いだろうし、ヨーロッパ戦線のメドもたったから、原爆投下の対象は日本にしようぜい!と。
(実際のところは正式発表がないのでわからないのだが・・おそらく、このような話になっていたのではないかと・・)




おいおい! ちょっと待ってよ!・・・と、ここで慌てたのはユダヤ人科学者たちだ。

俺たちはベルリンに原爆を落とすためには協力してきたんであって、日本には落としたくない!
日本にはなんの恨みもないんだから!


それどころか、日本はユダヤ人のことを差別しないどころか、むしろヒトラーから逃げてきたユダヤ人を匿ってさえいたのだから。
(実際、神戸には多くのユダヤ人がいたという。)



1945年3月25日、ドイツの降伏が目前に迫ると、アインシュタインはルーズベルトに手紙を書いて、日本に対して原爆を使わないよう要請している。

残念ながら、ルーズベルトはその手紙を読まないまま、4月12日に急死してしまう(過労死だったという話)
そりゃまあ、大恐慌にニューデール政策だとか、第二次大戦とか・・大変なことばっかだったしなあ。。。


急遽その後をついだのは、副大統領だったトルーマン
貧しい育ちで、唯一大学出ではない大統領だったので、ルーズベルトからはバカにされてたとか・・


Harry S Truman
      ↓
Harry S Truman


同4月28日、イタリアの独裁者・ムッソリーニは民衆義勇軍によって逮捕され処刑。
ミラノで、愛人と共に死体がさらしものにされた。


同4月29日、ナチス総統ヒトラーはピストルで撃ち抜き自殺。
5月7日、ナチスドイツは連合軍に無条件降伏。


今度は、レオ・シラードはトルーマンに請願書を書いた。

「日本に対する原爆使用は正当性がない、日本への原爆投下は国際犯罪となるだろう。
さらに、全世界が大量破破壊兵器の脅威にさらされる時代をまねいてしまうことになるだろう。」
、といった内容だった。


実に科学者らしい・・・原爆がどういったシロモノであるかを熟知していたわけだし・・
だが、アメリカは原爆投下を行っても国際犯罪で訴えられることはなかったけどね~。
(まあ、イギリスも、チャーチル・ルーズベルト会談で知ってたからなのか・・? だからアメリカを責められない、正当性を認めちゃったのかも・・)




さらに、シラードは、
原爆を投下する前には、せめて日本に充分な警告を与えるよう求める内容の手紙も書いている。

この2番目の請願書 は67人の科学者が署名し、大統領宛に送付されている。

それでも、ダメだったんだよなあ。




ここで、その頃の戦況を述べておこう。

アメリカ海兵隊が連戦に次ぐ連戦で、バラワン、ルバン、ミンダナオ、パナイ、セブ、ネグロス各島に上陸。日本守備隊全滅


3月26日、最後の砦だった沖縄に、18万3千名のアメリカ軍が上陸
各地で悲壮なまでの死闘が繰り広げられ、日本兵10万9千名と沖縄市民10万人が死亡。


日本軍はこの時点で、戦艦・航空母艦・戦闘機もほとんど底を尽き、都市は焦土と化してしまった。

降伏は時間の問題になっていた。

あとは、本土決戦で一億玉砕か、無条件降伏か。
日本の選ぶべき道は、2つに1つだった。


1945年7月17日、ベルリン南西部のポツダム市。 旧プロイセン王家の屋敷「ツェツィーリン・ホーフ」

ここに、イギリスのチャーチル、ソ連のスターリン、アメリカのトルーマン三首脳が集まっていた。
ポツダム会談だ。

Potsdam Conference

これより終戦後の世界をお互いにどーするか? って会談が開かれたわけだ。


この会談の初日、アメリカ大統領、トルーマンのもとに、一通の電報が届けられたという。

★人類史上初めて、核分裂による原子爆弾実験成功!!のしらせだったという。


この時すでにトルーマンは、原子力政策諮問機関「中間委員会」の答申を受けて、「実行」を決断していたのだ。


そう、つまり・・ユダヤ人科学者たちの嘆願書も、なーんも意味を持たなかったというわけだね。


ニールス・ボーアなどは、日本への原爆投下を阻止するためにも、涙ぐましいほどに奔走している。

でも、それすら徒労に終わった。


なぜ、トルーマンは実行させてしまったのか?

●前任者のルーズベルトは、原爆の研究・製造予算に、延べ20億ドルを政府予算からひねり出していたという。
それを、議会も国民にも内緒にして。


●いくらアメリカ軍が連勝しているとはいえ、払っている犠牲も大きかった。
沖縄本土決戦においても、硫黄島の戦いにおいても、信じられないくらいの米兵を失っている。
死を直前にした日本兵は、すさまじかったのだ・・・それは恐怖にも近いほど。
まして勝ち戦に、多くの犠牲を払いたくなんかない!


●第二次世界大戦においてソ連を偉大な貢献者にはできないし、
ソ連に対する「威嚇」という政治的効果を重要視しなければならなかった。




まだ、他にも理由はあるかもしれないけど・・主なところ、政治家としての理由をあげるならば、こんな理由からだろう。



なんとまあ、汚い! 非人道的的! 

しかし、戦争というものは、そもそも非人道的であり汚いのだ。

こういった考え方は戦争においては、むしろ「常識」であり、「立派」なのかもしれない。


昔からそうだ。

たとえば、日本における豊臣秀吉の戦略をみても・・・

彼はサル🐵と呼ばれ、ひょうきんなお調子者でムードメーカーだったけど、戦略の天才でもあったんだから。
戦略の天才=汚い!ということでもある。

我が軍勢を損なわないために行った三木の干殺し(みきのひごろし)などは有名な話だし・・彼のお得意戦法の1つだった。

民百姓まで城内に入れるようにさせといて、食料輸送を絶ち、徹底して敵方が飢えて死ぬのを待つという戦法。
これなら、味方は高見の見物をしてるだけで済む。

さらに、1つの戦に勝ったあとのことまでも計算に入れて、いかに有利に進められるかを考えて行動している。



時代がどんなに変わろうとも、戦争というものは、古今東西、同じなのだ・・・と思い知らされる。


ルーズベルトやトルーマンが、どんな人だったのかは知らない。 
日本人が大嫌いの差別主義者だったとか、ただ原爆の威力を確かめたかっただけだったとか・・そういった見方もあるけど・・
同時に、良き父であり家庭思いであり人格者で、有能な政治家という評価もある。

人間なんて、さまざまな面を併せ持っているわけだし、周囲によっても影響を受けてしまうものだ。


当時は、アメリカ人たちは、日本をジャップと呼んでバカにしてたし、日本では、鬼畜米英 アメリカ兵をぶち殺せ!というスローガンまであったそうだ。 (←いやはや)


偏見といえば・・

日本では、「お国のため」のプロパガンダが強力に推進されていたし、欲しがりません勝つまでは!を合言葉に、大和魂総動員。
一人一人が御国の柱だとかいわれて、当時の小中生までもが、竹槍を持ってアメリカ人を殺す練習までさせられていたそうだから。

いざとなれば、玉砕!全員死ね!とまで言われたきた日本人。

こりゃもう、軍部による、りっぱな自殺幇助罪じゃね!


でも、似たようなことは、スピーチの天才といわれたヒトラーも言っている。
   ↓

青少年も同様に愚かだ。彼らには車とオートバイと美しいスターと、音楽と流行と競争だけを与えてやればいいのだ。
それでシャンペンの空気を抜くように、かれらの頭から”考える力”を抜き取る。あとは車とスターと流行と音楽の力を借りて、ワッとけしかければ、彼らは武器を抱いて地獄の底へでも突っ込んで行くよ。

そのためにも、大衆や青少年には、真に必要なことを何も教えるな。必要がないバカのようなことだけを毎日毎日教えろ。それで競争させろ。笑わせろ。ものを考えられなくさせろ。真に必要なことは、大衆と青少年を操るものだけが知っていればいい。

そしてあとは、”国家のため!”と何千回も呼びかけて、戦わせ殺し合わせるのだ。1人の人間を殺せば殺人犯だが、戦争で100万人を1度に殺せば、その男は必ず国家から最高の勲章をもらえるぞ。



なんだか、今でも通用する、3S政策みたいだ。

どの時代にも、権力を握るものと握られている側の図式がある。


ということは、戦争下においては、日本人もドイツ人もアメリカ人も・・みんな洗脳されてしまうのかもしれない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ただし、亡命してきたユダヤ人科学者たちだけは、違う視点でみていたことだろう。

ユダヤ人同胞を救いたい! それにはナチスを滅ぼさなければならない。 ナチスより先に原爆を作らなければならない。

そして結果的にはアメリカ政府に利用されたような形になってしまう。。。




紀元前から迫害され続けたユダヤ人、 その結果ユダヤ人は世界各国に広がり、同胞意識は強いものがある。
同胞を救おうとするユダヤ人。

そのユダヤ人が原爆を作り、まっさきに、その話に飛びついたルーズベルトもまたユダヤ系移民だったのだ。

そして、結果的に日本に落とされた・・ということは、なんらかの目には見えない関連性があるようにも思えてしまう。


古代ユダヤの民たちの血は、おそらく日本人の血の中にも混ざり合っていることだろう。
いわば、日本もまた血の上の同胞かもしれないのに。
    ↓
続:ユダヤの謎と日本の起源(その2)


不思議な因果だ。

さらに、アメリカはマンハッタン計画のとき、ウラン鉱脈が無いために海外から手にいれなければならなかったはずが・・
ホピ族の土地から発見されて・・邪魔になったホピ族を他の土地に強制移住させようとまでしている。

(彼らは断固反対して土地を手放さなかったし、また、他国からの人道的な面でクレーム入れられるのを恐れてアメリカ政府は断念した)

hopi_mesas.jpg


もうひとつ、忘れてならないことは、

ホピ族も、トルーマン大統領に手紙を出していることだ。

ホピの長老に、口述で伝えられてきた予言によれば、

「ここは、アメリカ大陸の背骨であり、ヒマラヤなどと同様、地球の自然エネルギーの震源で、もしここが破壊されたら全地球的な規模で変動が起きる。 それゆえ、この地に留まり守らなければならない。」

「またこの地には、使い方によっては人類を滅亡してしまうものが埋まっている。人類がこれを争いではなく平和に利用することが出来るようになる日まで、この場所に留まりこれらのものを守っていくように。」

それゆえ、ホピは、この地にとうもろこしを植えて細々と生活をし、この土地を守ってきたという。



彼らの手紙を要約すると、

今日、私たちとあなたがた白人もまた、それぞれの人生の岐路に直面しています。
どうか道を間違わないでください!


<参考>
ネイティブアメリカン・ホピ族の神話世界より

ホピ族から大統領にあてた手紙(英文のまま)


このタイミングで、トルーマン大統領あてに手紙を書いたということは・・よほどのことだっただろう。

彼らもまた、ユダヤ人科学者たちとは別の視点から、未来における危機を予知していたことになる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

戦争の原因に宗教の違いをあげる人も多いけど、
私は、戦争の原因になる宗教は宗教ではないと思っている・・ただのポリティックの一環に過ぎないと思う。

多くは偏見と差別だ。

それと・・利権争い!

あっちの土地が裕福だし、もらっちゃおう!というヤツ。。



そして・・残念ながら、それは紀元前の昔から続いている。

この世はもう、ダメじゃ~! 終わりか?


いやいや、そうは思わない!

それでも、どんな状況下でも、勇気をもって人を助けようとする人がいるのも事実なのだ。
どんな巧みな、戦争下の洗脳にも、ひっかからずに!

たとえ少数であっても、こんな人たちがいる以上、必ず光はある。




同時に・・これはまったくの私の勘のようなものだけど・・

なぜか、ユダヤ系が人類のカギを握っているような気がしてならない。
そして、日本という地やホピ族もまた、「何か」あるのかもしれない。

8/15に戦争の歴史を考えてみた

8月半ばになると、終戦記念日のためか、やたら第二次大戦関連のものを目にすることになる。

広島の平和祈念式典の様子がニュース映像だとか、戦時中を舞台にした映画、ドラマだとか、もちろん、原爆の話なんかも。


こんなことは、ずーーと昔からあったことだったけど・・

学生時代の私は、
ああ、日本は広島・長崎に原爆を落とされて敗戦となったんだよな~。 
戦争で多くの市民も亡くなって気の毒だったよなあ~。


くらいの感想しか持たなかったのだけど、そのうち、だんだん歴史を知るうちに、思うことや考えることも変わってきた。


歴史の勉強といっても、もちろん学校の授業で学んだわけではない!
学校は良い成績を取るための勉強しかしてこなかったから。(笑)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

戦争の歴史にかかせないのは、やっぱりユダヤ人迫害の歴史が多く絡んでいるように思える。

そこで、あらためて、ユダヤ人の歴史をみていこうと思う。


★出エジプト

ユダヤ人の迫害の歴史は、紀元前13世紀の旧約聖書による「出エジプト」から始まっている。

私が知ったのは、チャールトン ヘストン主演の映画の「十戒」から。

800px-Charlton_Heston_in_The_Ten_Commandments_film_trailer.jpg

ここらへんのことは以前のブログ、ユダヤの謎と日本の起源(その1)にもアップした話だった。


この当時、一部のユダヤ人はエジプトの地で暮らしていたが、エジプト新王国による差別と迫害を受けていた。

やがて、予言者モーセが現れ、ユダヤの民を率いてエジプトを脱出。

その後、聖なるシナイ山の頂上で神ヤハウェとの契約をさずけられる。 
⇒ これがのちのユダヤ教へ ⇒ さらに、キリスト教とイスラム教へと繋がっていくことになる。



モーゼの死後、紀元前11世紀頃になると、建国を成し遂げ、後継者ダビデ王およびソロモン王の治世で、最盛期をむかえる。

それもつかの間、ソロモン王の死後、王国は北方の北イスラエル王国と、南方のユダ王国に分裂してしまう。

その後、

北イスラエル王国はアッシリア帝国に(紀元前8世紀)

ユダ王国は新バビロニア王国に(紀元前6世紀)



に征服された。


このとき、ユダ王国の人々はバビロンに強制移住させられたが、これがたしか教科書にも載っていた「バビロンの捕囚」

800px-Tissot_The_Flight_of_the_Prisoners.jpg
*ユダ王国のユダヤ人たちがバビロンを初めとしたバビロニア地方へ捕虜として連行され、強制移住させられた事件のこと。


もちろん、全員が捕虜になったわけではなくって多数のユダヤ人が虐殺されている。

ここらへん、まるでアメリカ合衆国が先住民に行ったことと同じだよなあ~!


ところが、その新バビロニアもアケメネス朝ペルシャに滅ぼされてしまう。

新しい支配者のペルシャは、なかなか寛大な国だったらしく、納税を怠らず、謀反や反乱をおこさなければ、生活はもちろん、習慣や文化も保護された。


一方、アッシリアに征服されちゃった方は、死ぬまで過酷な奴隷としてこき使われて、そりゃ大変な目にあった。
なんといっても、アッシリアは歴史上でも、最も残忍な国といわれるくらいだから。

逃亡や反乱でも企てれば、見せしめに生きたまま皮を剥がされて貼り付けられたとか。

ペルシャの寛大さと比べると大違い!

ペルシャのユダヤ人たちは平和に暮らし、しかも、紀元前538年には、ユダヤ人はエルサレムに帰還することが許されたという。


彼らは帰還後、神殿を再建し、唯一神ヤハウェを信じるユダヤ教が成立した。

これ以降から、彼らはユダヤ人と呼ばれるようになったそうだ。
*それにしても、ヘブライ人、イスラエル人とも呼ばれたりして、ユダヤ人の定義は難しい。
宗教的要素と人種的要素の二つの面をもつわけだし~。



★イエス・キリスト受難

さらに、その100年後イエスが登場、そして、イエス・キリストの受難という流れ。

映画「パッション」を見てもわかるとおり、とにかく残虐極まりない殺し方。
あれほど苦痛を与え続けてじわじわと殺す方法がこの世にあろうか!ってくらいに。。。


しかも、イエスをローマ帝国に告訴したのはユダヤ教徒。 銀貨30枚でイエスを売ったユダもユダヤ人。
イエスを迫害し抹殺したのは、ローマ帝国でもヘロデ王でもなくって、ユダヤ人だった。

と、歴史上ではされている!

ここがまたのちの、ユダヤ人迫害にも繋がるらしい。


イエスの死後、キリスト教はヨーロッパで急速に広まっていったわけだけど・・313年、ミラノ勅令が公布される。

「正統派キリスト教」というものを決めて、正統派と認められれば、教会はしっかりと保証されるようになったわけだ。(何をもって正統? そこはまた政治が絡んでる)

キリスト教は完全勝利をおさめ、それに反動するように、ユダヤ人への差別と迫害がはじまった。


★ユダヤ人迫害&惨殺
中世に入っても、ユダヤ人への迫害はつづく。

1096年、聖地エルサレムはイスラム教徒の支配下にあったが、それを奪回すべく「十字軍」の遠征が始まる。

ところが、エルサレムを奪回した十字軍は、イスラム教徒だけじゃなくユダヤ人も虐殺しまくった。


ユダヤ教とキリスト教はともに旧約聖書を聖典とする同根の宗教のはずなのに~。

この後、ユダヤ人への差別や迫害は地球規模となり全時代におよんでいることがわかる。

1819年には、ドイツで「ポグロム」とよばれる大規模なユダヤ人迫害が起こっている。 その後、東ヨーロッパでも、ロシアでも。
ポグロム」はロシア語で、ユダヤ人にたいする略奪、虐殺を意味する。

Hep-hep_riots.jpg
ヘプヘプ・ポグロムでドイツ農婦たちに農具で虐殺されるユダヤ人たち(ドイツ・フランクフルト、1819年)
ポグロム_wiki


その他、虐殺事件とまではいかないまでも、人種差別から出た事件は山ほどある。

1894年にフランスで起きたドレフュス事件は、歴史的にも有名なもの。
当時フランス陸軍参謀本部勤務の大尉であったユダヤ人のアルフレド・ドレフュスがスパイ容疑で逮捕された冤罪事件。


★ナチスドイツ
近年になって、歴史上もっとも有名なのは、ナチスドイツによるユダヤ人迫害。

もともとは宗教上の問題ではなく人種差別に過ぎなかったのだけど、

1850年代だったか・・フランスの外交官ゴビノーによって、人種的優劣を論じた「人種不平等論」が発表されて
その中で、アーリヤ人種の優越性を唱え、同時にユダヤ人はもっとも下劣だとか・・。

何を根拠に論じたのかはわからないんだけど・・科学的根拠があるはずもない。
そもそも、DNAの構造が解明されるは、それから100年後くらいだし~。

本といえば、もっと昔、

1543年に、マルティン・ルター(プロテスタント運動の創始者の一人)が『ユダヤ人と彼らの嘘について』というのを出している。

もちろん、どこに根拠があるんかい?と思うけど・・。


とにかく、ユダヤ人迫害どころか堂々と大虐殺の時代だった。

「夜と霧」はヴィクトール・フランクルがアウシュビッツ収容所での体験をもとに、1946年に出版され、既に歴史的な名声を得ている。

mans search for meaning


この本、昔ちらっと読んだことあったけど・・トラウマになりそうだった!
ある収容所長の奥さんだったかが、自分が殺したユダヤ人の皮を剥いでランプの傘を作ったとか。

これじゃあ、残虐極まりない古代アッシリア帝国にも決して負けてないよなあ。

この当時、ユダヤ人は人ではないのだから。 害虫といっしょ!

だから、子供だろうがなんだろうが惨殺してOK。  
それが社会通念にもなっていたような時代だったのだから。



それでも、そんな時代の中でさえ、ユダヤ人を救った人もいる。

有名なのは、スピルバーグの映画「シンドラーのリスト」にも登場した、オスカー・シンドラー。
ドイツの実業家で、単に安い賃金でユダヤ人を雇えるし経営アップ!を狙っただけだったともいうけど・・
その結果、リストのユダヤ人1200名の命が救われたという。

268x0w.png


また、杉原千畝(すぎはら ちうね)は、日本経由の通過ピザを数千枚も発行した人で有名になった人で、これも映画化されていた。



その他にも、名も知らないドイツの一般人であってさえ、ユダヤ人を匿ったり命を救った人だって多くいたことだろう。


戦場のピアニストという映画の中では、ドイツ人の将校が、ユダヤ系ポーランド人のピアニストをこっそり匿まう話だったけど・・

51692JhfqiL_SY445_.jpg

これもまた実話をもとに作られていたという。

この当時、ユダヤ人に救いの手を差し伸べることが、どんなに危険なことだったか。
それでも、自分の命の危険も賭けて救おうとした人々がいたことも確かなことだったのだ。


★パレスチナから中東問題へ
まさに、ユダヤ民族とアラブ民族の仁義なき戦い。

なんだってこんなことになったのか?

事の発端はイギリスの2枚舌外交。

イギリスはオスマントルコが目障りで仕方がない!
なんとか、滅亡させて、ちゃっかり広大な領土を頂きたい!

そこで、1916年、イギリスのエジプト高等弁務官マクマホンとアラブの指導者フサインとの間に協定がかわされた。
アラブがオスマン帝国に反乱をおこす見返りに、第一次世界大戦後、イギリスがアラブ国家の独立を約束するよ~というもの。

そこで、アラブのベドウィンたちがロレンスと共に戦うことになる。
    ↓
lawrence-of-arabia-006.jpg

ここらへんのことは、アカデミー賞7部門を獲得した映画「アラビアのローレンス」を観ると、よーくわかる。
気の毒に・・ロレンスは何のために、戦っかったんだ~?


今度は1917年、イギリスはユダヤ人にも同じような約束をした。
バルフォア宣言だった。
パレスチナにユダヤ人国家の建設をしてもいいよ~というもの。

イギリスは、このユダヤ人国家をとおしてパレスチナに支配力を保持しようとしたのだろう。

それにしても、見事なまでのダブルブッキング!



こりゃ、どうみたって平和にすむはずがない。 

だって、ユダヤ人とアラブ人の根幹をなすものは、当然、ユダヤ教とイスラム教。
バリバリの一神教だ。 他の神は許さない!

神が悪魔か、善か悪か、勝利か敗北か、完全な二元論が支配する世界に突入しちゃったというわけ。


このようにして、イギリス(フランスも絡んでたのだが・・)の二枚舌計略で、オスマン帝国も滅亡させられちゃったわけだけど・・

オスマン帝国下ではイスラム教という大きな枠があるとはいえども多種の宗教が許容されていたそうだ。

各種民族が生活していて、また、言語も多種にわたり、アラブ語、ベルベル語、コプト語、シリア語も使われてたし、
宗教も、ムスリムが大部分だったけど、スンナ派、シーク派もOKだったし、エジプトのコプト教徒、レバノン周辺のマロン派、シリア北部からイラク北部にはネストリウス派、東方キリスト教諸宗派、正教徒、アルメニア教会派、カトリック、プロテスタント、ユダヤ教徒など。



ぜーんぶ、この1つのアラブ圏で生活を営んでいたのだった。

少なくとも、オスマン・トルコの時代だったときの方が、ずーーと平和だったはず。

キミらを独立させてあげるし国もあげるよ~!なーんて、甘い言葉にさえ乗せられなければなあ。


この対立の原因は、人種的、宗教的なものではなく、政治的なものが原因だったといえるだろう。

そんなわけで、今では、イスラエルとアラブ諸国の生存をかけた戦いに発展し、

これに、アメリカがイスラエルを支援してアラブ諸国と対立する構図があるのが現代。
ハイテク兵器をせっせとイスラエルに流し、ユダヤ人は最新兵器でパレスチナ人に対抗する。
ハイテク兵器を持たないアラブの組織がテロ的行動に出ることとなる。


★イスラエルという国

強力な後ろ盾、アメリカがついててイスラエルは安泰か?
というと・・そうでもなさそう。

イスラエルという国、ユダヤ人国家という1枚岩ではないから。

ご存じのように、アシュケナジー系ユダヤ人と、スファラディ系ユダヤ人という2種類のユダヤ人のいる国。


ロシア、ポーランドを中心とする東欧系ユダヤ人(アシュケナジーム)とその子孫で、白人系

中東と北アフリカのアラブ諸国から難民として流入してきたユダヤ人(スファラディム)で、有色人種系


ただし、同じスファラディムであっても、その出身国は、北西アフリカ、モロッコ、アルジェリア、チュニジア、リビア、イラク、イラン、イエメン、シリア、インドなど広範囲にまたがっており、決して一つの共同体というわけではない。

これまた、厄介なとこ。

同じユダヤ教徒のはずだけど、シナゴークも違えば、その教えも違う。


政府のトップ機関はアシュケナジー系に占められていて支配層が多く、スファラディ系は一段低くみなされている。

ところが、スファラディー系の方が、圧倒的に数が多いので・・いつまで抑え込めるかはわからない。
実際に、大統領の暗殺事件やら、物騒なことは山のように起きている国なのだ。

スファラディムの保守党は祖国愛の強いナショナリストであることが多いため、彼らはアメリカの言うことを聞かないのに対し、

リベラル派であるイスラエル労働党の方は、アメリカ(とくにアメリカのユダヤ人=政治家が多い)の言うことをよく聞く(笑)


つまり、内部分裂があるわけで・・物騒なこと、この上もない!


そこで、アシュケナジー系ユダヤ人の間では、イスラエル社会へ幻滅して、またも欧米に移住してしまう者も増えているそうだ。
欧米から移住してきたにもかかわらず・・だ。(貧乏人の多いスファラディ系はなかなか移住できない)


★グローバリスト・ユダヤ人

今のアメリカに住むユダヤ人たちのうち、金融財界人や学者、官僚になった人々は、そういった一部の人たち。

彼rはアシュケナージでもなければ、スファラディでもない。
なずけて、グローバリスト・ユダヤ人

彼らは、『わが愛する祖国と大地』を持たない人たち。 
そんなものは、どーでもいいと思える人たちだ(笑)

だって、グローバリストなんだから!

祖国に対する愛国主義も持たないし、必要とあれば、その土地に合わせて宗教だって自在に改宗できちゃう。

世界中のすべてが彼らの移住地であり、

彼らの目的はただ1つ、世界を自分たちの能力で管理してゆきたいと考えている人たちだ。

ade7063d-42fb-4009-b926-25c133b44d17.jpg
オーストラリアではトップ7人の大富豪のうち5人がユダヤ人だとか

まあ、グローバルユダヤ人、グローバル戦略の先駆けだったロスチャイルド兄弟だろうなあ~。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ずーーと迫害され続けたユダヤ人、

そして影で糸を弾いて、戦争を仕掛けるのもユダヤ人だったりする(グローバルユダヤ人だけど)

キリストもユダヤ人、キリストを迫害したのも処刑したのも、キリストを売ったのもユダヤ人だったかのように。

これが、どのように日本にも関わってくるのかは、次回のブログにアップすることにする。
(長くなるんで・・)



最後に1つ、

夜と霧のヴィクトール・フランクル、彼は第二次世界大戦下でナチスの強制収容所に送られ、家族を無残に殺され、自身も生死の淵から奇跡的に生還した実存主義の心理学者だった人だ。

Frankl-Young.jpg


その彼がその過酷な人生を振り返ってなお語った言葉が印象的だった。


「それでも人生にYESと言う」


どんなに悲惨で逆境に満ちた人生が与えられていても、恨みや怒りや悲しみさえもを乗り越えた人の言葉だ。

人生を肯定する言葉だ。

Say yes to life in spite of everything.

<<続く>>

ネコから教わった感情変換法

ウチのネコを見ていて思ったことなんだけど・・

感情というものはいかようにも処理できるものかもしれない!ということ。


ネコと関わった経験がある方なら、「ネコがシャーするのは恐怖や敵意を感じているとき」というのはご存じのことだろう。

こちらが典型的なシャー!
   ↓
angrycat.jpg
https://togetter.com/li/1307112

始めて犬を見てびっくり! 怖っ!のときだそうだ。

以前ウチにいたネコは、シャー!シャー!だらけの子で・・
病院に連れて行こうとキャリーバックを出しただけでシャー!
バスルームに連れて行っただけでシャー!(←風呂キライ)

もうなんでもかんでもシャーシャーで、
毎日シャーシャー、今日も元気でシャーシャーだった(笑)

超怖がりで新しいことには何も挑戦できないおバカちゃんだったけど、
それでも愛と安らぎだけはたっぷり与えて頂いたと思っている。(←ネコはそれだけでも十分なのだ)


ところが現在のネコは、子供の頃から1度もシャーを見たことがない! 今では7歳になる。

やはり、風呂キライではあるのだが、察知するとすぐに逃げる。
無理やり抱きかかえれば、腕を引っ掻くか噛みついてまで逃げようとする。

病院にいけば低いうなり声を上げはじめ、猛犬のごとくドクターめがけて飛び掛かかろうとする。

恐怖、威嚇の感情表現なんかしてるより、さっさと行動に移すタイプなのか~?



本来動物における威嚇行動というのは、出来る限り戦いを避けるためにあるそうだ。

なるべく体を大きく見せたりしながら、「俺様の方が強いんだぞ~!戦う前に逃げてくれ!」のアピールだそうだ。

こちらはコアリクイの威嚇ポーズ
    ↓
8kX_JknD.jpg
https://matome.naver.jp/odai/2141252359043481301/2141252541444234103
なんだか、めっちゃカワイくてハグしたくなっちゃいそうだけど・・。

戦えばどちらにもリスクはつきもの、だからなるべくなら戦いを避けたい!という心理が働く。

戦う前に相手が逃げてくれれば儲けものだ。


ところが家ネコの場合は、そうはいかない!

シャーしようが、風呂には入れられちまうし病院にも連れていかれちまう。
実際、前のネコはそうだった。。。

それでも懲りずに毎回、シャーシャーする。(少しは学べよ!と思ったのだが・・・

脳に「シャー行動」がインプットされてしまっていて、そこから抜け出せないタイプだったのか?



現在のネコ、シャーしない子は、
「シャーは時間の無駄! 逃げるが先、または、先制攻撃にゃ!」と判断するのか・・

おかげで私はいつも傷だらけになるのだけど(笑)

それが嫌なら、おまえこそ学べよな! 俺様のキライなことはするにゃ!、と言われてる気がする。
*いちおう女の子なのだが、こういったときはいつも俺様って言ってる気がする。


いやいや、私だって負けられない!

こうやって、愛猫とのバトルはいまだに続いている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

人もネコも、感情の処理の仕方はそれぞれだ。

なんらかのネガティブ外因に反応して ⇒ 怖い! キモイ! 悲しい!激怒っ!って感情がわくのだけど、

そういった感情ですら、まったくすべてが同じというわけではない。

さほど気にしないって人もいれば、激怒しちゃう人もいるし、ちょっとムッとしただけ!って人もいる。


それはおそらく、持って生まれた気質によるところも大きいかもしれない。


ところが持って生まれた気質をストレートに感情として放出してしまうということは・・

人として、まだまだ素のままということになる。


突然のハプニング(とくに悪いこと)が起きれば、衝動的に「素のまま」の感情が湧いてしまうものだけど・・
それでも、数秒のうちに「素のままの感情」を変換することができる・・・というのが練れた人ではないだろうか。


ところが、「これが私だもん! 素のままの私でいいやんか!」という方もいる(笑)
自ら成長すること拒否、変化拒否って人かいな?


ずーーと前に、美輪明宏さんが、
「アナと雪の女王って嫌い!
Let It Go〜ありのままで〜と言うのって、まるで泥付き大根のまま、さあ食え!って言ってるようなものでしょ!
私のありのままを愛して~なんて、図々しいにもほどがあるわ。」


といった発言をされてたことがあって、泥付き大根とはうまいこと言うなあ~って大笑いしちゃった。

ただし、このアニメの曲、Let It Goの本来の意味は、ありのままの私でいいの~!という意味じゃないです。 日本語の歌詞として、そう訳しちゃっただけ。
レりっビー、ケ・セラ・セラ、なんくるないさー、レりっゴー
のブログにもアップしたけど、ネガティブな感情を手放せって意味。




泥付き大根・・
どんなに新鮮でも、そりゃあマズイわ~!


料理は、素材にいかに手をかけたかで美味になる。

*料理はなるべく手をかけないのが一番、だから和食が一番なんていう人もいるけど・・それは大きな勘違いでっせ!(笑)
和食ほど、出汁作りや切り方1つにも手間暇かけてるものはないのだから。



おそらく人も同じ。


人は持って生まれた気質を持ち、さらに、生まれ落ちたところの既成概念を植え付けられていく。

人の脳もまたそのままに成長してしまうことになる。
顕在意識のままで。

となると・・いくら知識を詰め込んだところで、それは論理的知性が養われるだけであって、
やっぱり、泥付き大根のまんま。


たぶん、そういった人はいちど、ぜーんぶ、現在の脳をクリアーにした方がいいのかもしれない。


心理学的にいえば、潜在意識レベルにアクセスするとか、スピリチュアリズムでいえば、メディテーションを行うとか、
医学的には、手術中に一時心臓を止めてもらって脳へ血液供給を止めてもらうとか(←おいおい!)


または、生死の境を経験した人などは、体験的にそれを行えるようになるようだ。


それが、感性を養うことの第一歩だと思う。


いちど、クリーンにすることで、(つまり、既成概念を持たない状態、今までの思考癖や脳内回路を切り替えた状態で)

daikonradish.jpg


持って生まれた素材の特徴を知り、

知ることで創造的な感性が働きだす。

すると、このようにも、

daikonradish1.jpg


またはこのようにも、

daikonrasish2.jpg


素材の持つ欠点ですら、見事な旨味にかえることができる。



感性=直感的知性と、私は思っているのだけど、


美味しい料理には、論理的知性と直感的知性は必須で、それに伴い、実践技術も磨かれてくる。



人もまた同じかな~と。


なーんとなく最近は、まず脳内をクリーンにすることすら忘れてしまって、論理的知識だけを詰め込んでしまう人も多いような(笑)

どんなに知能指数が高かろうが、一流大学出エリートであっても・・

やっぱ泥付き大根のまんま(←この表現、気に入ってる)

つまり、本質を見抜けない人になる。
(本人は見抜いたつもりなんだろうけど・・)


本質が見抜けなければ、精神的な成長には至れない。
何も見えないままになってしまう。

そりゃ、マズイだろ!(笑)


人もまた「素のまま」じゃなくって、練れた人を目指すべきではないだろうか?


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、我が家のネコは、「練れたネコ」になってるんだろうか?

少なくとも、ネコ特有のシャーからは脱却してる。

さまざまなネガティブ感情も、彼女流に上手に処理してるようにみえる。

恐怖を怒りに変換し、怒りのパワーを行動に変換するかのようだ。


また、よく観察してみると、

怒ったようにみえる行動ですら、一種のアピールなことがわかる。 
本気で怒りの感情にまかせただけの行動はしていないのだ。

事が収まればストンと落ち着く冷静さを持っている。

実際に前のネコは、怯えたり怒ったりすると、その興奮が収まるまでいつまでも動悸が激しかった。
それは、完全に感情に支配されてしまっていたということだろう。



私を引っかくか噛みつくときでも、大怪我には至らないように、ちゃんと加減をしているくらいだから。

ネガティブ感情をなんらかの行動に移すことによって、常に昇華させているようにみえる。
独自の方法で。



ところが・・病院のドクターだったりすると、

本気で攻撃して大怪我させるとも限らないからなあ~。


やられる前にやっちまえ!
こんなヤツ、大怪我したって構うもんか!
と、感情じゃなくって、それを冷静に判断して行動に移してるとしたら・・

ひえ~@ そっちの方が怖いわ!

そこは人間世界じゃくって、彼女の倫理観で成り立ってる世界なのだからなあ。



とにかく、日々ネコから教わることは多い。

赤ちゃんとは?

乳幼児だった頃の記憶ってありますか?

私はないのだけど、稀に持っている人たちはいる。

yael-family-baby-photo-studio-ottawa-newborn-photography-SDM_2722.png


私の父はその一人で、以前父からこんな話を聞いた。

「まだ僕が赤ん坊の頃の記憶なんだけど、抱かれたときに、すごく嫌なカンジがして泣き出した記憶が今だにあるんだけど、あれは、なんだったんだろう?」

父は当時の母(つまり私からみればお祖母ちゃん)に、そういって尋ねたところ、祖母はこんなふうに答えたらしい。

「そういえば、思い当たることがあるわ。
うちは商売やってたんで女中さんがいたのよ。 それで、女中たちがあなたの面倒をみたりしてたんだけど・・
ある女中が坊ちゃんが泣き止みませんと言って困ってたんで、私が抱き上げたとたん、すぐに泣き止んでしまったってことが何回かあったわ。
それだったんじゃないかしら。」


何が嫌で泣いたのかは父にもわからないという。
そりゃまあ、赤ちゃんだったわけだし~。

おそらく、抱かれたときに、何かの不快感、不安感、嫌だ~! があって、それで暴れて泣いた記憶。

それが大人になっても残っていたのではないかってことだった。

「赤ちゃんというのは大人が思っている以上に鋭い感覚を持ってるんだと思うよ。
だから、赤ちゃんの前で夫婦喧嘩したり、人を罵るような事を言うのも良くないと思うな。」
と、父はよく言っていた。

自分の実体験からだったのだろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

赤ちゃんといっても・・いったいいつから、そういった感覚を持つものなんだろう?

と思って、新生児の動画をチェックしてみた。

生まれてすぐの新生児は、お風呂に入れてキレイにし、服を着せて、チエックアップして身長体重を図ったり、目薬さして、足形をとって・・場合によってはワクチン注射をする。
(←これらはアメリカの場合・・日本の場合は良く知らない)


ところが、その処置をされている間、ほとんど泣かない赤ちゃんも入れば、ずっと泣き叫んでいる子もいる。

この子は始終カンファタブルで笑顔さえ浮かべてるような。・・さすがに注射されたときだけは泣いたけど。
  ↓
confotablebaby.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=AYm2DMIr4t4&t=97s


ところが、こっちの新生児は、ものすごい勢いで泣き続けてる。 泣くというよりスクリーミング(絶叫)に近い!
大暴れしながら悲鳴をあげてるかのようだった。。。
   ↓
killmebath.jpg

体中が真っ赤なトマトだ!
https://www.youtube.com/watch?v=hwhVzlCGQIM

この看護婦さんのお風呂の入れ方など処置の仕方に問題があるのか?(そうは見えないんだけど)
それともこの看護婦さんの持つ波動に不快なものでもあったのか? それとも・・ほかに原因があるのか?



お風呂の入れ方というのも・・そりゃあ、生まれてすぐに、いきなり、じゃぼん!されれば、びっくりするだろう。


こちらのビデオは実に理想的なお風呂の入れ方だった。
まず、くるくるとラッピングした状態から足先からつけてお湯にならしていきながら、ラッピングを外していく方法をとってる。
    ↓
babybath2.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=DJ3xFgNAeN0

赤ちゃんも、たぶん・・こんな気分~♪
17858915.jpg


一方、こちらの病院では、いきなり蛇口からジャージャーして、頭をごしごしシャンプーし始める。

病院によって、新生児の初風呂の入れ方だって違うんだね~。
   ↓
firstbath.jpg

でも、この子はそれほど嫌がってもいない・・。 えーい! なんかうっとおしわい!って顔はしてたけどね(笑)


じゃあ、最初の、絶叫赤ちゃんは、いったい・・何が原因だったんだろう?

あれほど絶叫してたんだから・・大人になってからも記憶してるかもしれない。。。 私の父のように。


「泣く」ということは、必ず何らかの原因があるはずだ。

赤ちゃんが泣くのは、空腹、汚れたオムツの不快感から・・というのは誰でも知ってることだけど、おそらくそれだけではない。

大人がまったく気がつかないようなことさえも敏感に察する能力を持っている、ということを忘れてはいけない。

つまり、シックスセンスにも似たような。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なかなか興味深い記事があって、
   ↓
Babies Show Empathy for Victims of Bullying as Early as Six Months, Beersheba Researchers Say

これをIn Deepさんのブログが見事に翻訳してくれてたので、その部分を抜粋させて頂きます。
       ↓

生後6ヶ月という早い時期に、すでに赤ちゃんは、いじめの被害者に感情移入を示していることがイスラエルの大学の研究者によって見出された。

赤ちゃんという存在は、非常に幼い段階でも、信じられないほど賢い。イスラエルのベエルシェバにあるネゲヴ・ベン=グリオン大学の研究者たちは、わずか 6ヶ月の赤ちゃんたちでさえ、いじめられた被害者たちに共感を示していることを発見した。

ベン=グリオン大学心理学科の上級講師であるフロリナ・ウゼフォフスキー博士(Dr. Florina Uzefovsky)は、同大学にある神経科学センターの同僚と共に、2つの実験を行った。その調査結果は、赤ちゃんたちは、生まれて 1年以内に、共感の感情に関する能力を発達させているという理論の発見に貢献した。

研究は、心理学の専門誌「ブリティッシュ・ジャーナル・オブ・サイコロジー (British Journal of Psychology)」に発表された。

ウゼフォフスキー博士は、以下のように述べる。

「調査結果は、赤ちゃんが生後 1年以内の間でさえ、すでに他人の感情に敏感であり、人の特定の感情の表出について、複雑な結論を導き出すことができることを示しています」

「生後 1年以内の乳児でも、相手が “自分たちが共感するにふさわしい人物か“、あるいは、 “ふさわしくない人物か“を識別することができたのです。相手の苦痛に正当性がないように思われる場合、共感は示されませんでした」

最初の実験では、研究者たちは、生後 5ヶ月から 9ヶ月の乳児たちが、いじめの被害者たちに対して明らかな共感を示していることを見出した。

研究者たちは 27人の乳児に、2本のビデオクリップを見せた。

最初のビデオでは、目が描かれた正方形の人形が丘を登っているもので、人形は、丘を登る途中で、目が描かれた丸い形の人形と出会う。この丸い人形は友好的に振る舞い、それから、この2つの人形は一緒に丘を下りていく。

それを見ている間、乳児たちは、ずっと明確な肯定的な感情を示すか、ニュートラルな感情を示した。

ところが、2番目のビデオでは、先ほどと同じ丸い形の人形は、出会った正方形の人形を殴り、そしていじめる。それが丘を下りるまでずっと続くのだ。

このビデオを見た時、乳児たちは、泣き出し、そして、激しく泣くことで苦痛を示した。

この研究では、さらに、苦しんでいる他の人に対して、乳児が感情的に敏感であるか、そして、それはどのようなタイミングで敏感なのかも調べた。

ウゼフォフスキー博士は、強制選択パラダイムによる 2つの実験を使用して、以下のように説明した。

「最初の実験では、生後 5〜 9ヶ月の乳児たちが、明らかに、いじめの被害者たちに共感を示していることがあらわされました。乳児たちは、中立のパーソナリティを選ぶのではなく、身体的に傷つけられ苦しんでいるほうのパーソナリティに共感を示したのです」

「 2番目の実験では、苦しんでいる他者に対する幼児の共感は不変ではないことを示しました。それどころか、状況によることがわかったのです。つまり、同じように苦痛を現している対象であっても、苦しむ理由が明確ではない場合、その対象には共感を示さなかったのです」( ※ 訳者注 / これは、たとえば「苦しくなった理由がないのに、ただ苦しいふりをしている」というような対象には共感を感じないということだと思います)

これらの発見は、人間の同情と道徳観念の初期の発達の研究に影響を与えるものだ。

しかし、乳児たちが傷つけられた他者に対しての、この共感と前向きな態度を、どのように発達させているのかはわかっていない。

いずれにしても、今回の研究で示されていることは、他人の苦痛に関して、幼児でさえ、「なぜ苦痛に至ったか」ということや「苦痛の意味」を、その考慮に入れていることを示している。




私は、これを読んで、以前に自分でアップしたブログ記事、
脳が幸せを感じるしくみを、思い出した。

この部分を!
   ↓

★人間の脳は同情するようにデザインされている。

これはミラー(鏡)ニューロンと呼ばれる神経細胞の働きで、他者の行為を観察することで、自分の脳内であたかも同じ行為が行われているような働きを示す。

・脳は他人の痛みも自分の痛みとして感じる
人間の脳は、本来人が痛みを感じているのを見ると、自分の脳内でも実際に痛みを感じる時に発せられるニューロンが発生してしまう。
・脳にとっては、空想も現実も同じもの
・脳は、心の痛みと身体の痛みの区別がつかない



ああ、これこそが人間本来なんだ!・・と。


これは、生後 5ヶ月から 9ヶ月の乳児を使っての実験だったので、新生児だと、まだニューロン細胞は完全に働きだしてないのかもしれないし・・そこは微妙なところかもしれない。

ある研究結果によると、新生児の場合は共感よりも、まず「恐れ」に対するリアクションが先になる、ということだ。


こちらは生まれたばかりの双子の赤ちゃん動画なのだが、二人を引き離そうとすると二人とも泣き出す。
またくっつけるとぴたっと泣き止む。
    ↓
newborn twins
https://www.youtube.com/watch?v=JqhMMzQQXHk

実に興味深い。

引き離されることの不安、恐れ・・があるのだろう。
そして、共に一緒であることの、安心感、リラ~ックス

なので双子の新生児はお風呂も二人一緒にいれることが多いとか。
   ↓
newborn twins bath
https://www.youtube.com/watch?v=2NYFE8cjAT4


双子というのも、また別の意味で実に興味深い。
双子どころか、最近では4人、5人・・8人・・最高15人なんてのもあったはず。


それよりも、conjoined twinsとして生まれてくる子も稀にいる。
conjoined twinsというのは、体の1部がくっついている、または、臓器や器官などが共有している場合もある双子。

こちらは、Abbyと Brittanyという、アメリカでは有名なツインで、二人はこのまま成長して学校の先生になったはず。

この二人は、このまま一緒にいることを自身で望んだとか。

_67053071_4085099-high_res-abby-and-brittany-joined-for-life.jpg
Living a conjoined life
こんなに多くの体の部分を共有してるのに、人格は別人格なのだ。 


そうかと思えば、同じconjoined twinsでありながら、二人の人格があまりにも違い過ぎて彼らから分離手術を望んだ例もあったし、実にそれぞれだよな~って思う。



または、一方に寄生した形で生まれてくる双子(パラサイトツインと呼ぶらしい)

maged2-1280x720.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=CO6So1q3lNk

これは、エジプトで生まれたマナーちゃんという子に寄生した形で、もう一人の子がくっついて生まれてきたものだった。

これも、さまざまな物議を醸すことにもなった有名な話だ。


双子として生まれてくるはずが、なんらかの理由で双子の一方が育つことができないとき、もう一方の健康に育っている方に寄生することで生き延びる手段をとった結果・・だそうなのだ。

片方の寄生した子は独自の体も器官も持たないために、完全にマナーちゃんに寄生することで生き延びている状態だった。

ところが、この動画のドクターも言ってるとおり、二人は完全に別人格で、片方が寝ているとき片方は起きていたり、まったく違った様子をしていたという。


当然ながら、近い将来マナーちゃんの負担も多くなり二人とも生存は不可能となるため、分離手術を行うことになるのだけど・・(当然パラサイト側は死なせることになる)それが、道徳上の問題などの物議を醸すことにもなったのだった。

結果的に、10数時間にも及ぶ手術は大成功でマナーちゃんは退院したものの、残念なことにその後感染症だったかで、その数か月後には死亡してしまったという。



マナーちゃんのツインは、パラサイトであっても、かわいいベイビーたちだったが、パラサイトツインは、見た目も不気味~と思えるようなケースも多い。

手足だけが何本もあってお尻から足が生えていたり、赤ちゃんのお腹から別の顔だけが生えていたりと・・。

誕生した瞬間、これは呪われた子だ!とされて、処分されてしまうことも多いという。(もっとも最近では胎児のエコー写真で状態がわかるので、両親が出産しないことを望むケースが多いといわれている。)

逆に、インドのある地域では、神の生まれ変わりとされて大切にされることもあるとか。

ヒンズーの神は、顔をいくつも持ってたり手も多かったりするからだろう・・。
82732-004-3F79AC40.jpg



見た目をどう感じるかとか、こういった道徳上の問題は別にして・・
さらに、放射能汚染による奇形児の問題といった社会的背景なども、この際別にすることにして・・

私は、生命(自然)ってすごい!と単純に思ってしまう。

寄生してまで生き延びようとする命。

1つの核から生まれても、まったく別人格になっていくパワー。

胎児や新生児は最も弱い存在でありながら、生き延びることへのエネルギーは凄まじいものを感じる。

さらに、生まれ落ちた瞬間から、凄まじい勢いで自ら成長しようとするパワーにも。



赤ちゃんは、すべての五感を駆使して自ら成長するそうだ。

だからこそ、生まれたときの環境は大切といわれている。

とくに、成長期の3歳までは一番重要な時期になるそうだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これは、たしか・フィジーの田舎の話だっただろうか?・・実に悲劇的な話だった。

生まれてからすぐ育児放棄されて、鶏小屋に投げ込まれて育った赤ちゃんの話だった。

たぶん食事(ミルク)は与えていたから、肉体的には育つことは出来たのだろうけど・・ずーーと鶏小屋に置かれたままだったせいで、言葉が喋れない。

また、鶏だけを見て育ったせいで、土をひっきりなしにかくため手は曲がり、鶏のような声で鳴き、座ったまま蹲って寝る。
食事は鶏のように口でついばむ。


バックグラウンドも悲惨で・・母親は自殺、父親は殺害され、ようやく3歳の頃に祖父に鳥小屋から助けられたものの、祖父もどうしようもなく、また鶏小屋に入れたままにしてしまったそうだ。


成長して第三者に発見され保護されてからも、人間には慣れることなく攻撃的だったため、ずっと30歳近くなるまで一室に繋がれたままだったのを、最終的にはあるイギリス人女性がひきとって世話をするようになったという。

愛情を注がれて少しずつ穏やかな生活ができるようになり人のような笑顔を見せるようになったけど・・それでも、いまだに言葉だけは話せないという。


つまり、3歳くらいの成長期までに、子供は周囲からすべてを学んで成長するということだ。

おそらくベーシックとなるもののすべてを、そこで学ぶのだろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

アメリカに住むようになってから気がついたことがある!

日本人の赤ちゃんとアメリカ人の赤ちゃんでは表情がぜーんぜん違うよなあ~ということだ。

これは実に興味深い発見だった。

babyreaction.jpg

babyreaction2.jpg

アメリカ人の赤ちゃんは、ものすごく 喜怒哀楽の表情が豊かなのだ。

たとえば、美味しいものを食べると満面の笑顔で体をゆすってまで踊りだしたり、まずいと、おえ~!とものすごい表情をする。

ところが日本の赤ちゃんは、それほどオーバーアクションの表情をしてくれないんで、私にはどう感じてるのか・・わからないことが多い。
もちろん、日頃からお世話してる人たちには一目瞭然なんだろうけど・・。


つまりは、赤ちゃんは確実に両親を見て育っているということだ(笑)

アメリカ人は、とにかく親からして喜怒哀楽の表情は豊かだからなあ!

Baby & Kids Reaction to Foods - Funny Awesome video

https://www.youtube.com/watch?v=VGwCJWDT3yA


明らかに、赤ちゃんはまず最初に、置かれた環境と文化の中で大きく影響を受けて育つということがいえると思う。


世界中、環境も文化もそれぞれに違う。

それでも持って生まれたニューロン細胞は、すべての赤ちゃんに共通している。

他人に共感する能力、それはどこに生まれようとも、人として本来備わっているはずのものだ。

さらに、

「苦しくなった理由がないのに、ただ苦しいふりをしている」というような対象には共感を感じない」・・という、

つまり、本物か偽物かも見抜いてしまう能力を持っているということだ。


にこやかで優しい笑顔で大人は騙せても赤ちゃんは騙せない!ということになりそうだ。

まるで、ばけたん!か?(笑)



彼らが持って生まれた本来の能力が損われずに育っていくこと。



いずれにしても、こういった赤ちゃんたちが今後の世界を作っていくことになるのだ。

この地球すべての責任も彼らに託されることになるのだから。

結婚制度って?

たまーに、恋愛問題とか結婚の相談を受けることがあるんだけど・・いつも、やれやれ!と思ってしまう。

それが中高生とか、ティーンエージャーくらいの恋愛ならば、突き進め~!のスタンスで後押しできちゃうんだけど・・・


大人になってからの恋愛問題ほど厄介なものはない!

①片思いのうちは、なんとか両想いのラブラブになりたい!と悩み、

②いちおう両想いラブラブになれば、相手の思いを知りたい!とか
いつも一緒にいたい⇒結婚 を考えて悩み、

③結婚すれば、浮気されない? 
どうすれば、良い結婚生活が送れる?と悩む



なんで悩んでばっかなんだ~?


①と②の場合は、恋してる状態
恋は一種の病気・・・これは私自身の若い頃の体験からも症状はよくわかるし、さらに、脳のメカニズムを知れば、もっと客観的に理解できることだ。

もう・・・こんなことを言ってる私ほど、恋愛相談に向かない人はいないと思ってしまう・・・。

③は、ブレイクダウンすることへの恐れ=現状維持を望むからなのか?


恋してしまえばいつも一緒にいたい! じゃあ、結婚だ~!というのは、ま、お決まりのコース。
ついでに、結婚という法を使って相手を縛ることも出来るし~(ついでに、自分も縛られちゃうんだけどね~)


ところで、私には一夫一婦制の結婚というのは、良いのか悪いのかはわからない。
個人的には、どっちでもいいことのように思える。。。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

キリスト教が作り上げた「社会通念上の模範」というものがある。

一度だけの恋愛と結婚。(セックスは誓った一人の人とだけってニュアンスが含まれてる)
一度愛したら最後まで、愛は一人の人への永遠の約束であり責任・義務
とうぜん、お互いを所有することになる。
それも、永遠を、誓わされる。




日本もまた明治になって西欧諸国に準じ、これを法として導入した。

weddingxbookxRingxCeremony.jpg


ところが・・いくら誓わされようがなんだろうが、人なんて日々変化していくものだ。

一晩寝て起きれば多くの細胞は死に新しい細胞が生まれてくるように、心も精神も変化し続けるのだ。

ということは、
二人が結婚式で誓ったときの心境と、まったく同じでありえるわけがない!!

いくら教義や法で縛ろうが、出来ないことだってある!ってのは・・おそらく誰でも心の底で知っている。


だから、昔から浮気だとか売春ってものがあるわけだしね~。

昔は、浮気や売春は違法じゃなかったんで(とくに男の場合)、堂々と出来たけど、今では、これも・・コソコソとしなきゃならない社会になってるね~。

まあ、昔の人の方が、結婚後も「結婚」に縛られる感覚は少なかったように思う。
好きな人は堂々と愛人に出来たわけだし、日本だって合法の売春宿だってあったんだもんね~。



ところが、昔の人の中にも、・・やたら「結婚」にこだわった人もいる。

ヘンリー8世(Henry VIII, 1491年6月28日 - 1547年1月28日)イングランド王だ!

かなり若い頃(なんだかひ弱で陰険そうな顔?)
  ↓
mostaert1-1.jpg


イングランド王ヘンリー7世の次男で、本来は王位を継げない立場だった人だ。 そう、お兄ちゃんがいたからね~。

実際お兄ちゃんのアーサーは、将来を期待されていた存在、なんてたって、アーサー王伝説のアーサーから名前をもらった人。(アーサー王を現実にしよう!という強い思いが込められてたらしい)

お兄ちゃんのアーサーはこっち。
    ↓
prince-arthur-eldest-son-of-henry-vii-c1502-arthur-was-news-photo-463967293-1556576451.jpg


その奥さんが、スペインから迎えられたキャサリン・オブ・アラゴン

ところが、若い二人が結婚して(たしか二人とも14-5歳?だったはず)、アーサーは数週間で亡くなってしまう。
(陰謀の匂いがプンプン)


ところが、イギリス側は莫大な持参金付きで嫁にもらった、キャサリン・オブ・アラゴンをスペインに返すわけにはいかないし~と
困ったあげく、次男に再度嫁がせちゃったそうだ。

それがヘンリー8世(次男)というわけ。

ところが、この人、かなりの女好き!
とまあ、表向きには「世継ぎとなる男子を強く望んでいたから」という理由があるのだろうけど・・


まずは、王妃のキャサリン・オブ・アラゴンの侍女に手をつける。 それがメアリー・ブーリン

次に手をつけようとしたのが、その妹だか姉の、アン・ブーリン(エリザベス1世の母として有名な人)

ところが、アン・ブーリン、「私、愛人はイヤ!結婚してくれなきゃ!」と言ったそうだ。

そこから歴史が大きく変わっていく・・・


まず、ヘンリー8世、王妃キャサリン・オブ・アラゴンとの結婚は、もともと無効のものだったのだ!とローマ教会に言い出した。

この時代、ローマカトリックの支配下だったから、王族といえども離婚は認められないからね~!


え? でも、ちょっと待てよ!
たしかヘンリーが結婚するときは、兄貴の嫁だった人を・・あれこれと理屈をつけて(たぶん、カネも積んで)ローマ教会を説得した上で、正式な妻、正式な結婚と認めてもらったはず。

それを今さら覆すとですか~!!

それも、侍女との結婚を認めさせたいがために~!


さすがにローマ教会も・・今度ばかりは、おたくの都合ばかりを認めるわけにはいかない!と突っぱねた。

ぬわんだと~!
それじゃあ、宗教改革だ~!
とヘンリー8世は言い出す始末。

おいおい!

宗教改革ってのは、もともとはドイツで、ルターが宗教改革をはじめてたんだよ。

ところが、ヘンリー8世は、ルターの教説は認められない!と言って弾圧側に回っていたのだ。
そう、ローマ教会側。 そんで、ローマ教会からは「信仰の擁護者」の称号まで与えられてたはず。 

それが今度は、いきなり・・宗教改革側かい?

高邁な思想もポリシーもあったもんじゃないなあ。。。

まあ、そんなふうにして生まれてきたのが、ローマ・カトリックに反旗を翻しちゃったイギリス国教会やら、プロテスタントになっていくわけだ。

それだけローマカトリック教会も翳りがみえてきた時代だったともいえるけどね~。



さて、そこまでしてヘンリー8世はアン・ブーリンと結婚したんだけど、今度は、またも侍女のジェーン・シーモアに心移りしちゃう。

すると、アン王妃は姦通罪と反逆罪だったかの罪で、ロンドン塔で処刑される。 そう、首チョーンってわけ。

もっともこれは、ヘンリー8世が独裁者だったというわけでなく、取り巻きの貴族たちの思惑がメチャメチャ働いていたわけで・・
王なんて周囲に踊らされるものでもある。



侍女のジェーン・シーモアは、王妃となって1年後、待望の男の子を出産。
すると、最初の王妃のキャサリン・オブ・アラゴンの娘、メアリーと、2番目の王妃、アン・ブーリンの娘、エリザベスを庶子に落として追放しちゃう。(王位継承権をはく奪するため)

この後、メアリーとエリザベスの王位をかけた熾烈な争いに発展していくことになるのだが・・。


ところが、ジェーン・シーモアは産後の肥立ちが悪かったとかで、あっけなく死亡。

ヘンリー8世は、その後次々に王妃を迎えることになる。

アン・オブ・クレーヴズ、キャサリン・ハワード、キャサリン・パーといった具合に。

邪魔になった王妃は、またも反逆罪か姦通罪で首チョンになるという筋書きで。


MAINKINGHENRYVIIIWIVES_main.jpg

結局ヘンリー8世には、6人の王妃(本妻)がいたわけだけど、愛人や認知してない子供に関しては数は不明だとか。


さて、その後、ヘンリー8世はどうなったかというと・・

晩年は落馬の傷が痛んで、おまけにデブだったこともあって、あっちこっちの体のパーツが悪くなってたらしく・・・痛みだらけだったという。

死後は遺言どおり、3番目の妻の子、待望の男の子だったエドワードが9歳で即位する。
ところが、生まれながらに虚弱体質、先天性梅毒だったとか?

で、あっけなく病死。

当然エドワードには子供もいないし・・王位継承権をはく奪されてたはずの、メアリーかエリザベスっきゃいない!ってことになる。

その後も、カトリックかプロテスタントかとか、有力貴族たちやら諸外国の思惑を巻き込んで、ドロドロと王位継承権をめぐる争いになってくわけなんだけど、負ければすぐに、首チョンになっちゃう世の中。

罪なんて、あとからいくらでもこしらえることができる!

結局、エリザベスが勝って、メアリーが首チョンになった。(確かお決まりの反逆罪だったかで・・)

エリザベス一世・・このファッションセンス、いつ見ても凄過ぎ!
Queen-Elizabeth-I.jpg


これが英国史のひとつの時代。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

王族といえど、結婚離婚もままならなかったり、逆にローマカトリックに手を回せば簡単に出来ちゃったり・・

王妃の座についたところで、反対派の中を上手に泳ぎ切らなきゃ、すぐに首チョンだし・・

あーあ~。

そもそも結婚ってなんだ? 


今も昔も、それだけのものでしかない気がする。


初めからたった一人の生涯の伴侶を求めよう!と思い混むことじたいが、どっか違うんじゃね?・・・と私は思ってしまう。

さらに、それこそが正しい人の道!と思うことは、もっと違うような気がしてしまう。



恋愛感情だけでは結婚生活はなりたたない!・・・多くの人がいうとおり、たしかにその通り。

恋愛は病と一緒で、いずれは冷めてしまう(治癒してしまう)から。


じゃあ、愛ならば?

愛は病じゃないから・・冷めるとか治癒するとかってことじゃない。 たしかに・・これもそのとおり。


ところが、お互いに愛するゆえに別々の道を歩むことだってある。(まあ、別離とか離婚とかってことになるわけだけどね)


そして・・形として一緒にいれば愛し合ってるってことにならないのは世の道理。
(外に向かってだけは夫婦円満、おしどり夫婦をアピールしてる夫婦もいるわけだし・・)

そんなことは誰でも知ってる。


では、どうすれば・・本当に愛し合っていてずーっと添い遂げられるんだろ?

Love does not consist in gazing at each other, but in looking together in the same direction.
(愛というのはお互いに見つめ合うことではなくて、一緒に同じ方向を見ることだ。)


と言ったのは、サン=テグジュペリ(Antoine de Saint-Exupéry)

Antoine de Saint-Exupéry


飛行機乗りで、作家、あの「夜間飛行」だとか「星の王子様」で有名な人の言葉だ。
最後は、どこだったかで飛行機が墜落して消息不明になっちゃった人。


私は「星の王子様」を読んでも、子供の時も大人になって読んでも、ちーっとも感動しなかったし、別に好きな作家ではないのだけど・・

それでも、この言葉だけは、的をついてる気がする。


結婚を決意するときは、お互いが同じ方向を向いてるかどうかで決まると思う。
はじめから、どっか方向が違うな~! と感じたのであれば、まずムリだろう。


だけど、同じ方向を向いている限り、
一時的に仲違いしようが口論しようが何事だって解決できる。

そうやって二人でお互いに影響し合い成長しながら、気がついたら、いつのまにか、ずーーと二人で生活しちゃってる。

そんなものじゃないかと(笑)


なーんて言うと・・

今度はこんなことを聞かれたりする。
「今、同じ方向を向いてると感じるんだけど、この相手と結婚してうまくいきますよね?」

そんなこと知るか~!(笑)


どう作っていくかは、これからの二人の日々にかかってるんだもん。
自分次第、相手次第。


そんなの、神様だってわからないよ!
だって、自分で作ることなのに~なんで人に聞く?
レールに引かれた運命があると思ってるのかなあ?


結局のところ、先のことなんてわからない! 
誰にもなーんの保証もない!



だから、不安になるなら、そんな結婚は、初めからやめた方がいいのかもしれない(笑)

だから、先が楽しみ!と思えた人と結婚すればいいんんじゃないかな。


私たちは、中世の英国王室に生まれたわけじゃあるまいし~、殺されることはないし、いつでも次のステップに進める!


また事実、

お互いの先のことが楽しみ~♪と思える二人ほど、気がつけば、いつのまにか長ーい結婚生活を続けてるような気がする。

それが「同じ方向を向いてる」ってことかもしれない・・と思う。

リベラルアーツ続きで・・佐治先生の本を紹介

きょうは、佐治晴夫さんの本をご紹介しようと思う。
何冊も出版されているので、一番新しい本を紹介することにする。

sagiharuo_book.jpg
佐治晴夫_本


1935年東京生まれ。 数学者、理論物理学者、宇宙物理学者・・でありながら、文学、音楽、宗教、映画・・あらゆる分野への造詣が深い人だ。

sagiharuo.jpg


どんな人なのかは、こちらの授業を見て頂ければおわかりいただけると思う。
   ↓
宇宙物理学の佐治晴夫博士がついに面影座にやって来る!!宇宙一受けたい講義をもーやぁこ連載します。

宇宙物理学の佐治晴夫博士がついに面影座にやって来る!!第二弾

宇宙物理学者、佐治晴夫博士の宇宙一受けたい講義!最終回


理論物理学(今では量子論というべきか?)は、ある面で哲学的、宗教的な側面も持っているってことが、よ~くわかる~。


私もまた、こんな授業を受けたかったな~と(笑)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

個人的に私が好きでメモったものを抜粋してみる。

★フラクタル構造・・私の好きな金子みすゞさんの詩を引用されてましたね~
ハチと神様の訳から世界観へ

* fractalとは、フランスの数学者ブノワ・マンデルブロが導入した幾何学の概念のこと。


つまりは、こうゆうこと↓
220px-Fractal_tree.gif

それをもっと言えば・・

「自分をコントロールできているという錯覚。 自分とは『自』然の『分』身」
個ではなく、あらゆるものから出来あがっている・・彼の言葉を借りれれば、星のかけらでできている。


この感覚を宗教から見てみると、チベット仏教は類似してるんだけど・・

カトリックは、あくまでも神と人は別、神は天の上の存在になっちゃう・・という考え方が今さらながら面白い。

そりゃ、パウロ2世も困ったことだろう(笑)
11c009894f842c5753ed0aed9be72723.png

もっとも私は、バチカン総本尊のキリスト教(カトリック)と、イエス・キリストとは別物で無関係、と思ってるので、まあ、そうだろうな~って思う(笑)


★アウグスティヌスの「告白」という本
アウグスティヌスは、「未来はまだ来ていないからない。 過去も過ぎ去っているのだからやはりない。現在というものは過ぎ去ることがないものであるから、これをエテルナ(al ternam)である」といった。

つまり、永遠


そして、佐治先生は、永遠の説明をしてくれるのだけど・・

「そこに無限とは何かというからくりが出てきます。
たとえば、1割る3、これは0・33333どこまでいっても333…です。これを3倍しますと0・9999です。
ところが1割る3を3倍すると1なんです。では、1=0・999なのか?ということなのです。
これを美しく証明するのが数学なのです。」


hakase1.jpg


過去はわれわれの頭の中にあるだけで実在しない。 ないものの集積で現在がある。
あなたが考える過去が何であろうと、これからあなたがどういうふうにして生きるかによって、すべての過去は書き換えられる。

こうゆうのって、パラレルワールド、多元宇宙論といったものにも通じるものかもしれないなあ~。



★「やぎさんゆうびん」の話から

しろやぎさんもくろやぎさんも、読まずにお手紙を食べちゃう。
それで、お互いに心配になって、さっきの手紙のご用事なあにと手紙を書くというおはなし。

要するに手紙の内容を知らないけど、くろやぎさんとしろやぎさんの絆が結びついているという心温まるおはなし。

yagisan.jpg

このことを発見したのが、湯川秀樹さん。
何者かわからない中間子のボールをやりとりして、原子核の構造を発見しちゃったから。

「つまり、ものの本質というのは、わたしがわたしであるということでなく、わたし以外のものからわたしができているということ。
つまり、周囲との関係性で存在しているということなんです。これが物理学の原理なんですね。」




★フラクチュエーション(ゆらぎ)
水の変化量が水の実体を生み出しているということと同じ

「ゆらぎ(誤差)がある世界、半分予測できて、半分予測できないから心地いい」

『ある』と『ない』はワンセットだと意識することの先に真実が見えてくる」

『ある』と『ない』を超えたところに真理はある。あるとないの否定を繰り返す先に、自分と他者との区分がぼやけてきて、絶対的肯定の世界が立ち現れてくる」




そのほか、彼の著書の中では、こんなことを言ってる。

★学ぶこと、そして・・教育すること

「わかるということはかわること」


wakarukawaru.jpg

わかった!ということは、まさに、その後の自分を変えていくってことだよね!

そんなこと、当然ちゃー当然なんだけど・・以外に頭に知識として詰め込んだだけでちっとも人生には反映してないって人も多いのかも。 とくに最近は。

でも・・それって、 頭にデータを詰め込んだだけで、ちーっともわかってない!ってことだよね~(笑)


教育者のスタンスとは・・
「教育で大切なことは、教えることではなく、感じさせることである」と言っている



さらに、

★今さらじゃなくって、今から!

昔は年寄りが「いまさら」という言い方をしていましたけれど、最近はその年代が下がってきていますよね。何を言っても「いまさら」と答えるんですよ。だから僕は、「さ」を「か」に変えろって言っている。「いまさら」じゃなくて「いまから」にしなさいと。



たしかに、昔のお年寄りは、「私は若くないんですよ~。 今さら・・」って答える人が多かった。

だけど今では、お年寄りどころか、まだ40代でも30代でも・・ひょっとすると20代でも、今さら~ね~!と言われることが多い。
ヘタすると、「あなたこそ、なんでそんな夢みたいな青臭いこと言ってるのよ!もっと現実を見なさい!」と説教されたりしちゃう! おいおい!



なんで、自分の世界を箱の中だけに限定しちゃうんだろ?

20100307_1264016.jpg

きっと、サイエンスをまーったく知らない人・・見えないものは無いもの!と思ってる人なのだろうなあ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

彼の講義(これは上記URLのサイトを読んだだけだけど・・)でも本でも、

とても、分かりやすくて読みやすい。

易しく(やさしく)て優しい(やさしい)波動に溢れてるんだよね~。



学者さんの文章は難解なものが多いとされることが多いんだけど、私のような、まったく数学・物理学の知識が皆無のような人にまで、さらっと頭に入ってしまう。

そっか~!

専門用語だらけで難解な文章を書くような学者さんて、ひょっとしたら、本人もわかってないんかも!

自分ではわかったつもりでも・・ただ、知識をデータとして頭に詰めてるだけの人。

ふと、そんなことを思った(笑)



そんなわけで、佐治晴夫さんの本を皆さんにお勧めします!

とくに、スピ系好きとか、引き寄せの法則云々とかって、自己啓発本がお好きという方には!

なぜって、最近のスピ系本とか自己啓発本って、エリザベート・ニーチェさんタイプの本が多いから。


エリザベート・ニーチェさんというのは、気がふれた兄貴を世に出してブランドにしちゃった人で、

とにかく・・ビジネスの天才、
目先の利益追究主義者
日和見主義でコロコロ変わる、変わり身の早さ
上手に言葉を拾って寄せ集めて作っちゃう才能
でもって、ぜーーたいにブレない強さ、怪物



日本人に愛好されるニーチェの本は、大半がエリザベートの発案ってわけ(笑)
ずっと前にも、こちらのブログにも書いたけど・・
エリーザベト・ニーチェとその兄貴&ヒトラー(その1)

エリーザベト・ニーチェとその兄貴&ヒトラー(その2)



この手の本は、別の意味で、すごい!けど、真理の追究をしたい人や、スピリチュアル的幸せを求める人には向かないと思う。

幸せになるのは、筆者とその出版業界のみ、ってことにもなりかねない(笑)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は、つくづく、佐治晴夫さんという方を知ってから、

前回のブログのテーマじゃないけど、

学者(または、何かを研究する一般人であっても)

リベラルアーツは必要不可欠!
専門バカはただのバカ・・どんどん真理から遠ざかる!


と思ったもんです(笑)

・・・・・・・・・・・・・・・・・

今回、私が新たに学んだこと。

波動関数・・・シュレディンガーの方程式

△Ψ=0

このマーク、Ψ・・・プサイって言うんですよね~。
波動関数を表すのにはギリシア文字のプサイ(Ψ、ψ)とファイ(Φ、φ)


実は、ずーーと前に、量子力学を学んでるという学生さんに教わったシュレディンガー音頭から、私はプサイって知ったんだけどね~。

シュレディンガーさんというのは、シュレディンガーの猫でも有名なエルヴィン・シュレーディンガーさんのこと
   ↓
Erwin_Schrödinger_(1933)

で、シュレディンガー音頭というのは・・

とある大学教授だったかが、宴会の席で、「プサイにファイ」「プサイにファイ」と合いの手を誘いながら踊っちゃったんだとか。

Youtubeで見つけた!



ついでに、佐治晴夫さんの説明を引用すると・・

プサイは波動関数で目に見えない数学的な波。虚数を含んでいる波。

波動関数というのは、じつは一番最初にお話したように、実在しないが頭の中にある直線が三本重なると三角形ができて、その内角の和は全世界どこにいっても180度であるというようなプサイ。

宇宙は何もないところから生まれた、ということをあらわすのは簡単ですよ。
△Ψ=0
これでいいんです。きれいだとおもいません?(笑)。なんかドキドキしませんか?





はい! きれいです@ ドキドキしちゃう!
結構、記号好きの私としては・・△Ψ=0 だけで、ドキドキ、ワクワク




最後に、もうひとつだけ、今回私が学んだこと。

佐治先生の言葉から。

「教えるということは、希望を語ることだということを私は非常に感じたんです。
教えるということは、それしかないんです。」


私は「希望」って言葉も、それを軽々しく使う人も好きになれなかった。

「希望ってどうゆうことよ! 説明してみーよ!」というと、
「どんな辛いときにでも、未来に何かを獲得したいと欲求し続けることとか、明るく前向きに考えること」とか言われ続けて・・

け! さむ~っ!って、思いっきりバカにしてた。。。


佐治先生の言葉は、

ユダヤのラビの口伝書の中の私の好きな文句です。
たとえ明日世界が滅びるとわかっていても私は今日林檎の苗を植えるだろう。



なんて優しい言葉なんだろう、と思ったとき、それは、すとんと胸に落ちた。

専門バカ、リベラルアーツ

これはアメリカ在住の日本人のおばさんの会話。

「うちの大学生の息子、専攻を経済学にするみたい。」

「あら、文系なのね~。 うちは理系に進んだわ。」


聞いていて、あ?と思った。

アメリカでは経済学は理系に入る!
でも、たしか日本では経済学は文系だったよなあ、と。

おそらく、日本で生まれ育った人たちは知らなかったのだろう。

happy-students-jumping-with-flat-design_23-2147920582.jpg

そういえば・・・と、

遠い昔のことを思い出した。

高2の秋、あるクラスメートが、
「俺、数学ニガテだから、私大の文系じゃなきゃダメだな! しかも男で文学部ってのは、なんかカッコ悪いし~、
経済学部を受験するよ! その方が就職にも有利だしな~!」


と言って、経済学部受験を決定したことなど。

こんなふうにして、進路なんて簡単に決まっちゃう~。


でも、数学ニガテだとすると大学に入ったあとで苦労したんじゃないかなあ?

今は経済学といっても、マクロ経済やミクロ経済、ファイナンス分野や計量経済などなど、数式を扱う科目はメチャメチャ多いらしいから。

近年ではとくに、理論物理学や電気工学、情報工学などの分野を応用した数量経済学とかってのもあるらしいし、数学色が濃~い学問のはず。


なのに、なんで経済学部の受験に数学がないんだ?
へんなの~?



たぶん・・
日本の大学の制度が出来上がったのは1900年代の初頭あたりと聞く。
ケインズさんもいなけりゃ、金融工学なんてものもなかっただろうし・・だから、文系に入れられちゃったんだろうなあ。



アメリカでも大学を卒業すると学士号がもらえる
(Bachelor)というヤツ。

専攻した科目によって、大きく2つに分かれる。

BA(Bachelor of art)・・・アート

BS(Bachelor of science)
・・・サイエンス



Art(アート)というと、日本語では「芸術」という言葉になるし~、それを科目で言えば、美術や音楽になってしまうんだけど・・

こちらの人から見れば、文学や歴史、哲学、美術、建築、音楽、全てアート。 これは、日本でいうところの文系になるカンジ。


逆に、Artの対義語は Nature、つまり、自然というわけ。

サイエンスもまた、これに属し、日本でいうところの理系ってことになる。


欧米人にとって、

Artは、人が作りだすもの・・・文系
Natureは、神が作り出したもの・・・・理系



人が作り出すのか、神が作ったものを解明するのか・・ということで分類したらしい。


まあ、分類なんてどうでもいいことだ!

経済学が理系か文系かなんてこともね(笑)



分類する、カテゴライズするというのは、便宜上、必要なこともあるんだけど・・ただ、それだけに過ぎない・・と思うのだけど、

なのに、人はすべてをカテゴライズされたものの中で見てしまうことになる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

何年か前に、1Q84って本が売り出されて、ちょっとしたブームになったことがあったよね。

そうそう、村上春樹さんの本!

hardcover_1_2_3.jpg

「この本って、SF・ファンタジー? それとも社会派に入るのかなあ?」

「いや、ミステリー、恋愛小説って見方もできるし、こうゆうの、困るよね~。」


って、会話を耳にしたときは・・・思わず笑ってしまった!

そこかよ!と。

どうして・・本までカテゴライズすることから、はじめちゃうんだろ!って。

えてして、良い作品というのは、むしろ1つのカテゴリーだけに留まらないものって気がするのだけど。



私も1Q84は読んだのだけど・・どうでもいいような小さな部分が今でも印象に残っている。

ある小型の銃を初心者に渡すときに、
「マガジン(弾倉部分)に素早く玉を込める練習をしなければいけない。
たとえ暗闇の中でも手先だけで素早く玉を込められるようにしておかなきゃいけない。」
というような事を言ってるシーンがあった。

27734680-マガジンと弾薬銃

これが、すごく真に迫ってた。

実は一度だけ、私もインストラクターについて射撃を習ったことがあったんだけど、
まさに、口を酸っぱくして言われたのが、これだったから!


こうゆうのって実際に経験してる人か、または、ちゃんとリサーチして完全にその感覚を自分のモノにしてる人じゃなきゃ、言えない言葉だよな~って。

こうゆう些細なところにも手を抜かないんだ! 作家さんてすごい!って思ったものだ。

そりゃあ、彼らにとってはプロとして当たり前のことかもしれないんだけどね~。


こうゆうのこそ、まさに、リベラルアーツなんじゃね?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

アメリカの大学だと、1-2年生のうちは、リベラルアーツを学ばされる。
専攻を決めるのは3年になってから。
日本だと、すでに専攻を決めてから受験するんだけどね~。

リベラルアーツは高校までで十分やってるはずだから、という認識なのかもしれない。
充分やってきたのは受験勉強だと思うんだけど・・まあ、それをここで言っても始まらない(笑)



リベラルアーツを日本語にすると、教養課程みたいなことになるんだろうか?

「専門教育」の前に学習する一段低い、一般教育みたいなイメージがついて回るせいか、あまり真剣に考えない人も多いらしい。


ところが、そのリベラルアーツを、ちゃーんと学んでいないと、

自分の専門のことは詳しいけれど、それ以外のことは、ほとんど知らないという人たちが生みだされてしまうことになる。

それどころが、すでに教育として体系づけられてるものは学んでいけても、それ以上の発展性は見込めない!ってことになってしまう。

そっちが問題!

与えられるれたことがしか出来ない! 自分で先を学べない! 大発見はありえない!・・ということになる。


よーするに、1つのことしか出来ない(しない)専門バカに未来はない!ってことらしい(笑)


たとえば医学界・・脳神経外科は脳神経外科だけ、泌尿器科は泌尿器科だけ。

もしも別の部位に問題があり、それらが複雑に絡み合って症状が出ているとしたら・・・あっちこっちのXX科をたらいまわしにされることになる。

80273710-thoughtful-doctor-character-having-many-questions-vector-illustration.jpg

永久にその原因と関連性はわからないだろうし、適切な治療もできなくなっちゃう・・というのはよく聞く話。
医学は完全に専門分野で分かれてしまってるから。

こういったことかもしれない。


数学者であっても、数学書ばかりを紐解いていても、新しい発見は出来ない。
堂々めぐりのこじつけ理論しか浮かんでこなくなる。

ほんとうは、音楽や文学の中にこそ、大きなヒントが隠れているのかもしれないのに。

job_syokubutsu_gakusya.png


1Q84の中にも、
「バッハの平均律、あれこそ数学だ!」といったことが書かれていたっけ。

たしかにそうだ!

のだめカンタービレのフレーズにも、こんなのがあったっけ。

「神の作りたもうた世界は素晴らしい調和によって創造されている。
その調和の根本原理は数の関係によって成り立つ。」



作家さんて、本当にさまざまな分野に目を向けているんだなあ~と感心させられてしまう。

彼らの感覚は、決してカテゴライズすることなく、いつも自由に飛び回るから。


大学の専門分野で難しいことをいっぱい学んで、専門語ばかりを羅列して難解な論文を書いてる学者さんよりも、

自由な感覚で飛び回ってる一般人の方が、はるかに、その神髄を捉えちゃってる!

そんな気がすることが多い。


そう、だからリベラルアーツは大事ってことになる。

それを別な言い方をすれば・・

「なんでも幅広い分野を知ろうとすること」

もっと言えば・・・

「なにごとにも、自然に興味を持って味わえるゆとり」なのかもしれない。

子供の頃好きだったことは原点になる?

子供の頃、自分がどんな子だったかって覚えてる?と人に聞かれて、遠い昔の記憶を遡ってみた。

11271883-タイムマシンを使用して人間のイメージ。

タイムマシンに乗って、ちょっくら昔の私を見てくる気分で。


すると、乳幼児までは「毎日楽しい~♪」と思ってたようなんだけど、だんだん大きくなるにつれて・・

あれれ~?となっていく。

65739253-白人少年は異年齢でイラストで段階を成長しています。赤ちゃん、子供、ティーンエイ-ジャー、大人と同じ人物を示す単純なかわいい図面。白い背


誰にでも、乳幼児の頃から大好きなもの(興味を示すもの)というのが、必ずあるという。


そういえば、お気に入りのおもちゃと遊びの中からも、その子の過去性や今世での方向が見えている・・と言ってた霊能者がいたけど、そうかもしれないなあ、と思う。

_53876-59072.jpg


私が好きだったのは、ぬいぐるみと本 (それも動物のぬいぐるみ、お人形とかままごと遊びには興味なし)



小学生になってからの、私のお気に入りは椋鳩十全集

椋鳩十さんの本はすべて動物の物語なのだ。

そりゃあ「動物+本」が好きなら、当然好きにもなるだろうなあ。


ところで、椋鳩十さんて、どんな人だったんだろう? 

と、Wikiでググってみると、

椋 鳩十(むく はとじゅう、1905年1月22日 - 1987年12月27日)は、日本の小説家、
児童文学作家、鹿児島県立図書館長、教員。本名は久保田 彦穂(くぼた ひこほ)。
日本における動物文学の代表的人物。
椋鳩十 -Wikipedia



こ、こんな昔の人だったんかい!

今では記念館もあるらしい。
   ↓
mukugaikann.jpg
http://www.city.aira.lg.jp/muku/gyosei/shisetsu/bunka/muku.html


私が読んでた本は、こんな本だったのだろう。
    ↓
978-4-591-91181-5.jpg
https://www.poplar.co.jp/book/search/result/archive/5110.03.html

残念ながら、内容はだいぶ忘れてしまった。

ただ子供向けだったわりには、子供の為の教訓臭さなんてものは微塵も無くて、ノンフィクションぽかった気がする。

猟師と野生動物の実話などなど。


教訓本とか偉人伝が苦手だった私には、すんなり心地良く心に沁みとおっていく物語だった。


ただし、ハーピーエンディングが少なくって、悲しい話が多かった・・・そんな記憶がある。
哀しいのはきらいだ~。


今も覚えているのは、「ネコ物語」「白いオウム」かなあ。

これも悲しい話だったよなあ・・。


まあ、子供というのは、このようにして自分の好きなことから、だんだん学んでいくのかもしれない。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


私はよく野良犬や野良猫を拾ってきては、母親に怒られていた。

そりゃあねえ、椋鳩十ファンの子供としては、野良犬・ネコを放っておくわけにはいかない!


「ダメ~!もとあったところに捨ててきなさい!」と母。

「なんで~!」

「仕方ないでしょ! 野良犬なんだから。
汚いし病気持ってるのを飼うわけにはいかないわよ! 」
と母。

え? それっておかしいだろ! 

「だって~! 可愛い子だし・・可哀そうだし・・」となおも、ブチブチ言う私に、

「そんなに犬が欲しければ、パパに言って血統書付きの犬を飼ってあげるわよ。
とにかく、その汚いのは捨ててらっしゃい! 絶対、家に入れてはいけません!」


血統書付きの犬? それって・・・どっか違くね?


でも、

母は権威者なのだ。
家という社会における権力者。

どーん 威風堂々そのもの
king-3602313_960_720.png


権力に逆らっては生きていけない。

子供はこうやって、一つ一つ現実社会を知っていくことになる(笑)。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

TVニュースをみながら、

「なんで戦争してるの? 戦争って悪い事じゃないの?」と父に聞く。

「うーん、難しい問題だね~、たしかに良くないことだけど仕方ないこともあるんだよ。」

「でも、喧嘩しちゃいけないし暴力はいけないんでしょ?」

「お友達同士の喧嘩とか暴力はいけないよ~。 でも戦争はそれとは違うからね~。
もっと大きくなれば、わかることだよ。」
と父は言った。


いまだに、わからん!

つーか、大人になって事情を知れば知るほど、喧嘩も暴力も戦争も同じやんか~と知ることになった(笑)


こうやって私は、どんどんどんどん、大人の望む「良い子」になっていく。

でも、自分が望む良い子ではない。


ようするに、学校の成績も良く大人の言いつけを守る、素直な良い子ってわけ。
ところが、心の中はちーっとも納得できないモヤモヤだらけ。


なんだって学校なんかに通わにゃならんのだ?
なんだって、こんなアホくさい言いつけを守らにゃならんのだ?


それを全部押し殺して素直でニコニコ。

こりゃ、ヤバイわ!現実社会を生きる処世術じゃん!


でも、心の中は、

あんたらの望む通りの良い子になってやる! 
大人になって家を出るまで上手に騙し通してやる! みたいに思ってる。

大人への軽蔑・不信感、メラメラ燃える反骨精神


こりゃあ、一歩も違えれば犯罪者か性格異常者だ。


完全に、まっぷたつ

自分の世界 Vs. 現実の世界

大好きな時間 Vs. やらなきゃならないからやってる時間

私自身 Vs. 演技してる私




それでも、
私には、ちゃーんと自分の世界を持つ時間もあった。

なので、性格異常者か犯罪者にならずに済んだのかもしれない。


大好きな犬を抱えて寝ているとき・・それは至福のとき

fc2blog_20190718232153c3d.png


大好きな本に夢中になっているとき・・・これも至福のとき

kids-with-imagination-book-for-website.png


そのうち、本だけじゃなく、漫画、アニメ、映画、音楽の世界にも広がっていく。

幸いなことに、両親からは、私の望むものはほとんど与えてもらえた。

欲しい本も漫画もレコードも買ってもらえたし、映画やコンサートにも連れて行ってもらえたんだから。
その点は感謝感謝なのだ!

父:「お誕生日には何が欲しい?」

私:「馬!」


父:「う、馬? そりゃ、デカすぎだよ。 小さな家には入らないから、もっと小さいものじゃないと・・」


アンダルシアの馬物語を読んでから、愛馬が欲しくてたまらなくなったのだった。
   ↓
fundacion-real-escuela.jpg



父:「なにか、習い事するかい? ピアノとかバレーとか。」

私:「フェンシング!」

父:「ふぇ、フェンシング!?」


西洋の騎士道物語のナイトに憧れていたのだ。
    ↓
騎士-馬-保護-剣-epsベクター_csp35682845




結局、コリー犬を飼ってもらい、ピアノとバレーを習わされることになった。

決してすべてが与えられたわけではない。
現実は思ったとおりにはならない。

それでも、コリーの子犬は大好きで、遊ぶのも寝るのも一緒だった。

必ず私の至福のときを邪魔するのは、母だったけど・・
「犬と一緒に寝ちゃだめ!とか、「いつまで本ばかり読んでるのとか?」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私の中で、まっぷたつになった世界が統合されていくのは、ずっ~と後のこと。 

大人になってからだ。


自分の世界 Vs. 現実の世界 と、まっぷたつに分けちゃうんじゃなくって~~

自分の世界を、自力で現実にしていかなきゃだよな~って。


そんな簡単なことに気がつくのに、ずいぶん時間がかかっちまったかもしれない(笑)


でもね・・

私の原点は、きっと椋鳩十さんにあったのかもしれない、と思う。

あーんな昔の人なのに、

彼は異種間の動物の間にも友情があったことや

1-50.jpg


敵対するはずの、猟師と野生動物ですら心が通い合う瞬間があることを知っていたんだから。


目の前に見える現実だけが現実・・・と思いこんでた子供だったんだよな~。

現生利益とスピリチュアルの関係について

あるスピ系女子という方から、
「現生利益を一番に求めるのは悪いことでしょうか?」という・・なんともまあ、かわいらしい質問を頂いた。

もちろん悪くないです!・・・と私は思っている。


仏教のある宗派では「いけないこと」とされてるようだけど・・えーと、たしか・・浄土真宗だったかな?

こちらでは精神性を高めることによって現世利益はおのずから付いてくる、という考え方だったと思います。

またキリスト教全般においても、病気が治りますように! 商売繁盛!なんてお祈りはしないですね~。



でも、望んでしまうものは仕方ないじゃないですか~!

病気が治りますように。
商売繁盛、お金が儲かりますように


ebessa.jpg



ただし~、
現生利益を望むのであれば、まず自分自身でやるべきことをすべてやらなきゃ!って思うんですよ。

たとえばビジネスを徹底的に学ぶ、体を使って働く。 金の流れや世間全体の流れを見極める・・なーんてことを。


それを、スピ系パワーで引き寄せよう!なんてのは無駄かと思うんですよ。(ああ、引き寄せの法則のとこにも、似たようなことをつらつら書きましたっけ。)


愛と感謝、祈り、ワンネスなんてものを考えたり、念じたり、祈ったり、セミナーに出席したりなーんてヒマがあったら、実践でがつがつ学び働くことかと(笑)


病気だって同様!
なぜ、この病気になったか?の原因を探り、体のしくみを学び考え、どんな治療法が正しいのか?
自分なりに学ぼうとしたり治そうともしないで、すべてお医者様にお任せで神頼みでは・・ダメなんじゃね?
・・って思います。


時代劇ではお馴染みの「お百度詣り」
   ↓
img_2017102600514.jpg

お百度詣りだって、現実に出来ることはすべてやった上で神頼みをするわけですもんね~。
あ、そうそう・・ただし、お百度するのは自分の為じゃなくって、大切な誰かの為に祈るんだそうです。
それも、わが身はどうなっても構いません!という切なる祈りだから叶えられるんだとか。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そもそも、スピリチュアルな生き方と現生利益では、ゴールも考え方も、ぜ~んぜん違うって思うんですよね。



最近のスピリチュアル系では、「私はこのようにして成功しました」といった成功談を実に美しく「デコ&ラッピング」されて語ってるのも多いようだし(笑)

さらに、「スピリチュアル系ビジネスで集客できる秘訣」なんてハウツーモノまで出回ってるそうですよね~。
たった3ヶ月で500万円達成ってのが、謳い文句だったなあ(笑)


こうゆうのはすべて「世間において成功した」という結果重視の考え方


私にはそれがスピリチュアルだとは思えないんですよね~。

ちょっと言葉は悪いかもしれませんが・・そうゆうのって、スピリチュアルを利用しているだけで、コンセプトは真逆のところにある気がしてしまうんですよ~。


当然、まっとうな代価は受け取るべきだし儲けるのも当然と思いますが・・「大儲けする」「成功」ということが最終目的であるならば、それはスピリチュアルとは別物と思います。


少なくとも、スピリチュアルは結果重視ではないはずです。


大切なのは、そこまでに行きつくまでの過程、日々の心の在り方なのであって、

もしも、最終的に成功したかどうかを判断基準にしているとしたら、それは・・むしろスピリチュアルとマ逆なj方向のように思えます。


大切なのは、毎日を充実して送っているか? 日々楽しくキラキラと生きているか?・・・それがスピリチュアルの基本じゃないかなあ。

・・・・・・・・・・・・・・

だからといって、現生利益を求めることが悪だなんて思ってません。

今、現生利益を一番に求める状況であるならば、素直に心のままに、そっちの方向を突っ走るべきかと思います。


お金は汚いものなんじゃないか?とか、日々愛と感謝がなければいけないんじゃないか?とか・・
そ~んな「なんちゃってスピリチュアル」に煩わされてる方が、むしろ道は遠くなるような気がします。


なので、先ほども述べたように、目的に向かって実践あるのみ。 がつがつ学び働くのみ!


まずは1年くらい、まっしぐらに、やるべきことは全~部やって、最後だけは神頼みもよろしいのではないかと(笑)

・・・・・・・・・・・・・・・・

現生利益にご利益があるのは、えべっ様お稲荷様だそうです。


1年を死に物狂いで働きまくって

20120109144901.jpg
https://amanaimages.com/info/infoRM.aspx?SearchKey=02768000012


商売繁盛笹もってこ~い♪♪ と、祈りを込めてどーんとお飾りを買う!



または、お稲荷さまにどーんと願掛けする。

6ccf0f5bc464e703046ec9d743c5c143-300x225.jpg
https://yamagata-jinjyacho.or.jp/wp/blog/archives/2400

江戸時代には、お稲荷様は、今のスタバ以上に、あちらこちらにあったそうです。

20160908145537.jpg

江戸で有名な稲荷神社といえば、「王子」「袖擦」「三廻り」「九郎助」など。
三廻神社は、たしか三菱? 三井?だったかの願掛け神社としても有名だったはず。


なんでまた、江戸時代にお稲荷様が大人気だったかといえば・・

それには諸説あるものの・・結局のところは「手っ取り早くご利益があるから」(笑)

まあ、江戸庶民だって、そりゃあ一番に現生利益を祈ってたわけですよ~。



もちろん願いが叶ったならば、お礼を忘れちゃいけません。

江戸時代の人は神に対する、畏敬の念というものもあったし信心深かったですからね~。
現代人と比べれば、ちゃんとお礼も忘れず信心し続けたはずです。


ところが現代人って、困ったときだけの神頼みが多いみたいですね~(笑)

とくに、お稲荷様は祀らなくなったとたん、しっぺ返しに合うって話・・たしかによく耳にします。

私の知人に代々商売をやってる家の方がいて、家の敷地にもお稲荷様を祀ってたそうですが、
お父様の時代になって、引っ越しをすることになり、それを機にお稲荷様の祠を壊してしまい、すっかり祈ることも忘れちゃったそうです。

その後ご両親も弟も相次いで病気でなくなり家運も傾き、一人生き残った長男もまた難病に苦しんでるとか。



まあ、それが祟りかどうかはわかりませんが・・似たような話はいくつも聞いてます。


また個人の話に限らず、地域の守り神としてあったお稲荷様の祠を壊してしまったり、
誰も祀る人がいなくなって寂れてしまったとき、

その地域では怪異やら不幸な出来事が多く起こるようになるとか。

そんな話も聞いてます。

dea6abaa90c7323401dbd132cbaa63dd.jpg


人間なんて勝手なものだよね~。

昔の住民たちは、土地の発展や加護を願ってお稲荷様に毎日のように拝んでいたでしょうに・・

現代になって土地開発が進み、時代が変わったとたん、誰も見向きもしなくなっちゃうんだから(笑)


仕方ないよ~! 土地開発するんだから! とか。
時代の波には逆らえないし~とか。


ぜーんぶ、自分の都合ばっかし!なんだもんね~(笑)


その上、「お稲荷様は祟るから良くない」な~んて言い出す始末。


これじゃあ、お稲荷様が怒ったとしても当然だよな~。

それより、お稲荷様、おキツネ様が気の毒だよな~。

・・・と思ってしまう私。


現生利益をすぐに叶えてくれる神様は、わりと人に近い波動を持ってるとか。

そりゃあ・・利用された!見捨てられた!と思えば悲しいだろうし、哀しみが怒りになることもあるだろーに。


せめてでも、人として同等に接するならば、叶えて頂いたなら、ずっと感謝するのが当たり前。


そんなの、やなこった!と思うなら、神頼みなんかしないこと。

自分の力を信じて自分で切り開くこと。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そうそう、1つだけ確かだな~って思うことがあります!

ほんとうにスピリチュアルに目覚めてしまった人たちは、自分のための現生利益なんて願ったりしない。

彼らの視点は、もっともっと壮大なところにある。



当然、「私はこのように成功を引き寄せた」とか「たったの3か月でxx百万稼いだ!」なんて話題にも上らない(笑)


それでいて、彼らには不思議と、現生利益はささやかながらでも、ちゃ~んと付いて回ってる。
まさに浄土真宗の教えじゃないけどね(笑)



だからといって、先にも言ったように・・現生利益を求める事が悪いとは決して思ってはいない!

ただし・・まだまだオヌシ、ちっちゃえよな~とは思う(笑)

15680317.jpg

かくゆう私も、まだまだ「ちっちゃえ」ヤツですが、デカくなりたいと思ってます!

日常のある日の中で思ったこと

私はある日系のフォワーダーで働いているのだけれど、会社の得意先はやはり日本が多い。

フォワーダーの会社のお仕事というのは、大きく分けると、輸入部署と輸出部署があって、

たとえば、輸入部署であれば
日本から商品を船か飛行機で輸入して、アメリカで輸入通関、その後、保税倉庫からピックアップした貨物をお客の指定する場所まで陸路で運んで搬入、というのが一連の流れ。


そんな中で、カスタマーサービス部署には、日々質問が寄せられる。

「今、商品はどこにあるんですか? いつ到着しますか?」

「XX月XX日までには、必ず到着しますか?」


まあ、こんな質問が多いようだ。

そういった質問を減らすためにも、船会社も飛行機会社も、また、我々のようなフォワーダーでもこういった、ウエブサイトがアップロードされていて、「今あなたの貨物はどこにあるか」がわかるようになっている。
tracking.jpg


ところが日本の会社は、アップデートが少し遅れただけで、それもまたクレームになる。

「我々の貨物はXX時にはXX港に到着してたのに、ちゃんとアップデートされてませんでした!どーゆうことですか!!」と。

貨物なんて日曜祭日だったり夜中にも到着するわけだし、それを完璧にアップデートするためには、
24時間体制で何人かの人に管理してもらわない限り、そりゃ無理だ。

客側の言い分としては、だったら、ちゃんと人を雇って24時間体制にしろ!ってことなのかもしれないけど・・ま、無理だろ!
採算が合わないから。

そうなわけで、海外の人からみると「日本人は細か過ぎるし煩さ過ぎる」と言われて日本とのビジネスを敬遠したがる会社もあるらしい。

逆に言えば、だからこそ日本は品質のクオリティーもアップするし、時間にも正確という美点にも繋がる。


日本という国、
電車も時刻表通りだし、宅急便だって日本全国を時間指定で配達してくれるような国だ。


そういえば、電車が20秒早く発車してしまって会社側が謝罪したといったニュースさえあったなあ。
   ↓
「電車が20秒早く出て謝罪??」海外が驚く日本の正確性と謝罪文化

日本人のお決まりの謝罪風景
800__2.jpg

正確性と謝罪

うーーん。
それと同様なサービスをアメリカに求めても、そりゃ、無理ってもんだ(笑)

そういうと、アメリカ人はルーズな国民性だから、といtった性格の問題を問われることが多いんだけど・・
それ以前に国土の問題は大きい。

mojove40.jpg

トラックが行き交う主要幹線道路であっても、砂漠地帯を突っ切り、2時間近く走らないと町さえないような場所もあり、
もちろん、サービスエリアなんてものもない。

ロサンゼルスで貨物を積んだトラックが、テキサスまで輸送にかかる時間は、場所によっては4日位で到着予定なのだけど、

途中で道が崩れているかもしれないし野生動物が飛び出してくるかもしれない。 天候によっても大きく左右される。


truck on40


つい先日も日本の会社からカスタマーサービスにクレームが入ったらしい。

通常4日で到着するはずのトラックが1日遅れてしまったという。 原因はトラックのパンクのため。

すると、
「なぜパンクしたんですか? そのパンクした状況、日付と時間を詳しく教えてください。」と言われたらしい。

げええ!@

なんなんだ? この質問は?と、私たちは唖然としてしまうのだが・・
20秒早くても遅くても謝罪する日本にとっては、こんなことは当然のことなのかもしれない。


しかしアメリカ人にとっては、これは異常ともいえる発言だ。

詳しい説明をするときは、保険会社に保険請求をするときくらいなもんだ。
1日遅れたくらいで誰も気にしない。 原因追及さえしない。


電車もバスも車も遅れるのはよくあること。
それが嫌なら、もっと早く出発するか、遅れた場合も考えて事前に対処しておくべき。
・・というのが一般的な考え方なのだ。


カスタマーサービスは頭を抱えてしまった・・気の毒に。。。

だって、この言葉のままをトラック会社に質問してしまったら、ものすごーく気分を害されることは明白。

「それって、ウチのドライバーに職務怠慢を疑った上での質問ですか?」
ということになりかねない。

その結果、もうおたくのようなフォワーダーとは一切取引する気はありません!とも言われかねない。


お客様は神様なんてのは、アメリカ企業には通用しない。

彼らは、むしろ心意気で動くことが多いのだ!


そもそも、日本の会社側だって・・
必ずXX月XX日に到着させたいならば、もっと余裕を持って出荷すればすむことなのに・・・

ところが、それは出来ない。

なぜなら、ギリギリまで経費を削る必要があるから。(1日倉庫に保管するだけで保管料がかかるから)

期日ギリギリに出荷してギリギリに到着する・・これが経費節減、一番コスパを良くすることになる。

また、当然彼らは一番安い船会社や航空会社を使う。

ところが、この「一番安い船会社や航空会社」というのは・・それなりに色々と問題も多い。

kwe_canada_cargo.png

ここは私の仕事なんだけど・・
    ↓
航空便で到着した貨物の場合、輸入通関を完了させた後、トラック会社に依頼してピックアップ、
これをほぼ48時間以内で行わないと、さらに航空会社に保管料を支払うことになる。
(ほとんどの航空会社がタダで貨物を置いといてくれるのは基本的に2日間だけ)


そのためには、貨物到着を見計らって航空会社に何度も電話して確認しなければならない。

最終確認は、
「ウチの貨物通関は通ってる? 支払い額はいくら? もう、荷下ろしは終わってる?ピックアップのトラックを向かわせても大丈夫?」

とにかく時間との闘いのときは電話なのだ!

ところが、その電話がなかなか繋がらない。(とくに格安航空会社に限って)


航空会社によっては、または時間帯によっては・・1時間待っても電話がつながらないことさえある。
それどころが、待ってる電話をブチっと切られることさえ、しばしば。
(おそらく、あちこちのフォワーダーも同様に電話をかけまくっているのだろうけど。)


ようやく繋がったときには、私だって文句の一つも言いたくもなる。

「ねえ、あんたんとこ、いつ電話してもぜーんぜん繋がらないんだけど・・どーして~?
今日中にトラックの手配してピックアップしなけきゃならないのに、すっごい困るんだわ~!」
と。

すると、航空会社の人、

「私だって困ってるんよ! 私んとこ、たった二人きりでひっきりなしに鳴る電話に出てんのよ。
無理に決まってんでしょ!」
と、逆切れされた(笑)

あれ~! たった二人しかいないんかよ!


そりゃあ無理だろ!と納得&同情(笑)
(ある中国系のエアラインは運送費がとっても安いらしく、安いが一番と思ってる日本の企業は頻繁に利用するのだけどね)



しかし安いところにはそれなりの「安い事情」ってものがある。

人員不足でやってるとことは、情報提供にミスも多い。
そのため、こちらも慎重を期すために、2回、3回電話して確認しなければならないことにもなる。

何倍もの手間がかかるのだよ~(実にリスキーだ。)

jalcargo.jpg


以前、私の大先輩から聞いた話だが、

「昔はねえ・・こんなことはなかったなあ。
とくにJALカーゴはサービスがよくってね、貨物が到着すると先方から電話してきてくれて、
通関も切れてるし貨物のピックアップすぐできますよ! 引き取り料はXXです!って全部、先方から連絡してくれたものなんだけどね~。」


へええ。 そんな時代もあったんか~!
私の時代には「優秀JALカーゴ」は、すっかり伝説になってしまっている。

JALだって、こちらからバンバン電話しなきゃならないし、なかなか繋がらない。
おまけに、不慣れな担当者に間違った情報を伝えられることも多いので安心できないのだ。
(この業界、口頭で情報をもらって動かにゃならないのだから!)

そういったことからも、ああ、JALの内情も昔とは全然違うんやなあ~と、思い知らされる。
たぶん、一般客を乗せて飛ぶ方だって、同様なのかもしれないなあ。
(ちなみに、今のとこ良いのはシンガポールエアラインかな。 電話も比較的繋がるし情報ミスも少ない。)



そんなこんなで、ようやくピックアップ可能になった貨物は、トラック会社に依頼してピックアップしてもらうのだけど、
とにかく、いつもギリギリなので、トラック会社だって大変だと思う。

トラックの台数だって限りはあるだろうし、トラックドライバーの手配もしなきゃならないのに、
「お願い~! きょう中にピックアップしないとダメなんよ!なんとかして~!」なんだから。

電話してる間にも、トラッカーに持たせる書類を作ったり小切手を切ったりと手は動く動く・・。
ところが、そうゆうときに限って、プリンターやパソコンが動かなくなったりするものなのだ。(←そこで焦るとよけい間違えるしな~)

書類にたった1つの不備があっても、保税倉庫から貨物は引き取れない。
で、1日延びればまた支払いが増えるし、客からのクレームは必定ってわけだ。


無理を押して慌てて飛んできてくれたトラックドライバーにも、

「げっ! もう来たん?
ちょっとだけ待ってて! 今プリンターが動かないんよ~!」
と、
そこで、トラックドライバーを待たせたりもする。


そんなにまでしてくれてるトラック会社に、
「なんで遅れたの? 何時何分にどこでパンクしたんですか?」な~んて、アホな質問は出来ないのだ。

実際、どのように回答したのかは知らない。
それはカスタマーサービス部門の方々のお仕事だから(笑)


ま、このようにして、何もかも、すべてがギリギリに回っているのだ。

発注する会社も受注する会社も、航空会社・船会社も、トラック会社もどこもかしこも。
みんなギリギリ。

ゆとりなんてなーい!


ゆとりがなけりゃ、イライラしたり焦ったり・・そうすりゃ、ミスも増える。
ミスがあれば、客側からクレームの嵐、そしてまた、イライラする・・その悪循環なのだ。


こうゆうのは、私が働いてる業界だけに限ったことじゃないんだろうなあ?

それどころか、個人の生活だって同様になってしまってることも多いのかもしれない。
コスパって言葉も一般化しちゃったし、ちょっとでも安いところを探して節約しまくる!って人も多いって聞くくらいだし。

いやはや、大変な世の中だよなあ~(←他人事のように言ってる私)


・・・・・・・・・・・・・・・・

その日の帰り、Macy's(アメリカのデパート)に、注文品のピックアップに寄った。

もちろん、これは私の個人的なお買い物。

macys teaser 8-23-18

10人くらいが商品のピックアップのカウンターに並んで待ってる。

ようやく私の番がきて、カスタマーサービスのおばちゃんが中身を確認してくれたところ・・

ありゃりゃ、1個商品が足りない!

カスタマーサービスは、黒人の体格のいいおばちゃんだった。

さっそく、どこぞに電話してくれたんだけど、これがまた、なかなか繋がらない!

「うーーん、この時間帯だから、めちゃめちゃ忙しくて誰も出ないのね~」

おー! メイシーズもか!


15分は待っただろう!
ようやく電話が繋がったと思ったら、

「それは倉庫のセクションに電話して!」と言われた様子。

おばちゃん、今度は倉庫に掛けなおす。

でも、電話はまたも、なかなか繋がらない。

「やれやれ~、こっちも忙しいのね~!」
と、おばちゃん、私の方をみて苦笑しながらこんなポーズをする。

yareyare.jpg

さらに、10分~15分待って、やっと繋がった。
おばちゃん、また最初から全部説明しなおす。

やれやれ~。😥

ところが今度は倉庫のスタッフが私に電話を代わってくれ!と言い出したらしい。

私が電話に出ると、私もまた同じことを最初から話す。

いい加減めんどくさくなってきて、
「だからね、この商品はキャンセルするから払い戻してくれればいいんだけど!」と私。

すると今度は、私のファーストネーム、ラーストネーム、電話番号、住所などの確認が延々と始まる気配。

そんなもん、オンラインオーダーなんだから、全部パソコンにデータ入ってるだろーが!(←さすがに私のイライラしてきた)


「あのねえ、カスタマーサービスの人がぜーーんぶ説明したでしょ! 彼女の言ったこと全部正しいわよ!
なんだって、また同じことを何度も説明しなきゃならないのよ!」
と。(←やっぱ、私も気が短い?)

そういって、話の途中で受話器を彼女に戻してしまった。

カスタマーサービスのおばちゃんは、倉庫係と少し話したあと、
「クレジットで返金するそうよ。」と私に言って、電話を切った。

やれやれ~
やっと終わった~!


カウンターを後にするとき、おばちゃんがひと言、
「Sorry!」と笑顔で私に言った。

「別にあなたのせいじゃないもん。
それよりも色々と、ありがとう!」
と、私。

おばちゃんの笑顔につられて私も笑顔になった。

・・・・・・・・・・・・・・・

もし、これが日本のデパートだったら、どうだったんだろ?と思った。

たぶん、カスタマーサービスの人が商品が足りない!って気づいた時点で、

「大変申し訳ございません」と神妙な顔をして謝るんだろうなあ。

電話で待ってる間も、「申し訳ありません。ただいま込み合ってるようで・・」といっぱいいっぱい恐縮して誤ってくれるんだろうなあ。


ところが、こっちの場合、
先ほど倉庫の人と電話を代わったときも、
「商品が足りなかったそうで、すみませんでした。」と、まず、ひとこと誤られたけど、その後のお詫びは一切ない。


アメリカでは、個人という意識が強いせいか、自分のミスではないものは謝らないのがフツウ。
客もまた、その人の責任で無いものに関しては決して突っ込まない。


ところが、日本では連帯責任という意識が強いので謝るのがフツウ。

しかも、そんなときに笑顔なんて見せたりしない。 
それは、誠意に欠ける、礼儀に欠けるということになるからなのだろう。


さて・・・

どちらが心地よく感じるか?
それは、まさに人それぞれ。


ただ、私は、
おばちゃんが電話で長く待たされようが、あらら~混んでるのね~と、あっけらか~んとしてる様子

そして彼女の自然な笑顔やジョークに、むしろ、ほっとした気分になった。

明るい気分は伝染するものなんだよな~。


むしろ、神妙な顔をされてぺこぺこ謝られていたら、

私もまた、イライラ気分を引きずって家に帰り着いたかもしれない。

あのおばちゃん、超ベテラン、カスタマーサービスだったのかもしれない(笑)

こうゆうの、ゆとりって言うんだろうなあ。

しかも、相手にゆとりを伝染させちゃうカスタマーサービス。

うーむ。
ひょっとしたら只者じゃないかも!

引き寄せの法則の回答と思ったこと

3回に分けて引き寄せの法則をテーマにアップしたところ、いくつものメールを頂いた。

それだけ、引き寄せの法則に関心がある人が多いってことなんかな~。

この場を借りて、質問に回答させて頂きます。


★引き寄せの法則を信じてる?

はい。 信じてます。
信じる?というニュアンスに微妙な響きがあるけど・・当然「起こりえる」ということは信じています。

つーか、自然界にはいくつもの法則が存在してると思う。 
私的には、波動の法則があるから、当然引き寄せられることもアリと思ってる。

類は類を呼ぶ337ba2d50c817782d58c15b1dd7806f3.png
のたとえどおりに。

★引き寄せするためには、一番何が大切でしょうか?

ただ、ひたすら好きなことに突っ走ればいいんじゃね?
前回のブログ記事の淀川さんみたく。


★私は漠然とお金は無いよりあった方が絶対いいと思ってますが、そういった気持ちでは引き寄せはでき無いんでしょうか?


無いよりあった方がいい!
何が何でもXXしたい!
これは、まったく別物かと。

で、類は類を呼ぶ。
つまり、あなたの内在するものを引き寄せるわけで、無いものとは引き合わないと思います。
ついでに言うと、「漠然と」というのは、無いに等しいことかと。


★若いときは私もセレブのような生活に憧れてましたが、年を取った今は悠々自適な老後を送ること、それだけを望んでいます。
そういった私が、引き寄せをするには?


は? セレブのような生活? 悠々自適な老後?って・・・具体的に何をしたいのかがわかりません。
なーんとなく外部から作られたイメージを、なーんとなく追ってるような気がしてしまう。
それもまた、「漠然と」なのかもしれませんね。


★引き寄せの法則を含めて、今たくさんのスピ系セミナーがありますがどう思いますか?

スピ系セミナーはキライです。
なぜなら第一目的が金儲けになってるのが多いから。

何事も対価を得るのは当然のことだし、むしろ良いことだと思います。
だけど、主催者の目的が自分の名声やカネをゲットすることが第一目的のスピ系講座に、精神性の上で得るものはないように思います。
私なら、むしろビジネス実践講座を受講しますね。

これもまた類は類を呼ぶで、似たような波動の人たちが集まるように思いますね。

★ご自身でも、引き寄せの経験はありますか?

あると思ってます。
車がヤバい状態になってしまって、お金がぜーんぜんなくて買うこともできなかったときに、新車をプレゼントされたことがあったので。 あとで考えると、引き寄せ?とも思いました。
車が無ければ仕事にも行けない国では命にかかわるので、これは・・今でも感謝感謝です

他にも細かいことはいっぱいあります。

★引き寄せの法則で願いが叶ったあとも感謝し続けることは必要ですか?
以前、キツネの神様(稲荷様)は感謝し続けないと、しっぺ返しに合うと聞きましたが。


は? キツネの神様~・・たしかにそうですね~(笑)

誰からでも、有難く受けた恩には感謝するってのは人の道、道理かと思います。
高価なプレゼントをもらっちまったら、それでええわ~! アンタのことなんか知らんわ~!じゃ、おキツネ様が怒るのも当たり前。


★引き寄せの法則の有名人たちが、子宮系で、子宮委員長はるちゃんを交えた対談がありましたが、その子宮メソッドについてはどう思われますか?

なんじゃいそれ? バラエティー番組の企画?
ごめん~。 質問の意味不明だし、それをちゃんと調べる気にも回答する気にもなれんわ~!

・・・・・・・・・・・・・・・・・

ざっと、こんなとこです。

メールを頂いて思ったんだけど・・引き寄せって今ではまるで、怪しげな宗教みたくなってるのかもしれないですね~。

本を出版、セミナーを開くってのは、昔からスピ系ビジネスの常套手段ですもんね~(笑)

個人カウンセリングするよりも、なんてたって手っ取り早く、しかも莫大に儲かりますからね~。

スピ系ビジネス、すごいもんです。

もっとも似たようなもので、健康食品だとか、超能力開発、UFO関連だとか、実にいっぱいありますよね~。
食べ物だって、ロウフード派 vs. マクロビ派とかで反目しあってる人もいるくらいで(笑)

どれもこれも信奉者を集めちまうところからスタートするもんです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、質問メールを寄せて頂いた方々に共通して思ったことは、

いかに、みなさんが既成概念の中で生きているか!ってことでした。

とくに、置かれた環境、年齢といったものに縛られてるような気がしてなりません。


まず、そこから解放されない限り真のスピリチュアルの道はあり得ないつーか、理解できないようにも思えます。
(それって理解するものかどうかもわからんのですけど・・)

そうなると、似非スピリチュアルの言葉に幻惑されちゃうだけかなあ。

感謝すること、希望を持つこと、信じること、好きなことをすること・・こういったキラキラワードに惑わされることにもなりかねないかな~って思いましたね。

海外セレブが報じられてるのを見ればステキ~って思い、超モテ男を見ればカッコいいって思い、東大受験を目指してるっていえば、頭いいんだね~と思い・・まあ、そうゆうのと同じことかと。


感謝なんて自ずから湧いてくるものだし、希望なんて行動力が無い人だけが使う言葉だし、
何かを信じることや好きなことをするのも、魂レベルから自然に湧いてくることなんじゃないかなあ。

つまり、
ぜーんぶ周りに作られた既成概念の中で感じたり、考えたりしながら、生きてるんじゃないでしょうか?


私は、既成概念というよりも、最近では・・それはもう、全体主義的強迫観念に近いものになってるような気さえしちゃいます(笑)


そこから解放されない限り、引き寄せなんて出来るわけないって思いますよ。

そもそも、引き寄せなんて意識してするもんじゃないと思うし。


あれれ~、あとで気がついたら、これって「引き寄せか~」って思いあたるようなものなんだと思います。
シンクロにシティーも同様ですけどね~(笑)


中には淀川さんのように、小さい頃から「好きで好きでたまらないもの」を持ってる人もいます。
また、特に無いって人もいます。(←私はもともとこのタイプ)


「好きで好きでたまらないもの」を持ってれば、そっちに向かえばいいだけだし、
また、特に無いならば、日常の小さなことでも好きなことをして日々楽しく過ごせばいいだけのこと。


そして、もっと充実感や幸せ度を求めたいならば、他人のために何かをすることではないでしょうか?

家族や恋人のためは当然だけど、まったく関係ない人でも少しでも幸せにしてあげること、
笑顔にしてあげること。


私はこれに尽きると思います。
ここから大きく未来が開けていくと思ってます。


質問メールを寄せて頂いた皆様、

まずは、すべて自分を取り巻く既成概念をぜーんぶ外してから、考えたり感じてみてくださいね~。

英語で、think outside the box(箱の外で考える)という表現があります。

つまりは、既成概念をはずすということ(自由にあなた自身の発想で考える)という意味にもなります。

20100307_1264016.jpg
http://blog.english.vc/?eid=34

引き寄せの法則なんて知らないけど実践しちゃってる人:その3

それ、誰やねん?

はい! 今は亡き、淀川長治さんです。

e288f82c983512b29039385a323bcd8a.jpg

私は個人的にまったく知りません。
別にファンでもありません。

だけど、映画関係のお仕事をしていた友人が、彼のメッチャ、ファンだったのだ。

私がよーく知ってる彼は、日曜映画劇場の解説に登場してくるオジサン、というだけ。

小学生の頃、映画にハマった私は毎週日曜日の夜を楽しみにしていたのだ。
当時はパソコンもないし、映画配信もないし、レンタル映画もなかった時代(←年がわかりますね~。)
毎週映画館に連れて行ってもらえなかったし~。

なので毎週日曜日の夜を楽しみにしていたのだ。

子供は9時には寝なさいと言われてたんだけど、寝たふりして、こっそりとドアから日曜洋画劇場を覗き見していた私に根負けした父は、日曜の夜だけは11時まで起きていることを許してくれるようになった、というエピソード付き(笑)

スクリーンという映画雑誌まで、お小遣いで買ってたものだ。

私の買ってた時代のスクリーン
screen.jpg


そんなわけで、まあ、TV画面を通してだけど、毎週必ずお会いしてたオジサンなのだ。

「さあ、みなさん、そろそろお時間来ましたね~。 ではまた来週。 さよなら、さよなら、さよなら。」と、必ず言ってたオジサン。

毎週のようにみていると、子供ながらにも、だんだんと、「この映画は名作だ~!」と思ったり、「こりゃダメ!駄作だ~!」と思ったりするようになっていくのだけど、

淀川さんは、どうみても駄作の映画でさえ、ちゃーんと良いところをみつけて解説をしてしまうのには、びっくりさせられたものだ。
決して「こんな映画、ダメ~!」なんて言わない。 それでいてウソも言わない。

ほんとに、数少ない良いところを見つけ出してしまう人だったと思う。
ま、それが解説者としてのプロ意識だったのだろうけど。

それが私の知ってる淀川さんのすべてみたいなものだった。



で、私の友人が、なぜ、淀川さんファンなのかというと、

「あれだけ幼いころから、映画に魅了されて、そのまままっしぐらに映画だけに生きた人ってだけですごいよ!」という。

たしかにそうだ!

淀川家は、芸者の置屋さんをしていて近所の映画館の株主にもなっていたらしいので、たぶん、映画は子供の頃から見放題だったのだろう。

yodogawa2.jpg


学校の勉強もそっちのけで、映画映画の毎日。
映画こそが淀川少年の先生であり、人生すべてだったというのは、私もよく聞いた話だ。

しかも見ていた映画が、洋画だったのだから、自然に世界情勢や文化にだって詳しくなってしまったのだろう。

太平洋戦争が始まったときいたとき、
「ふーん、そりゃ、日本は負けるな!」と思ったそうだ。

この時代、世界を知らない日本人がほとんどで、誰もが神国日本が勝つと思いこんでいたような時代に
この若さでこんな大きな視点で世の中が見えてたのも、映画のおかげなんだろうね~。



20歳になった頃に、淀川屋は傾き、数年後には潰れてしまったという。
両親の面倒をみなきゃならないし、自分ひとりでも食べていくための苦労は大変なものだったはずだ。

それでも、
映画を好きなだけ見れてなんとか食っていければなんでもいい!と、それだけで、大阪のユナイテッド映画配給会社に就職したという。


その頃の彼のビッグイベントは昭和10年、
チャップリンがお忍びの新婚旅行で神戸港へやってきたのだ。

当然、ダッシュで押し掛けていったそうだ。

彼にとっては、チャップリンは神。
10歳のときから、チャップリンの映画はずっと見続けている。

yodagawa3.jpg

チャップリンも相当嬉しかったんだろうなあ。

yodosann.jpg


たぶんだけど・・淀川さんの映画の好みは、崇高な芸術作品と呼ばれる作品よりも、むしろ、チャップリン映画のように、
庶民的でニューマニズム溢れる映画がお好きだったようだ。


淀川さんという人、

本人も言ってたようだけど、映画以外はすべて人より劣っていると本人も言ってたくらい・・酒は飲めないし、映画抜きでは人とのつきあいもできないような人。

結婚はせず、淀川家が自分を最後に潰れることも厭わなかったくらい。 

世間からみれば、完全に変人だし、ドロップアウトしてるような人だと思う。


それでもいつもニコニコ笑顔を絶やさず、誰にでも声をかけるような優しい人。
これも映画の中から人生哲学を学んでいくうちに、そうするようになったという。


まあ、私も子供の頃は、いつもニコニコ優しいオジサンって思ってたけど・・・

実はものすごーく熱血漢で、実に「暑苦しい人」だったと思うのだ。
純粋、ストイックともいえるけど(笑)

そうじゃなきゃ、映画まっしぐらの人生なんて歩めるわけないもん。


そして、死ぬまで感動し続けた人だったと思う。

cinema-paradiso-ss1.jpg


ここに、80歳のとき、ニューシネマパラダイスという映画を見たときの淀川さんのコメントがある。

new cinema

有名な映画だし誰でも知ってるだろうとは思うけど、遠い昔過ぎて忘れちゃった人のために紹介ビデオを貼っておく。
    ↓


大人になれば、そうそう感動することなんてありませんよ~。そんな青臭い青春時代じゃあるまいし~。
と、したり顔で言ってる、おっちゃんに聞かせてあげたい言葉だ(笑)


もう一つ、淀川さんには、いつも「死」というものが付き纏っていた。

付き纏っているというよりも、いつも「死」を意識しながら生きていたといった方がいいかな。


まだ若い頃、徴兵されるだろうと思ったとき、これはチャンス!だと思ったという、本人コメントがある。
自分が「生か死かの瀬戸際を経験するチャンスなのだ!」と。
(実際には体が弱かったか?で徴兵されなかったらしいが)

これは・・この時代の人だったから!というのも、あるのかもしれない。

昔は、武士道のような精神を持っていた人が、まだまだ多かったらしい。


武士道といっても、書物をみると色々あって、
「主君のためにひたすら尽くすべし」といった儒教精神でコチコチになってるものもあるし、剣の極意やその精神性を綴ったものもあるので、ひと言では言えないのだけど・・

●柳生新陰流の柳生宗矩さんは、殺人刀から活人剣へと昇華しようとしたし、その奥義が「無刀取り」
o0587044714295972039.jpg

●宮本武蔵の「五輪書」では、さらに、武の神髄は真の「空」に到達することにあり。



こんなん話出すと長くなるからやめとくけど(私、時代モノファンだから)


手っ取り早く言えば、いつも死は隣りあわせにあるという死生観かな。

だからこそ、生き生きと輝いて生きられる。

yagyusinkageryu.jpg


私自身、死をテーマにした小説とか好きなのだ。(あ、だから、サムライモノが好きなのかもしれないけど・・と今気づいた。)

ただし、死を暗~いものとか、重たく、おどろおどろして捉えたものはキライ。 そりゃ違うだろ!って思う。

活人剣じゃないけど、死を意識することは生き生きと明るく生きるためのものなのだ

死を意識するからこそパワーをもらえると思っている。



淀川さんご自身も、死について口にすることが多く、とくに晩年はますます多くなっていったみたいだ。

インタビューでも、こんなふうに語っている。

「死ぬことが怖いとかつらいとか考える人は、明日死ぬかくらいに思いなさいよ。
明日死ぬと思うから、生きることが輝いてくるんだから。」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

人は晩年に近ずくと、ああ、もう残された時間はあんまり無いよな~って悟る。

若い時は、ちっとも気づかないものなんだけどね~。

そこで死を恐れるか、それとも、残された時間をせいいっぱい燃焼させたいと思えるか?

その違いは大きい(笑)


淀川さんという人、

★好きなことだけを追いかけてきた人
★死ぬまで感動の人生を歩んできた人
★ネガティブな言葉は使わす人に優しく、穏やかにを映画から学んだ人
★いつも死と隣り合わせ、死を恐れず活かす人




引き寄せの法則なんて言葉も、波動も量子力学も知らなかったかもしれない。

それでも、大好きな映画の世界に入り、念願のチャップリンと会いゆっくり話すことも出来て・・
自分の望むことを引き寄せ続けた人だったように思うのだ。


こちらは、だいぶ前に淀川さんファンの友達に送ってもらった言葉
    ↓

私にはもうこの年で、死が迫ってきている。
楽しいことばかりが思い出される。
ウソだよ。
悲しいこともいいっぱいだよ。 そうも思う。

けれど、悲しいことを忘れるほど、私は嬉しいことがいっぱいで、私は今日まで生きてきた。
人生とは何か、人間の使命とは何か。
そんな難しいことを考えなくても、互いに嬉しかったなあと言い合える社会が一番幸せ



彼は、亡くなる前日にも映画解説のお仕事、スピーチ収録をしているのだ。
そして翌日、あの世へ旅立っていったという。


なんてステキな人生だったんだろう・・・と思う。
幸せってそうゆうものじゃないかな~。


なーんて褒めちぎると、友人からだから淀川さんはすごいんだ! わかったか!と言われそうだけど・・
別に私はファンでもないし、ファンになる気もない。(笑)

ただ、すごくステキな生き方とステキな死に方が出来た人なんだな~と感慨深く思える。


友人はこの言葉が一番シンプルで好きなんだとか・・
   ↓
「生きることの贅沢さ 1日1回は笑いなさいよ。 笑わないと損だよ。」



うーーん、実に・・らしい!

引き寄せの法則そして波動、:その2

これは、「引き寄せの法則」の続きにもなるんだけど・・

そもそも、この世というか、世界、宇宙も・・・すべて波動で出来ていると思っている。

私たちの体だって小宇宙のようなもんで、それも個々に及ぼす波動で作られている。



たとえば、私たちの日々の食事

everydaymeal.jpg


植物(野菜果物)やら動物(肉魚)やらを取り込んで栄養として生命維持をしている(ビタミン剤や常備薬を飲んでる人はそれも考慮に入れなきゃだけどね)


それだって、動植物の波動を取り込むことなのだ。

だから、ネガティブ波動を持ってる植物だとか動物ばかりを取り込んだら、そりゃ、栄養よりも病気になるわい!と素直に思っている。

つまり、「怨念を持ってる野菜」とか、「惨殺された怒りや悲しみを秘めてる牛の肉」だとか・・のことね。

ちなみに、怨念を持ってるニンジンは左(白くてデカいヤツ) 右は幸せなお育ちのニンジン
o0480064312482974431.jpg
https://ameblo.jp/gashimasa/entry-11502584752.html

一代限りで無理やり終わらせられちゃうなんて・・怨念を持ってるニンジンに決まってるだろーが!!


まあ、多少、ネガティブ波動のものを取り入れたからって、私たちの体はそれほどヤワじゃない!

どんどん、悪いものは良いものに変化させようと、それでもどーしょうもないものは排出しようと、日々せっせと働いてくれているのだ。

すべての臓器がそれぞれ固有の波動を持ち、互いに共鳴するかのように流れを作りだしている。

さらに人々は、それぞれ個々の波動を持っている。

1人の人間の1つの臓器、1つの筋肉でさえ、すべてに影響を及ぼし、すべてから影響を受けている、宇宙そのものなのだ。




そういったことは、この本を読んでからというもの、ますます納得し確信するようになった。
    ↓
m75756472590_1.jpg

この本は、ほーんとに良かったなあ

目から鱗の発見だけじゃなく、著者の心、優しい波動(愛そのもの)が、ずーーとベースに流れているような本だった。



本というのは、著者の波動がモロに伝わってくる。

前回のブログの中に登場する、彼女の選んだ「引き寄せの法則」の本もまた、彼女と似たような波動を持っていたし(笑)

これまた、引き寄せの法則、類は類を呼ぶの法則だよなあ~と、つくづく思う。

だからこそ、本は栄養にも毒にもなりうる。


私の本よ! 売れろ~!売れて売れて、私に大金と名声を~!を第一に願った著者の本と、

どうか世界中の人々が幸せに生きられるますように!と、それを第一に願った著者の本とでは、

波動も違えば、ひきつける読者層も違ってくるというわけだ。

惹きつけられた読者は、相乗効果でますます、そちらの方向へ行くことになる。



人も世界も宇宙もすべて波動で出来ているという認識は、私自身を大きく変えたと思う。


それまで、不思議やな~と思ってたたくさんのことが腑に落ちるようになったし・・

たとえば、死んで地縛霊になっちゃってる人や、ケイタイ電話に幽霊さんが入り込んじゃうこととか(←私の実体験)、マブイの話や、風水や、お釈迦様の話だとか、もちろん、今回の引き寄せの法則の話にしたって・・全部がすんなりと腑に落ちるようになった。

mabui.jpg



そのきっかけとなったのは、ずいぶん前に読んだ「二重スリット実験」からだった。
     ↓
人の意識とボーアから始まった量子論
私はスピ系の本などより、こういったサイエンスの方がすんなりと吸収しやすいのかもしれない。



人の想念も波、物質(ソリッドなもの)と思われていたものも波、だから影響し合ってしまうんだなあ~と。


波はまた音でもあり色でもあり、私たちの臓器の1つ1つも、天体の1つ1つも個々の音を出している、ということにも納得できたものだ。


そうなってくると、「自分さえよければ」といった個の意識がどんどん消えてしまうのだ。

ああ、みんなすごいなあ! 太陽の恵みも、なにげ~に食べてたレタスだって・・

labelleverte.jpg

私はそうやって生かされていたんだ! みんな、ありがとう!・・と、すんなり思えるようになってしまう。



そう、「自分さえよければ」といった個の意識がどんどん消えてしまうのだ。

さらに、周囲の多くの波動を感じられるようになっていく。



フルフォード博士は医術の中でそれを知ったのだろうし、そうなるともう、自分を救うことも人を救うことも同じことに思えてきてしまう。

それが、愛に溢れた波動になったのだろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今では、多くのスピ系本や自己啓発本にも「世界は波動でできている」みたいなことは書かれているものも多いし、
引き寄せの法則の原理も、そう書かれている。


「引き寄せを実践していく様子をフツウのOLがリアルタイムで綴った本」というのがベストセラーになったらしく、それがLAのブックオフに置いてあったのでチラ見したことがある(←本のタイトルは忘れた)

昔あった日系の本屋さんは全部撤退しちゃって、今ではブックオフだけが何件もある
9779548922_02dffa618b_b.jpg

この本をチラ見して感心してしまったところは、

言葉の使い方や言い回しがうまい! 実にキャッチーな言葉を効果的に使っている。
ちょっっぴりインテリジェンスを感じさせるような事柄を上手に料理しなおして引用してるし、
しかも、どこにでもいそうな女の子目線で書かれている。 



今の時代にマッチした「売れる商品」を企画開発する才能に溢れた人だなあ、と感心してしまったのだ。


ただね~、

この著者のベースとなるビジョンは「個人の幸せをゲットする方法」という、実に小っちゃな視点に留まってしまってるような気がしてならない。

「波動」でできているから、自分も良い波動を出し良いモノを自分に引き寄せるみたいな(笑)

それも決して間違いじゃないのだけど、「波動でできている」というビジョンが明らかに違うのだ。


私には、こっちの方が大切に思えたのだけれど。
    ↓
「自分もまた互いに影響し合う宇宙の一部」

koyamaweb_kagaya.jpg
https://koyamachuya.com/column/column_category/kagaya-2/

そう思えるからこそ、人にも優しくなれる、人のためなりたい!と自然に思えてくるものなんじゃないかなあ。


なので、フルフォード博士の本に感じた波動とはまったく違っていた(笑)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここで、ちょっと考えて欲しい

最近の異常気象、天変地異についても。

つい最近、こちらでも、真昼間に空が真っ暗になりバラバラと雹がふったのだけど・・
昔は、こんなことはなかったそうだ。 少なくとも21世紀に入る前は・・。


アメリカでもヨーロッパでも、細かい雹でさえ、めったに降らなかったという。

とくに、テキサス、カンザス、オクラホマ、ネブラスカ州などは、ゴルフボールサイズよりも大きい雹が頻繁にふるし、そのダメージの大きさもすごいのだ。
hyou_big.jpg

車なんて、こんなんなっちゃうし、
180806203216-02-cheyenne-mountain-zoo-hail-damage-super-tease.jpg

人や動物だって命にかかわるし(実際動物たちはずいぶん死んでる)、作物だってメチャメチャになってしまうのだ。


それがこんなにも・・広範囲にわたっているのだ。(黒いところを除いてぜーんぶ)

heilstom.jpg
https://weather.com/storms/severe/news/hail-climatology-united-states

雹の被害だけじゃなくって、山火事の被害も21世紀になってから、ものすごいものになっている。
さらに、洪水、トルネードと・・・自然災害オンパレードになってしまった。


日本はまだ、これほどの被害はないのかもしれないけど・・でも、異常気象は当たり前のようになってるはず。
昔は、「ゲリラ豪雨」なんて言葉だってなかったはずだもん。


なんで?

私はそれだけ、人の出す心の波動が荒れてきているんだと思う。 世界的に。

今の私には、気象や自然災害と人間の波動との関係性なんてゼロ!とは思えないのだ。

人の想念は気象にも影響を与える。

気象にも、経済にも、天体にも、・・・相乗効果でどんどんエスカレートされていく。
その影響でまた、人の想念も荒れていく・・という悪循環を及ぼしている気がしてならない。

こちらは、雹による経済的被害を表したグラフなのだが、

destruction from above
https://www.bloomberg.com/news/articles/2019-06-15/hail-storms-are-getting-more-expensive-and-no-one-is-sure-why

2008年から、ぐーんと前年の倍くらいになっているのがわかる。(リーマンショックで世界的な経済危機の年)
そして、2011年は東日本大震災のあった年だった。


そこで、ふと思い出す、

ヨハネの黙示録
「第一の天使がラッパを吹くとき、血の混じった雹と火とが生じ、地上に投げ入れられた。
地上の三分の一が焼け、木々の三分の一が焼け、すべての青草も焼けてしまった」


こっちは

出エジプト記9章
英語版だけど、the Lord sent thunder and hail, and fire ran down to the earth
雹が降り、稲妻によって火が生じたと書かれている。


雹と火によって終末の序章が始まるのか~。

昔の人は体験的に知っていたのかもしれないなあ、と思ったりする。


今世界中には、ネガティブな波動が溢れてきているんだろうなあ。

・・・・・・・・・・・・・・・・

72467671_220x216.png


自分が特に好きなことがみつからない!なんとなく不安もあるしもっと幸せを呼び込みたい!と思っているのならば、

いっそのこと、自分のことなんて置いといて、
まず、他の人のため、世の中のためだけに生きてみてはいかがだろう?

人でなくても、草花でも動物たちでもいい。

一人でも多くの人、草木、動物を笑顔にさせることだけに。
あなた自身、最低1日1回笑顔になってるのかな?

それが、他者を救うことになり、世界を救うことになる、と、私は思っている。
気がついてみれば自分自身をも!


それは、決して大袈裟なことでもなんでもなく、息をするくらい自然に、今の私には思える。
だって、世界は波動で作られているのから。

引き寄せの法則の本がいっぱい : その1

ちょっとびっくりしたこと・・日本では自己啓発本がいっぱい出版されてるらしい、ということ。
また最近では、そういった本の方が売れ筋なんだとか。

しかも、「引き寄せの法則」関連の本が、すごく多いのにはびっくり。
もちろん、インターネットで検索しても、たくさんヒットしてくる。

paraparahikiyose.jpg
すごっ! パラパラめくるだけって凄過ぎ!


へええ~、引き寄せの法則ねえ・・・そんなに「幸せになりたい」って人が多いのか~、
不幸と感じてる人が多いのかなあ?(笑)



「引き寄せの法則」その目的は、

現実世界では、成功すること(お金&名誉、良き恋人・配偶者ゲット)
精神世界では、「よりよい自分を目指す」
・・”より良い自分”てすっごい曖昧な言葉だけどね(笑)

で、その究極の目的は「幸せを掴む」ことにある。


引き寄せの法則というのを簡単に言ってしまうと、

自分に起きる事は自分が思った事からしか起こらないという法則がまずあって、

楽しい事が起きて欲しいのなら常に楽しい事を、
成功したいのなら常に成功する事をイメージしていれば、
すべては実現する
・・という事だ。

だからこそ、

「いつもポジティブな気持ちでいること」
「常に気分良くいること」
「日々感謝すれば、あなたに幸運が訪れます」


ということになる。


引き寄せの法則って、日本独自のものなのかなあ?と思っていたんだけど・・、

どうやらもとになったのは、
エスター・ヒックス(Esther Hicks)と、ジェリー・ヒックス(Jerry Hicks)The law of Attractionという本かららしい。

81vw-JtPcJL.jpg


ジェリーは、チャネラーで、瞑想によって彼女のスピリチュアルガイドである、エイブラハムと交信したという。
その、エイブラハムの教えが、引き寄せの法則だった。

詳しくはこちらのサイトでも紹介されている。
     ↓
https://cocoblo.net/attraction/post-1406/


その後、さらにさまざまな本が出版され、セミナーなども開催されたりしたようだ。


最初に日本で『引き寄せの法則』が出版されたのは、2006年頃だったとか。
ほお!そんな昔から・・

それから、どんどん、さまざまな人たちが、自らの経験を綴った「引き寄せの法則」本を出版するようになっていったらしい。

今では私はこのようにして成功しました! これはまさしく引き寄せの法則です!といったような・・ 経験談+ハウツー本もいっぱい出版されている。


どの本も実践方法としては、先に述べたとおりで、

「いつもポジティブな気持ちでいること」
「好きなことをやること」
「日々何事にも感謝」

といったことが書かれてあるらしい。


まあ、確かにそうだよなあ!と思う。

脳は、好きなことをしたほうが活性化するし、集中力も記憶力も断然アップするし理解力も深まるし、
おまけに疲れ知らずで爆進できちゃうものだからね~。

brainwaves_feature4.jpg


脳には必ず、人それぞれのデフォルト・ネットワークが構築されていて、答えをゲットするときの考え方のパターンというのがほぼ決まっているようだ。

それがさらに、「好きな事」だとポジティブに柔軟に考えられるわけだし、しかも、リラックスした状態を入れると、
クリエイティブな発想がぽーんと浮かんでくるようで、そうなりゃ、もう鬼に金棒。
なんだって、やれちゃう~♪ 引き寄せちゃう~♪

というわけで、脳科学的にいっても引き寄せの法則は大いにありえる話。


もっと言えば、それが、プラシーボだとか、確証バイアスとか、ドーパミン効果とかって言い方もできるのだろうけど・・・・

望むことが実現すれば、XXX効果なんてことは、どうだっていいのだ。(笑)


さらに、脳科学といった表面的・分析的なものでなく、紀元前の昔から、釈迦の阿頼耶識の発想やキリストさんの発想にだって、

「神は自分の中にある」
「精神」や「思考」がすべてを決める、
宇宙と一体化すれば、病気も治るしすべてが順調にいく。


といったものもある。

あ、これは・・異端派キリスト教の教えかな?(ニューソートと呼ばれているキリスト教だったか?)

そんなことを言えば、キリストさん自身が説いた教えだって、すっかり異端になっちゃってるかもしれないのだが(笑)
(ちなみに、正統派というのは、325年のニケーア公会議で三位一体説のアタナシウス派が正統とされて、教皇を頂点としたローマ=カトリック教会の権威が形成されるようになった・・というだけのこと)



えっと・・何が言いたかったのかといえば

今さら引き寄せの法則なんていってるけど、実は大昔から、宇宙レベルのスケールの、どでかい教えがあったということ(笑)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そういえば、知人にも「引き寄せの法則」の本を何冊も買い込んで、日々実践してるという人がいたなあ。

「私はXXができる」「私はXXする」と日々唱えたりしてる人で、

ひどい風邪で寝込んでるときでさえ、
「治りました」「元気です」といったり・・してたっけ。


「はあ? 相当辛そうやん。 無理して、元気です!なんて言わなくったっていいじゃん!
かえって痛々しいよ!」
と、私は言ったのだけど、

「それじゃダメなのよ! 少しでも早く回復したければ、良い状態をイメージして、辛いとかネガティブなことを言っちゃいけないのよ。」
と彼女に言われましたっけ。

彼女には申し訳ないんだけど・・やば! なんだか怪しい宗教にでもハマってる人みたいだなあ・・と私は思っちまったものだ。


そもそも、「ネガティブなことを言っちゃいけない!」 XXしちゃいけない!」って発想がマズイんとちゃう?


いくら毎日口に出してお経を唱えたところで心が伴わなければ、ぜーんぜん意味がないのと一緒で、唱えてるだけじゃ、なーんも引き寄せてこないと思うのだが。

いくら言葉は言霊たって・・・魂が乗せられない言葉じゃ、言霊にもならんと思うのだよ~。


そもそも、その彼女には、嬉しい!とかウキウキした気持ちがぜーんぜん伝わってこないんだもん。
XXしなけりゃ!という HAVE TO意識ばっかし。


こちらのブログにも、こんな図が載ってたけど、まさに、この通りだよなあって(笑)
    ↓
hikiyoseuso.png

記事はこちら
   ↓
引き寄せのウソ。そして勘違い。の図

面白い記事だったっす。(すごい!黄金キンさん)



そういえば、私も前に風邪で寝込んだときのことをブログにアップしたことがあったなあ。
   ↓
本格的な風邪で野口流を試しつつネコと過ごす日


このときは、たしかに熱は上がり頭痛・鼻水の症状で辛かったんだけど、辛い以上に、私はワクワクしていた。

風邪薬を飲まずに野口流を試すのが楽しかったし、期待でいっぱいだった。

熱が上がったり咳・鼻水といった症状すべてが、今、私の体がウイルスと戦って外に排出しようとしている最中なんだと思っただけで、おお!やっとるやっとるやっとる~♪ バトルだ~!

47677402.jpg

私の体、すっごーい!と・・・マジ、嬉しくなってた。


でも風邪の症状はたしかに辛い!

ごほごほっ!つらいよ~。 でも楽しくってワクワクするよ~!って心境だったなあ。


結果、昔のように風邪薬を飲んで治していた頃よりも、びっくりするほど早く治ってしまった。

治ったあとは、悪いものを全部出しきったように、すっきりリフレッシュした気分になった。(←自分で思ってるだけかもしれんが・・思えるだけでも幸せだい!)



もちろん、「引き寄せの法則」だとか、「ポジティブ・シンキング」なんて意識してたわけじゃない。

早い話が単純バカ!なのだ。


でもね・・

単純バカでも、いつでも楽しみをみつけられることこそが、

結果的には「引き寄せの法則」になるんかな~と、そのとき思ったのだ。


それからというもの、私的には、ポジティブ・シンキングも、原始の仏教やキリスト教のおしえも、バシャールだとか、プレアデス、エイブラハムも「引き寄せの法則」も、全部まとめてそう解釈している。


めんどくさい理屈や理論を詰め込んだり、実践しようと努力するよりも、そっちの方が手っ取り早いし、スト~ンと腑に落ちるから。


こんなことを教えてくれた野口先生に感謝、私の体ってすごーい!と体に感謝、
運動してよけい熱を上げてくれたネコにも感謝かも・・と嬉しくて感謝しまくり、


あれれ?

いつのまにか、

「何事にも感謝」
「いつもポジティブな気持ちでいること」
「好きなことをやること」

の3原則を無意識のうちにやってたみたいだな~と、あとで気がついた。


引き寄せの法則を日々実践してるという彼女は、ノートに「欲しいもの」、「引き寄せたい」ものをせっせと書き込んでいた。
書き出すように、と教わったそうで、それも実践していたそうだ。

ちなみに、みせてもらったら、
「大金持ちになって、豪邸、ステキなカレシ、夢のような結婚生活、自由にいける海外旅行などなど」・・だった。

おいおい! そんなに・・いっぱいあるんかい!

しかも、絵にかいたような海外セレブのような生活じゃないか。

こうゆうのが夢の生活なんかな?
woman-boarding-private-jet-with-shopping-bags_tcm61-50601.jpg
自家用ジェットはいいよな~。


でも、申し訳ないけど、キミの引き寄せの法則は働かないと思うよ~。(←口に出したら激怒されそうなんで心の中で言った)

だって、彼女は、「幸せが外にある」と思っているんだもん。

それを、引っ張って呼び込まなきゃって思ってるんだもん。


幸せは自分の中~と、さらっと信じられない人は何も引き寄せられないと思うのだよ。


「自分が思ったことが実現していく」というのは、そうゆうことかと。

ポジティブになるとかネガティブになるとかって意味も、そこらへんにあるんじゃないかな。


まずは、辛いときでも、ほうっと息をついてリラックスできる人

cofeerelax.jpg


苦しいときでも、楽しいことをみつけて嬉しくなれるような人

relax_boy.png

それって視点をさらっと変えられるってことかもしれないけどね。


逆にこうゆう人はダメかと。
   ↓
kangaeruhito.png

1つのことばかりを、じっくり突き詰めて考えちゃう人は、ネガティブモードの思考回路に入りやすい。

なので、彼女のようにマジメ~に、ハウツー編を努力するのは、むしろ、逆効果な気がしてしまうのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

もしも大金持ちを目指すならば・・こんな一例がある。

昔々、子供の頃からド貧民に生まれついて、満足に食事もできず、当然進学さえできなかった男の子がいた。

mangaka_urenai.png
 ↑
いつの時代じゃあ。


彼の夢&大望は、子供の頃から、「超ビッグな金持ちになること」だったそうだ。


そして30前にほぼ、それを実現したのだ。

きっかけは、ある金持ち女性に見初められたこと。
そして、その父親にも超気に入られて、ムコに入ったことがきっかけ。


貧乏だったし学歴は無いんだけど、ビジネスセンスは素晴らしいものを持ってたからね~。
まあ、子供の頃から金持ちを夢見て、相当独学でビジネスの勉強はしていたらしい。

で、婿に入って会社を継いでさらにその会社を大きくした。


ところが、その大金持ちのお嬢さん、彼が結婚した相手だけど・・はっきり言って、不細工ちゃん(というより、顔にすごく嫌~なカンジがにじみ出ているような人)

しかも甘やかされて育って相当ワガママだし、おまけに、自分さえよければ人の事なんてどーでもいい!という典型そのもの。
実に嫌~なタイプ。


いくら逆玉でも、こんな妻で嫌にならんのかい?と、恐れ多くも直球質問した人がいた。


そしたら彼、

「ぜーんぜん! 僕にとって女は顔じゃない! 性格でもない!ただ金あるのみ!
彼女がいなかったらこんなチャンスはつかめなかったんだから、すっごく感謝してるんだ。」
と言ってのけたもんだ。

いやはや。

まさに、目的1本。 引き寄せの法則。 しかもちゃーんと感謝もしてるし・・こりゃ、すごいと思ったね。


事実、この男、金持ちになっても浮気ひとつしなかった・・。

彼の目的はただ1つ、金持ちになること、会社をもっともっと大きくすることなんだから、女なんて眼中にないのだ。

ただし・・奥さんの方は浮気しまくって、冷え切った家庭になってたらしいけど・・そんなことも彼はまったく気にしない。


ここまで、ブレない人は、すごい!
まさに、引き寄せの法則を地でいった人かもしれない。


ところが、まだ話は続く。

後日談によると、彼は40過ぎてから、離婚して会社も手放しちゃったのだ。

お!こりゃ、転落人生のはじまりか?と思ったら、そうじゃないらしい!

今度は年の離れた奥さんをもらって、連れ子の小さい子もいて、零細企業の社長をやりながらマイホーム・パパを楽しんでいるらしいのだ。

こういった生活をちーっとも知らなかったぜ! なんと楽しいものなんだ~♪とマジで言ってたらしい。

どこまでいっても、ブレない人は強い!



この人の話を聞いて思ったのだが、

引き寄せの法則の心構えを実践してるヒマがあったら、金持ちになるための自分なりの実践をしなきゃ!ってことだね。


たとえば、彼のように・・


●独学でもビジネスを学ぶ。

●チャンスを逃さない。(それが、悪妻でも心から有難いと思って結婚できちゃう気構え)

●途中経過の中でさえ、目的に向かって楽しんでる。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

うーーん。
実にシンプルやんけ!


なのに、どうして・・「引き寄せの法則」の本が売れるんだろ?

読みふけって、引き寄せの法則悪循環になっちゃう人がいるのはなぜだろ?


そもそも、買いたくなる人は、

自分は幸せじゃないと思っていて、特に好きなこともない・・という人たちなのかもしれないなあ。

だから「自己啓発本」、「引き寄せの法則本」を買いたくなっちゃうのかもしれない。


私は、「引き寄せの法則」に限らず、自己啓発本というのは読んだことがない。
読もうと思ったこともない。

興味本位で、ちらちらっと立ち読みくらいはしたことはあるけどね。

だって、ちっとも心を捉えないんだもん。


心を鷲づかみにしてくれるような本が好き。

本だけじゃなくって、音楽も、映画も、漫画も、アニメも、お芝居も・・


そういった中にこそ、大きな気づき、そして学びがあるように思う。


なんだか知らんが・・最近ではそういった本が売れなくなっていき、自己啓発本やハウツー本ばかりが売れるってどーなんよ?
って思ってしまうのだ。

学び方の違い: 上からか下からか

会社で別部署の人に、お仕事を教えることになって、

ふと思ったことがある。

なぜ、この人、ちっとも理解してくれないんだ~?

そこで、私の教え方が悪いんじゃい!と言われてしまえばそれまでなんだけど・・

コミュニケーションとか、教え方、学び方というものをつくづく考えさせられた。


で、気がついたこと。

人には、大きくわけて、2つのタイプがあるんだなあってこと。

Ⓐ 基本から忠実に1つ1つを学んでいくタイプ(下から上に)

Ⓑ 全体像を自分なりに掴んでから、掘り下げていくタイプ(上から下に)


日本の教育は、たぶんⒶの方。

英語教育でも、

tyuichi_eigo.jpg

と、このように、

簡単な単語を学びながら、主語と動詞の文章 ⇒ 主語と動詞と形容詞の文章 ⇒ 主語+動詞+副詞+接続詞



なーんて具合に、少しずつハードルを上げていく教育だった。



私が子供の頃に学んだピアノ実技にしても、

赤いバイエル⇒ 黄色いバイエルだったもんなあ(笑)

bauerru.jpg


ご存じない方のために、もうちょっと詳しく言うと

右手の練習 ⇒ 左手の練習 ⇒ 両手の練習

ハ長調(全部白鍵だけ) ⇒ ト長調(黒鍵が1つ含まれる) ⇒ ニ長調(黒鍵が2つ)



このように、少~しづつ少~しづつ、簡単&単純なものから上へいくというメソッドなのだ。
1つ1つをクリアーしない限り上にはいかれない。(←まるでRPGゲームのようでもある・・)

これがまた、超退屈で・・ぜーんぜん面白くない!

面白くないどころか、こりゃ、苦行そのものなのだ。



まあ、そんなわけで、ほとんどの子供は中学に上がる頃にはピアノをやめちゃってた(笑)

バブルの頃、「せっかく子供にピアノを買って習わせてあげたのに、うちの子、結局続かなかったの~!」といった声をずいぶん聞いたけど、

そりゃ、当然だよ~!


バスケの試合を観て、超カッコいいプレーに憧れてバスケ部に入ったのに・・
毎日毎日、球拾いに、ランニングと腕立て伏せだけ、やらせられてるようなもんだ。

kintore.jpg


そりゃまあ、何事にも基本が大事ってのは、わかるんだけどね~。

でも退屈で辛いだけの修行は続かない!


だったらいっそのこと、

いきなりバスケの試合をやらせてみたら?

ド素人の集まりだったら、そりゃあ、ひどいものだろうけど(笑)


でも、そこで・・自分が基本的な体力も技術がどれほど大切かを身を持って知ることができるってもんだ。

身を持って気づければ、単調なランニングや腕立て伏せにも、自分で意味を見出せるってものじゃないだろーか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

さらに、Ⓐ 方式には、1つの大きな問題点があって、

ピアノに関していえば、

★片手、ハ長調(白鍵だけ)が基本、で優しいもの

★黒鍵がいっぱいあればあるほど、難しいもの



という認識を子供に植え付けてしまうことにもなる。

つまり、間違った先入観を作っちゃうことになる。

こりゃ、まずいだろ!
そりゃ、音楽じゃないだろ!


と思った私は、昔先生をしていた頃、生徒たちにバイエル教則本を廃止して別の教則本を使わせたことがあった。

そしたら、親たちからクレームの嵐となった。

school_monster_parent.png

「みんなが、バイエル使ってるじゃないですか?
これじゃあ、子供がどこまで上達したかわからないし、子供だって嫌がってますよ!」
と。

おいおい! そこじゃないだろ!とは思ったものの、説明しても理解されない。。。

そこでまあ、バイエル希望者はご希望どおりにバイエルに戻した。
(若かった私は、それじゃあ、他に行ってくれ!と思わず怒鳴りそうになったんだけどね・・)


結局、そんな子供たちは中学進学などを理由にやめていくことになった。

ピアノを弾く楽しさ、音楽の楽しささえも知らずに、やめちゃったんだろうなあ。


このときにも、気がついたんだけど、

子供にも、つまり生徒側にも、2つのタイプがあるんだなあ~ってこと。

面白くなかろうが退屈だろうが、Ⓐタイプを望む子たちもいるということ。
         ↓

まるで長いマフラーを編んでいくように、どんどん自分が出来るようになっていく経過に満足を見出す子。

諦めず投げ出さず、私はこんなに頑張ってる!という満足感を持つ子もいる、ということだ。





一方、Ⓑタイプの子は、

小学校3-4年生だったかと思うけど、いきなりショパンの革命の楽譜を持ってきて、

「これを弾けるようになりたいんです。これを教えてください!」といったもんだ(笑)

親までもが、「この曲、息子と一緒に聞いて、超感動しちゃったんです! ぜひ息子を弾けるようにさせてやってください!」と。
(たぶん、親もⒷタイプだったようだ。)



おいおい!
キミ、まだ楽譜さえ読めないだろーが! 


でも、いいよ~と、快諾した私(笑)


そこで、最初のフレーズだけを弾いて聞かせ、冒頭のとこ、じゃ、まずはマネしてやってみて!と。

うーん、指がもつれちゃう! 動かない・・というので、(←当たり前だろーが!)

じゃあ、指を動かす練習しなきゃね~と、まさに、体育会系の筋トレ練習を与えた。


同時にショパンの革命の楽譜を使って、楽譜の読み方を教え(←こんなの、私にとっても初めての試みだった)
また、レコードによる、いくつかの演奏家の聞き比べ。


この子は恐ろしいほどに上達した。

まさしく、「好きこそ物上手なれ」の典型だっただろう。

だけど・・バッハあたりの音楽には見向きもしない!ってのが困った点だったなあ。


・・・・・・・・・・・・・・

ここで話を元に戻すと、

教える方にも教わる方にも、そして何事にも2つのタイプがあるように思う。

Ⓐ 基本から忠実に1つ1つを学んでいくタイプ(下から上に)

Ⓑ 全体像を自分なりに掴んでから、掘り下げていくタイプ(上から下に)



どちらにも一長一短はあるわけで、

Ⓐタイプの場合は、とくに、ベテランの良い先生について学ばないとダメだろうなあ。
この場合の良い先生とは、生徒の進捗具合を常にみながら、少しずつ伸ばしていく努力をしてくれる先生のことだ。

Ⓑタイプは、メチャメチャ質問する生徒になるはずなんで、それを同じ目線で答えてあげる先生じゃないとダメだよなあ。


と思うのだ。


getty_533979847_128300.jpg

さらに話を冒頭のオフィスの話に戻そう。

オフィスで私が教えようとしている人は、まさにⒶタイプの人なのだ。

それこそ、日本にあるような新人研修というヤツをみっちりやってから現場に出せば、ちゃーんと出来るタイプなのだろうと思う。


ところが、オフィスというところは・・

中途採用だったり、アメリカの場合はとくに、即戦力が求められる。(新人研修なんてものはない。)

こうゆうのはないのだ!
   ↓

gennentimes_12-1.jpg
https://www.jnfl.co.jp/ja/special/gennen-times/2019/detail/gennentimes_12.html

そこで、すべての業務全体の流れをざっと説明したあとで、まず、実践のみを、プライオリティー順に教えることになる。

どうやら、それが彼女の脳を混乱させてしまうらしい。


オフィスの状況下では、日々の仕事をこなしながら、疑問を感じたところは質問を繰り返しながら自分で学んでいくしかないのだ。


ところが、数か月経過した今でさえ、彼女からはまったく質問は出ない。

一生懸命に説明されたことすべてをノートを取るんだけど・・
そのうち、自分のノートのどこに何を書いたのかさえも、わからなくなってしまうらしい。

image-20150520-30566-1ozjww6.jpg


なんとなくでも自分なりにでも、全体を掴むことが出来ないから、流れもつかめない。


子供の頃から、Ⓐタイプ思考になってしまっているのだろう。

これでは、その都度プライオリティーを自分で判断して臨機応変に対応しなければならないようなオフィス勤めは出来ないことになってしまう。


気の毒なことに、同僚や上司からは、

「アイツ、使えないよな~!」 
「覚え悪すぎ~!仕事出来ないヤツ」
というレッテルを貼られていく。


決して能力が無いわけでなく、ただ、Ⓐ思考というだけで!



そこで、なんとか、Ⓑ思考を取り入れて欲しいと思う私なのだが、

それを提案しても・・

は? それって何すか?ってことになり、

この世にⒷ思考が存在するということすらも、理解できないらしい。

いや、理解できないというより、拒絶してしまうのかもしれない。。。


やれやれ~・・なのだよ。


人は、それぞれのタイプの違いはあるだろう。

また、出発点の違いもあるだろう。

でも、いずれは足りない部分を自分で気づいて補い、両方からの思考が出来るようにならないとマズイんじゃないかね?

と、私はつくづく思ったのだ。


学ぶこと&教えることにしても、本来はⒶもⒷも、両方が必要なんじゃないだろうか?

それが、バランスのように思えるのだ。


とくに子供に教えようとするときには、どちらのタイプかを見極めた上で教え方を考えないと、せっかくの才能を殺すことにもなりかねない・・ような気がする。

こちらの画像は、ピアノコンチェルトを弾く赤ちゃんなのだが・・
      ↓


いっけん、メチャクチャにキーを叩いているように見えるけど・・ちゃんとバックの音楽を聴きながら叩いている。
それに、バックの音に合わせた間の取り方、バックとマッチしたキーを、ちゃんと選んで叩いているのには、びっくりした。

たぶん、なーんの先入観もない赤ちゃんだからこそ、本能的に出来ることなのかもしれない。


こんな子に「メチャクチャ弾いちゃダメ!」と、無理やりⒶタイプの親や先生が、
バイエルから教え込もうとしたら、おそらく、才能は消えてしまうだろうなあ(笑)


**ちなみに現在では、私の頃の英語教育でもなくなってきたようだし、ピアノレッスンもほとんどバイエルは使わなくなったと聞いている。

赤ちゃんと納豆

「あははは・・このビデオ、笑える~。 ヵかーわいい!!」と、ケイタイ動画を見せてくれた同僚。

乳幼児の離乳食で納豆を食べさせてるシーンだった。

maxresdefault.jpg


納豆を食べさせられら瞬間、カタまる、そして、おえ~!って表情をする!(笑)
その後、実際に吐き出したりむせたりする子もいる。(もちろん、納豆が原因らしい)

こりゃ、拷問だろ!(笑)

でも確かにかわいい! オモシロ動画だ!


同時に、へええ、赤ちゃんてこんなに表情豊かだったんだ~!とびっくりする私。
(そんな小さな赤ちゃんに触れる経験が一度もなかった私は、まったくといっていいほど未知の世界だった)


「他にも、納豆を食べさせる動画いっぱいあったよ。
日本では離乳食に納豆を食べさせることもあるんだね~。 驚いた~!」


「へえ。そーなの?」(私が知るはずもない!)


同僚は日本語がわからないので、オモシロ動画狙いで(赤ちゃんに納豆を食べさせてみる編)をアップしてるんだろうと思ったらしいのだが、

いちおう日本語がわかる私から見ると、

どうやら、これはオモシロ動画を狙ったわけではない。
親はマジで納豆を食べさせているのだ!!



なんでわざわざ、臭くてねばねば・・発酵食品を食べさせるんだ?

くさやエピキュアチーズ(世界一臭いチーズ)シュールストレミング(スウェーデンの発酵ニシン)を食べさせるようなものだろう。
まあ、それぞれの土地柄か。


それとも乳幼児のうちから伝統食品に慣らさせるため? 癖のある食品に慣らさせるため?といった親の意図があるのかもしれない。


さらに、納豆においては、「素晴らしい健康食品」神話がある。

ただし、それは「本物の納豆なれば・・」という注意書きがつくのだけど(笑)

natto03.jpg
https://naturalharmony.co.jp/natto/


私はもともと東京出身のくせに納豆キライだった。

ずーーと以前、日本に住んでいた頃、アメリカ人のボーイフレンドがいて、
その彼に、
「納豆嫌い? オマエ、本物のストロー納豆を食べたことないんだろ?」と言って食べさせられたのが、藁(ストロー)で包まれた納豆だった。

たしかに猛烈に臭い!んだけど、味はぶっくりするほどまろやかで優しい。
臭さも、うまく言えないんだけど、市販されている納豆の臭さとは、何かが全然違うのだ。

これは超びっくり経験だった。


それ以来、彼のお勧めする「ストロー納豆」ならば食べられるようになった。 しかも喜んで、実に美味しく!

だけど・・市販のフツーの納豆はヘンに臭いだけでマズイ!
いまだに大キライだ!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

市販納豆について以前調べたことがあった。

まずは原料となる大豆
大豆は国内消費量の約90%を輸入に頼っている。(現在の大豆自給率はたったの6パーセントとか)
日本に輸出している国々では、大豆は市販が許可されている遺伝子組み換え作物である。

日本の最大の大豆輸入先はアメリカで、184万9000トンを輸入しているという。
しかもアメリカ産大豆の94%が遺伝子組み換えだ。
大豆は遺伝子組み換え作物として日本政府によって許可されている。

輸出入時には、
害虫をいぶし出すために何度も臭化メチルで蒸されることになる。

日本で納豆が作られる過程
納豆は自然のワラと大豆によってつくられる。 ワラに付着する天然の納豆菌(ナットウキナーゼ)が大豆で繁殖して発酵することで出来上がるというもの。
ところが、現在では人工の菌(納豆菌培養エキス)を使って発酵させたものを使う。


これで、納豆は超早くてラクに生産できて・・超安価食品となる。
(本来の納豆づくりには時間も手間もかかるのだ。そりゃあ発酵食品だからね~。)


アメリカのラウンドアップの農薬まみれの遺伝子組み換え大豆を、さらに輸入時に臭化メチルで処理して、日本で人工の菌(納豆菌培養エキス)を植え付けて作っちゃったのが納豆というわけだ。

いやはや


ところが、
最近のアメリカ人の傾向として、遺伝子組み換え食品は、ますます敬遠される傾向にある。
つまり、どんどん、売れなくなってきている!


じゃあ、その分、日本に輸出しちゃえ!
日本ならアメリカのいうことには黙って従ってくれるし
・・ってことか?

第7話 TPPでアメリカで売れないGMO(遺伝子組換え食品)の日本市場が作られる

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まあ、この傾向は大豆だけに限ったことではない。
医療品においても、とくに降圧剤やらワクチンにおいても同様だ。

乳幼児へのワクチン接種も、アメリカではずいぶん問題視されてきている。


日本ではどーなんだろ?と、ちょっと調べてみると、いまだに、乳幼児のワクチン接種はメジャーに行われているらしいのだ。


この記事なんか読むと
   ↓
新パパ・ママの合言葉:ワクチンデビューは生後2か月の誕生日

しかも、0歳で受けるワクチンは6種類、1歳では新たに3種類もある!
しかも、いっぺんに3、4種類もの混合? それって?


vac121217.jpg
http://senoopc.jp/vaccin/vaccin1.html

いくつかのパンフレットをみると、

●どれも病気の恐ろしさを強調していて、「お子様のためには、ぜひ予防接種を」と結ばれている。

●世界中で死亡例がどのくらいあったか? 反対派の意見は掲載されていない。

●ワクチンの中身については書かれたものがない(いったい、成分は何が入っているのか? それは何か?
それがどういった働きをするのか?も書かれていない。)

●副作用についても、「まれに~の症状が出ることがあります」という程度。

これじゃあ、「まれに~の症状」が出ちゃった子供の方が、よっぽど稀なケースで災難だったけど仕方ないでしょ!ってニュアンスかい??


なんだか、私にはすごく意図的に「ワクチンを受けさせる傾向で!」作られたものという気がしてしまうし・・
そのベースには、「子供の健康のため」という大義名分の裏に、政治・薬品業界等の駆け引きが見え隠れしているような気さえしてしまう。

もちろん日本にだって、ただ一方的にワクチンを推奨している人ばかりでもない。

matigidarakeno.jpg



間違いだらけの予防接種 藤井俊介著



さらに、つい最近またも降圧剤の記事も目にしていて、

   ↓
アメリカでも日本でも数百万人が服用しているかもしれない高血圧の薬バルサルタンから「強い発ガン性物質」が検出されて、アメリカ中が大騒ぎ
   

あーあ、乳幼児のワクチンから自閉症は出るし、降圧剤からは今度は発がん性かあ?と思ったものだ。。。


人というものは、たとえ乳幼児であっても、体格・体重・年齢・運動量・食べるものなど、それぞれ個々に違うものなんだし、
それを一様に「xxか月までにxxワクチンを与えること」、「血圧130以下でなければ高血圧症です⇒降圧剤を」としてしまうことに、私はいつも疑問を感じてしまう。



赤ちゃんに納豆を食べさせる動画を観ていたとき、

あるお母さんが、「ウチは離乳食にすべて出汁を入れて手作りで作ってるんです!」(←ドヤ顔)というのがあったんだけど・・

こうゆう出汁ではないのだ(笑) 
    ↓
dashi.jpg


よくある粉末の出汁(酵母エキスや調味料(アミノ酸)、グルタミン酸ナトリウム、たんぱく加水分解物などが入ってるヤツ)
まあ、無添加とかなんとか書かれてあったとしても・・日本の無添加表示ほど怪しいものはない。


あ~、これじゃあ、日本では赤ちゃんの頃から(たぶん母体にいる頃から)添加物を取らされてるんだなあ、とつくづく思ったものだ。


多くの人々は、病院の指導やパンフの一般論などに従って・・
「きっとみんながそうしてるんだったら、きっとそれが正しいこと」と思い混んでしまうのかもしれない。


「ワクチン接種はWHO(世界保健機関)が先頭に立って世界中で推進されています。」
なーんて言われたりすると、それだけで「素晴らしいもの=正しいもの」って気がしちゃうのかなあ(笑)

ロスチャイルドとロックフェラーによってつくられたWHOなんだけどなあ。



ここで、唯一私が言えることは・・赤ちゃんのワクチン接種も、納豆を離乳食にすることでも・・

何事も自分で調べて納得することが肝要かと存じます。



と、それだけは言いたい!(笑)

「無知は罪なり」とはソクラテスの言葉。

専門家ではない我々がすべてを知ることは難しいだろうけど、それでも知る努力を惜しんではならないと思う。

専門分野を知らなくても、多くの意見に耳を貸し自分で判断できる能力はあると思うのだ。


なかには、マ逆に「完全自然派志向」に行っちゃって、
「いっさいの添加物拒否、病気になっても一切薬を飲まない、病院へは行かない、宣言をしちゃう人も」いるけどね~。

やれやれ~


さらにソクラテスの言葉の続き。

    ↓
「無知は罪なり、知は空虚なり、英知持つもの英雄なり」

・・・・・・・・・・・・・・・・

今回私ははじめて、色々な赤ちゃんビデオを見たんだけど・・

生まれたてであってさえも、彼らは様々なことを本能的に知っているんじゃないかと思うことが多かった。

ひょっとしたら、大人よりも的確に。(味覚も音も映像もすべてにおいて・・)


このビデオは2か月の赤ちゃんなんだけど、マミーが話かけることを完全に理解して会話しているように思えてならないのだ。
まだ話せないだけで・・
    ↓


マミーがクリスマスと言ったあとの笑顔、
そして、最後にはちゃーんと、I love youとマミーに言ってる(笑)


こーんな赤ちゃんを守るのも育てるのも・・親次第なんだよな~。

赤ちゃんの持って生まれた正しい感覚を麻痺させてはいけないよな~。

赤ちゃん恐るべし!

と、つくづく思った。


<<参考>>
スーパーの安い納豆の知られざる「健康リスク」

老後2000万円問題とか・・いっぱいあるけど。

「老後2000万円問題」というニュースをみて、ふと思ったこと。


おそらく多くの人たちが不安を掻き立てられられて、この問題が炎上しちゃったのでしょうか。

今の日本は、不安を掻き立てるような問題がいっぱいですね。


格差問題・・低所得者の増大(貧乏・借金)
うつ病、癌、痴呆症
不登校・いじめ
無差別殺人


などなど。


でも・・これって歴史の中でみると、こーんなことは昔から山ほどあったと思うんですよ。

しかも、昔の方がずーーと多かったんじゃないかなあ?


edo_zu_byobu_m.jpg
https://edo-g.com/blog/2016/01/population.html


最も政権が安定していたと言われる江戸時代、世界最大の100万都市と言われた江戸でさえ、

貧乏長屋で医者にも診てもらえず死んでしまう人々も多く、家さえない人や、非人と呼ばれた人たちもいたわけだし、

地方にいけば、めったに「米の飯」は口にはできず、飢饉や一揆も起こってたし、

階級社会では当然のごとくイジメはあり、

徹底警備されていたはずの江戸の街でさえ、盗賊、辻斬りも横行していたわけです。


ダークな面に目を向ければ、そりゃもうキリがない。


ところが、いつの時代にも、年配の見識者たちからは、

どうして、こんな世の中になってしまったんだろう?
昔はよかったのに~。

というつぶやきを聞かされるもんです。

もちろん日本だけじゃなく各国至るところで、いつの時代でも・・古代ローマやギリシャでも・・
みーんな思うことは同じだったんでしょう。

人の心の中のノスタルジーが言わせてしまうものかもしれませんねえ。

まさに、「過ぎにし方恋しきもの」(←清少納言の枕草子)的な・・

futabaaoi.jpg



日本はとても平和な国だと思うんですよ~。

だって、

シリアや南米から、難民となって他国へ逃げていく人やら、

img_29d9b1df41b656565145a0cc95bd01fe207904.jpg

現地の爆撃で死んでいく人、
劣悪な環境で伝染病と餓死と戦っている人たち

不法移民だと言われて拒否されようが、彼らにとっては生きるか死ぬかの瀬戸際なんだし!

eurocrisis_main.jpg

そこから考えれば、日本は平和な国。

問題の発端がどこにあるかと追及したり文句を言えるということが、十分平和な状態といえるかもしれません。



なーんとなく・・日本における問題の多くは、

必要以上に、

事件は現場で起きているのではなく、

政治家さんやお役人の企画書や記者の原稿の中のような・・
(笑)


そんな気がしちゃうわけです。


つまり、

「影響力を与えられる立場の人々(政治家、役人、評論家さんたち)などが問題を掘り起こして、

マスコミの人たちが、キャッチーな記事に仕立てて発表する。」

といった、戦略上で煽り立てられている。


そんな気がしちゃうことが多いんですよね~。


もちろん問題がでっち上げだとかウソということではないし、
解決すべき問題は解決しなければならないはずです。


ただ、責任追及や批判に、ヒートアップするよりも、

何があっても、地に足をつけて動じることなく生きていくという意識を強く持たなきゃいけない時期にきてる、

そんな気がしてます。


いざ、日本がボロボロになってしまうようなときがきたら、それこそ昔のように(笑)、戦後の日本のように、
皆で強く生きればいいわけです。 


こんな作品を思い出してしまった↓
1428564831693056.jpg

この作品の言葉を借りれば・・

汚染させた土地でも芽を出す「麦」のごとく強く

ゲンは元気のゲンじゃい~!

といった精神性の方が、大切なものに感じます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私が、アメリカ在住の「移民」の立場だからかなあ(笑)
日本人ともアメリカ人とも言い難く、年金も健康保険さえも適用されていないような立場の人間なので・・


どっかで、いつも

明日は明日の風が吹く
宵越しの金は持たない
(←持てないに近いのだが・・)

というのが、生き方の信条のようになってしまっているからかもしれません。


日本人の方には、「そんなんで不安にならないの? 老後の心配は?」と聞かれるんですが、

不安や心配よりも、

日々の感謝の方が多いです(笑)

クリスチャンじゃないけど、まさにこんな気分で
     ↓
publicdomainq-0034746.jpg

きょうも美味しくゴハンが食べられた!
きょうも車が元気な走りをみせてくれた!
きょうも健康、ニャンコと遊べた!

宿命と中庸

前回の東洋系占星術の続き

この2つは算命学理論の基本ともいうべきものだそうです。
     ↓
宿命
中庸


もちろん算命学だけでなく、古代中国思想の根本にあるものなのかもしれません。

34b7f8991d1ed875a86d6e1612c65aa1.jpg


★宿命

人は宿命のもとに生まれてくる。
「宿命を知って宿命どうりの生き方をするように」


と言われるようですが・・

これはスピリチュアリズムで言うところの、

「人は今世に生まれてきた学びのテーマとお役目がある。」

というのと、ちょっと似てる気がする。


ただ「宿命」と言われると・・じゃあ、宿命を決めたのは誰なん?という疑問が湧いてくる・・。

それは天? 「神」というべきものなのか?

そこらへんが明確にはされていないし、自然とそうなっているものだ!と言われてもピンとはこない(笑)



スピリチュアリズムでは、「本人が生まれる前にすべてを自分で決めて生まれてくる」と言われていますね。
生まれ落ちる境遇も、性別も、父母でさえも。


インディペンデントをモットーとする私としては・・こちらの方がずっと心地良く・・
たとえ神様だろうとなんだろうと、勝手に決められるのはごめんだ!と思ってしまいます。。。

「宿命」という言葉がすでにもう、縛りつけられてる気がして気に食わない!というのが本音でしょうか(笑)



ある算命学の先生のサイトで、たまたま朝青龍(大相撲力士)の人生鑑定をアップしていたのをみつけました。
参考までに、そちらを要約すると
     ↓

朝青龍は、もともと力士になるような宿命ではなかった(そういった星を持っていなかった)

まさに宿命を軽視してやり過ぎるとどうなるか?という実例です。


力士に必要な戦いの星(車騎星、牽牛星)が皆無なので、スポーツに向いてない人

その代わりあるのが、知恵の星・・頭を使った仕事、学者にでもなった方がいいような宿命


これは本人の宿命でなく回ってくる運気が格闘技世界に押し上げてしまっただけ。

宿命に無理を強いた結果、彼はどーんと人生をこけちゃった!


大切な人生なので宿命通り、無理なく普通に生きるのが一番なのです。




なるほどねえ~。
おっしゃる通りなのかもしれませんし、この鑑定は大当たりなのかもしれません・・が、

鑑定よりも、この先生と「生き方」に対する考え方の違いのようなものを感じてしまい、私には違和感がありました。


まず、●学者の星だとか戦いの星だとかという、そういったベタな分類の仕方に疑問を感じてしまうんですよね。

スポーツは肉体派、学者は頭脳派・・みたいな。

実際、肉体能力や闘争心が他者より劣っている選手でも、緻密な瞬時の計算能力、霊感力のようなものでカバーしていて、優れた選手になっている方もいますからね~。

*マイケル・ジョーダンはボールの落ちる位置を常に冷静に計算できたんだといわれているし、若乃花(お兄ちゃんと呼ばれてた人)は、体は小さかったけど対戦相手の次の動きが手に取るように見えていたとか。

格闘技といえども、必ずしも「闘争心」のみが必須条件とは思えないんですよね~。


進路を決めるにしても、そのとき自分の心を一番熱くする方向へ行く方が、私にはナチュラルな生き方の気がします。
たとえ、宿命とか持って生まれた星がどうであれ・・ね。

むしろ、「あなたの宿命は違います! そうゆう星のもとに生まれていないんですから。」と言われて、
「ああ、そうすか!」と、やりたい事を捨てて、サクッと方向転換してしまう方が、

あれれ~、それって自分の魂への冒涜じゃないのかい?と思えてしまう。



朝青龍さんは、たしか引退に追い込まれちゃったんでしたね?
でも・・それは「こけちゃった!」ということなんだろうか?

その時点をピンポイントでみれば、本人にとっては失敗だっただろうし、不幸のどん底。

ところが、失敗や不幸な出来事こそが、大きな学びになって、次のステップで大輪の花開く、なーんてことも多々ありますからね~。

「人生には一切の無駄はない」
「次のステップに続くための布石」

私はこうゆう考え方の方が好き!
まあ、好き嫌いというよりも、実際に、失敗や逆境を乗り越えた人の方が「本物」を掴んでいるようにみえます。



なので、これは私が思っていることに過ぎないのですが、

●失敗しようがなんだろうが、今自分が一番好きなことをするべし。
魂が高揚することに比べたら星だとか宿命論だとか・・なんぼのもんじゃい!と思ってます。



そうは言っても・・誰でも不幸のどん底にいるときは辛いもの。

そのときこそ、占い師さんや霊能者さんのアドバイスを受けて、次のステップの手がかりを見出せることができたならば、それは最高ですね~♪
どんなときにでも、希望、光明を見出だせることって、ほーんと有難いものです。

あなたにはもともと持ってない星だったんだから・・とか、だからコケちゃったんですよ~なんて言われたら、実も蓋もないよなあ。 私だったらもっと落ち込むか・・怒り出す


c096f472e68009a67ae7d49cc1b93133.jpg


★中庸について

「宿命通り無理なく普通に生きるのが一番」という考え方が「中庸」だとすると・・
私の解釈とは違うんだなあ~って思ったわけです。


常に100あるうちの真ん中の50をとるようにして、決して無理はせず、人より頭を出さない生き方・・

これこそが「中庸の美徳」と言われることもあるんですが・・

これだと、「中途半端」や「日和見主義」になっちゃうような気がするんですよね~(笑)


こちらの記事をみつけたんですが、
「中庸」の意味とは?「中庸の徳」や孔子の教えも例文で解説!

私の思う「中庸」は、むしろ、こちらの考え方に近い気がします。


論語の中からも引用されていて、

「中庸の徳たる其れ到れるかな。 民鮮きこと久し」

「不足もなく余分のところもなくバランスよく行動することは、人徳としては最高のもの」という意味。

「中」というのは、偏らないということで、決して大小や上下の中間を取りさえすればよいという意味ではない。
「中庸」は、かたよるな!という意味。
「極端に多すぎることは少なすぎることと同じくらいによくない」という考え方。




中庸って、行動を言っているのではなくて、精神や考え方を言ってるんじゃないかなって思う。

たとえ、大志を抱いて思い切った行動を起こそうとも、精神は一方だけに偏るな!
冷静によく見て、よく聞き、そのバランスを持て!

と言われているような気がします。

さらに言えば、常にニュートラルな部分を持つこと、「無の境地」にも近いかな?
喜怒哀楽があっても、常にニュートラルに戻せるような部分、それがバランス感覚を持つことになんだと思っています。


「怒ってはいけない!」と言う方もいるのですが・・それも違う!と思っています。

怒るときは怒る!


心の底は怒り心頭なのに、表面だけ、いい人(人徳のある人)であろうとがんばって、
ニコニコしていたとすれば、それはもっとバランスを欠いてることだと思うんですよね。

そーんなの、なーんにもならない! 自分にも周囲には悪い気をまき散らすだけって気がします。

なので、怒るときは大いに怒るべし!

ただし・・・

ここで、「ただし」がつくのだけど・・自分の感情の捨て場にしちゃダメ~。

怒るときこそ、心の底に冷静さと計算が必要じゃないかなって思うんです。

●たとえば、嫌な人、嫌な会社・団体などから、決別する手段として怒る。

●はっきり怒った態度を示すことで、自分の意思を相手に明確にわからせるため。

●自分の怒った態度で相手に反省を促すため



などなど。 まあ、状況によって色々あるでしょうが・・

つまるところは、ストラテジー(Strategy)として怒るのだ(笑)


strategy.png


自分の感情の「怒り」だけで爆発しちゃえば、そりゃあ、中庸を欠くことになっちゃう。
また、優柔不断や事なかれ主義になっちゃうのも、中庸を欠くことになっちゃう。

私には、そのように思えてなりません。

いったん中庸を欠きだすと、そうゆうのって癖みたいになっちゃって、どんどん狭くしちゃうものです。

どんどん、どんどん中庸を欠くことになっていって、そのうち、小さな壁の中の景色しか見えなくなってしまうんじゃないかなかあ。

・・・・・・・・・・・・

私たち社会の中には「支配する側」と「支配される側」というのがあって、

支配される側ってのは、
   ↓
教育機関の中で、生徒の立場だったり
企業の中で従業員だったり
国家における、一般大衆だったり、

そういった「支配される側」の人たちは、「意見も批判もしないこと」と教育されることが多いように思う。


いまだに生徒が師匠に、鋭い質問や、痛い質問でもするものならば・・生意気と言われたり、

師を敬う気持ちがない!と言われちゃったり、することも多いみたいです。

本来支配する側もされる側もないわけで、単なる立場の違いだけで、み~んなが同じライン上にいるはずなのにね~。
それを民主主義っていうんじゃないっけ?

歴史の中で、儒教もまた、都合よく「支配する方法」として使われちゃってたのかもしれませんね~。

Kj5mp7ic_400x400.jpg


それでも、儒教精神バリバリの武士社会でさえ、「諫言する」ことも行われてきたわけです。

アホ殿を注意勧告したり、意見したりと。

そりゃあ、儒教の教えが、上の者を敬うことであったとしても、何事も「お家存続のため」なんですもん。

アホ殿がアホなことばかりやってたら、お家なんて、真っ先に潰れちゃいますもん。

で、ちっとはマシな城主様は、はっと気がついて部下の諫言を聞き入れて心を入れ替えたんだろうし、
最後までアホ殿は、無礼打ちしちゃう。 アホなYesマンばかりが残り、賢い部下たちはトンズラで・・お家は傾くってのはよくある話。

まあ、今も昔もあまり変わってないのかもしれませんね。


ちなみに、日本語では、

(上司にたいしては)諫言する
(同僚、部下にたいしては)忠告する

違う言葉があるってのが、いかにも日本文化なんだな~って(笑)
はやい話、どっちもアドバイスするってことなのにね~。




yoga moderation


さて、ここで、算命学に話を戻します。

私たちは、エレメントともいうべき、いくつかの星(気)を持って生まれついているようです。

ところが、誰でも、何らかの不足があったり、なにかが多すぎたり少なすぎたりと、偏よりがあるようなんです。


ようするに、なんらかのアンバランスの部分を生まれながらに持っている、ということかもしれません。


それを自分で人生の中で気がつき、少しづつ改良し変化していこうとすることで、バランスを身につけていくんじゃないのかなあ。


その変化の度合いは、もちろん人によって違うはずです。

早くに気がつき、せっせと自分を変えていこうとした人と、なーんもしなかった人とでは、どんどん違ってくるはず(笑)



以前、私の友人が幼なじみと結婚することになって、彼との相性を観てもらうというので同行させてもらったことがあります。

占い師さんは、まず、このように言ってました。

「正直に申し上げますが、あなたの結婚相手は、穏やかでマイホームパパのような方が向いていると思いますよ。
こちらの方は、親分気質の方だし、出世して社長を目指すような方ですからね~、結婚生活はご苦労されるかもしれません。」


友人は、きょとーんとして

「へ? 彼は平凡なマイホームパパを目指してる人ですよ。
脱サラして手に職つけて、家でチマチマと食ってくだけの仕事したいって言うような人ですけど・・!
あと、ボランティアをしたいんですって。 性格も、いつものーんびりしててアクセクしない人ですよ!」


占い師さん、とってもマジメな良い人だったようで、

「あれえ? ボランティア? それはおかしいなあ。」と、誕生日を確認したり、本に目を通したりして考え込んでしまいました。


私は、彼女から聞いて知っていたのですが、彼女の婚約者は、ある経験をしてから考え方を180度変えたんだそうです。 

もともとは、占い師さんの言うとおり、子供の頃から野望ギラギラの人で、性格も短気で頑固で怒りっぽかったそうですが、
自分で自分の性格も変えていったんだとか。

そしたら、やりたい事も将来の夢もまったく違ってきたし、幸せ感ですら、すっかり変わってしまったんだそうです。


fire element

このように、人って何かに大きく気づき、変えなきゃ!と真剣に思えば、いくらでも変われるんだなあ~って思ったもんです。


持って生まれた星はそのままでしょうが、いくらでも、自分で思ったとおりに変われる。

それが、足りないものを補い、バランス良く気の流れも良くなるってことなんだろうな~って思うんですよね~。



同時に、占い師さんも、相手の「魂の気づきの成長過程」が感知できなければ、ダメなんだよな~って思ったもんです。

それは、どんな占術の本を紐解いても書かれいないし、書きようがないことでしょうし。

やはり、霊感(直観や経験からくる何かでもいいんですが・・)、そういったものが無いと人を見ることはできないと思います。
(そんなわけで、占い師さんも霊感が必要と、前回のブログで述べたわけです)


spi water

持って生まれたものは誰にでもあるのだけど、それをどのように変えていくかは本人の「気づき」次第。


そうやって変わっていけるからこそ、人生って面白いなあって思う。

私たちは、そのようにして、どんどん魂のステップアップさせて「自分を変えていくため」に生まれてきているのかもしれないですね。



まあ、結局のところ、どのように生きるかなんて人それぞれ。

そのように生まれついたんだから、なーんも変えなくなっていいじゃん!という考え方も、アリだと思います。

もちろん、どっちが良いか悪いかなーんてこともありません。

「限定されたこの社会の枠に沿って難なく無事に生きていく」を目指すも・・・それもまた、あなた次第。

むしろ波風はたたず、大怪我することもないかもしれません。


でも、その反面、日々の喜びも感動も少なくなるのもたしか、だとは思います。

どちらを選ぶかは、その人しだい。



ただ、私としては・・特に若い方々には、

星なんかくそくらえ! 宿命なんかクソくらえ!

今、この瞬間一番やりたいこと、ワクワクすることをやる!

失敗してボロボロになっても、いいじゃん! それこそ大きな学び! 次へのステッ~プ。


といった意気込みで進んでいって頂きたいなあ、と願ってる次第です。



なぜって・・

そうやって、生きてきた人たちの方が、、

中庸(ニュートラル感覚・バランス)を身に着けてるような気がするんですよね~。

中庸っていうのは、挫折も苦難も乗り越えて「優しいほど強くなれた」人だけが行きつけるところなのかもしれませんね。


そしてなにより、そんな生き方をした方が、

心の底から「人生って素敵!♪」って思えることだけは確かだと思います。

占い、とくに東洋系占星術について考える

海外に住んでると「日本人てXXXXなんだってね?」と聞かれることが多い。

そんで、今回聞かれたのは・・

「日本人って占い好きなんだってね?」


ああ、たしかに~。
そう言われれればそうかもしれない!!

日本人は占い好きかもしれない。

gypsy-storefront-2.jpg


もちろん、こちらの現地アメリカ人たちも、たまにはアストロジー話題もすることだってあるし好きな人は好きだ。

それでも、日本ほど多種多様な占いに溢れてることはない!

ひと昔前は血液型占いにはじまって・・動物占いやら東洋占星術(四柱推命、易、手相やら)もアストロジーも、インド占星術、マヤ占星術もあるし・・占いどころか、今ではさまざまな霊能者たちもひっぱりだこらしい!!

なんだってこんなに占いだらけなんだ!って今更ながらびっくりする(笑)


こちらでは、ひとことで占い師・霊能者といっても・・ざっくり、大きく2つに分かれているみたいで・・

ミーディアム・・・亡くなった人からのメッセージを聞く人

フォーチュンテラー・・・未来を見てくれる人

ざっくりと分けると、一般的には、この2種類くらいしかない。



もうひとつ思ったんだけど・・日本人は怪談話(幽霊話)も好きらしい。

動画でもいっぱいアップされてるし・・

kyoufu.jpg

inagawasan.jpg


こんなにも怪談や幽霊の出てくるお話が好きなのか~。


ちなみに、こちらの人に「なんか怖い話な~い?」と聞いたところで、日本のような怪談話が出てくる方が稀。(笑)

怖い話といえば、スティーブン・キング系か、凶悪殺人鬼の実話だったりすることの方が多いのだ。

「怖い話」という概念が、そもそも違っているらしい(笑)

私にはこのオジサンの顔の方がずっと怖いけど・・
stevenk.jpg



アメリカにだって、「金縛りに合って体が動かず、そこで霊と遭遇」という話は何度も聞いたことがあるから、たぶん、こういった現象はどこでも起こるんだと思うのだ。

だけど、ここで・・日本人とアメリカ人のここが違う!という発見をさせてもらったことがある。

★日本人の場合: 恐怖でいっぱいになって言葉も出ない! せいぜい、知ってるお経を唱える!というパターンが多かった。

★アメリカ人の場合: 怒り出す!! 
なんで体が動かないんだよ~! オマエは誰じゃい! なんだってこんなことするんじゃい!と、怒鳴りまくるそうだ。。。

「え? 怖くないの~?」と聞くと、

「もちろん怖いよ! だけど、同時に、理不尽な!という怒りも爆発するだろ!」・・・と、言われた。
うん、確かにそうだ!!


国民性によるリアクションの違いもあるし、怪談好き、占い好きというのもまた国民性によるものなのかもしれない。

怪談好きは、心の底で、非日常に触れたがっているのだろうか?

占いや霊能者に頼るのは、カウンセリングを必要としている人が多いからなのか?


あ、そういえば・・日本では病院にはすぐ行くけど、カウンセラーオフィスに行くのは、まだまだ少ないような気がする。

だから、占いか霊能者に頼るのかもしれない。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

占いの話題になると、「どの占いが当たると思う?」とか、「本物の霊能者って誰?」とか、聞かれることがよくあるんだけど・・

まず、ジャンルなんて、どれでもいいんじゃね?と思ってしまう。


ただね~、正直なとこ、私は東洋系の占いには、ちと引っかかるものを感じてしまうことがある。
(もちろん、東洋占星術がダメで西洋占星術がいいってレベルの話じゃない)


なぜなら、東洋系の占星術には、必ず、「先祖」「家系」というものがベースにあることが多いような気がするからだ。


そこらへんは、まさに「日本仏教」とも同じコンセプトなのかもしれない。

少し前に、お墓の話をブログ記事にしたけど・・
   ↓
メモリアルデーに思うこと(まだメモリアルデーではないのだが・・)死体になるとしたら?


お墓詣りも、お盆も、日本独特なもので、もちろん、アメリカにはないし、また、もともとの仏教思想から来たものではないということだった。 それは日本独自の仏教に過ぎない。

こうゆう感覚がまさに日本的
    ↓
senzodaidai.jpg


*仏教といっても、時代や地域によっても、ものすごーく色々な宗派の違いがあるので・・ここでは、原始インドの仏教、つまりオシャカ様の仏教から言うと・・


お墓はどーでもいいし、死者のためにお経を読んで弔ってあげることもどーでもいい・・ってことになる。



どーでもいいは言い過ぎだろ? と思われるかもしれないけど(笑)

実際に、古代インドでは、死者は焼いてガンジス川に流しちゃったくらいだから。(焼かない場合もあるけどね)

4072032aa1fba9b5b116fc2d50836661.jpg


遺骨を残すという習慣はなかったのだ。 


なぜなら、肉体は地上かぎりの入れ物であり、魂は輪廻転生するという考え方から来ているから。
(仏教の場合49日が生まれ変わりスパンになるらしい。)



ここらへんの考え方は、スピリチュアリズムとよーく似てるとこだね
 ↓

スピリチュアリズムでは、死後の肉体は朽ち果て土に帰っていくのが自然の摂理であり、1つの魂は類魂の一部となり、輪廻転生して生まれ変わるという。





そして、さらに、お坊さん(僧侶)は、「道を説き生きている人を救う」ことがメインの役割だったそうだ。
(お寺を持ち檀家を持って、死者を弔うためのお仕事ではなかったということだね。)

77345529-インドの僧


それが中国と朝鮮を経て日本に入ってくると、お釈迦様の仏教も「日本仏教」に変わって定着してしまう。



中国や台湾・朝鮮・華僑社会には、祖霊信仰が根強く残っている地域だ。

祖霊信仰というのは、既に死んだ祖先が、生きている者の生活に影響を与える、または与えることができる、という先祖崇拝の信仰




これは、もともと中国地域に残るシャーマニズム的祖霊信仰をベースにして、儒教に統合されていったという。

儒教は、家族理論と政治理論をドッキングさせて儒教体系が出来あがり、さらに朱子学(宋学)に発展していった。
先祖、家を大切に守り、血縁が続き子孫が繁栄することが絶対的に必要とする考え方。

magw170612-china-thumb-720xauto-114723.jpg
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/06/post-7781.php


その儒教精神が日本にも輸入されて、日本仏教にもなっていったようだ。

日本仏教はまた、一般的日本人の精神世界にも大きな影響を及ぼしたのだろう。


それは、同時に東洋系の占いもかなり大きな影響を及ぼしたようだ。

つまり、東洋占星術は儒教的精神をベースに作られた占い書ということになる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私も若い頃に、東洋占星術の先生に鑑定をお願いしたことがあった。

そのとき、「家系のはみ出し運」だとか、
「誅殺(あれ? 中殺だったか・・)されてるから普通の結婚に向かない」とかって言われたことを思い出した。

家系のはみ出し? 家系なんて考えたことも無い私には意味がわからなかった。
中殺を誅殺って思ってたくらいだし・・


結婚にしても、フツウとかフツウじゃない結婚て何なんだ? 意味わからん!と思ったものだ。



でも、今思えば東洋占星術というのは儒教精神をベースをもとに作られていたんだよな~ということに至ったおかげで、ようやく納得できる気がした。



でも・・これじゃあ、占い師自身がすでに作られた既成概念を基に鑑定してるってことになってしまう。。。

おそらく、占い書(教科書)自体が儒教的ニュアンスをベースに作られたものであり、それをもとに、忠実に鑑定した結果だったのだろう。


儒教的精神、家や家系をベースにしているからこそ・・

結婚における女性の役割は、「子をなして家を守る」という定義づけになっちゃうわけだし、それこそが正当なあり方になってしまうわけなのだろう。

そこから、フツウの結婚、フツウじゃない結婚という認識さえ出てきてしまう。

また、家や家族から離れて違った道を歩んでしまえば、「家系からのはみ出し運」ってことになってしまうんのだろう。




でも、すべての人が儒教精神を持ってるわけではないのだよね~。
多種多様、人によって個々に違うのだ。

そこらへんが、どうにも・・古代東洋系占星術に苦手意識を持ってしまう私なのだ。



もちろん、そこは占い師さんの力量にもよるところは大きいんだけど・・

私の場合
 ↓
●結婚が家のためなんて思ってもみなかったし、子供を作るということも考えたことがない。

●家系なんて考えたこともない。

●血の繋がりが大切とも思ったことがない。
(父母を大切に思う気持ちと血の繋がりは私にとっては無関係)

●先祖を大切にするという意識がない。
(←日本人感覚からすると、これってすごい罰当たりなのかもしれないけど・・)

そもそも、先祖って言っても・・知っているのは両親とせいぜい、祖父母くらいまでで、それ以前はまーーたく知らない人なのだ。
その人が歴史に名を刻む人であっても犯罪者だったとしても、私にとってはどーでもいいことであって、
私にとっては、知らない祖先よりも、現生の人とのつながりの方が大切に思えてしまうのだ。


これじゃあ、儒教精神をベースに占ってるだけ(つまり、教科書どおりってことだね~)の占い師さんとは、話が通じるわけもない。(笑)

既成概念で話を進めてくる人と、まったく既成概念を持ってない人だったとしたら、話が噛み合うはずもないからね~。


しかし、占い師さんによってはジャンルに関係ないところで、鋭い霊感を使って即座に私の意識を見抜く方もいて、そういった方からは的確なアドバイスを頂ける。
(あ、霊感といっても幽霊や前世が見えるってことじゃなくって、優れた直観、インスピレーションといったものも多分に含む)


つまり、どのジャンルであろうとも、占い師さんが霊感ゼロで書物のみに頼ってる人であれば、私には観て頂く価値はないと思うのだ。


テキストはしょせんテキストで、人を相手に万人に当てはまるわけがない!
当然だけど、データ入力をしたコンピュータで占い結果がでるはずもない!


と思っている。


あ、もちろん、祖霊信仰や儒教を否定してるわけじゃないよ!

日本にいた頃は、両親と連れ立ってお墓参りにも行ったし語り継がれる先祖の話も興味深く耳を傾けたものだ。

それはそれで楽しかったし興味深かったなあ~♪

ただし、私の場合はご先祖様を敬う気持ちではなくて、歴史上の人物のお墓詣りをするような気持ちだった気がする。
(信長さんとか秀吉さんとかの人生に思いを馳せる気持ちと同じだったような・・)




たぶん、私のように思っている人だって、日本にも存在してるんじゃないのかなあ?

ひょっとしたら、それって少数派なのかもしれないけど・・たとえ少数派であってもそれに対応できなければ占い師さんではない!
日本人限定(とくに儒教精神にもとずく日本人気質の人限定)の、占いしか出来ないことになっちゃうもん(笑)


本来、占い師さんや霊能者さんであるならば、露ほどの既成概念であってさえ、それに囚われてはいけないのだと思う。

ほんの少しでも既成概念や先入観があれば、相手の事は決して見えてこない。

それが大家とか先生言われるような人になればなるほど、「傲慢」という既成概念に囚われてしまうことが多いのかもしれない。



私が儒教精神と言われるものに反発を感じるとしたら、

年長者を敬えってことかな(笑)

長く生きてきたんだから当然だし、それこそが礼節だと言われている点。


fc2blog_20190609135341910.jpg


冗談じゃないよ~。

実年齢なんて関係なく、年上でも年下でも有名無名でも、尊敬する人は尊敬するし、しない人はしない!

私にとってはこれしかないのだ・・子供の頃から、なぜか、そう思っていた。



いきなり紀元前に話が飛ぶけど・・
ソクラテスは大先生と言われるようになってからも、若い人たちから大変人気があったという。

socrates-painting.jpg


いつも、誰に対してもフレンドリーだったし、若者たちからも気安く声をかけられ対等に話し合ったという。

なぜ、若者に人気があったかといえば、それは彼らの話にも、よく耳を傾けるからだったという。
「聞く」じゃなくって、「訊く」という姿勢だったのかもしれない。

若者の何気なく言った言葉を面白がり、一緒に考えたりするうちに、自分でも斬新なアイデアや深い思考が引き出されたというし、また若者たちにとっても、どんどん思考を重ねて大きな学びになっていったという。



私は、人と人の関係は、これに尽きるような気がする。

師と弟子の立場であっても、
もちろん、占い師さん・霊能者さんと相談者の立場であってさえも、

同じレベル上に立って、「訊くこと」を忘れてしまった人は「本物」じゃないし、「本物にはなれない」と思うのだ。

さらに、一所懸命勉強したり、がむしゃらに働いて立身出世をしたとしても、それが「本物」とは限らない。

そうゆう人に限って霊感ゼロ(感性ゼロ)だったりすることも多い気がする(笑)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

シャカ仏教では輪廻転生を説きながら霊魂の存在は否定しているとか、占いを禁じたという説もあるんだけど・・

私は、お釈迦様が一般人に対する配慮として、否定したのではなく「あえて言及しなかっった」のだろうし、
占いや呪術を用いて他力本願になることを避けたかったんじゃないかな~と思っている。


仏教の考えかたとは
「自分の生きる世界はすべて自分の心が生みだしたもの」

我々が行う心と口と体の行いは、目には見えない業力(ごうりき)という力になって、
心の奥底の阿頼耶識(あらやしき)という蔵のようなところに収まる

その業力をおさめた阿頼耶識が世界を作っている。



つまりは、個々の精神修行に反するものとならないように・・という配慮から出たものなんじゃないかな~と思っている。


なので、他力本願に依存したりすることのない、意識レベルの上がっている現代人だったら、大いに占いを利用することも決して悪いことじゃないと思う。



それでも・・私が絶対信じないのは、先祖の因縁だとか、お墓の作り方が悪いとかって話だなあ(笑)

「先祖霊は浄化の果てに氏神となって子孫を守る」というような死生観とか、

先祖の罪が子孫に及ぶという「因果観」

そこから先祖の罪を子孫が償うことによって先祖の悪因縁が切れ、先祖は救われ子孫の不幸も消滅するという考え方もキライだ。

200px-Jisuke_Chimi-Moryo.jpg



遺伝子が子孫に受け継いでも、それは肉体という入れ物のためだけであって霊魂は受け継いでないぞ!・・と私は声を大にして言いたい(笑)

だから、先祖の因縁だとか祟りなんてことは絶対にあり得ない!と言いたいところだけど・・・

ところが、そうとも言えないのだ!

とくに日本の場合は!



ご先祖様も、私のような考え方をする人だったら、子孫だけを見守ることもないだろうし祟ることもないだろう。
(そもそも、子孫だけってあまりにも狭すぎないかい!もっと人類すべてに目を向けろよ!)


ところが、もしも儒教精神ベースをバリバリに持ってる人で、そう信じ込んだままの人が亡くなった場合、

死んだときの強い意識が霊魂となってさ迷う・・とうのは私の実感なので、

さ迷ってる人次第によっては、「あり得る」ことにもなる。

a0ad0945883dbaf469ad110ee0e94766.jpg

たとえば、とあるXX家の人から不当な扱いを受けて惨殺された場合、「XX家を今後7代までも祟ってやる」と強く念じて死んだ人のケースでは、実際に起こりえるかもしれないのだ。


あーあ、たとえ父親であっても息子とは霊魂はまったくの別物なのに・・やってられんよな~と思う。

それでも信じる力というものは、良くも悪くも大きなパワーに変換されちゃうものでもある。



あれ?・・ってことは、私も「信じない」とは言えないことになっちゃう(笑)

あり得る話だとは思う。

でも、じょーだんじゃないよ!

もしも、私の先祖の悪行が原因で、私を呪い殺そうとやってくる幽霊がいたとしたら、
理不尽なこと、この上もない!怒り爆発 

そりゃ、もう戦うのみ!

AS20180529000753_commL.jpg

もしも殺されたとしても、今度は私も霊になって、そいつとは最後まで戦いぬいてやる!

私も、恐怖よりも怒りが先になっちゃうタイプかもしれない。。。


血の繋がった人でも血の繋がらない人であっても、そこに差異があるはずもない。

大切な両親を思う気持ちと大切な友人を思う気持ちも同様に「大切であること」に変わりはない。


私は、そこに優先順位をつけてしまうような宗教も、人も、幽霊も・・・好きになれない。

どうか、理不尽な幽霊さんにも霊感ゼロの占い師さんにも、そこんとこは、わかって頂きたいなあと思う。

もしも自分が大統領だったら?(フランス人拉致事件から)

少し前に、テロリストによってフランス人観光客が拘束され人質になるという事件があった。

5/1に、アフリカ、ベナンの国立公園でサファリパークの観光をしていた2人のフランス人(46歳と51歳)がテロリストに誘拐され監禁されるという事件が起きた。

ベナンのパンジャリ国立公園は、西アフリカ最大規模で手付かずの生態系が残っているといわれる場所。
   ↓
img_6eafb76cf3834976a687fb8d36c70914125820.jpg
https://www.afpbb.com/articles/-/3159408?cx_part=search

そこで、現地ガイドは真っ先にその場で殺されてしまったらしい。
テロリストは、現地人から身代金は取れないとふんだのだろう。

そこで、ブキナファソに移された彼らを奪還するため、フランス軍の特殊部隊が派遣され、銃撃戦ののち、見事人質を奪還した。
5/10のことだ。
フランス人二人のほか、アメリカ人一人と韓国人一人の計4人を救出した。

ところが、そのときの銃撃戦で、特殊部隊の若きエリート2人が殉職してしまった。

ベナンの北は、危険地域と言われ政府から旅行を控えるように勧告されている地域だった。



さて、このニュースが日本で代々的に報道されたかどうかは知らない。

たぶん、日本では他国のこんなニュースはあまり関心がないのだろうし、たいして報道されなかったのかもしれない。


仏軍、ブルキナファソで人質4人救出 兵士2人死亡


でも、もしも・・これが日本人が人質になったとしたら、どうなったんだろう?と、ふと思った。


そういえば・・もう4年くらい前?だったかなあ?
日本人がISILに人質になった事件があったことを思い出す。

ブログやネット上が炎上状態になって、

「危険地域に自分で行ったんだから身代金なんか払う必要はない!」
「そんなの自己責任だ。身代金は自分で出せばいいだろ!」

という声ばかりで、家族に対するバッシングまで起こったことを思い出した。


えーー?
それより人質の救出方法を模索する方が先だろーが!
と、私は思っていたのだが。



おそらく、これが今日本で起こったとしても

「危険な場所に自分が勝手にいったんだからほっとけ!金なんか払う必要はない。」ってことになっちゃうんだろうなあ。

その上、彼らの家族まで、お前の息子が迷惑をかけたんだ! 謝罪しろ!とかって迫られるんだろうなあ。


さらに一般人だけでなく、日本の政府陣も・・同じ方向で!と喜んでいっちゃいそうな気がする。

なんてたって世論がそうなんだから、まことに遺憾ながら仕方ないんですよ~て(笑)


嫌だなあ。

日本てみんな一色になっちゃうんだ!

それがまるで「正論のように思い込んで」しまうという心理が・・不気味だ。



さて、フランスではどうなんだろう?

たまたまフランス在住の方のブログをみつけた。
竹内節子さんという方のブログで、やはりこの記事をアップしていた。
   ↓
日本とフランス -- 血を流す覚悟とは何か?

そこから抜粋すると・・

外務大臣のコメントはこういうものだったそうだ。
    ↓

「今回の事件では何よりもまず、国の義務というものがある。それはフランス人の安全を守ることで、それがたとえ外国で極限条件にある場所にいる場合でも、危機にあるフランス人を守り救うことである。それが今回なされたことだ」



そして、フランスの報道は、
   ↓

実際は、その救出作戦で助けられたのは韓国人女性とアメリカ人女性も入れた4人だったので、「数」的には、2対2ではなかったのだけれど、フランスでの報道は一貫して「2人のフランス人を救った2人の英雄」という括り方だった。




この方のブログの中でも、

もしもこれが日本だったら、無事に救出されたとしても、
「旅行者の2人はいたたまれないというか、激しく非難されるのではないか、ということだ。旅行者の家族も喜ぶより先に肩身が狭いのではないかと思った。」



と書かれていたけど・・やっぱりそう思うよなあ~。



フランスにだって、個人的にはさまざまな意見を持つ人がいるだろう。

「こんなお気楽観光客の命なんかどーなってもよかったんだ! それより優秀な若い兵士2人の損失の方が悔やまれる」と思う人だって多いかもしれない。



それでも政府の一貫したポリシーとして、

「なにがあっても、たとえ最高のエリートを犠牲にしても”危機にあるフランス人を救う”のだ!

という国家の価値観を堂々と表明しちゃうところが、すごい!


この決断が果たして正しいかどうかはわからない。
人それぞれの考えかた、国それぞれの考え方もあるだろう。


それでも、国家に「何があってもフランス人を守る、見捨てない」と堂々と宣言され、そして事実、犠牲を払ってまでも救助したとなれば、

市民の国家における信頼度も増すし、そんな国家のためだったら命を捨ててもよい!と思う志願兵だって現れることだろう。

000_on38h_0.jpg
http://en.rfi.fr/france/20170827-young-soldier-operation-sentinelle-commits-suicide


一方、いざとなったら「自己責任の名のもとに」 救助しようともせず、

こーんなことを言ったって・・
   ↓
>>>「明治維新のとき、日本人は、今のような生ぬるい議論をしていたのではなかったはずです。
多くの人が殺されて、切り合って、議論をして、血を流して、自分の命を犠牲にして、日本国が列強諸国に飲み込まれないために戦ったのです。
そして、日本国を守り通した。
その発想が、今こそ必要なのです」
<<<(櫻井さんが理事長を務めるシンクタンク「国家基本問題研究所」2018年1月の例会での櫻井よしこさんの発言)


はああ?としか思えない。
**そもそも、アンタ、ちゃんと歴史を理解してるの? それって維新の志士たちにも失礼じゃんか?(←失礼ながら、私はそのように思ってしまいました。。。)


日本にいると、当然のように1つの色に染められていってしまうのだろうか?

それこそが正論と思ってしまうんだろうか?

私には、それが・・どうにも不気味な不快感になる。

french revolution

「欧米ってのは好戦的なんだよなあ。 とくにフランスはフランス革命を起こしたような国だし、アイツらは日本人のような和の心を持ってないんだよ。」という声を聴くことも多いし、実際に、そういった認識の人も多いのかもしれない。


でも・・・私には、今の日本の方が和の心なんて微塵も無くて好戦的な人種のように思えてしまうのだ。


「同じ色に染まって目立たずカモフラージュしながら、誰かを集団バッシングするのを喜びとする」
やだなああ@@@ そんな国民性に成り下がってしまってるとしたら。



さて、

もしもこのような人質事件が起こったとき、そして、もしも、あなたがすべての権限を持つ大統領だったとしたら、
いったいどんな決断を下す?


●命を助けるために犯人の言いなりに身代金を払う

●今回のフランス政府のように、人質奪回のために特殊部隊を送り込む

●「何があってもテロには屈しない」をスローガンに人質を見殺しにするもやむなし



この中で一番ラクで、なーんも傷まない方法は3番目だ。お金も優秀な特殊部隊の戦力も失わないからね(笑)

ちなみに、「テロリストとは交渉しない」という考え方はアメリカから来てるのだけど・・安倍晋三首相が2015年に日本で起きた人質事件のときに、おそらく彼はアメリカをまねて身代金を拒否するために「テロには屈しない」という言葉を使ったのだろうといわれている。


なーるほど、日本政府っていつもアメリカのまねっこなんだね~(笑)


ただし、「身代金を支払えばテロリストへの資金提供にもなり、味をしめて次の人質事件を誘発することにもなりかねない。」
これも事実だと思うし、これも考慮に入れなきゃならないことだ。



さて、みなさんが一国の大統領だったとしたら、どうしますか?

アメリカのマネでもなく誰かさんのの右に倣えでもなく・・みなさん自身の考えを聞きたいなあって思う。


ついでに、

「テロに屈しない」という意味、「自己責任とは?」
それも併せて考えて答えを出して欲しいなあって思う。



もう、小さな日本の国の中だけで善悪論を振り回し、人のことをバッシングしてるようなときではないと思うのだ。

一人ひとりが「自分が国を動かす気持ち」で、「さまざまな問題を考えなきゃならないとき」なんじゃないかな。

日本人は騙されやすい?(老人の場合)

日本人は騙されやすい民族なんだって?と、聞かれた。

嫌なこと言うなあ・・とも思ったんだけど、「そうなのかも」とも思う。

こちらは新聞・雑誌などメディアにおける信頼度だそうだ。
     ↓
2047ef_f1d048a154c645debf55d620eee9a3e1_mv2.jpg
https://www.investors-one.com/single-post/2018/09/13/%E9%A8%99%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%84%E3%81%99%E3%81%84%E4%BA%BA%E7%A8%AE%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC1%E3%80%81%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%80%82


「日本には、オレオレ詐欺というのがあるんですってね。
なんで、そんなものに騙されるのか理解できないなあ。」


私にだって理解できない!

アメリカ人には、もっと理解できないだろう(笑)

そもそも、アメリカでは、即座に現金を引き出すとしたら、1日の引き出し額で200ドルが上限。(それしか引き出せないのだ。)

相手銀行に振り込むんだって新規の場合は簡単にはできない。

また、一般人の支払い方法は、現金や銀行振り込みよりも、カードかチェックを使う人がほとんどだ。

bankofamerica.jpg


さらにお金そのものを持ってない人が多い(笑)
ある程度のまとまったお金がある人は、銀行にそのまま置かず、株式などに入れてしまうことがほとんど。


こういった状況の違いの上に、考え方の違いもある。

我が子に対してもお金の問題はドライ。
一般家庭では、大学の学費ですら、自分で稼いで行くのが当たり前!というのが根本にある。

howtomakemoney.jpg

すでに社会人となった息子が、「仕事でトラブってしまった! すぐにお金送って?」と電話してきても、
「そりゃあ、えらいこっちゃ!」と、即対応してくれる親の方が少ないだろう。

まあ、こんな理由から、日本と比べれば被害件数はずっと少ないだろう。



ところが、アメリカでも・・日本の「オレオレ詐欺」をヒントに、似たような詐欺事件が増えたそうだ。

孫を装っておじいちゃん、おばあちゃんに電話する詐欺。
(息子や娘には厳しくても、孫には、ついつい甘くなっちゃうというのは、アメリカ人も同じらしい。)

まず、孫の行動をSNSなどで事前に調べておいて、

「今、メキシコ旅行の最中なんだけど、スリ被害にあって持ち金全部盗まれてしまった、
ビザの発行にXXXドルかかるの! すぐに助けて!」と電話で話すという手口。

それも、巧妙に、あえて聞き取りにくいような小さな声で話たりするそうだ。

いつもと声が違うと言われたときには、口の周りに怪我をしてるとか、電話が聞き取りにくいとか・・言い訳もするし、
最後には、「この件、パパとママには黙ってて!」ともお願いするとか。


Grandparent Scam

開口一番に、“It's me, grandpa!” (僕だよ! おじいちゃん!)と呼びかけるところなんて、

まさに、オレオレ詐欺だね~!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

老人を対象にしたものだけではなく、詐欺らしきものは日常の中にも、いっぱいある。

怪しいメールや電話が来たり(主にはメインバンクから来たり、ソーシャルセキュリティーオフィスの名前だったり)・・すぐにXXドル振り込まないと大変なことになるぞ!という手口が多い気がする。


数年前、私はLINEにヘンなメッセージをもらったことがある。

「お願いがあるんだけど、すぐにコンビニに行ってビットコインを買ってきてくれない?」
LINEに登録してる知人から届いたメッセージだった。

まさに、こんなカンジだった。
20140630-192214-69734865.jpg
友人のLINEアカウントが乗っ取られたので、乗っ取り犯と遊んでみました。


なにより、コンビニってのが、いかにも日本的発想で、アメリカではありえんだろ!(笑)
しかも、時刻は夜の8時半を過ぎてる!

どう考えてもおかしいだろ!

「コンビニって何? それに今夜の9時だけど?」
とメッセージを返した。

その後、まったく返信はなかった。
おそらく、私もその知人も日本在住だと思っていたのだろう(笑)

その数日後、また別の友人から、
「どうやらLINEのアカウントが乗っ取られてるみたいだから、すぐに変えた方がいいよ!」というメッセージをもらった。

ひええ! やっぱりそうか~と納得。

LINEもSNSもアカウントを乗っ取ることなんて超簡単というのは聞いていたが・・(←自称ハッカーからの情報)

おそらく私の名前も使われていたことだろう。

この程度の詐欺未遂は、どこでも山ほどあるはず。(←嫌な世の中だねえ。)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

でも、なんだって日本ではいまだにオレオレ詐欺が後を絶たたないんだろう?

私の記憶が正しければ、オレオレ詐欺被害の話って、ざっと10年前から聞いてる気がする。

こんなポスターだっていっぱいあるらしいし・・

oreoresagi.jpg

街角にはこんな旗もたってるんだとか。
41FrCHiVsCL.jpg


なのに、なんだっていまだに騙される人がいるんだ?

・・・・・・・・・・・・・・

私の母(86歳)に聞いてみた。

「ねえ、オレオレ詐欺の電話ってかかってきたことある?」

「あるある♪ 私のところへは、たったの一度しかないけどね~。」
(なんだか面白がってるんかい!この人は!)

「それがね~、面白かったのよ!
私、ヒマだったし・・面白いから何を話すんだろうと思って、ずっと聞いてたんだけどね・・」
と、母は楽しそうに続ける。

「まず、俺だけど!って電話してきて、オフクロ、大変なことになっちゃったんだ!って言うわけよ~。
実は、会社の大事な小切手だったかを電車の中に置き忘れちゃってXXXXとかって話だったわね~。」

「それで、すぐにオレオレ詐欺って気がついたの?」


「最初は一瞬、ほんとに▲▽(息子の名前)かとも思ったんだけど・・電話の声が聞きづらかったしね~。
でも、よく聞いてみると、ヘンな訛りが少しだけあるのに気がついたの(笑)

で、最後に・・アンタ誰なの? アンタの言葉には少し訛りがあるわね。
ウチの息子は訛ってないわよ! 

といったとたん、電話が切れちゃったの。」
(笑)


「それにしても、手口はよくあるパターンだったんだね~。
必ず、俺だけど・・って言うんだね。 僕とも私とも言わず「俺」のわけね~。、で、母親のことはをオフクロって呼ぶわけね~。」

「まったくよね~。
実際、▲▽も今じゃ、自分のこと俺って言うし・・私のことはオフクロって呼ぶもんね~。」


「昔のように、僕って言って、ママって呼べばいいのにね~。」


「それじゃあ、恥ずかしいし世間体が悪いんじゃないの! だから世間一般に合わせて、俺で、オフクロって呼ぶようにしちゃったんじゃないのかねえ。」


「やだねえ~、なんでも世間一般ってのは。。 だから、そんな詐欺に付け込まれやすくなるんだよ。
僕が嫌なら、ワシとか吾輩にして、母上様とかオフクロ様と呼べばいいんじゃね?」


「あら、それいいわね~♪ 私ね、お母さまって響きも好きよ~。」
(←おいおい!)

話が完全にずれてる。。。



「でも、なんだって今だに騙される年寄りが多いんだろう?
いくら聞きづらいといっても、家族の声や喋り方を忘れるわけないと思うんだけど~。」

「まったくよね~!そんなものに騙されるなんてバカよ!!
だけどね・・・ちょっとだけ、私にもわかった気がするの。」


「ん?」

「騙される人は、きっと寂しい年寄りなのよ。どこからも電話さえかかってこない、誰も訪ねてきてくれない。
自分が忘れ去られたような不安があるんじゃないかしら。

そんなとき、俺だけど・・って電話がかかってきて、助けて!とお願いされただけで、なんとかしなきゃって思っちゃうんじゃないの。
ちょっと落ち着いて考えれば、ヘンなことはいっぱいあるはずなのに・・それすらも見えなくなっちゃうんじゃないのかねえ。」



この母の言葉、なんとなく納得力を感じる。



心理学分野にも、「正常性バイアス」という言葉があったと思う。

人は、自分がそうであって欲しいと思う方へ偏った考え方をもってしまうという心理だ。
また、一度思い込んでしまうと(思い込みたいって気持ちで思い込んじゃう)、ますます、それが正しいものだと示す情報を、無意識に集めてしまうという心理も働く。

それを、「確証バイアス」と呼ぶそうだ。

確証バイアス・・仮説や信念を検証する際にそれを支持する情報ばかりを集め、反証する情報を無視または集めようとしない傾向のこと。





こんなことは老人だけに起きることではない。

若い人だって同様に起きるのだ。

●だ~い好きな恋人や子供が犯罪に手を染めてるとき、どこかでヘン?だと思っても、正常性バイアスと確証バイアスが働いて、決して犯罪者だとは認識しない。


●列車事故で明らかに異臭の漂うガスが充満してきているというのに、
「みなさん!大丈夫です!」という社内アナウンスが流れる、そして多くの人が動かないとなると、
ここにいて大丈夫という心理が働いてしまう。

その結果、多くの犠牲者を出してしまったという症例も聞いたことがある。



つまり、正常な判断が出来なくなってしまうということだ。

その理由は、おそらく母が言ったように、「寂しいから」といったような精神状態に起因している気がする。


決して幸せを感じていない状態、むしろ不幸を感じている精神状態のときは、人は正常な判断が出来にくくなるんじゃなかろうか?


大好きな恋人や子供が一緒にいても、どこかで不安を感じているような状態。
嫌われたくないとか、自分から去っていってしまうんじゃないかとかの不安だったり悲しみだったり。

また、事故などの状況では恐怖心が先にたってしまうと、正常な判断が出来なくなる。

22071039.jpg

きっと私は大丈夫と思い込もうとするだろうし、それを正当化してくれるようなアナウンスが流れたり、他の人も動かないとなれば、
ほらね!大丈夫なのよ!と、ますます正当化する事柄ばかりを集めてしまうのだ。

「ガスが充満してきている」という事柄は、どうなっちゃうんじゃい?
たぶん・・無視!


そこで、世間では「私は大丈夫と思ってる人ほど危ない!」な~んて言われたりすることも多いんだけど・・それはちょっと違う気がする。

「どんなどきでも冷静に正常な判断が出来ないときは危ない」ということだと思うのだ。

もっと言い換えれば、日頃から「ネガティブな気持ちで生活している人は危ない」ということになる。



オレオレ詐欺もまた、「それだけ幸せではない老人が増えてきている」いう現れではないだろうか?

なによりも楽しく生活することなのだ。

こんなふうにでも・・
BZIPgfOCYAAHqKg.jpg

または、こんなふうにでも。
D1089_85_164_1200.jpg

楽しんだもの勝ちなのだ~(笑)


本来、老人というのは、たしかに体力は若い者には負けるだけど・・
亀の巧より年の巧なんて言われたり、

さらに、老馬の智なんて言葉もある。

老馬の智とは、経験の豊富な者は判断を誤らないこと。
年老いた馬はとても利口で、道もよく知っているから迷うことがないことから。
斉の管仲が道に迷ったときに「老馬の智は役に立つ」と言い、老馬の後についていくと、行くべき道が見つかったという『韓非子』にある話に基づく。
故事ことわざ辞典より



yodar.jpg

多くの経験を積んできた老人の方が、過去の記憶データがいっぱいに詰まっているので、とっさの判断に間違うことがないと言われていたようだ。

d283ff70.jpg


つまり、多くの事柄を客観的に見て、多くの経験に基づいて的確な判断がくだせるようになるということらしい。

若いモンはそうはいかない(笑) ついつい感情が迸ってしまったり、1つの事だけにフォーカスし過ぎて判断が鈍ってしまうことの方が多い。


なのに、最近の日本では、老人の悪いニュースばかりを聞かされる気がする。

相変わらずオレオレ詐欺に騙される老人たち
ブレーキとアクセルを間違えて事故を起こしてしまう老人ドライバーなどなど。



どんなに年をとっても、体にしみついた事柄は、むしろ間違えない。
武道においては、年をとっても熟練者はメッチャ強いそうだ。(経験と勘で相手の先の動きを読めてしまうそうなのだ。)

20160502111208.png
https://matome.naver.jp/odai/2146446788481063201/2146452676024759603
*永倉新八さんは実在の人物ですよ~。


それすら出来なくなったんだとしたら、本来なら一番自分で自覚しているはず。
 「己を知ること」こそ、老人が若者より優れている点かもしれない。



なぜ、日本ではこんなにも困った老人が増えてしまっているのか?

その答えはおのずから見えてくる。

原因は「心が病んでる」から。

心の病が蓄積したままどんどん年寄りになっていっただけなのに、それを「年のせい」にしてしまう人が多いように思う。


まずは、原因は年齢だけにあるのではない!ということを、若い人も老人たちも気づくべきだと思うのだ。

そうでない限り、今の若い人たちもまた、近い将来には、「厄介者の老人」になっていくような気がしてならないのだ。


物語の中の老人たちは、いつもカッコいい。

これは、ドーラばあさんの言葉、「40秒でしたくしな。 夜が明けちまうよ!」(天空の城ラピュタから)

dora.jpg

まさに、亀の甲より年の功だからこそ、さらっと言える言葉。

そんなん、アニメや物語の中だけでの話だよ~!と思ってはいけない(笑)

これは決して物語の中の話ではなく・・かつては、こういった老人たちが多くいたのも事実だと思っている。


だからこそ、亀の甲より年の功老馬の智なんて言葉もあったんだろうし・・

老人が騙される?なんて、とんでもない!

年の巧で老獪さを身に着けた老人が野望に走ったときほど、恐ろしいものはないのだ!
  ↓
462c853b3465ba61c1dbaef99d25d1eb.jpg
http://www.trophy-seikatsu.com/wp/blog/hyousyoukougaku/tokugawa-ieyasu.html

とかなんとか言いながら、しっかり天下を取っちゃったジジイもいたことだし・・・(笑)


それもすべて、若い頃からの「経験の蓄積」と「どんな状況下でも冷静さを失わない」という精神力

それのみだと思っている。

どうか天下人の野望は持たずに、日々人生をエンジョイして欲しいと思っている。

そうなれば、オレオレ詐欺なんぞに、騙される老人なんていなくなると思うのだ。

魂の宿るLuk Thep(ルク・テープ)人形の話

4年前にタイから来たという人に聞いた話。

タイではLuk Thep(ルク・テープ)と呼ばれる人形がブームなんだとか。
Luk Thep とは、「Child Angels」天使の子というような意味らしい。


子供のままごと遊びのためのお人形とか、飾っておくための人形ではなくて・・

どちらかというと、大人のための人形。

それも人形というより、生身の赤ちゃんや幼児として扱い、一緒に食事をしたり、高級ブランドの子供服を着せたり、
レストランやホテルに連れて行ったり、飛行機にも乗せるという。

lookthep4-700x933.jpg


そう、そう・・・その「飛行機に乗せる」ということが、大きな問題に発展して、
「この人形は、手荷物扱いなのか一人の子供として扱うのか」という物議が醸したとか?

事実、タイ国際航空の子会社の、タイ・スマイルという子会社では、「ルク・テープ」人形を子供として扱い、
座先を一人分確保し、機内サービスもちゃーんと提供してくれるという。

タイスマイルという航空会社は、格安航空会社の1つでもあるし、だからこそ上手にビジネスに結び付けたのだろうけど・・。


同じ飛行機に、もしもこの人形がシートに座ってたら・・・超怖っ!
私は絶対逃げ出すね!!(そんなふうに感じるのは私だけだろうか?)


実は、私は昔から「人形と石には気をつけろ!」と、サイキック系の友人に言われ続けたことがあって、
人形(ひとがた)のものには、霊魂が入りこみやすいし、落ちてる石にも入り込んでいることが多いそうだ。
「だからむやみやたらに石は拾うな! とくにヤバイ場所に落ちてるような石は危険だ!」と。

そのせいか、人形も苦手の1つなのだ。 子供の頃から人形って好きじゃなかったし・・。




このLuk Thep(ルク・テープ)には、実に色々な表情の人形があり、性別も男の子人形、女の子人形もあって、大きさも小さいものから子供の等身大のものまで実にさまざま。

さほど怖く感じないのもあるけど、なかには超怖っ!ってのもある。



ざっと、こういったURLで、さまざまな人形の写真が見られるので、よかったら写真だけでも勝手にご覧ください。
(こんな画像を私のサイトに貼るのも嫌なので、URLにした。)
       ↓
https://www.scoopnest.com/user/EliottCNN/691980794047381504-why-are-supernatural-luk-thep-dolls-taking-up-seats-on-thai-smile-flights

http://koratfart.com/half-as-serious-and-less/a-new-superstition-%27haunted-dolls%27-has-emerged-in-the-kingdom/


http://www.nationmultimedia.com/national/I-am-afraid-to-sit-beside-an-angel-doll-Thai-Smile-30277937.html


https://globalcocktails.com/thai-supernatural-dolls-are-the-new-therapy-animals-on-thai-smile-airways/

どっからこんなブームになったんだろ?と、ざっと調べてみたところ・・

数年前に、なんとかさんというオバサンが、我が子が不良息子?だったかなんとかで、(←ほとんどいい加減な覚え方)
その息子の代わりに人形をメチャかわいがったのが始まりだとか。

そのうち、タイのセレブたち(有名俳優さんとかタレントさんたち)の間にも広まって、

彼らが言うには、

この人形のおかげで、宝くじが当たった。
干されてた仕事が急に入りだした。
あっと言う間に大金持ちになった。



それを聞いて、一般庶民も、あっと言う間に欲しくなっちゃったということらしい。

で、大ブーム




そこで、その入手方法を調べてみたところ・・

ただ店に行って、「ルク・テープ人形くださーい!」と買ってくるわけではないらしい。

もちろん、最初は店に行って、大量にある人形の中から、自分が好きな人形を選ぶ。

ここまでは、フツーの人形
    ↓
Luk Thep


次にその人形を持って、霊能者だか僧侶だかのところにいって、魂入れをしてもらう。

これが実に不気味で・・

人形の中に骨、オイル、お札(おふだ)などを入れて拝んでくれるそうだ。
(もちろん、その霊能者、僧侶によって個々に違うのかもしれないが。)


これで魂が入った人形になる!

そうすると、あきらかに、つやつやして表情が豊かになるという。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

それって、なんの骨? 誰の骨? それとも動物の骨?
どうゆうふうに亡くなった人? 動物?

何から獲ったオイル?

お札(おふだ)って何? 何が書いてあるわけ? 何のため?


・・と、私はツッコミどころが満載になるのだが・・購入者はそうゆうツッコミはしないらしい。
ただ、有難く魂入れをして頂くのだそうだ。。。



そんなわけわからんもの絶対持ちたくない!と思うのは、私だけ?


そもそも・・骨、オイル、お札といった3点セットは、通常、呪術で使われる定番じゃないか!

骨の代わりに髪の毛だったり、唾液を使うこともあるし、日本でお馴染みのこれだって、体の一部を詰めるのだ。
       ↓
waraningyo.jpg


人形をゲットする目的は、最初のオバサンのように、不良息子の代わりであったり・・
または、

●亡くなった子供の代わり

●現生利益を求めて

 
というのがほとんどとか。

ある人は、「今度は宝くじを当てて頂戴! 当たったら新しいブランド服と指輪を買ってあげるからね!」と祈るとか。



それで、もしも人形になんらかの魂が宿っていて、持ち主の願いをかなえてあげたとしても、かえって不気味~。

現生利益を叶えてあげるかわりに、大切に祀るのを怠ったとたん、逆に祟りをなすという、悪徳キツネの話を思い出してしまう。
(稲荷信仰のすべてを否定してるわけではないからね!)

そんな、おキツネ様よりも、人の形をしてる人形の方が、私はもっと怖いものを感じる。


魂を入れたあとの人形を見ると、

体はベビーだったり幼児なのに、顔の表情はまるで「人」なのだ(大人の顔)

そこが、実に不気味!

とくに人の顔で笑っているのをみると・・凍りつく!




こんな動画もあったので貼っておくことにする。




最初の方で、「宝くじ当ててちょうだい!わかったの? 私がママよ!」とポカっと頭をたたく女、本性見たぞ!ってカンジで怖っ。

次に、タクシードライバーが、「夜タクシーに乗せた客がルク・テーク人形を抱えていて、うちの子が怖がるから運転はゆっくりやって頂戴ね~!って言われたんだけど・・それが、ものすごい不気味で怖かったんだぞ~!」って語ってる。

中盤あたりで、2匹のワンコが怖がって遠巻きに吠えている様子も不気味。(犬や猫は感がいいからね~!)

最後に、お坊さんが、「仏教は、ルク・テーク人形とは関係ないものです! 安易に信じてしまってはいけません!」と、言ってましたね。




タイ仏教もまた、古くから伝わる土着信仰やアニミズムとも結びついているのも確かなんだけど・・
それは、日本仏教だって同じこと。



でも、このお坊さんが言うように、本来の仏教と呪術的なものは、むしろマ逆
    ↓
「呪術や占夢や占相、占星を行うべからず」スッタ・ニパータより)

むしろ、ブッダは呪術も、占いすらも禁じてたくらいなのだ。


仏教も色々な宗派はあるけど・・それをひっくるめて、ひとことで言ってしまえば、
     ↓
仏教の考えかたとは

「自分の生きる世界はすべて自分の心が生みだしたもの」

我々が行う心と口と体の行いは、目には見えない業力(ごうりき)という力になって、
心の奥底の阿頼耶識(あらやしき)という蔵のようなところに収まる

その業力をおさめた阿頼耶識が世界を作っている。





なので、私としては、ルク・テール人形に魂入れをするお坊さんなんて輩は、信じられないのだ!
胡散臭いこと、この上もない!


魂入れどころか、オマエが魂を売っちまったんだろ!!
と、言いたくなる。。。

わけからん骨を人形に詰めてるなんて、マトモなお坊さんのするこっちゃない!と思うのだ。



もっとも、

日本だって、大昔から・・大金さえ貰えば「怨敵調伏」をやってくれるお坊さんもいたわけだもんね~。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、この話は知り合いのタイ人から聞いた話だけど、渡米してくる前の話。
3-4年は前になるだろうか?


今でも、Luk Thep(ルク・テープ)ブームは続いているのか、それとも下火になっちゃったのかはわからないという。

(何かがあっと言う間にブームになって、またあっと言う間に下火になるというのは、タイも日本も似たようなものかもしれない。)

でも、もしもブームが去って飽きちゃって、このお人形、捨てちゃおうっかな!ってわけにはいかないだろう。

そのとき、どうするんだ?


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「ところで、あなたもルク・テープ人形を信じて買ったりしたの?」と聞いてみたところ・・

「冗談じゃないよ! あんなの都会に住む金持ち階級がすることだよ。
人形を買って魂入れをしてもらうだけで、かなり高額になるし、ビンボー人には関係ない話だよ。
それに、地方の人たちは、そんなこと、信じてなかったよ。」


という答えが返ってきた。

不思議な幼児失踪事件

アメリカ、ケンタッキー州で行方不明だった、3歳の子供がみつかったというニュースをみていて、


Toddler missing for 3 days found alive on 50-foot cliffside near strip mine

まずは、無事にみつかってよかった!と思いながら・・

摩訶不思議?   またもか?という気分が拭い去れない。


いくつかのニュース・サイトから、この事件の全容を簡単にまとめると、こうゆうことだ。

●母の日の日曜日の夕暮れ時、ほんの数分目を離したすきに、3歳の子供が消えてしまった。

●3日後、自宅から2,000フィートの50フィートの急勾配の崖(600メートル離れたところの、高さ15メートルの崖)で発見

●捜索現場は岩が多く、徒歩での捜索が難しいため、犬、バギー車、ヘリコプター、ドローンによるカメラ捜索を行った。

●多少の脱水症状はあったものの無傷で、元気で発見される。
2日間、クマさんと一緒だったと子供は語っている。



発見直後の写真・・どうみても赤ちゃんに近いような幼児だ。
Kenneth_Howard_found_2.jpg
https://www.wymt.com/content/news/A-true-Kentucky-mountain-boy-Toddler-found-alive-days-after-disappearance-509973001.html


アメリカにおける幼児失踪事件で、まず一番に疑われるのは「誘拐」(実際、子供誘拐の組織的誘拐団が存在するらしい)

しかし、このケースでは、それもあり得ない。
プロのレスキュー隊が行くにも困難を極めるような崖に登って、幼児を置きにすることなんて、まず不可能だろうし、その目的がさっぱりわからないことになる。


で、結局のところ・・事件性はない!と判断されたものの、「なんで、そんなところに居たのか?」という原因は不明のまま。



ところが、過去にも実際に似たようなニュースはいくつもあるのだ。


共通点は、

いずれも幼児が多い、突然消えるようにいなくなって、一人では絶対行けないような場所で無事に発見される、事件の全貌は不明のまま


都会の真ん中よりも、比較的、ド田舎で、田舎の子供が多かったような気もする。



こちらは、今年の1月のニュースで、

”ノースカリフォルニアに住む3歳の男の子が2日間行方不明になり、森の中で発見される”
   ↓
3-year-old who was missing for days says a bear watched over him in North Carolina woods

このときもまた、「レスキュー隊がこの子にたどり着くためには、腰の深さほどもある水の中を通り抜けなければならなかった」そうだ。

そして、この子もまた、
「2日間クマさんと一緒だった」と語っている。


そうか~! やっぱクマさんか~!


もちろん、3歳児が言うところの「クマさん」がどんな存在かはわからない。


しかし、幼児が・・
いきなり両親から離れてひとりぼっち。 ド田舎の夜は真の闇、食べ物飲み物も何もない。

こういった状況ならば、ものすごい恐怖と不安のマックスのはずで、
発見されたときも、まずは精神的にひどい状態になっているはずかと思うのだが・・

それが・・「大きな精神的ダメージも受けてなく元気で」発見されたということは、

やはり、誰かが一緒にいてくれたのではないだろうか?
それも、とってもフレンドリーな存在が!


そう考える方が自然に思える。



それは、こうゆうクマさんだったのか?

teddy-bear-kid-881x636.jpg
https://redmondmom.com/family/15-rainy-day-pretend-play-activities-for-kids/


それとも、こんなクマさんだったのか?

bear-2480066_960_720.jpg
https://pixabay.com/illustrations/bear-boy-child-kid-cute-little-2480066/

それは、本人しかわからないことだろう。

だけど、その子にとっては確実に一緒にいてくれた存在。
だからこそ、無事に発見された。

そんなふうに思えてならない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日本にも昔から、「神隠し」という言葉が存在している。

ある日突然の失踪、まったくの原因不明で、絶対ありえないだろ!というのを神隠しと呼ぶ。

つまり、この世のものではない、妖怪、天狗、物の怪、または神のような存在によって連れ去らわれた、とされるものを日本では神隠しと呼ぶそうだ。


たしか、柳田國男さんの遠野物語の中にも、神隠しの話が出てきた覚えがある。

また、ある捕り物帳の中で、こんな場面があったことを思い出す。(なんの捕り物帳だったは思えてない)

或る日突然若い女が失踪して、有能な岡っ引きが調査にあたることになるのだが、
「まずこれが、なんらかの事件なのか、それとも神隠しの仕業なのかを見極めることからはじめなければならない。
もしも、神隠しであれば人為の及ぶところではないのだから。」


という一節があるのだけど・

それだけ、「神隠し」というものが事実あったし、一般的に信じられていたし、
また、日本人にとっては、とてもメジャーな言葉だった
ということがわかる。


映画のタイトルにも出てくるくらいだし・・(個人的に好きな映画だったのだ。)
20160306094627.jpg


神隠しに合うのは、若い女か子供が多かったという。


そこで、田舎では、「日暮れどき以降は山や森に近づいてはいけない、神隠しに合うぞ!」と強く子供たちを戒めたという話も聞く。


日暮れ時というのは、夕方の薄暗くなる昼と夜の移り変わる時刻。
一般的には、黄昏どきとも呼ばれる。

別名、逢魔時(おうまがとき)
大禍時(おおまがとき)ともいわれるそうで、


おそらく、昔の時刻でいえば・・「暮れ六つ」や「酉の刻」あたり(←時代小説ファンなので知ってる(笑)

こんなふうに見える頃合いだ。(はっきりと顔が見えないような時間で、「誰そ彼」から「黄昏」という説もあり)
     ↓
cz2b5xi16fjt0ne1_20190226230340_0740_0500.jpg
https://piapro.jp/t/muMt


この時間帯は境目にあたり、あの世とこの世が交じり合う頃なので最も怪異に遭遇しやすいと言われている。

そのため、魔に魅入られてしまいそうな霊感体質の人(とくに女性が多かったらしい)とか、子供は危ないと言われたのだろう。


とくに子供・・「6歳まではまだ人ではない存在、神の子」というような言い伝えもあったくらい、子供は「魔に魅入られやすい」とも考えられていたようだ。

七五三の儀式もまた、そういったこと(厄を落とすなど)にも由来しているようで、

hakamagi.png
https://www.ginza-waki.jp/content/kimono_school13

7歳になってようやく、神の領域から脱出して人の世界に入るという認識もあったらしい。
(昔は数え歳なので現在の年とはずれがある)


ところが一方では、
大人の、それも・・現実主義者の見解では、

「7歳以下の子供に神性があるということではない。」

「昔は7歳までを無事生きられず、死んでしまった子供も多かったことなので、そのように言われた」

「7歳までは責任能力は問われないため」



などとも言われるのだけど・・


私は、やはり、小さな子供には神性のようなものが宿っているのではないかと思っている。

つまり・・
この世とあの世の半々に身を置いている存在ではないかと。

それを、いかにもスピリチュアル国であった古代日本人が、言い表した言葉だったような気がするのだ。


★実際に7歳くらいまでの子供の方が、前世記憶が残っていることが多い

過去ブログでも何度かアップしたことがあったが・・。
輪廻転生、勝五郎の話から現代へ

前世を知る意味



★架空のお友達がいることが多い。 いわゆる、イマジナリー・フレンドのこと

大人には見えない存在のお友達がいて会話していたりすることがよくある。
現在、学者の見解においては、「これは子供の成長に欠かせないことなので無理やり禁止せずに見守ってあげるように」
ってことにはなっているものの・・

見えない大人にとっては、かなり薄気味悪いことでもあるし心配でもある。

しかし、これも本当に子供の想像上の産物なのか、実際に存在するもの(大人には見えないだけ)なのか、わからない部分は多いのだ。


うーーん。。。
こんなんだったら、やっぱ怖いよなあ。(子供が描いたお友達の絵が右側)
   ↓
imaginary-750x394.jpg
http://hauntedattractiononline.com/5-signs-childs-imaginary-friend-may-actually-ghost/


そして、こちらは私の体験談

以前、あるファミリーパーティーに友人と一緒に参加したことがあった。
そのとき、2歳くらいの女の子が天井を指さして、おじちゃんがこっち見て笑ってるよ!と、しきりに言ってたことがあった。

両親は、え? どこ・・誰もいないわよ~!と言ってたし、もちろん、私にも何も見えなかった。
しかし、パーティー終了後、私のサイキックの友人から、「あそこから男が笑顔でこっちを見てたよ」と教えられた。
つまり、その正体は幽霊さんだったということだ。



この時の幽霊さんは、楽しそうなパーティーを覗いていただけだったので、なんの問題もなかったのだが・・・



子供の見ている正体は、幽霊なのか、妖怪の類か、自然霊なのか、守護霊なのか・・
それはわからない。

しかし、なんらかの存在があることだけは確かなのだろう。

そして、それを・・ある子供だけには見えているということも。


だからこそ、
クマさんだって、本当にいて見守ってくれていたのだろう、と私は思うのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

神隠し事件の真相なんて誰にもわからない。

無事に子供さえ戻ってくれば・・警察も両親もそれを解明しようとまでは思わない。


そもそも「解明できない」ってことを、みんな心の底でわかってるわけだし、現実的にも、そんなことに関わってるヒマはないのだ。
(そんな世界は知りたくなんかない!という心理もあるかもしれない。)

なので、結局のところ「不思議」のひとことで終わってしまう事件なのだけど、

そこに、何かが起こったことだけは確かだろう。

なんらかの存在が連れ去ったのか?

異次元にワープしたということなのか?



しかし、どんなときにでも、助けてくれる存在がいるということも、また確かなことらしい。

とくに、小さな子供には!

これだってイマジナリーフレンドだ!
my-neighbor-totoro-satsuki-mei1.jpg
https://cellcode.us/quotes/enchanted-forest-night-anime.html


それはまた、信じるものには存在し、信じないもの(存在を否定するもの)には存在しなくなるのだろうか?



事実、こういった摩訶不思議な失踪事件では、多くの大人は消息不明のままになるか、または死体で発見されることが多いのだが、

なぜか、幼児の場合に限って「無事戻ってこられる」というケースが多々起きる。

さて、これは何を意味しているんだろう?

体外離脱してますか~?

昨夜不思議な夢をみた。

体が軽くなっていて空を飛んでいる夢だ。
下に地上の風景が広がっていて、まさにこんなカンジ。

astral-projection-249x300.png

体外離脱

いやいや、体外離脱ではないと思うよ(笑)

体を抜け出たときや体に入ったときの記憶もなかったし、おそらく、私のは、ただの夢。

でも気分爽快だった~♪


だって、こんな目線で好きなように飛べるってめったにないもん。
flying eagle

ところが、ただの夢ではなくて、実際に体外離脱を体験してる人もいるし、それを自分自身で意識的にやれるって人もいる。

以前の私は、そんなああ! まさか~!と思っていたものだけど、以外にも、そういった人たちは多いのかもしれない、と最近の私は思う。


「昨夜またも体外離脱してねえ、今回はグランドキャニオンの西側まで飛んでいってみたよ~。」

「ほおお、どうだった? あそこらへんもずいぶん変わっただろうねえ。」



なーんて会話が、世間一般で通用するとは思えないし(笑)・・だから、経験者も口をつぐんでるだけ、ってのいうのが現状かもしれない。


体外離脱、幽体離脱、臨死体験
呼び方は違うけど、まあ、体から抜け出すって点では、どれも同じようなものだろう。

中には、こんなふうに言う人もいるのだけど・・

体外離脱と幽体離脱は別物。
体外離脱はエーテル体、幽体離脱はアストラル体へと意識が拡大していった結果引き起こす現象なので、別物なのだ。



でもまあ、難しいことは置いといて・・・ここでは、「体から出ていく」という点だけでいえば、どれも同じようなもの。


もっとも臨死体験だけは、死を目前にしているときに起こることなので、ちょっと違うかもしれない。

それでも、体を「抜け出る」って意味においては同じ。

main-qimg-7a2104c06979c2adbc04f3f016fe0f5b.jpg



もう、ずーーと前のことだけど、あるサイキックの人から興味深い話を聞いたことがあった。

そのサイキックの友人には、別の友人がいて、その人はごくフツーの人(サイキック能力は持ってない人)なんだけど・・体外離脱だけは出来るというのだ。
(おいおい! そこでもうフツーじゃないだろ~が!(笑)


「じゃあ、今夜試しに僕のウチに体外離脱して来てみてよ!」と、サイキック男がいうと、

「うん、いいよ~!」と。

ここで、仮にそのサイキック男をA君、フツー男をB君としよう。


その翌日、B君は、A君(サイキック男)がその晩、家の中で何をしていたか、すべてを言い当てたそうだ。
当然のことながら、A君の部屋は密室になっていたわけで、本人しか知らないことばかり。

まあねえ、A君はサイキックのわけだから、
「あ! 本当にアイツ、ここに来てるな!とは感じてたというが・・・

それでも翌日、本人の口からすべての行動を言い当てられた!ということには、超びっくりだったという。


「体外離脱して肉体に戻ってからも、その間のことをすべてを記憶している」ということに驚いてしまったようなのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

体外離脱経験者というのは、昔からいたようだし、実際にそれを解明しようと、ずいぶん昔から研究されてきている。

ざっとWikipediaで調べても、かなり昔から研究されてきたことがわかる。

体外離脱_Wiki

Out-of-body experience_Wiki英語版

*なぜか英語版の方がかなり詳しい。 それだけ海外の方が研究がさかんに行われているということなのだろう。


英語ではOBEと一般的に呼ばれていて、これは、Out of Body Experienceの省略形らしい。

現在の一般的見解ではこうゆうことになっているらしい。
     ↓

認知科学および心理学の分野では、OBEはさまざまな心理的要因および神経学的要因から生じる解離的な経験と考えられている。
科学者は、 超常現象に頼ることなく、夢や意識の変化した状態などの精神状態からの経験であるとOBEを考えている。
または、ドッペルゲンガーの一種(autoscopy=自分自身を見る)に過ぎないともいわれることも多い。



はやい話が、さまざまな原因によって、脳が見せる幻覚に過ぎないってことになるようなんだけど・・

でも、それだけじゃ説明がつかないこともたくさんあるのだ~!


そういえば、ずいぶん前にこんな記事をアップしたことがあったけど、
   ↓
プルーフオブヘブン~脳と記憶の関係

ほとんど脳死状態で、死が目前だったドクターが、臨死体験をして復活したとき、その間の出来事を覚えていたという体験談があった。

つまり、脳だけで解明できることではない・・ということになる。


アメリカでは、Robert Allan Monroe (ロバート・モンロー、通称、ボブ・モンロー(Bob Monroe)という人が、対外離脱の研究者として知られた人だ。 (もう、亡くなっているけどね~(1915 – 1995)


journeyof_robert_monroe.jpg

超心理学者で、自分でも 体外離脱の体験者であり、科学的側面と体験による裏付けをべースにして体外離脱の研究に取り組んだ人だったという。

ここ、The Monroe Institute(モンロー研究所)の創設者でもある。


ここのモンロー研究所では、意識レベルをこのように分類してるようだ。
       ↓
phasing.png

それをフォーカスレベルと呼んで、
意識のさまざまな「状態」や「段階」を示すために体系化したそうだ。

フォーカスレベル1 : 通常の起きている意識。物理的物質の現実が完全に一致した状態。

フォーカス10 :  体は寝ている(すごくリラックスしている)状態で、マインドはちゃんと意識を残している状態

フォーカス11 : 究極のコミュニケーションチャネル - 覚醒、メンタル、フィジカル、エモショナルのあらゆるレベルの意識

フォーカス12 - 身体が深くリラックスしながら眠っている状態でありながら、意識を拡大できる状態。

フォーカス15 : もはや「時間」を超えた状態。 意識は現在、今や意識は身体的シグナルから離れている。
今や「経験」は直線状の時間とは無関係な存在。

フォーカス21 :  まさに時空間連続体の認識の極み。マインドは完全に意識で満たされアクティブな状態

フォーカス22 :  時空間と存在の非物理的状態との境界。 昏睡状態に入る

フォーカス23 :  身体的な死の直後 それぞれが個が自分自身を見つける可能性がある状態。

フォーカス24 :  シンプル且つ原始的宗教、または文化的信念によって生み出された、非身体のアクティビティー。

フォーカス25 : 近世界の人間史における、メインとなる組織的宗教的信念を表現。

フォーカス26 : ここは、自分自身のダイレクトな経験をもとに、数多くの様々な宗教やその他の信念の構造と知識を含んだ、特定の領域が識別する。(フォーカスレベル24から26は信念体系の領域)

フォーカス27 : 人間の思考のキャパシティーの境界。 心の平和と身体的な死のトラウマからの回復のためのウェイステーション(中間駅・・終点ではない)

フォーカス34/35 :  集いのエリア。 フィジカルな宇宙の多くの場所からの存在が、来るべき地球の変化を目撃するためにここに集められる。 (Bob Monroeの2冊目の本、Far Journeysで触れている)。

フォーカス42 :  I クラスター(塊)意識  

原文ではこうなってる ⇒ I-There cluster consciousness.



フォーカス49 :  I クラスター(塊)の海  

原文ではこうなってる ⇒Sea of I-There clusters.



FOCUS LEVELS OVERVIEW


ん? 訳していても・・わからない箇所がいくつかあるだが・・・とくに、フォーカス42と49はようわからん!

ワンネスになる・・みたいなことなんだろうか?(違ってたらゴメン!)



この中の、フォーカス27というのを、別のところで聞いたことがあって・・どこで聞いたんだったか忘れちゃったけど・・

人は死後、もしも望むなら別の人生をやり直してみることができるという。 それが、このフォーカス27

多くの人は、「もしあのとき、ああしていれば」・・とか、「もし、あのとき、あっちの方向に行ってさえいれば」・・という 後悔にも似た思いを持つことがある。

それならば気持ちを浄化させるためにも、もう一回戻って、そっちを試してみたら、いいやんけ~。

ってことで、ぷしゅうぅぅと、もう一度そこに戻ってやり直せるんだそうだ。

なぜなら、時間の流れは一直線に流れてないから。 

やっぱレイヤーになっていて、多次元世界ってことらしいね~♪


だからいくらでも好きな分岐点に戻ってやり直せる。

やり直した結果、

あれ~、こんなんだったら、やっぱり最初の方がよかった~!と思うのか・・
それとも、結局、どっちでも一緒だったじゃんか~!と思うのか・・
やり直せてよかった~!と思うのか・・

とにかく、トラウマを残さず、さらなる学びのためにも、心残りがあるならば、やってちょーだい!ってエリアが
ここ、フォーカス27なんだとか。


へえ~、死んだ後もいろいろ楽しみごとがあるんだね~♪

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、ここでもう一度、A君とB君の「体外離脱」の話に戻そう。

体外離脱を上のエリアに当てはめると、どこになるのかわからんのだが・・フォーカス12か15あたりなんかなあ。


それからというものA君は、B君から体外離脱の方法を学んで自分でも出来るようになったという。

方法を学ぶといっても、たいしたことではないらしい。
うーんと体をリラックスさせて意識を飛ばす練習をするくらいで、ワリと簡単にできるようになるんだとか。

A君に言わせると、もともと体とマインドが分離してる状態のときは、自分でも意識しないうちに体外離脱を起こしやすいという。

たとえば・・すっごくやりたい事があるくせに、何かが障害になってるとかで出来ない!あ~出来ない!というようなジレンマがある場合・・魂は肉体を離れて浮遊しやすい状態になってしまう。
(はっきり言って、こういった体外離脱は、あんまりいい状態ではないという。)

体外離脱はすべて「意識」の力

あそこに行きたいと念じたり、高く飛ぼうと念じたりするだけで、そのようにできる!

また、そろそろ疲れてきたから体に帰りたいと思えば、即座に体に戻ることもできる!


疲れてくる?って・・体が無いんだったら疲れないじゃないか?って思うんだけど・・
体験者に聞けば、やっぱり疲れてくるんだとか。

体外離脱でいっぱい飛び回ったあとは、目が覚めてもフラフラになるほど疲れているんだとか。
強く念じたり集中したりすることで疲れるのかもしれないね。


ところで、

飛び出したはいいけど、自分の体に戻れなくなっちゃうってことはないんだろうか?

体と幽体はシルバーコードで繋がっているので、ちゃんと戻れるんだという。

state-of-consciousness-1-300x250.png


でも、他にも体外離脱して飛んでる人だっているはずだし・・

中には、こうゆう人もいて、
19085017-an-illustration-of-a-grim-reaper-death-character-holding-a-scythe.jpg

シルバーコードを切られてしまうかもしれない。

そしたら、肉体には戻れなくなっちゃうんじゃなかろうか?



いやいや、それよりも、別の問題だって生じるだろう。

幽体で出かてしまったら、肉体は留守状態になってるわけだし・・
世の中には、すでに肉体を亡くしてしまってさ迷ってる人たちだって大勢いるはず。

そんな人に、「お!留守状態になってる肉体があるぞ! ラッキー!」って入られちゃったりしないんだろうか?


なーんて質問をいっぱいA君にしてみたのだが、「いい加減にしてくれ!そんなことまで知らん!」と言われてしまった。

「ただね、これは僕が体験して感じたことに過ぎないんだけど・・
体外離脱を意図的に、それも頻繁にすることが、いいこととは思えないんだ。

生きているうちは、肉体と魂(アストラル体、エーテル体など)が1つになっているのが一番自然な状態だと思うんだ。
何か特別な意味があるときだけ、体外離脱が起きるんだと思う。

いずれ死ねば、誰だって体外離脱を経験するわけだし、それをあえて今、意図的にする必要なんてないんだよ。

人は寝れば夢をみるし、夢の世界だって、プチ・体外離脱してる場合も多いんじゃないかな。」



私はほとんど毎日のように夢をみる。
そのほとんどは覚えていないことが多いんだけど・・

たまには、よーく覚えている夢があって、
まるで、ファイナルファンタジーの世界みたいなところで、戦士となって戦ってる夢を見たことがある。

目覚めたあとも、ひどく疲れていた。
「あ~、疲れたなあ~。 多勢に無勢だったもんな~!」と思って目覚めたものだ。

実際に朝起き上がっても、体はボロボロに疲れていた。


こうゆうのもまた、プチ・体外離脱で、パラレルワールドの別世界で、私は実際に戦っていたんだろうか?


生きているうちは、肉体と魂(アストラル体、エーテル体など)が1つになっているのが一番自然な状態だと思うんだ。

A君のこの言葉は、今でも胸の奥に残っている。

カワウソ・ペットブームだったんか~?

日本はアターをペットにするのがブームなんだってね?と聞かれて

ん? アターって何だ?

どんな動物かわからない!


あ、ラッコは、sea otterだったよな、と突然思い出し、

1080x720-cute-sea-otter-mom-newborn-pup-02.jpg

「え? 日本ではsea otterを飼うのがブームなの?」 と、聞き返すと

「sea otterと otterは違うよ!
日本人なのにアターブームを知らないの!」
 と言われてしまった。

日本を離れて何年も経つんだから・・日本のブームなんて知るか~!



ちゃーんと調べてみたところ、otterとは、カワウソのことだった。

カワウソブーム~?

そういやあ、何度かYoutube動画で、カワウソをペットにしてるのをみたことがあった。


だけど・・ものすごく稀なケースだから動画になってるんだろうな~って、私は勝手に、そう解釈していたのだ。。。

ところが、そうではなかったようだ!

s-l1000.jpg


ちゃーんとペットになってるらしいのだ。 しかも、ブームに!
   ↓
カワウソはペットとして飼える?カワウソの値段から飼い方まで徹底解説

日本恐るべし!


アメリカでも、傷ついた鷹やコヨーテ、キツネなどを保護したところ、野生に戻らなくなっちゃってペットにしてる人の話はよく聞くし、そういった動画もアップされている。

つい最近では、子牛がペットになっちゃった~って動画もみたばかり。



これは、病気持ちの子牛が親から育児拒否され仲間からもイジメられていたので、保護して家の中で育てたところ・・
犬たちと一緒に育ったせいか、イヌ化した牛になっちゃった!というかわいい動画だった。


いずれも、みんな・・保護する必要があった野生動物(または家畜)というわけだ。

はじめから求めてペットにしたわけではない!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は、そもそも、ペットブームというのはキライ。
ペットという言葉もキライだ。

人間に都合の良いだけの「おもちゃ」とか、付属品というニュアンスを強く感じてしまうせいだろうか。

なんで、ペットじゃなく、家族と呼ばないんだろう?


ペットブームとなれば・・必ず、そこにはビジネスが生じる。


いや、ビジネスが悪いとは思わない。
ビジネス大いに結構!
大いに儲けるべき!



ただし・・ビジネスの理念は、「儲けること」が究極の目的だとは思っていない。


ビジネスとは、「モノと人(または人と人)を繋ぐもの」、言い換えれば、「ニーズを提供すること」だと思っている。

Aさんが必要とするものをBさんが提供する。

Aさんは必要なものをゲットして幸せになる。
Bさんは代価を受け取って幸せになる。
商品も必要な人に活かされて幸せになる。



でもって、3方揃って、 Win-Win-Win ってわけだ。

なーんて言うと・・そりゃ理想論に過ぎないよ~!と人にはバカにされることが多いのだが、

理想論のどこが悪いんじゃい!
私は、理想で生きているのだ!
 えへん。(←威張る)



さて、カワウソのペットブームともなれば・・

カワウソを欲しがる人が増える。(ニーズが増える)

そこで、バイヤーさんは東南アジアに飛んで、カワウソの赤ちゃんを仕入れてくることになる。

実際、ペットとしてのカワウソは、コツメカワウソという種類のカワウソが一番の売れ筋らしい。
なぜならば、大きさも手ごろ(体長41 - 64センチメートル、体重2.7 - 5.4キロ)
爪が小型なので、人を傷つけることも少ない。(←ここらへんからして、人間に都合の良いことばかりじゃないかい?)
主に東南アジアに生息している。



野生動物の輸出入ともなれば、ワシントン条約っての立ちふさがるわけで、それなりに煩雑な許可も必要だし、それなりにお金もかかることになる。

最終的には、日本で小売価格は、ざっくり100万円近くなるという。

そこで、利幅がどのくらいになるのかは知らない。
ひょっとしたら、さまざまな経費を引いてしまうと、苦労は多い割には、大した利幅は出ないのかもしれない。。。


そこでだ!
じゃあ、密売しちゃえばいいんだ!
ってことになる。(まさに、これこそ最大の経費削減だ(笑)


実際、Yahooニュースでこんなのがあった。
   ↓

タイの空港で日本人の女子大学生がカワウソ10匹を日本に密輸しようとしてタイ当局に逮捕される。
この女子大学生の密輸未遂は組織的な背景も疑われるが、1万バーツ(約3万4000円)でカワウソ10匹を購入した。


「カワウソ」をペットには絶対できない Yahooニュース


10匹で3万4千円? 相場が1匹100万円近くするとなれば、こりゃ、ぼろ儲けだね~。

日本でカワウソブームともなれば、この女子大生だけでなく、現地の密売組織も目をつけて、闇で流そうとするのは当然の成り行き。

こういった輩は、母親から無理やり赤ちゃんカワウソを奪ってくるのだろう。
または、母親を殺してしまうのかもしれない。。。

もう、ここで私のビジネス理念からは大きくはずれることになる。
商品であるカワウソの不幸の上に成り立つビジネスは、ここですでにビジネスとは呼べないのだ。



ところが、どうゆう経過で仕入れたものであろうと、買い手はしったことじゃない!

日本で100万円が相場であるなら、ちょっと安くすれば、そりゃあ、どんどん売れることだろう!

ほとんどの買い手は、安いが一番!だと思っている(笑)



ホントかウソかは知らないけど、ある記事によれば、

カワウソ・カフェにいるカワウソのほとんどは、正規のルートで入ったものではない(つまり、密売)とか。

カワウソ・カフェって、いったい何匹くらいカワウソを置くものなのか知らないけど・・
ざっと10匹として、100万円x10で、1千万円は必要になる計算だ~! ん~?



ところで・・
ブームだから、欲しがる人が増えるのか?

欲しがる=ニーズってことなんだろうけど・・

なんで、それほどカワウソが欲しいのだ?

ottercafe.jpg
https://www.his-j.com/japan-tourist/tyo/AnimalCafe/

おそらく・・
きゃあ~! か・わ・ゆい~! (←そりゃ、わかる!たしかにカワユイ)
   ↓
だーーい好き!
   ↓
欲しい!

ってことになるのだろう。


だけど、えてして、だーーい好きと愛情は別物であることも世の常(まあ、男女間も同じだけど・・)

だーい好きは欲望に過ぎない場合も多い。


で、私のビジネス理念によれば、

欲望を満たしてあげるだけのビジネスは、本物のニーズを満たすことにはならない。

欲望なんてものは、すぐ飽きがきて、また次の欲望に走るものなのだ。(ちっとも幸せを運んでこない)

そういった人のニーズを満たすことが、まっとうなビジネスだとはどうしても思えないのだ!



実際に、カワウソを飼ったものの、こーんなことになってしまう人もいるらしい。
    ↓
kawauso.png

こちらの記事によると、Wild otters are the latest exotic pet trend

ゲージ飼いが多くなってしまい、エサはお手軽なドッグフードばかり与えるようなってしまったそうだ。

その結果、肥満体で運動不足で・・いずれはストレスで病んでいくだけ。 これはアビューズ(虐待)だと言っている。



欧米人の目からみれば、たしかにそうだろう。

彼らはペットをゲージに入れるなんてことは、病気のとき以外はめったにしない。

野生動物を飼っている人たちというのは・・野生に戻せずにやむを得ずに、ペットにしてしまったという人たちが多い。
中には、はじめから望んで飼う人もいるにはいるが・・

いずれにしても、自然の中の広~い一軒家のような状況で飼っている。


しかし、日本の、しかも都会で飼うとなれば、当然状況は違ってくる。

★カワウソは非常に知能が高い動物・・ということは、超・悪戯好きということになる。 家の中はうっかりするとメチャメチャ~。

★しかも、アゴの力が強いので、間違ってちょっと噛まれたとしても、傷が腫れあがって大変なことにもなりかねない危険性もある。


結局のところ、ゲージに入れておくことが多くなってしまうということなのだろう。


しかし、これでカワウソは幸せ?

生まれたときの環境よりも、もっと幸せにしてあげられなければ飼うべきではないように思うのだが・・。



でもね~、中には、カワウソに魅せられてしまって、どうしても一緒にいたいと望む人もいるかもしれない。

それならば、自分がカワウソの生息地に引っ越すべきではないだろうか?

毎日、野生のカワウソを眺めて暮らしているうちに、ひょっとしたら仲良くなって一緒に遊んでもらえるチャンスがあるかもしれない。

大好き=愛情(大好き=欲望じゃなくって)であるならば、そのくらい謙虚でなければいけない気がする。


野生動物の生態は、まだまだ解明されてないことの方が多い。

もちろん、カワウソだって例外ではない。

それを、無理やり連れてきて、自分の生活パターンを保ったままで飼おうとするのは、人間の傲慢に思えてならないのだ。


あ~、だからペットブームというのは、嫌なのだよ@@@

こうゆう人たちって、覚せい剤を売りさばく輩と同類に思えてならないのだ。

カネになればいい! 相手が不幸になっても知るもんか~! 買うヤツがバカなだけ!という理念の上に成り立っているという点では同じだ。


でもね~、

そうやって儲けたお金には、どす黒いオーラがこびりついているのだよ。

増えれば増えるほどどす黒くなっていって、いずれは、持ち主すらも不幸に突き落とす。

汚い金-クリップアート切り張りイラスト絵画集__k9124790


逆に人を幸せにして得たお金には、福の神もセットでついてくる。
31331365-L-imagenavi.jpg

と、私は思っている。

メモリアルデーに思うこと(まだメモリアルデーではないのだが・・)死体になるとしたら?

「あれ? 日本の会社からぜんぜんメールの返事が来てない!」と同僚が言い出し・・

「そりゃそうだよ。日本は今ゴールデンウィークといって10日間会社が休みだもん。」

「日本は休みが多くていいよなあ。 
俺たちはようやくやってくるメモリアルデーの連休を楽しみにしてるってのに~。」


そうなのだ!
10連休も公的に休めるなんてことは、アメリカではありえない!


ようやく、5月の4週目の(月)がメモリアルデーで3連休がやってくる~♪
たったの3連休なのだよ~ん。


「メモリアルデーってのは、戦争で亡くなった軍人さんたちを悼む日なんでしょう?
お墓参りに行くの?」
・・・と、日本から来た人に聞かれた。

さあ? 家族に亡くなった軍人さんがいれば行くかも。

Memorial_Day.jpg


または、家の外に星条旗を飾ったりする。

gettyimages-667215850-1523482910.jpg



軍人さんたちはパレードやら式典やらで忙しいだろうけど。

KRT-US-NEWS-MEMORIALDAY-3-A.jpg


そうじゃなきゃ、一般の人は何もしない。


一般の人は、メモリアルデーのバーゲンセールに出かけるくらいだ(笑)

Home-Depot-Memorial-Day-Sale-Deals-660x440-1.jpg


「ふーーん、それじゃ、一般の人がお墓参りをする日というのは、特にないの?」

ない! 


そもそも、「お墓参り」という感覚がこちらでは皆無。

葬儀を済ませてお墓に埋めたあと、一度もお墓に行ったことが無いって人がほとんど。

つーか、「あれ? そういえば、ウチのじいちゃんのお墓ってどこにあるの?」って人も多いくらいだ。


アメリカ人と結婚した日本人は皆、はじめはこの事実に愕然となるらしい。

なんと薄情な人たちなんだろう!と。


そもそも「死んだ人はお墓にいる」と思っていない人たちなんだから、そりゃ、仕方ないよ。

死んだ人は神様に召されて神のもとに行く。

「いつでも神と共に見守ってくれてるのよ。 私たちの心の中にいるのよ!」・・・というのが彼らの一般的な考え方。



それに対して、
「日本は仏教国だから先祖を大切にする」という人もいるけど、それも、違うだろうなあ。

他の仏教国をみても、「お盆やお彼岸にお墓参りをする」のは日本独自の文化らしいのだ。


もともと日本は、仏教が伝来する前から先祖供養と自然に感謝する習慣が強かったようだ。

春分の日には、自然をたたえ、生物をいつくしむ
秋分の日には、祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ


1年の豊作や豊穣を祈り、春分、秋分の太陽とご先祖様に収穫を感謝するという意味合いが込められているのだろう。



あ、そうだ!

そういえば、中国には、清明節(せいめいせつ)ってのがあったね~。
たしか春分の日のあたりだったと思うけど・・。

紙のお金を燃やして、先祖供養をするという・・

紙のお金を焼く
http://chugokugo-script.net/chugoku-bunka/seimeisetsu.html

これまた日本とは全く違う文化だし、仏教文化というのとも、ちと違う。。。


とにかく、地域によってまったく違うのだ。



日本のお墓参りにしても・・たぶん、地域や宗派、家によっても違いはあると思う。

子供の頃、「お墓参りとは、まずはお墓をきれいにお掃除する」というのを聞いたことがあって、不思議に思ったことがあった。

なぜなら、我が家は一度もお墓詣りでお掃除をしたことがなかったからだ。

たぶん、これが正しいお墓参り?
    ↓

hakamairi003.jpg
https://oki-memorial.org/column/ohigantrivia1208


それを母に尋ねると、

「お墓のお掃除? ああ、それはお寺さんでやってくれるから、お参りする人はしなくていいのよ。」

「え? でも~・・学校で聞いたんだけど、お掃除しなきゃいけないって。」

「なに言ってんのよ! お寺さんのお仕事に手を出したら、かえって失礼にあたるじゃないの!」
と母に一喝されてしまった。

うーーむ。

実際、ウチの先祖の墓はいつ行っても、掃除するところがないくらいキレイだった。


このように・・

同じ日本であっても、個々に違うのかもしれない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ところで、
私は、とっても不思議に思ったことがあるのだが、

先祖のお墓詣りに行かないと、祟られるとか悪いことが起こるって話。


たぶん、こうなっちゃったお墓はヤバイってことなんだろうか?

mighaka.jpg
https://matome.naver.jp/odai/2144305603674514201

長年掃除もされてないようだし、誰も墓参りをしてくれる人もいない。

そんなことを言いだせば、無縁仏のお墓なんて・・どうなるんじゃい?

_1484273219_1484273200_0112_6.jpg
https://news.yahoo.co.jp/feature/482


よく霊能者さんたちが、

お墓をきれいにしていないから。
ちゃんと供養してあげてください!

と言ったりするのを聞くと・・

そんなことで祟るんかい!
死んでまで甘ったれるな!


と言いたくなる気持ちがフツフツと湧いてしまうことがある(笑)


そもそも・・お墓なんかにちっとも重きを置かないアメリカ人はどうなるんじゃい!

たぶん、アメリカ人の幽霊さんたちは、そんなことは気にしない。
もともとお墓参りの習慣がない人たちだから。


ところが、日本人の幽霊さんたちは、やっぱ気にする人も多いのかもしれない。
   ↓

死んだらお墓を建ててもらう ⇒供養してもらう⇒毎年数回やってきてお参りして供養してもらう



これが当然と思ってるんだったら、もしも、そのようにしてくれないとなると・・・

え? 私は忘れられちゃってるの? 
先祖を敬う気持ちはないの?

となって・・・とっても寂しい。
または、寂しさからムカつくのかもしれない。(←幽霊の心理を分析)

磯野家のご先祖だって、お墓参りの時期にはちゃんと墓で待ってたくらいだから。
isonomokuzu.jpg


中には寂しさがつのって、なんとか気がついてもらおうと、色々とちょっかいを出す幽霊さんもいるかもしれない。
で、ちとばかしやり過ぎちまって、それが、祟りってことになるのかも。


これって、
欧米の幽霊さんたちは足があるのに日本人の幽霊さんは足が無い!というのと、同じコンセプトだろう。

「幽霊は足が無いもの」という認識のまま死んだ人、つまり、そのまま幽霊さんになってしまった人には足が無いんだとか。

死者の生前の意識が幽霊になってもそのまま表れる。



ん~、お墓詣りをしないと寂しがる日本の幽霊さんは、ちと面倒かもしれん。


しかもカネもかかる。

お墓を建てたあとでも、毎回のお供養代、年間維持費代、

そのうえ、母によれば、お参りに行くたびに「心づけ」(←たぶん、チップのこと)を置いてくるという。
(金額は聞いてないけど・・たぶん、1万円とか2万円とかなんじゃないかな?)

日本の場合、先祖を大切にするということはおカネもかかるということにもなる(笑)


しかし・・日本だろうがアメリカだろうが、

私を忘れないで!という気持ちは、どこも同じだろう。

心の隅でいつまでも覚えていてくれる!ということだけが、死者への一番のはなむけなのかもしれない。

彼らはその思いだけで、新たに旅立てる。



私が死んだら?ってことを、ここで考えてみた。

おそらく、アメリカで身寄りもない私の場合は、

孤独死⇒無縁仏の墓(アメリカバージョン)に入れられるはず。



いやいや、だからといって、決して寂しいとか惨めだとかは、ちーーとも思っていない。

若い頃は、そういった人の話を聞いただけで、ひどく惨めだとか可哀そうだ!って思ったものだけど、
今では、そんなことすらも、ただの既成概念に過ぎないような気がしてしまう。

たとえ誰にも看取られずに死んでお葬式も墓もなかったとしても・・・むしろ、それでいい!ような気がする。

私には大好きなモノや人がいて、それだけで幸せな人生だったなあと思える。
死んだら死んだとき、その後の生き方を想像するだけでワクワクしてくる~♪


あ、ただねえ・・

死体が腐って周囲の人に臭っ! キモっ!とは言われたくないよなあ。。。

そんな迷惑だけはかけず、一瞬にして霧散してくれればいいのだが・・・そうはいくまい!



ちょっと興味深い記事があったのだけど・・

ワシントンでは、「死体を肥料にする」埋葬方法を許可する最初の州となるだろう
Washington Will Likely Be First State to Allow ‘Human Composting’ as a Burial Method


ワシントン州、死体を肥料とする法案通過(アメリカで最初の州法)
Washington passes bill to become first state to compost human bodies


うわあ、さすがワシントン州だ!
(エコロジーに関心が高い知識層が多い州で、水道水の窒素混入反対運動とか、農薬問題にも意識が高い)


うん、これはいいぞ!と思った。


実は、子供の頃に読んだ小説の影響かと思うんだけど・・

櫻の樹の下には(梶井基次郎)

桜の森の満開の下(坂口安吾)

というのがあって、


Beautiful-sakura-tree_art.jpg


桜の花があんなにも美しいのは樹の下に屍体が埋まっていて養分として吸ってるから

美しい桜と死体・・・これって、オカルトって見方もできるけど・・
いまだに、私の桜のイメージはこれに尽きるのだ。

それでも、いいやんけ~!


ただ腐って利用価値ゼロになる死体を、植物に活かして頂いた方がずーーと有難い!と思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

アメリカは、もともとは土葬が一般的だ。

なのでセメタリーに行くと死人の匂いがする、臭い!という人もいて、行きたがらないってのもあるらしい。


ところが近年では、火葬にする人が増えたという。
先ほどの記事によれば、50パーセントが火葬になってるとか。(もちろん、これも州にもよるだろうけど・・)

なぜなら、火葬の方がおカネがかからないからだそうだ。

え? 
土葬だったら、そのまま埋めるんだから、安いんとちゃう?

と思ってはいけない(笑)


土葬の方が、ずーーとお金がかかる。

まずは、遺体を保管するための特殊技術「エンバーミング」が行われる。
   ↓
直前までドライアイスで冷やしておいて血抜きをして動脈から防腐剤を注入
腐りやすい臓物は切開してすべて取り除いて、それから縫合。
さらに、さまざまな薬品処理してから、きれいに洋服を着せる。




なんだかミイラ作りでもしてるよーな手間?


いや、ミイラ作りは天然ハーブを使うけど、エンバーミングでは化学薬品まみれになる!



それから、土葬用の棺桶(金属製)を用意しなければならない。

coffin.jpg


一方、火葬だったら、ガンガン焼くだけ。

アメリカの火葬は、骨を拾うという感覚が無いので、強火でウェルダン「良く焼き」
まさに、灰になるまで焼いてしまう。

そんで、火葬の場合はとくに棺桶を用意しなくてもいいんだとか。

灰になったのは、骨壺に入れて家に持ち帰って飾る。

なので、インテリアにもなるように、形もデザインもさまざま

wings-of-an-angel-cremation-urn-8bb.jpg

おっと、これは・・・ワンちゃんのだ。
   ↓
81YrVVRX2OL.jpg


どんだけ、土葬の方がお金かかることやら。


さらに、お金の問題だけじゃなく土地の問題もある。(いくら国土が広いたって、昔とは違う。)


さらに、エコロジー問題ものしかかってくる。

死体はどんどん増えてくってのに、どんだけ化学薬品使って土に埋めてるんだ?
いったいこの先、どうなるんじゃい!



そこで、先ほどのワシントン州の記事によると、

人体の分解には微生物を使い、藁やアルファルファ、木の破片などと一緒に容器に入れて、

30日のうちに容器内の温度が 65℃に上昇してくると、微生物による分解作用で、人体のほとんどの病原体や残留している医薬品とともに身体が分解されるという。

もちろん、心臓のペースメーカーだとか人工関節や他のインプラントは、ちゃんと取り除かれる。
その結果、一人の人体から 1メートル四方の土が作れるのだという。

まさに堆肥だ。



死して土に還って、またほかの生物を助けるんだとしたら、これこそ、食物連鎖の正しい姿じゃないだろうか。
    ↓
foodchain2.png


地域や国によって考え方も違うので、一概にはどれがいいとか悪いとかは言えないし、また言うべきことではないのだが・・


ただね~、幽霊になってまで、

立派な墓を建てて欲しい! マメに供養して欲しい! マメに墓参りして欲しい!・・・って欲しい、欲しい!ってばっかり言ってる幽霊さんたちには、

甘ったれるな! その依存心をどうにかせんかい!

XXしてくれないから祟ってやる!って、そんなチンケな根性でこれからどーすんじゃい!


と、怒鳴りたくなることもある(笑)


ここらで、幽霊さんたちも、

もっと広~い視野で、色々なものをみつめて考えなきゃならん時、じゃないのかね~。

・・・・・・・・・・・・・

そうだ! 私は、ワシントン州に引っ越すことにしよう。
そして、死んだら堆肥にしてもらうように遺言書いておこうかな~。

おっと、その前に・・

ワシントン州で仕事も無けりゃ、引っ越し費用だって無いやんけ~!@@@


なんだって、メモリアルデーに、こんな妄想をしとるんじゃい@

あっ! そもそも、まだメモリアルデーじゃなかったような?(今月の4週目だ!)


悪魔の存在

キリスト教における悪魔ってなんだろう?って考えてたとき、日本に住む友人がこんな動画を送ってきた。
(最近頻繁に起こるシンクロだ(笑)
     ↓


これは、2016年6月1日、青函トンネルを超える世界最長・最深のゴッダルド・トンネルが開通したときの、開通式の祝典セレモニーのダンス動画

なんだこりゃ!・・・


動画を見て思った。

どっからみても「悪魔」

それも陳腐なほど、ステレオタイプの悪魔、そのまんま~。

ヤギ=悪魔のシンボルはいっぱい出てくるし~。

800px-Baphomet.png
Baphomet Wiki

SamaelLilithGoatPentagram.png


悪魔のシンボルは山羊なのだ!


ずっと前に、古代の竪琴とダビデ王という記事の中で、

竪琴にも、天使と悪魔の持つ竪琴がある。
    ↓
天使型は、白または金、ひつじの角や爪、ハトの羽
悪魔型は、黒または赤、ヤギ角や爪、コウモリの羽



というのを載せたことがあっけど、まさに悪魔のイメージっていえば、山羊! 

なんで、天使が羊で悪魔が山羊なのかは知らんが!



これは、ヨーロッパの中世キリスト教時代から脈々と受け継がれてきたイメージらしい。

たぶん大昔から、羊も山羊も身近にいる家畜だったし、分かりやすく「動物に例えると」ってのをやりたかっただけなのかも。

そんで、善と悪、白と黒・・っていう典型的二元論をイメージにも持ちだして、こじつけちゃっただけかな。



それにしても~ なんでここで悪魔なん?

動画の中でもニュース・キャスターが、
「開通式と、この・・”独特の”・・ダンスはどうゆう関係があるんですかね?」って、苦笑しながら言ってたけどね。


アンチ・キリスト集団の黒ミサ風景ですか~?

それを今回は、特別サービスってことで見せてくれたんだろうか?

それも・・各国の首脳陣をずら~と呼んでる席で?
(あ!ひょっとしら、彼らのお好みか?)

さっぱり、わっかりませ~ん!!


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ゴッダルトトンネルというのは、正式には、「ゴッタルドベーストンネル」という鉄道トンネルのこと。

57kmもある、今では世界最長トンネルで、オランダのロッテルダムからスイスのジュネーブまで結んでいるとか。
(それまでは、日本の青函連絡トンネルが世界一だったんですって~。)


スイスといえば・・日本人の一般的知識では、永世中立国、マッターホルンってくらいなものかもしれないけど、

スイス人にとって、ゴッダルトは最も聖なる山だという。

日本人にとっての霊峰・富士山、モーセのシナイ山・・・それ以上かも、と言われる。


スイスインフォ(SWI)によれば、
「ゴッタルドはスイス連邦の起源、アルプスの中心、人々の交通の要、ヨーロッパを流れる大河の生まれた場所、南北文化の交差点、そしてスイスという国の独立と統一、アイデンティティーの象徴」という。

「スイスのシナイ山」と呼んだ作家もいた。ナチス・ドイツ軍の侵略から守られたのもゴッタルド山があったからだといわれている。

スイス国民にとってゴッタルドは神話の山だ。




山と言ってるけど・・正確にいえば山というより山塊で、そこは有名な峠になっているらしい。

5sz_t1_a1860-28255720.jpg
カスパー・ウーリッヒ・フーバーの作品(1860年ごろ)に描かれたもの

何が有名かといえば、相当な難所だからだ。

407cv0ri.jpg
Carl Blechen devil's bridge(カール・ブレナンによって描かれたデビルズ・ブリッジ)

そうそう、ここ、デビルズ・ブリッジ(悪魔の橋)というそうですよ。


完成したものは、こっち
   ↓
512px-Train_trip,_Switzerland

またも出てきた、悪魔という名。

なんで「悪魔の橋」なんだろうと思ってたら、こんな記述をみつけた。
     ↓

ロイス川を渡るのがあまりに困難だったため、あるスイスの牧夫が悪魔に橋を架けるように願った。
(なんで悪魔に願う? ここはフツウ、神様に願うんと違うか?)

すると悪魔が現れて、願いを引き受ける代わりに橋を最初に渡るものを生け贄に差し出すようにと条件をつけた。
(そりゃあ、悪魔だもん。 タダで慈善事業しないし・・交換条件ってのは当然!)

彼はそれを受け容れたが、橋が完成すると彼はヤギを先に渡らせて生け贄を回避した。
(ここでもヤギかい! ヤギを犠牲にするわ取引きした悪魔を騙すわ・・人間の方が性悪じゃね?)

この詐欺行為に怒った悪魔は岩をつかんで橋に投げつけようとしたが、ある老婆が十字架を岩に描いて悪魔が岩をつかむことができないようにした。(悪魔が怒るのは当然ちゃうの?)

この伝説の岩は今も存在しており、1977年にゴッタルド道路トンネルの建設のためにこの220トンの岩は30万スイスフランを投じて127メートル移動させられている。
ゴッタルド峠 Wiki




スイス人にとっては聖なる場所。 神話の山。
悪魔の伝説もある場所。

だから、その開通式には宗教的奉献式が絶対に欠かせられない!

そこまではわかるのだけど・・

で、黒ミサダンスを奉納したってわけ??



このパフォーマンスを見た多くの欧米人は、どう思ったんだろうか?

古代から「典型的な悪魔のイメージ」が刷り込まれてしまってる彼らは、

怖っ! と感じるか・・不気味、おぞましい!と思うか・・・言いようのないような不安感が掻き立てられるって人も多いかもしれない。



でも、私ら日本人だし!

悪い動物良い動物なんて差別ないし~、動物どころか人も一緒~♪


ヤギといえば・・ヤギさん郵便しか浮かばんわい!

yagisan.jpg



少なくても欧米人のようには、悪魔と結びつけた恐怖感情は湧いてこない。

だからといって、これは、アートと呼べるほど昇華させたシロモノじゃなし・・
ただの3流映画あたりの黒ミサの儀式シーンとしか見えないシロモノだ。

何度もいうようだけど・・

さっぱりわからん!というのが、私の感想。



ただ・・人というものは、恐怖、不気味さ、不安を感じたとき、悪いモノに容易く操られやすくなるものだ。

悪いモノというのは・・幽霊(悪霊)もだし、生きてる人間による洗脳なんてものもあるだろう。



私のような、ヤギさん郵便しか知らないような日本人が、こんなダンスショーを見たところで、なんだこりゃ!で終わってしまうくらいで、さして害があるとは思えないのだが、

それでも、この真意はどこにあるんだ?って考えると、何か嫌~な後味の悪さを感じてしまう。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私にとって、キリスト教の悪魔といえば、

「エクソシスト」のイメージが一番強いかな。

816xh9OHFdL.jpg


エクソシストは1973年公開のアメリカ映画で、アカデミー賞まで受賞したオカルト映画の草分け的存在だったように思う。

ホラー、サスペンス、怪奇映画などと、昨今では色々と呼び名があるけど、この映画あたりが原点になったんじゃないかなあ。

もちろん、この映画、怖い、残酷、血みどろなだけ・・といったC級のホラー映画とは全く違って、ヒューマンドラマという人もいるくらいだ。


どんなストーリーかと言えば・・たぶん、ほとんどの人がご存じだろうけど・・

少女のリーガンに悪霊が取り憑いて、汚物を吐き、罵り、医師を殴り倒し、ウソと真実を混ぜて相手を当惑させる。

超怖い、キモ~いシーンもてんこ盛りだったけどね~。

医師はさじを投げ、誰も助けてくれない!


ついに、カラス神父とメリン神父が悪魔祓いに挑む。


ところが、

「キリストの名の元に於いて!」と祈りを唱え、必死に悪魔を退散させようとするのに・・そこにはキリストは現れない。

そう、どんなに信じてもそこにいるのは悪魔だけで、その悪魔と闘うのは二人の人間だけなのだ。


神父の一人は高齢で心臓が悪く、またもう一人は信仰心疑問を持っている精神病理学者。


少女が苦しみ、母が苦しみ、神父たちが苦しむ。

ひたすらに試され苦しみ続ける。

敵はこんなにも強く、我々はこんなに非力なのか?



当時、こんなシーンをみて、ぎええ~!ってなったなあ。
(懐かしい有名なシーンだったよね。)

tasukete.png



ものすご~いインパクトのある映画だったんで、映画を観た後本も読んだ。(これもずいぶん昔のことだけど・・)



映画だとオカルト・ホラーにフォーカスされた作りになっているんだけど(←そりゃ、当たり前だよね。)

小説だと、これってオカルト?と思った記憶がある。


精神医学的な面を重視していて、小説の大半は外科医師や精神科医の話がメインになっている。

悪魔祓いの部分はラスト近くなって、数ページほどしかなかったのが印象的だった。



それでも、メリン神父の存在感は、小説でも映画でも、すごかった!!
まさに、揺るぎない「理性と尊厳」を備えた人物だったのだ。



ただ当時の私には、小説を読んでいて・・どうしてもわからない部分があった。

「ずっと気になっていた箇所」と言ってもいいかもしれない。


それはこの3か所(その2つはメリン神父の言葉)
   ↓

●人間にとり憑く目的はどこにあるのでしょう? という疑問に対し、
「それは誰にも判らないことだ。……しかし、私はこうみている。
つまり、悪霊の目的は、とり憑く犠牲者にあるのではなく、われわれ……われわれ観察者が狙いなんだと。

そしてまた、こうも考えられる。
やつの狙いは、われわれを絶望させ、われわれのヒューマニティを打破することにある。

やつはわれわれをして、われわれ自身が究極的には堕落した者、下劣で獣的で、尊厳のかけらもなく、醜悪で無価値な存在であると自覚させようとしている。」


●「このような悪からでさえ善が生じてくる。なんらかの方法でだ。われわれには理解できず、見ることもできない何らかの方法でだ。……おそらく、悪こそ、善を生み出す『るつぼ』であるからだろうな」


こちらは最後の方で、リーガンの母親が言う(彼女は信仰を持たない無神論者という設定)
 ↓
●「あなたがた神父さんたちは、祭壇の前にぬかずいて、神さまの実在を考えなければならない立場ですわね。
だからこそ、神さまは毎夜、百万年の眠りを眠ってらっしゃるんですわ。

そうでなかったら、神さま自身がいらいらなさって、ついには怒りださずにはいられなくなるはずです。わたしのいっていること、判っていただけるかしら?

神さまは何もおっしゃらない。その代わり、悪魔が宣伝の役をつとめます。
悪魔は昔から、神さまのコマーシャルなんですわ」



若い頃の私には意味がわからないながら、なぜか、すご~く気になってた箇所だった。
今は? そのままの意味でストレートに捉えてます(笑)


懐かしいエクソシストの思い出話だ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

悪魔も悪霊もよくいる幽霊も、体を持たないって意味では一緒。

これは、私の想像に過ぎないんだけど・・
    ↓

ものすごい怨念、怒り、絶望の強い念を持つ幽霊たちが合体して巨大なものになったあげく、
そこへ、生きている人間のドロドロ念まで付着して、超・巨大化しちゃったもの。
それが、悪魔だったり悪霊と呼ばれるものではないかなあ~と思っている。




それに比べりゃ、自分が死んだことがわからなくてさ迷ってる幽霊さんや、助けて~!私の話を聞いてよ~!と単体でさ迷ってる幽霊さんたちの方が、なんとカワイイものか!(カワイくはないけど・・)


巨大化して悪魔・悪霊と呼ばれるようになったものを、ビジョン化して見た姿が、悪魔像なのかもしれない。



悪魔が存在するのか?・・と、聞かれれば存在するのだろう。 (←私は見たことないけど・・)

だからといって、そこらにいる浮遊霊だとか地縛霊のようにはいるわけではない!

我々庶民がフツウに生活してる中で、悪魔に憑かれるってのは、超・超レアケースだと思うのだ。(まず、あり得ない!)


むしろ、それを、自分で呼び込んでしまう方が怖いかな~って思う。


あんな陳腐なダンスを見て、ヤギの角から悪魔だ~! 黒ミサ(悪魔崇拝)だ~!とショックを受けちゃう欧米人は特にお気をつけくださいませ。

特に、古い迷信が染みついてるような人たちには入り込みやすいともいう。



実際のヤギはちょっとひょうきんで面白いやつら、だと思うのだ。(←君はヤギさん郵便がルーツのわけだしなあ・・)

そして、かなり好奇心旺盛だったりする。


ヨガをやってたら、何してるん?と背中の上に乗ってくるし、

goatyoga.jpg


ネコたちが切株の上でまったりしてると・・

Goats-Kittens-on-Stumps.png

すぐに皆でマネっ子。



私も、ずいぶん昔の話だけど・・モンゴルでヤギたちにワラワラと囲まれちゃって、服の裾をカミカミされたり引っ張るやつもいたりして・・涎でベトベトにされたことがあった(笑)

特に子ヤギは、恐るべし好奇心の塊だ。



もしも、

悪魔の狙いが、「我々観察者が狙いであり、我々を絶望させヒューマニティを打破することが狙い」だとすれば・・

常に楽しく過ごし、ヤギにも偏見を持たないことじゃないだろうか。


<参考>
ゴッタルド山は“スイスのシナイ山”

青函と違う「スイス世界最長トンネル」の実力 東洋経済ラインより

ゴッタルドについて知っておくべき八つのこと

https://www.swissinfo.ch/jpn/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%B9%E9%80%A3%E9%82%A6%E3%81%AE%E8%B1%A1%E5%BE%B4-%E3%82%B4%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%89%E5%B3%A0/28349036

ゴッタルドの神話 世界最長 ゴッタルドベーストンネルの上を歩く Swissinfo.ch

ノートルダム修復のための寄付

ノートルダム大聖堂が火事のニュースは、先週みていたのだけど・・
こちらのニュースは、先ほど目にしたばかり。
    ↓
Several of the world's richest French billionaires donate more than $500 million to rebuild Notre Dame

何人もの世界有数のビリオネラーたちが、ノートルダム大聖堂を再建するために$500ミリオン以上も寄付。

a50395c7a47b9a6de2e187ce91d047ccef17c424bd566fb95fcd6da6ae85183f.jpg


500ミリオンダラーっていくらだと思います?

本日4/22日現在のレートで、559億965万6円ですよ!

しかも、このニュース記事の日づけを見ると先週だし~、つまり火事にあってすぐ!ってことだ。
それなのに、もう、即決でこんな寄付をする人たちがいるとは・・・。


ざっと本文を訳すとこんな内容です。
    ↓

フランスで最も裕福なファミリーたちは、月曜日の壊滅的な火事の後、ノートルダム大聖堂を再建するために100万ドル単位のものを確約した。

これまでのところ、4人のメジャーなファミリーからの合計は、すでに$500ミリオンを超えている。


世界のリッチマンの一人、Bernard Arnaultは、ノートルダム大聖堂の再建のために2億ユーロ(笑い約251億6,356万円)を寄付した。
Arnaultと彼のファミリーは、彼らの会社のTwitterアカウントを通して寄付を発表している。

Arnault は、70の世界的ブランドを傘下に持つ大企業、LVMHのトップであり、ルイヴィトン、セフォラ、マークジェイコブスなどのブランドも含むところだ。
Arnaultと彼の家族は、9000億ドル(本日のレートで、約10兆659億8,814万4,503円)以上の純資産を誇り、フォーブスの長者番付によれば世界で4番目のリッチマンでもある。

このフランス人ファミリー及び、彼のパリに拠点を置くカンパニーは、火曜日に起こったノートルダム大聖堂のイコニック・カセドラル部分が焼け落ちたのに対して、修復のための寄付を発表した。
「Arnault一家及びLVMHカンパニーは、国家的悲劇に対し一致団結し、この素晴らしきフランスの象徴であり世界遺産を 再建するためには助力を惜しみません」

<途中省略>

また、こちらも有名なフランスの億万長者、François-Henri Pinaultも募金プロセスに参加した。
彼の会社のTwitterアカウントで、彼と彼の父親は、
「パリの街の宝玉ともいうべき世界遺産、ノートルダム大聖堂を一刻も早く再建するための資金を提供致します。」と発表した。

Pinaultは、グッチとサンローランで知られた高級ブランドのグループであるKeringのトップだ。
彼はメキシコ系アメリカ人女優、サルマ・ハエックと結婚している。
彼は妻のインスタ上に、燃える大聖堂の写真を掲載し、次のように記している。
「多くの人々同様に、美しきノートルダムが炎に包まれたことに、私は深いショックと悲しみに打ちひしがれています。 私はパリを愛しています。」

フォーブスの長者番付けによれば、ピノー家の純資産は351億ドルにのぼる。(約3兆9,261億7,449万6,644円だよ~)
フランス人ジャーナリストによれば、彼のファミリーは、1億ユーロを寄付するそうだ。(約126億円)


もう一つの大きな寄付で、化粧品会社のロレアル、Bettencourt Meyers家とロレアルグループが1億ユーロを寄付するとツイートした。

世界で最も裕福な女性であるFrancoise Bettencourt Meyersは、L'Orealの創設者の孫娘だ。
彼女のファミリーは依然として会社の大部分を所有しており、フランスで科学と芸術の進歩を目的とした慈善団体も運営している。

燃料、天然ガス、低炭素電力など、それぞれの分野のフランスの会社でも寄付が集まり、こちらはトータルで100ミリオンユーロの寄付が集まっている。(本日のレートで、約125億8,653万2,410円だよ。)
「宝玉のごとき建築物を再建するために」フランスの遺産財団La Fondation du patrimoineに寄付をしている。

今や大聖堂の尖塔の改修されつつある。 680万ドルの改装工事が行われている。



どう思います?

さすがフランスの大金持ちってすごいなあ。
心からノートルダム大聖堂を愛しる信者なんだろうなあ。 
即座に寄付をするなんて、立派だよなあ!


・・・って思いましたか?


私は、なんだか、そんなふうに思えないんですよね~。

似たようなニュース記事はいくつかあったんだけど、いずれも読んでいるうちに、体をぞわぞわと虫が這うような気分になってくる。


そもそも、これって、真相究明に至っていないヘンな事件だし・・


実は、その前からも、いくつもマリア像が壊されたり、教会が火災にあったりする事件が、あちらこちらで起こっていたんですよね。
そうそう、少し前に、サンシュルピス(ダ・ヴィンチコードで有名になったとこ)が放火?とかって事件もあったはず。

もちろん、フランスに限ったことではなく、あちこちでカトリック教会が被害にあってるらしい・・。

db257a70e1c5d6c1b7d9aa4eee053c02.jpg


いったいなんなんでしょう?


しかもいずれも原因がわからなかったり、犯人が捕まってないみたいだし、組織ぐるみじゃなきゃ出来ないような大掛かりな破壊がされてるのに、そもそも、詳しい報道がされてない気がする。


とーーーても、胡散臭い匂いがプンプン!



そこに今度のノートルダムの火災

とはいっても、それほど壊滅的なものでもなかったようだ。 塔の尖塔部分の像のようなところが焼け落ちたとか。


しかも、その日は、マクロン大統領の演説が予定されてたそうです。(黄色いベスト運動の改革案提示だったとか)

ところが、急遽延期されたので、

マクロンの演説をわざと延期するために政府が仕組んだんじゃないか?とか、
極右連中は難民テロリストの仕業だとか、色々とささやかれたそうです。



まあ、それはいいんだけど・・

あまりにも急に、リッチピープルたちから、目の玉が飛び出そうな寄付が続々と集まってるのにはびっくり。


そりゃあ資産が10兆600億とかって人だったら、ぽーんと10億くらいの寄付したところで、

えーーと、10億 ÷ 10兆 = 0.0001 だから~、

年収5百万のサラリーマンが、500円寄付するようなもんか~。


チャリンと募金箱へ
   ↓
500enndama.jpg


彼ら(世界の大富豪)にとっては、せいぜい500円なんだよなあ! (笑)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

黄色いベスト運動をみても、ガソリン代にも困る人たちが大勢いるというのに・・

世界のお金持ちたちよ!
もっと他のことにお金を使えないもんかね!
・・と私は思ってしまう。


それだけのお金を権力をお持ちなら、

経済を復興させて、国民すべてが安心して暮らせるようなキャンペーンの方が先じゃね?と思ってしまう。


Cathédrale-Notre-Dame-de-Paris-Vue-panoramique-_-630x405-_-©-Fotolia-rdnzl

そりゃあ、ノートルダムは素晴らしいよ。

歴史的建造物であり、世界遺産、美しいゴシック芸術そのものだと思う。


でも・・・別の見方をすれば、

11世紀から12世紀にかけての、教会勢力が強かった時代に作られた、超ゴージャスな建築物なのだ。
教会権力・権威の象徴、教会に支配されていた時代の産物ともいえる。

ノートルダム (Notre-Dame ) は、Our Ladyという意味、つまりは、聖母マリアのこと。


聖母マリアは、ゴージャスな建築物に鎮座することをお望みなのだろうか?

黄色いベスト運動を解決するよりも貧困層の問題よりも、まっさきにノートルダムを修理してね~と言うんだろうか?

953898b143e28e815f63556889e09365.jpg


多額な寄付をしたところで、それは税金控除だし~

しかも、数千万人というキリスト教信者から尊敬と支持を集めることが出来る。

しかも、たかだが500円程度の寄付金で!(笑)


何事もビジネスに結びつけることが悪いとは思わないけど・・

これでは、ますます貧困層からの怒りを買い暴動は激しくなるばかり。
格差が開くばかり。


私はなんだか、そんなことを考えてしまった。


同時に・・

庶民とか貧乏人の方が、多少の無理してでも、せいいっぱいの寄付をしちゃうものなんだよな~と、つくづく思ったりもした。

雨乞いの続き:レインメーカー? レインマン?

きのうのの話から、ちょっとだけ「雨乞い」に関する続編を書こうと思う。

これはアメリカで実際にあった「雨乞い」のお話。


雨乞いは英語では、Rain Maker(レインメーカー)と呼ばれてる。

ん? 雨を乞うのと雨を作り出すって違くね?

と疑問をお持ちの方もいるかも。

はい! おっしゃるとおり、違いますね。


そこは・・雨を司る精霊の存在を信じてた人と、目に見えないものを信じて無かった人の違いかと(笑)

つまりアメリカに移住してきた欧米人(主に白人連中)は、精霊なんぞ信じてなかったからこそ、レインメーカーって言葉ができたんでしょうね~。(目に見えないものに、何を乞うんじゃい!と言われちゃいそうですもん。)


しかし、白人が移住してくるよりも、ずーーと昔から、

ネイティブアメリカンには、「雨乞い師」がいたそうです。

ネイティブアメリカンの部族語で、そういう人たちをなんと呼んでたかはわかりませが、おそらく、日本語の「雨乞い師」に近いニュアンスの言葉だったのでは?って思います。



そういえば、ネイティブアメリカンって古代日本人と似てますよね。

efd574ef09f6d7c2766ae616c52a715b--native-indian-native-art.jpg


●自然霊を信じて八百万神(やおよろずのかみ)を敬った日本人 カチーナと呼ぶ多くの自然に宿る精霊たちを敬ったネイティブアメリカンたち

●目に見えぬ存在と交流し、大地といのち、宇宙との均衡、調和を祈り続けようとした・・というのは、どちらも一緒。


himiko___shaman_queen_of_yamataikoku_in_wa_by_orkideh84-dcmori0.jpg

●また、政略者だった白人社会と違って、男尊女卑なんてあり得なかった日本人&ネイティブアメリカン
(注:日本が男尊女卑社会っぽくなったのは、主に江戸幕府が確立し安泰な世になってから。
それも武家社会のみ。)
(注:ネイティブアメリカン部族は、母系制で、土地、家、財産は女性に属するのがほとんど。)



しかし今回の話は、ネイティブアメリカンの雨乞い師ではなく、れっきとした白人のレインメーカーの話です。


チャールズ・ハットフィールド : Charles Mallory Hatfield (July 15, 1875 – January 12, 1958)

Charles_Hatfield_1919_t658-1-3.jpg

生まれは、カンザス州のフォートスコット(Fort Scott)

実家はミシン業を営んでいたのだけれど、後に農業へ転向した。

ところが、チャールズが11歳のとき、干ばつに襲われる。
せっかく耕した田畑は、あっと言う間に干上がり廃業を余儀なくされてしまう。

drought.jpg



アメリカは日本以上に厳しい土地だ。
不毛の砂漠地帯は多いし、大地が広大なだけに水路を確保できないことの方が多い。

頼みの綱は雨のみ!ということが多かったのだ。


最も天侯に左右されがちなのは農業。

ハットフィールド家も例外ではなかった。

彼らは土地を捨てて南カリフォルニアに引っ越した。


チャールズはニューホーム・ソーイングマシーンという会社のセールスマンになり、

1904年カリフォルニア州グレンデール(Glendale)に引っ越した。
 
(*グレンデールは、ウチから車で北へ1時間くらいの距離だ。
たしか白人が多く住む、小ぎれいな地域で、アルメニア系アメリカ人のコミュニティーがあるはず。
チャールズの時代のことは知らないが・・)



ミシンのセールスマンとして働いていたチャールズだったけど、(お父さんもミシン・セールスマンだったんだよね)


彼の頭の中には、いつもこのことばかり。
    ↓
「何としても農家を干ばつから救いたい!
 天侯に左右されない、人工的に雨を降らせる技術と装置が絶対にあるはずだ。」



暇さえみつけては、レインメーキングに関する多数の本や定期刊行物資料を読みふけった。
特にハーバード大学教授、ウィリアム・モリス・デイビス( William Morris Davis)によって書かれた「初等気象学」(Elementary Meteorology)の影響を最も受けたという。



時代は19世紀末、アメリカの深刻な干ばつは、農民から銀行家までの、すべての人に大きな影響を及ぼした。

自分の少年時代、干ばつで家族ともども土地を捨てて逃げてきたの経験もフラッシュバックされてたかもしれない。


何がなんでも雨を降らせなければ!という思いは、強迫観念に近いものであったのかもしれない。



豊富な知識を吸収し、チャールズは雨を作り出すための独自の方法を考案し開発し始めた。

チャールズの弟、ポールや末の弟ジョエルも手伝っていたという記述がある。


牧場の風車の塔の上から雨製造実験をしたり、何度も失敗挫折を繰り返したのち、


1902年、彼は大きな亜鉛メッキの蒸発タンクの中に23の化学物質の混合物を作り入れる、大がかりな装置を作り出す。
これこそが雨を引き寄せる装置になったようだ。


約6メートル程のやぐらを組みたてて、その上から薬品を調合してできる煙を空中散布することによって、雨雲を発生させ雨を降らせるというもの。

last-look-september.jpg
ロサンゼルス・パブリック図書館からの写真


1904年フレッド・バイナリー(Fred Binney)が、チャールズのプロモーターとしてキャンペーンをするようになった。フレッドもまた果樹園の3分の2を干ばつによって全滅させられた経験をしていたのだ。

そのうち、ロサンゼルスの牧場主は新聞で彼の広告を目にすると、

干ばつに頭を痛めていた牧場主たちから次々依頼が入るようになる。
最初は50ドルだったり、100ドルだったり・・
(当時の100ドルは現在の$2800くらい。日本円だと・・310万円くらいかな)


契約はすべて成功報酬だったという。

しかし見事に成功し続けて彼の名前は、どんどん知られていくようになる。

●ロサンゼルスに18インチ(46 cm)の雨を降らせる依頼、
この仕事では、チャールズはルビオ渓谷近くのアルタデナにあるエスペランサ衛生院の敷地内に塔を建設。
見事に成功し約束金、$ 1000の料金を徴収した。




26年間の長きに渡ってこの商売を続け、その生涯で500件を超える雨乞いの依頼を受けた。
その中で失敗に終わったのは2件だったという記録が残っている。



1915年、チャールズが40歳のとき、
サンディエゴ市議会から、モトレナダム貯水池を満たすために雨を降らせて欲しい!と依頼を受ける。


当時のカリフォルニア州は、1200年ぶりの最悪の干ばつに見舞われていたという。(1200年ぶりってすごい!)

農家などでは、地下水源を守るために怪しげな雨乞い祈祷師を呼んでみたり、

ある専門会社では、大気をイオン化することによって降雨を引き起こすことができるんだから、そのための電気塔を建設さえすれば、干ばつは終わるのだ!とか・・・(ん? だからその費用負担をウチにくれってことか?)


drought2.jpg


議会は日々、喧喧諤諤、紛糾しまくったことだろう。


結局、サンディエゴ評議会は、レインメーカー: チャールズ・ハットフィールドを雇うことにしたのだった。
10,000ドルの成功報酬で。




1916年1月1日、チャールズと彼の兄弟、ジョエルは,
街の東60マイルの森の奥深くに入り、モレナ貯水池のそばに20フィートの塔を設置し作業を開始。

チャールズは独自の公式を使って、彼は様々な化学物質を混ぜて大気中に放出した。


4日後、モレナで雨が降ったと報告されている。


雨はどんどん降り続く。


1月14日 サンディエゴ川が溢れ、オールドタウンとミッションバレーが洪水に見舞われる。
道路、鉄道、橋が一掃される。(ある時点では、4フィート(120センチ以上)もの水がブロードウェイを駆け下りていったという記録がある。

1月27日、サウスベイ地域では、スウィートウォーター貯水池の水位はダムを溢れるまで上昇し、50フィート(15メートル以上)の壁を崩壊させ、ボニータ渓谷は、農場、住宅、道路、鉄道、すべてが渦巻き状の泥水に飲まれてた。

*スウィートウォーターダムは観光名所で、1888年に建てられ、それは1915年まで、アメリカで最も高いダムだったそうだ。

こちらがスウィートウォーターダムの1907年頃のポストカード
      ↓
PostcardSanDiegoCASweetwaterDam1907.jpg


もう少し南の方の、ローワーオタイダムにも危険が迫っていた。
水位は徐々にダムの頂上に近づいていき、設計建設者が、激しい嵐に耐えられないかもしれないと警告を出している。


同じく1月27日の午後4時45分、水はダムの頂部に到達し、午後5時5分に決壊



放出された水は峡谷を駆け抜けてダムの頂部から約20フィート下の地点までいっぱいになった。
貯水池が空になるのに24時間もかかったという。

6〜20フィート(6メートルにもなる!)の高さと巨大な壁のようになった水は、パームシティまでの距離を48分で駆け抜けたという。

26dc5517ce798a4da44b24b10bdfa5c5.jpg


1915-otay-dam-otay-valley-flood-san-diego_1_c102306be4500af2e319cb81b3628198.jpg


これによって、サンディエゴ全域が隔離されてしまった。

高速道路と鉄道が流され、電話回線も破壊されてしまったからだ。

唯一の方法は、ヨットクラブドックからボートで行くしかなかったという。

rainmaker1.jpg


1916年の洪水で、いったい何人の命が失われたのかは誰にもわかってない。

20人だったという人もいれば、60人だったという人もいて、もっと数えきれない数だという人までいる。


しかし犠牲者の多くは谷に住んでいた日本人農民たちだったといわれている。

被災後、何人かの日本人が小さなボートに乗り、必死で家族の名を呼びながら探し回っていたのが目撃されている。

現在、マウント・ホープ墓地には日本人の洪水被害者の記念碑があるそうだ。
     ↓
JapaneseMemorial1-300x200.jpg


flood3b.jpg



当然のように・・・これだけの大被害を出してしまえば責任問題が問われることになる。

責任は誰に?


これまた当然のように・・市議会はチャールズに責任を押し付けることになる。

まず、350万ドル相当の請求を突き付けたそうだ。

おいおい! ちょっと待ってよ!


雨を降らせって依頼したけど、今度は雨が降り過ぎちゃって大被害が出たから、全部オマエのせいだ!ってこと?


そもそもチャールズは、雨を降らせるための研究をしてきたけれど、
雨を止ませる方法は研究していない。

もっと正確にチャールズの言葉を借りるならば
”I do not make rain. That would be an absurd claim. I simply attract clouds, and they do the rest.”
Charles Hatfield



私が雨を降らせるんじゃなく、雨雲を呼ぶだけだ。 雨を降らせるのは雨雲なのだ。


2月4日、チャールズは記者団に「被害が出たのは市が十分な予防策を講じてなかった責任があるはずだ。」と述べている。


ところが、市議会はチャールズが全損害賠償責任を引き受けない限り、契約金を支払うことを拒否。

ん? 350万ドルを払えば、最初の雨を降らすって契約の1万ドルは支払ってやるぞ!ってことらしい。



新聞雑誌で「素晴らしきレインメーカー」ともてはやされた男は、「サンディエゴを大洪水にした張本人」と言われるようになる。


彼を貶めようとする者、また擁護しようとする者との会話。

「この男はコンアーティスト(ペテン師野郎)だ。」

「いいえ、違います。彼は実際に過去に何度も成功していますよ。」

「私も彼は人柄も大変良い人だと思います。 巷によくいるような口先だけのセールスマンのようにはまったく見えません。
また、そんなふうな噂だって聞いたこともありませんよ。」


実際、彼はミシンのセールスマンではあったが、典型的なセールスマンタイプ(つまり、口先が滑らかで上手に買わせるように仕向けてしまうような)ではなかったという。
敬虔なクエーカー家に生まれ、いつも礼儀正しく、自尊心を持つ態度だったという。
淡く澄んだブルーアイを持ち、白い肌を持つ細身の男だった。

    ↓
CharlesHatfield_1050x700.jpg


「そうゆう洗練された男こそ、本当に気をつけなきゃいけないんですよ。」

「いいえ、彼のバックには、れっきとしたサイエンスがあるのかもしれませんよ。」




市職員側は、雨だけでなく、その結果生じた損害の補償までも求めるような訴訟をどんどん起こしていく。
それがあまりにも殺到していったため、

本来の約束だった、成功報酬の1万ドルでさえ、支払わない方向に持っていったという。


チャールズ・ハットフィールドが雨を降らしたのは自分がやったことであり、決して神の行為ではないという証明をせよ!
その証明が提出できなければ、支払いを拒否する。



なんだそりゃ!


裁判は1938年まで続き、

当時の陪審員によって、「彼は科学的に雨を降らせたのではなく偶発的におきた自然災害」として判断し無罪の判決を下した。


つまり、科学的考証によりもたらされた産物ではない、
ただのペテン師野郎だった!
という判決が下されたことになる。


公の見解では、
チャールズ・ハットフィールドは気象学の知識を使って、前線がどこにあるかを予測し、あらかじめその場所に行って自分が雨を降らせたかのようにしただけに過ぎない


ということにされた。



ん? でも・・果たしてそんなことが出来るものだろうか?

いくら気象学に通じていたとしても100年前の気象学のわけだし~。(昔の天気予報なんてハズレも多かったと思うのだが)

それに、クライアントの依頼を受けて始めてその場所に行くわけだし・・
生涯で500百件を超える雨乞いの依頼を受けたうち2件を除いては成功したという事実から考えても・・

もし、本当にそんなことができたとしたら、

高い雨の確率にピンポイントで選択できる、恐るべきスキルとタイミングの感覚を持っていたってことになるんだろうか?
それとも、サイキックかい?(笑)



謎の部分はいくつもある。


裁判のとき、彼の研究結果を表す、化学式の提示は求められなかったんだろうか?
それとも、彼が拒否したのだろうか?

sdut-charles-hatfield-1916-rainfall-el-nino-san-diego-2015nov21-copy.jpg


チャールズとジョエルは、自分たちが行ったレインメーキングのあと、サンディエゴまでの60マイル(97キロくらいあるんだけど・・)を歩いたという。

濁流となった川、渓谷は完全に浸水し、橋は消え、鉄道は破壊され、家は流されていた。
死んだ動物達は泥水の中で放り投げられていたという。

それを目の当たりにした胸中を想像すると、真っ暗な思いがする。。。


その後も、チャールズの名声は消えたわけではなく、多くのレインメーキングの依頼も受けたそうだが、

すぐにやってきた大恐慌で、彼はミシンのセールスマンに戻っていったという。

Charles-Hatfield-Rainmaker-History-i519079666.jpg

彼は静かに余生を送り、
1958年1月12日、83歳で生涯を終えた。

カリフォルニア州グレンデールのフォレストローン記念公園墓地に埋葬され、彼の化学式も一緒に埋められたという。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

彼の死後いまだに、

●チャールズ・ハットフィールドは本物レインメーカーだったか、ペテン師だったのか?

●彼の調合したものはなんだったのだろう? 化学式はなんだったのだろう?



と謎が謎を呼び、ずっと囁かれ続けている。


有力な説のひとつとして言われているのは、

「雨粒の形に近いヨウ化銀を気化させた煙を大気中に散布したのではないか」という説。
これは20世紀後半から人工降雨の技術の一つとして実際に稼動させているものであり、実用化されているレベルとなっているらしい。

しかし、いずれも航空機などを使用して高所で行なわなければならないものなので、チャールズがやったように地上からできるものとは思えない・・というのが一般的見解。



結局、なにもかも不明・謎のまま。


もっとも、現在の軍上層部だったら、地震・気象兵器「HAARP」だって持ってるくらいだし~解明されちゃってるのかもしれないけど(笑)


ただ・・・現実に存在した事実は、

干ばつを回避するために、人生のほとんどを人工雨を降らすことに命をかけてきた男と、

それを信じて庇護する人とペテン師扱いした人がいて、

大災害が起きれば、誰かに責任を取らせよう必死な人たちがいたこと



それだけは確かなことだろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

レインメーカーの話は、のちに映画にもなった(笑)

私の父親あたりが見てそうな映画だけど・・
     ↓
220px-The_rainmaker_film_poster.jpg


これは、私の時代の映画だ。
    ↓
41WDNDEAREL.jpg

これは「雨乞い」じゃなくって、「弁護士」の映画だったけどね~。

このレインメーカーとは、「雨のごとく金を降らせてくれる一流の弁護士」って意味の現代におけるスラング。

一流といっても、必ずしもいい意味だけで使われるわけじゃないけどね~(笑)


1384989191-1-11.jpeg



まったくの余談なんだけど・・

チャールズ・ハットフィールドは、「大砲を撃ったあと雨が降る」言葉から、多くのヒントを得たという話が伝わっている。

「大砲を撃ったあと雨が降る」というのは、どうやら南北戦争の頃から、言い伝えられるようになったらしいのだ。


実体験してきた軍人さんたちから言い伝えられてきたらしい。

こちらの、南北戦争体験者からのサイトに載っていたのだ。
     ↓
Cannon fire and rain? | American Civil War Forums - Civil War Talk


チャールズよりも以前にも、それを証明しようとした気象学者たちもいたようで・・

1841年ジェームズ・ポラード・エスピイ(James Pollard Espy)という当時の一流の気象学者の著書『The Philosophy of Storms』の中で、
「湿った気流をより冷たい大気の層の中に移動させることによって、結露が起こり、人工的に雨が降る可能性がある」と主張している。

それが大砲やら機関銃やらの一斉攻撃が引き金になるってことらしいのだ。


その後、1890年にも大規模な実験まで行われたという。



だとしたら~その後も何度も大きな戦争が起こってるわけで、

ヒロシマ・ナガサキの原爆だって(あ? そういえば、原爆が落とされた後も黒い雨が降ったんだったっけ?)

近年では、中東に向けてのピンポイントミサイル攻撃だって数えきれないだろう。

石油コンビナートだとか、タンカーの大爆発だって起こってるわけだし・・


気象状況を変えてしまったのは、人間かもしれない!



参考
It's Raining Man! - San Diego History Center | San Diego, CA |

When Rain Comes: Charles Hatfield’s Secret Formulas

Cannon fire and rain? | American Civil War Forums - Civil War Talk

Charles Hatfield: Rainmaker or Con Man?

The Great Flood of 1916

Firing a cannon to make it rain: madness or meterology?

The Rainmaker, Charles Hatfield, and the Flood of 1916
Profile
スピリチュアル世界中心のブログ★

gingetsu2010

Author:gingetsu2010
アリゾナ州セドナにて、アクセサリー工房Alizona*銀の月*をオープンしてる銀月です!

日々の生活や体験の中から、社会のこと、スピリチュアルなことなど・・思いつくままに書きつらねてます。

皆様にも「スピリチャアルの意味」「生きる意味」を感じて頂けたら、幸いです!☆

Calender
07 | 2019/08 | 09
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
Link
☆HPはここをクリック↓☆
検索フォーム
カテゴリ
Diary
Alizona*銀の月*ショッピングサイトのお知らせ
Alizona*銀の月*では、ショッピングサイトをオープンしました。
ネイティブインディアンのホピ族を中心としたオーバーレイの銀製品を中心に、銀月の好みで集めてしまった逸品揃いですよ~(^^)v
☆ホピ族は、まさに、スピリチュアルな生き方を貫いてきた人々。
銀月のWEB、「ホピ族の話」をまずは、じっくり、ご覧ください。


Alizona*銀の月*の↓のURLから、お入りください。
http://sedona10silvermoon.web.fc2.com/index.html"